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大乗荘厳経論の研究 -- 菩提品第三十八偈~第五十五偈を中心として --

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この小論は先に発表した﹁大乗荘厳経論の研究l菩 提品第一偶’第三十七偶を中心としてl﹂︵大谷大学研究年 報第三十二集、昭弱年︶の続篇である。従って大谷探検本 ︵1︶ ︵龍谷大学所蔵︶のA本、B本を逐次参照してテキスト校 訂を行いながら、﹁大乗荘厳経論﹂菩提品の思想を明ら かにしていこうと思うが、最近私はネパールのzpは○国巴 ︵o全︶ シHo宮ぐ。印より大乗荘厳経諭の貴重な写本︵z腰本と呼ぶこ とにする︶を手に入れることができたので、これも随時参 照することにする。

はじめに

大乗荘厳経論の研究

I菩提品第三十八偶’第五十五傷を中心としてI

|威力の弁別について

︵3︶ 無漏界甚深に続いて﹁威力の弁別﹂︵ag員ぐ騨くぎ目盟︶ に関する十一偶が説かれる。 ︵4︶ ﹁声聞たちの威力によって、世間的なもののそれ ︵威力︶は打勝たれ、独覚地︹に属する威力︺によ って、声聞のそれ︹威力︺は打勝たれ﹂︵第三十八偶︶ ︵5︶ ﹁それ︹独覚の威力︺は菩薩の威力の一部分にも達 しないし、それ︹菩薩の威力︺は如来の威力の一部 分にも達しない﹂︵第三十九偶︶ ︵6︶ この二偶は安慧釈によれば、﹁無漏界における威力の 最勝なることの殊別によって、諸佛の威力の殊勝なるこ とを示す﹂ものといわれる。すなわち、

橋尚哉

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︵7︶ ﹁声聞の福智の資糧と神通とによって、世間の福智 の資糧と仙人の神通等の威力は打勝たれ﹂

︵8︶*

﹁独覚地の福智の資糧と神通等の功徳によって声聞 の威力は打勝たれ﹂

︵9︶︵、︶

﹁菩薩の福智の資糧と神通等の功徳に関して、独覚 の功徳は百分の一、千分の一、一億分の一にも達し ないし﹂ ︵皿︶ ﹁如来の福智の資糧と神通と︹十︺力と︹四︺無所 .︵、︶ 畏等の功徳に関して、菩薩の威力と功徳は百分の一、 千分の一、一億分の一にも達しない﹂ といって、如来︵諸佛︶の威力の殊勝なることを説いて いる。 この第三十八個。の冒四qの菌g目房冒冒日P口農は、 ︵吃︶︵喝︶ 勿論、の.原昌や長尾博士の訂正の如く、目色耳①唇︲ g目冨ず9画目。ppと訂正すべきである。大谷探検本A 本︵$煙菖.cも、B本︵虐四急.gも胃酋qの暦冒呂冨︲ 巨国ロ日①ごゅと読んでいるし、z腰本も胃色葛①富g8g︲ ず冨口目①口四s3息.eと読んでいる。なお安慧釈ではこ ︵魁︶ の第三十九偶の註釈の直後に﹁十地︹経︺中にも﹂とあ り、十地経が引用されているが、このことについては、 ︵巧︶ すでに西尾京雄教授の指摘がある。 ︵略︶ 次に種類の差別︵冒騨圃国冒騨g①烏様態の差別︶と、甚 深という特性とによって、諸佛の威力が如何に無量であ るか、如何に不可思議であるかが説かれる。 ︵〃︶ ﹁佛の威力は無量であり、不可思議であるといわれ る。何人に対しても、何処にても、如何様にも、ど れだけ︹の範囲︺でも、何時にても、はたらく﹂︵第 四十偶︶ ﹁何人に対しても﹂について安慧釈は、 ︵肥︶ ﹁人の為めに、はたらくことも無量にして、不可思 議であり、一人二人の為めに行じないで無量の衆生 の為めに、はたらく故に﹂ と内容をわかりやすく説明している。 以下の八偶︵第四十一偶’第四十八偶︶は同じく佛の威力 に関するものであるが、転依の差別によって威力の差別 を説いている。まず初めに五根の差別について、 ︵心︶ ﹁五根の転依においては、一切のものの、一切の境 に対する活動︵冑甚︶において、また、千二百の功徳 の生ずるにおいて、最勝の威力が得られる﹂︵第四十 一偶︶ ︵”︶ と説かれる。﹁五根が転依して清浄となるとき、威力の 最勝は二種の最勝を得る﹂といわれる。すなわち、一つ 、 『 ー d、

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︵別︶ には﹁一切のものの、一切の境に対する活動﹂であり、 ︵理︶ 二つには﹁千二百の功徳の生ずること﹂である。前者の .切のものの、一切の境に対する活動﹂とは、世親釈 ︵鰯︶ によれば、﹁一切の五根の一切の五境に対する活動﹂で ︵鰹︶ あるといわれ、安慧釈によれば、﹁清浄となれるとき、 ある眼根によって色を見ることが出来、声を聞き、触せ ︵”︶ らるぺきものを知ることが出来るに至る迄、余の根のす はたらき べての作用︵冨儲日妙昌︶は為され得る﹂とあるように、す ︵坊︶ なわち、未転依の時には、眼根は色境のみに向って活動 し、身根は触境のみに向って活動するが$転依した場合 には、眼根のみによってあらゆる対象を知覚するという 意味である。 また﹁千二百の功徳を生ずる﹂ということは、安慧釈 ︵幻︶ に﹁聖陀羅尼大自在王︹経︺と妙法蓮華︹経︺などの経典 ︵犯︶ に出ている﹂とあるように、法華経の法師功徳品に﹁八 百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千 二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を 得琴へし﹂と出ている記述と関連することが知られるが、 ︵”︶ これについても、すでに西尾京雄教授の指摘がある。 ︵卯︶ 唯識では色とか触とかという外境がありえないのに、 どうして五根の転依が成り立つのかという徴難を予想し て安慧釈では、唯識二十論の第九偶を引用して、 ︵別︶ ﹁或る自らの種子より、或る顕現有る了別が起ると き、彼︹種子と顕現との︺二は、彼︹了別︺の二種 の処性なりと牟尼は説けり﹂︵唯識二十論第九偶︶ ︵犯︶ といい、その直後に﹁阿頼耶識の中に所取と能取との習 気と種子があって、眼識より意識に至る迄六識が生起す るときには、内の六処を説く、それらの識の中で、眼識 の中に色としての顕現が生起する、乃至、意識より法と しての顕現が生起するは、外の︹六︺処として説かれる﹂ といって、唯識においても内、外の処という区別がある ことを説いている。

