一 は じ め 紅
現代の会計監査は一方では会計士監査として社会的に重要視され︑他方では内部監査として経営管理の重要な手
段として認識されるにいたっている︒その発展過程にみられるように︑時代によって︑国によって︑更には業種お
よび企業によって︑その形態および内容が相当に相違している︒われ′〜はいままでにも会計監査の歴史紅関心を
︵1︶ もち︑その発展を論じ︑いくつかの論文を発表してきた︒
その場合に各時代に現われた会計監査の特徴的な要素を︑その基盤となった社会経済的︑あるいは企業の要請と
結びつけて論証しょうと努力してきた︒
しかしこのような研究方法には一つの疑点がある︒多くのそれ︸川′\特徴を異にする会討監査によって発展が論証
されるため紅はその前提としてそれらが本質において連続的であることが必要である︒たゞ単に公共会計士によっ
て行なわれる会計監査業務に含まれているとか︑あるいは監査という名前でよはれているというだけで︑それらに
ついて発展を論じるのは不用意であることを反省しなければならない︒しかし現在まで監査の本質紅ついての論義
ほ不十分であり︑その実践的性格から監査人の責任︑監査基準あるいほ監査手続などに議論が集中していた︒その
ため会計監査の本質論に関する文献が少ないので︑本稿は不十分な血つの試論の展開につきるものである︒ 第三十五巻第山号
会計監査の職能に関する一試論
森 ︵四︶ 四
実
T︶ 会計監査の歴史の研究として︑主として英米を対象としてとりあげてきたが︑これまで紅発表したものは次の虻おりであ
る︒
﹁米国における生成期の監査報告書紅ついで﹂香川大学経済論義 昭和三十四年七月︒﹁英国における監査役の独立性と限
定監査報告書﹂香川大学経済論叢 昭和三十四年十二月︒﹁英国における限定監査報告書の背衷﹂会計 昭和三十四年十二
月︒﹁米国における監査報告書の発展仙﹂香川大学経済論叢 昭和三十五年七月︒﹁米国における監査報告書の発展脚﹂
香川大学経済論叢 昭和三十六年一月︒
こ 会計監査の職能論的理解
会計監査の必要性は本来会計が世紅現われたその暗から存在していたはずであり︑それが社会経済︑企業経営お
よび会計の発展に伴なっで一つの職能をもつものとして認識されるまでに展開されてきたのである︒その結果とし
て︑時代によって︑各国によって︑業種濫よって︑又企其のそれぐによって会計監査は種々鱒異なか形態および
内容を与えられて今日にいたっている︒例えば公共会封士紅よる職共的監査についても︑経営者のための従業員の
不正および誤謬の摘発の監査︑銀行およぴその他の金融機関の信用調査に関連した貸借対照表監査︑証券投資家保
護のための財務諸表監査︑さらには会社の設立︑合併あるいは清算などの場合の監査のように目的︑形態および内
容を異にしている︒また近年において急速に発展した内部監査についても︑その初期のものの内容と最近の発展し
たものの内容との間紅は相当の差異がみられる︒このように会計監査あるいは監査として行なわれ︑あるいはその
よう紅称せられるものの目的︑形態および内容はそれ′\相当の差異をもつのは事実であるが︑それらをすべて会
計監査あるいは監査として総括的に理解し︑あるいはその発展を論じる以上は︑そこ紅それら全てを統仙すること
︵五︶ 五 会計監査の職能に関する山試論
第三十五巻 第仙骨 ∴六︶ 六
のできる要素の存在を前提としなけれはならない︒そしてこの要素こそが会計監査の本質として認識されねばなら
ない︒
大泉博士は経済生活の本質の把握紅関して次のように説かれている︒﹁諸条件の変化ととも紅変化してゆくもの
は現象形態であるが︑か1る変化のうち紅依然として存在して・そのものの性格の貰性と連続性を維持している要
︵1︶
素こそ︑ここに本質として理解さるべきものなのである︒﹂会計監査紅おいても同じよう紅︑現実紅存在し︑また存在してきた多くのもののうちに︑会計監査として性格の貰性と連続性を維持する要素が見い出されねばならな
いことはいうまでもない︒このような要素が必要な理由として︑大泉博士は﹁共通の不易なるものによって統一さ
れていなければならない︒そうでない限り︑発達ということは本来いい得ぬからである︒けだし発達又は発展と
は︑同質なるものの成長においてのみ可能なことであり︑同時に又︑二つのものが比較せられ得るためにほ共通の
︵2︶ ものへの還元が可能であることを前提とする﹂と説かれる︒またもう一つの本質の意義として重要なことほ︑﹁そ
︵8︶ の要素が存在しなければ︑そのものが成立し得ない場合において︑これを名づける﹂ことである︒このような本質
の考え方はその計1会計監査に利用できるであろう︒
大泉博士は本質をこのように定義され︑さらにその本質の把握方法としての職能論を次のように展開されてい
る︒﹁生活事象ならび配その綜合現象紅ついて︑本質はいかにして把握され得るか︒既にわれゎれほ生活の存立が
意味的なものとして可能なるぺきことを究明し︑か1る意味の具体的且つ一般的なる把握は︑これを経験的には一
定生活領域の全体関連紅おいてのみ可能なるペきことを指摘してきた︒およそ生活事象ほ何等かの意味の表現でな
ければならぬ︒従てて生活の本質をなすものは︑究極においてか1る意味自体にあるとみられる︒し・かも生活の意
