Title
会計理論の解明序節 −原価と価値の問題に関連して−
Author(s)
宮国, 英勇
Citation
沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 6(1): 71-85
Issue Date
1965-10-15
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/10966
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ー 原 価 と 価 値 の 問 題 に 関 連 し て │宮
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原価と価値についての会計学上の論争は、会計学がその学問的体系を整えた時に始まる。かつて会計学の中心的問魁 は評価論にあるといわれた。その後損益計算書を主目的とし、費用・収益の期間配分ならびに対応を基礎原理とする 会計思考が支配的と・なり、評価論の地位は著しく後退したかにみえた。しかしこの時代においでさえ評価の重要性は 実質的に何ら失われてはいなかった。そして叉最近評価論は再び会計学界においで脚光をあび、新たな装いの下に撞 頭し始めている。このように原価と価値についてのどちらの主張が会計学上、より支配的であったかは各時代によっ 七七 て異なっていたにしろ、その論争はなお今日まで続いており、そして恐らく奨来ともに続けられ、極端にその主張の いずれかに寧配があがるということはあり得ないと考えられる。この点、
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-メイも﹁会計帳簿と財務諸表に原 価と価値とがそれぞれどの程度に反映されるべきかという問題は会計上の中心問題と考えられるであろう川。﹂と述 べ て い る 。 わたくしは、何故に会計学が同質的とみなされる場合もあれば同質的でない場合もある原価と価値の閣を初穫し、 一元論では割り切れずに二元論とならざるを得ないのか、という問題意識から会計理論を解明しようと試みるもので あ る 。 木 )量
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00 Q)会計の目的とその目的の概念
会計の目的は、ある企業について、一定期聞におけるその努力(費用)、その成果(収益)およびその差額として の利益、ならびにある特定時点におけるその状態(その企業がもっているものと負っているもの)を測定することで ある。これらの目的は、企業が公表する報告書のうち、その主要な部分である損益計算書と貸借対照表にあらわされる。これが一般に財務諸表による経営成績ならびに財政状態の表示とよばれている・ものである。 そこでいう 経 営成績としての利益および財政状態 と は如何なる概念のも の で 会計の白的はこのように示されるが、 あ ろ う か 。 会計は﹁復式簿記に関するパ テ オリの有名な論文よりもっと古くから、長年にわたり、特定の諸問題にだけ適 用 で きるような特別の慣行や原則を漸次認めることによ っ て、一組の知識の体系にまで徐々に発展してきた。
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﹂ の で あ り、そのような特別の慣行や原則のなかでもっとも基本的なものは次のようなものである。 一、貨幣のコンヴェンション 二、実現のコンヴェンション 三、会計期聞のコンヴェション ﹂れらのコンヴェンションは、 エ ド ワl
ズとベルによれば次のようにいい換えられる刷。 一、貨幣単位の仮定 111 企業に関するすべての活動および財産を、 貨 幣額によって測定 し うること、および、貨幣 の購買力が安定しているために、 それを計算の単位として用いても、価 値 の尺度として 用 い て も 、 完 全 で 、 真 実 で 、 あいまいさがないことが仮定 さ れねばならない。 二、原価と価値とが一致するという仮定││購入もしくは生産された・ものの原価は、 いずれもその市場価値に 等 し いものと仮定されねばならない。このことは、具体的には、たとえば 工場 設備や装置の現在の市場価値と、それが 提供する用役の価値を、それの取得原価から誘導し う ることを意味す る 。 それはまた、す べ ての生産要素の 原 価が製 品に凝着し、かっ、そうして集計される原価がその 製 品の市場価値に 等 しいことを 意 味 する 。 し た が っ て 、 そ の 場 合 には原価で記録を保持することは正当な実務になる。 七七 四 三、確実性の仮定
