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技術科教師鈴木利夫氏の研究(第1報) : 総論

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(1)Title. 技術科教師鈴木利夫氏の研究(第1報) : 総論. Author(s). 奥野, 亮輔. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 44(1): 263-276. Issue Date. 1993-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5278. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第44巻 第1号 i i ionIC ty ofEducat t 44 I louヱnalof Hokkaido Univers ) Vol on (Sec ‐ ‐ , No. 平成 5年7月 l Ju y ,1993. 技術科教師鈴木利夫氏の研究. 1. 諸. -- 第1報. 総論 --. 奥. 亮. 野. 輔. 国. 北海道の中学校技術教育史を語る場合, 札幌市立北辰中学校技術・家庭科教師であられた鈴木利 夫先生とその卓越した教授法を避ける訳にはいかない. 小樽高商 (現, 小樽商科大学) を卒業した. 彼が, 無関係と考えられた工業に興味を示し, 商業や経営学と結び付けて中学校レベルの技術教育 を確立した事は驚嘆に値する. 彼の行っ た技術教育は北海道のみにとどまらず, 日本全国 でも評判 となり, 見学・指導を受ける教師が絶えなかっ た. 昭和37年9月 5 日に 急性心衰弱で逝去されたとき, 地元の新聞は大きく「なくなっ た本道技術教 1 }とか「技術教育に一生をささ ぐ」と報道した どのような仕事をなした教師であっ たかは 育の父」 . , その時の新聞にまとめられてあるので抜粋して みよう.. 「鈴木先生が北辰中の前身札幌第一高等小学校に着任したのは昭和四年 小樽高商卒業後 国内の . ,. 三十余の中小工場に無給で就職, 技術と経営面を勉強した 経歴を買われたものだが, 就任と同時に 日本ではじめて設けられた二年制 の実業科の開設準備をまかされ, 木工, 金工の用具を六教室分も 購入した. この費用はいまの金額に換算すると約千七, 八百万円. 技術の将来性を見通し初等実業 教育 で全国一の設備をととのえた‐ …… また授業では生徒の自主性を尊重, 学内に 一北辰産業″ という株式会社を組織, 社長などの役員 は生徒から互選, 事業内容を木工, 金工, 自動車運転などの技術習得にあて, 生産工程はも ちろん, 能率の向上, 勤務評価などの運営面も生徒にまかせた. ……. 個人としても全道発明協会専務理事, 道産業科学研究会理事, 学大講師, 札幌市工業等奨励委員 を兼任. 毎日夜遅くまで道内各地からく る発明相談や産業診断に応じ, かたわら登山, 山スキー用 の道具十三種をそなえたユニ バーサル・ペンチなど十余の発明もした. また今年から設けられた技 術・家庭科の教員不足を解決のため夏休みも返上, ……. 発辰中では七日, 開校以来 名誉 地位 , , をかえりみず教育一筋に生きた同先生の霊を, 全校あげて送ることを決めた.」 他社の新聞も, 同様の記事を載せていた. このように, 彼の教育法は全国的に有名になり真似す る教師も でてきたが, 多くの機械等の設備と実習助手(昭和5年から昭和4 0年頃まで認められてい たのは北辰中学校のみ) 及び教師自身の多大な激務も伴っ た. そのため, 他校の教師には 取り入 , れられる事項が少なく, ただ 「す ごい先生もいるものだ」 という感想を抱いて去る教師がほとん ど であっ た. しかし, その教育をかいま見た教師達は, 相当のショッ クを受けたと想像するのもかた く な い.. 263.

(3) . 奥 野 亮 輔. 2. 研究及び発表物を中心にした経歴 鈴木利夫氏は, 教師以外に発明 家 経営コンサルタントとしての顔も持っ ていた. 彼を知る手が )を知ると 彼のアウ かりとして,第1に研究及び発表物を中心にしたもの及び職業についての略歴2 , トラインが把握できるので掲載す. この年譜で注目しなければならない箇所の1つは, 高商卒業後 の就職状態である. 注目点とは, a) 家庭を持ちながら, 無給または無給に近い状態でも本人の希望により肉体労働についている. b) 東京での生活は1年間にもかかわらず, 職場を3回変えている. c) 札幌に戻り, 総合鉄工場である今田工場に入社 し, 工場内の職場を転々と移動させ てもらっ て いる. (鋳物現場, 木型現場, 機械工作現場等) d) それらの職種が極端に違っ ているが, 就職先が製造業であり, しかも工業に関連した職種であ る.. }にあるし 戦後の同僚教師佐々 木昭雄氏も同様の事 この問題を解く鍵は, 昭和13年の新聞記事3 , を言っ ている. その新聞記事の一部を抜粋してみる. 「同氏(鈴木利夫) は余市町の漁師網元の家に 生まれ, 小樽高商卒業後, 工場経営を計画して, 東京, 札幌の各種工場を転々とし, ー職工として つぶさに労働の実際を体験する傍ら工作法を研究したが, 初志を実現できぬ事情になっ たため教育 者に転身したもの で, その豊富な体験は実業教育に打っ てつけである. ……」 佐々木昭雄氏の話とから, 利夫氏は 「玩具・美術工芸品の製造工場」 の設立を考えていたようだ. そのための下準備と考えると, 就いた職種と就職期間の説明が可能 である. また, 無給でも生活で きたのは, 東京の叔父の家に間借りし, 叔父の子供達の家庭教師をしていた. 利夫は今田工場で働く傍ら, 借家の庭に5:坪程度の鋳物工場兼作業場を自作する. 青銅の文鎮・ 筆立て・花瓶等を鋳物で作る.・これらを, 長兄の関係 している五番館デパー トに頼み委託販売して もらっ たが売れず生活に苦慮する. 大口チエ (利夫の実弟で, 北大工学部機械科卒業後, 親戚の大 口家に養子に行っ た道司の妻) の話では, 石膏でマリア像等の当時の女学生に喜ばれそうな石膏像 も製作し, 笠島フミ(利夫の従姉妹で,・当 時は庁立小樽女子校に在学)に頼んでフミの友達にも買っ て も ら っ た. そ れ ほ ど, 生 活 に は 困 っ て い た の であ る.. この打開策として, 夜間に私塾を開いた. 筆者が生前の利夫と妻イサから聞いた話では, 多いと きには小学生と中学生全員 で30人程来ていたと言う. この塾費の決め方が変わっ ていた. 即ち, 今 田工場から貰う 給料で足りなく なっ た生活費を塾生に示し, 均等に割り当てた. 反面, 塾費を安く しようとして, 彼ら自身が友達を集めだした結果塾生が集まり過 ぎ, 自分の仕事が出来なくなり1 0 人程度に止めたそう である.. この時代の利夫の自慢の研究の一つに, 「埴汁」の研究がある. 生前の利夫から筆者が聞いた話に よると, 今田工場の鋳物現場で鋳物師から 「 ノ・チロウーを持ってこい」 と言われ, 利夫が何を持っ て行けばよいのか分からなくなる. 鋳物師の言っ た 「ハチロウー」 が, 粘土を水で溶かした粘土汁 ノ・チロウー」 の文字を鋳物師に聞いたが, 彼はその漢字を知らなかっ た. である事を教えられる. 「 そこで利夫が辞典をひいたり図書館で調べたが分からず, 粘土汁の実体に近い 「埴輪」 と 「ハチロ ウー」との発音の類似性から「 ノ・チロウー」は「埴汁」 がなまっ たものと推測した. 昭和2 5年になっ 「 ても, 利夫の説を覆すものがでていないと言っ ていた. これが 埴汁」 の顛末である. 凝り性の利夫は自分 の鋳物工場に時間を使い込んだ為, 塾を休む事が多くそのアルバイ トを止め 264.