味が単紅生活主体の純粋なる観念としてとどまり得ずして︑実践として表現せられる時にのみ︑現実に生活を構成
するものである以上︑か1る意味は生活者の活動のうちに捉えられねばならぬのである︒換言すれば︑生活者の生
活の意味は︑その生活者が如何なる活動を実践するか︑すなわち彼が如何なる﹃はたらき﹄を表現するかに存する︒
このような﹃はたらき﹄は︑これをその特定生活領域の全体的関連においてのみ理解し得るものである︒われわれ ︵4︶
ほ︑このようなm︒はたらき﹄を職能と名づける︒﹂
﹁職能の意義は二つの点において特質を有する︒その山は・それが活動体の活動でなければならぬことであり︑そ
の二はその活動が︑それを包括する全体関連の上において︑一定の位置を保持することによって全体の上からの意
味をあたえられることである︒換言すれば︑職能といわれるがためには︑単独なる活動又ほ作用ではなく︑それが
全体の上において∵足の位置を占め︑そこにおいて全体との閑適の下に一定の機能を担当する関係が存在せねばな
︵5︶ らぬ︑︒﹂
ここでは経済生活の本質の職能論的把撮についての大泉博士の所説を紹介したのであるが︑もちろん経済生活と
会計監査とが全く同じ性質の活動であると主張するもの.ではないが︑その本質把握の方法の会計監査についての適
用を試みてみたい︒会計監査として行なわれる実践活動は何らかの意味を有するものであり︑監査人とよばれる監
査の主体の活動は一定の社会経済領域において何らかの﹁はたらき﹂を行なっている︒この﹁はたらき﹂を会計監
査の本質として把握するために︑監査主体の実践活動が関係する仙定社会経済の領域においてその全体関連的な意
味を理解しなければならない︒
会計監査の主体の実践活動の意味は︑その活動が何故に行なわれるかという︑会計監査の必要性の考察にその手
掛りを求めることができるであろう︒そこで次に会討監査の必要性についてのマクツの所説をとりあげる︒マタツ
は会計は企兼経営について有用な情報を蒐集し︑かつ提供するための手段であるが︑他方では会計資料および報告
︵七︶ 七 会計監査の職能に関する
︵八︶ 八 儲三十五巻 軍山号
紅は種々の原因から間違が生じることがあり︑それに対し会計資料および報告に依存している人々ほ通常それらの
︵8︶ 信頼性を確める方法をもっていないという所に︑会計監査の必要な理由を求めている︒
すなわち第山紅多くの人々が企業経営に関する情報をうるために会計に依存し七いる︒経営者は事業の拡張ある
いは縮小︑賞与の額︑配当の大きさ︑その他多くの日常の経営上の問題について判断する場合︑会計による情報に
大きく影響される︒銀行およぴその他の金融機関が資金を貸し付けたり︑あるいは貸し付けの期間を延長するかど
うかの判定を下す場合にも︑まず最初に相手会社の財務諸表を検討してから決定しなければならない︒株主および
その他の投資家が︑個別的紅︑あるいは投資機関を通じて投資する場合でも︑営業利益および財政状態についての
報告書がその決定を左右する大きな要因である︒また信用取引が全取引の大部分を占めるような経済ではある種の
会計報告書が取引の基礎として非常に重要紅なっている︒
その反面において会計資料は多くの誤謬の可能性を含んでいる︒日常の多くの取引が蒐儀され︑分類され︑そし
て要約される紅いたるまで紅は︑非常に多数の人々の手を経なければならない︒現代では事務機枕が相当に使用▼さ
れるようになったとはいえ︑一年間の間陀ほ︑あるいは一ケ月の間紅は相当多くの虚偽︑不正︑誤謬および脱漏が
生じるし︑またある種の会計資料は経営者の支配の下で作成されるので︑故意に会計資料が歪められることがあ
る︒このような不正は企業紅損害を与えて︑一個人が利得しようとするものである︒
ここでマクツは不正および誤謬の発生する理由について次のものをあげている︒第⊥は会封担当の従業員が仰般
に認められた会計原則︑および健全な会計実務について十分な知識をもち合わせていないことであり︑第二ほ会計
業務を行なう際に生じる不注意であり︑第三は多くの取引の解釈︑あるいは財務諸表の表示に対して経営者が自己
の意見を反映させようとする傾向であり︑第四は不正あるいほ失敗をかくそうとするくわだてであり︑欝五は所得
税を最少限度におさえようという欲望である︒
このように会計置は山方では種々の原因のために間違が生じる可能性があり︑そして他方にはその会計に企業
の利害関係者が種々の意志決定のために依存しなゆればならないというジレシマがある︒マクツはこれを解決する
ために会計担当者によって作成され七会計資料および報告書が独立の人によって監査され︑かつ信頼できるものと
して判定されることが必要であるとしている︒
このようなマクツの会計監査の必要性に関する所論から︑監査主体の実践活動︑すなわち会計監査の職能が有意
味のものとして理解される契機に二つのものが考えられる︒常山にマクツは会計資料に聞達の生じる可能性のある
ことを指摘しているが︑会計業務自体に会計監査との結合を必要とする契機が見られる︒そこで会計業務との関連
にお心て会計監査の職能の意味が理解される︒準正マクツほ企業の多くの利害関係者がその意志決定の際に会計
資料に依存することを指摘しているが︑そこ軋会計党務の担当する人々と会計資料に依存する人々とが形成する社
会関係との関連貯おい七︑会計監査の職能の一つの意味が理解される一っの契械があることが示される︒会計監査
