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白
蓮
社
図
の
歴
史
道
津
綾
乃
N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
一 、
本
稿
の 目 的筆
者
は本
稿
を 、 宋 代絵
画
を 社会
史
・ 文 化 史 的 な 視点
か ら把
握 す る た め の第
一歩
と し て位
置 づ け て い る 。従
来 よ り 、 宋 代 は 「中
国絵
画 の栄
光 の 時代
と い わ れ て プ い る 」 。 前時
代
に 、 仕 女 ・ 聖賢
・僧
侶 ・ 道 士 な ど を描
く こ と で 盛 ん に な っ た 人物
画 が、 歴 史 故事
や社
会 生 活、 文 化 活 動 の様
子 を題
材
に す る こ と で さ ら に 発 達 し 、 山 水 画 ・ 花鳥
画 の 進 展、 商 品価
値
を付
さ れ た作
品 の 出 現 、 漢 民 族 以 外 の諸
民 族 の ヨ 作 品 の 量産
な ど 、話
題 に 事 欠 か な い こ と か ら 出 た 言 葉 で あ ろ う 。 こ の絵
画 史 の視
点 が 画 家 に置
か れ て い る こ と は 、 小 川裕
充
氏 の 「 画家
と 同 時代
、 あ る い は前
時代
の 人 物 が 、 肖 像 画 な ど の 対象
と し て洋
の 東 西 を 問 わ ず絵
画 化 さ れ る の は 、自
然 な こ と で あ る と し て も 、 画 家 の 時代
ま で に成
立 し て い た あ る説
話 が、 無 条 件 に絵
に な る こ と は な い 。 ま た 、 画 家 と 同時
代
の 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 二 十 九 號 卒 成 十 年 卜 月 風 俗 も 、 同様
に 、 何 ら か の 契機
が な け れ ば 絵 画 化 さ れ る こ と ヨ ロ は な い 。 」 と い う指
摘
を 待 つ ま で も な い 。 こ う し た考
え方
は 、 現存
作
品 の様
式 的特
徴
か ら、 画家
の師
弟
関
係 や 画 風 の継
承
・ 影 響 を検
討
す る様
式 史 の 見 地 か ら 重 要 で あ ろ う 。 し か し 、絵
画 を社
会
現象
・ 文化
遺
品
と し て捉
え る と き 、 こ の考
え方
を転
用 す る こ と は で き な い 。 な ぜ な ら ば、絵
画作
品 は 鑑 賞 さ れ る こ と に よ っ て 、何
百
年
と い う 歴 史 が、画
家
の 意 思 と は 無関
係 に 、刻
ま れ て ゆ く か ら で あ る 。筆
者
は、 さ き の視
点
に よ る宋
代絵
画 の 歴史
を作
業
仮 定 の 段階
な が ら、 次 に 示 す 図 の よ う に 考 え て い る 。 こ れ は、 宋 代絵
画史
に 三 段階
あ る こ と を 示 し て い る 。 まず
、絵
画
作
品 成 立 の 地 盤 と な る画
家
と彼
ら の 生 活 環 境 を、第
一段
階
と し て 捉 え な け れ ば な ら な い 。次
に、 彼 ら に よ っ て描
か れ た作
品 は、直
接第
三 者 ( 友 人 ・ 親 族 で あ っ た り 商 人 で あ っ た り す る ) の 手 に渡
っ て い る はず
で あ る 。絵
画作
品 が 世 の中
へ 出 る た め に 必 要 不 三 五 九Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 )
画
家
の 環境
一一 一 一 一 』 一 一「
薗
可
欠
な こ の第
三 者 を第
一次
鑑
賞者
と す る 。 彼 ら は 、絵
画
そ れ ぞ れ に 対 し て評
価
を す る わ け だ が、 こ の 評価
が 作 品 の 見 方 や 、極
端
に言
え ば 、 去 就 ・存
亡 に 関 わ る 場 合 も あ っ た だ ろ う と推
察 す る 。 こ の 段階
を第
二 と す る 。 筆 者 は 更 に 、 身分
・経
歴 ・ 生活
環 境 の 異 な っ た 識字
階層
の 人 々 ( 第 二 次 鑑 賞 者 と す る ) が作
品 に 対 し て 、 あ る者
は 第 】 次 鑑賞
者
の 影響
を 受 け、 あ る者
は作
品 の 画 題 か ら 連想
し、 あ る 者 は自
身 の 立 場 を 作 品 の 登 場 人物
な ど と だ ぶ ら せ る等
の 心 境 を 表 現 す る と い っ た 形 る で 、感
想 の詩
文 や 記録
文 を作
成
し て い っ た こ と を 考慮
に 入 れ 、 そ れ を第
三 段 階 と し て設
け る の で あ る 。 さ て、 以 上 の各
段
階
を 意識
し な が ら、 モ デ ル ケ ー ス と し て李
公 麟 画 「 白 蓮社
図
」 を 取 り 上 げ て 進 め た い 。 二 、作
者 李 公 麟 に つ い て 三 六 〇李
公
麟
20
四 九P
〜
=
〇 六 ? ) の 基 本 的 な 伝 記資
料
と し ら り て は、 『 宣 和畫
譜 』 巻 七 や 『 宋史
』巻
四 四 四 を使
用 さ れ る こ ハ め い と が多
い 。 こ こ で は、 よ く ま と め て書
か れ て い る 後者
の資
料
に 、前
者
・ そ の他
の 資 料 を補
う か た ち で簡
単
な 伝 記 を ま と め て お き た い 。 李 公 麟、 字 伯 時、 舒 州 人 。 第 進 士、 歴 南 康 長 垣 尉 、 泗 川 録 事 参 軍 。 用 陸 佃 薦 、 爲 中 書 門 下 後 省 刪 定 官、 御 史 検 法 。 好 古 博 學 、 長 於 詩、 多 識 奇 字 。 自 夏 商 以 来 鐘 鼎 尊 彝 、 皆 能 考 定 世 次 。 辯 測 款 識 、 聞 一 妙 品 。 雖 捐 千 金 不 惜 。 紹 聖 末、 朝 廷 得 玉 璽 。 下 禮 官 諸 儒 議、 言 人 人 殊 。 公 麟 日 、 秦 璽 用 藍 田 玉、 今 玉 色 正 青 。 以 龍 蚓 鳥 魚 爲 文 者 。 帝 王 受 命 之 符 。 玉 質 堅 甚、 非 昆 吾 刀 蟾 肪 不 可 治 。 墹 法 中 絶、 眞 秦 李 斯 所 爲 不 疑 。 議 由 是 定 。 元 符 三 年、 病 癖 。 遂 致 仕、 既 歸 老、 肆 意 於 龍 眠 山 巌 壑 間 。 雅 善 書、 自 作 山 莊 圖、 爲 世 寶 傳 。 寫 人 物 尤 精 。 識 者 以 爲 顧 凱 之 ・ 張 僧 縣 之 亜 。 襟 度 超 軼、 名 士 交 譽 之 。 黄 庭 堅 謂 其 風 流 不 減 古 人 。 然 因 畫 爲 累 。 故 世 但 以 藝 傳 云 。 ( 『 宋 史 』 巻 四 四 四 ) ( } ) 士 大 夫 の 経 歴李
