• 検索結果がありません。

労働委員会とその判定姿勢についての一考察

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "労働委員会とその判定姿勢についての一考察"

Copied!
31
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)滝. 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. はじめに. 沢. 仁. 唱. 労働委員会制度が発足して二〇年あまりすぎた︒この間︑さまざまな批判をあびながらも︑この制度は存続してい. る︒特に準司法的権限という特異な機能について考察するとき︑それが単純に労働組合法ならびに労働委員会規則等. に明記されており︑不当労働行為について﹁司法﹂的な判定を下すというのでは︑答にはならない︒制定法にいかに. もっともらしいことが規定されていても︑実際の運用面でその規定の趣旨が無視されているのでは︑その法は現実社. 会において︑何らの機能をもはたしているとはいいえない︒そして︑労働法が︑現在の資本主義社会において︑資本. 家側の一定の譲歩の上になりたっていることを考えれば︑その運用がどのようになされているかは︑法の社会的機能. をみきわめようとする者にとって︑最大の関心事でもある︒本考察はおおむねこういった観点から発した疑問につい て︑若干の検討を加えようとするものにほかならない︒. 三四九.

(2) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三五〇. 不当労働行為制度を考えるばあい︑最も重要視される点は︑一にも二にも公益委員の不当労働行為に対する判定の. 姿勢である︒なぜならば︑彼らの判定いかんによって︑労働者の運命や労働組合と資本家との闘争能力などに対する. 影響が格段に違ってくるからである︒そして︑労働者の解雇が正当であると認められれば︑彼および家族の生活は危機. に瀕する︒このように労働者の死活を制する︵資本家が負けても︑たかだか自己の好まない組合活動家や団結活動の. 存在を受忍するにすぎないのとは決定的に違うのである︶ことになる公益委員の不当労働行為に対する判定姿勢につ. いて︑彼らがどのような不当労働行為概念にたち︑労働者に対してどのような意識をもっているかを探ることはきわ ︵1︶. めて重要である︒その際︑なによりも大切なことは︑労働委員会を構成する人々の一定の見解を検討・分析すること. であろう︒その見解を検討・分析する方法として︑私は労働委員会の不当労働行為事件命令集の個々の命令のうち︑. とりわけ具体的に政治権力に対応する公益委員の姿勢が最も表面化するとみられるレツド・︒ハージや米軍による﹁保 ︵2︶ 安﹂解雇事件の命令に焦点をおき︑問題点ごとの系列化︑およびその分析をはかってみた︒資料収集の結果は︑初審. 事件一五一件︑再審事件四四件︑参考事件が初審・再審各三件となり︑これは命令集に掲載されている事件数のおよ. そ一割強にあたっている︒そして︑任意の資料抽出ではなく︑一定の標準をもった資料収集であることを考えれば一 応の信頼性はあるはずである︒. ︵1︶ 不当労働行為事件命令集による資料収集の方法のうちで︑最も信頼度の高い方法は︑全事件の精読と問題点ごとの系列化お. よびその分析である︒私はこのように考えて一九四九年の命令集を調べだした︒しかし︑独自に要旨を記し問題点を系列化し. ようとしたが︑一九五〇年以降の命令集にあたりだして︑それは時間的にほとんど不可能であることを悟った︵一九四九年か.

(3) ら六九年までを調査対象年次としたが︑その間の命令集に掲載されてある命令・決定は初審・再審あわせて一︑七七三件あ. る︶︒そして︑それと並んで間題点の系列化が膨大なものとなり︑視点がぽけてしまうという危険を感じた︒解決策のないま. ま︑何かのきっかけをつかもうとして︑命令集の概要や要旨を端から読みすすめていったとき︑レッド・パージや米軍による. 保安上の理由による解雇についての命令や決定で︑具体的な判断をしていないものを多数みつけた︒これにヒソトをえて︑私. は思想・信条を理由とする事件︵レッド・パージより広い概念である︶と﹁保安﹂解雇事件を命令集の概要や要旨からえらび. 命令集の概要・要旨から該当する事件を収集する標準となった用語を左に記す︒このばあい︑いずれかひとつでも該当する. だし︑その事件についての精読と問題点の系列化を行い︑時間的な問題と系列化の膨大化を解決したのである︒ ︵2︶. 事件は事件全体を精読し︑それらより資料たりうるものを独自の要旨とともに系列化して原簿に記し︑さらに数日おいて︑資. 料のばらつき︑要旨の曖昧さ︑系列化の不適当さをさらに検討したのち疑問の残るものは再度確認し︑そのあとで清書すると. いう方法をとった︒このため︑左の用語があっても収集してないものや︑収集しても最終的にはけずったものがかなりある︒. 本会誌掲載には︑資料を紙数の関係で全くけずってしまったので無関係なことであるが︑いちおう記しておく︒. なお︑資料作成にあたっては︑中央労働委員会事務局編の﹁不当労働行為事件命令集﹂を主とし︑命令集の不足年度の部分. さて︑事件名のうちで基準としたのは︑学校関係・駐留軍関係・官庁関係である︒このうちで大切なのは駐留軍関係である︒. は労働判例研究会編の﹁不当労働行為命令集﹂をもっておぎなった︒. 官庁関係は公務員法の適用をうけるはずであるからおかしいと思われるだろうが︑実は駐留軍関係事件では︑××県庁事件な. どと事件名を呼称するばあいもあるので︑右に掲げたわけである︒学校関係というのは︑比較的に思想問題が明確化しやすい. からである︒しかし︑右の三つの用語は単に形式面からの標準になったにすぎない︒それに命令集の概要や要旨から選びだし. 三五一. たものの中で収集事件と比較的関連性があったので基準に加えただけで︑最初から基準として選択していたのでないことは当. 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(4) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三五二. 然である︒また︑左に述べる概要や要旨中の用語も︑最初から基準として選択していたものではなく︑資料収集の途中から採. 用したものもある︒それらが集積すると︑事件全体について全く目を通していないもののうちから︑再度調ぺなおすこともあ. った︒しかし︑このような収集時の不統一は︑一九五一年度の事件をすぎてからはなくなった︒なぜならば︑基準となるべき 用語は︑ほとんど定型的なものであるし︑また︑収集のなれもでてきたからである︒. さて︑概要や要旨から収集すべき事件を探しだすための基準となる用語は︑次のとおりである︒. ﹁政治活動﹂﹁依願退職﹂﹁円満退職﹂︵どちらも普通の退職であるはずなのに不当労働行為の申立をするのであるから︑その. 裏になんらかの問題がひそんでいるとみるのが当然である︒事実︑レッド・パージの多くはこの形式であった︒︶﹁保安上の解. 雇﹂﹁業務上の解雇﹂﹁政治スト﹂﹁思想・信条﹂﹁教宣︵情宣︶活動﹂﹁ビラ貼り︵まき︶﹂﹁細胞﹂﹁機関紙﹂﹁非公然組合﹂﹁匿. 名組合﹂﹁個人的行動﹂︵組合活動と政党活動をきりはなす際の常套語であったからである︒︶﹁籍口解雇﹂﹁レッド.パージ﹂. ﹁赤色追放﹂﹁トラブルメーカー﹂︒その他政治的な関係をもつと判断するにたる用語︵例えば︑﹁アカハタ﹂﹁学習の友じ︒命. 令集の概要︑要旨全体からみて資料の可能性がありうると考えられるもの︒. 右の基準に該当しうると考えられる事件は︑すべて命令集の本文にあたった︒そして︑初審資料での見落しを発見するため. に︑ひとつの方法として︑再審査事件には全部あたることにした︒信頼性にある程度の疑問は残るにしても︑再審査事件の本. 文を全部通読した結果︑少くとも再審査にまでもちこんだものでみるかぎり︑初審事件での見落しは皆無であった︒. さて︑右に述べたことがらは︑本考察の標準となる資料の作製方法である︒しかしながら︑ここではそれらをすべて掲載で. ぎるわけでもないし︑また︑厳密な意味での精密な法杜会学的調査の資料ではないのであるから︑ごく特別に掲載するものを. のぞいて全部けずることにし︑一般的な傾向を私の見方で述べ︑個々の問題点について検討し︑これからの問題や立法論を論 述していきたいと考える︒.

