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憲法第25条の生存権を具現化する法体系の理論 利用統計を見る

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憲法第25条の生存権を具現化する法体系の理論

著者

清水 虎雄

雑誌名

東洋法学

2

2

ページ

1-25

発行年

1958-11

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00007768/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

憲法第二十五条の生存権を

具現化する法体系の理論

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目 次 第 憲法第二十五条と生存権 第 生存権の法理 第 生存権保障の法体系 第 四 結 語 第一、憲法第二十五条と生存権 現行憲法第二十五条は第一項に﹁すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する﹂と規定して いるが、この規定は、ドイツワイマ1ル憲法第一五一条第一項に﹁経済生活の秩序は各人に人聞に価いする生活を得 させることを目的とし、正義の原則に適合することを要する﹂という規定とその精神を等しくするものであって、す べての国民の生存権を保障するものであると解される。 憲法第二十五条の生存権を具現化する法体系の理論

(3)

東 洋 a A 学 人間の生きる権利である生存権

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の概念が個人の主体的の権利として明確に 意識されるようになったのは、十七・八世紀の近代自然法思想を通じてである。即ち生存権は本質的には自然権、換 言すれば天賦の人権であって、実定法によって創設的に、附与された権利ではない。 しかし、近代国家の憲法の中でも自然法思想を否定し実証主義的原理に基くものは、人権としての性存権を認めな いし、自然法思想に基くものでも、十八・九世紀に成立した憲法では、積極的な意味で生存権の保障を規定したもの はなく、消極的に国民の生命、自由、財産が権力又は私的の実力により侵害されないという保障を与えたに止まり、 積極的な個人の生存の為に必要な条件を確保したわけではなかった。従って広義における生存権は憲法によって保障 されたといえるけれども、それは自由権的性格においてであって、生存権の確保は自力によってなされるべきである というセルフヘルプのモラルと、又それが可能であるという楽観的自由主義の経済理論が前提になっていたのである。 勿論各国における公的制度として貧窮者及び老・病・不具・嬢疾者に対する救済施設は実施されたけれども、何れも 行政的配慮から出た恩恵的施設であるに止まり、本質上国家の義務とされたわけではなかった。 狭義の生存権の概念、即ち生存権とは個人の生存の為に必要な諸条件の確保を社会に対して要求する権利であり、 反面、社会にはそれに属する個人の生存の為に必要な諸条件を積極的に確保する義務が有るという理論が法的に具体 さ れ た の は 、 一九一九年のドイツワイマ1ル憲法においてであって、その後の各国の新憲法又は改正憲法の上に大き い影響を与えた。そこでこういう意味における生存権を保障しているということが二十世紀の憲法の十八・九世紀の 憲法に対する重要な特色とされるようになったわけである。日本川訟法が前記第二五条第一項につ守ついて同条第二項

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と し て 、 ﹁国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならな い﹂と規定しているのは、第一項の権利が、健康で文化的な生活を営むことを妨げられないという消極的な意味の権 利ではなく、国に対してこういう生活を営む為に必要な諸条件を確保することを要求するという積極的な意味の権利 であり、国は社会福祉、社会保障及び公衆衛生等の諸施設等を通じて当該諸条件を確保する義務を負うことを明かに したわけであるから、狭義の生存権(以下、生存権という語をこの意味に用いる)を保障するものであって、この点 ワイマ 1 ル憲法と性格を同じくし、二

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世紀憲法の特色を具えているわけである。 第 二 、 生 存 権

法 理 ワイマ 1 ル憲法は﹁人聞に価いする生存﹂という語を用いこれが生存権主義の枢軸となっている。しかしこういう いわゆる﹁人間らしく生きる権利﹂の主張はこの時に始まったわけでは無く、近代自然法思想に基く諸憲法及び諸室 言において確認された固有の人権は究極的には﹁人間らしく生きる権利﹂に外ならない、例えば一七七六年六月のア メリカグァ 1 ジ一一アの権利章典第二早は﹁一定の天賦の人権﹂として﹁財産を所有し、かつ幸福及び安全を追求・獲 得する手段をもって生命および自由を享受することである﹂といい、同年七月のアメりカ合衆国独立宣言は﹁造物主 から賦与された一定不可譲の権利﹂の中に﹁生命、自由及び幸福追求﹂が含まれ、これらの権利を確保するため人類 の聞に政府が樹立されたということ等を自明の真理とし、又フラ Y ス大革命の人権宣言第二条に、 一切の政治的結合 の 目 的 は 、 ﹁自然にして絶対的な人権﹂の保護にある、とし、 人権とは﹁自由、 財 産 、 安 全 及 び 、 圧制に対する抵 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論

