『中書王御詠』注釈稿(二)
著者
中川 博夫
雑誌名
鶴見大学紀要. 第1部, 日本語・日本文学編
号
54
ページ
13-54
発行年
2017-03
URL
http://doi.org/10.24791/00000199
Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja『中書王御詠』注釈稿(二) 一三
『中書王御詠』注釈稿(二)
中
川
博
夫
例
言
一、鎌倉幕府第六代将軍宗尊親王の家集の一つ『中書王御詠』 (三五八首)の注解を試みる。 一、1番歌から始めて順番どおりに注釈を付して、数次の分載とする。今回は、夏(五一~八〇)を取り上げる。 一、次の各項からなる。 ①整定本文。②本文を改めたり注記が必要な場合は、本文の項目を立てる。③通釈。④本歌・本説・本文(前項の 「 本 文 」 と は 別、 基 に し た 漢 詩 文 の 意 )、 参 考( 宗 尊 が 踏 ま え た 歌 な ら び に 解 釈 上 に 必 要 な 歌 )、 類 歌( 表 現・ 趣 向 が 類 似 し た 歌 )、 影 響( 宗 尊 歌 を 踏 ま え た 歌 )、 享 受( 宗 尊 歌 を 本 歌 取 り し た 歌 )。 ⑤ 出 典。 ⑥ 他 出。 ⑦ 語 釈。 ⑧ 補 説。②と④~⑧は、無い場合には省略。 一、 底 本 は、 冷 泉 家 時 雨 亭 文 庫 蔵 本 の 影 印 版『 冷 泉 家 時 雨 亭 叢 書 第 三 十 一 巻 中 世 私 家 集 七 』( 二 〇 〇 三・ 八、 朝日新聞社)に拠る。適宜、底本の写しである書陵部蔵本(五○一・八七)を参照する。 一、本文は、次の方針に従う。一四 1.底本の翻印は、通行の字体により、歴史的仮名遣いに改め、意味や読み易さを考慮して、適宜ひら仮名を漢字 に、漢字をひら仮名や別の漢字に改める。送り仮名を付す。清濁・読点を施す。なお、原則としてひら仮名の反 復記号は用いない。 「謌」 「哥」は「歌」に統一する。 2. 本 文 を 改 め た 場 合、 底 本 の 原 状 は 右 傍 に 記 す( 送 り 仮 名 を 付 し た 場 合 は 圏 点 )。 私 に ふ り 仮 名 を 付 す 場 合 は ( )に入れて区別する。その他、問題点や注意点は、適宜特記する。 3.他資料の本文との異同は、漢字・仮名の別や仮名遣いの違いや送り仮名の有無など、表記上の違いは原則とし て取らない(解釈の分かれる可能性のある表記上の違いである場合は参考までに注記する) 。 4.底本の本行の原状(見消ち等の補訂は本行に復元)に対して他資料の本文との異同を示す。 5.底本の和歌には、合点(鉤点)が付されていて、まま胡分の塗り消しがあるという。また、為家の評語にもま ま 墨 滅 箇 所 が あ る。 影 印 版 で は 判 然 と し な い の で、 時 雨 亭 叢 書 の 解 題 に 付 載 の 一 覧 に 拠 り つ つ、 こ れ ら を〔 補 説〕に記すこととする。 6.歌頭に通し番号を付した(新編国歌大観番号と同じ) 。 一、 引 用 の 和 歌 は、 特 記 し な い 限 り 新 編 国 歌 大 観 本 に 拠 る。 万 葉 集 は、 原 則 と し て 西 本 願 寺 本 の 訓 と 旧 番 号 に 従 う。 なお、表記は私に改める。歌集名は、原則として「和歌」を省く。その他の引用は、日本歌学大系本他の流布刊本 に拠る他、特殊な本文の場合には特記する。
『中書王御詠』注釈稿(二) 一五
注
釈
夏 百五十首の歌に、夏山 51 夏 なつ 来 き ても 衣 ころも は 干 ほ さぬ 涙 なみた かないづくなるらん 天 あま の 香 か 具 く 山 〔通釈〕 夏 百五十首の歌に、夏の山 夏がやって来ても、衣更えせずそのまま衣は着て干さないままに(濡らす)涙であることだな。いったいどこの ことであろうか、衣を干すという天の香具山は(自分とは無縁だ) 。 〔 本 歌 〕 春 過 ぎ て 夏 来 に け ら し 白 妙 の 衣 干 す て ふ 天 の 香 具 山( 新 古 今 集・ 夏・ 一 七 五・ 持 統 天 皇。 原 歌 万 葉 集・ 雑 歌・二八、西本願寺本四句右訓「衣さらせり」左訓「衣干したり」 ) 〔 影 響 〕 夏 衣 干 さ で や 朽 ち ん 五 月 雨 の 晴 れ ぬ 雲 ゐ の 天 の 香 具 山( 隣 女 集・ 巻 三 自 文 永 七 年 至 同 八 年 ・ 夏・ 山 五 月 雨・ 一一〇二) 夏過ぐる天の香具山いとどまた干さぬ衣に露や置くらむ(嘉元百首・秋・露・二一三二・国冬) 五月雨の降りにし日より雲閉ぢて衣も干さず天の香具山(延文百首・夏・五月雨・二四二八・有光) 五月雨に峰のまさか木雲閉ぢて衣も干さず天の香具山(南朝五百番歌合・夏三・二四二・教頼)一六 干しかくる霞の衣隙もなしいづくの空か天の香具山(草根集・春・春天象・九三一) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏山・五三四。 〔 語 釈 〕 ○ 夏 き て も ― こ こ は、 「 衣 」 の 縁 で「 着 て も 」 が 掛 か る と 解 す る。 早 く、 和 歌 六 人 党 の 一 人 藤 原 経 衡 に「 夏 来 て も 忘 れ ざ り け り 梓 弓 春 め で た し と 見 え し に ほ ひ は 」( 経 衡 集・ 四 月 一 日 の 残 り の 花 惜 し む・ 三 七 ) の 作 例 が あ るが、 「…(季)きても」の形は、 「春来ても」と「秋来ても」が多い。 「衣」との詠み併せの先行例としても、 「秋 き て も ま だ ひ と へ な る 衣 手 に 厭 は ぬ ほ ど の 風 ぞ 吹 く な る 」( 六 百 番 歌 合・ 秋・ 残 暑・ 三 〇 六・ 家 隆 ) が 早 い。 ○ 天 の香具山―大和国の歌枕。奈良県橿原と桜井の両市にまたがる山。藤原京の東に位置する。耳成山、畝傍山と共に 大和三山と言われる。 「天の(あまの・あめの) 」を付すので、天空近い山との印象がある。 〔 補 説 〕 「 夏 山 」 題 で、 清 澄 な 夏 の 到 来 の 気 分 が 漂 う 持 統 歌 を 本 歌 に し な が ら、 涙 に 暮 れ る 述 懐 を 詠 じ る。 先 に 注 釈 を 施 し た『 瓊 玉 集 』 や『 竹 風 抄 』 に 散 見 す る 歌 と 同 様 に、 『 正 徹 物 語 』 が 言 う「 宗 尊 親 王 は 四 季 の 歌 に も、 良 も す れば述懐を詠み給ひしを難に申しける也。物哀れの体は歌人の必定する所也。此の体は好みて詠まば、さこそあら んずれども、生得の口つきにてある也」という評価は当を得ているのである。そして、その宗尊の詠作傾向は、幼 くして鎌倉に赴いて将軍として過ごした時期から、地位を追われて京都に戻った後の時期までを通じたものであっ た と い う こ と に な ろ う。 参 考、 拙 稿『 瓊 玉 和 歌 集 注 釈 稿( 一 ~ 四 )』 ( 本 紀 要 四 五 ~ 四 七、 平 二 〇 ~ 二 二・ 三、 『 鶴 見日本文学』一四、平二二・三) 、『竹風和歌抄注釈稿(一~五) 』(本紀要四八~五二、平二三~二七・三) 。 影響に挙げた前の四首は、 「天の香具山」の「衣」を「干さ」ないと言う点で該歌に連なる。後の一首は、 「天の 香具山」を「いづく」とする点で該歌に共通する。
『中書王御詠』注釈稿(二) 一七 合点あり。 卯花 52 有 あり 明 あけ の 月 つき にやこれも 紛 まが ふらん 吉 よし 野 の の ゝ 里 さと に 咲 さ ける 卯 う の 花 はな 〔通釈〕 卯の花 有明の月に、 (白雪だけでなく)これも紛うであろうか。吉野の里に咲いている卯の花よ。 〔本歌〕 朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪(古今集・冬・三三二・是則) 〔参考〕 月影を色にて咲ける卯の花は明けば有明の心地こそせめ(後拾遺集・夏・一七三・読人不知) 雪としも紛ひも果てず卯の花は暮るれば月の影かとも見ゆ(金葉集・夏・一〇〇・江侍従) さ ら で だ に そ れ か と 紛 ふ 山 の 端 の 有 明 の 月 に 降 れ る 白 雪( 続 古 今 集・ 冬・ 六 六 八・ 為 家。 弘 長 百 首・ 冬・ 雪・四〇二。為家集・九〇一。和歌口伝・九) 〔 類 歌 〕 朝 ぼ ら け 吉 野 の 里 の 卯 の 花 も な ほ 有 明 の 月 か と ぞ 見 る( 文 保 百 首・ 夏・ 三 二 一・ 内 経。 新 続 古 今 集・ 夏・ 二二八) 〔他出〕 夫木抄・夏一・卯花・六帖題御歌、卯花・二四〇八、 二句「月にやこれを」 。 〔語釈〕 ○吉野の里―大和国の歌枕。吉野の郷名。 〔 補 説 〕 「 卯 の 花 」 は「 吉 野( の 里 )」 の 伝 統 的 景 物 で は な く、 該 歌 の 詠 み ぶ り は 新 奇。 本 歌 と 併 せ て 参 考 の『 後 拾 遺』歌にも負うか。類歌も該歌と同様だが、あるいは該歌からの影響の可能性もあるか。
