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飲食事業の経営管理技術の嚆矢とその継承

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飲食事業の経営管理技術の嚆矢とその継承

1.はじめに

McDonald は 1939 年 に ロ サ ン ゼ ル ス 郊 外 でリチャードとモーリスのマクドナルド兄弟

(Richard and Maurice McDonald) に よ り 誕 生。後にレイ・クロック(Ray Kroc)が買い 取り,1953 年にマクドナルド・コーポレーショ ン(McDonald’s Corporation)を設立し,全国 に店舗展開し,約 33,000 店舗を展開する世界 最大のレストラン・チェーンとなった。

ドラッカーは著書(1985)『イノベーション と企業家精神』でローテク企業としてマクドナ ルドを取り上げ「マクドナルドでは,それまで は当たりはずれも運まかせのパパママ・ストア 的な事業に初めて経営管理を適用したのであ る。マクドナルドでは,まず最終製品を規定 し,これに合わせて生産工程を組み直した。ハ ンバーガーの価値においては,品質,サービス の早さ,清潔さ,親しみやすさ,の基準を定め,

従業員を訓練し,給与システムさえ,この基準 に照らして定めた。経営管理技術は単なる発明 よりも重要である。」1)としている。

この分析は,マクドナルドが単なる個人事業 としての飲食店から,経営管理を駆使した株式 会社という大規模組織への発展を示している。

その発展の要因は,マクドナルドを含む飲食事 業の数量的な成長ではなく,飲食事業以外から 生産管理を含む経営管理技術の移転という質的

な発展,すなわちイノベーションにある。

一般に,マクドナルド兄弟やレイ・クロック がファスト・フードを誕生させたように捉えら れている。しかし,現在のような業態に発展し たのは,マクドナルドによるオリジナルな経営 管理技術ではなく,他業種で成功した経営ノウ ハウを模倣し,これを飲食事業に応用するとい う既存技術の新たな組み替え(新結合)の結果 である。この仮説を証明するために,本論文で は,マクドナルドの経営管理技術であるチェー ン展開や商品及び生産工程の標準化が,すでに 米国の先行外食企業の中で定着していたことを 資料や文献による経営史的研究により指摘す る。

これまで日本ではマクドナルド誕生前の米国 外食産業に関する歴史研究がなされていなかっ た。本研究では,米国の文献を中心に,植民地 時代の米国移民からマクドナルド誕生までの外 食産業誕生の歴史を調査した。その結果,マク ドナルド創業より 80 年ほど以前の 1876 年にす でに鉄道駅沿いに展開していた,チェーン・

レストランのフレッド・ハーベー社(Harvey  House)と言う企業の存在にたどり着いた。同 社はレストランのチェーン展開を完成させてお り,レシピーの標準化,セントラルキッチンに よる品質均一化,店舗監査の標準化,従業員へ の教育の均一化などを実施していた。この事 実は,後にマクドナルドが唱えた QSC という,

飲食事業の経営管理技術の嚆矢とその継承

― 1800 年代後期の米国初のレストラン・チェーンの経営史研究―

劉   暁 頴

The dawn and succession of managerial skill in the food-service industry:

A study on the business history of the first US restaurant chain in the latter half of 1800s LIU, Xiaoying

〔レフリー論文 原 著〕

(2)

品質,サービス,清潔さ(Cleanliness)と言う 経営管理技術を確立していたことを示してい る。

同社は,レストラン・チェーンの展開のみな らず,ホテルのチェーン展開,小売業(駅ビ ル・ショッピングモール,書店)のチェーン展 開も行っており,チェーン展開の経営要素を抽 出して,外食・ホテル・小売業態のチェーン展 開を初めて行った企業でもある。

本論文は,マクドナルド社の経営を解明する ための一つの歴史研究である。マクドナルドが 独自に開発した経営手法と同業他社や異業種か ら技術移転され,新たな経営として結合された 経営手法を峻別し,今日のマクドナルドの成功 を歴史的なデータより解明するための第一段階 として位置づけられる。しかしながら,本論文 で焦点を当てるのは,すでにマクドナルド創業 時には米国の知的財産として形成されていたフ レッド・ハーベー社の経営管理技術を確認する ことにとどめる。

2.米国における外食と鉄道事業との関係 2.1 移民と鉄道事業

米国における外食(食の外部化)は 1620 年 から急増する英国やドイツからの移民と,彼ら が旅をする際の食事の必要性から誕生した2) 当初は東海岸のニューヨークやボストンなどの 移民が上陸する港町が中心であったが,1700 年代には経済の発展と共に道路網が整備されは じめ,旅行者のための宿泊施設(食事も提供す る)が登場する。各都市の拡張に伴い労働者の 都市への流入がはじまり,彼らの宿泊する下宿

(ボーディングハウス Boardinghouse)が増加 していった。ボーディングハウスには宿泊施設 だけでなく,レストランも備えていた3)

移民たちはヨーロッパから近い東海岸の港町 に移住したが,やがて,鉱物資源や農作物の豊 かな西部に目を向け移動を開始した。1850 年 代には移民は東部地区からロッキーマウンテン を越えて西部,オレゴン州やカリフォルニア州

に徒歩や馬車で移住をはじめていた。その移住 に伴ってレストランの必要性も高まり食事を提 供するカントリー・イン(Country Inn)が誕 生した4)

