アメリカの大学ひとりあるき
兄 玉 渾∵一
そうじてアメリカの大学における日本研究ほ︑その出発点は
甚だ遅かったけれども︑戦後のそれほまことにめざましいもの がある︒西部のカリフォルニア大学のプラクソ教授といい︑東
部のハーバード大学のライシャワー教授といい︑ともに東西の
双壁というぺくヾ中西部のミシガンには雨水ール教授がいて︑
米人の若い学者たちにも深く尊敬されている︒このおえらがた に︑こちらが下手な日本語でしやべると︑いくら心臓の強い僕
でも︑ときにいささか赤面する程であった︒去年の∵二月頃
寒風吹きすさぶケンプリッ汐市のハーバードのヤ!ド︵Yard
l−中世英語のGardenにちかく.他の大学のように︑ありふ
れたCamp宏といわぬのも︑いささかきどった感じ︶で︑とき どきラインャワ一に遇ったときなど︑誰かむこうから大声をは
りあげて︑左手を高くさしあげ﹁コダマサーソ﹂と呼ぶ人があ
るかと思うと︑まさしく彼エドウィンさんである︒そのライシ ャワー教授が今度わたしが帰国して束京女子大の玄関で会った
ときなど︑ぺラ/\と早口の英語でまくしたてて︑ニホン語の 学︑界 展 望 第三十田巻 第五・六号 ︵五〇四︶ ご八四
千も知らんような顔してすましこんでいる︒彼もすごく両刀の
使いわけがうまくなったなあと感服した次第である1東洋人的
なものの考え方︑香日本人的心性の理解において︑その洞察の
スルド少︑自他共紅ゆるす全米の第一人者といわれるゆえんは 彼の家門とハトハード大学の背景にもよるものであろうが︑い
つ乾その歴史的感覚の鋭さによるものであろう︒そういえは
ソダイエットもよき大使を日本へ送ったものである︒高松へフ
エドレンコ大使が見えたとき︑私は研究所の所要でいちど彼に
あったことがある︒その応接ほ懇切︒丁寧なもの︑学者尊重の
片りんがおもざしにあらわれていた︒古代東洋史の権威として
の︑その召管長身の風格ほ︑おのずと人をひきつける魅力があ り︑こうした人達の相手国紅対する現状の歴史的分析・認識限
の鋭敏さは︑さら紅その完全理解への道をおしすすめるであろ
う︒おしなべて︑日本はど学者を処遇する道を知らないとこ
ろ︑世界中どこへ行ってもなさそうだ︒
着米まもない頃︑わたくしは桑港で Se〒OrientatiOnをや
るぺく︑町へ出て流暢な英語のつもり︵?︶で︑物わかりのよさ
そうな顔をしている米人に︑動物園へ行く通をたずねたことが ある︒そうしたらその人は﹁チヨットマッチ下サイ・エーツト﹂
と立ちどまったのにほびっくり仰天した︒GO−denGateA諾−
呂eのYMCAの近くで︑アメリカ娘が日本人道場へ通︵′て︑
セッセと柔道の稽古をやっている姿も見た︒アメリカの町に
は︑ときたまこんな変り種もいるのである︒後月軍人の片言﹁オ
ハィヨウ﹂と日本人の顔を見たら呼びかける︵彼等に︑﹁僕ほ
これから︵オハイオ州︶クリープランドへ行くんだよしと言え
ばケラく笑う︶のほ別として︑米人で日本語を研究する者
は︑その数こそ非常にすくないが︑やりだしたらOra−Methl
Odで可成り徹底してやっている︒そうして︑日本へ行きたが
ること︑到底われわれがアメリカ旅行を望むどころの比ではな
い︒日本では︑語学の勉強にかけて︑学生が中学・高校・大学
と大変な精力を傾けて︑英語の勉強をするが︑何とかまず手軽
に英語をマスターし︑身につけて︑それから漸次斯学に奥ふか
く強くなる方法がないものだろうか︒読ませば説めるのに︑審
