[資料紹介] ドイツの経営管理 : ドイツの企業経営
(二)
その他のタイトル [Material] Business Management in German Industry
著者 大橋 昭一
雑誌名 關西大學商學論集
巻 7
号 2
ページ 139‑157
発行年 1962‑06‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021673
︵ 大
橋 ︶
にからみあい実際の経営管理の方法を決定しているかを︑追究 ドイツの企業経営の実態を明らかにしようとするわれわれ
│ │
資 料 紹
l
介
│ドイツの経営管理
ー ド イ ツ の 企 業 経 営
は︑前稿﹁ドイツの経営者﹂において︑ドイツの経営組織にお
ける経営者の権威が絶対的権威
( u l t i m a t
e a u
t h o r i t y )
で あ
っ
て︑その源泉は主として私有財産権
( p r i v a t e
p r
o p
e r
t y
) ︑
天
職
( t h e c a l l i n g )
︑エリート思想
( t h e
e l i t
e i d e o l o
g y )
という
三つの絶対的価値にあることを明らかにし冗きたのであるが︑ ー 引き続き本稿においては︑ハルトマンの所説を中心としなが
ら︑そのような非合理的な要因が実際の経営活動においていか
に作用しているか︑または︑非機能的要因が機能的要因といか
ドイツの経営管理
ま ず
︑
六 九 しかし︑ドイツにおい することにしたい︒
(1)H•Hartmann,
A u
t h
o r
i t
y
a n
d
O r
g a
n i
s a
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o n
i n
G e
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a n
M a
n a
g e
m e
n t
, P
r i
n c
e t
o n
1 95 9.
ド イ ッ 的 経 営 管 理 と 経 営 組 織 の 一 般 的 特 徴
ドイツにおける経営管理と経営組織の実態を知るためには︑
F U
h r
u n
g
と
L e
i t
u n
g
との対照的概念をはっきりさせ
ておかなければならない︒
は字句的には
L e
i t
i m
g
な の
で あ
る が
︑
てアメリカの
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
の概念に内容的に相当するもの
は ︑
L e
i t
u n
g
の概念ではなくて
F i
i h
r u
n g
の概念である︒とこ
ロ ー
大
アメリカにおける
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
橋
昭
140
ず
F i . i h r u n
g の概念には絶対的価値が基礎にあるのであって︑
ま ︑ , " '
他方 は︑前記のようにアメリカの ドイツの経営管理
ろ で
︑
F i
i h
r u
n g
と
L e
i t
u n
g の区別を最初明確に論じたのは
JS c
h u
m p e
t e
r
で あ る ︒ か れ は ︑
F t
i h
r e
r s
c h
a f
t たる企業者機能
は経済的事実の変化を作り出していくところにあるのにたいし
て ︑
L e
i t
u n
はそのような経済的事実への適合を意味し︑それ g
は常規の管理
( r o u t i n e
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
)
に等しい﹃
g e l e i t e t e
A r
b e
ー i t ﹄なのであって︑本来の企業者機能とは明確に区別され
9 ,
ると︑主張する︒また最近においてもたとえば
F .
F a
s s
b e
n d
e r
L e
i t
e r
および
L e
i t
u n
g
の概念は一般的には常規の管理
を意味する静的概念であるのにたいして︑
F i
i h
r u
n g
は他人の統率を意味する動的概念であると規定して ②
い る
ここにも ︒
U n
t e
r n
e h
m e
r 対
M a
n a
g e
r
~みられたと同様な
ドイツの独特さが存在する︒
L e
i t
u n
g
はまさに
M a
n a
g e
m e
n t
にたいするドイツ本来の言業であって︑非企業者的な機能をさ
す の で あ る ︒
F i
l h
r u
n g
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
に 珀
叩 立
〒 す
る ︱
‑ =
豆 莱
で は
あ る
が ︑
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
の概念よりもはるかに非合理的な︑非機能的な概念である︒ま
システムとか能率よりも忠誠心とか自明な規則が強調され︑そ および
︵ 大
橋 ︶
F u
h r
e r
や︑また法規上においても取締役に多大な権限と責任が与えら 以上のような
F i . i h r u n g
と
L e
i t
u n
g
の概念や︑その現象形
で あ る ︒
の非合理性
( n o n , r a t i o n a l i t y )
は不合理性
( i r r
a t i o
