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1  条坊遺構 と地 割

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(1)

第 W章 考

1  条坊遺構 と地 割

都市を構成す る諸要素には

,道

路をは じめ

,建

物あるいは園地 などのオープンスペースや, 水面

,河

自然地形などがあげ られ るが

,な

かでもその骨格を規定す る最大の要素は道路で ある。 と りわけ条坊制を規範 とす る都城の ような都市の場合は

,道

路のはたす役割はきわめて 大 きい。道路は

,街

区内の土地利用に大 き く影響する場合 もあ り

,ま

た逆 に土地利用の変化が 道路計画を規制 した りすることが想定 され るか らである。本報告の対象 とした地区は

,平

城京 右京八条一坊十三・ 十四坪にあた り

,両

坪の坪境小路をは じめ として

,坪

内を区画す るさらに 小規模 な小路な ど道路遺構がい くつか存在す る。 したが って

,十

三・ 十四坪の土地利用の実態 を明 らかにす るためには

,ま

ず これ らの道路 と街区構成 に関す る考察が求め られ る。

A  八条条間南小路 SF 2000

SD1496,1499,あ

るいは

SD1495,1500に

画 され た東 西 に長 い帯状 区域

SF2000は ,十

1)

・ 十四坪の坪境小路 (八条条間南小路

)で

ある。第Ⅲ章

‑2で

述べた よ うに

,SF2000は

両側

 

幅員の拡幅

溝心心間距離を

3.5mか

6.8血 に拡幅 している。拡幅に際 しては

,道

路心をおおむね変更せ ずに両側に等分だけ側溝を移設す るとい う方法を とる。従来の調査では

,平

城京の条坊道路は

2)

一 辺約

133.2m(=450小

,三

375大 尺

)の

方格地 割 を設 定 し

これを道 路計画の中軸 として い る ことが判 明 してい る。原則的には この計画線 の両側 に幅員 の

1/2長

ず つを とって両側溝 を 開削 し

,路

面 を とるわ けであ る。 したが って

SF2000の

場 合

,両

側 に等分 だ け拡 幅 して い る と い うことは

,拡

幅 に際 して も当初 の道路計 画 中軸 線 をほぼ踏襲 した とみ る ことがで きる。

3)

さて

この

SF2000(八

条条 間南小路

)は ,左

京八 条三坊十一 。十二坪 におけ る調査 で も検 出 され てお り

,同

様 に路面 が拡 幅 され てい る こ とが 明 らか とな って い る。 しか しそ こにおけ る 拡 幅 の方 法 は

,北

側溝 の位置 を変 更せず

,南

側溝 を約

1.5m南

に移設 して路面 を拡幅す る とい う手法 であ る。 これ は

,拡

幅 に際 して当初 の計画 中軸線 を意識 しなか った ことを示 してお り, 同 じ八 条条 間南小 路 で も位置 に よって拡 幅 の方法 が異 な って い る ことがわ か る。 これ以外 に, 単 な る側溝 の浚 渫 を行 なってい るものは計21例 あ り

,そ

の うち

10例

は明確 に 側溝 を 掘削 しな お して い る。 しか し

,い

ずれ も道路計画線や 幅員 の変更 は行 なわれていない (Tab.22)。

この よ うに

,条

坊道路 の中には改修 の痕跡 が認 め られ るもの

,あ

るいは明 らかに拡張 した り

1)本

報告では

,大

路 と大路のち ょうど中央 の道路

  2)こ

れ までの調査で, 小尺は0.294〜0.298mの を条間路

,坊

間路 と呼び,  これ よ りどち らの大路

   

範囲におさまることが確認 されている。本報告で に近いかを基準に

,坪

境小路をそれぞれ条間北小

   

, 1小

尺を

0.296m, 1大

尺を 1小 尺の 1.2倍 路

,条

間南小路, 坊間東小路, 坊間西 小路 と呼

   

0.3552mと して,メー トル法換算値を求めた。

が。なお,この呼称は

,す

でに丼上和人「都城の

  3)奈

良市教育委員会『 平城京東市跡推定地の調査 定型化」(『季刊考古学』22,1988)において使用

   

Ⅳ一第 6次 発掘調査概報』1986。

されている。

r7′

(2)

︵〇

〇∞ 0一

︶ 一

〇0 卜.

〇一

〇︵ ゆ∞

〇. 一︶ 0

∞寸

∞. 0一

□ □ □

□ □□ □ □ □

6国 霊□

□ □霞 霞 □

7‰ 睡

4,9544(4,950)

調 査 次 教

1

2

3 4

5

6

7

8 9

10

11 12 13 14

‑145,994,490

‑‑145,753.540

‑148,412.000

‑148,956.500

‑‑149,082.967

‑‑148,946.123

‑149,555,000

‑‑148,768.000

‑‑148,807.300

‑‑148,941.410

‑148,950.000

‑‑149,072.045

‑149,366.400

‑149,474.550

用 化

勝 変

上 の

平 城 宮 2玉手円

1朱雀門

︵〇

〇∞

.〇 一︶ O. OO

.卜〇 一

Fig,67 

平城京南辺の条坊道路 と平城宮諸門 との関係 (単位 ;小 尺

,( )内

は計画寸法)

□ □

奈文研第16次 奈文研第15次 奈文研第124次 奈文研第149次 奈文研第168次 奈文研第160次 奈文研第106次 奈文研第93次

奈良市1984(東市第 4次)

奈奥市1982(東市第 3次)

奈良市1986(東市第 6次)

奈文研第166次 奈文研第141柁3次

Tab。 18 

平城京条坊実測座標値

(No。

は Fig.67と 対応)

して い る もの な どが あ る。 こ うした事 例 は道 路 側 溝 が素 掘 りで あ るが ゆ えに

,降

雨 に よって浸

蝕 を受 け た り

,ま

た埋 った りす る場 合 が 多 か った こ とを示 して い る。 同時 に

,周

辺 衝 区 の土地 利 用 が大 き く変 化 す る こ とに よって,道 路 の位 置 の変 更 や 拡 幅 が行 なわ れ た こ とが 想 像 で き る。

V章 ‑2で

述 べ る よ うに

,右

京 八 条 一 坊 十 三・ 十 四坪 で は

,奈

良 時 代 の前 半 と後 半 で土 地 利 用 の形 態 が変 化 して い る。 奈 良 時 代 前 半 は工 房 を 中心 と した十 三・ 十 四 坪 の一 体 的 利 用 が 図 ら

′72

‑18,586,310 1 

朱雀F聯い

‑19,093.260 1 

玉 手Fttb

‑19,375.500 1 

西二坊坊間路心

‑18,833.375 1 

西一坊坊 間大路心

‑19,012.000 1 

八条条間南小路心(拡幅前)

‑18,380.000 1 

八条条間路心

‑18,437.000 1 

東一坊坊間西小路心

‑17,103.900 1 

東三坊坊間東小路心

‑17,060.000 1 

八条条間北小路心

‑17,187.000 1 

八条条間路心

‑17,107.680 1 

東三坊坊間東小路心

‑17,220.000 1 

八条条間南小路心

‑17,104.400 1 

束三坊坊間東小路心

‑17,185,500  十

 

九条条間路心

(3)

