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日中漢字語彙の類似性について
― 音韻的類似度を中心に ―
魏
娜
筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程 要旨 本研究では,日中漢字語彙の音韻的類似度について検討する。『日本語能力試験出題基準(改 訂版)』(国際交流基金,2006)にある 1 級及び 2 級の 2 字漢字語彙(音読み語のみ)を抽出 し,使用頻度で低頻度語,中頻度語,高頻度語に分けた。さらに高頻度語から 110 語を選び 出し,中国語を母語とする日本語学習者を対象に,日中漢字語彙の音韻的類似度の調査を行 った。本研究ではその結果を報告する。 キーワード 日中漢字語彙,音韻的類似度,日本語能力試験,中国語を母語とする日本語学習者 1. 研究背景及び目的 日本語と中国語ではともに漢字語彙が使用されており,表記と意味で共通する部分が多い と認識されている。大河内(1992)は日本語と中国語において,借用関係や字体を問わず, 同じ形である 2 字以上の漢語を日中同形語としている。日中同形語の量について,松下(2011) では,2 種類のコーパス(書籍・雑誌)1)に基づいた 2 つの語彙リストの自立語上位 5000 語 の中に占める漢語の数,及び日中同形語の数を調べた。その結果,漢語は書籍の語彙の上位 5000 語では 5 割以上、雑誌語彙の上位 5000 語では 4 割以上の異なり語数を占めており,し かもいずれのリストにおいても同形語が漢語の 8 割から 9 割,上位 5000 語全体の 3 割から 4 割以上を占めていることがわかったという。また同形漢語は特に上位 2000 語においては漢語 の 9 割以上を占めるが,その割合は 5000 語レベルにいたるまで少しずつではあるが下がって いくこともわかった。陳(2002)は,現代中国語と対応のある漢字語 4353 語のうち,70%以 上が日中言語間で表記の共通した同形語であると指摘した。 従来,言語学及び日本語教育の分野において,日中漢字語彙の意味的類似性に関する研究 が多くされてきた(文化庁,1978;大河内 1992;陳,2009;加藤,2005 など)。しかし一方, 日中漢字語彙を音韻的な面から比較分析した研究は管見の限り決して多くない。 日本語の漢字の音読みは中国を起源とする読み方で,借入の時代によって呉音,漢音,唐 音などと呼ばれる読み方がある。両言語間では音韻体系が異なるため,発音が完全に一致す るわけではないが,よく似ている発音は存在する。例えば,「愛」は中国語で/ai/と読み,日 本語とほぼ同じであり,「夫婦」は中国語で/fufu/と読み,日本語の発音とよく似ている。一 方,ほとんど似ていない発音の漢字語彙も数多く存在している。例えば,「経済」は中国語で 発音すると/jingji/になり,日本語の発音との差がかなり大きい。 そこで本研究では,日本語教育の観点から,中国語を母語とする日本語学習者(以下,CNS) を対象に,日本語を聞く際に心理的にどれほど中国語の発音と似ていると感じるかを語彙の 「音韻的類似度」と定め,それについて調査を行った結果について報告する。 2. 先行研究 日本語と中国語それぞれに使われる漢字語彙の発音の類似度について言及した数少ない先 行研究として茅本(1995)が挙げられる。 茅本(1995)は,日本の旧教育漢字 996 字の持っている日中両言語での読み(日本語は音 読みのみ)がどれぐらい心理言語学的に似ているかを数値化するという目的で,中国語母語 話者の大学院生と研究生計 11 名を対象に,調査を行った。ただし,1 字に複数の音読みや中 国語音があるものは,1 つの漢字で括れないため,それらの音をすべてかけ合わせてペアを- 63 - 作った。このようにして,比較したペアの総数は 1107 になった。調査方法としては,漢字を 呈示せずに,その漢字の日本語音をカタカナで,中国語音をピンイン文字で表記して提示し た。「全く似ていない」から「よく似ている」まで 7 段階の基準を設け,当てはまるところに ○をつけるよう指示した(図 1)。図で示すように,「想」という漢字の日本の音読み「ソウ」 と中国語音/xiang/を比べた。「3」という数字は中国語音の声調を表す。調査内容は評定用の 冊子を作成して,協力者に配り,1 週間から 4 週間の時間をかけて,回収したという。 ※上記は茅本(1995)に基づいて,筆者がイメージ化したものである。 図 1 漢字「想」の日中音韻的類似度の判断の調査 その結果,全体の評定の平均は 2.38(SD:1.32)であり,全体では似ていないとされたも のが多かったが,数は少ないものの,よく似ているとされた音も存在したと報告されている。