n a l i
t y )
と
さえいえるほどのものである︒この価値の導入にはいろいろな ③ 形態がありうるが︑
F t
i h
r u
n g
はまずカリスマ
( C
h a
r i
s m
a )
の存在を認める︒カリスマには天職と共通した性質があるが︑
F t
i h
r u
n g
とカリスマとから天職という一
1一 大 絶 対 的 価 値 の 一 っ
は構成されるといえる︒
F i
l h
r u
n g
は ま た ︑
a d
m i
n i
s t
r a
t i
o n
にはない伝統主義を認める︒いずれにしろ経営管理についての
ドイツ的見解の真髄はまさに︑
といったものが相対的に重要性をもたないことと︑
F i
i h
r u
n g
が経営管理についての資格に基礎をおいてもいないしそれに指
向すらしていないことにあるのであって︑そのためあるいは︑
とくにアメリカ人からは︑ドイツ企業の経営管理が機能的に欠
陥あるものと考えられたり︑合理的生産という隅点から多くの は 点で改良の必要があるよう考えられたりするが︑絶対的価値の
観点から能率が無視されたりすることがあるのは︑事実のよう
態ともいうべき
U n
t e
r n
e h
m e
r
対
M a
n a
g e
r
についての論争
L e
i t
u n
g と か
O r
g a
n i
s a
t i
o n
七 〇
の 場
合 と
ドイツの経営管理 ︑
︵大 橋︶
いちじるしい対照をなしている︒ だからドイツで 範疇に入れられるほどなのである︒こうしたことは︑経営組織 下の支配ー服従の関係は階層組織
( H
i e
r a
r c
h i
e )
たる以上いず
こにおいても存在しなければならないのであるが︑問題は重点
が︑下にたいする支配と上にたいする服従のどの側面におかれ
ているかである︒ドイツにおいては経営組織は︑少なくとも企
業者によっては︑本来服従の組織︑仕事の階層組織
( h
i e
r a
r c
h y
o f
l a b o r )
として把握されている︒すでに
S c h u m p e t e r
が
L e
i t
u n
g
と
g e l e i t e t e
A r
b e
i t
とを同一視したのは︑この意味
を管理の階層組織
( m
a n
a g
e r
i a
l
h i
e r
a r
c h
y )
と考えるアメリカ
七
独占化
( m
o n
o p
o l
i z
a t
i o
n o f a
u t
h o
r i
t y
)
すら企業者への従属を強調し︑ごく些細な︑企業渚の技能とは 6 無関係な事項にまで干渉しようとするものである︒もちろん上
においてであったが︑集権化のはなはだしい場合には︑指導的
職員と一般労働者とが企業者にたいする服従という点では同一 ば
F i
i h
r u
n g
s k
r a
f t
といった概念を用いて︑階層組織をアメリ
カの場合のように管理的なものにしようとする試みもないでは
~
7 ないが︑大きな影響力をもつにはいたっていない︒
会にあるが︑取締役会の運営原則には原則的には﹁第一人者の
原 則
﹂
( P
r i
n z
i p
d e
s p
r i
m u
s i n t e r p a r e s )
と ﹁ 同 僚 の 原 則 ﹂
8 .
( k o l l e g i a l e s
P
r i
n z
i p
)
とがある︒﹁第一人者の原則﹂による場
合にはその第一人者を頂点とする完全なる集権的組織となりう
るので一応問題はないが︑
原則と上述のドイツ企業の集権性とはどのような関係にあるの
かという問題が生ずる︒なぜならば︑この場合には各取締役は
完全に同権的であり平等であるからである︒ハルトマンの調査
した四つの企業においても︑二つの企業がこの原則によってい
たが︑その場合には各取締役はその担当部門において完全なる
集権的な階層組織をもち︑ただ取締役会内においてのみ分権化 ﹁同僚の原則﹂による場合にはこの ところでドイツの企業では業務執行の権限と責任とは取締役 ものであって︑極端な場合には企業者は︑上級管理者について といっていいほどの を︑示しているのである︒もちろんドイツにおいても︑たとえ 5 れていること等ば︑ドイツの企業組織が一般に集権的であり︑ しかもその集権性は相当いちじるしいものであることを十分に 暗示している︒事実ドイツにおいては︑集権化の傾向ほ権限の は︑企業者が
jわたくしも雇われているものだ﹂といっても別
に矛盾していないのであって︑かえって︑企業者が私有財産を
神聖視し財産所有者にたいする責任を心から感じていること
働者代表の性格をもち取締役会は完全なる﹁同僚の原則﹂にし 企業においても︑一つの企業では相対的に大きな部門たる技術その絶対的価値が︑一般の企業の場合とは異なっているだけで という︑今日におけるドイッ経営組織の特徴は︑共同決定型企 さらに︑絶対的なものと機能的なものとの共存ないしは綜合 ドイツの経営管理
だけでは︑集権性という一般的特徴と矛盾してはいない︒そし
門経営者というよりは各担当分野第一の専門家と考えていると
い う こ と に よ っ て ︑
ドイツの企業では集権的組織が一般的で分権化
( d e c e n t r a l i , s a t i
o n )
はまれではあるが︑存在しないことはない︒しかしそ
の場合においてもまず︑企業者から他のものへ移譲されうる機
能および権限と︑移譲されない機能および権限とが明確に区別
されうるよう︑主張されている︒ たとえば
K .
