ま え が き
本稿をさきがけとする一連の小論ほ︑ドイツ株式会社法理成立過程と法人理論との絡み合いを研究することにあ
る︒株式会社に法人格があることほ自明の痙であるかに簸えて︑実ほそうでないことほ英国株式会社の歴史で周知
のところであるが︑英国のように﹁前期的資本の集中型態﹂として仕組まれた内から自発的・内在的に継続発展し
た ︵このことほCOmpanyの語義変遷自体に示される︶ と異り︑ドイツ資本制社会発展の特殊性ほ︑法人理論と橡
式会社制度史の結びつきを特異ならしめている︒
本稿の間接的但し究局の目的ほこの面の研究を通してドイツ私法学の上部構造性を浮び上らせることである︒
法の上部構造性 − 土台忙よる被規定性と土台に対する相対的反作用および他の上部構造との絡み合い⁝−はマ
︵1︶ ルクス主義や法社会学の繁栄と共に山般に認識されているところである︒法学も法の上部構造性と取離むいわゆる
法社会学と裁判規範対象の実用法学たる法解釈学に二大分できる︒そのさい法解釈学の任務ほ法の上部構造性を認
諭しっつそれに斎合した裁判規範を論理体系化し︑それを事実に正しく適用することである︒
商人身分の自生法として出現︑資本制社会でブルジョワジイの経済活動の法として︑二般的に確立され︑独占段
︵六一九︶三七九 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前
ドイツ株式会社法成立過程にお吋る 壊人理論の意義き卜夜明け前
岩 崎
︵六二〇︶三八〇 第三十二巻 第三・甲立号
階で企業法として構成される商法は︑取引機構の堅実と取引の円滑を二大主理念とする︒商法ほその意味で先天的
に土台と密接し︑商法学も他の法学部門と比べ比較的よく法の上部構造性を意識の有無によらず体得している︒そ
のことは商法の対象自体の変遷および対象内部の変遷の意義を商法学がよく認識している点に示される︒しかし幾
つかの重大な盲点がある︒商法学自体の上部構造性をうっかりしていることもそうであるが︑商法の主関心が生産
面になく︵生産関係を封入じ整流通面に在る放か︑資本制生産関係のメガニズムおよびそれに対応した資本制社
︵2︶ 会全銀の史的・社会的構造に暗いことである︒
こ︑のことほ単に商法学にとって外延的な問題にすぎないどころか︑重大な内在的混乱・停滞をもちこんでいる︒
例えば︑商法の指導理念としていろんな形容で公共的︒社会的なものが強調される︒また資本制また従って商法の
︵$︶ 基本構造の時代的形骸化に対処する現実適合論が多様に登場してくる︒その蓉意溢れる意欲にもか1わらず︑その
現実の機能ほ無に等しいか逆の効果さえ生じる︒資本制社会の企業取引を規整する商法ほ土台の基本構造に則した
各次元に適したフェア︒プレイ原則を強調することで必要十分な筈である︒
商法学自体の上部構造性に対する盲点は過去においてわが私法学が鑑としたドイツ私法学のイデオロギイ性認識
の甘さに因る所が大きい︒コロムブスの卵の誹りを恐れずその例を挙げれば社団・組合の別をめぐる今日みれば無
用な諸学説対立であった︒また私法学一般の適例ほ法人論と団体法人論の同一視および法人学説史の平板な取扱い
であった︒ドイツの各法人学説が資本のトレーガアと反資本のトレーガアの二対極をめぐる各切実な現実的課題を
︵4︶ 担ったものであることほ永らく見過されていた︒
︵5︶ これらの盲点は届法学における社会経済史︑を背景とした鮒歴史・学説史的研究によって克服されるであろう︒本
︵6︶
稿の究局的意図もこの点にあるが︑本稿ほ記念論集としての性質上便宜的に独立化して夜明け前ともいえるヂビニ木以前を扱う︒
︵l︶ この面でのわが国の代表的労作はいう迄もなくバレユカーニスと﹁ドイツ・イデオロギイ﹂を生かしこんだ川島・所有
権法の理論である︒
︵2︶ その一例ほ︑二流経済学者の労作はかなり引かれているのに︑マルクズ主義の古典が商法学の然るべき場面で活用され
ていないことである︒東独の債権各論の教科番やわが国一部の教条主義者のように聖書祝することは有害無益だが︑資 本制社会の機能・∴構造を理解するためにほやほりもっと活用されて当然である︒
{ヽ ノ■■ヽ (\
5 4 3
\_. \_ \_′
︵6︶ 便宜上全般的に引用する文献ほ左に掲げ︑以下なるべく著者名のみで引用する︒
B訝selmann.DieEntwicklung desdeまscFen♭ktie㌢wesens im−り.1aざFundert.Ber︼in︸−諾りM・POSCF
只apitalassONiati昌en.iFreRecht乳旨ig打eit unddieDOgmatikderj已ristisc訂n PersOnin¢Dienste desさrm昌0・
pO−istiscFenDeまgFen Kapitalism宏十寧邑in−誤∽︵この讃はスターリン主義の弊害最も著しい媚態に充ちたちぐは
ぐかつ冗長な内容だが︑基本的着眼点の正しさまた広範囲にわたる引用の正確さほPOSCFが単なる徴用学者でないこ
とを示す︒本稿の着想ほかって本書から導かれたものである︶︒マルクス・資本論︵長谷部訳︑胃木文庫︑但し訳文は
適当に修正する︶︒︹その他マル・エソ系古典︵特に付記しないかぎり原典ほDietz版Bg訂reid・Ma→払sm宏・Lenin・
is巨u00叢書︵BML︶による︶ほなるべく定訳によるが︑ドイツ・イデオロギイは艮訳がないから適宜私訳による︺︒船田
︵六二一︶三八一 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前 その代表例は株式会社財団・株式債権論︒ 参照︑川島・企業の法人格︵田中耕記念論集所収︶︑同・民法︵三︶壱の〜Nざ貢︑所有権法の理論341貢以下︒ 制度史の秀れた代表的労作は︑大隅・株式会社法変遷論︒学説史ほ︑ゴールドレさ︑\ットの商法学方法︵法協71聾・ト エールの商法論について︵田中耕記念論集︶・十九世紀中葉におけるドイツ商法学界の趨勢︵同志社法学35号︶・ルノーと 近代株式会社法学︵同志社法学37号︶等︑で連の服部教授の袋重な業績がある︒本稿は両教授の教紅負う所大きい︒ ヒよ輿
第一二十二巻 第三・四・五号 ︵六二二︶三八二
智雄・ドイツ産業資本の形成と保護主義︵潮流講座経済学全集︶︑大野英二・ドイツ金融資本成立史論︑大塚・株式会
社発生史論︒
︵こ 一八四〇年代初め頃からドイツ法学は株式会社を当時の法体系に組入れるべく努めだすが︑元来﹁前期
︵.1︶
︵2︶
的資本の集中型態﹂として展開した株式会社制度ほドイツでも既に利用されでいた︒︵$︶ その明確な先駆は二ハ八二年以来のブランデンプルグ諸只Ompagnieに続く若干の企てであるが こうした株式会
社は.一八世紀迄の株式会社一般と同じく産業資本主義下の株式会社に対し本質的差異を示す︒ ▲∵こ 周知のように︑多様な市場独占・特権■宗主権・国家補助金を伴うヨーロッパの商事会社ほ本源蓄積期の典型的
