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﹃故   事  部  類  抄﹄ ︵十︶   了││  曲亭叢書  ││

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(1)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ 翻刻

﹃故 事  部  類  抄﹄ ︵十︶

││

 

曲亭叢書

 

││

凡  例一 本稿は︑早稲田大学中央図書館﹁曲亭叢書﹂所収の︑曲亭馬琴自筆﹃故事部類抄﹄︵イ4 

600  51〜 55︶五巻五冊を翻刻するも のである︒一 今回は第五冊の後半︑﹁羽虫部﹂・﹁虫部﹂・﹁鱗魚部﹂・﹁介虫部﹂を翻刻した︒一 今回翻刻した   部は改装のさいの錯簡である︒一 翻刻にあたっては︑できるだけ底本通りとすることを原則にしたが︑便宜上︑以下の諸点に手を加えた︒1 漢字は︑原則として新字体を用いた︒誤字・当て字などはそのままにし︑︵ママ︶と注し補記した︒ただし︑印刷の都合上省

略したところもある︒2 踊字の﹁ヒ﹂などは︑仮名は﹁ゝ﹂︑漢字は﹁々﹂に統一した︒

   送り仮名のうち︑次の文字は以下のごとく表記した︒﹁Z﹂↓コト︑﹁X﹂↓シテ︑﹁C﹂↓トモ︑﹁子﹂↓ネ︒3 句点・読点・中黒などは︑底本には原則として施されていないが︑適宜補った︒例外的なものは﹁﹂で示した︒連続符 ﹁

−﹂は省略した︒例︑﹁如

−何﹂

↓﹁如何﹂︒

(2)

4 濁点・見セ消チなど︑明らかな誤記は訂正した︒5 本文中の二行割部は︑︿ ﹀の中に示した︒6 送り仮名とルビは︑字間を調整して区別できるように配慮したが︑印刷の都合上必ずしも厳密なものとはなっていない︒7 出典原文を省略したと思われる部分については︑数文字程度のものは訓点を含めて︵ ︶の中に適宜補い︑長文にわたる場

合は︑︹中略︺記号で示した︒8 書名︑部立ての下に補った︵ ︶部は︑翻刻者の注である︒例︑﹁︵後補表紙の書題簽︶﹂︒9 本文中の年号表記など︑明らかな誤りと思われるものは︑※を施し︑各項末尾に注した︒

10  欄外書入れ・貼紙などは︑*をもってその位置を示し︑適当と思われるところへ挿入した︒

11  ﹃日本書紀﹄に関しては︑日本古典文学大系本に依拠して異同を示した︒その他は解題にゆずる︒

曲亭叢書研究会柴 田 光 彦谷 脇 理 史雲 英 末 雄播 本 眞 一二 又    淳小 澤 笑理子鈴 木 絵里奈

(3)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ 羽虫部︵元表紙二十三︶

鶺鴒

一書曰︑陰 神先     曰︑美 アナニエヤ哉︑善少 ヲトコ男︒時以w テノ神先o ツル

コトヲ  ︑為 w サカナシト祥a更   ︵復︶改     ︒則陽 神先     曰︑美 アナ 哉 ニエヤ︑善 ヲトメ女︒遂   将[w]合 ミアハ交[︒ セントスルニq]  而不p知w其   ミチヲz時   有w鶺 ニハクトリ鴒a飛     タヽクw其     z二   ハシラノ神見 ミソナハシテナラp フテ  レニ︑即   

w トツキノミチヲz 日本紀

タカカンムスヒノ皇産霊尊︑怪   アメワカ     ルコトヲp  来 カヘリコトw  報 マウサ於葦原

  ヨリa乃   マタw シテナヽシ名雉   q伺 セ玉フ︒其   雉飛

[w ]於天稚彦 門     q所 w植

カツラ木之杪 スヘニz時   サク  ︑︵而︶謂 マウシw天 稚彦   q曰︑奇 メツラシキトリ    w杜 カツラノスエニz天稚彦︑乃   取[w]高 タカヽンムスヒノ皇産霊尊   タマヒシ鹿 弓・天 ︑[q ]射   p雉   コロシヌ之︒

日本紀

○高皇産霊尊︑勅   w問   モロカンタチニq曰   ︑昔遣 マタw シテ天稚彦   於葦原

国a至p マテ  w

  カヘリコサル来q者︑蓋     神有   w強 フカカミa我 アレ亦遣w シテ    a問w天稚彦逗 q也 ︒思兼

神諸 モロカンタチ神答   曰︑可p遣 マタスw無名雉亦   トヲz因   遣w シテ無名雉与 鳩   a而往 シム︒此   雉亦 鳩降来     w粟田 豆田 a 則留而

p返   リコ︒所 ユハユル  ヒタツカヒ使亦豆     

  トハ    コトノヲコリ矣︒ ナリ

先代旧事本紀

ミイクサ師︑欲 オホスp趣w ントウチツクニ洲z 而山   中嶮 シクシテ  w復 [p キノ]行   之 路 ミチz乃 ヒテシヽマ遑 不p知e其所 w

z カム  夜夢︑ ミ玉ハク天照大神 訓w ヘテ于天皇神 武q曰︑朕 アレ今遣 マタw サン八咫烏   z宜 ウベ  w 玉ヘクニノ

ミチヒキトz果   シテ有w頭 八咫烏a自p空 オホソラ

ヒクタル︒天皇   曰︑此烏 之来 ルコトヲ自叶 カナw ヘリ

  z大 イカナ︑赫 サカリナルカ矣︒ 我皇 ミヲヤ祖天照大神︑ 欲 オホe セルカ    w成   ントアマツヒツキ業q 乎︒是     ︑大伴氏之 祖日 ヒオミノ臣命︑ 帥 ヒキヒテ[w]大 オホ

