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衰をめぐって(上)

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(1)

つかんことを申し上げるようですが、東京になってからひどく減 ったものは、狐狸や河獺ですね。狐や狸はいうまでもありませんが、河獺もこの頃では滅多に見られなくなってしまいました。この向島や千

せんじゆばかりじゃありません。以

は少し大きい

んでいたもので、現に愛宕下の櫻川、あんなところにも 川のようなところにはきっと河獺が棲 どぶがわ

を作っていて、ときどきに人を嚇 おどかしたりしたもんです。河童 かつぱがどうのこうのというのは大抵この河獺の奴のいたずらですよ。これもその河獺のお話です(『

。話「廣重と河獺」) (1) 七捕物帳』第十 いた 岡本綺堂は、大正期から昭和初期當時、未だ多く在世して

右に示した一文は、老人、つまり物語の で知られている。 川期を知る古老に取材した作品を數多く殘している事

用聞き(目明かし)の 人公である元御 事件は、る。下谷御 七が物語った事件の入部に當た イントロダクシヨン

したなりみち(臺東

下谷。御

は下谷から

に向かう 布

)の 屋の隱居十右衞門が、中の なか

(現在の東京 ごう 田 の川端で何石原)

かに激しく顏をかきむしられた けて息 れるのだが、「眞犯人」は、その後、件の財布を首に卷きつ げ句、財布を奪われる。そこで、ある人物に疑いがかけら

え、淺 ことが に骸を打ち上げられた河獺つまり獺である

語の大きな鍵となっている。 明するという筋書きであり、獺の「いたずら」が物

獺怪

譚の

衰をめぐって(上)

子和男

(2)

右に引いた話から、

の江東 末から明治初年にかけて、東は今日 、 田 、臺東 だけでなく、西は今日の

園付 公

筆 ** れていたことを示して興味深い。 その獺が人を嚇かしたり「いたずら」をすると人々に考えら までの實に廣い地域に獺が生息していたこと、そして は以、目

口のない

考えるに際して、獺が人を誑かしたり、危 たぶら 物「のっぺらぼう」について

話が少なからずあることに を加えたりする が、その後、これをより詳細に (2) 目してこの問題に少しく觸れた ムや べ、幾つかのシンポジウ その 究會で發表する機會を得た。 (3)

ねは、二〇一〇年三

刊行豫定の『アジア

三〇號―特集「古典 學』一 するキャラクター」―(假題)(

版 出

刊)に 載豫定の拙論「獺妖怪キャラクターの

の讀 中比較の立場から―」にまとめたが、雜誌の性格として一般 衰―日 も對象としていることや、紙幅の

本稿では、右論文と補完し合うものとして、より專門 必ずしも意を得ない點もあった。 合などによって、

な 容を掘り下げ、とりわけ昨今の獺妖怪

び怪

にも焦點を當てて、考えることとしたい。 譚の「復活」

獺の妖怪乃至は怪

譚が、時代

ついては にどこまで遡り得るかに 撰と傳えられる『 がある。しかし、最も確實な例は、東晉・干寶

記』卷十七

であろう。物語の梗 !收の「丁初」という物語 を記すと

"のようになる。

ていると、上下ともに る丁初という役人が、夕刻いつものように坡を見まわっ #郡・無錫(今日の江蘇省無錫市)の長塘湖の坡を管理す つつみ

$い衣

%を身に

&け、

だいた女が、後から $い繖をいた かさ

'って來た。丁初は今頃このさびしい

!を女一人で

(くはずはない。きっと、妖怪だろうと

で )い

*げた。女もそれを

'ったが、彼の

諦めたらしく、俄かに身をひるがえして水のなかへ飛び *げ足が早いので、

+

んだ。彼女は實は大きな

,い河獺で、その

たのは &物や繖と見え

$い -の はす

.であった。

そして、この話は最後に「此獺

爲人形、數媚年少

と結んで 也。」

この物語は、よほど多くの人々に受けたもののようで、そ /わっている。 中國詩文論叢第二十八集

(3)

