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『商売往来』から近世社会を考える

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

『商売往来』から近世社会を考える

著者 本城 正徳

雑誌名 高円史学

巻 13

ページ 155‑163

発行年 1997‑11‑01

その他のタイトル The Early Modern Period Seen from the Shoubai‑Ourai (商売往来)

URL http://hdl.handle.net/10105/8739

(2)

⁚ 余   録

﹃商売往来﹄ から近世社会を考える ⁚

昨年︑教育資料館運営委員会という学内委員会の委員を

仰せつかり︑本学の教育資料館に所蔵されている様々の教

育史関連の史料に改めて接する機会を得た︒教育史には全

くの素人であるわけだが︑近世︵江戸時代︶ の庶民教育に

関する史料は︑近世社会経済史の分野を研究領域とする私

にとっても︑なかなか興味深いものが多かった︒なかでも

江戸時代の寺子屋の教科書であり初歩的な手習い手本とし

て多用された﹃商売往来﹄は面白く︑近世史研究︑当面︑

近世社会経済史研究の史料としても様々な情報や示唆を与

えてくれる書物のように思われた︒そこで︑この機会に︑

本     城     正     徳

こうした近世史研究史料としての﹃商売往来﹄という視点

から︑いくつか考えてみたことを書いてみたいと思う︒

と こ

ろ で

︑ 本

学 の

梅 村

佳 代

氏 ︵

教 育

学 ︶

  の

研 究

  ︵

﹁ 本

所蔵の往来物の研究︵I︶﹂︑﹃奈良教育大学教育研究所紀

要﹄第32号︑一九九六年︶によれば︑﹃商売往来﹄ の成立

は︑﹃続々群書類従﹄では宝永以降享保以前の作と推定さ

れているが︑近年では石川松太郎氏の研究︵﹃往来物の成

立と展開﹄︑雄松堂出版︑一九八八年︶ が明らかにした元

禄七︵一六九四︶年成立説が有力とのことである︒また︑

この石川氏の研究によれば最古の版本は大坂で出版された

こと︑作者は上方の手習師匠であったこともあわせて指摘

155

(3)

さ れ

て い

る ︒

ということは︑﹃商売往来﹄に記載された様々の情報は︑

基本的には上方とくに大坂という都市社会の︑しかも元禄

期︵一七世紀末︶ないし元禄〜享保期︵一七世紀末〜一八

世紀初期︶という特定の時代情況を背景にしていたという

ことになる︒つまり︑小稿の表題である﹁﹃商売往来﹄か

ら近世社会を考える﹂の近世社会とは︑まずは本書の作成

された元禄期あるいは元禄〜享保期の近世社会ということ

に な る の で あ る ︒

なお︑本学の教育資料館には江戸時代の﹃商売往来﹄が

四冊所蔵されているが︑いづれも幕末期の刊打とみられる︒

そこで以下の考案では︑元禄期刊行本により近いと判断で

きる﹃続々群書類従﹄所収の﹃商売往来﹄を使用すること

としたい ︵史料引用の場合も同じ︶︒もっとも前掲の梅村

氏の研究によれば︑本学所蔵の﹃商売往来﹄の内容構成も

基本的には群書類従本と同一であり︑微細な加筆修正にと

どまるとのことである︒

さて︑右に述べたような視点から﹃商売往来﹄の内容を

みた場合︑第一に注目されるのは︑その豊富で多彩な商品

名の記載である︒前掲の石川氏の研究によれば﹃商売往来﹄

︵元禄七年版︶所収の語彙は合計三六一であり︑その内訳

は商取引関連の文字︵貨幣名を含む︶が九%︑商人生活の

心得に関するものが九%で︑残り八二%︵二九六︶が商品

関連の語彙と指摘されている︒こうした商品名中心の記載

構成は︑本来商家の子弟教育のための教科書として編纂さ

れた本書の成立経過からみても当然といってよいが︑興味

深いのはその内容である︒

まず︑幕藩領主の支配する近世社会のあり方からみて筆

頭にあがってもおかしくない﹁武士之用具﹂が商品名記載

の中頃になって登場し︑品目数も弓・矢・鉄砲・鎗・鎧・

兜など二一種にとどまっている点が興味深い︒つまり商品

名の中心は︑当時の庶民を含む人々の衣食住にかかわる各

種の日常的商品・用具にすえられているのである︒まず

(4)

