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ショパンのプレリュードの研究 : ポーランド国立図書館蔵の自筆譜の研究 II

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Academic year: 2021

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ショパンのプレリュードの研究

一ポーランド国立図書館蔵の自筆譜の研究1一

A bibliographical study on Chopius Preludes op.28 by autgraph note in Polish National Biblistek. [2]

 相愛女子大学研究論集・第26巻に、ポーランド国立図書館所蔵の「ショパンのプレリュード ・作品28一資料的研究」について発表した。その中で、ショパンの自筆譜のもつ重要性につ いていくつかの角度から論述してみた。インクの色、筆跡、リーフの状態、また作品番号の欠 落している点についても論及してみた。これらの諸問題は、これからプレリュードの研究をす すめる上で、決しておろそかにすることのできない問題ばかりであり、いわばプレリュード研 究への第一歩といえるものばかりであった。また、この自筆譜を研究した結果、プレリュード の研究自身が未だ始つたばかりであり、この自筆譜の研究が、音楽学的な意味をもつばかり か、演奏家のための演奏解釈へという一連の音楽行為の連継のために実に有意議な働きをする ものであることを認識した次第である。前号に記した論文を序説として、更にショパンのプレ リュードの研究をすすめる、というのがこの論文の目的である。  ポーランド国立図書館所蔵のプレリュード全曲の手稿が、ショパン自身の筆によるものであ ることは、前論の中で述べた通りである。献呈文が、J. C. Kessler註1あてになっている点に ついては、全24曲を完成してから、献呈文を書く段に至って、C. Pleye1註2に献呈するもの を敢えてKesslerに変更してしまったのである。1838年になると、ショパン生活は安定して いた。パリに到着した当時に比べると、比較にならないほど生活は安定していた。作品は確実 に出版社にひきとられ、ここからの収入も安定していたし、ピアノのレッスンに依る収入も馬 鹿にならなかった。しかし、マヨルカに旅行することを決めたときには、この長旅に要する費 用が手元になかったために、Pleye1にプレリュードが完成したら売り渡すことを条件に前借り して旅に出たのである。Pleye1から借金した時点では、プレリュードは確かにPleye1に献呈 される筈であった。マヨルカに着いて直ちに彼は健康を害してしまった。結核の悪化である。 喀血を繰り返し、唯の目にも死ぬのではないかと映ったときでも、ショパンはしきりに作曲し たいと願っている。しかし、Pleyelが直ちに送りとどけると約束していたピアニーノが、とど かなかったことは、ショパンの神経をいらだたせる原因になっていた。ショパンにとって、 Pleyelの楽器こそ信頼にたる楽器であり、間に合わせに貸りたマヨルカ製のピアノでは、全く 満足できなかったのである。Plye1の約束違反は、ショパンをすっかり怒らせてしまい、ピア ノの一件からこれ迄のPlyeleとの金銭上のトラブルがふくれ上り、果てはPleye1に対する       1

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人間不信にまで発展してしまうのである。事実は、ショパンの想像とは違い、パルマの税関の 怠慢によって、ピアノの到着が遅れていたのであった。然し、怒ったショパンは献呈をPleye1 から思いきってJ.C. Kesslerに変更してしまい、プレリュード第一番ハ長調の上の空欄に Kessler宛ての一文字したためてしまった。数ケ月後、冷静さを取りもどしたとき、ショパン は更めてPleye1への献呈を決めているが、自筆楽譜の献呈文は皮肉にもKesslerへの献呈 文をつけたままPleye1に渡されたのである。こうしたショパンの精神的動揺の跡は、今も自 筆譜の上に歴然として残されており、この時期のショパンの心理を知る上では興味あることで ある。  最も権威あるショパンの自筆であるにも拘らず、この自筆譜には作品番号がつけられていな い。1839年3月17日のマルセイユからJ.Fontanalm3に宛てた手紙に依ると、作品番号が分 らないから空欄のまま送った、と告白している。ショパンにしてみれば、Fontanaが予定され ていた作品番号をつけてくると期待していたのだが、実はFoutanaも知らず、ショパンの自 筆から写譜はしたものの、ショパン同様に作品番号なしで、出版社に送付したのである、その ために、独特のBreitkopf社、仏のCatelin、英国のWesse1の各初版本は、作品番号もな く出版されてしまった。又、英国版の初版本に至っては、グランド・プレリュードとしながら も、「エチュードの第3版」として出版しているのである。  このプレリュードの計画がはじまった時期を推定する方法として、作品番号から推論しよう という試みもあるのだが、作曲者自身が忘れている状態では、この方向から推論しようという のは、はなはだ無理があるように思われる。MJ. E. Brownは、 Chopin an index of his worksの中で、1839年6,王制にショパンの作品はop.34にまで達していたこと、プレリュー ドを出版しようという計画は作品27の2曲のノクターンを出版した時点で彼の胸中にあったと 記している。Brownの説に依るならば、1835年にプレリュードの計画ができていたのだと説 こうとしているが、Brownの説は、ここでも見事に崩壊してしまう。1835年6月30日、Breti− kopf社に宛てたブリーフに、ショパンは「四手のためのソナタ・作品28」註4を申しでている のである。ショパンの残した作品の中に此のソナタにあたるものは見当らない。あるいは、 1835年頃に、ショパンは真剣に四手のソナタを計画し、あるいは着手し、ある程度進展したが 故に、その作品にかりの作品番号をつけ、出版社に予告したものと考えられる。しかし、この 作品は幻の作品であり、かりに付けられた作品番号もこの故か空いたままになってしまったの であって、はじめから作品28をプレリュードのために予定していたと考えることはできなくな っている。おそらくは、この辺りの作品番号については、ショパン自身の告白にある通り、全 く分らなくなっていたというのが本当ではないだろうか。いずれにしても、作品番号の方か ら、ショパンがいつプレリュードの作曲を計画したかという疑問に到達するのは、ほぼ不可能 に近いとしか言いようがあるまい。  プレリュード作曲の時期については、各説様々な解釈を下しているものの、未だに決定的に