一 □ 閥 凹

□ 日

一 □

□ 日

瓢 □□□□□査 □□□

□ 口

□ 日

□ 日

ヨ ロロ 田圏

コロロロ 選竪□□

□□□森 □□□

田圏 呂呂 圏田

□□□ □□□

阿 幽

コロロロロロロロ ロロロ 日

¬日 日 日 日 日 口 日 日日 日

0       500m

北 側 溝 心

八条 条 間路

  

道 路 心

E O°28′ 19″

 N

商側溝心

      10

3  6

EO判4′05″

N

八条 条 問 南 小 路

蜘 悧 瀞

b        N

E O°αo′57″

 N

道 路 心

南側溝′b

lr(中言白耳し411善

道 どを′ 南担1,謙

13

八条条間路

9

E l°Oo′ 49″

 N

□ 日

□ 囲 □ 囲 □

□ 日

□ 囲

□ 日

Ⅲ 酎 Ⅲ 酎 酎 酎 町

□ 阿 凹

□ □

□ 同

E O°16′18″

 N

EO°10′3ア

N

1  4 il

E o°22′ 19″

 N

E O°12′06″

 N

▲ 八

2  5

EO°

15′08″

N

E O°19′12″

 N

E o°21′ 16″

 N

21 E O°o8′36″

 S

18    19 Eo°18′54″

N

Eo°18′56″

N

1

2 3 4 5

6

7 8 9 10

11

‑148,941.320

‑‑148,946,123

‑‑148,950,925

‑‑148,940.500

‑‑148,945,000

‑‑148,949.500

‑‑148,945.740

‑‑148,945.220

‑‑148,941.410

‑‑148,944.530

‑148,937.110

‑149,081.217

‑‑149,082,967

‑149,084.717

‑‑149,079。

217

‑149,082.617

‑‑149,086.617

‑‑149,069,020

‑‑149,069。

380

‑‑149,072.045

‑‑149,074.710

‑‑149,072.765

‑‑149,076。

150

‑18,380,000

‑18,207.000

‑17,353.000

‑17,226.000

‑17,187.000

‑‑17,109,000

‑19,012.000

‑17,364,000

‑‑17,220.000

八条条間南小路

北側溝心 道路心 南側溝心 北側溝心 道路心 南側溝心 南側溝心 南側溝心 道路心 南側溝心 北側溝心

調 査 次 数 奈文研第160次

奈文研1972

奈良市1983(東市 二次)

奈良市1983(東市2次)

奈良市1984(東市 4次)

奈良市1983(東市3次)

奈文研第168次

(本

調査)

奈良市1987(東市7次)

奈良市1986(東市 6次)

12

13

14 15 16 17

18

19 20 21 22 23

Fig.68 

八条条間路 と八条条間南小路の偏度 (図中の

No。

はTab.19と対応)

北偵

U溝

(拡

幅前)

道路心

 ( 

 )

南側溝心

 )

all溝

(拡幅後)

道路心

 ( 

 )

南側溝心

 )

北側溝心 北側溝心 道路心 (拡幅前)

南狼↓溝心

 )

道路心 (拡幅後)

南側溝心

 )

Tab.19 

八条条間路・八条条間南小路実測座標値 (No.は Fig.68と 対応)

(4)

▲ 八

雲 ︲

二 ゝ ヽお一 ぎ Z ョ ゝ

∞ぁ 一も z ヨ

ち ヽ8o ち z ヽど

︲3

︲4

︲5

︲z

z︲

22

    ヨ ヽ留 あ F o z

□□□□ □□□□

E E

E 一佐

一L

E E

E 一と

一せ

一L

・L

□ 団 阿 Ш

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □ 田 □ 田 田 田 田 田 田 田 田

□ 回

□ 日

□ ︱ 日

□ ← □

□ 日

□ 巳

□ □

□ 阿

□ □

□ □

□ 四 奥

□ 幽

□ 一□

□ 一□

□ □

□ □

□ □□□

羅城門

Fig.69 

平城京右京域 の条坊道路 の偏度

(図

中の

No。

は Tab.20と対応)

ョ ヽ? Ъ F O z

□□□□

ヽこ

ヨ ヽ ヽ望 6 z

ヽ 卜

□□□□

ヨ ゝ

≡寺 ち一

z Z ユЪ劇ヽ一ち″ 

2 9

側西 溝心 西

坊一 坊 間 大 路

ュ Ъ ヽ∞ヽ ち z

│と

ョ ミ8 ち 声o z

東 側溝 心 道 路 心   西 二 坊 坊 間 路 西 側溝 む

1知 2,

17

ti」

西一坊大路

1目 圏 目 田田 圏田 目

]□ □□□□□□□

]□ □□□□□□区

朱 雀 大 路

コ 『

17

2〇

¬ 「

′イイ

(5)

1 2 3 4 5 6 7 8 9

‑145,287.000

‑148,412.000

‑145,055。 564

‑145,136.085

‑145,395。 156

‑145,231.560

‑145,394.502

‑145,447.702

‑148,360.000

‑149,068.600

‑19,393.450

‑‑19,389.135

‑‑19,384.825

‑‑19,393.450

‑‑19,398.125

‑‑19,384.800

‑19,387.185

‑19,375.500

‑19,372.815

西二坊坊間路 西側構心 道路心 東側溝心西側溝心 道路心 東側溝心西側溝心 道路心 東側溝心 西側溝心 東側溝心

若犬養門心 東側溝心 道路心 東側滞心 西偵

I溝

心 東側溝心

西側溝心 東側溝心西側溝心

調 査 次 数 奈文研第142次 奈文研第18314次 奈文研第124次

奈文研第824次 奈文研第■8認9次 奈文研第10314次 奈菱騨霧写〔姿範員 奈良市第97次 大和郡山市1987 10

11

12

13

14

15 16

17

路 大 坊

〃〃

″ 西一

=言

死茎

!045 1 

西三ぁ坊間大路

18

19 20 21

‑1ム5,994.578

‑146,074.691

‑148,956.500

次 次

・4 次

4.