P e
n t
z l
i n
は ︑
L e
i t
u n
g
の機能は移譲されうるが︑
F t
i h
r u
n g
の機能は真の企 ︐ 業者機能であって移譲されえないものであるとしている︒ハル
トマソの調査において︑専門経営者型企業の二つの企業におい
て︑程度の差こそあれ︑一応分権化がみられ︑指導的職員に決
定の権限与えられていた︒しかし注目すべきことは︑これらの
部門が極度に集権化されていたり︑また︑今︱つのヨリ分権化 ⑩ の進んでいる企業では︑その企業者が﹁一八世紀のホーニンツ
に な る ︒
者型企業の場合には価値指向性の強化によって達成されること 業の場合には機能主義の拡大によって達成されるし︑専門経営 進されており︑将来性あるものと考えられている︒
Jの同僚的経営
( K o l l e g i a l l e i t u n g )
は促 てドイツでは︑その専門の概念からして︑各取締役は自己を専 されているのみである︒したがって︑
︵ 大
橋 ︶
﹁同僚の原則﹂それ自体 ォレルソ︑パシャ
( P
a s
c h
a )
﹂といわれ︑権限の独占的企業の
一例としてあげられるほどの企業であることである︒ここに︑
ハルトマンによれば︑現在のドイツの経営組織を性格づける最
大の特徴の一っがある︒それはつまり︑集権性すなわち伝統的
なものと分権性すなわち新しいものとの綜合という事実であ
る︒今日企業者の多くは︑価値指向性と問題指向性とを︑価値
体系に基礎をおく権威と能力に基礎をおく権威とを均衡させる
よう努めている︒その均衡は︑後述のごとく︑独立企業者型企
業にも現われている︒もともと共同決定型企業は︑独立企業者
型企業が極度の集権化の例であったとするならば︑典型的な分
権化の例であるが︑ここでも絶対的価値は存在しており︑ただ
ある︒ハルトマソによるとこの企業では︑労務担当取締役が労
七
︵ 大
橋 ︶
って︑政治的民主主義と合理的経営との均衡という︑他のドイ
﹁ 政
治 的
民 主
主 義
﹂
( p o l
i t i c
a l
d e
m o
c r
a c
y )
という新しい価値が認められた
結果である︒この価値は︑なるほど排他性を大きな特徴の一っ
とする前記の三つの価値とは反対に包含的であり
( i n c
l u s i
v e ,
n e s s
) ︑その結果取締役以外のものにも権威を与え︑伝統的階層
り絶対的なものであり機能的なものではない︒ここでもしたが
ドイツの経営管理 組織を破壊するけれども︑しかしそれは︑三つの価値同様やは ようなのである︒これは︑ハルトマソによると︑ わずかづつの権威をもった多くの断片に分解してしまったかの たがって運営される結果︑取締役会の政策決定方法は﹁牛の売 買 ﹂
( K
u h
h a
n d
e l
)
と化し︑意見の一致をみない場合には延期
がなされるし︑意見の一致をみる場合にはそれは各取締役の取
引によっているという事態を生んでいる︒こうしたトップ・マ
ネジメントにおける譲歩による取引という関係は︑それ以下の
各層にもおよび︑そして上下の服従関係は︑共同決定していな
l l " i
い企業ほど強くない︒この企業からうける決定的印象は︑労使
が一般に協調的であるということであるが︑しかしそれは︑共
同決定によって新しい温情が突然生み出されたというのではな
くて︑むしろ︑共同決定が企業内部の権威の関係を︑あたかも
たとえばアメリカの
七
I n d i
a n a
H a
r b
o r
W
o r
k s
o f
絶対的指向と機能的指向との共存という点でさらに注目すべ
きは︑ドイツの経営におけるスクッフの役割およびその比重で
ある︒いうまでもなくスクッフは機能的知識や能力を第一とす
る機能的権威の原型といえるものであるから︑経営者のスクッ
フにたいする態度から︑機能主義にたいする経営者の態度をあ
る程度はうかがいうるのである︒^ルトマンの調査によると︑
日常的なスクッフ活動を十分遂行するに足るほどのスクッフ
ば︑機能的指向の強い専門経営者型企業においても︑その一っ
の企業では組織上スクッフがおかれたのはごく最近のことであ
り︑他の企業ではスクッフ活動こそこれよりも進んでいたが︑
スクッフの組織上の地位︑関係は不明確であり︑また適当な担
当者がおかれていなかった︒また量的にもドイツにおいてはス
クッフは︑他の国とくにアメリカ比して︑少ないということが
い え
る ︒
t h e
I n l a
n d S
t e e l
C o
m p
a n
y
とドイツの
D o
r t
m u
n d
, H
o r
d e
r
H i i t
t e n u
n i o n
について比較調査した
H a
r b
i s
o n
の報告による
と︑アメリカの企業における上級技術スクッフ
( s e n
i o r
t e c h
,
ま ︑ , " '
その調査企業のどれにおいても存在しなかった︒ ツ企業同様の特徴的問題が存在するのである︒
たとえ
他のものとの間の権威関係にふれるからである︒この権威の基 者の専決事項とされるのは︑いうまでもなく︑それが企業者と すのには︑多くの企業者が反対であるという事情がある︒そう いう事項としてあげられているのは人間間の関係
( p
e r
s o
n n
e l
( c
o m
m u
n i
t y
r e l a t i o
n s )
の 維
荘 特
︑ 悩
g
准
器 寺
の 問
題 で
あ る
︒
そう
いう問題はさきの団体交渉にもゆだねられないが︑それが企業 r e
l a t i o n s )
や平力固國叩内ば
m
l a
b o
r
r e l a t i o n
s )
そして共同体関係 して︑伝統的に
F i
i h
r u
n g
の内容をなす機能をスクッフにまか から広告︑経営者教育等にいたる広範囲なスクッフ的活動を引 マンによると︑戦後経営者があまりにも生産増大に直接役立つ ドイツの経営管理
n i c a l s t
a f f )
の数は︑ドイツ企業のそれの十倍であったといわ
2 1
ー
れるし︑また
H .
S p
i t
z e
r
によると︑その構造上大体比較可能
な米独の製鋼企業の三つのグループにおいて︑全従業員にたい
するスタッフの割合は第一図のごとくであったといわれる︒こ
うしてみると︑ドイツにおいては一応スタッフが過小だという
こ と
( u
n d
e r
s t
a f
f i
n g
o f
s t a f
f )
がいえる︒それには︑
もののみに目を咽われたこと︑ドイツでは企業外組織や使用者
団体が大いに発達していて︑それらの団体がたとえば団体交渉
き受けていること等の事情もあるが︑それ以上に重要な要因と
︵ 大 橋 ︶
ヽ レ ト
ノ
/
第一図 米独製鋼企業における
全従業員にたいするスタッフの割合
に合
員 割
% 業る
0 9 8 7 6 5 4 3 2 1 0
従す
全 対
ー
A
グ ル ー プ米
独
Bグ ル ー プ
C
グ ル ー プ米
七 四
巨 治 金 関 係 ス タ ッ フ
[[I]])I ・ E関係スタッフ A グループ・・・・・・古い大規模経営である二社 B グループ…•••中規模の大 1本歴史の同じである二社
C グループ••••••最新の二社 ,Hartmann, op. cit., pp. 75‑76.