の後多くの

從 て を生み、同工の物語の流れは遙か時代を下っ 代にまで

試みに、『太 んでいる。

では、獺が美女に 廣記』に幾つかの例を求めると、「楊醜奴」

けたまでは良かったが、生

い體 の指が非常に短いことから正體がばれ、水に飛びんで と手 たとあり(卷四六八「水族」五。出〔晉・戴祚〕『甄 たい

「張方」では、張方と言う人の娘壻に 志(傳)』)、 しん

わせた獺が、 けて彼女の正氣を失 士に正體を暴かれて

四六九「水族」六。出〔劉宋・劉 い拂われたとあり(卷 叔〕『

「鐘 、あるいはまた』)

」では、宋の永興縣吏である鐘

を女性に

した大獺が犬にかみ けて誑か

『幽明出〔劉宋・劉義慶〕 されたと見える(卷四六九「水族」六。 時代は 』)。 玄照が嵩山で法 って、宋・洪邁『夷堅志』には、釋(支甲卷第一)

を 變じたという話を載せ、明・馮 じた際にやってきた三人の老人が獺に

龍『

史』(卷二十一『

妖 』)には、美しい少年に わかもの

それを知った彼女の家人が けた獺が一女子を誑かしたが、

士の たと言う話を載せ、更に 符によって正體を現させ ・袁枚『續子不語』卷七では「獺 樣々な獺の怪 」と題して、越地方―今日の浙江省を中心とする地域―の

譚を記し、年を經た獺が人を惑わすのは、魅

頭人形の澤 じんけい

右のように、『 と同じようだと記す。) 合、美男美女―に 記』以來、中國では獺は人―多くの場 こうした發想の源について、中村 あると一貫して考えられていたことが見て取れるのであるが、 けて人を誑かしたり脅したりする動物で

部、 里はベトナムから中國南 鮮 島にかけて信仰された獺

その の存在があると指摘し、

が、後 源は南方の鰐信仰にまで求められるものであるとする と言える。特に、こうした傳承の原點とも言うべき『 (4) する獺と河童との關係を考える上でも傾聽すべき

記』の

!臺はまさしく中國南部の水邊であり、それ以

とんど見られなかった獺怪 "にほ

譚がここに至って

現したのも、そうした背景なしには考え #如として出 また、最 $いものである。 (5)

部からベトナムにかけて、獺を使って魚を %ではあまり行われなくなったと言うが、中國南

&に 行われている點も見 いむ漁が

しがたい。獺が

こうして人々の に祀られると共に、

'らしに利用されるほど

言うことは、獺怪 %しい存在であると 譚が發生しても、それを

それでは、假に獺が鰐信仰に 素できる地が十分にあり得るからである。 (怖として共有 源を持つが故に

られ、或いは妖怪として として祀 (怖されたとしても、獺そのものに

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

)子)

183

(4)

人を 怖させる

その答えを解く鍵はその ** とが出來ないのであるが、その點はどの樣に考えるべきか。 素無くしては、こうした傳承が發生するこ

性と

捕 る。獺は普段はなかなか愛嬌のある顏をしている一方、餌を み處にあるものと思われ する 口から血の滴る魚が見える は一轉して獰猛そのものであり、牙を剥き出した

かの は、たとえ小型の獺でもなかな 力である(圖1)。その

愛くるしく見える は、普段は人の膝に坐り、

が鼠を捕らえた時の

合によっては人々を すら見えてくる。そして後ろ足で直立するところも、時と場 にも似て、妖怪に

な川邊の せるに十分と言える。陰氣 怖さ の

を ったところ

捉えられる この動物を氣味惡い存在と み處とするところも、

鬱夕刻、 「丁初」に見えるような 考えられる。 素となったと と蘆の

口から血の滴る魚を銜えた る中で、 獺が、まるで人

のようにすっくと二本足で立つ

せば、それを妖怪の に出くわ こうした と感じてもやむを得ぬところであろう。

提があればこそ、獺怪

繼がれることとなったのであろう。 (6) 譚が發生し、それが語り

日本で獺と妖怪とを關

づけた記

は、撰

(一四四四年刊)に、 未詳『下學集』

(獺)老而

河童

也(卷之上「氣形門」獺の項)。 (7

と見えるものを現存最古のものとする。『下學集』の國語辭書或いは百科辭書としての性格を勘案すると、當時こうした

念が一定以上の定

るが、こうした考え方がいつ頃から始まったかについては を見ていたことがうかがわれるのであ

料が見當たらないため、これ以上の

展はないというのが現 の獺怪 しかし、年を經た獺が河童となると言う考え方は、その後 のようである。

** 譚を大きく規制することとなる。 中國詩文論叢第二十八集

圖1 コツメカワウソ (高山景二撮 影 動物園寫眞「事中」より http://keitaka.exblog.jp/444868/)

