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『もう一つの国』における男性らしさの不自然な意識

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Academic year: 2021

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埼玉県男女共同参画推進センター(With You さいたま)主催 男女共同参画基礎講座「アカデミズムの扉を開く ―2012―」

『もう一つの国』における男性らしさの不自然な意識

菅原 あさみ

(立教大学文学部文学科英米文学専修)

私たちは暮らしのなかで性別により、社会から求められるふるまいが異なることに気づかされる。そ の性別の「らしさ」は、本当に性別の気質によるものなのか、無理に社会に合わせているのならば、な ぜそのようなことをする必要があるのかを論じていく。

男性らしさを論じるにあたり、黒人作家である

James Baldwin

の『もう一つの国』という作品を扱っ

た。

Baldwin

はアメリカを離れ、パリでの暮らしで「ヨーロッパでは黒人と白人との区別はなく、どち

らも同じアメリカ人であった」ことを体験し、最後には同性愛者であることをカミングアウトした作家 である。その

Baldwin

によって描かれた『もう一つの国』という作品は、ニューヨークを舞台に白人や 黒人、異性愛者や同性愛者など様々な人物たちによる愛が描かれている。その中で、この論では

Rufus

Scott

という黒人男性に焦点を当て論じていく。

Rufus

は社会的に弱いという黒人の要素と、社会的に強

いという男性の要素の 2 つを持っている。この作品が執筆されたのは 1962 年、公民権法成立の前であり、

黒人たちは白人たちから一人前として認めて貰えないころである。黒人だからという理由で、白人たち からのけ者にされてしまう

Rufus

にとって、男性という性別を意識することは、少しでも強さと尊厳を 保つために必要な手段であったと言えるだろう。彼は自然に男性らしさや強さを意識できたわけではな いため、それらを意図的に作り上げる必要があるのだ。

Rufus

が男性らしさを維持するために、どのよ うに意識し行動していたのかについて、述べていく。

まず始めに、

Rufus

の男性としての意識に、どれほど人種の問題が絡んでいるかについて、彼の親友

Vivaldo

、恋人の

Leona

との関係から考察していく。

Rufus

Vivaldo

はお互いに世界にたった一人の 親友であると思っているが、二人とも人種の違いの意識から抜け出せずにいる。

Rufus

Leona

と恋人 同士になったことを聞くと、Vivaldo

Rufus

に「おまえに会うと、こっちは妙におやじっぽい気持ち になるから困るんだよ、このガキめ!」と言い、Rufusは「そこがまた、おまえたち白人連中の困った とこなんだ」と返す(『もう一つの国』28)。ここでは、

Vivaldo

が親、

Rufus

が子のように例えられている。

Rufus

が「白人連中」と言っていることからも、この親子関係は二人の性格によるものではなく、二人

の人種が作用していると考えられる。親子の間に見られる保護の関係は、時には男女の間にもとられる ことがあるといえるだろう。つまり、黒人は白人の前だと一人前の男として扱われないことが読みとれ る。

しかし、

Rufus

は白人との間に見られるこの親子関係を、同じく白人である

Leona

との間には決して

認めようとしない。

Leona

Rufus

を「坊や」と呼ぶと、

Rufus

は「坊やと呼ぶな」と短く、冷たく返 答する。彼は

Vivaldo

との間では余裕のある返しをしていながらも、

Leona

との間ではそのような態度 は見られない。これは

Leona

が白人とはいえ、女性であるゆえだろう。自らの男性性を意識するには、

もう一つの性、女性の存在は必要不可欠である。女性に対して優位に立ってこそ男性として認められる という考えが

Rufus

にあったからこそ、Leonaに対しては自らを子供扱いすることを認めなかったのだ

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ろう。男性の下にいるべき女性が、その決まりを超えて男性を子ども扱いすることは、Rufusの男性と してのプライドを大きく傷つけてしまう。黒人としてのプライドを持ちにくい社会で、男性としてのプ ライドまで損なわれてしまうことは、

Rufus

の存在を危うくしてしまうのだ。この

Leona

Vivaldo

の関係から、黒人は白人から一人前として見なされないことと、

Rufus

は相手が白人であっても女性に 対しては優位に立とうしていること、また

Rufus

の男性の意識は脆いものであることが読みとれる。

次に、その脆い男性性を、

Rufus

がどのように維持しようとしていたかについて、暴力と同性愛の例 を挙げて議論を進めていく。まず暴力について考察する。

Rufus

Leona

と出会い、恋人同士になり、

共に暮らし始める。しかし、次第に二人の暮らしはすさんでいき、

Rufus

Leona

に暴力をふるうよう になっていく。Rufusのその暴力行為を指摘した

Vivaldo

に対しても、Rufusはナイフを向け、これまで

Vivaldo

が見たことが無いくらい暴力的になっていく。

このように

Rufus

が暴力をふるうようになったきっかけの一つとして、男性の尊厳を失ったことが挙 げられるのではないだろうか。当初、

Rufus

Leona

との関係において、自分が

Leona

に対して主導権 を握っていることに満足していた。

Leona

は、子供を夫に取られたため、南部からニューヨークにやっ てきており、その身の上話を聞いた

Rufus

は「自分がこの女を、かわいそうな女と考えたという意識から、

彼の胸にはほんとうの愛情が芽生えて、彼は心からの微笑みを誘われた」と感じていた(『もう一つの国』

19)。原文では

girl

という言葉が使われており、

Rufus

が自分より年上である

Leona

を、幼く、弱いもの として見ていることが読みとれる。

また、Rufusは初めミュージシャンとしてナイトクラブで働いていた。Leonaとの関係を周囲に話す 際には、「当分の間、うちのかみさんの面倒を見るよりほかにすることもない」と言っており(『もう一 つの国』39)、自らを