﹁ 衣

﹂ 関

連 と

し て

は ︑

金 欄

・ 構

子 ・

純 子

な ど

の ﹁

絹 布

之 類

﹂ ︑

肩 衣

・ 袴

・ 羽

織 な

ど の

﹁ 仕

立 物

﹂ ︑

そ の

は か

木 綿

・ 麻

・ 苧

古 手

・ 蒲 団 ・ 蚊 帳

・ 浴 衣 ・ 風 呂 敷 ・ 手 拭

・ 帯

・ 頭 巾 ・ 足 袋

など四一種の名称がみえる︒紺・花色・茜など一二種の

ともへ

﹁染色﹂︑唐草・藤・巴など一九種の ﹁模様﹂関連名称も

﹁衣﹂関連グループに入れてよいであろう︒前掲の石川氏

の研究が指摘するように染色・模様の分野の発達は明らか

に衣料︵被服︶生産技術の進歩の一部とみられるからであ

る︒

﹁ 食

﹂ 関

連 と

し て

は ︑

梗 ・

精 ・

麦 ・

粟 ・

小 豆

な ど

の 穀

類 ︑

味噌・酒・酢・醤油・油などの調味料類︑そのはか菜種・

麹など二四種の名称がみえる︒﹁山海之魚烏﹂として鴨・

鶉・鯛・鮒・蛸など四三種の名称が登場するが︑はぼ食材

ばかりであり﹁食﹂関連名称とみてよい︒また﹁薬種番具

L

之事﹂として大貴・甘草・陳皮・桂枝・人参など四五種の

薬︵漢方薬︶関係の名称があがっているが︑これもやや特

殊ながら広義の﹁食﹂関連名称といってよいだろう︒ つぎに﹁住﹂関連名称としては︑

として︑珊湖・水晶

きんちやく

巾著など二六種が︑

屏 風

・ 筆 笥 ・ 襖 ・ 椀

行 燈

・ 挑 燈 ・ 薬 鐙

・ 蒔 絵

ついで

へんとう

・ 弁 雷

すずりばこ

硯箱

﹁ 雑

貝 ﹂

まず﹁唐物軸物之家財﹂

ぶんちん

・ 文 鎮 ・ 磁 石

・ 印 鑑 ・

ながもち

と し

て ︑

長 持

・ 戸

棚 ・

しゆうばこ

重箱・皿・鉢・盃・包丁

茶碗・盟・編笠・傘・箕など四六種

があげられている︒そのほかに紙・墨・筆などの名称もみ

え て

い る

以上︑﹃商売往来﹄に登場する衣食住関連の商品名称を

例示してみたわけだが︑奮移品といってよい品々が相当数

あり︑その中には明らかに輸入品も含まれている点がまず

は注目される︵﹁唐物﹂の文言に留意︒﹁薬種香異﹂類につ

いても輸入品が含まれていたとみてよい︶︒これら輸入品

を含む菅移品・高級消費財は当然ながら高額商品であり︑

それだけ商人の利益も大きかったと考えられる︒その意味

では︑商人子弟教育の教科書であった﹃商売往来﹄に︑こ

うした著移品が大きくとりあげられるのは︑むしろ当然と

い っ

て よ

い ︒

157

(5)