に関するこの二つの契機は︑現実には相互紅からみ合っているが︑本質把握の方法として便宜的に二つに分けて論
じよう︒
︵1︶
︵2︶
︵3︶
︵4︶
︵5︶
会計監査の職能に関する血試論 大泉行雄著﹁経済生活の本質﹂ 山七七頁︒ 前掲蕃仙七七頁−血七八頁︒ 前抱蜃三七八貢︒ 前掲章二七九−一八〇貢︒ 前掲省一八〇貫︒
︵九︶ 九
︵6︶ R・戸 Maま♪ Fundamenta−s Of A已iting﹀ pp.か〜㌣
三 会計と監査との関連
まず会計監査の意味は全体としての会計業務との関連において見い出される︒それは会計業務だけでほそれが意
図する目的を完全に達成することができないからである︒すなわらマクツが指摘したように︑会計業務の過程にほ
不正あるいは謬誤が発生する可能性が含まれているので︑会計監査はこのような不正あるいは誤謬を摘発し︑予防
しさらには訂正を助言して︑会計業務がその職能とするものを正確かつ完全に遂行するように確保することをその
目的としなければならない︒
通常は会計と監査とをとりあげるときは︑このような関連関係に重点をおかないで︑主として会計業務と監査業
務との差異が問題にされている︒例えばマクツは会計業務とはその観点および接近方法において次のような差異が
︵1︶ あるとのぺている︒すなわら会計兼務の過程では会社の会計年度中の多くの営業取引を取り扱い︑解釈し︑要約
し︑そして綜合して営巣の成果を損益として表現し︑叉財政状態を説明する財務諸表を作成する︒換言すれば︑会
計業務は原始記録を取り扱ってそこから有用な財務諸表を作成しようとする︒従って会計業務は観点において建設
的であり︑会計業務の接近方法は原始記録より財務諸表への方向において行なわれる活動である︒
これに対して監査兼務は基本的に分析的である︒・監査人が仕事をはじめる時には︑会計兼務特大部分が完了して
いる︒そしてこれらの既に行なわれた会計業務が妥当なものであるか否かの検討が監査業務である︒それ故に監査
兼務は財務諸表から原始記録へと︑会計業務とは逆の方向に向って行なわれ右︒
このような会計業務と監査業務との差異の強調は誤解を生じるおそれがある︒すなわら会計業務と監査業務とは
全く別個に存立しうるものであり︑相互に関連のない別個の意義をもつものであるように思われるかもしなれな 第三十五巻 第一号 ︵仙○︶ 鵬○
い︒換言すれば会計兼務のみで完全な職能を達成できるものと考えたり︑あるいは監査兼務だけで独立した意義を
もつものと考えられるかもしれない︒しかし会計業務と監査兼務とが全く別個に存在して意義のあるもので▼はな
い︒例えばいくら会計担当者が上手に会計報告酋を作成したとしても︑それが独立の第三者によって監査されなけ
れば︑利害関係者にとっては利用価値の小さいものとなり︑会計報告書の意図する職能は完全に達成されない︒ま
た監査人がどれはど精細かつ完全な監査を行なったとしても︑またどれはど詳細な監査報告書を作成したとして
も︑それが会計業務および会計報告書と切りはなされ\て意義をもつものではない︒会計兼務と監査業務とが密接に
縫合されてこそ︑両者の職能が完全かつ意義のあるものとなる︒従って両者の形式的かつ技術的な差異紅目を奪わ
れて︑両者の密接な連関関係を見失ってはならない︒
この会計職能と監査職能との連関関係をよりす1んで考察するために︑さらにもう一つの見解を利用して議論を
すすめて行きたい︒すなわち監査の職能は会計の職能の一部分を構成するものと解する意見である︒もちろんこの
場合の会計の職能ほマクツのいうような原始記録から財務諸表の作成までが含まれる狭義の会計職能をさすもので
㌧はなく︑より広い内容の職能を含む会計職能を意味するものである︒例えばス︑︑\ス・オジそハーンは会計を構成す
︵2︶ る職能および方式に重点をおくときは︑会計ほ四つの部分紅分けられるという︒
第一は建設的職能の部分である︒これは必要な情報を提供し︑かつ不正および誤謬の防止のためにより能率的に
楓能する記帳および会計組織を立案し︑あるいは改善する業務である︒この兼務を行うため紅は企業内部の経営手
続および管理方式についての知識はもちろん︑事務機械とか設備などについての知識が必要であ冴︒
第二は記録的職能の部分である︒これは多くの営米取引を伝罫︑仕訳帳および元帳などに記録する業務である︒
これほ日常の常規的会計業務であり︑通常の記帳および事務的職能である︒大規模な会計組織ではその約七十五パ
︵︶ 会計監査の職能に関する劇試論
ーセントがこの種の業務に属する︒
第三ほ解釈的職能の部分である︒これは経営者およびそ
あるいは計算書を作成し︑あるいはそれらに閲し解説を行なう業務である︒報告書は定期的に作成される場合もあ
り︑あるいは特別の要求に応じて分析を行ない︑あるいは報告番を作成する場合もある︒
第四は監査職能の部分セある︒これは多くの記録およびそれに基づいて作成された会討報告書の正確性および
轟実性の検討を行なう業務である︒これらの監査職能ほ会社内部の内部監査人と外部の公共会計士との両者匿よっ
て行なわれる︒小規模の会社では経営者︑会社の役員︑あるいは外部の独立公共会計士の補助をうけた鑑査委員会
などが監査職能を担当する︒
