僧正公朝の和歌注釈補遺
著者
中川 博夫
雑誌名
鶴見大学紀要. 第1部, 日本語・日本文学編
号
58
ページ
39-57
発行年
2021-03
URL
http://doi.org/10.24791/00000930
Creative Commons : 表示 http://creativecommons.org/licenses/by/3.0/deed.ja僧正公朝の和歌注釈稿補遺 三九
僧正公朝の和歌注釈稿補遺
中川博夫
はじめに
『 鶴 見 日 本 文 学 』( 一 九 ~ 二 二、 平 二 七 ~ 三 〇・ 三 ) に 掲 載 し た「 僧 正 公 朝 の 和 歌 注 釈 稿( 一 ~ 四 )」 ( 以 下「 注 釈 稿」と略記)で、僧正公朝の和歌に注釈を施してきた。そこで見落としていた、公朝の和歌9首を取り上げ、注釈す ることとしたい。なお、便宜上、 「注釈稿(四) 」の続きとして、見出し(節)の番号を「十」とするが、年次の順序 で 言 え ば、 「 三 『 宗 尊 親 王 百 五 十 番 歌 合 』」 と「 四 『 三 十 六 人 大 歌 合 』」 と の 間 に 位 置 す べ き も の で あ る。 ま た、 歌 番号を 331~ 339とするが、これも本来は 53~ 61である。 「注釈稿(四) 」の 194は、本稿の 334と同じ歌だが、注釈は補正し つ つ 再 掲 し た。 従 っ て、 公 朝 の 現 存 歌 数 は、 三 三 八 首 と な る。 な お、 「 注 釈 稿 」 を 踏 ま え て、 公 朝 の 和 歌 の 全 容 に つ い て は、 「 僧 正 公 朝 の 和 歌 の 様 相 」( 『 鶴 見 日 本 文 学 』 二 三、 平 三 一・ 三 ) と し て 論 じ た。 今 回 の 補 遺 に よ っ て、 そ の 論を改める必要はないと考えているが、より細かい点については、別に補正を期したいと思う。凡
例
一、次の各項からなる。四〇 ①整定本文。詞書・歌題(前のものがかかる場合は括弧に入れる)と和歌本文とし、作者位署は各集の最初に一括 して示して省略する。和歌の下に括弧に入れて出典の部立・歌番号等を記す。ただし、本文を改めたり注記が必要 な場合は、①の前に〔本文〕の項目を立てる。②通釈。③本歌・本説・本文(前項の「本文」とは別、基にした漢 詩 文 の 意 )、 ④ 参 考( 公 朝 が 踏 ま え た 歌 な ら び に 解 釈 上 に 必 要 な 歌 )、 ⑤ 類 歌( 表 現・ 趣 向 が 類 似 し た 歌 )、 ⑥ 影 響 ( 公 朝 歌 を 踏 ま え た 歌 )、 ⑦ 享 受( 公 朝 歌 を 本 歌 取 り し た 歌 )。 ⑧ 語 釈。 ⑨ 補 説。 ③ ~ ⑨ は、 無 い 場 合 や 不 要 の 場 合 には省略。 一、底本は、国立歴史民俗博物館蔵『定家家隆両卿歌合幷弘長歌合』 (田中穣氏旧蔵典籍古文書H — 743— 50)で、その 写真版に拠る。 一、本文は、次の方針に従う。 1.底本の翻印は、通行の字体により、歴史的仮名遣いに改め、意味や読み易さを考慮して、適宜ひら仮名を漢字 に、漢字をひら仮名や別の漢字に改める。送り仮名を付す。清濁・読点を施す。なお、原則としてひら仮名の反 復記号は用いない。 「謌」 「哥」は「歌」に統一する。 2. 本 文 を 改 め た 場 合、 底 本 の 原 状 は 右 傍 に 記 す( 送 り 仮 名 を 付 し た 場 合 は 傍 点 )。 私 に ふ り 仮 名 を 付 す 場 合 は ( )に入れて区別する。その他、問題点や注意点は、適宜特記する。 3.他資料の本文との異同は、漢字・仮名の別や仮名遣いの違いや送り仮名の有無など、表記上の違いは原則とし て取らない(解釈の分かれる可能性のある表記上の違いである場合は参考までに注記する) 。 4.底本の本行の原状(見消ち等の補訂は本行に復元)に対して他資料の本文との異同を示す。 5.歌頭に通し番号を付した。
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 四一 一、引用の和歌は、特記しない限り新編国歌大観本に拠る。万葉集は、原則として西本願寺本の訓と旧番号に従う。 なお、表記は私に改める。歌集名は、原則として「和歌」を省く。その他の引用は、日本歌学大系本他の流布刊本 に拠る他、特殊な本文の場合には特記する。
注
釈
十
宗尊親王弘長二年歌合二種