ノイクサノ  将 キミノオホツハモノ戎a p   ミチヲヒラキユキテ乃尋 マニw K  

a ヒノ  視而 追之 ︒遂   トホリイタル[w]  于菟 タノコホリz因   号w ケテ  

イタリマシヽ至之処   a曰[w]菟   穿 ウケチノムラトz 神武紀

トビ

神日本盤 ︵ママ磐︶余彦天皇十有二月癸巳朔丙申︑皇 ミイクサ師遂     w

(4)

長髄彦   z連 シキリニ  不p能w取 勝z ツコト  タチマチニケテヒサメ氷︒ フル乃 有w金 コカネノ色霊 アヤシキトヒa飛来   止w レリ于皇 ミユミ弓之 ハズニz其   鵄光 ヒカリカヽヤ煜︑ キテ

状如w流 イナビカリ電z 由p是︑長髄彦   イクサノヒトヽモ卒︑皆迷 マトヒアヱキテ︑不w復

キハメタヽカハz長髄   是邑之本   号︵焉 ナリ︶︒因   亦以   為w人     z及   e皇 軍之得w タルニ  ミヅq ラヲ︵也︶︑時   人仍     w鵄   z今云w フハ

  q是訛也 レリ日本紀

二十三年秋九月︑詔w群q キミタチ

曰︑誉 ホムツワケノ別王 ミコ是生 ウマレノトシ  

ミツトセ︑髯 鬚八掬︑猶泣 イサツクコト如p児 ワカゴ︒常   不p ルコト言︑何   

ユヘ︒因   ツカサ   Kオホンコトオホセニハカレ議之︒ 冬十月︑天皇立 玉ヘリ[w] 於大殿     z誉津別皇子侍之 リ玉フ︒時     w鳴 クヾヒ鵠︑[q]度 トヒw ワタル大虚 ソラヲz皇   w観     q曰   ︑是   何物耶 ソヤ︒天皇

則知w皇子     p鵠   アキトフ言q コトヲ而喜之 玉フ︒詔w シテモトコヒト右q 曰︑誰   能 捕   w是鳥q献之 ランシテトリKミヤツコカオヤアマユノカハ  曰 ︵ママ言︶ク︑ ヤツコ  捕而   ラン︒即︹中略︺遠     w鵠   飛之 カタヲa追   

  詣 イテw 出雲   a而捕       ︑得w タリ于但馬   z十一月甲午朔︑天 ︵ママ︶河板   p鵠也 ︒誉︵ママ︶ 津別 命弄p 是鵠   ︑ 遂   得w 玉ヘリモノイ語z フコトヲ  p是   ︑︵以︶敦 アツクタマw モノス︵ママ︶河板挙   z︵則︶賜   p姓 カハネヲ而曰   w鳥取 ミヤz ツコト  亦定   w鳥取 部・鳥養 カヒノ部・

誉津   z 垂仁紀

五十三年冬十月︑幸 ︵ママ至︶w シテ上総   a從w海 ウミツヂq渡w 玉フアハノミナトヲ水門z是 時   ︑聞   w  覚 *カクトリzオホp シテw マク其鳥     a︵尋︶而出 w テマス

    z仍   得w タリウムキ蛤z 景行紀

*ルビの右に﹁カヽクカ私﹂とある︒鷹 鶺鴒  [w]名諱門[q]大鷦鷯天皇秋九月庚子朔︑依 ヨサミノミヤ阿弭古︑捕   w異 アヤシキ

  a献   w於天皇q曰︑臣 ヤツカレツネニ  p網     p鳥   ︑未   e曾   得w是   

鳥之類   z故   メツラシケレハ而献之 ︒天皇召w酒君a示p鳥   曰︑是 何鳥矣 ︒酒君対     ︑此鳥   ︵之︶類︑多 サハニ  w百済   z得 ナツケエ

テハ  従p人   ︒亦捷   飛之 カスムw諸     z百済   ヒト  w此鳥   q曰w倶知z︿是今時鷹也﹀乃授   w酒君q令w養馴z未w幾時q而 得 ナヲw馴 シエタリ  z君則以w韋 緡q 著w其足a以w小鈴q著w其 尾a居 w ヘテタヽムキノ上a献   w于天皇   z是   日︑幸   w百   q而

