江戸期の「書籍目録」に見える『金鰲新話』 : 朝 鮮王朝の小説はどう紹介されたか
著者 邊 恩田
雑誌名 同志社国文学
号 90
ページ 37‑44
発行年 2019‑03‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000647
江 戸 期 の
﹁ 書 籍 目 録 ﹂ に 見 え る
﹃ 金 鰲 新 話 ﹄
朝 ︱
鮮 王 朝 の 小 説 は ど う 紹 介 さ れ た か ︱
邊
恩 田
はじ めに 江戸 時代 に入 り︑ 出版 文化 が盛 行す るに とも なっ て︑ 書林
・書 肆 は︑ 出版 物を 紹介 し販 売を 勧め る目 的で
﹁書しょ
籍じゃく
目録
﹂を 出す よう にな った
︒ 朝鮮 王朝 時代 初期 の文 人︑ 梅月 堂
メウ ォル ダン
金時 習
キム
・シ スプ
︵一 四三 五︱ 一四 九三
︶ が著 した 漢文 伝奇 小説
﹃金 鰲新 話
ク モ シ ナ
﹄は
︑日 本に 伝わ り︑ さら に“ 和 刻本
”と して 出版 され た注 目す べき 作品 であ り︑ 現在 のと ころ 承応 二年
︵一 六五 三︶
︑万 治三 年︵ 一六 六〇
︶の 刊記
︑寛 文十 三年
︵一 六七
〇︶ の奥 付の 十一 本が 伝存 して いる①
︒
﹃金 鰲新 話﹄ は︑ 江戸 時代 の日 本文 学に 大き い影 響を 及ぼ した が︑ 浅井 了意 の怪 異小 説集
﹃伽 婢子
﹄︵ 寛文 六年
・一 六六 六︶ にお いて は︑ 翻案 とい う方 法で 受容 され 結実 して いる
︒
では
︑和 刻本 の﹃ 金鰲 新話
﹄は
︑江 戸期 の書 籍目 録に 書名 が載 せ られ 紹介 され てい たの であ ろう か︒ また
︑そ れは どの よう であ った か︑ 非常 に興 味深 いこ とで ある
︒本 稿は その 報告 であ る︒ 一 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄ 江戸 期に どの よう な書 籍目 録が あっ たか につ いて は︑ すで に慶 應 義塾 大学 斯道 文庫 編に なる
﹃江 時戸 代書
林出 版書 籍目 録集 成②
﹄︵ 全三 冊︶ が備 わっ てい る︒ 阿部 隆一 氏は
︑そ の﹁ 解題
﹂に おい て︑ 書籍 目録 とい うの は︑
﹁出 版業 者が 販売 を目 的と した 出版 物を 掲載③
﹂し たも ので あり
︑享 和︵ 一八
〇一 一︱ 八〇 四︶ 頃ま での 二十 数種 が現 存す ると し︑ 二十 三種 を示 し紹 介さ れた
︒ そし て︑ この うち
︑最 も早 い時 期の 書籍 目録 は︑
﹁刊 記が なく 刊 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
三七
年が 不明④
﹂で はあ るが
︑﹁ 寛文 五年 から 六年 の間 に刊 行さ れた と考 える べき⑤
﹂﹃ 和漢 書籍 目録
﹄で ある とし
︑そ れを はじ めと して 十五 本の 影印 が公 開さ れた
︒ では
︑こ の十 五本 の書 籍目 録に
︑﹃ 金鰲 新話
﹄の 記載 があ るか ど うか 調べ たと ころ
︑十 一の 書籍 目録
︵後 掲す る⑵
~⑿
︶に
︑書 名の 掲載 が確 認で きた
︒ とこ ろで
︑筆 者は 最近
︑同 志社 大学 図書 館の 蔵書 のな かに
︑