(5)

一體、河童なるものは、特に

世以 に てくる「もの」であった。その來源についても、獺のほか、 場合、その實在を信ずる人々により、俄然論議が活況を帶び 目され、多くの

①水

(河伯)

②猿

③龜、鼈

④鰐

⑤古代

鐵族

⑥河原

民) (被差別

⑦先民

⑧藁人形

⑨惡少年

等々、まさしく百家爭鳴の感がある。これらの

とするかを の何れを是 や水邊の混沌を河童と稱したとの發想に立ち、混沌という言 カオス 定するのは必ずしも意味を持たず、むしろ水中 に相應しく、種々雜多な

素から

實態に り立ったと考えた方が、

この河童の樣々な していると言うべきであろう。

ような、人や馬などを水中に引き 念の中、「河童駒引き」に代表される

う、水の み、その生命を奪うと言 怖の象

としての河童

念の形

わっていることは に、獺が深く關 中國で、獺が怪 目すべきであろう。

譚の中で語られるようになったのは、

記したような

樣な思いを人々が 素があってのことであり、日本に於いても同 いていたことは想像に

くない。しかし、 これを單に、日中兩國

か無理があろう。勿論、「火のないところに の發想の共時性に求めるのはいささ

のであるから、日中兩國の人々が、獺に對して似た思いを は立たない」

いていたことは確かではあっても、鰐信仰に

えられる「 源を持つと考

ぶる獺妖怪」の

れたと見るべきであり、以後の日本の獺怪 念は、やはり中國から移入さ

譚の根も、

したような中國の怪 記 り實態に 譚に負うところが大きいと見る方がよ そのことを端 しているのではないか。 (8)

山岡元 に示す例は、貞享三年刊の(一六八四) じようきよう

『古今百物語

』卷四に載せる「河太

物語の事」の記 付丁初が であろう。 (9)

一人のいはく、「河太

某が女の在 とはいかなるものを申し候ふや。

!、江州野州河の

に子供の水をよぎして居申し候ふ !にて候ふが、その河邊 事御座候ふを、河太 "に、折々はみえ申さぬ と問ひければ、らん」先生 自らもおぼれてながれ候はむと存じ候ふが、いかなるや をのづか のしはざのやうに申しならはし侍る。

していはく、「河太

の劫を經たるなるべし。河獺は正 も河獺 の一つにして、よく魚をとる獸なり。 #に天を祭る事七十二候

$ちいさき狗のごと

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

%子)

185

(6)

く四足みちかく、毛色はうす

としと云へり(傍線は引用 くろく、はだへは蝙蝠のご 。以下同じ)。

「河太

」とは言うまでもなく河童の

は右のように 名であるが、「先生」

べた後、「此物變

り。」として、本稿 せしこともろこしにもあ の『

記』

「これ獺のばけにしためしなれば、引用し、太 收の「丁初」の話を るべし。」と結論づけるのであった も其一門な その

以後、獺は一部の例外を除き

に 、中國の場合と同じく、人

けて人を誑かしたり、嚇かしたりする

れ、その 物として傳承さ 素を取り入れた河童が、人々に

その來源の一つである獺の れられるほどに、

とはほぼ關わりなく―傳承されていくこととなる。 ろしさを物語る話も―その實態

獺怪

譚はほぼ

川期を じて語られているが、美男に

けた獺が豪傑に弓で射倒されてしまう話(「

方 射止めしこと」〔市中散人 しちゆうさんじん 、獺を 佐『太 ゆうすけ

百物語』卷二)

や、女(

女と見せて、實は六、七十の い にろしい顏をした妖女)