︵弱︶︵鋼︶

第四十一偶の直前の目色邑○ぐ門甚gの号国璽は長尾博士が チベット訳によって訂正された如く冨国員#号胃号ロ、の 方がよい。大谷探検本にはA本︵題画息.eもB本倉与蔦. 巴もともに恩団員#ず胃号]国となっているし、z陰本 も己騨団員#ご弓&①ご画︵鵠豆﹄巴となっている。 次の第四十二偶、第四十三偶、第四十四偶の三偶は互 いに関連をもっている。初めに第四十二偶は﹁意の転依﹂ について説いている。 ︵妬︶ ﹁意の転依においても、威力と相応してはたらく、 非常に無垢なる無分別智において最勝なる威力が得

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られる﹂︵第四十二偶︶ ︵妬︶ 安慧釈によれば﹁意︹根︺というのは染汚の意のこと﹂ ︵師︶ であり、﹁染汚の意が転依しないとき、我見、我愛、我 慢、我凝等の四随煩悩と相応して﹂いるが、転依した状 ︵詔︶ 態について世親の長行には、﹁意の転依において、威力 に相応してはたらく非常に清浄なる無分別智において、 最勝なる威力が得られる﹂と説かれている。 次の第四十三偶は﹁執受すなわち五識身の転依﹂を説 いている。

︵調︶︵知︶

﹁境とともなる執受︵且噴色盲︶の転依において→実 に欲するままに受用を示現するために、国土の清浄 に関して、最勝の威力が得られる﹂︵第四十三偶︶ ︵狸︶ 世親の長行には、﹁﹃境の転依﹄と﹃執受の転依﹄とに おいて国土清浄に関して最勝の威力が得られる﹂とあり、 ︵鑓︶ 安慧釈にはそれを更に説明して、﹁境の声は色より法に 至る迄の六境をいう。執受の声は眼識より身識に至る迄 の五識身をいう﹂とあるように、執受すなわち五識身の 転依は国土清浄と関連して説かれている。 次の第四十四偶は﹁分別すなわち意識の転依﹂につい て説いている。 ︵銅︶ ﹁分別の転依において、常時に、一切の智慧と業と の無障擬に関して、最勝の威力が得られる﹂︵第四十 四偶︶

︵姓︶︵緬︶

安慧釈によれば﹁分別の声は意識をいう﹂とあり、﹁転 依するときは二種の最勝の威力を得るという意である﹂ ︵妬︶ といわれる。二種の威力について安慧釈には﹁二つの威 力とは⑪智慧が常に無障砺であることと、②す寺へての業 において常に無障礒であること﹂とあるように、二種の 威力とは智慧と業との威力のことである。続いて安慧釈 ︵釘︶ では、﹁その中、智慧の声は大円鏡智と平等智と成所作 智と妙観察智をいい、その智によってあるものは知られ、 あるものは知られないのではなく、すべてのものは知ら れる。ある時には知られ、ある時には知られないのでは なく、一切時に知られるとは、智が常に無障畷であると いわれる﹂と智について詳しく説かれている。 ︵蛆︶ また業についても安慧釈に﹁業の声は変化︹身︺の事 ︵伯︶ 業を為す﹂とあるように、﹁変化身のすべての業が常に 無碍であるということは、変化身とは釈尊のように、こ の世に現われて、衆生救済を行うことをいうから、その 働きがすべてにわたって常に無碍である﹂ことを説いて いる。 先にこの第四十二偶、第四十三偶、第四十四個の三偶 句 ワ D J

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は互いに関連をもって説かれていると述べたように、こ の三偶が説く﹁意︵目四目、︶と執受︵且瞥騨盲︶と分別︵員︲ ︵鋤︶ 園]恵︶﹂は、荘厳経諭求法品第四十偶でも説かれる三種 ︵副︶ 三種の顕現の、後半の四目画冨︲巨息四目である三種の顕 現と相応していることが知られる。そしてその三種の顕 現である﹁染汚の意﹂﹁五識身﹂﹁意識﹂がそれぞれ転 ︹求法品第四十偶︺一依処︵℃且四句︶ 唱豐菌]四屑騨3−対象︵胃昏四義︶ ︵所取の相︶| 戸身体︵号冒身︶ ︹転依︺︹求法品第四十五偶︺︵第四十六偶︶ ︽意︵日自騨の︶としての顕現l染汚の意11←無分別自在︵第八地︶

|︵無分別智における最勝の威力を得る︶意の転依︵菩提品第四十二偶︶

|︹菩提品第四十二偶︺

’︹転依︺

唱倒9百厘留冨へ執受︵鳥国目︶としての顕現I五識身l←国土自在︵第八地︶

︵弱︶ 三種三種の顕現 ︵求法品第四十偶︶ ︵能取の相︶

分別︵ぐ時巴冨︶としての顕現I意識l

︵智慧と業との無障凝における最勝の威力を得る︶ 執受︵目四四目︶としての顕現I五 ︵国土清浄における最勝の威力を得る︶

としての顕現I六根

。︽/一・J言需も↓、⋮︹転依︺

としての顕現I六境

としての顕現I器の如き阿頼耶識

求法品第四十偶並びに第四十四偶の安慧釈︵北京版麗甲甲印罷や甲巴 依して、﹁無分別清浄﹂﹁国土清浄﹂﹁智慧と業との無 障礪﹂の威力を得るといわれる。これを求法品第四十五 ︵犯︶ 偶の四自在と対比させると、﹁無分別自在﹂﹁国士自在﹂ と﹁智慧と業との自在﹂にそれぞれ相応し、これを図示 すれば次の如くなるかと思う。 ︹転依︺ 識11←智慧自在︵第九地︶ 第九地︶と業自在︵第十地︶ 意識の転依︵菩提品第四十四偶︶ 五識身の転依︵菩提品第四十三偶︶ 五根の転依︵菩提品第四十一偶︶

