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フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(一): 沖縄地域学リポジトリ

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Title

フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的

展開(一)

Author(s)

小西, 吉呂

Citation

沖大法学 = Okidai Hōgaku(16): 1-32

Issue Date

1995-03-17

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6601

(2)

フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(二

八七六五四三 日マーーョール報告(以上本号) 口医学Ⅱ心理学会における議論 日草案の基本的性格 一一一九三一一年草案の総則および一一一四年草案の総則 一はじめに 一九三七年リスボンⅡカンブリーブ提案 おわりに フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(|) 一九八三年草案の総則 一九七六年草案の総則および七八年草案の総則 一九五九年精神異常犯罪者法草案 一九四八年リル草‐案

目次

小西吉呂

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これらの立法提案は、一八一○年刑法典にかわるものとして、あるいはそれを補充するものとして登場した。したがっ

て、本稿ではその両者を比較することに主眼がおかれ、今回成立した刑法典に言及することは他日の課題である。

(1)拙稿「フランスにおける刑事責任能力論」法と政治一一一一一一巻三号一四七頁(’九八一一)、同「フランス刑法における責任能力論

本稿において取り上げる予定の立法提案は以下の通りであぶ屯

は同時に、すでに公表している筆者の諸論説を補完する意味をも含むものである。

題、さらにはこの問題と密接な関係にある触法精神障害者に対する保安処分問題を包括的に扱うことにした。この試み

の関心をもち続けてきた者の一人として、これを機会に過去のフランス立法提案における触法精神障害者の責任能力問

(刑)法典にかわるものである。これによって、いわゆる触法精神障害者の責任能力規定も一変した。この問題に多少

フランスでは、一九九二年七月に新しい刑法典の成立をみた。それは、一八一○年以来生き続けてきたナポレオン

一九一一一一一年草案の総則および一一一四年草案の総則 一九三七年リスボンⅡカンブリーブ提案 はじめに 沖大法学第十六号 一九八三年草案の総則 一九七六年草案の総則および七八年草案の総則 一九五九年精神異常犯罪者法草案 一九四八年リル草案

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の変遷と限定責任能力問題」法と政治一一一六巻一号一二一頁(’九八五)、同「フランスにおける精神病者の刑事『責任化 (円ののでopmgEmgHop)』をめぐる動向」法と政治三八巻一号一六九頁(’九八七)、同「『精神障害』者に対する刑事『責任 化』について」沖大法学八号一頁二九八九)。 (2)立法作業の思想的背景については、さしあたり以下の文献を参照して頂きたい。B○℃のN‐罰の].シの□の○筋の一頁○ヶ]の曰のの」の」ロ 8q屋・巴』・ロロのロロ]の口」ずの貝のロ・旨の」]Pmの目の」のの。」のロ・の○口目のロの」』の①一旦の号・』一己の:}8日ご口&》]①$》□・」の←の曰く. また、戦後の草案作成作業については、以下の文献に手際よくまとめられている。レロ・の」》[ロゴ・号昌・ロ8日ロP3弓の》&口の 》旧のごロの印の目)げのmq凸旨PロロローmppoH日ロ呉日のロ{口員》〕①、P□・貝の一m己『一』・aP〕旧のの急』旨Pロ:←の四]芯口の、の一 口ロ○吋目P員曰の三口貝》」C宝)で」sの言の巳『. (3)これら以外にも注目に値する立法提案あるいは施策がみられる。以下では、それらの若干を年代順に紹介しておこう。 ①まず一八三八年六月一一一○日の法律が重要である。この法律は三章から成り、四一条を含んでいる。第一章は精神病者の施設 に関連する規定を含む。それは各県に精神病者施設を設置する義務または精神病者の受け入れにあてられた施設に(治療につい て)交渉する義務を課する。また、それら施設の設置、運営、監督の様式についても定める。第二章は四節から成る。第一節は 親族その他の同意による入院を、第二節は公的機関による措置入院をそれぞれ規定する。第三節は精神病者に対する援助を確保 するための財政上の規定から成る。第四節は病者の人権および財産を保護するための規定から成る。最後に、第三章はこの法律 の規定に違背する施設の長および医師に科せられる刑事制裁について規定する。以上につき、つぎの文献を参照されたい。 勺○局○(》三口目の』巴ロゴ&詮pこの□の□の旨・宮9口の》」①副]□・画□』・ この法律の意義について、ショポーⅡエリは以下のように述べている(oggのpこの一国&の》曰忌・ロの昌○・ロの□のご巴》@の &・’一・戸』②雪》□・$四・)。「’八三八年法は、われわれの立法のなげかわしい欠陥を埋めることになった。それまでは、公の 安全を脅かす精神病者の危険にのみ関心が払われており、病者の不幸に与えられるべき保護やその者の治療に必要な条件には、 少しも関心が払われていなかった。’八三八年の法律が行おうとしたのは、まさしくこの件なのである」。 たしかに、この法律により、各県には精神病者施設の設置義務が課せられ、以前のように病者が監獄に収容されることはなく なったといわれている(アンリ・バリュク(中田修監修・影山任佐訳)「フランス精神医学の流れIピネルから現代へl』九 頁、二四頁(’九八二))。また、入院患者の人権および財産の保護にも厚く意を用いている。しかし他面で、この法律は知事 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開ご) 一一一

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による措置入院および親族その他の同意に基づく強制的入院を制度化し、これによって病者を社会環境から隔離するという役割 を担うことにもなったのである(回旨》口のHppaの守口ロの、の{》二口ごロの」Qの□の『・宮口亘の》、のの9》」①『口で」]畠・)。以後、’八 一○年刑法典第六四条に基づいて無罪とされた病者のうち、公の秩序または人身の安全を害する恐れのある者については、この 法律により各県の知事(パリでは警察知事)が精神病者施設への収容を命じることが可能になった。 以上のように、この法律は触法精神障害者に対する司法手続を定めたものではなく、それは純粋に行政手続に関する法律であ る(5のご口のmの匡局》旧mqの{の。mのmoQp」のロ○口『の」」の四℃ロの」の①四○○口】ワ』のH」ロ』四○口ロの」□で」ロの片口で。ユロローのQこ」局○』(でのごロ] {『自弼』の日・」の目の『」目の坤句のぐゆのmの月》5のの号」」日ロロ貝のロロ・ロロロ員曰のご国冒」CmPb・』)。そして、この司法処分で ない点に多くの関係者の批判が集中してきた。本稿において検討する一九三一一年草案の総則および一一一四年草案の総則が触法精神 障害者に保安処分を制度化したのも、まさにこの点からである。 ②’八八七年に組織された刑法典改正委員会が、同年に二二条から成る総則の(予備)草案を起草した。改正作業の経緯に 関する詳細は不明であるが、以下ではその概略を伝える旧の頁・]の←Qの同凹・qpのso・□の息ご巴》河のごロの忌日←の□ご巴【の》 」$②》□・]田の←⑪曰く・にしたがって若干の検討を加えておこう。 責任能力関連規定は、「第二部刑」のうち「第五章刑を阻却、軽減または加重する事由」に含まれており、つぎの通りであ フ(》◎ 沖大法学第十六号 収容所からの退所は、医師の意見に基づいてなされる民事裁判所の決定によってのみ許可される。 以上の規定のうち、第五四条は一八一○年刑法典第六四条と第一一三八条とをあわせて規定したものである。その理由は不明で 第五四条被告人が正当防衛の状態にあったとき、または行為の時に心神喪失の状態にあったとき、もしくは抵抗不能の力に よって犯行を強制されたとき、重罪または軽罪とならない。 第五五条重罪とされる所為の被告人が心神喪失を理由に無罪とされたとき、重罪法院はその者が精神病者施設に収容される べき旨を命じることができる。 心神喪失の状態は、職権に基づいて、または被告人の請求に基づいて、陪審に提起される特別質問の対象となる。 被告人が予審免訴の命令または決定の対象であったとき、民事裁判所は検察官の請求により収容を命じることがで きる。 四