一八 参考の為家「さらでだに」詠も、本歌「朝ぼらけ」を踏まえる。 郭公 53 我 われ もまた 隠 かく れてなかむ 時 ほとゝきす 鳥 世 よ をうの 花 はな の 陰 かけ はいづくぞ 〔通釈〕 郭公 私もまた、隠れて泣こう。卯の花の陰に隠れて鳴く声を忍ぶという時鳥よ、世の中を憂く思うときの物陰、卯の 花の蔭は何処なのか。 〔本歌〕 なく声をえやは忍ばぬ時鳥初卯の花の陰に隠れて(新古今集・夏・一九〇・人麿) 〔 参 考 〕 山 が つ の 垣 ほ わ た り に 宿 も が な 世 を う の 花 の 盛 り な る 頃( 長 秋 詠 藻・ 〔 保 延 六、 七 年 堀 河 百 首 題 述 懐 百 首 〕 夏・卯花・一二三) 〔出典〕 文永三年十月五百首歌。→1。 〔他出〕 竹風抄・毎一・文永三年十月五百首歌・卯花・一九九、初句「我もいざ」 〔語釈〕 ○なかむ―「泣かむ」に、 「時鳥」の縁で「鳴(く) 」が掛かる。○世をうの花の陰―「世を憂」から、 「う」 を掛詞に、 「卯の花の陰」に鎖る。 「陰」には、 「世を憂」の縁で、隠れる物陰の意が掛かる。 待郭公 54 小 を 塩 しほ 山 やま 待 ゝ つにつれなき 時 ほとゝきす 鳥 神代もかくや 音 ね を 忍 しの びけむ
『中書王御詠』注釈稿(二) 一九 〔通釈〕 待つ郭公 小 塩 山 は、 そ の 松 な ら ず 待 っ て い る の に つ れ な く 冷 た い 時 鳥 よ。 神 代 も こ の よ う に、 鳴 き 声 を 忍 ん だ の だ ろ う か。 〔本歌〕 大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひ出づらめ(古今集・雑上・二条后の、まだ東宮の御息所と申 しける時に、大原野に詣で給ひける日、よめる・八七一・業平。伊勢物語・七十六段・一三九・近衛府に 侍ひける翁) 〔参考〕 大原や小塩の山の時鳥昔にあらぬ音をや鳴くらん(土御門院御集・同〔名所〕夏・三七六) 郭公ふり出でて鳴け神代にも唐紅の声は聞こえず(宝治百首・夏・聞郭公・八八二・道助) 子 規 三 輪 の し め 縄 い く 返 り 神 代 の 声 に 鳴 き ふ る す ら む( 後 鳥 羽 院 定 家 知 家 入 道 撰 歌〔 家 良 〕・ 知 家 大 宮 三 位 入道撰・夏・一五五) からさきのみゆき待つとや時鳥神代かはらぬ声の聞こゆる(中院集・夏・九八) 〔類歌〕 みゆきせし小塩の山の時鳥声や神代にかはらざるらむ(深心院関白集・夏・山郭公・一六) 大原や小塩の山の郭公神代をかけてよよ語らまし(文保百首・夏・三三二一・少将内侍) 大原や小塩の山の時鳥我に神代のこと語らなむ(続後拾遺集・夏・一六九・冬教) 跡垂れし神代も知るや郭公山田の原のおのがふる声(宗良親王千首・夏・原郭公・二二九) 時鳥神代ながらの声すなり天の岩戸の曙の空(師兼千首・夏・曙郭公・二二四) 〔影響〕 一声もをしほの山の郭公神代もかくやつれなかりけん(新葉集・夏・一七四・懐邦親王) 〔出典〕 文永二年潤四月三百六十首歌。→2。
二〇 〔他出〕 柳葉集・巻五・文永二年潤四月三百六十首歌・夏・六八二。 〔 語 釈 〕 ○ 小 塩 山 ― 山 城 国 の 歌 枕。 乙 訓 郡( 現 京 都 市 西 京 区 ) 大 原 の 大 原 野 神 社 西 方 に あ る 山。 ○ 待 つ ―「 小 塩 山 」 が 序 詞 の よ う に 働 き、 そ の 縁 の「 松 」 と の 掛 詞 で「 待 つ 」 と 言 う。 「 左 大 臣 の 家 の 男 子 女 子、 冠 し、 裳 着 侍 け る に /貫之/大原や小塩の山の小松原はや木高かれ千代の影見む」 (後撰集・慶賀・一三七三) 。○神代もかくや―「い に し へ の 神 代 も か く や 春 の 花 秋 の 紅 葉 は 定 め 置 き け ん 」( 千 五 百 番 歌 合・ 雑 一・ 二 七 一 五・ 二 条 院 讃 岐 ) が 早 く、 「ちはやぶる神代もかくや荻の葉に秋風吹けば涙落ちけん」 (宝治百首・秋・荻風・一二八五・家良)が続く。 〔 補 説 〕 和 歌 の 景 物 や 事 象 の 本 意 に 関 わ る 起 源 を 問 う よ う な 歌 は、 宗 尊 の 詠 作 に 目 立 ち、 そ の 特 徴 の 一 つ だ が、 「 神 代もかくや」の先行歌に窺われるように、それは中世初頭から見え始める傾向でもあろう。 参 考 の 業 平 の「 大 原 や 」 の 歌 は、 大 原 野 神 社 が 春 日 大 社 の 分 祠 な の で、 「 神 代 の こ と も 思 ひ 出 づ ら め 」 と 言 う。 参考の土御門院詠はこれを踏まえて、その「大原や小塩の山の時鳥」が「昔」とは違う声で鳴いているかと思いや っ て い る の で あ ろ う。 こ れ ら に、 参 考 の 後 二 首 に 挙 げ た よ う な 鎌 倉 前 中 期 頃 か ら 詠 ま れ 始 め る「 時 鳥 」 と「 神 代 」 を結び付けた歌が相俟って、該歌のような趣向を生まれさせたのであろう。類歌に挙げた歌は、これらの延長上に ある。懐邦親王の一首は、該歌に負っていると見た。 合点あり。 百首の歌の中に 55 心 こゝろ あらば 一 ひと 声 こゑ 過 す ぎよ 時 ほとゝきす 鳥 木 こ の 間 ま やすらふ月の 山 やま の 端 は 終句不 二庶幾 一候
『中書王御詠』注釈稿(二) 二一 〔通釈〕 百首の歌の中で もし情けがあるのならば、一声鳴いて飛び過ぎてくれ、時鳥よ。木の間に、ぐずぐずととどまる月が(西の)山 の端にかかる内に。 終句は、庶幾わなくございます。 〔本歌〕 夏山に鳴く郭公心あらば物思ふ我に声な聞かせそ(古今集・夏・一四五・読人不知) 〔 参 考 〕 郭 公 一 声 す ぎ の 木 の 本 に 尋 ね ぬ 三 輪 の 山 路 暮 ら し つ( 最 勝 四 天 王 院 和 歌・ 三 輪 山・ 二 八・ 雅 経。 明 日 香 井 集・九七一) 時鳥初音をとこそ思へども待たずしもなし山の端の月(千五百番歌合・夏一・六七二・宮内卿) 桜 花 雪 と 散 り に し 木 の 間 よ り 月 に や す ら ふ 郭 公 か な( 紫 禁 集・ 同 日〔 建 保 元 年 閏 九 月 尽 〕、 花 時 鳥 月 雪 を 一 首に詠、当座・三〇六) 入りやらで夜を惜しむ月のやすらひにほのぼのあくる山の端ぞ憂き(新古今集・雑上・一五四九・保季。春 日社歌合 元久元年 ・暁月・五一) 〔 語 釈 〕 ○ 百 首 の 歌 ― 未 詳。 ○ 一 声 過 ぎ よ ― こ の 句 形 は 他 に 例 を 見 な い。 参 考 の 雅 経 詠 は、 「 一 声 過 ぎ 」 か ら「 杉 の 木の本に」へ鎖る掛詞だが、これに倣うか。 「過ぎ」は、 「時鳥」の縁語「やすらふ」と対。 〔補説〕 下句は、 「木の間」を定点として、 「やすらふ月」がかかる「山の端」を遠望する点で、新古今新風歌人が詠 み始めて、京極派が掬い上げる詠みぶりであり、その通過点に関東縁故歌人の宗尊の歌が挟まることになる。拙稿 「 京 極 派 和 歌 の 一 面 覚 書 ―〈 軒 〉 を と お し て ―」 (『 徳 島 大 学 国 語 国 文 学 』 五、 平 四・ 三 )、 「 京 極 派 和 歌 の 一 面 覚 書 (二) 」―〈間〉の歌の考察―」 (同上一〇、平九・三) 。
二二 為家の評詞は、他に例のない「月の山の端」の分かりにくさを咎めたものであろう。 卯月の十日 余 あま りの 頃 ころ 、月 隈 くま 無 な きに郭公の 初 はつ 声を 聞 き き ゝ て 56 待 ま たれつる 都 みやこ の 空 そら の 時 ほとゝきす 鳥 今 こ 宵 よひ ぞ月に 初 はつ 音 ね 鳴 な くなる 〔通釈〕 卯月四月の十日余りの頃に、月が陰もないところに時鳥の初声を聞いて 長く待望された、この都の空の時鳥よ。今宵まさに、月の下で初音を鳴くのが聞こえることだ。 〔本歌〕 おぼつかな都の空やいかならむ今宵明石の月を見るにも(後拾遺集・羈旅・五二三・資綱) 〔語釈〕 ○都の空―京洛の上空。 〔 補 説 〕 「 待 た れ つ る 」 は、 一 般 的 に 毎 夏 の「 時 鳥 」 の「 初 音 」 に つ い て 言 う 措 辞 で、 こ こ も そ れ を 踏 ま え る が、 同 時 に、 久 し ぶ り に「 都 の 空 」 に 聞 く「 時 鳥 」 の「 初 音 」 に つ い て 言 っ て い よ う。 と す れ ば、 文 永 三 年( 一 二 六 六 ) 秋 七 月 に 帰 洛 し た 翌 文 永 四 年( 一 二 六 七 ) の 四 月 十 日 過 ぎ の 詠 作 で あ ろ う。 在 関 東 時 に 宗 尊 は、 「 弘 長 二 年 十 二 月 百首歌」 (郭公)で「待たれつる初音鳴くなり郭公雲間の月の有明の空」 (柳葉集・三一三)と詠んでいる。 合点あり。 百五十首歌に、夏暁 57 時 ほとゝきす 鳥 声 こゑ する 方 かた の 山 やま の 端 は に月 傾 かたふ きて 明 あ くるしの の ゝ め
