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仏教文化研究所紀要48 003長谷川, 岳史・龍口, 明生・桂, 紹隆・長崎, 陽子・岡本, 健資「仏教と医療」

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Academic year: 2021

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主 任

序 第 一 章 第 二 章 第 三 章 目 次 1 共 同 研 究 ﹁仏 教 と 医 療 ﹂ の 概 要 1 ﹃雑 阿 含 経 ﹂ に み ら れ る 罹 病 者 へ の 説 法 中 国 に お け る 僧 侶 の 医 書 と 医 療 ﹁僧 医 ﹂ の 系 譜 1 日 本 の 医 療 を に な っ た 僧 侶 た ち ー 長 谷 川 岳 史 岡 本 健 資 長 谷 川 岳 史 長 崎 陽 子 仏 教 と 医 療 八 五

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仏 教 と 医 療 八 六

1

﹁仏

1

本 研 究 は 、 イ ン ド ・ 中 国 ・ 日 本 に お い て 仏 教 が 様 々 な 階 層 に 支 持 さ れ た 要 因 の 一 斑 と し て 、 ﹁ 僧 侶 が 有 し て い た 医 学 ﹂ と ﹁ 僧 侶 の 医 療 行 為 ﹂ を 重 点 的 に 検 討 す る こ と を 目 的 と す る 。 古 来 よ り 仏 教 と 医 療 の 結 び つ き は 深 く 、 イ ン ド で は 教 義 研 鎭 の 補 助 学 と し て 規 定 さ れ た 五 つ の 学 術 ( 五 明 ) の 一 つ に ﹁ 医 方 明 (q 霞 訂 甲 ぐ 己 旨 と を 取 り 入 れ て い る 。 仏 典 の 中 に も ﹁ 増 i 阿 含 経 ﹂ や ﹁ 金 光 明 経 ︼ ﹁ 除 病 品 ﹂ な ど の 三 大 患 ・ 三 良 薬 説 、 ﹁ 法 華 経 ﹄ の 良 医 喩 、 ﹃根 本 説 一 切 有 部 毘 奈 耶 ﹄ ﹁ 薬 事 ﹂ の 記 述 な ど 、 教 説 の 比 喩 と し て 説 か れ る 医 療 の 他 に も 、 当 時 、 施 さ れ て い た 医 療 の 様 子 や 実 際 に 使 用 さ れ て い た 薬 、 主 要 な 病 名 な ど が 具 体 的 に 書 か れ て い る も の も 多 く 、 僧 侶 が 実 際 に 医 学 を 学 び 、 そ れ を 実 践 し て い た こ と が 予 測 で き る 。 中 国 に お い て も ﹁ 階 書 ︼ 経 籍 志 に 収 録 さ れ る ﹁ 龍 樹 菩 薩 薬 方 ﹂ ﹁ 婆 羅 門 諸 仙 薬 方 ﹂ や 、 先 述 の 三 大 患 を 収 録 す る 唐 代 の 医 轡 ﹁ 千 金 方 ﹂ の よ う に 、 イ ン ド か ら 仏 教 と と も に 伝 わ っ た と 考 え ら れ る 医 学 情 報 が 中 国 で 定 着 し て お り 、 ﹁ 高 僧 伝 ﹂ な ど の 伝 記 類 に も 、 医 療 に 長 け た 僧 侶 や 僧 侶 に よ る 医 療 施 設 の 設 置 に 関 す る 記 述 が み ら れ る 。 日 本 で は 、 奈 良 か ら 平 安 時 代 に 寺 院 に 救 療 施 設 が 設 置 さ れ 、 僧 侶 で あ り 医 者 で も あ る 僧 医 、 ま た そ れ に 準 ず る 看 病 僧 の 存 在 が 確 認 で き 、 鎌 倉 時 代 に は 、 叡 尊 や 忍 性 と も 関 係 が 深 く 、 中 世 最 大 の 医 学 書 ﹁頓 医 抄 ﹂ と ﹁ 万 安 方 ﹄ を 著 し た 僧 医 浄 観 房 性 全 (梶 原 性 全 ) を 輩 出 し た 。 本 研 究 で は 、 上 記 の よ う に 数 多 く 存 在 す る 仏 教 と 医 療 の 関 係 に 触 れ た 文 献 ・ 記 述 を 調 査 し 、 イ ン ド ・ 中 国 ・ 日 本 に お い て 、 僧 侶 が 保 持 し て い た 医 学 情 報 の 質 や 医 療 行 為 の 具 体 的 な 内 容 、 ま た は そ の 社 会 的 影 響 に つ い て 考 え て み た い 。 従 来 、 仏 教 の 伝 播 や 隆 盛 に 関 し て は 、 仏 教 思 想 や 仏 教 文 化 と い わ れ る よ う な 、 い わ ば 現 代 的 な 視 点 か ら み た ﹁ 仏 教 的 な も の ﹂ の 影 響 力 に 重 点 を 置 い た 分 析 が 中 心 で あ り 、 そ の 範 疇 に 入 ら な い も の は 無 視 さ れ る か 、 付 随 的 な も の と 考 え る 傾 向 が あ る 。 し か し 、 実 際 に 仏 教 を 広 め た 僧 侶 は 、

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い わ ゆ る ﹁ 仏 教 的 な も の ﹂ の み を 保 持 し て い た わ け で は な く 、 実 に 様 々 な 情 報 を 広 め て い る の で あ り 、 む し ろ 、 在 家 者 の 現 実 的 な 日 常 生 活 に 密 接 し た 最 新 の 情 報 を 保 持 し 実 行 し た 点 に お い て 評 価 さ れ て い る 場 合 も あ る 。 中 で も 僧 侶 が 保 持 し て い た 医 学 や 医 療 技 術 は 、 出 家 の 僧 侶 と 世 俗 の 在 家 者 を 繋 ぐ 非 常 に 重 要 な パ イ プ と な っ て い る 。 イ ン ド ・ 中 国 ・ 日 本 の 間 の 交 通 の 発 達 は 、 様 々 な 文 物 と と も に 、 い わ ゆ る 仏 教 思 想 や 仏 教 文 化 を 伝 播 ・ 流 通 さ せ た が 、 同 時 に 新 種 の 伝 染 病 の 流 行 も も た ら し た と い う 側 面 も あ る 。 そ の 対 処 に お い て 僧 侶 の 医 療 が 果 た し た 役 割 や 影 響 力 は 、 仏 教 伝 播 の 要 因 と し て も 看 過 で き な い 。 こ の よ う な 問 題 点 は 、 従 来 、 そ の 重 要 性 が 指 摘 さ れ な が ら 断 続 的 ・ 断 片 的 に 行 わ れ て き た 仏 教 と 医 療 に 関 す る 諸 研 究 に お い て も 指 摘 さ れ て い る 。 大 日 方 大 乗 ﹁仏 教 医 学 の 研 究 ﹂ ( 風 間 書 房 、 一 九 六 五 年 } 一 ∼ 二 頁 幾 千 年 の 星 霜 を 貫 く 医 学 の 歴 史 が 我 等 に 教 え る と こ ろ を 忽 か せ に し て は な ら な い 。 し か も ま た 近 時 の 科 学 的 業 績 に の み 眩 惑 し 、 一 方 に 遍 し た 新 知 識 の 収 得 に の み 追 は れ て ゐ て は な ら な い 。 こ れ ら を 他 山 の 石 と し て 自 家 薬 篭 中 の も の と な し 、 再 検 討 す る こ と が よ り 切 要 で あ る 。 仏 教 経 典 の 内 容 は 百 般 の 文 化 財 を 記 載 し 、 何 れ も 吾 人 の 研 究 資 料 た ら ざ る は な い 。 こ れ 正 に 人 類 の 産 出 せ る 文 献 中 の 一 大 偉 観 で な く て 何 で あ ろ う 。 な か ん つ く 医 学 的 資 料 は 実 に 豊 富 に し て 枚 挙 に 暇 な い 程 で あ る 。 こ の 事 た る 、 単 に 仏 教 医 学 の 如 何 を 知 る の み に あ ら ず 、 現 代 医 学 に お い て も 大 い に 参 考 と す べ き 価 値 を 有 し 、 か つ 将 来 斯 道 発 展 を 慮 る 上 に も 欠 く べ か ら ざ る 指 針 で あ る 。 西 洋 医 学 は 主 と し て 分 析 的 方 面 に よ っ て 個 別 に 研 究 さ れ て ゐ る が 、 東 洋 医 学 就 中 仏 教 医 学 は 綜 合 的 全 体 的 方 法 に よ り 、 生 命 の 全 部 に 主 力 を 注 い で ゐ る 。 福 永 勝 美 ﹁ 仏 教 医 学 詳 説 ﹂ (雄 山 閣 、 一 九 七 二 年 ) 一 頁 い わ ゆ る " 仏 教 医 学 " と い う 未 開 の 分 野 に 、 く わ を 入 れ よ う と 思 い た っ た の は 、 要 だ っ た か ら で あ る 。 医 学 史 を 繕 い て み る と 、 中 国 で も 日 本 で も 中 世 に お い て は 、 仏 教 と 医 療 当 時 、 手 が け て い た 体 質 医 学 史 の 編 集 上 、 ど う し て も 必 仏 教 が 医 学 の 主 流 に 大 き く 投 影 し て い る に も か か わ ら ず 、 八 七

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仏 教 と 医 療 仏 教 医 学 そ の も の の 研 究 が 荒 野 の ま ま 放 置 さ れ て い る 。 そ れ を 耕 さ な け れ ば 、 八 八 体 質 医 学 史 に 豊 か な 稔 り を 期 待 で き な か っ た か ら で あ る 。 川 田 洋 一 ﹃仏 法 と 医 学 ﹄ (第 三 文 明 社 レ グ ル ス 文 庫 44 、 一 九 七 五 年 ) 九 頁 今 日 で は 、 西 洋 近 代 医 学 、 漢 方 医 学 な ど に 比 し て 、 仏 教 医 学 の 影 は 余 り に も う す い よ う で あ り ま す が 、 そ の 責 任 の 一 端 は 、 仏 教 そ の も の を 形 骸 化 さ せ た 仏 教 者 自 身 に あ る と 考 え ら れ ま す 。 仏 教 が 、 宗 教 的 生 命 を 失 う 時 、 仏 教 医 学 も 、 現 実 へ の 対 応 力 を な く し て し ま い ま し た 。 だ が 、 か つ て 、 庶 民 の 心 に 息 づ く 仏 教 哲 理 と と も に 、 仏 教 医 学 に も 、 数 々 の 名 医 を 輩 出 し 、 悩 め る 心 身 を 救 っ て き た と い う 輝 か し い 足 跡 が あ り ま す 。 そ の 医 学 が 、 現 代 に お い て も 、 そ の ま ま の 形 で 通 用 す る と 主 張 す る つ も り は あ り 康 せ ん が 、 西 洋 近 代 医 学 、 漢 方 医 学 と も 異 質 な 内 容 を 包 む 仏 教 医 学 に も 、 仏 教 者 を は じ め と す る 東 洋 の 人 々 の 智 慧 が ひ め ら れ て い る は ず で す 。 難 波 恒 雄 ・ 小 松 か つ 子 編 ﹁ 仏 教 医 学 の 道 を 探 る ﹄ (東 方 出 版 、 二 〇 〇 〇 年 ) 三 一 八 頁 伝 統 医 学 は そ の 起 源 が ど こ で あ れ 各 々 の 民 族 医 学 と し て 発 展 し 、 そ れ は そ こ で 用 い ら れ る 薬 物 と 共 に 世 界 の 諸 民 族 の 文 化 遺 産 で あ る 。 文 化 を 支 え る 基 盤 の 一 つ に 宗 教 が あ り 、 医 学 は 宗 教 と 密 接 な 関 係 が あ る 。 癒 し の 歴 史 は 原 始 医 療 、 呪 術 医 療 に 始 ま り 、 僧 医 の 時 代 へ と 発 展 す る が 、 こ の 医 療 は ま た 布 教 活 動 に も 大 い に 利 用 さ れ て き た 。 生 老 病 死 の 四 苦 を 説 き 、 生 死 輪 廻 の 超 克 を 目 的 と す る 仏 教 の 扱 う 領 域 は 広 範 で あ り 、 そ の 期 待 も 大 き い 。 現 代 的 な 視 座 か ら み た 仏 教 の 生 死 観 や 、 仏 教 と 近 現 代 医 療 と の 融 合 に 関 す る 研 究 が 断 続 的 ・ 断 片 的 に で は あ っ て も 行 わ れ 、 そ れ な り の 関 心 を も っ て 受 け 入 れ ら れ て い る こ と も 肯 け る 。 し か し な が ら 、 も し 、 そ れ ら の 研 究 の 中 に 、 仏 教 が 本 来 持 ち 合 わ せ て い た 部 分 を 無 視 し て 、 い た ず ら に 仏 教 を 燈 小 化 し 、 現 代 的 思 潮 に 迎 合 さ せ よ う と し て い る も の が あ れ ば 、 そ れ は 大 き な 誤 り で あ る 。 本 研 究 は 、 紙 数 の 都 合 上 、 概 要 的 な 内 容 と な っ て い る が 、 仏 教 が 本 来 持 ち 合 わ せ て い た 老 病 観 や 終 宋 期 医 療 な ど の 側 面 や 、 仏 道 修 行 者 で も あ り 、 死 す べ き 人 間 で も あ っ た 僧 侶 の 実 際 を 少 し で も 浮 き 上 が ら せ る こ と が で き れ ば よ い と 思 う 。

