博 士 ( 文 学 ) 藤 井 光
学位論文題名
The Nomadic Atlas: Formation and Becoming of Self in Contemporary American Fiction
(彷徨への地図:現代アメリカ文学における自己形成と生成変化)
学位論文内容の要旨
本 論文 は現 代ア メリ カ文 学、 特に1980年 以降 の小 説に おける、「われわれの現在」を問う試み を検討するものである。「現在」という地点に 韜ける、自己の安定し統合された形態である「主体」
ある いは その アイ デン ティ ティ の形成( formation)が権力作用の産物であるという批判的認識を ふま え、 その よう な自 己を 変容 させ る こと 、す なわ ち「 生成」(becoming)のポテンシャルを模索 する作品群を扱う。
1960年 代か ら本 格化 した 「ポ スト モ ダン 文学 」の 運動 が、メタフィクションやパロディといっ た手 法を 前面 に押 し出 す中 で、 作品 自 体の テク スト 性や 表象としての存在といった概念を意識的 に活 用し、「主体」や「現実」の自明性に挑戦す る試みを行ってきたことは、多くの研究者によっ て指 摘さ れて いる 。し かし 、1980年 代 以降 の小 説に 日を 向けるならば、そのような従来の「ポス トモ ダン 文学 」と いう 枠に は収 まり き らな い作 品が 登場 していることが注目されてしかるべきで あろ う。Steve EricksonやDon DeLilloなどの小 説においては、時空間という枠組みを再構成し直 すこ とか ら、 主体 とそ のア イデ ンテ ィ ティ の変 容の 可能 性を探るという試みが見られる。このよ うに 、従 来の 「ポ スト モダ ン」 概念 と は異 なる 角度 から 「主体」への挑戦を試みる現代文学の動 向を 検討 する のが 本論 文の 研究 であ る 。し たが って 、本 論文においては単独の作家に対象を絞る の で は な く 、 現代 アメ リ カ小 説の 中か ら10人の 作家 を取 り上 げて いる 。ま た、 各 テク スト にお いて問題となる主体のアイデンティティとは、「アメリカ人」「個人」「男」「兵士」「人間」など、
それ ぞれ 具体 的な 形態 にお いて 提示 さ れ、 それ に対 する 生成の試みも各テクストに特有の戦略と ス タ イ ル を 持 つ 。 し た が っ て 、 博 士 論 文 の そ れ ぞ れ の 章 は 個 別 の 作 品論 にあ て られ てい る。
「 序論」は論文全体における方法論の整理を中 心とする。「現在」に韜ける自己のアイデンティ ティ 、主 体と いう 統一 性か ら逃 れよ う とす る運 動と は、 自己という「内部」に変容あるいは生成 の可 能性 を見 いだ すこ とで あり 、各 章 にお いて 検討 され るテクストとは「現在」における自己の 形成 と同 時に そこ から の離 脱の 可能 性 を探 る、 一種 の境 界線上にあるものとしてとらえられる。
ま ず問 題と なる のは 、ア イデ ンテ ィ ティ が権 カの 作用 と不可分であり、そこから逃れようとす る 運 動 と は 政 治 的 な 色 彩 を 帯 び る こ と に な る と い う 点 で あ る 。 第1章 ではPaul Austerに よる ‑ 24一
Leviat.細 (1992)を取り上げ、1980年代のレーガン時代における保守主義のアイデンティティ戦略 に対 する抵抗 の試み を検討す る。「 生成」は ここで はポリテ ィカルな側面を明らかにするが、その 抵 抗 が目 指 す べき 終 着点 として 理想的な アイデ ンティテ ィを保持 するこ とが抱え 込む限 界をも露 呈し ていく。 第2章ではSteveEricksonの小説R甜6め門ぬロめ(1986)を論じ、理念的な「アメリカ」