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あるが、責任能力に関する後段には何らの修正もほどこされていないところからすれば、従来の解釈に変更はみられないのであ ろう。したがって、’八一○年刑法典と同様に、限定責任能力の規定もみられない。 これに対して、第五五条は新設規定であり、それは触法精神障害者に対する保安処分を制度化するものである。この規定に関 して前記文献はおおよそ以下のように論じている。 行為時の心神喪失は責任を免除する。無答責の事件は法医学鑑定の助けを借りて、事実の検査に服する。軽減責任についても 同様である。ここから、つぎの二つの改革が草案第五五条から帰結する。 ⑧精神病者は無罪とされる。しかし、その者は社会にとって危険な場合がありうる。社会は公の安全に注意する義務と権利が ある。’八三八年六月三○日の法律は、この者の措置をつねに行政の手に委ねてきた。第五五条でもって、精神病者施設への収 容は重罪とされる所為の後でのみ命じられる。決定は期間を定めない。すなわち、精神病が治癒するまで行われる。その命令は、 (重罪について無罪になったとき)重罪法院によっても、(予審免訴になったとき)民事裁判所によっても言い渡されうる。’ 八三八年の法律は改正を受けて、第五五条の意図に沿うものとされなければならないであろう。また特別の精神病院を設けるか、 あるいは通常の精神病院の特別分区で、ある種の精神病者、つまり人間的な治療にふさわしくない極めて恐ろしい病気にかかっ ている者、妄想的固定観念に支配された犯罪性精神病者、衝動にかられた者のために、独立した監護をほどこさなければならな b心神喪失の状態は職権または被告人の請求で、陪審に課せられる特別質問の対象になる(第五五条第二項)。この特別質問 は現状でも可能である。しかし、それは課せられていない。行為の帰責性は一般質問に含まれる(「被告人はこれこれの罪で有 罪か」)。特別質問は評決の射程をずっと明確にする。それは草案の考えのもとでは必要である。なぜならば、重罪法院は心神 喪失で無罪のときに精神病院への収容を命じることができるからである。しかしながら、被告人が心神喪失の状態にあったかど うかという質問の正確な意味を陪審に知らせなければならない。陪審は無答責が存在したと考えるならば、肯定で答えなければ ならない。部分的な責任があったと信じる場合には否定で答え、軽減事情があるとだけ宣言しなければならない。 前記文献は、草案が保安処分を制度化した理由を以上のように論じている。なお、「軽減責任」(限定責任能力)に関する規 定をおかなかった草案のもとでは、陪審の裁量によって限定責任能力者は刑を減軽されうるにすぎないことに注目すべきである。 ③’九○五年一一一月一二日のいわゆるショミエ通達は、法律という形式をとっていないが、触法精神障害者の責任能力問題を い ◎ フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(二 五

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考えるうえでは非常に重要な意味をもつ。この通達により、一八一○年刑法典第六四条が認めていない限定責任能力が公的に承 認されたからである(旧の円の号》旧の可巴←の曰のご一口:□]」pこのHp員忌]旨@口⑳ゴーの山『の、で。□のロケ」]」芯」』白洋のの》因のぐEの 忌日←の己】巴円の》$&□で・念‐宝・)。すなわち、この通達は、刑事制裁と行為者の責任との均衡をはかるために「被告人の責任 をある一定程度軽減させるような性質の精神的肉体的異常」が診察によって明らかにされないかどうかの質問を「あらゆる事件 において職責として」精神医学者(鑑定人)に課するよう強く要請し、加えて検察官に「訴訟手続すべてにわたって」この訓令 の実施がとどこおらないように命じている。そして、これ以降、裁判所は従来からの心神喪失に関する質問(「被告人は行為の 時に刑法典第六四条にいう心神喪失の状態にあったかどうか」)に加えて、新たに右の軽減責任に関する質問を鑑定人に課する ようになったのである(5日・PUH○ケ』の目のの曰の&8頁‐涼、口員の一つの『・宮口三目のmDomのmDmH」のの急の呂巨三ヶ「かめ:(]‐ の。。】口員》□ご巴曾の曰のロ国」の》宅四」①田》□・]二一5口&ご》㈲の□の『・宮口可の口巨ヨケ目&》」①『①)で」』・)。さらに、鑑定人 は被告人の精神病院への収容が必要かどうかについても答えることが求められた。 理論的にみれば、このショミェ通達は精薄弱者、「半狂人(9日』‐馬・口)」、部分的に責任のある犯罪者の存在を認めること になり、ある意味で公平をもたらすことになった。しかし、実際的にみれば、こうした精神異常犯罪者の公認は、非常に不都合 な結果をもたらしたとされている。軽減された責任は、酌量減軽により刑期の短縮をもたらすべきだと考えられたところから、 とりわけ危険とされている犯罪者が社会に戻されることになったというのである。このため、多くの精神医学者は、自分たちの 態度を硬化させるようになった。人々は精神的不均衡者に刑の減軽の恩恵を拒否した。そして、精神的不均衡は、責任と完全に 両立すると考えられるようになった(以上につき、『口巨のロの←□弓」曰のpFo。ご巴忌局昌・ロ、で聖・宮口亘Pこのmの貝」》口ご目←‐ 宮。]の一□の』○』」の已凹のロの①の。。』巴の》ロロロの眼旧のぐゆのmの目》旧のの急]曰Pロ:一mロロ○局目ロ員日の口冨pXlごmPb・塁・)。 この通達については、さらに以下の文献を参照して頂きたい。国のこのH》シロ・で○mgの』pHのの己・ロ、四宮]誌Dg巴の》■のぐこの Qのの臼のロ・の○国日旨の」}の①{」の号・」一己のロロ]8gbP3》]召]》で□・]の‐]④. ④’九二九年には、ルビノビッチがウイェおよびポール・ボンクールの協力をえて、未成年犯罪者の八三%が精神異常者であ ることを指摘した。そして、この調査を受けて、法務大臣は体系的な鑑定が未成年犯罪者に対して実施されるべきことを命じた。 ⑤一九三○年には、ブラック・ブレール(下院議員)が刑務所内に受刑者の検査を実施する犯罪人類学研究所および付属の精 神医学施設を創設する目的で、議会に立法提案を試みた。しかし、本提案は議会で討議されずに終わっている。 沖大法学第十六号 一ハ

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い草案の基本的性格 当時、イタリアでは一九三○年に成立した刑法典が触法精神障害者に対する保安処分の制度を規定し、また、ベルギー でも同年のいわゆる社会防衛法が触法精神障害者に対する刑罰と保安処分の混合的処分を規定するなど、古典主義的刑 事法体系に保安処分制度が接ぎ木されるという動きが顕著にみられた。司法省に設けられた刑法典改正委員会の手にか