公麟
( 字 は 伯 時 ) は、 舒 州 ( 舒 城 と も 。 現 在 の 安 徽 省 廬 江 ア ね 県 ) の 人 で あ る 。 郡 椿 ( 宋 代 ) 『 畫繼
』 に よ れ ば 、 舒 城 の名
お家
で 「 世、儒
を 業 と す る 」 と あ る 。 父 は虚
一 と い い 、賢
良
方
N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 正
科
・ 大 理寺
丞 な ど に 任 ぜ ら れ 、 左朝
議 大 夫 を 送 ら れ て い る 。 法書
・名
画 を収
集
す る の が趣
味
で あ っ た こ の 父 に 、 公麟
ド リ も 影 響 を
受
け て い る こ と を 、 『 宣和
畫
譜 』 は 記 し て い る 。ロ リ 李 公 麟 の
進
士 及 第 は 、 『畫
繼
』 に よ れ ば 、 熙寧
三年
( 一 〇 七 〇 ) で 、南
康 ( 江 西 省 ) ・ 長 垣 ( 河 南 省 )尉
( 警 察 官 ・ 軍 事 官 ) 、 泗 川 録事
参
軍
( 泗 川 と は 泗 水 の こ と 。 泗 水 は 山 東 省 か ら 江り 西 省 へ と 流 れ る 。 録 事 参 軍 は 郡 の 主 簿 ) を
経
て 、陸
佃 ( 未 詳 。 陸 游 の 祖 父 ) に任
用 さ れ て中
書門
下後
省
刪定
官 ・御
史 ( 台 ∀検
法菅
) と な る 。 『畫
繼
』 で は 「朝
奉 郎 」 に 昇 進 し た と あ る 。 『 宣和
畫
譜 』 が 記 す よ う に 「 文臣
」11
文官
で あ っ た 。 元符
三年
( 一 一 〇 〇 ) に 「 痺 」 ( リ ュ ー マ チ と さ れ て い る ) を 患 い 、レ 崇
寧
五 年 (=
〇 六 ) に 退 職 し、龍
眠
山 ( 安 徽 省 桐 城 の 西 北 ) に隠
居 す る ま で 、 三十
六年
の 士 大 夫 生活
で あ っ た 。 こ の間
に 、多
く の 知 人 が で き た に違
い な い 。 『 宋史
』 に は 黄庭
堅 ( 一 〇 四 五 〜 一 一 〇 五 ) の名
が 挙 が っ て い る が 、 そ の他
に 、 蘇軾
二 〇 三 六 〜 一 一 〇 一 ) ・轍
( 一 〇 三 九 〜 一 一 一 二 )ほ 兄
弟
、当
時
四 学 士 と称
さ れ た と い う 張耒
二 〇 五 四 〜 一=
けへ 四 ) ら、
有
名
人 と の交
友
関
係 が 資料
に よ っ て 裏 付 け ら れ る 。 ま た引
退後
、李
公 麟 は 龍 眠 居 士 と名
乗
っ た が、 同 じ く 龍 眠 の 号 を 使 っ た李
亮 功 ( 工 ) ・李
沖
元 の 二 人 が あ る 。 亮功
は 公 麟 お め リ ロ ド の弟
、 沖元
は従
兄弟
と 思 わ れ る 。 三 人併
せ て 「 龍 眠 三 李 」 と呼
ぼ れ た と い う 。 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) ( 二 )文 化 人 と し て の 経 歴 『
宋
史
』 に よ れ ば、李
公 麟 は 「 好 古 博學
、 長 於 詩 、多
識
奇
字 」 で あ っ た 。彼
が 詩 に 長 け て い た こ と を、 『 宣和
畫
譜
』 で は 、 王 安 石 ( [ 〇 二 [ 〜 冖 〇 八 六 ) が 公 麟 の 作 っ た 四詩
を称
賛 し た こ と を例
に、 公 麟 の 文章
に は建
安
の 風 格 が あ る と し て に せ い る 。曹
樹
銘
氏
は論
文 で、張
耒
「 張 右史
文 集 』 よ り 公 麟 の 詩 へ サ を 抜 粋 し 、提
示 し て い る 。 加 え て書
に つ い て も 、 『 宣和
畫
譜 』 は 「 書体
は 晋宋
間 の 人 の よ う だ 」 と 述 べ る 。 公 麟直
筆
の書
及 び彼
の書
家
と し て の 才 能 に つ い て は 曹氏
の論
文 に く わ し い の む で 、 こ れ に譲
る 。 ま た 、夏
・商
時
代 以 来 の 鐘 ・ 鼎 ・尊
・彝
を考
証
し、 収 集 に は千
金 も惜
し ま な か っ た とあ
る 。紹
聖 ( 一 〇 九 四〜
一 〇 九 七 ) 末 に 、 玉 璽 の 鑑 定 を し た こ と は、 李 公 麟 を 更 に有
名 に し た だ ろ う 。 彼 の古
器 鑑 定 ガ イ ド ブ ッ ク と も い う べ き 「 考 古圖
」 五 ゆ ぬ 巻 は 、 鈴 木 敬氏
に よ れ ば 、徽
宗
時 代 の 「 宣 和 博古
圖 」 の 原 型 で あ る 。 鈴 木氏
の指
摘
す る よ う に 「 北 宋 末 は 古 器 物 に 対 す るま
関
心 が 異常
に高
ま っ た時
で あ っ た 」 な ら ば 、 李 公 麟 は 、当
時
の流
行
の 教養
を 具 え た 知識
人 ・ 文 化 人 だ っ た と い え よ う 。 ( 三 )画 家 と し て の 経 歴 『 宋
史
』李
公麟
章
の 後半
は 、 画 家 と し て の 彼 を簡
略
に紹
介 し て い る 。代
表
作
と し て挙
げ ら れ た 「 山莊
圖
」 は 、李
公 麟 の ヨ 隠居
先
を 描 い た と い わ れ る 。 「 爲 世 寶慱
」 と さ れ る同
図 は 現 三 六 一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) 在 台 北 の 故
宮
博
物
院
と イ タ リ ア の ヴ ィ ラ ・ イ ・ タ ッ テ ィ に 一 点 ず つ 「 伝 李 公 麟 」 と し て保
存
さ れ て い る 。 『 宋史
』 に あ る よ う に 人 物 画 を よ く し た の は、 李 公 麟 伝 が 「 宣 和畫
譜
』 の 「 人物
門
」 に 分 類 さ れ て い る こ と か ら も う か が え る 。 『 宣和
畫
譜 』中
の画
家
伝 は 、他
の 伝 記資
料 に 比 べ て 長 く 、 特 に 人 物 画 家 と し て の記
述 に 重 き を 置 い て い る よ う に 思 え る 。 幼 い 頃 か ら名
画
を見
て 育 っ た 公 麟 は、 顧 凱 之 ・ 陸 探微