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ショパンのプレリュードの研究 論証している論文は見当らない。H. Leichtentritをはじめ、ショパンの伝記をあらわした人 たちは、比較的早期にプレリ=一ドの作曲はされていたとし、多くは1831年頃からとしてい る。伝記作家たちの論拠は、i831年、シュトゥットガルトに於いてショパンが記した怒りの手 記をもとに、この時期にプレリュードが作曲されはじめたものだとしている。この手記は、シ ュトゥットガルトに滞在中にロシア軍のワルシャワ進攻の知らせを受け、両親や知人の安否を 気遣いながら記した烈しい怒りにみちた文章で、ただ怒りくるい、怒りをピアノにぶちまける だけきりできない自分の不甲斐なさを嘆いている、この手記の烈しい怒りと不安は理解すると して、この文章のいずこの節にもプレリュードに関する重要なヒントは見付からない。伝記作 家の多くは、第24番二短調をこの手記と比べようとしているようだが、これとてはっきりと論 証できない。  一方、先述のBrownのインデックスによると、イ長調・第7番と変イ長調・第17番にBrown Index Number 100が付けられ1836年の作品であるとしている。その根拠として、1836年にシ ョパンがDelfine Potcka註6のアルバムにイ長調プレリュードを記入していること、更に1837 年にFontanaに「Perthuisにあげたいと思うので、変イ長調プレリュードをコピーとして欲 しい」と書いていることを論拠としている。Delfine Potckaのアルバムは現在のところ、行 方不明であり、又、Fontanaに書いたとされる手紙も、現在最も権威あるショパンの書簡集を 探しても見当らない。いつれにしても、Brownはプレリュードに着手した年を1836年である という説をたて、更に全24曲の作曲年を次のように分類している。 〔B1ナンバー〕 Bl. 100 Bl. 107 〔作品〕 No.7 イ長調

No,17変イ長謂

No.3 ト長調 No.5 二長調 No.6 ロ短調 No,8 嬰へ短長 No.9 ホ長調 No.11 ロ長調 No.12 嬰ト短調 No.13 嬰へ短長

No.14変ホ短調

No.15 変二長調

No.16変ロ短長

No,18 へ短調

No.19変ホ長調

〔作曲年〕 1836 !t 1836∼1839年秋   /t   11 3 〃〃 〃〃

〃〃〃〃〃〃

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Bl. 123 Bl. 124 No.20 ハ短調 No.22 ト短調 No.23 へ長調 No.24 二短調 No.2 イ短調 No.4 ホ短調 No.10 嬰ハ短調

