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「平家物語」巻11「遠矢」 : 延慶本・覚一本を中心に

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Academic year: 2021

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(1)(1). ︱︱ 延 慶 本 ・覚 一本 を 中 心 に︱ ︱. 遠 矢﹂ ﹃ 平 家物 語﹄ 巻 十 一 ﹁. 始  め   に 従 来 の学 説 で は 、 源 頼 朝 が 平 維 盛 を 敗 走 さ せ た 富 士 川 の戦 いは 、 コ ロ妻 鏡 ﹄ や. 立 早. 目 土. の功 労 者 は 甲斐 源 氏 であ り 、 彼 ら の活 躍 が源 氏 勢 を 勝 利 に導 いたも の であ ると いう. 浦 平 太 郎 義 盛 ﹂ 卜 漆 ニテ書 タ 以 テ ハギ タ リ ケ ルガ 、 本 巻 ノ上 一寸 計 置 テ、 ョ 一. 源氏 、 ツ ョ弓 精 兵 ノ矢 継 早 ノ手 全 共 ヲ ソ ロ ヘテ、射 サ セ ケ ル中 二、 山 鶏 ノ羽 ヲ. 延 慶本 ﹃ 平家物 語 ﹄. こと が 明 ら か にさ れ て いる。 甲斐 源 氏 は 、 そ の後 、棟 梁 武 田信義 お よび 嫡 子 一条 忠. リケ ルゾ 、 物 ニモ ツ ヨク タチ 、 アダ矢 モ無 リ ケ ル。 サ テ ハ可然 矢 無 リ ケ リ。 平. ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の記 述 にあ る よう に頼 朝 主 導 で行 わ れ た も の では な く 、 こ の戦 いの真. 頼 の謀 叛 ・失 脚 を 皮 切 り に、 頼 朝 に よ つてそ の勢 力 を 削 が れ て いく 一族 であ る。. 家是 ヲミ テ、 大 矢 皆 止 テ、伊 与 国新 井 四郎 家 長 ヲ以 テ射 サ セ タ リ。手 ゾ少 シ ア. ー 日 ﹁ 刹 劉 引 目 ョ 冽 ﹁ ア劃 J ラ 劃 ヨ ョ 利 綱 月 川 翻 蝸 劉 目 掴 テ、面 二立者 ヲ指 ツメノヽ射伏ケリ。都 テ矢先 ニマワル者、射取ズ ト云事 ナ. 矢 二今 三段 計 射 増 タ リ ケ リ。 其 後 源 氏 モ平 氏 モ遠 矢 ハ止 ニケ リ。 三浦 平 太 郎 、. 、 佐 里 与 一は 、 同 じ 源 氏 勢 の和 田義 盛 を も 凌 ぐ 活 躍 を 見 せ て いる。 和 田義 盛 は 鎌 倉. 檀浦合戦事付平家減事し 第六本 ﹁                      ︵ シ。. ろを 考 察 し てゆき た い。. 慶 本 と 、与 一の活 躍 が特 に際 立 って いる覚 一本 を 取 り 上 げ て、 両本 の意 図 す ると こ. 遠 矢 ﹂ は 興 味 深 い場 面 であ る。 本 稿 では 、 阿 佐 里 与 一の登 場 し な い延 いう 点 で、 ﹁. 源 氏 が、 こ のよう な 三浦 一族 の義 盛 と 対 比 さ れ 、 そ れ以 上 の手 並 みを 見 せ て いると. いる が、 三浦 氏 の活 躍 ぶり にも 紙 幅 が費 やさ れ て いる。 頼 朝 に滅 ぼ さ れ て いく 甲斐. 遠 矢 の争 いで負 か さ れ た 三浦 義 盛 が 、 汚名 を 挽 回 せ んと し て奮 戦 し て いる様 子 が窺. 射 返 す のに使 え る矢 が見 つか ら な か った 、と いう よう に解 釈 出 来 る。傍 線 2 では 、. 線 1は、義 盛 の射 た矢 には無 駄 な矢 も なく 何 れも 対 象 物 に深 く 突 き 刺 さ っており 、. 遠 矢 を射 て、 次 に平 家 側 か ら新 居 四郎 が遠 矢 を射 返 す と いう 流 れ にな って いる。傍. 遠 矢 ﹂ ど 題 さ れ る箇 所 であ る。延 慶 本 では 、 ま ず 源 氏 の三浦 和 田義 盛 が 覚 一本 で ﹁. であ る。延 慶 本 を は じ め と す る読 み 本 系 諸 本 では 、 頼 朝 の挙 兵 に つ いて詳 述 さ れ て. 与 一が登 場 す る。 こ れ ら の諸 本 では 、 源 平 両者 の兵 た ち が遠 矢 を競 い合 う 中 で、阿 幕 府 草 創 期 に大 功 のあ った 三浦 一族 の 一人 で、侍 所 別当 と し て頼朝 の信 任 厚 い人物. 遠 矢 ﹂ では 、 延 慶 本 ・長 門本 を 除 く 諸 本 の中 に、 甲 斐 源 氏 阿佐 里 壇 ノ浦 合 戦 の ﹁. ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の叙 述 に は 、 そう い った 背 景 が色 濃 く 反 映 さ れ て いるも のと 考 え ら れ. 恵. バラナ リ ケ レド モ、 四国 ノ内 ニ ハ第 一卜 聞 ヘタ リ。 三浦 平 太 郎 ガ射 タ リ ケ ル遠. な 己 言 事 が あ る(1). 0。 フ. に は 次 の よ つ. 第.