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次の第四十五偶は無住処浬藥を説く偶である。

︵認︶︵弱︶

﹁安住の転依において、無垢の立場において、諸佛 の無住処浬・葉という最勝の威力が得られる﹂︵第四十 五偶︶ ︵死︶ 安住︵冒昌粋園︶については安慧釈に﹁安住の声によっ て、阿頼耶識とその︹阿頼耶識︺を所縁としてはたらく 境界である器世間である大根本地をいう。阿頼耶識もま た、善不善の業の習気の依処であり、身と受用と処の如 くに、阿頼耶自体がかくの如く︹三つに︺顕現するから、 阿頼耶に安住するといわれる﹂と説明されている。 ︵師︶ 四十五偶⑥の煙。巴①は一応長尾博士の訂正により②自己の として読んだが、それでよいかどうかを検討してみよう。 ︵昭︶ 長尾博士も印F⑥急も注意されている如く、チベット訳 ︵的︶ はQ凰日&︵四日巳騨︶である。切凋o亘も閏ロ巴のと訂正し ︵印︶ ている。しかし漢訳の偶頌に﹁不動句﹂︵大正三一、六○ 五a︶とあり、長行にも﹁不動無漏法界﹂︵大正三一、六 ︵田︶ ○五a︶とあり、また安慧釈にも﹁諸佛の不動処﹂︵⑳自切 儲賜四m目煙目印院琶口昌唱o唱四印︶とあるところから、画8旨 ︵不動︶の可能性も出てくる。しかし大谷探検本を見る と、A本命害息.eもB本︵倫四蔦.巴もともに凹日巴①と あり、z睦本︵患い息.己も四目巴①となっているから、や はり長尾博士の訂正通り騨日畠①と解した方がよいであろ う。あるいは初めから写本に色目巴①と騨○巴のの二種が 混同されて伝えられていたのかもしれない。 次に婬欲︵旨昌昏ロロ沙︶の転依について次の如く説かれる。 ︵鯉︶ ﹁婬欲の転依において、佛の楽住に関してまた妻に 対する無染汚の見に関して、最勝の威力が得られ る﹂︵第四十六偶︶ ︵錨︶ 婬欲について安慧釈は﹁婬欲は身根の一部分であって、 女と男との二根が互いに結合するから婬欲といわれる。 この婬欲が転依する、すなわち非梵行の貧欲と離れると き、二種の最勝の威力を得るという意である﹂と説き、 そしてここでいう﹁二種の最勝の威力﹂について安慧釈 ︵“︶ は﹁仙佛の楽住において三昧の楽を得ることと、⑨妻に 対する無染汚の見において負欲を生じないこと﹂である と説明している。 ︵髄︶ 次の第四十七偶は﹁虚空の想の転依3働く#蔵︶﹂を説 く偶である。 ︵髄︶ ﹁虚空の想の転︹依︺において思惟せられた対象の ︵碗︶ 増長に関して、また去ることと、色を観察すること に関して最勝の威力が得られる﹂︵第四十七偶︶ ︵“︶ 虚空の想の転依において、二種の威力が得られるとい 39

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︵ぬ︶ われる。すなわち、﹁⑩虚空蔵の三昧を得ることと、② 欲するままに行くことができ、壁や山等が無碍となり、 またすべてに虚空のはたらきを思惟するとき、一切のも のは虚空の表面の如くなる﹂といわれる。虚空想とは安 ︵犯︶ 慧釈に﹁無碍なるところ、それは虚空の如しと分別する とき、有碍なるところ、それらは色であると分別するは 虚空想といわれる﹂と説明されている。 佛の威力を説く十一偶︵第三十八偶’第四十八偶︶の中、 第四十一偶以下の八偶︵第四十一偶’第四十八偶︶は﹁転依﹂ を説く偶であるが、最後の第四十八偶は、それらの﹁転 依﹂をまとめて次の如く説いている。 ︵別︶ ﹁以上の如く、無量の転依における無量の威力は、 諸佛の無垢の所依において、不可思議の所作を成ず ︵池︶ る︹からである︺と考えられたり﹂︵第四十八偶︶ ︵沼︶ 世親釈にはこれを説明して﹁そこ︵無量の転依︶にお いて、諸佛の無漏界における不可思議の所作を成ずる威 ︵澱︶ 力は無量である﹂と説き、安慧釈には﹁無量の転依によ って、転依より生じた威力と功徳も無量であるといわれ る。無量の威力の如く、その如く威力より生じた変化身 等は衆生の為めに佛の事業を成じても無辺、無量といわ れる﹂と説明されている。 次に﹁佛が衆生を成熟させる因﹂について七偶︵第四十 ︵方︶ 九偶’第五十五偶︶が説かれる。安慧釈によれば﹁先には 菩薩行に住する時、かくの如く衆生を成熟させることを 説く︲今は究寛なる佛地を得て衆生を如何にして成熟す るかを説く﹂とあるように、ここでは佛が佛地を得て後 の衆生を成熟させる因について説くのである。 ︵沼︶︵刃︶ ﹁善︹根︺を増長したる世人は清浄において最高に ︵帥︶ 進む、また善︹根︺を積まないで善︹根︺の増長に この第四十八偶。の四口届曾目圏はこのままでよいの かもしれないが、大谷探検本B本に四口目狸目目︵億四葛&︶ ︵乃︶ とあり、A本も閨︺息冒習呉目︶︵邑騨息.sとあり、z陸 本も四目届昏倒前︵目︶急ぎ息.巴とあるところから、pごロー “吾習目より画ロ馬昏倒目の方がよいのではないかと思う。 シラブルの点では問題ないし、文法的にもくぎ冒薗と性 数格を一致させたと考えれば普昌駕目目の方がよいと思 うが如何であろうか。御教示頂きたい。なおチ琴ヘット 訳でも﹁所作を成ずる無量の威力﹂と読んでいるから、 ⑳口屋ぃ目画口倒と読んだのであろう。 二二

その同じ佛が衆生を成熟

︵巧︶

させる因について

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おいて最高に進む。かくの如く世人はすべての方処 において、勝者の善説によって、未熟あるいは已熟 ︵肌︶︵躯︶ として進む。しかしながらこの世では常に進むが無 余にではない﹂︵第四十九偶︶ ﹁善︹根︺を増長したる世人﹂とは、安慧釈によれば、 ︵鯛︶ ﹁勝解行地や十地等の次第によって行ずるは、善を増長 する世人といわれる﹂と説かれ、また﹁最高に進む﹂と ︵盤︶ は﹁佛地としての無住処浬盤を得るは最勝の清浄に行く といわれる﹂と説明されている。善根を積んだものは最 ︵胡︶ 高に進むが、﹁善根を積まないものも善︹根︺の増長に ︵妬︶ おいて最高に進む﹂のである。すなわち、﹁未だ成熟し ていないものは、善︹根︺の増長において最高性に進み つつ、成熟に進む﹂のである。

四十九偶仙のぐ倒8は伊野﹄本に鼠と3との間に

口四が入っていないが、F⑪己自身の訂正︵仏訳輯鴎脚註︶ や長尾博士の訂正︵桝昌蔦.筐︶により、自画を挿入した方 ︵師︶ がよい。この偶は伊野﹂も指摘しているようにⅣシラブ ルの望合胃冒と一致するから、シラブルの上からいっ てもご沙が入らないと一シラブル不足する。大谷探検本 のA本︵き鱈︾ヘ.eやB本倉号畠&︶にも口四は入ってい るし、z降本︵畠︶息.心にも入っている。勿論団四噌巨 本念急菖.己にも入っている。そこで冒四⋮⋮鼠①3日﹂ であるが、﹁無余にではない﹂ということは、安慧釈に

