共同性の探求 : 長谷川如是閑における「社会」概 念の析出
著者 織田 健志
雑誌名 同志社法學
巻 59
号 2
ページ 679‑724
発行年 2007‑07‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000011203
共同性の探求六七九同志社法学 五九巻二号
共同性の探求
―
長谷川如是閑における「社会」概念の析出―
織 田 健 志
目 次一.はじめに二.共同性の再構成と「社会」へのまなざし (
( 1)「社会の発見」再考
( ――批『現代社会』『判論道徳の現実性』理の社三批会社と論体機有会判. 2成構再の性同共)
( 1谷社長」見発の会「川る)おに閑是如け
( ――の然性「行動系体・としての社会」蓋動・活生.四行 2閑長谷川如是)の社会機体論有 1)「行動の体系」
(一二四九)
共同性の探求六八〇同志社法学 五九巻二号 (一二五〇)
一.はじめに
長谷川如是閑(一八七五
―
一九六九)は、明治・大正・昭和の長きにわたり活躍した近代日本を代表するジャーナリストであり、吉野作造や大山郁夫らと並ぶ大正デモクラシー運動のオピニオン・リーダーとして今日その名が知られている。また、深い学識と幅広い問題関心を多彩な方法で表現した第一級の言論人として、しばしば「文明批評家」とも評される優れた思想家であった。
本稿の目的は、一九二〇年代に発表された社会論を中心に、如是閑において国家と区別された「社会」という概念がどのように析出してきたのかという点について考察することである。周知のように、この時期の如是閑は「生活事実」
という観点から統治機構としての国家と人々の具体的な日常生活としての社会を区別し、社会の優位を説きながら国家の権力性を鋭く批判した。そして、日常生活に見られる人間の互助的契機を重視し、その中に既成の国家秩序を乗り越
えてゆく新たな秩序の可能性を探求したのである (
うて」個「の間人、い共おにこそ、たま。と同う理あでのたれさ解に性うよのどは機契のかろだよ構築しろうのとたし それでは日如是閑はこうした、活常生に内。する秩序をどのように在 1) (
( 2)主体としての個人 ( 3)「所与」と「作為」のあいだ
.五おわりに 4)「蓋然性」の社会
共同性の探求六八一同志社法学 五九巻二号 か。以上の問題が本稿の中心的な課題である。 ところで、先行研究では、如是閑の言説における国家や社会制度のイデオロギー批判に関しては多くの研究があるも
のの (
扱っ大最くらそおがとこたか原なし明表に的系体を識の因値限らか面正を観会社、りので見管、れあもと。うろあ意価 、討十もしず必はみ試るす検なに的在内を観会社の彼分さや閑法方考思のら自が身自是れ如。いなはでけわたきて 2)
った研究は、松本三之介「時代の批判者 長谷川如是閑」(『長谷川如是閑集 第三巻』岩波書店、一九八九年、解説)、古川江里子「長谷川如是閑の思想構造
― ―
西洋思想の受容と変容」(『メディア史研究』六号、一九九七年六月。のち『大 衆社会化と知識人― ―
長谷川如是閑とその時代』芙蓉書房出版、二〇〇四年に収録)の二つを数えるのみである。 松本論文では、『現代社会批判』と『道徳の現実性』に収められた諸論稿を中心に取り上げ、如是閑の個人観が、自由で合理的行動の主体という古典的なリベラリズムのそれではなく、さまざまな社会関係によって規定された「社会的存在」という、どちらかといえば社会有機体論が想定する個人観に近かった点を指摘した。さらに、如是閑がこのよう
に人間の共同性を強調した一方で、各人が互いに自らの個性を発揮することの重要性についても同様に切言してやまなかったこと、換言すれば、「個」か共同性かといった二者択一を斥け、両者の調和を目指していたことも明らかにして
いる。一方、古川論文は、西洋思想の受容という観点から如是閑の社会観を考察したものである。古川は、如是閑の社
会観が一種の社会有機体論であると指摘し、如是閑の有機体論的思考がヘーゲルのそれではなく、個人の自律性を重視するスペンサーの社会進化論に由来していることを説得的に論じている。
このように、両論文ともそれぞれの視点から如是閑の社会観に接近した優れた研究であることは疑いない。しかし、筆者が疑問に感じるのは、社会観を検討しているにもかかわらず、同時代の「社会の発見 (
」という知的傾向との関連に 3)
ついてほとんど指摘されていない点である。飯田泰三が明らかにしたように、第一次大戦後の一九二一年前後に、多く
(一二五一)
共同性の探求六八二同志社法学 五九巻二号
の人々の間で「社会」という言葉がいっせいに使われ出すようになるが、長谷川如是閑は紛れもなくその中心人物の一
人であった (
少世トクパンイたえ与に界想は思の閑是如が向傾的知と何いを、てったあにるす察考観だ会社の閑是如。かのたっうと 。見っい、はと会社たし発」が閑是如、ばれすとだたい如何会社、「たま。かうろ見発あでのたっだのもるなの 4)00
なくともこの二つの問いは看過できないように思われる。 以上の問題意識に立って、本稿では、まず「社会の発見」についてその思想史的意味を概観する。ついで、『現代社
会批判』・『道徳の現実性』といった如是閑の社会論の代表的著作を中心に、彼が「個」と共同性の関係をどのように考えていたのかを瞥見し、その理論枠組であった社会有機体論について検討する。そして最後に、「行動の体系としての
社会」という主張に集約される、これまで全く省みられなかった社会学関係の如是閑の論稿を取り上げ、社会有機体論の読み替え 0000を通して日常生活の中に「個」と共同性の相関関係を読み込もうとする如是閑の思想的営為を辿ることにし
よう。
二.共同性の再構成と「社会」へのまなざし
(
るか噴出す題、明治二十年代ら」三十年代にかけてであるが ( のり速な発展によい問わゆる「社会急義い、観う主と会社てがいおに本日代念人 く本資、はのるて々っ上に識意の近
1
考再」見発の会社)「so cie ty
よ前以てしと語訳翻のりは体自葉言ういと会社。 5)存在していたが (
ばこなばれけなし意注でこな、だた。たっかなららいね関、が会社たい惹を心のの者識に後争戦清日、はなた日待今を 生会社てしと域領の活間表人たれさ別区と家国が象期日時のこた経を争戦清、、はのるなにうよるれさ 6) (一二五二)
共同性の探求六八三同志社法学 五九巻二号 われわれが普通に思い浮かべるような一定の自律的秩序をもった共同体として捉えられたわけではないということである。じじつこの時期には、国家を唯一の全体社会と考える傾向が依然として強く、新たに浮上した社会という観念を媒
