1.はじめに
拙稿「「術理伝承と技言語」論試論」1において、現代社会学にたいする懐疑を「マクロとミ クロ」という論点から提示した。だが論考は「マクロ」「ミクロ」という語法の適切性・妥当 性の問題を残すものとなってしまった。本稿においては、さきの拙稿において雑感を提示する ことに終わってしまった私自身の現代社会学への違和を、有賀喜左衛門における「自己反省的 社会学」ともいえる論考を手がかりとして論じ、私にとっての社会学的アプローチの在り方に ついて明示することを試みたい。
さらに、拙稿「社会学的身体論試論」2「武術の場における身体的同調―大東流合気柔術を 事例として―」3、「武術の場における身体意識伝承過程」4において、一貫して古流武術の術 理伝承の場を研究対象としてきたが、こうした試みは「「術理伝承と技言語」論試論」におい て、「社会」を「共有される歴史の産出作動」として捉えることで、ようやく社会学的枠組み として構成し得るに至った。本稿においては、この「共有される歴史」という点についても、
上記の社会学的アプローチ明示と関連づけることで論じてみたい。
2.日本社会学における二分法的解釈の特徴
日本社会学を俯瞰するならば、そこには学説史や方法論への二分法的解釈という特徴を見い だすことが出来るように思われる。内藤莞爾は「一九三一年の日本社会学」において、「形式 社会学から文化社会学への移行」「理論社会学にたいする実証的研究」という二分法的な学説 史解釈を試み、新明正道の綜合社会学と高田保馬の形式社会学5、また「形式社会学と文化社 会学の綜合」を企図した松本潤一郎にたいする新明の「玩具社会学」という批判を描き出して いる(内藤 1986)。「ウェーバーとマルクス」という定式化、あるいは「機能学派と意味学派 の対抗関係」として描かれる社会学史(那須 2005:18-19)も、こうした二分法的解釈上に位 置づけることが可能であろう。さらに敷衍した論及を試みるならば、ポスト・モダン論に依拠 する、今田の「モダンの論理のゆらぎ」としての「二項対立くずし」という指摘にも、二分法
田 隝 和 久
的解釈に起因する論の展開という定式化を見出すことが可能であろう6。
とは言え、この二分法的解釈それ自体を日本社会学の特徴とすることには無理があろう。政 治的領域のみならず、認識理論の視点における主体と客体の対立(P. ブルデュー 2006:111- 112)は、デカルトのコギトの論理を持ち出すまでもなく西洋的な発想と位置づけられ得る(山 本 1992:198-205)。ただし、日本社会学における二分法的解釈の特徴は、「いずれを選択する か」「いずれに与するか」という二者択一を迫るものであって、そこには 20 世紀初頭ドイツ において主として社会政策学会で戦わされた「価値判断論争」をはじめとする、A. シュッツ と T. パーソンズ間の「社会的行為の理論をめぐる対話」(A. シュッツ・T. パーソンズ 1980)、
J. ハーバーマスと N. ルーマン間の「システム論争」のような論争・対話の不在を指摘するこ とができるのではないであろうか。その意味では、丸山眞男が『日本の思想』において描き出 した「タコツボ型」(丸山 1982:129-132)、つまり「共通の基盤がない論争」(丸山 1982:134- 136)が依然としてわれわれの思考の特徴であり続けているといっていいだろう。
さて、私は、有賀喜左衛門が指摘した「理論社会学にたいする実証的研究」という二分法的 社会学解釈に注目したい。社会学を「理論と実証」という二分法でとらえようとする試みは、
「社会学におけるこの種の傾向を「実証研究」と称し、「理論研究」と区別して考えようとす る伝統が日本社会学界にすでに成立しているように見える」(有賀 1969:142)と、遅くとも 1956 年の時点で、有賀は日本社会学の「特殊日本的事情」として指摘している。
有賀は、こうした二分法的解釈が成立する状況を、「日本の社会学研究においては、理論研 究と実証研究とが区別されているのが常識であった。そして理論研究が本格的社会学であっ て、実証研究はこれに付随したものであるという観方も相当有力であるように思われる。また この逆の考え方もないことはない。これらはそれぞれ区別されて研究することもいちおう可 能であるように見えるが、相互に切り離されることにより、その研究は歪んだものとなりやす い」(有賀 1969:92)と、「理論研究」の立場から批判的にとらえている7。「理論社会学」の 側に立つ有賀のこうした指摘は、現代社会学においても有効であろうが、私見としては、現状 は二分法の二項対立化を経て、理論社会学の凋落傾向ともいえる状況に至り、社会学の「政策 科学」化が進行しているように思われる。
社会学を実践的かつ政策的な科学として捉える傾向は、「アメリカ社会学にとって、他の社 会諸科学のなかで自らの独自性や存在理由を明らかにするという課題は、ヨーロッパにおける ほど重要性はもっていなかった」(L.A. コーザー 1981:13)と L.A. コーザーが指摘するように、
「学」が独立した科学であるために必要な「独自な対象」と「独自な方法」という視点の脆弱