﹃新 板書 籍目 録﹄
︵一 冊︑ 図書 記号 . / S
︶ とい う板 本が ある こと を知 った
︒ 本書 は︑ 阿部 氏が 先の 解題 にお いて
︑﹁ 東寺 観智 院蔵 万治 二年 写 本﹁ 新板 書籍 目録
﹂一 冊⑥
﹂と いう
“写 本” につ いて
︑紹 介だ けを さ れた ので ある が︑ まさ にそ の写 本の 元に なっ た本
︵の 一伝 本︶ では ない かと 考え られ るの であ る︒ 内容 を確 認し たと ころ
︑後 掲す る⑵
﹃和 漢書
籍目 録﹄ と同 様の 編纂 方式 であ り︑ 部類 分け も二 十二 部門 であ り︑ 内容 が全 く同 じで あっ た︒ 本書 は︑ 無刊 記で はあ るが
︑阿 部氏 は︑ その 成立 年代 につ いて
︑
﹁万 治二 年⑦
﹂と しつ つも
︑残 念な がら
﹁現 存板 本が 発見 され ない⑦
﹂ とさ れた
︒し かし
︑﹁ 書林 の手 にな った 開板 書籍 目録 等の 先駆 をな す記 念す べき 文献⑦
﹂で ある と評 価さ れて いる
︒ つま り﹃ 新板 書籍 目録
﹄は
︑現 存す る最 古の 書籍 目録 とし て︑ 高
く評 価さ れる 目録 とな る︒ した がっ て︑ 本稿 では
︑こ の同 志社 大学 図書 館所 蔵の
﹃新 板書 籍 目録
﹄本 を︑ まず
⑴と して 掲出 する こと とし た︒ 都合
︑江 戸期 の十 二本 の書 籍目 録に おい て︑
﹃金 鰲新 話﹄ が紹 介さ れて いる こと にな った
︒以 下詳 しく 見て いき たい
︒ さて
︑書 籍目 録に は︑ 分類 の仕 方に よっ て︑ 部類 分け によ るも の と︑ いろ は分 け︵ 書名 の仮 名順
︶に よる もの の二 種が ある が︑ それ ぞれ に﹃ 金鰲 新話
﹄の 記載 があ った
︒す なわ ち京
・大 坂を 中心 とす る上 方で の部 類分 け目 録だ けで なく
︑延 宝初 め頃 から は江 戸に おい ても
︑宣 伝に 付さ れ販 売さ れて いた とい うこ とで ある
︒ では
︑こ れら の書 籍目 録に
︑﹃ 金鰲 新話
﹄が どの よう に記 載さ れ てい るの かを
︑二 種の 目録 ごと に︑ 時代 順に 次に 提示 しよ う︒ 原文 を図 版に 示す
︒
○部 類分 け目 録
⑴無 刊記
︵一 六五 九年
︵万 治二
︶推 定︶
﹃新 板書 籍目 録﹄
﹁二 冊 金玟 歳新 話﹂
⑵無 刊記
︵一 六六 六年
︵寛 文六
︶推 定︶
﹃和 漢書
籍目 録﹄
﹁二 冊 金玟 歳新 話﹂
⑶一 六七
〇年
︵寛 文十
︶刊
﹃增 補書
籍目 録作
者付 大 意﹄
﹁二 冊 金済 新話
萬福 寺樗 蒲記
﹂
江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
三八
図 各書籍目録の原文
⑴﹃ 新板 書籍 目録
﹄
⑵﹃
和 漢書
籍目 録﹄
⑶﹃
增 補書
籍目 録作
者付 大 意﹄
⑷﹃
增 補書
籍目 録﹄
⑸﹃
古 今書
籍題 林﹄
⑹﹃
広 益書
籍目 録﹄
⑺﹃
新板 増補
書籍 目録
作者 付 大 意﹄
⑻﹃
新 増書
籍目 録﹄
⑼﹃ 書籍 目録 大全
﹄
⑽﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
⑾﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