(5) 二 命令・決定の全体的考察. 戦後二〇年間の特にイデオ・ギッシュな不当労働行為事件を調査し分析して感ずることは︑労働委員会がつねに不. 当労働行為の概念を極力限定して解そうとしていることである︒具体的にいえば︑レツド・パージやそれに類する思. 想・信条間題にからむ解雇︑あるいは米軍による保安上の理由による解雇について︑労働委員会において︑それら解. 雇が不当労働行為にあたるとした命令や決定は一件もなかったということである︒つまり︑レッド・パージや米軍に. よる﹁保安﹂解雇は︑不当労働行為とは別個の概念であるとするのが労働委員会の一貫した態度であった︒このこと. じたい団結活動上で犠牲となった労働者の救済をするべきはずの労働委員会の判定態度としては︑全く奇異というほ. かはない︒社会的事実に即し︑歴史的視点でものをみれば︑レッド・パージや﹁保安﹂上の理由による解雇︵もつと. も︑これも共産党関係者の排除の目的が事実として強かったから︑広い意味でのレッド・パージであることには違い. ない︒ただ︑本考察では間接雇用の問題が大きな比重を占めるので別に扱ったのである︶が︑不当労働行為そのもの. であることは明白ではなかったろうか︒それを労働委員会があえてねじまげた判定を下してきたということの裏面に. は︑何か社会的な背景や歴史的な問題が隠されているに違いない︒これをまず考えることが︑大きくは労働法の中に. おける労働委員会制度︑とりわけ不当労働行為制度の根本的な考察となるであろうし︑批判的な問題の解決にもなっ ていくであろう︒. 三五三. さて︑準司法的な権限をもつ労働委員会について考えるとき︑最も一般的な疑問は︑いったい︑対立的な階級が存 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(6) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三五四. 在する現代資本主義社会において︑はたして公平無私な判定などありうるのか︑ということであろう︒およそ︑司法. 的な判断を下すにあたり︑事実認定とその判断が最も大きな部分を占めることは多言を要しない︒しかし︑それらの. 判断が百︒ハーセントの確信をえて行なわれるかというと︑それはまったくないといってもよい︒これは多くの実務家. や訴訟法学者が指摘している事実である︒労働委員会では︑その判断が労使双方からの証拠方法に基づいて行なわれ. るわけであるが︑それらから確信をえるにはひとえに公益委員の判断いかんにかかっている︒. ところで︑そのばあいに公平無私であるべきはずの委員の判断に︑自らの思想・信条による色づけがなされたり︑. あるいは政治的な圧力が加わるとしたならば︑どういうことになるだろうか︒それはまさに公平無私であるべきはず. の公益委員の準司法的権限の放棄にほかならないといえよう︒労働委員会の役割とは何かということをあらためて考. えれば︑それは︑労使関係において絶対的な優位にたつ資本家から︑労働者の団結活動を保護する機関にほかならな. い︑という結論にゆきつくはずである︒これを忘れては︑絶対に労働委員会の現実機能を真実態の裡に把握すること. はできない︒もし︑それを単なる民事訴訟的な考えで労使の対立・紛争に黒白をつける機関だと考えるならば︑それ. ははなはだ皮相的なものの見方というほかはない︵ところが︑労働委員会関係者の中でもこの点を理解していないか︑. あるいは故意にねじまげて﹁運用﹂している者が多いようである︒ー山本博﹁労働委員会﹂一八○ぺージ乏一八三 ぺージ︑ 二三〇ぺージ︶︒. では︑なぜ︑労働委員会は公平でありえないのか︒. まず第一に︑純理論的に考えるならば︑労資という二階級の対立する社会において︑いわゆる公平無私な見解など.

(7) ありえるはずがない︑ということである︒労働事件に対して公益委員が一定の判断を下すばあい︑その見解は客観的. には労働者側にたつか︑資本家側にたつか︑二者択一の道しかない︒たとえ︑却下して門前払いをくわすにしても︑. それはある階級に対する否定であり︑他の階級に対する迎合である︒いかに公益委員が自ら公平無私と任じ︑法律と. 良心に忠実であると考えて判断を下しても︑ある階級からみれば︑他の階級への迎合であり︑他の階級からみれば︑. ある階級に対する抑圧としか映らない︒公益委員が事実認定において︑心証を形成していくときに︑いくら﹁公正﹂. な判断をしようと願望しても︑客観的にはその願望はあくまでも主観的願望にとどまるものである︒もしそれをあく. まで﹁公正﹂な判断をしうると信ずるならば︑それは虚偽の﹁公正﹂意識を真実のものとする自己欺瞳のなにもので. もない︒なぜならば︑判断を下すには多かれ少なかれ個人の価値観が影響するからである︒およそ︑個人の価値観の. 形成には︑その個人の育ってきた階級・階層・環境や素質などが複雑にからみあう︒だから︑ある行為に対する評価. はそれらと全く無縁ではありえない︒もし︑無縁であると仮定しても︑ある行為に対する評価ということじたいが価. 値観の表明なのであるから︑結局その表明にはさきに述べた要素がからむことになる︒具体的に考えてみよう︒. ひとつの行為が多面的に評価される余地があり︑それに従って対向的な判断がでるばあい︵たとえば︑一個の行為. が組合活動であり︑また政党活動であるばあいなどには︑その行為が組合活働であると認定されれば救済されるが︑. 政党活動であるとされれば救済されえない︶には︑結局は委員のその行為に対する評価の選択が行なわれることにな. る︒もし︑ある行為に対する価値判断が仮に労働者側にも使用者側にもたたないということがありうるとしたら︑は. 三五五. たしてその行為に対する対向的な複数の評価の選択ができるであろうか︒もちろん︑一方の疎明や証明が不十分で主 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(8) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三五六. 張がしりぞけられるばあいもある︒しかしながら︑それらが不十分かいなかということも︑実はある評価に対する選. 択が行なわれていることにほかならない︒結局︑下される評価は労使どちらかであり︑かつその判断をする際には労. 使どちらかの価値観が顔を出さざるをえないことになる︒このように考えてくれば︑一般の司法裁判も含めて︑﹁公平. 無私﹂で︑﹁公益﹂の立場にたち︑﹁良心﹂に従うべきだとする理論が︑いかに裁判所や準司法的権限をもたせた労働. 委員会の権威づけのために︑まやかしの﹁理論﹂として使われてきたかがわかるであろう︒. しかし︑右の見解に対する批判としては︑次のことがあげられるだろう︒すなわち︑形式的な意味における中立の. 立場で両者の主張をきくことはできるはずだ︑と︒だが︑この批判は︑訴訟を両当事者平等の原則にたって︑単純な. 同一平面上で解決しようとする民事訴訟法的な発想にたっている︒前述した実質的な意味における公平中立な見解な. どありえないという考えは︑判定を下せば労使どちらかを勝たせねばならないという意味であるから︑それはそれと. して︑両者の主張をきくばあいに公平中立であることができるはずだというのである︒これに対する反批判が︑労働. 委員会は公平ではない︑あるいはなかったという第二の理由になる︒つまり︑右の批判は一見ありえそうな真実を述 べているかにみえる︒しかし︑その考えは二つの点でまちがっている︒. まず第一に︑不当労働行為事件において対立する両当事者を考えると︑圧倒的に使用者側が有利なことである︒個. 々の事件においては︑資金その他あらゆるものがそろっている︒個々の事件以外でも︑労働委員会制度やそれにつな. がる労働政策への決定権は︑事実上政府・独占側が掌握している︒労働委員会︑とりわけ公益委員の職種を調べても. その反労働者性はわかる︵山本︑前掲一八七︑八ぺージ︶︒使用者側は︑ひどいときには︑右翼暴力団を使ったり︑警.