介にして国家秩序を相対化する発想はほとんど見られない。むしろ、社会が問われる際にも、国家の統一的秩序からこぼれ落ちた剰余の部分として「問題」視され、その意味では、国家と区別可能な自律性をもった秩序体系としての社会
という観念が十分な成熟を見なかったともいえるだろう。たとえば、のちに社会政策学会の中心人物となる桑田熊三(熊蔵)は、論文「国家ト社会ノ関係ヲ論ズ」(『国家学会雑誌』一八九四年七月)において、「国家」と「社会」の概念上
の区別を力説しつつも、「国家ニハ人格アルモ社会ニハ之レ無シ社会ハ只混沌タル人類ノ集合ノミ」と社会に対して否定的な評価を下している。国家と社会の異同にいちはやく注目した桑田にしても、社会は各人の欲望が渦巻く無秩序状
態に過ぎなかったのである。 このような自律的秩序としての社会観念の未成熟といった問題は、しかし日露戦後から第一次大戦を経た大正中期に
かけて次第に克服されてゆく。それまで唯一の自律的な秩序体系と見なされていた国家の自明性が失われ、人間の共同性を如何に構成してゆくかという問いの中から、集団生活の領域として社会が積極的な意味を帯びてクローズアップさ
れてきたのである。いわゆる「社会の発見」と呼ばれる知的傾向である。たとえば、吉野作造は、国家を唯一の秩序体
系として自己目的化する旧来の「政治学」=「国家学」のあり方を鋭く批判し、「我々の共同生活体」をいいあらわすには「国家」ではなく「社会」を用いるべきであり、「国家」はそうした社会生活における手段に過ぎないと主張した (
。 7)
大山郁夫は『政治の社会的基礎』(一九二三年)の冒頭で、政治現象を「社会」現象に基礎づけること、すなわち「一切の政治現象の上に働く『社会法則』の探求」こそが「科学としての政治学」という自らの立場にとって最重要の仕事
であると力説したのであった (
四」(家意識の社会化『「我等』一九一九年国閑。くそのほか目に付だ是けでも、長谷川如 8)
(一二五三)
共同性の探求六八四同志社法学 五九巻二号
月。のち『現代国家批判』一九二一年に収録)、杉森孝次郎「社会の発見」(『中央公論』一九二一年七月。のち『国家
の明日と新政治原則』一九二三年に収録)、福田徳三「『社会』の発見」(『社会政策と階級闘争』一九二二年、所収)、高田保馬『社会と国家』(一九二二年)、中島重『多元的国家論』(一九二二年)等々、「社会の発見」をめぐる知識人た
ちの著作は枚挙に暇がない。かくして大正知識人たちは、新たに発見 00された社会という観念を梃子にして、じつにさまざまな形で官僚勢力が支配する既存の国家秩序に対する批判を展開してゆくことになる。
明治中期から大正デモクラシー期の「社会の発見」にいたる、社会観念の自覚化について、通説的見解に従えば以上のようになるだろう。日清戦争後に萌芽が見られた国家と社会の概念上の区別(国家・社会二元論)が徐々に進展し、
第一次大戦後において、ついに社会の優位を説くことで国家を相対化するまでに「進歩」していったというわけである。こうした見方の背景には、国家を唯一の公共的価値の担い手と見なす傾向が強い近代日本の知的状況においても、西洋
近代と同様に国家・社会二元論により国家の存在理由を問い、その役割を相対化する思想的伝統が存在したことを指摘しようとする、研究者側の問題意識が色濃く反映しているように思われる。むろん、こうした特徴づけが全く失当であ
るというわけではない。しかし、「社会の発見」という知的傾向の思想史的意味を問う場合、このような理解の仕方では、いくつかの重要な問題が抜け落ちてしまわないだろうか。筆者の疑念は以下の二つの点にある。
第一の疑念は、「社会の発見」の思想史的意味をもっぱら 0000国家的価値の相対化に求めている点である。国家の至高性を説く体制の論理に対して、国家・社会二元論に立って、既存の国家秩序と果敢に対決した大正知識人の言論活動はむ ろん重要であろう (
にてぎないと考えい。たことも事実で過部るくまた、彼らの多が一、国家は社会のあ 9)(
の態家の自明性の喪失という事を、前にして、人間の共同性をど国はう大も少し触れたよ心、に正会関の知へ社の人識 。に先、しかし 10)
ように構成してゆくかという問いに端を発していたのである。こうした共同性という観点から「社会の発見」という知 (一二五四)
共同性の探求六八五同志社法学 五九巻二号 的傾向を検討するために、日露戦後から次第に顕著となる「個」の覚醒と「共同性の喪失」という問題について一瞥しておこう。
対外的独立という明確な国家目標が喪失した日露戦後の時代において、人々にとって国家は、かつてのような国民一丸の政治的共同体ではなく、彼らの外側に屹立する、自己を一体化するには余りにも遠い統治機構のように感じられた。
くわえて、家や地域といった伝統的共同体も、これまた日露戦後に進展する都市化や工業化の大きなうねりの中で急速に衰退していった。そして、このような共同体の弱体化が、既成秩序のくびきから解放された「個」という意識を人々
に呼び起こしたのである (
わ欲な限際の心己利や望の解人個に時同、で面反き放せ、失が感体一のと家国果を結のそ。たしらたももたさ伸を識張 伝共緩弛の序秩体同よなうの上以、がろこは統、放意の」個「たれさ解。らか束拘の習慣やと 11)
れ、伝統的共同体が衰退した現実社会は、各人の私的欲望が渦巻く無秩序状態へと変貌してしまったのである。ここに個人の利己心や欲望を制御しつつ、如何にして共同性を再構成すべきかという問いが、喫緊の課題として浮上してくる。
体制側も批判者の側においても、「共同性の復権」(黒川みどり (
た民たし介を論徳道国家、てし執固に性国秩至同て企を復回の性共序てっよに編再の上のあまでる。あくで国家的価値 識し関にい意題問ういいてはえば何ら違)なかったのと 12)
体制の論理に対し (
う共会という観念の中に同た性の契機を読み取ろ社れ人さ制に批判的な知識た、ちは、国家と区別体 13)
としたまでである。大正知識人による「社会の発見」とは、「個」の覚醒がもたらした負の側面を克服すべく、失われた共同性を再構成してゆこうとする彼らなりの試みにほかならなかった。してみれば、国家と社会の概念的区別もむろ
ん重要であるが、上述のような彼らの関心からして、共同性をめぐる問題を無視して国家的価値の相対化のみを「社会の発見」の成果として理解するのは、きわめて不十分な見方といわざるを得ないだろう。
第二は、第一の問題とも関連するが、「社会の発見」において析出した社会概念の理解の仕方についてである。国家
(一二五五)