さに起因するように思われる。こうした点と「当面の社会問題を解決するための方策を提示す るという課題に応える」(コーザー 1981:13)という「プラグマティズムとプロテスタンティ ズムの伝統に後押しされながら成立、発展」(コーザー 1981:13)した、成立期のアメリカ社 会学の特徴とは無縁ではないであろう8。有賀の「現状認識」は、こうしたプラグマティック な志向に潜む陥穽への指摘と位置づけることは恣意的理解が過ぎるであろうか9。
有賀の「理論と実証」という二分法は、「理論=小集団を規定する全体社会の構造」「実証
=全体社会に規定される小集団研究」という文脈でとらえられており10、「全体社会=マクロ」
「小集団=ミクロ」として読み替えることが可能であろう。有賀は社会学における「マクロと ミクロ」との相補性を以下のように構想する。
「スケールの大きさをすぐに期待するのではないが、将来そういう大きさに到達できるよう な、精緻な、あるいは確実な方法を積み重ねることは大切であると思うし、そういう方法を小 さな対象を取り扱うことによって自分のものにして行くことはたしかに重要な手段だと思って いる。その点から見ると日本の社会学が今まで扱って来た現実の社会事象は主として小集団で あった点でその要求に合致していたかに見える。家、同族、村落、企業体、その他各種の小集 団の研究が特に多く選ばれていた。これらのものについてのモノグラフを作ることは大切であ り、それを積み重ねて後に、初めてもっと巨視的な研究に進むことができるという意見に対し ても異論はない。しかし小集団を取り扱うのに、小集団だけに終わるとしたら、これは問題で ある。小集団はもちろん全体社会を規定するものではあるが、これにもまして全体社会はその 内部の小集団を規定する。この相互規定の関係の存在することが、全体社会を理解するために 小集団の研究が大切である理由であるが、小集団を捉える時にこの規定を理解して全体社会へ の理解の方法をそれにいかに結びつけるかということがわれわれの方法論の中に生きてこなけ ればならないのである。
われわれは社会構造、政治構造、経済構造、または文化構造というような種々の構造概念を 取り上げることができる。そしてそれを全体社会やその内部の雑多な小集団等において捉える ばかりでなく、それを諸個人の結びつきにおいて捉えることができる。だからこれらを個人の 側から捉えるとともに集団の側から捉えることは今日の社会学の主要な問題であるが、これを 全体社会の構造との関連において捉えることを打ち出さなければ、小集団や個人意識を研究対 象として見ても、その意義は少ない。社会学が現実社会と対決するのであるなら、全体社会へ の巨視的追求を行うべきことは必至でなくてはならない」(有賀 1969:144-145)。
マクロ-ミクロ間の相補性にたいして有賀が指摘する「全体社会の巨視的追求」11の例とし
て、私は、内藤莞爾の『日本の宗教と社会』を典型例として挙げてみたい。内藤は M. ウェー バーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』(1902)において提示した、特殊 ヨーロッパ的な精神構造の基底をなす宗教と経済の関係にたいして、仏教の教義と人々の生活 構造の関係を明らかにし、そこに仏教における「経済的勢力の源泉」が存在することを明示 した12(内藤 1978:6-7)。また、「五島列島の分牌式家族慣行」においては、全体社会的に一 般化されている隠居・相続慣行にたいする特殊事例が、有賀の言を借りるならば、「小集団が 全体社会を規定する」という逆説として、家族集団の構造や周期との関連から論じられている
(内藤 1978:199)。
私は有賀が提唱する「マクロとミクロの相補性(理論と実証との相補性)」を、内藤が企図 するような、マクロを前提としたミクロ的なアプローチとミクロ的アプローチからのマクロへ の修正的アプローチとして理解したい。ただし、ここにおけるマクロとは、かつての教条主義 的なマルクス主義受容とは区別されるべきものである。私が思い描くのは、社会学者の主観的 世界観・理想像を出発点とするがゆえに、マクロとしての全体社会への言及が同時代的である か否かに関わらず、あたかも蚊柱のごとく蝟集し、特定の言及に依拠しつつ研究者がミクロ的 なアプローチを試み「全体社会への巨視的追求」がなされるという姿である。言い換えるな らば、蚊柱的言及のもとにゆるやかな学派が形成され、そこにおいて「全体社会への巨視的研 究」がなされると同時に、異なる諸学派間における討議の機会が開かれているという姿を理想 として設定したい13。
3.「偏り」への批判的視座としての「中庸」
以上、有賀の指摘に依拠して現代社会学の「偏り」について言及してきたが、こうした指 摘・文脈において私が重要視しているのは、「学」全体を俯瞰したときに、ある種の「偏り」
があることを問題化する態度として理解してもらいたい。久保田収が指摘しているように、特 定の事象への評価的態度や対象化すべき事象選定それ自体への「社会的要請(流行)」から研 究者は「自由」ではあり得ないであろう(久保田 2004:15)。P. ブルデューの指摘を待つまで もなく、研究における対象設定は社会的・同時代的要請として設定される課題からの影響を受 けざるを得ない(ブルデュー 2006:101-102)。また、「社会的要請」にたいしていかなる「態 度をとるべき」かは、学の領域や研究者の置かれた「環境」によって一様ではない。しかし、
