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授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題 : 研究ノート(2) : 知のコミュニケーションという観点から(続)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題 : 研究ノー ト(2) : 知のコミュニケーションという観点から(続). Author(s). 佐藤, 公治. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 39(1): 121-135. Issue Date. 1988-10. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5074. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 授業場面 における児童の談話理解とその過程を め ぐる諸問 題:研究ノ ート (2) - - 知 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン と い う 観 点 か ら (続) - -. 佐. 目. 藤. 公. 治. 次. はじめに 1 弛 読解の過程をどう捉えるか:その基本的枠組 1 実践的知識としての教育心理学とその課題 1 ( )教育心理学では授業をどのように研究してきたか ( 2 )城戸幡太郎の 「心理学と教育」 .‐チの理論・分析枠の明確化の作業 2 生態学的ア プロ ( 1 )Mehan の構成的民族誌ア プローチ. 2 ( )国語の読解場面における相互交渉過程:分析の基本枠 1) 授業というコンテクストを保持しておくこと 2) 読解過程の構成要素 1 1. と読 者 と のイ ンタ ー ラク ショ ン テク ス ト,. 1 テクスト言語学の研究から ( 1 )テクスト性:テクストでありうるために必要な条件 ( 2 )結束構造と結束性. 〈 以上, 第38巻第2号 〉. ( 3 )意味世界の構築のための背景情報としての文脈 (コンテクスト) ( 4 )テクスト言語学で何が明らかになったか 2 読者への接近:受容論的アプローチ 1 ( )受容理論とイーザーの美的作用理論 ( 2 )テクスト構造と読書行為:文学教材への適用 1) 受容理論と国語教育 2) 文学教材におけるテクスト構造と読書行為:実証的把握の試み 3. 1 1テク ス ト と読者 と のイ ンタ ー ラク シ ョ ン のま とめ. 〈 以上, 本号 〉. 121.

(3) . 佐 藤 公 拾. ( 3 ) 意味世界 の構築のための背景情報としての文脈 (コンテクス ト) 前 号 の 最 後 の セ ク シ ョ ン で は テ ク ス ト と 読 者 と の イ ン タ ー ラ ク シ ョ ン に つ い て Beau rande ら g. 1981 ( ) のテクスト言語学の研究 を基にしながら検討 を始めた, そこでは彼らはテクス トの必要条 ′ 件として7つの基準 を上げていた. つまり, 主 にテクス トの側の要因である結 束構造と結束性 送 , り手 (書き手) の方の要因の意図性, 受け手 (読み手) 側の容認性 情報性 場面性 テクスト間 , , , 相互関連性, の7つの基準である, 前号では結束構造 と結束性の2 つについて述べた 本号は残 り , の5つの基準につし・て意図性から順次見ていくことにするが これらは大きく は受け手 (読み手) , がメ ッセージやテク ス トの解読 (読解) のために使われる背景情報 であるコンテクストとしてまと めることができる, という のは, 送り手 (書き手) が持つ意図性 つまり テクストを自 分の意図 , , していることが正しく伝わるように作 り上げるという (別な言葉で言うならば結束構造と結束性 を 備えているよう に書くように心がけるということ)送り手側の態度 の問題も 発信者-メ ッセージ- , 解読-受信者と いうコミ ュニケーショ ンの流れを体系的 に論じるならばたしかに送り手側の要因と して独立に論 じなければならないであろう. しかし テクストの問題をあくまでも読 み手とのイン , ターラク ショ ンと, その結果として のテクストの意味世界 の構築という観点でみたならば 送り手 , (書き手) の意図性の問題も受け手 (読み手) が, 与えられたテク ストには結束構造と結束性が備 わっ ているに違いないと期待する容認性の問題 に外ならなくなるからである あるいは作者はそ の . ような意図を持っ て書いているに違 いないという読者が持つところの意図性の期待という形で問題 )情報性 場面性もテクストがどのような文脈 の基に提示されたのか に密接に にされることになる.1 , 関わることであ るし, テクスト間相互関連性はま さにテクストの中 にどのような意味的なコンテク ストを見い出すことが出来るかを述べたも のである. 意図性も含め て5つの基準はいずれも読み手 がメ ッセージを解読していく際に使われる コンテクスト情報とみなすことができるのである 以上 , の理由から, ここでは読者 の側の観点に立っ てコンテクスト情報としてまとめてみていくこと にす る,. 意図性と容認性はテクストを生産したり, 受容する上でのテクストに対する基本的姿勢を示 した ものである, つまり, テクストは結束構造と結束 性を備えたも のとして書かれるべき (意図性) で あり, またそういう前 提が満たされているものとして読まれるべき (容認性) であるという暗黙と も 言 え る こ と を 前 提 に し て い る と い う こ と で あ る, テ ク ス ト が テ ク ス ト で あ る (テ ク ス ト 性 を 備 え. ている) ためには結束構造や結束性というテク スト側の基準だけでは不十分であることは 次のこ , とを考えて みるとよくわかる, 我々 は与えられたテクストが多少の結束構造 や結束性が乱れていた としても, 何か一貫性のある意味を伝えようとしていると仮定するとそこで作者は何を言いたいの か, 作者 の意図しようとしたことを探そうとする, つまり テクストとして容認しようとする そ , , れ故, 与えられたも のがテクストであるかどうかは一部, 読み手の容認しようとする姿勢に依って いるのである. 特に文学作品では作者が特殊な効果をね らっ て結束性をわざと弱めたり, 壊すとい うことをするが, 読者のこの容認性を前提にしなかっ たならば, も はやそれらはテク ストにはなら ないことになっ てしまう.結束性がわざと壊されているところに文学作品というテク ス トの特異性 , 面白さがある (この点 については次の2 読者への接近:受容論的ア プローチのところで詳しく述べ , る) . だからテクストとして我々 が容認するか否かの基準 は文の形式的 な構造によるのではなく, テ クストの中に意味的なコンテクストを見 つけることができるような内容が盛られているかどう かと いう意味レベル に求めなければならない. 122.