かる本草菊は、フランスにおけるこのような動きを率直に反映するものであったと評価できよ宛。このため、草案にお

いて責任能力問題は保安処分規定との関連で議論されることになる。 ところで、一九一一三年草案と一一一四年草案との間には、文言などに若干の変更が生じている。もっとも、責任能力およ び保安処分に関する規定について変更はない。そこで、以下では、両草案を区別することなく「草案」と表記する。 本草案は一四三条から成るが、責任能力に関する規定は以下の通りである。 第一一三条(’’’四年草案では第一一一一一一条となる) 行為の時、心神喪失(忌日の旨の)の状態にあった被告人は刑を免れる。 一一一九一一一一一年草案の総則および三四年草案の総則 ⑥一九三六年一一一月一一一一日のデクレにより、ラ・サンテ、プチ・ロケットおよびフレスネの一一一刑務所に精神医学的観察のための 検査部門が創設された。また、五月二一一日のデクレにより、犯罪予防高等評議会が創設された(その後ヴィシー政府により廃止 される)。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二) 七

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第一一一一一一条(’’’四年草案では第一二四条となる) 酩酊、激情または興奮状態、もしくは麻薬物(、弓、冨自8mのご忌言己の、)の故意の使用に原因する状 態は、刑の免除事由とはならない。 これら両規定のうち、第一二一一条が一八一○年刑法典第六四条に相当する。第六四条は「被告人が行為の時に心神喪 失の状態にあったとき、または抵抗不能の力によって犯行を強制されたとき、重罪または軽罪とならない」と規定して いた。両者を比較して明らかなように、草案第一一三条は、責任能力の判断基準として、やはり第六四条と同様に「生

物学的方法」にしたがっていぶ・異なる点としては、第六四条が責任無能力の効果について「重罪または軽罪とならな

い」として、犯罪の成立自体を明確に否定しているのに対して、草案第一一一一一条は単に刑罰が科されない旨を規定し、 犯罪の成否には特別触れていない点である。 一方、草案第一二一一一条は一八一○年刑法典にはみられない新設規定であり、注目に値する。すでに一九三○年のイタ リア刑法典が、その第九○条において、興奮状態や激情状態は帰責性を排除も低減もしない旨を規定していたが、本草

案の規定も同趣旨である。アンセルによれば、草案第一一一三条は、激情犯罪に対して厳しい態度を表明したのであ魂。

なお、草案の両規定とも限定責任能力に触れるところはないが、草案第二編第二部の保安処分の規定がこれを問題に している。すなわち、その第七三条は「重大な精神の障害におかされている者」の治療施設への収容を規定しているの である。このように、フランス(刑事)立法史における限定責任能力の問題がその当初より犯罪者処遇論との関連で議 論されることになった点は興味深い。 草案第六八条によれば、この保安処分は、自由を剥奪するもの、自由を制限するもの、そして財産上の保安処分の三 沖大法学第十六号 八

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っに分類されぶ・これらの処分のうち本稿において問題にするのは、自由を剥奪する保安処分である。以下では、関連

規定を一括して掲げておく。 第七二条重罪または二年以上の拘禁刑をもって罰せられる軽罪の行為者であることを宣告されたすべての精神病 者は、必要のある場合判事の決定により特別の治療施設に収容される。 右の収容およびその期間を言い渡すための条件は刑事訴訟法典にこれを定める。 第七三条重罪または二年以上の拘禁刑に処せられる軽罪を犯したすべてのアルコール中毒者、麻薬中毒者、また は重大な精神の障害におかされている者は、裁判所がその者を公安にとって重大な危険ありと認めたとき は、その状態にとって必要な治療を受けるために、刑の終了後特別の治療施設に収容される。 右の収容の期間は最高五年以下とする。ただし、刑事訴訟法典の定めるところにしたがい、被収容者が 公安上危険なく釈放されるときは、その期間を短縮することができる。 第七八条第一項(三四年草案では第七九条第一項となる) 裁判所の決定により本法典第七二条および第七三条所定の治療施設に収容された犯罪性精神病者、アル コール中毒者、麻薬中毒者、重大な精神の障害におかされている者は、裁判官の行う巡察の他に、判事に より指名された医師の定期巡察を受ける。医師は判事に巡察の報告を行うものとする。 なお、処分の時間的適用に関し、草案第九条(三四年草案では第八条となる)は「保安処分を規定するすべての法 律は、その施行の曰に判決が確定していない所為にこれを適用することができる」と定める。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二) 九

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以上が、草案の触法精神障害者に関する責任能力および保安処分の規定である。本草案は、’九三四年五月には、議

会の刑事立法委員会に各則とともに提出され、公務文議に登載されるにいたったが、この間、法曹会、学会、法律系大

学などにおいて検討が加えられている。この結果、一九一一三年草案と一一一四年草案との間に若干の変更が生じている。もっ とも、責任能力および保安処分の規定については、両者の間に変更がないことはすでに指摘した通りである。 ところで、公務文書に登載された三四年草案には、短いながらも説明書が付されており、そこにおいて、草案の保安 処分に対する基本的態度が端的に示されている。すなわち、説明書は草案総則の傾向を要約するものとして四つの指摘 が可能であるとし、その第一で、刑法の一般方向は制裁が行為ではなく行為者を考慮してうちたてられなければならな いという意味において、修正を受けていると指摘する。この考えに基づいて、草案起草者は刑罰の個別化を試みたが、 この個別化は犯罪者の危険な性格に対する予防措置として、保安処分を設けることによって実現されるとしている。 このように、草案においては保安処分に重要な位置が与えられていることに留意しながら、以下の本稿では、ドンヌ デュー・ドゥ・ヴァーブルその他の医学Ⅱ心理学会における議論、およびマニョールのトゥールーズ大学での報告に基 づいて、本草案をさらに詳しく考察したい。それらは非常に興味深い内容を含むものである。 (1)一九一一一一一草案の全文を掲載する文献としては、以下のものがある。幻の言匡のQのQHo与でのロ巴の←Qの。昌已ロ・]○四の》】⑪豊ロ・ ]ヨト一切の『口の旨←の目口武・ロ巴のqの号・]一℃習口}》ご芦己・農]・他方、一九一一一四草案の全文を掲載する文献としては、後掲注 (6)の公務文書がある。なお、’九三一一年草案の翻訳として、司法資料一八八号一頁(’九一一一四)がある。 本草案に関しては、さしあたり以下の文献を参照して頂きたい。二・]崖Cの門口]」、の曰の旨の曰の」]□の、ぐ・閂のロブご員由の目 の』ロのHppのこの口由Hp凶qの】の○ずのロの←門口命、のmの一NすE○ケ一国の】一m○ず局焦←帛口Hg杵の、のmmHp←のの一同口【Hの○ケ←の一己』の、のロの○ケロ津》』①②』》の.②。{{・一 鈩巨の」PpQの[ロロQの○ず口巨》国日ロロロヨ己吋帛の旨のの口のロのロ庁p8Bm○ケのpooqのロのロロ]『国の』一切○ヶロ津毎局&の、のの日日の 沖大法学第十六号  ̄ ○