こうした傾向から生じるであろう「偏り」については常に鋭敏であり続けることは必要である ように思われる14。
「和して同ぜず。これは「中庸」に通ずることかもしれない」。私の学部卒業に際して、師 である横山寧夫先生がゼミ生に贈ってくださった言葉である。自由主義を標榜し、ノバリス の『青い花』に代表されるロマン主義を愛し、ドイツ哲学に依拠した社会学の確立を志向され ていた先生が、「中庸」という東洋的表現をされたことに当時は大きな違和を覚えた。しかし、
今では先生の意図がつかめたような気がする。先生の文脈に即しての理解を試みるならば、先 生のおっしゃられた「中庸」は儒教の徳目(守屋 2009:50)からの引用であろうが、先生が 語られたのは修養の末に到達すべき目標値としての「中庸」ではなく、研究者としてのバラン ス感覚とでもいうべきものであろう。その意味では、徳目(修養の到達点)としての「中庸」
ではなく、「太極拳経」におけるそれとして解釈すべきものであろう。
「太極拳経」では「不偏不倚」として偏りにたいする戒めが語られているが、そこでは偏り それ自体が問題視されているのではなく、「偏っている状態に固着」することが忌避すべきも のとして語られている(楊進 2016:97)。太極拳経の冒頭においては、太極拳の思考・技すべ ての出発点として「太極者 無極而生 動静之機 陰陽之母也(太極は 無極にして生ず 動 静の機 陰陽の母也)」と語られている。そこでは「動」「静」という対照的なふたつの状態が、
相互に絡み合いひとつの状態を作り上げるとされており、「動」であると同時に「静」、「静」
であると同時「動」という「物事がはっきりしない状態」。つまり「動」と「静」が相補的に ある状態が「太極」として位置づけられている(楊進 2016:36-42)。
かつて拙稿において、M. ウェーバーの支配類型を歴史的発展段階とする解釈への批判とし て、「カリスマ」「伝統」「合法」というトライアングル間の「振り子的運動」という指摘をお こなったが(田隝 1992:73)、現時点でこれを振り返るならば、「真性カリスマ-疑似カリス マ」、「カリスマ-伝統」、「カリスマ-合法」、「伝統-合法」という「振り子的運動」は、異な る次元への転換としての発展段階論ではなく、対照的な社会類型が相補的に流動するプロセス として意味づけることができよう。ウェーバー自身、支配類型を「純粋型(=理念型)」とし ていることを思い起こすならば、この解釈はあながち的外れなものではないであろう(M. ウ ェーバー 1983:10)。
では、こうした「偏り」に固着しない状態としての「中庸」は、いかにして具現化可能で あろうか。社会科学における客観性にかかわる諸議論では、対象化に際しての「自身の前提=
主観」と、それを―肯定的・否定的に向き合うかにかかわらず―どう処理し向き合うかが問 題とされてきた。しかし「中庸」を出発点として採用するならば、主観としての前提をそも そも問題化する必要は生じないといえる。つまり、「中庸」とは、他者のイデオロギー性への
評価的態度とは無関係に、自身の方法論・パースペクティブと他者のそれとの距離を自覚する ということに過ぎない。言い換えるならば、自身と対極にあるもの(「マクロ」あるいは「ミ クロ」)との「主観的」な距離から、学全体(ここでは社会学)における自身の研究の座標を 認識するということになろう。問題はどのような距離化をおこなうかであり、距離化の「正 誤」や、導き出された処方箋の適否を問う必要はない。こうした態度こそが「社会問題の私化
(privatization)」という陥穽にはまることなく「重荷を進んで担う」(Z. バウマン 2017:25- 26)社会学的姿勢なのではないだろうか。
このように考えるならば社会学を政策科学とすることに、私は賛同し得ない。「変革意志」
としての政策は実践をつうじた具現化がなされなければ(具現化のための不断な実践がなされ ないのであれば)、それは「政策」ではあり得ない。また、この実践には自身の政策のみが正 当なものであること・卓越性を有するものであることへの確信的主張が必要であり、その「効 果」が科学的に裏づけられるものである以上に、同一の問題を対象とする他者の政策にたい して権力的優位性を維持し続けることで、具現化への道を拓くことが可能となるといえよう15。 こうした「科学的アプローチ」を採用するならば、「主観的」な距離を認識するという、異な る方法論・パースペクティブの肯定的把握を出発点とする私の主張は、政策の正当化を自壊さ せる契機であり忌避されざるを得ないであろう。
しかし、事象の対象化が意識的であれ無意識的であれ、自身の価値判断に起因する「実践的 な観点から出発」(ウェーバー 1998:28)するものである限り、具体的な問題解決策とのかか わりを考慮せざるを得ないはずである。那須が社会学者であるための資質として挙げる「社会 を「危機」という位相のもとで経験する契機」(那須 2005:21)とは、奥村の「「ズレ」、「違 和」をともなった「ごつごつした社会」の存在、そこから「社会」についての問い、「社会」