共同性の探求六八六同志社法学 五九巻二号
と区別された社会領域の自律性を説くことで、国家そのものの存在理由を相対化していった大正知識人の思想的営為
は、先行研究もしばしば指摘しているように高く評価すべきであろう。しかし、こうした立論の背景にある考え方、すなわち国家権力の制限を主眼とする古典的リベラリズムに引きつけての社会概念の理解は、「社会の発見」という知的
傾向を考察するうえで果たしてどれほど妥当であろうか。端的にいえば、そこでの社会概念は、西洋近代に典型的な「市民社会」観をあまりにも無批判的に受け入れているように思われる。
国家的価値の相対化という側面を高く評価するこうした立場では、「社会問題」が噴出した明治中期と大正デモクラシー期を対比しながら、日本における社会概念の析出の意味を次のように描き出す。すなわち、日清戦争後に人々の意
識に上ってきた社会とは、急速な資本主義化の過程で統一的な既成の秩序から「おちこぼれた部分」であり、唯一の「全体社会」である国家の秩序から「はみ出した」無秩序状態として「問題」視されていた。これに対して大正デモクラシ
ー期においては、いわゆる「政商」とは異なった非特権ブルジョアジーが台頭し、彼らが「市民社会」の担い手としての独自性を主張し、国家に対して異議申し立てを行なうようになった。大正デモクラシーの知的状況において、国家と
区別された社会領域の自律性が「市民社会」の形成という観点から肯定的に評価されていることが窺えるだろう。もちろん、「市民社会」の成熟が貧富の格差に代表される新たな「社会問題」を生み出すことになるのだが、それはもはや
国家の統一的秩序からおちこぼれた剰余の部分としてではなく、「成熟しつつある『市民社会』に構造的に内在する問題」であるという (
。 14)
ここで述べられている「市民社会」が、西洋近代に理念型が見出される、自律した個人による合理的行動に基づく自足的な行為体系をいわば暗黙の前提としているのは明らかであろう。もとより、このような近代日本における「市民社
会」の形成と成熟という問題意識そのものが無意味であるというわけではない。しかし、酒井哲哉が蠟山政道や矢内原 (一二五六)
共同性の探求六八七同志社法学 五九巻二号 忠雄に即して指摘しているように、第一次大戦後の「社会の発見」において析出した社会概念は、古典的リベラリズムに見られる「市民社会」論的な秩序観であったというよりも、むしろ「協同体論」的秩序観に親和的であった (
。したが 15)
って、「社会の発見」の思想史的意味を考察する場合、「市民社会」の形成といった観点からいったん離れ、失われつつある共同性を如何に再生してゆくかという知識人たちの問題意識をふまえて、析出した社会概念そのものを思想内在的
に考察することがまず何よりも必要となろう。 このような問題意識に立って、本稿では、大正知識人による共同性の再構成の試みとして「社会の発見」を位置づけ
る。彼らは社会という観念の中にいったいどのような秩序を読み取ろうとしたのか。また、発見 00した社会をどのように理論づけていったのだろうか。こうした問題を念頭におきながら、以下、共同性という観点から「社会の発見」という
知的傾向の一端を指し示してゆこう。
(
。ざより社会のイメージがさまま者であることはいうまでもないに論口社ころで、一、に「会 の発見」といってもと
2
成構再の性同共) だが、飯田泰三が指摘しているように、多くの知識人にとって、発見 00した社会を理論的に構成してゆく際、「互助」/「闘 争」という生物進化論的な観念が有力な概念装置であったという事実は注目してよかろう (、舞存をめぐる容赦ない「闘争」の台は力め占を位地な有では者勝、りあ生会っのとい社生物進化た原によれば、人間則 や者生存」争「生存闘」。「適 16)
敗者はそのまま滅びゆくしかない。自由放任という資本主義イデオロギーでもってそれを肯定してゆくのも確かに一つの手ではあるが、しかしそれでは生存闘争に敗北した弱者の存在が秩序を脅かす不安定要素となる恐れもあろう。さり
とて、個人間の「闘争」を完全に否定してしまえば、「闘争」がもたらす競争 00という契機まで削ぎ落とされ、人間社会
(一二五七)
共同性の探求六八八同志社法学 五九巻二号
は活力を失って停滞し、やがて衰亡してしまうだろう。そこで、さしあたり「生存競争 00」という意味において「闘争」 が考慮されつつも、それを補う形で
― ―
もしくはそれと対置する形で― ―
「互助」=「相互扶助」という観念が導き出される。かくして、「互助」/「闘争」という観念を受け皿として人間の共同性が理解され、こうした問題構成によって共同性の領域としての社会が学術的言説の主題として登場してくることになったのである (
相〇して、『中央公論』一九二年端四月号の「生存競争説とと一めのさて、「社会の発見」をぐるこのような思想状況 。 17)
互扶助論」という小特集を紹介しておこう (
互意「一久村木」、義的存会社の題問此「彦生競堺代相と争競存生「松千争川石」、助扶互相と利」、助扶互相と説争説 互三優「嶺雪宅集、はに劣特小の勝扶敗と相。助」、杉森孝次郎「生存競こ 18)
扶助」が収められた。いずれの論稿とも「社会」を主題として真正面から論じているわけではないが、ダーウィンとクロポトキンに言及しつつ、共同性を構成する契機としての「互助」と「闘争」について各々の見解を展開している。そ
れぞれ興味深い論点が見られるが、とりわけ「社会の発見」との関連で注目したいのは杉森孝次郎の論稿である。杉森によれば、「生存競争」と「相互扶助」は必ずしも相対立するものとではない。「生存競争」という言葉は、往々にして
生物同士による力づくの「争闘」という意味で理解されるが、それはあまりに狭い見方だといわざるを得ない。さりとて、「相互扶助」を力説して「生存競争」を全面否定するのも短絡的な発想であろう。人間も生物である以上、「生存競
争」の事実は厳然として存在するからである。「競争」それ自体は呪詛すべきものではない。むしろそれは、人間が自らの「個性」を発揚するうえで必要不可欠とさえいえるだろう。この「個性」という観点から見れば、「生存競争」と「相
互扶助」は、結局のところ盾の両面に過ぎないのである。杉森にいわせれば、「生存競争は、個性競争でなくてはいけないのだ。相互扶助は個性の協力でなくてはいけないのだ」ということになる。こうして、「生存競争」や「相互扶助」
を媒介項として人間の「個性」が捉えられ、「個性」に着目することで人間の「共同性」の契機としての両者が矛盾の (一二五八)
