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旧・阿仁町のアイヌ語地名

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(1)

旧、阿仁町のアイヌ語地名

東北アイヌ語地名研究会

2010年 6月26日

(2)
(3)

2005年3月22日

旧、鷹巣町

旧、合川町

旧、森吉町

旧、阿仁町

北秋田市

(4)

旧、鷹巣町

旧、合川町

旧、森吉町

旧、阿仁町

北秋田市

2005年3月22日

(5)
(6)

阿仁前田から見た森吉山。

(7)

行政区域名

大阿仁村 阿仁合町 昭和12年 北秋田市 平成17年

阿仁町

昭和30年 荒瀬村 阿仁合町 明治30年 荒瀬村 阿仁銅山村 明治22年 大2区4小区、5区(6鉱山) 明治6年

(8)

旧・阿仁町の人口

4,026

平成17年 (町村合併時)

3,800

平成22年 旧・阿仁町区域

6,276

昭和60年

7,232

昭和50年

9,859

昭和40年

11,004

昭和30年 (町村合併時)

(9)

360 24 43 87 226 児童数 22 3 4 7 8 学級数 昭和60年5月 81 6 592 16 阿仁合小 121 12 1411 54 計 43 3 三枚小 85 5 根子小 92 6 伏影小 128 6 荒瀬小 162 6 中村小 40 6 289 9 大阿仁小 7 1 鍵ノ滝分校 13 2 萱草分校 児童数 学級数 児童数 学級数 平成22年4月 昭和41年5月 学校名 阿仁町の小学校児童数

(10)

(阿仁合町郷土誌221頁)

湯口内の渡し場

喜鵲橋(明治17年)

荒瀬橋(大正3~4年)

萱草橋コンクリート橋脚掛

け替え(大正14年)

鳥坂橋コンクリート橋脚掛

け替え(大正14年)

(11)

日本国有鉄道 阿仁合線 1934年(昭和 9年) 阿仁合線鷹ノ巣 - 米内沢(15.1km) 1935年(昭和10年) 米内沢 - 阿仁前田(10.2km) 1936年(昭和11年) 阿仁前田 - 阿仁合(7.8km) 1963年(昭和38年) 阿仁合 - 比立内(13.0km) 角館線 1971年(昭和46年) 角館線角館 - 松葉間(19.2km)      秋田内陸縦貫鉄道 1986年(昭和61年) 1989年(平成元年) 比立内 - 松葉(29.0km)

(12)

米代川・阿仁川流域の縄文時代

ストーンサークル、伊勢堂岱、大湯など 広域にわたる持続的な社会組織があった

(13)

秋田県指定有形

文化財

魚形文刻石

阿仁根子

(14)

菅江真澄

みかべのよろい

(1805)

(15)

縄文時代の造形

(16)

狩猟紋土器 森吉山ダム 日廻岱B遺跡

(17)

縄文晩期の土器

(18)

縄文晩期の土偶

(19)

元慶の乱

(878)

椙渕(すぎぶち)

鷹巣、阿仁川流域

(20)

915年、十和田火山(のち湖)の大噴火、米代川流域 の泥流、大洪水(低地の家屋などの埋没)

1051年、前九年の役 1083年、後三年の役

(21)

文治五年

(1189)

源頼朝軍の北進に

より、藤原泰衡は

平泉より肥内郡に

後退

贄の柵において

郎党河田次郎に

討たれる

(22)

  戦国時代

 阿仁川流域には

嘉成・松橋・浅利な

どの豪族がいた

 安東氏の旗下に

あった

 阿仁には風張城

跡がある

(23)

大坂商人に

よる

阿仁の鉱山

の開発

1637年

1670年

(24)

1730年、阿仁銅山から大坂への銅

の出荷は840トンで、別子銅山の8

10トンを越え

日本一

となる

1773年、

平賀源内が精錬法を指導

した

(25)

鉱産額表(阿仁合町郷土誌96頁) 493 1851 嘉永4 432 1928 昭和3 869 1921 大正10 1194 1907 明治40 423 1868 明治元年 562 1839 天保10 628 1827 文政10 535 1813 文化10 498 1793 寛政5 銅 トン 西暦 年次

(26)

銅の精錬と木炭

 銅山の開鑿と銅の精錬には膨大な量の木材が消 費された。  1トンの銅を生産するには4トンの木炭が必要であ る。  4トンの木炭を生産するには100石(18立法メート ル)の木材が必要である。それは1町歩の森林資源 に相当する。 旧・阿仁合町(阿仁銅山町)の全面積約8000町のう ち4488町(6割)は古河鉱業の私有地である。 (阿仁合町郷土誌139頁)明治18年より

