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[資料紹介] ドイツの経営者 : ドイツの企業経営( 一)

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(1)

[資料紹介] ドイツの経営者 : ドイツの企業経営(

一)

その他のタイトル [Material] Executives in German Industry

著者 大橋 昭一

雑誌名 關西大學商學論集

巻 7

号 1

ページ 49‑70

発行年 1962‑04‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021678

(2)

49 

ドイツの経営者

│ 

│ 

ことはいうまでもない︒

ドイツの企業経営の組織なり経営方法なりの実態は︑ドイッ経

営学がわが国で紹介されているほどには︑知られていない︒最近

わが国の経営管理組織の改革に関して実業界で理想と考えられて

いるものが︑ドイツの方式に近いものであるところから︑ドイツ

l l  

の経営組織にたいする研究の必要性が叫ばれていぶ︒ドイツの経

営は︑公式組織においても︑とくにアメリカやそれの影薯を多分

にうけたわが国の場合とは異なって︑ドイッ独自のものをなして いるが︑ドイツの真の経営の実態を知るためには︑公式的な面ばかりではなく︑その実際の状態を知ることがきわめて重要である

わが国へ外国の学説や経営技術が紹介される場合︑両国におけ

る社会経済的地盤や経営構造の違いが強調されてはいるが︑少な

くとも経営の実態については案外研究が進められていないようで

ある︒最近ドイッ経営学やドイッ的な経営技術にたいする関心が

高まっているおりから︑ドイツの経営についてそうした研究を行

なっておくことは重要ではないかと思われる︒もちろんこれまで

ド イ ツ の 経 営 者

9 ,

 

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9 9  

(3)

ドイツの経営者

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﹃ドイツの経営における権威と組織﹄

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1959.)

ハルトマンは︑一九五三年から一九

④ 

五五年にかけてドイツを広範囲に旅行して実地に調査した結果︑

ドイツの経営組織における経営者の権威が︑アメリカの場合のよ うに経営者の遂行する機能から発する機能的権威

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ではなくて︑信念や思想という非合理的なものから 由来する絶対的権威

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であって︑それは私 有財産権

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︑天職

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という三つの価値観に基礎づけられ ていると主張している︒かれによると︑ドイツの経営の実際の方 法や組織は︑一般に考えられているほどいわゆる合理的なもので

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においても︑少なくともドイッ経営学の理論の特徴については︑

とくにアメリカ経営学と対比して︑種々いわれてきているが︑そ の場合︑個別企業そのものの特質︑経営の実態にまでたちいって 究明されてはいないように思われるのである︒

こうした点で注目すべきものとして︑アメリカにおいて﹁経済

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発展における労働問題についての大学問共同研究﹂

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の一現として出版されたハインツ・ハルトマンの

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(1)市原季一博士﹁西独企業の上部管理組識﹂会計第七七巻四号九五

頁 ︒

( 2 )

これは︑一部分フォード財団の援助をえて︑工業化︑経営者リー

ダーシップおよび賃銀生活者の問の関係を全世界的に比較研究す

ることを目的としているもので、カリフォルニア大学の

C•Kerr,

プリンストソ大学の

F•H•Harbison,

^ーバ!卜大学の

J.T.

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(3

)

ハルトマン自身はドイツ人であるが︑アメリカ︵シカゴ大学およ

九五五年にかけてほッカゴ大学のドイツにおける経営調査の主事

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r )︑一九五七年にはプリンストン大学の経済

学部助教授および

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1955. 

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1955. 

