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カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶

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カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶

富 井 幸 雄

目次

一 はじめに

ニ カナダ憲法における世俗主義−前提的考察

 ー イギリスにおける国家と宗教

 2 イギリス法の継受?

 3 国教化と世俗主義

 4 世俗主義ー司法と宗教の分離

 5 カナダにおける国家と宗教の関係−考察の糸口︵以上四十九巻一号︶

三 カナダ憲法における宗教と教育−一八六七年憲法九三条の意義︵以下本号︶

 1 背景

 2 九三条の内容ー一九八二年憲法二九条との関係

 3 親の子どもへの宗教教育権

カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一二三

(2)

一二四

 4 特定宗派への公財政支援ーオンタリオ州教育法案三〇号事件

 5 他の宗派への援助ーアドラー事件

 6 公立学校での宗教教育

 7 小括

四 むすびにかえて

三 カナダ憲法における宗教と教育ー一八六七年憲法九三条の意義

1 背景        ︵餌︶  カナダの学校教育は︑一七世紀初頭︑フランスの宣教師によって始められた︒フランスの代表的な教育修道会

︵イエズス会とウルスラ会︶による学校の設立を源とし︑フランスの学校の慣習が根づく︒イギリス領になってか

ら英語系の学校が設立され始め︑独立戦争︵國①<o巨↑o日目壽﹃︶時︑アメリカから英語系住民が移入してきたこと

もあって増加した︒そこで︑フランス系のロワー・カナダとイギリス系のアッパー・カナダで学校教育における宗

派の分離が際立ってくる︒一八四〇年制定の連合法で両カナダが統合されカナダ州が成立したのに伴い︑同法発効

年の一八四一年に学校教育制度を統合しようとする教育法が制定された︒この教育法は学校の宗派性について規定

し︑少数宗派の住民が学校を設置維持し︑公的に財政援助を受けることとされた︒しかし︑こうした統合の試みは

失敗し︑それぞれの州の学校制度を発展させていくことになる︒

(3)

 連邦結成︵60己Φ巳Φ﹃③古﹂○﹈﹁P︶時︑新しいオンタリオ州︵西カナダ︶では多数派のプロテスタントが教育に関する権

限を握って︑少数であるローマ・カトリック教徒の権利を取り去ってしまうのではないかとの懸念があった︒逆に

ケベック州︵東カナダ︶では︑多数派のローマ・カトリック教徒が少数派のプロテスタントの権利を奪ってしまう       ︵65︶ のではないかと警戒された︒言語についても同様で︑ローマ・カトリック教徒はフランス語︑プロテスタントは英

語を主に話した︒宗教の少数派は︑その特定宗派の教育に関する権利を保障され︑カナダ連邦結成時にプロテスタ

ントとローマ・カトリックが有している権利が州の立法によって纂奪されないようにするために︑これを保護した

のである︒さらに︑両教徒の宗派学校に関する権利や特権は究極的には連邦政府によって担保される法理を憲法に    ︵66︶       ︵67︶ 結実させた︒一入六七年憲法九三条の背景はこのようである︒この九三条は︑カナダの二大政治勢力でもあるイギ

リス系とフランス系の両人民の妥協の産物といえる︒

 九三条は唐突ではなく︑むしろ既存の保護を憲法レヴェルにまで高めたものとされる︒連邦結成前も西カナダで

はローマ・カトリック︑東カナダではプロテスタントと︑それぞれの州での少数派を公立学校とは別に公財政支援       ︵68︶ し得る学校制度を立法で保障していた︒九三条は既存の宗教学校と公権力︵州政府︶との関係を維持することを宣

し︑将来︑少数の宗教が公権力により衰退せられないことを保障したのである︒

2 九三条の内容−一九八二年憲法二九条との関係

       ︵69︶  カナダ国家が成立する一八六七年憲法の制定で︑教育は州に専属的立法管轄権︵九三条︶が認められた︒それに

は条件が付いていた︒第一に︑そうした州の立法は︑連邦成立時にその州の法律で一定の人民団が持っていた権利

   カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一二五

(4)

一二六

や特権に不利な影響︵b﹃巳已合O一巴望  知陣Φ6古︶を与えてはならない︵一項︶︒第二に︑ケベックのプロテスタント及び

ローマ・カトリック教徒のための少数宗派︵α﹂Qoo◎而5け﹂O﹁后︶学校は︑アッパー・カナダ︵オンタリオ︶のローマ・カ

トリック教徒のための分離学校と同じ権利や特権︑そして義務が与えられなければならない︵二項︶︒第三に︑い

かなる州のプロテスタントもしくはローマ・カトリック教徒の少数派にも︑教育に関する少数派の権利や特権にか

かわる州権力の決定や行為に対して︑それらがいかなるものであっても︑カナダ総督に訴える機会が与えられる

︵三項︶︒第四に︑九三条に関して連邦議会は総督の決定に影響を及ぼす﹁救済法︵苫旨゜合巴冨零゜︒︶﹂を制定する権       ︵70︶      ︵71︶ 限を有する︵四項︶︒州に自治権を認めながら︑連邦が少数宗派を保護する形となっている︒一方で︑非宗派学校

︵⇒o〒αΦ50置5豊05邑に対する州の権限には制限がなく︑宗派学校についても︑保護は宗派とは関係のないカリ       ︵27︶ キュラムにまでは及ばない︒一入六七年憲法はカナダを連邦国家とし︑連邦と州の立法管轄権をそれぞれ九一条と

九二条で列記した︒九三条は連邦法が州法に優位する領域を認めたのであり︑その意味では準連邦国家だともいわ

︵73︶

れる︒

 九三条は連邦創設時の州である︑オンタリオ︑ケベック︑ニュー・ブランズウイック︑ノヴァスコシアには当然

適用されたが︑その後︑加入する州が増えていくたびに︑その都度︑立法によって当該州にも適用され︑保障され        ︵47︶ ていくようになった︒一方で︑一九九七年︑九三条一項から四項はケベックには適用されないと規定する九三A条

が追加され︑一九九八年にはニューファンドランドでも同州の連邦加入盟約︵弓﹃8蔓○﹃⊂巳8︶一七条が改正され︑

特定の宗派学校への公財政援助は削除されたために︑九三条はもはや同州には適用されないようになっている︒な

お︑ニュー・ブランズゥイックにもノヴァスコシアにも︑一八六七年には公財政支援を受ける特定の宗派学校は存

在しなかったから︑本条は無関係であったし︑ブリティッシュ・コロンビアも連邦加入する一八七一年には同様で

(5)

      ︵75︶ あったので︑関係がない︒

 州の自治権が認められながら連邦に服従しなければならないとしていることは︑連邦制にとっては変則的ともい

える︒しかし︑教育について州の自治権を認めたうえでその立法権に制約を課した九三条は︑少数宗派を保護する        ﹁小さな権利章典﹂に匹敵する︒一九八二年憲法でもこの考えは維持され︑宗派学校︑ローマ・カトリックの教区

