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地方自治・戦後40年,その総合評価と課題--「変わったもの」と「変わらないもの」 利用統計を見る

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(1)

地方自治・戦後40年,その総合評価と課題--「変わ

ったもの」と「変わらないもの」

著者

坂田 期雄

著者別名

T. Sakata

雑誌名

東洋法学

31

1・2

ページ

235-247

発行年

1988-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003566/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題

      i﹁変ったもの﹂と﹁変わらないもの﹂ー

坂 田 期 雄

 今年は、東洋大学創立百周年であるが、地方自治にとっても、今年は地方自治法施行四〇周年、市制、町村 制施行百周年にあたる。  そこで、本稿では、戦後地方自治のあとを振り返り、現在における総合評価と課題を試みようとするものだ が、たまたま本年六月、筆者が理事をつとめる地方自治経営学会の研究大会でも、このテーマで議論が行われ たので、若干それらをもとり入れ、私の考え方を以下にまとめてみることにしたい。  この地方自治経営学会の大会では、地方自治法施行四十周年、﹁この間、わが国の地方自治は何が変わり︵前進し︶、 何が変わらないままなのか﹂ーーそこから議論がはじまった。そこで本稿でも、その点から、議論を整理、まとめて みることとしたい。     東洋 法 学 二三五

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    地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二三六  ⋮国変ったもの㎜     地方の自立、自主性         画一から個性、多様な地方競争時代へ  ﹁変ったもの﹂ーーそれは、特に昭和四十年代以降、多くの自治体がそれまでの中央からの指示、指導で画一的に 動く単なる国の下講け、出先という姿勢からぬけ出し、自らの知恵とアイデアでまちづくりを考え、進めるといった 自主性を持つようになってきた、力をつけてぎたことであろう。住民に身近な行政に関しては、地方が国に先がけ、 国をリードする、新しい発想はほとんど地方から生まれる、という展開が出てぎたのである。  つい十数年程前までは、自治体は、国の法令、通達に基づぎ、上からの指示にしたがって画一的に行政を進めると ころであった。地方自治体とはいえ、その実質は、国の単なる執行機関であった。新しい政策の立案はすべて国で行 われ、地方はそれを言われる通りに間違いなく執行するいわば実施機関に過ぎなかった。国は文字通り“頭脳”であ り、地方はその“手足”であった。そのことは、中央省庁を“本省”と呼び、市町村は“末端”行政と呼ばれてきた 言葉にも単的に表現されている。  ところが、近時、それが大きく変ってきた。各地方がそれぞれの特性を生かし、創意工夫、“チ茄と“アイデア で地方の“独自行政”を生み出すーそれはそれまでの国の単なる執行機関ではなく、自らの政策を”自ら考えて” “自ら創り出す”という主体となってぎたのである。

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 中央からの国庫補助金でしばられた中にありながら、よくそれをはね返し、まず四十年代には環境、生活、福祉、 過密など高度成長から生じたさまざまな問題にいち早く対応、つづいて五十年代に入る頃から、うるおいとやすらぎ の都市づくり、地域おこし、むらおこしなど地域の産業経済の振興と活性化、また市民の力、エネルギーをまちづく りに引き出して行政と市民共同のまちづくりへ、さらには行政の効率的経営、行政改革への取り組みなど、住民に身 近かな行政、新しい行政課題に関しては、国に先がけ、国を先導するという新しい形、新しい流れを作ってきた。  “中央主導”から“地方主導”へ、それまでの流れを一八○度変える形が各地に噴出してきた。  そしていま各自治体は、お互いにその“創意”と“チテその成功、失敗の実践例を交換し学びあいながら、新し い道を切り開いている。そして、このような動ぎは、今後とも一そう広がっていくものと予想される。各自治体は、 もはや国からの指導に基づく同じような“画7行政を行うのでなく、それぞれの地域の特性に応じ、“個性”を生か した“多様”なまちづくりが全国で展開されていくこととなろう。そしてその“チテや。アイデア”を自治体相互 間で“学びあう時代”へ、さらにそれらを通じて、いい意味での“自治体競争時代”が全国に広がって行こうとして いる。  さらに、近時地域経済の活性化が多くの自治体で最大の課題とされ、これを進めるため企業誘致競争や新しい産業 おこし、リゾートづくり、イベント等への取り組みが各地で力を入れられはじめているが、こういった状況の中で、 少しでも地域のプラスイメージを醸成しておきたい、自らの地域の魅力づくり、イメ⋮ジアップをはかろうと﹁地域 アイデンティティ﹂﹁C1﹂ということで自治体施策として大ぎくクp⋮ズアップされてきた。その一つの代表例は、     東 洋 法 学      二三七

