第一日
― 研 究 発 表 ―
量化詞を含む先行詞と関係代名詞の選択
甲南女子大学大学院生
高 橋 麻衣子
制限的関係代名詞 which, that, zeroは多くの場合に置換可能だが、次の例のように、先行詞 がevery, all等の量化詞によって強く限定された名詞句である場合には、whichよりもthat, zero が用いられることが圧倒的に多い。
一般的には、この頻度の差は、先行詞名詞句の指示性と関係代名詞の限定性との関連から 説明され、文法書によってはこの位置でのwh-の使用を不可としているものもある。
しかし、実際の使用においては wh-の例が全くないわけではない。様々な要因によって、
wh-が例外的に用いられることもある。これらの例外を、先行詞の性質、格、音韻、意味など の観点から分類、分析し、wh-とthatの使い分けに関する説明を試みる。
英語の “N of a N” 構文と名詞句の構造をめぐる一考察
高知大学助教授
田 中 宏 明
Abney (1987) らが「DP仮説」を提出して以来、名詞句の構造に関して非常に精緻な議論が
可能となり、活発な研究が続けられて来たのは周知の通りであるが、残念ながら未だ十分な 光の当てられていない現象も数多い。例えば、英語には “N of a N” 構文( “N of a N”
construction)と呼ばれる一連の表現がある。
a hell of a problem 大変な問題 an oyster of a man 寡黙な人 a shell of a man 心を閉ざした人
これらの表現で、 “N of a” の部分が、評価を表す叙述形容詞のような役割を果たしている。
本論ではこの “N of a N” 構文に焦点をあてその派生の仕組みを考察する。その際、
three kinds of book 3種類の本 *?本の3種類
two types of determiners 2タイプの決定詞 *?決定詞の2タイプ three families of analysis 3通りの分析 *?分析の3通り
や
a flood of relatives 大勢の親戚 *?親戚の大勢
a series of scandals 一連のスキャンダル ?スキャンダルの連続
a fine row of asters 一並びのアスター ?アスターの一並び
のような、「数量表現」名詞句との関連性にも言及しながら論を展開する。結論的には、 “N of
a N” 構文にも「数量表現」名詞句と同様な、DP内での繰り上げ現象がある事を示す。
デカルトとチョムスキー
広島工業大学助教授
荒 木 直 樹
デカルトは、この世界の現象を bodyとmindで説明しようとした。いわゆる「心身二元論」
である。ところがbodyと mindが相容れないものであることから、mind-body problemが生じ た。body と mind は如何にして相互に作用を及ぼすのかという問題である。この mind-body
problemは、今日に至るまで様々な説が出されているにもかかわらず、未だ解決されていない。
チョムスキーは、この mind-body problemに対してひとつの見方を提示している。それによ ると、ニュートン以後、bodyの概念が拡大し続け、言語の使用も含めた mindの現象はbody
(脳)の propertiesと考えられるという。
本発表では、先ずデカルトのmind-body problemの発端を、そして次にニュートンによる万 有引力の発見がもたらしたものを、さらに化学と物理学の統一という科学史の出来事を通し て、body の概念がどのように変遷してきたのかを、チョムスキーの説明に従って概観する。
そして最後に、チョムスキーのmind-body problemに対する考え方を検討し、この問題の本質 を明らかにしたい。
“THE GOSPEL ACCORDING TO MATTHEW” の動名詞と進行形表現
―THE ENGLISH HEXAPLAを資料として―
広島大学大学院生
石 小 軍
後期中英語と初期近代英語期に翻訳された六つのTHE NEW TESTAMENT (WICLIF (1380), TYDALE (1534), CRANMER (1539), GENEVA (1557), RHEIMS (1582), AUTHORISED (1611))に おける動名詞と進行形表現の例文を取り上げた。異なる時代の訳本によって、同じ文で Ing 形の動名詞または進行形を使っている場合とそうでない場合がある。本発表では、共時的な 面と通時的な面から、動名詞と進行形の発達を考察する。
動名詞は名詞的な動名詞と動詞的な動名詞の二つに分かれる。名詞的な動名詞は次の四つ に分かれる。①動詞の目的語である動名詞 ②前置詞の目的語である動名詞 ③主語である 動名詞 ④主格補語である動名詞 動詞的な動名詞は全て前置詞の後ろの位置にある。
①頻度 ②Ing形の名詞性または動詞性 ③Ing形の代用表現 ④語彙 ⑤語順
進行形は殆どすべて時間を表す従属節の中に現れる。この発達についても、①頻度、②Ing 形の代用表現、③語彙の面から調査する。
今後、MATTHEW以外の新約聖書にみられる動名詞と進行形の用法も扱う予定である。さ らに、総合的な視点から動名詞と進行形表現を調べるために、後期中英語と初期近代英語期 のほかの文献から、動詞的な動名詞の例文を収集して、その実態を把握したい。英語史の流 れの中で、動詞的な動名詞とPEでの進行形の発達、そして名詞的な動名詞の衰退、さらに、
三つの文法的な変化の間に何らかの関連性があるかどうかについても、みていきたい。
『パストン家書簡集』における CAN , MAY , MUST
広島大学大学院生
平 山 直 樹
Fischer(1992),およびRissanen(1999)によれば,法助動詞の機能は中英語期から初期近代英語
期にかけて発達してきている。15世紀に書かれた本書簡集においても,本動詞の本来的な意 味からモダリティの機能の発達過程が見られる。例えば,MAYは次に示すように,一方では 本動詞のように法助動詞と共に用いられて本来的意味を表し(a),他方では話者の主観的な 推量を表している(b)。(言い換え,および強調は筆者による。)
a. I suppose if ye lyke to bye itt when ye com hom ye shall mou (= have the power to) have itt of Toppis. (No. 140, l. 9)
b. [F]or her seying vntreuly of her-selff may (= possibly) hurt þe mater in no man but her-selff.