共同性の探求六八九同志社法学 五九巻二号 ない形で結びつけられる。そして、このような発想の延長線上に、「互助」や「闘争」を行なう主体としての個人の自律性をさしあたり 00000前提とし、「そうした諸個人が何らかのかたちで集合し連帯して『闘争』なり『互助』なりを行なう 空間」として「社会」が表象されてゆくことになる (
互をを媒介に、発見した社会説観明していった。各人が「念うい多 かくして、大正知識人のくは「互助」/「闘争」と 00 。 19)
助」なり「闘争」なりを通じて関係性を取り結ぶ共同空間
― ―
このような社会のイメージが、西洋近代的な「市民社会」観とはかなり異質であることはもはや明らかであろう。そこでは、自律した個人が理念や当為に基づいて社会秩序を形成するという、社会契約論に特徴的な「作為」の契機はほとんど見られない。また、各人の個性についても、杉森孝次郎の議論に見られるように、しばしば「生存競争」や「相互扶助」といった人間の共同性をいいあらわした観念を介し
て理解されたのであった。いずれにせよ、共同性の再構成という問題関心から社会という観念に着目した大正知識人にあって、社会を抽象的個人の総和と見なす原子論的思考よりも個と全体の相互連関を重視する有機体論的思考の方が、
はるかに魅力的であったことだけは確かである。 ところで、近代日本において有機体論といえば加藤弘之の名前がまずは思い浮かぶであろう (
。周知のように、加藤は 20)
「国家有機体論」の立場から、個人が国家に対して服従することの必然性を力説した。すなわち、国家は一つの「有機体」
であり、個人はその中における「細胞」として存在しているに過ぎないというわけである。有機体論的思考が既存の国家機構におけるヒエラルキーと結びつき、個が全体の一部分として存在意義をもつという全体論的な秩序構想が顕著に
窺えるだろう。だが、大正知識人にあって社会とは、共同性の再構成という彼らの関心から有機体論が適合的であったにしても、このような全体論的秩序像は彼らの採るところではなかった。そもそも、彼らが社会を理論化する際の嚮導
概念であった「互助」/「闘争」という行為の主体はあくまで個人であり、その意味で個人を措いて社会はないといっ
(一二五九)
共同性の探求六九〇同志社法学 五九巻二号
てよい。さりとて、社会を単なる個人の機械的な総和としてしまえば、共同性を再構築するという所期の目標の達成が
危うくなる。「個」か共同性かという二者択一ではない。「個」と 0共同性の関係こそが重要である。「個人の推進力なくしては共同体が沈滞し、共同体からの共感を受けなければ、個人の推進力も次第に枯死してしまう (
」。このウィリアム・ 21)
ジェームズの言葉は、前述したような大正知識人の思想課題をもそのまま端的に示しているように思われる。 以上で見てきたように、「互助」/「闘争」という対観念に依拠しつつ人間の共同性の契機を社会という観念の中に
読み込んでゆく議論は「社会の発見」において典型的に見られたが、社会を人間の互助的契機に結びつけ、権力機構としての国家を相対化する視点をもっとも明確に打ち出した点で長谷川如是閑は特筆すべき存在であろう。論文「闘争本
能と国家の進化」において、如是閑は「互助」/「闘争」の対観念を用いて国家と社会のあり方について論じている。すなわち彼によれば、生物としての人間は生存の必要性から集団で生活しており、しかもそれは個人の単なる機械的な
総和ではなく、「共 コオペレエシヨン働」に基づいた「組 オーガナイズドフオース織化された力」に基づく生活である。この「共働」には労働における協働作業に代表される日常的な「互 ミユーチユアルエード助」と、他の集団への襲撃や外敵の侵略への対抗といった排他的な「互 ミユーチユアルストラツグル助の闘争」
の二つがあるという。そして日常的で平和的な「互助」を社会へ、排他的で攻撃的な「闘争」を国家へとそれぞれ振り分けたのである。そのうえで、「若し強ひて本質といふものを求めるならば、あらゆる事物の常態は、平和と自由とで
あるといふ常識的の見地に従つて、平和的互助が生物の生活の本質的状態であるといふ方が妥当であらう」と述べ、「互助本能」に立脚した社会の優位を説き、「闘争本能」に基づく国家を限定的な存在として位置づけたのであった (
。 22)
このように、如是閑は「闘争本能」に基づく国家と「互助本能」に由来する社会を対置することで、国家権力に対する徹底したイデオロギー批判を展開していった。そしてそのさい、「互助本能」に基礎づけられた社会は人々の平穏な
日常生活として表象されたのである。「生活と没交渉の不幸が社会の上層で演ぜられて居る間も、百姓は春が来れば苗 (一二六〇)
共同性の探求六九一同志社法学 五九巻二号 を植へ、秋が来れば取入れをする。内閣が倒れても鉱夫は石炭を掘る事をやめない。そこで国は生きて行く。其国を生かす処に社会があり、生活がある (
」。 23)
この如是閑の言葉をして、彼にあって「社会」とは、つまるところ国家権力のイデオロギー批判のための引証基準に過ぎず、その思想も集団内部のコンフリクトを軽視した「生活的浪漫主義」であると批判することもあるいは可能であ
ろう (
すしこたげ広り繰を判批た徹は透てし対にーギロオデイと確る重見発が彼、はとこな要りかよ、がだ。るあで要重に蔽 00 生るが閑是如。う思にうよあ隠に先のそは題問、しか、活。しを性力権つもが家国、拠共依に会社のてしと体同し 24)
した社会の中にどのような秩序を構想していったのかという点であろう。むしろここで必要なのは、国家・社会二元論による国家の相対化というパラダイムからひとまず離れ、如是閑の思考を「社会の発見」というコンテキストにおいて
捉え返すこと、すなわち共同性の再構成という思想課題を如是閑がどのように引き受けたかを問うことではないだろうか。そうした作業を通してはじめて如是閑が構想した社会概念の内実が明らかになるだろうし、ひいてはそれが大正知
識人による「社会の発見」という思想的営為を考える一端となるに違いない。こうした問題意識のもと、以下、如是閑のテキストに即して具体的に見てゆくことにしよう。
三.社会有機体論と社会批判の論理
――
『現代社会批判』『道徳の現実性』一九二二年、如是閑は社会論に関する二冊の書物を刊行している。ひとつは、雑誌『我等』に発表した論稿を中心に
まとめた『現代社会批判』であり、前年に公刊された『現代国家批判』と並び彼の主著と目されている著作である。いまひとつは、『現代社会批判』とは対照的に今日あまり注目されることのない『道徳の現実性』という小冊子であった。
(一二六一)