(5)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││シ玉フ  雉多     ︒乃放   p鷹   令p捕︒忽   獲w数 アマタノ︵ママ十︶   千 雉   z是   月︑甫 ハシメテ定w鷹甘部 z 人号w︵其︶養[p]鷹之 処   a曰   w鷹甘   q也︒仁徳紀

百︵舌︶鳥耳原  [w]陵門[q]鶏 吉備 臣前 サキ︹中略︺以w小 ヲトメ女q為w天皇   人a以w 大 オホメノコ女q 為w己     a競   令w相闘z見   [w]幼 ヲトメ女勝   a即抜p刀而 殺   ︒復 以w小 スコシキナル雄鶏a呼   為w天皇     a抜p毛剪p翼︑以w大   ナル雄鶏   a呼   為w己     a著   w鈴・金   アコエヲa競   令p闘之︒

  w禿 ツフレアカハタカ  a亦抜p刀而殺︒ ト申ス天皇聞w シテ    a遣   シテ[w]物 モノ

ヽヘノツハモノ三十人   a誅 w殺 サシム津屋并   ヤカラ七十人   z 雄略紀

雄略天皇十年︑身 サノスクリ主青 アヲ︵等︶︑将   w呉   タテマツレル    a到   w於筑紫   z是   鵝為   w水 ミツマノ    q所 クハレテ噛死   ︒由   p是︑水間   

君恐 ヒテ不p能w自     コトa献e鴻十 トヲト侯与 w カヒ鳥人a請 マウシテ

以贖   p罪   ︒天皇許焉 玉フ日本紀

鵲 推古天皇六年夏四月︑難波 吉士 イハカネ︑至 カヘp リテ自w新羅a而

  w鵲二︵ママ隻︶z 乃俾 p [w ]於難波 モリニz因   以巣 スクp ヒテキノエタコウム之︒

日本紀

孔雀

推古︵天皇︶六年秋八月︑新羅貢   w孔雀一︵ママ隻︶z 日本紀

推古︵天皇︶七年秋九月︑百済貢[w]︵駱駝一匹・驢一匹・ 羊二頭︶白雉一︵ママ隻︶︒[q] 日本紀

白雀

蘇我臣入鹿豎 ワラハヘトモ者︑獲w白 雀子   z是   日同時︑有p人︑以w白雀q納p レテ  ︑而送   w蘇我 大臣   z 皇極紀

白雉元年二月庚午朔戊寅︑穴 アナトノ戸国 司草 クサカヘシコ︑献   w白 雉   q曰︑︹中略︺因     [w]赦 ツミユルシテ  q改 ハシメノトシヲ白雉   トス孝徳紀

山鶏

天智︵天皇︶十年夏六月︑新羅︹中略︺献   w水牛一頭・ 山鶏一隻   z 日本紀

(6)

鶏 天智︵天皇︶十年︑讃岐国山田郡       ︑有   w鶏子四   

  アル者z 日本紀

天武天皇二年︑備後 司︑獲   w白雉於亀 マメシノ  q而貢   ︒乃当 ソノ

  エツキ役悉免   ︒仍   大w赦   天下   z 日本紀

瑞鶏

天武︵天皇︶四年︑大倭国貢w瑞鶏z東国貢w白鷹z近江 国貢w白鵄 トヒz 日本紀

鷹 [p]

トビ[p]

天武︵天皇︶五年夏四月︑倭 国添下 郡鰐 ワニツミノヨ貢w瑞   z其冠 サカ似w海 キノ  z是日︑倭 国飽 アクナミノ郡言   ︑雌鶏化 p レリヲトリニ

日本紀

︵天武天皇︶十 二年十一月︑倭   葛城下郡言︑有[w]四足 鶏︒[q] 日本紀 ※十三年の誤り︒

天武︵天皇︶六年十一月︑筑紫 大宰献w赤烏z則大宰府   

  司人   ︑賜p禄各︵有︶[p]差   アリ︒且ミツカラタクメw捕 赤烏   q者   ︑賜w爵 五級   z 日本紀

天武︵天皇︶十一年八月︑築紫 大宰言   ︑有w三   アル雀z日本紀

天武︵天皇︶十二年春正月︑筑紫大宰丹比真人嶋等︑貢[w]三足雀︒[q] 日本紀

巫鳥

天武︵天皇︶九年春三月︑摂津国貢w白巫 シトヽ鳥z︿巫鳥︑此 言[w]芝苔々[q]﹀日本紀

赤烏

持統︵天皇︶六年夏四月︑相模国司︑献w レリ赤烏雛 ヒナ二隻   z言   p獲w タリ於御   z 日本紀

鴈 聡察ニモ

(7)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ 寛治五年九月︑将軍義家朝臣金沢に陣をすえ︑合戦ハ十 七日辰の一天と定られ︑おのK軍を分ケ陣を備ふ︒将