(No. 45. l. 16)
本発表では,本書簡集におけるCAN / COULD,MAY / MIGHT,MOTE / MUSTに着目し,
それらの文法化の度合いに関わる条件,および話者の主観性の度合いに関わる条件から,本 書簡集における法助動詞の意味特徴,およびその言語緊張を明らかにすることを目的とする。
その際,主語の人称や動詞の意味特性など命題内容に関する条件,法助動詞を含む節の上位 構造に関する条件,および話し手と聞き手の社会的関係や談話の組み立て方に関する条件に 着目する。
Jane Austen の否定表現について
―「Not +否定的な意味をもつ動詞」の場合―
広島大学大学院生
辰 本 英 子
本発表の目的は、Jane Austen (1775-1817)の否定表現である「Not +否定的な意味をもつ動詞」
に着目し、文脈を通してその表現が用いられる実態を考察することである。その際、Mansfield Park (1814), Emma (1816), Persuasion (1818)を言語資料とする。
Jane Austenの作品においては、強調表現や修辞疑問文等の言語表現を登場人物の性格付け
や心理描写などに反映させながら、普遍的な人間性を巧みに描き出すことに著しい特徴が見 られる。そのような言語表現が用いられる場合、その表現の周辺、すなわち文脈が、その表
現のもつ特徴、あるいはその効果を表す手掛りになると考えられる。「Not +否定的な意味を もつ動詞」においても、その前後関係からJane Austenらしい特徴が得られるのではないだろ うか。そのような否定表現が、どのような物語の場面において用いられているか、また、ど のような言語的な特徴が、その文脈において効果的に用いられているかについて調べながら、
上記のテクストからJane Austenにおける否定的な意味をもつ動詞の特徴を観察したい。
“The Diary of John Evelyn” における動詞の補文構造
広島大学大学院生
佐々木 朱 美
本発表では、17世紀の日記作家John Evelyn(1620−1706)の The Diary of John Evelyn, ed. E.
S. de Beer(Oxford Univ. Press, 2000)から収集した言語資料を、動詞の補文構造という観点か ら分類し、その特徴を観察する。
今回は特に、他動詞に対する補助部として機能する補文を考察の対象とする。現代英語で は多くの場合、動詞の種類によって、出現しやすい補文構造がある程度決まっている。同じ ような特徴が、文法についての徹底した規則がまだ完全に確立されていないため新旧の文法 構造が混在状態にあると言われる17世紀の英語にも見られるのだろうか。現代英語とだけ ではなく、同時代作家の用法との比較もしながら考察を行う。
『二人の貴公子』における恋の病:医者と患者の境界線の消失
大阪大学大学院生
三 浦 誉史加
ジョン・フレッチャ―とウィリアム・シェイクスピアの合作とされる『二人の貴公子』が 批評される際には、メイン/サブ・プロットが別個に論じられることが少なくない。両プロッ トのキャラクター達の交流は殆どなく、一見、サブ・プロットはメイン・プロットに何の影 響を与えないようにも見える。サブ・プロットの中心となる牢番の娘の狂気は男性に管理さ れ、既存の社会に抵抗する力を持たない。しかし、娘の狂気そのものの政治的力ではなく、
治療のプロセスや医者と彼女の関係性を検証し、それをメイン・プロットに照射したとき、
サブ・プロットはメインの周縁ではなく、劇全体を貫く問題を提起する土台となっている事 が分かる。医者と牢番の娘の関係性は、メイン・プロットでの医者としての男性の優越性を 浮き彫りにする。戦争では、マルスの代理人である医者としての男性が精神不調に苦しむ社 会・女性の治癒を行う。また、男性性と病を名づける医者の立場を確保するアーサイトに呼 応し、女性性・患者役をパラモンが引き受ける。しかし、病である性愛と戦争の比喩が混じ り合うことで、医者として擬人化された戦争が病と混同され、治療者である男性の優位性は 否定される。また、試合における貴公子達のアイデンティティの溶解は、医者と患者の区別 を不能にする。サブ・プロットの照射で読み込める医者と患者の境界線の消失を足がかりに、
同劇における家父長制の問題を考察して行きたい。
King Lear における権力譲渡の意味
関西大学大学院生
吉 村 征 洋
King Lear におけるLearの権力譲渡によって、Learの悲劇が始まったことに注目する。King
Lear は嵐の場面をきっかけに、Lear個人の物語から人類物語へと発展し、劇全体がuniversal
な世界へと展開している。劇の冒頭では、家庭内のいざこざ、local, individualな世界だった が、最後には全世界、全宇宙を巻き込んだuniversalな世界が見られる。この発展過程の中で、
Learが娘たちに権力譲渡したことに特に注目し、その結果、Learを悲劇的存在にしている意 味を考えたい。
権力と服従の関係とは何だろうか。アイヒマン実験を行ったStanley Milgramは「服従とは 人間にとって根深くしみこんだ行動傾向である」と言っている。Lear に従順だったはずの
Gonerill, Reganは、権力譲渡されると国王であったLearの命令に見向きもしない。これはLear
の権力に服従していたことに他ならない。一方で、権力に服従する二人と対照的に描かれて いるのが、Cordelia である。Milgramが言うように、権力に服従するのが人間心理だとしたら、
Cordelia の存在は何なのだろうか。この違いを比較し、Learが Gonerill, Reganに権力譲渡し
たことの意味を考察する。
Shakespeare における<剣>
関西大学大学院生
若 狭 智 子
Julius CaesarにおいてCaesarが殺害される時に用いられる剣は dagger だろうか、 sword だろうか。その殺害実行場面のト書きや台詞では、そのどちらであるかを明確にする言葉は なく、殺害直後にBrutusや Antonyはその剣を sword として口にする。しかし、有名な 演説場面において、その両者ともが口にする剣の名辞は dagger に変わる。またMacbeth では、王が殺される剣は、Duncan王の時は dagger である一方、Macbeth 自身が殺され