かせば書けるのに︑何てまあ︑日本人って︑﹁話せない﹂国民
かとあちらさんは思うだろうなと視察中一再ならず囁生活をく
やんだ次第である︒コロンビア大学の日本語研究科など︑能狂
言や近代日本小説を綻んでおり︑今月はあなた︑来月は伊藤生
さんなんて︑ちやんとまえから時間割を組んで私紅日本語で瀬
戸内海の塩田の話をして偲しい︑という︒なかでも数人の学生
の真蟄な研究態度・1その礼節を知を人種を超越した謙譲さに
私は思わず襟を正して︑宗教と塩の話などもして学問する身の
謙虚さにたちかえり︑熟をいれたつもり︑彼等の研究もいまひ
と息という感を深うしたのであった︒
どこの大学でも︑著明な大学では︑その図番飴の東洋部門へ
這入ると︑日本関係の刊本を多く備えており︑殊にカリフォル
ニア・スタンフォード・︑︑\シガン・エール・ハーバード・クィ
アメリカの大学ひとりあるき スコンシソ○プリンストンなどでほ大日本古文書や大日本史料 を揃えているのが羨望k堪えなかった次第︑まさかと思った拙 著﹁熊野三山経済史﹂がちらはらあちこちの大学図書館の書架に のっているのを見て︑いささか白意識過剰紅おちいり︑この田 舎学者もいやに館内で胸を張ってみたこともあった︒アメリカ 人も随分沢山和書を仕入れたものである︒︑︑︑シガソの図書館で は︑ふと大学院の学生R.L.Speaり君がしきりに﹁中世文学 史﹂と取組んでいたが︑︵プり/ソストンなどでは︑特に大学院の 学生用の研究用自室Indiまd宕−st已y car邑s が五〇〇喜も ある︶小ろいろ社寺の巡拝現象︑ピルグリメイジをききただす ので︑蟻の噸野詣のことを話したら︑喜ぶこと限りなく︑早速 ノートへ書きこんでいた︒学問に国境なく︑ここのRamada ︵鎌田︶ コレクションでは︑二万冊もの和本がギッシリつまっ ており︑備前岡山薄の古文書複写版も二千数柴揃えてある︒館 内ではちよっと日本へ帰ったような錯覚監おちいり︑そゞろ郷 愁をおぼえ︑何ともい1知れぬ感懐にひたった︒
︑︑\シガン大学の経済学部はとくべつ古ぼけた建物であるが︑
こゝで学部長Gardner︑Ack−eyや日本で有名なDaロie−甲
S仁it∽教授と歓談のひととき︑セントルイス学会での再会を約
しっつ︑森口・杉浦・石川の諸氏と会談︑話たまたまス
から香川大学の金森助教授のことにおよび大いに恵を惑うした
ところ︑更に加州大学ではラインヤワ一教授が是非会えという
のでHenry ROSO宏ky教授と日本の資本主義を論じたとき︑
︵五〇五︶ 劇八五
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第三十四巻 第五・六号
彼は統計学会のおり香川大学を訪れたことがあるとい1︵私は
迂潤にも︑何かの所要で︑この時高松におらず︑放と会ってい
なかったが︶︑今更ながら学界の狭きに驚いた次第である︒彼
こそ︑いま白木近代資本主義研究のホープとして斯界に重きを
なしているハーバード出身の俊秀である︒私は加州大学からと
いうよりも︑彼の推薦でレスリー塩其の社長に紹介され︑カリ
フォルニア州の天日塩田をくまなく視察することが出来た︒同
学のよしみは有簸いもの︒
そゞろ晩秋の樫や楓の実の散って︑はやくも雪のミシガン平
原紅寒風の吹きすさぶ頃︑
の音を耳彙に残しっ︑アンアーバを去ってクリープランドへ旅
立った︒香大卒共生坂本徹郎裏を激励すべく︑針た連邦準備銀
行や博物館も見たかったからである︒彼と銀行のーBMのA?