米国経済を発展させるためには,分業経済を 効率的に機能させる必要がある。それは,地域 間の取引コストを最小にする交通網の整備であ る。しかし,広大な米国大陸にとって移動コス トは致命的な問題であった。当初は東部から西 部への移動手段は馬車しかなく,相当の移動日 数が必要であった。要所に宿と食事を提供する 施設が必要であり,外食という習慣は一般的な ものとなっていく。しかし,移動に時間がかか ることは市場経済の欠点であることに変わりが ない。経済発展には交通網の整備が不可欠なの である。

1869 年になると短時間で大量の輸送をでき るように大陸横断鉄道の建設がはじまるが,当 時の鉄道列車の旅は快適という表現を使えるよ うな状況にはなかった。速度は遅いし,騒音や 揺れなど列車の環境は最悪であった。寒い冬に は客車内の石炭ストーブによる暖房で列車内の 空気は汚れていた。また,長距離の旅行に必要 な寝台列車も快適とは程遠いものであった。そ うした中で,旅人の食事は,自らが準備し,持 ち込まざるを得なかった。当時の蒸気機関車は 蒸気を発生するために必要な水と石炭を 100 マ イル(160km)ごとに補給する必要があり,そ の際に旅人は短時間で栄養補給という必要最低 限の食事を済ませなければならなかった5)

この不快で不便な状況こそビジネスの源泉で あった。そもそも,すべてのビジネスは,豊か で快適な生活をするための手段であり,そのた めの生産物やサービスを提供することである。

列車の技術的な問題を解決するのに一定の時間 を要するとすれば,この期間は代替的なサービ スにより不快な部分を削減することでビジネス になる。鉄道とレストランの関係性が生まれる 原因が存在していたのである。

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2.2  大陸横断鉄道会社の建設とチェーン・ 

レストランの誕生

1800 年代中頃に複数の大陸横断鉄道会社が 開業するが,そのひとつにアチソン・トピカ

&サンタフェ鉄道(Atchison, Topeka & Santa  Fe 鉄道,以後サンタフェ鉄道と省略)がある。

サンタフェ鉄道は大変な苦労をして大陸横断鉄 道を敷設したが,新興の鉄道会社として競合に 差別化をするため顧客サービスが必要だという ことを認識していた。

同じ時期に,列車旅行の食事のひどさに注目 していたのがイギリス移民のフレッド・ハー ベー(Fred Harvey)であった。移民後,ニュー ヨークのレストランで働き,セントルイスでレ ストランを共同経営した経験のあるフレッドは やがて鉄道会社の切符販売の仕事に従事するよ うになり,優秀な営業マンの実績を残し,他の 鉄道会社沿線で 3 つのレストランを共同経営す るようになっていった。フレッドは鉄道沿線上 のレストランのチェーン展開を望んだが,鉄道 会社は積極的ではなかった6)

しかし,フレッドのレストラン経営の能力に 注目した新興のサンタフェ鉄道は,駅レストラ ンの運営をフレッドに任せることにして,レス トランの内外装を鉄道会社が費用負担し,無料 でフレッドに貸すことにした。フレッドは食器 類や調理施設,従業員の調達訓練を担当し鉄道 沿いの駅に初めてのチェーンレストランである ハーベー・ハウスを開店した。

1887 年にはサンタフェ鉄道の 12,000 マイル の沿線上,100 マイル毎にニューヨークやシカ ゴのホテルやレストランと同じレベルの品質の 高いハーベー・ハウス店舗を展開し,最盛期に は 100 店舗近いチェーン・レストランを運営し ていた。これが外食のチェーン経営の萌芽であ る。

2.3 リスクを負わない経営手法 経営受託方式 フレッドは,共同経営していたカンサス・パ シフィック鉄道(Kansas Pacific Railway)沿

いの 3 箇所のレストランが軌道に乗りはじめ ると,レストラン経営の拡大を目論んで鉄道 チケット販売を手掛けていたシカゴ・バーリ ントン&クインシー(Chicago, Burlington & 

Quincy)鉄道にレストランの提案をした。し かし,同社はレストラン経営に関心を示さず,

新興の小鉄道会社であったサンタフェ鉄道との 提携を推奨される。

サンタフェ鉄道駅内レストランのプロジェク トは,フレッドが過去に関与したレストランの 中で最小規模の 20 席の軽食堂(Lunchroom)

であった。しかし,この軽食堂の受託運営で,

フレッドの経営能力が発揮される。ランニング コストの面においては,賃料から水道光熱費,

食材や従業員の輸送費をサンタフェ鉄道が負担 し,オーブンやレンジ,洗浄槽,氷貯蔵庫など の調理機器も鉄道の投資負担とした。フレッド の負担は,ランニングコストでは食材コストと 人件費,投資面ではテーブルや椅子などの家 具,テーブルクロス,ナプキンなどのリネン類,

皿やナイフフォークなどの食器類を負担する。

ビジネスは,こうした取引に関する契約関係で 成立するものであり,契約関係がビジネスの成 否を決定する。レストラン経営のノウハウを持 つフレッドにとって,この契約条件で利益を出 すのは容易であった7)