学校︑そして非宗派学校については︑憲法が保障している特権や権利を廃止あるいは減少されることはないとして

いる︵二九条︶︒

 ﹁それぞれの州で保護される権利や特権は︑当該州がカナダに加入したときに当該州で効力のあった宗派もしく

は分離学校に関する立法をみることでのみ︑画定されうる︒保護された権利や特権は︑当該州の連邦創設以前の法

律によって︑州ごとに異なること止犯﹂・ただ些一奏保護は宗派学校にのみ及び・非宗派学校や公立学校には

及ばない︒

 一八六七年憲法九三条で示された少数宗派の保護は︑少数派の言語や文化を保障するように発展していった︒一

九八二年憲法二一二条は︑州によっては少数とされる英語またはフランス語での子供の教育権を保障している︒この

;二条と一八六七年憲法九三条は目的を共有するので在馳︒

 九三条は少数派のローマ・カトリックの学校︵△O⇒O冒①け一〇白知一 〇〇6ゴOO一︶を保護している︒したがって州は︑この

宗派学校への財政支援をなすことができる︒ローマ・カトリックが少数派宗教となるオンタリオでは︑宗教学校へ

の公的支援︑とりわけ公財政援助が問題とされて主超︒

 一入六七年憲法九三条と一九八二年憲法二九条が特定の宗教宗派にのみ国家的保護を保障していることから︑世

俗主義に疑念が生じる︒これらの憲法規定は世俗主義と矛盾しないのか︑信教の自由と調和するのか︒以下︑カナ

   カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一二七

(6)

一二八

ダ憲法において宗教と教育に関する議論を一瞥することで︑こうした問題を考察していく︒親の宗教教育権︑憲法

で言及されていない学校への支援︑他の宗派への公財政支援︑公立学校の宗教教育︑の四点について判例を分析し

ながら検討していくことにする︒

3 親の子どもへの宗教教育権

 カナダは教育を州の管轄とし公的事項としている︵一八六七年憲法九二条︑九三条︶︒そこで︑親の信教の自由

としての宗教教育権との調整が問題となる︒

 一般に︑信教の自由には︑自身の宗教的自己決定権であることに加え︑派生する自由として︑﹁両親が子どもに

自己の好む宗教を教育し︑自己の好む宗教学校に進学させる自由︑及び宗教教育を受け又は受けない自由︵この宗        ︵80︶ 教的教育の自由を宗教的行為の自由の一形態とみる説もある︶﹂があげられる︒       ま   カナダで信教の自由のこの側面にかかわる最初の事件は︑一九入六年のジョーンズ事件である︒原理主義教会の

地下にあるアカデミー︵箒゜︒9∋ロ③層蓉﹀︒邑Φ月く︶で自分の三人の子供を教育させている牧師のジョーンズは︑

彼らを学校に通わせなかった︵﹇目①g望︶︒アルバータ州の学校法が要請する︑六歳から一六歳まで公立学校に通わ

せる義務︵一四二条︶を怠ったため︑同一八〇条に基づいて罰則が科された︒教育委員会が認めた私立学校は適用

除外とされている︵一四三条︶ところ︑ジョーンズはこのアカデミーが学校であると主張し︑教育委員会による認

定のための調査を拒んでいた︒そして︑この州法が自らの信教の自由を奪うと訴えたのである︒

 カナダ最高裁は︑同法は宗教目的はなく世俗的であり︑家庭での子に対する親の宗教教育の権利を奪うものでは

(7)

ないとして︑違憲の主張を退けた︒州は若者の効率的な教育︵Φ白○﹂O⇒古 ピPoり﹇﹃⊆O古﹂O﹈P︶という︑やむにやまれぬ利益

を有しており︑確立された教育は自由で民主主義的な社会で正当化される︵窟日 心︒°︒︶︒﹁個人の宗教上の信仰は民

事に適合させる義務から解放されることはない︒子供を教育する彼の権利と義務の根拠として︑教育委員会を神に

置き換えるよう要求する者は誰もいない︒最低限の水準が同州のすべての教育機関で維持されうるように︑彼には

彼の警の質を世俗の権力によって承認される︑﹂とを要求しているだけなので窪L・

 最高裁は︑信教の自由の侵害を訴える者は︑自分の信条が有効であることではなく︑その信仰が真摯であること        を証明すればよいとした︒また︑憲章二条aは立法府が宗教の実践にいかなる負荷もかけてはならないとしたので

はないから︑立法府あるいは政府が宗教に及ぼす効果が取るに足らない些細なもの︵古﹃﹂<一知一 ③﹁P巳  巨Q力已ぴ切古95d﹂餌一︶で

あれば︑信教の自由には違反しないと㎏・

子供の宗教教育は親の裁量として認められる・両親の宗教宗派が一致しているときは問題は蕊・離婚後・後見

人の母親が︑﹁エホバの証人﹂の信者で親権を持たない父親に︑娘︵六歳と入歳︶を宗教的な実践や行事へ参加さ

せないとの条件を付けさせた裁判所の命令が信教の畠に反するか・争われたことがある︵ヤング髭︶・もっと

も︑本件では親権を持たず後見人ではない親の権利が問題となっており︑厳密には親の権利とはいえないかもしれ

ない︒また︑信教の自由というより離婚後の両親間の争議を解決するための基準が問題となっている︒ただ本件は

その争いの核心が宗教であり︑親の信教の自由︵子供に宗教教育を行う︶が問われている︒最高裁は︑離婚法︵臣

︿o月︒﹀○﹇︶に基づき︑子供にとって最善の権利利益︵ぴΦo◎古巳弓けO﹃①Qo叶O﹃古ゴΦO巨△︶を基準とすべきと判断し︑これを

最大限に尊重するのが憲章の意図であるとした︒

 ヤング事件では︑父親の接見の条件として宗教教育はしないとの州裁判所の命令が︑被告人である父親の信教の

   カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵二・完︶       ︵都法四十九ー二︶ 一二九

(8)

二二〇

自由を侵害するかが問題となった︒最高裁はこの点は一致して︑憲章二条aに違反しないとした︒親の信教の自由

は侵害されていないし︑子供の利益を最大の価値として子供と交流すべきだとしたのである︒原審では判例︵ビッ

グM事件︶を踏襲して︑子供の身体的心理的な損害を現実に引き起こす又はその蓋然性が高い信教の自由の行使に       デ    ュ     ベ はその自由は及ばないと判断していた︒多数意見︵ヒ国Φ巨Φ艮−O已9判事︶は︑本件は家族間の問題であるからそ         もそも憲章は適用されない︑本質的に私的事項であるとして︑父親の信教の自由の主張を退けている︒憲章三二条

は政府と立法に憲章が適用されるとしており︑判例法上︑公的な性格のある裁判所前でのピケを禁じる命令などを

除いて︑司法権の命令には適用されないとされている︒﹁司法権は政府とは分離された⁝機関︵宮知⇒oけ︶であり︑子

        供の利益を決定するパレンス・バトリアエ︵b曽Φ5°︒冒巨餌①︶の権限で固有の管轄権を有する︒この権限は最善の

利益テストの制定法上の権利とは別に︑かつそれに先立って存在する︒したがって︑憲章はこの命令には及ばな

い﹂︒デュベ判事は︑本件の本質は離婚した親の間での私的紛争だとする︒子供の宗教など家庭の事柄は当事者が

決めることで︑憲章がわざわざ出てくる場ではないと考えているようだ︒

 父親は︑そもそもこの離婚法がとる子の最善の利益テストが信教の自由に反すると主張していた︒この点少数意

見︵マクラックリン家o冨o巨巨判事︶は︑信教の自由も他者の自由を傷つける場合は保障されないとの判例を踏まえ︑子供に害を

及ぼす危険のある行為は保護されないとし︑離婚法において子供の最善の利益でない行為を憲章は保護しないとし ︵挫・この場合に子供にどの程度の墾︒︵§︶が生じていなければならないかについては・議論が分狂馳・