︵船︶︵的︶

よれば﹁常に成熟を為し︹給う︺てもこの輪廻の住より 衆生をあまねく尽くしたものとはならない﹂と説明され ている。 ︵卯︶ ぐ国]四国四目冨昌もF小員自身の訂正︵仏訳恒路脚註︶や 長尾博士の訂正︵〆旨息.菌︶によって、ぐ国]胃︼目冨日と され、団侭。ご本︵や畠息.己︶もそれに従っている。こ の訂正は正しいと思うが、大谷探検本はA本復g息.]︶ もB本鱈号急.gも、それにz診本色曾息eもぐ国]煙目色︲ 制百日のままである。なおチミヘット訳は凋門○g叩、日旨 圃﹁進むことによって成熟に︹進む︺﹂と訳している。 ︵虹︶ 次に﹁衆生を成熟させる菩薩の成熟が希有なると希有 でないとの相を説く﹂という第五十偶が説かれる。 ︵”︶︵鮒︶ ﹁同様に、到達し難く、最高の功徳と相応する未曾 ︵“︶ 有を有する、常なる大菩提を、また帰依処なきもの にとって、恒常なる帰依処を、賢者は常に一切時に、 ︵卵︶ す零へての方処で得るということ、それは世間におい て希有である。︹しかし︺よく方軌によって行ずる のであるから、未曾有なことでもない﹂︵第五十偶︶

︵妬︶︵卯︶

﹁同様に︵菌芸巴﹂というのは安慧釈によれば一︲先の 11

(9)

所説をいう、先の所説の如く、かの菩提は得難い﹂とあ るように、﹁直前の第四十九偶の所説と同様に﹂の意で ある。そして続いて菩提品第一偶、第二偶︵a︲b︶が ︵兜︶ 引用されている。そのことについては、すでに述べたこ とがある。 ︵的︶ ﹁賢者食司﹃鯉︶は常に一切時に、す等へての方処で大菩 ︵伽︶ 提を得る﹂といわれ、安慧釈には﹁この得難い、大菩提 は賢者によって常に得られる、という意である。それ ︵大菩提︶が得られたとき、自利も円満となり、利他も 円満と為し給う﹂と説明されている。そしてその大菩提 を得るということは、﹁それは世間において希有なこと である﹂︵9sといわれる。しかし﹁規則によって行ず るから未曾有ではない﹂︵9sといわれ、安慧釈によれ ︵血︶ ぱ﹁規則は菩提を得ることと相応する道をいう﹂と説明 ︵血︶ されている。この偶はすでに武内紹晃教授によって大谷 探検本のA本、B本を用いて検討されているが、ここに 再検討してみよう。 五十個③の冒弓画8q倒冒はFかa︵仏訳恒路脚註︶や 長尾博士︵×昌忌、扇︶それに武内教授︵前掲論文、詞忌︶の 訂正の如く胃○島国乱圃乱昌でよい。大谷探検本A本 禧号忌.eは、やや不明瞭であるが、肩CO目か百○93 かであろう。B本は言“8厨︵酋︺急、eのようにも見え るが、胃の8国の誤まりであろう。z委本は一応胃G8国 念g急.どのように読めるが、続いての文字が国ご凶と 読めるのは、伊野﹄本との混乱があるように思われる。 五十偶㈲の口詳薗昌は大谷探検本のA本復言息.望、B 本律曽息、己、それにz陰本急ぎ急ごともに日ご貝昌︶ と読める。従って文法的には目農号○号目食猪.胃︶ にかけて読む方がよいと思う。 五十偶⑥の欠落の部分は伊野﹄︵仏訳詞鴎脚註︶や長 ︵叩︶ 尾博士︵〆昌息.弓︶の訂正の如く、チ|、ヘット訳唇冒覗 もご○甥から見ても日蝕g獣︹出目︺でよいと思うが、 どういうわけかA本種言怠.望もB本鴦浮き.己もz怪本 念冒急.巴も、いずれもこの旦昌昌陛に相当する部分だ け欠落している。五十偶の長行のs§二号目冒目胃彊 は5野只仏訳詞鴎脚註︶や長尾博士︵〆昌さ.ご︶の訂正の 如く苗字四口ロ昌冨1日習鳴でよいであろう。B本はやや 不明瞭であるが、A本︵g豆﹃卜と出︶もz陰本Gg蔦.巴 も菌§ロロ日冨日胃盟と読める。嗣侭○冒本念.蔬蔦.ご︶ もそのように訂正している。 .︵岬︶ 五十偶の長行の口胤o胃冒昌一冨庸宙g目は伊野貝仏訳 詞麗脚註︶や長尾博士︵菖員・扇︶の訂正の如くご凱○胃忌日

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巨刷曾冨昌一の方がよい。B本食豐菖.eもz信本念亨菖と︶ もシャッドはないが、A本食言蔦.eには明らかに巨肉︲ 笛目信一一となっている。勿論団侭o冒念・急菖.息︶も 匿肩目目二に訂正している。 ︵咄︶ 次に﹁同時に多くの方法により成熟せしめる方便加行 において、如何に、何処に住して、諸の衆生を調伏せし めるかの因を説く﹂といわれる第五十一偶が説かれる。 ︵Ⅷ︶ ﹁ある場合には、百の多くの方法によって法輪を、 ある場合には生と没とを、ある場合には種をなる ︵叩︶ ︹本︺生の行を、ある場合には完全な菩提を、そし てまたある場合には度々混藥を、説示する所の彼 ︹佛I菩薩︺は、その住から動かず、一切を為し給 うのである﹂︵第五十一偶︶ ︵川︶ ここで騨口曾己宮︵没︶とは、安慧釈によれば﹁顕われ ︵叩︶ ない﹂と訳されており、﹁同時に世間界において、ある 場合には顕われないと説く。菩薩の身より死ぬを説くと いう意である﹂といわれるように、﹁生﹂に対する﹁死﹂ である。﹁種々なる︹本︺生の行﹂︵日ごというのは、 ︵畑︶ 安慧釈によれば﹁種々の生を行ずるは、菩薩の本生︵百︲ 国冨︶の行を為し給うをいう﹂と説明されている。﹁そ の住より動かず、一切を為す﹂︵臼らとは、世親釈には ︵血︶ ﹁無漏界よりである﹂とのみあるが、安慧釈によれば ︵血︶ ﹁その住というは無漏法界をいう。種為の方便の事業を 為し給うて無漏界より動かず壊せず、それら一切の動の 相の事業を為し給うのである﹂と詳しく説かれている。 Q冨門日創o己畠昌︵臼P︶は門野貝仏訳も震脚註︶や長尾 博士︵濁昌急.g︶の訂正の如く目胃日冒日・鳥昌冒でよ いであろう。ただしA本︵ら戸一面︶もB本︵おい蔦]︶も 巳国H昌創8胃いのように読める。z陣本念曾息.eは 目胃目倒o農園のようであるが、やや不明瞭である。 ︵畑︶ チベット訳は呂○の丙琶匡合OH5である。なおこの偶は ︵畑︶ 西尾教授によって、すでに法華経の如来寿量品の偶と対 比されている。 衆生を成熟させる加行の因について、次の第五十二偶 は説く。 ︵蝿︶ ﹁諸佛にはこれは私の成熟であると、この有身者 ︵号冒目︶は成熟されないものであると、更に又、今 おもい や成熟される︹であろう︺という、かくの如き念は 起らない。しかし造作なくして、善法によって常に す、へての方処において、あまねく三つの方法︵三乗︶ で人々は成熟に至るのである﹂︵第五十二偶︶ ここで﹁造作なくして﹂言鼠函冒、園3日︶とは、安慧 43