例えば,「因」(「イン」-/yin1/,平均 6.91),「医」(「イ」-/yi1/,平均 6.91),他(「タ」-/ta1/,
平均 6.73)などのペアがある一方,「楽」(「ガク」-/yue4/,平均 1.00),「石」(「コク」-/shi2/, 平均 1.00),「興」(「キョウ」-/xing1/,平均 1.00)など計 55 ペアは音が全く似ていないと 判定されたという。また,日本語音にないそり舌音(例:「シ」-/shi1/)や有気音/無気音 (例:「タイ」-/dai1/)は,その対応する日本語音と似ているとする人とそうではないとす る人がいて,意見が分かれたが,唇歯音と両唇音(例:「フウ」-/fu1/)は非常に似ている とされたと述べている。 その後,松下(2009)は茅本(1995)の結果に基づき,国立国語研究所(2006)における 頻度上位 5000 語以内の日中同形漢語の音韻的類似度を評定した。具体的な評定方法としては, 茅本(1995)の単漢字の音読み類似度調査の指標を基準に,各単語につき,漢字語彙の前項 と後項の評点を合算したうえで表 1 のように音韻的類似度の平均評定値を算出した。例えば, 「夫婦」の場合,茅本(1995)を基に,単漢字「夫」と「婦」の音韻的類似度がそれぞれ 6.82, 6.45 であるため,両者の平均値を 6.64 と算出し,「夫婦」という語彙の音韻的類似度とした。 ※上記はデータベースの一部である 表 1 日中対照漢語データベース(松下,2009) しかし,茅本(1995)の調査については,①字レベルで調査が行われたため,語彙レベルで の日中漢字語彙の音韻の類似度に汎用することができるかどうか不明である,②カタカナ表 記された日本語音とピンイン表記された中国語音は実際の聴解場面での音声とは異なる可能
- 64 - 性がある,③被調査者の数が少ない,④評定内容が多すぎるため,被調査者への負担が大き く,調査結果の信頼性に影響を与える可能性がある,などの問題点が考えられる。松下(2009a) は茅本(1995)の結果に基づき,語単位で音韻的類似度を算出したが,茅本(1995)と同じ ように,実際に漢字語彙の音声を聞いて判定したのではないため,その妥当性を再検討する 必要があると思われる。 3. 調査概要 3.1. 調査目的 本研究では,音声を用いて,使用頻度の高い 2 字漢字語彙(音読み語のみ)の音韻につい て,CNS の心理的類似度を調査する。具体的には,以下の 2 点について検討する 1)抽出した 2 字漢字語彙の日中音韻的類似度を求め,1 級語彙と 2 級語彙それぞれにおい てどのような結果になったかを調べる。 2)音韻的類似度の評定は CNS の日本語のレベルによって異なるかを検討する 3.2. 調査用語彙 『日本語能力試験出題基準(改訂版)』(国際交流基金,2006)に掲載されている 1 級・2 級の 2 字漢字語彙(音読み語のみ),計 3129 語を選び出し,天野・近藤(2000)に基づき, 使用頻度の降順でソートした。日本語のみに存在する漢字語彙を除いて,1 級,2 級それぞれ において,使用頻度の高いものから 30 語ずつ,計 60 語抽出した。また,魏娜(2015)2)の 調査で使用された 50 語を含め,計 110 語を音韻的類似度調査の対象語とした。110 語の中に, 1 級語彙と 2 級語彙はそれぞれ 55 語あった。 3.3. 調査手順 都内のある日本語学校に在籍している CNS 計 40 名を調査協力者とした。40 名中,大学院 進学希望の学生が 23 名,日本語レベルは N2 以上であった。17 名が学部に進学する希望の学 生で,日本語のレベルは N3 以上,N2 未満であった。調査が始まる前に,協力者全員に調査 協力の承諾書を配布し,サインしてもらった。 調査語 110 語を事前に日本語母語話者と中国語母語話者が録音した。調査の流れは図 2 の ように示される。図 2 の時間軸の上は,協力者に要求される行動,下は音声の呈示方法をイ メージしたものである。1 つの漢字語彙をまず日本語で 1 回読み上げ,協力者はそれを聞い て,既知語であるかどうかを判断する。既知語であれば,解答欄にチェックを入れる。判断 するための時間は 3 秒と設定した。その次に,当該語彙を日本語と中国語で 1 回ずつ読み上 げ,その際に,音韻的に似ていると感じるかどうかを解答用紙にある 7 段階の尺度(1「全く 似ていない」から 7「とてもよく似ている」まで)で判断させ,記入させた(参考資料)。文 字情報の影響を避けるために,回答用紙には調査用語彙を文字で提示せず,音声のみを聞か せる。また,本問題が始まる前に,サンプル問題を 6 つ実施し,調査のやり方に慣れさせた。 図 2 音韻的類似度調査の流れ 4. 調査の結果及び考察 本節では,音韻的類似度調査の結果及び考察について述べる。4.1 節では,110 語に対する 評定をメインにし,分析を行う。具体的には,各語の評定平均値及び標準偏差を算出し,高 音韻的類似語と低音韻的類似語にはそれぞれどのような語があるのか,また,1 級語彙と 2