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一 は じ め に 現 代 日 本 に お け る 高 齢 者 の 増 加 と そ れ に と も な う 終 末 期 医 療 活 動 の 増 加 は 、 宗 教 関 係 者 が 医 療 活 動 へ 参 加 す る 取 り 組 み を 促 し て い る 。 こ れ に 関 連 し た 仏 教 徒 の 取 り 粗 み と し て は 、 終 末 期 医 療 の 場 と し て の 仏 教 ホ ス ピ ス の 設 立 や 、 罹 病 煮 の 悩 み に 関 す る 対 話 と し て の カ ウ ン セ リ ン グ の 実 践 が 挙 げ ら れ る 。 こ の よ う な 、 仏 教 と 医 療 と の 関 わ り は 、 現 代 に お い て 新 し く 難 生 し た も の で は な い 。 既 に 日 本 で は 奈 良 時 代 の 悲 田 院 以 来 、 仏 教 寺 院 そ の 他 が そ の 役 割 を 担 っ て い た こ と が 知 ら れ る し 、 仏 教 思 想 の も と に 終 末 期 の 人 と 向 き 合 う こ と は 、 比 叡 山 の 二 十 五 三 昧 会 の よ う に 、 終 末 期 の 人 々 と 仏 道 修 行 (念 仏 ) を 協 同 す る 実 践 に も 見 ら れ る 。 こ れ ら 日 本 仏 教 に お け る 伝 統 に 対 す る 研 究 に 比 べ て 、 イ ン ド 成 立 の 仏 教 文 献 に 遡 り 罹 病 者 に 関 わ る 仏 教 徒 の 活 動 を 確 認 し た 研 究 は 充 分 と は 言 丁 ︾ (3 い 難 い 。 そ こ で 、 本 稿 で は 説 一 切 有 部 所 属 と さ れ る ﹁ 雑 阿 含 経 b ( 四 三 五 ∼ 四 三 六 年 漢 訳 ) を 手 が か り に し て 、 罹 病 者 と の 対 話 に 関 す る 記 述 を 確 認 し 、 現 代 と の 関 わ り を 考 え て い く こ と に し た い 。

﹁ 雑 阿 含 経 ﹄ の 巻 第 三 十 七 に は 病 気 に 罹 っ た 仏 教 徒 へ の 説 法 の 事 例 が 頻 出 す る 。 そ の 中 に は 、 出 家 者 と 在 家 者 の 両 方 が 罹 病 者 と し て 登 場 す る が 、 本 稿 で は 、 在 家 の 罹 病 者 に 関 す る 事 例 を 用 い 、 罹 病 者 の も と に 赴 く ︻ 訪 問 者 ︼ は 誰 か 、 罹 病 者 に 対 す る ︻説 法 内 容 ︼ は 何 か 、 説 法 の 後 に ︻ 授 記 ︼ ( 11 精 神 的 境 地 に 関 す る 説 明 ) す る 内 容 は 何 か 、 と い う 三 点 に 注 目 し つ つ 検 討 を 行 う 。 仏 教 と 医 療 八 九

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仏 教 と 医 療 九 〇 ハ ユ リ 事 例 二 } 給 孤 独 長 者 ① (第 一 〇 三 〇 経 ) ︻訪 問 者 ︼ 釈 尊 ︻ 説 法 内 容 ︼ 四 不 壊 浄 ︻ 授 記 ︼ 阿 那 含 ( 11 不 還 } 果 釈 尊 は 、 給 孤 独 長 者 が 病 床 に あ り 苦 痛 の 激 し い こ と を 聞 い て 、 長 者 に 請 わ れ る こ と な く 自 ら で か け て 、 傍 線 部 の 通 り 、 ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ を 実 践 す る よ う 説 法 す る 。 長 者 が 既 に 四 不 壊 浄 を 成 就 し て い る 冒 を 答 え る と 、 釈 尊 は 長 者 に 阿 那 含 果 を 得 る こ と を 授 記 す る 。 如 是 我 聞 。 一 時 佛 在 舎 衛 国 紙 樹 給 孤 独 園 。 爾 時 給 孤 独 長 者 得 病 身 極 苦 痛 。 世 尊 聞 已 。 農 朝 著 衣 持 鉢 . 入 舎 衛 城 乞 食 。 次 第 乞 食 至 給 孤 独 長 者 舎 。 長 者 遙 見 世 尊 愚 床 欲 起 。 世 尊 。 見 已 即 告 之 言 。 長 者 勿 起 。 増 其 苦 患 . 世 尊 即 坐 。 告 長 者 言 。 云 何 長 者 。 病 可 忍 不 。 身 所 苦 患 為 増 為 損 。 ハ く サ 長 者 白 佛 。 甚 苦 世 尊 。 難 可 堪 忍 。 乃 至 説 三 受 如 差 摩 修 多 羅 広 説 。 乃 至 苦 受 但 増 不 損 。 佛 告 長 者 。 當 如 是 学 。 於 佛 不 壌 浮 。 於 法 僧 不 壌 浄 。 聖 戒 成 就 。 畏 者 白 佛 。 如 世 尊 説 四 不 壊 浮 。 我 有 此 法 。 此 法 中 有 我 。 世 尊 。 我 今 於 佛 不 壊 浄 。 法 僧 不 壊 浄 。 聖 戒 成 就 。 佛 告 長 者 。 善 哉 善 哉 。 則 記 長 者 得 阿 那 含 果 。 ⋮ (大 正 二 、 二 六 九 頁 中 一 ∼ 一 四 ) 楽 以 下 、 資 料 中 の 傍 線 は 筆 者 に よ る 付 加 。 ハ ヨ リ 事 例 ( 一 一 } 給 孤 独 長 者 ② (第 一 〇 三 一 経 ) ︻訪 問 者 ︼ 阿 難 ︻ 説 法 内 容 ︼ 四 不 壌 浄 ︻ 授 記 ︼ 須 陀 疸 ( 11 預 流 ) 果 こ の 事 例 も 、 罹 病 者 は 給 孤 独 長 者 で あ る 。 ま た 、 阿 難 が 給 孤 独 の も と に 詣 で る 契 機 も 、 上 述 の 釈 尊 の 事 例 と 同 様 、 長 者 が 苦 し ん で い る の を 知 う た た め 、 請 わ れ る こ と な く 自 ら 長 者 の も と に 出 か け た と さ れ る 。 説 法 内 容 に つ い て は 、 表 現 の 違 い は あ る が 、 傍 線 実 線 部 分 の 通 り 、 阿 難 に よ り ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ が 勧 め ら れ 、 給 孤 独 畏 者 が 既 に こ の 教 え を 獲 得 し て い る 旨 を 告 げ る と 、 阿 難 は 長 者 に ﹁ 預 流 果 ﹂ を 授 記 す る 。 ⋮ 時 尊 者 阿 難 告 長 者 言 。 勿 恐 怖 。 若 愚 療 無 聞 凡 夫 。 不 信 於 佛 。 不 信 法 僧 。 聖 戒 不 具 。 故 有 恐 怖 。 亦 畏 命 終 及 後 世 苦 汝 今 不 信 . 已 漸 已 知 。 於 佛 浮 信 具 足 。 於 法 僧 浮 信 具 足 。 聖 戒 成 就 。 長 者 白 尊 者 阿 難 。 我 今 何 所 恐 怖 。 我 始 於 王 舎 城 寒 林 中 丘 塚 間 見 世 尊 。 即 得 於 佛 不 壌 澤 於 法 僧 不 壌 浄 。 聖 戒 成 就 。 自 從 是 來 家 有 鐘 財 。 悉 與 佛 弟 子 比 丘 比 丘 尼 優 婆 塞 優 婆 夷 共 。 尊 者 阿 難 言 。 善 哉 長 者 。 汝 自 記 説 是 須 陀 渣 果 。 ⋮ (大 正 二 、 二

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六 九 頁 中 二 三 ∼ 下 三 ) ハ む ね 事 例 ( 三 ) 給 孤 独 長 者 ③ ( 第 一 〇 三 二 経 ) ︻ 訪 問 者 ︼ 舎 利 弗 ︻ 説 法 内 容 ︼ 眼 ∼ 意 界 / 色 ∼ 法 界 / 地 ∼ 空 界 ・ 識 界 / 五 緬 へ の 無 執 着 ︻ 授 記 ︼ 無 し こ の 経 で も 、 給 孤 独 長 者 が 病 気 で 苦 し ん で い る こ と を 聞 い た 舎 利 弗 が 、 長 者 に 請 わ れ る こ と な く 、 阿 難 と と も に 長 者 の も と に で か け る 。 二 人 は 給 孤 独 か ら 苦 痛 が 増 す ば か り で あ る と 訴 え ら れ 、 舎 利 弗 は ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ を 説 か ず 、 ﹁ 無 執 着 ﹂ に 関 す る 説 法 を 開 始 す る 。 給 孤 独 は 舎 利 弗 か ら 法 を 聞 き ﹁ 仏 に 帰 依 し て 以 来 二 十 年 あ ま り と な る が 、 こ の よ う な 教 説 は 聞 い た こ と が な い ﹂ と 述 べ 、 舎 利 弗 も ﹁ 未 だ 長 者 た ち に 説 い た こ と が な い ﹂ と 返 答 し て い る 。 こ こ か ら 、 畏 者 へ の 説 法 内 容 が 在 家 信 者 向 け の も の で な い こ と が 判 る 。 ま た 、 そ の 内 容 は 、 既 に 見 た 第 の ア サ 一 〇 三 〇 、 一 〇 三 一 経 に お け る 内 容 と 著 し く 異 な る 。 な お 、 こ の 事 例 で は 長 者 へ の 授 記 の 記 述 は 見 ら れ な い 。 尊 者 舎 利 弗 告 長 者 言 當 如 是 學 不 著 眼 。 不 依 眼 界 生 寅 欲 識 。 不 耳 鼻 舌 身 意 亦 不 著 。 不 依 意 界 生 倉 欲 識 。 不 著 色 。 不 依 色 界 生 食 欲 識 。 不 著 聲 香 味 鯛 法 。 不 依 法 界 生 貧 欲 識 。 不 著 於 地 界 。 不 依 地 界 生 食 欲 識 。 不 著 於 水 火 風 空 識 界 。 不 依 識 界 生 食 欲 識 。 不 著 色 陰 。 不 依 色 陰 生 貧 欲 識 。 不 著 受 想 行 識 陰 不 依 闘陰 生 貧 欲 識 。 時 給 孤 濁 長 者 悲 歎 流 涙 . 尊 者 阿 難 告 長 者 一冨 。 汝 今 怯 劣 耶 。 長 者 白 阿 難 。 不 怯 劣 也 。 我 自 顧 念 。 奉 佛 以 來 二 十 鹸 年 。 未 聞 尊 者 舎 利 弗 説 深 妙 法 如 今 所 聞 。 尊 者 舎 利 弗 告 長 者 言 。 我 亦 久 來 未 嘗 為 諸 長 者 説 如 是 法 。 長 者 白 尊 者 舎 利 弗 。 有 居 家 白 衣 。 有 勝 信 勝 念 勝 樂 。 不 聞 深 法 而 生 退 没 。 善 哉 尊 者 舎 利 弗 。 當 為 居 家 白 衣 説 深 妙 法 。 以 哀 慰 故 。 ⋮ (大 正 二 、 二 六 九 頁 下 一 五 ∼ 二 七 〇 頁 上 二 ) ハ ヨ ロ 事 例 ( 四 ) 達 磨 提 離 長 者 (第 一 〇 三 三 経 ) ︻ 訪 問 者 ︼ 釈 尊 ︻説 法 内 容 ︼ 四 不 壊 浄 ← 六 念 (念 仏 ・ 念 法 ・ 念 僧 . 念 戒 . 念 施 . 念 天 ∀ ︻ 授 記 ︼ 阿 那 含 → 不 還 ) 果 説 法 に 至 る ま で の 状 況 は 釈 尊 が 給 孤 独 長 者 に 説 法 す る 事 例 (第 一 〇 三 〇 経 ( , ・) V と 同 様 と さ れ 、 相 違 点 を 示 す 記 述 か ら 始 ま る 。 相 違 点 仏 教 と 医 療 九 一