る時は sword である。 Dagger とは短い sword であると定義できるように、
その違いは剣の長短だけとも言えるが、一方 sword は神の持つ武器であり、王権や正義
を表し、 dagger は両性具有的な魔女や女神やヘカテの持ち物であり、裏切りや暗殺を表
すというように、その象徴的な意味は対照的である。Shakespeare は剣の長短だけではなく、
その象徴的意味を考慮し、剣に向かう時の登場人物たちの精神のあり方を表現するために
dagger と sword を注意深く使い分けていたと言える。本研究発表では、剣の文化的
意味を探ると共に、主にJulius CaesarとMacbethを取り上げ、登場人物が剣に向かう心構え や剣が彼らに及ぼす作用を考察して、作品全体を読み直したい。
Emma Woodhouse −成長を許されないヒロイン
−Female BildungsromanとしてのEmma−
神戸市外国語大学大学院生
小 川 早 苗
Austenの生きた18世紀後半から19世紀前半にかけては、中産階級の隆盛とともに淑女の
つとめを記したコンダクト・ブックやそれと連動した小説が女性たちの間で書かれ、また広 く読まれた。これらの中で問題となる女性の自己形成という論点は小説 Emma(1816)の中 心 的 問 題 で も あ る 。 小 説 の 初 め の 部 分 で The danger, however, was at present so unperceived….Sorrow came−a gentle sorrow−but not at all in the shape of any disagreeable
consciousness.”とあるように、欠点だらけの主人公Emmaの成長過程はその零落から始まって
いる。最終的に彼女の精神的指導者(mentor)であるMr. Knightleyと結婚しながらも、彼に隷属 する立場に陥ることなく同時に Hartfield の mistress としての地位も保持する主人公 Emma
Woodhouseは、多くのblunderを経験した後で果たして理想的な自己形成をなしえたといえる
のだろうか?
本発表ではEmma(1816)を自己形成という論点について、もう一人のmentorであるMr. John
Knightleyの役割などに触れながら、female bildungsromanの視点から考察してみたい。
Mansfield Park における “improvement” について
甲南女子大学大学院生
井 上 麻 美
Jane Austen(1775-1817)が作品の中で、フランス革命やナポレオン戦争といった歴史的事件 について直接言及することはあまりない。そのため彼女の作品世界は時代とは離れた所にあ ると見られることが多い。しかし、彼女が属した上層中産階級の風俗や慣習、さらに価値観 や行動様式といった、いわゆるマナーズに関しては、作品の中に色濃く反映されている。
本発表で扱うMansfield Park(1814)においてAustenは、当時の風潮を表していると思われる ある対立軸を描いている。それは、主に中産階級で信奉されていた「福音主義の道徳観」と「摂 政時代の流行」である。ヒロインFanny Priceは「福音主義的道徳観」を象徴する人物として、
そしてその対極にロンドンから来た青年で後にFannyに求婚する Henry Crawfordは「摂政時 代」を表す人物として描いていると見ることができる。ここでは、FannyとHenryの対立軸を 念頭におき、当時流行していた「改良(improvement)」について考察し、この作品における作者 の意図を探ってみたい。
『高慢と偏見』における家父長制社会批判
広島大学大学院生
大 林 章 子
ジェイン・オースティンの代表作とされる『高慢と偏見』(1813)は、ヒロイン、エリザベス・
ベネットが資産家であるダーシー氏と最初はお互いひどく反発するが、紆余曲折の末幸福な 結婚をするという物語である。この作品はオースティンが「明るすぎ、光りすぎ、輝きすぎ ている」と多少批判的に述べるほど明るく軽妙で、ヒロインであるエリザベスも「これまで 活字になった中でもっとも楽しい人物」と作者に評価されている。
しかしオースティンはこの一見平穏で幸せな物語に結婚が紳士階級の女性の死活問題であ ることや限嗣相続が女系家族に与える影響など当時の男性中心社会の問題点をさりげなく示 すことで当時の女性たちの哀しみや苦境をも密かに描いていると思われる。
そこで本発表ではこの作品に見られる夫婦、親子のあり方、女性のたしなみや教育、結婚 などから当時の女性たちのおかれていた立場を考察し、オースティンの家父長制社会への批 判を明るみにだしたいと思う。
Pride and Prejudice における諷刺
―Elizabeth Bennet の場合―
関西学院大学教授
森 藤 真 成
エリザベス・ベネットに対する諷刺とは、エリザベスの ‘“silly and ignorant”’ に対する諷刺 である。この「『(判断力なく)愚かで、無知な』」ことは、およそエリザベスの、receptacle のイメージに対する obtuseness に認められる。小説第一巻の Netherfield Park、同第二巻の
Rosings Park、同第三巻のPemberley訪問をエリザベスは果たすも、結局は、ただ行って帰っ
てきただけ、である。なぜなら、自称する通り、エリザベスは ‘“not a great reader”’ だからで ある。読者は、 ‘the inquisitive one [novel-reader]’ から ‘The intelligent novel-reader’ へ移行す ることによって、その3つの大邸宅に託された原作者ジェイン・オースティンの真意を洞察 し得るのだが、その移行をエリザベスに阻んでいるものがある。その正体は、エリザベスを 巡る ‘“interrupt”’、 ‘“interference”’ のイメージ群に見い出し得る。これらイメージ群の真意 に「『無知な』」せいで、その3大邸宅が「変貌している至聖所」の実相に観入し損なうので ある。 ‘the hidden charm in Baedeker’ を発見し得ないのは、その ‘“silly and ignorant”’ 又は
‘ignorance and folly’ のためである。