加えて,フレッドの経営にとって好都合で あったのは,サンタフェ鉄道自身の成長戦略に あった。小規模な駅の軽食堂を運営していた 2 年間のうちに,サンタフェ鉄道は拡張戦略をと り,大陸間横断鉄道の最大手になるべく鉄道網 計画を策定し,建設をはじめていた。この鉄道 線路沿いのレストランやホテルはフレッド・

ハーベー社が受け持つことになり 100 店舗を超 えるチェーン・レストランとなったのである。

鉄道事業の拡張がフレッドのチェーン・レスト ランを育成したわけであるが,逆に,チェー ン・レストランが鉄道事業を成功させていた可 能性も否定できない。快適な旅がなければ鉄道 の旅客は増えなかったかもしれないのである。

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鉄道とレストランが共生関係にあり,両者は Win-Win の関係を構築していた。

3. フレッド・ハーベーの生活信条と  経営管理の源

3.1 生活信条とビジネス

フレッドは典型的な英国紳士だった8)。とり わけ,食事の時間や内容は,英国の文化を体現 するものであり,英国紳士の生活信条であり,

この文化の米国への輸出はビジネスであった。

そもそも,衣食住の様々な文化が,商品やサー ビスを生み出している。文化が交流すれば,新 たな商品やサービスが誕生する。不規則で不快 な環境での食事に疑問を持たなかった鉄道旅行 者に,英国の食文化を導入しようとしたのであ る。

フレッドは,ビジネスで利用するペンシルバ ニア鉄道沿いの有名なホテル・レストランを観 察し,記事や写真,メニューの情報を収集して いた。また,夕食時には 60 種類の豪華な料理 をそろえ,ワインやダンスも楽しめる快適な環 境が提供されていた汽船内の豪華なレストラン も経験していた9)。海上交通と陸上交通の相違 はあるが,同じ交通手段であり,人間が移動す る手段であることに変わりがない。彼のこうし た経験が,鉄道旅行者への飲食サービス事業に 展開するのである。それは,フレッドの生活信 条の米国への移転でもある10)

3.2  フレッド・ハーベーのサービス(Service)

当時の西部の治安は最悪であった11)。無銭 飲食や強盗の被害も頻繁にあったが,とりわ け,人種問題が深刻で,顧客と従業員の対立も 日常茶飯事であった。フレッドは,郵便局員の トム・ゲイブル(Tom Gable)をスカウトし,

ウエイトレスに都会の若い女性を採用すること で,従業員や顧客間のトラブルが減るという彼 の提案を採用した。優秀な女性従業員を採用す るために,高給を支払うだけでなく教育と待遇 にも留意した。労働期間は契約で半年と定め,

半年後には休暇も与えた。

教育面ではサンタフェ鉄道や軍隊のように基 準や規則を明確に定め,文書化し,トレーニン グの方法も軍隊を見習い厳しい集中トレーニン グを行った。そのトレーニング期間中に不適任 と判断されると退職させた。現地ではレストラ ンの横に寮を用意し,寮母が厳しく監督をし た。勤務経験が従業員の質の向上に結び付いて いるという自覚を促す意味で,特別製のブロー チを用意し制服に着用させ,従業員のやる気と モラルアップを図っている。

ルールや規則の作成に当たってはフレッドが 基本的に構築し,その具体的な内容やトレーニ ング方法を作成させた12)。企業内教育訓練に よる人材育成手法のマニュアルである。

この女性従業員大量採用は,米国で初めて女 性にビジネスのチャンスを与えたと高く評価さ れ,ハーベー・ガール(Harvey Girl)と呼ば れ憧れの仕事となった。社会的に認知された憧 れの仕事を創り出すことは,職場に誇りを持 ち,サービスの品質を向上させることにつなが る。人材の募集コストや人件費の抑制にもつな がることであるが,こうした社会環境を特定の 一企業により醸成するのは難しい。

ハーベー・ガールの規則やサービスのマニュ アル化によりフレッドのレストランの評価は一 段と高くなり,それを見たサンタフェ鉄道はよ り多くの駅レストランの開業をフレッドに依頼 するようになった。

3.3 フレッド・ハーベー社の品質(Quality)

フレッド・ハーベー社が 100 店舗を超える チェーンになったのは優れた経営管理方式によ る。当時,西部のレストランや小売店で提供す る食品の品質は悪く,フレッドは厳格な経営管 理により高品質の料理を提供するようにした。

その基本は人材の確保ではじまる。シカゴの高 級ホテルのパーマー・ハウス(Palmer House)

の有名シェフであったフィリップス(William  H. Phillips)を総料理長として高給でスカウト

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し,美味しく,衛生的で効率的な料理の基準を 西部一帯に確立する13)。総調理長が基準とな るレシピーを決めた後は,各店舗の調理人にレ シピーを順守させた14)。しかも,各店で提供 する料理のメニューは 4 日毎に変更し,旅行者 が途中のハーベー・ハウスを何回利用しても,

同じコース料理や特別料理を食べることがない ように工夫した。

フレッドは厳しい基準を定める一方,中央集 権的で各店舗の創造性や向上心を抑圧せず,各 店の料理人やマネージャーには創造的な起業家 精神を要請した。各店舗で良い食材が見つかれ ば,自らの店舗で使用するだけでなく,情報交 換を行い他店舗も使用できるように心がけた。

食材に関する情報は会議に提案され,全員でそ の品質と価格を確認し,採否が決定された。こ うした起業家精神と経営管理を併存させる経営 は,現代の経営課題にもなっている。