現象として一七世紀と共に始まるが︑当時最強力な商業国家マニュ段階の市民的生産関係またそれと共に発展した
︵6︶
信用制度の相対的な高さに応じた ︵植民地掠奪︒征服のための最重要な企業として︶必然的産物であった︒これに反し︑㌻七・八世紀前後のドイツにほ広汎な商業発展︑海外市場獲得のねめの経済的条件が存しなかった
から︑ブランデンプルグなどの大商事会社の模倣ほ決してドイツの生産関係の直接の結果でなく︑三十年戦争二
六一八〜四八年︶ の荒廃に因る当時の封建社会内の生産力衰退・封建的生産関係に対して︑絶対主義が市民的生産
関係の展開強行を狙へた人工的企てにすぎなかった︒だから︑実際の生産関係・に対応せぬこのブランデンプルグ諸
会社ほ所期の成果を否定されたまま単なる重商主義的実験に終った︒
商人は国家を富ませる者でありかつ海外貿易ほ富の源だとする重商主義思想が︑絶対制の山時期を代表する︒即
ち︑封建的身分が崩壊しかつ市民層が近代的資本家層に成きる移行期に他ならぬ絶対制下でほ︑絶対君主ほまずな
お弱小な市民層を支持・庇護する︒新旧両階級間の或程度の均衡を権力の前提とする絶対君主ほ︑封建階級・市
︵8︶ 民階級間の見かけ上の仲介者として現われる場合にしかその従属的地位を根拠づけかつ維持できない故に︑その階
︵−︶ 級的地位上︑弱小な市民層を助成しかつ封建社会内の特権被与身分として扱かう必要があった︒また商工業の発展
によってのみ絶対君主ほ︑その単一支配に反抗する封建諸身分を抑圧するための︑自己の行政蔑匿および ︵専制の
用具たる︶常備軍維持に不可欠な財源を開拓できた︒それ故︑そのかぎり必然的に︑絶対制は当時において社会の
︵8︶
利益を代表するに適した立場にあった︒一八世紀後半フリードリッヒ二世が新たに生みだした株式会社も︑その間に市民層の痙済的必要が強くなったこ
とを機縁とするのでなく︑七年戦争︵一七五六〜六三年︶後の人口減少︑荒廃がプロイセン経済に新たな沈滞をも
たらした時に王がイニレヤチプをとったにすぎない︒
まず︑七年戦争直後玉ほ自己の財政窮乏克服のため︑商業・銀行・保険の一切を含む包括的単一企業形成を計画
し︑これほ挫折したが︑約二〇ケの会社を別々に︵信用会社︑保険会社︑国家独占−煙草︒砂糖などの専売1管理
︵9︶
会社︶創設した︒ただ信用機関についてほ王ほ︑まだまだ弱小な市民層の強化の為でなく︑王自体の財政的利益ほ テントシャフト ︵10︶ 別としても︑封建領主︵とりわけその農地開拓︶のため土地金融組合を設け︑グーツヘルのユンカー化を促進した︒叙上の諸会社の型式ほ当時のフランスのそれに強く影響されたが︑既に英仏では信用制度が大発展しかつ ︵前期
商業資本の特性の爆発だったにせよ︶株式投放が山八世紀前半に一頂点に達していたのにブランデソプルグ●ナロ
︐ヽ︑︐︑ ︵11︶ イセン型ドイツでほ株式取引の何らのきっかけも現われてなかった︒株式ほ原則として堅い人の手︵即ち封建領主︶
に留まった︵社員地位が未だ全く商品性を帯びていなかった︶︒プロイセンのマニュ期株式会社ほ一般に︑私人
の資本参加を伴った絶対制プロイセン国家独占企業を本質とし︑また絶対利権力が何よりも国家財政増収と国家利
益に奉仕するための非常事態持直として設立したものであり︑恒久的国家干渉を定められ︑君主が随時定款変更権
ドイツ株式会社法成立過程匿おける法人理論の意義1夜明け前 ︵六二三︶三八三
︵六二四︶三八四 第三十二巻 滞三・四・五号
を留保しかつ君主の命令がこの組織内の最高法規だった︒ギールケ流に表現すれほ︑﹁前世紀の官僚国家が社団生
︵12︶ 活に占めた地位においてはますます山切の格別な団体統一性がstaat−iche HnstitutiOnとして現われる﹂︒
︵1ほ︺ この国家独占会社の資本参加者ほ所詮会社の資本使用に対するごく限られた名目的な説明請求権をもった国債
権老にすぎなかった︒︵血八二〇年代にこれらプロイセン諸社解散のさい株式が国債に変更されたことほいみじく
へ‖︶ も象徴的である︶︒この株式ほ後に鉄道制度と共にプロイセンに普及した無記名株と比すべくもなく︑すべての株
式ほまず債権存在に関する証拠証券にすぎなかった︒株式ほ会社資本の∵足部分を記載せず︑ただ原則上何ら一定
︵ほ︶ 額が確定されない其都度払込額のみが記載されたにサぎなかった︒をれでもこの株券ほ公式の議決権を与えてい
へ川︶ たが︑たとえばアフリカ会社についていえば︑議決権が行使できる総会ほ一回も開かれなかったから︑議決権ほ実
際上幻想でしかなかった︒この株式ほ配ぎ請求橡を確かに与えほしたが︑配当額ほ一部予め確定されていた︒
Sch芳kが矛盾そのものなこの株式を法的に資格づけることほ殆ど不可能だと述べたのも尤である︒この証券の名
へ17︶ 称ほ仝く統一されてなく︑Ob−igatiOnenと記称された例もあるが︑これがむしろその真の性格に照応していた︒
︵構造・株式形式・対外的かつ対内的責任限定・会社代表などが山般法規によらずその都度君主の特許・規制に
ょって規定されたこネ︑会社が専売権・諸特権を革け︑一部ほ主梅の担い手であり︑決して単なる私法主体に留ま
らなかったこと︑および︑個々の会社ほ諸定款から推測できるように内部構成・法関係の形成がまちまちでありか
つ他方で殆ど他のマ土ユ期共同企柴形式︵キとえばReederei﹀Gewerksc訂ft︶から正確に区別できなかったこと︑
これらほドイツに限らずマニュ期株式会社に一般の現象であるが︑英国の場合︑その枠の申で︑その会社内で︑市
民階級が自力セ産業資本型株式会社に構造変革していくのである︒︶
封建階級・市民階級いずれも未だこの段階の理論的把握に関心がなく︑なお稚い法禅学がこの結合方式を探求せ
ずに例外現象として顧みなかったとともふしぎでない︵くg︼●ArR 卸∽諾−監肖の︶︒KOヨ富管ie ほ他の
すべてのKOrpOratiOnと同じく国家の公益施設とみなされ︑なお国家ほ万仙のさい会社の芸任を引受けた︒この封
建的結合形式ほ産業資本主義の展開に妨げとなるべきものだった故に⊥八ご○年代に大部分が姿を没しさった︒
︵l︶ 参照︑大塚・前編第二坤︒
︵2︶ 参爬︑大隅∵61貞︒なお︑資本主義以前における株式会社以外の商業・鉱山・航海についての組合的企業体の意義につ
いては︑エンゲルス・資本論第三部補遺︵長谷部訳・背水文樺・︵8︶∽↓〜悪眉︶参昭︒いわゆる﹁偽似株式会社﹂に
ついてほ参照︑大塚∴軍首戻下
︵3︶ ブランデンプルグ大選挙公の股上正にかかるものほ︑Ostindisc訂ぎmpagnieくOn−設−⁝A宣kaniscFeぎmpagnie
くOn−宗N\−悪−馴Ameユkan−SCFe只・﹂言n−畏00=これらブランデンプルグ諸会社と東商主義恵想との関連についてほ
遥−・TOkma−a山eW﹀ Han詳︼skapita−戸 Hande−sprOfit.Ber−in−誤N.Sけ 00のf.