軍これを下知し給ひける時︑何の心もなく︑仰て四方を

見給ひけるに︑折しも秋の末とてや︑西に渡る雁かねの

数多連りたりけるが︑鴈陣忽に破れて十方に飛散けり︒

将軍遥にこれを見給ひ︑怪驚て馬を扣へて宣ひけるハ︑

兵野に伏時ハ鴈行を破るといへり︑一定此野に兵をそ伏

つらめ︑四方を取巻捜捕へしと宣けれハ︑早り雄の若者

共︑我もKと馳向ひて覓けれハ︑隠居たる武衡・家衡

か兵等︑叶しとや思ひけん︑我先にと逃出たり︒

前太平記

延喜の帝神泉苑へ行幸なつて︑池の汀に鷺のゐたりける

を︑六位を召て︑あの鷺とつて参れと仰けれハ︑いかん

がとらるへきとハ思へ共︑綸言なれハあゆミむかふ︒鷺

はねつくろひして飛んとす︒諠 ︵ママ宣︶旨そとおほすれハ︑ひら

んて飛さらず︒即これを取て参らせたりけれハ︑汝かせ んじに随て︑参りたるこそ神妙なれ︒やかて五位になせ

とて︑鷺を五位にぞなされける︒けふより後︑鷺の中の

王たるへし︑といふ御札をミつからあそばいて︑首に付

てそはなたせ給ふ︒まつたく是ハさぎの御料にあらず︑

たゞ王威をしろしめさんが為也︒平家物語

鴨東鑑  梶原平三景時献[w]霊鴨︑[q]背与[p]腹白似[p]雪︑自[w] 美濃国[q]出来     ︒景時者彼国守護也︒二品殊賞翫給︒

[w]文治三年 日之記[q]※十二月七日

怪鳥

建久四年正月五日︑工藤左衛門尉祐経     怪鳥飛入   ︒不 p知w其号 z 形如w鶏     z卜筮之 スル処︑慎不p軽︒仍廻w祈 祷z 東鑑

正治二年七月一日︑羽林為p覧w鵜船q令p赴w相模河 辺   q之給︒畠山次郎・葛西兵衛尉以下愛p鵜之輩︑依w

(8)

  シテ仰q令w供奉z 東鑑

元久三年三月十三日︑相州依p召参w御所q給︑数剋及w御 雑談z将軍家仰云︑有w桜井五郎者a以p鵙可p令p取p鳥 之由︑申p之︒慥欲p見w其実z是似w嬰児之戯q無p詮事歟︒ 相州被p申云︑斉頼専w此術z於w末代q者希有事也︒縡若 為w虚誕q者︑彼   不便︒ ナリ猶以内々可p被w尋仰q者   ︒此御詞 未p訖︑桜井五郎参入   ︒著w紺直垂q付w餌袋於右腰a居w鵙一羽於左手z相州自w簾中q見p之︑頗入p興︒此上者早

可p有w御覧q者   ︑仍被p上w御簾z及w此時a大官令問注所 入道已上群参︒桜井候w庭上a黄雀在w其 ︵ママ草︶中a合p鵙  タヒ

  取p之畢畢 ︵ママ︶︒上下感嘆甚︒桜井申云︑小鳥者尋常事也︒ 雖p雉不p可p有w相違z即︵被p︶召w御前簀子   a賜w御剣z相州伝p之︒東鑑

きいの国の住人︑くまのゝ別当たんそうハ︑平家重恩の

身なりしか︑たちまちに心かハりして︑平家へや参らん︑ 源氏へや参らんと思ひけるか︑先たなべの新熊野へ七日

参籠し︑御かくらをそうして︑権現へきせい申けれハ︑

只白はたに付との御たくせん有しか共︑猶うたかひをな

し参らせて︑しろき鶏七︑赤き鶏七︑是をもつてこ んけんの御前にて勝負をせさせけるか︑あかき鶏一

もかたす︒皆まけてそにけにける︒扨こそ源氏へ参らん

とハ思ひ定ける︒平家物語

建永二年三月三日︑於[w]北御壺[q]有[w]鶏闘   会︒[q]時房朝

臣・親広・朝光・義盛・遠元・景盛・常秀・常盛・義村・

宗政等為[w]其衆︒[q] 東鑑

鷺 射之部ニモベシ

建永二年十二月三日云︑今日御所御酒宴︑相州︑大 官令等︑被p候︒其間青鷺一羽︑入w進物所a次集w于寝殿之上a良久将軍家︑依w怪思食a可p射w留件

鳥q之由︑被w仰出q之処︑折節可p然射手︑不p候w御所中z相州被[p]申云︑吾妻四郎助光︑為p愁i申蒙w御気色q事h

(9)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ 当時在w御所近辺q歟︑可p被p召p之︒仍被p遣w御使q之間︑ 助光顚p衣︑参上︒挟 サシw ハサミ引目a自w階 ハシカクシ之蔭a窺寄   兮︑ 発p矢︒彼矢不p中w于鳥q様   雖p見   之︑鷺忽騒   ︑ 墜w于庭上z助光︑進w覧之z左   眼血聊出︒但非w可p死

之疵z此箭羽︿鷹羽遊施﹀曳w鳥之目q兮融   ︒助光︑兼以 所w相斗a無p違也︒乍p生射w留之z御感殊甚︒如p元可 p奉w眤近q之由︑非p被w ノミニ仰出q所p下   w給   御剣q也︒東鑑