区 生 産 計 画 関 係 ス タ ッ フ 応 建 設 関 係 ス タ ッ フ
礎 に あ る 価 値 と 直 接 そ し て 完 全 に 一 致 す る も の は 企 業 者 の み で あ る か ら
︑ 企 業 者 の み が こ う し た 事 項 を 処 理 す る 資 格 を も っ と
( 1 ) J .
Sc
uh
rn
pe
te
r,
T
he
or
ie
d
er
w
ir
ts
ch
af
tl
ic
he
n
En
,
tw
ic
kl
un
g,
2 . Auflage,
u M nc he
n 1
92 6, 山中
・東 畑訳
﹃経 済発
展の理論﹂第二章︒
(2)F•Fassbender,
Di
Fe
uh
ni
ng
sk
ra
ft
e i r n U
nt
er
ne
hr
ne
n
Es
se
n 1 9 57 .
S .
2 .
( 3
)
カリスマとは﹁特殊な︑神からの天賦の才能︒すなわち︑神
の思恵の経験上の証拠として信仰するものに与えられ︑召された一
生︑仕事︑職場へかれを適合せしめる︑特殊な神からの才能である﹂
( We b s te r
' s
Ne
w I
n te r n at i o na l
D
ic ti on ar y) と定 義さ れて いる が︑ カリ o f E ng l i sh l an g u ag e ,
1950, p.453.
スマ的指導者は例外的な洞察の才能を与えられていると信じられ︑
公式の法令よりもかれの言辞の方が︑信じるものには従われるもの
であ る︒ Ha rt ma nn ,o p c i .
t . ,
p .5 7 .
( 4
)
たとえばあるアメリカ人はドイツについて次のようのべてい
る︒﹁世界で最も強く固執されている幻想の一っは︑ドイツが世界
の主たる工業国中最も能率的であるという考えである︒能率といっ
ても︑定義のいかんによることはいうまでもない︒能率が組織する
能力︑物事を行なわせしめる能力を意味するものとするならば︑ドイ
ツは明らかに能率的である︒しかし能率が︑人力の消費を最小にし
て物事をなさしめる能力を意味するならば︑ドイツ人は決して世界
で最も能率的な国民ではない︒﹂G.
Bu
rc
k,
Ca n G er ma ny
Go
ド イ ツ の 経 営 管 理
いうことになるのである︒
︵大 橋︶
七 五
Ca
pi
ta
li
st
?
Fo
rt
un
e,
May 19
5 4, p .1 1
9 .
( 5
)
これらの点については前稿﹁ドイツの経営者lドイツの企業経営日﹂を参照されたい︒
( 6
)
たとえばある株式会社の︑企業者に近いスクッフの一人は︑ハ
ルトマソに﹁わが社の組織には︑わが社が例外的な早さで拡大した
ために︑関連の不明確なところが若干存在する︒しかしトップにお
いては︑事態は全く明確となっている︒わが社では意決志定するの
はただ一人で︑それは企業者である︒副社長も企業者に従属してい
る︒わが社には︑株式会社でいういわゆる取締役は存在しないの
だ︒ わが 社に は総 取締 役( ge ne ra l di re ct or )は いる が︑ 取締 役
はいないといいうるであろう⁝・:﹂とのべたということであるが︑
ハルトマンの報告によると︑重要な原稿のすべてに目を通さずには
おか ない 企業 者や
︑さ らに は︑ 社有 車の 運行 日誌 (F ah rt en bu ch )
に毎日目を通す企業者もいるということである︒Hartmann,
op
c i t .
`
pp.5 9
ー
6 0 .
( 7
)
これ はB ad en ,B ad en おに ける ドイ ッ産 業連 盟( BD I) の企業者のゼミナールの結果として生まれたドイツ工業後継指導者育成
協会
(D
eu
ts
ch
se
I ns t i tu t zur 6 F
rd
er
un
g d
es
in
du
st
ri
el
le
n
Fu
hr
un
gs
na
ch
wu
ch
se
s,
DI F. )で 主張 され てい る試 みで ある
︒
またたとえばSchlenzkaは管理階層をtop
le
ad
er
sh
ip
, b
ig
bl
oc
of mi
dd
le
ma
na
ge
me
nt
, m
al
ti
tu
de
of
Kl
ei
nm
an
ag
er
of
al l
i
nd
iv
id
ua
l worksgroupに分け︑それぞれを企業者機
能に決定権をもって関与するものたらしめるよう主張しているが︑
しかしここで注目すべきことは︑これらの試みにあっても︑企業者
自体はそれ以外の管理者とは異なったものとされていることであ
146
以上のように︑ドイツにおいては︑非合理的な絶対的なもの
労 務 管 理
ドイツの経営管理
る ︒
H a
r t
m a
n n
︑
0 p .
c i t . ,
p , 6 2
. (8)市原季一博士﹁西独企業の上部管理組織﹂会計第七七巻第四号
1 0
0 ‑
1 0
一 頁 ︒
( 9
) H
a r
t m
a n
n ,
o p . c i t . ,
p . 6 5
.