( ′′ ̄\ 10 9
) \J
( ( /■一「\ ( ( 8 7 6 5 4
\J \J ) 、、一′ ヽ_./
ドイツ株式会社法成立過程におけ各法人理論の意義−夜明け前 参昭︑大塚・∽祭式︒ 参照︑マルクス資本論第三部訳・︵9︶会の〜ら∽頁︑マル・エン二巻選集第⊥悲涙︵大月書店︶Nひび白︒ Enge−s.DeまscF Nust虹nde.Beユin−¢∽N︸ S.∽のu.∽↓. エンゲルス・反デふーリング論 大月書店訳∽○料頁︒ この絶対弧の歴史劇通産の最も興味深い例ほ今田なお強力な公営火災保険所であり︑この秀れてドイツ的な制度をめぐ る各階級の態度の史的変還紅ついては︑相馬・ドイツ公営火災保険考︵加藤記念保険論集所収︶N宗頁以下参照︒ Bαsselmanヨ﹀ S.∽P 句ranzMehri︒g︸DieLessing・LegendeV Ber−in−誤∽・SJO:f・なおLand父旨aftについてほ︑鈴木禄弥・法協3巻 ∽こ頁・ご巻u¢頁参照︒ 経
︵六二五︶三八五
滞三十二巻 第三・四・五号 ︵六二六︶三八六
︵11︶ 英国では既に一七世紀末株式取引ほ普及七︑株式取次商ほ独立の職業として認められていた︒この点の弊害を除く﹂ぶ法
︵00詳這Wm・掴︶C.∽N︶が試みられた臥ほ山六九六年のことである︒Cf.L.C.B.GOWeru Thepr旨cip︼esOfmOdern
COmpany−awW N.edニー寄↓.p.NP
︵12︶ 〇・く︑Gierke−DieGenOSSenSChaf㌻tFeOrie戸diedeutscFeRecFtsprechung.Beユinu−∽∞↓︶S.芦
︵13︶・国家債務・株式制度の関連ほマルクスも合法則的現象として証明した︑資本論第山巻訳︵4︶−−彗〜ご巴頁︒
たとえば周知のように︑伊マニュ期の株式制度最古形式も既に国家債権者団体の形式であり︑同じく和・英︒仏でも常
にこの関連が現われている︒また会社解散のさい国家がその会社の資産・負債を引受け︑従来の社員が国債権者の形にな
るという多くの例にもこの関連が別様紅表われている︒
なお︑注目すべきほ︑英国でほ国が劇般大衆に売込んだトンチン年金契約に因る国の巨額な債務を設立特許の代償とし
て会社発起人が引受けたる例がかなりみられ︑他ならぬ南海泡沫の発端たるSOuthSeaCOmpanyもこの条件で政府を
動かして設立特許を入手し︑次いで当のトンチン年金契約者を勧誘して彼らの年金債権をすべて同社の株式に切替えさ
せた例である︒これも国債権者・株式制魔の関連の二表現であろう︒この問題ほ別の機会に触れたい︒
︵14︶ R・Sch露kBrandenb喜甲Preussens KO−Oniaす○≡ik unter den Grαssen只u且誉sten亡nd seinen Nac已○−geコヂ
Bd−hu LeipNig−笠¢.S−∽のN.
︵15︶ 無記名株は鵬七世紀のブランデンプルグ諸会社にも姿を見せているが︵B訝seぎann﹀S.∽00︶︑この株式形式に対する経
済的需要ほ皆無だったから全く無意義だった︒仏では劇八世紀末迄無記名株は例外視象だった︒オランダ諌インイ会社ほ
打期から高配当に魅かれて取引所で打歩取引が行われていた故︑無記名株が多用ぜれた︒霹i.M茎竿ErNbacF Deu・
ts.cFes Haゴde︼srecFt ドu㌫.Auf−ニー¢虹00﹀ S.︺−↓.
︵16︶ ScF露k﹀ a.a・〇.﹀ S.∽澄.
︵17︶ ibid−S.∽巴.
︵二︶ 既に北米独立戦争︵劇七七五〜血七八三︶ほプロイセン商工業の勃興をもたらしていたが︑英国産英軍命
の結果プロイセン︑主にラインテント・に︑生産力の急速な発展が現われた︒この発展は︑未だ安定したものたりえなか
︵1︶
ったのに︑はや痛切な跳返りを生じた︒プロイセンでほ相変らず国師かつ反競業的なツソフト手工業と並んで封建︵2︶
的土台の憐れな家内工業が圧倒的だつた︒この封建的樫楕を決定劇に打破したのほプロイセンでほ国内市民層の力でなく︑フラン
施導入した一八一〇年営業税法および∴八山一年営業取締法 ︵G・監er die PO−izei−ichen歪r展tni器n des
Gewerbe︶ほ上からの改革 ︵RefOrmくOn Oben︶ として市民層の強力的保護育成をめざした ﹁シュタイン・ハル ︵ヱ デンベルグ改革事業﹂の義に他ならな▲かった︒ただ工業的先進地ラインラントほフラン
ンス苗場との連絡を得た︒
ラインラント以外のプロイセンでほシュタイン・いルデンベルグ改革の先がけをなした一八〇八年山二月二六日
付Gesch監tsinstruktiOn以後の諸勅令によるツンフト拘束・営業拘束の消滅が容易・自由な資本制的生産関係展開
への最初の政治的前提となり︑また同じ頃行われた農民解放の開始もこれに寄与した︒他方ナポレオンに由る多く
の小侯爵儀︵F昏sten旨er︶抹殺および全国市場形成を促がした仙八三四年の関税同盟に成長した劇八仙八年プロ
︵4︶
レア関税規程ほこの過程を著しく促進した︒ナポレオンによって一日画砕されたプロイセン絶対制ほ一八一五年以後の復古期に政治的立直りをみせたが︑ド
∧〃
︵5︶ ィッでほ︑富がまた富と共に市民層の政治的意義が山八一五年以来不断に興隆し〃っぁった︒下級封建貴族は漸次
に市民的生産関係に隷従させられた︒絶対制はますます市民層への経済的依存にほまりこんでいかざるをえなか
ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の恵儀﹂夜明け前 ︵六二七︶三八七
Q
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ー
︵六二八︶ 三八八 第三十二巻 第三・四・五号
った︒それと同時に絶対制的・重商主義的独占・取締経済ほ終りそしてまさにその後の市民階級の経済的支配への
途が画されたこと︑同時にまた絶対制国家が︑この市民階級の経済的・政治的強化に対して︑その階級的立場の命
じる所に従い︑古い封建社会の利益代表者として振舞うこと︑が明白になった︒向後絶対制国家権力ほ発展の躇
を辿りゆく資本制生産関係の妨害に政策の比重をおきだすが︑その適例ほ後述する資本流通の監督∴鱒筈である︒