(4) . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報) 第1表 利夫に関する年表 事. 項. 年. 代. 年齢. 簡. 単. な. 内. 容. 北海道余市町 (3男 7日). 1 誕生. 明 治37 ‐7. 2 小学校卒業. ブ ヒ正 6. 3. 12. 余市町沢町小学校. 3 高等小学校中退. メコE 7 ‐3. 13. 4 中学校卒業. 大工 E1 2 ‐3. 18. 余市高等小学校 北海道庁立札幌第二中学校 (剣道部部長). 大正1 4 ‐9. 20. 17歳) と小樽で結婚 川内イサ (. 6 高等学校卒業. 大ヱ E15 .3. 21. 7 勘当される. ブ ヒ正15 .4. 21. 8 1回目の就職. ブ ヒ正15 ‐4. 21. 小樽高等商業学校本科 (剣道部部長) 義母スガと進路の事で対立 , 上京 東京市松寿堂工場研究工員. 9 2回目の就職. 大ヱ E1 5 ‐9. 22. 10 彫塑の習得. 東京市上野にあった彫塑塾の夜学部に半年間かよう-. 利一 東京市神楽坂模型玩具工場研究工員. 木材を素材にした家具や玩 具の製作工場‐. 父 山本俵三郎 母 ヨシ 鈴木家 (叔母スガ) の養子となる‐. 5. 結婚. 従兄弟の経営していた化粧品工場. 東京市山本電機製作所研究工員‐ モータ等の電機修理工場(無給). メコ E 1 5 .9~. 22. 長男誕生. 大ヱ E1 5 ‐9. 22. 11 3 回目の就職. 大正1 5 2 .1. 22. 1 2 4回目の就職. 昭和 2‐ 2. 22. 札幌市五番館専属食料品工場研究工員‐ 長兄が関係していたので 臨時採用してもらう‐. 3 5回目の就職 1. 昭和 2- 4. 22. 札幌市今田工場研究員 鋳物, 板金加;L 機械加工等をする鉄工場. 鋳物工場設立 長女誕生. 昭和 2‐ 9. 23. 借家の庭に2坪程度の鋳物場を作り,鋳物工芸品を五番館に卸す‐. 昭和3‐ 6. 23. 1 4 6回目の就職. 昭和 4‐ 4. 24. 美智子 札幌市東小学校代用教員. 昭和 5‐ 4. 25. 第一高等小学校開校. 札幌市おける単科高等小学校の一番目の学校 (二番目は, 現在の柏中学校). (現, 北辰中学校) 1 5 7回目の就職. 昭和 5. 4. 25. 札幌市第一高等小学校専科 (工業) 訓導. 6 工業科意見書提出 1. 昭和 5‐ 7. 25. 工業科充実のため, 岡田校長を通して市学務課に工業科意見書を 提出する‐. 17 嘱託教師. 昭和 6 .10. 27. 札幌市北九条青年学校嘱託教師. 8 金工指導書下版完成 1. 昭和 7‐ 9. 28. がり版印刷1 30頁の金工教授細目を編集する.. 19 教科書の出版. 昭和 8‐ 6 昭和 8‐ 7. 29. 正式活字で一高用工業轍(育の教科書出版‐ 題名 「高等小学校工業. 20 嘱託教師. 昭和 8‐12. 29. 21 嘱託教師. 昭和 9‐ 4. 29. 22 嘱託教師. 昭和10 ‐7 昭和10. 30. 札幌市東青年学校嘱託教師 札幌市東北青年学校嘱託教師 札幌市商工学校嘱託教師‐. 義母スガ死亡. 余市町にて‐. 教育の実際」1 30頁. 23 特許取得. 30. A) 登山用ユニバーサルペンチ B) 耐寒割れ止め砥石 C) 児童用木槌. 24 教科書の出版. 2 5 侍従授業視察. 昭和11 ‐3. 30. 昭和1 1 ‐6. 35. 正式活字での中学校・高等小学校作業料適用の教科書出版. 題名. 「実習必携 (金工編)」7 0頁. 観音寺侍従が利夫の授業見学. 265.