同右
⑿﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
同右
⑷一 六七 一年
︵寛 文十 一︶
﹃增 補書
籍目 録﹄
﹁金 済新 話
萬福 寺樗 蒲記
二﹂
⑸一 六七 五年
︵延 宝三
︶﹃
古 今書
籍題 林﹄
﹁二 ヽ
金済 新語
﹂
⑹一 六九 二年
︵元 禄五
︶﹃
広 益書
籍目 録﹄
﹁二
金済 新語
﹂
⑺一 六九 九年
︵元 禄十 二︶
﹃新 増板 補書
籍目 録作
者付 大 意﹄
﹁二
金済 新語
﹂
○い ろは 分け 目録
⑻一 六七 五年
︵延 宝三
︶﹃
新 増書
籍目 録﹄
﹁二
金栽 新話
萬福 寺樗 蒲記
﹂
⑼一 六八 一年
︵天 和一
︶﹃ 書籍 目録 大全
﹄
﹁二
金栽 新話
萬福 寺 樗蒲 記
壱匁 八分
﹂
⑽一 六九 六年
︵元 禄九
︶﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
﹁一 福森
金キン
済ゴ 新話
シ ン ワ 萬福 寺 樗蒲 記
一匁 五分
﹂
⑾一 七〇 九年
︵宝 永六
︶﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
︵⑽ の増 修版
︶
﹁一 福森
金キン
済ゴ 新話
シ ン ワ 萬福 寺 樗蒲 記
一匁 五分
﹂
⑿一 七一 五年
︵正 徳五
︶﹃
増 益書
籍目 録大 全﹄
︵⑽ の増 訂版
︶
﹁一 福森
金キン
済ゴ 新話
シ ン ワ 萬福 寺 樗蒲 記
一匁 五分
﹂ 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ には
︑何 が記 載さ れて いる のか につ いて
︑ 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
三九
中野 三敏 氏は
︑ 巻頭 に内 容の 惣目 録を 置い て︑ 以下
︑そ の一 つ一 つの 分類 に相 当す る出 版物 の書 名︑ 著者 名︑ 冊数
︑板 元等 を記 す⑧
︒ とい う内 容の 本で ある とさ れる
︒ では
︑﹃ 金鰲 新話
﹄の 場合
︑ど のよ うに 紹介 がな され てい たの か︑ 分類 カ所
︑書 名︑ 著者 名︑ 冊数
︑板 元な どに つい て︑ 各目 録に おけ る記 載内 容を 確認 しな がら
︑そ の特 徴に つい て明 らか にし てい きた い︒ まず 書名 につ いて は︑
⑴か ら⑿ まで の書 籍目 録に 記載 があ った が︑ しか し﹁ 鰲﹂ の字 には
︑誤 字あ るい は異 体字 が刻 され てい て︑ 以降 の⑿ まで
﹁鰲
﹂の 字に はな って いな い︒ また
︑⑸ にお いて は︑ タイ トル の﹁ 話﹂ を﹁ 語﹂ 字に 誤刻 して い る︒ それ は︑
⑹と
⑺に その まま 続い たが
︑江 戸の 目録 の方 には
︑そ の誤 刻は 見ら れな い︒ おそ らく 正さ れた ので あろ う︒ 次に
︑分 類の 方法 であ るが
︑部 類分 けの 目録 であ る⑴ と⑵ では
︑
﹁外 典﹂ すな わち 儒教 関連 書︑ 広い 意味 での
“漢 籍” とし て﹁ 金鰲 新話
﹂を 取り 扱っ てい た︒
﹁金 鰲新 話﹂ の書 名の 直前 には
︑﹁ 剪燈 新 話﹂
﹁列 女伝
﹂﹁ 三綱 行実