また,食材の安定的供給と品質の確保のた めの投資を行い,農園や農場を自社で運営し たが,各レストランに新鮮な牛肉を十分提供 することはできなかった。良い牛肉を安定して 入手するため,当時,最も歴史があり,品質の 良い食肉加工業者であったスレイヴェンズ&オ ブエン(Slavens & Obuen)社と大量供給契約 を結んでいる。この契約により新鮮な牛肉をい つでもレストランで調理することが可能になっ 15)。自社生産に固執することなく,必要に 応じて外注化を計画するところは組織と市場の 取引コストを意識した経営である。

品質の統一の面ではカミサリー(食材の集中 加工センター)を本部管理の元に設置し,本部 が造ったメニューとレシピーに基づき,各店舗 に鉄道列車を使い配送した16)

3.4 衛生管理

フレッドは衛生管理の悪い時代に数々の犠牲 を払ってきた。腸チフスに感染して後遺症に悩 み,次男の出産後には妻を亡くし,しょう紅 熱(Scarlet fever)が蔓延した時には 2 人の子

供を亡くしている。その後も,息子が消化器系 の病気で命を落としそうになった。これらの経 験がフレッド・ハーベー社の経営するレストラ ンでクレンリネスを重視する源泉となってい 17)

欧州のレストランを模して,衛生的な環境を 整備する。衛生環境の整備はサービスとも通じ ている。当時の米国には良いリネンやテーブル クロス,食器類がなかったので,フレッドは定 期的に英国やフランスに渡り,最高品質のテー ブルクロスや食器類を買い求め,ヨーロッパの 高級レストランと同じ雰囲気の内装を実現し た。フレッドは,客の入店前に入念にチェック し,従業員に対して,食事を提供する際の環境 意識を徹底した。

サービスを担当するハーベー・ガールも清潔 な髪型や綺麗なユニフォームを要求された。し かも,ヨーロッパの高級レストランという文化 の輸入を意識したことで,顧客にもジャケット とネクタイの着用を要求した。それは,食文化 を通じた礼儀作法の教育でもあった。食事の環 境を整えることは,食事を提供するサービスの 基本である。服装差別を主張する訴訟を起こさ れたが,フレッド・ハーベー社の正統性は裁判 で認められることになった18)

銀食器には全てフレッド・ハーベーの名前を 刻み,仕事がない時に丁寧に磨き上げさせた。

また,コーヒーはハーベー・ハウスの一番の特 徴であるが,保温する銅製のコーヒー・アーン はシンボリックに磨き上げられ,清潔さを際立 たせた19)

ホテルのサービスを研究したフレッドは,列 車の到着前にスタッフを待機させ,乗客が下車 しはじめると鐘を鳴らしレストランの準備が 整っていることを乗客に告知した。ウエイトレ スは鐘の音とともにコース料理のサービスを開 始し,休憩時間 30 分の間に料理を提供するよ う時間管理を徹底した20)。厳しい品質・サー ビス・清潔さを定めるだけでなく,オペレー ションも管理し,これを実際の店舗運営で厳守

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させるために,抜き打ち訪問するなどの監査を して,確実に実行させていた。

4.フレッド・ハーベー社の経営 4.1 経営管理の組織化と優秀な人材のスカウト

フレッドは経営を組織化している。組織化と は,目的を達成するために権限を委譲し,責任 を持つ人材を持つことでもある。総料理長のス カウトの後,1881 年には銀行員のベンジャミ ン(David Benjamin)をスカウトしたことで,

料理部門の管理と,財務・会計部門の管理を組 織化したことになる21)

また,人事に関しても,有能なゲイブルをス カウトし,ハーベー・ガールズのアイディアを 出させている。優秀な人材を活用することが経 営の要諦であり,人を生かす経営をしていたこ とになる。企業が成長し,組織化するというこ とは,独断的な意思決定から分業による意思決 定へ変わることを示している。

意思決定の分業化は,独断的な専制的経営を 排除するために必要である。フレッドの経営 は,一般的な創業者の例に見られるようにワン マン経営として捉えられている。創業者は,自 らが築き上げた経営であるだけに,その詳細を 理解しており,その結果として,経営意思決定 に自信が持てる。経営全体を理解できていない 各部門の人材に比べると,全経営を俯瞰するこ とができる。その結果,ワンマン経営と評価さ れることが多い。もちろん,過去の成功体験に 基づく独断的な経営判断が行われる弊害も生じ る。

しかし,フレッドは,外形的なワンマン経 営とは異なり,自らに不足している能力を評 価し,外部からスカウトすることで分権的な 意思決定をしている。当時は,経営に関する専 門的教育を受ける機関が少なかった。全米初の ビジネススクールが設立されたのが,ウォート ン(Wharton School)の 1881 年であり,ハー バード・ビジネススクール(Harvard Business  School)は 1908 年である。したがって,経営

に関する専門知識を持つものを探すのは,個人 的なネットワーク以外になく,多くの経営者が 独断的経営判断をしていたことになる。

それでも,フレッドは自分以外の人材の必要 性を認識しており,この考えは,後継者の育成 についても引き継がれている。すなわち,フ レッドの息子フォード(Ford)を後継者とし て育てる場合でも,その経営教育はフレッド自 身による英才教育に加え,銀行よりスカウトし たベンジャミンに経営実務教育を委ね,精神的 な側面ではフレッドの友人に託している。こう した複数の視点から教育を受けることは,独断 に陥ることなく経営判断をするために重要な意 味を持つ22)