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仏 教 と 医 療 と は 、 釈 尊 が 達 磨 提 離 長 者 に し て い る こ と を 告 げ る と 、 仏 ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ だ け で な く ﹁ 六 念 の 修 習 ﹂ を 説 く 点 で あ る 。 → 釈 尊 ) は 、 阿 那 含 ( 11 不 還 ) 果 を 授 記 す る 。 長 者 が ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ 九 二 を 既 に 成 就 し 、 常 に 六 念 を 出夫 践 ⋮ 若 復 長 者 依 此 四 不 壊 浄 巳 。 於 上 修 習 六 念 。 謂 念 如 來 事 乃 至 念 天 。 長 者 白 佛 言 。 世 尊 。 依 四 不 壊 浮 。 於 上 修 六 随 念 。 我 今 悉 成 就 。 我 常 修 念 如 來 事 乃 至 念 天 。 佛 告 長 者 、 善 哉 善 哉 。 汝 今 自 記 阿 那 含 果 。 ⋮ (大 正 二 、 二 七 〇 頁 上 九 ∼ 一 四 ) ( 9 } 事 例 ( 五 ) 長 寿 童 子 (第 一 〇 三 四 経 ) ︻ 訪 問 者 ︼ 釈 尊 ︻ 説 法 内 容 ︼ 四 不 壊 浄 ← 六 明 分 想 二 切 行 無 常 想 ・ 無 常 苦 想 ・ 苦 無 我 想 ・ 観 食 想 二 切 世 間 不 可 楽 想 ・ 死 想 ) の 修 習 ︻ 授 記 ︼ 斯 陀 含 ( 11 一 来 ) 果 王 舎 城 の 長 者 の 子 で あ る 長 寿 童 子 が 重 病 に か か っ た こ と を 釈 尊 が 知 り 、 招 か れ る こ と な く 自 ら で か け る 。 長 寿 童 子 に 対 し て 四 不 壊 浄 が 説 か れ 、 童 子 が 既 に そ れ を 保 持 し て い る こ と を 知 る と 、 釈 尊 は 六 明 分 想 の 実 践 を 説 く 。 童 子 が 六 明 分 想 を 現 前 す る と 、 釈 尊 は 童 子 に 斯 陀 含 ( 11 一 来 ) 果 を 授 記 す る 。 ⋮ 是 故 童 子 。 當 如 是 學 。 於 佛 不 壇 津 。 於 法 僧 不 壊 浮 。 聖 戒 成 就 。 當 如 是 學 。 童 子 白 佛 言 。 世 尊 。 如 世 尊 説 四 不 壊 浄 。 我 今 悉 有 。 我 常 於 佛 不 壊 浮 。 於 法 僧 不 壊 津 。 聖 戒 成 就 。 佛 告 童 子 。 汝 當 依 四 不 壊 浄 。 於 上 修 習 六 明 分 想 。 何 等 為 六 。 謂 一 切 行 無 常 想 。 無 常 苦 想 。 苦 無 我 想 、 観 食 想 。 一 切 世 聞 不 可 樂 想 。 死 想 。 童 子 白 佛 言 。 如 世 尊 説 。 依 四 不 壌 浮 。 修 習 六 明 分 想 。 我 今 悉 有 。 然 我 作 是 念 。 我 命 終 後 不 知 我 祖 父 樹 提 長 者 嘗 云 何 。 爾 時 樹 提 長 者 語 長 壽 童 子 言 。 汝 於 我 所 故 念 且 停 。 汝 今 且 聰 世 尊 説 法 。 思 惟 憶 念 。 可 得 長 夜 福 利 安 樂 饒 益 。 時 長 壽 童 子 言 。 我 於 一 切 諸 行 。 當 作 無 常 想 。 無 常 苦 想 。 苦 無 我 想 。 観 食 想 。 一 切 世 間 不 可 樂 想 。 死 想 。 常 現 在 前 。 佛 告 童 子 。 汝 今 自 記 斯 陀 含 果 。 ⋮ (大 正 二 、 二 七 〇 頁 上 二 四 ∼ 中 = )

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ハ リ ロ 宙 甲 例 ( 六 ) 釈 氏 沙 羅 ( 第 一 〇 三 ⊥ハ 経 ) ハけ り ︻ 訪 問 者 ︼ 釈 尊 ︻説 法 内 容 ︼ 四 不 壊 浄 ← 五 喜 処 の 修 習 ︻ 授 記 ︼ 斯 陀 含 → i 来 ) 果 カ ピ ラ ヴ ァ ス ト ゥ の 釈 氏 沙 羅 が 量 い 病 に 罹 っ た こ と を 釈 尊 が 知 り 、 請 わ れ る こ と な く 自 ら 出 か け る 。 説 法 内 容 は 最 初 は 四 不 壊 浄 で あ り 、 沙 羅 が 既 に そ れ を 獲 得 し て い る こ と を 知 る と 、 五 喜 処 の 修 習 を 説 示 す る 。 次 い で 、 沙 羅 が こ れ を 常 に 修 習 し て い る こ と を 語 る と 、 釈 尊 は 沙 羅 に 斯 陀 含 ( 11 一 来 ) 果 を 授 記 す る 。 ⋮ 是 故 繹 氏 沙 羅 。 當 如 是 學 。 於 佛 不 壊 浄 。 於 法 僧 不 壊 浄 。 聖 戒 成 就 。 繹 氏 沙 羅 白 佛 言 。 如 世 尊 説 。 於 佛 不 壌 浄 。 於 法 僧 不 壊 浄 。 聖 裁 成 就 。 我 悉 有 之 。 我 常 於 佛 不 壌 浄 。 於 法 僧 不 壊 浄 。 聖 戒 成 就 。 佛 告 繹 氏 沙 羅 。 是 故 汝 當 依 佛 不 壌 浮 。 法 僧 不 壊 潭 。 聖 戒 成 就 。 於 上 修 習 五 喜 庭 。 何 等 為 五 。 謂 念 如 來 事 。 乃 至 自 所 施 法 。 繹 氏 沙 羅 臼 佛 言 。 如 世 尊 説 。 依 四 不 壊 浄 . 修 五 喜 庭 。 我 亦 有 之 。 我 常 念 如 來 事 。 乃 至 自 所 施 法 。 佛 言 。 善 哉 善 哉 。 汝 今 自 記 斯 陀 含 果 。 ⋮ (大 正 二 、 二 七 〇 頁 中 二 六 ∼ 下 七 ) ( 12 ︾ 事 例 (七 ) 摩 那 提 那 長 者 (第 一 〇 三 八 経 ) ︻ 訪 問 者 ︼ 阿 那 律 ︻ 説 法 内 容 ︼ 四 念 処 ︻ 授 記 ︼ 阿 那 含 ( 11 不 還 ) 果 摩 那 提 那 長 者 か ら 食 事 に 招 待 さ れ た 阿 那 律 は 、 長 者 に 挨 拶 し 具 合 を 尋 ね る 。 長 者 は 過 去 に 病 気 に な っ た が 回 復 し た と 告 げ る 。 ど う し て 治 っ た の か を 阿 那 律 が 問 う と 、 長 者 は 四 念 処 を 修 し た こ と に よ る と 答 え る 。 阿 那 律 は こ れ を 聞 い て 阿 那 含 果 を 授 記 す る 。 尊 者 阿 那 律 問 訊 長 者 。 令 疾 病 苦 患 時 得 除 差 。 智 。 調 伏 世 間 禽 憂 。 是 尊 者 阿 那 律 。 仏 教 と 医 療 堪 忍 安 樂 住 不 。 長 者 答 言 。 如 是 尊 者 。 堪 忍 樂 住 。 先 遭 疾 病 當 時 委 篤 。 長 者 白 冒 。 尊 者 阿 那 律 。 我 住 四 念 庭 。 専 修 繋 念 故 。 身 諸 苦 患 時 得 休 息 。 外 身 内 外 身 。 内 受 外 受 内 外 受 。 内 心 外 心 内 外 心 。 内 法 外 法 内 外 法 。 法 観 念 住 。 糟 勤 方 便 。 我 於 四 念 庭 繋 心 住 故 。 身 諸 苦 患 時 得 休 息 。 尊 者 阿 那 律 。 住 故 身 諸 苦 患 時 得 休 息 。 今巳 蒙 差 。 尊 者 阿 那 律 問 長 者 言 。 汝 住 何 住 。 能 何 等 為 四 。 謂 内 身 身 観 念 住 。 糟 勤 方 便 正 念 正 正 念 正 智 。 調 伏 世 間 寅 憂 。 如 尊 者 阿 那 律 。 告 長 者 言 。 汝 今 自 記 阿 那 含 果 。 九 三

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仏 教 と 医 療 ⋮ (大 正 二 、 二 七 一 頁 上 一 二 ∼ 二 五 ) 九 四 以 上 、 ﹁ 雑 阿 含 経 ﹂ 巻 第 三 十 七 に 含 ま れ る 、 病 に 罹 っ た 在 家 者 へ 説 法 の 事 例 を 確 認 し た 。 紹 果 、 殆 ど の 場 合 、 出 家 者 (釈 尊 ・ 阿 難 ・ 舎 利 弗 ) は 、 病 気 に 罹 っ た 在 家 者 か ら 請 わ れ る こ と な く 説 法 に 赴 き 、 様 存 な 法 を 説 く こ と が 認 め ら れ て い た こ と が 判 る 。 ま た 、 説 法 の 内 容 は 、 四 不 壊 浄 が 主 で あ り 、 こ の 実 践 を 成 就 し た 罹 病 者 に 対 し て は 、 更 な る 実 践 が 説 示 さ れ て い た 。 在 家 の 罹 病 者 に 向 け た 説 法 内 容 の 殆 ど が ﹁ 四 不 壊 浄 ﹂ を 含 む 点 に つ い て は 、 さ ら に 検 討 を 要 す る の で 、 以 下 に そ れ を 行 う 。

四 不 壊 浄 ( 勺 騨 罫 働 器 o o m O O 島 ㎝ 自 巴 は 、 0 仏 に 対 す る 不 壊 浄 、 ② 法 に 対 す る 不 壊 浄 、 0 僧 に 対 す る 不 壊 浄 、 0 戒 具 足 、 と い う 四 項 目 よ り 成 る 。 ハ リ リ ま た 、 こ の 四 不 壊 浄 は 預 流 果 獲 得 の 条 件 と し て も 知 ら れ て い る 。 四 不 壊 浄 の 詳 細 を 知 る た め に 、 b 蔚 ぎ ・蓼 (以 下 、 0 2 と 略 ) に 含 ま れ る ミ 冨 § 註 蓄 隷 尉 譜 § § 器 鷺 の 記 述 を 確 認 す る 。 あ る 時 、 阿 難 は 死 亡 し た 出 家 者 や 在 家 者 た ち の 再 生 処 に つ い て 釈 尊 に 質 問 し た 。 釈 尊 は 各 人 の 死 後 の こ と に つ い て 解 説 し て 後 、 次 の よ う に 述 べ る 。 さ ら に ア ー ナ ン ダ よ 、 人 が 死 ぬ と い う こ と は 奇 し き こ と で は な い 。 ま た 、 ︹人 が ︺ 死 ん だ 時 ご と に 如 来 に 近 づ き 、 そ の こ と ( 死 後 の あ り さ ま ) を 質 問 す る こ と は 、 ア ー ナ ン ダ よ 、 如 来 に と っ て 煩 わ し い 。 そ れ 故 、 ア ー ナ ン ダ よ 、 こ こ で 、 法 鏡 ( 旦 如 ヨ 目 国 ・口 島 m 巴 と い う 名 の ダ ン