について考え続ける営みが始まる」(奥村 2003:7)という指摘と同義であろう。広大な事象 の海から、対象を自身の価値判断を拠り所として決断主義的に選び取ることこそが社会学的研 究の出発点であることは何人たりとも否定し得ないであろう。
このように、「違和」=「価値判断」を社会学的研究の出発点とするということは、那須が
「社会学者であるには、それゆえ社会から自明性のベールをはぎ取ることによって社会を「発 見」しなければならない」(那須 2005:21)としているように、社会学に啓蒙主義的性格を付 与することになる。「自明性のベールをはぎ取る」ことによって「危機という位相」が獲得可 能であるならば、社会学者によってこそ「いまここにある危機」を明示し得るものであるはず である。「いまここにある危機」にたいして、奥村は「どうして「社会」は私がいま感じてい
るこういう「ズレ」を生むのか」(奥村 2003:7)という違和を出発点としつつ、「「違和」を 解明するために(最終的には解消するために)、そこに確かに存在する「社会」を研究してい く」(奥村 2003:7)と述べ、問題の解消=解決策の提示・あるいはそれにもとづく実践を社 会学的営為の到達目標として提示している。仮に奥村のこうした指摘が、N. ルーマンにおい て「そもそも統一的な概念が有意味的なものとなるのは、多様性が何らかの視点のもとで統一 的なるものとして扱えるときのみなのである。このように、複雑性という考えはまず第一に、
多様なるものをその統一性という視点のもとで捉えようとする意図の現れである。複雑な対象 とは、多様なるものであると同時に統一的なものでもなければならないのである」(N. ルーマ ン 1986:218)として語られる「システムによる複雑性の縮減」のように、それが具体的政策 レベルと一定の距離を保つものであったとしても、私はそこに「ごつごつ」した「違和」を感 じずにはいられない。「統一性」は特定の志向という内容に裏づけられることが必要であろう が、現実的に考えるならば、特定のイデオロギー的内容の志向が生み出す「統制」およびその 正当化は、法制化によってなされ得る。しかし、ひとたび法的に正当化された統制は、われわ れの生活世界を侵食する存在へと転化し「鉄の檻」の強化・再生産にしかなり得ないであろう。
私にとっては、他の選択肢との没交渉へと導こうとする「力」としての一元化された具体的処 方箋の提示は、「他人に生活の仕方を強制する」ことであり「強制力によって生活の仕方を変 えさせる社会」(バウマン 2016:101)の肯定と同義でしかない。
Z. バウマンは社会学の目的を「価値選択をおしつける」ことではなく、「人間の選択の幅を 拡げ」(バウマン 2016:101)、「価値選択を行いやすくさせたり、社会的に生み出された生活 上の諸問題に適切な回答を出さねばならない人々のそばに、それを引き寄せてやること」(バ ウマン 2016:102)という点にみいだしているが、私はこうしたバウマンの社会学観に共感を 覚える。しかし、ブルデューが世論調査を「世論調査が呈示している問題機構は政治的利害に 従属しており、このことが回答そのものの意味と調査結果を公表することの意味とを、どちら もきわめて強力に操作している」(ブルデュー 2006:289)と指摘しつつ、政治的「能力は誰 にでも備わっているものではありません。この能力は、大まかに見ると、学歴水準に応じて異 なっています。言い方を換えれば、ある人が政治的知識を前提とした一切の質問に対して何ら かの意見をもつ確率は、その人が美術館に行く確率とほぼ同じと見ていい」と述べているよう に、社会成員の多くは「生活上の諸問題に適切な回答を出」(ブルデュー 2006:298)す必要 性を感じていないといえよう(これは先に述べた、社会学の啓蒙主義的性格からも指摘でき よう)。とするならば、そうした白紙の状態に「引き寄せてやること」は、私からするならば
「特定の価値選択への誘導」に他ならない。バウマンにとっての社会学は啓蒙であるが、「その 先」については、つまり社会学的に語られた「現在」をどう評価し、いかなる決断をするかは、
社会学者ではなく社会学的解釈を受け止める側に託されている。しかし、ブルデューが指摘し たように「社会成員がそれについての考えをもっている」というのは、研究者の願望でしかな い。とするならば、バウマンの社会学観も「特定の価値選択への誘導」から自由ではあり得な いといえよう。こうした価値選択への誘導を回避する方途として、私は富永健一が価値変動へ の言及において語った「生活感情」という語に注目したい。
4.「感性」としての「生活感情」
「どんなところに住みたいか」。こうした問いかけにたいしては、通例、発達した公共交通機 関、日常的消費活動における利便性の高さ、経済的コストの低減可能性、治安の高さといった