このようにス︑︑︑ス・オジモハーンは監査職能を広義の会計職能という綜合的かつ完全な職能を構成する細分的職
能と解している︒通常の論者ほ会計の職能を狭く解して︑ス︑\\ス・オシそハーンのいう第二の記録および記帳業務
と第三の分析および諸々の会計報告書の作成業務に限定し︑第仙の組織立案お.よび改善の業務と第四の監査業務と
を含めないでその職能を論じるのが常である︒しかし会計職能がそれ自体としてまとまった綜合的︑かつ完全な職
能を達成するためには︑第二および第三の職能・トそれらを総括して執行的会計職能ということができるー1卜だけ
では十分ではない︒それら執行的会計職能のための組織を立案する会計組織立案の業務︑および既紅設定され︑か
っ運用されている会計組織をより合理的︑かつ能率的なものに改善する会計親織改善の業務︑換言すれば会討の計
画的職能が必要である︒さらにまた会計の執行的職能はそれ自体によって妥当性みるいは真実性を保証することが
できないので︑行なわれた執行的会計職能の妥当性および真実性が検証されること紅よって︑すなわち監査職能に
ょ一って執行的職能の信瀬性が与えられる︒このように会計の四つの職務が合理的に綜合されることによって︑会計 第三十五巻第⊥骨 ︵二こ 一二
の職能が完全に達成される︒
スミス・オンミハーンのぃうよう年会計の建設的職能︑すなわち会計粗放の立案および改善などの業務が広義の
会計職能の一部分を構成するとするのは正しい︒しかし会計の建設的職能 − これをわれ′1は計画的会計職能と
名づける ⁝ の内容については問題がのこされている︒そこではじめ紅会計組織の内容に簡単ぬふれねばならな
小︒イーストン・ニュートンは会計組織は経営者︑出資者︑債権者︑税務当局およぴその他のもののために︑会計
資料を計算し︑畠録し︑かつ要約して会計報告書を作成するための職員︑手続︑番式および設備などによって構成さ
︵3︶ れると説いている︒会計組織はまず欝ふに会計業務の執行に必要な判断および決定を行なうことのできるように訓
練された職員をもたなければならない︒次に必要な会計業務が迅速かつ完全に執行されることを確保するためにい
ろ〜1の手続が必要である︒第三に会計業務の執行の重要な手段である︑会計資料の原始的記録のための書式とこ
れら併発料を最終的に要約するための様式とが必要である︒最後に常規的な記録およびいろ/\な計算書の作成の
ような業務の能率化および合理化として行なわれる事務の機械化のために︑記帳機械とか資料の整理機械が必要で
ある︒簿記組織はこの会計組織の一部分であり︑記録業務を取り扱う会計組織の部分をさすものである︒
イーストン・ニュートンがこ1紅のぺたような会計組織の立案および改善の業務が︑計画的会計職能に含まれ
ることはうたがいのないことである︒すなわち会計記録︑記帳︑それらの資料による分析およびいろくーな報告書
の作成︑およびその他の執行的会計職能が︑その目的を正確に︑合理的に︑かつ能率的に執行すること庵確保する
ために︑執行的会計職能のため紅目的に向ってレールを敷く必要がある︒従って執行的会計職能は必らずその前段
階として会計如拙に関する職能を予定しなければならない︒
抽象理論的に考えればこのような粗放的職能は執行的会計職能が行なわれる毎に︑その前段階として行なわれね
会計監査の職能に関する血試論 ︵山三︶ 一三
第三十五巻 第仙骨 ︵血四︶ 血四
ばならないりそれは人間の意識的かつ合理的活動は必らず︑考え︑︑かつ実施するという二段階を経なければならな
いからである︒しかし企業が継続萬に存続する以上︑その経営活動は︑循環的︑かつ反穫的になる︒その結果とし
て執行的会計職能も反覆的になり︑従ってまた常規化される部分も大きくなるので︑毎回同じ内容の組織的職能が
くりかえして行なわれると考えるのは実際的でない︒既に設定された会計組織が合理的なものであれば︑それは毎
回無条件で受け入れられて︑そこ.で行なわれるぺき組織的会計業務は省略される︒その限りにおいてはその会計組
織は固定化し︑判断を要しないものとなる︒そこで現実に会計組織に関して判断が必要な職能とほ何かといえば︑
会社の.事情変化があったという臨時の会計組織の変更についての業務と︑既存の会計組織を常により合理的かつ能
率的なものに改良しようという業務とが考えられる︒そこで会計組織ほ実際の執行的会計職能の実施を経ることに
ょって︑常にあらたなる立案あるいは改善の契機が与えられ︑より合理的かつ能率的なものに制度化されて行くと
考えられる︒
会計組織に関する職能を理解するとき︑われ′1の計画的会計職能をイーストンのいう建設的職能の内容に限
定するならば︑計画的会計職能の内容ほあまりに狭きに失する︒計画的会計職能のより重要な問題として︑会討の
目標︑換言すれば執行的会計職能が実施される目的の決定︑この会計の目的より座じて執行的会計職能の実施を指
導する基本的会計方針の設定︑換言すればいろ〜1な取引の会計処理︑財務諸表あるいは計算書の様式などのよう
な︑重要な会計問題についての判断を指導し︑あるいは意志決定の基準とされるべき会計方針あるいは原則を決定
する職能があげられねばならない︒
会計活動ほなんらの目的をもたない無意識的活動ではなく︑ある日的をもって意識的に行なゎれる活動であ
またその目的は自然発生的︑あるいは本能的なものとは異なり︑だれかによって与えられねばならないものであ