第 第 第

〃 研研 研 文 文 文 奈 奈 奈

22 23 24 25 26 27 28 29 30

‑146,009.860

‑‑146,008.030

‑‑146,045。

363

‑‑146,151,000

‑‑146,255.700

‑147,338.334

‑‑147,797.000

‑147,854.000

‑149,719。200

‑18,622.500

‑‑18,545.500

‑‑18,547.858

‑‑18,548.100

‑‑18,547.700

‑18,616.250

‑18,540.850

‑18,614.250

‑‑18,606.340

﹈ 研 第. 80 次

的 研 第. 4.. 2 市 第. o3 次

″雌

叙数 叙無 叙隷 雑  繊

,奈

良時代後半 は細分化 され た住宅地 としての利用 が進行す るわけであ る。両坪が一体 とし て利用 され ていた時期 には

,小

路 は同一敷地 内の単 な る通路 に とどまっていたが

,住

宅地 が細 分化 され て往来が頻繁 になるに従 い

,道

路 を拡 幅す る必 要 に迫 られた と見 る こともで きよ う。

次 に

,SF2000(八

条条間南小路

)の

平城京 内におけ る位置 について検討 しよ う。

Fig.67は

,

六 条大路 以南 で これ までに検 出 した条坊道路 と

,平

城 官 の諸 門 との心心 間距 雄を示 した もので あ る。 なお図 中の独値 は

,朱

雀 大路調査 で粥 らか とな った朱雀大路 の国上方眼方位 に対す る偏 度 (NO° 15′

41″ W)を

考 慮1ンた値 であ る。 これ に よる と

,平

城宮玉手 門 と

,拡

幅以前 の

SF

2000と の心心間距離の小尺 (以下断わ らないか ぎ り尺 はすべ て小尺 であ る。

)換

算値 は11,249,2 尺 とな り

,計

画寸法 11,250尺 に きわめて近 い数値 であ る ことがわか る。 同様 に

,左

京八条三坊 十一・ 十二 坪 にお

lrIる

拡 幅以前 のハ条条間南小路 と平城 宮玉手門 との心心間距離 は11,221.6尺 で

,計

画 寸法 よ り約30尺 短 くな る。 これ らの数値 の差 は

,八

条条 間南小路 の国上方眼方位 に対 す る偏度 に起因 してい るもの と思われ′る。

Fig.68に

示 す よ うに

,八

条 条間南小路 の偏度 は

,朱

雀 大路 の それ よ りもやや大 きい。 しか も位置 に よっては

,偏

りの程度が異 っているのであ る。

他 の道 路 は ど うであろ うか。 まず条間路 について見てみ よ う。平城京 南辺 におけ る条聞路 と 上

 

して八 条条 間路 と九条条間路があ る。 八条条間路 は

Fig。 68に

示 す よ うに

ほば 朱雀大路 に 近似 した偏度 を示す。 したが って

,検

出地 点が朱雀大路 か らかな り遠距離に位置 している場合 に も

,道

路 心 と平城宮玉手 門心 との距離 は計画寸法 に近 似す ることになる。九条条間路 は検 出 地点 が

1地

点 で あ るため

,道

路心 の偏度 を求 め られ な いが

,左

京九 条三坊 の よ うな朱雀大路 か ら比較 的離 れた地点におけ る道路心 と玉手門心 との距離 が12,600.3尺 と計画寸法 の12,600尺 に キ 近 い ことか ら

,九

条条間路 の偏度 を朱雀大路 のそれ に近 い もの と推定す ることが可能 であ る。

間 路 条 ヽ 条

珂 八 南 SF 2000の 平城京内に おける位置 道路計画の 偏度 と道路 の位置

八条条間路

九条条間路

Tab.20 

平城京右京域 における南北方向の条坊道路実測座標値

(NOは

Fig。69と 対応)

/7J

(6)

坊 路   坊 路 二 間     一間 西 坊   西 坊

これに対 し坊 間路 は ど うであろ うか。例 えば西二坊坊 間路 は

, Fig.69か

ら偏度 も朱雀大路 とほぼ近似 していて

,右

京 七 条二坊 におけ る道 路心 と朱 雀 門心 との距 離 も計画寸法 とほぼ一致 して い る (Fig.67)。

 

ところが

,西

一坊坊 間大路 は偏度 が NO° 21′ 40′′

Wと

朱雀大 路 に比 し てやや大 き く

,検

出地 点 が右京八条一坊 と朱雀大路に近 いに もかかわ らず

この道路心 と朱雀 Fttbと の距離 は約22尺 も短 くなってい る。西一坊坊間大路 は西側溝 が幅約

1lmと

破格 の規模 で あ るため

,道

路計 画線 と実測 した両側溝 心心 間 の中軸線 とが一 致 して い ない可能性 もあ り

,他

の坊 間路に比 して特殊 だ といえ よ う。西一坊坊 間大路 の計画線 の偏度 が もともとNO° 21′

40〃

Wで

あ ったか ど うか につ いて はにわ かに決めがたい。

以上 の よ うに

,平

城 宮 か ら遠距離に位置す るに もかかわ らず

,多

くの条間路 。坊 間路の偏度 は朱雀大路 の偏度 とほぼ一致 している。換言すれば条 。坊間路 は

,朱

雀 大路 に直交 ない しは平 行 してお り

,条

坊 計 画線 は京 全域 に周到 かつ精密には りめ ぐらされて いた ことを示 している。

一方

,小

路 は ど うで あ ろ うか。八条条間北小 路 は左京 八条三坊 にお いて

1箇

所 検 出 した事例 が あるが

,平

城 宮玉 手 関心 との距離 は10,799。1尺と計画寸法 にわず か 0,9尺 満た ないのみであ る。 したが って この小 路 の計画線 もまた

,朱

雀 大路の計 画線 に直交 していた ことがわ か る。 と

1)

ころが東三坊坊 間東小路 につ いては様相 が異な ってい る。 この小路 は

,二

,四

,八

,九

条 の計

6地

点 で確認 してい るが

,各

地 点間に偏度 の統一性 は見 られず

,朱

雀 門心 との距離関係 も一様 ではない。 ただ二 条地点 (奈文研第

88‑m次

調査

)と

九 条地 点 (奈文研第 166次 調査

)と

を結ぶ直線 の偏度 は

,NO°

17′46′

Wと

朱雀大路の偏度 と似通 って消 り

右京九 条三 坊地 点 と 朱雀門心 との東西距離 は4,954.4尺と

計画寸法4,950尺 との 差 はわず か4.4尺であ る (Fig.

67)。

す なわ ち造営 当初 の小路計画線 は

,朱

雀 大路 の偏度 とほぼ一 致 しては いたが,大路 で囲 ま れた各条

,各

坊 内に おけ る実際 の小路 の設定 に際 しては

,そ

れ ぞれ独 自に設定 された可能性が 指摘 で きる。 この こ とは

,こ

の小路の す ぐ西 に 南北 に 貫流す る東堀河 との 位置関係か らもわ か る。Fig.71に 示 す よ うに

東三坊坊 間東小 路 と東堀河 との心心間距 離 は

,計

画寸法 が

225尺

であ るのに対 し

,各

地 点 ご とに微妙 な差を生 じている。 と りわ

lfI左

京 八条三坊九・ 十六坪坪境 に消いては極端 に東 に偏 ってお り

,同

じ小路で も実際の施工 と計画 との間に差が生 じている こ

2)

とがわか る。東一坊坊 間西小路 について も同様 の ことがいえる。 これ は何 を意味 す るのである うか。推定 し得 る可能性 は

2通

りあ る。

1つ

,坪

境小 路 は直線 上 に施工 されず に

,途

中のあ る地点で微妙 に筋替 え られていた こと。 も う

1つ

,長

距離 の区間では東西南北 の方 向を正 し く設定す る ことを試 み るが

,実

際 には途 中で微妙 に折れ 曲っていた こ とであ る。 これ までの各 検 出地点が点的 であ るため

,両

者 のいずれ か はにわ か に決 しがた いが

,条

間・ 坊 間路の よ うな 上位 の道路に比 して

,小

路 の施工 の方法が多様 であった ことだけ は確 かであ る。

次 に従 来 の調査 で 明 らか とな ってい る小 路 の幅員 と

,SF2000の

幅員 について比較検討 しよ う。

Tab.22は

これ らを一覧表 に ま とめた ものである。 なお参考 のた めに条 間・ 坊 間路に関す る数値 も掲載 した。表 中の「 路肩幅」 とい うのは両側溝 の内法 の距離 で

