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衰をめぐって(中)

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(1)

以上見て來たように、獺怪

譚は、

スとして らくは中國の話をベー 川期にその形が確立し、それなりの普

その として、徐々に語られることが少なくなっていったようである。 見たのであったが、明治期に入ると、一部の地域や人々を例外 と發展とを

たる原因は

稿で指摘した

り、

1獺をイメージ生の

2河童と同じく、のっぺらぼう、 界のスター」とも言うべき河童の影に隱れてしまったこと。 素の一つとして取り入れた「妖怪

け 、 等々のスター け狸、轆轤首 3特に あること。 の妖怪に比べて、獺妖怪はあまりに地味で 市部での獺そのものの減少に

物に對する親 う、人々のこの動 感の希

と、それに

う怪

譚としての リアリティーの喪失。

などが考えられるのだが、それでもなお、獺とその怪

そうした作家たちの一人に、泉鏡 ある種の拘りを見せる作家たちもあった。 譚に、

「高野 ** 數えられる。 が(一八七三―一九三九)

」、「 系圖」の作

泉鏡 として今日もその名を知られる は、江

文 の影

く受けた幻想

ズム溢れる作品を數多く發表した作家であったが、無 なロマンティシ げることの少ない獺とその怪 見地からの論究は專家に任せるとして、同時代の作家が取り上 ばけずき」の作家でもあった。これに對する日本文學などの (1) の「お

譚とを多分に意識

り入れたことを、ここでは に作品に取

目したい。

獺怪

譚の

衰をめぐって(中)

子和男

(2)

鏡 が、獺に關して言

した と、 (2) な作品を年代順に列記する

①「聞きたるままに」(明治四〇〔一九〇七〕年)、②「歌行燈」(明治四三〔一九一〇〕年)、③「夜叉が池」(大正二〔一九一三〕年三

、④「陽炎座」)(同年五

、⑤「妖)

年五 眉」靈のしくか、⑦「〔一九二三〕年)(大正一三〔一九二四〕 (大正一三「みさごの鮨」⑥、年)〔一九二二〕(大正一一占」 の辻 )、⑧「光籃」(同年五

三一〕年) )、⑨「古狢」(昭和六〔一九

の計九作品である。しかも、明治期後

い期 から昭和初期までの長 にって、獺を作品に取り

一方、これに對し、獺をイメージ形 んでいることが分かる。

の重 て凌駕した感のある「河童」について見ると、 しながらも、こうしたいわば「本家」を妖怪キャラクターとし な來源の一つと

①「

三 野の奇聞」、②「夜叉が池」(明治四三年)(大正二年 )、③「人魚の祠」(大正六〔一九一七〕年)、④「茸の

」、⑤「寸(大正七〔一九一八〕年)

九二〇〕年)、⑥「貝の穴に河童の居る事」(昭和六年) 風土記」(大正九〔一 鏡 で、獺をやや下回っている。

と世代

に 現在場合は、「 い、芥川龍之介の(一八九二―一九二七年)

(後 空文庫」に公開中の三五八作品中、三作品 であるのに比べると、やはり泉鏡)

の作品の中で獺が

かれる 合が、決して少なくないことが分かるであろう。 (3)

が獺を作品に取り

んだ ままに」は、他の作品とは 記の作品のうち、「聞きたる なり、中國古典のかなり忠實な

譯である。しかもその

容も、三國・魏の明

が洛水に らくすい

時、珍しい白獺が泳ぐのを見てこれを んだ 時に侍中職にあった徐景山(名は たいと思ったところ、

に仕えた政治家。一七一―二四九)が、獺が好む鯔の繪を 。曹操以來三代にわたって魏 ばく

それを本物の鯔と見 き、

徐景山の畫才を示す事に す白獺を捕らえて獻上することが出來た云々という話であり、 った多數の獺が集まり、その中から目指 怪 眼が置かれたこの物語には、およそ

「みさごの鮨」では、うどん屋臺の女 譚の片鱗すら見られない。 (4)