これと共に︑その後のドッ近代社会発展圭貰して現われ\ている現象﹁経済的自由と政治的自由の交換﹂と心うド
イツ市民階級に興型的な不正取引も始まることになる︒
仙八山忘年ナポレオン没落以後の︵山八仙七〜二〇年を頂点とする︶英国製品の強力な侵入によるゾィッ商工業
活動の停滞ほ資本制生産関係展開全体の不可欠な前提たるプロレタ
︵6︶ 村工業の展開︶︒この過程のドイツ的特質には立入らない︒
叫八叫九〜二四年にまずラインラントとザクセンで︑次いでプロイセンの各地で︑睡工業を主とした工業の恒常
的発展がみられた︒英国からの輸入によって可能となった機械使用の意義ほ決定的だった︒小八二五年恐慌迄のこ
の発展の結果︑﹁資本制生産ほFabrikと鉱山で大進行した︒山部ほ資本制生産自ら作りだしかつ戎程度は関税で対
外競争から保護された全国市場の展開につれ︑資本制生産ほ大飛鹿を味わった︒珊八〇〇〜叫○年間および二八一
山〜二〇年間について殆ど同額だった重工業生産高ほ︑ミその次の十年間にき・つちり五〇%増加し︑そして三〇年代
ヘア︶ にもほほ同率の新たな上昇を示した︒﹂それでも軽工業においてほ牽だ資本の有機的構成の引上げほ本葉的に株式
会社なる結合形式なしに行うことができた︒この時期にほ株式会社ほ保険会社設立に主役を演じ︑この点でせり強
︵8︶
カな贋本業中を可能ならしめた︒ザクセンとほ逆に︑プロイセソ国家が市民階級の私営株式銀行創立に寄せる絶えせぬ需要に山九世紀前半中応じ
砂
︑ ノゝ′叫ハ月
︵9︶ なかったことに注目しなければならない︒
へ10︶ 産業贋永主義成立に株式銀行が占める意義にもかノかわらずプロイセンで仙九世紀前半個人金融業者および僅かな
貯蓄金庫が貨幣流通およ匹漸次的に信用供給機能を営んだにすぎなかった︒これほ当時なお存した硬貨・通貨混乱
にも二凶がなくもないが︑主因ほ政府の反動政策にあった︒政府ほまず多数の設立免許申請をすべて却下しさり︑
︑‖︶ 銀行設立が﹁プロレタリアートの抜本的救済﹂をもたらそうとの媚汎
七年恐慌の結果S㌻affhausensche Pri畠tbankが株式銀行に変更したことを除き︑一株式銀行に免許を与えた唯
仙の例ほL八二四年Ritterscbaft−ic訂Pri遥tbank言n POmmernだが︑この銀行の実態ほアナクロにすぎず︑一
八二四年に領農場の負債額が最高に達した封建ユンカーのためのものノであり︑この銀行ほ株主有限式任原則を完全
︵は︶ にほ実施せずかつ株式が資本家から応募されず︑純粋に封建身分的性格を有していた︒﹁八二五年恐慌後の決定的
時期に産業資本に痛切な信用窮迫が始まり︑これを英国への金流出が一層鋭化した︒ニケの国家銀行ほ︑従来も無
意味な銀行政策による銀行自身の窮境と国家財政窮乏に忙殺されて市民層の信用需要をいささかも禿せなかったの
︵13︶ だが︑この状況を悪化させると共に絶対制国家︒封建諸身分のための利己的存在たることを暴露した︒山八二五年
恐慌後の信用欠乏に関する市民層の多くの論及もプロイセン国家を動かせなかった︒
︵14︶ 市民層への経済的依存性から逃れようとする徒労な企ての一にすぎないこのプロイセン国家の銀行独占政策ほ︑
資本制的仔用制度の展開を妨げかつ株式制度︑株式投機な発展させなかったから︑資本主義成立上の典型的現象た
る株式詐欺もさしあたりプロイセンでほ意義をもたなかった︒株式銀行がプロイセンに生じるのほ一八五三年以降
︹15︶
統計上︑プロイセンでほ山八二五年恐慌迄に設立された株式会社は二〇余杜で資本金総計八百万余ターレルで︑
ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前 ︵六二九︶三八九
第三十二巻 第三・四・五号 ︵六三〇︶三九〇
そ
︵16︶ 計一億三千万余ターレル︶で︑その約三分の山 ︵資本蟄総計でほ三分の二以上︶が鉄道会社であった︒︑
︵1︶
︵2︶
人3︶
︵4︶
︵5︶
人6︶
︵7︶
︵8︶/
︵9︶
︵10︶
︵11︶
(ヽ ( ′ ̄ヽ 14 13 12
) ) ヽ、ノ
参照︑資本論第三部・訳︵10︶∽コ頁以下︒
PrOjekt der Dessa莞︻Bank︐くg−.GustaくJ已ius︶Bankwesen︶ ein ne亡eS Gespemst in Deutsch一and﹀ Leipzi喝.
−め会u S.N.
くg︼.B訝se−mann−S.謡.
B訝se−mann︼ S・岩ff● 大野︑18頁参照︒
Re邑u−10nundぎnterre邑象昌in D㌢scEa阜S.崇.他の山例を挙げれば︑プロイセン国営海運業が若干のエ
英企業も営んでいた︒磨−・ROthaer∵営e宕旨巴tnissedes只賢g−ic訂nSee訂ndl増gSinstitutsund dessenGes?
F監tsf旨rung仁ロd−邑宏triee Unter.nebmun的en︵neb思Bericbt aロ島eヨ只旨igくOm∽〇.−−.−∞定︶︸Bern−00㌫ 松田・鵠頁︑平芙・社会政策的協同思想・7貫以下︑参照︒ 松田・24〜35頁︒ 参照︑松田・29頁︑乎・9菖︒ くg−・W・ROSCFer﹀ Geschichte der2atiOna−=OekOロOmik in DeutscEandM旨c訂n−00冠.S.涙〇. M●−E・.Re∂−utiOn und KOnterreく○どti呂ir OeまscEand−Ber−in−誤∽︸S.N∽. 松田・29〜31頁参照︒ J芳明en Kuczynski−DieBeweg.呂的d2rdeut父旨enWirtsかFaftくOn−習○−−¢きLeipzi喝−盟声S・声 封建身分的ギルドおよびツソフトの消失鱒対してもつ保険会社の意義ほ︑くg1.B訝邑ma呂.S.00ーff. 参照︑大野ヽ14貢︒
ーー00彗﹀ S.NOVNitiert bei PO買h﹀ S.−u.
︵15︶ くg︼■ Fred Oe訂昌er﹀ Die Wirt川C已t蒜↓i川eロ︶Erのter Band⁚Die只r−Sen im くOrmOnOpOご裟ighen 只apita−ismus︸
Ber−in−誤N︸ S.N∽楓u.N∽∽.