けれども、 ‘“a great reader”’ 即ち ‘The intelligent novel-reader’ を志すとき、 ‘know how to read―a rare accomplishment’ に達し、 ‘“silly and ignorant”’ な人々の棲む ‘quite another country’
に埋没することなく、此岸に居ながらにして、Other Kingdomたる彼岸に達し得て、salvation を 得る。
「詮索好きな小説読者」に加えて、「知的小説読者」たることも心掛けて、ストーリー上の エリザベスが、いかに結局は、 ‘a shy crab-like sideways movement’ の人物にすぎないか、を 実感して、自心の内に棲むエリザベス的 ‘“silly and ignorant”’ 、 ‘ignorant and illiterate’ を sublimate させてみよう。
A Sentimental Journey におけるアイルランド的なるもの
大阪市立大学大学院生
熊 懐 祐 樹
Laurence Sterne(1713-68)はアイルランド出身の小説家であるが、従来、英国人の作家とし
て論じられており、彼の作品におけるアイルランド性の問題については、本格的に論じられ ることはなかった。本論では、彼の作品に頻出するキーワードの一つである sentiment (あ
るいは sentimental )という言葉にはアイルランド性(又はケルト性)が反映しているとい
う作業仮説を提出し、そのことの妥当性を次のような角度から検討し、スターン文学の評価 に対するその意義を考察してみたい。
第一に、A Sentimental Journeyに代表される様々な著作に用いられている sentiment の用 例を個々の文脈の中で意味づけながら、その共通特徴を明らかにする。第二に、この概念の ソースとして従来指摘されているDavid Hume(1711-76)や J. J. Rousseau(1712-78)などの同時 代の思想家たちの sentiment 観と比較し、両者間の異同を再検討する。第三に、18世紀の 初頭から 19世にかけて英国とヨーロッパに擡頭した「ケルト復興運動」が生み出した様々な アイルランドをめぐる類型的な表象とスターンの sentiment 観を比較しながら両者の類似 性を論証する。
新しい感情の男―ウィリアム・ゴッドウィンの
『フリートウッド』における感受性と社会性
松山大学講師
細 川 美 苗
William Godwinの Fleetwood(『フリートウッド』)(1805)には、Henry Mackenzieの The Man of Feeling (1771)を必ず連想させるA New Man of Feelingという副題が添えられている。しかし マッケンジーの主人公とは対照的に、『フリートウッド』の同名の主人公は全く他人に共感せ ず、自分の感情のみに浸りきった人物であり、その副題と物語内容の関係は当時厳しく批判 された。例えば『フリートウッド』出版年のAnti-Jacobin Review and Magazineは「ゴドウィ ン氏はこの意見を酷評だと感ずるかもしれないが、我々は彼の本の表題には反感を持たざる を得ない。」としている。当時の感傷的な主人公の規範から、フリートウッドがはなはだ逸脱 していたことは疑いようもない。現代でも当小説の解釈は定まらず、Gary Kellyは当小説をゴ ドウィンがジャコバン小説を脱しロマン派的傾向を示す好例と評価している。一方 B. J.
Tysdahl は当小説の主人公の少年期が、ロマン派作家によって描かれるものと対照的であると
論じている。また、Gary Handwerkは当小説を、ルソーの掲げる教育論への反論と解釈してい る。以上のことを考慮に入れ、ゴドウィンの作家としての発展と併せて、『フリートウッド』
において彼が何を目論んでいたのかを考える。
J. S. Le Fanu, “Green Tea” における語りとアイロニー
島根県立島根女子短期大学講師
竹 森 徹 士
“Green Tea” は、Le Fanu晩年の短編集In a Glass Darkly (1872)に収められた作品で、牧師
Jennings が、緑茶の飲みすぎによって引き起こされたという猿の幻覚につきまとわれ、その
挙句に自殺に至ってしまう奇怪な物語である。だが注目すべきは、奇怪な物語のみならず、
語りの構造にもある。この作品は複数のキャラクターによる複数のレベルの語りで構成され ている。すなわち、猿の幻覚は体験者である牧師Jennings により語られ、その物語を含む、
Jennings が幻覚に追い詰められた挙句に自殺に至るまでの事件の顛末は、知人である医師
Hesseliusによって友人宛の手紙のなかで語られる。さらに、その手紙は、Hesseliusの助手で
あり、手紙の翻訳者である「私」の解説を経て読者に提示されている。それではこうした語 りの構造は物語にどのような役割を果たしているのだろうか。
本発表では、Hesseliusの行動およびその語りに注目し、Hesseliusにみられる執拗かつ強引 とも思われる事件の因果関係の設定、医者としての眼差しのあり方を探りつつ、Le Fanuがそ れらをアイロニカルに描き出しながら物語に取り込むことで物語における恐怖の効果を高め ていることを明らかにしたい。
禅とカーライル――悟りの境地
―Zen Buddhism and Carlyle in Self-Enlightenment―
倉敷芸術科学大学非常勤講師
松 藤 亨
禅はその起源を直接に仏教の開祖である釈迦牟尼に遡る。悟りの体験の後、釈迦は仏陀(覚 者)の称号を受けた。禅の流派は本質的にはこの仏の姿に結びつく。弟子達は悟りの普遍性 を象徴する 高められた者 としてこの仏の姿の中に悟りの成就を見出すのである。禅は仏 の悟りを突然の恍惚的開明として捉え、物事をそれが存在の現実としてあるがままにその真 相を見通すのである。そして瞑想と自己開明を通して絶対調和の秘境に達し個人を裸にして 自己自身に立ち返らせ、自己の中に隠された真理を希求せしめ、実体なき執着を絶たしめる のである。
Teufelsdröckh(カーライルの反映)の人間的巡礼の足跡を辿ってゆくと、彼が如何に霊的飢
渇の中を彷徨い、痛ましき感情に耐え、如何に危うくキリスト教の余光(After-Shine of
Christianity)によって自殺を免れたかを見る事ができる。 優しき天の力 の下に 深き癒し