(9) 察権力と結託して労働者側に不利な事件をでっちあげることも平気で遂行しているのである︒. 誤りの第二は︑安易に委員会が公平中立だなどと考えている人は︑実際の命令や決定を全く無視しているというこ. とである︒すなわち︑公益委員があまりにも多く使用者側に迎合し︑かつ彼らの側にたった判定を下してきていると. いう事実を知らないか︑あるいはそういった事実に目をふさいでいるということである︒階級意思がむきだしになる. 労働法において︑この事実を無視して︑いたずらに法解釈のみでわりきることは︑危険以外のなにものでもない︒そ. して︑右の第二の誤りは︑単に労働委員会の判定面からみるだけでなく︑書類にあらわれない面について詳しい事情. を知っている弁護士等からも︑つとに指摘されているところである︵山本・前掲書は︑全体的にこの不信感で貫かれ. ているといってよかろう︶︒労働委員会の審問を民事訴訟と同じ手続きでやらせてみたり︑労働者にとってわかりに. くい法律用語を使って︑労働者をけむにまいてみたり︑あるいは︑労働者を﹁暴力団の組員﹂であるかのごとき判定. をしてみたり︵初審︑一部救済︑一九六六年一〇月二五日︑東京都労委︑帝産オート事件1本考察での参考事件のう. ちの一件である︶することは︑決して珍しいことではない︒それが︑こともあろうに︑公益委員の判定態度なのであ. る︒ここまでくれば︑労働委員会のもつ体質がなかば暴露されたであろうし︑実際問題としての救済率の低さの原因. 三五七. 左に一九四九年から一九六八年までの初審事件のうちわけと私の基準によって収集した事件数とを示す︒. がはっきりしてくるであろう︵一九六八年までの初審事件一︑四三五件のうち︑完全な救済は二八八件で二〇︒ハーセ ︵1︶ ント︑思想・信条に関係した事件は一五〇件のうち︑全部救済が一三件で救済率は九パーセントにすぎない︶︒ ︵1︶. 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(10) 二八八. 五一六 四五八 一七三 一︑四三五. 六 四. 七. 五〇 五七 一一八. 三二. ○. 五. 二. 思想・信条 数﹃ 関係事件 熊安﹂蟹運合. 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 計. 亙 工. 命 令・決 室全 全部救 豊 一部救童 棄 却 合. 計 一三. 九 七一. 五七 一五〇. 三五八. 労働行為事件命令集﹂の構成が変化し︑全部救済命令と一部救済命令とを分離せずに一括して掲げられるようになったため. 調査対象年次が一九六九年までであるのに六八年までの数値をあげたのは︑六九年から中央労働委員会事務局編の﹁不当. qD. であり︑また︑申立人の救済申立内容が近年の命令集には記されなくなっているので︑全部の命令の分類は私にはできなか. ったからである︒ちなみに六九年は︑初審事件は九〇件︑うちわけは︑救済・一部救済あわせて七八件︑棄却︸一件︑却下. 一件︵なお︑労働判例研究会編の﹁不当労働行為命令集﹂では初審事件は八四件︑全部救済一三件︑一部救済五九件︑棄却. 一一件︑却下一件である︶であった︒このうち︑私の基準で収集したものは︑一部救済命令一件である︒. 鋤 再審査事件数が掲げられなかったのは︑救済内容が初審から︑再審へ移行するばあいに変更されたり︑ODと同様に申立人. の救済申立の内容が記されていない事件が多かったので︑分類︵救済・一部救済の︶が不可能であったからである︒ちなみ に命令集掲載の再審査事件は一九四九年から六九年まで二四八件あった︒. ⑥ 労働委員会年報の一九六九年度版一五ぺージに︑初審命令に対する不服申立状況についての注で﹁命令決定内容は命令主. 文により区分しているため⁝⁝﹂とあるとおり︑命令集においても内容からすれば一都救済命令でありながら︑全部救済命.

(11) 令の部に掲載されているものもあった︵たとえば︑後述の新日本通商事件︶︒. これらについては︑明らかに一部救済である. 思想・信条関係事件とは︑レッド・パージ︵狭義︶とそうでない思想・信条解雇および思想・信条による解雇以外の事件. と認められるかぎり事件の数値を変更することにした︒. 働. レッド・パージの側面からの加担者としての労働委員会について. も含む︒もっとも︑ことの性質上︑ほとんどが解雇に関連した事件である︒. 三. ヤ. ヤ. ヤ. さて︑右にいちおう一般論的な意味において︑労働委員会の判定姿勢につき述べたが︑次に本考察の課題のひとつ であるレッド・︒ハージと労働委員会の姿勢について論じてみたい︒. 前述のように︑レッド・︒ハージそのものが不当労働行為になる︑とした命令は一件もなかった︒その判定の理由づ ヤ. けはおおむね次のとおりである︒すなわち︑申立人は日本共産党員又はその同調者であるから︑それを解雇したり︑. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 退職させたりしても︑なんら不当労働行為には該当しない︒つまり︑レッド・パージと不当労働行為とはまったく別. 個の概念であるとみている︒理由づけと私は記したが︑果してこれが理由づけになるだろうか︒. もう少し具体的に実際の例をあげて︑検討してみよう︒まず︑その理由づけにもかなりの幅があるのは当然であ. る︒いちおう︑事実認定をしたのち︑共産党員あるいは同調者の根拠が明白であるから不当労働行為ではなく︑解雇. は正当とするもの︵初審︑棄却︑一九五一年二月二日︑福島地労委︑古河鉱業好間鉱業所事件︑同年三月一九目︑佐. 三五九. 賀地労委︑戸上電機製作所事件その他︶から︑事実認定や論理的な理由づけのまるでないもの︵初審︑却下︑一九五 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(12) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三六〇. 一年二月一四日︑中労委︑朝目新聞社事件︑同年四月二日︑北海道地労委︑三菱鉱業美唄砿業所事件その他︶まであ. る︒そして︑命令や決定じたいも︑レッド・︒ハージ事件がぼつぽつ労働委員会にもちこまれだしたときには︑比較的. ていねいに事実認定︵それも公平であるなどとはいえないが︶をしているが︑レッド・パージ事件が初審事件の五七. ︒ハーセント︵命令集掲載事件数は初審事件一二四件︑レッド・︒ハージ事件は救済二件︑一部救済三件︑棄却二〇件︑. 却下四六件︶を占める一九五一年には︑労働委員会の方でもなれてきたらしく︑お定まりの命令や決定が判で押した. レッド.︒ハ. ようにでてくる︒いわく︑思想・信条を理由とする解雇の判断は労働委員会の権限外である︵初審︑棄却︑一九五一. 年三月二四日︑佐賀地労委︑杵島炭砿大鶴砿業所事件︑児玉砿業所小岩炭砿事件︶︑また同様な文言で︑. ージは不当労働行為にはあたらない︵初審︑一部救済︑一九五一年五月一日︑北海道地労委︑北海道新聞社事件︒棄. 却︑同年四月二五日︑中労委︑共同通信社事件︑同年九月一二日︑栃木地労委︑パインミシン事件︒却下︑同年二月. 一四日︑中労委︑共同通信社事件︑朝日新聞社事件︑同年三月二日︑石川地労委︑北陸鉄道事件︑同年四月二日︑北. 海道地労委︑三菱鉱業美唄砿業所事件︑興国印刷事件︑中西写真製版印刷所事件︶︑いわく︑レッド.パージは労働委. 員会に親しまない︵初審︑却下︑一九五一年四月二目︑神奈川地労委︑生研製薬事件︑東京芝浦電気鶴見工場事件︑. 同柳町工場事件︑同小向工場事件︑同堀川町工場事件︶︒このような考え方が︑事実認定で若干色をそえたりしてい るが︑命令や決定の主流となっているのである︒. そして︑労働委員会が︑レッド・︒ハージの側面からの加担者であったというのは︑右の命令や決定を下しただけだ. からではない︒棄却事件の中には不当労働行為のみが労働委員会の判定に親しむと述べ︑レッド・パージは不当労働.