「住みやすさ」としての指標を複合的に捉えた上で回答がなされるであろう。しかし、これら の指標は実際に「その地」での生活をとおして実感・確認されたものではあり得ない。それは マス・メディア等をつうじて意識的あるいは無意識的に収集・記憶された情報をもとに想像さ れた幻影に過ぎない。最終的な決断とは「その場」に足を運び、「その地」を五感から読み解 くことによってなされるはずである16。学術論文には相応しからざる表現であることを自覚し た上で語るならば、私にとっては「地霊」を感じるか否かが「居住地選定」決断の基底にある といえよう。他に適当な言葉がみつからないため、私自身が日常的に「それ」を表現する「地 霊」という言葉をつかったが、「それ」は「文化や歴史の香り」「この町には自分を受け入れて くれる場所がある」(柚木 2017:3-4)という感性によって受け取られた主観的なものの複合体 とでも言うべきものである。確かに、われわれが何ごとかを決断する際、今田の言う「モダン の思考法」に沿った手段合理性という指標は(今田 1987)、われわれが「経済的」に生きてい かざるを得ない限り否定し得ない。しかし、われわれの決断においては、手段合理性にもとづ く客観的な判断の結果としての決断以前に、感性によって得られた「それがもつ雰囲気」「そ こにある大気」を背景に形成された「感覚」こそがその基底部に在るのではないだろうか17。
都甲潔は「感性」を視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感にもとづく行動-感覚されたもの にたいして生まれる感情やイメージ-、言い換えるならば、「合理性だけでは捉えられない対 象を、対象から触発される仕方でその表象を受けとる能力」という点から出発し、「感性」を
「経験や好悪の感情が生み出したイメージ」としてとらえる(都甲 2004:3-15)。だが、私は
「合理性だけではとらえられない、対象からの触発」を「感性」としてとらえてみたい。われ
われは「私の側から対象をとらえる」という文脈でのみ対象化を語っているが、この「対象か らの触発」という点から考えるとき、そこには対象が「表現的な主体としてあらわれてくる」
(市川 2002:46)という視点を獲得することができる。私はこうした双方向的な交錯として
「触発」をとらえ、この「触発」を科学的=客観的・合理的なコードに落とし込むことを「対 象化」として考えてみたい。
人間の持つ能力がなんらかの形で組み込まれている機械は人間の身体機能を客体化させたと 同時に、みずからがもつ能力以上のものを機械によって実現した(河本 2003:18-19)。しか し、現代社会においては、道具としての機械と同調することによって「限界が絶えずひろがっ たり縮まったりしているような」「生きられた身体」を実感することが困難化している(市川 2002:26-49)。市川の「同調」とは、双方向的な交錯としての「触発」であり18、その意味で は「一見利便性が高く快適極まりない生活空間は、人が本来持っている本能を眠らせてはいな いだろうか」(田中 2017:12)という田中康弘の指摘は正鵠を射たものであるといえよう19。
すでに述べてきたように、われわれが事象を対象化するに際しては、意識的・無意識的にか かわらず、自身の価値判断によらざるを得ない。通例、対象化し研究することの意味は、価値 判断基準としての自己の理想(社会学においては理想の社会像)と対象との合理的な関係性を 語ることと同義であろう。しかし、時系列としてとらえるならば、まず特定事象への着目があ り、対象化の意味づけは「後づけ」ということになろう。であるならば、客観的判断結果とし ての対象化以前に、「それ」を対象化する契機は感性に依拠するものであり、特定事象への着 目と対象化の間には、主観から客観へという質的な転換としての飛躍があると考えられるはず である。
社会変動を語るに際しても、われわれに可能であるのは、変動以前の姿と変動以後の姿を描 き出すことに尽きるといえよう。前者がいかなるプロセスを経て後者に転化したかを描き出す ことはわれわれの認識能力を超えている。摩擦が火へと質的に変化するのを認識することがで きないのと同様に、変動以前と変動以後の姿を「連鎖」として語る場合、そこに飛躍が介在す ることは不可避のように思われる。こうした飛躍はマクロな社会理論からミクロを、ミクロな 事象からマクロを語る場合にも同様に観察可能であろう。ではこうした論理の飛躍を前提とし つつも、どのようにして対象化をはじめとするプロセスの説明論理に妥当性を確保することが 可能であろうか。
マイケル・ポランニーは『暗黙知の次元』において、言葉によって表記された知識と事象と の関係を知識の側から統制することはできない事態、つまり「観察者となって、知識として
知っていることと、行為をつうじてそれを実行することの間には、埋めようのない溝がある」
(河本 2002:19)ことを「暗黙知」として語ったが、既述した「飛躍」はポランニーの「暗黙 知」と同義として理解可能であろう。しかし、「領域を質的に異にするような要素の間」にも
「音叉の共鳴のような」「相互作用関係」(河本 2003:121)を論じることは可能ではないだろ うか。私はこの「飛躍」による溝を埋める方途として、先に述べたように富永健一の「生活感 情」という語法に注目したい。