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マ ・ パ リ ヤ ー ヤ を 教 え よ う 。 そ れ を 具 足 し た 高 貴 な 弟 子 は 、 欲 す る な ら ば 自 ら 自 分 に 対 し て わ ち ︺ ﹁ 私 に 地 獄 は 滅 し 、 定 し て い る ﹂ と 。 畜 生 道 は 滅 し 、 餓 鬼 境 は 滅 し 、 堕 地 獄 ・ 悪 趣 ・ 堕 処 は 滅 し 、 ︹ 次 の よ う に ︺ 授 記 す る こ と が で き る 。 ︹ す な 私 は 預 流 に し て 不 退 転 の 法 を 有 し 正 覚 へ の 到 達 が 決 次 い で 釈 尊 は 、 各 自 が 死 後 の 再 生 の 場 所 を 自 ら 授 記 す る た め の 条 件 を 挙 げ る が 、 8 署 器 鑑 ロ ) は 以 下 の 通 り 。 そ れ は 四 不 壊 浄 で あ る 。 ま ず 0 仏 に 対 す る 不 壊 浄 (碧 9 -こ こ で 、 ア ー ナ ン ダ よ 、 高 貴 な 弟 子 が 仏 に 対 し て ︹ 以 下 の 様 に ︺ 不 壊 浄 を 具 え て い る 。 足 、 菩 逝 、 世 間 解 、 無 上 士 、 調 御 丈 夫 、 天 人 師 、 仏 陀 、 世 尊 で あ る ﹂ と 。 ︹ す な わ ち ︺ ﹁ か の 世 尊 は 、 阿 羅 漢 、 正 等 覚 者 、 明 行 続 い て 、 状 尊 は 法 ・ 僧 に 対 す る 不 壊 浄 リ ヤ ー ヤ ﹂ ら ロ リ 響戒 具 足 の 内 容 を 語 る 。 そ し て 、 こ れ ら 四 項 目 (仏 ・ 法 ・ 僧 に 対 す る 不 壊 浄 と 戒 具 足 } か ら な る ﹁ 法 鏡 パ を 具 現 す れ ば 、 自 ら の 行 く 末 に つ い て 自 分 で 預 流 果 を 授 記 す る こ と が で き る と 説 明 す る 。 こ の よ う に 、 四 不 壊 浄 は 具 現 者 に 預 流 果 を 約 束 す る も の で あ る が 、 同 時 に 、 死 後 に 対 す る 不 安 を 払 拭 す る 一 不 堕 悪 趣 ﹂ を も 保 証 す る 点 一右 の 引 用 箇 漸 の 丁 紡 暫 参 照 ) は 注 目 に 値 す る 。 死 後 に 対 す る 不 安 は 、 罹 病 者 が 懐 く 畏 れ の 一 つ だ か ら で あ る 。 例 え ば 、 既 に 確 認 し た ﹁ 雑 阿 含 経 ﹂ の 事 例 ( 二 ) 給 孤 独 長 者 ② で は 、 病 に 罹 っ た 給 孤 独 を 前 に し て 阿 難 は 次 の よ う に 語 る 。

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仏 教 と 医 療 九 六 (胎 ︺ 新 参 の 在 家 仏 教 徒 に 向 け て 、 天 界 へ の 再 生 に 関 す る 法 話 が な さ れ て い た こ と を 考 え れ ば 、 当 時 、 在 家 の 罹 病 者 が 死 後 の 苦 に 関 し て 畏 れ を 懐 い た こ と は 想 像 に 難 く な い 。 こ れ ま で に 見 た 事 例 で は 、 不 堕 悪 趣 を 導 く 四 不 壊 浄 が 多 く の 罹 病 者 に 対 し て 説 か れ 、 保 証 と し て の 授 記 に ま で 言 及 す る 経 が 少 な く な か っ た 。 こ こ か ら 、 四 不 壊 浄 が 罹 病 者 に 向 け て 説 か れ た 理 由 は 、 死 に 関 す る 悩 み の 解 消 の た め で あ っ た こ と が 考 え ら れ る 。

現 代 日 本 の 医 療 現 場 に お い て 死 期 に 対 す る 告 知 が 進 ま な い 理 由 は 、 告 知 後 の 罹 病 者 へ の 充 分 な 対 応 が と ら れ な い た め で あ る 、 と す る 指 摘 が あ (η ︺ る 。 ﹁ 告 知 後 の 充 分 な 対 応 ﹂ と は 、 宗 教 者 と の 対 話 な ど を 含 め た 対 応 で あ り 、 す な わ ち 、 死 あ る い は 死 後 に 関 す る 不 安 へ の 対 応 で あ る 。 終 末 期 ( 旧 } の 患 者 が 孤 独 に ﹁ 死 に 関 す る 不 安 ﹂ と 向 き 合 う こ と に な る 日 本 の 状 況 を 報 告 し た 研 究 も 存 在 す る 。 既 に 見 た よ う に ﹁ 雑 阿 含 経 ﹂ に お け る 事 例 は 、 積 極 的 に 罹 病 者 と 関 わ ろ う と す る 出 家 者 の 姿 を 描 い て い た 。 そ の 態 度 は 医 療 現 場 と 距 離 を お く 現 代 日 本 の 仏 教 が 学 ぶ べ き 点 を 含 ん で い る . 註 (1 ) 吉 一兀 信 行 氏 は 、 仏 教 徒 が 終 末 期 の 人 と 向 き 合 う 際 の さ ま ざ ま な 態 度 を 、 パ ー リ 浬 薬 経 の 中 に 見 出 し て い る 。 ﹁ブ ッ ダ の タ ー ミ ナ ル ケ ア ﹂ 京 都 軸 法 蔵 館 、 二 〇 〇 五 年 。 (2 ) ﹁雑 阿 含 経 ﹂ の 訳 出 年 代 に つ い て は 以 下 の 研 究 を 参 照 し t 。 榎 本 文 雄 ﹁ ﹁雑 阿 含 経 ﹂ の 訳 出 と 原 典 の 由 来 ﹂ ﹁ 石 上 善 癒 教 掻 古 稀 記 念 論 文 集 ・ 仏 教 文 化 の 基 調 と 展 開 ﹂ 東 京 N 山 喜 房 儲 苗 林 、 二 〇 〇 一 年 、 三 一 ∼ 四 一 頁 。 (3 ) 本 経 に 相 当 す る 箇 所 は 、 欝 § § ・妻 ㊥ 目 匂o 版 。 以 下 、 m 2 と 略 ) に み ら れ な い 。 (← こ の ﹁ 差 摩 修 多 羅 ﹂ は ﹁雑 阿 含 経 h の 他 の 箇 所 で ﹁ 叉 摩 修 多 羅 ﹂ ・ ﹁差 摩 迦 修 多 羅 ﹂ ・ ﹁ 叉 摩 比 丘 修 多 羅 ﹂ と も 記 さ れ (大 正 二 、 二 六 九 頁 中 二 二 、 下 一 四 、 二 七 〇 頁 上 二 三 、 中 二 五 ) 、 他 の 在 家 信 者 に 対 す る 臨 終 説 法 の 場 面 で も 言 及 さ れ る 。 罹 病 の 差 摩 比 丘 と い う 人 物 が 登 場 す る 経 も 存 在 す る が 、 こ の 経 を 指 す か は 不 明 。 参 照 H ﹁ 雑 阿 含 経 ﹂ 巻 第 五 (第 一 〇 三 経 ) [大 正 二 、 二 九 頁 下 ∼ 三 〇 頁 下 ]。 ( 5 ) 参 照 一 白。 累 朝 ㎝ .零 ( 6 ) 参 照 " ω 2 留 ,舗 ( ア ) 策 一 〇 三 二 経 の ロ0 2 該 当 箇 所 で は 、 舎 利 弗 が 給 孤 独 に 、 四 不 壊 浄 と 八 正 遭 及 び 正 智 ・ 正 解 脱 を 説 く (ω 2 く o F < 咽 P 器 P 一引 舘 ・ 戸 脚 望 L ° 一8 。 彼 が 獲 得 す る 果 報 も 預 流 果 (告 鼠 ロ 障 陣凶 ) で あ る 。 ( 8 ) 大 正 二 、 二 七 〇 買 上 七 ∼ 一 七 。 本 経 に は ﹁達 磨 提 離 長 者 修 多 羅 。 亦 如 世 尊 為 給 孤 猫 畏 者 初 修 多 羅 廣 説 。 第 二 修 多 羅 亦 如 是 説 ⋮ ﹂ と あ り 第 一 〇 三 〇 経 を 前 提 に し て い る よ う で あ る 。 参 照 N ㎝ 2 ﹄ ㎝ b 壁 { 9 ) 大 正 二 、 二 七 〇 頁 上 一 八 ∼ 中 一 四 。 参 照 軸 ω Z O ㎝ ⇔ ( 10 ) 第 一 〇 三 五 経 は 病 気 に 罹 っ た 聾 薮 長 者 の も と に 釈 尊 が 赴 く と い う 内 容 。 ﹁ 如 荊 達 摩 提 那 長 者 修 多 羅 廣 説 ﹂ ︹大 正 二 、 二 七 〇 頁 中 一 七 ∼ 一 八 ) と さ れ 詳 細 は 省 略 さ れ る 。 阿 那 含 果 の 記 を 受 け た と さ れ る 。