(4) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2). このように意図性と容認性をテクストの基準とする考え方と密接な関係を持っ ているものに, テ クストの生産 と受容をいずれも プラン作成とそれによっ て方向づ けられた目標 (ゴール) 指向的な 行動として捉えようと立場がある, その代表的なものが Schank ら の グ ル ー プ で あ る (Schank & beck 981 ) Ri e s , 作者が言おうとしたこと(ゴー ル) を紙の上に書かれたものを手がかりに探し出 ,1 していくこと が読みであるという考えである, 読みは, 作者がある ゴールを目指して一定のブラン と方法を用いて行った作業をちょうど逆の時間軸にそって再現してみることなのである. そして, 読者 はテクストには必ず作者の ゴール (何かを言おうとしている) が存在するという信念を持って それに臨んでいるのである, ・ 情報性はテクストの内容 がどの程度新しいことか, あるいはその内容についてどの程度予想が可 能か ということである, 情報性があまりにも低くても (当り前過ぎるような内容, 「海は水である」 というようなもの) , 高過ぎても(結束性を見つけれないようなもの)テクストの役割 は果たせない ということである, しかし何 が情報として高いか, 低いかは単一 の文章の内容だけで決められる こ とではなく, テクストの全体の意味的文脈 (コンテクスト) の中で位置づ けられて決まるものであ る, こ の こ と は 「コ ン テ ク ス ト的 蓋 然 性」 と 呼 ば れ る. そ し て, こ の 蓋 然 性 の レ ベ ル に はい く つ か. の水準 が考えられるのである, 交通標識の 「止まれ」 のような蓋然性 が極めて高いものから文学作 品のよう などうしてこのようなこと が起きたのか, 何故, 主人公はこのような行動をとらなけれ ば ならなかっ たのか, その理由を作品のコンテクストから懸命になって探すという問題解決 が求め ら れているものまである, この問題解決の際に方向性を与えるの が「期待」である, これは時には「暗 ) 黙 知」 と か, 「スク リ プ ト」 と 言 わ れ て い る も の で も あ る,2. 場面性はテクストがテクストとして機能を果たすか否かはそれらがどのような場面, 状況の下で 提示されたかという ことと無縁ではないことを述 べたものである, まさに状況的コンテクストの影 響を受けるということである, これらは言語行為論とその影響を受けて発展 してきた語用論の研究 ぱ こ あ る, 例 え ば, 「ボ ク ハ ウ ナ ギ ダ」 (例 え ば, Leech ,1983) で も っ ら 問 題 にさ れ て き た と でも ’ l am an ee l と い う 文 を コ ン テ ク ス ト な し で 訳 し て しま う と ‘ . に な っ て しま う が こ れ で は 何 の こ. とか分かりはしない, ところが現実にはこの種の 「ボクハウナギ ダ」 式の表現はし ばしば正しい表 ) 現として使われるのである(池上’ 1984 , うなぎ井を注文するとき, あるいは自分の好物を言 って } いる時という 状況的コンテクストが付加されているという一定の限定条件の基で,3 テクス ト間相互依存性 はテクストの内容的・意味的な文脈情報や, 読み手 がテクストについて ど じる影響を扱っ たものである. テク のような意味表 象モデルを作り上げているかということから生・ ストがテクス トとして理解されるか否かは読み手が作り上げるテクストの意味世界 に関する全体構 造 (スキ」 マ) の中に適切に埋め込まれていかなけれ ばならないということである, 一部分のテク ストの意味 がたとえ不明であっ ても(結束性が見い出せなくても) , それが作品内容の全体的な文脈 の中から明らかになる ことは物語を読んでよく経験することである, このことは読者がテクストを どの様な解釈と推論の プロセスを経て一貫性のある意味表象を作りあげていっ ているかという, い 1 1テ ク ス ト の 読 解 過 わ ばテ ク ス トの 読 解 過 程 の 問 題 そ の も の に他 な ら な い, こ の こ と につ い て は, 1. 程と意味表象モデルで改めて触れる (次号) が, 読者がテクストについての一貫性のある意味世界 を構築していくための手がかりは登場人物の行為の意味やその意図 (ブランと ゴール) を作品の中 か ら推 論 し て いく こ と で あ り, そ れ を 基 に行 動 の 因 果 に つ い て の ネ ッ ト ワ ー ク を 作 っ て い く こ と に. ある点を指摘しておく, この考えに基 づいてテクストの意味表象モデルとその表現方法を開発 して 1 988) は小学校の文学教材についての意味表 1985 ) である, また, 筆者 ( いるのが Grae rら( s s e 象のモデル化を試みている. 123.

(5) . 佐 藤 公 治. { 4 ) テクスト言語学で何が明らかになっ たか. テクスト言語学, あるいは文学記号論とも称されているテクストへの記号論的アプローチ の大き な特徴は, 研究の分析単位を 「語」 から 「テクスト」 へ上 げ, さらにこの 「テクスト」 が作者か ら 読者へどのようにコミ ュ ニケートされていくかという形で問題を捉えようとした点 にある. テクストを語や文に還元するのではなく, あくまでもテク ストそのものとして扱おうとする考え は ロ シ ア・フ ォ ル マ リ ス ム に そ の 端 を 発 し て い る (持 田 1983) . ロ シ ア・フ ォ ル マ リ ス ト 達 は文 学 ,. 作品そのものを分析・美的対象 にしようとした. 彼らの考え方は次の言葉によく表れている. 「作品をシンボルやメタ ファ ーといっ たものを手がかりに検討すべき ではなく あくまでも対象を , 「知覚」 正確に識別 ( ) することであり, また作品 は芸術的なものとして知覚されるように特殊な仕 掛けによっ て創造されたものである」(Ho l 1984 ) ub . こ の考えはプラハ構造主義言語学派に受け継 , がれ, さらに今日の記号学の潮流へと流れていく, 文学記号論のロラン・バ ルトのテクスト論では 作られた作品は一 度作家の手をはなれると一人歩きするもの であることが強調されている, 作品と いう言葉の代わりに 「テクスト」 という 「織物・テクスチュール」 の言葉を語源に持つものをあえ て用いた (バ ルト, 「物語の構造分析」 ) のも読者が作品という素材を用いて独自の織物, つ , 1979 まり意味世界を生産 していくことを強調しているからである(以上, 持田, 1 98 3より) . テクストと は読み手が作品に主体的 に取り組むことによって創り出される 「認知的」 な構成体なのである, 以 上のような読者のはたす役割にウェイ トをかけた文学記号論へといたるまでの流れは次にみる 「受 容理論」 の源流にもなっ ているのである, 作品, 読者の読みの活動それぞれの独自性を強調する考えは当然, 作品と読者との間のインター ラク ショ ン, 「読み」の創造過程を射程にいれなければならないことになるのであり, これらを一連 の コミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 過 程 と して 捉 え よ う と し た の が テ ク ス ト 言 語 学 と い う こ と に な る, テ ク ス. ト言語学では「読み」 の過程をシステム論的に扱うことの重要性 を指摘し, 作品, 言語的なコー ド, 言語使用の場としてのコンテクスト, そして読み手の知識がトータ ルに論じられている, しかし , これらの間 がどのようにインターラクトし合っ ているのかという問題になると必ずしも具体的 に述 べ られているわけではない, また, コンテクストに関しても場面性の基準のところでみたように作者 (話し手) から出された テ ク ス ト (メ ッ セ ー ジ) の コ ー ドの 解 読 の 仕 方 を 方 向 づ け る も の と し て 論 じて い る が こ の よ う な ,. 形で働く の は同じ談話のジャ ンルの中に入るものでも話 し手, 聞き手がお互い にコンテクストを共 有し合っ ている会話の場面でみられることである. テクストのコー ドの解読となると読者は作者と 同じコンテクストを共有した形 でメ ッセージを受け取っ ているわけではない. あくまでも書かれて しま ったものを解読するだけであ る. もちろん, 作者がどのような時代背景の下で, 何を意図して 書いたのかという情報が得られる場合もある, しかしこのようなコンテクスト情報も読者がこれら を参考にしてコー ドを解読していくという読者が持つ知識体系の一部としての意味合いが強いので ある, この問題 になると結局 は読者がどのよう にしてテクストから意味世界を構築していくかとい うことに還元されることになる.読解のコー ドを補完する役割を持つコンテクストも,日常のコミュ ニケーショ ンのレベルで働いてい るものと, テクストの読解のような新しい意味創造 の場で働いて いるものとがあるのであり, 後者 になると単なるコー ドの補完と いうのではなく新しいコー ドの提 案のために働いているといわなければならない(池上, 1984 ) , テクストと日常言語の違いについて は, 読者論の立場から l 1976 )が両者のいく つかの類似点を上げた後, 次のように述べている, r( se 124.