(2) (2) ). 文学 0文 化研 究編 (2003年 3月 甲南女子大学 大学 院論集創刊 号. れ てし ま つた と いう も の であ る。 延 慶 本 では こ の後 、 斉 院 次 官 親 能 が 登 場 し 、 平家. 延 慶 本 の記 述 は 、 強 弓 の誉 れ高 い義 盛 を も つてし ても 、 源 氏 方 は遠 矢 の争 いに敗. じ かう 候 。 同 じう は義 成 が 具 足 に て仕 り候 は ん﹂ と て、 塗 籠 藤 の弓 の九 尺ば か. 見 候 は ん﹂ と て、 つま よ ッて、 で ﹂れ は箆 がす こ し よ わ う 候 。矢 東 も ち ッと み. 矢 を 射 て候 が 、 射 か へせと ま ねき 候 。 御 へんあ そば し 候 ひな ん や﹂。 ﹁ 給 は ッて. てよば れ け れ ば 、 阿 佐 里 の与 一出 でき たり 。 判 官 宣 ひ け る は 、 ﹁ おき よ り こ の. の軍 兵 を 散 々に射 落 と し て味 方 の士 気 を 大 いに高 め た と いう 記事 が続 く 。 親 能 の登. り あ る に、 塗 箆 に黒 ぼ ろは いだ る矢 の、わ が大 手 にお し にぎ ツて、 十 五束 あ り. え る。. 場 に よ って初 め て、 源 氏 が優位 に立 つこと が出 来 た と いう のが 、延 慶 本 の構 造 な の. け るをう ち く は せ 、 よ ッぴ いてひ やう ど はな つ。 四町余 を つ ッと 射 わ た し て、. 和 田小 太 郎 がう し ろ 一段 あ ま り に ひ か へた る 三浦 の石左 近 の太 郎 が弓 手 の肘 に. の矢 を 給 は ッて射 か へす 。 これも 奥 よ り な ぎ さ へ三 町余 を つ ッと 射 わ た し て、. る やら ん、良 久 しう あ ッて、伊 予 国 の住 人 新 居 の紀 四郎 親 清 召 し いだ さ れ 、 こ. け た る。 平 家 の方 に勢 兵 お ほ しと い へど も 、 さす が遠 矢 射 る者 はす く な か り け. に 、沓 巻 よ り 一束 ば か り お い て、 ﹁ 和 田小 太 郎 平 義 盛 ﹂ と う る し に て ぞ 書 き つ. ば 、白 箆 に鶴 の本 白 、鴻 の羽 を わ り あ は せ ては いだ る 矢 の、 十 三 束 二伏 あ る. き を、﹁ そ の矢 給 は ら ん﹂ と ぞ ま ね いた る。 新 中 納 言 こ れ を 召 し 寄 せ て見 給 ヘ. 結 果 的 に、義 盛 は 阿 佐 里 与 一を 引 き 立 て るため の噛 ま せ大 的 な 役 割 を 演 じ さ せら れ. ざ るを 得 な い。 傍 線 2 のよう に、遠 矢 を 射 た後 で の義 盛 の活 躍も 描 か れ て いるが 、. と いう 事 態 を 招 く こと にな る。 これ は 、 義 盛 にと って大 変 に不名 誉 な 記事 だ と 言 わ. を 負 わ せ 、 二重 傍 線 部 に見 ら れ る よう に、義盛 は 同 族 の三浦 一族 か ら の嘲 笑 を 買 う. ぶり は こ こ では 描 か れ て いな いのであ る。 新 居 の射 返 し た 矢 は 、義 盛 の部 下 に怪 我. て来 た と いう よう に読 み取 れ る。 延 慶 本 の傍線 1 の記 述 と 異 な り 、和 田義 盛 の強 弓. にな って いる。 傍 線 1 の記 述 か ら は 、 こ こ では和 田義 盛 の射 た矢 を そ のま ま 射 返 し. 覚 一本 でも 、和 田義 盛 が始 め に遠 矢 を 射 て、次 に平 家 側 か ら新 居 四郎 が射 返 す こと. 命 を 惜 しま ず 、 を めき さ け ん でせ め た たか ふ。            ︵  理遅矢し 巻第十 一. き な り 。 二町 には じ る鹿 を ば は づ さ ず 射 け ると ぞき こえ し。 其 後 源 平 た が ひ に. 底 へさ か さ ま に射 倒 す 。 死 生 を ば 知 ら ず。 阿佐 里 の与 一はも と より 勢 兵 の手 き. 大 舟 の舶 にた ツた る新 居 の紀 四郎 親 清 がま ッた だ な か を ひ やう ふ つと 射 て、 舟. であ る 。 次 に、 覚 一本 の記 事 を 参 照 し てみ る 。. 源 氏 の方 にも 、 和 田小 太 郎 義 盛 、 舟 には乗 らず 、 馬 にう ち 乗 ッてな ぎ さ に ひか へ、 甲を ば ぬ いで人 にも た せ 、 鐙 のは な ふ みそ ら し 、 よ ッぴ いて射 け れ ば 、 三. し た た か に こ そ た ツた り け れ 。 三 浦 の人 共 これ を 見 て、 ﹁ 和 田小 太 郎 が わ れ に. て いる の であ る。. 町 が内 外 の物 は は づ さず 強 う 射 け り 。 そ のな か に こと にと ほう 射 た ると お ぼ し. 過 ぎ て遠 矢 射 る者 な しと 思 ひ て、 恥 か いた る にく さ よ 。 あ れを 見 よ 。﹂ と ぞ わ. 覚 一本 では最 後 に阿 佐 里与 一が 登 場 し 、新 居 四郎 を 射 倒 し て こ の場 面 は幕 を 閉 じ. ほ く の者 ども 射 こ ろさ れ 、手 負 ひ にけ り 。 又 判 官 の乗 リ ヘる舟 に、奥 よ り 白 箆. ず とも 、 ﹁ 遠 矢 ﹂ で勝 利 を 収 め た のは 源 氏 勢 であ る 、 と いう のが 覚 一本 の記 述 な の. 源 氏 を 勝 利 に導 く 立 役 者 であ る。 延 慶 本 のよう に、 段 落 を 改 め て親 能 の登 場 を待 た. ら ひ け る。 和 田 小 太 郎 これを 聞 き 、 ﹁やす か ら ぬ事 な り ﹂ と て、 少 舟 に乗 ッて. の大 矢 を 一つ射 た て て、和 田 が や う に、 で ﹂な た へ給 は ら ん﹂ と ぞ ま ね いた. であ る。. る。 覚 一本 には 、 こ の後 も 斉 院 次 官 親 能 の名 は見 ら れず 、 飽 く ま でも 阿 佐 里与 一が. る 。 判 官 これ を ぬ か せ て見 給 へば 、白 箆 に山 鳥 の尾 を も ッて は いだ り け る矢 の、 十 四束 三 伏 あ る に、 ﹁ 伊 予 国 住 人 新 居 紀 四郎 親 清 ﹂ と ぞ 書 き つけ た る。 判 官 、後 藤 兵 衛 実 基 を 召 し て、 フ﹂の矢 射 つべき 者 、 み か た に誰 か あ る﹂ と 官ベ ば、﹁ 甲斐 源 氏 に阿 佐 里 与 一殿 こ そ 勢 兵 に てま し ま し 候 へ﹂。 ﹁ さ ら ば よ べ﹂ と.