(11)

︵畑︶ 釈に﹁分別を具しないで、無尽の衆生を成熟し給う時、 努力と精進もなし、無功用に為し給うという意である﹂ とあるように、﹁努力なくして無功用に、衆生を成熟さ せる﹂の意である。三つの方法言葛四日具冒︶とは、世親 釈にもあるように三乗︵剴目茸昌四︶によってである。五 十二偶の長行の8$冒蝕は勿論8泳昌騨蝕の誤植である ︵Ⅳ︶ う。このことについては、すでに指摘したことがある。 なおこの偶は﹁佛説大乗入諸佛境界智光明荘厳経﹂巻第 二︵大正一二、二五七alb︶の﹁如日光明行閻浮提﹂の嚥 ︵畑︶ 説と一致することが西尾教授によって指摘されている。 次に﹁造作︵努力︶なくしての成熟﹂の譽嶮が説かれ づ︵やO ︵抑︶ ﹁あたかも努力なくして太陽︵冒習ロ︶が多くの明澄 ︵伽︶ な放たれた光線をもって、すべての処にあまねく諸 の穀物の成熟を為す如く、そのように法という太陽 ︵肖冨︶もまた、寂静への手段としての法の、放たれ た光線をもって、すべての処にあまねく諸の衆生の 成熟を為す﹂︵第五十三偶︶ ︵皿︶ この偶は﹁造作なくして衆生を成熟する太陽の臂え﹂ であると安慧もいう如く、﹁諸佛が造作なくして諸の衆 生を成熟させる﹂という先の第五十二偶を、ここでは ﹁太陽が努力なくして諸の穀物を成熟させる﹂という譽 嚥でもって説いている。畠凹目四︵努力なくして︶は、世 親註では四目号巨8日の園田︵造作なくして︶となってい るから、これは同義語と考えてもよかろう。 五十三偶⑪の毎蝉つ倒冨は尿ぐ﹂も長尾博士も宇井博士 ︵“︶ も訂正はないが、荒牧氏と国侭○言とによって、冒眉陣︲ 胃畠昌と訂正されている。この偶は画シラブルの陞置国凰昌 ︵岩本文法一○七頁︶であるから、Cll−lll︾|ここ こ一ここl|lここ一亡l||とならなくてはならず、 第二詩節の初めが冒煙圃冨︲$︵こ’Sではシラブルが 合わない。しかし胃ゅ箇箇目︲圏︵こ’l︶ならシラブル は合致するから、この訂正は正しいと思う。 なお大谷探検本はA本︵筐“蔦卜︶もB本︵お騨息聖も、 それにz径︵喝画き.9本も、官恩際四のままであるが、 これではシラブルが合わないから、やはり買い目冨昌と 訂正すべきであろう。同じく五十三偶⑪の昌陛について も、F小国も長尾博士も宇井博士も訂正していないが、 ︵剛︶︵蝿︶ 荒牧氏と切侭o宮とによって、日蝕昌陛と訂正されてい る。チ尋ヘット訳嘗冒鴇嘗冒鴇から見ても、シラブル の上からも、この訂正は正しい。 五十三偶⑥の冒眉際①はシラブルの点では問題はない

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︵棚︶︵”︶ が、荒牧氏や国侭o宮によって胃四目冨信に訂正されて いる。大谷探検本はA本︵置騨違罰︶もB本︵お曾息.eも ︵畑︶ 胃四目冨昌であるし、チ琴ヘット訳から見ても買い目冨信 でよいと思う。なお国陰本︵喝騨息.eは官名鼻凹であ るが、これではシラブルが合わない。 ︵畑︶ すべての処に宜昌昌登というのは、荒牧氏の訳では ﹁八方のいずこにも﹂となっているが、安慧釈には﹁十 方に﹂含耳。需胃屋も$︲甲鼻誤やf巴とある。 ︵伽︶ ﹁法という太陽﹂というのは、安慧釈によれば﹁無漏 界は十二支分の教説が$光線の如く生じた因であるから、 太陽の輪の如き故に法の太陽といわれる﹂と説明され、 ︵皿︶ また﹁放たれた光線﹂というのは、安慧釈には﹁法を説 くという意である﹂といわれるように、﹁佛の説法﹂を ﹁太陽の光線﹂の譽嶮をもって説いている。なおこの偶 は先の第五十二偶と同様に﹁佛説大乗入諸佛境界智光明 荘厳経﹂巻第二の﹁如日光明行閻浮提﹂の哺説と一致す ︵皿︶ ることが、すでに西尾教授によって指摘されている。 ︵抑︶ 次に﹁展転して成熟せしめることが無尽なるを説く﹂ といわれる第五十四偶が説かれる。この偶の原典につい ︵剛︶ ては、すでに考察したことがあるので、ここでは論じな い。 熟において多くの聚り無数無量の有情が生ずるが尽きな い︵段・leという中、それと似て如来は一有情を成熟し 佛と為し、この佛によって多くの無数無量の衆生の聚り が成佛する。成熟しても遍く成熟する如来の智慧と法と を説き已ったり、減少することはない、という意であ る﹂と安慧釈には説明されている。 ﹁佛が衆生を成熟させる因﹂の最後として、次の第五 ︵叩︶ 十五偶は﹁大海の書えをもって法界の不飽足と︹法界の︺ 不増大﹂を説くといわれる。 ︵叩︶ ﹁臂えば大海が水によって飽足に至ることなく、あ るいは多くの清澄な水の流入によって増大に至らな ︵鰯︶ ﹁譽えば一つの燈火より無量無数の、非常に大きな 燈火の聚りが生じても、しかもその口燈火︺は更 ︵剛︶ にその為めに減に至らないように、そのように一つ の成熟より無量無数の、非常に大きな成熟の聚りが ︵Ⅳ︶ 生じても、しかもその︹一つの成熟︺は更に、その 為めに減に至らない﹂︵第五十四偶︶ ︵畑︶ この偶の基く経典は﹁維摩経﹂であることは、安慧釈 ︵剛︶ によっても知られるが、このことについてはすでに西尾 教授の指摘がある。従ってこの偶の意は一︲維摩経﹂の無 尽燈を想起すればよい。その無尽燈のように﹁一つの成 へ棚︶ 〆11 45