る︒そのような会計の目的を合理的に達成するために︑あらゆる会計問題に関する意志決定はその会計目的から生
じる方針によって規制されなければならない︒この会計に関する意志決定を指導する方針については︑その会計の
目的が社会的なものであった場合には社会的な会計基準が形成されてくるであろうし︑全く企業の内部の問題に
か1わるものであるときにほ私的な会計基準が形成されてくるであろう︒これら会計に関する忠志決定の基準は会
討職能が反穫的に実施される性質のも訂であるので︑漸次明確になるにつれて成文化されるのが通常である︒例え
ば山般に認められた会計原則はそれであり︑これがまた個々の会社において具体的に適用されたとき︑個々の会社の
経理規程として詳細に規定される︒仙般に認められた会計原則は非常に巾の広いものであり︑会社の特殊事情への
適用の過程でいろ′1な判断が可能であるので︑会社のいろ′1な計算制度に関する経理規程は︑個々の会社の具
体的事情に基づいて会計原則を適用する場合の意志決定を含んでいる︒しかしなお計画的会計職能としては現実の
具体附事情に対応して︑会計に関する意志決定が必要な多くの重要な会計問題がのこされている︒
このような計画的会計職能は当然に次の段階として︑計画された会計業務を実行に移す執行的会計職能を予期す
るが︑計画的会計職能と執行的会計職能とが密接な関連をもって行なわれ︑結果として両者が一致することが必要
である︒すなわち執行的会計職能は計画的会計職能転よって決められた目的および方針に忠実に従って︑会計業務
を実行しなければならないが︑いろくな原因のために会計に間違の生じるおそれがある︒これは計画的会計職能
と執行的会計職能との・不一致である︒このような計画的会計職能と執行的会計職能との関連紅おいて統制的会計職
能があらわれる契機がある︒統制的会計職能ほ計画的会計職能と執行的会計職能との一致を指導することによっ
て︑全体としての会計職能が完全に機儲することを目的とするも
能性紅監査の必要性を主張しているが︑これは会計職能が計画的会計職能と執行的会計職能との二つの職能を経過
︵山五︶ 山五 会計監査の職能に関する山試論
第三十事巻 借竺骨 ︵二ハ︶ 二ハ
して行な・われねばならないという点に︑統制的会計職能の意味が見いだされる契機があるといわねばならない︒
これまで統制的会計職能の意義を抽象的に会計の職能の問の関連において考察したのであるが︑さらにす⊥んで
より根本的な突放としてそれらの職能を具体的に担当する人々の関係紅おいて見いだされねばならない︒
それは会計兼務を担当する人々と会計資料に依存する人々とが形成する社会関係における監査職能の意義であ
る︒それはまた会計職能における委譲の防題として考察することができる︒
︵1︶ R・K● MautN︶Op● CitJ pp●N〜㌣
︵2︶ C・A・SmithandJ・G・As写実ne■Financia−a已Administrati諾AccO仁nting︸pp.可〜00
︵3︶ E・E・EastOnand B・L・NewtOn.AccOunting and the Ana−ysis Of空nancia−Data.pJN.
四 監 査 職 能
計画的会計職能および執行的会計職能との関連において見いだされた統制的会計職能を︑監査職能とよぶことは
できない︒統制的会計職能と監査職能とほ類似の概念のように見えるが︑両者を区別しなければ︑監査職能の範囲
︵1︶ をあまりに拡大することになるからである︒それほぺルべ・ヒートンの説くように︑会計業務における自己統制も
監査とよぶことになり︑また会計業務に対する直接的監督も監査に含ませることになる︒しかしわれ/\としてほ
このような監査概念の拡大に賛意を表明することはできない︒われ/〜としては統制的会計職能と監査職能とは別
の次元で考えられるべきであると思う︒そこで次に︑計画的会計職能︑執行的会計職能および統制的会計職能によ
って構成される会計職能の分担︑換言すれば会計職能の委譲を考察する︒ \
会計職能の担当に関するもっとも単純な極限の状態を想定すれは︑それは会計に関する全ての職能をたい二人の
主体が担当する場合である︒すなわち計画的会計職能としての会計の目的︑基本的方針および重要な会計問題に関す
る意志決定などの業務︑執行的会計職能としての会計の目的︑カ針および意志決定に基づく会計記録︑会計処理︑
財務諸表あるいは諸計算書の作成およびいろ︸′\な分析などの業務︑ぎらに執行的会計職能が討画的会計職能と一
致しているか否かを検討し︑かつ一致さすぺく執行的会計職能を指導する統制的会計職能をもただ一人が行なう︒
その場合の統制は自己統制であり︑統制としてはもっとも効果的に機能するであろう︒そこには監査職能があらわ
れる契機を見いだすことができない︒しかし企業の規模が拡大され︑かつ企業活動が複雑になるに従って︑企業内
の多くの種々な職能が多数の人々に分担され︑人々の協漂組織によって職能が達成されるようになるが︑その職能
の一つとしでの会計職能も同じよう紅多数の人々の協業組織に依存せざるをえない︒
会計職能の分担は会計職能の委講という形によって行なわれる︒会計職能の委譲は他の経営職能が委話される場