弘長二年(一二六二)に、恐らくは宗尊親王が催したと思しい二種の歌合がある。これは、国立歴史民俗博物館蔵 『 定 家 家 隆 両 卿 歌 合 幷 弘 長 歌 合 』( 田 中 穣 氏 旧 蔵 典 籍 古 文 書 H — 743— 50) に 合 冊 さ れ て い る。 こ れ は、 小 川 剛 生 が 見 出 し、 人 間 文 化 研 究 機 構 連 携 展 示「 う た の ち か ら ― 和 歌 の 時 代 史 ―」 ( 平 一 七・ 一 〇 ~ 一 一 ) に 出 展 さ れ、 そ の 後、 佐 藤智広「宗尊親王弘長二年歌合二種について」 (『昭和学院国語国文』三七、平二一・三)が、翻刻紹介したものであ り、 そ の 功 績 は 小 さ く な い。 佐 藤 論 で は、 内 題「 弘 長 歌 合 」 の も の を A、 同「 歌 合 弘 長 二 年 三 月 十 七 日 」 の も の を B と し、 「両歌合とも弘長二年(一二六二)春のものであったと考えられる」と言い、他出文献の検証から、 「宗尊親王主 催の鎌倉での歌合であることは確実である」とし、弘長元年七月七日の『宗尊親王百五十番歌合』の「余波であるか のように、小規模な歌合が行われたと言うことであろうか」と言う。 A の 出 詠 者( 左・ 右 ) は、 宗 尊 親 王( 女 房 )・ 真 観、 藤 原 能 清・ 北 条 時 広、 源 時 清・ 北 条 時 遠、 惟 宗 忠 景・ 源 親 行、 円 勇・ 藤 原( 鎌 田 ) 行 俊、 素 暹・ 公 朝 で、 全 一 二 名。 歌 題 は、 花・ 郭 公・ 月・ 雪・ 恋 の 五 題 の 全 三 十 番( 六 番四二 欠)である。Bの出詠者は、宗尊親王(女房) ・真観、藤原能清・北条時広、源時清・北条時遠、円勇・藤原(鎌田) 行俊、素暹・公朝で、全一〇名。Aの四つ目の番の惟宗忠景・源親行の番がBにはない。歌題は、月前花・霞中花・ 山路花・閑居花・河上花の五題で、全二十五番である。AとBは共に、勝負付けはあり、その一部に小字書き入れの 注が付されてはいるが、完全な判詞とは言えず、判者も不明である。 こ の 両 歌 合 に、 同 時 の 関 東 歌 壇 の 重 要 な 法 体 歌 人 と し て 出 詠 し た 公 朝 の 位 署 は、 後 者 に 拠 れ ば「 権 律 師 公 朝 」( 左 「沙弥素暹」 )である。前者『弘長歌合』は、公朝が初出する六番の本文を欠いて、以下「公朝」 (左「素暹」 )だが、 本来は後者と同じであろう。また、前者が六番の本文を欠くので、両歌合の公朝の詠作は本来 10首であるが、残りの 9首に注釈を施すことととする。相方の素暹は、俗名東(平・千葉)胤行。生年未詳~弘長三(一二六三)年八月六 日 以 前、 一 説 に 九 十 一 歳 と も。 東 重 胤 男。 子 孫 に 東 常 縁 が あ る。 鎌 倉 殿 御 家 人。 中 務 丞。 文 武 兼 備 の 士( 吾 妻 鏡 ) で、 ま た 連 歌 の 好 士 で も あ っ た( 沙 石 集、 菟 玖 波 集 )。 実 朝 か ら 宗 尊 ま で 四 代 の 将 軍 に 近 侍 し た。 上 洛・ 在 京 し て、 藤原定家を訪問(明月記・天福元・二・七) 、また家隆男隆祐とも交わる。 『続後撰集』以下の勅撰集に二二首入集。 『雲葉集』 『新和歌集』 『東撰六帖』 『拾遺風体集』に歌が見える。 なお、番の「左」 「右」は省略する。 [ ]は虫損を示す。また、和歌の下の( )内の漢数字は、右記佐藤翻刻の 歌番号である。 ①弘長歌合
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 四三 (郭公) 331 物 憂 う かる音にはなかねど 時 ほとゝきす 鳥 聞 き けば我から 濡 ぬ る る ゝ 袖 か 哉 な (十二番・二二) 〔通釈〕 (郭公) 時鳥は、何となく憂く辛い声に出して泣くように鳴くのではないけれど、それを聞くと自分自身のせいで涙に濡 れる袖であることだな。 〔本歌〕 あまの刈る藻にすむ虫の我からと音をこそなかめ世をばうらみじ(古今集・恋五・八〇七・典侍直子) あやしきは待つ人からか時鳥なかぬにさへも濡るる袖かな(千載集・夏・一五一・道命) 〔 語 釈 〕 ○ な か ね ど ―「 泣 か ね ど 」 に「 鳴 か ね ど 」 が 掛 か る。 ○ 我 か ら ― 本 歌 の 直 子 詠 で は、 甲 殻 類 の 一 種 の「 割 殻」に、自分からの意の「我から」が掛かるが、ここは後者の意味だけになる。 〔 補 説 〕 左 の 素 暹 詠「 う た て 我 尋 ね ・ ず と て や 郭 公 鳴 く ・ べ き 頃 比 の 音 を 惜 お し む ら ん 」( 二 一 ) と は 持 で、 「 左 右 共 優 美 也 」 の 小 字 の 注 が 付 さ れ て い る。 素 暹 詠 は、 屈 折 が あ り や や 分 か り に く い。 「 不 愉 快 に も、 私 が 探 し 尋 ね な い か ら と い って、時鳥は、鳴くはずのこの頃の声を惜しんでいるのだろうか。」という趣意であろうか。同時代の類詠に「う たてなど尋ね入りても時鳥待つしるしなき三輪の杉むら」 (実材母集・尋郭公・七三六)がある。 (月) 332 月影は身を 分 わ けてしも 照 て らなくに胸の 中 うち にぞ 常 つね にすむてふ(十八番・三四)