,有

効路面 幅 であ る。

また「両側溝外面 間距離」 とい うのは

両側溝 の外縁 間の距離 を指す 。「 最深部心心間距離」

は側溝 の最 も深 い帯状 の部分 の相互距離を指 し

,幅

員計 画寸法 に最 も近 い値 であ る。 これ らの

1)奈

良市教育委員会 の中井

 

,森

下恵介 の両氏 か ら資料提供 を受 けた。両 氏に感謝す る。

rィσ

2)奈

良国立文化財研究所『 平城京左京八条一坊三

・六坪発掘調査報告書』1985。

間 路 条 ヽ 条

′ 八 北

東三坊坊間 東 1ヽ 路

東―坊坊間 西 ′Jヽ

道路の復員

(7)

│□ □□□ □□ [

IE□ 匝□ □□ [

│□ □□□ □□匠

□□□□□□匠

E□ □□□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

□□匝園 □□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

L̲̲

L 一 F

日 日 日 コ

︲︱ 日 日 旧

竪 圏圏 田□ :

□□□□□□ [

区コロ回□□ [

□□□□□□ [

□□□□□□ [

▲ 八

庁 1 l L 十 11 L II I

Fig 70 

東三坊坊間東小路の偏度 (No.ヤまTab.21と対応)

調 査 次 数 奈文研第8811次 奈良市1983 奈文研第93次

奈良市1982(東市第 3次)

奈文研第166次

―一 ―一 ―八条大路

Fig.71 東三坊坊間東小路 と東堀河 との関係

‑145,797.000 1  ‑17,122.844  1 

東三坊坊間東小路心

‑146,608.000 1  ‑17,125.760

‑148,768.000   1    ‑17,103.900

…148,950.000  十  ‑17,107.680

‑149,366.400 1  ‑17,104.400

Tab.21 

東三坊坊間東小路実測座標値 (No.は Fig.70と 対応)

(8)

Hへ∝

呵静・﹈﹈ 業洋刈⑤沖 ・尊団解析片0多誤⑤磁慕罰 ︵Z9再 呵坤中 毬 障難勇︶

No

道 路 ネ条妨Fkfi t・ (m)両イ111諄外面岡 Hi離

(m)

最深常[心心問 距

Ilt(m)

296m

10小

尺3552m

lo大

444m

(15小

)

32 8n

斌 LЪ

592m

20小

)7104m

20大

)74m

(25小

尺888m

25大

)888m

(30小

10656m (30大

)改修の布無調査次数 ユ 2 3 4 5 6 7

路路路路路路路 問間問間関間間 条条一株条条条条 条条条条条条条 一五四人八八九 右求一粂二妨十 十一坪 右求五条四坊二 三坪 左京四条一坊十四・十五坪 左求八条一坊六・七坪 左京八条一坊十・十一坪 左京八条三坊十・十一坪 左京九条三坊十・十一坪

46 43 76 7 9 6 85 44 7 2

74

75以

上 11 6 11 05 11 05

74以

上 10 05

61 65 95 97

89〜

00 60 33

○○   ○

◎◎   ◎ OO  OO

OOOOOO

◎③◎ ◎

◎◎◎ ◎

○○○

△     ハ     △ 余文研第

959次

奈文研第100次 奈良市1984 奈文研第

160次

奈文研1972 奈良市1984 奈文研第

14123次

路路路路路路路路 間間間問間間聞間 妨坊坊坊坊坊坊坊 坊坊坊坊坊妨妨坊 二四四五五三二二 束束束束東西西西 左京四条二妨八・九坪 左京四条四坊八・ノL坪 左京二条四坊六・十一坪 左求五条五坊七 十坪 左京五条五坊六 十一坪 右京七条二坊七・十坪 右本一条二坊六 十一坪 右京一条二坊六・十一坪 71 73 7.S 55 78 4 65 74 7 45

123以

上 10 65 10 05,状J: 10 1 107 61 9 75 9 95 104 8 75 0011」i

80〜

85 ,0 5 45 8 65 8 55

○ ◎

○  ○

○ O O O

○◎◎◎③ ◎◎

○◎③◎◎ ◎◎

◎○○ ○ 奈良市第

133次

奈文研第14■9次 余良市1983 奈良市1980 奈良市1981 奈文研第

124次

奈支研第

142次

奈文研第

18314次

路路路路路路路路路路路路路 北北北南南北南南北前北北南 間間間間問問岡問問問間間岡 条条条条条条条条条条条条条 条条条条条条条条条条条条条 一三二三二五五五六六人八八

右京一条二坊一 二坪 左京二条一坊―・三坪 左求三条二坊七・人坪 右求二条三坊五 六坪 左求三条二坊三・四坪 左京五条一坊七。人坪 左求五条二坊十一 十二坪 左京五条二坊十三・十四浮 左求六条二坊九・十坪 左京六条二坊十三 十四l1/ 左京八条三坊九,十坪 左求八条三坊十五・十六坪 左京八条三坊十一・十二坪(拡幅前) ク     (拡幅後) 右京八条一坊十二・十四坪(拡幅前) 夕      (拡幅後)

29 52 4 75 83 5 65 36 36 36 41 3 23 37 4 85 42 58 19 60 40 94 6 45 ■8 83 62 60 88 86 93 72 65 7 9 4 6 91 34 6 78

4 85‑ 5 7

100 7 23 54 48 56 68 70 60 59 53 68 35 68

◎ ○

O

O◎OOOO O O

O◎  ◎◎◎○○○○◎

◎◎ ○○ ◎○○◎◎○○ ○

◎ ③   ◎◎○○ ◎ ◎

○  ○   ○○○  ○ ○ O   O           O         O

○ ○      ○    ○

○○    △〇  〇〇〇〇

奈文研第1037次 奈良市第

119次

奈文研第184,186次 奈文研第

162次

奈支研第

17410次

奈良市1984 奈良市1979 奈良市1970 奈良市1983 橿考ry・ 余文研第93次 奈支研第93次 奈良市1986 奈良市1986 奈文研第

168次

奈文研第

168次

東一坊坊問束小路 束一坊坊問jl小路 束二坊坊問束小路 束二坊坊附〕西小路 束三妨坊「村束小路 西二坊妨F]束小路 西二坊坊「司西小路

左求六条一坊十 十五坪 左京三条一坊二・七坪 左求五条一坊―・八坪 左求九条一坊三・六坪 左京九条一坊三・六坪 左京二条二坊十二・十三坪 左京三条二坊十,十五坪 左京六条二坊十一・十四坪 左男f三条二坊二 七坪 左求二条三坊十一・十四坪 左求四条工坊九 十六坪 左求八条二坊九 十六坪 左求八条ユ功十一 十四坪 左求九条 =坊十 十五坪 /iオ↓に辺二坊二 =坪 右巧t一条二坊二・七坪 右求一条二坊十 十〕i坪(改修前) ク     (改修後)

54 4 4 28 5 05 53 4 7 48 19 5 45 2 78 48 40 40 3 18 4 35 7 2 24 76 81 48 10 05 85 9 07 74 56 8 35 58 65 67