しかし同時に注目されるのは︑右のようなおそらくは武

家や上層の町人を主たる顧客としたであろう各種の杏移品

のはかに︑﹃商売往来﹄では︑むしろ当時の庶民の日常生

活にとっても必要であったと思われる品々が︑数多く登場

している点である︒﹃商売往来﹄に登場する商品の多彩さ

は︑明らかに近世中期︵元禄〜享保期︶における庶民を含

む人々の生活水準の一般的な上昇をも反映しているとみら

れるのであり︑同時にそうした消費生活の活発化を支えた

各種産業の発展︑さらには生産された各種商品を取り扱う

商業活動の活発化をも示唆しているように思われる︒

そして右に述べたような諸情況は︑本書成立の経過から

判断して︑まずはこの時期︵元禄〜享保期︶ の大坂を中心

とした上方諸都市において︑もっとも顕著にみられたと考

えられるのである︒従来の近世社会経済史の研究によって

も︑この時期の大坂が全国的な商品流通の中心地︵いわゆ

る﹁天下の台所﹂︶としての市場的地位を確定することが

指摘されている︒﹃商売往来﹄ の内容も︑明らかにそうし た動向を反映しているとみられるのだが︑その際︑そうし た商品流通の活発化が近世初期以来の領主的需要︵﹁武家 之用具﹂に典型︑輸入品を含む曹拶品もまずは領主層の需 要に支えられたとみてよい︶のみならず︑庶民を含む人々 の生活水準︵衣食住にかかわる日常的な消費生活︶の向上 によっても実現していた点に︑改めて注目しておきたいと 思う︒商品需要という側面からいえば︑この時期の大坂は︑ こうしたいわば二元的な性格︵領主的需要の系列︑庶民的 需要の系列︶ の諸商品が併存しており︑そうした二元的な 諸商品をともに取り扱うことによって﹁天下の台所﹂にな りえたと考えられるからである︒

さて︑﹃商売往来﹄の内容にかかわって︑第二に指摘で

きそうなのは︑一七世紀後半以降開始される近世農村の変

容過程︑とりわけその原動力となる農民的商品生産の発展

との関連である︒こうした変容過程の発見は︑近世社会経

(6)

済史研究の成果のひとつであるわけだが︑本書には明らか

にこうした動向と対応する異体的な語章・商品名称がみう

けられるのである︒

ま ず

︑ 本 書 で は ︑

﹁ 大 豆 ・ 小 豆

・ 大 角 豆

・ 蕎 麦 ・ 麦 ・ 雑

穀・胡麻・荏﹂など商品作物︵換金作物︶を含むとみられ

る各種の農作物に加えて︑この一七世紀後半以降の商業的

農業の発展︵とくに畿内農村におけるそれ︶を代表する綿

作関連の語彙﹁摘綿・木綿﹂︑およびこの綿作の裏作とし

て発展した灯油原料としての﹁菜種﹂が登場しているので

ある︒﹁摘綿﹂は原綿からの中間加工品を︑﹁木綿﹂は完成

品としての木綿織物︵綿布︶を意味するものと思われる︒

また繭︵屑繭︶を引き伸ばして作る綿である﹁真綿﹂とい

う語彙もみえ︑これはおそらくは関東・東北農村を中心と

した養蚕・製糸業の形成と対応するものと考えられる︒さ

ら に

﹃ 商 売 往 来 ﹄ で は

︑ 米 作 に 関 連 し て

﹁ 梗

・ 精

・ 早 稲 ・

晩稲・古米・新米﹂など米の品種や品質にかかわる名称が

登場しているが︑これらもこの時期の畿内農村ですでに開 始されつつあった農民による米の商品化︵商品作物として の米作︶という動向と無関係であったとは思えない︒

また右の農作物の加工品という観点でいえば︑米や豆類

と対応する﹁酒・酢・醤油・味噌﹂︑菜種や胡麻・荏と対

応 す

る ﹁

油 ﹂

な ど

の 名

称 も

注 目

さ れ

る ︒

同 様

に ﹁

仕 立

物 ・

古手・紬・羽織・堅物・蒲団・風呂敷・手拭﹂など明ら

かに綿布と関連するとみられる名称も注目してよいであろ

う○

先に第一の指摘点として︑﹃商売往来﹄ の内容が︑元禄

〜享保期の上方諸都市を中心とする商品市場や商業活動の

動向を強く反映している点を述べたわけだが︑本書はまた︑

こうした経済発展の一方における重要な基礎条件である農

民的商品生産の発展についても︑明確に反映した内容となっ

ているのである︒ちなみに︑前掲の石川氏の研究によれば︑

﹃商売往来﹄が庶民生活に使用された麻地や木綿地に関す

る語彙を扱わなかったとの指摘があるが︵前掲書︑ハ一

再︶︑以上の検討からもわかるように︑必ずしもそうでは

159

(7)