cO仁nting MacFineやPr00f MacFineの操作を見︑こ1の行員
八四〇名のうら女子行員がその三分の二も占めているというの
をきいて驚いた次第である︒博物館でほアメリカ・インデアン
のホーピーやナプァホ一族の毛織磯や文献に見とれることしき
り︑容易にたち去れず︑坂本崇症促されてようやくホタルへ帰
った始末である︒ここより再びシカゴへ戻り︑世界に誇る2a−
tur巴 ﹈票stOry Muse仁m を訪れては︑先史時代の巨大動物の
遺骨に接して︑たくましい弱肉強食の動物の世界に夢をはせ︑
折柄綺腰な衛のクリスマス・デコレインヨンに讃歌の眼を見ほ
りつつ︑ディアポーン・ステーションからサンタフェ鉄道のテ ︵五〇六︶ ﹂八六
キサス︒チーフに乗りこんで︑イリノイ州のチリコーセという
田舎町まで南下し︑楽しいクリスマスを知友のグリーン家で迎
えた︒グリーン博士と託たま食ま大学論に及ぺば︑彼ほアメリ
カの七大学とはハーバード・カリフヵルニァ・シカゴ・エール
・︑︑\シガン︒クイスコンレン︒コロンビアの諸大学であるとい
い︑1プリンストン●イリノイ●ジョンスホプキンス・コーネル
・チユレイン・ぺンジルプァニア・ワンソトンの諸大学は著明
大学のうち紅ほいるという︒私ほスタンフォード大学なんか施
設や教授陣から眉ても︑とてもいゝ大学だのにあれほどうなる
などいっで反論したりした︒とまれ︑のんぴりした田舎町での
クリスマス気分を味わい︑台所の窓外でほ︑呉赤な大雀のよう
なカーヂナルがさえずっているのを聞いたり︑しんしんと雪が
降って︑プリマス・コングリグーレヨン・チャーチへ行けほ︑
ホワートロープに赤ぶちのついた式服でかためた牧師︑可愛い
唱歌隊の少年・少女がいるのを昆た︒何ともいえぬ純朴なお祭
り気分である︒
月末二七日いよくセントルイスで開催される滞七三次全米
経済学会へ︑ぺオリアな経て飛び立つ︑山九六〇年度の総会々
長ほシカゴ大学のTheOdOre W︒ScF已tN教授であり︑副金島
ほ日本で有名なM・Ⅰ・Tのサムヱルソン教授である︒経済史
学の新分野ではバードク大学のディビス教授を中心に︑最近瀧
計数理的な研究がもりあがりつつある︒貨幣理論の研究をほじ
め︑一般経済諸科学の分野においても︑よく新旧の理論がおり
⊥よぜて展開されているのを見︑M・Ⅰ・Tのエリ・シャビロー
教授と歓談の磯も得た︒アメリカ以外の各国の経済不安定問題
の分析・検討の部会ほチエイス・パーク・プラーザのコーラツナ
ンルームで開催され︑座長は加州大学のゴードン教授となり︑都
留教授の出宏ine∽㍗C票訂s in pOSt弓ar Japanもスカンデナ
ビア諸国︑イタリーなどの分析後についで行われた︒その仙九
五五年以後の日本の技術革新の問題ほ
て︑綿密に行われただけに︑よく肯けいにあたり︑私もかねて此
の頃の日本塩業の技術革新を叫範型として︑同教授や大河内教
授の所論に注目していた折であり︑興深く傾聴の機を得た︒滞
米中︑日永人ですぐれてスピーチがうまいと思ったのはいま一
人︑コロンビア大学で行った鵜飼信成教授の講演であった︒共
に日本間題の見解発表であったが︑最近米人識者ほ我が国の政
治・経済の問題について非常な関心をよせているのがめだつ︒
研究討議のうち︑︑︑\シガンから釆たディスカッサンツのアクレ
ー教授と再会︑話たまたま都留教授夫妻と香川大学の右津助教
授におよぴ︑両氏の高松での活躍をお伝えした次第︑異国で知
人の語がでるとひとしお家郷が浮びだされ︑串間の宿舎に思を
よせてホームシックにかかり︑﹁押せば犬のなき声するハガキ﹂
軋ぺンの走り書をしたのもこの頃である︒夜︑︑\ス●ハ県ングヌ
ホテルの晩餐会に︑ハーバード大学教授ガルブレイスのA誓T
Cu冒ure in an aff−莞nt SOCiety の樽別スピーチを聴く︑前
かが微に話する同教授の体躯はすどく巨大であり︑彼ほ盛んに
アメリカの大学ひとりあるき 現代ハーバード学生気質の静ぎやくも交えて︑シカゴ大学の農 業経済の廃威シュルツ教授の経営路線をはめていたが︑実践経 済に深く緯びついたその所論ほ︑ケネディ周辺に高く評価され たのであろう︒この頃既に参会学者間に駐印大使の呼び声たか く︑果せる哉︑六一年の新春︑ラインヤワ一教授に先んじて駐 印大使に確定した︒こうしたハーバード大学の教授陣がケネデ ィ内閣の高官にひきぬかれていく様相は︑私もその頃の週刊朝 日に報じておいたところ︑この会期中ハンセンほ猶お口ーマか ら帰らなかっ′たが︑エール大学のロイド・G・レイノルド教授 をチェアマンとするグーソジアンの活蔵な論争が展開されてい たし︑シカゴ大学のジョンソン教授︑ミシガン州立大学のラー ナ一教授・スーツ教授︑ペンシルプァニア大学のクライン教授 等盛んに活躍したのがひときわ目だっていた︒