色な男を誘惑して けて好 したり、或いは怪しいと見

いた侍に斬 山井『四不語 しふ りかかられ、「ことの外すさまじ」い面相を現したり(淺香

』卷六)

等々、

ね中國の獺怪

形で 譚を踏襲する むのだが、就中、江

!の人々は好んで獺怪

た 譚を語っ

地域でもそうした傾向があるのだろうが、 話」として、語られたものである事が興味深い。勿論、他の "樣であるが、物語としてよりは、むしろ「實際にあった

れに續く明治期の江 川期、そしてそ 人を !の人々にとって、獺は本當に(東京)

かしたり危

#を加えるものとして

『よしの冊子』は、水野爲永 ためなが ** がより濃厚のように思われる。 れられていた形跡

$政の改革で知られる松

信の隱密として仕えた筆 定 が、

%方面から入ってくる隱密

&

報を定期

'に取りまとめて

偶然傳えられた書とされているが (君に提供していたものの一部が、

」の項に、七八六) 、その卷五「天明八年(一 )

(九

に水を卷立て爭ひ申候由。獺合戰共可 *廿八日ニ和田倉御門の橋下ニて獺數百集り白晝)

よし。見物の +申歟と沙汰仕候

%人是又おびたゞ これまた

,のよし しき

- 中國詩文論叢第二十八集

(7)

という記

ば、實見談というよりは、江 或いは、これまで見た獺に對する人々のとらえ方から推せ つかむようではある。 らざる傳聞を集めている本書の性格からすれば、まさに雲を 『よしの冊子』の名が示すように、「…らしい」という確かな この記事の眞僞竝びにその意味するところについては、 が見える。

中の何らかの―多分に政治 に不穩な―動きを象

假にこれを實見談としても、江 したものと見たいところであるが、

だけの素地があったこと―は が居たという事實―乃至はそれを事實として受け取れられる の堀にこれだけ大量の獺

江 目して良い。

の中心ですらそうであるのなら、江

きい 市中の「少し大 る岡本綺堂の記 川のようなところにはきっと河獺が棲んでいた」とす

あったればこそ、江 に、より信憑性がすからである。そうで 市中では他の地域以上に獺怪

からである に、よりリアリティーをもって熱心に語られたと考えられる 譚が人々 江 。

の獺怪 譚の中でも、特に印象深いのは、齋

『傍 かたびさし』(卷上)に「得たる技」という題で紹介されている

の話であろう

伎役 の市川幸

は、

謂端役 風の激しい夜に、本 であった。ある雨 (今日の

田 )の かかった時、 り下水をさし

然、自らのさす

聲 くなる。そこで彼は、傘をさし、高足駄を履いたまま、一 傘が「盤石のごとく」重 げると、とんぼ(宙

人が集まってくると、彼の立つ四五 を切った。聲を聞きつけてり)

ち付けられて、死んでいた。彼は端役 の路上に獺が打

上の役 だったので、常に 乘った獺をそれで投げ に投げられてとんぼを切り慣れていたので、傘に

したのだった……。

そして筆

れた端役 は右の話を紹介した後、これはとんぼを切り慣 なればこそ出來た手柄であり、「よき役

に は中々

この話は、岡本綺堂も「江 (圖2) びがたし。」と結び、その有樣をいた繪を載せている

の 河童の話を !物」と題する隨筆の中で、

べた後、右の話と同工である、

士の獺 "島某という武

#治譚と共に紹介しているのだが

、綺堂作品の愛讀 $

『百日紅』の一 さるすべり であったと言われる漫畫家の故杉浦日向子も、その作品

%話として、右の話を取り入れていて興味深

&

獺怪異譚の盛衰をめぐって(子)

187

(8)

と言うのは、他でもない。『百日紅』は、

の葛 世繪師

て おえいを中心とし 北齋と娘・

が、葛 かれた作品だ になる『北齋漫畫』に見える河童の繪は、他の多くの人々の 北齋の筆 くそれとはやや趣を

はいても、 にして、龜のような甲羅を背負って 身毛むくじゃらで、河童が獺の

を 物であること

かではあっても、それだけでは葛 杉浦が、この話を綺堂の隨筆に觸發されて書いたことは確 く暗示していると思われるからである。(圖3)