合と同じように︑三つの職能のうちでまず執行的職能の部分がより大きな割合で委譲され︑計画的職能および統制的
︵2︶ 職能の部分はより大きな割合で委譲者に留保される︒このような職能の委譲の過程が累積されることによって︑会
計職能を分担する人々が形成する協業組織の階層ほ次第に大きく成長していかなければならない︒その結果として
最初の委譲者と最終の被委講者とは長い組織階層にへだてられ︑両者の間には長い距離が横たわることになる︒そ
のことを会計職能の内容について見ると︑計画的会計職能および統制的会計職能を担当するものと執行的会計職能
を担当するものとの距離の拡大として考えられる︒そこで当然に会計職能の協業組織では︑その組織のより上層で
行なわれる計画的会計職能とより下層で行なわれる執行的会計職能との間に不一致が生じる可能性が大きくなる︒
とこに組織の成長とともに統制的会計職能が重要になることが理解される︒
しかしここで痙意すべきはこのような統制的職能と職能の委譲に伴なって生じる監督的職能と混同してはならな
会計監査の職能に関する仙試論 ︵丁七︶ 副七
第三十五巻 第仙骨 ︵劇八︶ 一八
いということである︒統制的職能は討画的職能および執行的職能とともに︑一つの合理的活動の循還的過程を構成
するものであって︑監督的職能とは別の次元で考えられるぺきものである︒監督的職能とは︑ある目的を達成する
協業組織において︑ある職能を部下に委譲したものが︑部下が委讃されたその職能を完全に達成することを監督す
る職能であり︑委譲される職能紅は計画的職能︑執行的職能および統制的職能のいずれかが含まれるので︑監督職
能ほそれらの委試された職能に対するものである︒しかしまえ紅ものべたよう紀要試される職能は主として執行的
職能であるので︑一般に監督的職能が統制的職能に類似した性質をもつことはいうまでもない︒
監督的職能は職能の委譲の行なわれる階層毎に行なわれて︑職能の完全な達成を確保しようとするが︑職能の委
譲による粗放階層の成長はそれを困難なもの紅する℃すなわち会計職能についてみれば︑組織の上層にあるものほ
会計の菜際の問題あるいは技術的問題についての知識が乏しく︑有効な統制をなすことができなくなり︑観抽のよ
り下層にあるものはど会討の目的︑方針および重要な決定を理解しなくなり︑あるいほそれらが徹底しなくなるか
らである︒その結果として計画的会計職能と執行的職能とが不馴致となり︑統制的会討職能が不十分となる︒それ
は会計ゐ記録あるいほ種々な会計報告書を必要とする人々がその信顧性をたしかめる手段を必要とする契機を意味
する︒
ここ紅会計隊能の協業雑織において︑各階層の監督職能のはたらきの限界を補い︑計画的会計職能︑執行的会計
職能應よび瀧制的会計機能の三つが.円滑に循環過程を構成して︑完全に会計職能を遂行することを援助するものと
して監査職能が透らわれる︒この監査職能は監督職能というライン職能より派生したスタッフ職能として理解され
︵8︶ なければならない︒組織論では基本的職能をラインとし︑そこから派生した庵のをスタッフとし︑その性格につき
ラインは職能の直接的実行であり︑スタッフはライン職能の促進であることが明らか軋され︑さらにラインほ決
︵一︶ 定︑命令︑権限の系外組織であるが︑スタッフはこのような決定︑命令︑権限の系列に屈しないとされている︒監
査職能がこのようなスタッフに属することの理解はその職能の性格の把握にとって重要であるや
監査職能のスタッフ的性格は内部監査についてほ二般に明確である︒例えばプり/ンクは次のよう紅いっでいる︒
﹁内部監査部門が会計部門あるいは営業部門の管理下にあるときは︑十分な厳格さでその部門を批判する紅必要な
独立性をもつことはできない︒しかしこのことは内部監査部門がこれらの部門に対する権限をもつ七とを要求しな
︵5︶
い︒﹂これは内部監査部門が会社の内部組織でスタッフ的性格をもつことを示すものである︒しかし外部監査については監査職能のスタッフ的性格についてあまり論じられていない︒外部監査も内部監査も
監査職能として同じ本質をもっており︑その本質の一部としてのスタッフ的性格から外部監査に関する種々の問題
を解明しなければならない︒例えば財務諸表監査を行なう公計会計士としての監査人が︑会社の会計の記録あるいは
財務諸表の作成の貴任をもつむのではなく︑また会社にそれらの会計記録あるいは財務諸表についての訂正を強制
する権限をもたず︑単にそれら軋ついての助言あるいは勧告を行なうことができるにすぎないといわれることは︑
監査職能のスタッフ的性格に起因することが理解されなければならない︒しかし外部監査では内部監査のように︑
会計職能の委譲系列︑従って会計職能に関する最終権限者︑被委譲者︑監査人などの間の関係が明確でないので︑
ラインとスタッフとの関係を示す組繊図凌具体的に描くことは困難である︒
このような組織図が現実的に設定されていなくとも︑会社の内部組織をこえて行なわれるかもしれない会計職能
の委譲関係を︑観念的にあとづけていくことは可能である︒それは会社を中心紅諸利害関係者を含めて考えられる
一つの組織を形成し︑そこに職能の委譲関係が見られる︒このように会計職能の委譲系列によって形成される組織
ほ時代︑国︑企業の業種および成長の度合によってさま〆1紅異なる︒勿論それぐの組織において会計職能の委