(5) . 奥 野 亮 輔. 事. 項. 年. 代. 年齢. 簡. 単. な. 内. 容. 2 6 工場衛生研究集録. 昭和1 2 ‐8. 32. がり版印刷1 2頁‐ 内容からみて, 商工学校で使用したものと思わ れる‐. 2 7 初等教育奨励賞授賞. 昭和13 ‐4. 32. 文部省が昭和1 1年に発足させた初等教育奨励制度. それを授賞. 各都道府県より推薦してもらい, 1名ずつ表彰する制度 兎 特別昇. 28 嘱託教師. 33. 29 ラジオ放送を担当. 昭和1 4 ‐5 昭和14 ‐7. 34. 教師の時間 「時局下の工業教育指導」3 0分. 30 嘱託教師. 昭和16 .4. 3 5. 札幌市一高青年学校嘱託教師. 31 照明の改善に関する研. 昭和16 .4. 35. 第2次世界大戦. ・1 昭和16 2. 36. 32 製図に関する指導書. 昭和18 .4. 37. がり版印刷1 6頁‐ 題名 「工業教室の採光照明と夜間照明の改善に 関する研究」 この年, 小学校が国民学校に改名 がり版印刷14頁. 題名 「製図の基礎の授け方」 国民学校高等部2. 33 女子用の工作指導書. 昭和1 8 ‐7. 38. 34 軍需監理部財務部嘱託. 昭和19 0 ‐1. 39. 利夫は軍需省嘱託生産拡充上, 重要工場の能率診断をする事にな. 3 5 北海道能率協会設立. 昭和19 2 ‐1. 39. 従来の日本能率協会道支部が, 軍需生産拡充を図るための改牽乱 協会長に利夫カ療 就任. 第2次世界終了. 昭和20 .8 昭和21 1 .1. 40. この年, 教育改革が進められる. 連合軍の CIEからの指摘で, 校長が利夫の事件のかかわりを調査. 昭和2 2 .5. 41. 昭和2 2 0 .1. 42. 昭和2 3~. 43. 究. 給付き 札幌市東橋青年学校嘱託教師. 学年用 がり版印刷5 4頁. 題名 「初等科工作指導の基礎 (女子用)」 国民学 校初等科担当の女教師への講習資料‐ 札幌市教委主催, 10日間, 200名程度受講 る‐. 3 6 児童虐待釈明事件 学校編成 37 A 級 ア ド バ イ ザーと. 41. なる 3 8 分業移動作業, 会社組. ・. も. し, 釈明文を書かせた. 札幌市第一高等小学校が, 札幌市立北辰中学校に変わった‐ 連合軍の仕事(駐留軍の家具や家具工場を作る)にかかわり合いを 持つ事になった. ア ドバイザーの役割をはたした事に対する称号. 織授業,自動車授業に. 利夫は, この年から職業・家庭科の授業を全面的に改め, 授業全 体を一般工場と見立て株式会社組織を組み入れた‐. れら3授業法の融合を 「企業形態学習法」と呼. その製作工程を分業移動作業として, 生徒一人一人が同じ作業を 行い生産性を上げた‐. ん でい た). 39 第2次米国教育使節団. 昭和25 .9. 45. 昭和31 ‐9. 51. の来校授業見学 40 自動車教育に対する批 判. また, 3台の自動車を使用して構造と運転の授業も行った‐ 利夫の職業教育が有名になったので, 第2次米国教育使節団が札 幌まで足をのばし, 会社組織で運営される分業移動作業を見学し た. そして, 利夫をアメリカに招略したが断った‐ 北辰中学校で自動車教育を受けた少年 ( 16歳) が, 真夜中1人で 無謀運転をして車を横転させ死亡した事件. 親及び警察が, 自動 車教育が遠因であると訴えた事件. 41 発明相談室 2 札幌発明協会専務理事 4. 昭和3 2 ‐9 昭和34 ‐7. 52. 昭和3 5 .2. 54. 昭和37 .9. 57. 54. 就任 北辰中学校火災発生 43 利夫逝去. 266. 自宅で発明相談室北分室開設 会長は札幌市長, 副会長は北海道農機具社長西本氏, 実質的な長 は利夫である‐ 理科室横の物置から発生した不審火は,校舎の一部を炎上させた. その始末をしたのが防災委員長であった利夫である. 5 日急性心衰弱で急逝享年5 7歳.