『中書王御詠』注釈稿(二) 二三 〔通釈〕 百五十首歌に、夏の暁 時鳥の声がする方の山の稜線に、月が傾き沈んで、ほのかに白んで明ける暁よ。 〔本歌〕 夏の夜の臥すかとすれば郭公鳴く一声に明くるしののめ(古今集・夏・一五六・貫之) 〔参考〕 郭公月の傾く山の端に出でつる声の帰り入るかな(山家集・百首・郭公十首・一四七二) 郭公鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる(千載集・夏・一六一・実定) 〔類歌〕 郭公鳴く一声はしののめの月を残して明くる山の端(四十番歌合 建保五年十月 ・夏月・兵衛内侍・三二) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌・夏暁。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏暁・五一八。 〔 語 釈 〕 ○ 百 五 十 首 歌 ―『 竹 風 抄 』 に よ る と「 文 永 三 年 八 月 百 五 十 首 歌 」( 散 佚 ) の こ と だ が、 詳 細 は 不 明。 『 竹 風 抄』に現存は一〇四首。題は、春・夏・秋・冬・雑を頭に関した種々の結び題。→7補説。○時鳥声する方の山の 端 に ― 次 句 の「 月 傾 き て 」 に か か る と 見 る の が 穏 当 だ が、 「 明 く る し の の め 」 に か か る と 見 る こ と も で き よ う。 も ち ろ ん、 「 時 鳥 」 の 本 意 は「 一 声 」 に あ る の で、 両 者 に か か る と 見 る こ と は で き な い。 参 考 の 西 行 詠 や 実 定 詠 を 踏 まえれば、宗尊は少なくとも後者は意識していたのであろうし、やはりこの「山の端」は、西の山の稜線と解する べ き で あ ろ う。 な お、 「 声 す る 方 」 は、 『 古 今 集 』 の「 秋 の 野 に 道 も ま ど ひ ぬ 松 虫 の 声 す る 方 に 宿 や か ら ま し 」( 秋 上・二〇一・読人不知)が原拠だが、鳥について言うのは『後拾遺集』の「数知らず重なる年を鶯の声する方の若 菜 と も が な 」( 春 上・ 三 七・ 藤 三 位 親 子 ) が 比 較 的 早 い。 時 鳥 に つ い て い う 例 は 多 く な い が、 頼 政 の「 郭 公 声 す る 方 の 空 見 れ ば 月 を な が む る 心 地 こ そ す れ 」( 為 忠 家 初 度 百 首・ 夏・ 雲 間 郭 公・ 一 八 六 ) が 早 い。 ま た、 時 鳥 で は な い が、 雁 と「 月 」 と の 取 り 合 わ せ で は、 順 徳 院 に「 惜 し む ら ん 人 の 心 を な く 雁 の 声 す る 方 に 月 ぞ 残 れ る 」( 紫 禁 和
二四 歌集・同〔承久二年〕八月十五夜会・惜月・一一九一)がある。両首共に、あるいは宗尊の目に入っていたかもし れない。○しののめ―夜明け方、東方の空が少し白む頃、またその状態。 〔補説〕 参考の実定詠は、 「有明の月だにあれや時鳥ただ一声の行く方も見む」 (後拾遺集・夏・一九二・頼通)が踏 まえられていようか。新日本古典文学大系『千載和歌集』 (平成五・四、岩波書店)参照。 暁郭公 58 鳥 とり の 音 ね は 厭 いと ふ 慣 な らひのしの の ゝ めに 待 ま たれても 鳴 な く 時 ほとゝきす 鳥 かな 〔通釈〕 暁の郭公 鶏の鳴く音は嫌がるのが習慣の夜の白む明け方に、当たり前に人に待たれて鳴く時鳥であることだな。 〔 参 考 〕 世 の 中 を 厭 ふ 慣 ら ひ に 鳥 の 音 も 聞 こ え ぬ 山 の 麓 に ぞ 住 む( 秋 風 集・ 釈 教・ 五 八 六・ 公 能。 久 安 百 首・ 釈 教・ 一八六、 二句「厭ふ余りに」 。新後撰集・釈教・六八一、二句同上) 明 け ぬ と て 常 は 厭 ひ し 鳥 の 音 の ひ と り し 寝 れ ば 待 た れ 顔 な る( 万 代 集・ 恋 四・ 二 四 九 一・ 寂 然。 寂 然 法 師 集・七九) さ ら ぬ だ に 臥 す ほ ど も な き 夏 の 夜 を 待 た れ て も 鳴 く 時 鳥 か な( 新 勅 撰 集・ 夏・ 一 五 九・ 俊 成。 久 安 百 首 ・夏・八二三。長秋詠藻・二三) 〔 語 釈 〕 ○ し の の め ― → 57。 ○ 待 た れ て も ―「 れ 」( 助 動 詞「 る 」) は、 自 然 に の 意。 「 も 」 は 強 意。 ○ 鳥 の 音 は 厭 ふ 慣らひ―「鳥の音」は、鶏の鳴き声。恋人が別れる時を告げるのが通念なので、 「厭ふ慣らひ」と言う。→補説。
『中書王御詠』注釈稿(二) 二五 〔 補 説 〕 「 鳥 の 音 」 と「 時 鳥 」 の 詠 み 併 せ に つ い て は、 「 時 鳥 心 の ま ま に 尋 ぬ と て 鳥 の 音 も せ ぬ 山 に 来 に け り 」( 太 皇 太后宮大進清輔朝臣家歌合・郭公・一七・清輔。清輔集・六五。中古六歌仙・七四)について、歌合判詞(判者源 通能、二条天皇重判)に「尋ぬる心はふかけれど上にほととぎすといひて末に鳥といふ病にやあらん、但、証歌あ るらん、されどもよからざらん事はまねぶまじ、…又鶯郭公と詠み又鳥と証歌多以在歟」とある。その「証歌」に 当 た る か 否 か は 分 か ら な い が、 古 い 例 に は 貫 之 の ①「 鳥 の 音 は あ ま た あ れ ど も 郭 公 鳴 く な る 声 は 五 月 な り け り 」 (貫之集・同じ年〔天慶四年〕三月内の御屏風の料の歌廿八首・五月五日・四八一)があり、 『為忠家後度百首』に は ②「 時 鳥 夜 半 に 名 の り て 過 ぎ ぬ れ ば お ひ つ (ママ) こ さ に ぞ 鳥 の 音 も 鳴 く 」( 夏・ 深 夜 郭 公・ 一 八 六・ 仲 政 ) が 見 え る。 新 古 今 前 後 に は、 ③「 い と か く は 名 の ら で も な け 時 鳥 ま た 紛 る べ き 鳥 の 音 も な し 」( 御 室 五 十 首・ 夏・ 一 六・ 守 覚 法 親 王 ) や ④「 待 ち わ び ぬ さ の み つ ら く は 時 鳥 紛 ふ ば か り の 鳥 の 音 も が な 」( 正 治 後 度 百 首・ 夏・ 郭 公・ 四 一 八・ 信実)や⑤「鳥の音はまだ夜深きに時鳥おのれなきても関路越えけり」 (如願法師集・夏・関路郭公・四四二) 、あ る い は ⑥「 こ れ ま で ぞ 鳥 の 音 も す る 時 鳥 明 日 は 麓 の よ そ の 白 雲 」( 歌 合 建 保 五 年 四 月 廿 日 ・ 羈 旅 郭 公・ 二・ 行 意。 雲 葉 集・ 夏・ 三 一 二 ) が あ る。 関 東 歌 壇 に も、 宗 尊 の 命 で 撰 修 さ れ た と 推 定 さ れ る『 東 撰 六 帖( 抜 粋 本 )』 に ⑦「 逢 坂 や鳥の音遅き関の戸を鳴きて越え行く郭公かな」 (夏・郭公・一一一・円勇)が見える。後出では、 『嘉元百首』に ⑧「 い つ も 聞 く 暁 ご と の 鳥 の 音 に ま た 鳴 き そ ふ る 郭 公 か な 」( 夏・ 郭 公・ 一 四 一 九・ 俊 光 ) が あ り、 南 朝 に は ⑨ 「聞き捨てて誰か帰らん時鳥しばしと鳴かぬ鳥の音なれど」 (李花集・夏・あからさまに山里に行き侍りしに、暫く 物 語 な ど し て 帰 ら ん と し 侍 り し に、 主 暫 し な ど 留 め け る 程 に、 時 鳥 し き り 鳴 き て ま こ と に 立 ち 憂 き 山 陰 な り け れ ば、 思 ひ 続 け 侍 り し・ 一 八 五 ) と ⑩「 鳥 の 音 も な べ て 聞 こ え ぬ 山 に し も な れ は 鳴 き け る 郭 公 か な 」( 新 葉 集・ 夏・ 住 吉 社 三 百 六 十 番 歌 合 に、 夏 動 物・ 二 〇 二・ 読 人 不 知 ) が 見 え る。 「 鳥 の 音 」 の「 鳥 」 が、 A 鳥 類 一 般 を 言 う の は