﹂な どの 書名 が並 んで いる のを 見れ ば︑ こ れら の中 国や 朝鮮 の作 品も
︑同 類の 書と 考え られ てい たこ とが わか る︒
とこ ろが
︑寛 文十 年刊 の⑶ にな ると
︑﹁ 儒書
﹂部 門に 配さ れて い るも のの
︑﹁ 儒書
﹂部 門に は︑ さら に下 位分 類と して
︑ 経書 歴代 理学 道書 伝記 古事 とい う六 つの 項目 が設 定さ れて
︑細 分類 され てお り︑ その うち の
﹁古 事﹂ に収 めら れて いる
︒
⑸︑
⑹︑
⑺の 目録 にお いて も︑
﹁故 事﹂ に収 めら れて おり
︑本 の 取り 扱い に変 化が あり 詳細 にな って いる こと がわ かる
︒お そら くそ れは
︑伝 奇小 説で ある
﹃金 鰲新 話﹄ につ いて の認 識が 深ま った から では ない かと
︑判 じら れる ので ある
︒ 一方
︑江 戸で 出版 され た最 初の 書籍 目録 であ り︑ いろ は分 けの 嚆 矢と され る延 宝三 年刊 の⑻ では
︑﹁ き﹂ の﹁ 儒書
﹂に 置か れて いて
︑ 以降 の目 録⑼ と⑽ でも 同じ であ り︑
⑽の 増訂 版で ある
⑾や
︑⑽ の修 版で ある
⑿も
︑同 じ板 木で あり
︑同 じで ある
︒ 中国 の﹃ 剪燈 新話
﹄が
“志 怪” 小説 であ るに もか かわ らず
︑﹁ 儒 書﹂ のな かの 故事 扱い にな って いる こと につ いて
︑冨 士昭 雄氏 が︑ 当時 の書 籍目 録の 編者 は︑ 妖艶 な﹃ 剪燈 新話
﹄も 即物 的功 利的 な故 事雑 著と 同格 に扱 われ てい るの であ る⑨
と指 摘さ れた よう に︑ 非常 に興 味深 いこ とで ある
︒ 三点 目に 指摘 すべ きこ とは
︑⑶ の目 録が
︑﹁ 萬福 寺樗 蒲記
﹂と い う作 品題 を付 記し はじ めた こと であ る︒
江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
四〇
しか しこ の﹁ 萬福 寺樗﹅ 蒲﹅ 記﹂ とあ るの は︑ 正し くは 一九 九九 年発 見さ れた 朝鮮 刊木 版本 の原 文﹁ 萬福 寺摴﹅ 蒱﹅ 記﹂ であ って
︑﹃ 金鰲 新 話﹄ の五 篇の 作品
︑
﹁萬 福寺 摴蒱 記﹂
﹁李 生窺 墻傳
﹂
﹁醉 遊 碧𠅘 記﹂
﹁南 炎 州志
﹂
﹁龍 宮赴 宴錄
﹂ の第 一作 であ る︒ すな わち
︑代 表的 な作 品題 を添 える こと で︑ 本の 紹介 がよ り詳 細 にな され たと いう こと にな る︒ そし てそ れは
︑⑶ の目 録が
︑タ イト ルに
﹁作 者付 大意
﹂と 銘打 って いる こと と符 合す るこ とで あっ た︒ 作品 題を 付記 する こと は︑ 後続 する
⑷に は見 える が︑ 延宝 三年 刊 の⑸ や︑
⑹︑
⑺に はい ずれ も見 られ ず︑ 江戸 のい ろは 分け 目録
⑻に 引き つが れて おり
︑以 後こ れが 定着 して いる のが わか る︒ さて 次に
︑本 の“ 値段
”を 記し はじ めた のは
︑⑼ の天 和元 年﹃ 書 籍目 録大 全﹄ が最 初で あり
︑﹁ 壱匁 八分
﹂と 売価 を提 示し てい る︒
⑼本 の扉
︵見 返し 題︶ には
︑﹁ 新撰 書籍 目録 大全
直段 付太ママ 意﹂ と あっ て︑
﹁直 段付 太意
﹂と いう 通り