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企業は未来を確実に知りうるということが仮定されねばならない。そう仮定する場合にのみ、 原価と収益とを、過去と現在と未来の諸年度に確実に配分しうるのである。このことは、もし継続的な事業活動を各 会計年度別に正確に測定せねばならないものとすれば、不可欠の仮定である。 以 上 、 ﹁要するに、現行の会計実務は、生産要素と生産物のいずれについても、 その価格、数量および品質が長期 にわたって不変な場合にのみ、換言すれば、 一般物価水準が安定し︿第一の仮定)、個々の価格が安定し(第二の仮 定)、未来のことが確実にわかる(第三の仮定)場合にのみ、完全に信滋性のあるものになるわけである。しかしなが ら、それは明らかに定常状態を仮定するのと同じである。定常状態のもとでは、定義により、不確実さに耐える報酬 としての利潤の存在そのものがなくなってしまう。会計が暗黙のうちに設けている仮定は、みずから測定しようとし たもの(利潤)が寄在しないと仮定することになってしまうのである仰﹂。ということになる。 いうまでもなくここでいう会計実務とは支配的な会計理論も含めていっているのでゐり、このように会計は、企業 の活動ないし状態に関するすべての要素が貨幣額によって測定可能でなければならず、かつ叉、配当、税金等のため 或る期間毎に損益を計算確定しなければならないという現実的な要請に基づいて、以上のような非現実的な諸仮定の 下に、財務諸表が企業活動のすべてを反映しなければならないという目的から著しく隔った伝統的、かっ便宜的方法 に依拠していると考えられる。 それでは会計が結果的にみて何故に、自己の目的とする経営成績ならぴ財政状態の表示を充分になし得ない便宜的 方法に依拠したことになってしまうのか、という問題について考察しよう。 会計が貨幣単位を公準にするということは会計が取扱う企業の取引をすべて同質的にし、 そこから得られる同質的 資料によって企業の経営成績および財政状態の表示を可能にするために、貨幣を手段として使用することが最も合目的的だからである。しかしここで目的は財物あるいは用役の価値をあらわすことであり、貨幣によってそれをあらわす ということはあくまでその手段、すなわち r、価値の指標として用いられるにすぎないのである。したがって、 その目 的を達成するための手段としてとられた貨幣額が合目的的でなくなった場合にはその貨幣額は放棄されなければなら ないのである。すなわち貨幣額で表示された資料はその根本である財物ないし用役と不離一体の関係にあるべきであ り、その関係が保持できなくなった場合は、貨幣額で表示された資料(原価) に代って常に価値が拾頭してこなけれ ばならないということになる。 ﹃未配分の原価﹄すなわち、歴史的原価のうちでいまだ損益計算上の 費用とされない部分によって当期の状態を示すべきだと主張している。これは、実際に行なわれていることを合理化 いわゆる動態論が﹁貸借対照表上の資産は、 しようとするものだと言うことができる。ただし二つの目的、すなわち未配分の原価を示すことと、市場価値によっ て当期の状態を示すということは、原価と価値とが一致する場合にのみ、現行の方法で果たすことができるにすぎな い。未配分の﹃歴史的﹄原価が、利潤を算定するために控除されるべき原価として適当なものかどうかという・問題 は、いまだ解決されていない
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。﹂といわれるのも、価値を表象すべき貨幣額が既にその機能を失なっていることが あるにもかかわらず、その貨幣額を固執するからに他ならない。 しからば、貨幣額で通常あらわされている財物ないし用役の価値とは、 一体どのようなものであろうか。 ﹁価値﹂という語が、英国の法律の中では二十七の異なった意味に用いられているω
、 議は難しいものである。 といわれるくらい価値の定 企業の価値が単なる資産の原価総計でもなければその取替原価ならびに処分価値でもないことは既に論ぜられてい る と こ ろ で あ る 。 企 業 の 価 値 は か か る い い ん げ か け Q 虻患の合計額ではなく、企業の全体としての収益稼得力であ る 。 七 五七 六 それは次のようにあらわされる刷。 説明を単純にするために利率が不変であると想定すると、企業の価値は利益を仏、白、白、白::::・白、残余財産 の処分価格を
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、利本をZ%
で表すと 開 H・
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とすると、第一年初の価値はS
であり、第二年の初の価値はド・ o N ω で あ る 。 この両価値の減算によって得たる利益は(資本の増加及減少を度外視して)次の知くなる。 ω N r o N ω l ω H l l H O O 両財産の差は一年分の財産の利子をなすのである。 このような方法で企業の価値が測定し得れば、真の意味における企業の経営成績と財政状態(むしろ価値)が、同 時に、有機的に、表示され得ることになる。 シ ュ マ l レンバッハはこのような方法で利益が計算されないことは事更に説明を要しない仰といもている。しかし このような方法で利益が計算されないというのは、ここでいう財産が明らかにいかゆるぎ底のみを想定しており、更に現行の会計実務における利益計算方法によっては計算できないということだけであ っ て 、 そ れならば それで至 極 当然のことといえる。 しかし、わたくしはここで財産 の 意義を拡大して、 単 なるいわゆる資 産 に と ど め ず 、 さ らに、会計実務(支配的な 会計理論も含め V における非論理的な面を解消せしめ、価値計算により利益計算を妥当化せしめようと思考するもの で あ る 。 ここでは企業の価値は将来の利益をその時の利率で割引いた現在価値であり、利益は二期聞における価ぽ、 の差額で あるということを指摘したにすぎない。 それでは、利率はともかくとして、その前提となっている将来の利益はどのように算出されるかについて 考 察 す