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ロ医学Ⅱ心理堂△雪における議論

以下に紹介する一九一一一一一一年の医学Ⅱ心理学会(m・忌註二⑪s8‐己の『&。]・囚邑の)における議謙は、触法精神障害者の

責任能力をめぐる立法上の諸問題を広範囲にわたって検討し、苣案にかわる新たな責任能力規定を提案するにいたって いる。そこでは、学会の性格上、精神医学や心理学から問題が掘り下げられており、責任能力問題が法律の枠にとらわ また、草案作成の経緯については、以下の文献を参照して頂きたい。森下忠『刑事政策の新展開」八○頁二九六八)。 (2)の←の莅已》㈲のぐpmmの貝の一国。E]。。》CH・」一息ロ巴、の9局巴」国⑯のQ・)」c詮『で.c◎. (3)国の」』の三ヶ巴》P⑪・○・一m.④. (4)シロ・の」》旧の○口目のロロ、巴・目の旨》□ご囚のロの日の己巴の.□。四》ご記》ご・」&. (5)三・罠》ロ・P○・》の・のm・プォルフは自由を剥奪する保安処分を規定した第七二条および第七三条を以下のように要約している。 (フランスの)現行法においてはまったく手本がなかったが、草案によって医療施設への宿泊が規定された。それは、判事によっ て二つの場合に言い渡される。すなわち、最低二年の自由刑で罰せられる犯罪を挙行した者は、精神病のために刑罰を科されな い場合には、刑事訴訟法典で定められる規定にしたがって、医療施設に収容される。アルコール中毒者、麻薬中毒者および限定 責任能力者で、最低二年の自由刑で罰せられる犯罪を挙行した者は、その者が公の安全を重大におびやかす場合には、最高五年 間、その刑の服役後に医療施設に配属される。この場合にも、刑事訴訟法典のより詳細な規則が留保されている。 (6)]○月ご巴。霊。」の]Qの]ロ罰8号」]pEの司日息巴、の》DooEBのご←のロ日』の日のロー巴[のms8pmの』」Qの]口田舎号」』p口の》」①詮『 ロ・田函》シロロの×のロ。認、」。 (一九三一一一)。 の改正」法曹会雑誌九巻五号一三一一頁(一九一一一一)、大塚郷一一「フランスの刑法改正予備草案」法学志林一一一五巻一号九四頁 切の・耳の○日目口、のp9の、」のgの○ケのロロ己Qのの芹:8日の&のpmRpg胃の肘のの》】⑪mpm・の廟・’一一浦義一「フランス刑事法典 の胃ロヰの○宮のご』、mのロの○ケロ津)ご韻一mい、C魚・一国の}」のロ言&》□】の因の、の」ppm』の同国pHの○すごppmの歓宮、丙の群』ロQの口 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二)

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れない学際的問題であることを示す格好の例となっている。さらに、フランスでは、責任無能力の概念を意思自由の問

題に対する態度から解放することが早い時期に企てられてい煙といわれているが、以下の議論はそれを実証しているよ

うでもある。ただし、保安処分問題には触れられていない。 学会での議論の端緒となったのは、一九一一一一一一年の刑務および刑事立法協会(の。g芯○g○日}の□のの勺口の○口のの庁已の (3)

Sc四m]口武・ロ○局旨旨の]]の)でのパリ大学法学部教授ドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブルの極めて注目される報告であった。

その中でドゥ・ヴァーブルは草案第一一三条をつぎのように修正するよう提案したという。 ドゥ・ヴァーブルによれば、「知能または意思の病的障害」という定式は、一九三○年のイタリア刑法典(第四二条、

第八五条)やドイツ刑法典草案(第一一一条、第一三条)など、当時の刑法典や草案から着想を受けたものである。彼が

このような修正提案を行うにいたったのは、つぎのような理由による。すなわち、一八一○年刑法典第六四条に用いら れている語句、とりわけ心神喪失ということばを、その法医学的意味と刑法典起草者がそれに与えようとした意味との 間に何らの類似性も存在しないがゆえに、排除しなければならないと考えたからである。つまり、ドゥ・ヴァーブルは 草案第一一三条が心神喪失という旧来の表現を踏襲した点に批判を提起しているのである。 これに対して、ルネ。シヤルパンティエも、草案第一一三条が一八一○年刑法典第六四条と同様に心神喪失という語 第一二二条行為の時、知能または意思の病的障害のために行為の不道徳性または不法性を認識できず、その結果 自己決定をすることができなかった被告人は刑を免れる。 沖大法学第十六号 一一一

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第一一三条行為の時、病理的な精神状態のために行為の不道徳性または不法性を認識できず、その結果自己決定 をすることができなかった被告人は刑を免れる。 これに対して、ドゥ・ヴァーブルは以下のように反論した。すなわち、彼によれば、草案第一一三条は有責な行為に 直接影響を及ぼす障害だけを対象とするものであり、たとえ感受性の障害が犯罪者の行動に影響を及ぼしうるとしても、 それは意思を媒介としてである。知能および意思以外の能力が犯罪の心理的要素に介入するとは考えられない。ただし、 無能力の事由から排除されることになるが、その恐るべき司法精神医学的結果は想起するまでもないという。 ている。とりわけ、この規定を採用することによって、感受性の障害、異常な過度の情動反応、さらにうっ状態が責任 正規定に対して、草案の規定よりもたしかに望ましいとしながらも、危険で行きすぎた明確さのように思われると述べ に対応するものであるとしている。それにもかかわらず、ルネ。シヤルパンティエは、ドゥ・ヴァーブルによる右の修 るという。そして、立法者にとっては、心神喪失ということばは正確な意味をもたず、それは多種多様な精神病理状態 知能の後天的な衰弱を意味するが、立法者はこのことばを精神医学上の意味とは異なるまったく特殊な意味で用いてい を維持している点を、とくに遺憾であるとしている。すなわち、精神医学の観点からみれば、心神喪失ということばは 要するに、ルネ。シヤルパンティエによれば、ドゥ・ヴァーブルの「知能または意思の病的障害」という定式は不完 全な列挙であり、他の障害の中にも感受性のように刑事責任に影響を及ぼしうるものがあるというのである。そこで、 ルネ。シヤルパンティエは、ドゥ。ヴァーブルの修正規定の「知能または意思の病的障害」を「病理的な精神状態」に おきかえ、草案第一一三条をつぎのように修正するよう別の提案を行った。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二)  ̄ =  ̄

(15)

この問題は心理学的レベルの問題であり、自らは無知であるので、会員の評価に任せたい、と。 さらにドゥ・ヴァーブルは、ルネ。シヤルパンティェの提案する「病理的な精神状態」という表現が責任無能力を約 束する精神障害の困難な列挙を回避するという利点をもっとしながらも、それはつぎのような技術的困難を生じさせる としている。すなわち、およそ法典の諸規定は何人にも理解される用語で定められていることが望ましい。この点、刑 事責任が知能および意思の存在を前提にしていると述べることは、大衆の知るところを言い表わしている。これに対し て、責任無能力の事例として「病理的な精神状態」を想定することは、医師の間で激しく議論されている問題について 態度決定をしてしまうことになる。それは、裁判官からさらなる評価権限を奪うことになる。実際上、唯一鑑定人のみ が病理的状態の存否を決定しうるのであるから、裁判官がその評価権限を行使しようとするならば、他の基準が必要に なるだろう。ここにルネ。シヤルパンティエの提案に対する疑問がみられる。しかし、この点について自らの無能力を ふたたび告白し、考えをこいうるにすぎない、と。 この問題について、ドゥ・ヴァーブルに続いて発言したクレマン。シヤルパンティェは、ルネ。シヤルパンティェの 提案した「病理的な精神状態」という表現に賛同した。もっとも、クレマン。シヤルパンティェは、まったく一般的な 意味でこの語を用いると断っている。彼は、その理由として、この語を用いても犯罪の原因となった精神状態に関し態 度決定をし、犯罪者が罰せられるか否かを宣言するのは、裁判官であるという点をあげている。 つぎに発言したクロードは、心神喪失という語は精神医学的には問題がみられるとしつつも、精神鑑定においては、 つぎのような利点があるという。すなわち、この語は、被鑑定人が自己の認識および意思を行為時に喪失し、結果とし て、その行為に釈明を加える必要がない状態のゆえにその者は刑罰を免れ、治療が加えられなければならないという鑑 沖大法学第十六号 一 四