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東 洋 法 止4 寸ー 四 抗﹂であるとしているが、要するに、権力などによって不当に拘束されることなく、独立に自由に、又他の暴力など により侵害されることなく安全かつ幸福に生きる権利というわけであるから、結局﹁人間らしく生きる権利﹂という ことに外ならない。従って﹁人間らしく生きる﹂ということの条件として﹁独立、自由、安全、幸福﹂ということが 意識され、これを現実的に可能ならしめる為、近代憲法法典は具体的権利として各種の自由権と財産権とを保障し、 且つ国は社会の治安維持の責任を負うことになったわけである。そしてこれを以て足れりとし、 モヲトーとしてレヲ セ ・ フ ュ l ル即ち自由放任ということが強く主張されたのは、産業革命によって生れた分業と機械工業による量産の 新生産方式を中核とする資本主義経済機構の成立を背景として自力による幸福追求の可能性が信ぜられた結果である と共に前近代国家即ち封建制度及び絶対主義君主制下において社会福祉を理由とする国家権力による個人の生活への 干渉が過大であった為でもある。要するに﹁人間らしく生きる権利﹂を憲法及び諸制度上に具体化するについては常 に現実的社会的条件に制約されるわけであるから、十八・九世紀にはこういう歴史的条件を反映し、こういう歴史的 要求に応じた、というわけである。 しかし十九世紀になると歴史的条件、歴史的要求の変化が現われてきた。それはいうまでもなく資本主義経済の進 展につれ、労資聞の階級的分裂も生じ、国民の聞における貧富の差も激化し、国民の大多数が無産の大衆と化し、彼 等は自力を以て﹁人間らしい幸福な生存﹂を実現することが困難になったという社会事情であり、労働者の奴隷的酷 使、過小賃金、失業、労働不能等による飢餓線上に立つ生活不安ということが顕著な社会現象となったことである。 そこで権力者やブルジョアジーにとっては自由権、財産権の保障は現実的の価値があって限りなく幸福の追求ができ

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る が 、 一方プロレグリア l トにとっては自由権も財産権も法上の権利ではあっても、現実的に﹁人間らしく生きる﹂ 為には役に立たないことになったのである。人間らしく生き得ることを社会に対して要求する権利という意味での生 存権を強く主張したのが十九世紀の社会主義者達であったのは当然であるが、十九世紀においては制度化に成功する に至らず、二十世紀の諸憲法において新しい具体的権利の保障が実現されたのであるが、要するに十九世紀から二十 世紀にかけての歴史的条件を反映し、歴史的要求に応じたわけであり、十人・九世紀憲法において保障する基本的権 利はすべて国家に対する不作為要求権であったが、二十世紀憲法において生存権の主張に対応して新に保障された基 本的権利は国家に対する作為要求権であるという点においては性格を異にするが個人の生来的、 固有的権利である ﹁人間らしく生きる権利﹂という本質においてかわりがあるわけではなく、異質の権利として見るべきではない。 生存権の概念の確立については、社会主義者達に先立つ先駆者があった。それは下イツのフィヒテ(目。

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で あ る。彼は﹁理性国家論﹂において次のようにいっているのである。 ﹁およそ自然が許す限り、楽に自由に又自然を支 配しながら真に人間らしく地上に生活するということは決して単に仇な願望ではなく、人類の権利と使命の不可欠の 要求である﹂ ﹁生き得るということが万人の不可譲的な絶対の所有権である﹂ ﹁人は労働せねばならぬ、しかし人で あるからには重荷を負うたまま眠りこけ、消耗した力をかつかつに回復しさえすれば再びその重荷を運ぶために叩き 起される駄獣と同じように働くのであってはならない。人は不安なく楽しく愉快に働き、彼の精神と彼の限を碧空高 く馳せる余裕を保たなければならない。人はこの碧空を眺めるように作られているのである﹂彼は﹁人間らしく生き る﹂ことの必要を説くと共に﹁人間らしく生きる﹂ことがどういうことであるかを明かにし、 ﹁人間らしく生きる権 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論 五

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東 洋 法 学 _ . . . . ・ / 、 、 利﹂が人にあることを主張するのであるが、更に、国民が、 ﹁人間らしく生きる﹂ことを可能ならしめる義務が国家 にあることを論じ、 レ ヲ セ フ 品 1 ル主義、夜警国家観に対し批判的立場に立つのであって、国家観としては二十世紀 の社会国家観、文化国家観、或いは福祉国家観の先駆をなすのである。 しかし二十世紀的意味における生存権の最初の主張者はイギリスの社会主義者ウィリヤム・ゴヲ下ウィ y (