あさん」―として獺の名が登場する。しかし、この女 の稱―「獺橋のば

の呼び名に相應しい何處か怪しげな人物として は、そ とからすれば、作 かれているこ

!は獺の持たされてきた怪しげなイメージを

"用したものと考えられるのだが、獺の怪

を直接語ったもの 中國詩文論叢第二十九集

114

(3)

とは見なし

また、「妖 い。

の辻占」では、「鷺、獺、猿の

しての獺を どとは言ふまい云々」とあるところから見れば、現實の動物と が、魚を漁るな べたものであり、これもまた獺妖怪、獺怪

は無 譚と

以上三作品を除いた他の作品を見ると、そこに と言って良い。

は、川期の傳承に かれる多く 分かる。 ね則った獺像であり、表現であることが

○獺が這 はい

んで、板

下や厠に點いた燈を あかり

するげに言います。が、別に可 して、惡戲を いたずら

おそろし

んな 方はしませぬで。こ の良い

には、庭で鉢叩きをして見せる。……時雨 はちたた

れた夜さりは、天保錢 てんぽうせん一つ使賃で、豆腐を買いに行くと言う(「歌行燈」)。○「それそれ、たったいま

んじゃ、それは。やあ、見やれ、其許の袖口から、 りると言うた口の下から、何

艷妻女だか、娘だか、で名物にする一尺の岩魚は、亭○ えん 。」の。(「歌行燈」) の獺川斐手の、もそもそとした奴が、ぶらりと出たわ、揖 がわ 色の 色 しよくに懸 そうして、獺 かわおそが件 くだんの柳の根に、鰭ある錦 にしき(5)するのだと風

うわさした。いささか、あやかしがついていて、一

寂れた。鵜の啣 くわえた鮎は、

生ながら賞翫しても、獺の しようがん

「眞似をする處○は、狐か、狸だらうぜ。それ、お ところ 。(「古狢」) えた岩魚は、色戀といえども氣味が惡かったものらしい

人○「 。)(「光籃」」「獺だんべい、水の中じゃ。 女で。 いったのは少寄。」と甘たれた聲を揚げて、男に摺厭「可 わかすり 」く似て居らあ。 によ が い ちたか、獺でも駈け廻るのかと思った、えら で

○出る いたよ。」(「眉かくしの靈」)。 ものの數々は、一ツ目、見越、河太 こし(6)かわ

、獺に、 ろう(7)かわおそ

坊 、天守におさかべ、 (8)

は赤手拭、篠田に葛の しの

野干 かん !、 笛に雨を呼び、ンポコポン、酒買小 "、古狸の腹鼓、ポコポン、ポコポン、コリャ、ポ べい(9)

#、鐵漿

$女の つけおんな

今、もし、飛んだお○ たけた笑、里の男は、のっぺらぼう。(「夜叉が池」) わらい 、け %

火も臺なしでござります。へい、辻の橋の玄稻 げんとく さん、馬鹿な目に逢いましてね、

&

いなり

しょう。 御身分柄、こんな惡戲はなさりません。狸か獺でござりま いたずら は、 '

(兒の を八杯攫らいました……お (兒の、と鉦を敲いて來やがって饂飩 かねたた

さん。」(「陽炎座」)。

)の「おばけずき」の背景には、

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

*子) 115

(4)