入れたとは考え 北齋の物語にこの話を い。彼女が漫畫家としてだけでなく、

話から、 童繪を當然知っていたであろうし、その繪と綺堂の紹介した ているところであることから推せば、この『北齋漫畫』の河 期の時代考證家としての側面を持っていたことは良く知られ 川

川期の特に江

獺の怪 の人々の中に、河童と結びついた 譚が 々と語られていたことも

相 にかぎ取ったに

ない。だからこそ、この話を物語の中に取り入れたので 中國詩文論叢第二十八集

圖2 「得たる技」より

圖3 河童圖(葛北齋

『 北 齋 漫 畫 』 三

〔『初摺北齋漫畫』、

小學影印、2005年〕

より)

(9)

はないかと想像されるのであるが、その點は如何なものであろうか。その方面の專家の示

を待ちたい。

以上のように、獺怪

譚は、

ジが生 川期に妖怪としてのイメー た。その痕跡は、 發展した水妖・河童と密接に結びついて擴がっていっ

試みに、國際日本文 すことが出來る。 年まで語り傳えられた各地の民話に見出 究センター『怪

なものを十件、河獺十件がヒットしたが、その から、獺、川獺、河獺を檢索すると、獺十九件、川獺)mlht c.jh.rcea/s2aiDBukYop/.aunhibnic/www.:/ttp:hLUR(』タベース ・妖怪傳承ーデ げると

のようになる。①

に古來獺が

んでいて人を訛すと傳えられている。

目玉の を見た人はいないが、砂濱に足跡があったとか、魚の

りの筋肉だけを

ふらふらしていたのも獺の仕業という。人家に われたとかいう。何某が濱を

いように九 入しな 十六日に

除けのお札を峠に立てる(結

「安

國齋島民俗相(三)」〔『

と傳 』八卷四號

八號、三元 卷八 、一九三五年)

②河童は獺の

生かもしれない。獺は惡戲好きで、入

けたり娘に

けたりして、魚を

べる。人に

二號/ えるほどではない(長谷川正「河童の話」〔『高志路』一卷十 を與 卷十二號、新潟縣民俗學會、一九三五年〕)

③何とも知れぬものが船にのぼろうとすることがある。ある時、沖に人のいない船があり、

「壹岐民傳承 たが、これは河獺のすることだろうと言う(折口信夫 ようとしたら、果たして出てきた。やっとのことで歸っ 氣の男が行ってみ

④獺の怪が出るところがある。ある夜、女に 二九年〕) !訪記」〔『民俗學』一卷四號、民俗學會、一九

きたので けて出て 髮だと思っていたのは いっこうに正體を現さない。そのうちに夜が明け、女の "い廻して捕まえた。何度も激しく叩かれたが、

しっかりと殘っていた(加 #であった。しかし叩かれた跡は

$辰藏「新津の口

%傳

〔『高志路』 (三)」 八年) 卷一一八(新二)號〕、新潟縣民俗學會、一九四

この他の話も

人に &ね人(或いは狐)を騙したり誑かした話や、

けた話が大

'を占めるが、

川期に廣まった話を大き

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

(子) 189

(10)