の眠り を得て、彼は今や突然新しき世界と霊的覚醒に目覚めて 永遠の否定 を克服し、
無関心の中心 を経て、遂に 永遠の肯定 に辿り着くのである。この事は霊的優越をも つ自由の子、また神の子としての自覚と自己実現の悟りの境地への到達でもある。この様に カーライルは禅の自己覚醒、悟りにも似た霊的体験をしたと思われる。
『ヴィレット』における調和と不調和
広島大学大学院生
山 村 優 子
シャーロット・ブロンテの作品といえば、『ジェーン・エア』(1847)がよく知られている。
『屋根裏の狂女』(1979)の出版以来、フェミニズム批評の観点から多くの論考が彼女の作品 に対してなされてきた。
この発表では、完成度に関しては『ジェーン・エア』より高いと言われる彼女の最後の作 品『ヴィレット』(1853)を扱う。前者が幸福の実現の物語であるのに対し、後者は喪失によ る悲しみの物語である。主人公ルーシー・スノウは運命に見放されていると感じながらも、
自力で生きようと懸命に働き、国や宗教などの障害を乗り越えて愛を勝ち得、何度も挫折し てはより強く成長し、希望の存在を信じるようになっていった。そしてそれゆえに結末の喪 失感は読者により強烈な印象を与えることになる。主人公が他の登場人物と関係を結んでい くさまは、まるで蜘蛛が網をはっていくように思える。他人を愛し、愛され、欠点を補い合 い、調和した世界が築かれかけていったのに、その蜘蛛の巣は嵐により壊され、ルーシーは 孤独な生涯を送ったことが暗示されている。この調和しかけていた世界への亀裂そのものが、
作品の芸術性と深く関係しており、逆に魅力を与える源であると考えられる。よって、発表 ではこの作品世界の調和と不調和に注目し、シャーロットの芸術への分析を試みる。
Thomas Hardy の “To Please His Wife” における irony の意味
―――Joanna とEmilyの結婚生活を中心に―――
広島女学院大学大学院特別研究生
信 岡 良 奈
Thomas Hardy(1840-1928)は、短編集 Life’s Little Ironies(1894)に収録された “To Please His
Wife”(1891)の中で、数年ぶりの航海から故郷Havenpool Townに帰還した船乗りShadrachと、
彼をめぐる二人の女性JoannaとEmilyの関係、またそこから派生した2組の夫婦Shadrachと
Joanna、および年の離れた男やもめの豪商LesterとEmilyの結婚生活を対照的に描いている。
タイトル “To Please His Wife” に示される ‘wife’ とは、Shadrachの妻Joannaを意味し、彼 女は野心と虚栄心の強い女性として描写されている。Shadrach との結婚生活におけるJoanna の欲求不満は、絶えず、Emilyの富裕な生活への嫉妬、また彼女の生活レベルとの差異への悲 観から生じたもので、Joanna の幸福の基準は、終始ライバル視する Emilyの生活である。し かし作品の最後では、グリム童話の “The Fisherman and His Wife” を思わせるアイロニカルな 終焉を迎えることになる。本発表では、Joannaと Emilyに焦点をあて、「女性」と「結婚」に ついて考察し、作品を展開する主題について検討する。
〈表象世界〉としての Nethermere
−The White Peacock に見るLawrenceの形而上学の萌芽−
関西大学大学院生
鳥 飼 真 人
D. H. Lawrenceにとって「芸術さえも完全にそれに依拠するもの」である形而上学は、処女
小説『白孔雀』を著す時点ではまだ確固たる存在を示していないという見解は少なくない。
しかしこの頃のLawrenceは既に形而上学に非常に関心を持っており、この小説にはLawrence の形而上学の萌芽さえ見られる。そこで本論ではまず、この小説の第2稿が第1稿から大幅 に書き直された時期が、LawrenceがA. Schopenhauerの形而上学に傾倒し始める時期と重なる という事実に着目し、その頃Lawrence自身が大いに感銘を受けたSchopenhauerのエッセイ「性 愛の形而上学」において展開される形而上学が、『白孔雀』の第2稿で初めて登場する森番の
Annable の思想や言動にいかなる影響を与えているかを考察する。
そしてその Annable の形而上学的性質が明らかにされることによって、この小説の舞台で
あるNethermereは、そこに住む主要人物によって〈表象〉としての世界へと変化する。この
ことによって、人物達がNethermereから外の現実社会へと旅立ち、地位・名誉・義務といっ た現世的で社会的な幸福を追求するまさに “the white peacock” として生きていく必然性をよ り明確に説明できることを示し、Nethermereとしてではなく、The White Peacockとして成立 するこの物語構造は、その中で機能する形而上学をして初めて可能となることを例証する。
『ノストローモ』の文体分析:
ノストローモの人物造形に見られる ‘Empathy’ の様式とその効果
高松工業高等専門学校講師
寺 西 雅 之
『ノストローモ』は、いわゆる「モダニズム」の影響の強い作品と見なされる。実際、前モ ダニズムの特徴である年代順の語りの解体や、ミッチェル等登場人物を「埋め込まれた」語 り手もしくは視点人物として用いた語りの様式は、モダニズム小説の特徴である「真実の捉 え難さ」を描出していると考えられる。その一方、例えば登場人物の一人であるマーローが 語り手として全面的に仲介し、その視点が著者及び他の複数の登場人物の視点と融合する『ロ ード・ジム』等、コンラッドの他の小説と比較した場合、『ノストローモ』は「全知の語り手」
が語り全体を総括するという点で異彩を放っている。したがってこの小説を絶対者としての ナレーターが外的客観描写と登場人物の内面描写を担う前モダニズム小説の延長と評する批 評家も少なくない。
以上の批評の流れを踏まえ、本発表ではノストローモの人物造形に関わる話法及び思考の 様式を分析し、この小説の「モダニズム小説」としての側面と「前モダニズム小説」として の側面を文体面より考察する。特に、自由間接話法等ナレーターの ‘Empathy’ を表す技法の 多用がこの小説に与える効果を詳細に分析する。分析結果より、(1)ノストローモの人物造 形は極めてポリフォニックな形でなされているが、(2)人間性一般に対する懐疑的な見解は 極めてモノロジックに提示されている、という2点を明らかにしたい。