(13) 行為ではないとしながら︑棄却しているものさえあるからである︒つまり︑もし労働委員会が不当労働行為に対して. のみ判定する権限をもつのであれば︑なぜ権限外のレッド・パージについてあれこれの理由づけや︑正当化ができる. のだろうか︒法理論から考えても︑この場合には却下はできるにしても︑棄却できるすじあいのものではないはずで. ある︒そしてまた︑却下するなぢば︑レッド・︒ハージは労働委員会に親しまないとすればすむことであって︑それ以. 上の理由づけ︵それもレッド・パージ正当化のための︶をする必要が︑いったいどのような法律上の根拠からあると. いえるのだろうか︒労働委員会の都合の悪いときだけ︑権限に属さないと逃げて︑勝手な所で存在するはずのない権. 限をふりまわすような奇怪至極なことが︑労働委員会で堂々と行なわれてきたということは︑なによりも労働委員会 の判定の公平性を疑わせるに十分な理由となるといえよう︒. それでは︑こうした判定はいったい︑どのようにしてできあがってきたのか︒労働委員会がこのような判定を下す. からには︑それを実現させうる要因がどこかになければならないはずである︒その要因としてまず第一に社会的外部. 的な要因があげられる︒つまり︑具体的な例をあげれば︑占領軍の影響・圧力である︒労働委員会年報︵一九五〇年. 度版︶七一≧七二ぺージにょれぱ︑レッド・︒ハージが﹁少くとも違法のものでないと判断されるに至った﹂理由とし. て︑ ﹁その決定的な要素は⁝⁝朝鮮動乱と⁝⁝マ元帥の吉田首相宛書簡であった﹂としている︒そして﹁業者が︑そ. れぞれ個別的に総司令部労働課に招致され︑これら産業における赤追放に関する懇談が行なわれるに及び︑レツド.. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. ヤ. 三六一. ︵一九五〇年︶十月十一目の第五回全国労働委員会連絡協議会︵傍点筆者︶の席上保利労相から発表され⁝−レ. ヤ. パージはここに殆んど全産業に普及するに至った﹂︵同七二ぺージ︶のであり︑﹁政府としての初めての公式の見解 は︑. 労働委員会とその判製姿勢についての一考察.

(14) 労働委員会 と そ の 判 定 姿 勢 に つ い て の 一 考 察. 三六ニ. ツド.パージの適法性を強調した﹂︵同七三ぺージ︶となるのである︒そして﹁労働省で十月九目付労政局長名を以て︑. 各都道府県知事宛に﹃企業内における共産主義的破壊分子の排除について﹄なる通牒を発して︑いわゆる同調者の範. 囲を明確化し︑厳にその便乗的措置を戒めた﹂︵同七三ぺージ︶のである︒そして︑これらと関連して︑労働運動の. 情勢の方はどうかというと︑﹁各労組の反攻は︑多少のニュアンスの相違はあったとしても︑大体においてレッド・パ. ージそのものはやむを得ないとして認めるが︑これに伴う便乗措置だけは断乎排撃するという総評︵成立には占領軍. が関係していたー筆者︶の線に落ち着き︑組織的な反攻は殆んど見られないで︑個別的な若干の紛争があったに過ぎ. なかった︒左翼労組の勢力は八月三十日の全労連本部の解散命令を含めて全く衰勢を辿っていたし︑ついにこのレッ. ド・パージをして大体平穏裡に終始せしめた﹂︵同七四ぺージ︶のである︒このような風潮の下で選任された労働委. 員会がはじめから政治的な息がかかった事件を労働者側の立場にたって考えることなど想像もつくはずがない︒. そして︑これに加えて委員自身の内部的要因である保身への欲求も前記の判定を下させた第二の要因であった︒当. 時の状況では︑レッド・パージが不当労働行為にあたるなどということじたい︑委員自身の追放をも意味しかねない. 風潮にあったことは想像に難くない︒裁判官でさえ︑占領軍の顔色をうかがいながら︑それにこびた判決を書いてい. た時代である︵朝日新聞﹁日本の裁判﹂一九七一年九月一五日付朝刊︶︒おおかれすくなかれ﹁法﹂意識をもっていた. 裁判官でさえもこのような状態なのだから︑もっと程度の低い﹁法﹂意識しかもちえそうもない労働委員会委員が︑. どのような命令や決定を下すかいわずと知れたことである︒そして︑前記の外部的要因と内部的要因が加われば︑労. 働者救済の道は完全にたたれたも同じである︒あとは︑共産党員︑あるいは同調者の解雇をいかに理由づけして正当.

(15) 化するかだけが︑委員の関心事になるにすぎない︒. そして︑それらの理由づけが極端な矛盾であることを暴露したのが︑初審︑棄却︑一九五〇年七月三日︑東京都労. 委︑東京都庁事件および東京都交通局事件であろう︒間題となる点を要約すれば︑政党活動︵共産党員の活動である. が︶と組合活動は不即不離ではあるが別個のものであり︑信条・党活動を理由とする解雇の当否を労働委員会は判定. しない︑とするものである︒一見︑論理的だが︑これくらい事実を無視した命令はない︒なぜならば︑ひとつの行為. のどの側面をみるかによって︑不当労働行為になるかならないかの分かれめになるからである︒御用組合員が体制的. 政党に属していて︑真の労働者の経済的・社会的地位の向上のために活動している労働者の活動を妨害したばあいな. ら︑あるいはこれらのことはいえるかもしれない︒外見的には不即不離だが︑御用組合員の団結活動妨害行為は︑決. して真の組合活動でないことはたしかである︒しかし︑そうではなくて︑真の労働組合活動と政党活動が同一の方向. を志向しており︑かつ戦術も同一だったら︑いったいどこでその境界を画すのだろうか︒この都庁事件・都交通局事. 件は︑そのような問題を提起したばかりでなく︑いみじくも労働委員会委員の形式主義的な考え方を暴露した点で︑ まさに注目に値しよう︒. もつとこの点を具体的に考えてみよう︒ある労働者が組合活動を行なったところ︑それが彼の所属している政党の. 方針とも全く一致しており︑それゆえ︑解雇されたと仮定する︒そうすると︑政党活動と組合活動は紙の表裏のよう. な関係にたつのであるから︑公益委員は紙の表側に書いてある組合活動という文字をちらりと見︑おもむろに裏返し. 三六三. て政党活動という文字を見つめ︑いきなりペンをとって︑﹁本件は︑政党活動を原因とする解雇であるから︑解雇は 労働委員会 と そ の 判 定 姿 勢 に つ い て の 一 考 察.