(4

)

この間にハルトマンは二つの大きな調査を行なっている︒︱つは

経営者教育についての調査であり︑他は経営における権威と組織

に関するケーススタディとである︒ケーススタディの対象とされ

たのは︑三つの経営タイプを代表する︑次の四企業である︒その

場合もちろん公式的な経営クイプの違いのみが問題にされたので

あって︑規模とか立地とかは全く考慮外とされている︒

として︑ドイツの企業経営の実態について簡単に紹介したいと思 はないのであるが︑以下︑ハルトマンの調壺の結果や見解を中心

0

(4)

5 1 

ドイツの経営者 第 一 表

I

人 員

種 類 経営者教育調に

I

四つのチース

つ い て の 査 ス タ デ イ

取 締 役 1 7   5 

企 業 所 有 者 2 1   3  業 務 代 理 人 6  3 

( P r o k u r i s t )  

指 導 的 臓 員 3  2 8   ミドル・マネジメン 1 3   1 9   トおよびスタッフ

企業連合組識の役員 1 9   4  大 学 教 授 1 8   4  ジ ャ ー ナ リ ス ト 5 

労 働 者 代 表 1 6   1 0 2   9 2  

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型の企業—ー従業員約二、

000人の中規模のスト

00年以上

口専門経営者型の企業

Iー—'従業員約二八、

000人の自動車製

曰専門経営者型の企業

J I 00

四労使共同決定型の企業I00

人の製鋼企業。~

これらの調査においてハルトマンは︑詳細次表のごとき一九四人 のものとイソタービュウし︑資料は五四の企業︑四四の企業連合

経営者権威

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) には︑大きく分けると 次の二つのクイプがあるといえる︒機能的権威と絶対的権威とで ある︒もちろん一人の経営者が二つの権威をともにもつ場合もあ るが︑多くの場合どちらかが相対的に優勢となる︒前者は命令者 の出す決定や命令が機能上正しいために服従が行なわれるもの で︑権威の源泉は専門的知識と能力である︒したがってここでは 権威は能力に依存した相対的なものであり︑それは不安定ではあ るが︑問題の解決においては能率的である︒アメリカの経営組織 は多くこの型によっている︒絶対的権威は命令者と被命令者とが 命令者の権威を︑問題解決に際しての技術的知識や能力のいかん を問わず︑当然のものと認め合うがために服従の行なわれるもの で︑ここでは権威は全く自明のものであり︑服従にたいする要求 の根拠を証明する必要はない︒この権威の源泉にはいろいろな根 拠があるが︑たとえばドイツの企業経営における最も一般的な根 拠は︑私有財産権︑天職︑エリート思想という三つの絶対的価値 観である︒したがって︑前者を問題指向的というならば︑これは

価値指向的といえる︒

ドイツにおいてこうした価値指向的な︑絶対的権威の基礎とな

(5)

ドイツの経営者 っている価値には︑前記一二者以外になお人間性

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か個人主義

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といったものが考えられ︑企業経 営上においても労使共同決定制のもとにおいては政治的民主主義

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の価牒阻体系が認められるが︑ハルトマソ はその調査から︑それらのものには重要性が三つの価値ほど認め られないとし︑この三つの価値の︑ドイツで考えられている内容

を次のよう説明している︒

私有財産権は︑生命権や自由権とともに自然法によって与えら れている自然権と考えられている︒つまり︑人間に本来備わって いる︑社会による認定以前のものである︒私有財産権の古典的規 定はジョソ・ロックに発するものであり︑かれは︑人間は自己 の労働で作り出したものにたいして自然的な権利をもっと主張し た︒しかし︑今日の考え方とロックのそれとはもちろん同じでは ない︒今日においては国家による規制︑財産所有者自体の側にお ける経営専門家への依存︑および近代における企業集中化の傾向 等によって私有財産権概念の内容は変化しているけれども︑私有 財産権そのものは今日の資本主義社会にはっきり洩っており︑今 日ドイツでは独立企業者およびカトリック系企業都がこの価値体 系にたいする最も強力な擁護者である︒

天職は︑ドイツでは客体的な意味と主体的な意味とを有してい

る︒客体的には終身的な職務

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) を意味し

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主体的にはその職務を引き受けるその人の特別な天職の自覚を意

味する

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︒そしてそれは︑日特別な肉体的および精神

的可能力

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︑口なんらかの職業がその人に訴える特y )