(3) 平家物語』巻十一「遠矢」 :『. 青木 友恵. (3). 第   一一  章 阿 佐 里与 一が 物 語 の中 に登 場 す る のは 、 こ の 翌渥矢 ﹂ の場 面 のみ であ る。 冒頭 で. 之 非レ 無 二御 隔 心 Ъ 被 レ尋 二子 細 於 信 義 一 也 。 風 聞 之 趣 如 レ此者 。依 レ之 。 於 二武 田 ・. 今 日参 着 。 於 レ身 全 不 レ奉 二追 討 使 事 孔 縦 雖 レ被 二仰 下 ヽ 不 レ可 レ 処。自 二駿 河 国 一. 之 条 。 以 二去 年 度 々功 為 定 思 食 知 欺 之 由 。 陳 謝 及 二再 進 レ奉 。 本 自 不 レ存 二異 心 一. 起 請文 蔦 一 御 子 孫 蔦 不 レ可 レ引 レ弓 之 趣 。 書 二 壬 之 上 。 至 二千子 々孫 々 孔 対 二. と こ ろが、 元暦 元年 には 、信 義 の嫡 男 一条 忠 頼 が、威 勢 を 奮 い世 を 乱 そう と の志 を. 触 れ た よう な 甲 斐 源 氏 と 頼 朝 の 関 わ り に つ い て は 、 ア ロ妻 鏡 ﹄ に散 見 さ れ る。 以 妻 鏡 ﹄ の叙 述 を 基 に、 甲 斐 源 氏 が頼朝 に減 ぼ さ れ て いく 過 程 を 辿 ってみた 下 、 コロ. 琢筆Dム々。. 賜 二御 剣 孔 有 義 不 レ能 三供 奉 ・ 門也 。 是 者 一門棟 梁 也 。 対 揚 如 何 者 。 則 召 二朝 光 一. 哉 。彼 者 他 事 。 已 謳コ歌 洛 中 乱 是 非 二源 家 恥 辱 ・ 御 気 色 孔 先 年 持 二小 松 内 府 剣 一. 之 由 。 被 レ仰 之 処 。 頗 渋 申 之 間 。 殊 有 二 召二武 田兵 衛 尉 有 義 孔 可 レ役 二路 次 御 剣 一. 二 吾妻 鏡 ﹄ 文 治 四年 三月 十 五 日条. 役 を 拒否 し て失 踪 す ると いう 事 件 を 起 こす 。. は 、忠 頼 の弟 、 武 田有義 が頼 朝 の鶴 岡 八幡 宮参 詣 の際 に、 剣 を持 って随 行 す る御 剣. こ の 一条 忠 頼 誅 殺 事 件 は、延 慶 本 と 源 平 盛 衰 記 にも 収 録 さ れ て いる。 文 治 四年 に. 之 処 。 如 レ此 云 々。. 其事 ・ 武 田太 郎 信 義 卒 去 。竹暮 死暦 元 年 。 依 二子息 忠 頼 反 逆 L奎 御 気 色 。 未 レ散 一 一. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 文 治 二年 三月九 日条. そ れ に伴 って信 義 も 失 脚 し、失 意 の内 に帰 ら ぬ人 と な る。. 所レ 被レ 誅也 。 今 日於 二 営中 一. 察 給之 。傷 其 聞 島 武 衛 又令 レ 之由 有 一 之余 。 挿 二濫 レ世 志 一 威勢 一 一条次 郎 忠 頼 振 二 一. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 元 暦 元年 六月 十 六 日条. 抱 いて いると し て、鎌倉 に呼 び 出 さ れ殺 害 さ れ る。. 有義. 兼信. 忠頼. 図 1﹂ 甲 斐 源 氏 の系 図 を 掲 載 し た。 い。 な お、参 考 ま で に ﹁. 図 1  甲斐 源 氏 略 系 図. 源 頼 義︱ ︱ 義 光︱ ︱ 義 清 信光. 阿佐里与 一︶ ︵. ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ に よ る と 、ま ず 始 め に養 和 元年 、 甲 斐 源 氏 の棟 梁 武 田信 義 に、朝 廷 か ら 頼朝 追 討 の宣 旨 が 下 さ れ た の では な いかと いう 嫌 疑 が か か る。 信 義 は 謀 叛 の心 な ど 毛 頭 な いと の起 請 文 を 頼朝 に奏 上 し 、 そ の場 を 凌 ぐ 。. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 養 和 元年 三 月 七 日条 有 二議 定 ヽ 仰 二武 田太 郎 信 義 孔 可レ被 レ下 三武 衛 追 討 庁 御 去 月 七 日。 於 二院 殿 上 一 実 Ъ 所 レ限 武 衛 許 之 条 者無一 ■ハ 之 由 被 レ定 。 又 諸 国 源 氏 平 均 可 レ被 二追 伐 一 下文 一.

(4) (4) ). 文学 0文 化研 究編 (2003年 3月 甲南女 子大学大学 院論 集創刊号. こ の後 有 義 は 、 正 治 二年 の梶 原 景 時 の謀 叛 に関連 し て、失 脚 し てし ま う 。. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 正 治 二年 正 月 二十 八 日条 伊 沢 五郎 信 光 自 二甲 斐 国 一 参 上 。 申 云 。 武 田兵 衛 尉 有 義 請 L示時 之 約 諾 Ъ 密 欲 二 上洛 一 之 由 。 依 レ聞 豊︵ 告 蔦 為 レ尋 二子 細 。 発 二 向彼館 一 之 処 。遮 而 有 三申 言 欺 之 間 。兼 以 逃 亡 。 不 レ知 一行 方 。 於 二室 屋 一 敢無 レ人 。 只 有 二 封 之 書 。 披 見 之 処 。 景 時 状 也 。 同意 之 条 勿 論 云 々。. 建 久 元年 には忠 頼 の弟 板 垣兼 信 が 、 駿 河 国大 津 御 厨 や質 侶 荘 で の年 貢 対 拝 等 の罪 に よ って、 地 頭職 を 改 易 さ れ配 流 さ れ る。. 文治元年 八月十六日任叙. これ により義定自身も所領を没収 され、翌年 には謀叛 の疑 いをかけられ て討たれ て し ま う 。. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 建 久 四年 十 二月 五 日条. 被 レ収 一公 遠 江 守 義 定 所 領 当 国 浅 羽 庄 地 頭 職 。 以 亘示廉 一 童︵ 替 。今 日賜 ・ 被 レ補 ・ 御 下文 。 大 蔵 蒸 頼 平 奉 ︲ 行 之 云 々。. こ のよう に、 甲斐 源 氏 は他 な ら ぬ 頼 朝 によ つて排 斥 さ れ 、勢 力 を 殺 が れ て ゆく ので. あ る。 こう い った背 景 には 、 源 義 仲 亡 き 後 、 同族 源 氏 の 一流 であ り 侮 る べか らざ る. 甲 斐 源 氏 勢 力 を 、 粛 正 し よう と す る 頼 朝 の思惑 が働 いて いるも のと 考 え ら れ る。. いる。彦 由 一大 氏 ・杉 橋 隆 夫 氏等 は 、 そ の当 時 の甲斐 源 氏 の実 力 を 詳 細 に考 証 さ れ. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 建 久 元年 九 月 十 九 日条 板 垣 三郎 兼 信 依 違 勅 以 下積 悪 。 被 レ処 一 配 流 科 之 上 其 領 所 可レ被 レ改 地 頭 職 事 。 備 後 国 在 庁 等 捧 申 状 。 訴 一土 肥 弥 太 郎 遠 平 之 不法 事 。 被 レ下 院 宣 之 間。. た 上 で、 富 士 川 の戦 いを 勝 利 に導 いた のは 甲斐 源 氏 であ ると し、 ﹃ 玉 葉 ﹄ には そ の. こ の甲斐 源 氏 が実 質 的 に戦 力 を 発 揮 し た 戦 いが 、富 士 川 の戦 いであ ると 言 わ れ て. 両 条 御 請 文 。 載 一紙 一 所下 令 ≧面上 給 ︲ 也 。                  ︵ 以下 一 璽日 状アリ︶ ︲ そ し て、遠 江守 等 を 務 め た実 力 者 安 田義 定 に関 し ても 、 嫡 子 越 後 守 義 資 が 、建 久 四. 源 氏 の実 際 の活 躍 に ついては全 く 描 か れ て いな い。 都 か ら の追 討使 維 盛 軍と 、 関 東. 音 に驚 いて戦 わ ず し て維 盛 軍 が敗 走 し た と いう こと に焦 点 が当 てら れ てお り 、 甲 斐. 経 緯 が見 ら れ る こと を 指 摘 さ れ て いる。 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の富 士 川 の戦 いは 、水 鳥 の羽. 年 に頼 朝 に仕 え る女 房 に恋 文 を 送 った こと を 理 由 に臭 首 さ れ る と いう 憂 き 目 に逢. の源 氏 勢 の緒 戦 が富 士 川 の戦 いであ る以 上 、維 盛 に対 す るも う 一方 の雄 は 、 源 氏 の. ふ候 。 