4.2 後継者のフォード・ハーベーの組織的経営 フレッドが 1901 年 2 月 9 日23)に亡くなると,

遺産相続を実行するフォードとその後見人で あるベンジャミンは相続を 3 年間延期した。当 時,息子が経営に参画すると,企業名を Fred  Harvey から Fred Harvey & Son にするのが通 常であった。しかし,競合企業との関係や取引 業者との関係などを考慮して,社名を変更せ ず,フレッドが引き続き陣頭指揮をしているよ うに装った24)。成功している企業の経営者交 代は,多くの場合マイナスの企業評価になり,

予期せぬ問題を惹起させる可能性があるためで ある。この意思決定は,推測であるが生前のフ レッドの教えであろう。大規模組織となった企 業経営が容易でないことはフレッド自身が認識 していたと考えられる。

フォードの経営手法は,フレッドのようなワ ンマン経営的外観を取らなかった。フォード は,部下から情報を収集し,部下に権限を委譲 する集団経営管理方式を取り入れた。自ら採用 して教育した信頼のできる人材を各店舗の経営 管理に当たらせ,本社で毎日定期的な会議を開 き,フォードとベンジャミンとともにあらゆる 問題をディスカッションし,幅広く情報を共有 させてから仕事に従事させていた。数セントの

(7)

食材コストの増減が,年間数百万食を提供する 同社にとっては巨額なコストの変動要因となる からである。この頃には社員の総数は 7,000 人 を超えるようになっており,フォードは社員へ の手紙やニュースレター,スピーチなどにより 柔軟な行動指針を示すようにした25)

この指針は,フレッドから引き継いだものと フォード自身が経験し,考えたことが含まれて いる。フレッドと異なるのは,会社がすでに大 きく成長し,有能な人材が社内に存在していた ということである。それゆえ,社内の人材を登 用し,各人のモチベーションを高める経営が行 えた。

4.3 フレッド・ハーベー社の終焉

1928 年から 29 年の間にインフルエンザが流 行し米国人の 10 万人以上が亡くなり,フォー ドも罹患してから数日後に 62 歳という若さで この世を去る。フォードの長男フレッドが株式 99%を相続し,ベンジャミンたちがサポートを することになったが,1936 年に飛行機事故で 亡くなり,フォードの弟バイロン(Byron)が 会社を継承した26)

当時は,自動車や航空機の普及により列車が 交通手段の主役の座を降りる時代である。バイ ロンは,不採算のレストランやホテルを廃止 し,サンタフェ鉄道に売却を余儀なくされた。

経営者として能力があれば,環境変化に応じて 鉄道から道路や空港,あるいは,その他の方策 を検討すべきであった。それでも,バイロン が亡くなる 1954 年にサンタフェ鉄道よりグラ ンドキャニオンの高級ホテルを 2 ミリオンドル

(現在価値で 16 ミリオンドル)で買い取り,こ のホテルの運営でフレッド・ハーベー社の延命 が可能になる。

1966 年時点でフレッド・ハーベー社が運営 していたのはグランドキャニオンのホテルの 他に 3 軒のリゾートホテル,10 軒弱のユニオ ンステーション(駅ビルのショッピングセン ター),給食施設にすぎなかった。その資産を

元に株式公開を行い,2.9 ミリオンドル(現在 価値で 19.2 ミリオンドル)を調達した。しか し,その 2 年後にはハーベー家族はすべての株 をハワイの Amfac という企業に売却してしま い,名実ともにフレッド・ハーベー社は消え去 る。そして,92 年間のサンタフェ鉄道との関 係も消滅してしまった27)

企業経営の承継は非常に難しい問題であり,

企業を継続する最も重要な経営問題である。創 業者のフレッドが,後継者育成のために行った 経営教育が,3 代目にはつながらなかった。人 材育成が,経営の重要な問題であり,飲食ビジ ネスにおいても共通課題であることが認識でき る。

5.おわりに

本論文では,マクドナルドの経営管理技術の 源泉を探るために,1800 年代後期のフレッド・

ハーベー社を考察した。同社は鉄道沿いに店舗 展開し,米国のレストラン経営の基礎を築いて いく。ハーベー・ガールズが映画に取り上げら れたり,ディズニーランド館内のレストランが 類似したつくりになるなど,当時の米国のレス トラン経営に多大な影響を与えていたと推測し うる。

フレッド・ハーベー社からマクドナルドの創 業までに長い時間を経過しており,両者の間に は直接の関係がないように思われる。しかし,

米国におけるハーベー社の成功が,飲食事業に おける経営ノウハウとして米国社会の無形資産 となっており,時間を跨いで,この資産を再認 識し,これを有効に活用した点にマクドナル ドの成功要因があると考えるべきであろう28) マクドナルドは,QSC の標準化と経営の標準 化,フランチャイズシステムによる店舗展開と いったハーベー・ハウスの経営を模倣し,自ら の経営管理技術として昇華していったと考える ことが可能であろう。

しかし,マクドナルドとハーベー社には大き な相違がある。ハーベー社は事業承継に失敗

(8)

