︿論
説﹀
法 文 化 論 序 説
︵ 四
︶
池 田 政 章
第一 章 法文 化論 への 途 第二 章 改め て、 法文 化論 とは 第三 章 法文 化の 生理 と病 理 第四 章 法文 化の 普遍 性と 個性
︵以 上 号︶ 77 第五 章
〝法 と文 化〟 の自 画像
︵以 上 号︶ 78 第六 章 自画 像の 形相 序 節 一 自然 と風 土 二 文字 と言 葉 三 心理 と論 理㈠
︵以 上 号︶ 81 四 心理 と論 理㈡
︵以 上本 号︶ 五 感性 と美 意識 ま と め 第七 章 表層 の法 文化
第八 章 法文 化の 深層 おわ りに
︱︱ 憲法 文化 につ いて
第六 章 自画 像の 形相 四
心理 と論 理㈡
ઃ
﹁心 理と 論理
﹂に つい て㈠
㈡に 分け たの は、 第三 節が 余り にも 長文 にわ たる とい うこ とが 大き な理 由で ある
。 それ ゆえ
、㈡ は㈠ の時 期上 の続 編で ある こと に違 いは ない が、
㈡を 分離 した 以上
、時 期的 考慮 は外 せな いに して も、 そこ に何 らか の新 味を 加え たい とい うの が筆 者の 思い であ る。 そこ で想 を新 たに
︵?
、︶ 本稿 で世 話に なっ た 南博 の著 作の 紹介 から 始め るこ とに した い。 そこ には
、戦 後数 年足 らず であ るに も拘 らず
、〝 日本 人の 心理
〟に つい ての 歴史 科学 的考 察に 始ま って
、四
〇年 後に 総括 的日 本人 論を 著す とい う研 究歴 を考 える と、 その 日本 人論 研究 に対 する 熱意 は本 節の 主題 によ く符 合す る こと は間 違い ない
。そ の紹 介か ら始 める とい う選 択は 当然 のこ とだ ろう
。
⑴ まず
﹃日 本人 の心 理﹄︵ 一九 五三 年︶ のロ ング
・セ ラー から 始め る。 その
﹁は しが き﹂ によ れば
、﹁ 今日 まで
、 日本 人の 国民 性と か、 民族 性と よば れて
、い ろい ろな 研究 や、 観察 が発 表さ れて きて いる
﹂が
、﹁ 日本 人の 手に よ るも のは
、む かし
、日 本民 族が 優秀 であ るこ とを 證明 する ため に書 かれ た、 内輪 ぼめ
、う ぬぼ れが 多く
、自 分の あ ばた もえ くぼ にみ える
、自 画自 讃が 多か った
。そ うし て、 戦争 がお わる と、 逆に
、日 本人 を、 三等 国民
、四 等国 民
にお とし て、 自虐 的な 劣等 感に みち た感 想が 目立 って きた
。ど っち も困 った こと であ る。
﹂と 考え て、
﹁日 本人 は地 理的 にも
、歴 史的 にも
、と ざさ れた 島の 中に 生長 して きた 国だ から
、心 理の 伝統 も他 の国 にく らべ ると
、く ずさ れ ずに
、今 日の われ われ に受 けつ がれ てい る部 分が 大き い﹂ とい う。 戦後 数年 とい う当 時の 社会 的雰 囲気 を考 える と、 真っ 当な 学術 的前 提の 下で
、史 的資 料に 目を 配り なが ら、 今日
︵当 時︶ の日 本人 の心 理の 伝統 につ いて 客観 的 考察 をし たい とい うの であ る︵ 社会 心理 学的 考察 であ るか ら西 洋論 理的 思考 の面 が強 いが
。︶ その 内容 は、
①自 我意 識、
②幸 福・ 不幸 の心 理的 体験
、③ 非合 理主 義・ 合理 主義 の法 則性
、④ 精神 と肉 体に 関す る態 度、
⑤人 間関 係の あり 様と
、筆 者の 構想 を先 取り した よう な項 目が 並べ られ てい るの で、 筆者 には