西 国 の いく さと申 す は 、 親 う た れ ぬれば 孝 養 し 、忌あ け て寄 せ 、 子 う た. ﹁いく さ は 又 、 親 も う た れ よ 子 も う た れ よ、 死 ぬ れ ば 乗 り こえ 乗 り こえ た た か. ろし さを 披 露 す る場 面 を 例 に取 り た い。 覚 一本 の記 述 は次 の通り であ る 。. 叙 述 に違 いが 見 ら れ る のであ る。 大 将 軍維 盛 の下知 により 、斎 藤 実 盛 が 東 国 勢 の恐. と こ ろが 、 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の描 く 富 士 川 合 戦 の中 でも 、延 慶 本 と 覚 一本 と では そ の. な く 、 頼 朝 勢 の勝 利 に収 束 さ れ て い つた も のと考 え ら れ る。. のよう な 前 提 の下 では 、史 実 は ど う あ れ 甲斐 源氏 の富 士 川 で の活 躍 は 語 ら れ る こと. 総 大 将 た る源 頼 朝 でな く てはな ら ぬ 、 と いう のが ﹃ 平 家 物 語﹄ の世 界 であ ろう 。 こ. 。 ノ ヽ つ. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 建 久 四年 十 一月 二十 八 日条 越 後 守 義資 依 女 事 一 臭 首 。所 レ被 レ仰 付 干加 藤 次 景 廉 一 也 。其 父遠 江 守 義 定 。就 三 件 縁 坐 基奮 御 気 色 云 々。 是 昨 日 御 堂 供 養 之 間 。 義 資 投 艶 書 於 女 房 聴 聞 所 ・ 三 一 ︶語 一 詑 。而 静 一 後 害 ち 敢 無 二披 露 一 之 処 。梶 原 源 太 左 衛 門 尉 景 季 妾 り 颯 ︵ 夫景 季 蔦 又 通 二父 景 時 。 々 々言ゴ上 将 軍家 蔦 傷被 レ糾 二明 真 偽 一 之 時 。 女 房 等 申 詞符 号 之 間。 如 レ此 云 々。 三年 不 レ 窺 二東 家 之 蝉 髪 一 者。   一日豊 遭 二 白 刃之臭 首 哉 。 従 五位 下守 越 後 守 源朝 臣 義 資 年 遠 江守 義 定 一男.

(5) 青木 友恵 :『 平家物語』巻十一「遠矢」. (5). り を さ め て寄 せ 、 夏 はあ つし と いひ、冬 は さ む しと き ら ひ候 。 東 国 にはす べて. れ ぬ れば そ の思 歎 に寄 せ 候 はず 。 兵根 米 つき ぬ れば 、春 は 田を つく り 、秋 は か. 出 さ れたも の にな って いる の であ る。. 玉 葉 ﹄ 治 承 四年 十 一月 五 日条 によ ると 、 こ の手 紙 は 甲 斐 源 氏 の側 か ら と こ ろが、 ﹃. 、 其 儀 候 はず 。 甲 斐 、 信 濃 の源 氏 共 、案 内 は知 ッて候 。富 士 のす そ より 揚手 に. さ に命 いき て、 ふた たび 都 へ参 る べしと も 覚 え 候 はず﹂ と 申 し け れば. 、平家 の. さ は勢 には よ ら ず 、 は か り 事 によ ると こそ申 し つた へて候 へ。 実 盛 今 度 の いく. 旨 使 ヽ 有 二御 下向 ヽ 菅一 遂一 ■︵ 思 ヽ 幸為 一 云、年 来 雖 レ有 二見 参 之 志 L 干 レ今 未 レ. ム 玉葉 ﹄ 治 承 四年 十 一月 五 日条 送 二維 盛 館 L 其 状 以 上使 者 L 削﹁ 一 同 ︵ 治 承 四年 十 月 ︶ 十 七 日朝 、自 二武 田方 一. や ま は り 候 ら ん 。 かう 申 せ ば 君 を 臆 せ さ せ参 ら せ んと て申 す には 候 はず 。 いく. 田 士川し 巻第五 F[ 兵 共 これを き いて、 みな ふ る ひ わ な なき あ へり 。          ︵. 煩 、 傷 於 二浮 嶋 原 ・ 参 、 又渡 御 可 レ有 レ 路 峻 、鞭難レ 雖 須 参 上 ヽ 程 遠 珊4 日一 レ 二 云 々、 岬雄了魏 ﹁ 之相 互行 向 、欲 レ遂 二見 参 一. こ の直前 の記 事 には 、 甲斐 勢 が駿 河 目代 橘遠 茂 の軍 勢 と 戦 って これを 討 ち 滅 ぼし. 、. 問 題 と し て、 富 士 川 周 辺 の土 地 の事 情 に明 る い甲 斐 ・信 濃 源 氏 の背 面 攻 撃 を 懸 念. 日 代 以 下 の首 を 路 頭 に架 け た と いう も のが 見 ら れ る。 元 々優 勢 であ った 甲 斐 源 氏. こ こ では 、 実 盛 は東 国勢 の猛 々し さを 次 々に列 挙 し 、 最後 に当 面 ぶ つか る現実 的 な し 、指 摘 し て いる のであ る。 こ の後 実 際 に、 戦 い前 夜 に水 鳥 の羽 音 が 聞 こえ た時 に. が 、宣旨 の使 いであ ると は いえ 真 実 維 盛 に迎合 す る腹 であ った と は考え にく い。 実 、. 玉 葉 ﹄ の記事 歴 史 家 の方 々 の著 書 でも こ のよう な 解釈 が通説 のよう であ なo こ の ﹃. ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の甲 斐 源 氏 に対 す る 記 事 は 冷 た く 、 特 に富 士 川緒 戦 吾妻 鏡 ﹄ や ﹃. よ、. 際 に、 こ の後 維 盛 は 、 こ の文 面 に腹 を 立 て武 田 か ら の使 者 二人 の首 を 刻 ね ており. の信 憑性 に つ いて であ る が 、福 田 豊 彦 氏 が 詳 し く 検 証 さ れ て いな。 大 略 を 次 に示. 丁重 な言 葉 を 使 っては いるも の の、 挑 発 的 な文 面 であ ると 受 け 取 る こと が 出来 る。. 、 す は や 源 氏 の大 勢 の寄 す る は 。 斎 藤 別 当 が申 し つる様 に 定 平 家 の兵 ど も 、 ﹁ 、 め て揚 手 も ま は るら ん。 と り こめ ら れ ては か な ふま じ。 こ こを ば ひ いて 尾 張. と いう 結 果 にな って いる。覚 一本 の記 述 か ら は 、 甲 斐 ・信濃 勢 に退 路 を 断 た れ る こ. 玉 葉 ﹄ で は 、 甲 斐 源 氏 は 富 士 川以 前 に の時 期 のそ の勢 力 を 矮 小 化 し て いる。 ﹃. す。. 河洲 俣 を ふ せげ や﹂ と て、 と る物 も と り あ へず 、 我 さき にと ぞ 落 ち ゆき け る。. と は、 平家 側 の最 も 恐 れ て いた こと であ った と 読 み取 る こと が 出 来 る。 こ のよう な. 平家 方 と 衝 突 し ており 、 富 士 川合 戦 の画期 的 な 勝 利 も そ の活 躍 に負 う と ころが. 富士川し ︵ 巻第五 ﹁. 記 述 は延 慶 本 には 一切見 当 た ら な い。 揚 め手 を 守 る 甲 斐 ・信 濃 勢 が 平 家 の陣 に与 え. 玉 葉 ﹄ の記 事 は 伝 聞 資 料 だ が 逃 げ 帰 った 平 家 軍 多 か った こと を 伝 え て いる。 ﹃. の入京 当 日 の記事 であ る ので信 憑 性も 高 く 、史 実 に近 いも のと 考 え ら れ る。. た心 理的 圧迫 に つ いては 、延 慶 本 では全 く 語 ら れ て いな いのであ る。 延 慶 本 では 、 頼朝 から 平 家 に宣 戦 布 告 の牒 が送 ら れ たと いう 記事 が あ る。次 に引. いは甲斐 源 氏 勢 力 の軍事 的 主 導 の下 に行 わ れ た も の であ る 、と 言 及 さ れ て いる。 こ. 玉 葉 ﹄ の記事 を 検 討 さ れ た 結 果 、 富 士 川 の戦 彦 由 ・杉 橋 両 氏 も 、前 掲 論 文 の中 で ﹃ 親 ノ敵 卜 優 曇 花 ト ニ合 事 ハ、 惣 テ難 有 事 ニテ候 兵 衛 佐 使 ヲ立 テ被 申 ケ ル ハ、 ﹁. 用 し てみ る。. 二、 近 ク御 下 候 ナ ル コ ソ悦 存 候 へ。 明 日 ハ念 見 参 二入 ベ シ﹂ 卜 被 云 送 タ リ。. こ で改 め て延 慶 本 に目を 転 じ てみ ると 、頼朝 側 か ら 平 家 に牒 状 を 送 った と いう 延 慶 、 本 の記述 は 、 富 士 川 の戦 いが 甲斐 勢 ではなく 頼 朝 主 導 で行 わ れ た と す る た め の 作 平家ノ人 々駿河国 ヨリ逃上事し ︵ 第二末 ﹁.