ないと考えられる︒

ついで︑第三に指摘しておきたい点は︑本書の内容とし

ては︑商品名称についで重要な位置を占める商人生活の心

得に関連してである︒本書では︑いくつかの箇所で心得に

関する短い文章がみられるが︑もっともまとまったものは

巻末にすえられており︑そこでは次のような記述がみられ

る の

で あ

る ︒

然 而

︑ 歌

・ 連 歌 ・ 俳 語

・ 立 花 ・ 蹴 鞠

・ 茶 湯 ・ 議 ・ 舞 ・ 披 ・ 太 鞍

・ 笛

・ 琵 琶 ・ 琴 杯

︑ 稽 古 之 儀 者

︑ 家 業 有 余 力 者 ︑ 折 々

心掛︑可相噂︑或︑碁・特某・双六・小唄二二弦︑長酒宴

遊興︑或︑不応分限︑餅衣服家宅︑泉水・築山・樹木・草

花之楽而巳︑費金銭事︑無益之至︑衰微破滅之基欺︵略︶

ここでは各種の娯楽や遊興が列記され︑それらに対する

商人としての心得が説かれているわけだが︑まず︑元禄〜

享保期の少なくとも上方諸都市においては︑これだけの娯

楽・遊興の類が商人達が比較的容易に手を出しうる一般的

なものとしてすでに存在していた点が興味深い︒そうであ ればこそ︑商人子弟の教科書としての﹃商売往来﹄におい て︑その心得が説かれたのであろう︒

この心得の中身も面白い︒右の引用文からわかるように︑

歌・連歌・俳詳・立花・蹴鞠・茶湯・謡・舞・鞍・太鼓・

笛・琵琶・琴については稽古ごとであり︑家業の余力のあ

る者は心掛け噂むことが容認され︑むしろ奨励されている

かの印象をうける︒それに対して︑碁・将秦・双六・小唄・

三弦︵三味線のこと︶︑酒宴遊興に長ずること︑分限にわ

きまえず衣服や家宅をかざること︑泉水・築山・樹木・草

花に金銭を費やすことは︑無益の至りであり︑家業の衰微

破滅の基とまで言っているのである︒この落差はどういう

ことであろうか︒前者の稽古ごとは社交上あるいは商売上

必要ないわば当時の商人としての教養の一部︵としての芸

事︶であり︑後者の類は単なる娯楽・遊興という認識なの

かとも思われるが︑よくわからない︒後者についても︑長

ずることや分限をわきまえないという点が問題にされてい

るとも理解され︑そうであるとすれば︑決して全面的な禁

(8)

止というわけでもなさそうである︒

いずれにしろ︑この時期の商人達は︑その子弟教育にお

いて心得を説かねばならぬ程度に深く各種の芸能・娯楽に

かかわりをもっていたとみられるのであり︑この点は︑お

そらくはこの時期の文化の内容やその担い手を考える上で

も重要な事柄であると思われる︒元禄文化と総称されるこ

の時期の文化が︑大坂を中心とした上方諸都市からおこり︑

町人文化としての特色をもっていたことは︑よく知られる

通りだからである︒右の娯楽・遊興の中に﹁俳話﹂がすで

に登場しており︑しかも﹁稽古﹂ごととして位置づけられ

ている点は︑とりわけ興味深い︒

以上︑元禄〜享保期の近世社会と﹃商売往来﹄という視

点から︑三つの指摘を試みた︒しかし︑﹃商売往来﹄とい

う書物から近世社会を考える時︑さらに興味深いのは︑そ

の後の動向なのである︒小稿でも度々引用している梅村氏 や石川氏などの近世教育史研究によれば︑この﹃商売往来﹄ が元禄〜享保期以降幕末期に至るまで様々のバリエーショ ンを生み出しながら︵石川氏の研究によれば︑本文内容を 継承しっつ︑編集方法等から五系統に分化・展開するとい う︶大量に刊行・流布され続けたこと︑しかも︑都市部の みならず︑農村部︵山漁村を含む︶における寺子屋などで の学習教科書として広く使用されるようになったことが︑ その主たる理由であることが明らかにされているのである︒一 つまり︑本来商家の子弟教育用に編集された﹃商売往来﹄ 161 は︑近世中期以降都市に限定されず︑広く全国各地の村々 ︼ において農民の子供達の初止少的な学習テキストとなっていっ た

の で

あ る

教育史研究が明らかにしている右の事実は︑近世社会経

済史研究の立場からみても︑きわめて重要な事柄であると

いってよい︒何故ならば︑右の事実は︑近世中期以降の農

民的商品経済の発展という戦後の近世社会経済史研究が追

究してきた主要テーマのひとつを︑全く別の角度から︵社

(9)