の 。 色 調 宮 ) と さ れ て い る 。 彼はその思想的立場において、 ﹁あらゆる人に一般物質が充分であるならば、単に生きる のみでなく、よりよく生活し得る資料を与えられるべき権利を持っている﹂ ﹁財産のある種の品目例えば一種のパ y は正当には誰に属するのであろうか││それを最も要求している者に、若しくはそれを持つことが最も有益と思われ る者に属するべきである﹂と主張した。 このゴヲ下ウィ γ の生活権、即ち﹁よりよく生活し得る資料を与えらるベぎ権利﹂の主張は、 フ ラ Y スのフーリエ ( 司 。 日 目 。 円 ) に 継 受 さ れ 労 働 権 ( 玲

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の主張となった。 即ち彼によれば﹁人の第一の権利は生命を支える 権利、即ち飢えた時に食うということである。そしてこの生きる権利は当然の結果として各人に最小限度の生活保証 を与える義務を社会に負わしめるものである。:::神は額に汗してパ y を得るように人聞を運命づけた。然し神は我 等の糧を保証する労働を剥奪されるようには運命づけなかった﹂というのであって、そこには近代市民社会の在り方 に対する鋭い批判がある。彼の人権としての労働権の主張の影響は大きく、 一八四八年の二月革命後の仮政府は政府 要人の一人であったルイ・プラ

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の 主 張 に 基 き 、 国民の基本権として労働権を承認し、更にルイ・ プ ラ Y はその実践的施策として国営労働所を企画したが、財政的破綻の為失敗に終り、仮政府の崩壊と共に憲法にお

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ける労働権の保障も実現するに至らず、 一 一 頓 挫 を 来 た し た 。 かく英仏の社会主義者達の主張が行われたが、下イツのワイマ l ル憲法其の他二十世紀憲法に対して直接に影響力 を持ったのはオーストリアのア Y ト γ ・ メ Y ガ

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の三種の権利であって、要するに生存権及びその具体的実現の手 段としての権利を包括するものである。彼は生存権を次のように説明する。 ﹁社会の各員は、彼の生存に必要な物財 及び労務が、比較的緊切の度の少い他の人々の欲望の充足に供せられるに先立ち、現在資料に応じて彼に分与される ことを要求する権利を有する﹂というのである。即ち彼によれば、生存権というのは、生存に必要な物財及び労務の 分与を要求する権利というように具体化されている。しかし社会主義社会では兎も角も、自由主義を基調とする資本 主義社会において、物財を彼の理想の如く分与することは困難であることは分っているので、生存権は労働能力を有 するものにとっては労働機会の保障として現われる。これが﹁労働権﹂であると説いている。 そして反面労働の義務を負うものとする。しかし労働能力の乏しい者にとっては他の形を取ることになる。即ち未 成年者にとっては﹁扶養及び教育を受ける権利﹂となり、老衰者、疾病者其の他虚弱の為労働不能となっている者に とっては﹁救護を受ける権利﹂となるのである。向労働能力があり労働意思を持つ成年者であって労働の機会が得ら れない者にとっては、 ﹁失業手当や失業保険に対する権利﹂となって現われると説かれている。即ち彼により生存権 が四種の権利に具体化されること、職業安定、 扶 養 、 教 育 、 救 護 、 失業対策などに何れも従来考えられたような国 憲法第二十五条の生存権を具現化する法体系の理論 七

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東 洋 法 出L :子 八 家の思恵的施設ではなく、生存権から派生する主体的権利に対応する国家の義務であること。これ等の聞に有機的関 連があるという理論が樹立されたわけである。彼の理論は生存権に関する法理として画期的意義を持つのであるが、 今日においても後述のように生存権に関する法理の基本線においては矛盾していない。 ワイマ 1 4 w 憲法は第二篇として独乙人民の基本権及基本義務を規定し、五章に分類して居り、一

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九条から一六五条 まで五七条にわたるぼう大なものであるが、生存権に関連する規定は主として第五章経済生活に収められている。即ち 第一五一条 経済生活の秩序は各人に人聞に価する生活を得させることを目的とし、正義の原則に適合することを 要する 0 ・ : ・ 第一五七条 労働力は国の特別の保護を受ける。国は統一的労働法を定める。 第一五九条 労働条件及び取引条件の維持及び改善の為にする結社は何人に対しても又如何なる職業に対してもそ の自由を保障する 0 ・ 第二ハ一条 健康及び労働能力を維持し、産婦を保護し、並びに年齢病弱及び生活の変化に基く経済上の結果を防護 する為に国は概括的の保険制度を設ける。保険制度は被保険者にこれに参与しこれを支配する力を有せしめる。 第一六三条 第二項 すべての独乙人民はその経済的労働によりその生活資料を求めることを得る機会を与えられ る。適当な労働の機会を与えられない者に対しては必要な生活費が支給される D 次に関連を持つのは第二章共同生活である。 第一一北条 第二項 家族の純潔及び健康を保持しその社会的奨励を行うのは問、邦及び公共団体の任務である。