し,現在は存続していないのに対し,マクドナ ルドは今日なお成長を続けている点である。事 業の承継は,経営管理と人材育成プログラムの 承継であり,無形資産として蓄積されるもので ある。ハーベー社が家族の人的な関係で経営さ れる会社であったのに対し,マクドナルドは株 式会社化により所有と経営を分離させ,専門経 営者が経営の任に就き,事業を成長させてき た。株式会社という制度は,これを期待し継続 企業のために設計された制度である。飲食事業 の多くは,中小零細企業である。所有と経営が 分離せず,専門経営者による経営管理技術を駆 使する企業は少ない。現在の飲食事業の中で,

株式上場を果たし,継続企業として成功した代 表例はマクドナルドである。ハーベー社から承 継した経営管理技術は,家族経営から専門経営 者に引き継がれ,今日のマクドナルドの中に生 きていると考えられる。

1) ピーター・ドラッカー邦訳(1985),pp.255-270 参照。

2) Cf., Mariani (1991), pp.15-21.

3) Cf., Pillsbury (1990), pp.13-22.

4) Cf., Mariani (1991), pp.35-41.

5) Cf., ibid., pp.42-43. 

6) Cf., Fried (2010), pp.24-49.

7) この有利な契約はフレッドとモースのお互いの 信頼だけで成立し,書面による契約は行わな かった。Cf., ibid., pp.54-65.

8) 一日の食事は規則正しい英国風で時間を決めて いた。朝食はトーストと紅茶という軽めの食事。

ランチ(主食)。午後 4 時にはレモンを添えた ロー・ティー(Low Tea アフタヌーンティーと も呼ばれサンドイッチ,スコーン,ケーキなど と一緒に紅茶を飲む)。午後 7 時には肉類を添え たハイ・ティー(High Tea 夕食にあたるもの で,肉類などの料理を食べる)であった。当時 は英国軍人や,米国籍を取得した英国出身者が 多く,フレッドの友人の多くも英国出身者であ り,フレッドのビジネスでの成功と規則正しい 生活態度は尊敬の的であった。フレッドはその 英国出身者たちを家に招いて,トランプ,音楽 鑑賞,詩や小説の朗読,特にシェークスピアの 朗読,ワイン,等で接待していた。しかし,午

後 11 時になると立ち上がり,「私は失礼して就 寝しますが,皆さんまだゆっくり楽しんでくだ さい。」といって休むのが習慣であった。その 後のもてなしは夫人のサリーが受け持った。フ レッドはチケットや新聞広告などの販売で鉄道 を使って各地を歩いていたが,列車内などで時 間があるときには,本や新聞をよく読みビジネ ス知識を蓄え,次のビジネスチャンスを探して いた。

9) Cf., ibid., pp.42-43.

10) 彼の生活信条は,以下に掲げる「Maxims for  Business Men(成功するビジネスマンの心得)」

というビジネスマンの心得である。

  (1) お金の取引の際には必ず領収書をもらい,

発行した領収書のコピーを保存する。

  (2) 訪問してビジネスの取引をする際には短い 時間に端的に用件を話し,決して長居をし てはいけない。時間を無駄に使わない。

  (3) 法律とは依頼人を守るのではなく,弁護士 を儲けさせるものだ。

  (4)注意深さは安全をもたらす。

  (5)お金の授受には細心の注意が必要だ。

  (6) 1 ドルのお金の価値を知りたければ,借り てみることだ。

  (7)努力をしなければ成功はありえない。

  (8) 失敗したことを悔やんで無駄な時間を使わ ない。

  (9) 無駄なく仕事をして,細かいお金にも注意 をする。大きな船も小さな穴ひとつで沈ん でしまうからだ。

  (10) チャンスを注意深く待ち受けることが大成 功につながる。

  (11) ローマは一日にして成らず。大事業は簡単 に出来上がったのではない。

  (12)友達には親切にして,敵には何もするな。

  (13)従業員と恋愛関係になるな。

  (14) くだらない話をしている人の前では沈黙を 守ること。

  (15) くだらない話をしている人には,話を続け させ後で困るようにする。

  (16) ヨーロッパの大富豪,ロスチャイルド家の 成功の源は以下の 3 つだ

     不運な人とは付き合わない。

      細心の注意を払いながら,大胆に行動する。

      取引は 1 回終わってから,次の取引をする。

Cf., ibid., pp.36-37.

11) 時代背景としては,ビリー・ザ・キッド(Billy  the Kid)事件やワイアット・アープとドック・

ホリデーの「OK 牧場の決闘」のような無法地 帯の時代である。

(9)