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ここで、ふたたびルネ。シヤルパンティェがこれまでの議論をふまえて自己の立場を再確認している。すなわち、彼 によれば「病理的な精神状態」という表現は、単に先天的あるいは後天的な精神状態を特色づけるだけのものである。 そして、鑑定人はその病理的な性格を明らかにするだけでなく、その病理的な精神状態のゆえに被告人が行為の時にそ の行為の不道徳または不法な性格を認識し、その結果自己決定をすることができなかったという事実を明らかにするの である。医学の役割はまさにこういうものである。鑑定人は、このように定義された自らの役割を遂行するとき、裁判 官を照らすことになるだろう、と。 さらに「病理的な精神状態」を「病気の精神状態」にしてはどうかというバリュクの提案について、ルネ。シヤルパンティ ェは利点がないと考えている。彼は、「病理的な(宮go]○四□巨の)」、「病気の(曰・畳」の)」、「病的な(曰巴Psm)」 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(|) 一五 する。 評価について説明をしなければならなくなるという。 は、同じような理由づけを新たに考えなければならず、また鑑定人は裁判において、その精神状態の重さとその性格の 定人の考えをはっきりと言い表わすというのである。これに対して、「病理的な精神状態」という語を採用した場合に ラビァールも、心神喪失という語は法医学の実務上、とくに問題を感じさせないという。もっとも、この語をあまり 古めかしくない表現におきかえようとするのであれば、精神障害を不十分に列挙することを避け、「病理的な精神腓瞬態」 のような一般的な表現を用いることによって、そうすることができるという。 一方、バリュクは心神喪失よりも「病理的な精神状態」という語が好ましいとし、ただ法典があまりにも科学的にな りすぎないようにするには、「病理的」というところを「病気の(曰・弓この)」という語でおきかえることができると

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グリウは、一八一○年刑法典第六四条の心神喪失という観念は、久しく鑑定人により極めて広く解釈され、あらゆる 精神病理に拡張されてきたため、これを「病理的な精神状態」という表現におきかえても、既成事実を確認するのみで あるという。そして、彼は第一一三条の文一一一一口に組するとしている。 以上のような議論の末、ドゥ・ヴァーブルも結局自らの提案した「知能または意思の病的障害」を放棄し、ルネ・シャ ルパンティェの提案に賛成した。これを受けて、当学会の議長であるルビノヴィッチは、「心神喪失」にかえて「病理 的な精神状態」という表現を用いる案を採決に付し、これが採択された。この結果、医学Ⅱ心理学会は、草案第一一一二 条について、ドゥqヴァーブルのこれに対する修正規定を、すでに紹介したルネ。シヤルパンティエの提案通りに変更 した。 ライネル・ラヴァスタ〉 彼は「病理的な精神状態」 もつことを指摘している。 ろうとしている。 という三種の語を検討したが、「病理的な」ということばがより科学的かつ的確であり、拡張を招くことは少ないであ 第一一三条行為の時、病理的な精神状態のために行為の不道徳性または不法性を認識できず、その結果自己決定 をすることができなかった被告人は刑を免れる。 沖大法学第十六号 ラヴァスタンも、ルネ。シヤルパンティェの「病理的な精神状態」という定式に賛成している。その際、 な精神状態」という定式がドゥ・ヴァーブルの提案のように心理学的な分析を要しないというメリットを ’一ハ

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つぎに、草案第一一一三条についての医学Ⅱ心理学会の議論を紹介する。

議論は、草案の「激情または興奮状態」という文言をめぐり展開された。従来、破段院判例は、一八一○刑法典第六

四条後段の「抵抗不能の力」が外部的事情に起因するものでなければならず、したがって、激情はたとえ病的なもので

あっても刑事責任に影響を及ぼすものではないと考えてきた。刑法典改正委員会もこの考えを維持し、草案第一一一三条

において激情状態を刑の免除事由から外したのである。

これに対して、まず、ルネ。シヤルパンティエは「激情または興奮状態」が酩酊や麻薬物の故意の使用と並んで独立

して取り上げられている点に驚きを表明している。ドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブルも、前述した報告において、故意

の酩酊に対する草案の厳しい態度は正当であるが、「激情または興奮状態」については、それが心神喪失と同様に病理

的原因をもちうるところから、酩酊と同様の厳しい態度でのぞむことは正当化されないとして、つぎのような修正規定

を提案した。 ドゥ・ヴァーブルによれば、この修正規定には二重の利点があるという。すなわち、第一に、それは社会的要請であ る酩酊の処置に応えるものである。第二に、それは草案第一一一一一条の場合を除いて、激情が責任の免除・軽減事由とは ならないとすることによって、判例や草案起草者が無視している区別、つまり、病理的な原因をもつ病的激情と正常人

第一一一一一一条酩酊および第一一一二条が対象としている場合を除く激情または興奮状態は、刑事無答責の事由とはな

らない。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(|) 一 七

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これに対して、ドゥ・ヴァーブルは、第一の質問については単なる書き落としであり特別の理由はないとし、第一一の

質問について、ルネ。シヤルパンティェに賛成するという。そして、「興奮(⑪曰・罠)」ということばを削除するべき

であるという。また病理的な激情状態(⑪冨言の宮、の]・目の]、冨芸・」○四p口の、)について、彼はこれを刑の免除事由と考え

ている。さらに、彼は激情と酩酊および麻薬の使用とは別々に規定する必要があるとも述べている。

つぎに発一一一一口したクレマン。シヤルパンティェは、草案第一一一一一一条は削除されるべきであり、刑の免除の場合を規定す

るには草案第一一三条で足りるという思い切った考えを示した。

これに対して、ドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブルは、第一二一一一条も維持されるべきであるとの立場から、つぎのよう