No.21変ロ長調

No.1 ハ長調   tt   /1   11   ff 1838.11月∼12月にかけてマヨルカにて   tx   /1   lx 1839年11月  Brownが、プレリュード作曲の時期を決めた論拠は、特別に何も記されていない。前述の 通り、1835年に作品27の2曲のノクターンが作曲され、それに続いて作品28にプレリュードを 予定していたものであるとするばかりである。  このプレリュード全24曲は、集中的にある時期に作曲されたものではなく、長時間をかけて 全調24曲のスケッチ、又はほぼ完成された曲をつくり、最後にマヨルカで集成したものとする のが妥当であろう。BrownがとりあげたPotckaのアルバムやPerthuisのためのプレリュ ードは、その良い例ではないだろうか。かなり以前に、少くとも1835年以前にプレリュードの 草案がショパンの中にあり、親しい友人にはプレリュードという名で数曲のプレリュードを披 露していたが故に、Fontanaがイ長調のプレリュードといわれても、直ちにその曲を書き写す ことができるだけの状態にあったとみることができる。この点から推定するならば、多くの伝 記作家の指摘するように、1831年ごろ、又はそれ以前にすらプレリュードの第一曲の作曲の時 期を潮らせることができるのではないだろうか。  全調24の調性を用いたプレリュードの作曲に、ショパンをかりたてた動機として、J. S. Bachのプレリュード・フーガをあげる人が多い。ショパンは確かに、バッハを殊のほか尊敬 していたし、マヨルカに行く前後、ショパン版とでも言うべきプレリュード・フーガの校訂を していた形跡がある。しかし、Bachのプレリュード・フーガは、あまりにも大きく、又、プ レリュードが独立したものではないだけに、直ちにショパンの意図とするところとプレリュー ド・フーガを重ねることには無理がある。むしろ、当時の作曲者の中には、全調を用いたエチ ュードまたはプレリュードを書く人も多数いて、そのような作品がショパンに刺激を与えたと する方が自然であるように思われる。ショパンの身近にも、この種の作品に手を染めている人 は多い。ショパンが尊敬したピアニスト、作曲者の一人であるM.Clementi註8も、全調では ないが、全調を意図していたのではないかと思われるプレリュードがある。更にJ.H, Hum− me1は、全調を用いたエチュード、作品125があり、 J. C. Kesslerの存在も忘れることはで きない。Kesslerは、ドイツ生れのピアニスト兼作曲家であり、ポーランドでも高名な貴族 Potcki家の音楽の家庭教師としてポーランドに滞在し、1826から30年の間ワルシャワに居住 4

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ショパンのプレリュードの研究 し、ショパンとも交流があり、Kesslerを通じて多くの室内楽のソアレーが催されて、ショパ ンもそれに参加している。そのKesslerが全調を用いて作曲したプレリュード作品31が、シ ョパンに献呈されていた事実、又、ショパンが自身のプレリュードを発刊する際に、ドイツ版 はKesslerに献呈したこと、 Pleye1に対して逆上していた時に、直ちにフランス版ですら Kesslerに献呈しようとしたことから考えると、 Kesslerのプレリュードのことは、ショパン の中ではかなり大きな位置をしめていたと考えることができる。もう一人、ワルシャワでプレ リュードを作曲した人の存在を忘れることはできない。Waclaw Wilem WUrflxt g(1790∼ 1832)の存在は、ショパンにとってはZywny註10やElslnerと同様に重要な存在であった。 Wttrflは、ボヘミア生れのピアニスト・作曲家であり、Tomaszek註11の門下生であり、華麗 な奏法でその名を知られていた。1815年にワルシャワに来て、Elsnerの開設したワルシャワ 音楽院でオルガンと通奏低音の教授として活躍している。そしてZywnyの紹介でショパン家 のサロンに出入りしていた。Wttrflこそ、 Tomaszek系の仔情的なピアノ奏法や作品をショ パンに知らせた人として忘れることはできない。そのWUrf1が、矢張り全調を用いたプレリ ュードをワルシャワ時代に作曲しており、この作品もショパンが全調のプレリュードの作曲に 手を染める動機になったとも考えられる。いつれにしてもKesslerの作品もWUrf1のプレ リュードも、ショパンのワルシャワ時代のことであり、全調によるプレリュードの作曲の動機 とも考えられることは、バッハにとどまらず、ショパンの周辺にはかなりの刺戟的材料があっ たのは事実である。  1819年、N. Paganini註12がワルシャワに来て10回の連続演奏会を催したことがあった。シ ョパンは、Paganiniの超人的な攻巧に感激し、「パガニー二の想い出」と題する曲を作曲し、 又、自分のためにエチュードの作曲にとりかかっている。エチュードは、まさにPaganiniか ら受けた刺戟に依って着手されたことが歴然としている。プレリュードに着手した時期を判定 してゆく過程で、矢張りこのような刺戟的動機があったのではないか、とショパンの書簡集や 手記を洗いだしてみたが、確とした動機を発見することはできなかった。  しかし、その中で一つ面白い事実があるのに気付いた。1827年1月8日、Jan Bialoblocki註13 宛の手紙の中に、「今週Maria・Szymanowska註・4が演奏会をすることになっている。どん な具合に彼女が弾いたか、後で知らせよう」としながらも、奇妙にショパンはSzymanowska を黙殺しているのである。Szymanowskaといえば、ショパンの当時ポーランドの生んだ名ピ アニストであり、ロシア宮廷第一ピアニストの称号を与えられ、ヨーUッパの中でも一きわ目 立つ女流ピアニストとして知られており、作品も多く、20のエチュ・一一ドとプレリュード、ノク ターンは誰にも愛好されていたのである。その著名な Szymanowkaの演奏を聞きながら、 黙殺し、更にHummelやPaganiniに示したような熱狂ぶりをショパンは一暗示してはい ない。むしろ、冷やかともいえる態度であった。ショパンは、Szymanowskaの演奏を通じ てJ.Fieldをはじめとするロマン主義時代初期の詰論的作品に接したに違いなく、又、 5