(6) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2). 「虚構言語 (テクスト) と日常言語とは, 決定的な点で共通性を失う. 虚構言語は, 現実の場面と の結 びつき がない, それに対して, 発話行為というものは, 成功するためには, 場面が高度に規定 されていなけれ ばならない, こうした場面 が欠如しているからといっ て, 虚構言語が成立しなし・と いうことにはならない, むしろここに, 虚構言語が通常とは異なっ た言語使用をしており, また特 1 05ページ)」 殊な性質をもっていることを明らかにする糸口がある( . テクストは経験的現実対象の 再現をしたものではなく, 想像上の対象を産出するための指示を与えているものである. また, 読 者が持つ価値観や行動様式とも異なったものを与える, このような, いわ ば偶発性があるからこそ テクストと読者の相互作用 が始まるという, テクストが場面をもたないことが故に対話のための原 動力になるのである, そして, 読者は絶えず動的な自己補正の過程を取りながら意味内容を組 み立 l 97 6)に意味内容を構成 していく, s er てていき, 意味が意味を呼 ぶというように「雪だるま式」 ( ,1 その意味では, コンテクス トは読者の読みの過程の中から生まれてくるものといえよう. もう一つ 大事なことは, このような発話としては欠陥のあるテクストが, 実際には読書過程の中で現実の印 象を呼 び起こすし, 読者 が共通の規範や価値を感じとる場合 がある. そこには作者と読者との間の 社会規範, 歴史的規範, テクストを生み出した時の社会的, 文化的コンテクストの共有ということ が前提 にされなけれ ばならないが, そのためにはまず読者の側 からの共鳴 が必要なのである,(前者 の問題についてはテクス ト言語学でも詳しく取り上げられていることである が, 読者については必 ずしも具体的なレベルで論じられているわ けではない,) 次 に, テクストと読者の間のインターラク ショ ンの問題を読者の中で創られる意味世界という観 点からやや具体的に展開している受 容理論の研究についてみていくことにする,. 2. 読者への接近:受容論的ア プローチ. 文 学 の 受 容 と そ の 効 果 を 一 連 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 過 程 と し て 捉 え よ う(「文 学 的 コ ミ ュ ニ ケ ‐ が ウ 受容 ショ ン」 , 169ペ ー ジ, Holub,1984)と す る 共 通 の 概 念 枠 を 持 つ 中 で 生 ま れ て き た の ヤ ス の. 理論であり, イーザーの美的作用理論である, イーザーの言うところによると, 文学的コミ ュニケ‐ ショ ンとは, 読者とテクストによる自己調 整的な過程において相互に作用を及 ぼし合う共同作業 で l ) あるという ( r s e , ヤウス, イーザーの理論は一般 には受容理論という言葉でまとめられて ,1976 6 いる が, これらは国語教育の中では時には教材論や「解釈学」 (関口, 198 , 25ページ) に力点を置 4 ) いた考えと対比する形で読者論という言葉で言われてもいる,. 1 ( ) 受容理論とイーザーの美的作用理論 1) 受容理論の誕生の背景 受容理論がどのような歴史的背景 (主 に ドイ ツにおける) のもとで発生し, どのような経過をた. ″ 、Rece t )の 著 書 、 ど っ て き た か と い う こ と は轡 田 (1972) の 解 説 や, Holub (1984 pion theory から. 960年代に生じた文学研究における 方法論の危機 知ることができる. それらによれば, 受容理論は1 して登場してきた 6 0 に対する解決策と , 年後半からの ゲーテ, シラーらの ドイ ツ古典 主義の再評価 の動き, さらには伝統の中で埋もれていた作品の再発掘といういわ ば文学理論の一大転換に際 して 125.

(7) . 佐 藤 公 治. 求められた新しい方法論と規範として誕生したのである. 例えば,「ある作品が傑作と認められ, 他 の作品が, 一旦 はす ぐれたものとされながら, やがて忘却の淵に陥って行くのはなぜなのか」(轡田, 1 972 ) といっ たことに対して どう答えていくかということが与えられた問題の一つであっ た, 解釈 法やニ ュー・クリティ シズムでは一人 ないしは一群の作家の作品評価はできても歴史的変化を十分 には説明されること はなかった. これ に対して, ヤウス は作品の 「生命」 は作品そのものにあるの ではなく, 時代とその環境に生きる読者による作品の現実化, 再生によるのだ, という. つまりは, 作品と歴史的現実の交渉を読者のレベ ル= 「受容」 に見出そうとする, この考え方の背景には作品 は社会的な記号であ り, それを受容する者も社会的な制約を受けた者 である (文学史に完壁に精通 した理想的な受容者 ではない) という, 社会的な相互作用 を重視した文学社会学の台頭がある. また, 1 96 0年代になっ て演劇や小説の世界で観客, 読者に関心を向けなおそうという÷般的な傾 向が強くなっ てきたこともある, 上演後の討論への観客参加や, 小説の中に想定した読者 への言及 を挿入するといっ たことが行われるようになるのである, 受容理論にも当然のことなが らその出現のためのいくつかの源流が存在する, Ho l 1 984 )によ ub( れ ば, 先 にテ ク ス ト へ の 記 号 論 的 ア プ ロ ー チ の 先 駆 と して 上 げた ロ シ ア ・ フ ォ ル マ リ ス ム が そ う で. あり,. プラ ハ 構 造 主 義 言 語 学 派 の ム カ ジ ョ フ ス キ ー ポ ー ラ ン ド の 哲 学 者 イ ン ガ ル テ ソ が そ う で あ ,. る, ムカジョ フスキー は作品の持つ記号的作用に着目し, 作品を作者と読者の間を媒介す る 「記号 論的な事実」 と呼んでいる. 作品、 には伝達を事とする記号としての機能と, 自律的な構造としての 機能の二つが存在すること, 作品 はメ ッセージとして読み手に理解されなければならない点を強調 する, そして, この読者=受容者 は社会的制約を受けた集団の一 員であること, また作品自体も社 会的な記号という性格 を持っ ていることを言う, ここ には先 に指摘した文学社会学の発想が見られ る.. インガルテソは文学作品を志向的, 他律的なも のとしてとらえ, 読者の意識的な (認知)、行為 に 依存することを強調する, 文学作品は語音, 語や文の意味単位, 再現された対象 図式化された見 , 解と呼んでいるも のから成るが, これらによっ て読者の中に「図式化された構造」 が創 られていく. そして大事な点 は現実の対象とは異 なり, 文学作品で再現される対象 には 「不確定箇所」 が存在し ていることであり, 読者 はこの 「不確定箇所」 を補足しなが ら, 作品から 「図式化された構造」 を 能動的に作り上げなければな らない. この創造的行為を 「具体化」 と呼んでいる, ここには, 以下 でみるイーザーの考えの原型がみられるのである, もう一 つの受容理論の誕生に影響を与えたもの にコミ ュ ニケーショ ン理論がある, 対人的相互作 用 や 社 会 的 行 為 に 関 す る シ ュ ッ ツ, ル ー マ ン の 理 論 さ ら に はハ ー バ ー マ ス の コ ミ ュ ニ ケ ー ショ ン ,. 理論は明らかにテクス トと読者の相互作用という受容理論の基本的枠組みに影響を与えたものであ ることがわかる. 特に, この後で見るよう に, イーザーの理論の一部にはシュッツの考えをそのま ま用いたものがある. 最近のテク スト言語学や記号論との相互影響が見られるのも当然のことなの で あ る,. 2) イーザーの美的作用理論 ここではイーザー の作用理論を中心にテク ストと読者との間で どのよう に相互作用が展開されて いるのかを見てみること にする. 特にここでイーザー の理論を取り上げたのは 次の2点の理由か , ら によ る, 第 1 は, 彼 が テ ク ス ト と 読 者 と の 間 の コ ミ ュ ニ ケ ・ー シ ョ ン 過 程 を 重 視 して い る 点 で あ る,. 第2は読者のテクスト加工を引き起こすようなテクスト側の仕掛けを問題にしていることからもわ 126.