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多数の児童を有する家族は相当の扶助を求める権利を有する。産婦は国、邦の保護及び扶助を求める権利を有す る 。 第二一二条 少年は過役、並びに道徳上又は肉体上の遺棄に対して保護される。園、邦及び公共団体はこれにつき 必要な措置をしなければならない。 ワイマ 1 ル憲法が十入・九世紀憲法と異る二十世紀憲法のモデルとして画期的の意義を持つことは繰返すまでもな いが、生存権の規定としては未だ体系的に整備されているとはいい難いし、主体的権利としての明確性を欠く点があ る 。 この点社会主義国家の憲法となればさすがに生存権的規定に重点を置くから、主体的権利としての性格、その関連 性も明かである。即ち一九三七年のソ連憲法は第十章、国民の基本的権利及び義務の中で、そのへき頭の第一一入条 からご一一一条まで基本権として列挙する。即ち 第一一久条 労働の権利 第一一九条 休息の権利 第一二

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条 老齢 1 疾病及び労働能力喪失の場合物的保障を受ける権利 第 二 二 条 教育を受ける権利 第 一 一 一 一 一 条 母子の国家的保護を受ける権利 第二次大戦までは生存権については社会主義国家が資本主義国家よりも理念的にも現実の施設としても進に進んだ 憲法第二十五条の生存権を具現化する法体系の理論 九

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東 洋 法 学

段階にあったことは事実であるが、第二次大戦後の社会情勢は資本主義国家であるいわゆる自由民主主義諸国におい ても生存権を確認し、各個人が社会の一員として社会に対し、 ﹁人間たるに価する生活﹂を保障することを要求する 権利を有することを明かにしなければならないような歴史的条件を作り出したのである。それが諸国家の共同宣言の 形で現われたのが一九四八年に第三回国連総会で採択した、 ﹁人権に関する世界宣言﹂

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生活水準を保持する権利 失業、疾病、不具、配偶者の喪失、老齢、又は不可抗力による生活不能の場合に保障を受ける権利 2 母子が特別の保護と援助を受ける権利 第二十六条 教育を受ける権利 第二十七条 自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、科学の進歩とその思想にあずかる権利 第二十八条 この宣言に掲げられている権利及び自由が完全に実現され得るような社会的秩序及び国際的秩序を享 受する権利 向この外 第十六条 3 社会の自然なかっ基本的な集団単位である家庭が社会及び国の保護を受ける権利 共同宣言はこれらの諸権利がそれぞれの国の憲法及びその他の社会制度において実現されることを期待しているわ けであり、議決に参加した諸国は実現する道義的義務を負うたわけであるが、こういう共同宣言が世界の大部分の国 家の参加の下になされたということはこれが今日における人類社会の共通の法意識としてよいであろう。所でこの世 界宣言において宣言された人権の本質は、前文において﹁人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で譲ること のできない権利﹂といっていること、又第一条に﹁すべて人聞は、生れながらにして自由であり、尊厳と権利とにお いて平等である﹂といっていることによって自然法思想に基く天賦の人権であることは明かであって、各種の自由権 はもとより、生活権的諸権についてもその通りに解される。しかし生存権的諸権が社会に対してその保障を要求し得 憲 法 第 ご 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論

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東 洋 法 学 る権利とされていることは、十七・八世紀の自然法思想から直接には出て来ないから、如何なる法理に基くものであ るか考察を要するが、それは共同体思想に基くものと解される。即ちここにいう﹁社会﹂というのは﹁共同体﹂(グマ イ Y シャフト)を意味するのである。個人はその属する社会に対し、 ﹁人間の尊厳にふさわしい生活﹂の保障を要求 する権利を有すると同時に、その社会に対して共同体の一員としての義務を負担しなければならないのである。 第 二十九条人はすべて、その人格の自由で完全な発達をその内にあってのみ期し得るような社会に対して義務を負う) が、それはここにいう社会が共同体であると解することによって理解することができるのである。

第三、生存権保障の法体系

日本国憲法の保障する生存権的権利を列挙すれば次の通りになる。 第二十五条 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利 第二十六条 教育を受ける権利 第二十七条 勤労の権利 第二十入条 勤労者の団結する権利及び団体交渉其の他の団体行動をする権利 第二十五条が生存権の規定であり、国に対する要求権であると解せられることは既記の通りであり、又、権利の本 質としては世界宣言のように明確な表現ではないが、第十一条後段の﹁この憲法が国民に保障する基本的人権は侵す ことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる﹂という表現により、世界宣言の人権と同様に