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Szymanowska自身のエチュードやプレリュード、マズルカを熟知していたことは疑いない。 Paganiniの演奏を聞いた直後に、ショパンは自分のためのエチュードの作曲にとりかかった。 Paganiniの演奏は、それほど感銘を与えたものであり、その演奏の中に、完全な子馬を身に つけてからの表現、ということを切実に感じとったためであろう。1829年10月20日、Tytus Woyciechowski註15に書し・た手紙の中に、はじめてエチュードの作曲に着手したことを報せて いる。この同じ手紙中で、毎週金曜日に、Kesslerの家で開かれているソアレーのことを記 し、その夜会にはプログラムの予定が何もなく、思いつくままに参加したものが演奏するとい うKessler家独得の夜会のことを詳しく書いている。ショパンも出たとこ勝負で、 Riesのコ ンチェルトやHummelのトリオ・Beethovenの〈大公〉を初見で弾いたりしているのである。  ショパンのプレリュードを研究する上で、作曲の時期を推定しようとしても、ショパンは何 処にもその着手の時期を明らかにしょうとはしていない。エチュードに関しては、1829年10月 28日の手紙がその着手の時期を明らかにしてくれているだけである。しかし,このエチュード とて、現在のエチュード・作品10のいずれにあたるものを作曲したのか明らかではなく、ある いはこの時期に書かれたものは、作品10に含まれていないこともありうるとも考えられる。シ ョパンのいうエチュードは、未だこの時点では明確なものではなく、他の作曲者のように、 <Exercise et Prelude>の類であった可能性もあり得るのである。ショパン自身は、「Zrobilem Exercise du2y en forrne, w moim jednym sopsobie, jak sie, zobaczymy, to ci go poka2e,ll (ちゃんとした形式をとった大練習曲を作曲しました。自分の方法で。さてどうなるか。それを 君に弾いてみせましょう)としている。このExerciseは実に漠としたスタイルの上での表現 であり、プレリュードと区別することは難しい。また、Wttrflの全調によるプレリュードも、 全調という性格からみてハ長調から書いたものであろうという推定はできるものの、その楽譜 は見当らない。19Cはじめにはエチーユドとプレリュードの混同の時代がみられるのであるが、 ショパンもまさにその混同の中で作品を書こうとしたのであり、ショパンのいうExerciseに しても、Preludeの性格を具えたものではなかったかという問題が生じてくるのである。ただ 一つ、鍵ともなる手紙の文章は、en formeという言葉であり、形式のととのった、というだ けのことであり、当時のショパンとしては、よくやったように書きなぐりのものではなく、一 気に書きあげたものであったとしても、ちゃんとした形式をふんだものであることを強調して おり、スケッチでないことを意味していたのではないだろうか。  当時のショパンは自分のスタイルをつくりあげるたあに、暗中摸索していた時代から脱しつ つあった。管弦楽伴奏付の作品を数Ilh作曲し、独奏曲やトリオも完成していた時期である。し かし、未だ新しい分野の作品を新しく書くとなれば、その摸範となるような作品にまず目を通 した時期であったろう。Szymanowska, Clementi, Humme1, Wttrf1ばりの新しい作品を書 いてみようという試みは、1829年当時ショパンの胸中にあったのではないだろうか。それが、 エチュードとなるのか、あるいは、プレリュードとなるのかは別としても、ショパンは確かに