、そ の内 容 の如 何を 確認 した いと いう 想い が募 る。
①〝 長い もの には 巻か れよ
〟と いう 権力 への 自動 的な 服従 の習 性︵ 滅私 奉公 に︶ よる 自我 の成 長妨 害、
〝触 らぬ 神に 祟り なし
〟と いう 八方 美人 主義 によ る自 己の 保安 感情 によ って
、自 由な 個人 的自 我は 確立 され てお らず
、自 我 の主 張は 利己 心を 満た すこ とに 向か い、 自己 中心 主義 とな る︵ 現在 でも 個人 主義 に支 えら れた 自己 中心 主義 が︶
。
②幸 福な 状態 につ いて の生 活感 情を 表に 出す こと に遠 慮し がち な習 性を もち
、反 面、 不幸 を忍 ぶこ とが 美徳 であ ると 考え てい る。 それ は、 幸福 のは かな さを 感ず る無 常観 から 幸福 であ るこ とは 却っ て重 荷と 思う 心境 があ って
、 不幸 の忍 従が 救い にな ると いう 心構 えが 日本 人の 心理 的伝 統に なっ てい るか ら。 例え ば、
〝悲 しい
〟〝 切な い〟
〝涙
〟 など の言 葉は 流行 歌の 常套 句で ある
。
〝苦 労は 人に つき もの
〟と いう
。生 老病 死の 四苦 は仏 教の 厭世 観︵
?︶ であ るが
、﹁ 義務
﹂観 念に よっ て免 疫さ れ ると いう
〝あ きら め観
〟は
、権 利に 対応 する それ では なく て、 日本 独特 のも ので ある
。
〝身 のほ どを 知れ
〟と いう
﹁知 足安 分﹂ は儒 教の 言葉 であ るが
、江 戸時 代の マゾ ヒズ ム的 処世 観で あっ た。 この こと は現 代で も処 世術 の一 つと 考え られ てい る。
〝月 にむ ら雲
、花 に風
〟と いう 自然 現象 の言 葉は
、﹁ 自然 のう つろ いや すさ
、は かな さ…
…か ら、 人生 の不 幸、 不 運を 理由 づけ
﹂、
﹁自 然と 人生 を同 一の もの
﹂と みな すか
、も しく は﹁ 人間 を自 然化 して 見る 態度 が、 伝統 的に つづ いて いる
﹂こ とを 示し てお り、 日本 独特 の心 理的 伝統 に由 来し てい る、 とい う。
〝浮 世の 旅〟 とい うよ うに
、人 生を 旅に たと える セン チメ ンタ リズ ムは 古来 から あり
、﹁ 旅の さす らい
﹂﹁ 悲し い 別れ
﹂と いう よう に流 行歌 の常 套文 句と なっ てい る。
③﹁ 不幸 の心 理的 対策 が、 あき らめ から 一歩 進む と、 なぐ さめ
﹂に なり
、そ の対 象は
﹁月 雪花 のた のし み﹂ にむ かう
︵?
。︶ しか しそ れが でき なけ れば
、日 本映 画の
﹁母 物﹂ のよ うな 自分 より 不幸 と思 える 世間 を知 らせ て、 同 情・ 共感 をこ えた
〝身 につ まさ れる
〟と いう 不幸 を分 け合 う言 葉が 生み 出さ れる
。そ して
〝苦 は楽 の種
〟と いわ れ て報 いら れる
、と
。こ うし た逆 境幸 福論 は特 異な 救い の止 揚論 であ ろう
。〝 失う 何も のも ない
〟と いう 心理 的免 疫 法も 肯定 的意 味を 持っ てい る、 とい う。
・し かし
、人 間に とっ ての 不幸 は人 類の 共通 苦で あり
、洋 の東 西を 問う こと はな い。
﹁失 う何 もな い﹂ とい う日 本的 免疫 法に つい て、 中国 では
﹁本 来無 一物
﹂︵ 慧能
︶、 西洋 では
﹁無 的
( )
実存
﹂︵ 小池 辰雄 によ る現 代型 表現
︶と いう 創唱 宗教 に よる 救済 策が 提言 され てい る。 ただ