鳩 火之部

承元二年八月廿七日夜半︑朱雀門焼亡︒常陸介朝俊︿朝

隆郷末子︑弓馬相撲達者﹀︑取w松明q昇p門︑取w鳩子q帰 去之間︑件火成w此災z凡近年天子上皇悉令p好p鳩給︒ 長房保教等本自 ヨリ  p鳩︑得w時号a殊奔走   東鑑

建保三年八月廿一日云︑巳剋︑鷺集w御所   西侍之上z未 剋地震︒東鑑

山雀

宝治︵二年︶十月廿五日云︑嶋津豊後左衛門尉忠綱︑以w 高麗山   々柄 カラa献w将軍家q ︒其色白而如p雪︒其声不

p相w似吾国鳥z幕府賞翫只此事也︒東鑑

後鳥羽院御時︑水無瀬殿に︑よなK山より︑からかさ

程の物のひかり︑御堂へ飛入事侍りけり︒西おもて︑北

おもてのものとも︑めんKに︑これを見あらハして︑

高名せんと︑心にかけて︑用心し侍りけれ共︑むなしく

のミ過けるに︑あるよ︑景かた︑只ひとり︑中嶋にねて

侍けるに︑例のひかり物︑山より池のうへをとひ行ける

に︑おきんも心もとなくて︑あふのきにねなから︑よく

引て射たりけれハ︑手こたへてして︑池へおち入物あり

けり︒そのゝち︑人々につけて︑火をともして︑めん

K見けれハ︑ゆゝしく大なるむさゝひの︑年ふり︑毛 なともはげ︑しぶとけなるにてそ侍ける︒宇治拾遺物語

▲牛 毛鱗ベシ

今ハむかし︑播磨守きんゆきか子に︑さたゆふとて︑五

条わたりにありしものハ︑この比ある︑あきむねといふ

(10)

ものゝ父なり︒そのさたゆふハ︑阿波守さとなりかとも

に︑阿波へくだりけるに︑道にて死けり︒そのさたゆふ

ハ︑河内前司といひし人のるいにてそ有ける︒その河内

前司がもとに︑あめまだらなる牛ありけり︒その牛を人

の借て︑車かけて︑淀へやりけるに︑ひづめの橋にて︑

牛飼あしくやりて︑片輪をはしよりおとしたりけるに︑

ひかれて車のはしより下におちけるを︑車のおつると心

えて︑牛のふミひろこりて︑たてりけれハ︑むながひき

れて︑車ハおちてくだけにけり︒牛ハ一︑橋のうへにとゞ

まりてそ有ける︒人ものらぬ車なりけれハ︑そこなハ

るゝ人もなかりけり︒ゑせ牛ならましかハ︑ひかれて落

て︑牛もそこなハれまし︒いミしき牛の力かなと︑その

へんの人いひほめける︒かくて︑この牛をいたハりかふ

程に︑この牛︑いかにしてうせたるといふことなくて︑

うせにけり︒こハ︑いかなる事そと︑もとめさハげとな

し︒はなれて出たるかとて︑近くより遠くまで︑尋もと

めさすれどもなけれハ︑いミしかりつる牛をうしなひつ るとなけくほとに︑河内前司が夢に見るやう︑このさた

ゆふがきたりけれハ︑これハ海へおち入て死けるときく

人ハ︑いかにきたるにかと︑思ひK出あひたりけれハ︑

さたゆふかいふやう︑われハこのうしとらのすみにあり︒

それより日に一度︑ひづめの橋のもとにまかりて︑苦を

うけ侍る也︒それに︑おのれか罪のふかくて︑身のきハ

めておもく侍れは︑乗物のたへすして︑かちよりまかる

がくるしきに︑このあめまたらの御車の牛のちからのつ

よくて︑のりて侍に︑いミしくもとめさせ給へハ︑今五

日ありて︑六日と申さん巳の時斗にハ︑かへし奉らん︒

いたくなもとめ給ひそと見て︑さめにけり︒かゝる夢を

こそミつれといひて過ぬ︒その夢見つるより六日といふ

巳の時はかりに︑そゝろにこの牛あゆミ入たりけるが︑

いミしく大事したりけにて︑くるしげに︑舌たれ︑あせ

水にてそ入たりける︒此ひつめの橋にて︑車おち入︑牛

ハとまりたりける折なんどに行あひて︑ちからつよき牛

かなと見て︑かりてのりてありきけるにやありけんと︑

(11)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ おもひけるもおそろしかりけると︑河内前司かたりし也︒