・ 張僧
鯀 ・ 呉 道 玄 と い っ た有
名
画家
の 作品
を 模 写 す る こ と を で 腕 を 磨 い た と い う 。 『 宣和
畫
譜
』 の編
纂
者
は 、 公 麟 の 人物
画 の 中 で も 故 事 に関
す る作
品 を 重視
し て い た 。陶
潜 を 描 い た 「歸
去
来
兮圖
」 ・ 王維
の 「 陽關
圖 」 や、 「 山 莊 圖 」 は 王維
の別
荘 を 描 い た 「輌
川ぜ 圖 」 に
対
抗
し て描
か れ た と解
釈 し て い る 。 こ の 現象
は、 お そ ら く 画家
伝 末 尾 の 作 品 リ ス ト に 故事
を 題材
に し た 人物
画 が 多 い こ と 、 つ ま り徽
宗
所蔵
の 李 公 麟 画 は 、 こ の よ う な故
事
図 がサ
多
か っ た こ と が 原 因 と な っ て い る の で は な い だ ろ う か 。 リ ス ト の 中 に は 、 数点
の 道 釈 画 と 大 量 の馬
の絵
が挙
が っ て い る 。 そ の 数 量 に 比例
し て か 、 本 文中
道釈
画 を描
く 公 麟 に つ い て の 記述
は 、 「 謂 わ く 、 華厳
会
の 人物
は 地 獄変
相 に 対 し て の と す る べ し 。 」 の 】 文 と 、 最 初 は 馬 ば か り 描 い て い た 公 麟 に 「道
人 」 が 「 馬 ば か り描
い て い る と 馬 ( の 胎 内 ) に 入 っ て しヨ ぜ ま う そ 」 と お ど か さ れ て 、
道
仏 を 描 く よ う に な っ た と い う 記 三 六 二 述 が あ る の み で あ る 。 公 麟 の馬
図 は 、 人物
画 よ り も有
名
で あ っ た 。 画 馬 の名
手、 韓幹
を学
ん だ 公 麟 は 『 宣和
畫
譜
』 に 「 先ハ ぜ 以
畫
馬 得名
」 と あ る 。徽
宗
の収
集 品 に 公 麟 の 馬 が多
い の は 、 世間
の 公 麟 評 を 反 映 し て い る と い っ て よ い だ ろ う 。 な か で も、第
二 次 世 界 大戦
で 焼 失 し て し ま っ た も の の 、 コ ロ タ イ プ や 写真
等
に そ の 姿 を う か が う こ と が で き る 「 五 馬 圖 」 は 李 公 麟真
筆
と 評 価 さ れ て い る 。 し か し 、 残 念 な が ら 本稿
で話
題 と す る 「 白 蓮社
図 」 は 『宣
和 畫譜
』 の リ ス ト に な い 。 さ き の 『畫
繼 」 や 、周
密
( 一 二】 ニハ む へ 二 〜 一 二 九 八) の 文
物
所
蔵記
録
書
『 雲 煙 過 眼 録 』 、南
宋
孫
紹
遠
ホ の
題
画
文 学 集 成 『聲
畫 集 』 に も、 そ の名
を 見 出 せ な い こ と か ら し て、当
時
の メ ジ ャ ー作
品 で も な さ そ う で あ る 。 そ れ は現
在
に お い て も 同 じ よ う で 「 白蓮
社
図
」 を 取 り 上げ
た論
文
を 、筆
者
は滅
多
に 見 か け な い 。 た だ し 、 先 行 論 文 の検
索 ・検
討 が 不十
分
で あ る こ と も 否 めず
、 よ っ て論
旨 に 不 確 定 要素
が 少 な く な い の は 、 反 省 す る べ き と こ ろ で あ る 。 三 、 白 蓮 社 図 の 歴 史 「 白 蓮社
図 」 は 、 しば
しば
「蓮
社
図
」 と 呼称
さ れ る 。 東晋
時
代
の廬
山 慧 遠 が 起 こ し た 浄 土教
結
社
の 様 子 を描
写 し た作
品
お あ で 、
李
公麟
が は じ め て こ の 画 題 を取
り 上 げ た よ う だ 。横
軸 に十
八 賢 人 と呼
ば れ た宗
炳 ・曇
順
・道
生 ・雷
次
宗
・ 道敬
・曇
N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 読 ・ 劉 程 之 ・
張
詮 ・ 慧 叡 ・ 慧 持 ・ 慧永
・ 曇 恒 ・ 道 日 丙 ・ 周續
之 ・ 跋 陀 羅 ・耶
舎
・ 張 野 ・慧
遠 と 、 陸 道 士 ( 脩 静 ) ・ 捕蛇
翁
・ 陶 淵 明 ・ 謝 霊 運 の 四 人 の計
二 十 二 人 、 数 名 の 童 子 ・ 使 用 人 、 猿 ・ ノ ロ と い っ た 動物
、 そ し て 文殊
菩
薩
像 が描
か れ て い お た様
子 は 、李
沖 元 ( 未 詳 ) 「 元 中 記 」 に く わ し く 記 載 さ れ、 鑑 定 や 別 体 裁 の 制 作 に 一役
買
っ て い た と考
え ら れ る 。 現 存 す る 「 白 蓮 社 図 」 のう
ち、 筆 者 が図
録 よ り探
し得
た作
ま 品 は 三 点 あ る が 、 いず
れ も写
真
の み の管
見
で あ る の で存
在
を記
す に 止 め る 。 ま た こ れ 以降
、筆
者 が 李 公 麟 「 白蓮
社
図
」 を論
じ る 場 合 は、 李 沖 元 が見
、 記録
し た と考
え ら れ る体
裁
の 図 を 指 し て い る 。 絵 画 作 品 の 歴 史 を 、 前 述 の と お り 三段
階
と 考 え る筆
者
は、白
蓮 社 図 に つ い て も 同様
の段
階 を 想 定 し て い る 。 つ ま り、李
公 麟 が 白 蓮 社 図 を 描 い た時
点
の 環 境 を第
一 段 階、白
蓮
社
図 を直
接 受 け 取 っ た 李 沖 元 の状
況
を第
二 段階
、 そ し て時
を経
て も な お 鑑賞
す る 人 々 の様
子 を第
三 段 階 と位
置
づ け て、話
し を 進 め た い 。 ( 一 〉白 蓮 社 の 故
事
と 「 白 蓮 社 図 」 白 蓮社
と い え ば 浄 土教
結
社
で あ り 、廬
山 慧 遠 を 始祖
と す る こ と は 周 知 の と お り で あ る 。 し か し 、 慧遠
の 結 社 設 立 か ら し ハ レ ば ら く の 間、 「 ( 白 ) 蓮社
」 な る 社 名 を 見 る こ と は な い 。 湯 用 ホ 彫 氏 は 『 漢魏
兩
晉南
北朝
佛
教 史 』 上Komazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) く 慧 遠 の 結 社 が 「 蓮
社
」 で あ る こ と が 定 着 し た の で あ る 。 そ れ で は 、結
社 の メ ン バ ー に つ い て は ど う だ ろ う か 。 実 は 、李