と は 異な る 「 アメ リ カ」 の姿を 浮かび上 がらせ る試みを 検討する 。登場 人物と設 定が時 空を超え て 交 錯す る こ の小 説 にお いて、 過去、現 在、未 来は直線 的な秩序 を形成 すること はない 。ここか ら は 、 目 的 論 的な 統 合 を欠 い た 「ア メ リ カ」 が 導 き出 さ れ る 。第3章 では 脚lonyD0eHに よる 短 編 TheC齟剏ker (2002冫において、リベリア内戦、すなわちエスニックなアイデンティティが暴カ と 直 結し た 事 態を 舞 台と し、こ の短編が アイデ ンティテ ィそのも のを乗 り越える 試みを 探る。こ の 作 品に お い て保 持 され るのは 、アイデ ンティ ティの成 立が空間 をある 形式で実 践する ことと不 可 分 であ る と いう 点 で あり 、 そ の変 容 の 可 能性 は 異 なる 空 間 を実 践 す るこ とに 見いだ される。
この よ う にア イ デ ンティ ティと 空間を問 題化す るならば 、必然 的に「身 体」が検 討され るべき 主 題 とな る 。 第4章 で 検討さ れるのはPamlmerolIxの 刀袖Mぬq釘ffDCD甜fであ り、ア イデンテ ィテ イが取りうる形のーっである「男」、特にアメリカ的 self―l搬dem孤 の形成メカニズムを考察して いる。第5章はS卿henW地htのMをめぬ釘D腦所(カ℃P門(1983)を論じ、「男」というアイデンティテ イ の ーつ で あ る「 兵 士」 をめぐ り、そこ からの 生成の可 能性を身 体にお ける知覚 の変容 において 模索する小説として検討する。第6章ではJe罐ヴEug跚idesの短編 AむM証1 (1996)を検討し、「非 人 間 的」 要 素 と結 び つ いた 身 体 が出 現 さ せ る新 た な自己を 追求す る物語と して論じ る。第7章は DemsJohnsonによる 剛艚め仁 ねめイC ゆmぬく 而跏セ (199の を取り上げ、この小説がニーチェとノ ワ ー ルと い う 要素 を 混合 させな がら、最 も苛烈 に「男ら しさ」か らの出 口を探し 求める カ学を論 じる 。第8章は貼beccaBrownの小説 刀をD呼ゞイ 朋みぬ朋8昭fぬグ (1998)を検討し、動物と区別に お い て成 立 す る「 人 間」 という 概念その ものを 突き崩し 、むしろ 動物に よる身体 的触発 から未知 なる身体を導き出そうとする試みとして論じる。
こう し た 身体 性 へ の着目 と同時 に、自己 が抱え 込む変容 の潜在 性とは時 間そのも のから 決して 無 縁 では な い 。こ の 観 点か ら 第9章 で 検 討 され る のはD0nDeLmoの眦BD砂イ 阿卿(2001)であり 、
「人 間」とい う概念 そのもの への問 いを時間 という 角度から 考察する。「人間」というアイデンテ イテ ィを支え る論理 である「 個人」 「現在」 「アイ デンティ ティ」といった原理に代わり、より流 動 的 で 非 人 称 的な 次 元 の存 在 が 追求 さ れ る。 第10章 で は ぬeBraV飢n孤 の短 編 mstく 癌esofmc Undeaず(1998) において 、生成 そのもの としての時間が「歴史」という時間と相容れないものであ る と いう 点 を 論じ る 。因 果関係 、名前と その永 続性に特 徴づけら れる歴 史の把握 を逃れ る変容の 時間が表現されている。
「結 論」に おいては 、各章に おいて 提示され た、「 生成」の 姿を束ねる形で、「共同性」という 問 題 を考 察 し 、Ausセerの ニュ ー ヨ ー クか らBravenmnのロサ ンゼル スヘ至る 過程が 浮かび上 がら せる 「アメリ カ」の姿を検討する。「アメリカ」の基盤として継承されてきた「個人」という概念、
そして近代的な時空間の枠組みが生成を基盤としてとらえ直されることにより、異質な存在が互 いを触発し、相互に変容を引き起こすポテンシャルの場としての「アメリカ」が最終的に姿を現 すことになる。
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学 位 論 文 審 査 の 要 旨
主査 助教授 瀬名波栄潤 副査 教授 長尾輝彦 副査 助教授 村田勝幸
副査 教授 柴田元幸(東京大学大学院人文 社会系研究科英語英米文学専門分野)
学位論文題名
The Nomadic Atlas: Formation and Becoming of Self in Contemporary AmerlCanFiCtion
(彷徨への地図:現代アメリカ文学における自己形成と生成変化)