(6) . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報) る事になり, 生活苦が一段と増す. やむを得ず, 昭和4年に札幌の小学校代用教員になり, 昭和5 年 (諸言の中では昭和4年になっ ているが, かかわり合いを持っ た年のこと) には工業科と商業科 を持つ札幌の第一高等小学校の工業専任訓導として迎えられる.. 3. 第一高等小学校開校時の教育現状 筆者が鈴木利夫先生を調査しだして数回北辰中学校長と-高時代の資料の事で話しあったが,「ー. 4 }という校誌が発見されなかっ た 当時在職していた大畑穣氏(現存 19 高」 . , 93 . 1現在)によると, 年2回発行していたとの事. 1981年10月, 星野校長時代に再度調査に行くと, 「偶然, これだけが 発見された」 と言って2冊の 「一高」 を貸してくれた. しかも, その一冊が第一号であっ た. 昭和 5年当時の日本の初等教育と一高の教育方針を考えるとき, 「一高」の序文に書かれていた岡田忠著 学校長の文章が示唆に富んでいるので, 少し長いがその重要と思われる部分をここに掲載する‐ 北 辰中学校 (第一高等小学校) は当時から昭和40年頃までは, 札幌市内の中学校で格が一番と言われ ていた学校である事を考慮して読むと良い. 序に代えて (現代漢字に直した箇所もある) 我国現時の初等教育は, その制度に於いても, その実際に於いても, 之を欧米先進国のそれに比 して, 些かの遜色もないといはれるまでに発達した. しかしながらこの進歩したと称せらるる内容 は主として尋常小学校六ヶ年の教育についていはれるものであって, 一度高等小学校の実際に眼を 転ずると, かかる賛辞は到底甘受することが出来ないのみならず, むしろ前途頗る遼遠なりとの感 をいだかしむる部分が相当に多いと思ふ. かくの如き結果を招来したについては, 勿論幾多の原因が認められる. 即ち尋常小学校が義務教 育である為に, 設備にも経営にもこれに全力を傾倒したこと. 更に中等学校 父入学難の問題に直面し て, しらずしらずの間に, 当事者の注意が尋常小学校の教育に集中された事, その外, この関門で ふるいにかけられた高等小学校の児童がややもすれば落後者的に軽視せらるるに至っ た事等々, こ れら一般が常識的に数え上げている高等小学校不振の原因である. しかしながら自分の見るところ によると, この三項の如き, 原因たるに相違ないが, むしろ技葉派生的なものであっ てかかる結果 を生みだすに至っ た真の遠因が, この外に存在している事を忘れてはならないと思うのである. しからば真の遠因とは何をさすのであるか, 今流行の言葉を以っ てすれば, 一般社会が高等小学 校教育の本質的使命に対する認識不足であるうと思ふ. 之こそ高等小学校の教育を, 今日の不振に 陥れた根本原因であると確信するもの である. 論より証拠, 明治以降教育進展の跡を静観すれば, その性質上当然独自の目的を持ち, 独特の指. 導精神を有して居なければならぬ筈のわが高等小学校の教育が, 常に尋常小学校の単なる延長ない しは付属物視され, 時には継子の様な扱いを受けたこともあっ たではないか. これを小学校令第一 条に見るも. 「小学校ノ ・児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並ビ其ノ生活ニ必須ナル普通ノ 知識技能ヲ授クルラ以テ本旨トス」 と規定されている外, 別に高等小学校の教育に対してハ ッ キリした目的が明示されては居ない. し かもこれが大した議論の的にもならず今日に及んだ結果, 高等小学校は尋常小学校に併置された単 なる延長教育に過 ぎないものであると無雑作に片付けらるるに至っ たものであらふと思われる. 故 267.

(7) . 奥 野 亮 輔. に従来最も不遇な教育機関は高等小学校であっ たと断じても, 敢えて過言ではないと信ずるもので ある. 然らば, 高等小学校本来の使命は, しかく軽々に看過 ごせられてよいものであらふか. この問題 を解決するが為には, 吾々は先ず高等小学校に進学する児童の現実を凝視しなければならぬ. そう して静かに従来の態度を反省して見なければならぬと思ふのである.. 大正一四年, 文部省の調査した結果によると, 全国尋常小学校の卒業生百二十万人中十二%の中 等学校入学者三十一%のその他児童を除くと, 実に五十七%約七十万人に近い児童は, 相率いて高 等小学校への進学者であっ た. しかも今日では, 一般父兄の教育に対する自覚と, 深刻なる不況の 影響とによって, 一層この進学率を高めて居る事は想像にかたくない. 故に単に統計上にあらわれ た数字のみから論じても, 高等小学校は尋常小学校につ ぐ国民大衆の教育機関として重視せられな ければならぬと思ふ. 特に高等小学校児童の大部分は, この機関を以て学校教育の最終として居る 点に於いて, 一層 その重要性をますも のといはなければならぬ. 伝えきく所によると, 英国のこの 種学校に於いては, 厳密な二回三回の淘汰をへた落伍者を収容しているので, 実力上全くの劣敗者 であるという事であるが, わが高等小学校の児童は, 決してかかる敗残者の集団ではない. 勿論父 兄の資産状態に於いては,一般に恵まれぬ者の多い事は事実 であるが,児童自身の知能学力等に至っ ては, 中学校入学者に劣らざる優秀のものが少なくないといふことは実際指導の任に当たるものの 等しく肯定するところ である. 故に之等の児童は, ことごとく将来国民の中堅として国運隆替の第一線に馳駆すべ き運命の所有 者であるから, 仕上げの意味に於ける指導教養の如何は, 明日の国家社会の活力の上に, 明らかに その結果を反映し来るべ きはいふまでもない. ……」 この背景を説明すると, 明治33年の小学校令で義務教育が4年間となり, この当たりから2年生 )明治41年には義務教育は6年に延長 の高等小学校が急増する. (学制10 0年 文部省 320頁~)5 「 されるが, 高等小学校は必要性を認めながらも 我国現下ノ状況デハ他日ニ期ス」 となっている. ・必設ノ教科トナスノ期 この時の改訂の主旨説明の中に 「手エハ従来教育上ノ効果顕著ニシテ将来ノ 至 ルヘキラ以テ務メテ其加設ヲ奨励センコトラ望ム」 とあり, この頃から学科課程に対する重点を 手工のような実学に移していく. この背景には, 日露戦争の教訓がある. 大正1 5年には, 小学校令施行規則を改正している. この改正の際の訓令に当時の高等小学校の情 勢を次のように述べ ている.. 「近来国民ノ向学心進歩ニ伴イテ尋常小学校卒業者ノ高等小学校ニ入学スル者年々其ノ数ヲ増加 シ最近ノ統計ニ依レハ其ノ割合百分ノ五十五ニ達スルノ状況ナリ亦以テ高等小学校力教育制度上重 トハ真ニ当今ノ急 要ナル位置ヲ占ムルラ知 ルニ足ラム随ツテ其ノ制度ヲ改善シテ之力充実ヲ図ルコー 務ト謂ハサルヘカラス……. ……相競ウテ中等学校ノ門ニ走り而モ半途ニシテ退学セサルラ得サル 力如キ者ラシテ初ヨリ安テシ高等小学校ニ来り学ハシメ中等学校入学難ノ弊ヲ救済スルー助タラシ ムルコトラ得へシ」 この訓令から, 高等小学校を実務生活との関連に基づいて初等教育の完成と考 えたのであろう. この訓令を岡田校長が引用して, 自分の考えも入れて書いたのが後半部分である. この改訂により, 高等小学校に実務教育の 思想が入り, ここを一つのまとまっ た学校の形式とし 編成する機運が各地に高まっ た. その一つが札幌市にできた 「札幌第一高等小学校」 である. ちな みに, この時の高等小学校に持たせた特質の一つに 「将来の学級担任を主とした教員編成を改めて 学科担任を加味し, そのために本科正教員のほかに専科正教員を置くことを認める」 ようになっ た ので, 利夫が工業の専科正教員となり一生涯生徒の担任をしない事にもつながる. この改訂によっ. て示された高等小学校の教科目及び授業時間数が表の如くである. 268.