公 麟 が 知 っ て い た 結社
の中
心 人物
で あ る十
八 賢 人 も 結 れ社
当時
の メ ン バ ー で な い こ と は、 鎌 田 茂雄
氏 の 「 『 出 三蔵
記集
』 の 慧 遠 伝 で は 、彭
城 の劉
遺
民 ・雁
門 の 周続
之 ・ 新蔡
の畢
頴 之 、 南 陽 の 宗炳
の 四 人 の 名 が あ げ ら れ 、 『高
僧 傳 』 の 慧 遠 伝 で は 彭 城 の 劉遺
民 ・ 予 章 の雷
次 宗 ・ 雁 門 の 周続
之 ・ 新 蔡 の 畢頴
之 、 南 陽 の宗
炳 ・張
莢
民 ・張
季 碩 な ど の名
を あ げ て い る 。 」 と い う指
摘
か ら も明
ら か で あ る 。 慧 遠 の 結 社 当 時、 共 に あ っ た 劉 遺 民 ( 程 之 ) の誓
文
は、 百 二 十 三 人 の 社 員 が あ っ た こ と の み 記録
し て い る 。 『出
三 蔵記
集
』 や 『 高 僧傳
』 の メ ン バ ー を 引 き継
い で い る宋
代
の 文献
は、 『 浄 土 往 生傳
』 で あ ぜ る 。 巻 上 釋 慧 遠章
に は 、 彭 城 劉 遺 民 ・ 豫 章 雷 次 宗 ・ 雁 門 周 續 之 ・ 新 蔡 畢 頴 之 、 南 陽 宗 炳 ・ 清 河 張 野 、 並 棄 世 遺 榮 、 依 遠 遊 止 。 遠 與 遺 民 而 下 僧 俗 一 百 二十
三 人、 結 爲 浄 社 。 於 彌 陀 像 前 、 建 誠 立 誓 。 期 升 安 養 。 仍 令 遺 民 撰 文 以 刻 之 。 当 時 或 稱 蓮 社 。 と あ り、 特 に 「 新蔡
畢
頴 之 」 な る 人物
が 共 通 し て 記 さ れ て い る が 、 李 公 麟 の 「 白 蓮社
図 」 に描
か れ て い な い こ と は 、 「 元中
記 」 よ り 明 ら か であ
る 。 「 白 蓮社
図 」 に 描 か れ て い た十
八賢
人 の、 特 に 僧侶
以 外 の 顔 ぶ れ に ほ ぼ 近 い の は 、 『大
宋
僧史
略 』 の 「雷
次宗
・宗
炳 ・ 三 六 四 張 詮 ・ 劉遺
民 ・ 周 續 之 等 」 、 『釋
氏
要 覧 』 の 「 劉 遺 民 ・宗
炳 ・雷
次宗
・ 張 野 ・ 張 詮 ・ 周續
之等
」 で あ る 。 お そ ら く 、 こ の 両書
に よ っ て 十 八 賢 人 の 顔 ぶ れ は確
定 し つ つ あ っ た と考
え ら れ る 。 た だ し 、 以 上 の 資 料 の いず
れ も 「十
八賢
」 に つ い て の記
述
で は な い 。 つ ま り 、 白 蓮社
の十
八 賢 人 の 故 事 は 完 全 に成
立 し た と は い え な い の で あ る 。 し か し 、 李 公 麟 は 慧 遠 の結
社 が ( 白 ) 蓮社
で あ り、併
せ て ゼ十
八 賢 人 を 意 識 し て 図 を描
い て い る 。 で は 、情
報
源 は ど こ か 。 こ の検
討 は、 白 蓮 社 図 成 立 の直
接
的
な 要 因 の 探 究 の た め な の は も ち ろ ん、 図 を 描 く 際 の 、李
公麟
の 環 境 を 推 察 す る 上 で 必要
と考
え る 。 (一 一 )白 蓮 社 図 の
情
報源
李
公 麟 は、 何 に 基 づ い て 白蓮
社
図 を 描 い た の か 。 結論
か ら な い え ば 、陳
舜 愈 『廬
山 記 』巻
三 「十
八 賢傳
第
五 」 ( 以 下 「 十 れ 八 賢 伝 」 ) か 、 同書
序
文 に 指摘
さ れ た 「舊
十 八 賢 傳 」 ( 以 下 「 旧 十 八 賢 伝 」 ) が 最 も 近 い の で は な い か と考
え る 。 「 十 八 賢 伝 」 は 、 そ の 表 題 ど お り十
八 人 の賢
人 が 以下
の順
序
で 並 べ ら れ て 『 廬 山 記 』 に収
め ら れ て い る 。 社 主 遠 法 師 ・ 彭 城 劉 遺 民 ( 程 之 ) ・ 豫 章 雷 次 宗 ・ 雁 門 周 續 之 ・ 南 陽 宗 炳 ・ 南 陽 張 野 ・ 南 陽 張 詮 ・ 西 林 覺 寂 大 師 ( 慧 永 ) ・ 東 林 普 濟 大 師 ( 竺 道 生 ) ・ 釋 慧 持 法 師 ・ 鬪 賓 佛 駄 耶舎
尊 者 ・ 厨 賓 佛 駄 跋 陀 羅 尊 者 ・ 釋 慧 叡 法 師 ・ 釋 曇 順 法 師 ・ 釋 曇 恒 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 法 師 ・ 釋 道
禺
法 師 ・ 釋 道 敬 法 師 ・ 釋 曇 読 法 師 社 主 慧 遠 を 除 く前
半 に 文 人、 後半
に僧
侶
と い う 配置
に は 陳氏
の意
図 が あ っ た か も し れ な い が 、 そ の件
に 関 し て は 今 回 ふ れ な い 。李
公 麟 の 蓮社
図 は、 「 元 中記
」 に 基 づ け ば 、 『 廬 山 記 』中
の 十 八賢
人 の メ ン バ ー と す べ て 一致
す る 。 蓮社
図 の 情報
源確
定 に お い て 、 も う 一 つ の 条件
は 「 白 蓮 社 」 「 蓮社
」 と い う 単語
の有
無
で あ る 。 「十
八 賢 伝 」 に は 大 抵 の 場合
、 慧 遠 の 浄 土 教 結社
と い う 意味
で あ ろ う 「 遠 公 浄 社 」 や 、浄
土 教結
社
と い う意
味
の 「浄
土 之社
」 と 表 記 さ れ て い る 。 「 蓮 社 」 と い う言
葉 は た だ 一 つ 、釈
曇
読 法師
章 の 末 尾 に 「注
維
摩 経 、著
窮
通 論 ・ 蓮社
録
。 」 と あ る の み で あ る 。 さ て 、 十 八 人 の 賢 人名
と 唯 一 と は い い な が ら も 「 蓮 社 」 の 言 葉 の あ る 「十
八 賢 伝 」 は 、 李 公 麟 の 情報
源 の条
件
に か な っ て い る 。 し か し 、 同 書 と は 確 定 し づ ら い 問 題 点 が 二 つ あ る 。 一 つ は、 『 廬 山記
』 の成
立年
と 出版
時 期 で あ る 。 同 書成
立 む は李
常
二 〇 二 七 〜 一 〇 九 〇 ) の序
文 よ り煕