12) 以下レストランのノウハウであり,マニュアル がどのように確立していたかが詳細に書かれて いる。

  ハーベー・ガールの規則,ルール,マニュアル   (1)従業員接客規則

  1.顧客の要望に誠実に応えなさい。

  2.客に毎日会う人のように親しく接しなさい。

  3. ニコニコした明るい態度で男性の客に接し,

気楽にさせて家にいるように寛げるように しなさい。

  4. 旅には美味しい食事が必要不可欠だと思い なさい。

  5. 料理に関する食材の知識,何処で取れたも のか,季節性,供給業者,収穫量などを知っ ていなさい。

  6.人間味がある自分を確立しなさい。

  7. 礼儀正しさと笑顔で顧客に接すれば,顧客 はそれに報いてくれるのです。

  8. 顧客に差別のない真のサービスを提供しな さい。

  9. 良さを保つだけでなく,新しい良さを作り なさい。絶対に壊さないこと。

  10. 顧客に接する技術は財産であり,正直さは 美徳である。

  (2) ハーベー・ガールの従業員寄宿舎に張り出 した宿舎のルール

   女性を乱暴な西部の従業員寄宿舎で預かるた め,その安全や躾には以下のルールを定めるよ うにした。

  1. 従業員は自分の部屋の内装や壁に釘や鋲を 打ち付けて傷をつけてはならない。

  2.ゴミ等をトイレに捨ててはいけない。

  3. 風呂桶は使用後きれいに清掃しなければな らない。

  4. 部屋やホールで大気な声や笑い声を出して はいけない。

  5. 寮管理人の許可がない限り,門限は 11 時で,

それまでに各自の部屋に戻らなくてはなら ない。

  6. 各自の部屋は整理整頓して清潔に保ち,制 服は所定の場所に保管すること。

  7. すべての従業員の服装は何時でも清潔でき ちんとしていなければならない。

  8.床に決して唾や痰を吐いてはいけない。

  上記のルールの目的は,各自との協力により寮 を家のように快適な環境を保つもので,各自の ためになるものである。

  サービスのマニュアル

   フレッドは食材の提供方法だけではなく,料 理のサービス・マニュアルも明確に定めた。飲

み物の注文を受け付けるハーベー・ガールは注 文のメモを取らずに,各顧客の前においてある カップと皿の向きを変えることで,次に飲み物 を持ってくるハーベー・ガールがその客にコー ヒー,ミルク,紅茶,のどれを注げばよいかわ かるようにするカップ・コード(cup code)と 言うマニュアルを定めた。これらの厳しい秒単 位のサービス基準を定めたのは,列車の食事休 憩時間が 30 分しか取れなかったためである。

Cf., ibid., pp.85-94.

13) Cf., ibid., pp.58-60.

14) 1880 年のコース料理はリーズナブルな価格の 75 セントで,内容は,生ガキ,ウミガメ,ロース トビーフ,オリーブ,チーズ,ペイストリー,

アイスクリーム,ケーキ,から選択する。朝食 は,ステーキ,卵,ハッシュブラウン,ホット ケーキ,アップルパイ,コーヒーで 25 セントで あった。Cf., Mariani (1991), pp.42-43.

15) 1879 年夏にレイキンに牧場を開業し,ブランド を XY として 1 万頭の牛を飼育した。牧場の権 利の 1/4 を 4,000 ドル(現在価値で 89,000 ドル)

で購入し,残りを後で全額購入できるオプショ ン契約を締結した。1897 年 10 月に XY 牧場を 拡大し 4,000 マイル四方にした。牧場には 200 名のカウボーイが働いていた。Cf., Fried (2010),  pp.64-65.

  1900 年初頭のフレッド・ハーベー社は年間数 百 万 食 を 提 供 し て い た。 卵 6,480,000 個, バ ター 300,000 ポンド,砂糖 1,000,000 ポンド,牛 肉 2,000,000 ポンド,鳥 600,000 ポンド,ハムは 500,000 ポンド,ベーコン 100,000 ポンド,ラー ド 150,000 ポンド,七面鳥 100,000 ポンド,アヒ ル 60,000 ポンド,小麦粉 3,000,000 ポンド,ポテ ト 2,800,000 ポンド,コーヒー 300,000 ポンド,

を年間に使用していた。Cf., ibid., p.195.

16) 品質管理のマニュアルは以下のような具体的な 指示になる。

  (1) パ ン は 各 店 舗 で 焼 き 上 げ,1/8 イ ン チ

(9.5mm)の厚さにスライスする。

  (2) コーヒーで使用する水は定期的にアルカリ 度をチェックし,高すぎるようであれば,

最適な場所から列車で店舗に運んでコー ヒーを抽出する。

  (3) オレンジジュースは,顧客の注文後,手で 絞って新鮮な物を提供する。冷蔵庫などに 絞ったジュースを保管しているのが発覚す れば,担当者は解雇する。

  (4) 新鮮な食材はサンタフェ鉄道の冷蔵車に よって各店舗に配送されるが,冷蔵車は各 店舗のシェフしか開けられないように鍵を

(10)

掛けることで,食材の品質保持を徹底す る。

  (5) コーヒーの品質を保持するため,指定業者 よりの豆を仕入,抽出後のコーヒーは 2 時 間経過したら廃棄処分し,賞味期限を厳格 に運営した。(注:現在のファミリーレス トランのコーヒーは抽出後,1 時間,また は 30 分,厳しいチェーンでは 18 分後に廃 棄処分にする。スターバックスなどのエス プレッソ系飲料は注文後,抽出するという 基準である。)Cf., Ibid., pp.93-95.

17) Cf., ibid., pp.11-36.

  Mariani (1991), p. 43.

18) Cf., Fried (2010), pp.73-75.

19) Cf., ibid., p.95.

20) Cf., ibid., pp.69-70.

21) Cf., ibid., pp.77-78.

22) 息子に対する後継者教育がフレッド単独による ものでなかったのは,彼の体調にも関係してい た。1885 年にフレッドは 50 歳を迎え,体力的 な衰えを感じるようになる。腸チフスの後遺症 と過酷な旅によるノイローゼの症状に見舞われ ていた。Cf., ibid., pp.104-149.