(8) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2). かるよう に, テクストと読者の相 互作用を読者の理解という観点から捉えようと している点からで ある. イーザーの理論 は読解に関する心理学的研究の立場からみても共通の問題意識を発見できる こ と が 多 い の で あ る,. イーザー が力点を置くのはあくまでも個々のテクス トと読者 とが読みの過程の中でどの ような関 係を切り結 ぶかという点であり, テクストの意味はテクス トと読者の相互作用から帰結きれると考 「 える, 「行為としての読 書」 では次のように述 べている, 作品は読者による具体化をまっ て, 初め てその 生命をもつがゆえに, テクスト以上のものであり, 具体化は読者の主観に全く束縛されない と読 ことはない が, その主観性 はテクストが与える条件を枠として働いている. つまり, テクスト 独自 者 が収鰍する場所に, 文学作品 が位置している, ……文学作品は, 読書過程においてのみその 窓意的な主 4ページ) 3 の姿 を示す, ということになる ( ,」 このように言うとテクス ト理解を読者の 観に委ねて しまう ものだという 批判が出てく る。 しかし、 理想的 (客観的) な理解の 基準を設けた 個人 り, 批評家の判断にしたところです べて理解は個人のレベ ルで行わ れるのであり, テクストを 究さ 解の過程こそ考 われる理 化するゆえに主観主義だと批判す るのは正しく・ない, この個人的とい れるべきものであると 言う, また,テクス トは完全に理解されること はなく,不確定さ=あいまい さを伴う が故に窓意性が云々 解し, それ されてしまう, しかし, この不確定なところ があるからこそ読者はテクストの意図を理 に形を与えてみようという 気持ちを起 こす, と言う, 「 テクストと読者の間の相互作用を叙述するためにイーザーは 内包された読者」 という概念を用 いる, これはテクス トには読者の反応を導く構造のネッ トワーク があり, それによっ て読者のテク スト理解が促進されるというテクス トと読者 との動的な過程を総称 したものである, 要するに読者 がテクス トを一 つのま とま っ た意味世界としてまとめ上げることができるような仕 掛けがテクスト ) 概念で H lb 1984 には込められているという ことである, 「内包された読者」 は議論を呼んだ ( ou, あり, その議論については後で問題点のところでみることにする, イーザー はテクストと読者の間の相互作用の問題を3つの領域に分 けてさらに詳 しく検討してい る. つまり, テクスト構 造, 読者のテクス ト理解の行為, テクストと読者の相 互作用である,. が 重 要 な の は テク テ ク ス ト構 造 で はテ ク ス ト の レ パ ー トリ ー と ス ト ラ テ ジ ー が 述 べ ら れ て い る , る も の で,2つ の 要 素 ス ト の ス トラ テ ジ ー で あ る, 前 景 - 背 景 はテ ク ス ト 理 解 の 基 本 条 件 に な っ て い. 意味 のうち どちらか一方 は背景になり, コンテクス トの役割を果たす, 背景 があるからこそ前景の が背景に沈むという入 前景 範囲 が確定されるのである が, これらはテクス トを読み進む中で順次, 5 て読み } れ替 えや新しい要素の追加が行われる. 主題-地平 はテクストの構 成要素の どこに着目し パ ー ス ペク テ ィ 進 め て 行 っ た らよ い の か を 方 向 づ け るも の で あ る, イ ー ザ ー は, テ ク ス ト は4 つ の. ) から記述されたもので構成されていると言う, つまり, 語り手, 登場 ヴ(彼の言葉では 「遠近法」 6 が ) 順 人物, 筋, 読者の想 像にゆだねられる部分, の4つである , 読者はテクス トを読み進 めな ら, して いく. その瞬間. , 次これらの ミー ス ペ ク テ ィ ヴ に 着 目 し, こ れ ら の 組 合 せ と し て テ ク ス ト を 構 成 行動に読者 主人公のある えば 例 かれる 他 は地平に置 が主題になり , , に読者が視点 が向けたもの , 話の筋 きた語り手や , 主人 が目を向けたとす るとこれ が主題であり, この時の読者 はこれまでみて 地平を構 成 公の行動 といっ たものでできた地平に影響を受けているのである, いまの主題も次には は前 主題-地平構造 していく, 従っ て, 地平は全体 を見通す視界を提供しているものといえる し, う言 景-背景関係を具体化するものなのでもある,(なお, 蛇足ながらここで使われている主題とい 葉は通常の作品のテ ーマといった意味で はないことに注意されたい.) 主題-地平構造は次にみる読者の理解行為の中の視点の移動を決める働きを しているし, また同 127.

(9) . 佐 藤. 公 治. 時にテクストの各要素を相互 に関連付 けて一 つの意味世界 を構成する 役割を担. ってもいる, 読者のテクス ト理解の行為 について は 視点の移動とイメ ージ形成 の2つの活 動を上 げている, , テクストを読むと き, 我々 はすで に読み終えたことを背景 に そこからの期待を持 っ て読み進んで , 行く. そして期待したことを修正 し続ける これがイ ーザー の言う 「予覚と保有 の弁証法」 である, , その過程では, まだ空白 ではあるが充 足を待っ ている未来地 平が 充足 はされたが次第 に影 が薄く , なっ ていく過去地平へと順次移行していく 視点 の移動 はこの2種類 の地平を開き 融合してい , く , ものである, このよう な過程を考えるのは テクストの理解の本質 は意味 の 「一 貫性の形成 にあ , 」 るからであ り, この 「一貫 性の形成」 の考えは我々がテクス トの意味表象 のモデル でも前提にして いることである,先に述べた主題-地平構造は視点の移動を方向づ けているも のの一つであ る 我々 . が読書から得られるものはテク ストの言葉そのものが示 しているものでもなく 読者の勝 手な想像 , でもない, これらの綜合体と でもいうも の ( 「受動的綜 合」 ) である. この受動的綜合 の中核になっ ているのがイメ ージである,「テクストは図 式の連続 で構成されており つねに全体のうち のいくつ , かの局面 を示してい るにすぎない, 読者は図式全体を綜合し 一 つの意味地平として見ることが で , きるような視 点をと ることが求められる ある視点か らながめ イメージ化すること によ , っ てテク , ストの全体像が具体的になるのである.」 「読者 はテク ストからさま ざま なイメージを形 成・展開し , そのよう にして得られた表象対象を時間軸に沿ってテクストの意味地平 へと綜合していく これが ,」 読書行為なの である. ここか らも分かるようにイーザー の言うイメージ は単なる視覚的映像以上 の 概念的意 味表象が込められたも のなのであ る , テクス トと読者 の相互作用 では空所と否定 の2つの機能が取り上げられている すでに述べ たよ , うに読書行為の本質は主題と地平の転換 を絶えず行いながら テクスト図式 を一つのなめらかな連 , 続が得 られるよ うに結合していくこと であっ た このテクスト図式 の結合が中断されたとこ ろが空 。 所と言われる部分 である. 空所 は結合を一 時保留にす る が それがあるか ら読者 の想像活動が刺 激 , され, 空所を埋 める活動が誘い出される 読者が空所 を埋めようとする気 になるのはそこ にまだ主 , 題と地平の転換が行い得るからであり 空所はテク ストの各要素を結合することの必要性を 合図し , ているということ では実質的には意味を指示している のである 否定 は読者がこ れまで持 てきた , っ 認識や価値規範とは相容 れない テクス トの意味を提示し読者 に規範の再検討 を求める場合である , テク ストの場合 は規範 の全面的な否認をすることは少なく 部分否定 をすること によ て作品に暗 , っ 示的 に示されているテーマに注目させるといっ た機能を持 たりもする っ . 以上, 「行為としての読書」を基に イーザーの理論について若干の検討 を行 たが , っ , テクストの 理解過 程を考えていく上で参考に なることが多い しかしこのテクストの解読は必ずしも容易なも , のではなかっ た, 一 つには彼が例として用いているのが少なくとも 門外漢の筆者 にと てはまる で っ 馴染 みのないイ ギリス文学を中心としたものであっ たことによる もう一つは彼の理論が現象学的 , 接近で貫かれていること による, この点が同時にイーザーの理論の問題となるところでもあ る , 例 えば, 「内包された読者」の概念はテクスト構造によっ て読者の中 に起こされたイメージ形 成という 、 表象行為 が次 に は読者 の受 容意 識 になっ ていく という 過程 を記述 したもの であるという l (s er , 1 976) , この説明でも分かるよう にそこにはテク スト構造であると同時 に「構造化された行為」 でも あるという, 機能 の二面性が込 められている イーザーが目指した のがテクストと読者と の相互作 . 用の過程 を明らか にすることであっ たことを考えるとこの説 明の仕方 は当然 の帰結 であ. っ た が, Ho l 198 4 )が述べるように概念のあいま いさは否定でき ないのであ る二 同様のことは主 題-地平 ub( 構造のとこ ろでも言える. 結局 はテク スト「 読者間の相互作用 をどう記述 するかに問題 は帰着さ れるのであるが 読者の読 , 128.