寧 五 年 ( 一 〇 七 二 ) で あ る こ と が わ か る 。 余 昔 者 讀 書 山 中 。 愛 其 泉 石 塔 廟 之 志 之 不 詳 遺 古 略 近 。 或 出 於 愚 夫 野 老 之 語 。 言 口 辞 贅 。 可 取 者 無 幾 。 將 討 論 刪 次 之 。 未 皇 暇 也 。 後 二 十 年 。 讎 書 秘 閣 得 廬 山 記 。 欣 然 以 喜 。 以 爲 夙 願 獲 遂 。 而 考 其 所 載 。 疏 略 尤 甚 。 煕 宙 丁 五 年 。 嘉 禾 陳 令 擧 舜 兪 謫 官 山 前 。 酷 嗜 遊 覧 。 以 六 十 日 之 力 。 盡 南 北 高 深 之 前 。 書 行 山 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) 間 。 援 毫 折 簡 。 旁 鈔 四 詰 。 小 大 弗 擇 。 夜 則 發 書 攻 之 。 至 可 傳 而 後 已 。 其 高 下 廣 狹 。 山 石 水 泉 。 與 夫 浮 屠 老 子 之 宮 廟 。 逸 人 達 士 之 居 舎 。 廢 興 衰 盛 。 碑 刻 詩 什 。 莫 不 畢 戴 。 而 又 作 俯 視 之 圖 紀 。 尋 山 先 後 之 次 。 泓 泉 塊 石 。 無 使 遺 者 。 成 書 凡 五 巻 。 後 三 年 。 余 守 呉 興 。 令 擧 扁 舟 相 過 。 以 余 山 前 之 人 也 。 出 藁 見 授 。 請 鏤 諸 板 。 蔵 之 山 間 。 會 余 蒙 恩 移 濟 南 。 遽 與 之 別 。令
擧 尋 復 物 故 。 余 盆 以 事 役 。 犇 走 四 方 。 思 】 旋 帰。 茫 不 可 得 。 輒 序 其 誤 述 之 勤 貽 。 好 事 君 子 。 庶 幾 成 令 擧 之 志 充 秘 閣 校 理 李 常 序 「 蓮 社 図 」 が描
か れ た の は、 「 元中
記 」 に よ れ ば 、 元 豊庚
申
二 〇 八 〇 )十
二 月 〜 翌 一 月 で あ る 。 そ の 差 八年
。 李 公麟
が同
書
を見
る こ と が で き た か 、 微妙
な の で あ る 。 こ の序
文 に よ れば
『 廬 山記
』成
立後
三年
、李
常
が 呉 興 ( 現 浙 江 省 呉 興 県 ) に 居 た と き 、 陳 氏 が開
版 を 頼 ん だ が 、李
氏 は ま も な く済
南
( 山 東 省 歴 城 県 ) へ移
動 し 、 そ の う ち陳
氏 が 亡 く な る 。 李氏
は開
版
の責
を果
た そ う と し た が 、結
局 果 た せず
、 「好
事
君 子 。 庶幾
成
令
擧
( 陳 舜 愈 ) 之 志 」 と結
ん で い る 。李
常
は 王 安 石 ( 一 〇 二 一 〜 一 〇 八 六 ) の 新 法 二 〇 七 〇 ) に 反対
し て 左遷
さ れ て い る 。 こ の 序 文 は少
な く と も 、 煕 寧 五年
の 三年
後 ( 一 〇 七 五 ) に書
か れ て い る か ら 、 お そ ら く流
罪 の最
中
で あ ろ う 。 い く ら陳
氏 の 頼 み と は い え 、同
書
の 開 版 の 労 を 取 る術
が な か っ た の で は な い だ ろ う か 。李
常
在
世 中 に 開 版 が 成 ら な か っ た な ら ば、 李 公 麟 が 同 書 を み る こ と は 限 り な く 不 可能
に 近 い 。 三 六 五 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service ば
無
難 に 、 伝 記 が慧
遠 ほ ど 認 識 さ れ て い な い 曇 読 に 仮 託 す る だ ろ う 。 ま た、仮
に存
在
し て い な か っ た と し て も 、 「十
八賢
伝 」 と 「 蓮 社 」 を 結 び付
け る た め に 必 要 な ア イ テ ム だ っ た の で は な い だ ろ う か 。 い ず れ に し て も、 李 公麟
の閲
読
し た で あ ろ う 十 八賢
人 の 伝 記 に は 、 慧 遠 の結
社
は 基本
的 に 「 遠 公 浄社
」 や 「 浄 土 之 社 」 と 記 さ れ て い た の は明
ら か で あ る 。 し か し 、 李 公 麟 の描
い た 図 が 「 蓮社
図 」 と命
名
さ れ て い る の も 事 実 で あ る 。 こ れ に つ い て 、 李 公 麟 に と っ て の 「 白 蓮社
」 の 故 事 は 、 仏 教説
話
や浄
土 教 信仰
の シ ン ボ ル と し て よ り も 、 知 識 ・ 教養
の 一 つ だ っ た の で は な い か と、筆
者
は解
釈
す る の で あ る 。 も っ と分
か り 易 く い え ば 、 「 慧遠
の結
社11
蓮社
11
十 八 賢 人 の 住 処 」 の 図式
を 疑 い な く把
握 し て い た こ と は、 つ ま り こ れ が李
公 麟 に と っ て の 「 正 し い 知識
」 だ っ た と考
え ら れ る の で あ る 。 ( 三 ) 白 蓮 社 図 の 情 報 源「
本
稿
の 目的
」 に お い て 、 小 川 氏 の 説 を 引 用 し た が 、李
公麟
に と っ て 「 白蓮
社
図
」 を 描 く き っ か け と は何
だ っ た の か を 、次
に 考 え て み た い 。 こ れ に よ っ て 「白
蓮
社
図 」成
立 の 遠 因 と な る 情 報 が 見 え て く る か ら で あ る 。 公 麟 が こ の絵
を描
く 数 十 年 前 、神
照 本如
( 九 八 二 〜 】 〇 五 〇 ) が営
む結
社
に対
し、 仁 宗 ( 在 位 一 〇 二一 二 〜 一 〇 六 三 ) よ り む 「 白蓮
社
」 の 称号
が 贈 ら れ て い る 。李
公 麟 が活
躍 し た当
時 は 、 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 )本
如 の 弟 子 処 譲 ら が結
社
を 引 き 継 い で い た 。実
際 、 こ の結
社
に ど れ ほ ど の 影 響力
が あ っ た の か 筆 者 の管
見 の 及 ぶ と こ ろ で は な い が 、 浄 土 教 は 天台
を は じ め 禅 や律
と い っ た北
宋後
期 の仏
教学
の 主 流 に 少 な か ら ぬ 影響
を 与 え た こ と は 、従
来
の研
究
成
果
よ り 明 ら か で あ る 。 ま た 、 そ れ に は 仏 教 者 な らず
と も 影響
を与
え ら れ た は ず で 、宋
代
浄
土 教 関 係 の 研究
書
・ 概論
書
に多
く の 士 大 夫 ・ 文 人 の名
が挙
が っ て い る か ら 、 こ こ で 一 々 を論
ず る こ と は し な い 。 そ し て 、 こ の 影 響 は 公 麟 に も例
外
な く あ っ た こ と だ ろ う 。 さ ら に 、 そ れ は 「 蓮 社 」 を画
題