四四 〔通釈〕 (月) 月の光は人の身を切り分けて照る訳でもないのに、その胸の中に常に澄んで住んでいるという。 〔本歌〕 秋風は身を分けてしも吹かなくに人の心の空になるらむ(古今集・恋五・七八七・友則) 〔参考〕 鷲の山隔つる雲や深からん常にすむなる月を見ぬかな(後拾遺集・釈教・寿量品・一一九五・康資王母) 身を分けて鶴の林を出でしより亀井にうつる有明の月(拾玉集・略秘贈答和歌百首・三四二三) 〔 語 釈 〕 ○ 月 影 ― 月 あ る い は 月 光 の 意 だ が、 仏( 釈 尊 ) を 寓 意 す る か。 ○ す む ―「 住 む 」 に「 澄 む 」 が 掛 か る。 「 常 に住む」は、仏(釈尊)が久遠常住不滅であることを寓意するか。 〔補説〕 左の素暹詠「久堅の月には 海 あ ま 人 の告 げ ・ ずとも住 吉 よし とてや 隈 くま 無 な かるらむ」 (三三)が勝つ。これは、 「住吉と海 人 は 次 ぐ と も 長 居 す な 人 忘 れ 草 生 ふ と い ふ な り 」( 古 今 集・ 雑 上・ 九 一 七・ 忠 岑 ) を 本 歌 と し て、 「 月 に、 海 人 が ( あ の 古 歌 の よ う に ) 住 み 良 い と 告 げ な く て も、 た し か に 住 み 良 い 住 吉( の 神 の 地 ) と い う こ と で、 月 は 曇 り な く 照 ら し て い る の だ ろ う か。」 と い う 趣 旨 で あ ろ う か。 も ち ろ ん「 住 吉 」 は、 摂 津 国 の 歌 枕 で 住 吉 明 神( 住 吉 大 社 ) が 鎮 座 す る 地 の 意 に、 「 住 み 良 し 」 が 掛 か る。 「 や は ら ぐ る 光 や 添 ふ る 住 吉 の あ た り 隈 無 し 有 明 の 月 」( 住 吉 社 歌 合 嘉 応 二 年 ・ 社 頭 月・ 四 四・ 憲 経 ) と 詠 ま れ る の で、 「 淡 路 島 沖 つ 浪 間 に 風 立 ち て 月 は 隈 無 く 住 吉 の 松 」( 正 治 初 度 百 首・ 秋・ 七 四 七・ 忠 良 ) や「 袖 の 上 に 曇 ら ぬ 夜 半 の 雨 過 ぎ て 月 は 隈 無 く 住 吉 の 空 」( 千 五 百 番 歌 合・ 秋 三・ 一 四 五 一・ 越 前 ) の 両 歌 も 併 せ 見 る と、 「 住 吉 」 が 住 吉 明 神 の 地 故 に「 月 」「 隈 無 し 」 と す る 一 定 の 通 念 が 存 し た か。その神慮故に勝とされたのであろう。 (雪)
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 四五 333 雪降 れ ・ ばかたちも花になりにけり深山 隠 かく れの朽 ち ・ 木なれ〔ども〕 (廿四番・四六) 〔通釈〕 (雪) 雪が降ると、姿形も花になったのであったな。深山に隠れている朽ち木であるけれども。 〔本歌〕 かたちこそ深山隠れの朽ち木なれ心は花になさばなりなむ(古今集・雑上・八七五・兼芸) 〔参考〕 雪消えぬ我がみ山なる朽ち木には春も待たれぬ心地こそすれ(重之・鏡に白さや見えけむ・七四) 〔語釈〕 ○朽ち木―腐り朽ちた木の意。参考の重之歌のように、希望のない不遇な身を寓意するか。○結句―底本は 「朽木なれ[と ]」で、句末忠損だが、一首の内容から私に「朽ち木なれども」に解しておく。 〔補説〕 左の素暹詠「春は な 猶 ほ 咲 さ ける 咲 さ かざる梢までさながら花に 降 ふ れる 白 しら 雪」 (四五)とは持。素暹詠は、 「春の色 の到り到らぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ」 (古今集・春下・九三・読人不知)を本歌にする。 『弘長百 首 』 の 為 氏 詠「 山 桜 咲 け る 咲 か ざ る お し な べ て さ な が ら 花 と 見 ゆ る 白 雲 」( 春・ 花・ 九 九 ) に 酷 似 す る。 同 百 首 は 「 お そ ら く 」「 弘 長 元 年 秋 か ら 冬 の 頃 に お お む ね 詠 ま れ 」( 新 編 国 歌 大 観 佐 藤 恒 雄 解 題 ) た と さ れ る が、 そ れ を 素 暹 詠が見習ったとすれば、関東歌人が直近の京都中央の百首歌をいち早く摂取したことになる。 (恋) 334 何と ま 又 た 人の 刈 か らまく 惜 お しむらん 標 しめ 結 ゆ はましを 越 こし の 菅 すか 原(三十番・五八) 〔通釈〕 (恋)
四六 ど う し て ま た、 人 が 菅 を 刈 る こ と を 惜 し ん で い る の だ ろ う か。 標 を 結 え ば よ か っ た の に、 越 の 菅 原 に。 ( な ぜ に 今更、私の思い人を他の者が我がものにすることを惜しんでいるのだろうか。その人は私だけの占有だと囲い込 んでおけばよかったのに。もう遅いのだ。 ) 〔本歌〕 ま玉つく越の菅原我刈らず人の刈らまく惜しき菅原(万葉集・巻七・譬喩歌・一三四一・作者未詳) 山高み夕日隠れぬ浅茅原のち見むために標結はましを(同右・一三四二・同右) 〔 語 釈 〕 ○ 越 の 菅 原 ― 本 歌 は 原 文「 越 能 菅 原 」 で、 「 越 」 は「 を ち 」 が 通 行 訓。 