会経済史研究の分析手法や発想からいえば全く予想してい

なかったと言ってもよい角度から︶︑きわめて明快に証明

しているからである︒

﹃商売往来﹄の農村部の寺子屋への普及︑農民子弟の学

習教科書としての一般化という事実は︑農民的商品経済の

発展をおそらくは二通りの意味・側面において証明してい

る︒まずひとつ目の側面は農民的商品生産にかかわる側面

である︒﹃商売往来﹄の中心は各種の商品名称であり︑そ

の中にはすでに第二の指摘点として明らかにしたように元

禄〜享保期の畿内農村を中心にみられた商業的農業の発展

を示す農作物やその加工品の名称が含まれていた︒近世中

期以降の全国各地の農村部への本書の普及は︑まさにこう

した商業的農業の地域的拡大︵全国化︶という動向と軌を

一にするものといえよう︒各種の商品名称や商業取引・商

人心得といった本書の全般的内容からいえば︑農業の商業

化という右の動向をさらにこえて︑むしろ近世中期以降次

第に活発化する農民の商人化︵在方商人の台頭︶という事 態と対応しているということもできるように思われる︒

ふたつ目の側面は︑こうしたいわば生産・生業の対極に

ある日常的な生活・消費活動の側面である︒すでに第一点

として指摘したように︑﹃商売往来﹄に掲載された多彩な

商品は否移品であれ日常生活必需品であれ元禄〜享保期の

都市生活者にとっての必要物資によって基本的に構成され

ていた︒とすれば︑こうした﹃商売往来﹄が農村部へ普及

していくという事実は︑元禄〜享保期には都市生活者のも

のであった消費生活の内容なり水準なりが︑全体としてい

えば︑次第に全国各地の農村部に浸透していったことを示

しているといえよう︒勿論︑地域差や農村内部の階層性と

いう問題はあるのだが︑全般的な傾向からいえば︑右の動

向はまず間違いなく︑それは前述の農民的商品生産の発展

とも関連して農民の生活水準の一般的向上によって基礎づ

けられていたものとみなければなるまい︒本書に記載され

たすべての商品が近世中期以降の農村において恒常的に購

入されたわけではない︒しかし︑この時期の近世農民は明

(10)

らかに近世前期の自給的生活の域を脱し︑衣食住にかかわ

る日常的な生活物資・用具を中心に︵そしておそらくは絹

布の類等一部の奮移品を含めた形で︶商品購入者としても

立ち現れていたのである︒

そして︑以上述べたような生産と消費という二つの側面

における近世農村・農民の商品経済化︑農民的商品経済の

発展と﹃商売往来﹄との関連に着目するとき︑すでに第三

点として指摘した娯楽・遊興とその心得についても︑同様

の指摘ができそうである︒つまり元禄〜享保期の都市文化

︵とくに上方諸都市の文化︶ の近世中期以降における各地

への波及︑当面各地農村への普及という問題である︒都市

的な消費生活の普及という問題と同様︑地域差や階層差は

当然あるものの︑﹃商売往来﹄の農村部への大量の流布は︑や

はり右の動向とも対応していたものと思われる︒よく知られ

るように天保改革では全国の幕領農村を対象に華美な衣服や

都市的な風俗と並んで各種の遊芸の流行が質素倹約令の取り

締まりの対象とされているのだが︑こうした事態は︑明らか に右に述べた動向を前提としていたとみられるからである︒

以上︑生産・生業と生活・消費という二つの側面から農

民的商品経済の発展と﹃商売往来﹄の関係を考えたわけだ

が︑その際改めて確認しておきたいのは︑こうした﹃商売

往来﹄が全国各地の村々の寺子屋において子供達の初歩的

な教科書として多用されたという事実である︒何故ならば

この事実は︑﹃商売往来﹄が当時の農村社会にあっては世

代を越えて伝達・継承されるべき書物であり︑本書の内容

は農業生産や生業あるいは日常的な生活を営む上で︑つま

りは当時の農村生活を生きていく上で必要不可欠の知識や

心得の一部をなしていたと考えられるからである︒﹃商売

往来﹄の普及は従来の社会経済史研究が主として生産︵力︶

や社会構成の観点から追究してきた近世中期以降における

農民的商品経済発展という問題を︑庶民教育という従来と

は全く異なった視点から︑いいかえれば知識や情報の世代

を越えた継承・伝達という新しい視点から︑鮮やかに証明

163

しているのである︒

︵奈良教育大学教育学部︶

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