︑﹁ 直段
﹂を 付し
︑﹁ 大意
﹂と し て作 品題
﹁萬 福寺 樗蒲 記﹂ を付 けて
︑よ り詳 しく 本を 宣伝 して いる
わけ であ る︒ 五点 目の 特徴 とし て︑
﹁ふ りが な﹂ の付 記が あげ られ る︒
⑽で は︑ 書名 に仮 名で
﹁き んご
しん わ﹂ と“ 読み
”を 刻し てい る︒ これ は︑ 先行 の目 録類 には なか った こと であ る︒ ただ
︑﹁ きん ごう
﹂と ある べき とこ ろの
﹁う
﹂字 の刷 りが 見え ない のは
︑板 木の
“欠 損” によ るも ので あろ うと 判じ られ る︒ さて
︑最 後に 指摘 すべ きは
︑﹁ 板元
﹂の こと であ る︒ 板元 の名 を 入れ た書 籍目 録は
︑江 戸に おけ る元 禄九 年刊 の⑽ が︑ 最初 であ る︒
﹁福 森﹂ とあ るの は︑ 福森 兵左 衛門 のこ とで
︑﹃
慶長 以来
書賈 集覧⑩
﹄に よれ ば︑ 京の 五条 通り の板 元で ある
︒ 実際
︑福 森は
︑和 刻本
﹃金 鰲新 話﹄ を﹁ 寛文 十三 丑年 仲春
/福 森 兵左 衛門 板行
﹂の 奥付 で売 り出 して いる が︑
⑽に ある 通り
﹁一 冊﹂ 本で あり
︑現 存す る三 伝本 を筆 者は 確認 して いる⑪
︒ 板元 の福 森は
︑浅 井了 意の 著作 や︑ 林羅 山の
﹃怪 談全 書﹄
︵元 禄 十一 年・ 一六 九八
︶と いっ た怪 異物 を刊 行し た板 元で もあ るが
︑江 戸に も進 出し て︑
﹃金 鰲新 話﹄ を目 録に 載せ 販売 して いた こと が明 らか とな った
︒ この よう に︑ 書籍 目録 に見 える
﹃金 鰲新 話﹄ に関 する 情報 が︑ し だい に詳 しく なっ てい く所 に︑ 当代 の出 版に おけ る商 業的 な盛 行の ほど がう かが い知 られ るの であ る︒ 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
四一
以上
︑い くつ かの 特徴 を指 摘し なが ら書 籍目 録の 実相 を見 てき た が︑ 和刻 本﹃ 金鰲 新話
﹄は
︑無 刊記 書籍 目録 の万 治二 年頃 から 正徳 五年 頃ま での およ そ六 十年 の期 間だ けを 見て も︑ 京都
︑大 阪︑ 江戸 にお いて
︑積 極的 に宣 伝さ れて いた こと が確 認で きた
︒も ちろ んそ れ以 降も
︑出 版や 販売 は続 いて いた と考 えら れる
︒
* さて ここ で︑ 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ では ない が︑
﹃倭 板書 籍考⑫
﹄ とい う書 に︑
﹃金 鰲新 話﹄ につ いて の解 説が 見え るこ とに つい て述 べて おき たい
︒
﹃倭 板書 籍考
﹄は
︑長 澤規 矩也
・阿 部隆 一氏 の﹁ 解題
﹂に よれ ば︑ 幸島 宗意 の著 にな る︑ 元禄 十五 年︵ 一七
〇二
︶の 刊本 であ り︑ その 内容 は︑ 慶長 から 元禄 に至 る間 に出 版さ れた 和漢 書に つい ての 解題 とい える 内容 にな って いる とい う︒ その 巻七 に︑ 書名 を一 字誤 って
﹁金 鏊新 話﹂ と記 した うえ で︑ 次 のよ うに 説明 して いる
︒ 一本 アリ 文意 剪燈 新話 ヲ模 シタ ル書 ナリ 高麗 文士 ノ作 也 まず