①故

金澤の土俗

②母の生まれ故 な傳承への傾斜。

である東京への

烈な憧れ。

と言う、一見背反する嗜好があるとの指摘は、先に引いた田中貴子氏のほかにも複數の

究 獺怪 たちからなされている。

譚について考えると、鏡

の故

にけて人の命を奪う である金澤にも、女 ろしい獺の物語が語られてはいるが

それは彼の作品に見られる獺像とほど 、

鏡 いと言わねばならない。

作品に登場する獺は、

々が人を騙したり

と言う、たわいないものばかりである。この事から推せば、鏡 かしたりする の獺怪

譚は、江

譜に ―東京の町人たちが語り繼いだものの系 まちびと

座」を唯一の例外として、他の だが、個々の作品を更に詳細に見ると、先に引用した「陽炎 なると見ることが出來る。

ての作品の

臺は山代

(岐阜縣。(石川縣。「みさごの鮨」)、揖、鹿斐)川「歌行燈」流域 ししがわおち 泉(宮

)が池「夜叉が池」(兵庫縣。 良井、夜叉、奈縣「(長野縣。「眉かくしの靈」)」)狢古

のように東京を

り、或いは場 く離れた地方であ じゃ。」(「光籃」)のように、その言 は明らかでないものの、「獺だんべい、水の中

つきに物語の

を離れた土地であることを思わせるものなどがあり、獺は 臺が東京

鄙びた地方の「 ね

人」として

かれ、それは、江

り繼がれてきた獺 ―東京で語

よりも、彼の怪

譚のもう一方の傾向とし て指摘される、「土俗

話の基本は 色合い」がより濃厚なように思われる。

川期に多く語られた獺怪

しながら 譚のパターンを踏襲

、その一方で物語の

臺を江

多くは ―東京から離れた、

深い地方に設定しているのをどのように考えるべきか。

の書には、

川期の假名

子や戲作の

あり !が少なからず

、特に "

雙紙は、八

來、慣れ親しんだものであったという #頃に母親に繪解きしてもらって以

假名 。 $

子などの比較

古い文獻に見える獺怪

譚の

くは江 臺の多

ではなく、

①江 ごうしゆう(今日の

%賀縣。山岡元

&『古今百物語

太 '(』卷四「河 )并丁初が物語の事」)

*

②山

の國(今日の京

+府。市中散人

,佐『太 しちゆうさんじんゆうすけ

「 -百物語』卷二 .方 /0 )、獺を射止めしこと」)

1

③讃岐の國(今日の香川縣、同書卷五「獺、人とすまふを取りし事」)

などである。こうした記

2の影

3の下、鏡

が獺登場の

定を江 臺設

が、 ―東京―以外の土地にしたと考えることも出來るのだ 中國詩文論叢第二十九集

116

(5)

お江

たい。(「予の態度」〔一九〇八年〕) の眞ん中電車の鈴の聞こえるところにおばけを出し

と、

會におばけを出現させることに

く執

した鏡

の の勢からすれば、これらの影 素 下にあったとは考え

い。

と の場合は、 い世代であり、東京下町に生まれ育った芥川龍之介 記したように、「

中、三作品すなわち、 空文庫」公開中の三五八作品

①「妖婆」(一九一九年)、②「動物園」(一九二〇年)、③「河童」(一九二七年)

に獺を登場させている。このうち、③では、

としながらも、河童國と敵對する獺國を設定する野縣) 臺を上高地(長

は、河童と獺の關係を知った上での事であろうし、 など 中の竪川 たてがわ

(東京

田 と江東

現し、「動物園」の獺の項では、(かはおそ) 「まるで人面の獺のように」さんが泳ぐ樣子を、(「妖婆」)と表 を泳ぐと噂の立った、お島婆を流れる川)

下へ出して置く、臺の物の殘りがなくなるんですよ。 燈の火を 獺が引いて行くんですって。昨夜も舟で歸る御客が、提 かわおそゆうべ

されました。

とあるところなどは、江

―東京で語られた獺怪

踏まえており、鏡 譚を忠實に

と色合いの

僅か三作品では、鏡 いを感じさせはするのだが、

作品と比較して、兩

の特

を き 鏡 ** にするには不十分と言って良い。 り

と 筆 家に、岡本綺堂があった。(一八七二―一九三九年) い世代で、彼を上回る數の作品に獺を取り入れた作 が目にした綺堂のそうした例を幾つかを

げると、

①小

にけた河童と思しき物を武士が川に投げ

が、その正體は獺であろうとした話―「江 !んだ 俗江 の物」(『風 物語』)

"

②差した雨傘の上に乘って惡戲をする獺を得意のとんぼ

#

りで

$した役

江(『綺堂隨筆 ③人にけた大獺と戰った老漁夫の話―「深川の老漁夫」 の話―同① の言

%』)