く した話はほぼ見當たらないことから推せば、

パターンの固まった獺怪 川期に 譚と同工

曲である事が明確に

められよう。**以上のように、中國の話をベースとして、日本の怪

してのパターンも固定した獺怪 譚と 譚は、他の動物怪

譚同樣、

代に の方向、つまり衰 大に語り繼がれることとなったかというと、むしろ

るであろうが、その後の人々の に示した傳承を多いと見るか少ないと見るかで考え方は別れ の方向へ向かうこととなる。勿論、右

河童、ろくろ首、のっぺらぼう、 寥々と言う語がむしろ相應しい。 知度という點から見れば、

け狸、

け 等の 界の「大スター」の 物

手やかな活

以下、獺怪 あまりと言えばあまりに地味になってしまうのである。 振りと比べるまでもなく、

譚の衰 から復活までについては、

れることとしたい。 稿で觸

(1)『時代推理小 】

七捕物帳新裝版(一)』、光文

光文 文庫、

、二〇〇一年。初出年

日 び

載誌は未詳。 (2)「のっぺらぼう考―その『正體』を中心にして―」(『文學

を渡る―

光學院大學公開

座論集第

56集』、笠

(3)①「動物妖怪キャラクターの變 二〇〇八年)。 書院、

―獺妖怪キャラクターの 衰を手がかりとして―」(國立臺灣大學・國文學

共催「キャラクターの古典

九年五 」シンポジウム、二〇〇 の古典 十七日)。なお、本發表の豫稿は、『キャラクター 本人 討會論文集』(國立臺灣大學日本語文學系・日 文 究機

國文學

究 料 本語文學系刊、二〇〇九年九 、國立臺灣大學日 )の一

として收

②「獺怪 された。

譚の來た」(早稻田大學中國文學會第

(4)『日本人の動物 大會) 34回春季

!―變身譚の

レス、二〇〇六年復刊。原 "史』(ビイング・ネット・プ

#は 鳴 お、中村氏の河童に關する專 刊、一九八四年)。な を「零 (5)ただし、氏は柳田民俗學の傳統を繼承し、多くの場で妖怪 ディタースクール、一九九六年)がある。 #に『河童の日本史』(日本エ

$した

%々」と位置づけるが、その點に關しては

なしとは言い 論

(6)なお、古代ギリシアにおいても獺は &い。

ら骨の碎ける 'れられ、噛みついた

)、中レス『動物誌』世ヨーロッパでは、キリストの象 (がするまで放さない動物と考え(アリストテ

れる一方で、破滅へと )とさ

*く惡 +とされたとも言う(以上、

,

中國詩文論叢第二十八集

(11)

俣宏 『世界大

物志』第五卷〔哺

〕、

凡 く鰐信仰に 八年)。これを共時性ととらえるべきか、中國の場合と同じ 、一九八

(7)坂梨三解題『下學集』三種(東京大學國語 源を求めるべきか。待考。

究室

書 料叢

(8)『世界大 14、汲古書院、一九八八年)。

物圖鑑』(本稿

示 源であると記すが、その點は如何なものであろうか。專家の 和名の由來を「おそ」であることを示し、「おそろし」が語 6參照)では、カワウソという を待ちたい。更に、寺島良安『和

三才圖繪』では、鯔 ぼら

變じて獺となるという

や、その凶暴さは犬を噛み

だとの すほど を紹介するが(同書「水獺」の項)、彼が多く據り

とした明・王

おうきん『三才圖會』にはこの二つの

ない。私見では、共に中國に來源を持ちつつ、 は見當たら に釀 川期に獨自 された

(9)高田衞・原 であるように思われてならない。

生 『續百物語怪談集

九九三年) 』(國書刊行會、一

( 收。

10)なお、この話では、「太

ころからすれば、作 廣記にのせたり」としていると の

報源が直接

には、『太

の當該部分の最後に「出『 卷四六八、水族五「丁初」であることが分かるが、『廣記』 廣記』

記』」とあることからすれば、

接 に『

る。因みに文中に、「獺は天を祭る云々」は『禮記』 記』をそのまま引用していることが了解され

六、孟春の條に「東風解凍、蟄蟲始振、魚上冰、獺祭魚。鴻 令第 鴈來」とある有名な一

( を踏まえる。

破れ衣を身にまとって手には酒 11)鳥山石燕『畫圖百鬼夜行』(陰之卷)では、菅笠をかぶり、

るで信樂燒の狸のようないでたちで 利をぶら下げるという、ま 獺が子供に かれているが、これは けて酒を買いに來たという傳

ボストン美繪に見られるものである。なお、 載怪の妖々な樣」など豆腐小れるとされる「現せてに盆を 豆腐、狸、そして河童は匠意考えて良いと思われるが、この にくものと基づ

!"で された石燕の肉筆畫では、ぶら下げているのは酒 #年發見 數る踊って立で足せて後載いをぬぐ手 に頭、そしてムササビぶ飛を空と河童に面く魚とし、同じ畫 利ではな

$の

%も 興味深い(湯本豪一 かれていて

( )。六年〕 『續妖怪圖鑑』〔國書刊行會、二〇〇 12)享保十七年(一七三二)刊(高田衞・原 ほう

生 怪談集 『百物語 』〔國書刊行會、一九八七年〕)