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いように、そのように佛なる界は、恒常なる、清浄 .に入ることによって飽足にも、増大にも至らない。 それがここにおける最高の希有である﹂︵第五十五偶︶ ︵加︶ 安慧釈によれば﹁臂えば大海に十方の、小さな河や、 多くの河がここ︵大海︶に集まっても、︹それほどに︺ 流れるに十分︹満杯︺であるとはしないが、多くの河が ここ︵大海︶に入る余地を開けておくから、不飽足とい う意である﹂とあるように、大海に多くの河が流れて行 っても不飽足であり;満杯とならないように→法界もま た不飽足であるといわれる。 また大海の警嶮の如く、法界は不増大であるといわれ ︵州︶ る。安慧釈には﹁大海は十方の多くの河と小河がここ ︵妬︶ ︵大海︶に集まって常に流れても、大海はあふれること も増大もないから、不増大という意である﹂とあるよう に、これらによって佛なる界もまた、大海と同じように 不飽足であり、不増大であると説こうとしている。そし ︵師︶ て﹁それはここにおける最高の希有である﹂︵誤eとい われる。 ︵w︶︵Ⅷ︶ 五十五偶の長行の皇︺乱鼠&︺涛胃ぐ弾はF野芦や長尾 ︵即︶ 博士や団侭o冒によって訂正されているように、&二P︲ ︵馴︶ Q冨冨芽弾の方がよい。チベット訳から見ても閏]且言︲ ︵巧︶ 先に年報に発表した菩提品第一偶’第三十七偶に関す るものよりも、今度の菩提品第三十八偶’第五十五偶の ︵醜︶ 方が難解であった。その上、山口博士の講義も第四十六 偶’第五十五偶は授業ではなかったので、意味を把握す るのに安慧釈に頼らざるをえなかった。幸いチ↓、ヘット学 僧、ツルチム師に教えられたところも多く、一応私なり に理解したつもりであるが$不十分な点など御教示頂け れば幸いです。 本侭弓菖&︶も。曾且巨箇耳鼻となっている。 種曽怠.?話.己も&]国口冒丙鼻ぐ剖となっているし、z倭 冒尊呉と読めるし、大谷探検本A本奮与蔦&︶もB本 註 ︵1︶菩提品第三十八偶より第八十六偶までのテキスト校訂 については、拙稿﹁大乗荘厳経論︵菩提品︶の原典考﹂ ︵印度学佛教学研究第二十九巻第二号一九三頁参照。︶ ︵2︶z胃5口旦鈩Ho言ぐ①印︾zg巴.目録では、、目︵︺君胃目目 ︵国四口民屋色呂臥胃5国笹腎色︶やSzo・呂騨この写本を 手に入れるため、名大卒の高岡秀暢氏には大変世話にな った。ここに感謝の意を表します。 ︵3︶無漏界甚深は菩提品第二十二偶’第三十七偶で説かれ む す び

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る。︵拙稿﹁大乗荘厳経諭の研究﹂l菩提品第一偶’第 三十七偶を中心としてl、大谷大学研究年報第三十二 集、一○六頁’一二○頁参照。︶ ︵4︶原萬本弔ら蔦.ご参照。 §︶原昌本やき急.ご参照。 ︵6︶影印北京版囲?デヨ︵取意︶参照。 ︵7︶影印北京版囲?胃当参照。 * ︵8︶影印北京版蹟?画山参照。︵デルゲ版唱騎︶ ︵9︶影印北京版鵠?甲函参照。 ︵皿︶北京版では昏邑昌四︵閉?や興誤?やeとあるので、 ﹁境界において﹂と訳せないこともないが、︵ロヶーシュ チャンドラ昏且pいIぐ誌昌①︶、デルゲ版︵届存、ゞ届留哩︶ では昏且口閉となっているので、﹁1tに関して﹂︵8]︺︲ 8Hp旨巴と訳すことにした。︵冒巴a己。の○国胃①目︽ 目与の3己.1両ロ唱騎両己旨珪○口四N罰昌冒Oagp目旨①冨旨︿国旨︲ ぼ鼻苣①○四出目︺巴四割。四ゞ閃鼻目色団・用3戸国宮四目Q胃、z①己己﹀ ご認や巴やもふg参照。︶ ︵、︶影印北京版誤?干鱈参照。 ︵皿︶印Fかぐ時冒巴働哩画冒蝕imp笥筥四日炭騨尉砂︼日○日①目.や⑭o 脚註参照。 ︵過︶zPm④○”目昌のx8計ロ①冒四ぽい目回国四︲呂茸巴騨冒舜習騨︵瑁四再 ○口。︶x旨急&参照。 ︵皿︶影印北京版呂中平守&参照。 ︵巧︶西尾教授﹁佛地経論之研究﹂二五頁参照。 ︵妬︶礒伽論菩薩地では冒四圃国︲冒騨g①§窃民.壱弓怠 予画&置蔦.望は、﹁品類差別﹂︵大正三○、四八六b、 五五○a︶と漢訳されている。︵宇井博士﹁菩薩地索引﹂ 四七四頁参照。︶ ︵Ⅳ︶原昌本、や色蔦.闇参照。 ︵肥︶影印北京版誤?甲﹃参照。 ︵四︶原武本、や含意函参照。 ︵別︶影印北京版誤?﹄当参照。 ︵虹︶恩畠本、亨ら怠忠参照。 ︵躯︶隈菖本、や直怠い参照。 ︵塊︶原急本、畢酋息酎参照。 ︵型︶影印北京版囲?函山参照。 ︵妬︶北京版はH品耳曾駕、冨嵐固巨“宮︵鵠??“である が、デルゲ版はH品ご囚匿駕m恵爲ロ扇冒︵届冒息. 吟︶し﹂造妙子CO ︵妬︶山口博士講義ノート参照。︵私が修士一回の時に授業 で受けた講義ノートである。︶安慧釈影印北京版囲?や 了く誤中甲画参照。 ︵”︶影印北京版誤?甲函参照。 ︵躯︶識燕幸繧法華経下﹂︵岩波文庫︶九○頁並びに三五 四頁参照。 ︵羽︶西尾教授﹁佛地経論之研究﹂二六頁参照。 ︵鋤︶山口博士の講義ノート参照。 ︵瓢︶山口、野沢博士﹁世親唯識の原典解明﹂五四頁参照。 影印北京版誤?甲②参照。 切尿急︾ぐ筒口冒目弾昌副覺︵言員︶ふ堂誤参照。 ︵鍬︶影印北京版鵠?印画参照。 ︵鍋︶原昌本、や虐怠.]参照。 47