別な魅力︑国個人的および社会的状況から生ずる具体的な機会と いう三面において具現する神の意志から生ずるものと考えられて いる︒それは︑アメリカでよく用いられるいわゆる

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の観念

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に含まれている生涯それに身を

託したもの

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という感情や責任が欠けて いるし︑仕事の結果や用具にたいする誠実心が含まれていない︒

Be

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のオリジナルな概念によると︑それに含まれている責 任は社会にたいする責任をも含み︑

Be

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f

~とりわけ公益にた いする奉仕と考えられている︒しかし個人は︑一般社会との関係

においては︑その

Be

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f を通じて直接社会と関係するというよ りは︑同じ

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f の人間を包括する概念たる身分

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通じて社会的には代表される︒この身分という概念は︑今日のド

イツでは

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ほど一般に認められていないが︑経営者権 威を正当づける場合にはなお強力な役割を演じている︒

エリート思想は︑社会一般にニリートとしての地位を経営者が 要求していることである︒経営者がニリートにはいることは社会

(6)

② 

科学によって認められてきたようであり︑また一般的にも︑ドイ

ツでは経営者をエリートとして認めているようであるが︑

マンによると︑それには確固たる論拠があるわけではなく︑希望 的観測に多く依存している︒ドイツにおけるニリート的地位にた いする経営者の要求とは︑結局︑経営者の有する属性を解釈し︑

それを一般公衆に認めさせることであるが︑こうした属性として 自助および自己責任︑人間能力の自由なる発展︑競争心︑危険負

担︑創造的思惟といったものが考えられている︒ところで︑こう した思想による価値体系が絶対的価値とされるのは︑次の二つの 点からである︒まず︑経営者はニリート的地位を特定の職務︑範 囲︑グループについて要求するのではなくて︑全社会との関係に おいて要求するのであるが︑そのような要求は︑ある価値にたい して︑他の価値にたいする絶対性を非合理的に与えることを基礎 としてのみ可能である︒第二に︑経営者の主張する属性のいくつ かが︑すでに絶対的であるということである︒しかしこの価値に は︑前の二者と異なって︑相対的な︑機能的な価値がはいりこん

でいることもまた事実で︑リーダーシッ︒フにおける能力や経済再

建の成功といった要因が︑少なくとも背景としては考えられてい る︒ニリート思想は︑三つの絶対的価値の中では︑受け入れられ るのが最も少ない︒大体同様な要求が経営者の出現以来なされて

ドイツの経営者

ヽ レ ト

いたが︑組織的なグループによって首尾一貫主張されたのは︑や っと第二次大戦後のことにすぎない︒最初は独立企業者によって 主張されたが︑後には経営者一般によって取り上げられた︒それ とともに重点が絶対的価値から機能的価値へと相対的に移動して いったが︑しかしそれは︑絶対的といわれうるほど十分に非合理

的なものである︒

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nn︑現代における大企業家

(7)

まずトップ・マネジメントであるが︑ドイツのトップ・マネジ

ドイツの経営者

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︑あるいはドイッ外のものとしては

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経営者の力の実際の大きさを評価するには︑公式組織における

権限の移譲の違いということも重要な事実であるが︑経営者が自

・マネジメントがその役割をどのように考えているのか︑そして 区別しているのかという問題は︑生産高とか生産性とかの指標よ りも︑経営組織の内部的特徴をいっそうよく明らかにするといえ るであろう︒以下ここでは︑こうした観点からドイツにおける経 営者像に接近してみたいと思うのであるが︑その前に︑説明に必 要な範囲において簡単に︑ドイツの企業管理組織を紹介しておき

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企業管理組織

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メント組織は︑その機能が監査役会

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と取締役会

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とに明確に分離されている︒前者はアメリカの

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d 後者は社長および副社長から構成され

トッ︒フ・マネジメントは自分たちを他のグルー︒フからどのように 己自身についてもっている考えも重要である︒すなわち︑トップ

経 営 者

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e に相当するものと考えていい︒ド イツでは法律上においても︑後者が日常の業務幽料