(10) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2). 側のテクスト世界の みをテク ス ト構 造がどう誘い出 しているのかを関連付けな がらもまずは読者の 「読書の現 象学」 ても は言 そう っ 構成の実体を実証的レベルで明らかにすることが必要であろう. から我々 は読書行為をどのような基本的分析枠でとらえるべきか, また, なにが重要な変数なのか を学 ぶことは多い, イーザーの理論で扱われているところの読者 は 「現象学的な読者」 とでも 呼ぶべき超越論的なモ デルである が, そこで念頭に置いているの は, 有能で教 養のある読者である, しかし. 実際には我々 「 は様々な読書能力と価値規範を持っ た読者を想定しな ければならないの である, 特に 教育」 とい う変数を扱っていくときに はこの 「読者」 は重要な意味を持っ てくる.. ( ) テクスト構造と読書行為:文学教材への適用 2. 1) 受容理論と国語教育 受容理論は我 が国の国語教育において は, 読者論という 言葉で用いられていること が多い, 関口 ( 19 86) が詳しく述 べているように, 読者論は作品論や作家論と対 比する形で読者の読みを重視す る考 え方として昭和の初め頃から存在していた一定の歴史を有するものである.そして,最近になっ 力の回 て国語 教育, なかでも文学教育の改革の一つとして学習者の主体性と創造性と しての読みの ) の中で登場してきたものである, しかし, 現在, 読者論の 983 復を目指そうという試み (田近, 1 言葉で言われていること は日本 にもとからあっ たこの読者論ではなく, ヤウス, イーザーの受容理 論それなのである, 既に今までみてきたように, テクスト言語学, 受容理論で は読み手 はテクスト と同等, ないしはそれ以上の役 割を与えられている, そういう意味では読者論と言っ ても良いのか もしれない が, や はり厳密にはイーザーらの理論に読者論の言葉を被せるの は正しく ない, 彼らは 「 プローチ」 このような言葉を用いてはい ないのだ から, 敢えて用いようとするなら ば, 読者論的ア ぐらい であろう, 受容理論, 特にイーザーの理論で取 られているテクスト研 究の基本的枠組みであるテクス ト一読 解 者間の相 互作用 は, 読者の側の変数 が積極的に取り上げられているという だけでなく, 読者の理 ブ とテクスト構造とを結びつけよう としている点で国語 教育の一 部 ではポジティ に評 価されてい い る, 教材と学習者の理 解活動とを有機的に結 び付けること が少なくとも理論枠で は可能になると 1 985 , う意味で. 実際, イーザーの理論を文学教材に適用する試みも行われているのである(深川, 4 1985) 1986a . ,; 鈴 木, 198, , 1986b. 2) 文学教材のテクスト構造と読書行為:その実証的把握の試み ここでは, 小学校の文 学教材として代表的な 「ごんぎつね」 を例にして, この作品 ことにす のテク スト構 造の特徴と読解内 容との関連性を大学生に実施した質 問調査から探っていく る, その他, 調査資料として一部, 小学生のものも併せて用いる, 「ごんぎつね」 大学生の資料は次のようにして 収集された, 教科書 (教育出版, 小学国語 4下) の 質 の全文を印刷, 冊子にしたものを全員に配布し, 通読させる, 読み終っ た後に, 全部で11項目の は 問に筆記 解答することを求めた, 調査用紙 は教材文と一緒 に配布 したが, 教材文を読み終るまで ) を作成 目を通さ ないように注意を与えた, 質問の第1項目に は教材文の全文要約 (制限字数なし ①調 査方法. 129.