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ショパンのプレリュードの研究 新しいジャンルの作品を意識していたに違いない。それが、Paganiniを聞いたことによって 一時に噴出したのであろう。私は、このとき、ショパンの作品に決定的影響を与えたものとし て、Symanowskaのエチュード・へ長調譜例1が、ショパンの意識の中で大きな位置を占めてい たと考えている。へ長調のエチュードは、Szymanowskaの〈20 Exercise et Preludes>の第一 曲で、1820年に発表されたものである。ショパンは、勿論この曲集のことは充分に熟知してい た筈であり、ポーランドの生んだこの女流ピアニスト、Szymanowskaの作品に親しんでいた と考えてもよい。このSzymanowskaの第一曲とショパンのへ長調のエチュードの音形が余り にも似すぎている。私はショパンがSzymanowskaのエチュードを弾くとき、臼分ならばこう 書く、という風に、左手の方に一つの声部を与え、いつの間にか自分の手中にSzymanowska の作品を引き込んでいたのではないだろうかという仮説をたてている。  ショパンがエチュードの作曲をはじあた、と明言しながら、その調性も明らかにせず、た だ、“en forme”ということだけの暗示しか残していない点、“エチュード”と断りながら、末 だそれがエチュード集に発展するかどうか分らない段階でのことであったことも、こうした推 測につながる可能性を残している。更にPWMのプレリュードを装釘した、 Bonaventura Le nartの説によると、装釘以前のプレリュードのリーフの状態は、1∼4、5∼10、11∼14、 15∼18、19∼22、という風に、5つのリーフとしてまとめられていたという。とすれば、へ長 調と二短長を含む、23∼24とリーフはどうなっていたか、という問題が生じてくるが、装釘者 のLenartもPWMのファクシミル版の校閲者であるW. Hordynskiもこれに関しては、 何のコメントもしていない。多分、5つのリーフは、プレリュード集を書くための調の配列を 意識して、ショパン自身によってつくられ、第6リーフになるべきものは、別に準備され、後 で一つにまとめられてフォンタナに送られたものであろう。この点でも、プレリュードとして 最初から書こうとしたのか、へ長調と二短長の二曲の完成の後に、ずっと後にプレリュードが 大きくクローズアップされたのか、その点もショパンは明らかにしてくれてはいない。エチュ ード・プレリュードといった混同の発想から、プレリュードプロパーへの動きということは、 以上のことから考慮しなければならない問題として、今後の研究に待つことが多いと考えられ る。  既に、相愛女子大学研究論集第26巻の中で述べたように、ポーランド国立図書館蔵のショパ ンの自筆譜は、肉眼で調査しても、明らかに三種類のインクで書かれたことが判然としてい る。一番濃い色をしたインク、一番淡い色調をその中間のものと、同じセピア調の色ではある が、三種のインクの色は明確に違いを示している。一番濃度の濃いものをアトラメントA、中 間をB、淡いものをCという風に区別することにする。アトラメントCは、ショパンが1839年 1月22日、マヨルカからFontanaに宛てて、自筆稿を送るときに、 Kesslerに献呈する一節 を書き込んだ特徴あるもので、このCによる加筆がプレリュード全般に及んでいることからみ て、マヨルカで用いたものであることは明確である。それに反し、明らかに後で組みこんだと       7

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考えられるもの、例えば第四番ホ短調は、スケッチが他になされており、第3番ト長調の残り の6段に書き移されたことを物語っている。ショパンは、作曲のとき一段間を置いて書くのが 普通であるのに、ホ短調は確かに書き移しをしたものであるように、ト長調の残り6段にぎっ しりとつめて書きこんでいる。しかし、この書き移しはアトラメントBでなされていて、臨時 記号などだけがCで書きこまれている点からみて、この曲などはパリ時代にどこかから書き移 され、マヨルカで加筆ということになり、少くとも第3番目長調の方が先にリーフの上で完成 されていたとみることができる。こういう風に各リーフの状態、アトラメント、書法、筆蹟と いう風に組みたててゆくと、23番へ長調と第24番二短調が、この僻耳の中でも全く違った筆致 をみせ、アトラメントもAであって、比較的早い時期、多くの伝記作家のいうように、1831年 ごろをこえて、1829∼30年ごろに逆のぼることすらできると考察している。この点で、原典と もいうべきショパンの自筆譜の研究なしに、作曲の時期を特定しているM.Brownの研究と Chronological Orderによるナンバーを信頼することはできない。  ショパンの自筆による第23番へ長調プレリュードは、リーフの状態から察しても、第一頁を 飾るものであった。先述のようにBrownの説のように1836∼39年11,月謝の作品という風に、17 曲は一気に作曲されたものでもなく、1839年11月というに至っては、もう問題にならない。プ レリュードの出版は、フランス版が1839年6月、イギリス版が同年8月、ドイツ版が9月であ り、この点だけでもBrownの説は信頼する訳にはいかない点を明瞭に晒けびしている。ショ パンの自筆譜とSzymanowskaのエチュードの二点をみれば、多くの類似点があることに気付 く。まず、16分音譜の走り廻る右手のパッセージは、無窮動となっており、Szymanowskaのエ チュードは、8小節で一つのしめくくりを示している。ショパンの場合は、その8小節をこえ て更にオクターブ上で更に華麗なピアノ書法を展開してゆく。ショパンとSzymanowskaの書 法の違いは明確である。同じようにへ長調という調性をとりながら、ショパンは、Moderato, SzymanowskaはVivace、ショパンはピアノではじめ、 Szymanowskaはフォルテではじめて いる。ショパンは2小節目で早くも対位旋律を左に配し、調性の移ろいを暗示し、インタード ミナンとを暗示しながら次に発展するというポリフォニーの独得な用法を示している。これこ そ、ショパンの作風の真髄ともいえるもので、移ろい流動する調性は、ショパンの生涯を通じ て用いられた書法の一つであった。右手の走り廻るパッセージこそ、このプレリュードの特徴 の一つであって、この中には多分にエチュードとしての意味あいを含めている。更に、Szyma− nowskaからの影響と考えるとしても、ショパンのものは完全にポリフォニーとして作曲され ており、ここにもピアニスティックな難しさが加味されている。もう一つ、注意しなければな らないのは、ショパンの書いたペダルである。このエチュードに限らず、ショパンのペダリン グは実に巧みに書き込まれていて、現在のピアノに充分に耐えるものであり、ヘンレ版のコメ ントの中で、L. B. Meyerの言うように、スクエアー・ピアノ用のペダリングではなく、ピア ノの響盤を充分に用い、アコースティックな効果を充分に考慮した上につけたものであるだけ 8