( 1 0 ) こ の 企 業 で は ほ と ん ど あ ら ゆ る 指 導 的 職 員 が ︑ そ れ ぞ れ の 管 轄
の問題の解決について︑限られたものであるが︑自由裁量権を有し
て お り ︑ た と え ば 購 買 部 門 等 で は そ の 限 度 が 契 約 金 額 の 高 さ に よ っ
て き め ら れ て い る
︒
H a
r t
m a
n n
,
o p .
c i t . , p . 6 6 .
( 1 1 ) こ の 企 業 で は 上 役 た ち は ︑ 即 座 的 な 服 従 を 期 待 し て 一 方 的 権 威
を発揮するよりも︑部下とお互いに姓ではなくて名でよびあった
り︑︵こうしたことは︑ドイツの企業では︑少なくともこのような レペルでは︑そしてこれほど一般的には行なわれないことであると いわれる︒︶酒の席やトランプの席などで会社の問題を論じるよう な 散 漫 な 方 法 を と っ て い る
︒
H a
r t
m a
n n
, o p . c i t . ,
p . 7 0
,
(12)F•H•Harbison,
S t e e l M
a n
a g
e m
e n
t o n t
w o
C o n t i n e n t s ,
R e
l a
t i
o n
s I
n d
u s
t r
i e
l l
e s
̀ X
(
M a
r c
h 1
9 5 5 )
, p p
l l l
.
ー
1 2 3 .
こ
の調査では技術部門のみが対象とされ︑他の部門は考慮されていな
︑
︒
し
が強く残存し︑近代的な合理的なものと共存しあっているが︑
そのことが労務管理の性格をまた決定することはいうまでもな
︵ 大 橋 ︶
的変動︑とくに合理化運動によって大きく駆逐され︑当時社会 しかし歴史的にみるならば︑全体としては︑第一大戦後の社会 にも似た身分上の相違を設けるが︑ は温情主義的企業者であって︑従業員との間にュンカーと下僕 い︒ドイツでは今世紀初頭においても経営組織の軍隊的性格が 顕著に認められるのであって︑たとえば
r B
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はきわめて軍
隊的に形成されたリーダーシップの型の存在を指摘し︑﹁私有財
産のきわめて強い自由の考え方がリーダーツップと命令の軍隊
. .
ー 的イデオロギーと結びつき︑企業軍国主義となっている﹂とのベ
ている︒軍国主義とともに封建的なものとして企業に残存して
いるものは︑いうまでもなく︑家父長制
( P
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で あ る ︒
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によると︑一口に家父長的企業者といっても︑
部下にたいする態度において大体二つの種類がある︒その一っ
﹁何事も被用者のためにす
るが︑何事も被用者にはさせない︒﹂これと対照的なものが保
護者的企業者であって︑被用者自身の自発的協力によって被用
者の独立性︑知的・道徳的能力の向上を鼓舞しようするもの 図 である︒家父長制は今日でも︑ドイツのあらゆる産業部門を通
じて︑とくに中小企業の多い南西ドイツにおいて見出される︒
的関係も一応合理化された︒しかしその合理化はもちろん完全
七 六
ドイツの経営管理
︵ 大
橋 ︶
たところもあるし︑多くの社内誌は当時のこの政策の一環とし
七 七
い︒たとえばカトリック系の企業者や理論家は︑ヒューマン イツ経済の立ち直りが進むとともに︑労働運動は共同決定実現 運動を中心として高まった︒この運動は︑資本側の譲歩によっ て︑実を結ぶのであるが︑この譲歩の段階で経営の労務対策と る︒それにはむろんアメリカ軍の積極的な後援があった︒当時 アメリカ軍はヒューマソ・リレーションズについての雑誌を積 極的に後援したり︑ヒューマソ・リレーションズについてのア ③ メリカの専門家とドイツの学生との交換を奨励したりした︒企 ④ 業のなかにはこの政策を実施するために特別なスクッフを設け かわらず行なわれたストライキであった︒もちろんヒニーマン 上げ運動が展開されたのである︒ して大きく注目されたのが︑ヒューマン・リレーションズであ 拡大よりも賃銀や労働時間等の直接的事項の改善を強調する決 議がなされ︑その結果一九五四年とくに一九五五年にかけて賃
このヒューマン・リレーションズ時代に結末をつげた直接の
動機は︑この︑ヒューマン・リレーションズの導入いかんにか
・リレーションズ反対の原因となった理由はこればかりではな フラソクフルト会議において認められ︑任意社会的サービスの レーションズ反対という労働組合のこの立場は︑ な信頼協定を労使間で結んだところさえある︒この段階は一九 五
0年ごろまでつづく︒一九四八年の通貨改革を契機としてド
一 九 五 四 年 の と警戒的で︑どちらかといえば反対であった︒ヒューマソ・リ ひきつけることによって︑労働組合の力を弱めるのではないか に協力しあい︑そのために労働争議を最小限にとどめる非公式 て行なわれるヒューマン・リレーションズが︑労働者を企業へ たのであり︑どちらかといえば労働者側と経営者側は経済復興 戦争直後においては組織的な労務対策は全然行なわれなかっ に︑経営組織上は軍隊的規律と権威が強く要求された︒
労 使
は ︑
二面性として︑根本においては︑ナチス時代にそのままうけつ
が れ
︑ 一 方 で は 家 父 長 的 関 係 へ 再 編 成 さ れ る と と も
なものではなく︑合理的能率の追求と封建的遣物の残存という
反省ないしは批判は︑数年たらずしてすでに現われてきた︒は
じめからヒューマソ・リレーショソズがドイツ固有のものでは 5
~