(6) (6) ). 文学 。文化研究編 (2003年 3月 甲南女子大学大学院論集創刊 号. 三浦 一族 は頼 朝 の旗 揚 げ 当 初 か ら 数 々 の功績 を 残 し ており 、延 慶 本 等 の読 み本系. 般 的 な解 釈 が 、 こ のよう なも の であ った のだ ろう と 考 え ら れ る。. 他 の記 録 類 と 比 較 す れば 頼朝 中 心 の描 き 方 ではあ るも の の、 甲斐 源 氏 の脅 威 が表. 諸 本 では 、 そ の活 躍 の様 が具 に描 か れ て いる。 頼 朝 の挙 兵 に ついては覚 一本等 語り. 為 的 な 改 変 では な いか と 考え ら れ る。. 出 さ れ て いる覚 一本 に対 し て、 甲 斐 源 氏 の功 績 を 頼 朝 にす り替 え 、富 士 川 合 戦 の主. 本 系 では 、 極 簡 略 な 記事 にな って お り 、今 回 比 較 の対 照 に は な ら な いと 考 え ら れ. ・一谷 合 戦 の坂 落 し. ま ず 、延 慶 本 の 一谷 合 戦 の記事 を 見 てみ る。. 検 証 し てみた い。. 家 追 討 に向 か った も のと 考 え ら れ る。 以 下、壇 ノ浦 に到 るま で の和 田義 盛 に ついて. 記 事 が最 初 であ る。 こ こ で義 盛 は 溺 手 の義 経 軍 に名 を 連 ね ており 、義 経 勢 と し て平. る。 延 慶 本 o覚 一本 双方 に和 田義 盛 が 登 場す る のは 、 寿 永 三年 二月 四 日西 国発向 の. 役 を 完 全 に頼 朝 と し たも のが延 慶 本 の形態 であ ると 言 え る。. 第 一 二  章 次 に、和 田義 盛 に ついて見 て いき た いと 思う 。 和 田義 盛 は 三浦 介 義 明 の孫 にあ た り 、 弓矢 の名 手 と し ても 名 高 く 剛 勇 を も つて知 ら れ た 人 であ る。義 盛 は 三十 四歳 と いう 異 例 の若 さ で侍 所 別当 に抜 擢 さ れ 、 頼朝 の下 で長 年 に互 って鎌 倉 の治 安 維 持 に 貢 献 し て いる。 頼 朝 と 和 田義 盛 と の関 係 は極 め て良 好 だ ったと 言え る が 、 頼朝 亡 き 後 三代 将 軍実 朝 の時 に、 和 田合 戦 が勃 発 す る。事 件 の発 端 は建 保 元 ︵一二 一三 ︶年. モ ス コシ モ通 ベキ様 ナ シ。 ︵ 中 略 ︶ 源 氏 ノ兵 ノ其 時 色 ナ ヲリ テ、 人 々我 先 二落. 九郎 義 経 ハ、   一谷 ノ上 、鉢 伏 、 蟻 ノ戸卜云 所 へ打 上 テ見 ケ レ バ、 軍 ハ盛 卜見 タ リ。 下 ヲ見 下 セ バ、或 ハ十 丈 計 ノ谷 モ アリ、或 ハ二十 丈 計 ノ巌 モ アリ 、人 モ馬. そ の同 調者 と し て義 盛 の子義 直 ・義 重 及 び甥 の胤 長 が逮 捕 さ れた こと にあ る。義 盛. ムト ス ル処 二、 三浦 ノ 一門 二佐 原 十 郎 義 連 ス ヽミイ デ ヽ申 ケ ル ハ、 ﹁ 人 モ乗 ヌ. 二月 、信 濃 の住 人 泉 親 衡 が 、 二代 将 軍 頼 家 の遺 子 千 手 を 奉 じ て謀 叛 を 企 てた 際 に、 の放 免 要 求 にも か か わ ら ず 、胤 長 のみ は 許 さ れず に和 田 一族 の面前 で縛 ら れ たま ま. る。 乱 の失 敗 は 同族 三浦 義 村 の裏 切 り に因 ると こ ろが大 き く 、義 盛 の旗 揚 げ を 北条. 謀 と み て、 鎌 倉 幕 府 と 執 権 北 条 義 時 に 反 旗 を 翻 す が 、 二 日 に及 ぶ合 戦 の後 敗 死 す. ジ。 思 止 給 へ﹂ 卜申 ス。 ヨ 一 草 ヨリ 是 マデ ハルぐ 卜 下 タ レ バ、 打 上 ムト スト モ. 猶 五丈 計 ゾ 有 ケ ル。 御 方 へ向 テ申 ケ ル ハ、 ﹁ 是 ヨ リ 下 ヘ ハイ カ ニ思 ト モ叶 マ. 二乗 テ、幡 一流指 上 テ、 マ︵ッ︶ 逆 二落 ス。 五丈 計 ゾ 落 タ リ ケ ル。 底 ヲミタ レ バ. 馬 ダ ニモ落 シ候 。義 連 落 シ テ見 参 二入 ラム﹂ ト テ、威 シ マゼ ノ鎧 二、 栗 毛 ノ馬. 義 時 に注 進 し た義 村 等 三浦 の本 流 は 北 条 と 共 に生 き 残 り 、和 田 一族 は 減 ぼ さ れ る。. 陸奥 へ配 流 さ れ 、 屋 敷 地 も 北条 義 時 に与 え ら れ た 。 義 盛 は これ ら の措 置 を 義 時 の策. こ のよう に和 田義 盛 は 、後 年 三 浦 一族 の中 でも 特 異 な 立 場 に置 か れ て いる の であ. リタル七千余 騎 モ我 ヲト ラジト皆 ヲト ス。  ︵ 第五本 ﹁ 源氏三草山井 一谷追落事し. 銅 例 列 ∃ 訓 ﹁ J 鼎 引 例 劃 割 翻 劃 引 劇 列 劃 ヨ 馴 劃 列 レバ、義経 ﹁ヨカメル ハ。落 セヤ、若党﹂ ト テ、先 二落 シケレバ、落卜 ヾコホ. シキ所 ヲ モ落 セ バ コソ落 ス ラ メ。 イ ザ ヤ若 党 ﹂ ト テ、   一門引 具 テ、 和 田小太 郎. う 記事 ︶ 是 ニ ツ ヾキ テ佐 原 十 郎 義 連 、 ﹁ 実 二三 浦 ニテ朝 夕 狩 ス ル ニ、 是 ヨリ瞼. カ ナ ウ マジ 。 下 へ落 シ テ モ死 ムズ 。 ト テ モ死 バ敵 ノ陣 ノ前 ニテ コ ソ死 メ﹂ ト テ、手 縄 ヲク レ、 マ︵ッ︶ 逆 二落 サ レ ケ リ。 ︵ 畠 山 重 忠 が 馬 を 担 いで 下 り た と い. ス ω。 こ こ で、 和 田合 戦 に つ いて の当 代 評 を 見 てみた い。 ﹃ 古 今 著 聞集 ﹄ 第 十 五 ﹁ 闘評﹂ には 次 のよう な 記事 があ る。. ﹁三浦 大 は友 を く ら ふな り ﹂. これ は 同族 であ る義 盛 を 裏 切 り 、 北 条 氏 に義 盛 の挙 兵 を 注 進 した 三浦 義 村 を 椰 楡 し た 言 葉 であ る。 ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ の成 立 期 を 一二 五 四年 と す ると 、合 戦 勃 発 当 時 の 一.