(11) . 佐 藤 公 治. することを求めたが, 始め にこの要約文 の作成をすること その際 には教材文 は見な いことを注意 , した, その他の項目につい て は解答順 は不同で良いこと 必要があれば教材文を見直 してもよいこ , とを教示 した. 教材文 の読み 調査項 目への解答 共に制限時間は設けず 各自のペー , スで行われ , , た. 時間はおよそ 1時間前後で, 筆者 の講義の一部として位 置づ けられて行わ れた 最終的に 資料 , として用いた人数 は101人で, 男女およそ半 数ずつである . 小学生の資料 は今回, ここ で述べているも のとは別 の目的を持 て調査されたものの一部と して っ 実施されたものであ る, 小学生 は札幌市内の公立小学校4年生1学級 43名 (実際 に用いた児童 の , 数は資料が欠 けている等の理由で若干少ない) の児童を用 いた 質問項 目は大学生に使用されたも . のとほぼ同じものが小学生 にも用いられたが 小学生 にはこれ以外 にいくつかの項目が追加さ れた. , また, 小学生 の場合には質 問項目はおよ そ10時間にわた る授業の一環として ワーク シートとして , 与えられたものであ り, 基本的 にはワーク シートへの記入は該当する段落を扱 たそれぞ れの授業 っ の最初の部分で行われた. 従っ て 当然 のことながら1 2回の通読 しかしてい ない大学生 の場合 , ・ , とは条件が異なっている, 以下, これらの結果について 物語 の時間的順序 (質問項 日の順) に沿 て述べる , っ ,. 唯事 海扇署 叢り事 業 塾 藁哀馨 表 陀 んぎ っねのド に つい て (大 学 生101人) か. あなたの考えを自由 に記述して下さい 」 , ) を求めた 結 果 が 表 1 で あ る, こ の 作 品 の テ ー マ と し て 大 学 生 が 上. げたも のは実に多様 であっ たが 大きく は表 のような5 , つ(そ の 他 を含 め る と 6) に 分 類 す る こ と が 可 能 で あ る ,. 大学生の約1 /3は 「同じ境遇の者 同士が心を通 い合わす. こ と の で き な か っ た 悲 劇」 や「感 情 の す れ 違 い の 悲 しさ 一 と いっ た 内 容 に代 表 さ れ るよ う に 気 持 ち が通 じ合 え な , い悲劇 がテ ーマ であ ると書 いて いる そ の他 ごんの心 , ,. テー マの内容. 人数. 気持ちが通じ合えない悲劇. 3 4. ごん のここ ろの変化 ・ ごんのやさしさ のやさ しさ, 思いやり つ ぐない の話. 11 ・. 信 用 の 大 切さ さ 信用の大切 その他 (不 明). 8 15 26 6 (1). の変容やつ ぐないの話がテーマになっ ていると書いた者もわずかいる 大学生 に特有のテー マの捉 , え方と考えられるも の (小学生 にはテー マを書かせなか たので比較 のデータ は手許には ないが, っ いく つかの実践報告をみても次のようなもの は小学生 には見られな い) に信用の大切さがある と , れは 「失った信用の回復は難しい」 とか 「自分本位 の行動 へのいま しめ とい た内容に みるよう 」 っ に教訓話, 因果応報 の話としてしまっ ているのである しかも このような内容の者が少なか らず , , いるのである, こ の教材を教訓話と捉 えてしまうこ とがいか に本質を見失 ているかは敢 えて述べ っ る必要のないこと である. 限られた 時間の中での読み取りとはいえ一部 の学生の感性 の低さ 彼ら , の価値規範の特異さに考えさせ られる部分 である . ③ごん についてのイメージとその変化 ここ では1の場面 (章) の ごん に関す・ る記述からどのよ うなイメージを形成し, それが後 の部分でどう変化するかを聞いたもの である( 「あなた は最初の部 分 - 1 の 場 面 一 か ら ご ん は ど ん な き つ ね だ と イ メ ー ジ しま し た か 「 」 , 読 み 進 ん で い く う ち に, ご ん. に対するイメージ に変化はみられましたか それはどの部分からどう変わりました か ) 1の場面に , 」, はごんが置かれて いる状況(森の中 に一人ぼっ ちですんでいる) ごんの日頃の行動に ついての詳し , い記述があり, ごんについて どのようなイメージを持つかということ は比較的容易になるよう に仕 掛けられている, ごんの行動についてはいたずらばかりするという説明▲ を重ね, そこか・ らは当然の ことながらいたずらぎつねというイメージ をまず形成する そして それではどう していたず らば . , かりするのかという行動の動機 背後にあ る原因を探し出す 一人 ぼ ちの小 ぎつね 雨がふ , て , っ , っ , 130.

(12) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2) 外 に出 ら れ な い で い た, と い っ た 記 述 と. 表2. ごんのイメ ージ形成と その変 化 (大学 生101人). どう 関 連 付 ける か で あ る, ご ん に つ い て の イ メ ー ジ は 最 初 の 段 階 で も 約1/3の 者. がい たずらに さ びしがりや を付加 した , 場面で ‘ 俵 の, 持っ てい. M. 1の場面. 「さみ しがりや」 :31人. - - - 十一---- --←-… …- - ---. のよう な読み取 りを した者 はいたず ら. 〔追加・修正〕. 追加.修正〕 〔追加・修. しさ :29人 やさ しさ:2. が は じ め に 主 題 と なっ て 取 り 上 げ ら れ た も の で あ っ て も, そ れ は 地 平 に 後 退 し, さ み しい きつ ね - い た ず ら好 きと い ぅ 一 種 の 主 題-地 平 構 造 を 発 見 し て. やさ しさ:22人 2の場面. 〔変更なし〕 :7人 :7人. い っ た と 言 えよ う, も ち ろ ん, い た ず ら と い う 主 題 の み を 持 っ た 者 も い る が, 彼. 「いた ず ら好 き」 :6 : 60人. さみ しがり;12人 そ の 他:15人 (思いやり, 責任) 変更 なし〕 〔変更なし :4人. 不明:2 人) (不明:2人. らは次の2の 場面 でイメージ の変 更 を 余儀 なく さ れ る, ごん に つ い て のイ メ ー. ジはこの作品を理解していく上での重要なキーになる部分 であり, 兵十に何度も物を運ぶ理由, 夜 道で兵十の後を追うという動機を理解するための伏線になっているのである. テクスト構 造は1の 場面で ごんのさびしさ, やさ しさのイメー ジを形成しなかった者には再 度それを持つ 仕掛けを準備 が して い る. 表 2 に 見 る よ う にイ メ ー ジ の 修 正 を し た 者 の 多 く は や さ しさ の イ メ ー ジ を 持 つ の 多 い. が, それはどの話の所でイメー ジの変更を行ったかと関係 している, 既に述べているように, かな りの者はこの2の兵十の母の葬式を見て 反省する部分でイメージの変更 があっ たと答えている, 残 りの者が挙げている部分 は3の場面の ごんが兵十にいわしを持っていく所である, さらにここでやさしい, ないしは思いやりのあるきつねがどうして1の場面でいた ずら ばかりし ているのか, その本当の ごんの行動の動機を時間軸とは逆向きの推論をする ことになる, 結局は, ごんの行動についての一貫性を探すのである, 小学生の場合も1の場合ではいたずらのイメージが圧倒的に多い が, 全授業終了後の感想ではい たずら, 悪いきつねが大きく減って, 一人ぼっ ちのイメ rジが特に増えている, ④ 「おれと同じ一人ぼっ ちの兵十か」 といった時の ごんの気持ち ここでは自分と同じ境遇から くる同情, 連帯感, 仲間意識, 親近感といっ た感情を推論する者 がほとんどで, 先のごんのイメー ジの変更とあわせて他人の傷み がわかるごん,連帯を求める ごんという新たな主題が起きてもくる. さらには,この後から述 べ られる兵十に物を運ぶ一連の行動についての予覚をここで与 えてもいる, ⑤ 「ごんはどんな気持ちから何度も兵 十にものを運 ぶのだろう」 この設問はごんの一連の行動 の背景にある動機, ゴールに関係したものである. それ故にテクストの要素を時間軸に沿って意味 地平へと綜合していく, 別の言い方をす れ ば受動的綜合のための作業につ ながる推論作業なのであ 表3 ごんが兵十に る,ここではごんの行動の動機,ゴールを兵十への償いと推論 物を運び続ける理由 するタイ プと, 共感.接近であると考 えるタイ プ, 償いの行為 (大 学 生101人) が共 はじめの償い 込めたり 接近の意味を の中に同 時に共感・ , 人 数 由 理 感へと変化したと推論するタイ プの3つに分 けられる. 単に 償いと取る者とそうでない者と は半数ずつになっ ている (表. つ く. い. 53. を運 ん でい る の を神 様 3) , 償 い と 推 論 した 者 は こ の 後 の, 物. . 共 感 接 近 ・. 12. 感 接近・共感 ない十接近.共 つ ぐない十 つく. 36. のせいにされてもなお運 び続ける ごんの行為, かげ ばうしを ふみふみ兵十の後を歩く ごんの記述の部分で意味の一貫性 に. な. 131.