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︵弘︶zP魑○目号凋×昌息.④ ︵弱︶尿a本、己ら急.﹃参照。 ︵郡︶影印北京版国司山山︵取意︶参照。 ︵師︶影印北京版誤予]凸参照。 ︵犯︶原急本、や虐息と参照。 ︵調︶尿a本、やと蔦.臣参照。 ︵蛆︶宇井博士は漢訳に﹁受﹂とあるから﹁受﹂と訳された ものと思われるが、﹁受﹂ではぐ①§鼠と混同しやすい。 宇井博士自身も、求法品第四十偶の長行では且唱巴国に 対して﹁取﹂という訳語を与えている。︵宇井著、二二 一頁参照。︶ ︵虹︶尿a本、や虐蔦.岳参照。 ︵蛇︶影印北京版鵠?千画参照。 ︵妃︶原昌本、やら息.ぷ参照。 ︵“︶影印北京版鵠﹃出土参照。 ︵蝿︶影印北京版画弓出土I午昌参照。 ︵妬︶影印北京版画雪上山参照。 ︵灯︶影印北京版鵠?や画参照。 ︵盤︶影印北京版鵠?芋四参照。 ︵蛆︶山口博士の講義ノート参照。 ︵帥︶尿且本、や震息.閏参照。野沢博士﹁梵文大乗荘厳 経論にあらわれたる三性説管見l求法品第十一を中心 としてl﹂︵大谷学報第十九巻第三号︶五八頁註皿参 照。高崎直道博士﹁入拐伽経の唯識説﹂︵佛教学創刊号︶ 一三頁’一四頁参照。 ︵副︶隈鼠本、ロ訊息上参照。 ︵砲︶尿昌本、や急菖恥参照。拙稿﹁四自在と十自在l 初期唯識論書を中心としてl﹂︵印度学佛教学研究第 二十六巻第一号︶三六五頁参照。 ︵兜︶高崎直道博士﹁入傍伽経の唯識説﹂︵佛教学創刊号︶ 一四頁参照。︵三種三種の顕現の用語は高崎博士の論文 に従った。︶ ︵副︶F野﹄本、固占蕾当.ご参照。 ︵弱︶胃巴⑦を長尾博士の訂正︵z品騨○百号x︾勺四梓○ロ① x昌怠.旨︶に従い、色目巴①として読むことにした。 ︵邪︶影印北京版呂?や、参照。 ︵師︶z四m四○門口。①撚︵も凹昇○国①〆昌蔦.g︶ ︵兜︶冒四冨乱口四の貝国冨冒冨国目目①目や四脚註参照。 ︵弱︶国侭o宮“旨凹目乱巨四目茸巴四目園3℃に息.息参照。 ︵帥︶宇井博士﹁大乗荘厳経論研究﹂︵一五六頁︶には﹁不 動向﹂とあるが、﹁不動句﹂の誤植。︵再版本にも訂正は ない。︶ ︵伽︶影印北京版画司占山参照。 ︵館︶尿a本、やら急.鵠参照。 ︵銘︶影印北京版鵠や甲い参照。 ︵“︶影印北京版蹟?甲、︵取意︶参照。 ︵髄︶菩提品第四十一偶’第四十六偶では冨働ぐ営は︵転依︶ が用いられているが、ここではぐ菌員匪が用いられる。 の呂目耳目ロ、の旨もいわれるように、︸﹂れは﹁韻文の理由 から﹂︵色目目鼻国の。肩口⑦3口:ご︶と思われるが、mg︲ 目9口畠。pや勝呂博士の指摘される如く、ぐ薗員昼には 除去︵固のの①旨唱侭︶や中断︵疹昌9月。旨︶の意があり、ま

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た安慧釈にも名目儲ⅡⅡ官四園§と註釈されている。特に 第四十六偶は冨国鼻甚ではあるが、婬欲の転依︵富風︲ 員昌︶の意であるから、第四十七偶のく鼠周昌と同義 に解せられる。従って富団員言にも﹁除去﹂の意があ ることになろうといわれる。筋目目算冒口鉱○貝己目z胃︲ ︲ぐ動画四シゥ駕冒昌茸目色閏ご旨扉の四国p“四目喝いぼ餌員Q2 固○魁3門:目日昏ゞ急尉昌岳$﹄や罵畠十一扇.勝呂 博士﹁唯識説における真理概念﹂︵法華文化研究第二号︶ 六一頁参照。︶ ︵師︶原急本、詞怠怠&参照。 ︵師︶ぐ号圃ぐ四国秒はく員割引則より成れる語であって、モニ ェルの字典によれば、3口隠拐8秒弓の胃︾・〆四日目目5口、 一目日の目などの訳があるが、チベット訳叶ロ四目も胃g淵。 b秒︵ロケーシュチャンドラもpH胃団︾もH四句]o四吋四﹄旨oゆく四︾ 負g自彊︶を参照して﹁観察﹂と訳すことにした。安慧 釈に﹁色を破壊する﹂宙認山l巴とあるが、﹁色を観察 する﹂ことが、﹁色を破壊して観察する﹂ことになると 思う。脱稿後、小谷信千代氏がくぎ園ぐゅ冒口に﹁破壊﹂ と﹁観察﹂の両意があることを論じておられることを知 った。︵﹁印度学佛教学研究﹂第二十九巻第一号四一八頁 参照。︶ ︵舵︶安慧釈では﹁三種の最勝の威力を得る﹂宙3−甲巴と あるが、第二の威力を二つに分けて説明しているからだ と思う。 ︵的︶影印北京版誤?甲、︵取意︶参照。 ︵和︶影印北京版誤??﹃参照。 ︵、︶尿昌本、勺患蔦&参照。 ︵頑︶Fき計本の如く、臼]畠昏習︺目と読めば、﹁成ずるか らである﹂となるが、もし、大谷探検本、B本のように ど︺邑豊風呂と読めば、﹁成ずる﹂となるかと思う。 ︵沼︶尿昌本、弱患菖出参照。 ︵別︶影印北京版画認山当参照。 ︵布︶目は写本では・点であるので、写本の誤まりというこ とも考えられるので、︵︶の中に入れておいた。 ︵柘︶の属昌目詳国︵因相︶であるが、チベット訳侭冒︵因︶ を参照して訳した。 ︵万︶影印北京版誤中平函参照。﹁先には﹂とは第八章成熟 品のことであろう。 ︵泥︶5か急本、や畠息ご参照。 ︵門︶直訳すれば、﹁浄︵または善︶において増長したる﹂ であるが、今は世親釈に冒殴医日昌騨︵善根︶とあるし、 漢訳にも﹁善根﹂とあることを考慮して訳した。 ︵帥︶直訳すれば、ロロ腎号目風は四︺︺曲︲く副副十賃動であ るから、﹁企てずして﹂︵宇井著一五八頁︶となるが、 今は意訳した。 ︵副︶目目自白は第五十偶の巳︺旨ご画日の用法から見ると、 ﹁常住なものに﹂と訳した方がよいのかもしれないが、 今は世親釈昌ご鳥巴“目と、安慧釈に﹁断絶なく輪廻の 辺際に至る迄、︹成熟を︺為し給うから、常となるとい われる﹂︵北京版蹟中平己によって訳した。 ︵魂︶いぼか急や長尾博士の訂正によりロp・を入れて訳した。 ︵錦︶影印北京版誤中西士参照。 1q 孟 叫