(7) 青木 友恵 :『 平家物語』巻十一「遠矢」. (7). 、 描 か れ て いる。延 慶 本 では 、 義 経 配 下 の七 騎 の勇 将 の 一人 と し て 和 田義 盛 の西 国 で の活 躍 が 語 ら れ て いる の であ る。.   一谷 の坂 落 し の先 陣 を 切 った 様 こ こ では和 田義 盛 の叔 父 にあ た る佐 原 十郎 義 連 が 、 、. 子 が描 か れ てお り 、 そ れ に続 いて三浦 勢 が傍 線 部 のよう に義 経 を リ ードす る形 で. 次 に覚 一本 の記事 を 見 て み る。. 盛 、 佐 々木 四郎 高 綱 、 平 山 武 者 季 重 、 熊 谷 次 郎 直 実 、奥 州 佐 藤 三郎 兵衛 継 信. は損 ず ま じ いぞ。 く は お と せ 。義 経 を 手 本 にせ よ﹂ と て、 ま づ 丹 騎 ば か り 、 ま. 馬 ど も は ぬ し ノヽ が 心 得 て お と さう に てぞ 立 ッた り け る。 御 曹 司 是 を 見 て、 ﹁. てゆく も あ り 。鞍 置 馬 三 疋 、 越 中 前 司 が 屋形 のう へにお ち つ いて、身 ぶ る ひ し. 鞍 置 馬 を 追 ひおと す 。 或 は 足 をう ち 折 ッて、 こ ろ ん でお つ。 或 は相 違 なく お ち. ・一谷 合 戦 の坂 落 し 馬 ど も お と いて みむ ﹂ と て、 御曹 司 城瑯 は るか に見 わ た いて お は じ け る が、 ﹁.  一谷 合 戦 以 降 の義 盛 の動 向 次 々に坂 を 駆 け 降 り て い った と いう 記 述 にな って いる。 を 辿 って み る と 、延 慶 本 では 、 こ の後 義 盛 は 義 経 に従 って 八嶋 合 戦 に参 加 し て い 0。 フ. ・八嶋 入 り で の活 躍. 同 舎 弟 佐 藤 四郎 忠 信 、 究 克 ノ兵者 已上 七 騎 、 早 走 ノ進 退 ナ ル ニ乗 テ、歩 セ ツ ア. ッさき か け ておと さ れ け り 。 大 勢 みな つづ いておと す 。 後 陣 にお と す 人 々 の鐙. 判 官 、 ﹁ヨカ ンナ ル ハ。 打 ヤ 、 殿 原﹂ ト テ、畠 山 庄 司次 郎 重 忠 、 和 田小 太 郎 義 、. 伊勢三郎近藤六ヲ召取事し 第六本 ﹁ ガ ヽセ ツ、 屋嶋 ノ館 ヘゾ 馳 行 ケ ル。        ︵ 畠 山 、 和 田義 盛 以 下 の七 騎 を 究 党 の兵 と 評 し 、 彼 ら が 八嶋 に 一番 乗 り した こと が 記. ば 、 大 盤 石 の苔 む し た る が 、 つる べお と し に十 四 五丈 ぞ く だ ッた る。 兵 ど も う. と し に 二町計ざ ッと お と いて壇 な る所 に ひ か へた り 。 そ れ よ り 下 を 見 く だ せ. の鼻 は 、先 陣 の鎧 甲 にあ た る ほど な り 。 小 石ま じ り のす な ご な れば 、 な が れ お. さ れ て いる。 続 いて 八嶋 合 戦 の記事 を 挙 げ る 。. し ろ へと ッてか へす べき やう も な し。 又 さき へお と す べし と も 見 え ず 。 フア ﹂. 、. 国 住 人 秩 父 ノ流 、畠 山 庄 司 次 郎 重 忠 卜 云 者 ゾ 。 我 卜 思 ワ ン者 ハ出 テ押並 ベ テ組. 畠 山 庄 司 次 郎 重 忠 進 出 テ申 ケ ル ハ、 コ里 一モキ ケ、今 ハロ ニモ ミ ル ラ ン。 武 蔵. いておと す 。 ゑ いノヽ 声 を し のび にし て、 馬 に力 を つけ ておと す 。 あ ま り の い. け。 三浦 の方 の馬 場 や﹂ と て、 ま ッさき か け てお と し け れば 、 兵 ど も みな つづ. しけ る は、 ョ 一 浦 の方 で我 等 は 鳥 一つた て ても 朝 夕 か 様 の所 を こ そ は せ あ り. ぞ最後 ﹂ と申 し てあ き れ てひか へた ると こ ろ に、 佐 原十 郎 義 連 す す み いで て申. ヤ﹂ 卜申 テ、 ヲ メイ テ係 ク。 同 国住 人 熊 谷 次 郎 直 実 、 同 国住 人 平 山 武者 季 重. ぶせ さ に、 目を ふさ い でぞ おと し け る。 お ほか た 人 のし わざ と は 見 え ず 。 た だ. ・八嶋 合 戦.   一人 ハ相 模 国住 人 三 一人 ハ奥 州 佐 藤 三郎 兵 衛 継 信 、 同舎 弟 佐 藤 四郎 兵衛 忠 信 、. 坂落し               ︵ 巻第九 ﹁ 鬼神 の所 為 と ぞ見え た り け る。. ハ. セ 出. ア 名 乗 係 ン. 散 々 ア. レ フ. イ. ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ は、 こ の時 期 の和 田義 盛 に つ いて次 のよう に記 し て いる。. 登 場 し てお らず 、義 盛 の奮 戦 を 繰 り 返 し て語 る延 慶 本 の記事 と は 対 照 的 であ る。. は 、 ここ に義 盛 の名 は見 ら れ な いの であ る。 更 に、覚 一本 では 八嶋 合 戦 にも 義 盛 は. 記事 と比 較 す ると 、覚 一本 の三浦 勢 の働き は影 の薄 いも のと な って いる。覚 一本 で. いた のが 三浦 義 連 であ った と さ れ て いる。 三浦 一門 が手 本 と な ったと いう 延 慶 本 の.   一旦踏 みと ど ま った 源氏 勢 を 導 覚 一本 ではま ず 大 将義 経 自 ら が坂 落 しを 決 行 し て、.   一人 ハ近 江 国住 人 佐 々木 四郎 高 綱 、 七 騎 ノ者 共 、我 モノヽ 浦 和 田小 太 郎 義 盛 、 卜名 乗 係 テ、 船 二向 テ歩 セ出 テ、追 物 射 二散 々 ニイ ル。 平家 モ ヘヤ カ タ ニカ ヒ. 八嶋 二押寄合戦 スル事し ︵ 第六本 ﹁. 劃刻 到 劃 ヨ 引 到 潮 = 翻 刊 剣 J 冽 例 劃 劇 引 割 到 引 日. 又. 傍 線 部 では 、 先 程 の七 騎 の武 者 達 が矢 玉 を 掻 い潜 って平 家 の船 に接 近 し て行 く 様 が. ア ケ レ バ.