(13) . 佐 藤 公 治. 破綻を来たして しまう, もちろん その前の 「おれと同じ兵十か で連帯 共感を求めるごん と , 」 , , いう推論ともあ えて一貫性を保つことを止めてしまっ ている 償いと推論した者 には「神様 のせい , 」 や 「かげぼう し」 の部分で推論の再検討が求め られること になる このようにみると始めのごんの , イメージ形成の所と同 じく, ここ でも読者に読 み取りの再検討 を迫るような仕 掛けがテク スト構造 に は用 意 さ れ て い る と い う こ と で あ る .. 小学生も表4に見るよう に 学習の最初の , 段階で書か れた一次感想文では接近.共 感を. 表4 ごんが兵十に物を運び続ける理由 (小学生39人). 推 論 し て い る 子 ど も は少 なし、が 学 習 終 了 段 , 階 の 二 次感 想文 で はこの 推 論タ イ プが増加. 理. し て い る の で あ る.. 償いタイ プと接近・共感タイ プの2つ に分 けた時, 後者の方が「ごんが兵十に物を運ん. 償. 想. 表5. 25人. 7人. 0人. 18人. 16人. 4人. 次 文 ー 感* * ニ. 仲 間 と し て の 意 識 を 上 げて い る 者 が 多 い こ. とがわかる (表5) .. 接近・共感 償 償い十接近 ,共 共感 い十接近・ 感. ー 感* 一. で い ぐ 間 に ごん の 気 持 ち の 変 化 はあ る か」 ,. 「兵十 のか げばう しをふ みふみ行 たと き っ 「神様 のせい にされて の気持ち」 も運 ぶ理 ・ , 由」の3つの質問 で, 兵十 への親近感 連帯 , ,. い. 由. 想. 次 文. 「償い」 と 「接近・共 感 の二つ の推 論タイ プの比較 」 (大 学 生). 物 を運 んでいる時の. 「か げばう しをふ み. ごんの気持ちの変化 ふ み」 の ご んの感情 「償 い」 (n=53 ). 「接近・ 共感」 (n=48). * 不明:7人 ** 不明:1人. 「神様 のせ い」 を聞 いた時の ごん の感情. ・親 しみ の増加. ・親 しみ・友達. ・思い入れの増加. ・兵十との一体感. ・仲間意識 ・親近感. 5人. ・兵十 に近 づ きたい 9人. ・つ ながりが欲 しし・ 9人. 同上. 同上. 同上. 11人. 15人. 17人. ⑥ 「兵十 のかげばうしをふみふみ行っ たときの ごんの気持ちを想像して下さい という質問では 」 , 先の表5のよ うな兵十 への親しみ 思い入れの増加 ( 1 6 名 ) 以外にも自 分の行為を分か , っ てほしい という気持ち, 自分 のことを知らせたい気持ち 自分のことが話題 になるのではと いう期待 兵十 , , が気が付かない 不満・いらだち 分かっ てもらえないでがっ かり 等 多様な推論が行 われている , , , , この部 分 は必ずしも推論の方向が 前後に述べられている ごんの行動の脈絡からは確定されてこ な , い所である, もちろん, 兵十 への接近・連帯というモチーフからみた時にはごんの心情がよくわか るように仕組ま れてはいるが. ⑦神様 のせいだと言われても ごんがくりを運ぶ理由 この部分はごんの行為 の意味を償いで読ん だ場合 には一貫性が否定されてしまい 空所が発生すること になる この時どのようにして空所 を , . 132.

(14) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2). 埋めていくか は読者に依存せ ざるを得ないのだが, 償いという推論の仕方を見直 す方法もある し, 「 あえてする なら ば償いの推論は変えずにこの推論モ デルに沿っ た形で 償いをしている 自分に気付 一 くまでやる」 といった理 由を上げることも可能 なのである. 実際に, このような意味の 貫性の求 め方をしてい る者が相当数いるの である, 以上, イー ザーの理論を参考にしながらテクス ト構造とテク ストの意味推論との関連性を検討し た が, これらのことから はっ きりしたことはこのテクストの全体的な意味構成のために は主人公で ある ごんの行為の意味についての一貫性をみつけて行く ことが必須であり, またテクスト構造にも この推論を助 けたり, 再検討を求め るような仕掛 けがいくつも用意されているという ことである, ここで はごんの行為の意味を読者 がどの様に推論しな がら, 全体の意味表 象モデルを作り 上げて いくのかという点について はデータの精度 が高く ないこともあっ て明らかにすること は出来なかっ た, 現在, 筆者らは登場 人物の行為の意味についての因 果推論をベースにした意味表象モ デルを検 988 ) , ごんぎつねについても 討中であり, 別の文学教材に適用した試みについて報告 した(佐藤, 1 小学生のデータを用いて検討する予定である,. 3. 1 1 テ ク ス ト と 読 者 と の イ ンタ ー ラ ク シ ョ ソ の ま と め. こ の セ ク シ ョ ン で は テ ク ス ト と 読 者 と の 間 に ど の よ う な相 互 作 用 が 展 開 さ れ て い る の か と い う こ. とを, テクスト言語学, 受容理論の二つの研究から検討した, もちろん, テクストと読者との相互 作用といっ ても, テクストそれ自体は生身の人間であるわけではなく, その意味で は人間対人間の 「 間で展開さ れる会話のよ うな相互作用場 面とは異なっ ている. 相互作用 はあくまでも読 者の 読む」 「 という活動, 意味を 「理解する」 という志向によ っ て始めて成立するのであり, 対話の 仕掛け人」 は読 者 な の で あ る,テ ク ス ト は読 ま れ て こ そ 始 め て テ ク ス ト と し て よ み が え る の で あ る.そ う は言 っ. ても, 「読み」は読者のま ったく 主観的, 窓意的な解釈によるのではなく, 作品として書かれている ものに規定された 「読み」 であることは言うまでもない, このあたりの事情をテクストから読者へ の 「呼 び か け」 と して テ ク ス ト構 造 の 機 能 と し て 提 示 し た の がイ ー ザ ー で あ っ た, イ ー ザ ー の 理 論. 「 の特徴 は 「テクスト構 造」 と読者の読 書行為との間で展開されていることを一種の 読書の現象学」 として捉えた点にある. テクストの構造との関係の中でどのような読み が成立しているのかをま さ に現 象 と して み せ て く れ て い る,. テクスト 言語学, 受容理論では共にテクストの読 解を一連のコミ ュニケーショ ンの過程として捉. える, そ こ で は読者 が コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の コ ー ド を い か に解 読 し て い く の か と い う こ と が 重 要 な. 問題になる, 「読者」の中でいっ たいどのような読みの プpセスが展開されているのか が明らかにさ 1 98 0)自身もテクストの意味表象を表 現するモデルを rande( れなけれを ならないのである. Beaug 作ること が重要な作業であると位置づけ, 表現モ デルを提出している. 文学作品のような複雑なも のの意味表 象を十分に表 現できるモ デルはまだない. しかし, 最近になっ ていくつか有 望なモデル がいくつか提出されてきている. 次回からはこれ らの意味表象モ デルの問題を検討する, 受容理論 が国語教育の中で注日を集めたのは, それが 「読者」 の果たす 主体的な役割を強調して いる点にある, いかに能動 的, 創造的な 「読み手」 を育てるかという問題を考えた時, 受容理論 は たしかに参考になること が多い. しかし, 「読者論」という形で国語教育の中で論じられる時, 読者 の自由な読み, 解釈の仕方が許されるという誤 解が生まれやすい, たしかに読者の創造的な読みを 「 考慮しないような読みの固 定化は否定されるべきである, しかし, そこでは読みにおける 自由と 133.