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( 11 ) 大 正 二 、 二 七 〇 頁 中 二 〇 ∼ 下 一 一 。 ω Z に は 相 当 箇 所 無 し 。 ( 12 ︺ ま た 摩 那 提 那 長 者 の 箇 所 は 以 下 の 通 り 。 大 正 二 、 二 七 〇 頁 下 一 五 ∼ 二 七 一 買 上 二 九 、 ω 三 ﹂( 輔 ゜触 P ま た 、 こ の 経 に 先 行 す る 第 一 〇 三 七 経 は 、 罹 病 の 耶 輸 長 者 に 関 す る 経 で あ る 。 披 は 阿 那 含 果 の 授 記 を 得 た と さ れ る が 、 詳 細 は ﹁ 如 達 摩 提 那 修 多 羅 廣 説 ﹂ (大 正 二 、 二 七 〇 頁 下 一 四 ) と 記 さ れ 省 略 さ れ る 。 ( 13 ) 参 照 ニ ニ 友 健 容 ﹁ 四 沙 門 果 説 の 成 立 に つ い て ﹂ ﹁ 日 本 仏 教 学 会 年 報 ﹂ 四 五 ( 一 九 八 〇 年 ) 、 五 一 ∼ 七 二 頁 、 特 に 五 四 ∼ 六 二 頁 。 ( 14 ) n ④ 法 不 壊 浄 ︼ ︹ ま た 、 高 貴 な 弟 子 が 以 下 の よ う に ︺ 法 に 対 し て 不 壊 浄 を 具 え て い る . ︹ す な わ ち ︺ ﹁世 尊 に よ っ て み ご と に 説 か れ た 法 は 、 現 に 見 ら れ 、 時 を 隔 て ず 、 来 て 見 ら れ る も の で あ り 、 ︹浬 架 に ︺ 導 く も の で あ り 、 知 者 た ち 各 々 が 知 る べ き も の で あ る ﹂ と 。 ︻ ③ 僧 不 壊 浄 ︼ ︹庄 た 、 高 貫 な 弟 子 が 以 下 の よ う に ︺ サ ン ガ に 対 し て 不 壊 浄 を 具 え て い る 。 ︹す な わ ち ︺ ﹁ 世 尊 の 弟 子 集 団 は み ご と に 実 践 し て い る 。 世 尊 の 弟 子 集 団 は 正 直 に 実 蹟 し て い る 。 世 尊 の 弟 子 集 団 は 理 に 則 っ て 実 践 し て い る 。 世 尊 の 弟 子 集 団 は 正 し く 突 践 し て い る 、 世 尊 の 弟 子 集 団 と は 、 す な わ ち 、 二 組 み ず つ の 四 つ と 八 人 の 人 々 (11 四 双 八 輩 ) で あ り 、 ︹か の 者 は ︺ 供 養 さ れ る べ き で あ り 、 も て な さ ゜れ る べ き で あ り 、 施 し が な さ れ る べ き で あ り 、 合 掌 さ れ る べ き で あ り 、 世 人 に と っ て の こ の 上 な き 福 田 で あ る ﹂ と 。 ︻0 戒 具 足 ︼ ︹ ま た 、 ︺ 高 樹 な 者 に よ っ て 愛 さ れ た 、 断 片 で な く 、 欠 点 が 無 く 、 汚 れ が 無 く 、 ・非 難 さ れ ぬ 、 自 由 を 与 え る 、 知 者 に よ っ て 称 賛 さ れ た 、 汚 さ れ る こ と の 無 い 、 三 昧 に 導 く 、 戒 を 具 え て い る 噂 ﹂ e 2 一  燭 ゜ 濤 、 F 器 ,P ま し ゜ 禦 (15 } 以 上 の 二 訂 ∋ ヨ 器 留 ㌣ 葛 ﹁ 轟 看 は 定 型 句 で あ り 、 一F カ ー ヤ 全 般 に 散 見 で き る 。 参 照 " 前 田 惑 學 ﹁原 始 仏 教 聖 典 の 成 立 史 的 研 究 ﹄ (東 京 " 山 喜 房 仏 書 林 、 一 九 六 四 年 ) 、 特 に 四 九 七 ∼ 四 九 九 頁 。 ( 16 ) b 貯 蒋 § § 魯 ゜ 雪 一 鉾 ミ 嶺 § 誉 融 § 腎" 、尋 F 一 ( ヨ ロ 訂 岳 器 暫 ︺ 層 , H 凱 -︼■ ・ 毬 ・ い O ° ( 17 ) 田 中 雅 博 ﹁ 宗 教 的 ケ ア の 塾 本 ﹂ ﹁ 季 刊 仏 教 ﹂ 五 一 号 ( 特 集 u 介 謹 と 仏 教 福 祉 ) 一 六 四 ∼ 一 七 ︼ 頁 。 特 に 、 一 六 四 ∼ 一 六 八 頁 。 ( 16 ) 巴 8 堕 い ρ 帽 [ 8 世 ¶ 切 ゜ O 帽 ..︹ ` 超 江 o O 彗 9 田 叫 註 証 ρ 巴 己 汀 m ﹁ 朝 ≧ ユ ・ け 巳 o ㎝ δ 毛 餌 a ∩ 凹 鶉 o ﹁ ぎ 旨 口 宕 自 ゜. . 曾 無 匙 浄 塙 § 亀 § 職 ミ 呵 薄 帖討 魯 一 〇 { 這 器 ソ に 一 〇 一 ゜脚 一 〇 〇ロ W 田 中 、 晶剛 掲 軌 調 文 、 一 ⊥ ハ 五 頁 。

﹃晴

二 五 六 部 ・ 四 五 一 〇 巻 の 医 書 を 収 録 す る ﹁階 書 ﹂ 経 籍 志 の 仏 教 と 医 療 ︻ 1 } ﹁ 医 方 ﹂ に は 、 中 国 お い て 仏 教 僧 が 著 し た 医 書 や 、 仏 教 僧 が も た ら し た イ ン ド ・ 西 九 七

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仏 教 と 医 療 九 八 の モ リ 域 の 医 学 情 報 を 記 し た と 思 わ れ る 医 轡 が 少 な か ら ず 収 録 さ れ て い る 。 こ こ で は 、 そ れ ら を 列 挙 し 、 お お ま か に 分 類 し て み る 。 な お 、 ﹁ 晴 轡 b 経 籍 志 の ﹁ 医 方 ﹂ に 収 録 さ れ る 二 五 六 部 の 医 轡 の 中 に は 、 註 記 に お い て そ れ 以 前 (梁 を 中 心 と す る ) の 関 連 す る 医 書 類 の 書 名 と そ の 存 ・ 亡 が 記 さ れ て い る も の も あ り 、 こ こ で は そ の 註 記 に 記 さ れ て い る 情 報 も 活 用 し た 。 ︻ 僧 侶 に よ っ て 著 さ れ た 医 書 ︼ 釈 道 洪 撰 ﹁寒 食 散 対 療 ﹄ 一 巻 ﹃釈 道 洪 方 ヒ 一 巻 釈 智 斌 撰 ﹃解 寒 食 散 方 ﹂ 二 巻 ﹃釈 慧 義 寒 食 解 雑 論 ﹂ 七 巻 (亡 ) 濠 開 連 ﹁解 釈 慧 義 解 散 方 ﹂ 一 巻 (亡 ) 摩 詞 胡 沙 門 撰 ﹁摩 詞 出 胡 国 方 ﹄ 一 〇 巻 (亡 ) 沙 門 行 矩 撰 ﹁諸 薬 異 名 ﹄ 八 巻 (本 一 〇 巻 ・ 今 閥 ) 釈 莫 満 撰 ﹁単 複 要 験 方 ﹄ 二 巻 釈 曇 鶯 撰 ﹃療 百 病 雑 丸 方 ﹄ 三 巻 釈 量 鶯 撰 ﹃論 気 治 療 方 ﹂ 一 巻 干 法 開 撰 ﹁識 諭 備 予 方 ﹂ 一 巻 ﹃釈 僧 匡 鍼 灸 経 ﹄ 一 巻 ︻仏 教 僧 が も た ら し た イ ン ド ・ 西 域 の 医 学 情 報 を 記 し た と 思 わ れ る 医 書 ︼ ﹁龍 樹 菩 薩 薬 方 ﹂ 四 巻 ﹃龍 樹 菩 薩 和 香 法 ﹂ 二 巻

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﹃龍 樹 菩 薩 養 性 方 ﹄ 一 巻 ﹁婆 羅 門 諸 仙 薬 方 ﹄ 二 〇 巻 ﹁婆 羅 門 薬 方 ﹂ 五 巻 ﹃ 脅 婆 所 述 仙 人 命 論 方 ﹂ 二 巻 ( 目 ] 巻 ・ 本 三 巻 ) ﹁乾 陀 利 治 鬼 方 ﹂ 一 〇 巻 ﹃新 録 乾 陀 利 治 鬼 方 ﹂ 四 巻 (本 五 巻 ・ 闘 ) ﹃ 西 域 諸 仙 所 説 薬 方 ﹄ 二 三 巻 ( 目 一 巻 ・ 本 二 五 巻 ) ﹁ 西 域 波 羅 仙 人 方 ﹂ 三 巻 ﹁ 西 域 名 医 所 集 要 方 ﹄ 四 巻 (本 一 二 巻 ) こ れ ら の 医 書 の 内 容 の ほ と ん ど は 、 現 在 で は 知 る こ と が で き ず 、 ど の よ う に 活 用 さ れ て い た の か は 不 明 で あ る が 、 外 来 の 医 学 情 報 の 導 入 と 中 国 医 学 と の 融 合 を 試 み 、 中 国 化 す る 動 き が 、 少 な く と も 晴 代 ま で の 中 国 に お い て 、 仏 教 僧 の 手 で 為 さ れ て い た こ と が う か が え る 。 こ の う ち 、 毅 ヘ ユ リ ロ ゼ リ 鷲 の 医 学 は 、 ﹁ 旧 唐 轡 ﹂ 経 籍 志 下 の ﹁ 医 術 類 ﹂ に ﹁ ﹁ 調 気 方 ﹄ 一 巻 釈 鷺 撰 ﹂ 、 ﹁ 新 唐 書 ﹂ 芸 文 志 の ﹁ 医 術 類 ﹂ に ﹁ 僧 疑 調 気 方 ﹂ 一 巻 、 ﹁ 宋 史 ﹄ 芸 文 ハ き り 志 に も ﹁ 魏 曇 鷲 法 師 服 気 要 訣 ﹂ 噌 巻 と し て 収 録 さ れ て お り 、 後 代 に も 活 用 さ れ て い た と 考 え ら れ る 。

﹁高

中 国 に お け る 仏 教 僧 の 医 療 活 動 の 情 報 を 抽 出 す る こ と は そ れ ほ ど 簡 単 で は な い 。 ﹁ 医 療 ﹂ に 関 運 す る 用 語 も ﹁ 医 術 ﹂ ﹁ 医 方 ﹂ ﹁ 医 薬 ﹂ な ど 種 々 あ り 、 内 容 的 に 厳 密 に 区 別 さ れ て い る わ け で は な い 。 ま た 、 医 療 行 為 は 、 そ の 多 く が ﹁ 呪 術 ﹂ ﹁ 道 術 ﹂ の 効 に よ る も の と さ れ る 場 合 が 多 い こ と ハ も り も 障 害 と な っ て い る 。 道 端 良 秀 氏 は ﹁ 治 療 に 活 躍 し た 人 ﹂ に つ い て 概 略 的 に ま と め て い る が 、 そ こ で も こ れ ら の 諸 情 報 が 混 在 し て い る 。 よ っ て 、 こ こ で は そ の 全 体 豫 を 示 す 余 裕 も な い の で 、 ﹁高 僧 伝 ﹂ の 中 か ら い く つ か の 用 例 を 示 す に 留 め る 。 仏 教 と 医 療 九 九

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仏 教 と 医 療 ① 仏 図 澄 (二 三 二 ∼ 三 四 八 ) 時 有 痴 疾 世 莫 能 治 者 。 澄 為 因 蜘 応 時 瘤 損 。 陰 施 黙 益 者 不 可 勝 記 、 ハ ア ロ ( ﹁ 高 僧 伝 ﹂ 巻 九 ・ 神 異 上 ) 一 〇 〇 西 晋 の 永 嘉 四 年 含 = ○ } に 敦 捏 経 由 で 洛 陽 に 入 っ た 仏 図 澄 は 、 石 勒 ・ 石 虎 治 下 で 仏 教 を 広 め た 初 期 中 国 仏 教 の 功 績 者 で あ る が 、 翻 訳 書 や 著 作 を 残 さ な か っ た た め 、 そ の 功 績 は 彼 の 呪 術 的 能 力 に よ る と こ ろ が 大 き い と 評 さ れ 、 ﹁ 呪 術 ﹂ と い う 用 語 の イ メ ー ジ か ら 誤 解 さ れ る 場 合 が 多 い 。 サ ﹂ の 部 分 は ﹁ 持 病 を も つ 人 が い て 誰 も こ れ を 治 す こ と が で き な か っ た 場 合 で も 、 仏 図 澄 が 医 療 を 施 す と た だ ち に 治 癒 し た ﹂ と い う 内 容 で 、 ﹁ こ の よ う な 仏 図 澄 の 医 療 の 恩 恵 を 蒙 っ た 者 は 数 知 れ な い ﹂ と 述 べ て い る 。 仏 図 澄 の 場 合 、 医 方 明 を 修 め て い た こ と が 考 え ら れ 、 確 か に そ れ に は ﹁ 禁 呪 ﹂ な ど 、 現 代 か ら み れ ば 非 科 学 的 な 部 分 も 含 ま れ る 。 し か し な が ら 、 彼 に 寄 せ ら れ た 絶 大 な 信 頼 と 彼 の 教 化 力 を 考 え た 場 合 、 そ の 裏 付 け と し て 、 こ の よ う な 実 際 に 治 癒 さ せ る 効 果 的 な 医 療 活 動 が あ っ た と 考 え ら れ る 。 仏 図 澄 に 限 ら ず 、 安 世 高 以 降 、 初 期 の 渡 来 僧 の 伝 記 に は 、 よ く ﹁医 術 ﹂ ﹁ 医 療 ﹂ な ど に 長 け て い た と い う 記 述 が み ら れ る 。 こ れ は 渡 来 僧 に 期 待 さ れ た 面 で も あ り 、 中 国 に 仏 教 が 漫 透 し て い く 過 程 を 解 明 し て い く 上 で 、 思 想 受 容 以 前 の 需 要 の 問 題 と し て 重 要 な 情 報 と な る 。 ② 曇 鶯 ( 四 七 六 ∼ 五 四 二 7 ) 読 大 集 経 。 恨 其 詞 義 深 密 難 以 開 悟 。 因 而 注 解 。 文 言 過 半 便 感 剣 痴 。 権 停 筆 功 周 行 劉 。 行 至 扮 川 秦 陵 故 櫨 。 入 城 東 門 上 望 青 宵 。 忽 見 天 門 洞 開 。 六 欲 階 位 上 下 重 複 歴 然 齊 観 。 由 斯 痴 酬 。 欲 継 前 作 。 顧 而 言 日 。 命 惟 危 脆 不 定 其 常 。 本 草 諸 経 具 明 正 治 。 長 年 神 仙 往 往 間 出 。 心 願 所 指 修 習 斯 法 。 果 剋 既 已 方 崇 仏 教 不 亦 善 乎 。 承 江 南 陶 隠 居 者 方 術 所 帰 。 広 博 弘 贈 海 内 宗 重 。 遂 往 従 之 。 (﹁ 続 高 僧 伝 ﹂ 巻 六 ・ 義 解 慰 ゴ こ れ は 、 曇 鶯 が ﹁ 大 集 経 ﹄ の 註 釈 作 業 中 に 気 の 病 (気 疾 ) に か か り 、 執 筆 を 止 め て 、 治 療 (医 療 V に 専 念 す る と い う 内 容 で あ り 、 病 が 治 っ て 以 降 も 、 曇 鶯 は 仏 教 に 優 先 し て ﹃ 本 草 ﹄ 等 の 諸 経 に 説 か れ る 養 生 法 (仙 方 ) を 求 め よ う と し て 、 陶 弘 景 ( 四 五 六 ∼ 五 三 六 ) を 訪 ね て 師 事 す る こ