(27)

焼木と木炭使用量

(明治6年資料) (阿仁合町郷土誌110頁) 阿仁の鉱山で1年間で使用する木炭 713,000貫目(2,674 トン)   (試算)森林資源668町 阿仁の鉱山で1年間で使用する焼木 1,800棚 一棚(一丈四方)を3m(10尺)の立方体とすると 1,800×27=48,600立方m 阿仁の鉱山(746戸4,902人)で1年間で使用する米(109頁) 15,848石 一日当り 43石4斗1升9合(3斗入144俵)

(28)

阿仁鉱山と木炭

(阿仁合町郷土誌110頁)

炭木は、近山は伐り尽くし

、ただ今まで小阿

仁の内より炭・焼木・留木の類、伐り出す道

のり三里または五六里ばかりの山道を運び

申儀に御座候。

 

(明治6年資料)

(29)
(30)

銅山木山方絵図

山の境界や沢名な どを記録した藩政時 代の資料である。 明治元年(1868)に写本 が作られた。 阿仁町史料編(1991)

(31)

小沢選鉱場跡

(32)
(33)

軒数と村当高(享保郡邑記1730)

鉱山と銀山町をのぞく

当高(石)

軒数

74

19

小淵

60

20

小様

174

34

吉田

71

130

水無

413

369

荒瀬村

(34)

藩政期の荒瀬村

(阿仁合町郷土誌43頁) 牛馬は大数一千口あらんと云。 本郷荒瀬より山奥まで十里あらん。すべて銅山にて 渡世す。 奥通り、トチの実・シダミ(楢の実)・アワ・ヒエを食う。 酒は栗・ソバにて作る。栗酒は味わい淡く、ソバ酒は 味わい辛くよく酔いしものなり。 村々、熊を取ることを業とす。冬より春まで山々を巡る。 近国の奥山至らざるはなしという。 あるいは鹿・猿・カモシカ・狐の類まで取らざるはなし。 人至ってすこやかなり。

(35)

秋田県ツキノワグマ保護管理計画(案) 平成14年2月  秋田県のツキノワグマについては昭和40年代前半ま での平均捕獲数は100頭/年未満だった。  昭和45年以降は120頭/年前後に増加  昭和54年には人里への出没がみられ、293頭(有害 駆除278頭)のクマが捕獲される。  農林業への被害、15名の人身被害

(36)

クマ類の捕獲数(許可捕獲数)

105 144 85 689 山形 64 111 85 439 福島 200 46 74 316 秋田 36 46 19 211 宮城 144 88 86 241 岩手 62 47 53 110 青森 603 384 445 339 北海道 H21 H20 H19 H18

(37)
(38)

1.糠内(ぬかない)   nukan-nay(小石の沢)    noka-nay(記念すべき模型物のある・沢) 2.比内沢(ひないざわ)    pi-nay(小石の沢) 3.湯口内(ゆくちない)    i-uk-ot-nay     (それ[獲物、鹿]を取るのが常である沢)

(39)

間 ノ 見 内 沢 ? 大岱村    小渕村 小 様 村       ヌ カ 内 沢

(40)

小様の集落に渡る橋より小様川を撮影。 小様川は小石の河原を流れる浅い川である。

(41)

比内沢川は、前方の電柱がたっているガードレー ルの所の下を流れている。

(42)

比 内 沢 阿仁川は大又川と書かれている 三 右 衛 門 沢       水 上 沢

(43)
(44)

阿仁川にかかる喜鵲橋。 右側が川岸の突出部分

(45)
(46)

湯 口 内 村             湯 口 内 沢 大又川(阿仁川) 湯ノ沢 湯 口 内     舟 渡 場 ヶ 沢

(47)
(48)
(49)
(50)
(51)
(52)

4.粕内(かすない)       kasi-nay(仮小屋・沢) 5.笑内(おかしない)       o-kasi-nay(川尻に・仮小屋ある・沢) 6.比立内(ひたちない)     pi-at-nai(石ころの多い川)

(53)

粕内橋  大川目(阿仁川)

(54)
(55)

露熊

(56)

笑内村 大川目(阿仁川) 鳥 坂 沢 が 山 奥 ま で く わ し く 描 か れ て い る

(57)
(58)
(59)