 子供がストレスを感じているにもかかわらず親の権利として自らの宗教を勧めることが︑親の信教の自由として

認められるかは︑明確ではない︒子供の最善の利益に合致しなければできないということになろう︒問題は︑信教

の自由がこうした意味で認められるとしたとき︑子供の最善の利益とどちらが優先するか︑ともに憲章上認められ

(9)

る権利であるなら︑優劣はどのように決められるかである︒ヤング事件は︑父親は離婚後︑後見人となってはいな

いので︑通常の親の場合と区別しなければならないけれども︑最高裁は子供の最善の利益テストが優先されるとし

た︒その憲法上の根拠は明確にしていない︒かかるテストがどのように判断されるかは︑裁判官の裁量が認められ

るとしたのである︒

 両親の宗教もしくは宗派が一致していないとき︑子供の宗教教育に対立が生じることは珍しくない︒離婚後︵宗

教の不一致が原因となることが多い︶親権を有する親が決定権を持ち︑裁判所の命令で決定できるとはいえ︑裁判

所の介入はどちらかの信教を不利に扱うことになりかねないから︑慎重でなければならない︒子供にとっての最善

の利益を基準にするといっても︑選択されなかった宗教を不利に扱うことにならないかの問題も生じる︒裁判所は︑

信教の自由の限界法理にたって︑子供に害を与える場合には︑かかる親の宗教教育を避けさせることになるであろ

う︒ただそうした害をどうやって認定するのかには︑裁判所の能力に限界がないわけではない︒裁判所の介入は慎        ︵90︶ 重であるべきだとの主張もある︒ヤング事件は︑世俗的基準に留意して子供の最善の利益を判断することで︑裁判       ︵91︶ 所の介入を認めたのである︒

 最高裁は︑信教の自由の内容として親の教育権があり︑その限界は子どもの最善の利益と公教育の水準維持とい

う公益にあるとの前提を示した︒公権力はかかる限界点で︑親の教育権に介入できることになるのである︒

4 特定宗派への公財政支援ーオンタリオ州教育法案三〇号事件

政教分離規定がなくとも︑政府と宗教のかかわりがカナダで問題とならないわけではない︒カナダには︑イギリ

  カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ ;二

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一三二

ス系‖プロテスタント︑フランス系‖ローマ・カトリックの対立と共生が伝統的に存在する︒州がどちらかの宗派

に特権を与えるなど︑公平を欠くようにみえるとき︑憲法を盾に攻撃できる︒

 ローマ・カトリックのために中等学校︵°・Φ85合目゜︒nけoo一︶とは別に公財政支援を行い︑特別の教育委員会︵°︒筈︒巳

ぴo曽q︶を設置して税などの特典も図るとしたオンタリオ州教育法改正法案︵最高裁で判断したときは既に法律と        ︵92︶ して成立施行されている︶が︑最高裁で問題となった︵法案三〇号事件︶︒法案は︑オンタリオ州のローマ・カト

リックの分離学校に十分な財政支援を与える政策を実行するもので︑中等学校委員会の職務を遂行するための条例

(げ

・①弍︶に基づいて分離学校委員会が選挙によって構成されること︑この選挙がなされ︵州︶文部大臣によって承

認されれば︑この分離学校委員会は﹁ローマ・カトリック教育委員会﹂とされ︑中等教育目的のための補助金を受

ける権利を有するようになること︑中等教育のための税や負担金の支払いをこの委員会の管轄が及ぶ範囲内で分離

学校の支援者は免除されることなどを︑盛り込んでいた︒

 最高裁に照会された憲法問題は次の二点である︒第一に︑オンタリオ州がかかる立法権限を有するか︵日訂③葺①乙︒

°﹃巨胃﹃母窃︶の管轄権の問題である︒一八六七年憲法九三条は︑教育権は州の専属管轄であり︑宗派学校は州の

財政支援を受けることを規定しているけれども︑それが中等あるいは高等教育学校にまで及ぶかは不明である︒法

    ウィルソン 廷意見︵≦旨oづ判事︶は︑オンタリオ州がその立法管轄権を有していることは一入六七年憲法九三条の明文で肯

定されており︑同法︵案︶が九三条一項により保障された分離学校の権利を復帰させるのも︑州立法権の独占的

︵b一Φ奉昌︶かつ有効な行使であるとする︒﹁私見では︑九三条三項は何も州の独占的な権限の行使を制限していな

い︒むしろ︑連邦創設後︑州立法府はその独占的な権限に基づいて︑宗派学校支援者の権利あるいは特権を増やす

立法を制定できる︒実際︑連邦創設時に存在した分離学校制度は一八六七年の原型のままで凍結されたとするよう

(11)

なことが︑おかしいのだ﹂︵窟日Nω︶︒

 カナダ連邦結成後︑宗派学校に関する立法は州の権限内にあり︵5.胃③葺Φ゜︒︶︑既存の特権や権利の廃止はカナダ

総督︵OO<O﹃出O﹃ OO5①﹃蝉一 ヨ 凸QO巨O印︶への提訴に服する︵冨日NΦ︶︒かかる解釈は九三条の目的と歴史に基づいて

いるとする︒少数宗派の権利を保護することは︑東カナダと西カナダ双方で圧倒的な多数派の恩情に宗教少数派を

委ねるのは危険だと認識されていたがゆえに︑連邦結成︵OO昌Φ巳O﹃知古﹂O白︶に至るネゴシエーションにあって︑主

要な先占事項であったのである︒連邦結成時︑宗派の教育権は与件であったから︑本条の起草者が新たな条件に対

応して︑宗教少数者に権利や特権を与える将来の立法のために規定を設けるようなことはしなかったと解するのは︑

にわかに信じ難い︵苫日卜︒べ︶︒一入七〇年のマニトバ法に関する枢密院の判例は︑宗教が根本的に重要であること

を認め︑こう述べている︵b①日心︒°︒︶︒﹁ケベックとオンタリオのローマ・カトリックの住民の教育に関する考えは︑

後にマニトバ州となる領域の同じ共同体のメンバーによって共有されていたことは疑いなかろう︒彼らは︑自分ら

の子供の教育が自分らの教会の教えに符合してなされるべきは必然であると認識し︑そうした教育はそうした共同

体のメンバーのすべてのために︑彼らの信条がどんなものであろうとも︑企図された公立学校では会得されないも

ので︑自らの教会の威光の下で運営される学校においてのみ確保されうると考えた﹂︒結論として︑﹁法案三〇号は︑

一八六七年憲法九三条と同三項の冒頭の文言に附随する効果で︑ローマ・カトリックの分離学校の支持者の権利と

特権に付加する州の権限の有効な行使﹂だとする︵冨日心︒⑩︶︒

 この九三条は宗派学校の権利あるいは特権を保護している︒それらは連邦創設時に︵餌﹇けプO﹇閂PΦOh⊂巨05︶存在

した権利である︒したがって︑連邦結成のとき法律によって十分な財政支援を受ける宗派中等学校の権利あるいは

特権が存在したかが問題となる︒これは連邦創設前の歴史︑さらに現行法理から︑肯定されることを論証している

カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ =三二

(12)