共同性の探求六九二同志社法学 五九巻二号
如是閑の社会観を考察する本稿の課題にとって、彼の社会論を集成したこの両著の検討は必要不可欠の作業といえるだ
ろう。そこで以下、『現代社会批判』と『道徳の現実性』を中心に、如是閑の社会観の基本的特徴について「社会の発見」という知的傾向との関係をふまえながら素描したい(以下、註が煩雑になるのを避けるため、『現代社会批判』は
G S
、『道 徳の現実性』はD G
と略記し、ページ数を付記する。例:『現代社会批判』八五―
八七頁扌G S 85 – 87
)。(
生に一第、ていお稿特論諸たれさ録に徴に」ばわいういとる的き生、「はのな収』社』現代性会批判と 『道徳の現実『
1
お長谷川如是閑に)ける「社会の発見」物的な生活過程、すなわち彼のいう「生活事実」という視点から社会制度や慣習の自明性を鋭く批判している点である。『道徳の現実性』緒言において、如是閑は自らの基本的立場について次のように述べている。「すべては『生きること』
の過程である。従つてすべては『生活』からの産物である。而してその産物は更らに『生活』の営養となることに於てのみ意義を持つのである。︹中略︺『生活』は思想を産む。思想は『生活』に培ふ」(
D G 2
)。この言葉のとおり、如是閑にあって「生活」という視点は、社会論のみならず、彼の多方面にわたる評論の基底をなしている規範意識であった。しかも、「『生活』は思想を産む」という言葉にも示されているように、如是閑において「生活事実」とは人間の自律的
な意識や思惟の先立つ所与の前提と考えられた。「我々人類の生活の意識は意識すべき当の人間の生活事実に立脚する外はない」(
G S 16 2
)というわけである。こうした意識の世界を規定する「生活事実」に着目することにより、如是閑は人間のさまざまな行動を説明するに際して、意識や思惟の働きよりも無意識的な「本能」や「衝動」の果たす役割を重視したのであった。
この「生活事実」という視点は彼の社会観にも如実に反映している。すでに述べたとおり、如是閑は「互助」/「闘 (一二六二)
共同性の探求六九三同志社法学 五九巻二号 争」という対観念を用いて社会を人間の互助的契機から説明することで闘争的契機に端を発する国家を権力機構として批判したが、そのさい彼がもっとも重視したのは、「互助本能」という人間の本能であった。「社会」は思惟や理念の産 物ではない。「抽象的に『社会』といふものは如何なる形態を持つべきものであるかといふようなことを考へてこしらへたものは、所謂こしらへ物で現実の社会とは全く別な観念生活の産物に止まるのである」(
D G 83
)。如是閑にとって社会とは、人々の日常的な生活過程であり、しかも「互助」という人間の本能に根ざしているという意味で、それは人間において本来的な存在形式であった。
そして、こうした人間に備わる互助的契機に注目しつつ、如是閑は「社会性」(共同性)を人間の本性として描き出してゆく。すなわち彼によれば、元来、「社会的生物」である人間は種の保存や自己保存の必要上から集団で生活をし
ており、その意味で集団生活は人間にとって必然的である。しかもこれは歴史的な事実でもあるという。じっさい原始時代において、人類の生活は「群生動物」とそれほど変わらないほどに「社会性」に支配されていた。要するに、人間
が「社会的生活」を営むことは歴史において事実であり、生存の必要性という意味では「生物学的」に必然だというわけである。近代において人間らしい生活として絶対視されている「個人的生活」も、結局のところ「社会的生活」に規
定された存在形式に過ぎないのである。「社会的生活は個人的生活に先在する。人間は、自己の生活を発見する前に、
集団の生活に生かされてゐたのである。この原始的集団の生活に於いては、個人は社会に没却して、個人的生活は、全く社会的生活に条件づけられてゐた」(
D G 91
)。しかも、如是閑は「生活事実」が生活の意識を規定するとしていた。「社会的生活」が個人の生活に先立つとする彼にあっては、意識も同様に「社会意識は個人意識よりも第一次的の意識」であり、社会意識は個人の意識よりも先行す
るものと考えられた (
、の、人類をして個人意実志を自覚させる前には事にふ類が個人である前、。「集団であつたとい人 25)
(一二六三)
共同性の探求六九四同志社法学 五九巻二号
集団の意志を自覚せしめたに相違ない」(
G S 3
)。してみれば、理性的個人を単位とし、彼らの合理的行動により社会が形成されるとする原子論的な社会観は、人間の本性としての共同性に対する理解を欠いた空論であるといわざるを得ない。じっさい、「個人の単独の生活」ということは「生物学的にも、人類学的にも考へ得られない」し、「絶対的な個
人」
― ―
如何なるコンテキストをも前提としない抽象的存在としての個人― ―
というのも「社会学的」ないし「心理学的」に認めることができないからである(G S 13 3 – 13 4
)。社会的生物である処の人間に「純個人」とか「純粋人」とかいふものが実際上有り得る筈がないのです。人間は
自己に特殊な歴史と環境とを持つに相違ないが、その特殊も畢竟は共通の生活様式を持つた集団内のものに過ぎません。︹中略︺すべての個人は何かの集団に属すべきものとすれば、彼れの持つ人間的意識は必らず個人だけの意
識ではなく、その集団の生活そのものゝ産んだ意識である筈です。(
D G 15 8
)こうして如是閑は、人間のもつ共同性を力説することで「個人を社会から引離して、それを生活の唯一の主体」とする個人主義的な人間観を現実生活から遊離した観念の所産として斥けた。「孤立した個性といふ者は考へられない。個
性とは社会性の個人的表れ」であり、個人が「社会的存在」である以上、「社会的生活」は「個人として必然取らざるを得ない生活」である(
G S 13 5 – 13 6
)。さりとて、社会は個人を超越した「絶対的な構成物」である、などと考えては誤りである。「社会は有機的個体ではなく、従つて夫自身の意識を持つてゐない」と述べているように、如是閑において社会とは、あくまで「個人の生活組
織」にほかならなかった(
G S 52
)。「個人以外に生活事実はない、社会的生活、国家的生活などゝいふのも、社会や国 (一二六四)共同性の探求六九五同志社法学 五九巻二号 家が生活主体でない限り、矢張り、個人的生活の一つの現はれに過ぎない」(
G S 16 6
)。してみれば、「個人の存在を全く無視して、集団そのものに於てのみ生活の構成を認め」ようとする全体論的な発想は、個人の存在を絶対視する原子 論的な社会理解と正反対の意味において、同じく「生活事実」から乖離した虚偽意識に過ぎないといえるだろう(G S 13 3 – 13 4