23) Cf., ibid., pp.158-168.

24) Cf., ibid., p.142.

25) フォードは社員の行動指針を以下のように策定 した。

  (1) 安物買いをするな。もし最高の品質の食材 を得たら,顧客は最高の料理を味わうこと ができる。

  (2) 公平な買い物は最高の商品を得ることがで きる。自分の強い立場を使って値切ること は結果的に売り手の感情を害して,悪い商 品を得ることがある。

  (3) 1 度に 1 つの課題に専念してその課題を解 決する。ビジネスにおける取引先との人間 関係を大事にして,継続するようにする。

色々な取引先と交渉するのは相手の信頼を 失う恐れがあるからだ。

  (4) 相手に信頼させるには,まず,相手を信頼 することが大事だ。

  (5) 正しい仕事をすれば利益は付いてくる。わ が社の成長は適正な利益が原動力である。

我々はいつも顧客の利益を考えて行動して いるが,時として顧客の利益に添わないと きがある。もし,適正な利益率を超えてい る場合は,誰かが利益を出すために原材料 費を削っているのであり,それは将来顧客 の不評を買い,最終的には売上を低下する こととなる。

  (6) 顧客満足度を最大限に保つよう努力を続け なさい。我々は 1 店舗の創業時から顧客満 足を最大限に保つようにしている。どんな に困難な状況におかれても,その理念を絶 対に失ってはいけない。

  (7) 「顧客満足度を最高に維持する」と言う企 業理念を常に保ってほしい。時として社長 の私が短期的な利益を考えて,取引業者に 安いランクの低い牛肉を入れてほしいと言 うことがあるかもしれない。しかし,業者 は私の依頼を無視して最高の牛肉を引き続 き納入してくれることを願う。同じことは 社員にも言える。社長が無理難題を言って もそれに従うのではなく,各社員が顧客満 足度を保つために何が必要かを考えて行動 してほしい。社長が世迷言を言ってもいつ かは元に戻るからだ。 

  (8) 経験のない従業員を採用する。社員には他 のレストランやホテルでの経験がないか,

浅い,新鮮な感覚を持った人を雇う。他の 企業で誤った教育やトレーニングを受けて いない従業員のほうが正しい仕事を教えや すいからだ。

  (9) 従業員を昇進させる。重要な仕事に昇進さ せるに当たって,外部からの人材を採用す ることはしない。常に部下の仕事振りを把 握し,優秀な人材を社内から抜擢すること により彼らのやる気を最大限に保つことが 出来るのだ。

  (10) 会社はゆっくりと確実に成長させる。そう すれば能力のある従業員が社内で育ち,出 世をすることが可能になるのだ。会社の成 長が遅すぎれば能力のある従業員は,成長 のチャンスを求めて会社を去ってしまうだ ろう。

  (11) 変わり者は大歓迎だ。クレームを言う気難 しい顧客は会社にとって大変重要だ。難し いクレームに対処するために根本的に仕事 を見直し,顧客を満足させることは,顧客 満足をさらに高められるチャンスであると して,難しい変わり者の顧客に接しなさ い。

  (12) 失敗したことで自分を責めすぎてはいけな い。Cf., ibid., pp.194-204.

26) Cf., ibid., pp.305-359.

27) 1971 年 5 月には政府が不振の鉄道会社支援のた めにすべての長距離鉄道会社を 1 社にまとめた Amtrac を設立し,サンタフェ鉄道も消え去る。

Cf., ibid., pp.396-398.

28) 米国の製造業(産業)が大量生産方式を導入す

(11)

るまでの期間は長い。米国合衆国陸軍省が,当 時緊密な関係にあったフランス軍の銃器製造方 式を取り入れ,連邦工廠を設立したのは 1974 年である。その後,シンガーミシン社(縫製機 械),マコーミック社(機械化農機具),そして ホープ社(自転車産業)などが部品の互換性を 可能にする大量生産につなげていく。こうした 技術の集大成が 1927 年のヘンリー・フォードに よるコンベアー方式(流れ作業方式)による大 量生産方式を完成させ,優れた品質の工業製品 を大量生産することになる。このフォード生産 方式を飲食産業に導入して低価格ハンバーガー の大量生産に成功したのがマクドナルドである。

フォード生産システムの完成に至るまでの期間 と同じく,マクドナルドが外食産業における量 産技術を確立するには長い期間を要した。

参考文献

Fried, S. (2010),  , Bantam Books.

Gabler, N. (2006),  , Vintage Books.(中谷 和男訳(2007)『想像の狂気 ウオルト・ディズ

ニー』ダイヤモンド社).

Hogan, D. G. (1997),  , New  York University Press.

Mariani, J. F. (1991), 

, William Mor- row and Company, Inc. New York.

Pillsbury, R. (1990), 

, Un- win Hyman, Inc.

Tennyson,  J.  (1993), 

, Hyperion  Publishers.

Thomas, B. (1976, 1994), 

, Disney Editions(玉置悦子・能登路雅 子訳(2010)『ウオルト・ディズニー 想像と冒 険の生涯』講談社).

ピーター・ドラッカー,上田惇生・佐々木実智男訳

(1985)『イノベーションと起業家精神』ダイヤ モンド社.

参照

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