こ の「 越 」 は 未 詳 だ が、 大 和 国( 現 奈 良 県 高 市 郡 高 取 町 越 智 ) の「 越 智 野 」、 あ る い は 近 江 国( 現 滋 賀 県 坂 田 郡 近 江 町 ) の「 越 智 」 と 見 る 説 が あ る。 該 歌 の 場 合 は、 万 葉 の 西 本 願 寺 本 等 の 訓 に 従 い「 こ し の 菅 原 」 で あ り、 越 の 国 の「 菅 原 」 と 認 識 し て い た で あ ろ う。 『 歌 枕 名 寄 』 で は「 越 菅 原 」 を 佐 渡 国 に 部 類 し、 右 の 万 葉 歌 に 加 え て、 家 隆 の「 知 ら ざ り き 越 の 菅 原 荒 れ 果 て て か り に も あ は ぬ 契 り な り と は 」( 壬 二 集・ 院 百 首 建 保 四 年 ・ 恋・ 八 八 四 = 七 六 三 三 ) と 家 良 の「 恋 ひ 侘 び ぬ あ り し ば か り の 玉 も が な 越 の 菅 原 人 目 も り つ つ 」( 夫 木 抄・ 雑 四・ 原・ こ し の す が は ら・ 九 九 〇 九 = 七 六 三 四、 三 句「 ひ ま も が な 」) の 両 首 を 挙 げ る。 歌 枕 と し て 認 識 さ れ て い た と し て も 漠 然 と 越 国 辺 り の 菅 の 生 え る 原 と い う 印 象 以 上 には、具体性を帯びたものではなかったのではないか。 〔 補 説 〕 『 万 葉 集 』 の 並 び の 両 首 を 取 り 併 せ た 歌。 安 易 と 言 え ば 安 易 だ が、 こ の よ う な 方 法 は、 実 朝 や 宗 尊 と い っ た 関東歌壇の主宰たる鎌倉殿の常套でもあった。とは言え、本歌に即いた比喩表現で言わば失恋を詠じているが、誹 諧や諧謔と背中合わせの軽みが感じられなくもない。 この一首は既に、 「注釈稿(四) 」の 194で、 『夫木抄』 (雑四・九九一一)の一首として見たので、注釈は補訂しつ つ再掲した。同抄の詞書(集付) 「中務卿親王家歌合、恋」は、この『弘長歌合』を指すことになる。
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 四七 左の素暹詠「な ほ を ざりの契りをねたく 頼 たの みつ つ ゝ 我 わ がはかなさを 知 し られぬる か 哉 な 」(五七)が勝つ。 「なほざりの人 の 契 り も な か な か に 定 め な き 世 と 頼 む ば か り ぞ 」( 新 撰 六 帖・ 第 五・ ち ぎ る・ 一 五 三 六・ 家 良 ) が、 素 暹 の 視 野 に 入 っ て い た で あ ろ う か。 「 契 り お き て 帰 り し こ と を 頼 み つ つ 逢 は で も ね た く 過 ぐ し つ る か な 」( 為 忠 家 後 度 百 首・ 恋・来不会恋・六一三・為経〔寂超〕 )も解釈の助けにはなろう。 「いいかげんなあの人の約束を、悔しくもあてに しながら、自分のはかない虚しさを自然と分かってしまうことだな。」という趣意か。恋歌らしさの点で、公朝詠 に勝るか。 以上、四番中、素暹詠の勝二番、持二番である。 ②歌合 弘長二年三月十七日 (月前花) 335 月影に花 見 み る夜半ぞ 来 こ ぬ人の 待 ま たる る ゝ 時の限 り ・ な 成 り ける(五番・一〇) 〔通釈〕 (月前の花) 月の光に花を見る夜こそは、来ない人を自然と待つ時分の、 (風情の)極みなのであった。 〔本歌〕 月影に花見る夜半のうき雲は風のつらさに劣らざりけり(金葉集・春・五六・匡房) 〔参考〕 月夜には来ぬ人待たるかき曇り雨も降らなむ侘びつつも寝む(古今集・恋五・七七五・読人不知) いつはとは時は分かねど秋の夜ぞ物思ふ事の限りなりける(古今集・秋上・一八九・読人不知)
四八 〔 補 説 〕 左 の 素 暹 詠「 散 る ・ ま で は 見 み る べ き 花 の 程 ば か り 霞 忘 わす れ よ 春 の 夜 の 月 」( 九 ) が 勝 つ。 そ の 上 句 は「 折 り と ら ば惜しげにもあるか桜花いざ宿借りて散るまでは見む」と「有り果てぬ命待つ間の程ばかり憂きことしげく思はず もがな」 (古今集・春上・六五・読人不知、雑下・九六五・貞文)を踏まえる。下句は、 「浅緑花もひとつに霞みつ つ お ぼ ろ に 見 ゆ る 春 の 夜 の 月 」( 新 古 今 集・ 春 上・ 五 六・ 菅 原 孝 標 女 ) 等、 「 春 の 夜 の 月 」 が 霞 む と い う 通 念 や 類 型、即ち本意に対して、敢えて「霞忘れよ」と言う趣向である。 (霞中花) 336 しかりとて風もたまらず春霞花にかひなき 隔 へた て な 成 り けり(十番・二〇) 〔通釈〕 (霞中の花) そうだとしても、 (花を散らす)風も春霞によって溜まりとどまりはしない。 (花を隠す)春霞は、花にとって何 のかいもない、ただの隔てなのであった。 