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利益はいぶ臥ム啓言、のみならず、経営組織、経営者及び従業員等の経営要素と景気、季節ならびに流行 等 の 外部要 素によって生み出されるものである。 利益計算等における経営要素として資産のみならず経営組織、人的要 素等 を挙げたのは、ま さ しく企業利 益がこれら によって大きく影響されるから で あ る 。 いま、仮りに製品を製造して販 売する ことを目的とす る 企業を例に と る と 、 いかなる製品をつくるか、その製品をつくるのにいかなる機械と材料を購入するか、つくった製品をいかに販 売する か等々の意思決定は経営者によってなされるのであり、機械及ぴ材料の購入、製品の製造ならびにその販売 等の実際 面は、経営者をも含めた従業員、経営組織その他の経営要素によってな さ れ、又、製品の 製造は 材料および機械 の潜 在的用役供与力によって大きく 影響 されるのであ る 。 歴史的原価主義会計では単に材料、機械、経営者および従業員ならびに経営組織等 への実際 支出額しか考 慮に入れ 七 七七 八 られず、利益との関係における把握はなされていない。 歴史的原価とは単に需要者、供給者双方の契約に基く資産の取引額であるにすぎず、その契約が合理的になされた 場合は、勿論その時点におけるそのものの価値の指標たり得るが、契約は必ずしも合理的な場合のみならず非合理的 な場合色あり、叉取引の時点では価値の指標となり得た取引額でも物価変動、貨幣価値変動によりその指面慌たり得な くなってくることが屡々ある。かかる場合には歴史的原価主義会計では、利益への貢献度という観点から資産の価値 が把握され得ないことになる。 さすねば資産の価値は如何に把握すればよいのであろうか。企業の価値は将来の利益の現在割引価艦であるが、利 益は経営的、経営外的要素の総合的所産であるから、これらを分離して資産だけの価値を測定することは現在の段階 では困難である。ところが常に、その時々の取替原価が得られ、しかもそれは合理的な取引額と看倣され得るから、 それを利益の現在割引価値の近似値として、資産価値の指標たり得るものと考えることができる。 次に、歴史的原価主義と強力に結びついて現代会計理論の中核をなしている実現主義によっても企業資産の価艦表 示、ならびにそれから得られる真実の意味における利益計算がなされ得ないことになることはいうまでもないであろ う。このことについては米国公認会計士協会の企業所得研究会の報告書においても﹁理論的には発生主義也方が優れ ているかもしれないが、実現性の公準の方が比較的確実であり、また便宜であるとの理由から認められているのであ る
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。﹂と述べられているように実現主義は比較的確実、便宜的でもあるという理由から認められているにすぎず、 価値表示に基く利益計算からは発生主義がとられなければならない。したがって、製品にしろ、製造過程中の仕掛品 にしろ、その利益獲得への貢献度合を考慮に入れた発生主載によって、価値表示ならびに利益計算がなされなければ な ら な い こ と に な る 。さらに、利益との関連においては、単に、資産の価値のみならず そ の 他の経営要素の価 値 をも測定しなけれ ば なら ない。すなわち、かかる経営要素が実際支出額以上 に 価値をもってい る も の とすれば、歴史的 原 価主義会 計で は 認 織 し得ない価値を認織し、測定しなければならないこ と になる。例えば優 秀 な経営者または従 業員 を採用した 場 合、こ れらの人的要素が、将来当該企業にその支出額以上の収益をもたらすものであれば、すな わち 、 その分だけ価 値 が あ るとすれば、それは認識、測定されなければならない。 原価主議会計では、これら人的 要 素 に 契 約 金 、 そ の 他これに類す る も の が 与えられた 場合に のみ価値が 生 じ る こ と になる。しかし、契約金供与の有 無 、その額の大小は、その時におけ る 企 業 対被雇用者 閣の力関 係、慣習 そ の 他 に よ その供与額がその者の価値の目 安 になることがあったとしても 、 それはまれであろう 。 っ て 決 る も の で あ り 、 経営組織にしても優れた組織を 設 定 す る に は 、 それだけ支出を要するし、また、相当の支出をしても非能 率 的 な組 織しか設定し得ないこともあろう。したがってこれらはすべて支出したから価値があるのではなくして 、 利益獲得 へ の貢献度合によって価値が測定 さ れなければならな い の で あ る 。 最後に外部 要 素について述べ る と、シュマ
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レ ン バ ッ ハは利益に 与え る 外 部 的 影 響 与 、 という断り書巻付した上で、次の 如 く分類してい る 刷 。 ﹁ 論理 的分類を断 念して ﹂ 一、景気の影響ミ~ ~