- 65 - 級語彙において,それぞれ音韻的類似度の高い語と低い語はどのようなものかを整理した。 4.2 節では,調査協力者の日本語レベルの差が漢字語彙の音韻的類似度の評定に影響するか を検討した。 4.1. 音韻的類似度の評定結果 全体的にみると,110 語の音韻的類似度の平均は 3.33,標準偏差は 0.781 であり,調査用 語彙の日本語音と中国語音は「あまり似ていない」と評定されたという傾向が示された。平 均値±標準偏差で 110 語を音韻的類似度の高低で分けた。音韻的類似度と語彙の日本語能力 試験の級との関係を見るために,図 3 を作成した。図 3 では,1 級と 2 級のそれぞれの語彙 における音韻的類似度の高,中,低の語の割合が示されている。全体的にみると、音韻的類 似度が高いと判定された語は 110 語中 17 語(15.5%),中程度の語は 42 語(38.2%),音韻 的類似度の低い語は 51 語(46.4%)であった。また,図 3 から分かるように,2 級に比べて, 1 級語彙の方が音韻的類似度が低く評定されたものが多かった。 図 3 調査用漢字語彙の音韻的類似度と日本語能力試験級との関係 1 級語彙の中で,音韻的類似度が高いと評定された語は「幹部」,「勤務」,「首脳」,「捜査」, 「法案」という 5 語であった。中程度の 19 語を以下に示す。 投資,官僚,開発,取材,当然,機構,野党,宣言,自己,保険,作戦,資金,導入, 体験,報道,内閣,与党,対抗,改革 音韻的類似度が低いと評定された 1 級語彙は以下の通り 31 語であった。 会談,会見,対応,演出,長官,確立,権限,支持,派遣,資格,比例,映像,協会, 交渉,発言,展示,事業,進出,政権,協議,政策,融資,合併,協調,破壊,警戒, 業者,措置,削減,転換,規制 一方,音韻的類似度が高いと評定された 2 級語彙は「用意」,「材料」,「内容」,「中心」,「年 度」,「発表」,「国民」,「一定」,「参加」,「政府」,「代表」,「調査」という 12 語であった。 音韻的類似度が中程度の 23 語を以下に示す。 延長,費用,首相,事件,工事,検討,制度,製造,相当,全国,反省,大会,批判, 一時,差別,企業,市場,合同,活用,国会,記事,精神,出発 音韻的類似度が低いと評定された 2 級語彙は以下の 20 語であった。
- 66 - 対象,低下,大半,構成,実施,活動,議員,集団,表情,影響,支配,方針,人事, 抵抗,情報,地域,対策,選挙,協力,共通 4.2. 音韻的類似度の評定と日本語レベルの関係 調査協力者の日本語のレベルと音韻的類似度の評定との比較分析を行った。協力者 40 名中, 日本語レベルが N2 以上の大学院進学希望の学生は 23 名(以下,日本語上位群)、日本語のレ ベルが N3 以上,N2 未満の学部進学希望の学生が 17 名(以下,日本語中位群)であった。音 韻的類似度の評定において,日本語上位群の平均値は 3.47,標準偏差が 0.082 であった。一 方,日本語中位群の評定平均値は 3.15 で,標準偏差が 0.072 であった。 110 語に対する音韻的類似度の評定に関して,日本語上位群と日本語中位群を変数とした 独立サンプル t 検定を行った結果,t=2.904,p=0.004,つまり,音韻的類似度の評定につい て,両グループの間に有意な差があることが分かった。 4.3. 考察 今回の調査で対象とした 110 語に関して,日本語レベルの高い CNS の方が語彙の音韻的類 似度を高く評価する傾向が見られた。その理由としては,日本語のレベルが高ければ高いほ ど,知っている漢字語彙の量が多く,語彙の意味用法の知識も身に付けているため,聞いた 語彙に対する親近感を持ち、日中音韻的類似度の評定においても高く評価したのではないか と推測される。このことと関連して,調査の後に「音声を聞くとき漢字を思い浮かべ,中国 語の漢字と同じだと,日本語の発音と中国語の発音が似ていなくても,似ていると感じるよ うになった」という意見が多く聞かれた。つまり,CNS が聞いた語彙の知識を持っている場 合,音声からその語彙の字形および字義も同時に思い浮かべ,日本語の字形と中国語の字形 が同じであると,音韻的にそれほど似ていなくても,心理的感覚として「似ている」と評定 しがちであると言えるのではないだろうか。 