2の権限と責任

を有し︑前者は︑特定の基本的業務を除いて︑取締役会の執行 権に関与することができずそれにたいする監督権があるのみであ る︒監査役会は株主総会に任免の権限があり︑取締役会は監査役 会によって任命される︒したがって両者において意見の不一致 が生じた場合︑監壺役会は取締役会にたいして同意の拒否をなし うるのみで︑監査役会の決定に取締役会を従わせることはできな い︒そういう場合には︑監査役会には取締役会罷免という方法が

あるし︑他方取締役会には株主総会を召集して監査役会を更送す るという手段がある︒監査役会は大体三ヶ月に一度開催されるの みで︑通常は監壺役会議長のみが取締役会の政策や活動を積極的 に継続的にみているのみである︒このほか監査役会と取締役会と

監査役会の委員会を通じて行なわれるのみで︑

全体

としては相対的に少ない︒周知のごとく︑今日では監壺役会の数 および構成は共同決定法と経営組織法による規制をうけている︒

また︑経営組織法によれば株式会社以外でも従業員五

00

人以上

の有限会社︑法人格を有する鉱業者組合においては監査役会を 設置する必要があるので︑少なくとも従業員五

00

人以上のドイ

ツの企業では︑監査役会が企業の典型的な組織機関となってい

五四

(8)

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ープがあるといわれる︒

~(2)

ドイツの経営者

組織上取締役会のすぐ下にいるのが指嘩的職員

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とよばれる層であって︑ハルトマンはこの層をアッ

パー・マネジメソト

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と名づけ︑指導的

職員の下にいる層たるミドル・マネジメントと区別している︒指③ 導的職員にたいする一般的な定義はまだないようであるが︑一般

的には︑使用者の機能を遂行して使用者の利益を代表すること︑

およびその職務で個人的責任と結びつけられる特別な資格をもっ

こととの二つの要素が︑そのメルクマールとして考えられている

ようである︒またクライネによると︑指導的職員には二つのグル

H

歴史的な︑狭義の意味での指導的職員は︑現代的意味での経

営者機能を遂行しているもので︑その職務は多くの場合技術

的なものであると同時に規律上のものであるか︑完全に規律

口たとえば会計とか広告とかの明確に専門的な職務を遂行する

いわゆる専門家としての指禅的職員で︑その職務は本来使用

者自身が行なう必嬰のない技術的なもので︑規律上のもので

はない︒したがって狭義の指瑯的職員とは異なって︑必ずし

も経営本来の職制には属していないもの︒

しかしハルトマンは︑この区別や特定の従業員にたいする指導的職員というクイトルはこのように必ずしもはっきりしたものではなく︑むしろこの区別には指導的職員の発展の姿が反映してい

以上のような指導的職員の下にいるのがミドル・マネジメント

で︑それは通常上は課長

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クラスから下は職

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または組長

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)

結局ドイツの典型的な経営管理組織は日監査役会︑口取締役

会︑国指導的職員︑四いわゆるミドル・マネジメントという構成

になるが︑権限と責任はほとんど取締役会に集中され︑指導的職

員と``︑ドル・マネジメソトには︑一般的には︑ドイッ以外の︑と

くにアメリカのそれに相当するものよりも︑権限がないといわれ

企業者

(U

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)

企業者の資格ないしは役割をめぐって︑ドイツにおいては一応

二つの説が存在している︒それは︑職員の配置とか指揮とかの技

術的能力にありとするものと︑そうした技術的能力とは一応関係

なく価値に身を託していることにありと非合理的に考えるものと

である︒ドイツでは後者は︑前者と異なっているというよりは前

上下の限界ははっきりしていないようである︒

(9)