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    地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二三八 大分県の﹁一村一品﹂や熊本県の﹁臼本一づくり運動﹂だともいえるが、これと呼応して大都市圏でも二十一世紀に 向けてさまざまな独自のプpジェクト︵たとえば横浜市のみなと2 1、埼玉県の瑠宕︾呂Hプラソ、神戸市の六甲ア イランド、東京都の大川端構想、新宿副都心開発構想等︶、しかも、それを公共セクタ⋮だけでなしに、民間活力の活 用にょって推進するという新しい試みが各地で展開されはじめた。﹁地域主張の時代﹂ともいわれる。今後は、意欲と 熱意に溢れ、まちづくりへのゆたかな発想や創意が組織の中から数多く生まれ育つ自治体とそうでない自治体との格 差は、一そう大きくなる、いわゆる﹁自治体問差がつく時代﹂ともなってこよう。 ㎜回 変らないもの 中央の地方に対する強い統制支配  しかし、他方、四十年問ほとんど変わっていないものがある。大会であげられた第一は、﹁中央の地方に対する強 い統制支配﹂である。戦後改革によって内務省にょる後見的監督は失ったが、代わって各省庁による新たなタテ割り          ︵1︶ 支配網が出来上がった。そして今目までそれはほとんど変わらずにきている。この間、地方の時代とか、土光臨調、 行政改革など、国と地方との関係を見直す契機は何回かあったが、結局は一歩も前進を見なかった。  たしかに、前述のように地方の主体性、自律性が根づいてきたとはいえ、中央と地方との関係は、依然、強い中央 集権体制のままにおかれている。たしかに自治体は、近時“チエ”の面では決して国に負けない、新しい政策を生み

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出すところがかなり現われてぎたが、それを実行に移すのに必要な“カネ”︵国庫補助金︶と“権限”︵許認可権︶は、 その相当部分が中央省庁の手中に握られたままになっている。中央からの何千何百という国庫補助金によって各自治 体は細部にまで干渉をうけ、ガンジガラメにしばられ、その統制支配下におかれている。さらに各種の法令、通達に よって自治体の組織、定数にまで細かく関与、制約をうけ、︵国による必置規制︶自治体が自主的に仕事を処理でき る分野はかなり限られた状況にある。依然として中央に依存せざるを得ない状況、体質の中にある。  前述のように、国民の意識、価値観が高度成長時代の“経済成長砺開発”から、低成長期”の今日では、もっと身 近な生活を大事にするというように変ってきたのに伴い、行政の主役も、“中央”から住民に最も近い“地方”へと移 ってきた。したがってこのような変化に伴い、実際に仕事をする自治体に“カネ”や“権限”を渡すーーつまり﹁地 方分権﹂を実現することが今目の極めて大きな課題である。それにょって、各自治体がそれぞれの地域の実態に応じ てキメ細かな政策を自ら考え、自ら実行に移して行けるようにすることが必要である。現在のように、地方の現場を 知らない中央省庁が、地方の細部にまでわたって干渉し、全国画一的に同じような行政を上から押しつけるあり方の ままでは、折角盛り上った地方の主体性の芽がつぶれてしまう。地方のことは地方の創意に委ね、地方の特性に応じ        ︵2︶ たまちづくりが展開できるよう、“カネ”と“権限”が委譲されることーー地方分権が、今日、緊急の課題である。 地方分権が進まない要因 ところで、    東 この地方分権は、 洋法 学 戦後長らく唱えられながら、今目まで殆んど前進していない。 数年前、行政改革が論   ≡二九