会計監査の職能に関する山試論 九︶ 山九
第三十五巻 第劇号 ︵二〇︶ 二〇
︵8︶ 深閑係が異なり︑それに応じて監査職能の現象形態が異なる︒このことの詳細な議論は別の機会にゆずり︑こ1で
ほ簡単にその展開を試みる紅とどめる︒
まず最初紅もっとも原始的な一人企業で仙人が全ての活動を行なう場合には︑会計職能の委譲が行なわれる余地
がなぺ︑自己統制が会計職能の完全な達成を確保する唯一の手段である︒次に企業規模が大きくなり︑何人かの協
同組織によてて道営されるようになると︑会計職能も企業主より従業口貝へと委譲されはじめる︒しかし企業が小規
模にとどまる間は︑企業主自身の監督的職能によって十分確保できる︒このような状態の企業での会計の目的が管
理的であったことほ︑十三世紀中葉の/イタリヤ地方の会計記録が︑債権債務関係の備忘的記録のため紅あらわれた
ことからも明らかである︒
企業主自身が会計職能に関する監督職能を分担する段階でも︑次第に会計職能が技術的に複雑化し︑監督的職能
に専門的知識が必要になってくると︑この監督的職能をスタッフ的職能として集中して︑監査人に担当させること
が必要となる︒会社内部にこのような専門的知識および技能をもつ監査人をおぐはど企業規模が大きくないとき
は︑会社外部の会計紅関する専門家である公共会計士を監査人として契約する︒企業に株式会社の形態がとり入れ
られても︑その最初の段階ぺは依然として個人企巣あるいは同族企巣的色彩がこい︒このようなときにほ会計職能
の委譲の系列租織ほまえの段階とあまりかわらない︒米国でほ十九世紀中葉ごろまで公共会計士の主要な業務は︑
従業員の不正あるいは誤謬の摘発であるとされたが︑′それは企業経営者の監督的職能の一部のスタッフ職能化とし
︵7︶ ての監査職能を公共会計士が代行しているのである︒
株式会社の成長に伴ない出資と経営の分離現象が進行し︑単なる投機あるいは投資株主の割合が大きくなり︑車
乗株主の割合ほ相対的に小さくなる︒事業株主ほ経営者として包括的に株主より委譲された会計職能を達成するた
め会社の内部組織にそれを委試し︑それに対する監督職能をもつ︒投資あるいは投機持主は会社経営に直接参加せ
ず︑かれらが投資の重要な資料とする会計報告書が作成される会社の会計組織を監督する手段をもっていない︑︒かれ
らは会計職能のうちで︑若干の計画的会計職能および統制的会計職能をのこして他の全てを会社に委譲したものと
考えられる︒かれらの監督的職能ほ会計士監査としてのスタッフ職能によって助けられる︒またこの瘍合経営者が
その会計職能における監督職能の補助として内部監査人をおくと考えると︑監査職能は二段階的に行なわれる︒そ
れは会計職能が株主より会社経営者に包括的に委譲されたことた起因する︒
会社資本の調達が他人資本にも依存んなければならなくなると︑会社の利害関係者として株主のほかに銀行︑金
. 融機関およびその他の債権者があらわれる︒米国では今世紀に入り仙九二〇年どろまで信用監査が非常に盛んにお こなわれたといわれるのはこのような状態の反映である︒そこにおける会社と金融機関との関係紅おいて︑金融税 関ほ会計職能の計画職能として︑会計目的および基本的方針の決定に参加することによって重要な影響を与え︑そ の結果として会計は債務弁済能力の表示に重点がおかれ︑かれらの監督的職能のスタッフ化としての監査人はこの
︵8︶ ような観点に重点をおいて監査し︑そこに信用監査という性格をあらわしたのである︒
さら紅会社の活動および存在がより社会的な意義をもつようになり︑また社会により重要な影響を与えるものに
成長してくれば︑会社の諸利害関係者として株主︑金融機関およびその他の債権者︑国家および地域社会︑消費者︑
労働者およびその他のものが含まれるよう軋なる︒会社の存立がこれらの諸利害関係者の意志に依存しているとす
れば︑ 制度的な圧力により参加したと同じように︑諸利害関係者の意志が反映される︒もちろん全ての諸利害関係者が等
しい割合によって会計職能に参加するのでほなく︑関係の濃淡あるいは努力の強弱によってその参加の割合は現実
会計監査の職能に関する山試論 ︵ここ ニー
第三十五巻 第二号 ︵二二︶ 二二
的にきまってくる︒また会計職能への参加ほ計画的会計職能のより基本的な部分についてであり︑現実軋ほ一般に
認められた会計原則に諸利害関係者の意志が綜合的紅反映されている︒そしてそれに応じて監督職能を綜合的に
スタッフ化して︑公共会計士が監査人として仙般に認めちれた監査基準紅従って社会的な監査職能を行なう︒しか
し各利害関係者が別個に独自の立場から会計目的を設定し︑叉その立場から監査させる場合もある︒
以上で非常に粗雑であったが︑会計職能の委誘形態の発展についての展開を試みたが︑なお若干の関連する問題
を説明しておく︒われ′〜ほこれまでにおいて︑監査職能を会計職能の委譲から生じた監督的職能のスタッフ化と
して︑計画的会計職能︑執行的会計職能および統制的会計職能が円滑に綜金的な会計職能の循環過程を構成して︑
その目的を完全に達成するよう町指導する監督的職能を促進し︑あるいは助言すゐ職能という定義を与えた︒その
職能の内容ほ監督職能と同じであるが︑それはライン組織ではなくスタッフ組織に属するものであ牒ので︑決定︑