(16) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三六四. 正当﹂とやりかねないのである︒いや︑事実︑そうやっているのである︒組合活動のつもりでやった行為が政党活動. と判断され︑政党活動なるゆえにその解雇は正当とされ︑また逆にあまり組合活動をしていないばあいには︵しか. も︑その認定は労働委員会委員が行なうのである︶︑彼が政党員であることが判明したために解雇されると︑﹁組合活. 動と会社の行なった解雇との結びつきは見出せない︒⁝⁝かえって︑⁝⁝会社のいう基準︵解雇の1筆者︶に該当す. ることがきわめて明白である﹂︵初審︑却下︑一九五一年二月二一二日︑北海道地労委︑北海道炭砿汽船平和砿業所事 件︶とされてしまうのである︒. そんな理不尽なことがと思われずにはいられないが︑一九五〇年度の労働委員会年報には右の事実を証明する基準. が堂々と記されている︒その八七ぺージによると︑レッド・︒ハージ事件に関連して︑労働委員会で却下した事例とし. て次の三つをあげている︒ω組合活動に関係ない者︑回依願退職した者︑囚日本共産党員又はその同調者であること. が分明な者︒ところが︑棄却事件でも右の基準があてはめられていた事件があったことは前述したとおりであり︑し. かも︑囚の基準については︑使用者の恣意にゆだねず︑厳格に調査したように記したり︵同八八ぺージ︶︑使用者が. ﹁同調者の線を極めて狭議︵義であろう1筆者︶に絞って︑できるだけ組合との摩擦を避けんとした態度によるもの. 一九五一年五月四. であろう⁝⁝﹂︵年報一九五一年度版八五ぺージ︶などと記しているが︑しかし︑﹁︵同調者としての︶疏明に乏しく. ⁝⁝﹃同調者﹄と認定して解雇したことは行き過ぎであったと考えられるが⁝⁝﹂︵初審︑棄却︑. 目︑宮城地労委︑目本理化工業仙台工場事件︶としたりしているのをみれば︑労働委員会当局者の当時︵占領が続い. ていたから︑多少の事実の隠蔽はかまわないという態度は許されない︶の態度を信用することはできない︒いかに当.

(17) 時の労働者︑とりわけ日本共産党関係者に対する弾圧が悪辣であったか︑察してあまりある︒そして︑共産党関係労. 働者が︑ますます強引に追いつめられた窮極点は︑組合活動と政党活動の事実上の分離ということであった︒つま. り︑労働組合とパージされた労働者が︑同一の方向への労働運動を志向していた時代から︑切り崩しによって共産党. 関係労働者が支持を失い孤立化していった時点が最大の悲劇であった︒無論︑支持を失ったといっても︑それら労働. 者の行動そのものは実質的には︑法の保護する組合活動であることには変わりはない︒なぜならば︑当時︑共産党関. 係労働者と対立し︑労働運動の主流をにぎった民同幹部は︑自主的・闘争的な真の労働運動を放棄したものにほかな. らなかったし︑また︑共産党関係労働者を組合から除名した民同組合は︑歴史的な目でみれば︑明らかに資本家側の 息がかかり︑御用的な役割を担っていたことは明らかである︒. 具体的に事件をふまえて考えてみよう︒一九五〇年八月︑電産中央常任執行委員会から﹁日本共産党の指導に盲従. する極左分子およびそれら一切の影響を断乎排除する﹂ために︑いわゆる﹁非常事態拾収に関する特別指令﹂が出さ. れた︒この指令によって︑組合員らは自己の政治的立場を明らかにするための確認書の提出を強制せられたわけであ. る︵いわゆる踏み絵︶︒当然︑共産党関係労働者は︑これらに対して強硬な反対活動を行なった︒これが電産におけ. る一九五〇年後期の内部的な紛争であった︒論点からはずれるので詳論はさけるが︑この結果︑共産党関係労働者は. 労働組合から除名された︒そして︑これら労働者の救済申立は労働委員会によって︑ことごとく却下された︒その典. 型的な決定は︑初審︑却下︑一九五一年四月四目︑中労委︑電産岐阜県支部事件である︒この中で中労委は次のよう. 三六五. にのべている︒﹁・−⁝申立人等が組合団結権自体のカによって組合団結の外に排除されたことは明らかである︒もと 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(18) 労働委員会とその判定姿勢にっいての一考察. 三六六. もと労組法第七条は︑同法第一条に掲げる目的を達成する限りにおいて組合の団結権︵団体行動権を含めて︶を侵害. する使用者の行為を禁止しているのであって︑その限度に於て個人の救済も行なわれるのである︒本件の場合︑法の. 保護すべき組合団結権とは具体的には申立人等の属していた電産のそれ以外にないのである︒しかるに右申立人等は. 右のような経緯によって電産から除名されているのであるから︑本件通告又は勧告︵いずれも会社側の整理通告やそ. れらに関する勧告をさす1筆者︶が不当労働行為であると主張してもその通告︑勧告の撤回又は申立人等の原職復帰. は電産の団結権の消長とは何等の関係もない︒従って本件の申立は個人の救済という意味はあっても団結権の保障を. 目的とする法の趣旨には適合しない⁝⁝﹂︒これと文面まで似ているのが︑初審︑却下︑同年同月日︑中労委︑昭和. 二五年不第二六号の二︑電産兵庫県支部事件である︒労組法第七条の何号にもとづいた申立をしたのか︑正確にはわ. からないが︑当時の状況を考慮にいれるにしても︑その理由づけは理解に苦しむ︒労働事件に対して全くの素人であ. るはずはない委員たちが︑﹁民主的﹂︵当時は反共的という意味であったが︶な労働組合育成ということが︑何を意味. しているのか知らないはずはなかった︒だが︑それに対して片目をつぶって︑﹁団結権﹂などと記しているのは噴飯 ものである︒. 以上が︑一九五一年前後のレッド・パージ︵せまい意味での︶に対する労働委員会の対処のしかたである︒では︑. ここで現代においてはどうなのか︑ということも考察せねばならない︒少くとも現在では︑レツド.パージのような. 思想・信条とからんだ解雇を正面きって不当労働行為であるとしても︑労働委員会委員自身がパージされることはな. い︒ところが︑労働委員会の判定姿勢は少しも変っていないのである︒その具体例が︑初審︑一部救済︵命令集には.

(19) 救済の部に掲載されているが︑ポスト・ノーティスは認めていないから一部救済のはずである︶︑. 一九六八年七月九. 目︑東京都労委︑再審︑一九六九年四月二日初審命令取消となり︑結局初審の救済申立が全部棄却されたことになっ. た新日本通商事件である︒本件で配転拒否︵これにつき紛議があった︶後︑解雇された合同労組︵貿易一般労働組. 合︶の分会長1は日本共産党員のようである︒そして︑使用者は︑中国貿易を専門に行なっている会社であり︑分会. 長のーや︑貿易一般労働組合に対して﹁目共修正主義者はわれわれの敵﹂あるいは﹁中国関係を破壊﹂云々とさまざ まな非難・攻撃・干渉を行なっていた︵中労委の認定事実より︶︒. さて︑ここで初審と再審で判断が逆転したのは︑1の行為に対する使用者側の不当労働行為意図のみかたによる︒. 初審では︑使用者側がーの﹁活発な組合活動を嫌って︵解雇を1筆者︶行なったものと認められる﹂として原職復帰. させたのに対し︑再審ではそのようには認めなかった︒すなわち︑再審の判断では︑組合活動については︑ほとんど. ふれず︑もっぱら思想・信条ゆえの解雇であって不当労働行為意図にもとづくものではない︑とされたのである︒そ. して︑ここで奇異に感じられることは︑1の属する労働組合と会社との間の団交において︑会社が﹁1を反中国分子. とみなし︑会社に出入り禁止を要請した﹂という文言を確認書中に記載せよという労働組合の主張についての中労委. の態度である︒つまり︑中労委が労働組合とーとがその文言に固執したため解雇にまで発展したといっていることで. ある︒非は労働者側にありといわんばかりだが︑認定事実にも︑会社のとっていたーに対する態度は反中国分子とし てのそれであること前述のとおりである︒. 三六七. ただ︑この事件で考慮にいれるとすれば︑会社が中国貿易を行っていて︑あたかも日本共産党と思想的に対立して 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(20) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三六八. いるかのような印象を与えることである︒しかし︑1が中国貿易に対して反対運動をしたという事実は疎明不十分で. ある︒使用者側や業界が︑合同労組やーらが日中友好の破壊者であるかのようなキャンペーンをはっていただけであ. る︒だから︑会社が日本共産党員を排除しようとしたのは︑日中友好のための非常手段というよりは︑まったくの企. 業防衛意図にもとづくといってよい︒こうみてくれば︑組合活動活発︵都労委認定事実より︶な労働組合員を思想・. 信条のゆえをもって解雇したにすぎない︑という単純な論理におちつく︒そして︑こうすることにより︑この再審の. 命令のもつ矛盾は︑はっきりしてくるだろう︒まず︑組合活動の面を強調してみるか︑思想・信条による行動を過大. 視するかが第一点である︒これによって命令は逆転した︒第二に︑思想・信条にもとづく解雇は不当労働行為ではな. いこと︒つまり︑不当労働行為概念をほとんど形式的なまでに狭い組合活動に限っていることである︒第三に︑組合. 活動が活発であったのにいきなり思想・信条ゆえの解雇であるとして︑それに対する合理的・客観的な理由づけが皆. 無であることである︒これは︑あたかも一九五一・二年頃のレツド・パージ事件の理由づけの無さと一致していて︑. さして時問のへだたりを感じさせない︒第四に︑労働者に対する偏見︵﹁解雇理由についてはやや合理性を欠くもの. があり⁝⁝﹂︵︵中労委判断︶︶としながら︑解雇された非は労働者側にあり︑といわんばかりの文面である︶があげら. れる︒そして︑第五にまとめとしてあげられることだが︑戦後二十数年をへているにもかかわらず︑労働委員会の体. 質はなにひとつ変わっていない︑ということである︒このように考えてくれば︑労働委員会というものがどのような. 役割をはたしてきたか︑また︑はたしていくか︑常に注意深く監視していくことが︑真の意味での団結権保障の実現 をはかる上で必要であると思う︒.