(8) . . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報) 第2表 高等小学校の教科目別週間教授時間数 (大正1 5年4月) 地. 国. 科. 理. 史. 身. 理. 画. 二五. % 第. 四. 六. 四. 六. 差 釜. 女男 四. 修. 図. 工. 一五. 国. 術. 手. 歌. 四. 算. 唱. 操. 女男. 宮里 ○九. 体. 事. ○九. 業. 家. 縫. 宮里. 実. 裁. 計. 子 峯. しかし, 岡田校長は, 高等小学校が学校教育の終わりとか, 実業教育に片寄る事には反対であっ た. 彼 は 次 の よ う に も 言 っ て い る.. 「……高等小学校の実業科施設の充実, 職業指導的教養への努力の如き, 就中最も目立てる新施設 である. 此の結果, 流行を追うに急なる一部の実際家の間には, 高等小学校の教育をして, 一種の 実業補習学校のそれの如く, 更にある意味に於ける職業紹介所のそれの如き観を呈せ しめて, 以て 経営に異色を誇示する傾向が台頭し, 一般も亦その外的施設の華やかさに魅せられて沼々相率いて その後塵を拝せんとするの風潮が濃厚になっ てきた. しかしかかる態度は, 過度期に良くある反動 的傾向としてこそ多少の意義もあろう が, 之を以て直ちに堅実正常なる高等小学校の辿るべき道程. であるとは考えられぬ. 勿論高等小学校に於ける実業科の重視, 乃至職業指導教育の完整と言う事 に異議のあるべき筈はないが, 目先の結果主義, 低級なる実業科という単一偏椅せる色彩を持っ て, 強いて全高等小学校の経営を塗りつぶすが如きは,国民教育たる本質的使命を忘れたろ態度であり, 憂いを国家百年の後にのこすものといは ざるを得ないと 思う」 このような教育理念を持っ た校長のもとで, 鈴木利夫は専科正教師工業の職についた.. 4. 札幌第一高等小学校の概要 後で詳しく述べ るが, 札幌第一高等小学校 (一高) は男子のみの尋常小学校を持たない独立高等 小学校であっ た. 児童数は1, 2年合わせて約1 000人, 全児童は形式上「工業科か商業科」 に配属 させられる. 同様の主旨で札幌市は, 昭和7年に-高とは市街を挟んで反対側の南端に札幌第二高 等小学校 (現在の柏中学校) を建設した. 一高の教職員構成・校舎の使用状況を見てみよう. これらより, 利夫の工業教育にかける情熱と 自我を通す強引な バーンナリテーが見えてくる. 教師の大半は札幌師範系で占めているが, 小樽高商も3人いる. 商業科があるの で当然だが, 利 夫が工業科に所属 しているが目立つ. . 研究教科分担と校務分掌を見ると, 利夫は「工業手 工 図画, 「 理科一 及び 校具と職業指導」 を受け持っ ている. 職業指導の中には進学指導も含まれており, 進 学のための特別クラスを2学級 (科は工業と商業) 組み, 放課後に進学のための指導もしていた. 当時いた大畑先生によると, クラス選別法は進学希望者で且つ成績の良い者としていたとの事. 進. 学先として, 札幌工業学校や札幌商業学校及び師範学校を受験する児童が多かった. ちなみに当時 の保護者職業を見ると, 札幌市の高等小学校に通わせていた階層の一端が知れる. 269.