(8) 二 吾 妻 鏡 ﹄ 元 暦 二年 正 月 十 二 日条 参 州 自 二周 防 国 一 到 二赤 間 関 蔦 為 レ攻 二平 家 、 自 一 豊︵ 所一 欲 二渡 海 一 之 処 、根 絶 無 レ 船 、 不 慮 之 逗留 及 二 数 日 Ъ 東 国 之 輩 、頗 有 退 屈 之 意 、多 恋 二本 国 蔦 如 二和 田 二 小 太 郎 義 盛 ヽ 猶 潜 擬 レ帰 二 参 鎌 倉 蔦 何況 於 一 其外族 一 乎 。 而 豊 後 国 住 人 臼杵 二郎 一 惟 隆 ・同 弟 緒 方 三 郎 惟 栄 者 、 志 在 二源 家 一 之 由 、兼 以 風 聞 之 間 、 召 二船 於 彼 兄 弟 、 渡 L豆後 国 ヽ 可レ責 二入 博 多 津 之 旨 有 一 議 定 蔦 傷 今 日、参 州 帰 一 周防国 ¨ ム々。 一. こ の記事 は 、 元 暦 二年 正 月 十 二 日 には 、赤 間 関 ま で進 軍 し た範 頼 勢 が兵 糧 も 船も 無 いた め に渡 海 出 来 ず 、 周 防 国 に帰 ると いう 状 況 であ った こと を 伝 え て いる。注 目 す べき 点 は こ の範 頼 勢 の中 に和 田義 盛 が おり 、 あ ま り の窮 状 に義 盛 ま でも が鎌倉 に帰. であ る。 ﹃ 平 家 物 語 ﹄ の八 嶋 合 戦 そ のも のが、 武 功 談 o武 勇 談 を 主 軸 と し た 創 作 と. し て の面白 さ を 身 上 と し て いる こと は 、 既 に北 川忠 彦 氏 ・島 津 忠 夫 氏 等 が提 唱 さ れ. て いる。 延 慶 本 の記 述 の背 後 には 、 挙 兵 当 初 か ら 大 功 のあ った 三浦 一族 への配慮 が. 見 ら れ ると 考 え ら れ る。 こ こ で、 更 に和 田義 盛 個 人 に焦 点 を 当 て て論 じ て みた いと η. 思う 。 小 林 美 和 氏 は延 慶 本 の成 立 時 期 を 二段 階 に分 け て捉 え 、 そ の第 一次 成 立期 を. 一二 〇八年 か ら 一二三 三年 と さ れ て いな。 こ の年 代 は奇 しく も 和 田合 戦 の時 期 と 重. な り 合 う も の であ る。延 慶 本 の記 述 の中 に、和 田合 戦 に ついて の当 代 の世 評 が入 り. 込 む こと は 、 大 いに予想 出 来 得 るも のであ ろう 。. こ こ でも う 一度 、巻 十 一 ﹁ 遠 矢 ﹂ に つ いて考 え てみた い。 西 海 で の源 平 合 戦 の主. て いる のでは な いかと考え ら れ る のであ る。. あ った のであ る。 延 慶 本 の叙 述 には 、 こ のよう な当 時 の世 評 が そ のま ま 取 り 込 ま れ. 評す る ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ の記 事 か らも 明 ら か な よう に、当 代 評 は 和 田義 盛 に同情 的 で. の意 志 を 、如 実 に反映 し て いるも の であ る。 三浦 義 村 を ﹁ 三浦 大 は友 を く ら ふ﹂ と. 一の登 場 し な い延 慶 本 の叙 述 は 、 三浦 一族 を重 用 し 甲斐 源 氏 を 排 斥 す ると いう 頼 朝. これ に対 し て、和 田義 盛 の名 誉 回復 記事 で ﹁ 遠 矢 ﹂ の場 面を 終 結 さ せ 、 阿 佐 里 与. 妙 な 立 場 を 暗 示 し たも ので は な いだ ろう か 。. さ れ た存 在 だ った のであ る 。 覚 一本 の記 述 は、 三浦 一族 の中 に於 け る和 田義 盛 の微. を 持 つよう にな った 。覚 一本 が成 立 した 頃 には 、和 田義 盛 は 歴 史 の表 舞 台 か ら抹 殺. 上 の瘤 であ った 和 田氏を 減 ぼ し て北 条 氏 が政権 を握 り 、 三浦 の惣 領 義 村 が強 大 な 力. れ 、 同族 三浦 一族 の謗り ま で受 け ると いう 辛辣 なも のであ る。 和 田合 戦 の後 、 日 の. も の であ る。 そ の 一方 で和 田義 盛 の描 写 は、弓 矢 取 り の名 誉 は 阿 佐 里 与 一に奪 わ. あ る。 こ のよう な 叙 述 は、 甲 斐 源 氏 を 弾 圧 しよう と す る頼朝 の思 惑 と は掛 け 離 れ た. の上手 の筆 頭 に輝 く 人物 と し て、覚 一本 は 甲斐 源 氏 の阿佐 里与 一を 描 いて いる ので. 面 は 源 平 最 後 の決 戦壇 ノ浦 合 戦 の 一場 面 であり 、 そ こ で の源 平 両 者 の兵 の中 か ら弓. り た いと 願 った と いう 箇 所 で あ る。 Γ 口 妻 鏡 ﹄ に よ れ ば 和 田義 盛 は 義 経 軍 では な. にも 記 さ れ 得 な か った 和 田義 盛 の活 躍 を 、延 慶 本 は多 分 に盛 り 込 ん で いると いう 点. こ こ で重 要 な のは 、 コロ 妻 鏡 ﹄ の記 事 の信 憑 性 を 追 求 す る こと では な く 、 記 録 類. Z υ。. のと 考 え ら れ る。 従 って義 経 勢 の 一人 と し て八嶋 合 戦 に加 わ る こと は 、 不 可能 であ. ﹃ 吾 妻 鏡 ﹄ を 調 査 し て いく と 、 こ の後 八嶋 合 戦 が 行 わ れ る 元 暦 二年 二 月 十 七 日前 後 でも 、範 頼 は 豊 後 o長 門 o周 防 辺 り で、九 州 の平 家 を 攻 めあ ぐ ん で いた様 子 が窺 え る。 