宇治拾遺物語

今ハむかし︑春つかた︑日うらゝかなりけるに︑六十斗

の女のありけるか︑虫うちとりてゐたりけるに︑庭に雀

のしありきけるを︑童部︑石をとりてうちたれハ︑あた

りて︑こしをうちをられにけり︒羽をふためかしてまど

ふほとに︑烏のかけりありきけれハ︑あな心う︑からす

取てんとて︑此女︑いそぎてとりて︑いきしかけなとし

て物くハす︒小桶に入て︑よるはおさむ︒明れハこめく

ハせ︑銅︑薬にこそけて︑くハせなとすれハ︑子とも︑

孫なと︑あハれ︑女なとしハ︑老て雀をかハるゝとて︑

にくミわらふ︒かくて︑月比よくつたへハ︑やうK︹中

略︺飛ほとになりにけり︒今ハ烏にとられしとて︑外に

出て︑手にすへて︑飛やする︑見んとて︑さゝけたれハ︑

ふらKととひていぬ︒︹中略︺廿日はかりありて︑此

女のゐたるかたに︑雀のいたくなく声しけれハ︑すゝめ こそいたくなくなれ︑ありし雀のくるにやあらんと思て︑

出て見れハ︑此すゝめ也︒あハれに︑わすれずきたるこ

そ︑あハれなれといふ程に︑女のかほを打見て︑口より

露はかりの物を︑おとしおくやうにしてとびていぬ︒女︑

何にかあらんとて︑よりて見れハ︑ひさこのたねを只

たつ︑おとしておきたり︒もてきたる︑様こそあらめ︑

︹中略︺植て見んとてうへたれハ︑秋になるまゝに︑い

ミしくおほく︑おいひろこりて︑なへての杓にもにず︑

大になりたり︒女︑悦けうして︑さと隣の人にもくハせ︑

とれともKつきもせすおほかり︒わらひし子孫も︑こ

れをあけくれ食てあり︒一里くハりなとして︑はてにハ︑

まことにすくれて大なる七八ハ︑ひさこにせんと思て︑

内につりつけておきたり︒さて月比へて︑今ハよく成ぬ

らんとて︑とりおろして︑くちあけんとするに︑少しお

もし︒あやしけれとも︑きりあけてみれハ︑物ひとはた

入たり︒何にかあるらんとて︑うつして見れハ︑白米の

入たる也︒思ひかけずあさましと思ひて︑大なる物にミ

(12)

なをうつしたるに︑おなしやうに入てあれハ︑たゞこと

にハあらさりけり︑雀のしたるにこそと︑あさましく︑

うれしけれハ︑物にいれてかくしおきて︑のこりの杓と

もをミれハ︑おなしやうに入てあり︒これをうつしKつかへハ︑せんかたなく多かり︒さてまことにたのもし

き人にそ成にける︒となり里の人も見あさみ︑いミしき

ことにうらやミけり︒此となりにありける女の︑子とも

のいふやう︑おなし事なれど︑人ハかくこそあれ︒はか

Kしきことも︑えしいて給ハぬなといハれて︑となり

の女︑この女房のもとに来て︑︹中略︺ありしことゝも

とひきハめけれハ︑心せハく︑かくすべきことかハとお

もひて︑しかKのことなりけると︑ありのまゝにいへ

ハ︑そのひさこのたね︑只一つたへといへは︑それに入

たる米なとハまゐらせん︒種ハあるへきことにもあらず︒

さらにえなんちらすましとて︑とらせねハ︑われもいか

てこし折たるらん雀見つけて︑かハんと思ひて︑めをた

てゝ見れと︑こし折たる雀更に見えず︒つとめてことに うかゝひ見れハ︑せとのかたに︑米のちりたるを食とて︑

雀のおとりありくを︑石をとりてうてハ︑をのつからう

ちあてられて︑えとハぬ有︒悦てよりて︑こしよく打折

て後に︑とりて物くハせ︑薬くハせなとしておきたり︒

一か徳をたに見れ︑ましてあまたならハ︑いかにたのも

しからんと思ひて︑米まきてうかゝひゐたれハ︑雀とも

あつまりて食にきたれハ︑又うちKしけれハ︑三打お

りぬ︒今ハ︑かばかりにて有なんと思て︑こし折たる雀

三斗︑桶にとり入て︑銅こそけてくはせ︑月比ふるほと

に︑ミなよく成にたれハ︑よろこひて︑とに取いてたれ

ハ︑ふらKととびてミないぬ︒いみじきわさしつと思

ふ︒雀ハ︑こしうちおられて︑月比こめおきたるを︑よ

にねたしと思けり︒さて十日斗有て︑此雀ともきたれハ︑

悦て︑まづ︑口に物やくハへたると見るに︑ひさこのた

ねを一つゝ︑ミなおとしていぬ︒されハよとうれしくて︑

とりて︑三所に植てけり︒例よりもするKと生たちて︑

いミしく大になりたり︒これハいと多くもならず︑七八

(13)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ そなりたる︒女︑ゑミまけて︑子ともにいふやう︑はか Kしき事しいてすといひしかと︑我ハとなりの女にハ