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       ショパンのプレリュードの研究 に、演奏するものは注意して弾かなければならない。  このへ長調のプレリュード譜例2こそ、1829年にショパンが書いたttエチュード”ではないか という仮説をたてているのだが、へ長調のプレリュードにはエチュード的要素が充分に組み込 まれている。特に4小節の3・4雪目の音形のとり方については苦心したとみえ、一度書きあ げたものを真黒にぬりつぶし、第二段目の初めに改めて書き込み譜例7のA、特にその早き努めた ところでも第4拍の右手は、一度、C−F−G−Aと書いたGをぬりつぶして、 C−E−F−Aとい う風に訂正している。この第4小節は一つの試錬であったようである。第1・2拍目のところ に書きこんだペダル記号も、他のものとは違い、開けてあったところに、アトラメントCで後 に記入したことが明らかに読みとれる。5小節目のペダル記号譜例8のDもマヨルカで記入した ものであり、他の筆蹟とは全く異った筆勢で書かれていることにも注目しなければならない。 14小節目第1拍の左手の3連音譜の第3音には、写譜者が間違えないようにre譜例8のEと記入 しているあたり、かなり細かな配慮がみられる。この部分も苦心したところであり、書き直し ているが、肉眼による調査では、元の音形を読みとることは不可能であった。16小節の左手 も、実に苦心したことが読みとれる。左手の部分のみ、黒々と塗りつぶし、欄外に5線を書い て訂証しているのだが;糊7のB、元の楽譜の消し具合からみると、かなり多くの音が左手に与え られていたふしがうかがわれる。19小節以下22小節までは’全体を黒くぬりつぶし譜例3、2段 あけて、改めて書いているが、この部分は消してあるものの、元の右手の音形はかなり正確に 読みとれる。実際に19小節以後で、ショパンは確実に行きづまったようである。アウトグラフ 36頁の最後の1小節譜例7の。、つまり第19小節は全く違った風に、もう一度第11小節と同じ音 形をとって書こうとしていた風である。しかし、頁を代えて37頁に移ったとき、違った楽想が うかび、もとの19小節目とあわなくなりながらも、そのまま筆を進めたところ、完全にリズム がおかしくなり、思いきって書き込んだ譜面、19小節以下を消去したものである。自筆稿の37 頁の5・6段を用いて書き直した部分は、20小節の第3拍目までは、消去したものと完全に同 じであり、その第4拍目に19小節目の第4拍の音形を加えて、21小節目に至ったものがかなり 判然と読みとれるのである。特に消去した方の楽譜を入念にみると、小節線も引かずに音形を 書きこんで、後になって拍子通りに進行していないのに気づいて、訂正した風にもとれるので ある。ショパンの書法を知る上で、これも興味深いことである。  第24番・二短調は譜例3、自筆楽譜37頁の下7段を使って書いている。この曲は、へ長調に続 けて書いたものとみえ、プレリュード全曲の中でも、この二曲のみ、アトラメントAで書かれ ている点、時期的にかなり早期に書かれたものだとみることができる。左手の音形が終始同じ 音形を保つため、あるいは曲想にしたがって一気に書きあげられた形跡がありありとうかがわ れる曲である。この曲は、独立して作曲されたという説もあるが、リーフの状態からみても、 へ長調・二短調と連続てし曲作されたとみる方が妥当であろう。ショパンの手紙にいう、“形 式をとった”というのは、この曲を仕上げたのちの自信のことばではないだろうか。7小節目 9