(9) . . 奥 野 亮 輔. 第3表 教職員構成 学校長 岡田 忠著 (北海道師範第一部) 学 年. 商工科別. 学 級. 商商商商商商 工エエエエエ. 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 2. I 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11. 受持訓 導名. 児童数. 小 橋 斉 大 川 川 石 熊 北 小 湯 肴. 58 58 57 59 52 52 50 52 51 54 54 52. 12. エ エエ エ商 商 商 商 商 商 工エ エ. 2 2 2 2 2 2 2 2専. 13 14 15 16 17 18 19 20. 専専専専. 矛 斗 禾 斗 奉 斗. 科 科. 52 53 50 52 45 46 46 45. 近 大 十 湯 今 原 多 影 勝 、 高 鈴 吉 西. 出身学校名. 西 良 雄 札 幌 師 範 専 攻 科 本 吉 雄 札 幌 師 範 第 一 部 藤 長 光 札 幌 師 範 第 一 部 脇 盛 道 札 幌 師 範 専 攻 科 札 幌 師 範 第 二 部 合 和 安 村 憲 一 札 幌 師 範 第 一 部 崎 直 吉 旭 川 師 範 第 一 部 谷 忠 雄 札 幌 師 範 第 一 部 川 一 親 第十臨時教員養成所 泉 二 郎 札 幌 師 範 第 一 部 田′金次郎 札 幌 師 範 第 一 部 北 海 道 師 範 第 二 部 倉 福 蔵 (副 長も兼任していた) 藤 善 吉 札 幌 師 範 第 二 部 畑 穣 旭 川 師 範 専 攻 科 河 幸 郎 旭 川 師 範 専 攻 科 田 照 義 札 幌 師 範 専 攻 科 井 正 一 札 幌 師 範 第 ー 部 田 二 郎 札 幌 師 範 第、 一 部 田 文 策 札 幌 師 範 第 一 部 進 札 幌 師 範 第 二 部、 山 間 幸 夫 小 樽、高 等 商 業 学 校 島 源一郎 小 樽 高 等 商 業 学 校 木 利 夫 小 樽 高 等 商 業 学 校 野 龍 男 手 工 教 員 養 成 所 野 松次郎 北 海 道 師 範 第 一 部. 第4表 一高父兄の職業 商. 業. 231. 農. 業. 39. 工. 銀行会社員. 62. 職. エ. 115. 日. 店. 20. 無 ′. 職. 114. 員. ,. 業. 90. 公. 吏. 120. い. 55. 搬 業. 57. そ の‐ 他. 135. 雇. ) これは その時代の専科高等小学 このような一高の児童を教師達は, 次のように分析している4 . , 校の立場を表した貴重な資料と思われるので, 原文のまま掲載しておく.. 特殊的事項 (ー高の事) 一般に都市の高等科の児童は尋常科の児童に比較して素質が低下している. 優秀な者が大部分中 学校に去り残りが収容されるからである. この 点は同時に経済的にも恵まれた立場に居られないと 言う事が推察される.. 実際本校児童の家庭を調査して見ると中学校へ受験する小数の者以外は大体に於いて経済生活が 豊かでない. 以上の事柄が第一に本校の教育上大いに考慮すべき点である. 即ち教授の際尋常科の 270.

(10) . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報) 児童に対すると同じ気持ちで取扱っ ては理解が鈍く, 創造力が低い等の為に焦慮されるであらう. 又何事の施設をするにも先ず児童の経済的負担力を察しそれに耐え得るかを特に留意する必要があ る.. ▲ 当市に於けるこの方面は大体に於いて工 次に本校は市の北部一帯を通学区域とするのであるが,. 業地帯である関係上児童の性質は比較上粗暴なものが多い. 動作が粗野で礼儀作法に倣はないばか りでなく, 容儀服装等一 見してわかる程不整の点がある. 言語な どもぞん ざいである. しかし其の 反面にこの時代の児童に有りがちな生意気な様子が少なく素朴で質実な気風が見られる. 手足を働 かす労作を得意とし肉体的労苦に対しては少しも不平的態度なく黙々 として之に従事する. 智的教 科に対して理解が幾分鈍いよう であるが, 手細工の方面, 作業方面に対しては興味を持っ て熱心に 学習する. 本校は男子のみの高等科単置校で児童数が千名以上に達している. 男子学校に比較して見・ るとど うしても性の調和から来る穏やかさ乃至温和な気分が欠けて居ることは否定できない. 男性的特質 のみが一方的に発達する結果, 殺伐に流れて来るということも歪めない‐ 現在私共の学校ではひど くその様な気分になっ て居るかといふと別にさうは感じない.しかしこの 割ま大いに警戒している. 美術的教科を決して忽にしない訳もそこにある.或いはレコー ドによっ て美しき音楽を鑑賞せしめ, 図書をさかんにして心情を優美ならしめ, 学校園を経営させて自然に親しましめ教室其他我等の環 境を草花絵画等を以て装飾することに私共が努めているのはその為である. 本校児童は市内九校の尋常科卒業生と其他の者から成立っ て居る.で以前の学校の気風があっ て, 高等一年に入学した当初はよく調和しない. しかし私共は学級編成に於いて先ず各校の児童をこと ごとく混同する. そしてなるべく速やかに各学校色を脱せ しめ, 之を-高の気風に同化せしめよう とする. 又私共は児童を訓戒し叱責する際に以前の学校名を挙げて之を行うことのない様に注意し ている. 小さな事であるが児童の愛校心名誉心を傷つけるのを恐れるからである.. 最後に尋常小学校に並びに中学校に於いては上級学校に進む者が大多数である. 随てややもすれば 其教育が上級学校に入学する為の予備校的色彩を呈しがちである. 然るに本校卒業生の大部分は直 ちに実務に就こうとするものである. 或いは家事の見習いをなし, 或いは商店工場に雇われる等. 兎に角 高等小学校を以て学校教育の最終とするものが多い. この点る こ尋常科や中学校とは予程違っ た味があると思ふ. 完成教育であり, 且実務に就く者の指導である. そこで職業指導に留意し又その卒業後の世話まですることになる. 卒業生の方も亦, よしやそれ は二ヶ年の短期教育に過 ぎなくてもその最終の学校教育 であるという点から母校を顧みる情が特別 強いのではなかろうかと思はれる‐ こう した方面に対して本校はそれに即した各種の施設を怠らな い 事 に して い る の であ る.. この文の中には, 現在で言う差別用語 (動作が粗野で……容儀服装等一見してわかる程不整…… 智的教科に対して理解が幾分鈍い‐ ‐…等) もみられるが, 次のように悩みを率直に認めて, その対 策も考えていることは注目すべきである. A) 男子のみの高等科単置校からくるもの. (対策, 美術・音楽教育や学校園の経営等) B) 比較的貧しい家庭で, 知的に劣っ ている者が多い事.(対策, 手細工や労働教育に重点をおいて い る). C) ここが最終学校教育である事. (職業指導とそのための施設の充実. 愛校心の癌養等) ー高の1年間 で,工業科を取り仕切っ ていた利夫が果たした役割がい・ かに大きいかを知る文が「作 4 )の中に次のように記載されている 業の重視と教授の作業化」 . 「教授は抽象的な暗記思考によることも必要であるが 本校に於いてはなるべくは之を具体化し作 , 271.