二六 ① ③( B に も ) ④( 同 上 ) ⑩、 B 鶏 を 言 う の は ② ⑤ ⑦ ⑧、 C 時 鳥 自 体 を 言 う の は ⑥( A に も ) ⑨( 自 分 を 寓 意 か ) である。 郭公 59 待 ま てと 言 い ふ 誰 た が 言 こと 伝 つ ても 聞 き き ゝ 捨 す て て ゝ 雲 くも ゐに 過 す ぐる郭公かな 〔通釈〕 郭公 待てと言う誰かの言伝ても聞き捨ててて、空を飛んで過ぎる時鳥であることだな。 〔参考〕 人 な ら ば 待 て と 言 ふ べ き を 時 鳥 二 声 と だ に 聞 か で 過 ぎ ぬ る( 和 歌 童 蒙 抄・ 八 七 二・ 元 真。 袋 草 紙・ 三五二。三十六人撰・一一七、下句「まだ二声を鳴かで行くらむ」 ) 聞き捨てて君が来にけん時鳥尋ねに我は山路越えみん(後拾遺集・夏・一八五・能宣) 郭公雲 に過ぐる一声はそら耳かとぞあやまたれける(待賢門院堀河集・ 〔新院の百首の中の〕夏・五九) 〔 語 釈 〕 ○ 待 て と 言 ふ ―「 待 て と 言 ふ に 散 ら で し と ま る 物 な ら ば 何 を 桜 に 思 ひ ま さ ま し 」( 古 今 集・ 春 下・ 七 〇・ 読 人不知)が原拠。○誰が言伝て―「越路には誰が言伝てし玉梓を雲ゐの雁のもて帰るらん」 (堀河百首 ・ 春 ・ 帰雁 ・ 一 九 四・ 匡 房 ) や「 秋 来 れ ば 誰 が 言 伝 て を 待 た ね ど も 心 に か か る 初 雁 の 声 」( 拾 遺 愚 草 員 外・ 〔 百 首 〕 堀 河 題 略 之 ・ 秋・七一四)等、雁信の故事に基づき、 「雁」について言うのを「時鳥」に援用する。 (郭公)
『中書王御詠』注釈稿(二) 二七 60 憂 う き身をば 語 かた らふ人もなきものを 情 なさ けありける 時 ほとゝきす 鳥 かな 〔通釈〕 (郭公) 憂く辛いこの身は、共に語らう人もいないけれど、 (私に語らい鳴く)情けがあった時鳥であることだな。 〔参考〕 憂き身をば尋ぬる人もなきものを何老いらくの来むといふらむ(万代集・雑六 ・ 三六九三・伊忠) 時 鳥 ま れ に も 誰 か 語 ら は ん お の が 情 け ぞ 身 に は 知 ら る る( 宝 治 百 首・ 夏・ 聞 郭 公・ 八 八 六・ 基 良。 新 後 撰 集・夏・一九七) 人ごとにかはるにかはる影もなし情けありける秋の月かな(弘長百首・秋・月・二九一・家良) 〔類歌〕 時鳥誰に語らふ情けとてさびしき暮の雨に鳴くらむ(比叡社歌合・二四・範耀) 鳴くたびにこと語らひて憂き身にも情けをかくる時鳥かな(嘉元百首・夏・郭公・九二〇・為世) 〔他出〕 新三井集・夏・一三二、詞書「卅首の歌送り侍りし中に」作者「菅原長宣朝臣」 。 〔語釈〕 ○語らふ―親しく相談ずる意。 「時鳥」の縁で、時鳥が親しげに鳴く意が掛かる。 〔補説〕 他出に記したように『新三井集』に該歌が見えるのは、偶然の一致か何らかの錯誤か作為か。 参 考 の 家 良 詠 と 該 歌 と の 先 後 は 不 明 だ が、 「 情 け あ り け る … か な 」 の 形 は、 意 外 に 用 例 が 少 な く、 両 者 の 関 係 が 注意される。 宗 尊 は、 「 語 ら ひ し 人 こ そ あ ら め 時 鳥 な れ さ へ 我 に 情 け か は る な 」( 竹 風 抄・ 巻 二・ 文 永 五 年 十 月 三 百 首 歌・ 郭 公・三三三)とも詠む。
二八 (郭公) 61 憂 う きにこそなく 音 ね は 尽 つ くせ 時 ほとゝきす 鳥 何 なに を 愁 うれ ふる 五 さ 月 つき なるらん 〔通釈〕 (郭公) 憂く辛いのにつけて泣き声は絞り尽くすけれども。泣くように鳴き声を尽くす時鳥は、いったい何を愁えている この五月なのだろうか。 〔参考〕 今ははや語らひ尽くせ時鳥なが鳴く頃の五月来ぬなり(新勅撰集・夏・一五五・祝部成茂) 今日ここに声をば尽くせ時鳥おのが五月も残りやはある(同右・夏・一七七・祐盛) 今は身に何を愁ふとなけれども涙ぞ落つる秋の夕暮(万代集・秋上・九五一・真観) 我こそは涙は尽くせ春日山何を愁へて鹿の鳴くらん(百首歌合 建長八年 ・秋・三四四・忠定) 〔類歌〕 時鳥秋の心はまだしらじ何の愁へに音をばなくらむ(人家集・郭公・一七八・円勇) 〔語釈〕 ○なく音―「泣く音」に「時鳥」の縁で「鳴く音」が掛かる。 〔 補 説 〕 宗 尊 は、 「 五 月 と は な ど 契 り け む 時 鳥 憂 き に な く 音 は 時 も 分 か じ を 」( 瓊 玉 集・ 夏・ 一 一 七 ) と、 「 憂 き 」 に 「 泣 く 音 」 に「 時 鳥 」 の「 鳴 く 音 」 を 掛 け た 類 詠 を も の し て い る。 先 後 は 不 明 だ が、 所 収 家 集 か ら 見 る と、 該 歌 が 後出か。 六帖の題の歌に、五日 62 玉 たま に 貫 ぬ く 五 さ 月の 今 け 日 ふ の 花 はな な ゝ らで 袖 そて にかくるは 涙 なみた なりけり
『中書王御詠』注釈稿(二) 二九 〔通釈〕 六帖の題の歌に、五日 薬玉に貫く五月五日の今日の花ではなく、私が袖にかけるのは、涙の玉なのであった。 〔参考〕 五月の花橘を君がため玉にこそ貫け散らまく惜しみ(万葉集・巻八・夏相聞・一五〇二・大伴坂上郎女) あるが上に花の咲きそふ橘は五月の玉に貫かむためなり(堀河百首・夏・盧橘・四五五・仲実) 〔 語 釈 〕 ○ 六 帖 の 題 の 歌 に、 五 日 ―『 古 今 六 帖 』( 『 新 撰 六 帖 』) の 第 一 の「 五 日 」 題 に よ る 詠 作 で あ る こ と を 示 す。 こ れ は、 「 弘 長 文 永 の は じ め、 九 月 六 日 六 帖 の 題 あ ま ね く 関 東 の 好 士 に 下 さ れ て 十 三 夜 の 御 会 に 詠 進 す べ き よ し 仰 せ 下 さ る る 時、 僅 か に 八 ヶ 日 の 間、 六 帖 一 部 の 題 五 百 廿 余 首 を 奉 る 事、 寂 恵 が ほ か 公 朝 法 印、 円 勇 一 両 人 に 過 ぎ ず 」( 寂 恵 法 師 文 ) と 伝 え る、 将 軍 宗 尊 親 王 が 鎌 倉 で 催 し た 文 永 初 年 九 月 十 三 夜 の「 六 帖 題 歌 会 」 に 於 け る 詠 作 で あ ろ う か。 小 川 剛 生『 武 士 は な ぜ 歌 を 詠 む か ― 鎌 倉 将 軍 か ら 戦 国 大 名 ま で 』( 平 二 〇・ 七、 角 川 学 芸 出 版 ) が 指 摘 す る よ う に、 同 歌 会 の 六 帖 題 は、 『 古 今 六 帖 』 に 見 え な く て『 新 撰 六 帖 』 に 見 え る も の が あ る の で、 直 接 に は、 『 古 今 六 帖 』 に「 準 拠 し な が ら 」 題 を「 時 代 に 即 応 し て 取 捨 し た 」( 『 和 歌 文 学 大 辞 典 』 平 二 六・ 一 二、 古 典 ラ イ ブ ラ リ ー) という『新撰六帖』に拠っているか。→ 26。○花―橘か楝を言うか。→補説。○玉―五月五日の節句に邪気を払う 「薬玉」として「花」を糸に通す、その「玉」 。「涙」の縁で、 「涙」を見立てた「玉」の意が掛かる。 〔 補 説 〕 題 が 五 月「 五 日 」 な の で、 そ の 景 物 は ①「 菖 蒲 」 で あ る。 し か し 一 方 で、 「 五 月 」 に「 玉 に 貫 」 く と す る 「 花 」 は、 参 考 に 挙 げ た『 万 葉 』 歌 や『 堀 河 百 首 』 歌 に よ れ ば、 ②「 橘 」 で あ る。 ま た し か し、 「 五 月 」 の「 今 日 」 に「玉に貫」くとする「花」は、 「五月来て今日にあふちの花なれや年のを絶えず玉にしげ貫く」 (備中守仲実朝臣 女 子 根 合・ 樗・ 六・ 隆 源 ) や「 今 日 こ そ は 五 月 の 玉 に 貫 き と め て 折 に あ ふ ち の 花 と 見 え け り 」( 新 撰 六 帖・ 第 六・ あ ふ ち・ 二 四 六 〇・ 真 観 ) か ら は、 ③「 楝( 樗 )」 と な る。 ①「 菖 蒲 」 は、 円 柱 状 に 小 花 を 付 け る が、 主 に 根 茎 や