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と を 決 意 す る 部 分 で あ る 。 最 終 的 に は 、 盈 鷲 は 菩 提 流 支 ( 菩 提 留 支 ) に 大 仙 方 と し て の ﹁ 観 経 ﹂ を 授 け ら れ て 、 そ れ ま で 持 っ て い た 仙 法 関 係 の 書 物 を 捨 て る こ と に な る 。 こ こ で 曇 鷺 は 、 自 身 の 病 (気 疾 ) が 治 癒 し た 後 も 、 さ ら に 治 療 法 を 探 し 求 め て い る 。 最 終 的 に は ﹃ 観 経 ﹄ が す べ て の 問 題 を 解 決 し て い る よ う に み え る が 、 曾 鷺 の 病 、 特 に 気 疾 に 鮒 す る 関 心 は 、 病 気 治 癒 後 も 終 生 衰 え る こ と は な か っ た よ う に 思 う 。 こ の こ と は 、 こ の 伝 の 最 後 の 部 分 か ら も う か が え る 。 然 鷺 神 宇 高 遠 機 変 無 方 。 言 曙 不 思 動 与 事 会 。 調 心 練 気 対 病 識 縁 。 名 満 魏 都 。 用 為 方 軌 、 因 出 調 気 論 。 又 著 作 王 郡 。 あ タ リ ニ 偶 。 続 龍 樹 偶 後 。 又 撰 安 楽 集 両 巻 等 。 広 流 於 世 。 伍 自 号 為 有 魏 玄 簡 大 士 云 。 ( ﹃ 続 高 僧 伝 ﹄ 巻 六 . 義 解 篇 二 ) 随 文 注 之 。 又 撰 礼 浄 土 十 こ こ に は 、 曇 鴛 の 性 格 や 評 価 が 記 さ れ て お り 、 ﹁ 調 心 練 気 対 病 識 縁 ﹂ と い う よ う に 、 ﹁ 調 心 ﹂ ﹁ 練 気 ﹂ と と も に 、 病 の 縁 由 に つ い て の 知 見 も 有 し て い た と あ る 。 さ ら に ﹁ 讃 阿 弥 陀 仏 偶 ﹂ や ﹁ 浄 土 論 註 ﹄ な ど と と も に 、 ﹁ 調 気 論 ﹂ を 著 し 、 王 郡 が そ れ に 註 を 施 し た と あ る 。 お そ ら く 曇 鷺 は 、 自 ら の 罹 患 ・ 治 療 経 験 を ふ ま え て 、 そ れ を 他 人 の 治 療 に も 活 か す べ く 、 教 化 と 並 行 し て 気 疾 を 中 心 と す る 医 療 研 究 を 行 っ て い た と 考 え ら れ る 。 こ の ﹁ 調 気 論 ﹄ に つ い て は 、 先 ほ ど あ げ た ﹁ 隔 書 ﹂ 経 籍 志 の ﹁ 論 気 治 療 方 ﹂ 、 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 経 籍 志 下 の ﹃ 調 気 方 ヒ 、 ﹁新 唐 轡 ﹂ 芸 文 志 の ﹁僧 鶯 調 気 方 ﹂ 、 ﹃宋 史 ﹂ 芸 文 志 の ﹁ 魏 曇 鷲 法 師 服 気 要 訣 h 、 ま た 、 ¶ 道 蔵 ﹄ 所 収 の ﹁ 延 陵 先 生 集 新 旧 服 気 経 ﹂ と ﹁ 雲 笈 七 簸 ﹂ 中 に 原 文 が 載 せ ら れ 真 偽 が 問 題 ハ リ リ と さ れ る ﹃ 鷺 法 師 服 気 法 ﹄ と の 関 連 が 指 摘 さ れ て い る 。 こ う い っ た 曇 鷺 の 一 側 面 は 、 い わ ゆ る ﹁ 道 術 ﹂ と し て 一 蹴 し て し ま う の で は な く 、 彼 の 教 学 の 裏 付 け や 当 時 の 念 仏 行 の あ り 方 、 ま た 、 彼 の 後 世 に お け る 評 価 を 再 検 討 す る の に 有 益 な 情 報 と な る 。 ③ 霊 裕 ( 五 一 八 ∼ 六 〇 五 }   ほ け ヒ 疾 苦 所 及 医 療 繁 多 。 ( ﹁ 続 高 僧 伝 h 巻 九 ・ 義 解 篇 五 ) 仏 教 と 医 療 一 〇 一

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仏 教 と 医 療 一 〇 二 北 魏 か ら 晴 代 に か け て 、 廃 仏 に 遭 遇 し な が ら 、 宝 山 石 窟 の 造 営 な ど で 活 躍 し た 霊 裕 の 伝 に は 、 霊 裕 が 特 に 医 療 に 詳 し か っ た と い う 記 述 は な い が 、 文 の よ う に ﹁ 病 苦 (疾 苦 ) の 及 ぷ と こ ろ で は 医 療 活 動 が 多 く な る の で 忙 し い ﹂ と い う 内 容 が み ら れ る 。 こ の 記 述 が 、 当 時 の 仏 教 僧 と し て は 、 あ ま り 珍 し く も な い 当 然 の 役 割 と し て 述 べ ら れ て い る の か ど う か は 不 明 で あ る が 、 そ の 他 の 用 例 も 合 わ せ て 考 え る と 、 き わ め て 現 実 的 な 老 ・ 病 苦 の 対 処 に 仏 教 僧 の 医 療 が 要 請 さ れ て い る 例 は 少 な く な い 。 三 ま と め こ こ ま で 、 中 国 に お け る 僧 侶 の 医 醤 と 医 療 に つ い て い く つ か の 例 を あ げ た 。 史 雷 や 伝 記 類 だ け で は な く 、 諸 師 の 著 作 に 記 載 さ れ て い る 病 気 に 応 じ た 治 療 法 や 薬 の 穏 類 な ど 、 詳 細 な 内 容 に つ い て は 別 の 機 会 に 譲 り た い と 思 う が 、 中 国 に お け る 仏 教 受 容 ・ 流 布 の 要 因 と し て 、 仏 教 僧 の 有 し て い た 医 学 知 識 や 医 療 技 術 は 看 過 す べ き で は な い と 思 う 。 ま た 、 仏 教 が 浸 透 し た 後 も 、 そ の 需 婆 と し て 僧 侶 の 医 療 が 必 要 と さ れ て い る 例 も 多 い 。 む し ろ 、 仏 教 と 医 療 と を 峻 別 し 、 い わ ゆ る ﹁ 仏 教 的 な も の ﹂ の 力 の み で 仏 教 が 拡 が り を み せ た と 考 え る こ と の 方 が 不 自 然 で あ る 。 盟 裕 で は な い が 、 古 の 仏 教 僧 は 多 方 面 か ら 期 待 さ れ 、 想 像 以 上 に 多 忙 で あ り な が ら 、 そ れ に 耐 え う る 多 く の 知 識 と 能 力 を 有 し て い た の で あ る 。 こ う い っ た 点 に 目 を 向 け な け れ ば 、 中 国 仏 教 の 総 体 は 見 え て こ な い 。 駐 ︹1 ) ﹁階 書 ﹂ 巻 三 四 ・ 志 第 二 九 ・ 経 籍 三 (中 華 轡 局 本 一 〇 四 〇 ∼ 一 〇 五 〇 頁 ) ︹2 ) 道 端 良 秀 ﹁中 国 仏 教 史 全 集 b 第 一 一 巻 (窃 苑 、 一 九 八 五 年 ) 一 三 三 ∼ = 二 四 頁 、 難 波 恒 雄 ・ 小 松 か つ 子 ﹁仏 教 医 学 の 道 を 探 る ﹂ (東 方 出 版 、 二 〇 〇 〇 年 ) 七 〇 頁 に お い て も 、 ﹁ 衛 餅 ﹂ 経 籍 志 や ﹁新 唐 欝 ﹂ 芸 文 志 か ら の 抽 出 が 試 み ら れ て い る 。 筆 者 の 場 台 は 医 掌 に 関 す る 部 分 の み か ら 抽 出 し た の で 、 必 ず し も 合 致 し な い 部 分 が あ る 。 ︹3 ) ﹁旧 唐 班 ﹂ 巻 四 七 ・ 志 第 二 七 ・ 経 籍 下 (中 華 秘 局 本 二 〇 四 七 ∼ 二 〇 五 一 頁 ) ︹4 V ﹁唐 爵 ﹂ 巻 五 九 ・ 志 第 四 九 ・ 芸 文 三 (中 潴 ・轡 局 本 i 五 六 六 ∼ 一 五 七 三 頁 )。 こ こ に は 、 ﹁僧 鷲 調 気 方 ﹂ の 他 に 、 仏 教 僧 が 関 係 す る も の と し て ﹁僧 行 智 諸 薬 異 名 b 一 〇 巻 、 ﹁僧 僧 深 集 方 ﹄ 三 〇 巻 ぷ 収 録 さ れ て い る 。 (5 ) ﹁宋 史 ﹂ 巻 二 〇 五 ・ 志 第 ゐ 五 八 ・ 芸 文 四 (中 華 雷 局 本 五 一 九 二 頁 ) (6 ) 道 端 良 秀 氏 前 掲 雷 、 一 四 七 ∼ 一 五 五 頁 (7 ) 大 正 五 〇 、 三 八 三 下 (8 ) 大 正 五 〇 、 四 七 〇 上 (9 ) 大 正 五 〇 、 四 七 〇 下 (10 ) ﹁道 蔵 ﹂ 所 収 の ﹁ 鷺 法 師 服 気 法 ﹂ に つ い て 、 道 端 良 秀 氏 ( ﹁中 国 仏 教 史 全 藁 ﹂ 第 六 巻 、 轡 苑 、 一 九 八 五 年 、 一 〇 四 ∼ 一 〇 七 頁 、 = 二 〇 ∼ = 二 二 頁 ) と 、 藤 堂 恭 俊 氏 (﹁ 浄 土 仏 教 の 思 想 四 曇 鶯 ・ 道 紳 ﹂ 講 談 社 、 一 九 九 五 年 、 三 四