56 

ドイツの経営者

者に反対でさえあり︑ドイツにおいて戦後行なわれたトップ・マネ ジメント教育の第一回目の試みにおいてすでににの考えが強調さ

れたほど︑最近においても支配的な見解である︒この非合理的な 価値的タイプを強く支持しているのはとくにいわゆる独泣企業者

たちで︑かれらの組織団体である独立企業者活動共同体

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見解の最も強力な推進団体であるが︑この

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と協力してこの

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見解を推進しているものに青年企業者組織

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この青年企業者組織は独立企業者の子弟たち による組織であるとはいえ︑新しい世代の企業者たちさえもが︑

企業者の資格やリーダーシップを機能的︑合理的に把握せず︑あ る価値にたいする信奉として非合理的に把握していることは︑き わめて注目すべきことである︒

こうした企業者たちの積極的な目標は︑結局は︑

設定におかれている︒

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it

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は︑元来ある職業の類型をえがく ためのものであるが︑企業者の非合理的な定義の手段としては︑

その任務は人問と価値とを組み合わすことであり︑価値の観点に おいて人間を確認することである︒たとえば政治家の

Le

it

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は︑政治に従事している人間を誠実とか駆け引きとかの価値に結 びつけることである︒つまり一般的形態での定義と考えることが

Le

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できる︒ところで︑ドイツにおいて企業者のこうした

Le

it

bi

ld

の内容をなす価値として考えられているものは︑前記の私有財産 権︑天職︑ニリート思想の三つの価値であるが︑これらの価値の いずれをより支配的なもの︑根本的なものと考えるかによって︑

企業者の

L e i t

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. . ‑ ,

( j > 若干異なってくる︒

その考えによる

私有財産権の価値に最も忠実な企業者は︑前述のように独立企 業者とともにカトリック系の企業者であるが︑

と︑私有財産権の善悪は問題ではなく︑その価値を当然のことと して受け取って︑この所有から生ずるものとしてリーダーシップ を要求する︒もし企業者が雇用された企業者である場合には︑企 業者の地位を︑その者がいわば受託者のごとく管理するその私有 財産に関連させて︑正当化するのであるが︑いずれにしろこう した見解にあっては︑﹁独立企業者こそが経営者の原型であった

し︑将来もそうであろう﹂ということになる︒

天職にもとずく価値は︑科学以前の問題である点私有財産権と 同様であるが︑私有財産権が自然法の不可欠な一部を構成するも のであるのにたいして︑社会の本来的な構造に関連した価値体系 の一部である︒ところで︑この価値は社会的には身分の概念とし て現われるところから︑社会における身分的秩序の維持と身分的 な連帯性強化という思想となって現われ︑ある意味において私有

五六

(10)

とカトリック系企業者が身分の思想を最も強く主張している︒しかし︑いうまでもなく身分は

or

do

という中世の考えを前提とす るものであるため︑今日における分業体系をそのような中世的な 身分の体系の中へ再編成することには︑企業者の多くも反対であ り︑身分の概念は急速にすたれつつある︒

エリートとして経営者を定義することは最近顕著になってきた ことである︒この価値体系は︑前述のごとく︑それに機能的能力 がからみあっている点︑他の価値体系と異なる︒しかし︑機能的 要因が非機能的要因に比して相対的に軽視されている点は︑みの

, 1  

がされてはならない︒事実︑実業家たちの心にえがかれている工

機能ェリート

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E li t

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ではありえないの

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er

ドイツの経営者

以上のような企業者の

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において顕著なことは︑その

どれにおいても

Ma

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という概念が全く欠けていること

Ma

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という言葉がすでにドイツ語と なっていることからいっても奇異なことであるが︑実はこの点に 大きな問題が胚胎されている︒

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Ma

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r とは︑ドイツではやや異な

財産権の価値体系の欠陥を補うこともあって︑やはり独立企業者

った意味をもっている︒まず第一に︑その範囲が異なっている︒

Un

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r という場合は︑典型的には︑組織のトップに位置 する唯一人のものを︑つまり多くの場合取締役のうちの限定され た一人をさしている︒しかし