=二四

(]j知﹃知mωO−Oq⊃︶︒

 アッパー・カナダ︵オンタリオ州にあたる地域の連邦前の呼称︶には︑普通︵8日∋05︶︑文法︵o︒日自奏﹃︶︑分

離︵mΦb知﹃知﹇O︶の︑三つの学校があり︑中等学校に相当するものはなかったとしながら︑一八五九年の普通学校法

は普通学校の理事︵﹇巨Q︒需①゜力︶に教育科目や内容︑レヴェルなどの教務決定権を黙示的に付与したとし︑これに中

等学校レヴェルの教務も含まれると解した︒一八六三年の分離学校法改正︵スコット法ω8詳﹀︒古︶は︑ローマ・

カトリック教徒に分離学校を建設させて︑各学校の管理運営のために理事を選挙する権限を付与し︑かかる分離学        ︵93︶ 校の理事には普通学校の理事と同じ権限がすべて与えられるとした︒また︑このスコット法二〇条では︑分離学校

は普通学校の維持のためと同じ公的財政支援をうけるとされた︒

 こうした分離学校法での特権付与の一方で︑分離学校も公立学校と同様に視察を受け同じ教育水準を維持するよ

うに監視されることとなった︒一八五九年の普通学校法に基づいて︑分離学校も公教育評議会︵025巨9勺已昆︒

冒゜︒﹇巨6けざ5︶によって課せられる規則に服するようになっていった︒この規則制定権は︑﹁アッパー・カナダ全体

の︑普通学校の組織と政府と規律のために︑学校及び教師の階層分けのために︑そして学校図書館のために﹂と︑

明文で目的が規定されており︑理事が地方の教育上の必要性を充たすために必要だと判断しても︑その権限は中等

教育レヴェルを禁じることにまでは拡大されなかったのである︒当時の立法は︑オンタリオ州でローマ・カトリッ

クへの教育ならびにケベック州でのプロテスタントの教育をしっかりと保護するように制定され解釈されなければ

ならない︒﹁ローマ・カトリック分離学校支持者は︑連邦結成時に法律によって適切なレヴェルの教育を自分らの

子に受けさせる権利を持っており︑それは一八六七年憲法九三条一項のもとで憲法上保護される︒⁝スコット法で︑

分離学校の理事は普通学校の理事の権限や義務と同じものを与えられた︒それらは︑五歳から一二歳までの児童を

(13)

彼らの学校に通学させ︑ふさわしい教育を提供させる義務に服する︒普通学校の理事と同じように︑分離学校の理

事は法律によって自分らの学校を統制管理する権利を有する︒彼らはまた︑公教育委員会の規則に服するが︑地域

の共同体の必要性を充たすように要求された教育のレヴェルと教授されるべき課程を決定する広汎な権限を有して

いた︒﹂︵窟日㎝゜︒︶として︑州の管轄権を認めた︒

 第二に︑では州のかかる立法権行使が憲章に適合しているかが明確にされなければならない︒ローマ・カトリッ

クの中等学校に公財政支援をしていることが︑憲章二条aの信教の自由と︑宗教によって差別的扱いをしてはなら

ないとする同一五条に違反するかが問題とされる︒この点︑二九条は憲章のいかなる条項も宗派学校︑分離学校あ

るいは非宗派学校に関して︑カナダ憲法で保障された権利ないし特権を逸脱するものではないと規定しているから︑

憲章はかかる権利を侵害するようには適用されてはならない︵冒日ΦO︶︒一八六七年憲法九三条三項の文言から明

らかなように︑連邦創設後の同条項にかかわる立法は︑当初認められた権利や特権に影響を与えるようなやり方で

同立法を制定した立法府によって結果的に修正ないし廃止されうるのであって︑そうしたことが起こったとき唯一

の救済手段は︑カナダ総督に訴えることである︵苫田Φ﹂︶︒憲法は宗派︑分離︑非宗派の学校に特別な扱いを認め

たのだから︑かりに憲章で具体化された平等の概念に符合しないとしても︑憲章によって治癒されるということに

はならない︵窟日Φ心︒︶︒憲章二九条はかかる権利や特権の違憲審査を免れるようにしたもので︑教育に関する連邦

結成の妥協は一八六七年憲法九三条の個別の条文ではなく包括した中に見出される︒

 最高裁のこの立論は︑原審であるオンタリオ州控訴裁判所の次の判断を基軸としている︒﹁これら教育上の権利

をケベックにおけるプロテスタント及びオンタリオにおけるローマ・カトリックに特別に認めたことで︑すべての

カナダ人を均しく扱うのを不可能にさせた︒オンタリオでケベックの特定の宗教団体に特別のあるいは均しくない

   カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九−二︶ 一三五

(14)

       一三六

教育上の権利を認めることで︑この国の基盤ができた︒人権憲章を一九八二年憲法に編入することで︑この原初的

な妥協︵冨偏知5.︶が変わることはない﹂︵冨日Oω︶︒

 一八六七年憲法九三条は連邦結成時の宗派学校の権利や特権を保障する︒法案三〇号事件は︑新たな権利あるい

は特権を創設することも同条では禁じられていないし︑憲章二条aの信教の自由に反するものでないと判示した意

義がある︒さらに︑ローマ・カトリックの宗派学校のみをオンタリオ州が特別に優遇することは憲章二九条に合致

し︑それは憲章審査︵違憲審査︶を免れるとしたのである︒

 中等教育学校という用語は一入六七年憲法には出てこない︒しかし︑一九八二年憲法は二一二条で︑州において自

らの︵親の︶少数言語による初等および中等教育︵肩旨餌目 碧⊆ 口︒8ロ合目︶を受けさせる権利を保障している︒

すなわち︑カナダ市民で︑ケベック州での英語民及びその他の州でのフランス語民は︑①親の母語が少数言語であ

る場合︑②親のカナダでの初等教育の言語が少数言語である場合︑③子供のうち一人でも少数言語で初等中等教育

を受けた者がいる場合︑のいずれかに当たるとき︑当該州で自らの言語での教育を子供に受けさせる権利を有鮭・

もつとも︑一八六七年憲法九三条は教育に用いられる言語まで保護したのではないから︑宗派学校で教育に用いら

れる言語を連邦結成時の宗派学校で用いられた言語だとして公用語に変える州の立法は違憲では仁唖︒

 カナダの学校教育制度はアメリヵのそれに多く影響を受けているとされる︒しかし︑州の管理による非宗派ある

いは宗派学校制度はアメリカにない﹁カナダ教育制度の顕著な特徴﹂で︑それは﹁各州によって宗派的小集団にま        ︵96︶ で寛容が拡げられたことである﹂という︒カナダにおいて宗教と教育は不可分の関係にあり︑連邦結成時の国家と

宗教の関係が堅持されることが憲章においても確認された︒州については教育がその専属管轄であることから︑教

育について宗教にかかわることはかなり寛容に認められるといってよい︒

(15)