まさりなんといへハ︑けにもさもあらなんと思ひたり︒

是ハかずのすくなけれハ︑米おほくとらんとて︑人にも

くハせず︑われもくハず︒子ともかいふやう︑となりの

女房ハ︑里となりの人にもくハせ︑われもくひなしてこ

そせしか︒これハまして三か種なり︒これも︑人にも︑

くハせらるへき也といへハ︑さししと思て︑ちかきとな

りの人にもくハせ︑われも子共にも︑もろともにくハせ

んとて︑おほらかにてくふに︑にかきこと物にもにず︒

きハたなとのやうにて︑心ちまどふ︒くひとくひたる人

Kも︑子とももわれも︑物をつきてまとふほとに︑ミ

な心ちをそんじて︑︹中略︺ふせりあひたり︒二三日も

過ぬれハ︑たれKも心ちなほりにたり︒女おもふやう︑

ミな米にならんとしける物を︑いそきてくひたれハ︑か

くあやしかりけるなめりと思て︑のこりをハミなつりつ

けておきたり︒さて月ころへて︑今ハよくなりぬらんと て︑うつしいれんれうの桶ともぐして︑へやに入︒うれ

しけれハ︑はもなきくちして︑耳のもとまでひとりゑミ

して︑桶をよせてうつしけれハ︑あぶ︑はち︑むかで︑

とかけ︑くちなハなといてゝ︑目はなともいハず︑ひと

身にとりつきてさせとも︑女︑いたさもおほえす︑只米

のこほれかゝるそと思て︑しはしまち給へ︒雀よ︒少し

つゝとらんといふ︒七八のひさこより︑そこらの毒虫と

も出て︑子ともをもさしくひ︑女をハさしころしてけり︒

すゝめ︑こしを打折れて︑ねたしと思て︑万のむしとも

をかたらひて︑入たりける也︒となりの雀ハ︑元 モトこしを

られて︑からすの命取ぬへかりしを︑やしなひいけたれ

ハ︑うれしと思ひける也︒されハものうらやミハすまし

こと也︒宇治拾遺物語

鵃  ○ニモ

新田・足利相挑テ未[p]戦処ニ︑本間孫四郎重氏黄瓦毛ナ ル馬ノ太ク逞キニ︑紅下 スソノ鎧著テ︑只一騎和田ノ御崎

ノ波打際ニ馬打寄セテ︑澳ナル船ニ向テ︑大音声ヲ挙テ

(14)

申ケルハ︑将軍筑紫ヨリ御上洛候ヘハ︑定テ鞆・尾 道ノ 傾城共︑多被[w]召具[q]侯ラン︒其為ニ珍シキ御肴一ツ推

テ進セ候ハン︒暫ク御待候へト云儘ニ︑上差ノ流鏑矢ヲ

抜テ︑羽ノ少シ広カリケルヲ鞍ノ前輪ニ当テカキ直シ︑

二所藤ノ弓ノ握太ナルニ取副︑小松陰ニ馬ヲ打寄テ︑浪

ノ上ナル鵃ノ︑己カ影ニテ魚ヲ驚シ︑飛サカル程ヲソ待

タリケル︒敵ハ是ヲ見テ︑射放 ハツシタランハ希代ノ笑哉ト目

ヲ放サス︒御方ハ是ヲ見テ︑射当タランハ時ニ取テノ名

誉哉ト︑機ヲ攻 ツメテソ守ケル︒遥高ク挙リタル鵃︑浪ノ上

ニ落サガリテ︑二尺計ナル魚ヲ︑主人ノヒレヲテ澳ノ

方へ飛行ケル処ヲ︑本間小松原ノ中ヨリ馬ヲ懸出シ︑追

様ニ成テ︑カケ鳥ニソ射タリケル︒態ト生ナカラ射テ落

サント︑片羽カヒヲ射切テ直中ヲハ射サリケル間︑鏑ハ

鳴響テ大内介カ舟ノ帆柱ニ立︑鵃ハ魚ヲナカラ︑大友

カ舟ノ屋形ノ上ヘソ落タリケル︒射手誰トハ知ネトモ︑

敵ノ船七千余艘ニハ︑舷 フナハタヲ踏テ立双ヒ︑御方ノ官軍五万

余騎ハ汀 ミキハニ馬ヲ扣ヘテ︑ア射タリKト︑感スル声天地 ヲ響シテ静リ得ス︒太平記[w]延元々年五月合戦条下[q]鵄 くそとび性行聴察ニアリ

鶏合

承安二年五月二日︑東山仙洞にて︑鶏 ︵ママ鵯︶合云云

古今著聞集第廿巻十一左末一行ヨリ

虫部︵元表紙二十四︶

蜻蛉

雄略天皇行 w 吉野   a幸   w河上   小野z ミコw トノリシテカリヒト人a 駈 カラシメ玉フ[p]  獣︒欲w シテミツカラ  ントa待 フ玉フアブ  飛来   w 皇臀 タヽz ムキヲ 於是︑蜻蛉忽然   飛来   ︑齧 クラp ヒテ蝱︑将

  リヌ︒天皇嘉w 玉テ  有o心︑詔[w]群 マウチキミ臣[q ]曰 タチ︑為p朕讃 w メテ蜻蛉q歌 ウタヨミセヨ︒群臣莫   w能     ムモノz天皇乃口   ツカラウタヒテ云云︒因     w蜻蛉   [q]名w ケテ此地 トコロヲa為w蜻蛉   小野   z 日本紀