The Artist of the Beautiful ―理想と現実に関する考察―
日本大学大学院生
廣 瀬 真 人
Nathaniel Hawthorneの短編 The Artist of the Beautiful (1844)に関して考察する。この作品 は時計職人である主人公Owen Warlandが抱く「美に関する理想の自己実現」がテーマとなっ ており、主人公の人物像は我々が創造し得るような一般的な芸術家像とは大きく異なってい る。
一般的な芸術家というのは、社会との関わりを保持し、作品を通じて社会に何らかのメッ セージを送る風潮があると考えられる。しかし、主人公Owen Warlandは全く異なっている。
彼が生み出す芸術作品は自分の能力を示すことだけを目論んだ自己満足的なものであり、自 分だけが満足できる芸術作品なのである。彼は社会から隔離された理想主義者として描かれ、
他の登場人物は社会の現実を重視する存在として描かれている。この作品の主人公のように 理想を追求する人物はHawthorneの The Birth-mark (1843)や Rappaccini's Daughter (1844) 等の短編でも見受けられる。これら二作品では理想の追求が悲劇的結末を導く。しかし、こ
の作品のOwen Warlandは理想を実現し、その結果から満足しうる何かを得る、という点で異
なる。この発表では理想と現実という観点から、 The Artist of the Beautiful を論じ、Owen
Warlandという人物を描いたHawthorneの意図を社会的な観点から読み取り、類似点のある他
の短編作品と比較検討を行う。
ポー短編小説の心理的背景
近畿大学非常勤講師
伏 原 玲 子
D.H.ロレンスは、文豪エドガー・アラン・ポーを評して「彼の関心の的は、自分自身の精 神的崩壊過程に限られている」と述べ、「自分自身を脱ぎ捨て、身をよじるような分解作業を 続け、おのれの魂をその元素にまで煮つめていく宿命を負わされていた」と分析している。
ポーの短編小説の中から、雑誌の懸賞小説に応募して当選した『瓶の中の手記』(1833)、
『楕円形の肖像』(1842)を対比させながら、ポーの精神的崩壊の背景を探ってみたい。ここ に取り上げた短編小説は、前者がアラベスク、後者がグロテスクと分類され、内容的にも冒 険小説と怪奇小説という相反する短編小説であるが、各小説の中に潜む心理的背景を追求し たい。
ポーは、繊細な精神の持ち主で、苦悩を飲酒で紛らわそうとした。しかし、そのことが結 果的に彼の命を縮める原因となった。天才的作家ポーと、単なる酒乱のポーという2つの人 格を持つ心の葛藤は、次第に彼の心身を破壊しようとしていた。かつて、彼を診察した主治 医のカルテから彼が精神的な障害を持っていたとの事実が明らかになっている。
彼の屈折した人生の中から、精神的崩壊に繋がる要素を探し出し、作家の苦悩に満ちた半 生の検証を試みたい。
Lafcadio Hearn と「妣
ははの国」
梅光学院大学大学院生
山 縣 仁 美
ラフカディオ・ハーンが生涯つづけた西への旅は、四歳で離別した黒髪の生母の面影を追 慕するものであった。幼時に受けたこのトラウマを癒す道は、虚構の世界で、ハーン自身を 体現する主人公が魂を通わす「妣(死んだ母)の国」(あるいは「常世の国」)の構築であっ た。ハーンが英語版で読んだ『古事記』に登場するこの「妣の国」は、遥か西の彼方の海上 か海底にあって、現世とつながっており、ハーンが多感な少年時代を過ごしたアイルランド では、ゲ―ル語(ケルト語)でティル・ナ・ノーグと呼ばれる「常若の国」がこれに相当す る。古代日本人もケルト系アイルランド人も、海に囲まれた島に生まれ住んだために、海を 母なるものと見て、海の彼方、西方の「常世の国」や「常若の国」など「女人の国」すなわ ち「妣の国」に赴くことを母胎回帰とみなした。ハーンは、島根県の潜戸を訪れた時、この ような感慨に耽り、明治24年、死者の魂が帰っていくという旧暦7月16日の明方、日本 海辺の寒村浜村の温泉宿で、出雲の黒髪幽霊女が歌うケルトの子守唄を夢の中で聞く。
本発表では、ハーンの再話文学を中心に取り上げ、原話との対比も試みながら、みずから の母性喪失体験にもとづく原郷願望について分析する。
D.H.ロレンスの「地霊」とハーンの世界
岡山大学・島根大学・ノートルダム清心女子大学・吉備国際大学非常勤講師
伊野家 伸 一
ロレンスは The Spirit of Place Studies in Classic American Literature において、「世界の各々 の土地はそこに固有の Spirit を有しているのであり、そうした場所と人間の内面の最深部と の結びつきこそが重要であり、活気あふれる故国にいる時、宗教的信念による深い内面の声 に従っている時、自分の最も奥深いところの自己がところのものを為す時、初めて自由にな るのだ」との旨を述べている。ここには、旅に生きたロレンスなればこそ、その地固有の「
霊気」とでもいうべきものを感じ取っていった姿が見受けられようか。
そしてハーンもまた、フランシス・キングの指摘するように、その生涯を旅の中におき、
世界各地を流離うなかで、想像力をかきたてていった面とともに、その地の「霊気」や「魂」
と結びついたものに意識を向け、そうした現象や存在に価値を見出そうとしているところが あるように思われる。また、「宗教的信念による深い内面の声」、「場所と人間の最深部との結 びつき」等もハーンの世界の重要な要素と捉えられよう。
今回は先のロレンスの視点を検討してみるとともに、ハーンの Glimpses of Unfamiliar Japan、
Kokoro、Kwaidan、Japan An Attempt at Interpretation 等をみるならば、いかなる面がみえてく るかの試みを行ってみることにしたい。
La Cuisine Creole
ラフカディオ・ハーンのクレオール料理本 〜ハーンと「食」〜
日本アイルランド協会
松 村 有 美
ハーンは La Cuisine Creoleという料理本で膨大な数のレシピのメモを残した。その本の中
の総レシピ数は 731にものぼる。ハーンはなぜ、クレオール料理に惹かれたのであろうか?