三〇 葉 が 主 材 で、 「 時 鳥 鳴 く 五 月 に は 菖 蒲 草 花 橘 を 玉 に 貫 き〈 一 云、 貫 き 交 へ 〉 か づ ら に せ む と 」( 万 葉 集・ 巻 三・ 哀 傷・ 四 二 三・ 山 前 王〈 或 云 柿 本 朝 臣 人 麿 作 〉) と 詠 ま れ、 宗 尊 が 披 見 し た と 思 し い『 百 首 歌 合 建 長 八 年 』 で も「 菖 蒲 草 袖 に 玉 貫 く 今 日 も な ほ 涙 の 露 は か け ぬ も の か は 」( 夏・ 一 〇 八 九・ 伊 平 ) と も 詠 ま れ る が、 そ れ も「 菖 蒲草」なので、 「花」にはそぐわないか。②「橘」は五月の歌材としては大きく、参考両首等が証歌にもなり得る。 し か し、 ③「 楝 」 は、 五 月 の 歌 材 と し て は 比 較 的 小 さ い が、 「 今 日 」 と 詠 じ る こ と は 右 の 両 首 が 先 行 し て い て、 特 に宗尊の師真観の歌の存在は無視し得ない。結局該歌の「花」は、②「橘」と③「楝」の両方の可能性が同程度で 併存し、①「菖蒲」の可能性も排除はされないか。極めて折衷的には、それらの夏五月の花を総じて言ったとも言 え る。 な お、 後 出 歌 に、 「 妹 が 袖 に 貫 く や 五 月 の 玉 と 見 て 花 橘 に み さ へ な つ か し 」( 雪 玉 集・ 内 裏 着 到 百 首 永 正 六 九 月 九已来 ・夏・盧橘子低・三二七八)がある。 いずれにせよ、 「五日」題の本意からはずれた、述懐性の強い一首である。 早苗 63 谷 たに 川 かは の水 堰 せ きかけて 真 ま 金 かね ふく 吉 き 備 ひ の山田は早苗 取 と るらし 〔通釈〕 早苗 谷川の水を堰き入れ浴びせかけて鉄を産み出す吉備の国、その山田は早苗を取り植えるらしい。 〔 本 歌 〕 真 金 ふ く 吉 備 の 中 山 帯 に せ る 細 谷 川 の 音 の さ や け さ( 古 今 集・ 神 遊 び の 歌・ 返 し 物 の 歌・ 一 〇 八 二、 左 注 「この歌は、承和の御嘗の、吉備国の歌」 )
『中書王御詠』注釈稿(二) 三一 〔 参 考 〕 苗 代 に 細 谷 川 を 堰 き か け て 吉 備 の 山 田 は 帯 を 引 く な り( 夫 木 抄・ 春 五・ 苗 代・ 家 集、 文 永 元 年 春 歌 中・ 一八八四・公朝) 下つ道狛の里人頃ごろに吉備の山田の早苗取るなり(夫木抄・雑二・きびの中山、備中・弘長元年中務卿親 王家百首・八八一七・公朝) 〔出典〕 文永二年潤四月三百六十首歌。→2。 〔他出〕 柳葉集・巻五・文永二年潤四月三百六十首歌・夏・六八九。 〔語釈〕 ○谷川の水堰きかけて―谷川の水を堰き入れ、その水を鉄の製錬の際にかけてということ。○真金―本当の 金 属、 鉄。 ○ ふ く ― 鉱 石 か ら 熔 解・ 製 錬 し て 金 属 を 産 出 す る こ と。 ○ 吉 備 ― 古 い 国 名。 現 在 の 岡 山 県 と 広 島 県 東 部。○早苗取る―田植えのために苗代から稲の早苗を取ることだが、それを田に植えることにも言う。 〔補説〕 参考歌の作者公朝は、園城寺僧で関東歌壇の主要歌人。前者は同じ『古今集』歌の本歌取り、後者は宗尊主 宰の百首歌。宗尊は直接には、この両首に学んだのであろうか。 五月雨 64 五 さ み た れ 月雨 は 三 み 上 かみ の嶽に 雲 くも 閉 と ぢて 岩 いは 波 なみ 高 たか し 野 や 洲 す の 川 かは 水 〔通釈〕 五月雨 五月雨は、三上の嶽にその雲がかかり閉ざして、岩打つ波が高い野洲川の水よ。 〔本歌〕 万世をみ上の山の響くには野洲川の水澄みぞあひにける(拾遺集・神楽歌・みかみの山・六〇三・元輔)
三二 〔参考〕 遙かなる三上の嶽を目にかけて幾瀬渡りぬ野洲の川波(新勅撰集・雑四・伊勢勅使にて甲賀のむまやにつき 侍りける日・一三〇八・良経) 五月雨は富士の高嶺も雲閉ぢて波になりゆく浮島の原(壬二集・後度百首・夏・一二八) 五月雨に山の雫も落ちそひて岩波高し谷川の水(宝治百首・夏・渓五月雨・九八八・行家) 〔出典〕 文永二年潤四月三百六十首歌。→2。 〔他出〕 柳葉集・巻五・文永二年潤四月三百六十首歌・夏・六九三、 二句「三上の山」 。 〔語釈〕 ○三上の嶽―「三上の山」が通用。近江国の歌枕。現滋賀県野洲郡野洲町三上の東方の山。○野洲の川水― 野 洲 川 を 流 れ る 水 と い う こ と。 「 野 洲 の 川 」 は、 近 江 国 の 歌 枕。 現 滋 賀 県 野 洲 郡 野 洲 町 と 守 山 市 と の 境 を 流 れ て 琵 琶湖に注ぐ。 〔 補 説 〕 「 五 月 雨 は 」 に「 雲 閉 ぢ て 」 を 併 せ る の は、 俊 成 の『 俊 成 五 社 百 首 』 詠「 五 月 雨 は 長 柄 の 山 も 雲 閉 ぢ て 志 賀 の 浦 舟 苫 朽 ち ぬ ら ん 」( 日 吉・ 五 月 雨・ 四 二 八 ) が 早 く、 恐 ら く は 参 考 の 家 隆 詠 が 続 く。 為 家 の『 為 家 五 社 百 首 』 詠「 五 月 雨 は 八 重 の 潮 路 も 雲 閉 ぢ て 見 ら く す く な き 淡 路 島 山 」( 夏・ 五 月 雨・ 住 吉・ 一 九 五 ) は、 俊 成 の 歌 に 倣 っ ていよう。宗尊は、これらの歌に学んでいようか。 合点あり。 河五月雨 65 五 さ み た れ 月雨 は波 越 こ すばかりなりにけり 瀬 せ 絶 た えやいつの 佐 さ 野 の の ゝ 中 なか 川 ゝは
『中書王御詠』注釈稿(二) 三三 〔通釈〕 河の五月雨 五月雨は、波が越えるほどになってしまったのだったな。浅瀬の水が絶えるとは、いったい何時の佐野の中川の ことなのか。 〔参考〕 五月雨の幾日になれば瀬絶えせし佐野の中川舟通ふらん(堀河百首・夏・五月雨・四三七・顕季) 〔類歌〕 五月雨に瀬切りの浪のわき返り佐野の中川水まさるなり(夫木抄・夏二・五月雨・後九条内大臣家歌合・ 三〇四三・具親) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏河・五四一。 〔語釈〕 ○波越すばかり―例を見ない句。波が越える程度にという意だが、一首の中では、波が何を越えるかが明確 で は な い。 順 徳 院 の「 真 菰 生 ふ る 伊 香 保 の 沼 の い か ば か り 波 越 え ぬ ら ん 五 月 雨 の 頃 」( 建 保 名 所 百 首・ 夏・ 伊 香 保 沼 上 野 ・ 二 八 九。 紫 禁 集・ 六 三 九 ) か ら の 影 響 が あ る と 見 れ ば、 あ る い は「 岸 」 を 越 え る と い う こ と で あ ろ う か。 ○ 瀬 絶 え ― 川 の 水 量 が 減 っ て 浅 瀬 の 水 が 涸 れ る こ と。 ○ 佐 野 の 中 川 ―『 八 雲 御 抄 』( 第 五・ 名 所 部・ 河 ) は「 さ の の 中〔 千、 仲 綱 〕」 と し て 所 在 は 記 し て い な い が、 『 建 保 名 所 百 首 』( 恋 ) で は「 佐 野 舟 橋 上 野 国 」 題 で「 東 路 に か け て は 過 ぎ し 中 川 の 瀬 絶 え も つ ら し 佐 野 の 舟 橋 」( 八 七 〇・ 兵 衛 内 侍 ) と 詠 ま れ て い る。 『 歌 枕 名 寄 』( 巻 二 十 六・ 東 山 五 ) は「 上 野 国 」「 佐 野 」 の「 中 河 」 と し て、 補 説 の 俊 頼 詠 と 参 考 の 堀 河 百 首 歌( 作 者 を「 顕 仲 朝 臣 」 に 誤 る ) 及び補説の仲綱詠を挙げる。 『夫木抄』 (雑六)も「さのの中河、上野」として、補説の俊頼詠と参考の堀河百首歌 (作者を「神祇伯顕仲卿」に誤る)を挙げる。宗尊も、上野国と考えていたと見てよいであろう。 〔 補 説 〕 「 佐 野 の 中 川 」 は、 参 考 の 顕 季 詠 の 他、 「 住 み な れ し 佐 野 の 中 川 瀬 絶 え し て 流 れ か は る は 涙 な り け り 」( 千 載
