ス ギ
前頁註 5) 前 掲書。 査報告』 1972。
6 富本銭 について
井 戸
SE1555か
ら出上 した新種 の銅銭「 富本」は,す
でに述べ た よ うに,井
戸 の底面近 くか ら和 同開跡8点 ,高
年 通 賓1点 ,神
功 開賓2点
とともに出上 した ものであ る。出土状態 な どか ら,こ
の銭が奈 良時代 の銅銭 であ ることに疑 いの余地 はない。1)
「 富本」 銭 は また左京一 条三坊 の東三坊大路東側溝
SD650に
も出土例がある。 これ は,1969
年 に和 同開弥 か ら延 喜通費 にいた る11種
725点
にのぼ る皇朝銭 とともに出土 したが,腐
蝕 が進 み銭文 が不鮮 明なため,銭
種不 朔銭 として扱 っていた銭 であ る。今 回は「 富本」銭 との比較 に よ り,同
種 の銭 であ る ことを確認 した(Fig。 92)。 SD650は , 8世
紀初頭 に開削 され 10世 紀初 頭 まで機 能 した溝 で,「
富本」は9世
紀 を下 限 とす る この溝 の下層 か ら出上 した。この よ うに 今 回発見の「 富本」 は
,
平 城京 におけ る2例
目の 出土 であ り,
そ の鋳造時期 はSE1555の
廃絶 した奈 良時 代末以前 に求め る ことがで きる。い っぼ う
,古
泉 界 に は数種 の富本銭 が伝存 してお り,江
戸 時代 に盛 行 した絵銭 の一種 とみ る のが通説 にな ってい る。絵銭 は祝賀,賞
賜,戯
玩,装
飾,護
符,記
念 な ど多岐 にわ た る 目的 で 鋳造 した通貨以外 の銭 で,多
くの場合,吉
祥 旬や様 々な図柄 で飾 り,種
類 は2000種 以上 に及が といわれ る。絵銭 の起源 については,足
利義政 の六条銭 を晴 矢 とす る説,寛
永銭座 開設時 の祝 賀銭 を始 ま りとす る説,寛
文 10年(1670)の
古銭使用禁止令 を契機 とす る説 な どが あ るが,元
禄年 間以降 に盛行 した とい うのが通説 であ る。以上の よ うに今 回の発 見に よる知見 と古泉界 の 通説 との間には
,実
に900年
近 い岨齢 が生 じる。 これを どの よ うに考 えるべ きであ ろ うか。そ こで
,古
銭 界 に伝 存す る富本銭 を図譜類 か ら抽 出 し比較 してみ る と, Fig.92の
よ うに大3)
きく
2種
に分類す ることができる。挿図上段に示 した4点
の銭は,今
回の出土品 とは粥 らかに 型式を異にす る一群である。方孔が円孔に変化 し背面に上 り藤を配 した1,七
曜文が梅鉢文で 表現 された3・4,ま
た富の字体を異にする2な
ど,変
化に富み絵銭特有の新 しい要素がみ ら れ る。 これに対 して,今
回出土 と型式的に類似するのが,中
段 に示 した4点
である。実7//Jでの 比較ができないため,今
回出土銭 と同絶か どうかは断 じ難いが,銭
文,銭
容 ともに良 く似た一 群の銭 といえる。この種の「富本」は上段の銭に比べると数がはるかに少な く
,「
此銭贋物最め
多 シ
,真
正ノモノハ僅 カニ三品二過ギズ」 といわれ るほ どの稀少品 とされている。いずれ も銹 化が進み外輪が欠損す るなど,他
の絵銭にはみ られ嬢出土品特有 の特徴が共通す る。以上の ように
,
古泉界に伝わ る富本銭には大別 して2種
類あ り,
前者の富本は円孔,梅
鉢 文,上
藤 など江戸時代に盛行 した絵銭特有の特徴をそなえてお り,後
者の模鋳 と考 え られ る。したがって
,今
回の発見例を年代の確実 な定点 とする限 り,奈
良時代の「富本」が出土品 もし くは伝世品 として後世に伝わ り,稀
少銭の収集熱が高揚 した江戸時代に絵銭 として模作 される に至 った と推察できよう。絵銭の中に,和