)。人間の共同性を切言してやまなかった如是閑が、その一方で「社会性による、個人性の過度の圧迫の危険」という事態に注意を促しているのもそのためであった(
G S 23
)。かくして如是閑は、人間の「個」と共同性のいずれか一方に絶対的価値を求める社会観― ―
社会を自律した個人の単なる集合体と見なすか、それとも個人を超越した実体 と考えるか― ―
をともに斥け、両者の相関関係の中に社会を位置づける。社会といふのは、個人と対立する特別の存在の意味ではなく、個人の共同の生活(社会性)を指すに外ならない。従つて社会の自由とは、個人の共同性の尤も自然なる発動をいふに外ならない。これに対して、個人の自由とは、
個人の独自性(個性)の最も自然なる発動を指すのである (
。 26)
個人の自律性は無視し得ないとしても、その行き過ぎがもたらすさまざまな弊害に対処するために人間の共同性を力
説しなければならない。さりとて、国民道徳を吹聴して「国民」としての同質性を強要する政府のやり方には賛同することはできない。「個」と共同性の二元論ではない。両者の相関関係こそが重要である (
。個人の多様性を尊重しつつ、 27)
如何にして共同性を回復することができるか。このような「個」と共同性の相関関係の探求こそ、「社会の発見」において如是閑が取り組んだ中心的課題にほかならなかった。それでは、如是閑はこうした「個」と共同性の相関関係をど
のように理論的に説明しているのだろうか。
(一二六五)
共同性の探求六九六同志社法学 五九巻二号
(
2
)長谷川如是閑の社会有機体論如是閑が「互助」/「闘争」という観念によって国家や社会のあり方を説明していることからも推察できるように、この時期の彼の社会観は進化論、とりわけ社会進化論を理論枠組にしていると見て間違いなかろう。周知のように、社
会進化論は十九世紀イギリスの思想家
nis m ga or
なうあで論理るすと明よし。説に」的証る核その見と)(体機有つの一を会社、は心「実を過の化変と成生程H
てれさ化式定サっよにー、ンペスた.生ーの会社りよにジ物ロナアのと化進論 し、「有機体」としての社会が人間の意識的な理念や作為によってではなく「環境」(en vir on m en t
)に規定されながら単純な構造から複雑な構造へと発展分化してゆくという点にあった (』若学育教『に頃しりか、も閑是如いさっじ。 28)
(
Education , 18 60
)や『人間対国家』(The Man versus The State , 18 84
)を熟読してその感化を受けていた。次に引用する『現代社会批判』の一節を眼にすれば、彼の社会観における進化論の影響が明瞭に窺えるだろう。生命とは、旧組織の分解から新組織の発生して行く過程をいふのであるから、それは同時に、発生であり、又死
滅である。一つの組織が、死滅の経過を取りつゝある事は、とりもなほさず新らしい組織を作り出しつゝあることである。生命の過程に於ける此の真理は、社会進化の過程に於て可なり明確に看取される。(
G S 10 9
)また、如是閑は、「進化は、人間の意識目的に依拠してゐない。︹中略︺言ひ換へれば人間の思惟と動作とが、何う発
展するかといふことは、人間には明確に意識されないのである」とも述べ、社会進化において目的意識が果たす役割を消極的に描き切っている(
G S 31 6
)。このような考え方が、人間の意識世界を規定する「生活事実」という如是閑独特の視点とともに、個人の自覚的な思惟よりも環境を重視する社会進化論と基本的に重なり合う発想であることはいうま (一二六六)
共同性の探求六九七同志社法学 五九巻二号 でもなかろう。「分解」と「合化」を繰り返しながら不断に生成と変化を続けてゆく「有機体」としての社会
― ―
このような社会有機体論を媒介として、如是閑は「個」と共同性の相関関係を構想してゆくことになる。彼の社会有機体論について、もう少し詳しく見てゆくことにしよう。如是閑によれば、生命体と同様に社会は一つの「有機体」であり、それは「個々の分子の機械的の総和でなく、その綜合から発生した別な生活方向を有つてゐる」(
G S 27 – 28
)。そして、生命体が自らを構成する個々の器官を生かしているように、個人も社会という有機体の構成要素として生存を全うする。「如何なる時代の人間も社会的生活に役立つことに依つて、始めてこの個人的生活を保障されてゐ る。今日の社会に於ても個人はこの社会的の持分を適当に負担することに依つて始めて生活し得られる (社。したのはそのためであった生」命体とのアナロジーによってと活人て会的生活を「個生しと必然取らざるを得ない 」。社が閑是如 29)
会を理解しようとするこうした見方が、「社会的存在」としての個人という、共同性を重視する如是閑において適合的な理論であったことはいうまでもない。社会を自律した個人の集合体と見なす原子論的な社会観に対する彼の批判もこ
の有機体論的な社会理解に端を発していた。もとより同じ「有機体」であるとはいえ、生命体と社会において相違点もまた存在する。とくに最大の相違点として如是閑が強調したのは、社会有機体において構成要素である個人はそれぞれ
独自の意志や感情をもっているということである。スペンサーの有名な議論を念頭においてであろう (
、如是閑は以下の 30)
ように述べている。
普通の有機体は、それを組成する個々の細胞とはまったく別の構成を持つ一体として、それ自体の存在を持つのであるが、「集団」はさうではない。集団といふ別の実体が、個人の外にあるのではなく、それは全く、個人の存
在の様態に外ならないのである。(
G S 14 4
)(一二六七)
共同性の探求六九八同志社法学 五九巻二号
しかも如是閑によれば、社会は何らかの本質なりをもった実体的存在ではなく、「分解」と「合化」を不断に繰り返
す動態的なプロセスと考えられた。「有機体」としての社会は、生命体と同様に「新陳代謝」の作用に基づいて絶えざる新組織の建設と旧組織の破壊によって活力を保持しているという。「有機体の生活状態は、分化︹合化の誤りか?︺
と分解の動的進展であつて、それ自身建設の作用と同時に破壊の作用を営んでゐる (
生「。すなわち、彼にあって社会の進ゆお「な様多るけに化会社、はと」くてロ会プしスの中に社セ進の契機を探求化 閑らに、如是態はこの動的な」。さ 31)