様々な文化の融合の賜物であるクレオール料理は、後に渡った日本に住む日本人の性格と良 く似ている。パーシバル・ローウェルは日本の文化を「接木文化」と称したが、クレオール 料理は、その精神に似ている。厳しい新大陸で移民たちは生き残るために、それぞれの国か ら持ち寄った料理法などをうまく取りいれたのである。その移民たちの足跡というのは、ハ ーンのレシピ本のなかにも料理名からして見て取れることが出来る。レシピの料理名の中に 国名がついているものもあって、メニューだけでもレシピのルーツの多様さを容易に創造す ることが出来る。ハーンの「食」に対する思いというのは、書簡や作品の中に垣間見ること ができる。料理本、クイビールへの書簡、5 セント屋、コートニー夫人、松江での食事、セ ツ夫人、好物のクリスマスプティング、食べ物が出てくる作品などを順に見ながらハーンと
「食」について見ていきたい。ハーンはアメリカ時代、食うや食わずの生活を経験したから こそ、食にこだわるのかもしれないが、それだけではなく、ハーンの食に対するしっかりと した考えがあることも頭にいれておかなくてはならない。
仏文学と国文学の橋渡しとしてのラフカディオ・ハーンの役割
――ゴーティエ・ハーン・芥川の流れを例として――
大妻女子大学教授
松 村 恒
ラフカディオ・ハーンの文筆活動の初期段階では翻訳が相当の位置を占めていた。これは 先行する文学者の作品を吸収すると同時にまた文章修行の意味もあり、東京帝大にあっても 文人を志す学生達には翻訳を勧めていた。アメリカ時代の文学評論を見ると世界の文学に幅 広く眼を配っていたが、実際の翻訳活動はフランス語から英語へといったものに限られる。
フランス文学以外の作品も扱ったことはあったが、フランス語訳からの重訳であった。その 替わりフランス語からの翻訳には相当の自信があったらしく、先行するフランス文学の英語 訳本に対する批評には辛辣な言葉を投げ掛けることが多かった。英語圏におけるフランス文 学の翻訳書の中でのハーンの位置については十分な研究がなされてはいないようであるが、
日本におけるそれはそれよりも評価が容易である。
近代日本の外国文学は英語が主流で、非英語文学の将来には英語が介在することがしばし ばであった。フランス文学もその例外ではなく、ハーンの英訳が果たした役割は大きい。芥 川龍之介もハーンの英語訳から重訳したことがあるが、これは単にフランス語ができないの で英語に頼ったというばかりでなく、ハーンの訳業に相当の関心を寄せていたこともあった ようである。この事情をゴーティエ「クラリモンド」を例にして探り、また芥川の初期の文 筆活動における翻訳の意義にも言及したい。
第二日
― シンポジアム ―
読者が成長させたサリンジャー
(司会)広島大学
新 田 玲 子
J・D・サリンジャーの最後の公表作、「ハプワース 16日、1924年」 (1964年)からすでに 四十年が経過した。しかし、彼の収録作品は今なお、英語でも翻訳でも簡単に入手できる。
文学作品の出版が難しいなか、彼の作品がこのような人気を保ち続けているのはなぜなのか。
サリンジャーの代表作『ライ麦畑でつかまえて』の場合、日本では長く、白水社の野崎孝 訳が親しまれてきた。しかし、2003年には、同社から『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と いうタイトルで村上春樹訳が出、野崎訳もそれに平行して売れているという。このことは、
1960 年代的な「鬱屈する若い男の子が反抗しているような、乱暴な感じ」(『文學界』2003
年6月、295)を全面に打ち出し、ウォーレン・フレンチが指摘しているような、「素敵」と「イ
ンチキ」の対立を明確に意識させる野崎訳に対し、「対立の構図に解消するんじゃなくて、む しろ、自分の内面に抱えているどうしようもない葛藤を抉り出していく方向で読み解いてい る」(『文學界』2003年 6月、295)、新たな村上解釈が受け入れられたからに違いない。言い 換えれば、サリンジャーの作品は書かれた時代を映す鏡であるだけでなく、それぞれの時代 の新しい解釈を受け留めるだけの幅や柔軟性を持って変化しているのである。
そこで今回のシンポジウムでは、新しい時代の読者がサリンジャー作品にどのような新し い視点や解釈をもたらしうるのかという観点から、新しい時代のサリンジャーについて議論 したい。
1.サリンジャーと東洋思想
(講師)広島大学
新 田 玲 子
サリンジャーの東洋思想への傾倒は、娘マーガレットによる回想録の中でも、またイアン・
ハミルトンによる伝記の中でも、明確に言及されている。そして、安藤正瑛やジェームズ・
ランドクィストらのように、東洋思想の解釈を導入してサリンジャーを理解する批評家も少 なくない。
この場合、しばしば注目されるのは、ヴェーダーンタ哲学に由来する一元論で、西洋的二 元論との対比から、サリンジャーの東洋思想への傾倒を西洋的物質主義社会への批判と捉え ることが多い。しかし、西洋にも二元論を克服しようとする動きは存在する。その試みは、
1970年代以降、ポストモダン思想家によってより明白な形で展開されるのだが、サリンジャ ーが東洋思想に求めたものを、このような新しい思想の先取りとして読むことは充分に可能 である。