(11) . 奥 野 亮 輔. 業化するように努めている. 作業することによって 思考力を練り創造力を伸展せしめ様とする. これは一面教授を実際生活化すると共に, 素質の劣る高等科 児童を救う 途でもあると 思う. 作業 化することに依っ て単なる講議を静聴することに耐えない児童にも学習に興味をもたしめ, 有効に 教授を進めることができる.、児童は一般に労作を喜ぶものである. 現に工業実習の如きは最も発動 的な態度を以て学ぶ教科の一つである……」 この後には, 商業科・算数・理科等も工業科の教授法を取り入れるように要望している. この時 代には工業科の教科書らしきものさえなく, 利夫の好きな実技をふんだんに授業に取り入れた結果 と考えられもする.. 5. 一高の時間割と利夫の校瀦分掌等 -高は表面上工業科と商業科 の2科しか存在していないが, 前記したように進学希望者のための 2クラスもうけられていた. また, 利夫のように専科の教師は, 担任を持つ事は出来なかっ た.. A) 時 間 割 第5表の毎週教授時間割は1, 2年同じである .が, 内容が高度になっ ている. 最低, 修身・読方・ 算術は学級担任が教授する事としている.. B) 利夫の校務分掌 ー高の校務分掌は1 2(教務・庶務・経理・校具・学籍・職業指導・掲示教育・校外取締・衛生・. 保護者会・茶話会・互助会) あり, 利夫は校具と職業指導を担当していた. 内容は, 次の通りであ る (昭和5~6年) 校. 具. ( 1 ) 校具の整理保管配給に関する事項 (消耗払部品を含む) ( 2 ) 図書の整理保管配給貸出 利夫は剣道3段だっ たので, 課外体育の剣道部を担当していた. 一高卒業後も助手として3年間 利夫のもとで働いていた久水隆夫 (昭和8~10年) の話によると, 教師の中で互角に戦える者はい なかっ たとの事.. 職業指導 ( 1 ) 職業指導と一般教科の教授細目との連絡統合に関する事項 . 第5表 一高の時間割 (昭和5~6年度) 時 間 数. 科目名. 時 間 数. 科目名. 時 間 数. 身. 2. 国 史. 2. 唱 歌. I. 読 方. 4. 地 理. 2. 体 操. I. 書 方. I. 理 科. 2. 英 語. 2. 綴 方. I. 図 画. I. 算 術. \. 4(含, 珠算1). 手 工. I. 科目名 修. 272. 工. 業. 組. 工 業. 6. 商. 業. 組. 商 業. 5.

(12) . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報). ( 2 ) 職業指導読本教授に関する事項 3 ) 職業指導講話に関する事項 (. ( 4 ) 工場商店等参観見学に関する事項 ( 5 ) 夏季及び冬季職業実習 ( 6 ) 個性調査適性検査家庭調査志望調査等 ( ) 父兄 懇談会 7 ) 求人口の開拓 ( 8. ( 9 ) 職業紹介就職斡旋 0 ( 1 ) 職業紹介所との連絡 I ) 就職後の指導に関する事項 Q この時代は利夫が若かっ た事とラ 卒業生を1回しか出していないので職業斡旋 で活躍した資料が 見つからない.. 研究教科と分担 一高の研究教科は1 3 (修身・読方・書方・綴方・算術・国史・地理・図画・体操・唱歌・英語・ 工業手工) あり, 利夫は工業手工・図画・理科を担当していた. (昭和5~6年) ) 図画では, 授業に使う画板を工業科で製作し, 市価の6割 で販売していた4 .. 6. 一高校舎の概要 一高の位置は, 札幌市北1 8条西2丁目で現在と同じ場所である. 札幌駅(約北6条西3丁目) か らの距離は, 約 L2km である. 学校の東側には人工的に掘られた創成川 が野外運動場と地続き で あっ たが, 現在では川 縁に大きな道路が出来て高いフェ ンスで運動場と隔離されている. 自動車の 少なかっ た昭和30年頃まで生徒達は, 創成川ま でを北辰中学校 (一高) の グラン ドのように使用 し て い た.. また, 建設当時の校舎は図のよう であり, 利夫が逝去する昭和37年まではほとん ど変更をしてい ない. この平面図の部屋割り で異常と 思われるのは, 児童数が同じにも関わらず, 工業関係に占め る教室が多いことである. その中でも, 金工に関係する部屋が8教室(金工室2, 鋳造室, 材料庫,. 塗装室, 機械室兼材料室, 工業準備室, 工業陳列室) もある事である. 階段横の金工室は建設当初 普樋L教室であっ たが, 利夫の進言で変更させられたのである. また, 鋳造室と材料庫は, 設計上異 常な位置にきている. ここは, 児童の実技指導と称して, 児童を使っ て放課後建てさせた部屋であ る. 1期生の現存者であり, 且つ当時の工具委員長であっ た長嶋周吉 (当時名, 佐々 木周吉で利夫. を 恩師と仰 ぎ, 利夫の特許関係の製作を一手に引き受けていた最も親しい友人でもあっ た) は, そ の建築を手伝 っ たr 人である.. 彼の話によると, 雨の日以外は児童を毎日15人程度残して 「墨入れ, 鋸切り, 鍵・のみ・セメン ト練りの特別実習」 と称して, 日が暮れるまで働かせていたとの事. このような利夫の行動は, か なりの同僚から不評を買 っ たよう で, その先鋒は副校長の肴倉先生であっ た. 利夫に幸いした事は, 岡田校長がやる気のある教師を育てるのに熱心であっ た事, 及び利夫と肌が合っ ている事である. しかし, 当時の訓練要項を見ると, 「放課後」 の項に次のような 「 」 内の文章がある事に注目した 「 一 は筆者が付けた) い. ( 273.