       笑内村 大川目(阿仁川 )      比立内川は牛滝沢とも呼ばれていた 打 当 川 落 合 鍰 内 沢       田 沢 繋沢 小岱倉

(60)
(61)

7.鍰内(からみない) kar-mi-nay([何かを]とる清水川)。 8.万内沢(まんないさわ) mak-un-nai (後ろの沢)。 9.志渕内(しぶちない) si-putu-nay(大きい沢口の沢) 。

(62)
(63)

からみ内沢川

(64)
(65)
(66)
(67)

志渕内沢、すぐ上流に大沢がある 大 川 目 ( 打 当 川 )

(68)
(69)

10.戸鳥内(ととりない)        tu-utur-nay(尾根の間の沢) 11.打当内(うっとうない)          ut-nay(脇の沢)。     △-un-to-nay(△がある沼の沢) 12.早瀬沢(そうぜざわ) so(滝)

(70)
(71)

戸 鳥 内 村

(72)

菅江真澄の描

いた栩木沢

流れている川

は戸鳥内沢川

(73)

菅江真澄

みかべのよろい

(1805)

(74)

打当内

(75)

打当内

(76)

打当内

打当川が大又川とあらわされている。 打当内沢は打当村のなかに描かれている 大 又 川 ( 打 当 川 )

(77)

打当 つぶ沼

(78)
(79)

マタギの山言葉とアイヌ語 4単語のみを認める(知里真志保) [意味]   [山言葉]   [萱野茂辞書] 1.頭      ハッケ       パケ pake 2.大きい    ホロ ポロ poro 3.犬      セッタ       セタ seta 4.水       ワッカ       ワッカ wakka   

(80)

高橋義三(2008)、

13単語に関連性を認める

{kanto}天、空:カド {upas}雪:ワバ {poro}大きい:ホロ {sitoki}団子、餅:ストギ {popo}小さい:ホノ {ape}火:サッピ {pira}崖:ヒラ {sampe}心臓:サベ {cape}猫:チャッペ {makiri}小刀:マギリ {seta}犬:ヘダ、セダ {wakka}水:ワッカ {pake}頭:ハッケ

(81)

深津 正「植物和名の語源」 (1989) アイヌ語に基づく植物方言、14例 トンブリ tunkirkur アイコ アイ ヒロコ mempiru シラクチズル siru-kutchi センノキ ayus-ni シドケ  sito カシブ karip バッケ  バッカイ テンキ テンキ フクベラ、セキナ pukusa nisewpera を混同 シノコヘイ shikerpe ウルイ ukur ヒデコ、シオデ shwonte  アララギ raramani

(82)

   大人 ホロビタキ おごる ホルニツマセイ 雨水 ワカ 水・酒類を飲む ワツカ 濁酒 メグリワカ 清酒 キヨワカ 小便 ウジワカ たくさん ホロ 大きい入れ物 ホロカチョ 笠 ワカブタ マタギ用語、西木村郷土誌(475~6頁) 秋田県

(83)

マタギ用語西木村郷土誌(475~6頁) 秋田県    毛皮(の) ヌマクル 皮製の足袋 ヌックルミ 心臓 サンベ 熊の心臓 サンベ 剥ぐ ケプ 皮をはぐ神事 ケボカイ 家の三脚 ケトゥンニ 狩屋小屋 ケド 山 キム kim 山 イマ 煮え立つ ポプ pop 炊事 ワパかす つの キラウ カモシカ キラ (鳥が)鳴く ハウェアシ 予知する エカムケ にわとり エカネハムシ 穀物、飯 アマム 握り飯 アモ

(84)

鳥海マタギの山言葉とアイヌ語 ご飯を炊く   ウッカシ    ウウエ  煮汁 火        サッヒ      アペ   火 焼くこと     ホカシ      ホカ   火の、炉 鍋        マッソウ     ス    鍋 汁椀       ロ・カッサー  ルル・イタンキ 飯椀       オ・カッサー  アマメ・イタンキ 食器類     カッサー     カスプ  しゃもじ しゃもじ     シッテキ    サッテ 萱そろえ板

(85)

秋田方言

ウルかす(水に漬ける)

イカばる(田んぼに水が滞留する)

バッポする(赤ちゃんを背負う)

ギヤダカ(毛虫、阿仁方言)

タッチラ(樺の皮、お盆のお供えをあげる)

サマ(岩の崖)