活方向」に即して家族・寺院・政党・組合・国家などの集団に分化し、それらの集団間の競合を通じて単純かつ同質的な構造から複雑で異質性に富んだ構造へと変化していく過程とされたのである。このように、如是閑は、多様な集団へ
の分化とその結果生み出された諸集団の競争関係において社会の発展を理解していた。そうした観点からすれば、社会とは地縁・血縁・階級・利害等々に基づく諸集団によって織りなされる「異つた多くの生活方向の生存競争が行はれる
舞台」として見ることができよう(
G S 28 – 31
)。そして、かような集団の多様化を背景にして、個人は一つの集団に専属することなく、「生活方向」を異にするいくつかの集団に属することで自らの生活を複雑なものにしてゆく。だから社会的生活が個人にとって必然であるとはいえ、如是閑にしてみればそれは「個」の存在性の軽視を少しも意味しない。むしろ、社会進化の結果生じた多様な集団に所属することにより、人間は自らの個性や創造性を発揮できると考えられ
たのである。
「人間的」といふことは、各々の集団に属する人間が、その社会的生活の進化を可能ならしむる分業的組織︹中略︺の下にその個体的生活を充分に発展せしむることをいふのである。即ちそれは人間が、全的にではなく、かへつて
個体的に完成せしめられることである。そうして、完成とは行き止りの円満をいふのでなく無限に進化していく動 0000000000 (一二六八)
共同性の探求六九九同志社法学 五九巻二号 的状態 000をいふのである。(
G S 53 – 54
。 傍点、引用者)このように、如是閑は社会有機体論を理論枠組とすることにより、人間の共同性を再構築しようと試みた。しかもその際に、単に伝統的な共同体秩序の再生を目指したのではなく、共同性とともに個性をも尊重し、社会にあって個人が
全体に埋没することなく各々の特徴や創造性を発揮することに期待を寄せたのである。如是閑にあって、人間らしい「個性的生活」とは、とりもなおさず、各人が社会的分担を果たす中でさまざまな創意工夫を凝らしてゆく「生活の体験」
であった。「百姓ならば米を作るそのことが生活の興味であり、大工ならば家を造るそのことが生活の興味」であるというわけである(
D G 61
)。一般に有機体論においては、個体としての存在性よりも全体の秩序を優先しがちであるが、人間が個体として独自性を発揮することにより「有機体」としての社会の発展がもたらされるとしたところに、如是閑の議論の特徴があったといえるだろう。
ところで、如是閑が思い描いたこのような個性と共同性の矛盾なき調和は、彼が幼い頃に過ごした木場深川で目に触れた職人の世界が原風景であったと思われる。じっさい、如是閑の小説やエッセイには、利潤を省みず、ひたすら仕事
に没頭することに己の「天分」を確信している職人的な人間像が共感をもって描かれている。たとえば、小説『額の男』
(一九〇九年)やエッセイ「アンチ・ヒロイヅム断片」(『中央公論』一九二六年一月)に「煮立て隠元の爺さん」という人物が登場する。この煮豆売の老人は「隠元はちやんと定まつた釜を使つて、一定の時間、一定の方法で煮て、ある
定まつた時間内に夫を食ふべきものである、此のうちの一つが法に外れても真の隠元を味ふ事は出来んといふ」確固たる信念のもと、商売気とは全く別な興味をもって良質の煮豆を作ることに精魂を込める。しかし火事により大切な釜を
失い、思うような煮豆が作れなくなったため、この「爺さん」は豆屋を廃業してしまった、と如是閑はいう (
。職人気質 32)
(一二六九)
共同性の探求七〇〇同志社法学 五九巻二号
に支えられた創造性の発揮と社会的分担の一致
― ―
職人の世界に典型的に見られるこうした「個」と共同性の相関関係を前提とした共同体的秩序こそ、如是閑が憧憬してやまなかった理想の社会像にほかならなかったのである。 しかしながら、現実社会に眼を向ければ、利潤や効率を最優先する資本主義的な生活様式の発展により、「煮立て隠
元の爺さん」に象徴される職人気質に裏打ちされた「個性的」で「創造的」な生活のあり方はもはや失われつつあった。そればかりか、人間の社会生活が多様な集団に分化したにもかかわらず、支配層を除いた大多数の個人があたかも特定
の集団の歯車であるかのように社会生活に埋没する、人間の「機械化」ともいうべき由々しき事態が急速なテンポで進行している。如是閑はその様子を次のように述べる。
一つの分業の担当者は、一切の分業を総括して其上に支配権を有し、他方の分業の担当者は其反対に、自己の分
業に就てすら全く機械的にそれを担任している許りで、何等それに対する支配を行ひ得ないのである。即ち一方は、人間的個性を自由に働かせ得る集団生活を営み、他方は個性を人間的に働かせ得ることの全く不可能な生活に陥つ
て了つてゐるのである。斯うなると社会的進化を来すための分業
― ―
其為めの集団― ―
の生活は、全く個人を圧迫する階級的制度と化して了つたのである。(G S 55
)社会生活を営むことで自らを生かしてきた「社会的存在」である人間が、社会集団における単なる歯車に成り下がっ
て個性を失い、逆に社会から疎外される。如是閑の眼に映った「現代社会」とは、このように人間本来の社会生活のあり方から倒錯した世界であった。「社会的存在」たる人間にとって根源的な存在形式である社会と「現実社会」におい
て熾烈を極める人間の「機械化」のあいだのこのようなギャップこそ、『現代社会批判』や『道徳の現実性』をはじめ (一二七〇)
共同性の探求七〇一同志社法学 五九巻二号 とする如是閑の社会論に通底している基本認識であり、彼の社会論が主として批判 00という形で展開されたのもそのためであった (
。 33)
以上で検討してきたように、如是閑は「個」の独創性の発揮が全体の発展をもたらし、その結果、社会的分業が起ることにより個人の多様性が増してゆく不断のプロセスとして社会を捉えた。個と全体の相互連関を強調する社会有機体
論は、そうした「プロセスとしての社会」という彼の社会観にとってじつに適合的な理論であった。また、「個」と共同性の相関関係に注目する如是閑にあって、「機械化」の進行により「社会的存在」たる人間が社会から疎外されてゆ
く現代社会の諸問題に対する批判の引証基準としても、こうした有機体論的思考はきわめて有効であった。このような如是閑の有機体論的な社会観が、理性的個人の存在を前提とする「市民社会」論的な社会観から大きくかけ離れている
ことはもはや説明するまでもなかろう。 しかしながら、「個」と共同性の幸福な調和として如是閑が憧憬した職人世界は、彼自身も薄々感づいているとおり、