と し て取
り 上 げ よ う と 考 え た 冖 つ の 遠因
で あ っ た に ち が い な い 。 「 白 蓮 社 」 の故
事
が北
宋 代 に注
目 さ れ た の は 、 慧遠
像
の再
評
価
と い う 動 き だ っ た の か も し れ な い 。 ( た だ し こ の 件 に 関 し て は、 い ま し ば ら く の 検 討 を 要 す る の で 、 こ こ で は 保 留 と す る 。 ) し か し 、李
公 麟 に は慧
遠 を 注 目 す る も う 一 つ の 理由
が あ る 。 そ れ は 、 公麟
の家
柄 に 関係
す る 。 張澂
( 未 詳 ) は 一 説 に 公 麟 の 甥 と さ れ て い る 。著
書
『畫
録
り廣
遺
』 に は 、 公 麟 の 伝 記 が 比較
的 く わ し く書
か れ て い る 。内
容
は、 お お か た 『 宋史
』 や 「宣
和
畫譜
』 か ら出
る こ と は な い が、気
に な る 一 節 が 見 ら れ る 。 そ れ は、 李 伯 時 人 品 如 晉 宋 間 人 物 。 本 江 南 李 氏 之 遠 族 。 で あ る 。曹
樹
銘
氏 は、 こ の 「 江南
李
氏 」 の呼
称
は 五代
南
唐
の へ あ 李 後・ 王 焜 の 言 葉 と 伝 え ら れ て い る こ と を 示 し て い る 。張
澂 よ 三 六 七 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) り
若
干
年
下
で あ ろ う 、 周 必 大 (=
二 六 〜 一 二 〇 四 ) の 『 文 お ソ 忠集
』 巻 四十
九 「題
鞠
城 銘 」 に は 、 李 公 麟 字 伯 時、 堂 弟 粢 字 徳 素、 南 唐 李 先 主 昇 ( 正 し く は 昇 ) 四 世 孫 。 と あ る 。李
公 麟 が南
唐
李
氏
の 末裔
で あ る な ら ば 、慧
遠
と 深 い 関 係 が あ る 。 慧遠
に は い く つ か の 謚 が あ る 。 『 佛祖
統 紀 』 巻 二 六 を 参 照 す れ ば 、 唐 宣 宗 大 中 二 年、 追 謚 辯 覺 大 師 。 昇 元 三 年 追 謚 正 覺 。 舖 糖 韓 娚 翻 脚 籍 齲 祖 大 宋 太 平 興 国 二 年 追 謚 圓 悟 大 師 凝 寂 之 塔 。 と あ る 。 つ ま り 、 公 麟 の 祖 先 は 慧 遠 に 追謚
し て い た の で あ る 。 い う ま で も な く、 家 意 識 の 強 か っ た漢
民
族
の性
質 に お い て、慧
遠 の 追 謚 は李
公 麟 に 少 な か ら ぬ 意識
を向
け さ せ た の で は な い だ ろ う か 。 「 白蓮
社図
」成
立 の遠
因
を 考 え る 上 で 、 も う 一 つ考
え な け れ ば な ら な い の は 、 「 白 蓮 社 図 」 に は、 二 十 二 人 の 登 場 人物
、 即 ち十
八 賢 人 と さ ら に 四 人 描 か れ て い る こ と で あ る 。 こ の 四 人 と は 、謝
霊 運 ・陶
淵 明 ・ 陸脩
静 ・ 捕 蛇 翁 で あ る 。 ( た だ し 、 残 念 な が ら 捕 蛇 翁 は 特 定 で き な い 。 )陳
舜
愈
「 十 八賢
伝
」 に は 、 謝 霊 運 が 慧 遠章
に、陶
淵 明 が 周 続 之章
に 登 場 す る が 、陸
脩
静
・捕
蛇 翁 は み え な い 。 「 白 蓮社
」 と い え ば 十 八 賢 人 と考
え て い た の な ら ば 、他
の 四 人 を付
す 必 三 六 八 要 は な い は ず だ 。 で は、何
故
彼 ら を 登 場 さ せ る 必要
が あ っ た の だ ろ う 。謝
霊運
・陶
淵 明 は 、 李 公麟
が活
躍 し た こ ろ 、特
に文
芸面
で再
評
価
さ れ て い た 。 四 六駢
儷
体
の 見 直 し を ス ロ ー ガ ン と す る ロ む古
文復
興 運 動 で あ る 。 塩 谷 温 氏 の 『 中 国 文学
概
論
』 に よ れ ば 、古
文 と駢
儷 は 主 導 権争
い を繰
り 返 し て き た 。 「字
句
・声
律
の 拘束
を 受 け な い自
由
自在
の 散 文 」 で あ る古
文 と、 「 声律
を 調 え対
語 を排
し た 」 「美
文辞
」 で あ る 駢儷
は 、 そ の特
徴
を最
大
限 に 発 揮 し た と き 、 そ れ ぞ れ の弊
害
を 指摘
さ れ る と い う歴
史
を持
っ て い る 。 李 公 麟在
世
当
時 も、 ま さ に 文体
改
革
の最
中
で あ っ た 。蘇
軾 は 「 潮 州韓
文
公 廟碑
」 の中
で 「 文 は 八代
の ヨ 衰 を 起 す 」 と い っ た と い う 。 八代
と は後
漢 か ら唐
に到
る ま で ら ヨ を指
す 。 こ の 間、 魏 の建
安 七 子 に 代 表 さ れ る 四 六 駢儷
体
の 全 盛 だ っ た と さ れ て い る 。 こ の時
流 の 中 で、 古 文 を 守 り 抜 い た と評
価
さ れ た の が 陶 淵 明 な ど だ っ た 。蘇
軾 以下
、 後 に い わ ゆ る唐
宋
八 大家
と 呼 称 さ れ る当
時
の 文 章家
達 の 理想
像 こ そ 、陶
淵明
や謝
霊運
だ っ た の で あ る 。 文 章 を武
器 と し て 、政
治世
界 に 生 き残
り を か け る 士 大夫
達 の 理 想 像 で あ る陶
淵
明 や 謝 霊 運 が 、政
界
か ら 脱 落 し 田 園 に身
を置
い て山
水 と酒
を 愛 し た自
由
人 だ っ た の は、 偶 然 で は な い だ ろ う 。彼
ら の 人物
像 に 思慕
し ゆ て い た の が 、 李 公麟
ら北
宋
の 士 大 夫 だ っ た の であ
る 。 陸脩
静 ( 四 〇 六 〜 四 七 七 ) は 、 道 士 で あ り な が ら 慧 遠 と の N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 交 流 を
伝
承 さ れ た 人 物 で あ る 。 慧遠
が 老 壮 に 通 じ て い た こ と あ か ら 生 ま れ た組
み合
わ せ だ が、 史実
と し て は 無 理 が あ る 。陶
淵 明 と 慧遠
と 陸氏
が虎
渓 で 大笑
い し て い る 「 虎 渓 三笑
図 」 は、 李 公 麟 と ほ ぼ同
時
代
に 生 き た 石恪
〔 未 詳 ) を始
め と す ホ ね る 説 も あ る が、 通常