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    地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二四〇 議された臨時行政調査会では、国ー地方を通じた簡素で効率的な行政体という観点から、地方分権という考え方が大 きくとり上げられ、中央から地方へ分権をはかるまたとない機会と見られたが、この時も、結局、総論段階でうたわ れたにとどまり、具体論、各論の段階で殆んどみるべき前進はなく、現状維持にとどまった。ところで地方分権は何 故進まないのか。その理由として次の三点があげられよう。  ①第一は、中央各省庁が、その権限、財源を絶対に離そうとしない、地方に渡そうとしない、権力意識、権限意   識、なわ張り意識が極めて強いことである。’  ②第二は、国会、政党である。現在、国会議員︵とくに与党︶は中央省庁とゆ着、もたれあい関係にあるが、そ   のため、中央省庁が権限を失うことは、国会議員の地位低下にもつながる。国会議員にとっては、中央省庁の持   っている国庫補助金や許認可権は、即自分にとってそれは選挙区︵票︶とつなぐ有力な用具になっているからで   ある。だから、国会議員も中央集権を望み、地方分権には反対となる。  ③第三は、地方自治体の側においても、中央依存、中央尊重の意識がなお根強く残されていることである。地方   においては、国庫補助金を貰ってくることは、首長にとっても、幹部職員にとっても重要な仕事と認識され、補   助金の獲得は、首長、幹部職員ともにその大きな功績として評価される。国庫補助金は大事なもの、有難い、だ   から中央と直結し、中央の意に従うのが得策だとの認識がむしろ、一般的である。    したがって今後は、単なる総論で﹁地方分権﹂を声高に主張するだけでなく、このような地方分権を阻げる諸   要因を一つ一つ克服して行くことが何よりも必要だといえよう。

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自治を阻む中央の画一指導     ﹁全国的に統一のとれた行政﹂と﹁地方の独自行政﹂ の調整の問題  地方自治という点から中央と地方のあり方をみる場合、もう一つ大事な点は、﹁全国的に統一のとれた行政﹂と﹁地 方の独自行政﹂との調整をどう図るかということである。  この点に関し、先の地方自治経営学会では、まず荻田保氏が﹁もちろん、地方自治大いに結構であるが、国民は全 国的な標準のとれた行政を願っている。これを地方自治といかに調整するかが目下の地方自治の最大の課題だ﹂と問 題提起。かつて住民税について五つの選択制がとられていたことがあったが、結局、国民から否定されて一本に統一 された。地方自治といっても観念的なとらえ方では駄目だ。国民はむしろ全国統一のとれていることを望んでいる と。  これを受けて倉沢進東京都立大教授は、﹁住民がどの自治体に住んでいても同じサービスを受けられるような仕組 みーこれは明治以来、わが国の政府がずっと維持してきた方針であり、それなりの成果をあげてぎたが、他方、住 民の自治体に対する自治意識は乏しいものとなった。どこに行っても同じサ⋮ビス、したがって、住民は自分がどこ の自治体なのかを考える必要がない。郵便番号程度にしか受けとられない。こうみてくると、自治体行政の権幹の部 分に関しては画一でなければならないが、周辺的なことに関してはできるだけ自治体の創意、自由にまかせるように することが必要だ。要は、何を全国画一にしなければいけないのか、何を各自治体ごとの自由な発想にまかせるのが

    東洋法学      

二四一

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    地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二四二 よいのか、をもっと詰める必要がある。例えば、義務教育の年限とか住民登録とか戸籍等は全国画一でなければなら ないが、学校の建て方をどのようにするか等は自治体ごとにそれぞれ違った形が出てきてもいいのではないか。自治 省は、これまである意味では各省庁のセクショナリズムに対して地方自治を擁護する立場をとってきたが、同時に、 各自治体が画一のサービスをするようにという指導をしてきた﹂と指摘した。  また、宮沢弘氏も﹁中央省庁は自治省も含めて地方のことに世話をやぎ過ぎる。場合によっては、破産させてもよ いではないか。そのくらいにした方が住民の目が自治体、地域に向くようになってくる﹂と述べ、現在の中央省庁の 地方に対する画一の指導がかえって自治を阻害しているということを強調した。 二 成長しない﹁住民の自治意識﹂  戦後四十年経って﹁変っていないもの﹂として、この大会では﹁住民の自治意識﹂があげられた。  この住民の自治意識、住民の地方自治に対する関心は一般的にみて現在かなり低い。四十年たって住民の方は一向 に成長していないと、この大会で多くの論者から共通して指摘された。  もちろん、○○よこせという運動から、五十年代に入ってからは、地域によっては住民が税金の使い方に厳しい目 を持つようになってきたところもある。また、まちづくりや地域おこしに住民が進んで立ち上がり、参加するという        ︵3︶ 例も一部には出てぎているが、全般的には住民は自分たちのまちに十分関心を持っていない。  特に大都市でそのことがいえる。地方では選挙の投票率が高いところもあるが、通常、それは地縁、血縁などによ