&

などがあるが

その代表作の一つである『 、就中、最も多くの獺譚が取り入れられたのは、 '

(七捕物帳』シリーズである。

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

)子)

117

(6)

今、そのタイトルだけを

げても、

①「津國屋」、②「河獺」(「廣重と河獺」の後

③「 部分)、 坊

⑥「向島寮」 」、④「お照父」、⑤「柳原土手」、

の六話に

中でも、興味深いのは、②「河獺」であろう。『 ぶ。

第六話に當たるこの話は、 七捕物帳』

人公・元目明かしの

七老人が、

川期には町中の まちなか

らき 川にも獺がいて人に惡さをしたという話か どぶがわ

こし、秋雨の

る暗い

に發生した財布

「眞犯人」が、實は獺であったと言う話である。この獺への執 奪事件の と、鏡

のそれとを等質と見るべきか否か。

の江 っ兒好み、そして自らが紛れもない地方出身

あるが故の、言わば で 親 惡 とも言うべき「田舍

ついては、 い」に に多くの指摘があるが、そうした彼の思いは、

○田舍ものめ、河野の邸へ鞍替 くらがえしろ。

に牛はあっても ぎゆう

の目を てえ

った犬は昔から江

にゃ無えんだ(「

○茨 系圖」)

の方の田舍とやらに病院を建てた人が、もっともら (「政談十二 しい御容子を取柄に副院長にという話がありましたそうで よう

代がわりの だい ○さればかような美女が片田舍に生れたのも國が世がわり、 」)

(「高野 兆であろうと、土地のものは言い傳えた 」)

などのように、その作品中隨に見て取ることができる。**このような指向を背景にした鏡

作品に

!かれる江

本綺堂作品に見える江 と、岡 の

!き方の相

"に關する大佛

大佛は、綺堂に「修善寺物語」などの歌 思われる。 摘は、この問題を考える大きな手がかりを與えてくれるように #$の指

%伎の脚本と『

捕物帳』などの讀み物があることに觸れ、歌 七

%伎の 張やアクセントの %臺には誇 さが 分野の作品は、「如何にも江 &求されるとした後、綺堂の讀み物の 生の面影を傳えて、 で淡々とした東京人の綺堂先 無理が無く素直に、讀 こなれた浴衣の肌觸りの涼しさである。

の胸に傳わってくる。」と

'べ、鏡

作品とを比較して、

#のように指摘する。

古い東京の文學というものを探したら、金澤から出てきた泉鏡

などの、生きている

(から幽靈か妖

)のような美し 中國詩文論叢第二十九集

118

(7)

い ではなく、綺堂が

いた町の

師匠や、裏町

いの職人に、體 ま の

(『岡本綺堂讀物 った純粹なが見つかるのだと思う 集』第四卷序文〔井蛙

、一九六九年〕)。

これが、綺堂の作品集に寄せた序文である事を勘案すれば、聊か綺堂の立場に寄り

それを差し引いても、右の指摘は鏡 ぎた指摘であると言うことも出來るが、

、綺堂兩

の江 の事どもに對する取り組み方の ―東京

いを、實に端

と言うことが出來るであろう。 に表したもの る綺堂や、京橋に生まれて本 で生まれ、元御家人の子として生育した生粹の東京人であ

獺や獺にまつわる怪 の芥川にとって、たとえその實物に接することができなくとも、 で育った、同じく生粹の東京人 面で見聞きした事柄であり、それは、言わば「皮膚感覺 譚は子供の頃から何らかの形で樣々な場

言って良いほど身 」と

なものであったに

一方、これに對して鏡 いない。

の場合、江

幼い頃から 生まれの母親を持ち、

雙紙に親しんではいても、こうした江

言わば土 ―東京の しみ な傳承については、やはり皮膚感覺として心身に んだものではなく、

念 あろう。鏡 に捉えざるを得なかったので の

念の中にある「江

―東京」は、まさに洗

の頂點にある

と對極にある「泥 幻のごとき世界であった。獺は、そうした世界 い(あるいは田舍

生き物」であり、彼い) の江

―東京に

たことは想像に いた美意識とはほとんど相容れないものであっ しかし、鏡 くない。

が加賀金澤で生育した頃から

い憧れの

た江 であっ

―東京と言う町そのものが、實は元々土の

いと無 土地では決してなく、綺堂が七老人の言 な るように、ほんの少し !を借りて語ってい 話が日常生活の中で、極めて自然に語られた "の時代まで、獺が出た狸が出たという