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自然法思想に基く天賦の人権であると解せられる。 第二十五条第一一項の﹁すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する﹂という規定は、これを 世界宣言第二十五条第一項前段の﹁人はすべて、自己及び家族の健康と福祉とのために、衣食住、医療及び必要な社 会厚生施設を含むところの充分な生活水準を保持する権利を有し﹂という表現及び、第二十三条第三項の﹁勤労する 者はすべて、自己と家族との為に人間の尊厳にふさわしい生活を保障し、更に必要な場合には他の社会的保護手段に よって補充されるような公正で有利な報酬を受ける権利を有する﹂という表現に対比すると極めて単純素朴である カ ミ ﹁健康で文化的な生活﹂という表現は﹁人間の尊厳にふさわしい生活﹂といい或いは﹁健康と福祉のために充分 な生活水準﹂という表現と結局同じ意味であると解しても大過無いであろう。 向憲法第二十五条第二項は社会福祉及び社会保障について国の義務のみを規定し、世界宣言第二十五条第一項後段 のように﹁失業、疾病、不具、配偶者の喪失、老齢、又は不可抗力による生活不能の場合に保障を受ける権利を有す る﹂という表現のような要求権としての規定を欠いているから、権利ではなく反射的利益に止るのではないかという 疑いも持たれる。しかしこれはそう解すべきではなく、生存権から派生する権利として社会保障等を受ける権利が有 るものと解すべきである。生活保護法第一条は﹁この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生 活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとと もに、その自立を助長することを目的とする﹂と規定するが、第二十五条に規定する理念というのは即ち﹁生存権の 理念﹂であると一般に解せられて居り、国の生活保護施設は恩恵的施設ではなく、生存権実現の為の施設であり、旧 憲法第二十五条の生存権を具現化する法体系の理論

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東 洋 法 学 四 来のいわゆる救貧施設とはその性格を一変したものと解せられているのである。 第二十七条第一一項についても﹁すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う﹂という簡単な規定であって、世界 宣言第二十三条及び第二十四条に掲げるような勤労に関連する具体的の諸権利即ち﹁公正で有利な勤労条件を得る権 利 L ﹁失業に対して保護を受ける権利﹂ ﹁同等の勤労に対して同等の報酬を受ける権利﹂ ﹁人間の尊厳にふさわしい 生活を保障される権利﹂ ﹁労働時間の合理的な制限と定期的な有給休暇とを含むところの休息及び余暇をもっ権利﹂ などについての規定を欠き、唯同条第二項において﹁賃金、就業時間、休息、その他の勤労条件に関する基準は法律 でこれを定める﹂という規定だけであるから、この条項も単なる﹁法律の留保﹂であって基準の法定についての制約 はないのではないかと解されないこともない。しかしこれもそう解すべきではなく、 ア Y ト y ・ メ Y ガ l の理論のよ うに労働権は生存権を具現する為の権利であり、第二十七条に対し第二十五条は総則的規定であると解すべきである Q そう解することにより第二十七条と第二十五条第二項との有機的関連も認められることになる。労働基準法第一条 第二恨の﹁労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない﹂とい う規定は、第二十五条が総則的規定として第二十七条を制約するものとすれば当然の規定である。従って世界宣言第 二十三条及び第二十四条に掲げる前記の諸権利は、日本の場合にも生存権から派生する権利として認めらるべきもの で あ る 。 憲法第二十七条第三項も単に﹁児童は、これを酷使してはならない﹂と規定しているだけであるが、これは世界宣 言第二十五条第二項のように﹁母と子とは特別の保護と援助とを受ける権利を有する﹂というような規定にすべきで

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あったであろう。そこで児童福祉法は第一条で児童福祉の理念として児童が心身共に健かに育成され、生活を保障さ れ、愛護されるべきことを規定し、第二条において、国及び地方公共団体が児童の保護者と共に、児童を心身共に健 かに育成する責任があることを明かにしているのであるが、全体に、憲法の生存権に関する規定は簡単で不備でもあ るが、立法によって具体化されることを予定したわけであるから、生存権を具体化する為の有機的法体系が吟味され なければならないのである。 付 生存権の程度に関する立法 憲法第二十五条第一項は、 ﹁健康で文化的な最低限度の生活﹂という表現によって、すべての国民に保障されるべ き生存権の程度を示しているのであるが、然らば具体的にこれがどういう基準になるかということについて明定する 立法は存しない。最低限度の生活といっても、家族的に健康を保持し、文化的思恵に浴し得るものでなければならな いとすれば、近代文化国家として発展の状態を前提としての歴史的条件の変化に応じなければならないから、固定的に は定め難いことになるわけである。昭和二十五年五月実施された現行生活保護法は、救護法時代の恩恵的観念を一掃 し、憲法第二十五条の理念に基き、すべての国民に対しその最低生活を国家の責任において平等に保障し、かっその 自立を助成することを使命とするものであるから、その定める生活保護基準を以て、 一応生存権の程度即ち国民の最 低生活水準と考えてよいであろう。同法は生活保護基準の決定を厚生大臣に委任して居るが、社会生活の多様性、物 価等の経済変動、国家財政上の制約、生活水準の科学的算定の困難等により、適正な基準の決定は容易ではなく屡次 の改訂を経て今日に及んで居り、昭和三十二年四月から適用された第十四次改訂による現行基準は最低生活に必要と 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論 一 五