︑﹁ 一本 アリ
﹂と いう ので ある から
︑﹃ 金鰲 新話
﹄の
“一 冊 本” を著 者は 見た こと にな る︒ 先に 検討 した よう に︑ 同時 期の 書籍 目録 であ る⑽
︵元 禄九 年刊 本︶ にお いて
︑初 めて
﹁一 冊﹂ とい う冊 数が 見え てい るの で︑ この 点齟 齬は ない よう であ る︒
そし て続 いて
︑作 品の 内容 に関 して
︑﹃ 剪燈 新話
﹄を 模し た書
︑ つま り模 倣し た書 であ ると いう
︒と する なら
︑著 者は
︑﹃ 剪燈 新話
﹄ の内 容を よく 知っ てい て︑
﹃金 鰲新 話﹄ をも 読ん だ上 で︑ 両作 品を 比べ て﹁ 模シ タ﹂ と評 した とい うこ とに なろ うか⑬
︒“ 模し た” とい う評 価は 皮相 的で 短く はあ るが
︑中 国の
﹃剪 燈新 話﹄ と朝 鮮の
﹃金 鰲新 話﹄ とを 対比 した 作品 評が
︑元 禄十 五年 の時 点で 日本 の識 者に あっ た点 に︑ 注目 して おき たい
︒ ただ し︑ 作者 につ いて は︑
﹁高 麗文 士﹂ とす るだ けで
︑号 の﹁ 梅 月堂
﹂や 著者 名︵ 金時 習︶ は記 して いな い︒ 二 冊数 につ いて 刊
︱
記の 問題 筆者 がこ れま で調 査し た現 存す る和 刻本
﹃金 鰲新 話﹄ は︑ すべ て 一冊 本に 綴じ られ たも ので あっ た︒ とこ ろが
︑右 掲出 の書 籍目 録に は︑
﹁二 冊﹂ とす る方 が圧 倒的 に 多く
︑疑 問が 残っ てい たが
︑原 本に 当た り調 べて いく 過程 で︑ その 疑問 は解 かれ た︒ 再度 の伝 本調 査時 に注 意を 払い なが ら原 本を 見て いた とこ ろ︑
﹁小 口書 き﹂ がそ の疑 問を 解く きっ かけ とな った
︒ 筆者 は︑ 京都 大学 附属 図書 館蔵 本﹃ 金鰲 新話
﹄の 調査 時に
︑本 を 綴じ てい る背 の部 分の 四十 五丁 ある 本文 の用 紙が
︑大 きく 二つ のま とま りの ある 部分 に分 かれ よう とす る傾 向が ある こと に︑ 気付 いた
︒
江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
四二
さら にま た︑ 本を 綴じ た綴 じ糸 の部 分を 見た とこ ろ︑ やは りそ こに も二 つの 部分 に分 かれ る傾 向が
︑は っき りと 見て とれ たの であ る︒ これ は︑ もと もと 二冊 本の 分冊 であ った 本を
︑二 冊を 重ね て一 冊 本に 綴じ た本 であ るこ とを 意味 する ので はな いか と︑ 筆者 は考 えた
︒ そこ で本 の底 を見 たと ころ
︑も との 本と おぼ しい 底の 上下 二箇 所 に﹁ 小口 書き
﹂が あっ て︑ 上部 に︑ 金 話 本 ケン 下部 に︑ 金 話 本 コン とい う墨 書き が確 認で きた
︒上 下の 二冊 の本 への
︑書 き入 れで あっ た︒
﹁ケ ン﹂
﹁コ ン﹂ とい うの は﹁ 乾坤
﹂の こと で︑ 上下 や二 つ︑ あ るい はセ ット を意 味す る語 であ る︒
﹁小 口書 き﹂ につ いて
︑ 和本 は書 棚や 本箱 に横 積み する のが 通例 で︑ 従っ て検 索の 便の ため に︑ 書物 の下 小口 にそ の書 名や 巻冊 数を 横書 きに して ある こと が多 い︒ これ を﹁ 小口 書き