85以

SI 7 57 0 65 93 66 65帥︼脚曽鶴7.︼﹃︹57卜印56

︐・84 58

58

○ ○ O

◎ ◎ O   O  O

①O    O ◎ ○ ○○ ○

O OOOOO O◎◎○◎O OO

◎◎ ○○◎◎ O ◎◎○◎◎ ◎③

◎◎ ◎◎◎○ ◎   ◎OO O

○○ ○○○○ ○   ○○○○○

○ ○      ○  ◎○

○ ○      ○  ◎○

△△ △△△〇〇〇   〇△△ 〇〇

奈良市第139次 奈支研第

10315次

奈良市1984 奈文研第1562次 奈良市第

106次

奈文研第15Ⅲll次 奈文研第86次 橿考研 奈文研第

184次

奈文研第8811次 奈良市1982 奈文れ,F第93次 奈良市1982束市 余文研第

166次

奈文研第

10316次

奈文

'FttH2 8次

西隆寺 西隆寺

(9)

数値が小尺お よび大尺完数値のどの範囲に分布 しているかを ○印で 示 した ものが 右の

10項

目 で,「 最深部心心間距離」を◎で示す。 また

明確に側溝を掘削 しなおしているものに○印,

1)

側溝の改修痕跡の認め られるものに△印を付 した。

この表か ら同 じ道路でも地点において大 きく幅員が変化 していることがわかる。た とえば条 間・坊間路の うち

,地

点 ごとに全 く幅員の異なるもの として

,八

条条間路

,西

二坊坊間路をあ げ ることができる。その他のものは

,一

条条間路

,五

条条間路をのぞいて

,お

おむね25大尺(30 小尺

)の

計画寸法であった ことがわかる。八条条間路 と西二坊坊間路は

,先

述の ように計画線 は朱雀大路のそれ と方位がほぼ一致 してお り

,精

密に計画 されていた ことが指摘できるが

,幅

員については北 と南

,東

と西で大 きく異なっていた といえる。西二坊坊間路は

,五

条 と六条 と の間に唐招提寺

,薬

師寺 といった大規模 な寺院が介在 し

この南北で道路幅員に広狭が生 じた 可能性 も考 え られ る。 また

,八

条条間路の幅員の広狭 は左京域 と右京域 との相異に起因 してい ることも想定できるし

,左

京八条

=坊

地点の幅員が狭いのは

この地に想定 され る東市の区画 内通路であったため と考 えることも可能である。

これに対 し小路は 一層多彩であ り

とりわけ基準 となる 計画寸法 も 見いだす ことがで きな い。 しか も

,地

点に よって粥 らかに路面幅の広狭の認め られ るもの として計

7例

があ り

,検

出 例全体に対する比率は条間・坊間路に比 して きわめて高い。

SF2000(八

条条間南小路

)も

この 中に含 まれている。すなわち

,坪

境小路は条FHR・ 坊間路 よりも一級下位の道路であ り

,大

路や

平 城 争Ⅲ

 I

坊 路 二 間 西 坊

八条条間路

J田 函国曜

▲ 八

0      1000m Fig,72 条・坊間路 と小路の検 出位置図 (Nc.は

Tab.22と

対応)

1)Tab 22の

No.25。 37の数値 データにつヽィヽて は

,奈

良県立橿原考古学研究所の松永博明氏か ら

提供を受けた。氏に感謝する。

′イ9

(10)

条間・ 坊 間路 で囲 まれた各宅地 の状況に合わせて

,幅

員 が決定 され た ことが うかが える。周辺 の土地利用状 況 に規制 され る度合は

,大

,条

間・ 坊間路 よ りもさらに大 きか った もの と思わ れ る。実際 の検 出例 にみ られ る小路 の多彩 な偏度 と幅員は

,以

上 の よ うな理 由に起因 した もの

とと らえることがで きる。

B  十三・ 十 四坪内の地割

次 に

,前

節 で得 た数値 を もとに

,十

三・ 十四坪 四周の条坊道路心 を推定復原 し

,こ

れを もと に坪 内の道路 を も含 めた各 区画施設 の位置関係 につ いて考 えて見 よ う。 なお

,条

坊復原 にあた

っては次の条件 を与 えてお く。

①   西一坊大路の国上方限方位に対する偏度 ,NO°

15′

13″

W。

幅員

70大

尺。

②   十三・十四坪坪境小路

(八

条条間南小路)の 国土方眼方位に対する偏度,EO°

20′

57″ N。

③   八条条間路の国上方眼方位に対する偏度 ,EO°

16′ 53′

N。

④   八条大路の国上方眼方位に対する偏度 ,NO°

15′ 41′

W。

幅員

70大

尺。

⑤   西一坊坊間西小路の国土方眼方位に対する偏度 ,No°

15′ 41′

rw。 幅員

20大

尺。

③  l小 尺

=0.296m。

 1大 尺

=0.3552m。

坪 の 分 割

八条 条 間

r/N

Fig.73 

十三 !十 四坪四周の条坊 道路復原位置図

以上 の与件 を もとに

,試

算 の結果 を ま とめた ものが Fig

73,Tab.23で

あ る。そ して,この成果 を もとに十三・ 十四 坪 内の区画施設 の 位置 を 図示 した ものが

Fig.74で

あ る。

なお図中の推定復原 した条坊道蕗は

,側

溝 の中軸線 として 表示 してある。 また坪内に図示 した一点鎖線は

,前

述の側 溝心を基準 とした坪の分割線を示す。

これに よると

まず

,奈

良時代前半 に 比定 し得る築地

SA 1570,溝

SD 1860は

,十

四坪を 東西南北 に はば

2分

す る位置に存在す ることがわかる。

 

また

SD 2082は ,SD

1860の 北へ坪 の南北の1/4長の位置に存在 しているし

,SA

2034,1850は ,十

四坪を東西に 1/4に 分割す る線上に位置 している。すなわち

,十

四坪 では坪内の区画施設 として築 地

,溝 ,掘

立柱塀を用い

これを四周の道路幅員を差 し引 いた好の一辺の有効距離を

1/2,1/4,に

分割す る位置に設 定 していることが明瞭であ る。奈良時代前半期には

,坪

四 周の一辺の有効長を基準 とし

これを等分割する計画的な 区画割の行なわれていることが指摘できる。 しか し

,築

SA 1570以

外に顕著な閉塞施設はな く

,十

三・ 十四坪はそ れぞれ一体的な利用が行われた と見て差 しつかえない。

これに対 し

,奈

良時代後半はどうである うか。まず

,八

条条間南小路が拡幅 され

,区

画施設 として

,SF1970,1320

といった坪内道路が敷設 され

,掘

立柱塀に よって区画が細 分 されている。築地

SA1570の

位置を踏襲 して設定 され る No.│

1

2 3 4 5 6

Tab.23十

三・ 十 四坪 四周 の条坊 道路心推定復原座標値

″J0

‑148,950,4281‑19,lo5。 355 M男

21‑"理

5十

"理 調

三 就籠転十 三 撒猟罷

‑148,949.7731‑18,9η.156 坪 内 道 路

(11)