5. まとめ及び今後の課題 本研究では,『日本語能力試験出題基準(改訂版)』(国際交流基金,2006)に掲載されてい る 1 級,2 級の 2 字漢字語彙(音読み語のみ)から使用頻度の高い語(計 110 語)を抽出し, CNS による日中漢字語彙の音韻的類似度の調査を行った。その結果,調査対象語となった 110 語に関しては,1 級語彙に比べて,2 級語彙の方が音韻的類似度が高く評価される語が多いこ とが分かった。また、日本語レベルの高い CNS の方が語彙の音韻的類似度を高く評価する傾 向があることが分かった。 ここで得られた結果は中国での日本語教育,特に CNS の聴解力を向上させるための漢字語 彙教育において,学習の問題を解決する糸口を提供することが期待できる。しかし,現段階 の調査及び分析については,いくつか問題が残されている。 ①今回は調査用語彙の既知状況と音韻的類似度の評定との関係について検討できなかった。 調査では,最初に漢字語彙の日本語音を聞き,既知かどうかを判断するというステップを設 けたが,ターゲット語に同音語がある場合,既知語の判断が信頼できない場合がある。その ため,得られた既知語判断の結果を分析に入れることができなかった。今後,このような調 査では既知語判断と音韻的類似度の評定を分けて行う必要がある。 ②今回調査用語彙とした数の語だけでは不十分で,より多くの漢字語彙の日中音韻的類似 度を調べなければならないと思われる。また日本語レベルが音韻的類似度の評定に影響を及 ぼすという予測から,より客観的な評定を得るためには,調査協力者の質を変え,日本語の 学習経験のない人にも同じような調査を行う必要があると考えられる。 以上のような問題を改善し,更なる研究を行うことが今後の課題である。 注
1) 2 つのコーパス・語彙リストというのは、『日本語を読むための語彙データベース (Vocabulary database for reading Japanese)(松下,2011)と、国立国語研究所(2006)『現代雑誌 200 万字言語調査語彙表』公開版(ver.1.0)
- 67 - のことである。 2) 魏娜(2015)では,日中漢字語彙の意味的類似性に基づき,旧日本語能力試験 1 級及び 2 級の 2 字漢字語彙(音 読み語のみ)を整理し,6 類に分類した各類から 10 語(計 60 語)を抽出して調査を行った。本稿では「日本 語のみに存在する語」の類を除いた 50 語を音韻的類似度の調査対象語に取り入れた。 参考文献 1) 天野成昭・近藤公久(2000)『NTT データベースシリーズ日本語の語彙特性』7 三省堂 2) 大河内康憲(1992)「日本語と中国語の同形語」『日本語と中国語対照研究論文集』(下)pp.179-215, くろし お出版 3) 加藤稔人(2005)「中国語母語話者による日本語の漢語習得―多言語話者との習得過程の違い―」『日本語教育』 125, pp.96-105, 日本語教育学会 4) 茅本百合子(1995)「同一漢字における中国語音と日本語の音読みの類似度に関する調査」『広島大学 日本語 教育学科紀要』5, pp.67-75. 5) 魏娜(2015)「漢字語彙の懲戒テストによる調査及びその分析―中国語系学習者の聴解における漢字語彙処理 の研究―」『JSL 漢字学習研究会誌』7 号, pp.77-85, JSL 漢字学習研究会 6) 国際交流基金(2006)『日本語能力試験出題基準(改訂版)』凡人社 7) 文化庁(1978)『中国語と対応する漢語』大蔵省印刷局 8) 陳毓敏(2002)「日本語二字漢字語彙とそれに対応する中国語二字漢字語彙は同じか―台湾及び中国の中国語 との比較―」『言語文化と日本語教育』pp.40-53, お茶の水女子大学日本言語文化学研究会 9) 陳毓敏(2009)中国語母語学習者の日本語の漢字語習得研究のための新たな枠組みの提案―意味使用の一般性 と意味推測可能性を考慮して―」『日本語科学』25, pp.105-117, 国書刊行会 10) 松下達彦(2009)「マクロに見た常用漢字語の日中対照―頻度・形態・意味の一致とずれの分布―」2009 年 7 月 15 日 JSAA-ICJLE(@University of New South Wales)発表資料
11) 松下達彦(2011)「複数の語彙リストの比較による,日本語の常用語に含まれる日中同形漢語の量的検証―学 習開始時点で,受容的語彙知識は学習者の母語によりどのぐらい異なるか―」第三回北東アジア言語教育学 会, 発表スライド 関連ウェブサイト 1) 松下(2009)「日中対照語彙データベース」 http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/Kotoba_Sekai_Manabi.html (2016 年 8 月 23 日現在) (ぎ な)([email protected])
- 68 - 参考資料