だったのであ するより客 このように、その美意識のためであったにせよ、この町に對 。 #

ころ鏡 な理解が至らぬためであったにせよ、結局のと は、自身の作品では江

みの深い獺たちを、この土地から ―東京の町人にとって、なじ まちびと

$ざけ、

深い土地の「

として 人」

%ったのであった

&

もっとも、これはひとり鏡

たとえ皮膚感覺 ばかりの問題ではなかった。

に獺怪 川たち生粹の東京人の 譚が了解できたであろう綺堂や芥 '邊からも、生身の獺というものは完

(

にを

うであったればこそ、綺堂は「失われた江 )して久しいものだったことは嚴然たる事實である。そ

*+」を象

る便として、とりわけ熱心に獺を時代小 よすが ,す -の世界に

その濃淡に多少の差 のであった。 き續けた

はあっても、鏡

や芥川、そして綺堂

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

.子)

119

(8)

にとって、こうした現實の

に、實際の

、獺怪

怪 譚はもはや

良いであろう。このようにして、獺妖怪譚は、以後 譚としてのリアリティは、ほとんど失われていたと考えて

々衰 て行くのであった。 し

(1)田中貴子『鏡 】

と怪

』(

凡、二〇〇六年)。同書は、批

と愛好の相

ばする鏡

の「おばけずき」を、これまた無

の「おばけずき」を自

する筆

部の愛好家による鏡 が考察しているが、從來、一 の怪 小

に關する言

れだけ本格 はあっても、こ にこの問題に言

ようであり、筆 した論考は必ずしも多くはない

(2)筆 も本稿を書く上で大いに參考とした。

査したのは、

(3)芥川の師である jp/)で公開された一三七作品である。 空文庫(http://www.aozora.gr.

目漱石に至っては、

の名が見えるに りの作品中で僅か二作品、しかも共に外套の襟の材料として獺 空文庫公開中の百余

(4)本話は、本來、六 ぎない。

志怪小

の一つである、梁・

『續 いんぞく

齊諧記 せいかいき』(「洛水白獺」)を出典とするが、泉鏡

が據り

たのは、 とし に指摘があるように、明・張鼎思『琅 ちようていしろう

代醉

だいすいへん』卷一八である(須田千里「泉鏡

と中國文學」〔東

克美

本文學 『日

究 料新集一二泉鏡

』 收、有

一九八六年〕)。なお、長谷川覺 一年。初出は『國語國文』第五五卷第一一號、中央圖書出版、 堂出版、一九九 『泉鏡

書目

!』(東

克 美

の右書

收。初出は『泉鏡

"集』第三卷

一九四一年)に、「琅 #報第一四號、

代醉 ら推せば、鏡 木版本二三冊」と見える事か $

書本は『和刻本

院、一九七三年)に影印されているものと同じ、 %&隨筆集七』(汲古書

本を底本とした、 '(二五年刊 の門に出かけて立てた五色に (5)昔、奧州で、男が戀する女に會おうとするとき、その女の家 と見て良いであろう。 )寶三(一六七五)年刊本乃至はその後印本