皇極天皇二年︑百済   子余豊︑以w蜜 ミツハチノ四枚 ヒラヲa放

(15)

﹃故 事 部 類 抄﹄︵十︶││曲亭叢書││ 養於 三輪   z而   シテ  不w蕃 ウマz 日本紀

地統︵天皇︶六年八月︑越前国司献[w]白蛾︒[q]乃詔曰︑ 獲w タリ白蛾   於角 鹿郡浦上之浦   z故   増w スコト  笥飯神   q二十 戸︑通 カヨp ハス  日本紀

蝙蝠

地統︵天皇︶八年冬十月辛亥朔庚午︑以   w進大肆   a賜[i]獲w タル白蝙蝠   q者飛騨国荒城 郡︑弟国 郡弟︵ママ上︶ 曰a     w絁四 匹・綿四屯・布十端   z其

p       玉フ日本紀

黄蝶東鑑  文治二年五月一日云︑自w去比q黄蝶飛行   殊遍w満鶴岳 宮z是怪異也︒仍今日以i奉w御供q之次h為w シテ邦 通奉行a有w臨時   神楽z此間大菩薩詫w巫女q給   曰︑有w叛逆   者q︿

私ppp謂義経行家等歟﹀自西廻南︑自南又帰 p西︒自p西猶至p南︑自p南又欲p到p東︒日々夜々奉p窺w二品之運z能崇w神与君a申w行善政q者︑両三年中彼輩

如w水沫a可w消滅q云云︒ ○︵黄蝶︶

建暦三年七 月廿二日︑未剋︑鶴岡   上宮   宝殿   ︑黄蝶大小 群集︒人奇p之︒今日大友左衛門能直︑為w使節q上洛︒依w山門騒動事q也︒東鑑

※八月の誤記︒

羽蟻

建暦二年十月廿日云︑午剋︑鶴岳上宮   宝前   羽蟻飛散   スル︒ 不p知w幾千万z 東鑑

寛元五年正月廿九日︑羽蟻群飛   シテ充w満鎌倉中z 東鑑

黄蝶

宝治元年三月十七日︑黄蝶︿幅仮令一許丈︑列   ルコト三段許﹀ 凡充w満鎌倉中z是兵草   兆也︒承平︑則常陸・下野︑天 喜︑亦陸奥・出羽四箇国之間︑有w其怪a将門貞任等︑及w闘戦q訖︒而今此事出来︒猶若可p有w東国兵乱q歟之由︑

古老之所p疑也︒東鑑

私云︑今年若狭前司泰村謀叛︑而有[w]鎌倉兵乱之兆[q]也︒

黄蝶

(16)

宝治二年九月七日︑黄蝶飛行︒自w由比浦q至w于鶴岡   宮 寺并右大将軍家法華堂q群     東鑑

馬 蚿  ニアリ

井堤の蛙 カハツと申す事こそ︑やうある事にて侍れ︒よの人思

ひ侍るハ︑たゝかへるハミなかはつといふそとおもひ侍

るめり︒それもたがひ侍らず︒されと︑かハつと申スか

へるハ︑外にハ侍らず︒只此井堤の河にのミ侍る也︒色

黒きやうにて︑いとおほきにハあらず︒よのつねのかへ

るのやうにあらハにおとりあるく事なともいとも侍らず︒

つねに水にのミすミて︑夜更る程にかれがなきたるハ︑

いミしく心すミ︑物あハれなるこゑにてなん侍る︒春夏

のころかならずおはして聞給へと申侍し也︒無名抄

私今いふ河鹿ハこの井堤のかハずのたぐひなり︒ 鱗魚部   龍 蛇 魚介虫部   亀 鼇 蟹︵元表紙二十五︶

人号   w其処   q曰w梅 豆羅国   z今謂   w松浦   q訛焉︒是       

国女 人︑毎   p当 イタルw四 月上 カムノトヲカ旬a 以p鉤投   w河中   q捕w コトq 於 p今不p絶︒唯男 ヲノトモp釣   ルト  不p能w獲p ルコト  神功記

*一七八頁の﹁年魚﹂の項﹁故   ﹂に続く︒凡例参照︒

大鷦鵲天皇六十七年︑吉備 中国   川鳴河   カハマタニ  w大   ナル虬q 令p苦p人   ︒時   ミチユクヒト  w其処q而行   ︑必被 ヲカw サレテ其毒 アシq キイキニ以 多 笠臣   祖縣守為 ヒトヽナリ人勇 タケクシテ捍而強 臨w派 q

以w三   オフシヒサコ瓠q投   p水 カハニ曰︑汝 屢吐p毒 アシキイキ令p苦w路 ミチユク人z余 殺w汝   z汝沈w メハ    a則余避   之︒不p能p沈者︑仍   

斬w汝     z時   ︵水︶虬化   p鹿 カノシヽト以引p瓠︒々不p沈︒即挙     p剣   入p水 カハニ斬p虬︒更求w虬之党 トモカラヲ類z乃諸     ヤカラ︑満 イハw シメハ

参照

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