こ の 絵 は 儒 ・仏
・ 道 の 三 教 融 合 の象
徴
と 理解
さ れ て い る 。 そ れ で は 、 「 白 蓮社
図 」 に お け る陸
氏 は ど の よ う な意
味 を 示 し て い る の か 。 「 元中
記 」 に よ れ ば 、 前 有 僧 與 道 士、 相 促 而 咲 者、 遠 公 送 陸 道 士 過 虎 溪 也 。 と あ り 、 二 人 で 笑 っ て い る 場 面 と な っ て い て 三 教 と は い え な い 。 こ の 辺 り が、李
公 麟 の 「 白 蓮 社 」 の 物語
に 対 す る ス タ ン ス と 捉 え ら れ る か も し れ な い 。 す な わ ち 、 宗 教 的 な 題材
を扱
い な が ら仏
教 徒 だ け を 描 く わ け で は な く 、 か と い っ て 三 教 融合
と い う よ う な 立 ち 入 っ た 議論
を意
識
し て い た わ け で も な い 。 つ ま り、 李 公 麟 は 「 白 蓮 社 図 」 を 描 く 上 で の情
報
を、 宗 教 的 と い う よ り は む し ろ 物 語 と 理解
し て い る に す ぎ な い と 考 え る の で あ る 。 ( 四 )「 白 蓮 社 図 」 の
第
一 次鑑
賞
者 と そ の影
響 さ き ほ ど よ り触
れ て い る 「 元中
記
」 の作
者李
沖 元 は 、 「 自 蓮社
図 」 の第
一 次 鑑 賞 者 で あ る 。 「 元中
記 」 を 読 め ば 「白
蓮社
図
」 が ど の よ う に 描 か れ て い る か が手
に 取 る よ う に わ む か る 。 李沖
元 は 「 元 中 記 」 に 、 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) 龍 眠 李 伯 時 、 爲 余 作 蓮 社 十 八 賢 圖 。 追 寫 當 時 事、 按 十 八 賢 行 状 。 と し 、 公 麟 が 沖 元 の た め に こ の 図 を 書 い た と 記 し て い る 。沖
元 は こ の 図 を も ら う と 、 余 得 之 、 遊 居 寝 鮮 其 下 。 客 来 觀 者 、 或 未 知 蓮 社 事 、 因 記 其 後 。 覧 者 當 自 得 之 也 。 と 記 し て 、 そ の喜
び の大
き さ を 示 し た 。 更 に 、 ・ 爲 此 圖 凡 三 十 八 日 而 成 。 ・ 圖 成 于 元 豊 庚 申 十 二 月 二 十 五 日、 越 明 年 辛 酉 正 月 二 十 六 日 。 と記
し て い る こ と か ら 、 こ の 図 の 作成
現 場 を 見 、李
公麟
よ り直
接
得
て い る 可能
性 は高
い 。 ま た そ の 喜 び 様 か ら す る と 、沖
元 が 公 麟 に リ ク エ ス ト し た の で は な い か と さ え、思
え て く る 。 い ず れ に せ よ、 沖 元 は 「白
蓮 社 図 」 完 成直
後
の 鑑賞
者
で あ る 。第
} 次 鑑賞
者 の 影響
は 大 き い 。 特 に模
写 と鑑
定
、 そ し て 元中
記 の 記 述 を 元 に し た作
画 の 三 点 に お い て であ
る 。 ま崇
寧年
間
( 一 一 〇 二 〜 一 一 〇 六 )前
後
に活
躍
し た李
昭
瑁 の あ 『 楽 静 集 」巻
九 に 「 跋 孟 仲寧
畫
蓮 社圖
」 の 文章
が あ る 。 冒頭
に は 、 舒 城 李 伯 時 作 蓮 社 圖 。 士 大 夫 傳 以 爲 佳 玩 謂 可 與 輌 川 並 馳 。 頴 川 晁 无 咎 復 得 遺 意 頗 加 損。 蓋 集 古 名 筆 以 緡 工 孟仲
寧 爲 之 。 三 六 九 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) と 記 さ れ て お り、 晁 无 咎 が 孟
仲
寧
に模
写
さ せ た ら し い こ と が ロ 伺 え る 。 晁 无咎
と は 晁 補 之 ( 一 〇 五 三 〜 一=
○ ∀ の こ と で、李
昭 珊 と も つ な が り が あ り 、 か つ 李 公麟
と も 面識
が あ っ た よ ハ ロ れ う で あ る 。 晁氏
は 『 无 咎 題 跋 』 に 「 題白
蓮
社
圖後
」 と し て 、 孟 仲 寧 獨 善 學 知 余 得 意 と 記 し、 孟仲
寧
の作
品 に 晁 氏 の 意 が 表 れ て い る こ と を 示 し て い る 。 こ の 晁氏
の 「 意 」 を 、 李 昭 珊 は李
公 麟 の遺
意 と解
釈
し て い る よ う だ 。 おり 「 元中
記
」 を 鑑 定 に使
っ た の は 、樓
鑰 ( 一 = 二 七 〜 一 二 一 む 三 ) で あ る 。著
書 『攻
婉 集 』 巻 七十
二 に は、 「 跋朱
叔
止所
蔵
書
畫
龍
眠 蓮社
横
巻 」 と し て、 余 得 蓮 社 圖 。 高 三 尺 横 二 尺 、 筆 力 精 勁 、 五 彩 煥 発、 妙 絶 一 世、 龍 眠 眞 筆 也 。 此 爲 横 軸 大略
相 似 。 時 有 不 同 元 中 之 記 。 去 ( 書 力 ) 童 子 蹲 而 汲 水 者 一 人 時 有 二 。 書 猿 一 肇 一 而 猿 亦 有 二 肇 則 鹿 也 。 元 中 書 甚 工、 既 非 其 親 書 、 疑 別 爲 冖 圖 作 記 。 余 所 蔵、 童 子 汲 水 及 猿 皆 一 而 肇 則鹿
也 。 龍 眠 爲 此 圖 妙 意 非 一 。 自 知 愛 重 或 縦 或 横 意 。 必 有 数、今
恨 未 能 盡 見 也 。 此 巻 謝 康 楽 不 爲 長 鬣、 捕 蛇 翁 亦 欠 朴 意 之 状 。 必 有 能 辨 之 者 。 と い う跋
文 が収
録
さ れ て い る 。 こ の中
で樓
氏 は 、 李 公麟
の絵
が 一 つ と は 限 ら な い 可 能性
を指
摘
し 、 「蓮
社 図 」 が複
数存
在 し て い る こ と を 示 し て い る ( 傍 線 部 ) 。 樓氏
が見
た 「蓮
社 図 」 が李
公 麟 の真
作
か ど う か定
か で は な い が 、 「 元 中 記 」 が 「蓮
三 七 〇社
図 」 鑑 定 の 基準
と な っ て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 ま た、 「 元中
記 」 に よ っ て作
画 さ れ る 例 と し て は まず
、 卍 を続
蔵
所 収 『東
林 十 八高
賢
傅
』巻
頭 の 図 が 挙 げ ら れ る 。 「 元 中記