﹂と 称す る⑫
︒ と説 かれ るよ うに
︑本 の背 の方 から 左方 に横 書き され たこ の小 口書 きは
︑ま さし くこ の本 が︑ もと は“ 二冊
”で あっ たこ とを 証明 して いる と ︒ ころ でこ のこ とは
︑先 掲し た﹁ 書籍 目録
﹂の 記事 に確 認が でき る︒
⑴⑵ をは じめ
⑶⑷
⑸⑹
⑺⑻
⑼ま での 目録 では すべ て﹁ 二冊
﹂と
して いる が︑
⑽と
︑⑽ の増 訂版 であ る⑾
︑⑽ の修 版で ある
⑿で は︑
﹁一 冊﹂ とあ るか らで ある
︒ とな ると
︑現 存す る和 刻本
﹃金 鰲新 話﹄ はす べて 一冊 本で はあ る もの の︑ もと もと は二 冊本 とし て売 られ てい たと いう こと にな る︒ そし て後 には
︑こ の二 冊の 本を 合綴 して 一冊 本に 作り 直し たか
︑あ るい は当 初よ り二 冊分 を一 冊に 綴じ て販 売し た︑ とい うこ とに なろ う︒ した がっ て以 上の こと から
︑和 刻本
﹃金 鰲新 話﹄ の場 合︑ たと え その 伝本 の刊 記が
︑承 応二 年︵ 一六 五三
︶や 万治 三年
︵一 六六
〇︶ であ り︑ ある いは 奥付 が寛 文十 三年
︵一 六七 三︶ であ った とし ても
︑ 実際 に︑ 摺刷 され た時 期︑ 綴じ られ た時 期︑ 販売 の時 期に つい ては
︑ 必ず しも 刊記 のい う年 時で はな い場 合が ある とい うこ とに なる
︒刊 記と 異な る可 能性 があ ると いう こと に︑ 注意 しな けれ ばな らな い︒ この 点が
︑和 刻本 を理 解し
︑取 り扱 うに おい て︑ もっ とも 重要 な 留意 点と なる
︒ 注
① 邊恩 田﹁
︿資 料紹 介﹀ 和刻 本﹃ 金鰲 新話
﹄の 諸本
﹂﹃ 同志 社国 文学
﹄第 65号
︑二
〇〇 六︑ 一二
︒﹁
︿資 料紹 介﹀ 和刻 本﹃ 金鰲 新話
﹄の 諸本
︵続
︶﹂
﹃同 志社 国文 学﹄ 第72 号︑ 二〇 一〇
︑三
︒
② 慶應 義塾 大学 斯道 文庫 編﹃
江戸 時代
書林 出版 書籍 目録 集成
﹄井 上書 房︑ 一 江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
四三
九六 二︒
③ 注② の﹁ 解題
﹂︑ 一一 頁︒
④ 注② の﹁ 解題
﹂︑ 一二 頁︒
⑤ 注② の﹁ 解題
﹂︑ 一三 頁︒
⑥ 注② の﹁ 解題
﹂︑ 一〇 頁︒
⑦ 注② の﹁ 解題
﹂︑ 一二 頁︒
⑧ 中野 三敏
﹃書 誌学 談義
江戸 の板 本﹄ 岩波 書店
︑一 九九 五︑ 九九 頁︒
⑨ 冨士 昭雄
﹁伽 婢子 と狗 張子
﹂﹃ 国語 と国 文学
﹄一 九七 一. 一〇
︑三 四 頁︒
⑩ 井上 和雄 編︑ 彙文 堂書 店︑ 大正 五︒
⑪ 注① の報 告を 参照 され たい
︒
⑫ 長澤 規矩 也・ 阿部 隆一 編﹃ 日本 書目 大成
﹄第 三巻
︑汲 古書 院︑ 一九 七 九︒
⑬ ある いは 伝聞 など に依 った 評か とも 考え られ る︒
⑭ 注⑧ の二 六二 頁︒ なお
﹁小 口書 き﹂ は︑ ほか の和 刻本
﹃金 鰲新 話﹄ に おい ても 異な る表 現で 確認 がで きて いる
︒
江戸 期の
﹁書 籍目 録﹂ に見 える
﹃金 鰲新 話﹄
四四