︵16︶ くg−.die Statistik bei B訝se−mann︸S∵−¢りu︐営○●
︵三︶ ドイツにおける近代産業資本的株式制度の発展開始を告げる鉄道株式会社の形成ほ︑大体においてまず
︵1︶ 生象力がより進んでいた︵一八一五年プロイセンに帰属した︶ドイツ産業革命の心臓ラインラントで行われた︒
︵2︶ 一八主七年の鉄道敷設開始以降︑始めてライン右岸プロイセンほラインテントの発展段階に追つくことになった︒
︵$︶ ﹁他に好収益な投資先を欠いたこ七からドイツの支配的産業部門となった﹂鉄道敷設で産業資本型株式会社が初め
て実際的意義を獲得し︑ドイツにおける無記名株制度ほ初めて鉄道部門で実施された︒鉄道株こそドイツにおいて
取立てていえる蛍で取引所に上場された最初の株式に他ならず︑まさしく︑新しい生産力ほ新しい資本制的結合形
式即ち新しい塑の株式会社によってのみ活動できることが︑個々人や少数の社員の資本による設立・経営が不能な
︵4︶
鉄道制度に示された︒鉄道そのものが新しい生産方法の展開に不可欠だった絶対制国儀自身が︑軍事・税収上の理由から鉄道敷設を必要とし︑しかも国自ら鉄道敷設にかかる財政的・技術
︵∂︶ 的能力ほなかったから︑絶対権力は鉄道会社設立をもとより殆ど妨げないで︑二八三八年︑国家免許による鉄道株
式会社設立およびその会社のために無記名株譲渡の法的可能性を創りだした︒﹁仙方で︑鉄道会社はその定款の文
︵¢︶ 面上しばしば⁝⁝:・緊急のさい相応な補償を得て軍隊輸送のための臨時運転を行うことを義務づけられている﹂▼︒資
︵7︶ 本に乏しかったプロイセンの権力ほこの資本が政治的・経済的に不安定な状況にある国家に最有効に使われるよう
努めた︒しかし階級的利害の対立から市民層の経済的強化妨害に努めた絶対制国家の免許方針は鉄道会社に対して
︵六三一︶三九一 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前
肇三十二巻 第三・四・五号 ︵六三二︶三九二
︵8︶
もその後不明瞭で動揺を続けた︒個々にも免許手続ほ往々長びき︑何年もか1る≒舛ampfum die KOnZeSSiOn雪が語られた︒
∴たから市民層さえも株式引受に対して乗気にならなかったのほ不思議でないが︑鉄道株相場の高騰とかなり大き
︵9︶
な変勤により︑鉄道事業そのものほ何ら格別高い利得見込を示さなかった\にせよ︑なお他のエ業投資よりも利得できた.六特にケルン︑ベルり/ソの個人金融業者による鉄道株引受・発行業務︶︒唯叫の上場株である鉄道株投機が蛤
︑‖︶ まり︑全般的信用欠乏ほ鉄道株引受に所要な資金を他の投資分野から容赦なく奪うことなり︑利子率は急騰した︒
プロ.イセン国家ほ∴八四三年末国家の保証する ︵staat−icF笥rantieユe︶鉄道株が絶対確実と言明し︑その投機意
保護したっ しかしそれ・から∵月も経たない内に急俄に普及した投機を阻止しようとした政府ほはんの部分的成功し ︵は︶ ︵13︶ か収臥なかったが︑おかげで鉄道工事ほ当分完全にスト.ップした︒絶対政晰ほ政府の手を以てしても軽挙ユAただ混
乱させるにすぎないことを体験させられた︒
︵14︶ ここにプロイセシ政府ほ株式会社設立に対する私人のイエソ抒チプを許さぎるをえないと︑淡渋ながら︑覚らさ
︵川︶ れ︑仙八四三年遂に山般的な株式会社法が成﹂はした︒しかし︑一.九世紀前半中のドイツの国家的分裂と相まって依
然たる免許制の維持ほ資本制生産関係の発展に対する反動的橙枯であった︒封建国家の施設だったマエコ期の
︵16︶ AktienkOmpanieほ叫八二〇年以後全く消失し︑・既述の銀行制度国家独占を除き︑市民階級のイニンヤププによる
十九世紀産業資本型の新しい株式会社ほ発起人・株主の利得心を設立・運営の唯仙の規準とし︑封建的国家行為で
なく私人の契約で設立される︒免許拒否・監督により占い国家権力ほなお妨害力か残していたが︑社会に現存する
資本がもほや魔対君主の下でほ結合しなくなった今︑株主が株式会社の完全・平等な社員でありかつ会社が株主の
共有物であるという大綱正二八讐二年法にも正面から取入れることになった︒従って︑新しい型の株式会社ほ当時
の反動絶対制内部での利得の﹁市民的自由﹂儀分︑私法︑に属した仙故知式であり︑またその普遍的類型化により
株式会尤ほ今や他の結合形式から明確に区分することが可能になった︒市民法学がこの新しい結合型式を教説的に
把握しかっ法体系内に編入すべ計時点もまた到来したのである︒
鉄道会社を最初の主代表者とする山九世紀型株式会社腰商業資本に対する産業資本の勝利=封マニュ期終了の表現
︵けノ である︒商業資本・産業資本の歴史的相対関係ほここに小う迄もないが︑この点興味深い例ほ︑仙八山山○年代初に
ラインラットの資本家通が輸甘独占目的でHaロde−skOmpanien設立な企て︑ニケの不運な企ては別として︑Rhei字
SC訂・宅estindisc訂舛Ompanieほ或程度成果を収めたエ阜である︒しかしこの商事会社はマニュ期のそれとなお本
質的に異り設立動機が産業卦本から発していた︒この会社ほ ﹁Fabrikantの連合であり︑かつその株式会社の配当
よりも被ら白身の企業の輸出促進を眼目としたJら この会社が産業資本の利益に仕えたのにごく短命に終ったのほ
純終な商業独占は産業資本主義の勝利以後個別産業資本の競争によって原則上破壊されるからであろう︒
山九世紀前半に設立されたもうニケの商品取扱株式会社ほ︑融八四八年のMatbias Stinnescbe琶and−ungsIAG
であるが︑この設立ほスチネ家同族産業資本に一八四七年恐慌の影轡をできるだけ免れさせる応急策にすぎなかっ
︵19︶ た︒この例にも産業資本制に典型的な商品取扱資木の従属化ほ明白である︒
それ以外では当時株式会社なる結合方式ほ根本的にほ商品取扱資本に無縁なままだった︒商品流通分野では生産
および貨幣流通におけるような集中は不要だし︑この時期でほ商業独占設定ほ競争によれ必然的に打破されると判
︵20︶ 断された︒差ぎり合名・合資会社の型態でこの時期の商品取扱資本の需要を十分充せたといえよう︒
J七八世紀にほ絶対君主正二定の進歩的役割を果し︑市民的生産関係曙助長また従って生産力発展に寄与したが
山九世紀にほ信用制度殊に銀行制度の絞殺と免許強制に由る株式制度の人工的抑圧により生産力の発展を妨げるに
ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義L夜明け前 ︵六三三︶三九三
第三十偏一巻 第三・四立号 ︵六主四︶三九四
至った︒この変化ほ絶対制の歴史的宿命によるものだが︑封建階級自らが古い生産関係維持に寄せる︑関心ほしほし
︵21︶ ば彼らが株式引受を拒絶した時の捨ぜりふに明白である︒﹁進歩した技術の旗手・生産技術発展領域での革命老た
ヽヽヽヽヽ ︵幻︶ る市民階級﹂ほ十分に株式会社の﹁神通力﹂を覚っていたが︑この社会発展の為の経済的要具ほ封建後見によって
制限されているかぎり︑寸分な威力を発揮できない︒この政治的橙酪の除去をドイツ市民階級が獲得するのは︑一
ヽヽヽヽヽ 八四八年革命以後︑彼らがプロレタリア対策のために封建勢力と同盟した時︑つまり市民革命という政治的要具放
ヽヽヽヽヽ 棄と引換えに︑であった︒そしてこの時点で彼らなりの先進資本制国家に追つく途が拓かれたのである︒
︵1︶ 三七年アーヘンの羊毛商人主導下に設立されたライン鉄道会社を皮切りに︑ほや四〇年代ケルンとルール鉱区の連絡が
成り︑鉄道網建設ほ鉄・石炭の需要・生産高を飛躍的拡大し︑炭鉱から遠隔地で石炭の動力源使用可能化により蒸気機関の
普及を助けた︒同じ頃の墜坑開鉱法・熔鉱技術革命ほ鉄鋼業建設の経済的条件を完成した︒大野・13頁︑大隅・64頁︑参照︒
︵2︶ プロイセソ鉄道網発展を延粁でみれは︑40年 −山七六︑50年 − 三五四九︑60年 − 六七三九︑70年 −一〇八二て
︵3︶ M.−E: Die Deutsche HdeO−gie一Beユin−浩詳 S.どP
︵4︶ 参照︑資本論第一巻訳︵3︶畏↓頁
︵5︶ Preu設isch200G・註e︻dieEisenbaFnu已erneFmungen﹀一占m∽.u.−豊00u Ges.−S.−00∽00﹀S.NOひ箪無記名株ほ
同法二条一項所定︒
︵6︶ Asc買−−esRenaudいDas RecFt derActienge笛−−sc訂ften−Leipzi鴨−008.S.−詔.
︵7︶ E思e−s﹀ Ueut父首e Zust警de−S.缶.