富永は、『日本の近代化と社会変動』において、非西洋社会の近代化を「西洋近代からの文 化伝播に始まる、自国の伝統文化のつくりかえの過程」としてとらえ、T. パーソンズの「AGIL 図式」を援用し非西洋社会における A(経済)、G(政治)、I・L(社会・文化)というサブシ ステムにおける価値変動を、伝播可能性、動機づけ、コンフリクトという「非西洋社会の近代 化を規定する三つの要因」から分析し、三つのサブシステム間における近代化の遅速を明ら かにした。そこにおいては、社会集団・地域社会(I)の近代化としての「機能分化・普遍主 義・業績主義・手段的合理主義などの制度化」と、「人間の思惟によってつくりだされシンボ ルによって客観的に表現されている諸文化要素」(L)の近代化における「科学および科学的 技術の制度化」による「非合理的な文化要素」の縮減への伝播可能性・動機づけの低さとコン フリクトの高さに起因する「非西洋社会の近代化に生じやすい歪み」が描き出されている(富 永 1994:25-68)。I・L サブシステムにおける近代的価値の「遅れ」の原因を、富永は「日常 生活のなかでの生活感情に由来する」(富永 1994:61)「私的日常生活にかかわる部分」(富永 1994:64)として語っている。
富永自身はこの「生活感情」という語法を「特別なもの」として構想してはいないが、私は 富永の「生活感情」を「腑に落ちる」という言葉と同義として理解し、そこに先に述べた「飛 躍」の克服契機をみいだしたい。現時点では「腑に落ちる」とは「同時代的かつ非領域的に
「一般化可能な傾向として語られる社会様態」への共感」としておこう。例えば、社会変動論 において O. シュペングラーの『西洋の没落』は「検証不可能な循環論」として位置づけられ るが、私は「検証不可能」以前に、その言説が「解釈」する側の「腑に落ちる」ことが重要で あると考えたい(無論、こうした解釈の歴史的・社会的制約についての批判を等閑視するとい うことと同義ではない)。言い換えるならば、研究者と研究者の言説を受け止める側の双方に とって、社会様態を語る言葉として「共感」可能なものであることが重要なのである。ただし、
両者の意味づけ・「解釈」が合致するか否かについてを考慮する必要はないであろう。なぜな らば、摩擦が火へと質的に変化するのを認識するのができないように、「腑に落ちる」プロセ
スを語ることができないならば、われわれは質的に異なるものの相互作用関係を「解釈」的に 語り同定することしかできないはずである。
だが、こうした説明だけでは、生活世界論との差別化が困難であり、そもそも「生活感情」
という語を重視する根拠づけも脆弱なものでしかあり得ない。以下においては「生活感情」と いう語法について述べることとする。
5.「生活感情」と「共有される歴史」
私にとっての「社会」とは、拙稿において述べたように「共有される歴史」の産出作動であ る(田隝:2017)20。「共有される歴史」は、他者との相互コミュニケーションにおいて産出さ れるが、産出にかかわる一連のプロセスを「場」としておこう。「場」にたいする意味づけは、
かならずしも他者と共有されるわけではない。場としての武術修行を例とするならば、免許皆 伝(伝書・切紙の授与)といった「証」の獲得、教授資格としての師範位の認可、効果的な物 理的暴力手段の獲得、身体操法の変革、老子の「タオ」のごとき「超越的存在」との和合とい った様々な意味づけを考え得る。同様に、任意の場で産出された「共有される歴史」そのもの の内容・意味づけも必ずしも共有され得るわけではない。「共有される歴史」という文脈にお ける「歴史」については、樺俊雄の論に依拠することが合目的的であると考える。
樺においては「歴史」を「出來事としての歴史」「過去の形象」(樺 1949:2)としてとらえ ることからの脱却、言い換えるならば、「過去の歴史的生成を客観的に捉える知識を意味する」
「史学意識」としての「歴史」からの解放という視点から「歴史」が語られている(樺 1952:
190)。樺は、「歴史を固定化して捉へ、これを過去の形象としてのみ成立するものとし考へる 謬見から解放されるとき、歴史が歴史として成立する地盤をわれわれの現在における日常的行 動のうちにおくといふ見解に道」(樺 1949:3-4)を拓くことが可能であると考え、さらに、こ の「見解」は、「歴史的世界はすでに生成せしものと生成しつつあるもの、過去のものとの相 互媒介の関係の世界であ」(樺 1952:184-185)り、「歴史的世界において本質的なものはむし ろ「今此処」( Jetzt und Hier)なのであって、瞬間とはまさに「今此処」における決意につ いて語られるのである。歴史的意識は「今此処」における決意を可能ならしめるものとして、
何よりも実践的なもの」(樺 1952:193-194)であると構想される。
樺のこうした構想において「歴史」は、「いつもそれぞれの瞬間に書き直さるべきことを要 求するものであ」り「他ならぬ現在が各瞬間每に時間の全體中における位置と意義とを異にす るからであり、現在によつて歴史がつねに新しくなりつつあるからである」(樺 1949:5)と