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-旬 、 且 @ 吋 M M 向 二、季節の影響 三、流行の影響 四、機構の影響 切 な 、 ミ ﹄ ﹃ 同 相 官 ﹃ 悶 札 一 芯 ﹂ 司 ﹄ と 的 M m w これらの関速について﹁この四個の外部影響は そ の 経 営への作用に 於 ては全く単独に害 す る ものではな い。例え ば 'じ 九八
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景気は季節品に作用して季節の頂点を引上げ、季節の前後を長からしめ、時には之を抑圧する事さえある。季節品に 特に作用する処の流行の影響も同様に自分で独り歩きは出来ない。普通には新しい流行は新しい季節と共に起り、共 に生棲するのであるが、市も尚双方若干の特殊性がある。経済の機構変化又は個々の業界の機構の変化は殆ど常に先 ず鼠気の外貌を以って起り、高度に景気に作用する。今起ったのは嫌気の変動であったか又は機構の変化であった か、後になっても永く判らない事は麗々ある。之にも抱らず之等二個の現象には著しく異なった作用が問題となる 側。﹂と説明している。 さらに、外部影響による利益の経営利益からの計算区分を重視して﹁経営経済学は長い間には経営に及す之等の総 ての影響を精密に分折する役目を看過しなくなるであろう。文会計学の理論に於ても経営利益を外部影響から定めら れる利益とは別に計算する事並にこの使命の為に理論的研究を進める事に一一層価値を置く事になるであろうω
。﹂と 述べており、明らかに利益に対する経営外部的影響を認め、それの区分測定を提唱している。しかし、ここでは事後 的測定が問題となっており、利益還元価値という観点から事前的測定が問題となるという点が異なっている。 これらの測定方法はこの論文の目的ではないし、漸次、数学、統計学その他基本的な測定技術の導入によって解明 さ れ て い く で あ ろ う 。 以上のわたくしの理論体系によれば、これまで歴史的原価主義会計によって先験的に予測し得なかった、且つ叉事 後的にも論理的に説明し得なかった、いわゆる原価主義の外作除普智l
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固定資産の再評価、後入先出法、減耗損や陳 質化による評価損の計上、低下主義における評価損の計上、保有利得の計土、保険差益の計上、無償取得資産め計 上、自家暖簾の計上、工事進行基準、T
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・プリンスの所説仰││等々が充分に理論的に説明され得るし、叉これ に類する事象が先験的に予測され得ることになる。かかるいわゆる例外的事象は歴史的原価主義会計の例外ではなくして、いま、仮りに歴史的原価と利益還元価値ぞ 両極端においた時、骨骨貯 F R
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、 い 、 丸 ふ 。 過的項目を訂正勘定なりとするものである。かくの知きはコペルニクスが苦しまぎれに用いたであろう処の論法であ い ま や 、 シ ュ マl
レンバッハのいった﹁最も幼稚な考え方は先づ貸借対照表を財産貸借対照表なりとし、市る後 一 経 る。寧ろ斯く言った方がよいであろう。地球は丸いのでなく平である。併しこの平面に於て総ての直線は修正して考 えられるのである。その直線は均等に曲げられであって両端が触れ合うのである倒。﹂という名言は歴史的原価主義 と実現主義によって支えられ、そして理論的に説明のなし得ない多数のいわゆる例外的 事象の生 じている今日支配的 な会計理論に向けられることにな ろ う 。 ( 1 ) 同 ・ 。 ・ N 引 昏 竜 一 号b h
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治 色 、 、 ・ q -w 伏見 v 藤森訳﹁意思決定と利潤計算﹂四J
五 頁 ( 2 ) 句 史 、 3 M V・
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六頁 ( 3 )L 5 . h
同 ・ ぃ 礼 v e h w 邦訳七頁n
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貸借対照表論﹄八五J
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八六頁 動 的 ( 4 ) 邦訳七頁 ( 5 ) 邦 訳 一o
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一 頁 ( 6 ) 工・シュマl
レンバッハ著 土岐政蔵訳﹁第七版 i¥ノ1
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( 7 ) 同 -M w h hな さ
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宮 町 、 町 、 。 k y R H ・ 邦訳八六頁( 8
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の企業所得研究会の報告書( 9