〔参考〕 春霞立ちな隔てそ花盛り見てだに飽かぬ山の桜を(拾遺集・春・四二・元輔) 山桜にほふあたりの春霞風をばよそに立ち隔てなん(千載集・春上・四八・中納言女王) 〔 語 釈 〕 ○ し か り と て ―「 し か り と て 背 か れ な く に 事 し あ れ ば ま づ 嘆 か れ ぬ あ な 憂 世 の 中 」( 古 今 集・ 雑 下・ 九三六・篁)が原拠。 〔 補 説 〕 左 の 素 暹 詠「 色 深 ふか き 花 の 錦 を か さ ね て も 春 の 上 うは 着 き は 霞 な 成 り け り 」( 一 九 ) に 対 し て、 公 朝 詠 が 勝 つ。 素 暹 詠 に 先 行 す る 類 歌 に「 佐 保 姫 の 霞 の 衣 ぬ き を 薄 み 花 の 錦 を 立 ち や か さ ね ん 」( 後 鳥 羽 院 御 集・ 建 保 四 年 二 月 御 百 首・
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 四九 春・ 五 一 三 ) が あ る。 ま た、 「 春 の 上 着 」 は 新 鮮 な 歌 語 だ が、 定 家 と も 交 わ っ た 鑁 也「 霞 き る 春 の 上 着 の う つ た へ に 雪 ぎ え の 風 に 夜 寒 や あ る ら ん 」( 露 色 随 詠 集・ 五 五 四 ) か ら 学 ん だ の か も し れ な い。 ま た、 こ れ ら に 先 行 し て、 「 朝 ぼ ら け 紅 葉 の 錦 見 渡 せ ば 霧 こ そ 秋 の 上 着 な り け れ 」( 殿 上 歌 合 承 保 二 年 ・ あ さ ぎ り・ 八・ 国 仲 ) が あ る が、 こ の 歌を素暹が知り得たかは分からない。 (山路花) 337 た だ ゝ 越 こ え へ んこれはまだ 見 み ぬ山なれどあたら桜にし を ほ りをばせじ(十五番・三〇) 〔通釈〕 (山路の花) ただひたすら越えよう。これはまだ見たことのない山であるけれど、もったいなくも、その桜の花に道標の枝折 りはするまい。 〔参考〕 遠方やまだ見ぬ山は霞にてなほ花思ふ志賀の山越え(秋篠月清集・歌合百首・志賀山越・三一一) 山ぶしの人もきてみぬ苔の袖あたら桜を打ち払ひつつ(仙洞句題五十首・深山花・六六・定家) しほりせでなほ山深く分け入らん憂きこと聞かぬ所ありやと(新古今集・雑中・一六四三・西行) 〔 補 説 〕 参 考 の 良 経 の「 遠 方 や 」 歌 は、 俊 成 の「 面 影 に 花 の 姿 を 先 立 て て 幾 重 越 え 来 ぬ 峰 の 白 雲 」( 続 詞 花 集・ 春 下・五〇。新勅撰集・春上・五七他)を踏まえていようか。公朝詠にも、俊成歌の趣が微かにある。 左 の 素 暹 詠「 花 見 み て は 行 ゆ か れ ざ り け り む ば 玉 の 夜 よる こ そ 越 こ え め み 御 吉 野 の の ゝ 山 」( 二 九 ) 対 し て、 公 朝 詠 が 勝 つ。 素 暹 詠 の 初 二 句 は、 「 花 見 て は い と ど 家 路 ぞ 急 が れ ぬ 待 つ ら ん と 思 ふ 人 し な け れ ば 」( 新 古 今 集・ 哀 傷・ 七 六 五・ 実 定 )
五〇 と「 思 ひ 侘 び 昨 日 山 べ に 入 り し か ど ふ み 見 ぬ 道 は 行 か れ ざ り け り 」( 後 拾 遺 集・ 恋 一・ 六 二 七・ 道 命 ) に 拠 っ て い よ う か。 ま た、 前 年 の『 宗 尊 親 王 百 五 十 番 歌 合 』 の「 花 見 て は 帰 る 心 の あ ら ば こ そ 分 け 入 る 山 に し を り を も せ め 」 (春・一九・時家)に刺激された可能性はあろう。 (閑居花) 338 今こそあれ住 み ・ 来 こ し宿の桜花昔の春は 寂 さひ しとも 見 み ず(二十番・四〇) 〔通釈〕 (閑居の花) 今こそ寂しくあるのだ。ずっと住み来たった家の桜の花よ。 (今に比べれば)昔の春は、寂しいとも思わない。 〔本歌〕 今こそあれ我も昔は男山さかゆく時もあり来しものを(古今集・雑上・八八九・読人不知) 〔参考〕 音に立ててなかぬ日はなし鶯の昔の春を思ひやりつつ(後撰集・哀傷・一四〇七・大輔) 〔 補 説 〕 左 の 素 暹 詠「 絶 た え て は や 問 は ・ れ ぬ 宿 に あ ぢ き な く 今 こ 年 とし も 花 の 人 目 め 待 つ ・ ら ん 」 が 勝 つ。 こ れ は、 「 宿 近 く 梅 の 花 植 ゑ じ あ ぢ き な く 待 つ 人 の 香 に あ や ま た れ け り 」( 古 今 集・ 春 上・ 三 四・ 読 人 不 知 ) を 本 歌 に 取 っ た か。 初 句 は、先行例が見えず不審で、 「堪へてやは」の誤りかとも疑われるが、断定はできない。 「絶えてはや」で、解釈す る と、 「 人 跡 は は や 絶 え て、 人 に 訪 問 さ れ る こ と の な い 家 に、 た だ 虚 し い こ と に も、 今 年 も 花 が 人 の 来 て 見 る の を 待っているのだろうか。」という意味になろうか。