、そ の方 便の 違い
︵前 者は 悟り
、後 者は 倫理 的無 私︶ が宗 旨の 特色 とし て現 在ま で 継承 され てい るの であ って
、日 本の 場合 は混 淆信 仰の なか の禅 宗的 要素 に見 出す こと がで きる
。 そう はい うも のの
、不 十分
・不 満足 を表 す〝 忍ぶ 恋〟
〝叶 わぬ 恋〟 など の感 情抑 制に 高い 価値 を見 出す 日本 的マ ゾヒ ズム は、 日本 的無 常観 の純 粋さ を高 めよ うと する もの で、 西洋 ルネ ッサ ンス の精 神と は相 反す る。 伝統 芸術 の 能に みら れる
、感 情の 外へ の表 現を 抑え て内 面の 高ま りで 表そ うと いう 心理 的演 技は
、今 もそ の芸 術的 価値 を失 わ ない 同 。 じよ うに
、茶 道に おけ る〝 茶禅 一味
〟で も、 不足 に甘 んず るこ とが 真意 とさ れ、 侘茶
、数 寄な どと いわ れて 実
用的 目的 が説 かれ る。 不足 主義 から 自我 の解 消へ とい う自 我否 定論 の見 本が ここ にも みら れる
。も っと も、 不足 主 義に は階 級的 理由 があ り、 茶人 の〝 物好 き〟 だと いう 評︵ 太宰 春台 も︶ 紹介 され てい る。 何れ にし ても
、日 本人 の幸 福主 義は
、﹁ 自然
﹂・
﹁中 庸﹂ を出 発点 に、 順応 しな がら 欲求 を満 足さ せる とい う消 極 的心 理に 根拠 をお いて いる
、と
。
④第 四章 は﹁ 日本 人の 非合 理主 義と 合理 主義
﹂と 題せ られ てい るが
、内 容は
、自 然と 社会 の法 則を 否定 し、 運命 論に よっ て人 生を 説く 日本 的非 合理 主義 を解 明し よう とい うの であ る。 偶然 のめ ぐり 合せ の定 め︵ 運命
︶に よっ て、 あら かじ め人 間の 一生 が予 定さ れて いる とい う宿 命主 義の 話で あり
、因 縁論
・因 果論 が語 られ る︵ 非合 理主 義 の基 礎に はも っと 深遠 な思 想が ある と思 うが
?︶
。運 命論 の背 景に は知 足安 分思 想が 拠り 所と して 使わ れ、 一方 であ き らめ から 自然 順応 主義 とな り、 他方 で淡 白と なっ て天 命主 義の 心境 にな る。 もっ とも
、天 命主 義と いっ ても
、人 智で はど うに もな らぬ 絶対 運命 と因 果律 があ ては まる 相対 運命 があ って
、人 生の 不幸 は絶 対運 命に 責任 をも たせ
、幸 福は 神仏 の加 護に よっ て相 対運 命と 考え られ てい る︵ 無智 によ る楽 天主 義
︱︱ 窮す れば 通ず と︶ いう
︵筆 者は 戦時 中の 神ヽ 風ヽ を思 い出 した
。︶ 運命 主義 は、 仏教 の因 果論 や心 学の 道徳 観の 底流 とな って いる
。が
、心 学の 場合 は応 報論 がき いて
、現 実的
・積 極的 であ り、 人間 の力 を重 くみ てい るの に対 し、 民間 信仰
︵例
・天 理教 で︶ は〝 前生 のい んね ん〟 を強 調し てい る。 そし てか よう な因 果論 では
、自 己は 神か らの
〝借 りも の〟 とい う滅 私奉 公論 にも つな がり
、天 命と 人力 の関 係に 話 が及 んで くる こと にも なる
︵﹁ 人事 をつ くし て天 命を まつ
﹂︶
。 自然 と社 会の 法則 を否 定す る﹁ 世の 中の こと は理 屈通 りに 行か ない
﹂と いう 日本 的非 合理 主義 は融 通が きき
、エ セ合 理主 義︵ 世間 の道 理も 入る のか