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∼ 三 五 頁 ) は 、 こ れ を 紐 鷺 真 撰 と 考 え て い る 。 ま 旋 、 野 上 俊 静 氏 ( ﹁中 国 浄 土 三 祖 伝 ﹂ 文 栄 堂 、 一 九 七 〇 年 、 五 四 頁 ︺ は ﹁調 気 論 ﹂ に 関 わ る 曇 鷲 著 作 一 巻 本 の 要 約 と 考 え 、 諏 訪 義 純 氏 (﹁ 大 乗 仏 典 中 国 ・ 日 本 細 14 高 僧 伝 ﹂ 中 央 公 論 社 、 一 九 九 } 年 、 三 二 二 頁 } は ﹁調 気 論 ﹂ な ど と ﹁開 わ り を も つ も の で あ ろ う ﹂ と し て い る 。 こ れ ら に 対 し て 、 加 藤 栄 司 氏 ( ﹁道 士 曇 鷲 ー 腺 気 養 身 と 調 身 調 息 1 ﹂ ﹁松 ヶ 岡 文 廊 研 究 年 報 ﹂ 二 三 号 、 二 〇 〇 九 年 ) は 、 ﹁ 道 教 側 で 作 成 し た 曇 鴛 仮 託 魯 ﹂ と い う 観 点 か ら 、 そ の 要 因 と し て の 道 教 側 の 曇 鷺 像 に 関 し て 、 本 論 文 の 引 用 中 に 示 し た ﹁ 名 満 魏 都 用 為 方 軌 ﹂ を 引 い て 、 こ こ に い う 曇 鷺 の 名 声 と は ﹁ そ れ は 浄 土 教 家 紐 鷺 で は な く て 服 気 の 達 人 の 名 揖 で あ り 、 道 家 ・ 医 家 曇 鵬 と し て の 声 望 で あ り 声 価 で は な か っ た ろ う か ﹂ と 考 え て い る 。 ( 11 ) 大 正 五 〇 、 四 九 七 中

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は じ め に 日 本 の 古 代 、 中 世 期 に お い て 医 療 は 仏 教 に 帰 さ れ て い た と い っ て よ い 。 そ れ は 、 医 術 が 仏 教 と と も に 、 朝 鮮 半 島 や 中 国 か ら 、 仏 教 僧 に よ っ て も た ら さ れ た と い う 理 由 が あ る が 、 元 来 、 釈 尊 の 説 法 が ﹁ 応 病 与 薬 ﹂ と 称 さ れ る よ う に 、 病 と 仏 の 教 え の 関 係 は 深 い 。 ま た 、 衆 生 の 苦 が ﹁ 生 ・ 老 ・ 病 ・ 死 ﹂ に 代 表 さ れ る よ う に 、 病 に つ き ま と う 肉 体 的 、 精 神 的 苦 痛 は 、 わ れ わ れ が 抱 え る 苦 し み で あ る と 同 時 に 解 決 す べ き 苦 な の で あ る 。 仏 典 に は 病 を 治 す ﹁ 医 療 ﹂ に つ い て の 記 述 が 多 く 見 受 け ら れ る 。 そ れ に は 、 衆 生 の 苦 を 病 に 讐 え 、 衆 生 救 済 の 姿 を 医 師 に た と え る 配 述 か ら 、 衆 生 救 済 の 方 便 と し て の 医 術 ま で 幅 広 い 。 ハ ユ リ ま た 、 具 体 的 な 医 術 法 を 説 く 仏 典 に 、 ﹁ 金 光 明 最 勝 王 経 ヒ 、 ﹃ 四 分 律 ﹂ が 代 表 的 な も の と し て あ げ ら れ る 。 さ ら に 、 ﹁ 楡 伽 師 地 論 ﹂ な ど で は 、 衆 生 救 済 の 善 巧 方 便 と し て 五 明 が 説 か れ 、 そ の 中 に 医 方 が あ る 。 仏 教 と 医 寂 一 〇 三

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仏 教 と 医 療 こ の よ う に 、 仏 教 と 医 療 の 関 わ り の 深 さ を み て い く と 、 専 門 的 知 識 を も っ て 、 ( 2 ) た 出 家 者 、 つ ま り ﹁ 僧 医 ﹂ が 登 場 し た の は 必 然 と い っ て よ い だ ろ う 。 衆 生 救 済 と い う 観 点 か ら 、 一 〇 四 じ っ さ い に 衆 生 の 病 を 治 癒 し て い っ

日 本 の 諸 文 献 に ﹁ 僧 医 ﹂ が あ ら わ れ る の は 、 仏 教 に 関 す る 歴 史 的 記 述 が は じ ま っ た と き と 同 時 と い っ て よ い 。 当 時 、 日 本 で は 、 仏 教 と 同 時 に ( 3 H 唐 の 政 治 シ ス テ ム が も た ら さ れ 、 律 令 制 が 成 立 し た 。 医 療 の 面 に お い て も 、 仏 教 を 離 れ た ﹁ 医 疾 令 ﹂ が 制 定 さ れ 、 ﹁ 官 医 ﹂ と 呼 ば れ る 公 的 な 医 者 が 置 か れ 、 養 成 機 関 で あ る 典 薬 寮 、 救 済 施 設 で あ る 施 薬 院 も 成 立 す る 。 に も か か わ ら ず 、 文 献 に は 、 天 皇 や そ の 家 族 を 治 癒 、 看 病 す る 仏 教 僧 が 多 く 登 場 す る 。 た と え ば 、 ﹁ 日 本 書 紀 ﹄ 天 武 天 皇 十 四 年 ︹六 八 六 } 十 月 八 日 条 、 同 年 十 一 月 二 十 四 日 条 に お い て 、 以 下 の よ う な 記 述 が あ る 。 百 済 の 僧 法 蔵 ・ 優 婆 塞 益 田 値 金 鐘 を 、 美 濃 に 遣 わ し て 白 乖 ハ ヨ   法 蔵 法 師 ・ 金 鐘 は 、 白 尤 の 煎 じ た も の を た て ま つ っ た 。 (胃 の 薬 ︺ を 求 め 、 の く ら 煎 じ 薬 を つ く ら せ ら れ た 。 こ れ は 、 法 蔵 と い う 百 済 僧 が 天 武 天 皇 に 対 し て 、 胃 の 薬 を 煎 じ て 、 奉 じ た こ と を 記 録 す る 内 容 で あ る 。 こ れ 以 外 に も 、 天 皇 に 対 し 病 気 治 癒 や 看 病 を 行 っ た ﹁ 僧 医 ﹂ に つ い て の 多 く の 記 述 が 、 さ ま ざ ま な 古 代 の 歴 史 を 記 す 史 料 に み ら れ る 。 日 本 医 学 史 学 の 第 一 人 者 で あ る 服 部 敏 良 氏 は 、 そ の 著 作 に お い て 、 奈 良 時 代 の ﹁ 僧 医 ﹂ ﹁ 看 病 僧 ﹂ を 列 挙 し て お り 、 当 時 、 律 令 制 で 医 疾 令 が T ︾ 制 定 さ れ て い る に も か か わ ら ず 、 天 皇 に 近 侍 し 看 病 す る の は 、 ﹁ 官 医 ﹂ で は な く 、 仏 教 僧 で あ っ た こ と を 指 摘 し て い る 。 ま た 、 酒 井 シ ヅ 氏 も 、 ( ア ) ﹁ こ の 時 代 の 看 病 に 名 を 連 ね た 者 は す べ て 僧 医 で あ っ た 。 ﹂ と し 、 病 気 治 療 と 看 病 が 僧 侶 に ゆ だ ね ら れ て い た こ と を あ き ら か に し て い る 。 ま た 、 日 本 に 律 を も た ら し た 鑑 真 { 六 八 八 ∼ 七 六 三 ) に は 、 ﹁ 鑑 真 秘 方 ﹂ と い う 医 方 の 著 作 が あ っ た こ と は 知 ら れ て お り 、 ﹃ 元 亭 釈 轡 ﹂ に は 、 彼 が き わ め て す ぐ れ た 本 草 の 知 識 を 有 し て い た こ と が 説 か れ る 。 そ れ が 以 下 で あ る 。

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モ ロ モ ロ ノ 薬 種 ア レ ド モ 、 此 方 ノ 人 、 不 知 案 内 ニ テ 、 真 偽 ヲ ワ キ マ フ ル コ ト 、 モ 勅 詔 ニ テ 、 タ 寸 サ シ メ タ マ ヘ パ 、 鼻 ニ テ 聞 テ 、 コ レ ヲ 別 レ シ ニ 、 一 ツ ト テ 、 ナ リ ガ タ カ リ シ モ 、 鑑 真 コ ソ 、 ( 6 冒 ト リ ァ ヤ マ ル コ ト ナ シ こ の よ う に 、 仏 教 僧 が 医 療 を に な う 傾 向 は 、 以 後 の 平 安 、 鎌 倉 期 ま で 続 い て い く . で は 、 平 安 期 の 公 卿 の 日 記 か ら 、 そ の 一 端 を か い ま 見 て ゆ き た い 。 平 安 後 期 に お い て 、 右 大 臣 で あ っ た 藤 原 実 資 の 日 記 ﹃小 右 記 ﹂ に は 、 長 和 三 年 ( 一 〇 一 四 ) 人 の ﹁ 医 僧 ﹂ が 登 場 す る 。 コ レ ヲ シ ル ペ ケ レ ト テ 、 コ レ 六 月 二 十 五 日 条 に 、 ﹁ 太 宋 国 医 僧 恵 清 ﹂ と い う 宋 予 乞 遣 来 自 太 宋 国 之 医 僧 許 、 号 恵 清 ⋮ ⋮ 遣 彼 医 師 所 、 令 交 易 治 眼 之 薬 、 送 二 種 者 、 こ こ で は 、 実 資 が 、 太 宋 国 医 僧 恵 清 に 使 い を や り 、 眼 病 の 薬 を 求 め た こ と が 記 さ れ て い る 。 ﹁山 椀 記 ﹂ 長 寛 三 年 ( 一 一 六 五 ) 六 月 二 十 八 日 条 に は 、 ﹁ 石 屋 聖 人 ﹂ と い う 医 僧 が 登 場 す る 。 あ る い は 、 平 安 末 期 の 内 大 臣 中 山 忠 親 の 日 記 、 或 人 日 、 新 院 御 悩 不 軽 、 今 日 石 屋 聖 人 密 参 入 奉 灸 御 胸 二 所 、 こ こ で は 、 新 院 ( 二 条 } の 病 状 が 重 く 、 石 屋 聖 人 と い う 僧 が 秘 密 裡 に 参 入 し 、 胸 に 灸 を 二 ヶ 所 奉 じ た こ と が 記 さ れ て い る 、 さ ら に 、 平 安 末 期 か ら 鎌 倉 初 期 の 貴 重 な 史 料 と さ れ る 九 条 兼 実 の ﹃ 玉 葉 ﹄ に も 、 多 く の ﹁ 僧 医 ﹂ た ち が 登 場 す る 。 中 で も 、 安 元 三 年 ( = 七 七 ) 六 月 十 日 条 の ﹁ 筑 紫 医 師 (大 善 房 ) ﹂ と い う 僧 医 の 記 述 は 、 当 時 の 医 療 状 況 を 同 時 に か い ま 見 る こ と が で き る 史 料 と し て 注 目 さ れ て い る 。 そ れ が 以 下 で あ る 。 仏 教 と 医 療 一 〇 五