同開弥や高年通資を模 した作品が数多 く存在す るこ ともそ うした推測を裏づける。 こうした新旧の富本銭を渾然視す る古泉界の中で,唯
―「其製1)奈
良国立文化財研究所『 平城官報告Ⅵ』1975,
P,101,PL。 101。2)小
)│1 浩『 日本貨幣 図史 10』1965。
/∂6
3)赤
坂一郎「 富本 鋳造 時代 のナ ゾ」『 絵銭』 3,1986。
4)今
井風 山軒『風 山軒泉話』1889。
図譜類 にみえる富本銭
昭和絵銭図譜
新 定 昭 和 泉 譜
平城京出土富本銭
絵 銭 譜
右京八条一方十四坪出土
東三坊大路東側濤出土
Fig,92
富本銭各種 (実大)古本卜
,
和同銭 卜無ニ ノ看 ア リ,(中
略)或
ハ富本ノ字義ハ,和
同銭司ノ 開鑢祝賀ノ銭ナル 乎」とした今井風山軒の説は
,祝
賀銭の当否は ともか く卓見 といえる。今回の「富本」の発見は
,従
来の貨幣史研究に一石を投 じるものであ り,奈
良時代に通貨以 外の銭が鋳造 された歴史的背景の解明が今後に残 された課題 となっている。わが国の貨幣制度1)前
頁註4)に
同じ。2)富
本の字義については,今
の所,そ
の出典,意
味を明 らかにしがたい。晉の魚褒の『銭神論』を 要約 した小葉 田淳氏は「富がすべての本源であ り,
貨幣が富の本体であるとい う所に
,銭
神論の核心 があるように解せ られる。」 と述べてお り(小棄 田淳「我邦貨幣 と厭勝的使用 との関係に就いての考察」『 日本 貨幣 流通史』1943)富 本の意味を考 える上できわめて示唆的である。 また大 と十の合 字である「本」は
,奈
良時代には広 く本の異体字 として使用 されているが,元
来は十人がけで進む ことの早 さを表わ してお り,富
本は富の蓄積がは や く進む ことを祈願する語句 とも考えられる。′∂″
導入の模範 となった中国には
,す
でに漢代か ら厭勝銭 (えん しょうせん 。ようしょうせん)と
よばれ る通貨以外の銭が存在する。厭勝銭 とは災禍を鎮め,福
をもた らすためにつ くられたま じない用の銭で,銭
文には吉祥句や呪句,霊
獣や神仙,星
斗など特殊 な字句や図柄を配 してお り,先
述 したわが国の絵銭 と一脈通 じた性格を もつ。古泉界には「富本」を中国の厭勝銭 とみ る説 もあるが,中
国か らの発見がない ところか ら,わ
が国独 自の銭 とみて よいだろ う。 また中 国の唐代には,誕
生を祝 して「洗児金銀銭」 とい う記念銭を私鋳するlle行
もみ られ る。中国のD
こうした厭勝銭や「洗児金銀銭」の慣行が,貨
幣制度の導入 と同時にわが国に将来 された こと は,唐
文化の模倣 。導入を至上 とした当時の情勢か らみて,充
分予測 しうる。現に「洗児金銀 銭」に類するものは,平
安後期か ら中世の史料に散見され る。 さらに貨幣の呪術的使用は2),本
遺跡出土の胞衣壷
SX1400や
地鎮め遺構SX1535に
代表 され るように平城京内に広 く認め られ るところである。 また,
天平宝字4(760)年
に高年通費 とともに 鋳銭 された金銭開基勝賓や 銀銭太平元賓を,通
貨 として流通 した形跡のないことか ら,厭
勝銭 とみる説 もあ り,昭
和12年(1937)に
開基勝賓 とともに出上 した賣行銀銭を含め,
奈良時代の貨幣の厭勝的使用を再検討 す る必要性がある う。1)『資治通鑑』唐紀
天宝十載正月条。
2)『 山椀記』『源平盛衰記』治承 2年
11月 12日
条 の 中宮御産事や,『 花園院御記』文保3年 4月21日 条の皇女御出産の記事などに,金
銭九十九文の使′ど∂
用がみえる。
3)原
三正「銭貨学史序説(八)」『古泉』26,1974。
4)末
永雅雄他「開基勝賓等出土地」F奈良市史 考古編』1968。
ドキュメント内
1 条坊遺構 と地 割
(ページ 46-49)