ないという不安感があり︑経営者たちはヒューマン・リレーシ
ョンズと︑支配ー服従をより強調するドイツの伝統との両立性
を心配していたが︑他方労働組合もはじめから︑経営者によっ て生まれた︒しかし︑ヒューマソ・リレージョンズにたいする
148
ドイツの経営管理 6 リレーショソズが自立援助の原理
( S u b s i d i a r i t a t s p r i n z
i p )
に
反する︒したがって労癌対策は従業員の独立性を促進すべきも 7 のであると主張したし\また︑配当にくらべて労働者にたいす
は︑ドイツ経済の再建が急速に進み資本の蓄積も行なわれて︑
それを背景として資本が労働にたいするこれまでの譲歩を奪回
せんとしたのであり︑生産性向上︑費用低減のために︑そして
企業財政状態強化のために︑物的生産設備改善のための資本投
﹁ ヨ リ よ く 設
﹂が﹁間接的措置﹂にかわるべきことが主張されるにいたり︑
社会的ばか騒ぎ
c a r n i v a l
) ︑社会的ロマン主義
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い と っ
たひどい言葉でよばれ︑企業者や理論家たちによって一せいに
批判されたのである︒
しかしこのように︑社会的政策に労使双方とも反対であった
いする割合は︑第一表から十分推察されうるように︑かえって にもかかわらず︑その後においても社会的費用の賃銀総額にた
という努力がさらに強化されつつある︒ の︑経済的財務的な︑どちらかといえば合理的手段による解決
G e s e l l ,
制
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) ︑
( s o c i a l
当時︵一九五四年︶ヒューマソ・リレーションズは会社女家長 備された労働場所の継続的供給﹂という﹁直接的社会サービス 下を増大するよう強調されたのである︒かくて︑ る社会的費用が過大であるという主張もあったが︑
基 本 的 に
︵ 大
橋 ︶
O l
ー
.
.
s c h a f t s p o l i t i k への芹だ疾という形で︑社会的規模において︑
方では共同体
( G
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t )
的関係への再編成という主張が
現われるとともに︑他方ではそれとともに︑社会保障の充実等
第一表
企 業 名 │ 1953年 │1954年 │1955年 DEMAG, Duisburg 42.6 43.6 46.6 Bosch, Stuttgart 37.2 37.0 . 36.6 Mannesmann, Dusseldorf 39.6
Siemens, Munchen
I
20.0 23.0l i t i
k
か ら
Hartmann, op. cit., p.93. に強くなり、Sozialpo•
ないという主張がさら
若干のドイツ企業における賃銀・給与 総額に対する社会的費用総額の割合
とんど効果をおよぼさ 内の社会的政策そのも のは労使関係改善にほ 党も︑大いに活動して
~
︐ いた︒この結果︑経営 し︑当時未だ非合法化 されていなかった共産 にかけてさらに活澄化 九
五 五 年 ︑
一九五六年 た他方︑労働運動も
増大の傾向にあり︑ま 8
••七
八
︵大 橋︶
なった機関が︑明確なる権限関係の規定なしに︑労務管理に関 デイの対象とした独立企業者型企業では︑少なくとも一四の異
次に今日のドイツ企業における労務管理組織を簡単に紹介し ておこう︒ハルトマンがイソクービュウしたある企業者は︑﹁労 とのべたということであるが︑ともかくドイツでは︑まず︑今 日でも非常に多種多様な管理形態が存在している︒今日のドイ ツの労務管理組織の主たる型は︑第二図に示した五つの型で大 体代表されうる︒第一の型は独立企業者型企業︑第二︑第三は 専門経営者型企業︑第四は﹁同僚の原則﹂による経営︑第五は 共同決定型企業にそれぞれ典型的なものである︒ドイツの労務 管理の組織上の一特徴は社会部
( S o z i a l a b t e i l u n g
) という機関
のおかれていることであるが︑社会部で人事管理および経営社 会政策に関するすべての業務が行なわれる場合もあれば︑社会 部が人事部の一部門または全然別の組織として設けられ︑そこ からも推察されうるところであるが︑ドイツの企業では︑今日 でも労務管理が体系的に行なわれているとはいえないようであ る︒たとえばハルトマンの調査によれば︑かれがケース・スタ
ドイツの経営管理
で社会的制度が運営される場合もある︒また︑これらの組織図 務管理はドイツの企業組織上最も無視されてきた領域である﹂
七 九
最後に︑経営タイ︒フのいかんによって労務管理とくに経営社 から新しい合理的な組織的な段階への過渡期にあるものと考え 計算と労働法規に関する事項を最初として権限の移譲が行なわ り ︑ る状態が生まれてきたのは︑
少なくとも一九一八年以前の家父長制的な企業の段階で
つ ま
り
h"i係していた︒しかし︑ドイツにおいてこうした混乱ともいいう
比較的最近のことである︒
は ︑
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B o
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S
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等の大企業においてすら︑企業 者自身が人事機能を担当するのが通例であって︑こうしたこと はなかったのである︒その後︑経営の大規模化に応じて︑賃銀 れたのであるが︑しかしその場合この過程が通常︑権限の体系 的な再規定なしに行なわれ︑企業者自身が往々にして移譲した 権限に干渉したりして︑現在のごとき状態が生まれたのである が︑結局ドイツではこの面においても︑今日なお︑以前の段階