(13) . . 奥 野 亮 輔. N. 便所. -高平面図 (1階). 一『÷. 鯖・. 校 地. 木工室. 校 舎. 材機 料械 室室. 総 坪 数. 387 2坪. 建. 坪. 17 1 6坪. 総 延 坪. 17 71坪. 本屋延坪. 14 0 4坪 ′ 8坪 36. そ の 他 の 建 坪. 便所. 便所. 霊 室 準備室 ; 室. . 圭. . 葦. 運. 動. . 場 教 室. . . 準 . 玄児 関童. . 肇. .肇. 肇 応接室. ・. 職員室. -高平面図(2階) ノ. 肇. 肇. 肇. 肇. 274. 関童. 前 校長室 商業室. 列工 室業 陳. 墾. 玄児. 肇. 、. 埜. 肇. 埜. 肇、 肇. 肇 肇 撃. 墜.

(14) . 技術科教師鈴木利夫氏の研究 (第1報) 放課後 (訓練事項の3項目) 放課後は原則として全部 児童を下校させしむことにしている 但 し職員指導のもとに居残る場合 . は一時間を限り許している. 当校の現状から見ると多くの児童は帰宅後相当に家事を 手伝はなけれ ばならぬ立場に居る. その上放課後無制限に居残ることは 最も学校生活をだらしなくするものであ る‐ 「尚其他にも理由があっ たの で以上の様に規定したのであ る」 . 掃除は授業時間と同様な態度で行ひ, 二十分 でベルを鳴らしそれ以内に済ますことにしている. ) 働くことは当校の校訓 である. 掃除には職員 児童共に最大限馬力をかけてせっせと働く4 . 利夫が鋳造室と材料庫を建設したのは昭和5年7月か らであり, 校訓要項力き決まっ たのは文面か ら建設終了後と思われる. また, 久永の話によると, この規則をまっ たく遵守せず 「先生は規則や ぶりの名 人」 と児童達が言っ ていたとの事. 彼の話によ ると, 暗くなると自宅ま で児童を連れて行 きガリ版刷りの手伝いもさせていた. 何故このような事が出来たか と言うと, 開校年次の7月 8日に利夫は 「工業科意見書」 なるもの を校長を通して札幌市の学務課に提出しているのである この「工業科意見書」 (写しで 本物は現 ‐ , 存しない) は利夫の若き日 ( 25歳) の工業科教育にかける理想 (独 断?) が述べられてあるので, 第2報で述べたい.. 7. 利夫の生い立ちと環境 利夫がこのような強引な事が出来る背景を, 彼の生い立ち 及び性格から推察して みる . } a) 余市町沢町尋常小学校1番で卒業6 b) 札幌第2中学校不合格 (小黒喜恵の話, 彼女は利夫の妻の 恩師) c) 余市高等小学校1年の時, 札幌第2中学校合格 ) d) 札幌第2中学校4年生(現存成績表より, 71人中3番で特待生となる6 )で, 北海道帝国大学 予科か兄のいる第2高等学校 を受けて不合格になっ た (小黒喜恵の話だが 確証は持てない , と の 事). e) 剣道部部長 f) 札幌第2中学校5年生( ) 最高の名誉) 52人中1番で特待生 でしかも,校旗旗手を命じられる6 . でも4年の時とほぼ同じように受 験したが, 不合格となる. (小黒喜恵の話だが 確証は持て , な い と の 事). g) 当時, 札幌第2中学校のヰ粁寺生は, 小樽高等商業学校には推薦で入学 できる制度があっ た ‐ その制度を適用 して, 小樽高等商業学校 にはいる. h) 小樽高等商業学校3年の時に結婚 剣道部部長 (3段) かつ応援団長 柔道も初段以上の実 . . 力 があ っ た.. i) 自分で始めた商売が, ことごとく失敗に帰する 不本意ながら 生活のために高等小学校の . , 訓導になら ざるを得なかっ た‐ これらが事実とすると, 利夫は非常に頭は良いが受験運が悪い 人だっ た 2人の兄と1人の弟が ‐ いるが, それぞれ東京水産学校, 東北帝国大学, 北海道帝国大学を卒業している このような中で . の利夫の小樽高商は, 彼にとっ ては不本意な学校 であっ たに違いない. 小樽高商時代の成績を見ると(但 し2, 3年分についてのみ入手) 落第一歩手前の成績を上手に , 275.

(15) . 奥 野 亮 輔. クリアしている. 高商時代の利夫の生活は, 剣道や応援団活動に加えかなりの酒屋通いもして いた よう で, 勉強に力を注いでいなかっ たと 思われる. このような事から, 一高では頭の切れと腕力に ーした心が, 工業教育の研究と実践にぶつ 於いて利夫を凌駕する者がいなかっ たらしい. 利夫の欝積 けられ, 時代の趨勢も味方 (工業の振興を国是としていた) して, あのような猪突猛進的な事もで きたのであろう. それが成功して, 利夫をして技術教育の 父と仰がれるような教師となっ たのであ る.. 参考文献 2年9月 6 1) 北海道新聞 19 95 6年9月 2) 警察庁提出 (控) 別添書類第1号 履歴書 1 38年4月 3) 朝日新聞 19 9 32年 4) 「一高」 経営一年, 札幌第一高等小学校 1 9 7 文部省 1 5年 5) 学制百年史, 986年 6) 金工の親父 (コレール社) , 奥野亮輔 1. 276.

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参照

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