︵8︶・B訝se−mannV S.讐u.−−A f.
︵9︶ 資本論第三巻・︵9︶︺g︑ひ00○頁︑︵10︶琵N頁︒
︵ユ0︶ 大野・10貢︒またこれより個人金融業者の機能も変質し始める︒
( /−\ /【■\ ( 14131211 \J \_ノ ) 、−・/
由もこの点にあろちノ︒
︵聖 L.謬rgerの報告によれば︑﹁N伯がとても不思議でならなかったのは︑どうして貴族がそのような事菜︵訳註−株式会
社︶に自分の金を供すると期待されるのかであった︒けだし貢族ほ古い日日ますます消えゆくA家父長関係∀の再確立を
目ざす事業しか助成しないだろうから﹂︒別の員族によれぼ﹁なぜ私らが鉄道敷設に私らの金をださねぼならないのか
︵六三五︶一三九五 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前
ご..
1!● 卜 =i云「;
\J ) \J \._ノ \、/
′さ
参照︑大野・柑︑21頁︒
Oe−ひSneru Die・Wirt父首aft洛risen︸ 出d.H︼S.NN〇.
Bαsselmann−S.NN.
Bαsse−mannu S.ゴ ﹁政府が漸次恐かだしたのほ︑まさ乾その資本の結合において市民層のカが国家内の一種の副政府
︵芽benregime已︶に成りきるかもしれないことだった︒革命思想と共に株式会社設立への刺戟もよく到来したフラソ
ス不信から︑また事の成行を全然見通せずまたその裏に在る諸の力をそれ以上認識できない確固たる不安からも︑その
後の政府の株式会社に対する立場ほ説明がつく︒この故に株式会社設立ほブロイセソではもほやしかも株式会社出現が
多くなる程ますます歓迎されなかった︒﹂
G.旨er die Aktiengeseughaft㌢二言m箪▼ N.−00缶.その内容ほ大隅・65貰以下参照︒
ヽヽヽ ﹁同時に︑かつてほ政府企業だったかような企業は会社化された﹂︑資本論第三巻訳︵lq︶琵○葛宮sse冒登声S・声
資本論第三巻訳︵9︶畠料︸念料〜島の頁参照︒
B訝se︼mannu S.ヨ.
B訝se−mann﹀S.遥畑この株式会社に﹁スチネ家財産の鱒﹂1商業︵特に石炭商︶に投資された分!が提供され︑
それに債権者達が各債権に比例して持分を得た﹂︒
ドイツで最も早く株式制度発展の可能性を有したハンザ同盟系の商業都市が山風して株式会社制に冷淡だった最大の理
第三十二巻 第三・四・五号 ︵六三六︶一一元六
ね︒それなら今後どの百姓︵Bauer︶も私らと同じ速さで通行できようというのかね﹂︒Nit.コaChB訝se−mann.S./00ソ
︵22こ たとえばMarbacFEi︒W邑各e︻denRecFtsc訂−aCterd2rAktien町2邑−schaften﹀Leipzig−00貫S一崇.ほ﹁株
式会社によって成就された物﹂を語り↓東インドほ株式に基き征服され︑大西洋ほ同じく汽船の橋によって橋渡しされ︑
場所的距りの概念は豪気鉄道︵Dampf・u・Eis2nba旨en︶によって革命化され︑英︒北米では運河に河船群が浮び︑ト
トンネルなど︒これらすべてが株式会社の作品である﹂︒ ック
二
︵こ 封建社会に咋都市民のツソフト・ギルドなどのGemeindeから封建諸ぎrpO邑Onに至るまで︑古代マル
ク共同体から自然に発達したかその組織において本質的に古代マルク共同体の型を模倣したかのいずれにせよ︑多
︵1︶ 彩な人的団体の諸形式が存する︒封建隠代にはこの多様な諸団体を﹂ケの厳密に編成された法体系に把握する試み
ほ︑各種類の団体個々が互いにまちまちな組繊であった上に︑何よりも封建社会にほ法一般についてと同様かかる
抽象化の実際的需要が存しなかったため︑皆無だった︒封建制生産方法ほ生産過程の展開に何ら資本結合体を要せ
ず︑ツソフト・仲間団体などの結合体ほ随時共同利益の保護に役立つ個人生産者の常設連合であり︑小範囲の分散
︵2︶ 生産の表現であったっ
マルク共同体が法の成立と共に所有権の主体として現われた︵共有マルクはその名残り︶ように︑団体が原則上
所有権その他の財産権の主体たりうること1また団体が成員の交代︵死亡・脱退・加入・出生︶から構成・訂∵性
に影響を受けないこと︑ほ本来経済関係上必然に自明だった︒しかし封建的身分利益保障のための如織を本質とし
た封建同業団体ほ︑共同利益の達成上例外的に必要とされる場合︵たとえば共同金庫・倉膵の共同所有︶にしか朗
産権主体とならなかったため︑潜在的私権主体というこの団体の特質ほ多少とも附従的だったしかつ偶然的とみら
ヽヽ ヽヽヽヽ れた︒︵団体・身分に個人が埋没してぃた前近代社会の本許ほ逆説的に個人な前提して始めて自覚される団体を封
建法の問題意識に上させなかったといえる︒なお対比の便宜上山般ギルドから特殊ギルドへの分化過程にほ本稿ほ
触れない︶︒手工業ツソフトほ共同所有設定や共同営業の目的で形成されるのでなく︑個々の営業の保護および山
切の反ツソフトの行為に対する億制を対外・対内的に保証するために形成された︒
︵3︶ 他方︑封建社会で共同営利行為︑殊に商業・海運での私的結合︑が形成されても︑この結合体ほ本来無縁な多少
とも査曲されたローマのSOZi2t警srecどに服し︑権利主体たりえなかった︒副八世紀迄の特権的商事会社ほ明文規
虐により私法上の権利主体となったが︑これほ他の諸特権付与と同じく︑会社が公益に即ち絶対君主の利益に役立
▲け っことの表現にすぎなかった︒従って︵殊に剛八世紀︶封建国家に典型的なのほ︑個人以外にほまず第﹂に︑︵広 く特権会社を含め︶政治的団体のみが私法上の権利主体たりえ空﹂とである︒社団的権利主体性は団体の政治的目 的設達に結びりけられた︒即ち団体が﹁公益︵gemeineBesteben︶﹂に役立つ場合にのみ︑その団体ほmOrali一 SCbe PersOnつまり独立の権利主体とみなされえた︒mO邑isch なる付加語ほ﹁公益﹂ が絶対君主の階級的利 益に他ならないことを表現する︒
mO邑ischPersOnなる法概念ほ同義に用いられた表現mystischePersOn 同様かなりの占蔓無視定だったが大
体に和紙体の潜在的私権主体性を表現した︒しかしこの概念の主内容は組織体の﹁公益﹂目的設定に在り︑ノこの法
概念揖﹁本質﹂から封建的法律観ほさらに﹁公益的﹂財産使用に対する国家監督の正当化な導出した︒当時の法律
︵4︶ 家自身にとってこの法概念はmyst2riαse\Macht とみなされ︑現実の所有関係の土ムロとみなされたのである︒
マニュ期社会関係な反映したこの日Ora−iscFePersOn概念函数の沈澱物は山七九四年プロイセン山般州法︵AL
R︶ に見出される︒
ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前 軒
︵六一三七︶三九七
彗至姦彗丁甲五号
、
︵六三八︶三九八
﹁KOrpOratiOnenとGem2inen︵註G2m2ind2の古形︶の権利ほ恒久的公益目的︵的2mein邑2ig2n2weck︶に培
︵5︶ びついている∃mStaateg2n2hmig−en暦e−−sc邑−のみに与えられる﹂︵竃≠の︶︒それと共に第八㌻条旺より
﹁市民生活﹂上の行為における≒mOra−isc訂P2rSOn迄る資格︑即ち権利能力︵八二条︶と団体財産を限度とす
る責任限定︵空︑九四条︶︑に結びつけられ驚これに対立するのがごユaub−2Pri星geseschaften誕った︒こ
のG2SeuSCbaftほ︑その駕m2insc已t−ic首Nw2Ckが﹁公共の福祉︵gemein2n宅OE︶と両立するかぎり﹂︑許可され
た︵二条︶︒つまり2ユ邑t2G2S2日sc邑−2nの要件ほ単にその存在が封建国家の利益に反しないことのみだった︒ヱ
の私組合ほ第三者に対してmO邑isc訂nP2rSOnの権利をもたずまたその放に観合の名で不動産・資本を取得できな
かった︵∵三条︶︒解合員ほ連帯責任を負った︵題−・二三〇︑二三九姦二傾ご七号︶︒ ◎
またmOra訝cFePersO是る封建的特権に国家的後見が結びつけられていることほ二連の多くの規定に表現され