三四 集・ 恋 四・ 八 九 〇・ 仲 綱 ) と も 詠 ま れ て い て、 「 瀬 絶 え 」 す る 川 と の 印 象 が 付 与 さ れ て い る。 こ れ は、 山 城 国 の 歌 枕 で あ る「 中 川 」 が、 「 中 川 の 絶 え は て に け る 跡 を 見 て 」 の 詞 書 で「 中 川 の 水 絶 え に け り 末 の 世 は 秋 を も 待 た で か れやしにける」 (安法法師集・一〇七)や「行く末を流れて何に頼みけん絶えけるものを中川の水」 (後拾遺集・雑 二・九六六・式部命婦)と、男女の「仲」を喩えて「絶え」と詠まれることが影響を与えているかと思しい。一方 で、 俊 頼 の「 瀬 切 り せ し 佐 野 の 中 川 つ ら ら ゐ て 堰 杙 に 波 の 声 絶 え に け り 」( 散 木 奇 歌 集・ 冬・ 氷 閉 水・ 六 四 六 ) の ように、激しく水が流れた「瀬切りせし佐野の中川」を言う歌があって、類歌具親詠はこれを踏まえていよう。宗 尊 詠 も 同 工 異 曲 だ が、 俊 頼 詠 に 負 っ た の で は な く、 『 堀 河 百 首 』 や『 千 載 集 』 の 両 首 に よ っ て 形 成 さ れ た の で あ ろ う「瀬絶え」の「佐野の中川」の通念に異を唱える趣向と見るべきであろう。和歌の本意の始原を探ろうとする意 識と表裏に、和歌の通念・類型に反言するような志向もまた、宗尊詠の特徴であろう。ただし、それは鎌倉時代中 後期の時代相と無縁ではないであろう。 橋五月雨 66 いと ど ゝ また 通 かよ はぬ人のなか 絶 た えて身をうぢ 橋 はし の 五 さ み た れ 月雨 の 頃 ころ 〔通釈〕 橋の五月雨 雨 に 宇 治 橋 が 途 中 で 絶 え、 よ り い っ そ う ま た 通 っ て こ な い あ の 人 と の 仲 は 絶 え て、 こ の 身 を「 憂 し 」 辛 い と 思 う、宇治橋に五月雨が降る頃よ。 〔本歌〕 忘らるる身をうぢ橋のなか絶えて人も通はぬ年ぞ経にける(古今集・恋五・八二五・読人不知)
『中書王御詠』注釈稿(二) 三五 〔参考〕 水まさる宇治の川長高瀬さす身をうき舟の五月雨の頃(洞院摂政家百首・夏・五月雨・四八七・俊成女。俊 成卿女集・詠百首和歌・夏・一〇二) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏橋・五五九。 〔 語 釈 〕 ○ な か 絶 え て ― 男 女 の 仲 が 絶 え て の 意 に、 「 橋 」 の 縁 で 橋 が 途 中 で 切 れ て の 意 が 掛 か る。 ○ 身 を う ぢ 橋 の ― 「うし・うぢ」を掛詞に「身を憂し」から「宇治橋の」へ鎖る。 「宇治橋」は、山城国の歌枕。現京都府宇治市の宇 治川に架かる橋。古くからの交通の要衝。 〔補説〕 合点あり。 五月雨の 頃 ころ 、人のもとに 遣 つか はし侍 り ・ し 67 問 と へかしな 心 こゝろ のうちも 晴 は れやらで 袖 そて のみ 濡 ぬ らす 五 さ み た れ 月雨 の 頃 ころ 〔通釈〕 五月雨の頃に、人の許に言い遣わしました(歌) 尋ねてくれよな。心の中も晴れ晴れとしないで、袖ばかりを涙で濡らす、空が晴れることもないこの五月雨の頃 には。 〔参考〕 晴れずのみものぞ悲しき秋霧は心のうちに立つにやあるらん(後拾遺集・秋上・二九三・和泉式部) 〔類歌〕 いかにせむ心のうちもかきくれて物思ふ宿の五月雨の頃(柳葉集・弘長三年八月、三代集詞にて読み侍りし 百首歌・夏・四一五。瓊玉集・夏・百首御歌中に・一三〇)
三六 問 へ か し な 物 思 ふ 宿 の 五 月 雨 に い と ど 隙 な き 袖 の 雫 を( 竹 風 抄・ 巻 二・ 文 永 五 年 十 月 三 百 首 歌・ 五 月 雨・ 三四一) 問へかしな物思ふ宿の神無月我が身時雨の袖はいかにと(同右・巻四・文永六年五月百首歌・冬・七二九) 〔 語 釈 〕 ○ 問 へ か し な ― 訪 問 し て く れ、 尋 ね 聞 い て く れ、 ど ち ら の 意 に も 解 し う る。 勅 撰 集 で は、 『 後 拾 遺 集 』 の 「問へかしな幾世もあらじ露の身をしばしも言の葉にやかかると」 (雑三・一〇〇六・読人不知)が初出だが、それ 以 後 は、 新 古 今( 2 首 )、 新 勅 撰( 4) 、 続 後 撰( 2) 、 続 古 今( 6) 、 続 拾 遺( 2) 、 新 後 撰( 2) 、 玉 葉( 1) 、 続 千 載( 2) 、 新 千 載( 2) 、 新 続 古 今( 2) と い う 撰 入 状 況 で、 宗 尊 当 代 に は 定 着 し て い た 句 で あ ろ う。 宗 尊 は、 『宗尊親王三百首』 (一一〇)と『柳葉集』には各一首(三六二) 、『中書王御詠』には二首(他に 13)、『竹風抄』に は六首(三四一、三六〇、五一四、六九九、七二九、九三三)に用いている。○晴れやらで―心中の懊悩がすっか り 解 消 し な い で の 意。 「 五 月 雨 」 の 縁 で 空 が す っ か り 晴 れ き ら な い で の 意 が 掛 か る。 ○ 袖 の み 濡 ら す ― 関 東( 北 条 氏)と縁ある鎌倉初頭の歌人の家集という『閑谷集』に見える「さらぬだにかわきもやらぬ墨染の袖のみ濡らす浦 の 潮 風 」( 夕 暮 ざ ま に、 風 に し た が ふ 波 袂 に か か り 侍 り け れ ば・ 二 一 〇 ) が 早 い 例 か。 真 観 の 叔 父 光 経 に「 う ち よ する波の花摺り色もなし袖のみ濡らす磯のあま人」 (光経集・五二一) 、真観の女尚侍家中納言に「物思ふ袖のみ濡 ら す 時 雨 か な 四 方 の 木 の 葉 は 何 か 染 む ら ん 」( 秋 風 抄・ 秋・ 一 一 六。 閑 窓 撰 歌 合 建 長 三 年 ・ 一 六、 結 句「 な ど か 染 む らん」 )がある。宗尊はこれらに学び得たであろう。 〔補説〕 類歌に挙げた帰洛後の詠作である「問へかしな」の両首を参照すると、該歌にも失意の帰洛後の孤愁の風情 が感じられようか。
『中書王御詠』注釈稿(二) 三七 橘 68 遠 とを からぬ 我 わ が 昔 むかし のみ 恋 こひ しきに見し 世 よ に 匂 ゝほ へ 軒 のき の 橘 たちはな 〔通釈〕 橘 遠くない私の昔ばかりが恋しいので、私がかつて見た世だと、思い出させて匂ってくれ、軒の橘よ。 〔参考〕 昔をば花橘のなかりせば何につけてか思ひ出でまし(後拾遺集・夏・二一五・高遠) 帰り来ぬ昔を今と思ひ寝の夢の枕ににほふ橘(新古今集・夏・二四〇・式子) 〔出典〕 文永三年十月五百首歌。→1。 〔他出〕 竹風抄・巻一・文永三年十月五百首歌・六帖の題の歌に・橘・二二四。 〔語釈〕 ○橘―『古今六帖』 (第六・木)の「たち花(たちばな) 」題。○遠からぬ我が昔―文永三年(一二六六)七 月の将軍更迭以前の鎌倉殿であった昔。○見し世に匂へ―かつて見た世と同じに、それを思い出させるものとして 薫ってくれ、との趣意。家隆の「夏もなほ月やあらぬとながむれば昔にかをる軒のたち花」 (老若五十首歌合 ・ 夏 ・ 一四七)は、 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身一つはもとの身にして」 (古今集・恋五・七四七・業平、伊勢物 語 ・ 四段 ・ 男)を本歌にし、慈円の「橘の風を涙に吹きためて昔にかをる袖ぞ悲しき」 (拾玉集 ・ 詠百首和歌 ・ 夏 ・ 三 六 〇 〇 ) は、 補 説 の「 五 月 待 つ 」 歌 を 本 歌 に す る が、 両 首 の「 昔 に か を る 」 は、 「 見 し 世 に 匂 ふ 」 と 類 似 し た 意 味であろう。後代になるが、東常縁に「忘られぬ心をなほや誘ふらむ昔に匂ふ軒の橘」 (常縁集・夏・盧橘・七六) がある。この「昔に匂ふ」も、同様の意味であろう。○軒の橘―軒先に植えてある橘。宗尊の定数歌と家集に見え る「 橘 」 詠 の 数 は 次 の と お り。 宗 尊 親 王 三 百 首 1( 首 )、 瓊 玉 集 0、 柳 葉 集 5、 中 書 王 御 詠 1、 竹 風 抄 7。 詳 し く
三八 は 割 愛 す る が、 『 竹 風 抄 』 に 7 首 の「 橘 」 詠 が 見 え る こ と は、 鎌 倉 に 在 り 将 軍 で あ っ た 時 期 の『 宗 尊 親 王 三 百 首 』 の橘詠は叙景歌であること、文永元年(一二六四)十二月成立の『瓊玉集』には(真観撰であることを割り引いて も)そもそも橘詠が収められていないこと、文永二年(一二六五)後半に自撰と思しい『柳葉集』には懐旧の述懐 の 橘 詠 が 見 え な い こ と と 対 照 的 で あ る。 『 竹 風 抄 』 の 橘 詠 は、 失 脚 帰 洛 後 の 時 期 の 宗 尊 の、 往 昔 を 回 顧 す る 心 境 が 反映したものと捉えてよいであろう。 〔補説〕 文永三年(一二六六)七月に失脚し失意の内に帰洛した後の詠作であろう。 参考の両首も該歌も、大枠では、 「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」 (古今集・夏・一三九・読 人不知)の類型の枠内にある歌。 夏月 69 鵲 かさゝき の お を のが 羽 は がひの 山 やま 越 こ えて 鳴 な く 音 ね も 涼 すゝ し 短 みしか 夜 よ の月 〔通釈〕 夏の月 鵲の、おのれ自身の翼の「羽交ひ」ならぬ、 「羽易」の山を飛び越えて鳴く音も涼しい。 (見上げると)夏の短い 夜の月よ。 〔参考〕 鵲の羽がひの山の山風の払ひもあへぬ霜の上の月(拾遺愚草 ・ 春日同詠百首応製和歌〔建保四年正月〕 ・ 冬 ・ 一三五九) 蜩の鳴く音も涼し夏山の木の下隠れ秋や来ぬらん(東撰六帖抜粋本・夏・納涼・一九九・証定)