?︶ をも 生ん でい る。 それ は処 世上 の合 理主 義で
、損 得の 打算 が物 差し とな った 要領 主義 とも いえ る。
⑤非 合理 主義 が心 理と 結び つく と、 超人 間的 精神 力が 働く とい う精 神主 義に なる
。﹁ 至誠 天に 通ず
﹂﹁ 思う 一念 岩 をも 通す
﹂﹁ 精神 一到 何事 か成 らざ らん
﹂と いう 諺に みる よう に、 知性 によ らず 精神 で感 得す る︵ 第六 感と いう もの もあ る︶ とい うわ けで
、﹁ もの ごと は気 の持 ちよ う﹂ とな り、 物質 のな かに 精神 をみ る物 神論 とも なる
。﹁ 梨﹂ は無 しに 通じ るか ら﹁ あり のみ
﹂と いい
、﹁ すり 鉢﹂ は﹁ あた り鉢
﹂と いう 忌いみ
詞ことば
の原 因に は物 がも つ神 性の 考え 方が あ る、 と。 非合 理主 義に 基づ く生 活観 とし て、 戦前 は精 神主 義が 語ら れ、 戦後 は常 識的 な肉 体主 義︵
﹁花 より ダン ゴ﹂
﹁命 あ って の物 種﹂
﹁死 んで 花実 がな るも のか
﹂︶ が著 しか った が、 後者 は〝 安逸 に流 れる
〟と して 前者 の立 場か ら軽 蔑さ れ た。 が、 アメ リカ の影 響か ら積 極的 な肉 体主 義が 強調 され
、体 力、 金力
、権 力な どに つい ての
﹁力 の信 仰﹂ が高 く 買わ れる よう にな り、 現在 は力 の優 越競 争が 始ま って いる
、と
。そ して
、そ れは 性欲 主義 を生 み、 自我 の存 在を 確 かめ る証 拠と して 肉体 が語 られ ると いう こと にな るが
、性 につ いて の精 神主 義は まだ まだ 残っ てお り、 それ を通 し て、 健康 な肉 体主 義︵﹁ チャ タレ イ裁 判﹂ も︶ 論理 的に 主張 され 出し てい る、 とい う。
⑥最 後は
、〝 人間 関係
〟論 であ る。 近代 以前 の﹁ 義理
﹂は 自分 をと りま く人 間に 対し てと るべ き態 度・ 行動 につ いて の約 束で あり
、﹁ 世間
﹂に 対す る﹁ 義理
﹂が
﹁世 間体
﹂で ある
。こ のよ うな 義理 も一 方的 に要 求さ れる もの で はな く、
〝恩
〟に 対す る〝 奉公
〟と いう よう に、 交換 ある いは 契約 のよ うな 意味 合い も含 んで いた
。そ れが 明治 以 後は
〝滅 私奉 公〟 とな り〝 家長 中心
〟に なる とい う一 方的 な関 係に 変わ って くる こと にな る。 この 義理 に対 する 反抗 が〝 人情
〟と いう 人間 性の 要求 であ る。
﹁義 理人 情﹂ と一 口で いう が、 義理 の約 束で 抑え られ てい るの が人 情で あっ て、
﹁義 理と 人情 の板 ばさ み﹂ が文 学作 品の ネタ とし て共 感を よび 起こ して いる とい う のが 正確 であ る。 とす れば
、主 とし て人 物の 性格 や関 係か ら悲 劇が 生ず る西 欧と は大 違い
。﹁ 晴れ て名 乗れ ぬ﹂ 母 物の テー マが 人気 があ る日 本は
、人 間関 係に 涙の 原因 を求 めて いる とい えよ う、 と。
義理 が対 人・ 対社 会関 係に おけ る約 束で ある のに 対し て、
〝本 分〟 はそ の人 の場 所に ふさ わし い行 動の 形式 の全 体で ある
。今 日の
〝本 分〟 は昔 の〝 分限
〟よ りは 自分 の意 志で 選べ る人 間関 係で ある が、 それ でも
、本 人に とっ て 公事 と私 事の 区別 はア イマ イで
、﹁ 本分 とい う人 間関 係で
…… 公が 私を