坪内道路 SF 1970や

これをほぼ南に延長 して施工 され る坪内道路 SF 1320は

,坪

を 1/2に 分 割す る線上に位置 している。十四坪の

SF 1970の

東側では

,SD 1860を

さらに区画を強調す る 意味で

,後

に掘立柱塀 SA 1900に 改め

,SA1551,1716,1686を

1/8分割線上に設定する。そ して

SF1970の

西側には

,坪

の東西1/4分 割線上に南北塀

SA 1548を

建設 し

,南

1/4分割線上にほ ぼのる形で東西塀

SA 1571が

施工 され る。

SF 1970を

介 して

,SA 1571と

1556は や や 筋替 え て建設 されるが

,両

者 ともにおおむね

1/4分

割線に一致すると見て差 しつかえない。一方, │^

三坪 では

,坪

内道路

SF1320の

西側に

,坪

の南北1/4分割線上に

SA 1370,1371を

建設 して区画 割を行 な う。 また

,SA 1434,1399は

東西に 1/4に 分割する線上に位置するもの とみ られ る。以 上の区画施設を

Fig,74を

もとにみてみると①,① ,◎ ,◎の宅地 は坪全体の面積の約1/8あるい は1/16,① ,① ,⑥ の宅地は約 1/32,そ してそれ以外は約1/2あるいは1/4にそれぞれ等 しい こと がわかる。そ して これ らの区画内には

,小

規模 な建物群 と井戸を

1基

ずつそなえている。 した が って

これ らの諸区画は細分化 された小住宅地 とみなしてまちがいないであろ う。各宅地 を 区画す る掘立柱塀は

,お

おむね坪を何分の

1か

に分割する線上に位置 してはいるものの微妙 に ずれているため

,各

宅地の面積にはおのず と広狭が生 じている。

すなわち

,奈

良時代後半は

,八

条条間南小路の拡幅や坪内小路の敷設など一段 と坪の区画割 が整備 され

これ らの道路に よって往来が可能 となった坪の中心部 まで もが

,細

かい小規模宅 地 に分割 され るようになった といえる。

西 西

Fig,74 

右京八条一坊十三・十四坪 の遺構 (左 ;ユ期

,右

;Ⅳ期)

(12)

条 坊 条 坊 八   九

一爪  一爪

左 三 左 三

Fig,75 

左京九条三坊十坪 の遺構

Fig.76 

左京八条

=坊

九坪 の遺構

この よ うに坪 内を細分 し

,小

規模 宅地 としての区画 を行 な って いる事例 は

,左

京八条三坊 や 左京九条三坊 に も見 ることがで きる。

Fig。

,76に

示 す よ うに

,左

京八条三坊 では約

1/16,そ

して左京九条三坊 では

,坪

内道 路 を通 して さ らに1/32に 細 分 され た小規模住 宅地 が あ る。 そ し て

,い

ず れ の宅地 の区画施設 も

,坪

一辺 の有効長を等分割す る線上 に

,お

おむね一致 してはい るが

,各

宅地 の面 積 には

,微

妙 な大小 のあることもわ か る。 したが って

これ らの小規模住宅

地は ,1/2,1/4,1/8,1/16,1/32と 等比級数的に分割するとい う ,あ る一定の規範のもとに施 工されてはいるが,場 合によっては区画施設をず らして,面 積の大小を生む結果 となっている。

rJ2

(13)

2  遺構 の変遷

は じめに遺構 の変遷 の決定方法 について述べ てお きたい。 まず

,柱

穴 の重複関係か ら建物・

塀 の新 旧を決 め

,柱

穴 出土遺物 の年代 に よって建 物・ 塀 の時期 を推定す る。そ して埋 土か らの 出土遺物 の年代 に よって溝・ 土坑・井 戸 の時期 を推定 し

,そ

れ らと建物 との新 旧関係か ら建物 の存続年代を推定す る。 しか しそれだけでは遺構 の年代が決め られ ない もの もあ り

,そ

れ らは 建 物・ 塀・ 井戸 との配置関係か ら時期 の推定 を行 な った。

遺構 は大 き く

4時

期 に分 け られ る。時期 区分 は まず奈 良時代前半・ 奈 良時代後 半 に分 け る。

さ らに奈 良時代前半 を

2時

期 に細分 し

,そ

れ ぞれ を

I期

・ Ⅱ期 とす る。 また奈 良時代後 半 も 2 時 期 に細分 し

,Ⅲ

期・ Ⅳ期 とす る (Fig.77〜

80)。

遺 構 変遷 の記 述 の順序 は

,各

時期 とも十三坪

十 四好 の順 に行 な う。 今回の 報告 では 区画 (宅地

)割

の問題 が重要 なため

,各

時期 ともまず 区画 (宅地

)割

につ いて述べ,次 に区画 (宅地) 内の建物 にお よぶ。各 区画 (宅地

)に

つ いては

,建

物 配置 は もちろんの こと

,宅

地 におけ る主 屋 の比 定 や宅地 への導入方法について も推定 を試 み る。

なお

,本

節 で は

,建

物・ 塀 は とくに ことわ りの ないか ぎ り掘立柱構造を さす。 また塀 な どで 囲 まれ た敷地や建物等 の配置か ら

1つ

の敷地 と考 え られ る ものを, I・ Ⅱ期 では「 区画」 と呼

1)

,Ⅲ

・Ⅳ期では「宅地」 と呼ぶ。「坪」は条坊の位置をあ らわ し,「町」は面積を示す際に も ちいることにす る。

A I期 の遺構

十三 坪

十 三坪 の北辺 の坪 境小路 との境 は東 西築地塀 (SA1490・

SA1485)に

よって画 され る。坪 内 に は粥確 な区画施設が な く

, 1町

占地 であ った可能性 があ る。 しか し

,坪

の東西 1/2ラ イ ンに 建 物 が建 て られていない点

,十

四坪 が築地塀 に よって東西 に二分 されている点か らみて

,十

三 坪 も東 西 に三分 され て いた可能性 も考 え られ る。 なお十三坪 を南北 に三分 す る線 は発掘 区外 の 南 に あた るため

,十

三坪 が南北 に三分 されていたか ど うかは不 明であ る。

十三 坪西半 (以下

,十

三坪 を東西に三分す る ライ ンか ら西を十三坪西半

,東

を十三坪東半 と 呼 ぶ。

)こ

の区画では中央 に中軸線 をそろえた

2棟

の東西棟

(SB1331,1390)を

置 き

,そ

の南 に上屋

(SB1364)を

もつ井戸

(SE1365)を

設 1/j,そ の まわ りは広場 とす る。主屋 は SB1381・

SB 1390の

いずれか と考 え られ るが

,次

の時期

(I期

)の主屋 と推定 され る建物 が

,SB1381の

直 上 に北 向 きに (北庇側 を正面 とすれ ば

)建

て られ てい ることを考慮す る と

,こ

の時期 の主屋

SB1381で SB1390が

前殿 と考 えて は ど うで あろ うか。

SB1390の

北西 には

2棟

の南北棟

(SB 1)I・

Ⅱ期は後述す るように,宅地 とは考 え難 く,

敷地 の 一単位を「宅地」 とは せずに,「 区画」 と す る。Ⅲ

,Ⅳ

期は小規模 な宅地群 と考 え られ

,従

来か ら「何分之一町」 と呼びならわ してお り

,区

画 された小単位を「宅地」 とする。なお

,各

坪 を 東西

,南

北それぞれに三分 して説明するため

,各

1/4町を「区画」 と呼が こととする。

2)主

屋 と考 え られるSB1381はⅡ期になると

,同

位置で建 て 替 え られ,SB 1380になる。 SB 1380 は北庇付で北が正面の建物 と考え られ, したが っ

,SB1381も

北を正面 とする建物であった可能 性が高い。また

,後

述するように十三坪 と十四坪 との関連性が高いとすると

,十

四坪に面 した十三 坪の北側に区画への出入 口が必要 となろ う。

どすJ

(14)