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東 洋 法 旦4 寸・ 一 六 考えられる品目を具体的に算定して、 マ 1 ケヲト・パスケヲトを組む仕組によって算定する理論生計方式が用いられ ているが、東京都区部の標準五人世帯において、

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一三九円となっている。所が一方失業保険について見ると、 保険給付は賃金日額の百分の六十に相当する額で一年内で二七

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日分を限度としているが、その給付実績は昭和三十 年度において一人当り月額五、九二六円となって居り生活保護との問に有機的連関は存しない。又老齢療疾者の厚生 年金の給付実績を見ると、老齢年金一人当平均年額四二、三二六円、嬢疾年金のそれは三一、九六八円であって、生 活保護及び社会保険との聞の有機的連関は存しない。 所がイギリスでは一九四二年十一月に発表されたすイリャム・ぜパリヲヂ(∞可 d 司 法

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を委員長とす るピバりヲヂ委員会の報告即ちいわゆる﹁ピパリヲヂ案﹂に基いて立案された現行社会保障制度は一九四六年から四 八年にかけて成立施行された五の一連の法律即ち、家族手当法(司

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か ら 成 り 、 相互に有機的連関を有する。ピバリヲヂ案の構想は、すべてのイギリス国民に対して、先づ﹁国民保険制度﹂により 拠出に基いて傷病、 失 業 、 出産、災害、考齢、 死亡等による所得の一時的中断又は永久的喪失の場合に、被保険者 及びその家族の生存的必要を充たすに足る最低所得を保障し、更にこの﹁国民保険制度﹂の網の目から落ちる生活困 窮者に対しては﹁国家扶助制度﹂を設け、これに更に第二子以降の子供を対象として、義務教育終了まで国家責任に おいて支給する﹁家族手当制度﹂を設け、これらによりイギリス国民を窮乏から解放しようとするのであり、この構

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想を貫く基本線は﹁拠出原則﹂と﹁生存原則﹂である。そして保険給付の場合には失業、老齢、疾病を通じ独身者の 場合には週四

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志が基本額であり、生活困窮者に対する国家扶助の場合も扶助額を介した週所得が独身者の場合矢張 り週四

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志になる様に定められて居るのであって、週四

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志が最低生活水準と考えられているわけである。向年金そ の他の保険給付を受けている者でも生活に困窮している場合は扶助を併せて受け得ることになって居り、 一九五三年 において年金受給者が国家扶助によって補足された数が一二二万七千人に及んでいる。 叉すべての国民を対象として国庫負担による家族手当支給の制度が定められていることは、 一般生活水準を高める ことが考慮されているわけであって、最低生活水準の保障ということが困窮者についてのみの問題として考えられて いないことを物語るものである。 エ ュ 1 4 V 1 ラ YV では英本国に先立ち一九三八年に包括的立法である社会保障法

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。 丘 包 ∞ め の ロ 立 件 一 可 k p a ) を制定 じたが、この国では早くから、社会保障を行うこと、即ち老齢者、療疾者、疾病者、寡婦、孤児及び失業者に生活の 資を与えるのは国家の責任であるという考え方が発達していたのである。従って相互に有機的連関を持つ包括的な社 会保障立法が成立したのである。この社会保障制度の特徴は国民全般から社会保障拠出金(。。丘巴

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己芯ロ)をを徴す る代りに保険掛金を取らないことである。そして老齢、寡婦、孤児、療疾、疾病、失業等の各給付は資力調査(ミ l Y ズ・テスト)を行った上で支給されるが、成年独身者一人につき、年一二四ポ Y 下 一

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ニ志六片) が基準であるから、 イギりスの場合よりは最低生活水準が高い。その他、各児童につき家族手当が給され、又六十五 歳に達すれば、資力調査無しにすべての人が年額一

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五 ポ YF の国民年金

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ロ)を支給されるのであ 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論 七

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東 洋 法 宇 八 るから恵まれた国民であるというべきである。 ア メ

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カ合衆国では救貧、失業救済等は沿革的に州の責任であったが、 ルーズベルト大統領のニュ l デ ィ l ル時代 一九三五年入月に施行された社会保障法