(21) 四. 駐留米軍の﹁保安﹂解雇事件について. 次に︑駐留米軍の保安上の理由による解雇について︑労働委員会がどのような判断のしかたをしたかみべよう︒. ﹁保安﹂解雇の手続は簡単にいえば︑米軍が﹁保安﹂上の危険ありと認めたときは︑雇用主である国に通知し︑国は. それについて調査するが︑同意してもしなくても米軍は最終的には解雇することができる︑というものである︒その. 保安基準は︑﹁目本人及びその他の目本国在住者の役務に対する基本契約﹂︵一九五一年七月一日締結︶附属協定第六. 九号︵一九五四年二月二日締結︶第一条あるいは基本労務契約︵一九五七年一〇月一目締結︶細目書に定められてい. る︒その基準は︑ω作業妨害行為諜報軍機保護のための規則違反またはそのための企図若しくは準備をなすこと︑③. アメリカ合衆国の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的にかつ反覆的に採用し若しくは支持する破壊. 的団体または会の構成員であること㈹前記OD記載の活動に従事する者又は前記図記載の団体若しくは構成員とアメリ. カ合衆国の保安上の利益に反し行動をなすとの結論を正当ならしめる程度まで常習的に︑あるいは密接に連繋するこ. と︑である︒つまり︑これらは米軍権力によるトラブルメーカーの排除を正当化するための広範な基準である︒. さて︑労働委員会の﹁保安﹂解雇に対する判定姿勢は︑レッド・パージと同じ論理的構成をとっている︒すなわ. ち︑﹁保安﹂解雇に籍口した不当労働行為はあるにしても︑﹁保安﹂解雇は不当労働行為の一態様ではないとするのが. それである︒ただ︑立証や保安上の理由の明示について︑間接雇用の関係が加わってくるため︑立証責任の分配など. 三六九. で理由づけが分かれてくる点に若干の違いはみられる︒だが︑実はそれらの点にこそ労働委員会のもつ体質が︑如実 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(22) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. にあらわれてくるといえるのである︒. 三七〇. 労働委員会の判断のしかたは︑大別して二通りに分かれる︒第一は︑保安解雇の手続をふんでいる以上︑保安上の. 理由に該当する客観的事実の有無にかかわらず不当労働行為は成立しないとし︑解雇の当否の判断を別論とするもの. である︒その典型的な初審︑棄却命令は神奈川地労委︑一九五七年二月二七目︑相模本廠︵JESC︶事件︑一九. 五八年一月二九日︑相模本廠︵HTB︶事件である︒第二は︑保安解雇の手続をふんでも不当労働行為の成立が否定. されるものではなく︑保安上の理由にあたる具体的事実の立証のない以上︑不当労働行為であるとするものである︒. これが︑一九六七年度までの﹁保安﹂解雇事件に対する労働委員会の論理構成の基本である︒. この第二の判断方法では︑立証責任の問題がでてくる︒それについての第一の考えは︑間接雇用形式のもとでは実 ヤ. ヤ. 際の使用者は米軍であるが︑形式上の使用者たる国側は立証のしようがなく︑そのために例外的に労働者側が︑活発. な組合活動をなし︑かつ︑米軍側がそれを嫌悪していたことを積極的に立証できれば不当労働行為は成立し︑そうで. なけれぱ保安解雇が成立する︑となすものである︵初審︑救済︑一九五四年=月二二日︑兵庫地労委︑兵庫駐留軍. 事件︑一九五五年五日四日︑鳥取地労委︑鳥取駐留軍事件︒棄却︑一九五六年三月一日︑東京都労委︑米軍羽田飛行. 場事件︒再審︵︵便宜上︑再審査命令は労働者側からみた救済度をもって示す︒例えば︑救済命令に対して使用者が再. 審申立をなして申立が︑棄却または却下された場合は︑救済と記載するなどである︒以下再審についてはこれに従. う︶︶︑救済︑一九五四年五月一二日︑キャンプ淵野辺事件︑一九五五年六月二九目︑兵庫駐留軍事件︒一部救済︑一九. 五六年一月一八目︑YED相模本廠事件等があげられる︶︒第二の考え方として︑使用者側︵実質的には国側のみ︶.