られるのである︒
会政策の内容や傾向がどのように相異しているかというと︑ま ず︑それにたいする支出額という点では︑ハルトマンの調査に よると第二表のような結果が報告されている︒これによれば︑
経営社会政策がそもそも家父長的政策の︱つであるところから
いって︑独立企業者型企業においてきわめて顕著であることは
150
第二図 ドイツ企業における労務管理組織の諸類型
機能的分割
ドイツの経営管理
第
11形態
企業者.社長︵ 大
橋 ︶
人事部 賃銀支払部
第
111形態
賃銀部 給与部 採用部
醐 事 狙 当
第 V 形態
給与部
八〇
採用部
一 意 志 決 定 者
緊蕊
3事務部門 Hartmann,op. cit.,PP• 98‑99ドイジの経営管理
︵大 橋︶
八
心もそしてその支出額も独立企業者型企業と同様に高いのであ慮は︑ドイツとアメリカにおける専門経営者型経営の根本的な 忠誠心︑信念︑価値といったものによる考慮の優先するときが 用の割合がきわめて低いことは︑間接的社会政策よりも賃銀等 的関係にまで適用するといった︑体系的能率的管理という観点
第二表
I独型立企企業業者1専型門経企営者業1共型同企決定業
労務費の費用総額に対する割合
,
56 40社会的費用総額の
(a)賃金・給与に対する割合 42
,
28(b)費用総額に対する割合 3.8 4.8 11
任意社会的費用の
(a)社会的費用総額に対する割合 48 62
(b)費用総額に対する割合 2
7
※ただし専門経営者企業は一方の企業のみ。
Hartmann, op. cit., p.105.
る社会的費用
形の高率とな
れと全く対照
費用中労務費
のしめる割合
が独立企業者
型企業のそれの約六倍であり︑反対に賃銀にたいする社会的費
のいわゆる直接的社会政策に重点がおかれていることを端的に 砂
ー示している刊また︑共同決定型企業の社会的政策にたいする関
ケース・スクデイ対象の
三企業における社会的費用と労務費
経営者型企業
であって︑全 的なのは専門 っ て い る ︒ こ の割合は四 賃銀にたいす い
の で
あ り
︑
いうまでもな るが︑独立企業者型企業の場合よりも︑任意社会的費用の強制
社会的費用にたいする割合の高いことが特徴的である︒
しかし︑このような区別ばかりではなく︑同時にドイッ企業
業では︑旧来の家父長的経営からの脱皮がはかられ︑所有参加
とか製品にたいする関心の高揚等の新しい方策を通じて従業員
の連帯性を高める政策がとられている︒この企業者が実際には
保護者的企業者にすぎないとしても︑こうした政策が旧来の私
有財産権の排他性を弱め︑能力と成績による機能主義への傾向
にあるものであることは︑疑いない︒現在はまさに︑家父長的
管理から合理的機能的管理への過渡期にあると一応いいうるの 訓
n u
である︒他方︑金銭的報酬を第一として合理的労務管理の典型
とみられる専門経営者型企業においても︑
F u h r
u n g .
, i ; ,
し く
は
M e
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の考えを事務上のみならず従業員との個人
では説明しえない面が存在するのであり︑その結果︑人間性︑
あるのである︒ハルトマンによればまさにこうした非合理的考 全体に通ずる類似性がまた存在する︒たとえば独立企業者型企
I 5,2
ドイツの経営管理
相違を示すほど︑重要なものである︒政治的民主主義の価値の
もとにある共同決定型企業では︑伝統的な意味での
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ft
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が な さ れ え な い こ と は も ち ろ ん で あ る が
︑ と く に 労
働者代表の経営者が︑そのリーダージップの発揮に際しては︑
機能的能力によるよりも価値や信念といった非合理的なものヘ
指向していることは︑なんら変りがない︒このようにドイツで
は︑とくに最近︑価値指向的管理がら機能的管理への移行がみ
られるのであるが︑企業者はなお非機能的要因を維持し︑旧来
の価値が後退している場合にも民主主義とか保護者的家父長制
とかカリスマといった新しい価値が導入されていることは︑看
過されてはならないのである︒
(l)さらにつづいてBriefsは、「•…••こうしたことにたいする抵
抗は︑都市労働者のスラブ出身移民によって構成される割合が大き
くなるに応じて︑減退した﹂とのべているが︑ハルトマンによると
このことは︑今日西独における難民の事情からしてとくに興味のあ
ることであり︑事実ある難民の一人はハルトマンとのインタービュ
ウで︑その教養が会社の家父長制的政策に順応するのをョリ容易な
らしめていると︑のべたということである︒
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( 2 ) E .
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19 48 ,
SS
.
131ー
13 2.
( 3
)
当時これにこたえてE.MayorとかP.F•Druckerの著書
︵大 橋︶
が独訳されたり︑これらの思想がドイツ人によっても紹介︑宜伝さ
れた︒たとえば
H.
Gr
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19 49 .
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1 95 0.