…… 食い あら して いる
﹂の が現 状で ある
、 と。 近代 西洋 社会 では
、分 に応 じた 権限 があ る半 面で
、分 に対 して とら ねば なら ない 責任 があ ると 考え るの が常 識で ある
。し かし 日本 社会 では
、権 限と 責任 のバ ラン スは くず れて おり
、公 私混 同を 因と した 責任 逃れ が生 まれ てく る のが 通常 であ る。 その 由来 は、 日本 人の 自信 のな さ・ 自我 の弱 さに あり
、争 いご とが ある と、 仲裁 人を 入れ て話 し 合い をす るこ とに 現れ てい る。 この 責任 逃れ は日 本特 有の 心理 的産 物で ある
、と いう
。
﹁む すび
﹂に いう
。﹁ 日本 人の 非合 理主 義、 精神 主義
、不 足主 義に 共通 な、 何か
﹃割 り切 れな い﹄ もの
、﹃ 理屈 で は行 かな い﹄ もの は、 すべ て、 この 人間 関係 に立 ちこ めて いる
、フ ンイ 氣の アイ マイ さか ら生 まれ てく るよ うで あ る﹂
。そ して
、﹁ 新し い日 本を 生み 出し てい くに は、 社会 の土 台を 作り 直す こと とな らん で、 むか しか らの ナゴ リで ある
、モ ヤモ ヤし た人 間関 係と
、そ れか ら発 生す る社 会心 理の くも りを 拭き とる こと にも 努力 しな けれ ばな らな い﹂ とい うの であ る。
・刊 行当 時の 事情 から いっ て、 戦前 戦中 の話 題が 例と して 多く 引用 され るの は止 むを えな い︵ 当然
︶と して も、 著者 が科 学的
︵社 会心 理学 的︶ な考 察に 徹す れば
、い やお うな く〝 西欧 から みた 日本
〟に なる こと は予 測し えた に違 いな いと 思 う︵ 例・ 合理 主義 が非 合理 主義 に優 ると いう 感を 与え る叙 述︶
。が
、当 時と して は、 それ が客 観的 考察 とみ なさ れて い たこ とも 推測 しう るし
、従 って 結論 が野 田良 之説 と同 様に なっ たこ とを
、む やみ に否 定す るわ けに はい かな いだ ろう
。 かく して
、説 明不 足︵ 説明 困難 とい うべ きか
︶や 首を 傾げ る解 説が あっ たに せよ
、長 文に わた って 本書
︵四 一項 目︶ の 紹介 をせ ざる をえ なか った のは
、ひ とえ に、 万般 に関 する 巧み な〝 こと わざ
〟に よる 説得 があ った から であ る。 それ が
ロン グ・ セラ ーと して 名を 残し た所 以で もあ ろう
。
⑵ いわ ゆる
﹁日 本人 学﹂ の樹 立を 心が けて きた
、南 博に とっ て、
﹃日 本人 の心 理﹄ はそ の準 備作 業と なっ たが
、 日本 人の 全体 像を とら える ため には
、先 人が
、こ れま でい かな る見 解を 披露 して きた かを まと める 必要 があ った の だろ う。 その ため の著 作が
、﹃ 日本 人論 の系 譜﹄
︵一 九八
〇年
︶で ある
。
・た だし
、日 本人 の問 題を 研究 の中 心テ ーマ とし てき た南 にと って
、﹁ この 間に 日本 人の 生活 と文 化に つい て様 々な 角度 から 取り 上げ た二 つの 論集
﹃日 本人 の心 理と 生活
﹄﹃ 日本 人の 芸術 と文 化﹄
︵い ずれ も一 九八
〇年
︶に まと めら れ﹂ た著 作が ある
。両 書は 現在
、﹃ 南博 セレ クシ ョン
﹄の
﹃日 本の 社会 と文 化﹄
︵二
〇〇 一年
︶、
﹃芸 術の 心理
﹄︵ 二〇