『中書王御詠』注釈稿(二) 三九 郭 公 鳴 く 音 も ま れ に な る ま ま に や や 影 涼 し 山 の 端 の 月( 老 若 五 十 首 歌 合・ 夏・ 一 八 八・ 良 経。 秋 篠 月 清 集・ 院無題五十首・夏・九一八) 程もなし朝妻舟の追風に雲路ともなふ短夜の月(影供歌合 建仁三年六月 ・水路夏月・四〇・定家) 〔他出〕 夫木抄・雑九・動物・鵲・御集、夏月・一二七〇四。 〔 語 釈 〕 ○ お の が 羽 が ひ の 山 越 え て ―「 は が ひ 」 を 掛 詞 に「 お の が 羽 交 ひ 」 か ら「 羽 易 の 山 越 え て 」 へ 鎖 る。 「 羽 交 ひ 」 は、 鳥 の 両 翼 が 交 差 す る 部 分、 転 じ て 羽・ 翼 そ の も の を 言 う。 「 羽 易 の 山( 羽 買 の 山 )」 は、 大 和 国 の 歌 枕。 「春日なる羽易の山ゆ」 (万葉集・一八二七) 「春日なる羽易山なる」 (赤人集・一三一)等と詠まれ、春日山の中の 一峰という認識があったらしい。○鳴く音も涼し―四句切れ。先行例の少ない句。参考に挙げた、宗尊幕下に成立 と考えられる『東撰六帖』の一首以外には、詠嘉禎三年(一二三七)六月五日の成立という『楢葉集』の「うつせ み の 鳴 く 音 も 涼 し 夕 づ く 日 か[ ] 山 の 峰 の 常 磐 木 」( 夏・ 一 六 六・ 専 寂 ) が 目 に 入 る 程 度。 該 歌 の「 も 」 は 並 列 で、 「短夜の月」も「涼し」く、 「鵲の」 「鳴く音」も「涼し」ということか。あるいは、 「羽交ひ」の縁で、羽風が 涼しいとの意が響くか。○短夜の月―参考の定家詠の直後に、後鳥羽院も「誰が禊ぎ夕されくれてかげろふの燃ゆ る 春 辺 の 短 夜 の 月 」( 後 鳥 羽 院 御 集・ 建 保 四 年 二 月 御 百 首・ 春・ 五 一 二 ) と 詠 む。 宗 尊 は 該 歌 以 前 に、 文 応 元 年 (一二六〇)の『宗尊親王三百首』で「明けぬともなお影残せ白妙の卯の花山の短夜の月」 (夏・七三) 、「潮の満つ 入 江 の 松 の 木 の 間 よ り 見 え て す く な き 短 夜 の 月 」( 夏・ 八 九 )、 弘 長 二 年( 一 二 六 二 ) の「 後 嵯 峨 院 百 首 題 百 首 」 ( 仮 称。 柳 葉 集・ 一 四 四 ~ 二 二 八 ) で「 い か に せ ん 闇 の う つ つ を 厭 ひ て も 夢 に ま さ ら ぬ 短 夜 の 月 」( 柳 葉 集・ 巻 二・ 夏・ 夏 月・ 一 六 五 )、 ま た、 該 歌 以 後 の「 文 永 六 年 五 月 百 首 歌 」 で も「 竹 の 葉 に 風 吹 く 窓 は 涼 し く て 臥 し な が ら 見 る 短 夜 の 月 」( 竹 風 抄・ 巻 四・ 夏・ 七 一 二 ) と 用 い て い て、 「 短 夜 の 空 」( 柳 葉 集・ 三 一 七、 六 九 六 ) と 共 に 宗 尊 好
四〇 尚の句であることが窺われる。右掲の定家・後鳥羽院詠以後は、宗尊の他にも、関東祗候の雅有(雅有集・三一一 = 隣 女 集・ 一 五 四 〇、 七 四 五 ) や 宇 都 宮 景 綱( 沙 弥 蓮 愉 集・ 一 八 三、 一 八 六 ) や 大 江 広 元 の 曾 孫 茂 重( 茂 重 集・ 六 一 ) 等 の 関 東 縁 故 者 の 作 例 が 目 に 付 き、 勅 撰 集 で は『 玉 葉 集 』 の 三 首( 三 八 五・ 公 守、 三 九 三・ 有 忠、 三 九 四・ 院新宰相)が初出となる。これも、新古今歌人詠出の新しい句形が、関東圏の歌人の使用を経て、京極派勅撰集に 顕現した例と捉えることができよう。 〔 補 説 〕 「 鵲 」 の「 鳴 く 音 」 を「 涼 し 」 と す る の は 新 奇。 鎌 倉 時 代 以 降 の 詠 作 の 表 現 に 負 っ た と 思 し く、 宗 尊 の 学 習 の様相と詠作の方法の一端を窺い得る一首でもある。 合点あり。 (夏月) 70 夏 なつ は ま 又 た 独 ひと り 寝 ぬ る夜の 明 あ くる 間 ま もいかにほどなき月と見ゆらむ 本歌三句 同 おな じ所に 続 つゝ きては、新歌に 聞 き こえぬよし亡父申候 ひ ・ き。 〔本文〕 ○本歌―底本「本[歌] 」( 「歌」は「哥」で部分存)を書陵部本を参照して「本歌」とする。 〔通釈〕 (夏月) 夏はやはり、独り寝する夜が明けるまでの間が、どれほど少しの時間で、間もない(すぐに沈んでしまう)月だ と見えるのだろうか。 本歌の三句が同じ箇所に続いては、新しい歌に聞こえないことを、亡父定家が申しておりました。
『中書王御詠』注釈稿(二) 四一 〔本歌〕 歎きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る(拾遺集・恋四・九一二・道綱母) 〔語釈〕 ○明くる間もいかにほどなき月―「明くる間もいかのほどなき」から「ほど」を重ねて「ほどなき月」へ鎖 る。 〔 補 説 〕 左 注 の 為 家 の 評 詞 は、 第 二 句 か ら 四 句 に か け て の「 独 り 寝 る 夜 の 明 く る 間 」「 い か に 」 が 本 歌 に 一 致 し て い ることを、定家の「五七五の七五の字をさながら置き、七七の字を同じく続けつれば、新しき歌に聞きなされぬと ころぞ侍る」 (近代秀歌)の言説を援用して咎めたものであろう。 百五十首の歌に、夏朝 71 明 あ けにけりまだ 短 みしか 夜に 捨 す てられて 急 いそ がぬ月の 空 そら に 残 のこ れる 第三四句不 二 (「幽玄之事」四字墨滅)庶幾 一候 〔通釈〕 百五十首の歌で、夏の朝 夜が明けたのであったな。まだまだ短い夏の夜にうち捨てられて、急がない月が空に残っていることよ。 第三四句は、庶幾わなくございます。 〔本歌〕 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ(古今集・夏・一六六・深養父) 〔 参 考 〕 草 の 原 野 も せ の 露 に 宿 借 り て 空 に 急 が ぬ 月 の 影 か な( 続 古 今 集・ 秋 上・ 野 月 を よ み 侍 り け る・ 四 二 四・ 為 家。宝治百首・秋・野月・一六四七) 白雲にまがへし花は跡もなし弥生の月ぞ空に残れる(新勅撰集・春下・一二四・公経)
四二 〔類歌〕 明けぬればなほ入りやらで短夜の名残を残す山の端の月(東撰六帖抜粋本・夏・夏月・一七七・平時仲) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏朝・五二一。 〔 語 釈 〕 ○ 百 五 十 首 歌 ― → 57。 ○ 明 け に け り ― 初 句 に 置 く の は 珍 し い。 「 更 け に け り 山 の 端 近 く 月 さ え て 十 市 の 里 に 衣 打 つ 声 」( 新 古 今 集・ 秋 下・ 四 八 五・ 式 子 ) 等 の「 更 け に け り 」 を 初 句 に 置 く 歌 に 倣 っ た か と も 疑 わ れ る。 ま た 一方、本歌の『古今集』歌は、 「夏の夜はまだ宵ながら明けにけり雲のいづくに月隠るらん」 (継色紙、基俊本。古 来風体抄・二一四)の形でも伝えられているのであり、宗尊がこれに拠った可能性を見る必要があろう。○まだ短 夜 に ― 特 異 な 措 辞。 本 歌 の「 ま だ 宵 な が ら 」 か ら 発 想 さ れ た と 見 る。 ま だ ま だ 短 い 夏 の 夜 に、 と い う ほ ど の 意 味 か。先行例は見当たらず、後出では、 『風雅集』の「七夕の契りは秋の名のみしてまだ短夜は逢ふほどやなき」 (秋 上・四六九・道平)が勅撰集唯一の例である。その後は、正徹に「洩る月に枝もさはらぬ竹の子のまだ短夜の窓ぞ 涼しき」 (正徹千首・夏・夏月・二七一。草根集・夏・夏月・二二四五) 、実隆に「待ち待ちて心やすめむほどだに も ま だ 短 夜 の 星 合 の 空 」( 雪 玉 集・ 着 到 百 首 和 歌 永 正 六 年 九 月 九 日 ・ 織 女 惜 別・ 七 〇 〇 五。 称 名 院 集・ 五 四 三 )、 伏 見 宮 貞 常 親 王 に「 今 来 ん の 秋 の 光 は 見 え な か ら ま だ 短 夜 の 有 明 の 月 」( 後 大 通 院 殿 御 詠・ 秋 近 月 明・ 四 二 四 ) 等 の 作 例 が 見 え る。 後 二 首 は、 『 風 雅 集 』 歌 に 拠 っ た も の で あ ろ う が、 正 徹 の 一 首 に つ い て は な お、 宗 尊 詠 に も 倣 っ た 可 能 性 を 見 て お き た い。 ○ 捨 て ら れ て ― 置 き 去 り に さ れ て、 と い っ た 程 の 意 味 か。 こ の よ う に「 捨 つ 」 に 受 け 身 の 「らる」が付く形は、 『中書王御詠』の為家評詞が言うとおり、伝統的雅詞ではない。早くは俊頼に「捨てられてう き 瀬 に 立 て る 水 車 世 に め ぐ る と も 見 え ぬ 身 な れ や 」( 散 木 奇 歌 集・ 雑 上・ 水 車 の 程 過 ぎ て、 捨 て た れ ば 廻 ら ぬ を 見 て よ め る・ 一 三 三 七。 田 上 集・ 六 六 ) が あ る。 新 古 今 歌 人 で は 家 隆 が 好 ん だ と 思 し く、 「 頼 み こ し 我 が 心 に も 捨 て