義 盛 は こ の時 範 頼 軍 の軍奉 行 を 務 め てお り 、 常 に範 頼 と 行 動 を 共 にし て いた も. ノ名 アリ ︶. 二 吾 妻 鏡 ﹄ 元 暦 二年 正 月 二十 六 日条 惟 隆 ・惟 栄 等 、含 ・ 参 州 之 命 ヽ 献 八十 二艘 兵 船 。 亦 周 防 国 住 人 宇 佐 那 木 上 七 遠 隆 献 兵 根 米 。 依 レ之 参 州 解 績 、 渡 曲 豆後 国 云 々、 同時 進 渡 之 輩 、 ︵ 和 田義 盛. 中 に義 盛 の名 前 も 挙 が って いる。. 条 には 、 兵 船 と 兵 糧 米 を 手 に入 れ た範 頼 が、 周 防 か ら 豊 後 国 に渡 った と あ り 、 そ の. 眼 は 、 八嶋 で の那須 与 一の活 躍 を 始 めと す る弓 勢 の戦 いであ る。 こ の ﹁ 遠 矢 ﹂ の場. り に. く 、範 頼 勢 に加 わ って いた と 書 か れ て いる の であ る。 同 じく 元 暦 二年 正 月 二十 六 日. 終 わ. (8) ). 文学 ・文化研 究編 (2003年 3月 甲南女子 大学大学 院論集創 刊号.

(9) 青木 友恵 :『 平家物語』巻十一「遠矢」. (9). 稿 を 終 え る に臨 み、終 始 御 丁寧 な御 教 示 を 賜 り ま し た 松 林 靖 明 教 授 に、 心 よ り 御 礼 申 し 上げ ま す 。 3回 例 会 に於 いて発 表 し た も のを 骨 子 にし て、 更 な 本 稿 は 、 以 前 関 西 軍記 物 語 研 究 会 第 4 る知 見 を 加 え た も の であ り ま す 。 発 表 時 に御 質 問 、 御 教 示 を 賜 り ま し た 諸 先 生 方 に、厚 く 御 礼 申 し 上げ ま す 。. ⑬ 北 川忠彦 ﹁ 八嶋合戦 の語リ ベ﹂ 亀論集 日本文 学 。日本 語 3中 世﹄角 川書店   一九 七 八. 参州 日来在 周防国 之時。武衛被 仰遣 云。令 談 千土肥 二郎 蔦 梶 平 三。可レ召二 原 ・ 二 一 二 レ 二 九 国勢 孔 就レ之。若 見二帰 伏之形勢 一 者。 可レ入レ 九 州。不レ然 者。与二鎮 西 ・ 不レ可レ好 二 合戦 ち 直渡 二四国 ﹁ 可レ攻二平家 一 者。而今参 州欲レ 赴二九 国 L 缶″船 而 不レ進。適 雖レ 長門国 蔦 根尽之 間。又引二 渡二 退周防国 一 詑。軍士等漸有二 変意 ・ 之由。被レ 不■ 揆 一 歎二 申之 Ъ. 0 ﹃ 吾妻鏡﹄ 元暦 二年 二月十 四日条. 国 引 用は、西尾光 一。小林保治 ﹃ 新潮 日本古典集成 6 新潮社   一九 八六 7古今著聞集 下﹄ ︵ 年︶ に拠 る。. ⑩ 和 田合 戦 の概 要 に ついては、宇 野俊 一。大 石 学 ・小林達雄 ・佐 藤 和彦 他 ﹃ 日本全 史 ジ ャパ ン ・ク ロ ニック︶ ︵ ︵ 講談社   一九九 一年 ︶を参 照した。. 。 0 福 田豊彦 ・服部幸造 ﹃ 源平闘譲録 下﹄ ︵ 講談社   一一 〇〇〇年︶. ・秋山 敬 ・笹本 正治 ・齋藤康彦 ﹃ 県史 9 山川出版社   一九九九年 ︶等 1山梨県 の歴史﹄ ︵ でも 、 こ の文 面を挑発的 であ ると解釈 し て いる。. 0 磯 貝正義 ﹃ 図説 日本 の歴史 9 河出書 房新社   一九 九 〇年︶、飯 田文弥 1山 梨県 の歴史﹄ ︵. 0  ﹃ 玉葉﹄ の引 用は、市島謙 吉 ﹃ 国書刊行会   一九 〇六年︶ に拠 る。 玉葉﹄ ︵. 八八年十 二月︶所収。. ︱︱﹂ 翁日本史 研究 3 4﹂ 一九 五九年七月︶所収。 9﹂ 一九 ⑥ 杉 橋隆夫 ﹁ 富 士 川合戦 の前 提︱︱ 甲斐路 ﹁ 鉢 田﹂ 合 戦考︱︱﹂ ︵ ﹁ 立命 館 文 学 0 5. 0 彦由 一太 ﹁ 甲斐源氏と治承寿永争乱︱︱ ﹃ 内乱過程 に於ける甲斐源氏 の史的評価﹄改 題. 0 甲斐 源氏 の系 図 に ついては、 ﹃ 続群 書類従 。第 5輯 下﹄ 貧 九 二七 年 ︶ の武 田系 図を参 照した。. 5平家物 語① ・ ② 覚 一本 ﹃ 平家 物 語﹄本 文 の引 用 は、市古貞 次 ﹃ 新 編 日本古典文学 全 集 4 6 小学館   一九九 四年︶ に拠 る。 4平家物 語② ﹄ ︵ 2巻吾妻 鏡前 編﹄ ︵ 0  ﹃ 吾妻 鏡﹄ の引 用 は、黒板 勝美 ﹃ 増補新 訂 国史 大系 第 3 国史大系 刊行 ︿ ム  一九 三 二年 ︶ に拠 る。. 下﹄ ︵ 勉誠社   一九九年 ︶ に拠 る。. 延慶 本 ﹃ 平家 物 語﹄本文 の引 用 は、北原保 雄 ・小 川栄 一編 ﹃ 延慶 本 平家物 語本文 篇上. (1)注. 。 津忠夫 ﹁一谷 ・屋島 ・壇浦合戦をめぐ って﹂ 亀平家物語試論﹄汲古書院   一九 九 島 年︶ 。 七年︶. 。 m 小林美和 ﹃ 平家物語生成論﹄ 曾 一 弥井書店   一九 八六年 ︶.

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参照

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『台灣省行政長官公署公報』2:51946.01.30.出版,P.11 より編集、引用。

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