な反論を試みている。すなわち、彼によれば、この規定は第一一三条との関連で存在理由をもつ。両規定が想定してい

る事情は、まったく別々のものである。第一一三条は病者に適用されるのであり、第一一一一一一条は正常な者にのみかかわ

ないことを指摘している。 は後者が前者を補完するという関係になるのである。

の激情を区別するものである。このように、ドゥ・ヴァーブルの提案した草案第一一一一一条および第一一一一一一条の修正規定

このドゥ・ヴァーブルの修正規定に対して、ルネ・シャルパンティエは、二つの質問を提起している。第一に、ドウ・

ヴァーブルが「もしくは麻薬物の故意の使用に原因する状態」という草案の文言を私案で用いなかったのはわざとか・

第一一に、草案の規定から「激情または興奮状態」という文言を取り去る必要があったと考えないか。とくに第一一の質問

に関連して、ルネ。シヤルパンティェは「激情または興奮状態」を故意の酩酊状態と同視することができないというこ

と、興奮状態や異常な過度の情動状態が草案第一一一一一一条の予定している他の状態と同じ帰結をもたらすようには恩われ

沖大法学第十六号 -- 八

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るものである。正常な者の酩酊も激情状態も刑事責任を免除するものではないと規定するについては、刑事政策上の重 要な理由がある。つまり、酩酊および麻薬の使用を処罰することによって無視できない現実の事情を考慮するものであ

り、また病気でない激情が刑の免除事由とはならないと規定することによって陪審の慣杭に抵抗するものである。そし

て酩酊や麻薬使用の処罰は、外国の多くの立法例にもみられるところである。ここに刑法典改正委員会が第一一一一一一条を 起草するにいたった考えがあり、彼はこの点については同意見であるとする。 グリウも、第一一一三条は維持されるべきであるという。その理由はアルコールや麻薬を故意に摂取することによって、 自ら進んで病理的な精神状態に陥り、この状態で行った犯罪者の処罰を第一一一三条は維持するものだからである。もっ とも、興奮状態は激情状態と重複する形になり、両者を第一一一三条において並べて規定することは、一八一○年刑法典第 六四条に非難が向けられている解釈の困難をふたたび生じさせる恐れがあるので、興奮癖罷ちほうは有害であるとする。 他方、ハンメルも、酩酊がつねに処罰の対象とされるべきであるがゆえに、第一一一三条は維持されるくきょうに思わ れるとする。もっとも、科学的視座からすれば、酩酊は病理的状態であるので、これを第一一三条の責任無能力規定か ら排除しようとするならば、第一一一一一一条は「しかしながら」という文言で始まらなければならないという。つまり、ハ ンメルは、病理的ではあっても、酩酊が刑を免除する事由とはならない点を強調しようとするのである。また、彼は麻 薬による酩酊状態を第一一一三条に取り込むことは認められるが、「激情および興奮状態」という語とは別個に扱われな ければならないように思われるという。 以上、草案第一二一一一条をめぐる議論を概観した。ルネ。シヤルパンティェは採決によって学会としての意見をとりま とめるために、これまでの提案をつぎのように類型化している。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(二 ■■■■■■■■■■■■■■、 九

(21)

そして、学会はこの第一一一一一一条の規定が興奮状態には適用されないこと、ならびに第一二一一条が対象としている場合 を除く激情状態の関連規定は独立の法文の対象とされるべきであり、酩酊および麻薬物の故意の使用と同じ条文の中に 列記されるべきではないことを決定した。 以上のドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブルの提案を整理すれば、第一一三条で責任無能力とされるべき障害を「知能ま たは意思の病的障害」に限定し、さらに病理的とみなされる「激情または興奮状態」をも、この第一二一一条に含まれる べき旨を示唆したのである。それは結局のところ、ルネ。シヤルパンティェと同様に、「病理的な精神状態」を第一二 第一一一三条は削除されなければならないか。 第一一一三条は報告者(ドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブル)の提案した修正を加えて維持されなければならないか。 第一一一三条は酩酊および麻薬物の故意の使用から生じる状態に適用されなければならないか。 第一一一三条は興奮状態に適用されなければならないか。また、それは激情状態に適用されなければならないか。 第一二一一一条に相当する規定を激情状態については(別個に)検討しうるか。 ルビノヴィッチ議長はこれらの提案を採決に付した。その結果、医学Ⅱ心理学会はドンヌデュー・ドゥ・ヴァーブル の提案にしたがって草案第一一一三条をつぎのように修正した。 第一一一三条酩酊および第一一一一一条が対象としている場合を除く麻薬物の故意の使用から生じる状態は、刑事無答 責の事由とはならない。 沖大法学第十六号 --- ̄  ̄ ○

(22)

同マニョール報告 (1) マニョー‐ルのトゥールーズ大学での報告はコンメンタール形式をとり、やはり草案に対する独自の修正提案を行って いる。それは、前述した医学Ⅱ心理学会での議論がおおむね精神科学の分野に限定されていたのと比較して、法理論的 観点からの鋭い批判という特徴を備えている。また、保安処分について詳述している点も興味深い。以下では、規定に そくしてマニョールの主張をみていくことにする。 マニョールによれば、第一一一一一条および第一一一三条は、それらが属している第一一章の他の諸規定とともに、行為者の 知能または自由意思の欠如から帰結する責任無能力事由に関する規定である。本章の各規定はその法律効果として「刑 の免除(の潔の白□丘・ロ」のご畠の)」を定めているが、彼は、これをその性格上むしろ「刑事責任の免除(の〆の曰口・口この フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(|) 一一一 |条の対象とするに等しいといえよう。 (1)、のロの○ケロ村での貝片のH》シロHobmQの」口切の〔○ロロの旦巨○○Qのロのごロ]》レロロ巴の切目の臼8‐□の】○す。]○四P口のの》一・口》乞缶》□・四囲 の←の巳『・本文の医学Ⅱ心理学会に関する叙述はこの文献に依拠している。 学会での議論は、会員の一人で右記雑誌の編集主任であるルネ。シヤルパンティエが草案およびドンヌデュー・ドゥ・ヴァー ブルの提案に対する私見を述べ、さらに、これらをめぐる他の発言者の意見を紹介するという形式になっている。 (2)国の]]のロ曽巴》、甘の国の、の」口pmQの甸国巨局の○ケロppmの戯言、丙の』一言9のご罰の○三のoapppmのpQののqの目の○ケのロppgQのの 閉口ロ因qmHmC丘の回・mbHp○す丙両日の①の》」cmPの.、一・ (3)○口、の諄のQpb巴巴の》〕のロSm]ロロ己のH〕①冨・ (4)陪審の慣行とは、陪審が激情犯罪をロマンティックに捉えたところから、裁判実務においてしばしばこの種の犯罪者に無罪を 認めていたことを指している。(しロ・の]》いの○口目のご口の巴・ロの」》口ご囚の口のHpのロ寸巴の》ロ。②」①畠で」、①.)