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るものであり、住民が地域の問題を自分たちで考えるということに裏打ちされたものになっていない。実質的レベル は低い。そしてこのような状況は、これから十年、二十年先を考えてもおそらく変わらない。住民の成長しないまま なのではなかろうかといった悲観論も出された。  ところで、このように住民の自治の自治意識がなかなか育たず、低いままであるのはなぜだろうか。いろいろなこ とが考えられるが、一番大きな理由は、わが国では欧米のように行政サ⋮ビスと住民負担︵税負担︶との関係がはっ きりしていないことである。欧米では、住民は税金を払ってそれに見合うサービスを行政から受ける、という考えが 定着している。住民はより良いサ⋮ビスを求めるのであればより多い税負担をしなければならない。税負担をあまり したくなければ、それに見合うサ⋮ビス、すなわちより低いサービスに甘んじる!そういったコストとベネフィッ トとの結びつきを住民は十分認識している。わが国ではそれがはっきりしていないため、住民は負担引き上げには常 に反対するが、行政へのサービス要求はより多くなる。あるいは行政にお任せ、無関心という傾向になり、自分たち が負担して自分たちのまちをつくるのだという意識がなかなか育ってこないのである。このほか、自治意識が育たな い理由として、日本ではどこの自治体に住んでもほとんど同じサービス︵画一行政︶が受けられるため、自分はどこ の自治体の住民なのかをあまり考えない、意識しないということ、また首長の姿勢!首長が明確なスタンスを持た ず住民への迎合型、人気取り型である場合が多いことなどがあげられよう。  さて、これを改善するにはどうするか。  ①まず受益と負担とが結びついたシステムとなるよう国庫補助金をやめて地方に自主財源として与え、住民はそ

    東洋法学      

二四三

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    地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二四四 の中でまちづくりの選択ができるようにする。そうすれば自分たちが決めるのだという意識が生まれる。自治の能力 もそこから育ってくる。国は基本的なことは指導しても具体的なことは地方に任せる。  ②それとともに、現在のわが国の地方税財政システムは複雑過ぎて住民にはよく分からない。住民から﹁サービ スと負担﹂との関係がよく見えるように、国⋮地方を通じてわかりやすい税財政制度に改めることが必要であろう。 しかし、このようにして財源を地方に与えたとしても、税源の少ない自治体には、その財源は結局地方交付税という ことになるが、地方交付税が財源の九割前後を占め、自らの地方税は一割くらいという状況で、果たして自治意識が 育つだろうかといった問題は残ろう。  このように、現在の地方自治を直視すると、制度とその実際、理想とその現実との間には大変な開ぎがある。従来 の考え方の延長線上ではその解決、打開はまことに難しい感もある。そこで﹁従来の地方自治の観念にとらわれない 臼本型の地方自治を考えてみてもよいのではなかろうか。いまわが国は社会全般にわたって従来の価値観が相次いで 崩れており、変化への対応が求められているが、地方自治についても従来の考え方にとらわれない柔軟な考え方が必 要なのではないか。特に住民の問題についてはそれがいえるのではないか﹂、﹁地方自治をこの際新しい視点で考え直 すことが必要なのではなかろうか﹂そして、戦後四十年たって、地方自治は当初頭に描いていたものになかなか到達 していない。目標が高過ぎたのだろうか。自分で考えたのが四十年ほとんど変わらないというのは、ややユートピア 過ぎた、理想を追い過ぎたのかなという感もする﹂。等の意見がこの大会でも出されていた。しかし理想は高く掲げ て一歩一歩前進することが必要であろう。