利潤や効率が最優先される資本主義が社会原理として浸透したことにより過去のものとなりつつあった。各人に生の安らぎを与え、その創造性を引き出すこうした職人世界は、現代社会に対する批判の基準にこそなり得ても、「個」と共
同性の相関関係を成り立たせる新たな社会像のモデルとしてはもはやリアリティをもち得ないだろう。とはいえ、伝統
的な共同体が解体して個人のアトム化が進み、その一方で、社会による画一化が進行する現状では、職人世界に変わる有機体的世界のイメージを構想するのも非常に困難な作業である。伝統的な共同体秩序への回帰を説き、在りし日の職
人世界のあり方を再生してゆくという選択肢もむろんあるだろう。しかし、「生活事実」という観点にたって日常生活から乖離した観念や道徳を鋭く批判した彼が、仮に、社会の現状を無視して職人世界の再生を目指したならば、それこ
そ自己矛盾以外の何物でもないであろう。
(一二七一)
共同性の探求七〇二同志社法学 五九巻二号
このように、如是閑は自らの有機体論的な秩序観の根底が掘り崩されてゆくという危機に直面してしまったのであ
る。社会有機体論に基づいて「個」と共同性の相関関係の探求を企てた彼の試みは、こうして大きな難問を抱え込むことになった。︿共同性の探求﹀という如是閑の思想的営為は、理論枠組であった社会有機体論の限界に突き当たり、再
考を余儀なくされることになったのである。
四.生活・行動・蓋然性
――
「行動の体系としての社会」一九二〇年代後半、如是閑は従来の立場であった社会有機体論から一歩踏み出し、新たな社会概念の構想を精力的に
発表する。「行動の体系としての社会」という見地がそれである。『社会学雑誌』に掲載された同名の論稿をはじめ、この時期に発表された社会論の中で繰り返し説かれており、如是閑の社会観を検討する本稿の課題からしてむろん看過す
ることはできないだろう。それだけではない。じつにこの「行動」という概念こそ、如是閑にあって「個」と共同性の相関関係を成り立たせる鍵概念であった。そこで本章では、「行動の体系としての社会」という如是閑の立場について、
その内容を考察してゆくことにしよう。
(
。ばいる内容を簡単にまとめれ、しおおむね以下のとおりであるてと動系是閑が「行うの体」 という言葉で述べよ如
1
」系体の動行)「人間は通常、集団をなして生活を営んでいるが、その集団生活とは「或る一定の集団的行動状態」であり、家族間や友人間、また仕事上など異なる関係に応じて、さまざまな種類の「行動」が生み出される。たとえば、家族間においては (一二七二)
共同性の探求七〇三同志社法学 五九巻二号 「生殖」と「営養」を中心としたひとつづきの「行動系統」が存在し、会社のような商行為を目的とした集団では、利潤の最大化を目標とする、先の家族の例とは全く別種の「行動系統」が存在する (
動持行団集のめたの維命生はで族家。 34)
があり、営利団体たる会社では、利潤追求という目的達成のための種々の集団行動が繰り広げられるというわけである。そして、こうしたさまざまな集団行動が個々別々にではなく、「系統的に発展することによつて、有機的連絡を保ち、
所謂首尾一貫して一の体系を為」すところ、すなわち集団行動間の相互の結びつきによって「行動の体系」としての「社会」が成立するという (
。 35)
社会は人間の集団行動 00の産物であり、その性質によってさまざまな形態があり得るというわけである。「社会といふ観念は、集合的行動の組織そのものの所産で、その他の如何なる事実の所産でもない (
」。もとより人間の集団生活を重 36)
視するこうした見方は、かねてより如是閑の一貫した立場であった。前章で検討したとおり、彼は人間のもつ互助的契機から社会の成立を説明し、個性と共同性をともに重視しつつ両者の相関関係に注目すべく社会有機体論を構想してい
た。『現代社会批判』でさかんに述べられた、「互助」に由来する人間の集団生活としての社会という発想がそれである。しかし、『現代社会批判』が刊行された一九二二年前後の論稿では、「行動」という言葉がさほど積極的な意味で用いら
れていなかった点を、われわれは見落としてはならないだろう。というのも、この「行動」という概念を軸にして、如
是閑は自身の社会有機体論を読み替えてゆくことになるからである。それでは、「行動」概念の導入は、如是閑の社会観にいったいどのような変化をもたらしたのであろうか。
(
2
)主体としての個人まず第一に、「行動」という観点から社会の成立を説明することにより、社会を形成する主体としての個人がより明
(一二七三)
共同性の探求七〇四同志社法学 五九巻二号
瞭になったことが挙げられる。先に述べたように、如是閑は人間の集合的行動により社会が成立すると考えたが、そう
した「行動」の主体はいうまでもなく個人を措いてほかにない。「個人の行動を措いて組織の行動がないやうに、個々の行動を措いて人間の生活はない。生活とは、個々の行動の体系的統一をいふのである (
」。その意味で「社会とは、厳 37)
格に、個人の行動の形態である (
。、個し越超を在存の人え実捉と」体機有「きべた体類社るあで論体機有会のと義狭るす視対絶てしす比に体命生なうよ 000 の判批でここな、く象もでまうい」。対念としの体人を会社、はのるいてれか置に頭て 38)
もとより『現代社会批判』の中でも「社会は有機的個体ではな」いと述べていたとおり、個人を超越した実体として社会を捉える見方に、如是閑は終始批判的であった。だが、社会有機体論を批判しつつも社会有機体論の枠組で社会概念
を構築するという論理のねじれが、「行動」という観点によって解消された点は注目してよい。いずれにせよ、「行動」の主体である個人から社会の成立を説くことにより、如是閑が社会を実体として捉える傾向が根強い社会有機体論から
距離を置くようになっていったことは確かである。彼は次のように述べている。
社会が一つの形態であるといふ意味は、人間の集合の物理的の形態をいふのではなく、人間の行動の体系をいふのである。関係が有機的であるといふのは社会の個体の関係ではなく、その行動の関係をいふのである。有機体の
概念が行動形態と包含しない限り社会の有機体でないことはいふまでもない。たゞ各種の行動がその組織的関係に於て、それ〴〵の体系的連絡を保ち、それの連絡に於て統一されてゐる形が有機体の統一に比較し得るまでゞある (
。 39)
個人が自らの特性を伸ばし、創造性を発揮してゆく際に重視された社会的分業についても新たな視点が付け加えられ
た。「分業が個性の発達によつて増進するのではなく、個性が分業の発達によつて増進するのである」と述べていると (一二七四)