 九三条はなるほど宗派学校を保護している︒それは宗教や宗派の保護というより︑少数の言語や民族︑オリジン︑

ひいては文化を保護することであって︑国家がこの二つのキリスト教宗派にとりたてて加担するものではない︒も

つとも︑憲法が言及するこの二つの宗派以外に対しては差別が生じるようにみえるし︑憲法上は結局︑この二つの

宗派のみ保護していることから︑宗教的中立性はないのではないかとの疑念は拭い去ることができない︒

5 他の宗派学校への援助ーアドラー事件

 一八六七年憲法九三条二項は︑各州における少数派宗教の宗派学校を保護するため︑保護の対象をローマ・カト

リックないしプロテスタントと明記している︒したがって︑保護は他の宗派あるいは宗教の学校には及ばない︒同

条一項こそ特定の宗教宗派に言及しないまでも︑この憲法制定時に存在し対立していた二つの宗派を念頭において

いる︒少数派宗教がローマ・カトリックあるいはプロテスタントであれば保護され︑連邦による救済も認められる︒

教育は州の専属管轄であり︑九三条の明文の規定以外に保護を拡げることは認められないとされる︵通説︶︒       ︵97︶  一九入二年憲法︵憲章︶は信教の自由を認め︵二条a︶︑さらに宗教によって差別されないと︑法の下の平等を

保障した︵一五条︶︒ローマ・カトリックやプロテスタントの宗派学校に公財政支援することは一八六七年憲法九

三条から違憲ではないが︑他の宗派学校に支援しないことはこの二つの人権条項に反するのではないかとの問題が

当然に提起される︒とりわけオンタリオ州における公立学校の世俗化と増加する宗教多元主義は︑ローマ・カトリ       ︵98︶ ック宗派学校と公立学校のみを公財政援助する州法に対して違憲の訴えをもたらすこととなっていく︒

 一九九六年のアドラー事件では︑ユダヤ教や独立キリスト教の私立学校︵巳昌゜︒合o巳︶に子供を通学させている

   カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一三七

(16)

       二二八

親らが︑自分たちの学校に公財政援助がなされていないのは信教の自由や平等原則に反し違虫思だと訴麺・カナダ        イアコブッチ 最高裁は︑法案三〇号事件を踏襲して違憲ではないとした︵冒8ぴ已巳判事法廷意見︶︒本件は一八六七年憲法九三

条の問題であるとする︒同条一項は宗派学校の権利の﹁包括条項︵OO昌b﹃Φゴ⑱⇒oカ一くO  OO巳Φ︶﹂であって︑宗教教育へ

の公財政支援へのクレームはこれに基づかなければならないから︑憲章二条a違反の主張は認められないし︑ロー

マ・カトリック分離学校と公立学校への財政支援は九三条の文言の規定するとおりであって︑憲章の審査を免れて

いるから︑平等違反の主張も認められない︵苫日゜︒留占や︶︒宗派学校の権利は九三条一項で保障されているかどう

かから議論しなければならない︒これが見出せないならば︑他の憲法規定︑とくに一九入二年憲法二条aが一入六

七年憲法九三条一項の枠をどのように拡大させるのかは理解できないという︵冨日心︒Q︒︶︒

 次に︑ローマ・カトリックの宗派学校のみを財政支援しているのは憲章一五条︵法の下の平等︶に反しないか︒

これも法案三〇号事件と同じで︑憲章二九条は宗派︑分離︑非宗派学校の憲法で保障された権利と特権すべてを憲

法審査から免除しているとする︒公立学校は九三条で保障されていないとの原告の主張は誤りである︒公立学校制

度は一八六七年憲法九三条の枠に欠かせないのであり︑州が公立学校を財政支援するとき︑それは︑連邦結成時の

妥協の一部として︑州立法府に認められた教育の専属管轄権に基づく立法なのである︵苫日吟﹂︶︒分離学校は公立

学校の特別の形態にすぎない︵唇日蔭ω︶︒通常の立法によって創設された宗派学校の権利と特権をかくも憲法規範

の地位にまで高めたのが︑九三条一項なのである︵b隅知±︶︒連邦結成時︑ローマ・カトリックの両親は︑地域の

分離学校か普通学校かのどちらかを選んで支持することができた︒彼らは公的に財政支援された二つの教育システ

ムの間で選択できたのである︒九三条はこの公的に財政支援された選択に憲法上の保護を与えた︒公立学校は連邦

結成時の妥協に不可欠な部分であり︑憲法上あるいは憲章上の攻撃から保護されるのである︵冨蚕+Φ︶︒この保護

(17)

は︑公立学校の権利それ自身は憲法に明文の規定はないけれども︑存在する︒公立学校は区別なく社会のすべての

メンバーに開かれており︑州の立法管轄権は憲法で保障されている︵冨日ミ︶︒九三条はオンタリオ州に公立及び

分離学校に関する立法の権限を認めたけれども︑この二つの学校に限定されることはない︒州が選べば︑九三条一

項の下でローマ・カトリック分離学校に保障された権利を侵害しないかぎり︑ローマ・カトリック学校以外の宗派

学校に財政支援を拡げる立法を制定することができる︒無論︑そうした立法ができるといっても︑そうしなければ

ならないということにはならない︒九三条は︑公立学校が創設されたとき︑宗派学校を立ち上げ財政支援する州の

義務の範囲を画定するものなのである︵冨日ふ゜︒︶︒

 最高裁は︑法案三〇号事件を踏襲して︑九三条の問題として憲章審査を免れ︑ローマ・カトリックの宗派学校な        ︵oo1︶ らびに公立学校への支援は憲法が認めた特権であるから平等の問題は生じない︑との形式論で合憲とした︒かくし

て︑九三条の意義が明確になってきた︒九三条は宗教少数派︵ローマ・カトリックあるいはプロテスタント︶学校

の宗派にかかわる要素とその機能維持に不可欠な学校制度のみを保障したのであって︑格別に︑少数派の文化や完        ︵101︶ 全な自治を保護︑あるいは保障したのではない︒九三条の目的は︑少数派によって運営される公的に財政支援され

た学校制度と少数派の宗教教育の提供の存続を確保させることであるけれども︑一般的なカリキュラムや制度構造        ︵201︶ は︑州の広汎な規制に服するのである︒

 ﹁九三条は州の教育権についての﹁包括規定﹂であって︑公立学校の財政支援が分離学校の財政支援の基準であ

るから︑ローマ・カトリック宗派学校のみ明示的に︑公立学校は黙示的に︑支援するものと判断された︒九三条は

憲章二条aあるいは一五条にまで拡大されえない︒州は教育に完全な権限を有しており︑州が裁量権を有している

ということは︑通常の立法によって他の宗教学校を設置したり財政支援したりする義務まで有するのではないこと

カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ =二九

(18)