さらに、サリンジャーの東洋思想は極めて浅薄なものなのだが、その点を認め、彼の東洋 思想が西洋思想の枠組みで発展してきた内容を効果的に表現する道具として利用されただけ と考えるなら、1950年代に花盛りとなる東洋思想の兆しをいち早く察知し、それを時代ファ ッションとして作品化した彼の才能のすさまじさが実感できる。サリンジャーは本来、『スト ーリー』誌や『サタデー・イーヴニング・ポスト』誌など、通俗雑誌から出発した作家であ り、時代感覚の鋭さに定評があったのだが、読者を無視した難しい議論を展開しているよう に見える『ライ麦畑でつかまえて』以後の作品でも、その才能は生き続けているのである。
2.サリンジャーとロスト・ジェネレーション
(講師)愛媛大学
天 野 雅 文
第二次世界大戦でサリンジャーはノルマンディー上陸作戦に参加し、ヨーロッパ戦線を経 験した。大戦中にパリでヘミングウェイを訪ね、その後も手紙の交換をした。ロスト・ジェ ネレーション作家ヘミングウェイから高い評価を得たにもかかわらず、『武器よさらば』を『ラ イ麦畑でつかまえて』の中で痛烈に批判した。激戦地での戦争体験によって心身を病んだサ リンジャーは、戦場で展開されるロマンチック・ラブのヒーローやヒロインを受け入れるこ とができなかったのである。
サリンジャー自身も新しい時代のロスト・ジェネレーション作家であった。ヘミングウェ イのようにハード・ボイルドな作品ではなく、デリケートで自意識過剰なアンチ・ヒーロー を作品に登場させた。大戦後の豊かなアメリカ社会に溶け込めない復員兵は、自己を極端に 矮小化する生き方を選んだ。
大人たちの権威に対して物言えぬ世代と化した若者たちから共感を得たサリンジャーでは あったが、自己の殻に閉じこもってノスタルジアに浸りながら自分の若かりし頃の若者の群 像を描き続けた。彼は、その短い執筆活動によって、読者に二つのメッセージを残して、突 然、頑固な隠遁生活に逃げ込んだ。先ず、いつの時代にも人生の方向性を見出せないで逡巡 するロスト・ジェネレーションは存在すること,そして次に、作品中のアイデンティティを見 つけ出せない青年像が読者の心の中で新しい作家像を育てるはずだということである。
ホールデンやフラニーを取り巻く若者たちに注目しながら、彼らによって触発される新し いロスト・ジェネレーションを模索し、さらに我々の心に映るサリンジャーの遅い成長の足 取りを検証してみたい。
3.サリンジャーと戦争表象
(講師)広島大学
的 場 いづみ
サリンジャーは、ある意味、戦争に拘泥し続けた小説家と言える。しかし、その拘泥は一 見分かりにくい。そうした分かりにくさは、第二次大戦中、軍に志願し、ヨーロッパでの戦
の姿勢に一因があるだろう。さらに、1940年代前半に発表された短篇では、戦争あるいは兵 士は明白に主題化されているものの、後に発表されたグラス家の物語や『キャッチャー・イ ン・ザ・ライ』といった代表作では戦争経験者を抱える家族の物語へと軸が転換されており、
戦争という主題はより深く沈潜する。そのため、これら代表作の読者にとっては、サリンジ ャーの戦争に対する拘泥が一層見えにくくなっている。とは言え、ホールデンの兄D.B.を〈戦 争経験者>と設定することにサリンジャーが殊に執着したのは、『キャッチャー・イン・ザ・
ライ』におけるコールフィールド家の家族構成と初期短篇に登場するコールフィールド家の それとを比較すると明らかである。
このように戦争に対する拘泥が屈折し、見えにくいせいか、第二次大戦表象の文脈でサリ ンジャーが論じられることはあまりない。しかし、ヴェトナム戦争表象の流れ―特に 1980年 代以降の流れ―からサリンジャーの戦争表象を振り返った場合、そこに奇妙な符合が存在す るように思われる。そこで、今回は、80年代以降のヴェトナム戦争表象に特徴的ないくつか の観点から、サリンジャーの戦争表象を再読してみたい。
4.サリンジャーと現代文学
(講師)東京大学
柴 田 元 幸
いつの世でも「80 年代のサリンジャー」「90 年代の『ライ麦畑』」といったように、めぼし い少年小説・青春小説がアメリカで出るたび、サリンジャーとの――特にThe Catcher in the Ryeとの――つながりが云々されてきたように思う。Jay McInerney, Bright Lights, Big City の ようにいかにもCatcher との比較を誘っているような作品はもちろん、Jeffrey Eugenides, The Virgin Suicides のような一見 Catcher とはあまり似ていない作品まで(しかも John Banville のようなシリアスな読み手によって) “a Catcher in the Rye for the Nineties” などと評されたり しているのである。Catcher はいわば現代青春小説の原点(原典)のように捉えられてきたわ けである。そのようにサリンジャーと比較されたり、あるいは作品中で直接サリンジャーに 言及している作品が、実際にサリンジャー作品とどのように似ていて、どのように違ってい るのかを吟味することを通して、サリンジャー理解に何かがつけ加えられればと思っている。