命令︑権限をもたず︑助言あるいは勧告によってその職能を達成せんとするにすぎない︒このような定義から出発
して︑現在重要な問題になっている諸問題︑例えば会計士監査の本質が指導性であるか批判性であるかという問
題︑米国公共会計士の重要な業務として目立ってきたマネージメントJサービスと監査職能との関係︑さらに近年
急速に発展して拡張された内部監査の内容の問題などにつ′いて︑われ′1の立場からほどのように理解ぶれるべき
かにつき︑詳細な検討は別の桟会に謀り︑ここでは簡単軋結論のみをのぺておこう︒
まず最初に会計士監査の指導性と批判性の問題であるが︑会討職能匿おける監督的職能ほ会計職能の完全な達成
を指導し︑監査職能はそれに対するスタッフ職能である︒監査職能ほ会計職能の完全な達成の指導の促進あるいは
助言を目的とするので︑会計職能との全体関連的に見たはたらきほ指導性にあるとしなければならない︒しかしよ
くいわれるように監査職能は批判的性格をもつ︒小ほ個々の監査手続から大は綜合的な意見表明にいたるまでその
批判的性格ほ明らかで︑批判的性格を失ってはそれほ意味がなくなる︒しかしこの批判性ほ監査職能をそれ自体に
限︶て観察し︑綜合的な会計職能との全体関連的なはたらきを見ていない︒益体関連的なはたらきは指導性にあ
り︑このほたらきの手段の性格として批判性を理解しなくでほならない︒
次にマネージメント・サービスの問題が近年では大きくなってきた︒これは監査職能の担当者の性格から生じた
問題である?公共会計士は一方においてほ監査人として契約されるが︑他方においてかれほ会計︑経営︑法律その
他事業経営に必要な種々の知識のゆたかな専門家である︒この二つの挙が混同されることによ・つて問題が混乱す
る︒監査職能は会計職能の委譲との関嵐で生じ︑それに関連した組織的地庖を与えられるが︑マネージメント・サ
ービスほ会討職絶の委譲系列とほ無関係であり︑公共会計士の専門的知識の全くの利用でぁる︒この二つの職能が
同山の公共会計士によって担当されるときは︑マネージメント・サービスは監査職能と矛盾しないかぎり許され
る︒すなわち監査人ほその殖織的地位から独立性が要求され︑その独立性を阻害しない範囲においてマネージメン
ト・サービスが行なわれるとしなければならない︒
さらに近年では内部監査の領域が非常に拡大され︑単に財務および会計に関する事項ばかりでなく︑全く業務に
関する事項︑たとえば経営計画︑経営方針︑管理制度︑実際の業務活動およびその他の兼務に関する諸事項の監査
まで含めているが︑これらを監査職能の本質からどう説明するかの問題が残されている︒業務監査ほ経営管理職能
払おける監督職能のスタッフ化であり︑会計以外の経営活動における委譲紅関して生じたもので︑監査職能とは別
のものである︒しかしながらそのラインに対するスタッフという組織的地位の類似性および監督的職能のスタッフ
化という職能の性質の類似性の故に︑これらの職能を内部監査という同山機関で行なわせるのが適切であるという
にすぎない︒会計監査と業務監査とが厨二の本質であるというにはより広い概念で統劃しなければならないが︑こ
会計監査の職能に関する一試論 ′︵二三︶ 二三
︵7︶ 拙稿﹁米国における監査報告苔の発展仙﹂香川大学経済論叢 昭和三十一年七月 四六−四七頁︒
︵8︶ 前掲稿 五七−六三賞
五 む す び
われ′1は会計監査の本質をその綜合的な会計職能における全体関連的なはたらきに求めた︒それほ会計監査の
発展を論じるときに︑それぐの各発展段階における連続性を保証する同質的要素を摘出するためであった︒この
ようなとき・ところを異にして存在するあらゆ㌃会計監査に共通する本質を与えることは︑現在発展しっつある会
計監査を過去の段階匿おしとどめようとすることを意図しない︒むしろ逆紅か⊥る本質の把捉は︑現代の会計監査
が現代経済社会の諸要論に応えて生き〜1と変化する現象形態をとらえて︑それがどのような要因に対応するもの
であり︑会計監査の本質のどのような側面︑あるいは要素の展開であるかを究明するため紅必要であると思う︒
会計監査の本質の把捉は非常紅重要な問題であ▲る︒会計監査ほ実務に密接紅結びついている.ので︑非常に変動的 第三十五巻 第二号
こではお・こなわない︒
︵1︶ S・W・PelO已2t and H・HeatOn﹀Hntegrate良Auditing≠pp.−−N〜ロ∽.
︵2︶ A−BrOWn﹀ OrganiNati呂OfJnd仁Stry.pp.N−00〜NN−.
︵3︶ R・C・Daまs︐Tb2Fundametals Of TOp−Management﹀ p.宍戸
︵4︶ 舛00ntN and O︑臼Onne−1.Princip−e00Of Manageme岩鼻 pp.−宗〜↓.
︵5︶ く・Z● Br昌k−Interna−Aビditiロg︐P㌫.
︵6︶ 前掲の拙稿で不十分であるが︑その展開をi部試みている︒ ︵二四︶ 二四
である︒それらの個々の問題の解決にのみとどまっているならば︑それは本質的な解決紅ならず︑また会計監査の
理論の形成紅貴献することが少ないであろう︒われくの研究は不十分なものであり︑今後多くの精練を必要とす
るが︑現在までのわれ/\の研究に対する山つの反省として︑小つの試みをのべたのである︒
会計監査の職能に関する一試論 ︵二五︶ 二五