*った一尺ぐらいの木(小學

+

『大日本國語辭典』)。(6)見越入

,。首が長く、非常に背の高い入

の河童)7( また首が長くなるという。 るほどくなり、高が背げれば見上げが見上人っている妖怪。持 -,などを金棒で、

(8) 稱。 .路 /の守 01、刑部大明

(9屋芦「淨瑠璃) あし 1の。老狐える傳と正體 ,滿大 2

どうまんおおうちかが」に登場する奴 やつこの野干

の變 。實は狐 3で、「野干」とは狐の別稱として用いられる言

( 4。

10)お齒

5べったり。のっぺらぼうの同

で、お齒

だけがある 5を塗った口

( 3物。

11)元

6稻 7。東京

89田

( の信仰を集めている。 :立川三―一八に現存し、今なお人々 12)正 6六年(一七一六年)序、淺香山井(久

七二七年)『四不語 ;。一六五七~一

!』卷六に見える。金澤 ろく

を見つけた好色な男が、この女―實は獺の /の堀端に佇む女 3けたもの―に慘

<

されたと言う話(柴田

=曲『隨筆辭典・奇談

再引堂、一九五九年〕より。詳細は本稿上 聞辭典』〔東京

參照)。 中國詩文論叢第二十九集 120

(9)

( 13)ただし、この作品では「一ツ目、見越、河太

、獺、

坊 とあるように、數ある「 …」

物」の一つとして名を

げられるに

( ぎない。

( 來たるところがほの見える。 て酒を買いに行く獺を髣髴とさせ、そのイメージの源の依って 燈」)などは、鳥山石燕『畫圖百鬼夜行』に見える、菅笠を被っ 14)とりわけ、「天保錢一つ使賃で、豆腐を買いに行く」(「歌行

15)長谷川覺「泉鏡

書目

」(本稿 4參照)、同「鏡

の『 先生

雙紙』目

」(『鏡 集』第一六卷

報第一九號〔本稿

( 4參照。一九四二年刊〕)。

16)「泉鏡

自筆年譜」に、「明治一三年四

、町より淺野川を

てたる、東馬場、

小學校に入學。これより先、母に

の繪解を、町 雙紙 のうつくしき娘たちに、口

、傳 多し。母に を聞くこと 雙紙の繪解を、町

のうつくしき娘たちに、口

傳 、

を聞くこと多し。」と見える(『現代日本文學

四篇泉鏡 集第一 集』〔改

( 、一九四八年))。

17)太刀川

校訂『續百物語怪談集

』(〔叢書江

文庫

( 書刊行會、一九九三年) 27〕、國 18)太刀川

校訂『百物語怪談集

』(〔叢書江

( 刊行會、一九八七年)。 文庫2〕、國書 19)『泉鏡

集』第二八卷(岩波書店、一九八六年第三刷)

收。(

20)同書は、『風俗明治東京物語』と合わせ、『風俗江

として文庫 東京物語』

されている(河出文庫、河出書

新 年)。「江 、二〇〇一 の

物」の初出は、雜誌『木太刀』(贅六堂)に一 九一七年~一九一九年まで不定期

載された中の一

二二年に贅六堂から、他の文章と で、一九

せて『風俗江

て單行本 物語』とし された(『風俗江

東京物語』解

( を參照)。 〔今井金吾執筆〕

21)河出文庫、河出書

新 一九二七年四 、二〇〇三年。初出は、『文藝春秋』

( 號。

22)この他、「獺のようだ」「獺のように」など比喩

( た例は少なくない。 に用いられ 23)江

切り繪圖や、江

臺とした歌

この土地が一寸 伎や語に至るまで、

!けば狐や狸の棲む鬱

"たる林があり、縱

走る水路には獺が顏を出し、 #に 雨が $は乾けば土埃がもうもうと立ち、

%ればたちまち泥濘と

す けたところに、鏡 今日でも容易に見出すことが可能である。この現實から目を背 であったことを示す材料は、

の「江

れるのだが…。この點に對する專家の更なる示 贔屓」の特殊性があるように思わ

( &を俟ちたい。

24)或いは先にも觸れた、鏡

の故 '金澤を

臺にした獺怪

の存在も、獺は田舍にこそ相應しいとの思いを (譚 な )くに至る大き

*因となったのではないだろうか。

※本稿は、二〇一〇年九

三日に國立臺灣大學で開催された「和

+

比較文學會―二〇一〇臺灣特別

,究會」で發表した「獺怪

語り繼ぐ (譚を -―泉鏡

ある。 を中心として」の原稿に加筆訂正したもので

獺怪異譚の盛衰をめぐって(

.子) 121

参照

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