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 五一 (河上花) 339 憂 き ・ ながら 消 き えせぬ 濤 (あわ) や 滝 たき 河の岩瀬みなぎる花の白浪(廿五番・五〇) 〔通釈〕 (河上の花) 憂きままに浮きながら消えることのない泡は、滝川の岩瀬に満ちあふれる散った花の白波なのだ。 〔 本 歌 〕 う き な が ら 消 え せ ぬ も の は 身 な り け り う ら や ま し き は 水 の 泡 か な( 拾 遺 集・ 哀 傷・ む ま ご に 後 れ 侍 り て・ 一三一三・中務) 〔参考〕 嵐吹く山の麓のかくみ河岩瀬みなぎり行く紅葉かな(百首歌合 建長八年 ・秋・八二八・家良) 〔語釈〕 ○憂き―「濤」 「白浪」の縁で「浮き」が掛かる。○濤―本歌に照らして「あわ」と読む。 『類聚名義抄』の 「濤」に「アハタツ」の訓が見える。 〔 補 説 〕 本 歌 は、 「 う き な が ら 消 (け) ぬ る 泡 と も な り な な む な が れ て と だ に 頼 ま れ ぬ 身 は 」( 古 今 集・ 恋 五・ 八 二 七・ 友 則)を踏まえる。 左の素暹詠「 厭 いと へども嵐吹 き ・ しく山河の浪の 騒 さは ぎは 桜 さくら な 成 り けり」 (四〇)が勝つ。これは、 「知りにけむ聞きても 厭 へ 世 の 中 は 浪 の 騒 ぎ に 風 ぞ し く め る 」( 古 今 集・ 雑 下・ 九 四 六・ 布 留 今 道 ) を 本 歌 に す る。 長 明 の「 吉 野 山 浅 瀬 白 浪 岩 越 え て 音 せ ぬ 水 は 桜 な り け り 」( 長 明 集・ 春・ 花・ 一 〇 ) や 慈 円 の「 白 河 の 浪 に 乱 れ て 咲 く 花 は い と よ り か かる桜なりけり」 (仙洞句題五十首・河辺花・五七)に通う趣もある。 以上、五番中、素暹詠の勝三番、公朝詠の勝二番である。
五二
公朝詠作各集番号別一覧
* 各 集 名 の 下 の 算 用 数 字 は 入 集 歌 数。 そ の 下 に、 新 編 国 歌 大 観 番 号( 漢 数 字 ) を 示 す。 「 = 」 以 下 に、 頭 の 二 ~ 四 文 字 を 各 集 名 の 略 称 と し て 重 出 状 況 を 示 す。 た だ し、 『 東 撰 六 帖 抜 粋 本 』 は「 抜 粋 」、 『 三 十 六 人 大 歌 合 』 は「 大 合」 、『歌枕名寄』は「名寄」とする。各集名の「和歌」は省略する。各末尾に底本を示す。 勅撰和歌集 続 古 今 集 4 五 〇 一 = 和 漢 兼 作 集・ 八 五 三、 歌 枕 名 寄・ 一 一 六 一。 一 一 四 二。 一 八 一 七。 一 八 五 二。 ( 尊 経 閣 文 庫伝為氏筆本。 続拾遺集6 五〇一。五四二=名寄・一六九三。五九七。六二一=抜粋・二四三、新三・二六八(作者「前僧正 実伊」 )。六三八。一二〇七。尊経閣文庫蔵本(伝飛鳥井雅康筆) 。 新 後 撰 集 6 九 〇。 三 七 二 = 大 合・ 一 二 八。 六 四 一。 一 一 四 八 = 人 家・ 一 五 一、 題 林・ 八 四 三 二。 一 二 九 六。 一三三三。書陵部蔵兼右筆二十一代集本(五一〇・一三) (以下新後拾遺集まで同じ) 。 玉葉集2 七〇五=題林・三九四二。二六七七。同右。 続千載集4 四七二。七九八。一〇九三。一九二五。同右。 続後拾遺集2 一一〇三=名寄・二七〇三(作者名無し) 。一二九六=秋風・六〇二。同右。 風雅集1 一四五四。同右。 新千載集2 二六七=人家・一三九、六華・三九七(作者「土御門院」 )。二一三二。同右。僧正公朝の和歌注釈稿補遺 五三 新後拾遺集2 四七六=題林・五〇八八。六〇一=大合・一二二、題林一二四三。同右。 小計 29首。 私撰集・歌合等 秋風集1 六〇二=続後拾・一二九六。書陵部蔵本(五〇一・一二七) 。 東撰六帖6 九=抜粋・九。六〇。六四=抜粋・三七。九六=抜粋・五一。二一〇。二二四。島原図書館松平文 庫本(一二九・一九) 。 同抜粋本 11 九=東撰・九。三七=東撰・六四。五一=東撰・九六。一四八。一四九(前歌の作者名が掛かるとす れ ば 公 朝 歌 )。 二 〇 八 = 別 本・ 五 九 四。 二 四 三 = 続 拾・ 六 二 一、 新 三・ 二 六 八( 作 者「 前 僧 正 実 伊 」) 。 二 八 五。 三 六 八。 三 六 九( 前 歌 の 作 者 名 が 掛 か る と す れ ば 公 朝 歌 )。 四 三 四。 祐 徳 稲 荷 神 社 寄 託 中 川 文 庫 本( 国 文 学 研 究 資 料 館 デ ー タ ベ ー ス の 画 像 デ ー タ に よ る )、 「 祐 徳 稲 荷 神 社 寄 託 / 中 川 文 庫 本「 東 撰 和 歌 六 帖 」( 解 説 と 翻 刻 )」 (『国文学研究資料館紀要』二、昭五一・三)の翻印を参照。 宗尊親王家百五十番歌合 10(あるいは9)六。三六=夫木・一〇〇一九。六六=夫木・二六三八。九六。一二六= 人家一四〇。一五六。一八六=人家・一四六、夫木・一〇七八〇。