(23) にも立証責任を課し︑使用者側における保安上の理由の存在に関しての立証が不十分なとき︑労働者側が被解雇者の. 活発な組合活動とそれに対する米軍側の嫌悪の事実を立証したばあいには不当労働行為が成立し︑そうでないばあい. は保安解雇が成立するとするものである︵初審︑救済︑一九五八年二月六目︑東京都労委︑地図局事件︒一部救済︑. 一九五八年一月七日︑福岡地労委︑山田部隊事件︒再審︑救済︑一九五八年三月一二日︑東京補給部事件︑一九五八 年八月二〇日︑地図局事件等がある︶︒. そこで︑右にかかげたそれぞれの判定姿勢について検討してみよう︒まず第一の﹁保安﹂解雇の手続をふんでいる. 以上︑﹁保安﹂解雇は不当労働行為にならないものとするものは︑最初から労働委員会がその準司法的権限を放棄し. てしまっているということができよう︒そして︑不当労働行為ではないものに具体的な判断︑すなわち棄却命令を下. しているということは︑明らかに手続上の違法がある︒なぜならば︑レッド・パ!ジと同じく︑労働委員会が不当労. 働行為のみを判断する権限をもつというのであれば︑不当労働行為が認められるか否かではなく︑はじめから不当労. ﹁保安﹂解雇は不当労働行為ではないという考えとともに︑手続さ. 働行為ではないと予定しているのであるから︑却下決定をくだすのが手続的に正当なはずである︒しかしながら︑間 題の根はそこにだけあるのではない︒すなわち︑. えふんでいれば﹁保安﹂解雇は不当労働行為にはならないという考え方じたいに問題があるのである︒仮に﹁保安﹂. 解雇と不当労働行為とが全く別個の概念であるとしても︑保安解雇手続が正式にとられていれば︑活発な組合活動が. 存在していても︑それがなんら法的保護を与えるに価値なきものとして評価対象からはずされてしまう︒それでは︑. 三七一. 労働委員会は﹁保安﹂解雇における使用者側︵米軍と国側︶の不当労働行為意図をえぐりだして救済するというより 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(24) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. は︑むしろ﹁保安﹂解雇の正当化のみに目を奪われている︑といわざるをえないだろう︒. 三七二. 次に第二の型のうちで︑解雇が保安上の理由によるものではなく︑活発な組合活動とそれに対する米軍側の嫌悪の. 積極的な立証を労働者側におわせる考え方も間題である︒なるほど形式上の使用者たる国側は︑保安解雇基準に該当. する事実を立証しようにも︑米軍が﹁保安﹂上の理由をたてに立証にまったく協力しないのであるから︑例外的に労. 働者側に組合活動性の立証をさせるということには一理ありそうである︒しかし︑この考え方は次の三点で誤ってい. る︒まず第一に︑明確な解雇理由の説明がないからと国側は主張するが︑しかし︑米軍と国側は対立する関係にはな. く︑米軍とならんで︑国側も保安上の理由につき調査を行なっていることである︵米軍から保安解雇が通告されれ. ば︑国側はそれにつき︑調査・回答する義務が生じ︑国側は同意・不同意の回答をすることになっており︑審査では. その調査を根拠として︑国側は解雇が不当労働行為でないことを主張している︒例えば︑初審︑棄却︑一九六一年四. 月一四日︑神奈川地労委︑神奈川県庁︵キャンプフチノベ︶事件︶︒つまり︑詳しい事情は国側も知悉しているので. ある︒そして︑第二に︑﹁保安﹂解雇されるくらいの労働者がなにひとつ組合活動をやらないということは︑ほとん. ど考えられないということである︒申立期間徒過を理由に却下した事件をのぞいて︑保安解雇事件は初審・再審あわ. せて四八件︵直傭事件二件を含む︶あるが︑認定事実で組合活動ありとされたのは四一件︑複数の労働者の申立で︑. 組合活動のある者とない者と個人別に認定がわかれたのは三件にすぎない︵ちなみに四八件中のうちわけは︑前記分. 類で︑救済一五件︑一部救済七件︑棄却二六件である︶︒認定事実でみても︑﹁保安﹂解雇事件と組合活動が密接に結. びついていることがわかるであろう︒だから︑不当労働行為と﹁保安﹂解雇は別個の概念だと評価する労働委員会.

(25) は︑自らの認定事実によっても論理的な破綻をきたしているといわざるをえない︒誤りの第三は︑労働委員会自身が. 軍事上の秘密を守ることを最大の関心事としており︑国側が立証できないから例外的に労働者側に立証させるのでは. なく︑秘密保護のために立証を労働者側に負わせようとしていることである︒ほとんどの命令が︑米軍の保安を尊重. すると述べているのをみれば︑おのずとその真意はわかろうというものである︒ここまでみてくれば︑労働委員会が. 手続上純粋に国側の立証が期待できないから︑労働者側に例外的に立証させるというのではなく︑はじめから︑計算. された一定の意図のもとにこのような考えをもちだしてきた︑ということがわかるであろう︒. では︑第二の判定のしかたのうち︑保安上の限界は尊重しながらも︑国側にも保安上の理由や不当労働行為ではな. いことの立証をさせるという考え方はどうか︒一見︑立証責任の分配が公平に行なわれたかにみえる︒しかし︑それ. は誤りである︒なぜならば︑まず第一に実際面から考えると︑活発な組合活動は比較的容易に立証できるため労働委. 員会も認めるが︑米軍側の﹁嫌悪﹂という事情は主観的な要素が多く︑米軍そのものも審査には全く参加しないの. で︑積極的に嫌悪を立証することが困難であり︑労働委員会もこれをとらえて不当労働行為の成立を否定することが. 多いからである︒第二に︑双方の立証が競合したときに欠点があらわれることである︒すなわち︑保安上の理由も立. 証でき︑活発な組合活動も米軍側の嫌悪も立証できたばあい︑あるいはこの逆のばあいはどうかということである︒. 前者の明確な事例はない︵籍口解雇であると判断されるときには確実に目本共産党員や同調者でないときのようであ. り︵︵救済命令と棄却命令の文言を比較してみるとわかる︶︶︑また︑実際に双方の立証が競合しているとは労働委員会. 三七三. はその﹁権限﹂上述べられないからである︒なぜならば︑それは自ら論理的な破綻を暴露することになるからであ 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(26) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三七四. り︑救済機関であることの放棄の宣言にほかならないからである︶が︑後者の事例はある︒再審︑棄却︑一九五九年. 三月二八目︑相模本廠事件︑同年七月一八目︑横須賀基地事件である︒これらの事例では︑保安上の理由も立証不十. 分であるが︑組合活動はあっても米軍側の嫌悪も立証不十分である︒ところが︑いずれも︑組合活動と解雇との因果. 関係が認められない︑として棄却されている︒だが︑よく考えてみれば︑被解雇者の組合活動が米軍側に着目されて. 嫌悪されるか︑少くともなんらかの意味でマークされていなければ︑そもそも﹁保安﹂解雇されるわけがないではな. いか︒こんな常識的なことに労働委員会が気づかないはずはあるまい︒そうだとすれば︑労働委員会はどこからみて. も︑自ら救済機関としての役割を放棄しているといわざるをえない︒労働委員会において﹁保安﹂解雇が不当労働行. 為の一態様であるという認識があれば︑おそらくこのような平行線的な立証の競合問題は起らなかっただろうし︑ま. 総括および若干の立法論. た﹁保安﹂解雇における救済率もあがるはずであったろう︒. 五. 以上のレッド・パージおよび﹁保安﹂解雇についての労働委員会の判定姿勢の分析をつうじて︑まず︑第一にいえ. ることは︑労働委員会は政治権力に屈したのではなく︑実は権力機関そのものであったということである︒なぜなら. ば︑労働委員会はレッド・パージや﹁保安﹂解雇事件において︑政治権力に屈服して労働者の救済を放棄したのでは. なく︑逆にそれらを肯定することにより︑自ら権力機関として労働政策の一翼を担っていたからである︒政府・独占. 側の息のかかった機関に団結活動の犠牲者に対する真の救済を期待することは︑現実無視もはなはだしいものといえ.