本論文の研究成果
本論 文は1980年以降のアメリカ小説における、 「生成」概念を検討するものである。「主体」あ る いは その アイ デン ティ ティ が権 力作 用の 産物 であ る とい う批 判的 認識をふまえ、時空間という 存 在論 的枠 組み を再構想することから「生成」あ るいは自己の変容を模索する現代小説の動向を、
個別の作品論を通して検討している。
まず 問題 とな るの は「 アメ リカ 」を 主題 とす る小 説 であ り、 アイ デンティティを基盤としない
「 アメ リカ 」を 描き 出そ うと する 試み は既 存の 政治 的 諸カ ヘの 挑戦 を伴うという点である。この 視 点を 中心 とし て、 第1章 ではPaul AusterのLeviathcm (1992)、第2章ではSteve Ericksonの小説 Rubicon Beach (1986)、そして第3章においてはAnthony Doerrによる短編 The Caretaker (2002)で の「アメリカ的」アイデンティティの問題化を検討している。
次い で、 必然 的に 「身 体」 が検 討さ れる べき主題となる。身体とはそこか ら特定の主体性が弓1 き 出さ れる 場で あると同時に、生成の潜在性を抱 え込んだものとして捉えられていくことになる。
第4章 のPaul TherouxのThe Mosquito Coastにお いて「男」が身体を舞台として形成されるメカニ ズムを考察し、第5章でのStephen WrightのMeditations in Green (1983)、第6章のJeffrey Eugenides の短編 Air Mail (1996)、第7章のDenis JohnsonによるAlready Dead:イCalifornia Gothic (1997)、 第8章 で検 討す るRebecca Brownの 小説 刀ねDogs:イModern Bestiary (1998)は、身体において新た な自己を形成するポテンシャルを追求する小説として論じている。
こう した 身体 性への着目は時間という問題と無 縁ではない。この観点から第9章ではDon DeLillo のThe Boレイrぬf(2001)を、そして第10章ではKateBrav口manの短編 Hist(癌csofmeUnd閲d (1998) ー27―
を 検 討 し 、 時 間 が 自 己 の 変 容 の 条 件 と し て 捉 え ら れ て い る こ と を 論 じ て い る 。 以上のように、各章の議論においては、保守主義への問いや身体、マスキュリニティなど、個 別の小説で展開される具体的な問題を、MicllelF0uc孤ltや(迎esDeleuZeらの現代思想に言及しな がら考察している。それにより、論文全体としては「生成」という概念が発動しうる領域の幅広 さを示すものとなっている。
学位授与に関する委員会の所見
80年代以降の現代アメリカ文学を位置付けることは容易ではない。特に、それらを従来の文 学批評や理論によって説明しようとするならば、多くの矛盾と否定を招くことになる。本申請者 は、今を生きる作家達の現代へのまなざしを肯定することにより、21世紀的文学解釈の手がか りを求めており、そこに最大限の評価をすることができよう。テキストの精読と先行研究や現代 思想への理解と応用は、課程博士学位論文として十分な水準に達していると本委員会は評価した。
公開で実施された口述試験では、アメリカ文学史やアメリカ史についての一般的な質問に加え、
申請学位論文における作家の選択基準、虚構と現実との関係性、または抽象的な表現等について、
審査委員から多くの意見や質問が出された。それらに対し、時代的コンテクストとの距離の取り 方の不安定さや表現の抽象性については、今後の出版に向けての課題とし謙虚に受け入れる真摯 な側面を披露する一方、申請者は、自らの論を展開する際には、審査委員が驚くほどの質量の資 料に言及しそれらをダイナミック且つ丁寧に説明する等、申請者の中に築かれた知カと知性は審 査委員を大きくうなずかせた。
以上のことを総合的に評価し、本委員会は全員一致して、本論文の著者藤井氏に博士(文学)
の学位を授与することが妥当であるとの結論に達した。
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