1404・

SB1405)を

配 し

,そ

の西を 目隠 し塀

(SA1422)で

塞 ぐ。北辺の築地寄 りには

,東

西に倉 庫 と考 え られ る総柱建物 (SB1480・

SB1482)と

間仕切 りを もつ東西棟

(SB1476)が

並び

,そ

の南は東西塀 (SA1432・

SA1483)に

よって区画 される。そ して東西塀

(SA1432)の

東端に接 して南北に溝

(SD1412)が

北に流れ

,築

地塀は下を暗渠

(SX1489)に

よって排水する。 この溝 が この区画内における排水施設 と考 え られる。井戸の周囲は空閑地 とし

,南

には総柱建物

(SB 1331)と

小規模 な雑舎群 (SB1309。 SB1324・

SB1327)が

建つ。

 

この区画の坪境小路か らの導 入方法は

,遺

構 として明確な門遺構を検出していないため

,遺

構の上か らは引確なことは分か らない。そ こで建物の配置か ら門の位置を類推す ることにす る。 まず

この区画の正面は北向 きと考 え られ るので坪境小路に面 して門が開 くことが考 え られ る。 しか し主屋の正面 (北

)に

は建物があるため

,SB1381の

中軸線上に門の存在は考 え られず

主屋の正面 より東寄 り

,す

なわち十四坪 の南に開 く門

(SB1537)の

対面に考 えるのが妥当であろ う。

十三坪東半

 

この区画でも前述の区画 と同様に北辺に総柱建物倉庫 (SB 1471)を 建て

,そ

南を東西塀

(SA1465)で

区画す る。その南は発掘区の外になるため建物の構成は不明である。

十四坪

南辺の坪境小路 との境は

,東

西築地塀 (SA1528・

SA1540)に

よって区画 され る。そ して南 北築地塀

(SA1570)に

よって十四坪はさらに東西に

2分

され る。

十四坪西半 (以下

,十

四坪を東西に

2分

す る位置にある

SA1570も

しくは

SF1970を

境に十 四坪西半

,十

四坪東半 と呼ぶ。

)こ

の区画の南を画す る東西築地塀

(SA1540)に

門 (SB1537) が開 く。 この区画では築地塀のそばには建物が建たず

,南

に空地を とる。主屋はやや規模が小 さいものの東西棟

(SB1576)と

考 え られ

,そ

の東西に南北棟 SB1559。

SB1586が

建ち

,さ

ら に

SB1586の

西に東庇付の南北棟 と推定 され る

SB1588が

建 つ。主屋の北には総柱建物倉庫が 東西に

2棟

(SB1580・

SB1582)並

が。そして 区画の南辺には 門

(SB1537)の

脇に小規模建物

(SB 1543)が

建つ。

十四坪東半

 

この地区は東西溝

(SD1860)に

よって 南北 に

2分

される。

 

さらに 坪の北か ら 1/4ラ インで

,SD2045。 SD2082に

よって区画 され る。

まず

SD1860の

南の区画では

,北

寄 りに南庇を持 ち

,身

舎を桁行方向に

3部

屋に分かつ東西 棟

(SB1710)が

建 ち

,こ

の建物が この区画の中心建物 と考 え られ る。

SB1710の

北には東西に2 棟の南北棟 (SB1780・

SB1790)を

配す る。この

2棟

の南北棟 はいずれ も軸線が北で東に振れて いる。

SB1710を

囲む ように総柱建物倉庫群 (SB1625・ SB1609・ SB1680。

SB1820)が

建つ。

そ してそれ らの倉庫群の間に丼戸

(SE1700)が

ある。 この区画の南寄 りでは

SB1532と SB 1553が L字

形配置を とって建て られ る。

次に

SD1860の

北の区画では

十四坪の東か ら1/4の ライ ンを 境に 西 と東に 分け られ る。

1/4ラ インの西の区画には

4基

の井戸が比較的近接 して存在す る。 井戸 と井戸に関連する建物 や塀は同様の構成を とる南北

2つ

のグループに分け られ る。すなわち

,南

の グループでは東に

SE1867が ,西

には

SE1870が

ある。

SE1867の

東は

L字

形 の南北塀 SA2005。

SA2009に

よっ て画 され

,井

戸の北方には東西棟

(SB2011)が

建 ち

,南

北 の 日隠 し塀をはさんで 西に 東西棟

(SB 2064)が

建つ。以上のように ここでは

2基

の井戸を囲む ように塀・ 建物が計画された と考

′J7

(15)

SA203

︲ 8 7

# 殉             S

20

圏 弥 t

sB2 i

一 一 一 W       SA︲528

SB 1471

SX 1489

SD1412

一 SA︲483 西

一 坊 大 路

却 一

JJ

Fig。

77 1期

の遺構

(16)

え られ る。 また北 の グル ープでは

, 2基

の井戸 SE2019・

SE2070が

あ り

,そ

の東 を

L字

形 の南 北lS・

(SA2034)で

画 し

,北

に東西棟

SB2041西

に南北棟

(SB2075)を

配 してい る。

以上南北

2グ

ル ープの遺構 の東を画す る

2条

の南北塀

(SA2005,SA2034)の

東 には

,お

1)

3mの

空地 をへだてて幅の広 い

L字

形 の溝

(SK2001,SD2047)が

流れ る。 この溝 は

,坪

を 南北 に三分 す る位置 にあ る東西溝

(SD1860)の

北方約

1.5mで

東 に折 れ てお り

,南

北塀

(SA

2005。

SA2034)と SD1860間

L字

形 の通路 も考 え られ る。 この

L字

形溝 に よって画 され る東 の区画の北 は

,東

西塀

(SA2031)に

よって画 され

,L宇

形滞 にそ って

2棟

の南北棟 (SB2002・

SB2015)が

建 つ。

I期 の遺構

この時期の全体の区画構成は

, I期

を踏襲 し

,区

画内で建物の建て替えが行なわれる。

十三坪

十三坪西半

 

この区画では 主屋が建て 替 えられ

,建

物が 増 える。

I期

に中央に あった主屋

(SB1381)と

副屋

(SB1390)は

な くな り

,SB1381と

同位置に北庇をもつ大規模 な東西棟

(SB 1380)が

建て られる。

SB1380の

北では

SB1405が

存続 し

,そ

の対面に南北棟

(SB1395)が

建 つ。

SB1395は SB1405を

お よそ

SB1380の

中軸線でお りかえした位置に建て られてお り

2棟

の南北棟は

SB1380の

協殿的な構成を とる。北辺では

,総

柱建物

(SB1482)は

存続 し,

東の

SB1476は

総柱建物

(SB1477)に

建て替えられ

,南

を画 していた

SA1432は

東端で北に 折れ

SB1477の

東を区画する (SA1433)。

SB1405の

西では

I期

に南北に並んだ

2棟

の建物 (SB1404。

SB1482)が ,そ

れぞれ建て替 えられ

,建

て替えに ともない棟筋をそろえて南方にも

2棟

の南北棟を建て

,合

4棟

(SB1336。 SB1350・ SB1403・

SB1423)の

南北棟が棟筋を揃 え て建つ ことになる。その西の南北塀 も

SA1421に

建て替 えられる。南の建物群 もそれぞれ建て 替 え られ

,SB1330・

SB1313・

SB1325,SB1340が

新たに建つ。

十三坪東半

 