(27) よう︒労働委員会に真に労働者の救済機関としての役割をもたル︑一ていこうとする運動論において︑現在の労働委員会. を右のようにとらえることは︑非常に重要な意味をもつものと考えられる︒. 第二点として︑労働委員会の公益委員についての﹁公正﹂あるいは﹁公益﹂概念の欺隔性があげられる︒労働委員. ﹁公益﹂委員という語が使われ︑第三者的な立場. 会の下した判定は︑とうてい公正でも︑公益的見地にたつものでもなかった︒えてして︑公正とか公益とかいう文言 が使われると︑すべてが正当化されかねない風潮にある︒そして︑. にたつような見せかけが行なわれると︑下された判定まで﹁公正﹂であるような錯覚におちいりやすい︒そして︑そ. れが反組合運動キャンペーンに容易に使われるであろうということも想像に難くない︒調整機能についてまで調べら れなかったが︑それらの面でも同様のことがいえるのではなかろうか︒. 第三として︑労働委員会の体質の問題におそらく帰因すると思われるが︑不当労働行為概念の限定化が行なわれて. きていることがあげられる︒レツド・パージでも﹁保安﹂解雇でも︑不当労働行為の要素を十分にもっていながら︑. 不当労働行為だとした命令が︑二十数年間を通してまったく一件もなかったということは︑注目すべきことであろ ︾つo. 第四として︑労働委員会のもつ二つの機能︑すなわち調整的機能と準司法的機能の混同がしばしば行なわれてきた. ということである︒準司法的機能に調整的な機能が入りこんできた命令を出したり︵初審︑一部救済︑一九六六年一〇. 月二五日︑東京都労委︑帝産オート事件では︑全額のバックペイは労使のためにならない︑として半額のバックペイ. 三七五. を命じた︶︑不当労働行為の申立を取下げるよう斡旋したり︵レツド・パージ事件についてー労働委員会年報一九五〇 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(28) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三七六. 年度版八七ぺージ︶というように︑厳格であるべき判定機能に﹁その都度﹂主義的な調整的機能が顔を出している︒. 第五として︑救済率の低さがあげられる︒一九四九年から六八年までの初審事件のうち︑年間事件数に対する全部. 救済命令の割合が三〇パーセントを越えたのが一九五四年と六三年しかないというのは︑如実にこのことを物語るで. あろう︒これは︑不当労働行為が少ないのではなく︑不当労働行為の認定がされにくいことのあらわれであること︑ もちろんである︒. 最後に︑立法論に若干ふれておこう︒. 私は︑立法論として︑まず第一に︑現在の労働委員会の審査において立証責任の転換をはかり︑第二に直罰主義も 採用して現状回復主義との併用をはかれということを主張したい︒. まず︑立証責任の転換をはかるべきだとする理由は次のとおりである︒. 第一に︑不当労働行為制度は憲法第二八条に規定する労働基本権保障のひとつの制度的具体化として︑団結活動の. 犠牲となった労働者救済の制度にほかならないということである︒ところが︑不当労働行為の審問過程に当事者の対. 等性を前提とした民事訴訟法的な立証責任論を導入することによって︑労働者救済のための機能を十分にはたすこと. ができず︑不当労働行為制度本来の趣旨は︑現在ではほとんど没却されてしまっている︒ましてや︑﹁保安﹂解雇事. 件のように労働者側に過重な立証を負わせようとする考え方にいたっては言語道断である︒. 第二に︑不当労働行為事件の審問において︑民事訴訟法的な立証責任の分配を行なえという法規の明確な規定はな. いことである︒現在のような立証責任論の導入による審問方法は︑委員会の構成員︵特に公益委員︶に弁護士が多か.

(29) ったため︑たまたまこのようになったにすぎない︒労働委員会規則でもそのようにせよとは明定︵もし︑明定すれば. 違憲の疑いが濃い︶していないのであるから︑労働委員会が現在採用している民事訴訟法的な立証責任論の導入は︑ 法的根拠を欠くといわねばならない︒. 第三に︑現在の委員会が採用している民事訴訟法的な立証責任論では︑憲法・労組法等が志向する実質的な両当事. 者の平等化がはかられないことである︒個別具体的な事件においては︑使用者側は審査のひきのばしから︑有利に証. 言するよう訓練した証人の採用まであらゆる手段を使えるのに反し︑労働者は長期の審査に対して失職しながらたち. むかわねばならない︒労働組合が支援してくれるばあいならよいが︑そうでないばあいは被解雇者は経済的・精神的. な苦難にさらされるし︑ひどいときは証人にすらこと欠くばあいもある︒さらに審査以外でも︑資本家はおどしや懐. 柔策などさまざまな方法で労働者を圧迫しうるし︑さらに全体的に考えれば︑労働委員会制度そのものも骨抜きにで. きるのである︒これらを考えただけでも︑対等な私人を予定する民事訴訟法的な立証責任論の導入は︑まったくの形 式主義であることがわかるであろう︒. 次に直罰主義についてであるが︑直罰主義そのものは︑労働運動における検察権力の位置づけ︵それは政府の一機. 関にすぎないし︑その内在する性質として労働運動の真の擁護者にはなりえない︶や制度的な欠陥︵たとえば裁判の. 長期化︶などさまざまな問題をふくむが︑その影響力は労使関係において無視できないものがある︒. まず第一に︑現在の事後救済・現状回復主義では︑不当労働行為禁止の規範意識は育ちにくいということがあげら. 三七七. れる︒なぜならば︑救済命令がでるまでは︵裁判にもちこまれたらその終結まで︶︑使用者の行なった不当労動行為 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(30) 労働委員会とその判定姿勢についての一考察. 三七八. の結果は存続しており︑その影響で組合活動が停滞したり︑ひどいときには組合が消滅してしまうことがあるからで. ある︵調査時にそのような事件は散見したし︑有力資料として籾井教授の﹁不当労働行為制度の実績﹂法律時報第三. 三巻第三号三〇七ぺージにも右を証明する事項が記されている︶︒救済命令は使用者にとってはなんの苦痛にもなら. ない︒つまり︑不当労働行為は勝てばもうけものだし︑負けてもともとという使用者にとっては﹁やり得﹂なもので. ある︒これでは︑少くとも不当労働行為を社会悪とする規範意識の培養により︑不当労働行為制度をして団結権侵害 の歯止にはなしえない︒. 第二に︑直罰主義が採用されれば︑不当労働行為の一般予防が具体的にはかられるであろう︒なぜならば︑不当労. 働行為の実際の行為者は下級職制であるが︑それらが刑罰に対して恐怖を感じれば︵現行制度では救済命令の効果は. ﹁身を入れて﹂行なうことなどとうていできない︒それはまさに犯. 事実上︑下級職制におよばない︒ところがそれらは不当労働行為を意図する使用者の忠実な﹁手先﹂である︶不当労 働行為などしたくてもあからさまにできないし︑ 罪なのであるからである︒. 第三に︑不当労働行為が社会悪としての犯罪だという観念が一般に通用するようになれば︑憲法第二八条に規定す. る労働基本権の行使がはるかに正当性をもったものとして一般市民にもうけいれられるからである︒そして︑それら. が規範意識として全社会的に定着することによって︑使用者の反組合活動キャンペーンはしにくくなるであろう︒. 最後に第四の理由として︑なぜ不当労働行為に刑罰が課されねばならないかという積極的な理由として︑不当労働. 行為は直接に憲法第二八条に規定する労働基本権の保障を躁繭・破壊する行為だということである︒憲法第二八条.

(31) は︑戦後︑占領軍の押しつけで資本家側が譲歩して制定された規定ではなく︑戦前より続いてきた目本をはじめとす. る国際的な労働運動の権力獲得のための闘争の成果にほかならない︒そして︑現実社会において︑その具体化がはか. られることが︑憲法のもつ基本的人権尊重・平和主義・国民主権等の大原則をいかすうえでの大きな基礎となること. はいうまでもない︒だからこそ︑その基礎をゆるがすような行為は︑右に記した憲法の精神をふみにじるものであつ. て︑憲法に同列に記されている財産権の侵害以上に反社会性・可罰性を有するものとの法的評価を与えられてしかる. べきものなのである︒不当労働行為の真の犯罪性はここに求められるべきであり︑これこそ憲法の保障する労働基本 権のひとつの制度的具体化にほかならないといえよう︒. 以上が立法論である︒しかしながらこれだけでは画餅にすぎない︒労働委員会が真に救済機関としての役割をはた. すようになるには︑まずなによりも︑政府・独占に対して自主性を堅持する階級的・戦闘的労働組合が︑公益委員の. 選任に対して大きな発言力をもつことのできるような態勢を労働運動の戦線内部でつくりあげることが︑まずなによ. 三七九. りも必要である︒そしてそれらをふまえて︑右の立法論を目標として労働組合運動をもりあげねばならない︒労働運. 動は国民の大多数を占める勤労者のほとんどの基本的権利獲得のための源泉であるからである︒. 労働委員会とその判定姿勢についての一考察.

(32)

参照

関連したドキュメント

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

河川管理者又は海岸管理者の許可を受けなければならない

目について︑一九九四年︱二月二 0

[r]

[r]

十四 スチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法 十五 エチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法

一 六〇四 ・一五 CC( 第 三類の 非原産 材料を 使用す る場合 には、 当該 非原産 材料の それぞ

[r]