『中書王御詠』注釈稿(二) 四三 ら れ て 世 に さ す ら ふ る 身 を 厭 ふ か な 」( 洞 院 摂 政 家 百 首・ 雑・ 述 懐・ 一 八 二 一。 万 代 集・ 雑 六・ 三 七 二 二 )、 「 無 き 名 の み ゆ ふ つ け 鳥 の 逢 坂 に 捨 て ら れ て だ に 音 を や な か ば や 」( 道 助 法 親 王 家 五 十 首・ 恋・ 寄 鳥 恋・ 九 三 一。 定 家 家 隆両卿撰歌合・六六、結句「音をもなかばや」 )、 「老が世の憂き身は春に捨てられてまたあら玉の年も急がず」 (壬 二 集・ 日 吉 奉 納 五 十 首・ 冬・ 一 八 三 〇 ) 等 と 用 い て い る。 勅 撰 集 に は、 右 の 家 隆 の「 頼 み こ し 」 の 一 首 が、 『 玉 葉 集 』( 雑 五・ 二 五 一 九 ) に 入 集 す る の み で あ る。 ○ 急 が ぬ 月 ― 珍 し い 詞。 他 に は、 幕 末 の 井 上 文 雄 に「 こ よ ろ ぎ の い そ が ぬ 月 に 見 渡 せ ば 雲 居 に な り ぬ 伊 豆 の 大 島 」( 調 鶴 集・ 秋・ 海 上 月・ 三 一 四 ) が あ る が、 こ れ は「 こ よ ろ ぎ の 磯」から「急がぬ月」へ鎖る形である。宗尊は恐らく、参考の為家詠に拠って詠出したのであろう。その為家が評 詞で、この句を批判したのは、自身の「空に急がぬ月の影かな」が、 「急がぬ月の空に残れる」と詠み替えられて、 その「急がぬ月」が、俗に傾いたあるいは意を尽くさない縮約のように感じられたからではないだろうか。 〔補説〕 初句に「明けにけり」置くことや二・四句の措辞自体は新奇であり、三・五句の形も必ずしも伝統的ではな い。その意味では、宗尊なりの野心的試みなのであろうが、一首全体としては、題の「夏朝」をむしろ「夏月」の 本 意 の 範 疇 で 表 し た も の と 言 え る。 な お ま た、 二 句 と 三 句 が、 勅 撰 集 で は そ れ ぞ れ『 風 雅 集 』『 玉 葉 集 』 に し か 見 えない点は、宗尊の詠みぶりと京極派の好みとに通う点があることを窺わせる。こういった点が、為家の「第三四 句不 二庶幾 一候」という批判を招いたのであろう。 その為家の評語は、 「不幽玄之事」とあったのを「幽玄之事」を墨滅して、 「不庶幾候」と改める。 夏夜 72 はかなしなさても見 果 は てぬ 夏 なつ の 夜 よ の 短 みしか き 夢 ゆめ ぞこの 世 よ なりける
四四 〔通釈〕 夏の夜 はかないことだな。ほんとうにまあ、見果てぬ夏の夜の短い夢というのは、まさにこの夜の夢のようなこの世の 中であるのだったな。 〔本歌〕 よそながら思ひしよりも夏の夜の見はてぬ夢ぞはかなかりける(後撰集・夏・相知りて侍りける中の、かれ もこれも心ざしは有りながら、慎むことありてえ逢はざりければ・一七一・読人不知。大和物語・三十一 段・四三・宗于) 〔 参 考 〕 は か な し な 夢 に 夢 見 る か げ ろ ふ の そ れ も 絶 え ぬ る な か の 契 り は( 洞 院 摂 政 家 百 首・ 遇 不 逢 恋・ 一 三 一 四・ 定家) 〔出典〕 文永三年八月百五十首歌。→7補説。 〔他出〕 竹風抄・巻三・文永三年八月百五十首歌・夏夜・五二九。 〔語釈〕 ○この世―『竹風抄』の底本の表記は「此夜」である。三句の「夏の夜」と同心病であり、内容上は「この 世」がふさわしい。 「この世なりけり(る) 」の先行例は数多く、為家には「夢や夢現や現ひとすぢに分かれぬもの は こ の 世 な り け り 」( 為 家 千 首・ 雑・ 九 六 六 ) が あ っ て、 宗 尊 も 既 に「 い か に 見 て 思 ひ さ だ め む 現 と も 夢 と も な き は此の世なりけり」 (瓊玉集・雑下・四九五)と詠んでいる。また、 「はかなしな」を初句に置いて「この世」を詠 む こ と も、 「 は か な し な 憂 き 身 な が ら も 過 ぎ ぬ べ き こ の 世 を さ へ も 忍 び か ぬ ら ん 」( 千 載 集・ 雑 上・ 一 〇 二 九・ 経 因)という先行例に照らして自然である。ただしまた、 「夏夜」題であり、 「世」に「夜」が掛けられていると解さ れなくもないか。
『中書王御詠』注釈稿(二) 四五 夏草 73 秋 あき ぞ 来 こ むさらでは人の 訪 と ふもあらじ 茂 しけ らば 茂 しけ れ 庭 には の夏 草 くさ 近年雖 二秀逸之体候 一 、一身不 二庶幾 一候。 〔通釈〕 夏の草 秋 が 来 た ら よ い の に。 そ う で な く て は、 人 が 訪 れ る こ と も あ る ま い か ら。 ( 夏 の 今 は ) ま ま よ、 茂 る な ら 茂 れ 庭 の夏草よ。 近年では秀逸の風体ではありますけれど、私自身では庶幾わなくございます。 〔参考〕 おのづから訪ふもあらじのつてなれば真柴のとぼそ荒れまくも惜し(宝治百首・雑・山家嵐・三六八七・実 雄) 人目なく荒れ行く宿は夏草の心のままに茂る庭かな(宝治百首・夏・夏草・一〇三六・俊成女) ながめむと植ゑてしものを花薄茂らば茂れ庭も籬も(新和歌集・秋・薄・一八六・基隆) 〔類歌〕 踏み分けて訪ふべき人もなき身には宿から茂る庭の夏草(亀山院御集・詠五首和歌・庭夏草・二四三。続千 載集・夏・三〇九・亀山院) 踏み分けん人も頼まぬみ山辺の宿には茂る庭の夏草(亀山殿七百首・夏・庭夏草・二〇〇・後宇多院) 〔 語 釈 〕 ○ 秋 ぞ 来 む ― 珍 し い 句 形。 「 む 」 は 適 当・ 勧 誘 の 意 か。 ○ 訪 ふ も あ ら じ ― 参 考 の 実 雄 歌 は、 「 あ ら じ 」 に 題 「山家嵐」と「荒れ」の縁で「嵐」が掛かる。該歌の場合も、 「嵐」が響くか。○茂らば茂れ―参考の後藤基隆詠に 学ぶか。基隆は、宗尊幕下の御家人の有力歌人後藤基政の弟。
四六 〔補説〕 「山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば」 (古今集・冬・三一五・源宗于)が、季節の上で 対照的に想起されるか。 為 家 は、 「 一 身 不 二庶 幾 一候 」 と 言 い な が ら も 後 に、 「 山 里 に か れ し 人 め は 冬 な が ら の ら と な り 行 く 庭 の 夏 草 」( 為 家集・文永八年四月廿八日当座百首・夏・夏草・一九二三)という類歌を詠んでいる。 蛍 74 風 かせ そよぐ 葦 あし 屋 や の 里 さと の 短 みしか 夜 よ に 住 す む 方 かた 見 み えて 行 ゆ く 蛍 ほたる かな 少将内侍、是体詠候歟。 〔通釈〕 蛍 風が吹きそよぐ、葦屋の里の夏の短い夜に、男が住む方があちらだと分かるようにして、そこへ飛び行く蛍であ ることだな。 少将内侍が、この風体を詠じておりましょうか。 〔本歌〕 晴るる夜の星か河辺の蛍かも我が住む方の海人の焚く火か(伊勢物語・八十七段・一六〇・主の男。新古今 集伝為相筆本・雑中・一五九一・業平) 〔参考〕 風そよぐ浅茅まじりの刈萱に蛍飛び交ふ夏の夕暮(為忠家初度百首・叢中蛍火・二二七・為忠) 風そよぐ楢の木陰の夕涼み涼しく燃ゆる蛍なりけり(秋篠月清集・夏・ほたる・一〇九五) 津の国の葦屋の里に飛ぶ蛍誰が住む方の海人のいさり火(後鳥羽院御集・同〔建仁二年か〕六月水無瀬釣殿