Leona

を守る立場として自覚していた。しかしその後、Rufusは職を失い、Leona の収入だけが頼りの生活になっていく。女性の収入に頼る

Rufus

の姿は、男性が家を守るべきとする社 会のなかで、男性らしい姿であると言えないだろう。ジェームズ・ギリガンは、男性らしさと暴力の関 わりについて「男性の場合、暴力的でない人は侮辱され、暴力的な人ほど尊敬される。すなわち男性に とって暴力は、ある種の戦略として非常に有効なものである。」と、まとめている(『男が暴力をふるう のはなぜか』72)。男性としての面目を失った

Rufus

は、

Leona

に対し暴力的になることで、男性性を 回復しようとしているのではないだろうか。女性に養われる

Rufus

は、女性の上に立つという理想的な 男性の姿に当てはめられにくい。このような男性らしさの喪失が

Rufus

を暴力的にさせた原因の一つで あり、暴力が男性性の回復の手段として使われているのだろう。

次に同性愛について考察する。Rufusは過去に、同性愛者の

Erick

に愛されたことがある。だが

Rufus

は同性愛を、男性らしさを損なうものとして否定する。Rufus

Erick

に告白された際は、「彼は、エリッ クを女として扱い、女にも劣る存在であることを明らかにし、一個のいやらしい性的倒錯者として認め てやらなかったことによって、その男性の本質に侮辱を加えたのである。」と描かれている(『もう一つ の国』46)。

Rufus

にとって同性愛者は、男性や女性より劣るものであり、同じ男として扱っていない ことがわかる。

一方で、

Rufus

を愛した

Erick

はパリに渡り、男娼である恋人の

Yves

と生活している。

Yves

は、彼の

もとにやってくる男性たちに対し「その欲求は肉体的な色彩に塗りつぶされているとも見えかねる。彼 らは男に惹かれているとはいえないのだ。彼らは積極的に愛を挑むのではない。彼らは受け身なのだ、

働きかけられるほうである。彼らが欲求するのは、この受け身の愛、禁断の快楽の贈物にほかならず、

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足下に跪拝されることこそ彼らの望みらしく思える」と述べる(『もう一つの国』201)。ここでは、同 性愛の関係において、男性の受け身の姿勢が語られている。これは、男性は能動的であり女性は受動的 であるという、ステレオタイプに反するものである。それにもかかわらず男性たちが、女性的である受 け身の姿を求めているということは、能動的とされる男性たちの姿は無理をして作られているといえる のではないだろうか。女性は伝統的に劣ったものとして定義されてきたため、男性が女性化することは、

女性が男性化することよりも受け入れがたく感じられがちである。一見女性より優位に見える男性も、

その男性らしさを保つことに疲れを感じており、同性愛が、男性を解放する積極的なものとして捉えら れていると考える。

Rufus

は黒人としての弱い立場を、意識せざるを得ない。であるからこそ、男性であることの意識は

彼を強くさせ、プライドに繋がっていく。しかしその男性性とは彼の中に元から存在していたものでは ない。Rufusは暴力と同性愛の拒否を手段として使い、意識的に男性らしさを作り上げているのだ。

Baldwin

はこの作品を通し、社会の定める規範に合わせるのではなく、自らの定義づけを求めている

のではないだろうか。人種や性的指向にとらわれることなく人を愛する人物として描かれている

Erick

は、こう語っている。

「彼は善悪の基準というものを、自分で作るしかなかった。世間一般に通用している物事の定義なんて、

杓子定規なたわごとにすぎず、そんなものを認めるわけにはいかない彼にとっては、規制の基準などあ ろうはずがなかった。…つまり、彼は自分で基準を作り、自分で定義をくだしながら生きてゆかねばな らないということだ。自分がどんな人間であるか、それを彼は自分で発見しなければならないのだ。」(『も う一つの国』202)

ここでは自分で自分を定義する必要性が語られている。人種や同性愛の偏見を持たない

Erick

は、

Rufus

と反対であるといえる。作品の中で、

Rufus

は自殺をしてしまうが、

Erick

の言葉にある通り、彼

が黒人としての生き方や、男性としての生き方を自ら定義出来たのなら、彼の人生はもっと生きやすい ものだったのではないだろうか。

社会の規範というものは、はっきりした形をとっていないにも関わらず、人々の間に浸透しており、

大きな影響力を持っている。自分が社会から求められる姿にぴったり当てはまるのならば、周囲からの 肯定を簡単に得ることが出来、それは安心感につながる。しかし無理やり自分を社会的な理想像に合わ せる行為は、その人本来の姿を歪めてしまい、結果的に自身を苦しめることになってしまう。この作品 のタイトルである「もう一つの国」には、作者の願いが込められていると考える。登場人物たちが生き る、規範にがんじがらめの世界から、自分らしさを持つことができる社会への変化の願いである。作者

Baldwin

は、この作品を通して人々に対し、性別や人種や性的指向などあらゆる規範から解放されるこ

とを求めているのではないだろうか。

*肩書きは発表当時のものです。

[引用文献]

ジェームズ・ギリガン著、佐藤和夫訳、『男が暴力をふるうのはなぜか』大月書店、2011。

ジェームズ・ボールドウィン著、野崎孝訳、『もう一つの国』綜合社、1980。

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