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k r ♀﹀は老齢、盲人、児童、障害者に対する公的扶助、 失業保険、老齢及び遺損保険、母子衛生及び児童福祉を包含する総括的立法であり、医療保険を含まないが画期的制 度であり、他への影響も大きかった。アメリカの場合にはイギリスや一一ュ l ジ 1 ラ YF の場合のように一定の生活水 準を定めず、給付額算定の基準は本人の所得額によるが、包括的立法であるから相互連関性を有することはいうまで も な い 。 要するに日本の立法としては、憲法第二十五条の生存権の程度、即ち健康で文化的な最低限度の生活の具体的基準 は現行法において生活保護法による保護基準がこれに当るのであるが、他の社会保障制度による基準との聞の有機的 連関に欠けるのみならず、生活保護制度自体が社会保険制度或いは私的扶養に対する補充的制度と考えられているの で、厳密にいえば国民全般に通ずる生活水準は立法的に欠けているわけである。立法論としては、困窮者のみならず 国民全般に通ずる国家的家族手当制度或いは国民年金制度について考究が加えられ、より高い生活水準の保障が期せ られる事について検討する余地を存する口

勤労の権利!労働権に関する法体系 憲法第二十七条の勤労の権利は第九十帝国議会における政府の説明によれば、 ﹁自由権の一つ﹂であって、 ﹁ 単 に 勤労に関する国民の基本的人権が犯されないということを意味する﹂に止まり、 ﹁具体的に各種の勤労保護の機会を

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すべての国民に保障するという意味ではない﹂とされているが、多数説は之に賛せず、 ﹁一般に労働能力を有するも のが、自己の属する社会において労働の機会の提供を要求する権利﹂と解し、我いは更に具体的に﹁労働能力を有す るものが私企業のもとで就業しえない場合に国又は公共団体に対して労働の機会の提供を要求し、それが不可能な場 A 口には相当の生活費を要求し得る権利﹂と解するがこれが至当であって、二十世紀の特色である生存権的権利の一で あり、メ Y ガ 1 の理論の如く生存権保障の具現化と解すべきである。従って前記のワイマ 1 ル憲法第一六三条第二項 或いは﹁人権に関する世界宣言の第二十三条﹂とその性格を同じくするものであるが、それらのように明確に具体的 に規定すべきであった。 勤労の権利は要するにメ Y ガ 1 のいわゆる労働権(問

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色丹)に該当し、これを具体化する法体系を広 く解すならば、 労 働 基 準 法 、 職業安定法及び、 国民健康保険法を除く社会保険法規の全部に及ぶのであるが、その 場合社会保険については後記の社会保障に関する法体系と重なり合うことになるので、これを除くとすれば労働基準 法、職業安定法及びこれに関連する諸法規に限られる。 所で昭和二十二年に制定され六回の改正を経た労働基準法については、前記の様に第一条に掲げる労働条件の原則 で、労働条件は労働者が﹁人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの﹂であることを要するとする点に おいて、憲法第二十五条を裏付ける立法であることは明かである。即ち﹁労働能力を有する者の住存権の程度﹂が本 法によって保障されるわけであるが、当然生活保護基準よりは上廻るべきである。唯現実の個えの場合において上廻 るかどうかは第二の問題である。 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論 九

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東 洋 法 ム ヱt. 寸ー ご O 昭和二十二年に制定され、 四回の改正を経た職業安定法は、 無職業に対する職業紹介を以て国の責務としたもの で 、 ﹁各人に、その有する能力に適当な職業に就く機会を与えることによって、工業その他の産業に必要な労働力を 充足し、その職業の安定を図るとともに、経済に寄与すること﹂を目的とするものと定めて居り、労働市場における 需給の調整という経済目的に寧ろ主眼が置かれているような観があるが、労働権即ち労働能力を有するものが労働の 機会の提供の要求するという個人の主体的権利に対応するものと解してよいであろう。 同 社会保障に関する法体系 憲法第二十五条第二項はすべての生活部面において社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めること を国の義務として居る。この義務の履行は先づ立法によらなければならないことはいうまでもない。所で以前は社会 保障という語が狭く解せられ、社会保険の範囲に限定されていた。その場合公的扶助については全面的に社会福祉の中 に含められていたのである。現在でも憲法注釈書の多くは﹁社会保障というのは、国民の生存権を主として社会保険 の方式で確保せしめる場合である﹂として居るが、これは妥当ではない。何となれば元来社会保障

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包 ∞ 忠 良 ・ 凶 作 司 ) という概念が確立したのは、前記の米国の一一品 1 ヂ ィ 1 ル時代の一九三五年の社会保障法制定以来であるとされてい るが、本法は社会保障の概念の中に社会保険の外に明かに公的扶助を包含せしめている。又同じく前記の一一