タイ(八幡岱など)

(86)

マタギ言葉に残るアイヌ系語彙(高橋義三,2008) 混血が進み、マタギ言葉にのみ残存 アイヌ語系民族の人口が次第に 減少 弥生系日本人の人口が優位 狩猟では

指導的存在

狩猟では

従属的

大多数が狩猟技術を持ち東北地方に北上し、後に定着、アイヌ 語系民族と接触 アイヌ語系言語を話す民族 マタギの原型以前の形態を もつ弥生系日本人

(87)

イエスペルセン「英語の成長と構造」 ①古代。先住民のケルト語から英語に入った単語は わずか1ダースくらい ②地名と人名にはケルト語の要素が多く数残る。ケル ト人は移住してきた征服者に吸収された。 ③支配階級は先住民の言語を用いない。しかしケル ト人は支配者の言語を学ばねばならない。 ④1066年ノルマン征服後。(身近な例)動物の名前 は生きている間は英語であるが、食卓にはフランス語 の名前で現れる。 ⑤ (身近な例)職工の名前は卑近なものは英語。上 流階級と接触する職業はフランス語。

(88)

言語交替はなぜ起こるか?

人口説

コリン・レンフルー(考古学者)

農業の生産技術の向上による圧倒的

な人口増加によって起こる

民族移動・征服・植民地支配など政治的支配の定 着によって言語は交替すると考えられるが??

(89)
(90)

亀ヶ岡式(大洞式)の土器文様 縄文時代晩期

(91)
(92)
(93)

古墳寒冷期

北海道から南下し た土器の様式 後北式土器の分布

(94)

秋田県内のミナイ

me(m)-nay 清水川

たるみない

樽見内

おおみない

大見内

からみない

鍰内

いたみない

板見内

ほりみない

堀見内

やりみない

鑓見内

あしみない

芦見内

おくみない

奥見内

いりみないがわ

入見内川

さらみない

皿見内

はみない

羽見内

おなみない

小波内

あさみない

浅見内

わかみない

若見内

もみない

籾内

(桧木内) もみない

籾内

(比内)

(95)

復元された秋田城東門 出羽柵(733) 秋田城(759)

(96)
(97)

ナイのつく地名が

無い地域

平野部、米作が発達、 土師器須恵器の出土

ナイのつく地名が

ある地域

山間部、米作の定着が 遅く、狩猟文化が残る

古代の北方開発ラッシュ

大規模な投資と分業

(98)

言語交替はなぜ起こるか?

人口説

コリン・レンフルー(考古学者)

農業の生産技術の向上による圧倒的

な人口増加によって起こる

民族移動・征服・植民地支配など政治的支配の定 着によって言語は交替すると考えられるが??

(99)

マタギ言葉に残るアイヌ系語彙(高橋義三,2008) 混血が進み、マタギ言葉にのみ残存 アイヌ語系民族の人口が次第に 減少 弥生系日本人の人口が優位 狩猟では

指導的存在

狩猟では

従属的

大多数が狩猟技術を持ち東北地方に北上し、後に定着、アイヌ 語系民族と接触 アイヌ語系言語を話す民族 マタギの原型以前の形態を もつ弥生系日本人

(100)

参考資料、追加しました ―――――――地域史・地誌・民俗――――――― 【1】工藤由四郎『阿仁合町郷土史』1962年 【2】『森吉山麓菅江真澄の旅』建設省東北地方建設局森 吉山ダム工事事務所1999年。 【3】川村公一(編著)『子孫に残す歴史の記録 森吉路  過去から未来へ』建設省東北地方建設局森吉山ダム工事事 務所1993年 【4】新林佐助『熊と雪崩』秋田県森吉山麓の生活誌、無 明舎、1983年。 (小又川流域の人々が昭和の前半にどのような生活をして いたかを紹介) 【5】黒川一男『イタズの町風土誌』秋田文化出版社、 1988年。

(101)

―――――――マタギ関連――――――― 【6】秋田県文化財調査報告書441集『秋田県指定有形民 俗文化財阿仁マタギ用具文化財収録作成調査報告書』2008年。 県公式サイトの「県文化財調査報告書」にて公開中。 http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&Cont entID=1223539598434&SiteID=0 (マタギの生活文化について の充実した資料) ―――――――言語学――――――― 【7】板橋義三(著)『マタギ語辞典』現代図書、2008年。 (マタギ語とアイヌ語の関係についても言及している)

参照

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