       一四〇

    ︵301︶ を意味する﹂︒このように整理することが許されよう︒

 ローマ・カトリックとプロテスタントは憲法的保護を受け︑その学校は公財政支援を認められる︒しかし︑それ

以外の宗教あるいは宗派の教育や学校に財政支援を受ける権利が憲法で保障されているわけではない︒二大宗派以

外のキリスト教の宗派ならびに宗教は︑憲法明文上の保障の恩恵を受けないまま︑現行の学校制度の中で便宜を求       ︵1︶ めて闘争していくこととなる︒

 アドラー事件は︑ユダヤ教などの少数派宗教学校が公立学校制度の中で財政支援を受けられず︑プロテスタント

やローマ・ヵトリックのみが受けているとの差別が平等原則に反するかにかかわる︒最高裁は︑憲法はこれらの宗

派のみ保護していると判断して一蹴した︒憲法典ではそのとおりといえる︒しかし︑国家の宗教中立性や特定の宗

教のみ保護しないことにも世俗主義のコンセンサスがあるなら︑これに反することになろう︒州が少数宗派の学校

に財政支援することは︑憲法︵特に憲章二条aや一五条︶で禁じられていない︒﹁すべての宗教が平等に扱われる

なら︑二条・がどうして州の援助制度によって侵害されたとみるべきなのか理解しがたい﹂︑﹂とに娃・他の宗派

学校への支援も合憲と解されることになろう︒﹁宗派学校を公財政支援する有利を与えるのを認めた立法は︑いか

なる特定の宗教の強制を形成するものではなく︑むしろ宗派教育を一般に支援することになる︒カナダ憲法には教

会と国家の完全な分離を要請する原理がないから︵一八六七年憲法九三条があるのでありえない︶︑政府が一般的

に宗教を支援する権限は憲章に三て触れられないままとされているようにみ︑麺﹂・少数派の宗教あるいは宗派

学校への支援は立法︵州法︶の政策ということになろう︒

 自分の子どもを宗派学校に入れるか公立学校に入れるかの決定は︑親の権利である︒政府︵主に州︶は教育全般

について広汎な規制権を有するが︑宗派学校の存続を拒否することはできない︒宗派学校は︑一八六七年憲法では

(19)

プロテスタントとローマ・カトリックにだけ認められた︒同様の保護が他の宗派学校や宗教の学校にまで同憲法か

ら直接認められることはない︒しかし︑一九八二年憲法︵憲章︶の信教の自由︵二条a︶や平等︵一五条︶がそう

した宗教あるいは宗派学校に財政支援を含む何らかの公的援助を求めさせる契機を与えたことは否めない︒憲法典

に言及されていない少数宗教︵宗派︶は︑憲法上保護が与えられていないことで苦汁をなめさせられてきた︒憲章

の保障する自由や平等が少数派の学校の領域まで拡大されてくると︑そうした少数の宗派や宗教にも新たな安定の       ︵701︶ 源が提供されてくることになろう︒

6 公立学校での宗教教育

       ︵1︶  教育と宗教の関係は宗派学校への公財政支援のほかに︑公立学校での宗教教育で問題となる︒これは教育での世

俗化を最も推進させていったオンタリオ州で露になった︒同州にはとりわけ第二次大戦後︑さまざまな宗教的バッ

クグランドを持つ人々が居住し始め︑世俗教育が模索されてきた経緯がある︒

 ジルバーバーグ事件は︑ユダヤ教やモスリムなどの親が公立学校で始業時および終業時に聖書を朗読させること        ︵901︶ は違憲︵信教の自由違反など︶だと争ったものである︒オンタリオ州の教育法五〇条では︑規則に基づいて親や本

人︵生徒が大人である場合︶の希望により宗教教育を行なうことができるとし︑同条二項は︑生徒も公立学校も意

に反して宗教本の学習や宗教行事への参加は強制されないとしている︒これを受けて︑オンタリオ州の公立学校に

おける宗教礼拝及び宗教教育についての規則︵規則二六二第二八条一項︶では︑﹁公立学校は︑聖書もしくはその

他の適切な読み物の朗読と︑主の祈りもしくはその他の適切な祈りの暗唱で構成される宗教礼拝をもって︑始業ま

   カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一四一

(20)

      一四二

たは終業とする﹂とされた︒これには変遷があり︑宗教が多元化した今日では何を行なうかは地区の教育委員会の

裁量に委ねられている︒トロント市では一九八四年以降︑キリスト教︑イスラム教︑ヒンズー教︑仏教から民俗宗

教に至るものを基とした本を朗読することで始業としている︒サドバリー教育委員会では始業を簡素化し︑国歌

︵OO碧豊①︶斉唱と主の祈りの暗唱によるとした︒こうした慣行に対して︑世俗教育を受けさせる目的で子どもを

学校にやっているユダヤ教やモスリムの一部の親が信教の自由に反するとして違憲であると訴えた︒州はかかる規

則や慣行は世俗目的であり︑宗教的要素はあるものの︑強制にはなっていないと主張した︒州控訴裁判所は︑これ

は少数宗教︵非キリスト教︶に対してキリスト教を強制する効果が認められるとし︑違憲と判断した︒強制の目的

は持たないとの州の主張には同情的であるが︑それは現実︵8昌蔓︶を理解していないのであって︑実際には︑

﹁子どもたちが最も敏感である教室の規範や同輩の圧力︵bΦ2肩Φ゜︒c︒已゜芦△合c・c・﹃°o日⇒○自゜︒︶﹂によって多数派の

宗教の実践を遵守するように少数派を威圧しているとし︑これは信教の自由が禁じるところのものであるとする︒

かくして︑規則の第二八条一項は法令違憲であるとした︒

 この判断においてアメリカの連邦最高裁判例に依拠しているのは興味深い︒カナダ最高裁は︑日曜日遵守法が信       ︵011︶ 教の自由に反するとした判例︵ビッグM事件︶では︑信教の自由に関してアメリヵの判例は特に役立つわけではな

いとしているし︑カナダ憲章での信教の自由はカナダ憲法に﹁反国教原理﹂があるや否やとは関係がないのであっ

て︑かかる原理は既に難しい法領域をさらに混乱させるだけだとしている︒しかし︑本件控訴審判決は︑一九六三

年のアメリカ最高裁判決﹀ぴξ8⇒くの6冨日廿︵公立学校での聖書の一部朗読と祈濤を命じる州法を違憲とした︶で

のブレナン判事の次のような補足意見を敷術して︑判断の根拠としている︒﹁国家というものは︑公立学校の学生

にも公職候補者にも︑そのどちらにも︑宗教教理に攻撃的な信条を公言させることを要求することはできない︒そ

(21)

れと同様に︑国家は憲法上の権利の行使の必要要件として︑自分の信条を公的に明白にさせることを要求できない

とするのが憲法である﹂︒

 そして︑こうしたアメリカの判例から二つのことが導かれるとする︵冨o︒Φc︒心︒︶︒第一に︑憲章二条a︵信教と良

心の自由︶に国教樹立禁止条項が欠如しているからといって︑信教と良心の自由に憲法が与える保護が半減される

わけではない︒第二に︑学校での祈りについての近時の判例では︑学生に従うように強制し免除の権利を行使させ

ないことは︑憲章によって保障された信教と良心の自由を現実に制約していることになる︒規則第二八条一項は宗

教的であり︑規則によって命じられた礼拝は宗教的であることが意図された︵冨oqΦωひーωΦ︶︒これは州法や規則の

文言から導かれうる結論で・キリスト教の教理に基づく教育の意図があるとし煙・

 公教育に宗教が入り込むなら︑世俗主義には逆行する疑いが生じる︒カナダ法には政教分離規定はない︒しかし︑

信教の自由を侵害することで公教育に宗教がまとわりつくのを憲法的に抑制する構図をみるのである︒

7  ト一舌   ノ←♪﹂

 九三条の問題は︑宗教というより教育権︑とりわけ州の教育権と親の教育権の問題であり︑そもそも政教分離の

視点からのみ検討するのは適切ではなかろう︒もっとも︑ここでいう親の教育権は自らの宗教的信条に基づくので

あり︑そこに信教の自由が絡む︒﹁欧米で﹁教育﹂が憲法問題となるときの一般的構図は︑公権力が正当な国家介

入としての教育の担い手となり︑それに対抗して︑親︵ないし親を代位するものとしての教師︑私立学校︶が自分

の宗教的信条に従って教育する畠を主張するというかたちLであるこ㍍・カナダにも当てはまる・しかし・そ

   カナダ憲法と世俗主義−宗教︑教育︑国家︵二・完︶       ︵都法四十九ー二︶ 一四三

(22)