東の区画の北辺では

, I期

と変化はない。

十四坪

十四坪西半

 

この区画では建物の建て替えがお こなわれ

,建

物配置 も大 きく変わ る。主屋 と 考 えられる建物は東西棟か ら規模の大 きな南北棟

(SB1577)に

な り

,築

地塀

(SA1570)脇

の 南北棟

(SB1559)は

ほぼ同位置で建て替えられる (SB1562)。 北方の総柱建物は東西棟

(SB 1581)に

建て替 えられる。

 

ところで

この区画の建物構成が 南の十三坪 と 同様であるとす る

,SB1577は

主屋でな く

SB1577,SB1562が

脇殿的な建物 となる。そ して発掘区外の北に主 屋が建て られた とい う可能性 も考 えられる。 SB 1577の 西 と南には それぞれ

SB 1587と SB

1546が建て られ

,SA1528に

開 く門

(SB1537)の

脇にあった小規模建物

(SB1543)は ,ひ

とま わ り大 きな南北棟

(SB1539)に

建て替え られ る。

十四坪東半

 

この区画では十三坪西半や十四坪西半に くらべ建物の建て替 えは少ない。坪を 南北に三分す る位置にある東西滞

(SD1860)の

南ではあま り建て替えはみ られず

,主

(SB 1)本

来な らば

,SK2001を

SD2047の一部 とみな

   

坑状 (SK2001)に なった後であるので

,煩

雑には

して

,遺

構番号をつける必要はないが

,土

,漆    

なるが

,上

坑 としての独立 した遺構番号をつける 紙文書等の遺物が投棄 されたのは

,SD2047が

   

こととする。

/Jび

(17)

―― …― 一 一 ― ― 八 条 条 間 路 ―一 ― ―

SD20 SA

生 か

r ︲

日 姻 榊 判 日 日 日 リ

寸 H 五

︲ ョ

璽国

s耶

鳳  

SB 1537

SB︲553

醸 卸 掟

A

SA 1432

SB 1405 SB 1380

S E 1365暮

SB,325 □

Fig.78 

Ⅱ期の遺構

(18)

1710)の

北に総柱建物倉庫

(SB1810)が

建て られ

,総

柱建物

(SB1820)が

東西棟

(SB1830)に

建て替 えられるのみである。

SD1860の

北では井戸や建物の基本的な配置は変わ らず

,井

戸のつ くり替えと建物や塀の建 て替 えが行なわれる。 南の グループでは

2基

の井戸が ほぼ 同位置で それ ぞれ改修 され

(SE

1867・

SE1880),東

L字

形の南北塀 (SA2005・

2009)は SA1850に ,北

の東西棟

(SB20m)

は SB 2010に 建て替 えられ る。その西では 目隠 し塀 (SA 1927)を はさみ総柱建物 (SB 2065) が建て られる。そして南北のグループ間は

L字

形の塀 (SA2012・

SA2014)で

区画される。北 のグループでは東の井戸は改修 され るが

(SE2020),西

の井戸は改修 されずに存続する。井戸 の北方の東西棟

(SB2041)は SB2040に

建て替えられ

,SB2040の

西に南北塀

(SA2042)が

建 て られる。

十四坪の東か ら1/4の ラインの東にある

L宇

形の溝は

,南

半が廃絶 し

,南

北部分が大 きな土 坑状

(SK2001)と

なる。そ して

SB2002の

南に新たに大規模 な総柱建物

(SB1890)が

建て ら

れ る。

C Ⅲ期 の遺構

十三坪

この時期 は

, I期

・ Ⅱ期 とは様相が異な り

,十

三坪 の東西を二等分す る線上に南北道路

(SF 1320)が

通 る。 そ して この道路 の両側 には南北塀 が建 ち

,道

路 の東西 の宅地 を区画す る。北辺 の坪境小路 との境は

I期

に造 られた東西築地塀 が存続す る。 さらにその区画内を塀や溝 で分割

,宅

地 として い る。

十三坪西半

 

この区画におけ る宅地割 は

,方

形 の1/16町 もし くは東西に長 い1/32町 と考 え ら れ

,坪

内道路 との境は SA1355。

SA1430Aで

画 され る。宅地 を細分す る区画施設 としては十 三坪を北か ら四分す る東西塀 (SA1370・

SA1371)力

`あ り

この塀に よって東西に長い1/8町に 分割 され る。 この東西塀の北では 1/8町 宅地が

2つ

の南北塀 (SA 1399。

SA 1434)に

より方形 の1/16町宅地に細分 される。塀の南では宅地を細分す る粥確な区画施設の遺構は検出されてい ないが

,十

三坪の北か らお よそ3/8の ラインに位置す る東西溝

(SD1338)は

宅地を区画する溝 の可能性があろ う。 また宅地割は

,井

戸の配置か ら以下の ように推定 される。すなわちこの時 期 に新 た に つ く られ た井 戸 が

5基

(SE1305。 SE1315。 SE1335。 SE1375。

SE1385)あ

,そ

れ らの井 戸 を それ ぞれ 一 つ の宅地 に一 つ の井 戸 が つ く られ た もの と考 え る と

,東

西 塀 (SA1370・

SA1371)の

南では

,1/32町

宅地が

4区

画 となる。 また東西塀 (SA1370・

SA1371)の

】ヒでは方 形の1/16町宅地が

2区

画 となる。

つぎに

この推定にしたがって各宅地内の建物の構成をみると

,十

三坪西半東南の1/32町宅 地では東隅に丼戸

(SE1305)が

あ り

,SB1308と SB1328カ

`この宅地に属する。その】ヒの1/32 町宅地では中央東 よりに丼戸

(SE1365)が

あ り

,そ

の東を空閑地 とし

,そ

の北 と西に

3棟

の建 物 (SB1343・ SB1344。

SB1363)を

建てる。宅地への出入 日は宅地東面にあ り

,坪

内道路

(SF

1320)か

ら出入 りした もの と考 え られる。西南の

2つ

の1/32町宅地にはそれぞれ宅地の東南隅 に丼戸があ り

,そ

の近 くには建物は建たず宅地の西方に建 っているもの と考 え られ る。 しか し, これ らの宅地を1/32町宅地 とした場合

,出

入 口を宅地の西に想定す ると出入 口が西一坊大路に どJ∂

(19)

園 蜘

SB 1781 S E 1700

朝 和 国

SF 1970 S91563  sB

S B ︲ 田 5 8 5

SE 1555帯

SB 1554

S E

︲550

理 囲蜘

SA 1536        SE 1530

4

S F 2000

A︲434           399

      85 # S         B︲420

    SA︲

          SEl3

90

︲ 4 ︲ 5    S A︲430A・B  甥 ﹁︲︲

▲ 八

SA 1371 sB 1363だ

ST

SD 1338   s8 1344       G

̲□ 目 (  

SB,305 1

ぜ 浮 中 剤

 S81308    S

55 55

盟5 0 0

   

4 9 5

13191318

1387 1386 1486

Fig.79 Ⅲ期の遺構

r,9

参照

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