二一六。二四六。二七五 (作者 「能清朝臣」 。 錯乱か)=人家・一四九。尊経閣文庫蔵本。 弘 長 歌 合 4 二 二。 三 四。 四 六。 五 八 = 夫 木・ 九 九 一 一。 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 蔵『 定 家 家 隆 両 卿 歌 合 幷 弘 長 歌 合 』 ( 田 中 穣 氏 旧 蔵 典 籍 古 文 書 H — 743— 50) 本( 写 真 版 )。 佐 藤 智 広「 宗 尊 親 王 弘 長 二 年 歌 合 二 種 に つ い て 」( 『 昭 和 学 院国語国文』三七、平二一・三)の翻刻を参照し、歌番号はそれに拠る。 歌合 弘長二年三月十七日 5 一〇。二〇。三〇。四〇。五〇。同右。
五四 三 十 六 人 大 歌 合 5 一 二 二 = 新 後 拾・ 六 〇 一、 題 林 一 二 四 三。 一 二 四。 一 二 六 = 名 寄・ 七 三 一 一。 一 二 八 = 新 後 撰・三七二。一三〇=六華一八〇二(六花集注・三九八) 。書陵部蔵(特・六一)本。 人 家 集 18 一 三 四 = 六 華・ 一 六 一。 一 三 五。 一 三 六 = 和 漢・ 二 九 八。 一 三 七( 類 似 歌、 別 本・ 五 九 三、 和 漢・ 四 三 四 )。 一 三 八。 一 三 九 = 新 千・ 二 六 七、 六 華・ 三 九 七( 作 者「 土 御 門 院 」) 。 一 四 〇 = 宗 尊・ 一 二 六。 一 四 一。 一 四 二。 一 四 三。 一 四 四。 一 四 五。 一 四 六 = 宗 尊・ 一 八 六、 夫 木・ 一 〇 七 八 〇。 一 四 七 = 新 後 撰・ 一三三三。一四八。一四九=宗尊・二七五(作者「能清朝臣」 。錯誤か) 。一五〇=拾遺・二二五。一五一=新後 撰・ 一 一 四 八、 題 林 = 八 四 三 二。 島 原 図 書 館 松 平 文 庫 本。 福 田 秀 一「 人 家 和 歌 集( 解 説・ 錯 簡 考 と 翻 刻 )」 (『 国 文学研究資料館紀要』第七号、昭五六・三)の本文復元案に拠る。 閑 月 集 2 四 三 三。 五 〇 四。 国 立 歴 史 民 俗 博 物 館 蔵 本( 高 松 宮 伝 来 禁 裏 本。 文 化 庁 蔵 時 代 の 紙 焼 写 真 に 拠 る )。 同 本を底本とした古典文庫本を参照。 別本和漢兼作集3 五九三=和漢・四三四(=人家・一三七は改作か) 。五九四=抜粋・二〇八。五九五。 (他に四 首の漢詩句あり) 。島津忠夫氏蔵本( 『別本和漢兼作集と研究』 (未刊国文資料)の翻印に拠る) 。 和漢兼作集3 二九八=人家・一三六。四三四=別本・五九三。八五三=続古・五〇一、歌枕名寄・一一六一。書 陵部蔵本を底本とする新編国歌大観本。 拾 遺 風 体 集 15 ( 抄 出 本 7) 八。 二 〇。 三 九。 一 一 五。 一 五 九( 抄 )。 二 二 五( 抄 ) = 人 家・ 一 五 〇。 二 三 七 (抄) 。二三九。三二八(抄) 。三五一。三八二(抄) 。四〇〇。四三二。四八一(抄) 。五〇二(抄) 。島原図書館 松平文庫本(一三〇・七) 。 歌枕名寄3 一一六一=続古・五〇一、兼作・八五三。一六九三=続拾・五四二。二七〇三〔作者名無し〕=続後
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 五五 拾・一一〇三。七三一一=大合・一二六。万治二年(一六五九)刊本を底本とした新編国歌大観本。 夫 木 抄 236( 二 首 重 出 ) 一 五。 二 二 〇 ~ 二 二 三。 五 一 四。 七 〇 一 ~ 七 〇 三。 七 八 三。 一 〇 八 九 ~ 一 〇 九 〇。 一一二五~一一二八。一一七九。一二〇六。一四九七。一七五三。一七六五。一七七九。一八八四~一一八五。 二〇八一~二〇八二。二一六九。二一九四。二二〇一。二三三四。二四七三~二四七四。二五四一。二六三八= 宗 尊・ 六 六。 二 七 九 一。 二 八 七 五。 二 八 九 三。 三 一 四 八。 三 二 八 六。 三 三 五 六。 三 四 二 一。 三 四 七 七。 三六六五。三七八七。三九六五~三九六六。四二一〇。四二八三。四三四二。四七〇三~四七〇四。四八四九~ 四八五〇。四九五九。四九六八。五〇二二。五四三八。五七九二~五七九三。五八六一~五八六二。六〇二〇。 六〇五三。六八〇三~六八〇五。六八二六~六八二八。六八七七~六八七九。六九七〇。七〇四一。七一三二。 七 四 二 五。 七 四 三 一 ~ 七 四 三 二。 七 五 三 四 ~ 七 五 三 五。 七 五 三 六 = 六 華・ 一 三 八 九( 六 花 集 注・ 一 六 一 )。 七五三七~七五三八。七七六一。七七六九~七七七〇。七八八八。七九九七。八一九九。八二六九。八二九六。 八 三 四 八。 八 四 八 九。 八 八 一 七。 八 九 四 一。 八 九 五 七。 八 九 九 〇。 八 九 九 九。 九 〇 一 〇。 九 一 四 七 = 夫 木・ 一 五 九 六 九。 