た︒たとえば定款規定・社員の入退社︵四三条以下︑四八条︶∴新出潜︵六六条︶・不動産の取得ないし処分︵八
五条︶に対し国家ほ監督権を有した︒国家ほ内OrpOraliOn役員の補充的任免権を有ち︵二ハ五︑壱六︑壱二条︶
K︒rpOratiOnの解散にほ国家の許可を要し︵一八〇条︶︑解散のさい財産ほ別段の定款規定なくば国家に凋属し︑
また国家が債務も引受けた︵二〇一条︶など︒
ALRのmOra−iscbenP2rSOn概念ほぼらばら紅また輪郭のばやけた意味で用いられており︑﹁同法典でほすべて
の統表握された複数人をれへein2mO邑i邑eP2rSOn㍉阜表現する︵たとえば二五条二項ス号︑複数の後見人︶
漠然とした自然法的用語法が迷い歩いているので︑との表現ほ語の技術的使用に対して⁝⁝・無意義であ㌫∵
ALRの只OrpOratiOnおよびmO邑iscFePersOn概念ほ封建的法律観にごく分も難く結びつけられ︑こう表現された
団体ほ封建国家のための政治的任務を多少とも負担せねばならず︑同じくこの概念に自明な国家後見の観念が結
︵7︶ びついた︒
︵4︶
︵1︶
︵5︶
︵6︶
︵7︶
︵二︶
︵六三九︶三九九 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義−夜明け前 ギールタの壮大な隠体法理論も所詮ほドイツ近代社会釘後進性故に数多残存した前近代的団体から近代的資本結合体に 至る迄のあらゆる団体を彼なり虹統蒜握しようとしたものに外ならない︒参照 川島・企業の法人格︒ DieDe已scF恥HdeO−Ogie∵拐.NO戸さ ﹇ナウカ唯研訳︵1︶亜〜61︑80頁﹈︒ 個個について−−殊風重要かつ興味ある山六世紀以降Berg君rk品ewerksc訂ft︵鉱主共有組合︶.とぎapps︒haft︵抗 夫組合︶の分化過程およびそのごく多様かつ不明確な法的関係−ほ本稿でほ立入らない︒ 磨−.DieDeut箸heIdeO−gie﹀Sけ∽芦mO邑ighePersOn概念の内容変化は本稿で立入らないが︑本稿との関連で大 切なのほプーヘンドルフの打出した如き∫per∽OnamOra︼is︶﹀ ︵芸simpe叱ご・COmpOSitaJ の自然法的概念でなく︑ 一入世紀法律扱がこの概念軋与えた内容である︒この点の論及ほ遥−・〇・ヂGierkeサH訂sdeutscheG・−reCざ璧・ 葛⁚DieStaats−亡ndKOrpOratiOコS−e冒e d2r N2仁詣it︸Beユin−讐∽︐S・告∽ f・u insbesOn牙re Anm・−∽−〜−詮⁝d・ erse︼beLO訂nnes A−thusius u.dieEntwick−仁ngder2aturrecFt−ichenStaatst訂Orienu∽・A仁S甲G監tingen−誤00﹀
︵ScientiaAalain︶S.−声
りかつますますpersOna COmpOSitaに限定され︑他方per筈naSimp−e舛ほ再びpersOコapざsicaとしてそれに対立させ
られた︒﹂
ALRの表現法によれば︑占eseschaften︒ほ権利能刀なき︒PriくatgeSe−︼scFaftcnヾ曽i墓egierteGese−−箆haften︒およ
び権利能力ある丈只OrpOratiOnen戸Gemeiロenuに対する上級概念であった︒
〇.ヨ Gier賢一Die G.tbeOrie u.die deutscFe Recht名reChung﹀ 出erlin−∞00↓﹀ S.謡−Aヨm−N●
くgL Gierke一a.a.〇こ S.讐.
﹁A市民社会∀において︑始めて︑社会的結合の諸型式が︑′.個人の私的目的のための単なる手段とし
■)
第三十二巻 第三・四・五号 ︵六四〇︶四〇〇
︵1︶ ゼ︑外面的必然性として︑個人に向い合う﹂から︑新しい株式会社ほ︑︑ALR体制下の団体と異り︑端的に営利を
日ざした資本制的鵜合に適した法型式を求める︒絶対制的KOrpOrati昌特有の国家後見ほ粉砕されねばならなかっ
︵2︶ た︒
この必然性は市民階級の法律観にも反旗した︒既にフランス革命の直接の感緒のもとWil訂−m誓HumbO−tほ私
的所有者結合体内における私的所有者の自由支配を要求しかつ封建的KOrpOratiOn樫楷を一貫して拒否し︑株式制
︵3︶ 度展開に先立つ十年前に彼ほ市民的結合を全く私権紅属するものとみなした︒
︵4ノ マルクスが刑法・プロイセン州法を聴講したベルりノンのEd畠rdGansほ︑鉄道株式会社成立以前に新しい株式会社
への国家干渉の無意味さを強調した旬彼ほとりわけ国家干渉が公衆を詐欺から守るために必要だという封建的法学
者が言い慣わしている主張に反対し︑国家がかかる保護に無能であるヱとを示した︒徹底して披ほ株式会社に対する
﹁ラント法がm01a−ischenPersOnに規定するようなmOraliscbePersOnたる権利の許可﹂をも目的違反として拒否し
︵5︶ た︒しかし鷺本制的株式制度への封建的干渉に対するこのような公然たる攻撃ほ市民法学内/でほ全く稀だった︒
資本制所有関係の自由な展開には資本制を枠づける法律関係規制の私法形成を必要とし︑個々の市民的関係を許
可する﹁絶対制的﹂特権ほ私法の支配に途を譲らねばならない故に︑市民法学者の課題ほ私法を鋭く公︵封建︶法
から切離すこと︑おはぴギールサが後に封建打開係を栄誉づけた表現﹁私法と公法の内的統意るゲルマン苗代の
︵6︶ 7︶ 貴重な遺産﹂を決定的に打砕くことであり︑後の絶対制権力と市民階級の妥協線もこの占州に画されることになる︒
︵1︶ Mar舛Y Z喜K註ikder.pO≡iscben′OkOnOmie−謬r−in−欝−>SけN裟巨宮川訳︵背水文倖︶N0000員︒
︵2︶ ﹁工業・商業の発展に由り新しい取引形態︑たとえ膵保険会社その他諸会社︑の形成がごく頻繁になったので︑法ほそ
の都度それを財産取得方法︵Eigentumserwerb∽arten︶の下に収容せざるをえ釘かった﹂︑Die︑Deutsch:deO−Ogie
S・監︵訳64頁︶︒Ein阜K賢g−ic訂rCOm日計sar﹀塁・Ml−−Fei−ungかn已完rdi2斉handどngendeニandtagニ
K賢gr2icF SacFs2n︶・D琵den−00芦S・Nの声﹁株式会社ほG2−dでほないが︑或程度までG21dに由って代表され
る︒それ故にその本質そのものをどう認識すべきか︵wiedieSac訂eige邑icF2neFmen︶か明白となる︒株式会社 /
ほ︑GescF巴teを行うかぎり︑人とみなされねばならない﹂︒
︵3︶ く的i・Hdeenzu2inem宕rs喜ざdieGr筈Nender宅irksむmkeitdesStaate芸ubestimmen﹀諾r監fent−ichtBres一a亡T
︑ −宗一ーS・−N:fこ∽N∵終にS・⁝−∽〇二このさい国家に期待すべき最主要事︵dasぎ琵g−ichste︶ほ︑それ故︑すべて のmO邑ischePersO喜d・Geseschaftがそれだけの資格で︵f賢nicht00Weit呈其都度の社員の結合︵宕reinig仁ngder jedesma−igenMitg芽der︶とみなされるぺきヒ日︑またそれ故社員がその共同体の諸力・手段︵只邑teu.Mittel︶の使用に っき議決権に由り随意に甘acFGefaごen︶決議することを全然妨げられえない旨の︑規定︵AnOrdnung︶のみであろう︒﹂
︵4︶ ガンスほザピニィ・歴史法学派の敵対者であり︑ヘーグリアンとして法をその発展裡に考察し︑また検閲が故に沈黙を
強いる迄当時現行のブイセソ法に周到な批判を下した︒マルクスほ彼の講義にどの他の法律講義よりも多くの興味を示
した︵M・由﹁Gesam−ausgabeu Ers−eAb−.L・Bd・YN.Ha−bband︸B¢ユin−§S.琶f.︶︒若きエンゲルスほ彼を
自分に価値があった数少い学者の山人として彼を挙げている︵P a.〇.㍍Bd⁚﹀Ber︼iコー盟戸S.設e︒
︵5︶ 何・Gans−Beitr蒜e賀rReまsiOn der PreussischeヨGesetz閃ebung﹀Berlin−思○−−讐戸S.−00N.