は、この獺が「此年比かやうに美童美女に とし 收。なお、物語で

して、おほく

&

人をたばかり喰ひ

し」ていたと

( '民の口から語らせている。

13)正 六年(一七一六)序(柴田

(

しようきよく

『隨筆辭典・奇談 )聞辭典』〔東京堂、一九五九年〕

二同書は、〇〇八年、筑 收「河獺の怪」より。

*學 木なお、水しげる『圖 +文庫の一冊として復刻された)。 日本妖怪大

,』

收の「川獺の

け物」は、この話に基づく(

-談 株式初出は同名で、會 +α文庫、一九九四年。

コミックスより一九九一年四

に刊

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

.子)

191

(12)

行)。水木が、この話に

目して紹介していることは、後

する彼の獺妖怪キャラクターを考える上で記憶されるべきであろう。(

14)『太

百物語』(本稿

( りし事」)。 撲話の變型と見て良いであろう(卷五「獺人とすまふを取 話も見られるが、これは多くの傳承がある、河童と人との相 12參照)には、人と相撲を取る獺の 15)水谷三公『江

の役人事

新書 ―よしの冊子の世界』(ちくま 251、筑

( 、二〇〇〇年)を參照。

16)『よしの冊子』上(安

二責任

集『隨筆百

「風俗世相 』卷八 」二、中央公論

( 、一九八〇年)。 17)江

に題材を多く取った作家・池波正太

は、

川期の江 の町は東洋のヴェニスだったと

書の中で繰り

し いるが、古地圖を眺めるとその言 べて るほど、町の中は水路が縱 が大げさではないと思え

に走り、水

である。それは、「丁初」の話が水に惠まれた中國江南を と言って良い風景

臺としたのと、まさに軌を一にする。(

18)新裝版『日本隨筆大

』第三期1

收(吉川弘文

( 九九五年)。 、一 19)一

( 一・八m。八~九m。

20)『風俗江

東京物語』(河出文庫、河出書

新 年。初出は、『風俗江 、二〇〇一 に一九一七~一九一九年まで、不定期 物語』、贅六堂刊行の雜誌『木太刀』

載された中の一

と される〔河出文庫の今井金吾の解

綺堂はこの役 による〕)。ただし、岡本 の名

( を市川ちょび助とする。

本 初出は『漫畫サンデー』一九八七年七十四日號、實業之日 21)其の二七「稻妻」(『同書』下、ちくま文庫、一九九六年。

刊)。この作品については、臺灣天

!"輔仁大學副

中村 "授・

#子氏から示

( "を受けた。ここに記して謝意を表したい。

22)①については

$の獺という書き方から推せば

細は本稿下 誑かすと考えられていたことは記憶されるべきであろう(詳 コのことを指すのであろうが、ラッコもまた獺と同樣に人を $獺つまりラッ うに、玄界灘に また、③の話が傳承されている長崎縣壹岐は、知られるよ で改めて觸れたい)。 言う河獺もまた %かぶ島である。この事から推せば、ここに

$獺と見ることも出來るが、この地域は

の生息域ではない。 $獺

&らくは他の地域から傳わった獺怪

をそのまま轉用したものであろう。なお、佐渡島では '譚

「ウミカブロ」と呼び、「兩津の $獺を (付 )に 卷二號、一 「』一島〔『二」彙村語漁男國柳田(と傳えられている」す。 *み、よく人を誑か +、一九三三年〕。『怪

( ス』より再引)。 '・妖怪傳承データベー それが 23)富山縣南砺波郡の傳承では、「川獺には頭の上に鉢があり、

,くと ってし入に鉢くがず -シくなる。モジのいたのが、おれて入に檻ャ

.然力をつけて

見え、獺と河童がほぼ同じものと /げたこともある。」と

0識されて傳えられている 中國詩文論叢第二十八集

(13)

ことが見て取れる(國學院民俗文學

究會「上

〔『傳承文 村の傳承」

』 卷十五號〔國學院民俗文學

年〕)。 究會、一九八八

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

子)

193

参照

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