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ジ l ラ Y 下の社会保障法による社会保障の方式は保険掛金によらず、資力調査に基いて行う公的扶助の方式によって行っ ているのである。又今日世界において最も整備している社会保障制度合実施したイギリスでは前記の通り、ピパりヲ ヂ提案に基き一九四六│入年に実施された一連の五の法律により社会保障制度を完成したが、その中で社会保険制と

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国家扶助制とは極めて密接な有機的連関を持っているのである。叙上の理由により社会保険立法と公的扶助立法とは 一の総合された法体系に属せしめるのを妥当とする。

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の﹁社会保障制 別個の法体系に属すべきものではなく、 あ る 。 度の最低基準に関する条約﹂においても社会保障制度は社会保険と公的扶助を中心とする制度の総称としているので 従って社会保障法の体系に属する重要な現行立法は次の通りである。 (a) 社会保険法 (1) 健康保険法 (2) 日雇労働者健康保険法 (3) 厚生年金保険法 (4) 船員保険法 (5) 失業保険法 (6) 労働者災害補償保険法 (7) 国家公務員共済組合法 (8) 公共企業体職員等共済組合法 (9) 市町村職員共済組合法 QO) 町村職員恩給組合法 憲 法 第 二 十 五 条 の 症 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論

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東 学 洋 法 (1]) 私立学校教職員共済組合法

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公的扶助法 (1) 生活保護法

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児童福祉法 身体障害者福祉法 災害救助法 以上の通りであるが、総理府の社会保障制度審議会の分類では生活保護法を以て唯一の公的扶助法とし、他は社会 福祉法に含ましめている。 向社会保護法についてはその目的、性格によって更に小分類が可能であるし叉、社会保険法と公的扶助法との聞に 帥 有機的連関が不充分であることについては既述したが、この点については更に他日論究の機会が有るであろう。 社会福祉に関する法体系 (a) 児童及び母子福祉に関する立法 (1) 児童福祉法 (2) 母子福祉資金の貸付等に関する法律 (b) 身体障害者福祉に関する立法 (1) 身体障害者福祉法

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(2) 戦傷病者、戦渡者遺族等援護法

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遺家族援護に関する立法 戦傷病者、遺家族等援護法 (2) 未帰還留守家族等援護法 (d) 其他の社会福祉立法 、 ‘ . , , . , i ( 社会福祉事業法 (3) (2) 民生委員法 社会福祉事業振興会法 権者の義務を規定する学校教育法(一二一、三九)義務教育中の子女の使用について制約する労働基準法(五六、五七﹀ 向児童福祉については、義務教育制度もこれに含ましめることができるから、子女を一定の学校に就学せしめる親 同 国家公共団体の義務教育実施学校設立義務を規定する学校教育法(二九、四

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などが注意される。 公衆衛生及び医療に関する法体系 (a) 公衆衛生に関する立法 (1) 優生保護法 (2) 精神衛生法 .(3) 結核予防法 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論

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東 二 四 洋 法 字 (5) (4) 伝染病予防法 性病予防法 (6) らい予防法 (7) 寄生虫予防法 (8) 狂犬病予防法 (b) 医療に関する立法 (1) 医療法 (2) 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律 第四、結 盟 問 十 六

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入条は現行憲法に、二十世紀的憲法の性格を与えるものであり、重大な意義を持っている。殊にその基本規定 要するに二十世紀的意義における生存権について規定する憲法第二十五条及び之を具現化する諸権利に関する第二 である第二十五条第一項は、政府原案には存しないで衆議院の修正によって挿入されたのであるから、その内面的事 情は兎も角として、第九十帝国議会の審議が有意義であったことを認めざるを得ない。しかし、之等の諸規定を、他 国の憲法の当該規定及び人権に関する世界宣言の該当条項に対比すれば簡単に過ぎるものがあるから、立法による具 現化について十全を期さなければならない。しかもその立法が英、米、新西蘭等の立法に比し必ずしも整然たる体系

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をなすとはいい得ないものがあり、今後の整備を倹つべきものがある。 向今回は勉れる暇が無かったが、社会保障と親族扶養の関係が問題である。改正民法においては親族の扶養義務の 範囲は狭く限定されたが、向場合により拡張し得る余地を存し、生存権保障に関する当然の国家義務を肩代りさせて いる観が強い。私は、扶養は法的義務とすべきではなく、任意扶養とし、扶養が行われている場合はこれを本人の収 入の一部として算定するに止まるべきものとするのであって、生活困窮者に対し親族扶養が行われることを前提とし 公的扶養を補充的制度とする現行制度は生存権確立以前の封建的家族道徳を利用して国家財政の負担を緩和しようと する意図に基くものであって不当であると考えるのであるが、この問題については他日に期したいと思う。 ( 終 ) 憲 法 第 二 十 五 条 の 生 存 権 を 具 現 化 す る 法 体 系 の 理 論 一 一 五

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