︵6︶ DerEntw亡rfeinesB昏ger−ic訂n Gesqt註ucFes戸 dasde已sc訂R.︼LeipNig−00芦 S.−N.他方′E.Gan00W a.
a・〇・S・N軍﹁国法関係との私法関係の宕rmiひCFenほ叫般に中世の法状況を表わす﹂︒
︵7︶ ↓市民階級ほ自己の私側に干渉することを国家に許さずかつ市民階級自身の安全と競争保持に必要なだけのカしか国家
軋与えないが故に﹂虻i2日付已scheHdeO︼Ogie︸S●当ド ︵唯研訳人2︶島○頁︶︒
︵三︶′ この課題の最単純な解決ほフランスの古典的資本主義法を借用することであったろう︒大市民革命によ
ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義蓼夜明け前 ︵六四こ四P一
′
︵六四二︶四〇二 軍三十二巻 滞三・四・五号
る封建職種椅粉砕後︵地代なせ︑︑\ラボ一流重虚主義的経済を予恋したにせよ︶フランスの法律家は単純商品生産の
︵1︶ / 実証ずみ法型態たるロトマ法を近代資本制関係にマイスターハフトに適応させた︒他方フランス法学ほローマ法が
全く適応性をもたない場合については面倒な歴史的形態を研究せずあ?さり新社会の必要に即応すると思う型式を
新たに展開するのを悍からなかった︒
しかしプチシス法の借用は必然にフランスのより革命的な法律観の浸透激化を伴うだけでなく︑その侵入が私法
に止まらず封賂権力の風分たる公法に進も及ぶこと紅なったろうから︑.この解決賃ほ封建勢力の怒り猛った抵抗に
突き当った︒また市民階級もその後遊佐故に温まけにナポレオンの侵略に対する民族的憎悪が加わって︑本来当然
借用す′べきフランス産山切を拒否した︒故瞥﹂の解汝策ほすべでの隠律家の反対する所となった︒
肯良階級の要求の進歩的かつ節操ある代表者Tbibaut自らが仏法の借用.を激昂して拒否し︑ナポレオンが﹁鋤を
︵ヱ ︵2︶
半ば抜いて﹂ドイツに差出したこの外国法に民族的︵民事︶立法を対崎させようとした︒しかし彼の考えもいぜん支配的な封建的法律観を感化するのに成功できなかった︒法典編纂は仏法の模範性を明白ならしめただろうから︑
彼の主張が成功していたらその後の展開ほ異のていたであろう︒彼自らもドイツ立法にとって最も示唆豊かなく?
rarbeitがとりわけフランス立法に廃されていることを認めざるをえず︑このことほなお即ち彼の要求が封建勢力
にとって容認できないものたらざるをえないことを暴露したに他ならず︑ザビニイがこの民族的法典の要求抑圧に
精出したのは偶感でなかった︒
封建的法型髄蔵造を試みるダルマ︑ニストの徒労な企てを別とすれば︵この点ほ次の機会に触れる︶︑唯一の出口
︵4︶ として残ったのは︑﹁単純商品所有者の仙切の本質的法律関係の比類なく敢然たる仕上げ﹂である古口ーマ法型態
の更新借用軋った︒この事ロは伝統的に私法に限定された継受の先例に一致でき︑封建的公法が全く不可侵のまま
でおれを利点があった︒しかも継受以来ローヤ法ほ﹁小市民的かつ半封建社会のために⁝⁝裁判上の実際を通して
︵6︶
この社会の状態把合せて﹂圧し凹められていた︒故に︑′私的所有の法的表現たる私法から封建的要素を洗い落す必要のドイツ的表現は︑より強度に伝来のローマ法の回想に努あかつそれをT切の法的叡智の究極的源泉とみなす試
みに見出される︵いわゆる第二継受︶︒ローマ法自身から何ら明確がつ実用的教示が得られない場合には︑パンデ
クテン学説内で必要に応じて体系化され︑ローマの慣行が法概念に還元され︑最後にかく得られた概念の﹁本質﹂
︵6︶
から﹁何が法であるか﹂が導出された︒この市民法学内部のイデオロギイ的過程ほ普遍的に市民法理論のその後の発展に絶えず作用してぃるけれども︑
︵7︶
まさしくドイツにその最高の刻印が見出される︒概念スコラスチクに助けられ市民法学︒封建法学のいずれも虻の階級利益のために同じ方法で︑同じ﹁歴史的﹂
衣服をまとい︑古いものも新しいものも﹁正当化﹂できたことほ驚くに当らないが﹁ このスコラスチクは差当りか
なりの封建時代の法古文献をそっと儀体系から除去するに市民法学者に役立った︒この営み全部ほ既に自らもロマ ㌻
︶ ニス斗だったTEbautが多くの辛らつな言葉できめつけたところである︒
しかしTbibautの弾劾ほ響きやんだ︒全然現実に革命的市民階級のいない所にほ革命的法律観の支配およびその
︵9︶
帰結たる市民法形成の余地もない︒︵1︶ ︵2︶ A.句.J.TFibautV Ci4こisti讐Fe AbFand−ungeタH2ide︼berg−00一心︼ S・会〇・
︵3︶ a.a.〇.⁚ご=⁚⁚⁚eSW賢de已ヨSermぎlke畏r eWigenScbandegereic訂卓Wennder諾r監賢digeu wOhiw01訂nde
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︵六四三︶〝四〇享 ドイツ株式会社法成立過程における法人理論の意義1夜明け前 綾瀬