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渡辺進、上村久雄訳﹁企業所得の研究﹂八O
頁 邦訳三五六頁 同 ・ 停 を さ な お 宮 町 、 町 、 色 、 . 町 民 同 ・( m )
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邦訳三五六頁 ( 立 ) L ﹃ ﹄v m a
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同 ・ 却 与 さ ﹄ 室 町 ぬ 円 除 名 ・ 同 町 H ・ 邦訳一三六頁現実における会計への要請
現実には、会計に負わされた学問的使命とでもいう努力(費用) と成果(収益) の測定可能性の問題ならびにその 差額である利益の配当・課税可能性等の社会的要請からくる制約がある。 先ず初めに、測定可能性の問題に関して述べると、測定可能性とは、結局、対象の測定に当り、主観的、怒意的で あってはならず、客観的にそれの遂行がなされなければならないということに他ならない。 客観的というのは、人それぞれの主観が同一結論に到達する、あるいはそこへ極く接近するということ、すなわち、社会的同意である。社会的同意である以上、すべての面で、結論が完全に一致するということは望み得ず、 その近似 値、あるいは大多数による同意ということに忽る。かかる社会的同意は測定技術の進歩と共に歴史的に変化していく ・ものであり、したがって、このように変佑していくものに会計の理論が全面的に左右されるべきでなく、単なる会計 における'制約とみなさなければならない。そしてかかる制約は会計学のみならず他の関連諸科学における研究成果に よって次第に解決され、会計の目標へ一歩一歩近づくこととなろう。 次に、配当・課税の問題としては、配当金(株式配当を除く) および税金は、実際に、現金による支出がなされな ければならないということである。したがってその対象となる利益も既に、現金あるいは現金等価物に化していなけ ればならない。かかる社会的要請を満足せしめねばならない利益金額は、前述の会計の目的としての利益還元価値に 基づく利益とは、その範囲、概念が異なるのは当然であろう。そしてかかる差異が、 そのまま外部に報告される財務 諸表によって公表され、説明されれば、会計の目的および役割がともに、充分に果されることになるであろう。 の面だけを目標利益に近づけておき、成果(収益)は現金化という観点かち別の エ ド ワ
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ズとペルも﹁物価水準が上昇し、税金が貨 ただ、ここで、企業努力(費用) 概念を構成せしめるということには社会的な問題がある。この点、 幣利潤に基づいて課せられるとすれば、実質税率は現行の税率よりもずっと高いことになる。 その他の納税 者 が貨幣 所得を標準にして課税しているのに、企業についての税率が実質利潤にもとづいて課税されるべきであるかどうかは 議論の余地があるω
。﹂と指摘している。しかし、かかる問題は、会計理論とは別個の企業維持という観点からの政 策の問題である。そこにおいては保守主識の原則、実現主義の原則や企業有利の原則(かかる原則は害在していない が)等が大いにその勢力を主張するところとなろう。 /又i¥. 図 ( l ) 同 ・ 。 ・ 同 札 ミ ミ 号 b s h崎 、 ・ モ ・ 凶 崎 町
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邦訳二三五頁四
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と 以上わたくしは、会計学における原価、価値論争に関する歴史的経緯に端を発し、今日支配的とみなされる歴史的 原価主義会計の理論的欠陥を究明し、それに代り得る会計理論の解明を読みた。もちろん、会計の目的という観点か ら、企業の利益還元価値に基づいて企業の経営成績と財政状態を表示しようとしたのは、会計の目標というか、理論 的極限を探究するための考察であった。しかるに現実においては種々の社会的要請や会計学という社会科学に特有の 実行可能性に関する制限というものがある。しかし会計学が実行可能性・社会的要請云々ということで、ただ現実に 容在するものだけを体系的に説明しようとしても、そこには、必然的に、理論的に説明し得ないものが生ずることに な る 。 したがって、学問的体系としては、理論的極限を設定して、これによってすべてを説明し、かっ、先験的に思考す ると共に、現実的要請の問題を考慮に入れた研究をなし、学問としての役割を果さなければならない。 このように理論的究極を設定し得たとしても、現実的要請が大きな作用を及ぼす会計は、その目的である経営成績 と財政状態の測定において、原価と価値の闘を原価から価値の方へ近づきながらも結局、価値へ到達し得ないものと な ろ う 。 黒 沢 教 授 が 会 計 学 は 、 ﹁ 認 識 論 的 ニ 元 主 義 ( 旬 、 主R s
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なさを許容せざるを得ないω
﹂といっているのは、この点を指しているのであろうと思われる。