Ma

na

ge

rは監査役会や取締役会の

各構成員に︑さらにはヨリ低い管理層のものにも用いられる︒さ

Ma

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r およびその基礎になっている

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r に認められる三つの絶対的価値か らくる汚点が附着している︒いわゆる経営者

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おいても︑さきの企業者

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のどれかに合致するものには 昇進の可能性が大きく開かれているが︑これらの価値と関連をも たないものには昇進の可能性は全くない︒ドイツにおいては︑こ うした価値と関連をもたない人々はしばしば︑特別な意味をこめ

M

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とよばれ︑価値と関連をもつ企業者との間にお いて︑さきの価値体系にもとづいていろいろ論争をよび起してき たのであり︑ハルトマンによれば︑その争いは戦い

( wa r

) えるほどのものであったといわれる︒

まず私有財産権の価値の観点から︑こうした私有財産を有しな い﹃

Ma

na

ge

﹄に不信の意が︑とくに私有財産権の絶対的価値r

を強く支持する独立企業者から表明されたが︑かれらばかりでは

なく︑この

L ei t

b il d

を支持する限り他の人たちも私有財産に基

(11)

ドイツの経営者

︐  ~.

~.

礎のないリーダージップには大きな欠陥があると主張した︒こう した見解は︑いわゆる﹃

Ma

na

ge

﹄という言葉が︑私有財産をr

有しない経営者にたいして︑企業者によって用いられた初期の段

F u n k

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意語として

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Ha

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1k

といったひどい言薬が用いられた︒

しかし同時に︑経営者の中には多くのりっばな人々

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が含まれていることを︑独立企業者ですら認めざるをえな かった︒そこで︑このような︑私有財産こそ所有していないが絶 対的価値としての私有財産権に密接に固着していると感じてい

( ho n o ra b

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る︑被用者身分の経営者は︑

託企業者︶という特別な範疇に入れられることになった︒受託企 業者は︑私有財産所有者および私有財産権の絶対的価値に身を託

b ea u f tr a g te r n  U

te

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( 受 していることによって︑私有財産権がないばかりではなくこの﹃

身を託す﹄ということもない﹃

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r﹄とは区別された︒

天職という価値観においても︑これらの﹃

Ma

na

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r

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t﹄に問題が提起された︒ドイツにおいてもこの

Ma

na

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r という言葉が最初用いられたのは︑芸能人等にたいす るいわゆるマネージャーにたいしてであって︑今日でもそうした

用い方が行なわれているために︑この

Ma

na

ge

r

の言葉そのも

階では一般的見解であったのであって︑当時﹃

Ma

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ハルトマンによると︑以上のような疑惑から のに放浪性とか不安定な社会的地位という意味が固着してしまっている︒他方︑経営管理についての技能は︑全く種類の異なった経営においても同一人によって適用可能な普遍的なものである︒それ故﹃

Ma

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r﹄も︑マネージャー同様に移動可能であり︑特

定企業に身を託すとは限らないと考えられた︒こうした一時性︑

非依存性は終身的奉職

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という

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欠如については︑﹃

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﹄がその技能を労働組合のためにさr

え用いるかもしれないという懸念すら︑表明されたのである可最

Ma

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r﹄にも忠誠心のきずなのあることを主張する試み

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hu も現われているが︑

M

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﹄を救出することは困難だといわれる︒

エリート思想の観点からは︑以上のような﹃

Ma

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いする非難は生じなかった︒﹁真のニリート﹂と﹁機能ェリート﹂

との間に区別する試みが行なわれたが︑このエリート思想自体が

機能的技術と密接な関係を有するために︑﹃

Ma

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﹄との論争r

には大きな意味をもたなかったのである︒

こうした論争の間において︑両者を融和させる現象が生じてき

た︒まず第一に︑企業の大規模化は経営者陣営内における団結の

強化を要請した︒また﹃

Ma

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﹄も企業者たちの懸念をますr 五八

参照

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