」 に は、 ど の 部 分 か ら描
写 し て い る か 明 ら か で は な く、 李沖
元 の 目 に 留 ま っ た と こ ろ か ら 始 ま っ て い る は ず だ が 、続
蔵本
は 、 左端
か ら 「 元中
記
」 の記
述 順通
り に人
物
が 並 ん で い て、 「 元中
記 」 に 沿 っ て 描 か れ て い る と し か考
え ら れ な い ほ ど条
件 は 整 っ て い る 。 更 に、 日本
の 資料
で あ る長
西 (=
三 ご 四 〜 一 二 六 六 ) の 『 浄 土依
憑経
論
章
疏 目 録 』 に 、 廬 山 十 八 賢 畷 斛 本 一 巻 酬 龍 眠 唐 人 と あ る 。 お そ ら く 、 『東
林十
八 高賢
傳 』 に 類似
し た 書 物 で、 図 が 付 さ れ て い た の だ ろ う 。 『東
林
十 八 高 賢 傳 』 に は 執 筆者
ら し い 人名
が な い が、 同書
の 編者
も そ れ ら し い 人名
が 見 つ か ら な か っ た た め 、付
随
し て い た 「 元中
記 」 に あ る 「 龍 眠 李沖
元 」 と い う名
前
を ( と り あ え ず か ま た は 誤 解 し て ) 著者
と し て記
載 し た に違
い な い 。 ( 五 )「 白 蓮 社 図 」 の 波 及 と
第
二 次 鑑 賞 者 「白
蓮社
図 」 は 、 画 家李
公 麟 の ネ ー ム バ リ ュ ー と 図 の 存在
を 知 ら し め た李
沖
元 の 「 元 中 記 」 に よ っ て 知 ら れ る よ う に な っ た 。 そ し て、李
公 麟 の真
作 如 何 に関
わ らず
、 図 は 各 地 で 見 る こ と が で き る よ う に な っ て い っ た 。 前 述 の樓
鑰
が 、朱
叔
止 の 所 蔵 し て い た蓮
社
横
巻
を 見 た 頃 、 N工 工一Eleotronlo LlbraryNII-Electronic Library Service 陸 游 ( 一 一 二 五 〜 → 二 一 〇 ) は
蜀
で 「白
蓮社
図 」 を 手 に 入 れ て い る 。 予 在 蜀 得 此 二 巻 。 蓋 名 筆 規 模 。 龍 眠 而 有 自 得 処 。 季 子 子 肆 手 自 装 褫 蔵 之 。 慶 元 丁 巳 ( 一 一 九 七 年 ) 中 秋 前 三 日放
翁
識 こ う し た図
の波
及 は 、 も は や 画 家 の意
図 を 考慮
さ れ な い 状 況 に 陥 ら せ る 。 鑑 賞 し た こ と 、手
に 入 れ た こ と が 、 あ る 意味
ス テ ー タ ス と な り 、 画家
や 作 品 の 真贋
さ え も 考 え ら れ な く なあ る 。 か わ っ て
生
ま れ る の が 、 鑑賞
者
の自
由 な 感 想 で あ る 。識
字 層 は こ れ を 題 画文
学 の形
で遺
し て い る 。 つ ま り、 「 白蓮
社
図 」 の フ ァ ン の 数 だ け 題 画 詩 文 は残
っ て い る わ け で あ る 。 こ う し た 鑑賞
者
を 第 二 次 鑑 賞 者 と位
置
づ け る 。 紙 幅 の関
係 上 、 「白
蓮社
図 」 に対
す る題
画 文学
の内
容
の検
討
は 次 の 機会
に 譲 る こ と に す る が、 現 在 ま で に 探 し当
て ら れ た 文 章 の 題名
を 列 記 し て お こ う と 思 う 。 ・ 鄭 景 望 ( 南 宋 ) 『 蒙 斎筆
談
』 文中
・宗
暁 二 ] 五 一 〜 一 二 一 四 ) 『 楽邦
遺
稿
』 に 「廬
山 蓮社
圖 記 」 ・北
硼 居簡
(=
六 四 〜 一 二 四 六 ) 『 北澗
文
集 』 に 「 跋蓮
社
圖 」 ・ 物 初 大 観 二 二 〇 一 〜 = エ ハ 八) 『物
初
謄
語
』 に 「蓮
社 圖 」 ・無
文道
燦 ( 〜 一 二 七 一 ) 『 無文
道
燦
禅
師
語 録 』 に 「 題蓮
社
圖 」 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 )特 に 、 北 燗 と
彼
に親
し い 物初
・ 無 文 が 同 じ 図 に詩
文
を 作成
し て い る あ た り は 興味
深 い と こ ろ で あ る 。 筆者
は 、 まず
彼 ら を禅
僧
と い う カ テ ゴ リ ー で縛
る の で は な く 、 「 白 蓮社
図 」 の 一 フ ァ ン と し て捉
え て い き た い と 考 え て い る 。 そ し て、 い っ た い ど の よ う な 思想
で同
図
を見
て い た の か 、 鄭 氏 や宗
暁 な ど と 比較
し つ つ把
握
し て み た い 。 四 、 結論
普
段
、 博物
館
や 美術
館 の 展 示 で み る キ ャ プ シ ョ ン は、 何 に 基 い て書
か れ て い る の だ ろ う 。 こ の 疑 問 が 絵 画 を 研究
材料
と し た 、筆
者 の そ も そ も の契
機
で あ る 。 あ る作
品 の 歴史
を成
立時
点
ま で 溯 る の は 、極
め て 困 難 で あ る 。 何 故 な ら ば、 画 家自
身 が作
品 に対
し て コ メ ン ト す る の は 、 宋 代 に お い て は 、少
数
だ か ら で あ る 。 で は 、現
在筆
者
を含
む 鑑賞
者 が 目 の 当 り に す る絵
画史
の 大部
分 は 、 鑑 賞者
の 築 き 上 げ た 歴 史 な の で は な い だ ろ う か 。李
公 麟 に よ っ て 描 か れ た こ と は 「 白 蓮社
図
」 の歴
史 の第
→ ペ ー ジ で あ る 。 こ の図
が 、 以 降 描 か れ る他
の図
に対
し て与
え た様
式
的
な影
響
を検
討 す る の は 、絵
画史
の 重要
事
項 で あ ろ う 。 し か し、 図 に対
す る 鑑賞
者
の様
々 な解
釈
が、複
数 ( ま た は複
数 種 ) の作
品
を生
み出
し、 次世
代
の絵
画
作
品 や 画家
、 鑑賞
者
に 影 響 を与
え て い る と い う 歴史
も 「方
に存
在 す る 。 筆 者 三 七 一 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
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Kom 三1z三1w三1 Umversrty 白 蓮 社 図 の 歴 史 ( 道 津 ) が 冒 頭 で 述 べ た 社 会