一四四

の帰結が︑かかる﹁自由の主張者が社会の宗教的多数派⁝でありながらそれに対して政治的多数派H公権力が政教

分離をつらぬく︑という場合もあれば︑宗教的少数派が︑少数派集団としての自己の教育の自由を主張する︑とい          ︵311︶ う側面﹂でもあるならば︑カナダには当てはまらない︒ローマ・カトリックとプロテスタントは憲法の明文で言及

されており︑すべての宗教に対して公権力︵教育については州権力が第一次的︶は中立でなければならないとの要

請は︑カナダ憲法の文面上はみあたらない︒キリスト教のこれら二つの宗派については︑カナダ成立時での権利や

特権が憲法的に特別に保護されているのだ︒アメリカやわが国のような政教分離は︑カナダにははなから当てはま

りそうにない︒

五 むすびにかえて

 カナダ憲法には政教分離条項がない︒それどころか︑学校教育に関して︑国家や州は特定の少数派宗教を保護す

る責務を課されている︒公権力は宗教にかかわらないのではない︒多様な宗教を保護する国家の責務という憲法原

理に立脚してこれを公平に扱う︑あるいは少数宗派を国家は保護するのである︒これはカナダ憲法の多文化主義原       ︵411︶ 理とも関係がある︒

 多文化主義に固有の緊張は︑多文化社会の内で少数集団の権利を均衡させるとともに︑そうした集団のメンバー       ︵511︶ の個人的権利をどのように保護するかを目覚めさせる︒オンタリオ州では家族法上の紛争に宗教に基づく代替的解

決を認めていることが︑近時問題となった︒仲裁法︵﹄Hぴ詳﹃①自○⇒  >O﹇︶は州法についてのみ適用されるが︑多様な

家族法上の紛争解決手法を認める︒国家と宗教の分離を唱える論者は批判的となるが︑多文化主義からは文化的少

(23)

数集団を主要な政治過程に入れ込むことが多文化主義的で自由な民主主義の社会にとって緊要足り続ける︵キムリ

ッカ︶とされ︑かかる仲裁手法は家族法の変換的調整を作り出すとされる︒この議論は︑二〇〇五年一一月一五日

家族法改正法︵呵知﹃巨望Go﹇①﹇已﹇Φい知妻旨Φ﹁一書Φ﹃巳︾○叶︶案を政府が提出したことでひとつの答えを出そうとしている︒

それは︑宗教教義も含む紛争解決は否定しないが︑あくまで助言的なものにとどまり︑法的な効果を持たないとす

     ︵611︶ るものである︒

 宗教と国家のかかわりはその国の伝統や風土など︑様々な要因によって規定される︒カナダは政教分離規定がな

いどころか︑憲法典に特定の宗派を明記し保護している︒一方で︑少数文化や民族を保護する憲法規定も擁してい

ることから︑憲法典に言及された特定のキリスト教宗派以外の宗教宗派を否定することは憲法上戒められる︒国家

が特定の宗教にかかわりを持ったからといって政教一致にはならない︒助長効果は直ちにみられるものでもなく︑

他宗教への圧迫や否定がなされているのではない︒それもカナダの憲法伝統に根ざしている︒憲法典がローマ・カ

トリックとプロテスタントに言及するのは︑それらが地域によってはマイノリティとなり︑州によって迫害される

危険が生じるからであり︑先手をうって憲法で保護したにすぎない︒

 宗教や教会と国家のかかわりを憲法典で明記しておくことは︑憲法制定者にとって最重要テーマである︒にもか

かわらず︑カナダはこの点︑憲法典での決着はつけていないように思われる︒ここにカナダの国家的運命と特性が

みられる︒ひとつは連邦制である︒カナダ連邦の形成となる一八六七年憲法制定では︑この問題は州の問題と認識

されたのであり︑州によってはイギリスばりの国教制度を採ったところもある︒宗教とどのような関係を持つかは

州に任せるとしたのである︒もうひとつは国家構造である︒イギリスとフランスの対立の中でカナダが形成された

立憲主義の背景がある︒プロテスタントとローマ・カトリックを均しく国家的に保護しなければ︑分裂︑ひいては

   カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一四五

(24)

一四六

立憲主義の危機が生じると考えられたのだ︒

 国家建設時にこうしたバランス感覚が働いたとはいえ︑世俗化や多宗教化は国家と宗教の関係を曖昧にする憲法

の姿を露呈させた︒二つの宗派以外に公的保護が与えられないのは人権条項に反するとの憲法論である︒一九八二

年憲法が信教の自由をはじめ人権保障規定を設け︑司法審査制度を確立させたことが背景にあるのはいうまでもな

い︒

 さて︑宗教は私事とみるのが自由主義である︒国家が特定の宗教に従って政治をすることは︑これに反する︵近

代立憲主義︶︒しかし︑宗教は現世・世俗に何らかの批判的︵否定的というべきか︶契機を持つものであるから︑

かかる契機が現実をより客観的に眺めることを可能にし︑ひいては国家の絶対化を様々なレヴェルで阻止すること     ︵711︶ になるという︒様々な宗教を容認する︵信教の自由︶ことで多元的社会と寛容が実現できるというのである︒

 多元主義社会の実現を憲法価値とし︑そのことが事実としての世俗主義をカナダで体現させているようにみえる︒

もっとも︑あえて多元社会や多文化主義を持ち出す必要はないかもしれない︒近代社会は多様な国民の価値観をも

たらし︑その共存を第一の使命とする︒そこには︑西洋社会でもかつてそうであったような一元的宗教の価値観は

ない︒無宗教も含む﹁道徳の異種混交性︵があり︑︶国民の道徳とか集団的な道徳感性と特定できるようなものな       ︵811︶ ど︵もはや︶なにもない﹂︒近代社会11世俗社会の必然的な結果として︑政治と宗教は当然分離し︑分離せざるを

得ない︒私事としての宗教は世俗的な立法によってその歴史的存在を確保されることになるし︑かかるシステムが

信教の自由にとって最良となるのである︒

(25)