九 二 一 七。 九 二 二 〇。 九 二 四 〇。 九 三 二 八。 九 四 五 一。 九 六 八 四。 九 七 三 五。 九 七 四 四。 九 七 七 〇。 九 九 一 一 = 弘 長 歌 合・ 五 八。 一 〇 〇 〇 五。 一 〇 〇 一 九 = 宗 尊・ 三 六。 一 〇 一 四 四。 一 〇 一 四 八。 一 〇 三 三 七。 一 〇 四 六 九。 一 〇 四 八 九。 一 〇 五 〇 二。 一 〇 五 三 六。 一 〇 五 四 四。 一 〇 五 七 三。 一 〇 五 八 〇。 一〇六五二。一〇六八一。一〇六八八。一〇六九四~一〇六九五。一〇六九九。一〇七八〇=宗尊・一八六、人 家・ 一 四 六。 一 〇 九 五 九。 一 一 〇 六 五。 一 一 一 七 六。 一 一 三 一 一。 一 一 三 九 四。 一 一 五 四 五。 一 一 七 三 四。 一 一 八 三 三。 一 一 八 五 八。 一 一 八 六 三。 一 一 八 八 八。 一 一 九 〇 四。 一 一 九 三 四。 一 一 九 四 〇。 一 一 九 五 六。 一 二 〇 〇 一。 一 二 一 六 七。 一 二 二 八 六。 一 二 三 六 七。 一 二 三 七 二。 一 二 三 九 四。 一 二 四 二 四。 一 二 四 五 三。
五六 一 二 五 〇 〇。 一 二 六 六 六。 一 二 六 七 九。 一 二 七 一 八。 一 二 七 二 四 ~ 一 二 七 二 五。 一 二 七 七 八。 一 二 八 五 一。 一 二 九 二 六 ~ 一 二 九 二 七。 一 二 九 六 一 ~ 一 二 九 六 二。 一 三 〇 六 九。 一 三 一 五 九。 一 三 一 六 一。 一 三 一 七 七。 一 三 一 八 五。 一 三 一 九 五。 一 三 二 五 四。 一 三 五 二 五。 一 三 六 三 五。 一 三 六 六 二。 一 三 八 五 六。 一 三 八 六 七。 一 三 九 五 五。 一 四 一 三 五。 一 四 一 五 五 ~ 一 四 一 五 六。 一 四 二 八 四 ~ 一 四 二 八 六。 一 四 二 九 一。 一 四 三 三 八。 ( 一 四 三 三 九 = 雲 居 寺 結 縁 経 後 宴 歌・ 二 〇・ 木 工 助 敦 隆 の 歌 )。 一 四 三 九 二。 一 四 四 二 七。 一 四 五 九 四。 一 四 七 八 二。 一 四 九 六 四 ~ 一 四 九 六 五。 一 五 〇 八 四。 一 五 〇 九 八。 一 五 一 〇 九。 一 五 一 二 二。 一 五 一 三 六 ~ 一 五 一 三 七。 一 五 一 七 一。 一 五 一 九 三。 一 五 二 八 一。 一 五 三 二 七 ~ 一 五 三 二 八。 一 五 五 三 一。 一 五 五 四 八。 一 五 六 〇 七。 一 五 六 四 二。 一 五 六 六 七。 一 五 六 七 五。 一 五 六 九 七。 一 五 七 一 八。 一 五 七 二 〇。 一 五 七 二 八。 一五八三六。一五八九一。一五九六九=夫木・九一四七。一五九七〇~一五九七一。一六〇八九。一六一二〇。 一六一六五。一六三四五~一六三四六。一六四五六。一六五三七。一六五四九。一六六二九。一六七七四=題林 愚 抄・ 一 〇 〇 〇 〇( 作 者「 公 雄 」) 。 一 六 八 一 五 ~ 一 六 八 一 六。 一 六 八 六 〇。 一 六 九 〇 七。 一 六 九 二 二。 一六九七〇。一七〇二九。一七〇五二。静嘉堂文庫本。 新三井集 12 七。一八。六〇。一二四。一四七。一六八。一七四。一七九。一九二。二六六。二六八(作者「前僧 正実伊」 。錯誤か)=続拾・六二一、抜粋・二四三。二九七。有吉保氏蔵本を底本とした新編国歌大観本。 六 華 集 5 一 六 一 = 人 家・ 一 三 四。 四 九 四 = 三 百 六 十・ 一 七 七。 一 三 八 九( 六 花 集 注・ 一 六 一 ) = 夫 木 抄・ 七 五 三 六。 一 七 三 七( 六 花 集 註・ 三 九 〇 )。 一 八 〇 二( 六 花 集 註・ 三 九 八 ) = 大 合・ 一 三 〇。 島 原 図 書 館 松 平 文 庫蔵本(一三二・八) 。 題林愚抄5 一二四三=新後拾・六〇一、大合・一二二。三九四二=玉葉・七〇五。五〇八八=新後拾・四七六。
僧正公朝の和歌注釈稿補遺 五七 八 四 三 二 = 新 後 撰・ 一 一 四 八、 人 家・ 一 五 一。 一 〇 〇 〇 〇( 作 者「 公 雄 」) = 夫 木 抄・ 一 六 七 七 四。 寛 永 十 四 年 (一六三七)刊本(刈谷市立中央図書館村上文庫本の紙焼写真による) 。 三 百 六 十 首 和 歌 2( 一 七 七 ~ 一 七 九 ま で 作 者「 大 僧 正 公 朝 臣 」 の 下 に あ る が、 一 七 八 は 後 鳥 羽 院 宮 内 卿 の 歌、 一七九は他に見えない歌)一七七=六華集・四九四。一七九。島原図書館松平文庫本を底本とする新編国歌大観 本。 一遍上人絵伝1 聖戒本。 『日本の絵巻 20』(昭六三・一一、中央公論社)の影印に拠る。