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仏 教 と 医 療 源 中 納 冒 被 来 、 相 具 筑 紫 医 僧 、 字 大 善 房 、 之 為 令 灸 予 疾 也 、 密 々 事 也 、 事 錐 非 穏 便 、 試 爲 全 身 命 、 不 願 世 上 之 殿 、 年 来 諸 医 、 加 種 々 療 治 或 減 或 増 、 遂 今 及 大 事 、 一 〇 六 件 医 僧 近 日 又 別 施 験 、 ⋮ ⋮ 是 こ こ で は 、 権 中 納 言 源 雅 頼 が 筑 紫 医 僧 大 善 房 を 連 れ て き た こ と を 記 し て い る 。 摂 関 家 嫡 流 で あ る 兼 実 は き わ め て 公 的 な 人 間 で あ り 、 宮 医 の 療 治 さ れ る こ と が 習 わ し で あ る が 、 い く に ん も の 官 医 に 診 せ た も の の 、 兼 実 の 腫 瘍 は い っ こ う に 治 ら な い 。 病 に 陥 る こ と 自 体 が 王 家 へ の 忠 義 に そ こ な う こ と で あ っ た か ら 、 世 問 の そ し り を う け る こ と を の ぞ ま な い た め に 、 秘 密 裡 に 大 善 房 に 療 治 せ し め た と い う こ と が 記 さ れ て い る の で あ る 。 こ の 内 容 か ら は 、 ﹁ 僧 医 ﹂ に 強 い 期 待 を よ せ る 兼 実 の 姿 演 推 察 で き る 。 日 記 に あ る ﹁ 諸 医 ﹂ と は 官 医 の こ と で 、 当 時 、 官 医 は そ の 地 位 を 確 立 し て い た 。 平 安 京 に は 典 薬 寮 と 施 薬 院 に 官 医 が 配 置 さ れ 、 彼 ら の 治 療 記 録 も 残 っ て お り 、 平 安 中 期 に は 日 本 人 が 著 し た 現 存 す る 最 古 の 医 学 書 ﹃ 医 心 方 ﹄ が 、 官 医 舟 波 康 頼 ( 九 = 一∼ 九 九 五 ) に よ り 編 纂 さ れ て い る 。 ハ ヨ リ し か し 、 兼 実 が ﹁ 僧 医 ﹂ を 頼 っ た 背 景 と し て 、 律 令 制 の 崩 壊 と と も に 官 医 は 世 襲 ( 丹 波 ・ 和 気 氏 ) と な っ て し ま っ た こ と 。 考 試 を 受 け な い 者 ( 皿 } ° ° ・ . も 医 者 と し て 認 定 さ れ て い き 、 医 師 の 質 の 低 下 が お こ っ た こ と 。 あ る い は 、 平 安 未 期 か ら 鎌 倉 期 の 混 乱 期 に お い て 、 に せ 医 者 が 増 え る な ど 、 医 療 の 質 の 低 下 が あ っ た こ と が 考 え ら れ て い る 。

平 安 末 の 動 乱 を へ て 、 鎌 倉 幕 府 は 成 立 し た が 、 医 学 史 で よ く か た ら れ る こ と に ﹁ 鎌 倉 に は 公 的 な 医 師 が い な か っ た ﹂ と い う こ と が あ る 。 こ れ は 驚 く べ き こ と で あ る が 、 や が て 鎌 倉 中 期 か ら 後 期 に お い て 、 鎌 倉 の 医 療 状 況 は 大 き く 展 開 、 発 展 し て い く 。 {U } そ の 発 展 を に な っ た の が 、 西 大 寺 中 興 の 祖 叡 尊 ( = 一〇 一 ∼ 一 二 九 〇 ) を 祖 と す る 真 言 律 宗 教 団 で あ っ た 。 中 で も 、 忍 性 ( 一 二 一 七 ∼ = 二 〇 三 ) は 、 建 長 四 年 ( 一 二 五 二 V 三 六 才 の と き 、 関 東 に 下 向 。 北 条 氏 の 支 援 に よ り 、 文 永 四 年 二 二 六 七 ) 、 我 V 鎌 倉 地 獄 谷 に あ っ た 極 楽 寺 を 中 心 に 救 済 活 動 を 展 開 し た 。 そ の ﹁ 慈 悲 二 過 ギ タ ﹂ 活 動 は あ ま り に 有 名 で あ る 。 忍 性 は 、 鎌 倉 極 楽 寺 に 、 弘 安 十 年 ( = 一八 七 ) 恒 常 的 病 屋 ( 鎌 倉 桑 谷 療 養 所 (極 楽 寺 内 V ) を 開 設 。 ま た 、 病 者 の 入 院 ・ 療 病 施 設 、 当 時 の 癩

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患 者 を 治 療 ・ 療 病 す る 施 灘 馬 の 病 屋 ・ 薬 園 ・ 治 癒 の 甲 斐 の な い 人 々 を 看 取 る た め の 無 常 堂 な ど も 設 置 さ れ 、 一 大 救 療 セ ン タ 差 な っ て い た 。 ﹁ 元 亭 釈 鄙 げ で は ・ 二 十 年 間 で ・ 治 癒 し た も の が 四 万 六 千 八 百 人 、 死 す る も の は 一 万 四 百 五 十 人 と し ・ 活 き た る 者 は 五 分 の 四 を 超 え た と 、 驚 き を も つ て 述 べ ら れ て い る 。 こ の 鎌 倉 に あ っ て 、 忍 性 や 鎌 倉 幕 府 の 要 人 長 井 宗 秀 と 交 流 が あ り 、 ﹃ 沙 石 集 ﹄ な ど 多 く の 説 話 集 を 残 し た 無 住 と 関 わ り 示 あ っ た と さ れ る ﹁ 僧 医 ﹂ が 登 場 す る 。 そ れ が 、 浄 観 房 性 全 (梶 原 性 全 ) ( = 一 六 六 ∼ 一 三 三 七 ) で あ る 。 こ の 人 物 は 、 日 本 で は じ め て 仮 名 書 き の 医 学 書 を 書 い た 人 物 で あ り 、 日 本 医 学 史 学 界 に お い て は 、 ﹁ 鎌 倉 期 最 高 の 医 師 ﹂ と 賞 讃 さ れ る 人 物 で あ る 。 に も か か わ ら ず 、 仏 教 学 に お い て は ほ と ん ど 無 名 の 人 物 で あ る 。 ハ お ロ 彼 の 人 物 豫 に 関 し て は 、 記 録 が き わ め て 少 な く 、 性 全 の 生 涯 に つ い て は 、 現 在 は 石 原 明 氏 ﹁ 梶 原 性 全 の 生 涯 と そ の 著 書 ﹂ の み に 頼 る と こ ろ が 大 き い 。 石 原 氏 に よ る と 、 性 全 は 、 文 永 三 年 ( = 一六 六 ) 相 模 国 鎌 倉 郡 梶 原 郷 で 生 ま れ る 。 の ち に 、 西 大 寺 叡 尊 に 師 事 す る か た わ ら 、 和 気 氏 . 丹 波 氏 ハ に ロ 諸 派 の 医 学 を 学 ぶ 。 三 十 七 才 よ り 四 十 一 才 の こ ろ (成 安 四 年 ∼ 嘉 元 二 年 ( 一 三 〇 二 ∼ = 二 〇 四 年 ) ) に か け て 、 か な ま じ り の 医 学 書 ﹁ 頓 医 抄 ﹂ 五 十 巻 を 著 し た 。 そ の 後 、 還 俗 し た と さ れ る . さ ら に 、 五 十 才 か ら 六 十 二 才 の 頃 に か け て 、 子 息 冬 景 と そ の 子 孫 の た め に 、 ﹁ 万 安 方 ﹂ 六 十 二 巻 を 著 し た 。 嘉 応 二 年 ( 一 三 二 七 ) 六 月 頃 に 完 成 。 子 息 冬 景 が 成 人 後 、 再 び 僧 に も ど っ た と 、 石 原 氏 は 述 べ て い る 。 性 全 の 生 涯 の 中 で 、 石 原 氏 が 忍 性 と 性 全 が 兄 弟 弟 子 で あ っ た こ と を 述 べ る が 、 服 部 氏 は 断 定 し が た い と 指 摘 す る 。 だ が 、 ﹁頗 医 抄 ﹂ 第 三 十 四 巻 癩 病 を 論 じ る 箇 所 の 説 明 に お い て 、 服 部 氏 は 、 本 篇 に は 医 師 の 翻 病 診 断 に 必 要 な 知 識 と し て 十 二 種 の 症 状 を あ げ て い る が 、 国 の 医 書 に も 全 く 記 さ れ て い な い も の で あ り 、 性 全 独 自 の 見 解 と い う よ り 、 { 17 } あ ろ う と 推 察 さ れ る 。 仏 教 と 医 療 こ れ ら は 後 項 に お い て 説 明 す る 如 く 中 国 の 医 書 に も 従 来 の わ が む し ろ 当 時 の 救 癩 事 業 に 従 事 し た 僧 侶 逮 の 間 に 語 ら れ た も の で 一 〇 七

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仏 教 と 医 療 一 〇 八 と 記 述 す る 。 こ の こ と は 、 当 時 、 救 癩 事 業 の 中 心 的 人 物 で あ る 叡 尊 や 忍 性 の 活 動 に 、 性 全 が 深 く 関 わ っ て い る こ と を 想 起 さ せ 、 じ つ に 興 味 深 い 。 彼 の 思 想 に 関 し て は 、 ふ た つ の 医 学 書 ﹃ 頓 医 抄 ﹄ と ﹁ 万 安 方 ﹄ に 頼 る し か な い が 、 そ の 中 に ﹃ 頓 医 抄 ﹂ を 書 い た 理 由 に つ い て 説 く 箇 所 が あ る 。 そ れ が 以 下 で あ る 。 コ レ 秘 事 ト モ イ ウ ヘ ケ レ ト モ 此 仮 名 カ キ ノ 趣 キ ア マ ネ ク 人 二 知 ラ セ テ 天 下 ノ 人 ヲ タ ス ケ ン カ タ メ 也 。 ヨ ノ ツ ネ ノ 医 師 ノ 或 ハ 利 潤 ヲ 専 ラ ニ シ テ ヤ ス キ 事 ヲ 多 シ 、 或 ハ 偏 執 ヲ サ キ ト シ テ 益 ア ル コ ト ヲ 秘 ス ・ ハ ナ ハ タ コ レ 天 ノ 心 ニ タ カ ヒ 人 ノ 身 二 益 ナ 浦 群 こ れ は 、 医 学 知 識 に 乏 し い に も か か わ ら ず 、 利 潤 を 得 た い が た め に 医 療 行 為 を 行 う 者 が 増 え た こ と を 嘆 曹 、 当 時 、 医 術 は む や み に 他 者 に 洩 ら す 技 術 や 知 識 で は な く 、 師 資 相 承 の 秘 法 と さ れ て い た が 、 広 く 医 術 を 普 及 さ せ 、 さ ま ざ ま 人 々 を 救 済 せ ん が た め に 書 い た と す る の で あ る 。 ﹃ 頓 医 抄 ﹂ を 著 し た の は 、 私 欲 で は な い 衆 生 救 済 の 立 場 に も と つ い た 行 為 で あ っ た こ と が こ こ に 理 解 で き る 。 ま た 、 牲 全 の 医 療 行 為 に 対 す る 表 明 が 、 ﹃ 頗 医 抄 ﹂ 四 十 六 巻 に 説 か れ て い る 。 そ れ が 以 下 で あ る 。 慈 悲 ノ 心 ヲ 以 テ 行 ハ 縦 ヒ ソ ノ 業 拙 ク ト モ 皆 効 ア ル ヘ シ 。 欲 心 ヲ 不 仁 ニ シ テ 学 セ ハ 千 書 万 方 ヲ 明 メ 無 尽 ノ 妙 薬 ヲ 施 ス ト モ 其 功 不 可 郁 ド こ こ で は 、 慈 悲 の 心 を も っ て 医 療 行 為 に あ た れ ば 、 技 が 拙 く て も 効 果 が あ る と し 、 欲 と 仁 な き の 心 で も っ て 医 療 行 為 に あ た れ ば 、 ど れ ほ ど の 妙 薬 や 医 学 知 識 が あ っ て も 効 果 は な い と す る 。 こ こ で 、 性 全 が ﹁ 慈 悲 ﹂ と い う 語 を 用 い て い る か ら 仏 教 的 と い う の は 尚 早 で あ る が 、 彼 の 医 療 行 為 に 対 す る 真 摯 な 姿 勢 を 見 い だ す こ と が で き る 。 ま た 、 そ の 医 学 轡 の レ ヴ ェ ル で あ る が 、 服 部 氏 に よ れ ば 、 当 時 の 最 新 の 宋 の 医 学 薔 を 参 考 に し て い る と す る 。 ﹁頓 医 抄 ﹂ ﹃万 安 乙 の 参 考 と な っ た 宋 霞 、 ﹁太 平 聖 恵 方 ﹄ ﹁和 剤 局 方 ﹂ 蚕 済 総 盤 ﹁欧 希 範 五 臓 図 な 夢 岐 に わ た る ・ 前 述 し た よ う に ・ 性

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