︵64︶ 日本カナダ学会編﹃新版 史料が語るカナダ﹄︵有斐閣︑二〇〇七年︶二四ニー四五頁︵小林順子筆︶︒連邦初期の学校

  教育の歴史についてはこれに依拠している︒

︵65︶巾ロ゜ξ目弓臣↑目§弓§°︒○呵○Oz目o国雪8客冨忠山゜︒零 勺o↑日82塁゜︒毛男゜︒巨o弓臣弓之HOzO呵野日゜︒コZo口目§胃﹄

  忘十冷︵b︒OO一︶°連邦の枠組みを決めるケベック会議︵一八六六年︶で︑アイルランド系のマックギー︵O︑巴゜呂口08︶は︑

  西カナダでは八二%がプロテスタントであり︑地方議会がプロテスタントで支配されればカトリックの特権はなくなるで

  あろうし︑逆のことが東カナダにも妥当するのであり︑西カナダのカトリックは連邦創設は危険とみなしていると︑ロー

  マ・カトリック教徒として述べている︒

︵66︶ 教育は州の管轄としながらも︑この点について連邦政府の介入を要請したことは注目される︒マックギーは︑連邦結成

  の集権的権力︵8旨巨bo綱2︶はこうした権利や特権を維持するために十分に行使されるべきであるとして︑次のように

  強調した︒﹁東西カナダの少数派は︑常に存在してきたこと以上に︑性悪の︵巨ー合゜︒b°°︒Φq︶人々によって引き起こされた地

  方叛乱におののくようなことなど︑現実には考えられない︒連邦結成権の強固な長い腕は︑彼らすべてを超えて拡げられ

  るであろうし︑災難はその腕が怒りに振り下ろされなければならなくなる卑劣漢︵§①言庁︶に及ぶであろう︒⁝地方主義

  はその適切な場所を知るように教えられなければならない︒セクショナリズムは服従的でなければならない﹂︒㍍゜巴゜︒﹂ω゜

  英領北米法︵一八六七年憲法︶にも︑少数派の教育上の特権が危機にさらされたとき︑中央政府に訴える条項が十分に期

  待されたのであり︑地方権の恣意的な行使に対する有効な武器であると考えられた︒S°巴ω声ふ

︵67︶ ㊥国弓臣≦出Oo兜Oo旨目目口oz≧心P輻自○巨≧︺﹀富心︒由︵舞ゴoO﹈⑩㊤べ︺出①﹃o雪鯵o﹃6﹂需餌゜︒︑出OΩ○.°F・ヘンリー・ジョンソ

  ン/鹿毛基生訳﹃カナダ教育史﹄︵学文社︑一九八四年︶五一頁︒

︵68︶ ○Φ自≦貝巴一心︒Φ占ぺ

︵69︶ カナダ連邦政府には文部︵教育︶省はなく︑文部省に相当する政府機関は州政府にある︒

︵70︶ 一八六七年憲法九三条四項は︑一八九六年︑マニトバ学校問題で発動されそうになったが︑政権交替があってマニトバ

  州政府に立法を変更するように説得するにとどまり︑ついぞ四項は適用されたことがないともいう︒出○○ρ巴一ωN⑰これ

  は︑一八九〇年に州がローマ・カトリック教徒の特定宗派学校への公金支出を打ち切ったことでフランス語の公立学校教

  育の廃止に至ったため︑フランス系住民が母語を失っていった経緯がある︒一八九二年の9身o﹃≦H巨宮o︒<じ︒胃お詳にお

  ける枢密院司法委員会の判決で︑少数派は保護された権利や特権はなにも傷つけられなかったから︑九三条一項での救済

  をなんら有するものではないと判断した︒一九九三年︑カナダ最高裁がマニトバ州の学校法を一九八二年憲法に違反する

  と判断︑フランス語系学校が再び設置されるようになった︒日本カナダ学会︑前掲︵64︶書︑二四八頁︵小林順子筆︶︒ジ

カナダ憲法と世俗主義ー宗教︑教育︑国家︵二・完︶      ︵都法四十九ー二︶ 一四七

(26)

一四八

  ヨンソン︑前掲︵67︶書︑一二一頁︒

︵71︶ この適用が考えられたのはマニトバ学校問題のときだけである︒同州は︑一八七〇年のマニトバ法で少数派のカトリッ

  クの学校を認め︑分離学校制度を設立していた︒イギリス系の移民が圧倒的多数を占めていくにつれて︑分離学校制度を

  廃止し︑統一公立学校制度を一八九〇年の州法で設立した︒連邦政府︵保守党︶はこの州法を覆そうとしたが︑総選挙に

  より政権交替︵自由党︶となったため︑頓挫した︒J・リッカー/J・セーウェル︑馬場伸也他訳﹃カナダの政治﹄︵ミネ

  ルヴァ書房︑一九七八年︶一〇九ー一〇頁︑一二八頁注1︒なお︑分離学校︵°・Φ冒曽讐Φ゜︒合09とは︑﹁正規の宗教教育の

  手法で︑もしくはその他の手法で︑ローマ・カトリックの信仰や価値を維持し促進させることによって宗派の性格をもつ

  教育プログラムを提供する﹂学校をいう︒O毛2>°Od臣﹇oぷ弓目冒Odoz自○勺○巨≧∪匡§ご゜︒軽︵ω﹃巳①ユ゜卜oOO吟︶°

︵72︶=○○ρ巴一ωΦ心︒°九三条一項の︒芭︒︒oh冒2°︒05︒︒とは︑連邦結成時において宗教的信条に基づいて決定された人の集団をさ

  すのであって︑人種や言語によるのではない︒より厳密に言えば︑ローマ・カトリックあるいはプロテスタントの集団を

  さしているのである︒§この点︑コ定の者﹂との訳がある︵高橋和之編﹃世界憲法集﹄︵岩波書店︑二〇〇七年︶一二三

  頁︶が︑限定的であることに注意したい︒

︵73︶ 勺湾国δ民S呂Oz≧匡Ooz°︒弓胃5一〇zきξqっq⊃︵ω己Φ臼営Oべ︶°もっとも︑連邦がこの権限を行使することはほとんどなく︑   連邦制の配慮から一八九六年以降︑連邦議会が州法を覆す権限を発動させることはなくなる︒今日︑教育や少数宗教に関

  する州法上の紛争は︑救済法を制定してもらうように連邦政府に訴えるよりも︑むしろ裁判所によって解決されるところ

  となっている︒㍍゜讐一〇〇⇒°一C

︵47︶ 例えば一八七〇年のマニトバ法二二条は次のように規定している︒﹁本州において本州のために︑本州立法議会は以下の

  条項に従って教育に関する立法を排他的になすことができる︒一号 そうした立法はいかなるものでも︑連邦加入時に本

  州での慣行ないし法律によっていかなる人民団が持つ特定宗派の学校に関する特権ないし権利に偏った影響をもたらして

  はならない︒⁝﹂︒罵巨89﹄o戸﹂o︒べPωωさ6∫ρc︒w°︒N心︒﹄ΦΦ巴゜︒o一≧ぴΦ詳餌>oで︽lm国口目≦⌒ρo︒°︒°一ベ一⑩O㎝⁝oQo°力×巴○けo綱碧

  ︾o古令O国ら目≦□ρ品三゜﹂ベ一ΦO竺ZΦ§﹇5合芦△>9一トっー一ωΩoρ≦も﹄N︵⊂民゜︶°

︵75︶ OΩ目≦且巴﹂心︒°︒占゜

︵76︶ =○Ωρ巴一ωN十一ω心︒㎝゜

︵77︶ 国OOρ9一ωb︒Φ゜政教分離が確立したとみられるアメリカでも︑公立学校におけるプロテスタント教育やカトリック系学

  校への財政支援が問題とされてきた歴史があり︑国教樹立禁止条項のアメリカ憲法修正第一条を州にも適用させるブレイ

  ン連邦憲法修正案が出されたことがあった︒高畑英一郎﹁ブレイン連邦憲法修正案について﹂日本法学七四巻二号三四九

参照

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