いま一九六〇年十二月二七日から三十日までセントルイスの
チエイスパークホテルに於て行われた全米社会科学協会連合学
会討議の行われた全貌を摘記すれほ次のようで︑集るもの凡そ
二千数宙︑その部会はそれぞれ
︵−︶Academy Of Management州AM︶
︵N︶American AssOC邑iOn Of eni諾rSity Teachers Of
Ins喜anCe︵AA⊂TI︶
︵u︶AmericaJ EcOnOmic AssOC邑iOn︵サEA︶
︵ふ︶American句arm囲cOnO邑c As00OCiatiOn︵A句EA︶
︵五〇七︶一八七
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第三十田巻 第五・六号
︵∽︶Ame旨an句inanceAssOCiati呂︵A句A︶
︵の︶America臣Marketin的Ass︒Ciati昌︵AMA︶
︵ごCathO−ic賢OnOmicA玖OCiatiOn︵CEA︶
︵の︶EcOnOmetric SOCiety︵ES︶
︵ゆ︶Hnd邑コa−買atiOnSRe琵rCFAss︒CiatiOn︵HRRA︶
︵岩︶RegiOna−ScienceAssOCiati昌︵RSA︶
と︑以上の十大スポンサーによ︵一て後援され︑きわめて大スケ
ー ルのものであった︒その著明な報薯討議ほ実業教育の操興問
題にはじまり︑私の興味をそそった中心課題をかかげると︑
OSOmeEc昌Omic PrOb−ensOftheぢ﹀s⁝TFe LabOr
Mar打et工﹂∵
〇panne−Disc宏S−呂∵C昌tributiOnS tO M呂agement
Phi−OSOphy frOm tFe BeFa苫rai Sc蒜nCeS
OPOtentiannO宗旨n in InsurancePractice00
OMOnetary TFeUry⁝君w and01dLOOks
OAnti−truSt prOb−ems
OCOntributi昌Of EcOnOmetr岩StO FaHm Prices and
︻ncOme PO−icy
OTFeMeas彗ementOf Price句−e已bi−ity
OrFearPrOgrammどgApprOaChtO tFeSO−utiOnOf Pra・
ctica−PrOb−ems in Far日Mana的ememt and Micr?A讐T
c已tura−珂cOnO日ics
OEcOnOmic TbeOry and MetFOP ︵五〇八︶一八八
〇EcOnOmic De諾lOpment in Mainiaロd CFina
OMac︻?EcOnOmicsTheOrie∽︒f︻ncOme Distrib已iOn
OTFeRO−eOf Agric已ture−nt訂WOユd EcOnOmy
OInternatiOna−EcO月Omics
OPrOb−emsOfEcOnOmicHnsta註首inOtherCOu旨i袋
︵E警ept Amer岩a︶
OTFe︒ryand宮山昔OrOfCapita−Mark︒tS
OInterre−atiOnSOfF00dMarketiロgand句armingint訂
American EcOnOmy
O EcOnOmet−icStudies︒f EcOnOmic HistOry
OMeas彗in閃and句OreCaStingEmp−︒ymentRe−atiOnSFJiでS
OEcOnOmetr岩S MethOdsin SOまet EcOnOmy であって︑こうした社会科学学会連合の趨勢ほ︑われわれにと
って極めてフレッシュな研究動向を示唆するもの︑にもかかわ
らずその研究討議に参加せる邦人学名の数ほ極めてすくなく︑ 今後日米文化交流促進のために︑何よりもまず大量の学名が交 流双方の国へ派遣されるよう日米当局へ切望してやまないので
ある︒人間を疎外して大学の自立・研究の深化はなりたたず︑
学問水準の高揚も︑いつに世界各国との文化交流の具体的実現
からほじまるといえよう︒
−−二九六二年山月二三日記i