〇二 年︶ な どに まと めら れて いる
。 本稿 にお ける 筆者 にと って 興味 があ るの は、 南が 日本 文化 の系 譜を 語る につ いて
、ど のよ うな 構成 をと るか であ った
。し かし
、①
﹁日 本人 の先 駆者 たち
﹂、
②﹁ 風土 と日 本人
﹂、
③﹁ 美と 日本 人﹂
、④
﹁日 本人 の国 民性
﹂、
⑤﹁ 日 本人 の恥 意識
﹂の 五章 で、 当時 の常 識を ふま えて いた とい うべ きか
。 即ち
、七
〇年 代に なる と、 前節 で述 べた よう に、 さま ざま な日 本人 論が 刊行 され てネ タも 豊富
、系 列の 取り 方に も多 くの 前例 が生 まれ てき たが
、ネ タの 都合 で、 南の 構想 もそ れか ら外 れる わけ には ゆか なか った
︵一 九八
〇年 一 月か ら六 月ま での 六回 にわ たっ て行 われ た朝 日カ ルチ ャー セン ター のセ ミナ ー﹁ 日本 人論 を読 む﹂ がネ タで ある と︶ いう とこ ろで あろ う。
①〝 先駆 者た ち〟 とし てあ げら れて いる のは
、新 井白 石﹃ 西洋 紀聞
﹄︵ 一八 八三 年︶ を始 めと して
、司 馬江 漢﹃ 春 波楼 筆記
﹄︵ 一八 一二 年、 西洋 文明 の技 術に くら べ遥 かに 遅れ てい る︶
、山 片蟠 桃﹃ 夢之 代﹄
︵一 八〇 二︱ 一八 二〇 年︶
、 箕作 阮甫
、佐 久間 象山 をへ て、 福沢 諭吉
﹃文 明論 之概 略﹄
︵一 八七 五年
︶、 そし て﹃ 明六 雑誌
﹄に おけ る日 本人 変化 説︵ 一八 七四 年西 周︶ と不 変説
︵一 八七 五年 福沢 の︶ 論争 であ る︵ 中村 正直 一八 七五 年も 福沢 に同 調︶
。し かし
、よ り重
要な 論点 は日 本人 劣等 説が 横行 した こと であ る。 明治 一〇 年代 に入 ると 欧化 政策
︵井 上馨 が︶ とら れる が、 他方
、政 教社 の雑 誌﹃ 日本 人﹄ では 欧化 運動 を批 判す る井 上哲 次郎
﹃内 地雑 居論
﹄︵ 一八 九一 年︶ が著 され る。 そし て、 西洋 人対 日本 人の 心理 的接 触を 客観 的に 論ず る態 度が 生ま れる
︵一 八九 三年 よ︶ うに なる
。 福沢 がい いた いの は、
〝日 本人 は内 を重 んじ て外 を見 ない から
〟公 共精 神に 欠け てい る、 この 内と 外に つい て日 本人 は家 内の 人で はな く戸 外の 人に なる べき であ ると いう こと だと 結論 付け
︵三 二︱ 三四 頁︶
、南 は、 この 気質 はど こか ら来 たの かと 自問 自答 し、 その 方法 は日 本人 の性 格形 成を 社会 的・ 歴史 的に 分析 する こと だと いう
。そ の第 一 段が 風土 論で ある
。
②風 土論 のさ きが けは
、関 祖衡
﹃人 国記
﹄︵ 一七
〇一 年︶
、三 五ヶ 国の 民情
・風 俗を 地図 入り で書 いた もの で、 民 情・ 風俗 は民 心の 情偽ママ
︵義
?︶
、風 気水 土に よっ てき まる
、と
。該 書は
、司 馬江 漢﹃ 春波 楼筆 記﹄
︵前 述︶ から
、志 賀重 昂﹃ 日本 風景 論﹄︵
一八 九四 年︶
、横 山健 堂﹃ 新人 国記
﹄︵ 一九 一一 年︶
、加 藤咄 堂﹃ 世態 人情 論﹄︵ 一九 一二 年︶ にま で影 響を 及ぼ して おり
、加 藤は
、日 本人 の生 活状 態、 人情 の歴 史的
・地 理的 条件
、宗 教か ら社 会心 理に 及ぶ 広 範な テー マで 論じ てい る。 ただ
、こ の時 期ま では 地方 文化 の紹 介が 主で あり