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にみえる消去のあとは、右手の旋律線に関するもので、右手の3音からなる装飾音は、当初16 分音譜3つの旋律線として書いていたものを、装飾音に書き改めたものである。10・11小節に みえる消去は、子細に観察すると、消去前と同じ左手の音形の持続である。14小節目から15小節 にかけてのスケールは、14小節目の1点ハ音から4点へ音のものであるが、作曲当時スケール の最低音と最高音のみを書きこんで、そのまま放置し、のちにヴァルデモーザに滞在中にアト ラメントCを用いてスケールのすべての音、臨時記号を書きこんだものである。この同じよう な書法は18∼19、31∼32、34∼35∼36の各小節でもみられるもので、かなり作曲当時は即興的 に弾いていたと思われるところである。54・55・56の3小節にわたる連続3度の音形は作曲当 時から記入されたもので、アトラメントAを用いて、確実に記入されているものの、シャープ、 フラット、ナチュラルの各記号は、矢張りマヨルカでのCで後に書き込んだものである。66∼ 67、70の細かいでi形もマヨルカでの記入、ただ74の下降する音形はアトラメントAを用いてお り、この終止直前の音形だけは、確実に記入されていたものである。こうしてみると、24番二 短調は、確実な楽想を捉えた上で作曲されてはいるが、かなりの部分、特にピアニスティック に重要な部分がスケッチ風に残されたままになっていて、のちにヴァルデモーザに滞在中に加 筆・修正したものとみることができる。  ショパンが何時、プレリュードに取りかかったかは、前述のように未だ明らかにされてはい ない。同時に、ショパンの言うエチュードの作曲も、1829年10,月28口の手紙に書かれてはいる ものの、どの曲であるかという点については、何れも明記していない。当時のショパンの周囲 の状況、作曲界の動向などをふまえ、更にショパンのプレリュードの自筆譜を調査した結果、 へ長調・二短調の二曲のみが、確かに違う筆蹟をもち、アトラメントAの濃いインクで書きあ げられ、加筆がマヨルカのアトラメントCであるところがらみても、この二曲がかなり以前の 作品であり、あるいは、1829年に作曲したエチュードというのが、この二曲である可能性もあ るとして、あえてここに一つの仮説をたててみた次第である。当時のショパンの心中には、未 だエチュードの作曲というよりは、Symanowskaと同様に<Etudes et Preludes>の考えが あったかも知れない、とも考えている。これを立証するためには、同時期の作品研究、特に筆 跡の研究をすすめなければならないのは当然であり、そこに重点を置いてこの研究を続けた い。 註1 Kessler,(K6tzler)Joseph Christoph(1800∼1872)ドイツ生れのピアニスト、作曲家、教授。ル   ヴフとワインッージ在のポトツキ家の音楽家としてポーランドに招かれ、後ワルシャワに移り、ワル   シャワ音楽院にて教鞭をとる。 註2 Pleye1, Joseph Stephen Camille(1788∼1855)lgnaz Joseph Pleyelの息子。ピアニスト、作曲家、   ピアノ製造業及び楽譜出版にも手を拡げ、事業家としても知られている。 註3 Foutana, Julian(1810∼1869)ポーランド生れのピアニスト、作曲家。ショパンとワルシャワ音楽院 10

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ショパンのプレリュードの研究 4﹁D

註註

註6 註7 註8 註9 で同級生。パリ時代のショパンを様々な意味で援助していたが、のちアメリカに移り、再びパリにも どって、ショパンの死後、遺作の出版をたすけた。 Krystyna Kobylanska: Chopin Werkrerzcichnis. Verloreugegangeue Werke. pp. 246. Leichtentritt, Hugo(1874∼1951ポーランド生れのドイツ人、音楽学者、作曲家。ショパンの作品 研究家としても有名でAnatyse der Chopinschen Ktavievwevkeや、「ショパン評伝」の著書があ る。 Potocka, Delfine(1805∼1877)ポーランドの名家,コマール家よりポトツキ家に嫁いだ人。生れつ き芸術的才能に恵まれていた。そのためか,ポーランド・ロマン主義文学の庇護者でもあった。美し いソプラノの声をしていたといわれ、またピアノもかなり弾けたという。パり時代のショパンや詩人 のクラシニ・スキとのロマンスが。舌題となった。死の床についたショパンのために,最後に歌ってきか せたことでも有名である。 Perthuis, Comte de、ルイ・フィリップの副官をつとめた伯爵。夫人はショパンのピアノの弟子であ った。 Clementi, Muzio(1752∼1832)ピアニスト、作曲家。ピアノの教師としてもgradus ad Paru−nas− sumの作曲家として知られている。 WUrfl, Waclaw Wilem(1791∼ユ852)ボヘミア生れのドイツ系音楽家。ピアニスト、作曲家、オル ガニスト。ボヘミアでTomaszekに帰事したのち、ボー一一ランドに移り、ワルシャワ音楽院でオルガ ンと通奏低音の講座を受けもった。ショパンのウィーン・デビューの時には、乱雑に書かれていたシ ョパンのオーケストラ・スコアを書き改めたり、ショパンのデビューを援助した。 註10Zywny, Wojciech(1756?∼1842)ボヘミア生れの音楽家。ショパンの最初の先生として知られてい    る。 註11Tom能ek, Vaclav(1774∼ユ850)ボヘミアのf乍曲家。プラーハを中心に音楽活動をしていた。改曲、    交響曲、協奏曲、エグm一グなどの作品を作曲し、初期ロマン派の中でも撞情的作風をもった入とし    て知られている。 註12Paganivi, Niccolo(1782∼1840)イタリア生れの名ヴァイオリニスト、作曲家。ロマン派初期のピァ    ノ音楽に、多大な影響を与えた。 註ユ3Biaioflocki, Jan(1805∼1828)ショパンの友人、作家となることを願っていた。 註14Szylnanowska, Maria(1789∼1831)ポーランド生れのピアニスト・作曲家。.ヨーロッパ各地を演奏    旅行し、ポーランドの名花とうたわれた。ポーランド音楽史上では、ショパンの前の時代を埋める大    音楽家として研究をすすめられている。 註15Woyciechowski, Tytusショパンの少年時代を通じての親友。        参考資料 A自筆稿(Autograph). B 複写譜(Faksymilowane Wydanie Autografow F・ Chopina−Zeszyt I. Fryderyk Chopin 24 Prelu−  dia. Rekopis Biblioteki Narodowej w Warszawie. wstepem opratrzyl Wladystaw Hordyfiski.  Polskie Wydawnictwo Muzyczne, Krak6w 1951). C フランス版、カトラン理非版本(24Pr61udes pour le piano, dさdie a son ami Camille Pleyer,  par Fre. Chopin. 1 livre. Divise en deux Livres. Prix F f r 50. Paris, chez AD. CATELIN et  Cie. Editeurs des Compositeurs reunis, Rue Grange Bateliere. No. 26. AD. C (s60) et Cie.  Londres, Chez Wessel et CO. Leipzig, Chez Breitkopf et Haertel.) D フランス版、ブランデュ社(24 Preludes pour Ie piano, dedies自son ami Cami11e Pleyer, par  Fred. Chopin op. 26. Divises en deux Livres Prix qf. No. ; Paris, Chez Brandus et Cie. 11