(23)

沖大法学第十六号 一一一一

局の9.口のロー】芯)」とするほうが適当であるとしてい魂・

そのうえで、まず第一一一一一条について、マーーョールは以下のように論じている。草案は規定の心神喪失を定義してい ないが、彼によればこれには理由がある。すなわち、これを定義することは法律上の問題ではなく純粋に科学上の問題 であり、精神科学の発展とともにかわりうる性質の事柄なのである。もっとも、彼はこの心神喪失という表現は、草案 において科学的かつ医学的な意味で受け取られてはおらず、この表現のもとにあらゆる形式の精神障害が理解されなけ ればならないと指摘している。しかしながら、保安処分に関する草案第七三条は「重大な精神の障害」を規定し、これ については刑の免除を予定していない。ここから、マーーョールは心神喪失が刑の免除をもたらすには、精神の障害が知 能および意思に与える多少とも根深い影響如何にかかっているように思われるとして、責任能力の程度の問題に着目し ている。そして、彼によれば、この点に関して、たとえば一九三○年のイタリア刑法典第八五条および第八八条のよう に、不可罰をもたらすためには、精神障害が行為の犯罪性を理解する能力または意欲する能力を奪ってしまうような結 果を生まなければならないとか、あるいは同年四月九曰のベルギー社会防衛法のように、行動の制御を不可能にするよ うな結果を生まなければならないというように定めることができるが、これは法的レベルの問題であり、どのような精 神障害が右のような効果を生むかという問題だけが、医学的レベルの問題であるという。マーーョールは以上のように論 じ、第一一三条をつぎのように起草することができるとしている。 第一一三条行為の時、心神喪失の状態にあった被告人は、その状態が理解し意欲する能力を取り去る結果をもつ ときは刑を免れる。

(24)

このように、マーーョールは草案の生物学的方法にかえて混合的方法を主張したのであ魂・他方、マニョールは、もし

も被告人が重大な精神の欠陥lこれは理解し意欲する能力を廃絶する結果をもたず、単にこの働きを減弱させる結果 をもつlにかかっているにすぎないときは、刑を免れさせるべきではないとし、そのうえで、この軽減責任の理論を 確認する第七三条により、被告人は軽減されはするものの保安処分を伴う刑に処せられるとするのである。 つぎに、第一二三条は、酩酊状態、激情または興奮状態、麻薬の故意の使用から生じる状態について規定する。マニョー ルは、この解決を一般的には受容しうるとしつつも、実に多様な事情がみられることを理由に、簡潔にすぎるのではな いかとの疑問を提起している。もっとも、彼は、フランスの軽減事情制度のもとでは、裁判官は十分に刑罰を個別化し うるとして、あらゆる事情を規定する必要はないとも付言している。 ところで、第一二一一一条においてマニョールがとくに関心を示しているのが酩酊である。ちなみに、ヘレンタールによ れば、フランス法(およびベルギー法)においては、酩酊状態で挙行された犯行の事例については、ドグマ的な整合性

を犠牲にして、アルコールの濫用に対する報復という刑事政策的要求を考慮する方法を用いてき灯。そして、ヘレンター

ルは、酩酊に関する厳格な判断がこの草案の第一一一一一一条においてもはっきりあらわれているとしていぷ・たしかに、マ

ニョールも、同条が酩酊については如何なる場合にも刑を免除しないとするのに対して、麻薬の使用については故意の 場合に限り刑の免除を認めない点を問題としている。そして、刑事責任に対する効果という観点からは、両者は同一レ ベルに向かわなければならないと主張する。要するに、この問題に関してマニョールは、アルコールの飲用が故意によ るのではなく、かつそれによる酩酊が完全な場合には、酩酊はやはり全面的な刑事無答責をもたらさなければならない とするのである。これに対して、ヘレンタールは、このマニョールの主張を過失すら認められない酩酊の不可罰を独自 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(|)

(25)

に根拠づけようとするものとして理解しつつ、刑事構成要件の実現には、それぞれの事例につき落度が必要であるから、

この修正は不要であろうとい宛。つまり、構成要件のレベルで問題は処理できるというのである・たしかにマニョール

の意図したところは、後述する修正提案からも明らかなように、いわゆる偶然酩酊の不可罰を基礎づけることであった

と思われる。しかし、草案の起草者が酩酊に対して厳格な態度でのぞみ、この種の酩酊についても責任を追及しようと

して同条の規定形式を採用したとするならば、マーーョールの主張には特別の意味が認められるであろう。

さらに、マーーョールによれば、酩酊の問題は陪審の関与する重罪事件については少しも実益がない。その理由として

彼は、評決の理由を付する必要がない陪審は文一一一一口に拘束されることなくあらゆる刑罰を免れさせる至上の権限をもつ点

を指摘している。これに対して、自己の決定の理由を明らかにする義務を負う裁判官が法律に拘束される軽罪事件につ

いては、この問題は明白な利益を示すとしている。

他方、マニョールによれば、アルコールによる妄想(デリール)は、アルコール精神病の一形態として第一一一二条に

より刑を免除される。麻薬の使用についても、精神病状態がみられるときは同様である。ちなみに、この種の主張は、

すでに一九世紀においてみられたものであり、今曰では通説となっている。この点からも、彼は第一一一一一一条の文言が如

何に不十分であるかが理解されるとし、その解釈および実際的適用に関して重大な困難が引きおこされると批判してい

る。以上から、マニョールは第一一一三条をつぎのように起草するのがよいとしている。

第一一一三条酩酊を引きおこすアルコールの故意によらない摂取の結果である偶然の酩酊ではなく、かつ完全でな

い酩酊状態、激情または興奮状態、もしくは麻薬物の故意の使用の結果である状態は、刑を免除する事 沖大法学第十六号 一一一 一 四

(26)

なお、精神病(心神喪失)にいたっていないアルコール中毒者および麻薬中毒者が、第七三条により、限定責任能力 者とともに刑の終了後特別の治療施設に収容されることについては後述する。 つぎに、草案の最も独創的な部分であるとマニョール自身が明言する、触法精神障害者に対する保安処分規定につい 草案第六九条は、自由を剥奪する保安処分の一つとして治療施設への収容を規定している。触法精神障害者について とられる保安処分が、まさにこれである(第七二条、第七三条)。 まず第七二条に関しては、これによってそれまで犯罪性精神病者(巴芯gma目ロの]の)に対してとられていた行政上 の措置入院は、司法機関の手に委ねられることになる。もっとも、その対象となりうるのは、重罪または二年以上の拘 禁刑をもって罰せられる軽罪を犯した者であるため、マニョールは、あまり重大でない罪の犯人に対しては従来通り措 置入院が行われると考えている。処分の要件については、「必要のある場合」とだけ規定されているが、マーーョールに よれば、それは第七三条に明示されているように、病者が公共に極めて危険である場合をいう。 マーーョールはこの司法処分をつぎの諸点で優れているとする。まず収容が行政機関の悪意から守られる点、つぎに精 神病院からの早すぎる退院も大幅に回避される点である。後者の利点は、退院手続も司法機関が行うべきであるという マーーョールの立場から導かれるものである。もっとも、マニョールは、草案が処分の運用に関する細則を刑事訴訟法典 に委ねているため、この点について評価を下すことは不可能であるとして、つぎのような種々の疑問を提起している。 つぎに、善 て検討する。 フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二) 由とならない。ただし、これらの状態が心神喪失をもたらした場合はこの限りでない。 一 一 五

(27)

すなわち、収容を命じなければならない司法機関は予審裁判所か判決裁判所か、収容の期間についてはどうか、この点 について陪審も討議をするのか、退院の決定はどのような機関に委ねられ、どのような保障が与えられるか、退院は定 期的な間隔をもって考慮されなければならないか、また仮退院は認められるか、草案の処分と行政機関の諸権利や一八 三八年法との結びつきはどのようなものか、などである。マニョールは、これらの本質的な疑問が草案の処分を評価す るうえで解決されなければならないとしている。 つぎに草案第七三条について、マーーョールの報告をみる。本条はアルコール中毒者、麻薬中毒者、および精神病(心 神喪失)ではない重大な精神の障害におかされている者(限定責任能力者)の処分について規定する。当時、この「軽 減責任」の問題は、数多くの論争を招来していたことが知られている。この件に関しては、とくに一九○七年ジュネー ブでの精神神経学会における、バレーとグラッセの論争が有名である。以下では、マニョールの見解を検討するのに先 立ち、この論争を中心にして「軽減責任」問題を概観しておきたい。 この一九○七年の学会において、バレーおよび大多数の医師は責任の質問に答えるのは適当でないとの意見を示した。 そして、当学会では、責任の問題は形而上学あるいは法律学のレベルに属するものであり、医学のレベルに属するもの