(15) . 佐 藤 公 治. 責任」 (赤祖父他, 1981 )の二 つを果たさねばならない のである 創造的な読 みの力を学習者に育て . ると同時に自己の解釈に責任を持てる学習者にも育 てなければならない テクス トを読む目 分析 . , 批評の持つ意味の大きさがそこにあ る. (以 下, 次 号) 〈 註. 〉. 1 ) 受け手 (読み手) の観点から送り手の側の意図性を問題にしようとする考えは オーステ ンが彼の言語 ・ ィ 行為 , 論の中 で聞き手の意味理解という観点から話し手の言語行為を記述したのと似ている そして オーステ ィンの場合 , , には 「話し手-聞き手間の相互行為や意図の相互理解が欠落している」 と批判されることになる (野家 198 5 , , 及び オースティ ン「言語と行為」の訳者解説参照) . この批判は会話の場合には当然のことといえるだろう, ここでは以上 のような受け手が意図をどう捉えたかという発想をあくまでも送り手 (作者) との直接的な発話のやり取りがないテ クストの理解という「談話」(d i )の特殊な-形態の中でのみ適用する. この限定条件の中では大きな問題は生 s cour s e じないと考える. 、Timef 2) Beaugrande が上げている例に 、 l i ikeana esl r row.″ (光陰矢の如し) という文がある. この文は時 の経つ速さを述べたという解釈以外にも, ある人が蝿の速さを矢のような方法で計測せよと命令されているとか あ , る特別な奇妙な名前をもった種類の蝿は矢が好きである と解釈することは可能ではある しかし 我々は決してこ , , , のような解釈の仕方を選びはしない,そこには文化の中で共有し合っている現実世界についての知識が介在している . あるいは, これと同様のことは説話文学の発生をその民族や共同体の社会・歴史とい たいわば民族的コンテクスト っ との関係の中で明らかにしようとする試みに具体的に見て取ることができる ある昔話が共同体の中からどうして生 . まれ, 語り継がれてきたのかを民族誌的背景の基に検証しようというレビィ=ストpースに代表されるァプローチで ある. 日本の昔話についての小松和彦 ( 198 5 98 7 ) の仕事もその一つである, そこにはブ。ツプに代表されるよう ,1 な昔話の形態や登場人物達の行動の軌跡の共通パターンや特異性という形態論的構造分析の無味乾燥さだけしか感じ られないものとは異なり, 民族的コンテクストの中で説話の持つ意味を考えようとしている これらのことは 結局 , , はテ ク ス トの 研 究 で文 化 のコ ー ド コ ンテ ク ス トを どう 扱 てい く か と い う こ と に なる っ , ,. 3) もちろん, このような現実世界ではありえない命題も文学の世界ではしばしば登場してくる ボクのかわりに , グレゴール・ザムザを, ウナギのかわりに毒虫を入れ換えてみるとあの おなじみの小説になる (カフカ 「変身 } , 」 4) 我が国の国語教育学の中で読者論はどのような歴史的経過を経て今日に至っているのかは関口 ( 19 86 ) , 深川. (1986) に述 べ られ てい る,. 5) 主題-地平は理解社会学のシュッツの理論から借用したものであるという シュツッは社会についての日常知 , である, ステレオタイプ, 決まり文句などは「意味の開かれた地平」を有していると言う これらは一定の意味はも , っ ているがその用いられる文脈に応じてさまざまな意味を帯びるという意味で (Le i 98 0 ) t e r , ,1 6) もちろん, 4種の遠近法がテクストの中でいつも存在しているわけではないし それぞれが別な観点から同じ内 , 容を表現するといった並行状態で存在 しているわけでもない また テクストにおけるお互いの布置も変動している , , ,. 引. 用. 文. 献. 赤祖父哲二 ・中村博保・森常治 1981 いかに読むか - 記号としての文学 134. 中教出版..

(16) . 授業場面における児童の談話理解とその過程をめぐる諸問題:研究ノート (2) Aus in t o do 云溺れgsz り蒔かw解ゐ, (坂本百大・訳, 1978 言語と行為 大修館書店, .L,1960 品ow 云 ,j. he Bar t s ,1979 (花輪光・訳) 物語の構 造分析 ,R. みすず書房,. ● dZ ex. Beaugrande oc e s& Norwood sg , N J.:Abl , α”〆 pγ ,R,de 1980 ze癌 sの“? L Z Z 粥 i Z α i f f Z 1 1 加Z d d l s Beaugran e, R.de & Dr m z oれ o e尤 7ば s c es er . (池 上 他 訳 . ongman , W. 98. テクスト言語学入門. 紀伊園屋 書店). 深川明子 1985 読みの授業にお けるイメージ形成 についての考 察. 金沢大学教育学部. 教科教育. 金沢大学教育学部. 教科教育. 47 研 究, 第21号, 31 ‐ .. 986a 文学教材の構 造と機能 - 読者論の視 点から - 深川明子 1 282 研 究, 第22号, 271 ‐ .. 86b 読者論からみた文学教材の構 造と機能 深川明子 19. 1 0 3 97 日本文学, N ” o , . ,1. Graesser f 粥ゆ 魔#たれのりを〆gB. Norwood, z ‘陀Sq 7 2dpのced 〆 z ‘〆“だ α . , A.C , & C1ark ,L.F,1985SZ N,} ex. : Abl , 「 だ huen lub Ho t . (鈴木聴・訳 空白」 を読む 動草書房) . Me ,R,C. 1984 尺”ゆ 伽 豹の“. 1 30 19 ‐ 池上嘉彦 1984コンテクスト依存性と意味作用の相対性,記号学研究4(日本記号学会編) . ,1 - 作用条件としての不確定性 びかけ構造 - 文学的散文の ) 作品の呼 2 W 1 9 7 轡田収・訳 ( l s e r , , , 136 9 2年9月 号, 10 思想 (岩波書店) ‐ , , 197 - 美的作用の理論 - ) 行為としての読書 2 ( 轡田収・訳 1 9 8 W l s e r , , 北斗出版.. 小松和彦 1985 神々の精神史 987 説話の宇宙 小松和彦 .1. 岩波書店.. 人文書院.. ‐2防ぎ を Leech lan c s , . Longn ,G.N,1983 P“粥幼 sqfpmg“. (池 上 嘉 彦, 河 上 誓 作 ・ 訳. 語用 論. 紀. 伊園屋書店) . ゐ ’ Le i ter ’ 2鑑肋 ぬわgγ , (高 山 員 知 子 ・ 訳 ,K,1980 A Pメカ〃好 o” の “o. とは何か, 新曜社) 持田公子 1983 詩的言語の分析 (第3章). 1987. エ ス ノ メ ソ ドロ ジ ー. 加藤茂・谷川渥・持田公子・中川邦彦. 芸術の記号. 論 動草書房 「 「 野家啓一 1985言語と実践 (第6章) , 新岩波講座 哲学」・第2巻 経験, 言語, 認識」 岩波書店, 佐藤公治 1988 授業場面にお ける児童の理解過程:1エー 文学教材の読解過程と知識表現の方法 1 22 ‐ について -, 年報いわみざわ (北海道教育大学岩見沢分校) 第9号, 1 , 986 国語教育と読者 論 明治図書, 関口安義 1 鈴木信義 1984 読者論から見た文学教材の扱いと学生の意識 - 小学二年o「かわいそうなぞう」 112 ‐ を中心に - 北海道教育大学紀要, 第一部C教育科学編, 第35巻 1号, 97 , 「 「 小学二年o アレクサン ダー 生の意識 - 85 成長の過程としての 読み」 の指導と学 鈴木信義 19 とぜ んまいねずみ」を中心に -. 北海道教育大学紀要, 第一部C. 15 教育科学編, 第35巻2号, 1 -. 130 ,. 田近淘一 1983 読みの指導をどう構想するか. 4年3月 1 98 98 3年4月 号‐ 教育科学・国語教育 (連載1. 号) ,. (本学助教授・岩見沢分校). 135.

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