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︵鍵︶影印北京版驍甲甲﹄参照。 ︵蹄︶尿負本、や患急.息、影印北京版誤平⑭山参照。 ︵師︶尿且本、や烏急.弓参照。 ︵師︶尿a本、勺慮脚註②参照。 ︵銘︶影印北京版鵠午甲⑭参照。 ︵鋤︶チベット訳目号且恩はご且冒の尊称である。 ︵卯︶Fか急本、や食堂.ご参照。 ︵例︶尿畠本、固臆急.鴎、安慧釈、影印北京版驍雫やい 参照。 ︵蛇︶原昌本、や怠︾﹄.ご参照。 ︵兜︶丙#3.胃圃日は原邑や長尾博士や武内教授の訂正 により肩8頁芽号薗日として読んだ。 ︵鯉︶ロ詳乱日は儲.侭.シoであるので、日§go号目含.侭. 鈩○︶にかけて読んだ。 ︵開︶尿急本含邑急.曾︶では欠落しているが、辰己や 長尾博士の訂正によって日鰹呂鯉、四目として読んだ。 ︵卯︶影印北京版・鵠甲やい参照。 ︵w︶影印北京版閉干鱈出参照。 ︵蛇︶拙稿﹁大乗荘厳経論の研究l菩提品第一偶I第三十 七偶を中心としてl﹂︵大谷大学研究年報第三十二集︶ 九二頁参照。 ︵卵︶恩昌本、弔烏息.閏参照。曾盆e副国に相当する チベット訳は北京版︵乞占leでは富国ロ目蝕冒唾とな っているが、デルゲ版︵忌蟹﹄︶並びに偶頌のみの北京版 GI吊巴では胃冨ロロ︺四日いとなっている。 ︵川︶影印北京版鵲午苧吟参照。 ︵川︶影印北京版圏中平の参照。 ︵叩︶武内教授﹁大谷探検隊招来の﹃大乗荘厳経論﹄につい て﹂︵龍谷大学論集第三五二号︶七八頁’八○頁参照。 ︵叩︶影印北京版$出土参照。 ︵川︶Fか昌本、弓患息.鵠参照。 ︵川︶尿邑本、や畠怠.﹃参照。︹取意︺ ︵川︶原昌本、ご鹿息&参照。 ︵叩︶世親釈︵尿a本、や畠怠.巴並びに安慧釈︵北京版 誤?]lとによって補った。 ︵川︶昌厨旨目冒︵影印北京版鵠?串巴参照。 ︵川︶影印北京版鵠?弔い参照。 ︵川︶影印北京版画忠山鰈参照。 ︵川︶Fか急本、や臨息.①参照。 ︵叩︶影印北京版誤?甲画参照。︹取意︺ ︵叩︶影印北京版91甲血参照。 ︵川︶西尾教授﹁佛地経諭之研究﹂二七頁参照。 ︵川︶原a本、や鹿息己参照。 ︵川︶影印北京版誤?や﹃参照。 ︵岬︶拙稿﹁大乗荘厳経論︵菩提品︶の原典考﹂︵印度学佛 教学研究第二十九巻第二号︶一九六頁参照。 ︵川︶西尾教授﹁佛地経論之研究﹂二四頁参照。 ︵川︶Fか負本、]︶.お息.患参照。 ︵伽︶PE普く厨騨曽のグ昌笛国は急︲く割より成れる語であっ て、①唱旨哩○禺言日旨く胃5場︵胃”鼻冒︺誰﹄ね胃⑦且言い ・鷺①p里○口という意と、②四目巳艮且①、壱僅口はqとい う意とがある。荒牧氏は後者の意に解し、﹁多大﹂と訳

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されたが︵﹁摂大乗論の依他起性﹂インド学試論集、zoの. や切喧g︶、宇井博士は﹁光明を放つ﹂意に解しておら れる。私は漢訳が長行で﹁放光﹂であること、安慧釈が 巨目冒宿$ムーロ鵲や雫ごとあることから、﹁放たれ ,た︹光線︺﹂と訳すことにした。 ︵皿︶影印北京版器?甲切参照。 ︵皿︶荒牧典俊氏﹁摂大乗論の依他起性﹂︵インド学試論集 zo印.やe六○頁参照。 ︵岬︶国凋o亘本、や怠怠.吟参照。 ︵川︶荒牧氏﹁前掲論文﹂六○頁参照。 ︵畑︶圃品o巨本、己屋息卜参照。 ︵伽︶荒牧氏﹁前掲論文﹂六○頁参照。 ︵叩︶団品。冒本、や怠きふ参照。 ︵伽︶目]四日の目目自身且︵己山1sは五十三偶㈲の冒信四︲ 菌骨質四戸口尉耳①のチ寺ヘット訳Hロ色目“冒旨ご弓邑ずP︵ご 山l巴とほぼ一致する。 ︵剛︶荒牧氏﹁前掲論文﹂六○頁参照。 ︵剛︶影印北京版誤?千ml吟山参照。 ︵剛︶影印北京版鵠?や画参照。 ︵叩︶西尾教授﹁佛地経論之研究﹂二四頁参照。 ︵剛︶影印北京版呂?や⑭参照。 ︵川︶拙稿﹁大乗荘厳経論︵菩提品︶の原典考﹂︵印度学佛 教学研究第二十九巻第二号︶一九四頁’一九五頁参照。 ︵岬︶原急本、西崖息.閏参照。 耐︶g且]︺且はも駕目と訂正して読んだ。︵z口悪○冒烏x 桝旨蔦.筥拙稿﹁大乗荘厳経論︵菩提品︶の原典考﹂一 九五頁参照。︶ ︵W︶圏を入れて読むことについては拙稿﹁前掲論文﹂一九 五頁参照。 ︵畑︶影印北京版圏?キヨ参照。 ︵剛︶西尾教授﹁佛地経論之研究﹂二五頁’二六頁参照。 ︵Ⅷ︶影印北京版鵠雫や、参照。 ︵州︶原畠本、垣嵯急&参照。 ︵咄︶原菖本、pに蔦函参照。 ︵叩︶影印北京版囲?、上参照。 ︵咄︶影印北京版圏雫甲切参照。 ︵叩︶旨Q意はロヶーシュチャンドラやダスの辞典による と、普通は﹁一咳﹂や﹁疾﹂の意であるが、ここでは動詞 の39営○ぐ①H︵壱、呂冨.壱麗巴の意である。↑チベ ットの学僧、ツルチム師の御教示を得た。ここに感謝の 意を表します。 ︵Ⅷ︶安慧釈、影印北京版麗?﹄山参照。 ︵叩︶Fかaの仏訳、や爵脚註参照。 ︵咄︶z騨鴇○冒号閤尚旨怠.鵲参照。 ︵剛︶切臘。E本、固急急.届参照。 ︵剛︶影印北京版弓山当参照。 ︵剛︶拙稿﹁大乗荘厳経論の研究l第一偶’第三十七偶を 中心としてl﹂︵大谷大学研究年報第三十二集︶ ︵皿︶私が修士一回の時に受けた山口益博士の講義のことで ある。 ︵五十六年二月二十五日脱稿︶ 51

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