される。樺にとって過去の「歴史」は「現在によつて規定される」ものであると理解される
(樺 1949:6)。このように、「歴史」を現在(いま)の文脈からの過去の書き直し・意味づけ という日常的行動としてとらえるならば、「共有される歴史」における「共有」とは「場」の 形成として考えるべきであり、それにより内容や意味づけの共有を問題化する必要性を回避さ せることが可能であろう。
こうした樺の議論を踏まえ、私は、「生活感情」を産出された「共有される歴史」との関り から考えてみたい。樺の言う「実践」は過去の歴史に「生き方のモデルや範型」(巻田 2015:
37-38)をみつつ、過去の解釈・意味づけをおこなうということであろう。とするならば、個 人が「共有される歴史」への解釈・意味づけをおこなうということは、現在の自身の状況・視 点から過去を意味づけ、そこに「現在」を落とし込むということになろう。だが、樺の構想は、
現在から過去へという一方向的な解釈・意味づけを指摘することで完結している。これにたい して、私は樺の指摘に加え、現在の自身の状況・視点から意味づけられた過去から現在を懐 疑し、そこに克服すべき対象を見いだす。言い換えるならば、「現在」に「過去」を落とし込 むという点を考慮すべきであることを主張したい。つまり、個人が「共有される歴史」への解 釈・意味づけをおこなうとは、過去-現在の「双方向的交錯としての触発」なのである。「人 は、実在する事象のなかに存在しているけど、それだけでいきられるものではない。事象を 解釈し、そこに願望や想像を重ねて、はじめて人間として生きることができる」(宮部 2017:
111)のである。「腑に落ちる」つまり「生活感情」とは「過去への現在の落とし込み」である か、あるいは「現在の過去への落とし込み」であるかにかかわらず、過去-現在の「双方向的 交錯としての触発」にもとづき、現在にたいする個人の評価的視座を獲得するということに他 ならない。今後の展開によっては論に変更を加える必要に迫られることもあろうが、現時点で は、私は「生活感情」を、こうした「双方向的交錯としての触発」にもとづく「解釈の集積」
として理解することとしたい。
6.今後の課題と展開
本稿では、東洋的な心身合一論への共感を出発点として、東洋・日本にこだわりをもった形 で論述を試みたつもりである。ただし、ここで提示したものは、A.W. グルドナーやブルデュ ーらが試みたような、「自己反省の社会学」というようなことではなく、「私にとっての社会 学」として理解してもらいたい。言い換えるならば、この「私にとっての」社会学的アプロ ーチの在り方との関連から、「共有される歴史」とそれに基づく武術を対象化した論及への濫
觴として捉えてもらいたい。「共有される歴史」を武術の術技伝承から論じるのは、「言語を介 した「知」の伝承」ではなく、「非言語的コミュニケーションとしての「知」の伝承」にこそ、
われわれの社会を再構成可能な契機が見いだされ得ると考えているからに他ならない。この点 については、稿を改めて明示する必要があろう。
また、「共有される歴史」との関連から本稿で語った「生活感情」は個人的なものであり、
必ずしも他者と共有可能なものではない。とするならば、「社会の安定」という問いにたいし て、どのように答えることができるかという点を指摘することができよう。これ以外にも、解 決すべき多くの論理的な不備を抱えていることは自覚している。こうした問題については、稿 を改め不備・矛盾の解消にあたっていきたい。
私にとっての社会学は法則定立的知とは無縁なものである。おそらく社会調査を中心とした 方法論に依拠する研究者も、社会学に法則定立的知を求めてはいないであろうが、私にとって の社会学とは、「偶発的で再現性のない出来事」が出発点となっている。「データを元に」とい う志向も「データ」にもとづく限りにおいては「偶発的で再現性のない出来事」という出発点 を採用せざるを得ないであろう。「出来事の複合的連続的連関」としての社会から、何を「偶 発的で再現性のない出来事」として「切り取る」かも、「解釈」として、「腑に落ちる」という 点からしか答えられないように思われる。しかし、この「解釈」という点については、本稿で は無前提な語法として採用されている。こうした点については H. ガダマーの解釈学を検討す ることで論理構成をおこなうことが可能ではないかと構想している。また、このような論理構 成をおこないつつ、武術の場をもとにしつつ論考を深め展開することができればと考えている。
注
1)拙稿2017年。
2)拙稿2005年。
3)拙稿2008年。
4)拙稿2009年。
5)ここにおける「形式社会学」は、「人間結合の形式を主たる問題とするという社会学的アプローチ」と して理解すべきであろう。
6)この指摘は、今田が依拠する村上泰亮の論考においても確認できる(村上 1985および1987)。
7)こうした「本格」を設定することにより思考を整理する方法こそが「日本的思考」の基底を構成すると