、世 界の なか の日 本に 視点 を向 ける よ うに なる のは
、雑 誌﹃ 日本 人﹄ の発 刊以 後の こと にな る︵ 四四
︱四 五頁
、︶ とい う。 こう した なか で世 界主 義的 な日 本人 論を 著し たの は、 周知 の芳 賀矢 一︵
﹃国 民性 十論
﹄一 九〇 七年
︶で あり
、後 に 和
﹃風 土﹄ が書 かれ るこ とに なる
。和 の 風土 論は 一九 三〇 年代 のマ ルキ シズ ム批 判と して 登場 した が、 戸坂 潤 によ る反 批判 があ り、 これ らに 対し
、南 は、
﹁人 間学 的風 土と 自然 的風 土の 混用 から くる 不統 一﹂ があ ると 評す る
︵六 七頁
︶。 戦後 の〝 風土 論〟 にお いて は、 生態 学的 風土 論、 地理 学的 風土 論、 歴史 的風 土論 の三 視点 から の流 れが ある
。
︵生 態学 的風 土論
︶が 時期 的に 最も 早く 現れ
、そ の嚆 矢は
、梅 棹忠 夫﹃ 文明 の生 態史 観﹄
、そ して 上山 春平 編﹃ 照 葉樹 林文 化﹄ があ る︵ 本稿 第一 節参 照︶
。︵ 地理 学的 風土 論︶ には
、鈴 木孝 夫﹃ 風土 の構 造﹄︵ 一九 七五 年︶
・同
﹃超 越 者と 風土
﹄︵ 一九 七六 年︶ があ り、
︵歴 史的 風土 論︶ に、 飯沼 二郎
﹃風 土と 歴史
﹄︵ 一九 七〇 年︶
・同
﹃歴 史の なか の 風土
﹄︵ 一九 七九 年︶ があ る。 飯沼 は、 農業 技術 の側 面を 重視 し、 結局
﹁風 土に 貴賤 はな い。 ある のは
、た だ、 それ にか かわ りを もつ 人間 の在 り方 のち がい のみ
……
﹂と 結論 付け
、そ して ユダ ヤ教
・キ リス ト教 が神 に誓 い、 ゆる しを 乞う のに 対し
、日 本人 は ケガ レは ミソ ギに よっ て洗 い流 すと いう よう に﹁ すが すが しさ をよ ろこ ぶ、 日本 人共 通の 民族 感情 であ る﹂ と比 較 して いる
、と 南は 紹介 する
︵七 四頁
︶。 そし て、 南の 風 土論 的日 本人 学の 課題 は
、﹁ 農業 生産
、家 族形 態、 生活 様式
、宗 教な ど、 さま ざま な要 因が
、 多元 的に はた らき あっ て、 ひと つの 風土 文化 複合 とで もい える
、文 化的 伝統 と現 在の 文化 的状 況が 成立 する
。従 っ て、 その よう な風 土に から みあ う諸 文化 条件 を究 明す るこ とが
、日 本人 学の 風土 論的 な側 面で あろ う﹂ とい う。 つ まり は社 会的 文化 論と いう こと か︵
‼︶
。 補 論。 本節 脱稿 後に
、木 岡伸 夫﹃ 風土 の論 理︱
︱地 理哲 学へ の道
﹄︵ 二〇 一一 年︶ が刊 行さ れた
。本 来は 本章 第一 節 で紹 介す べき 文献 であ るが
、こ こに 記す こと にす る。 本書 は、 副題 にあ る通 り、 風土 学と いう 地理 哲学 の樹 立を 意図 した もの で、 和 哲郎
、オ ギュ スタ ン・ ベル クの 風 土論 を 継承 し、 その 理論 的研 究の 方法 論を 述べ たも ので ある
。﹁ 気候 風土
﹂と いう 邦語 があ るが
、そ れを 包括 した 研 究﹁ 風土 学﹂ が﹁ 気候 を含 む自 然環 境の 全体 を人 間・ 社会
・文 化に 関係 づけ る、 一種 の環 境論
﹂︵ 八頁
︶で あり
、﹁ 人間 存在 の空 間性 およ び場 所性 を表 す存 在論 の概 念﹂ であ ると いう 点で
、地 理哲 学の 一つ の到 達点 を示 して いる とい う︵ 九 頁︶
。