( 4
)
それはたとえば
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sb
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hu
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en
と
か
Me ns ch un d A
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et
ri
eb
といった名称でよばれた︒
(5
)
ヒューマン・リ>ーションズという言葉自体
Zw
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me
,
ns
ch
li
ch
e Be
zi
eh
un
ge
n i
n d
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.I
nd
us
tr
ie
という直訳語をの
ぞいて︑適当な言葉が作られていない︒その他の言葉もそうであっ
て︑たとえば
co
mm
un
ic
at
io
nc
ha
nn
el
s
は
Ko
mm
un
ik
at
io
‑
ns
ka
na
le
と直訳されているのである︒
(6
)S
ub
si
di
ar
it
at
の原理は︑とくにビウス︱一世の一九一︳二年
の回勅
Qu
ad
ra
ge
si
mo
An n0
で強調された︑キリスト教的社会
理論の原理で︑それによれば︑社会はその成員に責任ある遂行のた
めのすべてのものを交付し︑成員を自立なさしめるよう促進すべき
であり︑ヨリ小さな単位の自律性は取り換えられたり否定されたり
してはならない︒
De r
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er
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8
.
B d・ ,
F
re
ib
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g
19 56 ,
s .
12 85 .
( 7
)
こうした考えにしたがって︑一九五四年に非カトリック企業者
の経営をも含めて約︱
1 0
0
の企業がPa
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ne
rs
ch
af
t
計画を実施
するにいたっているが︑その典型が有名な
G.
Sp
in
dl
er
のプ ラン であ る︒
( 8
)
社会的費用は強制社会的費用と任意社会的費用とに分けられう
るが︑一九五五年任意社会的費用は︑五七七社の平均では︑貨銀・給与の一四•五形であった。また国際的にみてみると、一九五五年
八
153
第 三 表
製造業で︑総労務費中にしめる全社会的費用の割合は次の通りであ った
︒H ar tm an n, o p.
c i t .
, pp.
1 9
│93.
( 9
)
西ドイツでは一九五一年︱一月以来共産党非合法化の方針がと られ︑一九五二年に連邦政府は同党がポン基本法第ニ一条に規定す る民主的基本秩序を侵害するものとして憲法裁判所に違憲判決を要 請したが︑一九五六年八月一七日同党違憲の判決が下されている︒同党は当時党員約︱一八︑
0 0 0
名︑経 営細 胞約 一︱
‑︑
を擁し七
00
ていたが︑一九五五年の後半において︑大きなものだけでも︑Bre, me nの Ga li at h自 動車 工場
︑H am bu rg のH ow al dt 埠頭 お よび St ii lc ke n埠 頭︑ Ka ss el のH en sc he l機 関車 工場
︑H es se の繊 維産 業等 で山 猫争 議が 起り
︑ま たH as pe のK lo ck ne r工
場や
︑ 包括的な福利制度をもち共同決定のもとにあるestfalenh
i i t te で︑経営協議会の選挙において共産党が大きく進出したことは︑経 営者陣営にとっても労働組合にとっても大きな衝撃であったといわ れる
︒な
おH ar tm an n, 0p . c it .
̀ pp ,
9
2│
93
.参
照︒
(1 0) Ge se ll sc ha ft sp ol it ik はす でに 戦前 に生 まれ たも ので ある が︑ 最近 の規 定に よる と﹁ So zi al po li ti kは
︑今 日で は︑ 単に 発 生の地点において︵すなわち企業において︶社会的危機とたたかう ことを︑つまり社会的危機を治癒するのではなくてそれを抑制して ド イ ツ の 経 営 管 理
( 大
橋 )
国 名 I彩
イ ギ リ ス 11 ベ ル ギ ー 23 ド イ ツ 26 フ ラ ノ ス 29 ギ リ シ ャ 30 オーストリア 31 イ ク リ ー 42
八
おく こと を︑ 意味 する にす ぎな いが
︑G es el ls ch af ts po li ti kは
︑ 社会 生活 共同 体化 (V er ge me in sc ha ft un
g)
の大 きな 過程 を再 び 始めることによって︑社会的危機のその根源において︑それを治癒
(W•Heinrich,
Vo n d er Sozialpolitik
zu
r Ges
el ls ch a,
‑ f ts p o li t i k, Di e A us sp ra ch è V ( 19 55 ), SS .4 1‑ 42 .
しうるものである﹂
とさ れて いる
︒H ar tm an n, o p.
c i t .
, p . 9 4.
( 1 1 )
参考までにその詳細を紹介すると︑
山一般的人事管理は企業所有者のいとこによって担当され︑企業 者自身は問題ある場合と一般的な人事政策に関与していた︒
図職員の人事管理は商事部門長によって担当されていた︒
③商事部門長は人事管理についての多くの任務をョリ下級の指溝 的職員に移譲していたが︑そのなかには採用︑給与︑評価︑休
暇︑教育訓練が含まれていた︒
④工員にたいする人事の係はなく︑それに関する記録は賃金計算 係( Lo hn bu ch ha lt un g) で保 管さ れて いた
︒ 固賃 金計 算係 は工 場か らの 交替 カー ド( sh if t, ca rd )と
︒ハ ンチ
・ カードからその記録をとっていた︒
固人 事簿 (p er so nn
el
in
ve nt or y) は出 納係 で保
管さ
れて いた
︒
m
社会部は企業者の姉妹がその長で︑専門的なソツアル・ワーカ ー一人と看護婦二人が配置されていた︒
⑧社会部と一応提携して一二つの保育園があった︒
⑲医療室には医師一人︑その助手一人︑マッサージ師男女各一 人︑看護婦一人︑その助手三人が配置されていた︒
皿ほとんど自律的に活動する教養部があり︑社内紙等を出版して