ではないとの決議がなされたとい宛。これに反して、グラッセは、この精神神経学会において、部分的な精神障害を招

来する一定の精神的不均衡に対しては、それにみあった判決(刑の宣告)が対応しなければならないとし酒・グラッセ

は「軽減責任」を肯定するとともに、医師が責任の有無を判断することも認めるのであ魂・他方、ルバは、「軽減責任」

が再犯を促し刑事司法を弱体化させるとして、この概念に批判を提起し池・

草案が公になった一九一一三年頃にこの論争を回顧したクロードは、鑑定人が判決を命じる傾向をもつように思われる 沖大法学第十六号 一一一ハ

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との理由から、鑑定書においてこの「軽減責任」の概念を介入させない方が望ましいとしている。さらに、クロードは、 鑑定から帰結する諸概念は唯一医学的なものにとどまるべきであるとして、右に紹介した大多数の精神医学者と同じ意

見を表明し池。なお、その後も、犯罪者の責任について意見を述べるのは裁判官であって鑑定人ではないという主張を、

精神医学者はくり返し表明してい魂・その主張の契機となったのが、すでに触れた一九○五年一一一月一一一日のショミエ

通達であった。この通達により、鑑定人は責任の軽減の程度について検討することが求められたため、責任の評価とい

う点について一層明確な条件が与えられたのであ魂。このように、右の通達によって「軽減責任」の理論が公認された

ものの、これに対しては、以上に検討したような数多くの批判が提起され、今日にいたっている。 ところで、マーーョールによれば、限定責任能力者に関する草案第七三条は、刑事立法の最も重大な不備を補うもので ある。マーーョールは、裁判実務がこの軽減した責任に対して短縮された刑罰を対応させなければならないことを認めて いるとする。たしかに、草案が公にされた当時の裁判実務においては、予審判事または検察官は、鑑定人に対しつぎの ような形式のもとに責任の問題を課する慣行があった。すなわち、被告人の責任は完全か、軽減しているか、あるいは

存在しないか、そしてその者は措置入院させられるべきか、であ魂・しかし、マニョールは、この解釈が道義的性格を

もつ刑事責任の古典的概念に合致するとしても、社会的には脅威であるという。なぜならば、マニョールによれば、精 神的不均衡によって著しく暴力的で危険なこれらの(限定した責任の)犯罪者は、自己の悪業を自覚しており、かつ受 けるべき刑罰の効力も理解しているからである。さらにマニョールは、これらの犯罪者に対する比較的軽い刑罰がその 者を威嚇するうえで十分でなく、またその刑罰が犯罪の原因となった障害を治療する性格をもたないともしている。 右にみたマニョールの当時の裁判実務に対する批判は、その後もくり返し主張されることになる。メルルーヴィチュー フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開(二 +---- - -七

(29)

によれば、あらゆる刑法学者は、フランスの裁判実務がこのようなカテゴリーの犯罪者にしたがわせようとしてきた成 り行きを一致して不満に感じている。その成り行きとは、精神異常者(限定責任能力者)を酌量減軽の恩恵に浴する部 分的責任能力者として扱うことであり、メルルⅡヴィチューによれば、それは心理学、医学、それに良識に対する絶対

的な無理解を示す「嘆かわしい算術的計算」に身を委ねるものであ魂。この主張の核心は、限定責任能力者は無能力者

と異なり犯罪や刑罰の性格を理解しうるだけに社会にとって一層危険な存在であり、さらにその者に科せられる短期自 由刑には威嚇効果も改善効果もみられず、かえって障害を悪化させるものであると要約できるであろう。 草案はこれらの者を特別の治療施設に収容することにしたが、マニョールによれば、この処分の適用に関して、草案 起草者は一一種類の制度を考慮したという。第一は、罪責にみあった刑罰を言い渡すが、これを保安処分で補充する制度 であり、第二は、責任無能力とされた精神病者に対してと同様に、刑罰にかえてもっぱら保安処分を用いる制度である。 草案は第一の制度を取り入れた。マーーョールも指摘しているように、これによって草案は新古典主義の考えにしたがっ たのである。すなわち、新古典主義によれば、限定責任能力者には完全でないにせよ責任が認められる以上、当然に軽 減された刑罰が言い渡されるべきであるが、その刑罰は保安処分によって補充されなければならないのである。マニョー ルによれば、この制度には風俗に深く根ざした裁判実務との断絶をもたらさず、正義の広く行き渡った感情に満足を与 えるという利点がある。ちなみに、この解決は一九三○年のイタリア刑法典(第八九条および第一三○条)や一九一一八 年のスペイン刑法典(第六五条および第九六条)が採用していた。 このように、マニョールはこの解決を一応は評価しつつも、つぎのような深刻な批判を惹起せずにはおかないという。 まず、刑務所の一般的制度では、受刑者に必要な治療を与えることができない以上、刑務所への収容が医療的観点から 沖大法学第十六号 ●--- ■■■■■■■■...■■D 八

(30)

みれば、むしろ有害でないかどうかが問題であ魂・マニョールによれば、草案のような対応は同様に行刑的観点からも

望ましくない。なぜならば、経験が明らかにしている通り、それらの者たちは規律を守らないため、施設においてトラ ブルの原因となる恐れがあるからである。 以上に紹介した批判は、その後も有力に主張された。その結果、次回以降の拙稿において検討する各種草案において

も、この二元主義は完全に放棄され、今曰にいたってい魂。この点に関して、メルルーヴィチューはつぎのように主張

している。二部の学説は、精神異常者に対して責任に報いるために刑罰を、それから病気を治療するために保安処分 を順次加えることになる一一元主義の助けを借りるよう強く主張してきた。’九三四年の刑法典改正草案の起草者たちを 動かしたのは、まさにこのような考えであった。しかし、このような考えは急速に捨て去られていった。なぜならば、 それは明らかな誤りで汚れていたからである。時間的に刑罰と保安処分を連続して科するということ(あるいは逆に保 安処分と刑罰を連続して科するということ)は愚かなことである。精神病者を治療する前に処罰を始めるということは

不合理であろう。また、彼をまず治療して、しかる後に罰するというのも同様に不合理だと恩われ魂」・

マニョールは、草案第七三条に対して、前述したような種々の問題を提起し、刑罰と処分の関係をふたたび議論して いる。そして、マニョールは、限定責任能力者についても責任無能力者についてと同様に、もっぱら保安処分を科する べきであるとの見解、刑罰と処分の併科を維持しつつ刑罰についても精神病院で執行するべきであるとの見解、さらに 刑罰先執行を原則とし、事情に応じて処分の先執行を認める見解の一一一種を好意的に紹介し、少なくとも第三の見解を採 用するのがよいとしている。以下では、この問題をより詳細に検討してみよう。 限定責任能力者についても責任無能力者についてと同様に、もっぱら保安処分を科するべきであるとの主張がみられ フランスにおける触法精神障害者問題をめぐる立法史的展開二) と二 九

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