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︹注︺ ︵1︶ 昭和二十二年五月、新憲法が施行され、その中にはじめて﹁地方自治﹂の一章が設けられたが、その年に地方自治法も制 定された。   これにより、わが国の地方自治制度は面目を一新し、画期的な転換を遂げた。それまでの中央集権的、官僚主義的な地方制 度から、﹁地方自治の本旨﹂に基づく民主主義的地方分権主義へ、ドイッ型の地方制度からアメリカ型の自治制度へと、それは  制度的・形式的に見る限りはまことに見事に達成された。具体的には ①戦前の官選知事に代って知事の公選制が実現し︵昭和二十一年︶  ② つづいて戦前の府県制、町村制はすべて蝋本化されて地方自治法の誕生となり︵昭和二十二年︶  ③それによって、地方に対する国の監督権も、旧憲法下での﹁後見的一般的監督﹂から新憲法下では﹁助言、指導、援助と   いう協同協力の関係︵非権力的関与︶へと改められた。  ④ さらに同年十二月には、マッカ⋮サ⋮によって﹁中央集権的統制の中心点﹂と目された内務省が解体され、  ⑤ さらに町内会、部落会も解散︵二十三年一月︶  ⑥ 警察、教育権の地方への移譲︵二十二年及び二十二年︶︵ただし、警察は昭和二十九年、教育は三十一年に大幅に逆戻り、   修正となった︶  ⑦市長等は直接選挙︵従前、市長は議会にょる間接選挙であった︶  ⑧条例の制定改廃の講求、住民の監査請求、リコール等、住民の直接請求権が制度化された。  こと等であるが、これらの改革は、当時、制度としてはまことに﹁輝ける、地方自治﹂﹁世界に冠たる自治制度﹂と高い評価を  受けた。   しかし、その実質、中身は、必ずしもこの制度改革が狙った方向には動かなかった。これと全く乖離した。制度が変ったと  いうのは、たしかに内務省は解体され、地方自治体に多くの権限が付与されるという新しい制度へとなったのだが、それは、

   東洋法学       

二四五

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   地方自治・戦後四〇年、その総合評価と課題       二四六 地方自治法上のタテマエがそうなったというだけで、実態的には、内務省に代って中央各省庁による新たな地方支配の体制が タテ割りの系列で強力に地方のすみずみまでに浸透したのである。地方自治法が制定された昭和二十二年の最初の法律では、 その第二条二項で自治事務︵国有事務︶が明記され、国の直接の監督権は受けないこととなったのだが、翌二十三年、各省庁  からの強い力で﹁法令に定めがある場合はこの限りではない﹂というただし書が挿入され、爾後、各省庁は自治事務とされた ものについて競って法令を制定、地方自治法のワクの外側へと相次いで逃れ出て行ったのである。それとともに各省庁は地方  に対する国庫補助金を年々拡大し、財政面での中央支配の体制を固めたのである。   かくて、地方分権、自治事務といった地方自治制度の中心部分は実質的には形骸化し、内務省ではなく、内務省以外の中央 省庁によって地方自治法の趣旨とは全く別個の新たな地方コントpール方式が作られてしまったのである。 ︵2︶ 大会の論議でも、﹁今目の状況は団体自治の面では﹃地方政府﹄というには程遠い。昭和二十六年当時の地方行政調査委員  会議の勧告文と今回の臨調答申文を比べてみてもほとんど記述が似ている。三十年たっても一向に進歩がない﹂︵宮沢弘氏︶、  ﹁戦後変わらないものは、中央の地方に対する統割と監督だが、それは許認可の権限と補助金行政とが組み合わされて極めて 強力なものとなり一貫して続いている﹂︵肥後和夫成腰大教授︶、﹁国は補助金を通じて細かいところまで干渉し過ぎる。長野市  では図書館の運営を委託にしようとしたら文部省から補助金交付になじまないと圧力がかかり、やむを得ず直営した。国が地  方の自主性を阻害している﹂︵柳原正之前長野市長︶、などが指摘された。 ︵3︶ 昭和四十年代から展開されはじめた市民参加の行政は、それまで﹁国の方を向いて﹂いた自治体の姿勢を﹁市民の方に向  け替えさ蛭た﹂という大ぎな意義があったが、反面、住民の側から﹁行政に甘える﹂﹁依存する﹂﹁公けにたかる﹂といった弊  風を生み、その結果、行政の守備範囲の乱れ、行政の過剰サ!ビス、オンブにだっこといった問題が生じてきたといえる。   このため、昭和五十年代に入る頃から、市民参加行政への反省が出てきた。﹁行政はどこまでなすべきか﹂そして﹁そこから  先は住民や地域の受け持っべぎ分担だ﹂という行政と市民との役割分担である。まちづくりは行政だけでやるのではなく、市  民と行政の共同作品として作って行くものだという認識である。   しかし、いま各自治体での悩みは、それをどうやって進めるか、その進め方のむずかしさであろう。住民エゴ・無関心・行

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政依存の住民でなく、自分達の地域のことは自分達でという市民の“自立”“セルフヘル。7をどうやって育てるか。わがま

ちを﹁考える市民﹂﹁参加する市民﹂にどうしたらなって貰えるかーこれがいま多くの自治体で非常に大きな課題となって

いる。

東 洋 法 学

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