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Editeurs 103 Rue Richelien. St, Petersbourg, Maison Braudus. B. et Cte. 4594. Londres, chez Wessel et Cie. Leipzig, chez Breitkopf et Haertel.) E ドイツ版、初版、ブライトコップ・ウント・ヘルテル社、(Vingt−quatre Pr61udes pour le piano,  dedies a son ami J. C. Kessler par Fved. Chopin. Oeuvre 28. Propriete des Editeurs, Pr. 2  Rthlv. Leipzig chez Breitkopf & Havtel. Paris, chez Pleyel & Co. 6088. Enregistre dans L’Ar−  chive de L’Union.) F イギリス版、初版、ウェッセル社、(Book of Twenty Four Grand Preludes through all Keys.  for the Piano Forte. dedicated to his friend. Camille Pleyel by Fred. Chopin. Performed by  the author at the court of St Cloud. Copyright of the publishers. op. . Ent. Sta. Hall. Price 6/ca. this work for p. s. Book 5&60f Chopiゴs Grand Studies. London. Wessel&Co・ lmporters of Foreign Music & Publishers of all the Works of Chopin. Kuhlau. Hummel. &  C. No. 67 Frith Street. Corner of Soho Square. Paris. Catelin & Co. Leipzig. Breithopf & Co.)        .シヤーマー版楽譜、(Schirmers Library of Musical Classics. vol.1547 Carl Mikll edition・) シヤーマー版楽譜(Schirmers Library of Musical Classics. vo1.34. Rafael Joseffy edition.) ペテルス版楽譜(Edition Peters. Nr.1908a. Herrmann Scholtz ed.) パデレフスキ版楽譜(Chopin Complete Works editor Paderewski L P. W. M) ウイーン原典版楽譜(Chopin,24 Preludes oP.28. Hausen/Demus. Wiener Urtex Edition.   UT 50005 Musikrerlag Ges. m. b. H. & Co., K. G., Wien.)    ヘレン版楽譜(Fr6d6ric Chopin Pr61udes. Nach Eigenschriften und den Erstausgaben Herau.   sgaben und mit Fingersatz Versehen von Hermann Keller. G. Henle Verlag MUnchen−Dui−   sburg.) L コルト町版楽譜(Chopin 24 Preludes oP.28 students’. edition by Alfred Cortot. Trons1. by   David Ponsonby. Editions Salabert, Paris.) M ブライトコップ・ウント・ヘルテル版、(Preludes, Scherzos, Impromptus ftir das Pianoforte  von F. Chopin. Neue Ausgabe. Leipzig Breitkopf&Harte11ユ638.) N Maurice. J. E, Brown; Chopin:an lndex of his works in chronogical order. Robert Macle−  hose and co LTD. University Press. 1972. O Krystyna KobylanSka; Rekopisy utwor6w Chopina Katalog lm Verlag Polskie Wydawnictwo  Muzyczne, G. Henle Verlag MUnchen. Krakau 1977. P Krystyna Kobylanska; Rekopisy Utwor6w Chopina Katalog Vol. 1 Polskie Wydawnictwo  Muayczne 1977・ Q Krystyna Kobylanska; Rekopisy Utwor6w Chopina Katalog Vol. 2 Polskie Wydawnictwo  Muayczne 1977・ ’ 12

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