いえるのではないだろうか。有賀のこの指摘は、江戸川乱歩が推理小説の正当化をおこなうに際して試み た「本格」「変格」という分類を試みる発想につうじるものがあるように思われる(中島 1995)。
8)この特徴はアメリカ社会学の底流として理解すべきであろう。
9)科学性について横山は「科学はすべて一定の対象と、それを研究するための方法をもち、それによって 研究領域と考察の基準を定める。われわれがただ漫然と現実社会の諸事実を集め、記述するだけでは、そ れは単なる知識あるいは常識にすぎない。事実を科学的に考察するということは、雑然としている各事実 を一定の体系的な考察基準に基づけて、組織的かつ合理的に配列しなおすことなのであって、その作業の ために諸科学の目的に添うような研究の方向と基準を与えるものが科学理論である、この理論は絶えず新 しい研究によってより完全なるものへと修正拡大されねばならないが、科学は現実を抽象してみるより他 ないという限界と、その説明単位を自明のように設定するという意味で科学的真理はすべて一定の仮説内 での真理であるといえよう」としている(横山 1984:3)。
10)有賀は、小集団を全体社会の従属物ととらえることはしていない(有賀 1969:145)。この点を誤読する と有賀の主張の趣旨を曲解することになってしまうことを留意すべきである。
11)有賀の言う「全体社会の巨視的追求」とは、澤井敦の「変動に言葉を与える」という指摘と同義であろ う(バウマン 2009:341)。
12)内藤は「問題の糸口」として自身の研究を以下のように意味づけている。
「ウェーバーがこの論文を発表してから、これへの批判・再批判は、こんにちまで、その跡をたたない。
ヨーロッパの精神構造の基底に関する問題だからである。しかしこれらについては、ここで述べることは できない。ところでこうした宗教と経済との関係は、ただキリスト教の文化だけのことであろうか。仏 教の場合、このことは、まったく言えないであろうか。たとえばベッカーによると、もともと瞑想的な 世界観(kontemplative Weltanschauung)に立つ仏教からは、どんな経済的勢力の源泉(wirtschaftliche Energiequellen)も出てこないという。そのとおりであろうか。もちろん日本の場合、宗教と経済との関 係を説明した研究は、二、三にとどまらない。けれどもその多くは、仏教の輪入と成長とが、どのように 物質文明の交流に役割を果たしたか、という点に向けられている。すくなとも、われわれが問題としてい るような、教義と人びととの生活構造(Lebensführung)の関係とは、視点が別である」(内藤 1978:6-7)。
13)ここにおける学派とは、「全体社会にたいする特定の言及を思索上の共通基盤としていることへの自覚」
として考えたい。
14)史学研究者であるこの久保田の指摘は、対象把握に際し研究者のイデオロギー性の問題を抱えるという 点では、社会学においても同様の問題を見出すことが可能である。
15)この点は、後述する「生活感情」ともかかわる問題であり重要である。
16)「その地に赴き、五感から解釈する」という方法は、前田征三先生からの示唆によるところが多い。諸 事にたいする先生の態度は一貫して合理主義的であったが、合理主義的思考の裏づけには感性に重きを置 かれた発想があったように思う(今となっては、先生ご自身がこれを自覚されていたかどうかを確認する すべはないが)。私は統計的社会調査手法を前田先生の指導の下、自身のものとすることができたが、先 生は調査の意味をデータ収集以前の「その地に赴く」ということに置かれていた。統計的データの収集は その上でなされ、また、統計的データの分析においては、先生の感性にもとづき収集・解釈された数値化 できない「データ」に沿った「解釈」がなされていた。
17)「地霊」という語法で表現される指標以外にも、ライフサイクルやライフスタイルの差異によりさまざ まな指標があろうが、ここでは指標の個別的内容を問題としている訳ではない。
18)オイゲン・ヘリゲルが『弓と禅』において述べた「弓と矢と的と私が互いに内面的に絡みあっている」
(ヘリゲル 2004:109)とした「射」の境地も、こうした「触発」=「同調」として語ることが可能であろ う。この点については稿を改めて論及したい。
19)道具との同調によって獲得されるべき「生きられた身体」の欠如が、ものからの触発としての「癒し」、
スピリチュアルへの志向の根底にあるように思われる。また、「触発」という点については老子の「道(タ オ)」から得られるべきものもあるように考えているが、これは今後の課題としたい。
20)拙稿「「術理伝承と技言語」論試論」においては「共有される歴史」という語法を確定させることがで きなかった。「共有された歴史」という用語についても検討したが、本稿で論じるように、樺の「書き換 えられる過去・歴史」という論述を踏まえ、「共有される歴史」という語法として統一したい。
引用・参考文献
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横山寧夫 『社会学概論』 慶應通信 1984年。
(2018 年1月5日受理、2018 年1月 10 日採択)