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Vol.68 , No.1(2019)070林 拓望「ハリバドラの『八千頌般若経大註』に引用される『外境成就論頌』第49偈の意味」

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(1)

印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元年12月 (130) ― 419 ―

ハリバドラの『八千頌般若経大 』に引用される

『外境成就論頌』第

49

偈の意味

林   拓 望

1

.問題の所在

ハリバドラ(Haribhadra, ca. 800)の『八千頌般若経大 ・現観荘厳光明』(AAA) には,同じ後期中観派に位置付けられるシャーンタラクシタ(Śāntarakṣita, ca. 725– 788)やカマラシーラ(Kamalaśīla, ca. 740–795)からの思想的影響が多分に見られる. その一例を示すものとして,仏教内外の学派によって提唱された極微(paramāṇu) 説を批判する箇所がある.そこではヴァイシェーシカ,説一切有部,経部の極微 説が俎上に載せられるが,それらに対する批判内容は殆どが先人の見解の踏襲で ある.しかしながら,最後の箇所にシュバグプタ(Śubhagupta, ca. 650–750)1)の『外 境成就論頌』(BASK)第49偈が引用され,シャーンタラクシタ等の著作からの引 用ではない記述が後に続いている.既にMoriyama 1984, 一郷(1985a, 12–23)の研 究によって,極微説批判に関するハリバドラと先人の共通性は明らかになってい るが,BASK第49偈とその後の記述に対する詳しい研究はなされていない2).し たがって,本稿で検討し,ハリバドラによってBASK第49が引用された意味を 明らかにしたい. 2

.後期中観派の著作に見られるシュバグプタと

BASK 後期中観派の著作において極微説批判が展開される際に,度々シュバグプタが 批判対象として挙げられ,BASKが引用,言及されることは既に知られている3) まず,AAAと関連する後期中観派の著作においてその点を確認する.『中観荘厳 論・細 』(MAP)においてカマラシーラは次のように述べている. 例えば,規範師シュバクプタが あるものに方分の区別が存在する,それが単一であるのは不合理である.(『唯識二十論』 第14偈前半) という,これ(『唯識二十論』第14偈,前半)を批判することを意図する故に,

(2)

(131)

― 418 ―

ハリバドラの『八千頌般若経大 』に引用される『外境成就論頌』第49偈の意味(林)

別々の方位から多くの〔極微〕が,ある〔極微〕を取り囲んでいるだけであると説くに

尽きるが,その極微は部分を持つ自体ではない.(BASK第46偈)

と述べる如くである.(MAP P: 95a2–3, D: 92b2–3. Cf. 一郷Ichigō 1985a, 53)

カマラシーラはヴァスバンドゥ(Vasubandhu, ca. 400)によって『唯識二十論』第 14偈で述べられた極微否定論に対する批判を企てた者としてシュバグプタの名 前を挙げ,BASK第46偈を引用している4).また,『真実摂取・細 』TSPにお いてもカマラシーラは多数のBASKの偈に言及していることが指摘されており, BASK第46, 47, 48, 50, 51偈と関連する記述が確認されている5).以上の点から, 後期中観派のシュバグプタに対する批判意識が強力であったことが窺える. 3

BASK

49

偈とその後の記述

それではAAAにおけるBASK第49偈とその後の記述の検討に移る6)BASK

第49偈は既に見たBASK第46偈等とは異なり,シャーンタラクシタやカマラ シーラの著作には引用されておらず,言及も確認されていない. それとは別のものに相待することによって,別のものの自性が決定される. それは,そこでは,真実として,非存在である.彼岸と此岸等の区別のように.(BASK 第49偈) 以上の理から,真実として,部分を持つという性質(有分性)は〔極微には〕ない,と もしも言うならば,そのようなことはない.彼岸と此岸にも,外境論者たちの相待による 区別によって,父と息子等のように混同〔すること〕はないから,真実に他ならぬ自性が あると承認されるべきである.なぜならば,あるものに相待することによって,それは彼 岸であるが,〔同じ〕それに相待することによって,それが此岸であることは決してないか らである.そうではなくて,彼岸と此岸に真実の性質が存在しない時,どうして,彼岸と 此岸の名を持つ岸に立つ両者に,〔彼岸と此岸とを〕混同〔すること〕なく位置すること があるのか.…なぜならば,分別によって作られた区別は効果的作用の原因ではないから である.(AAA 625, 27–626, 7) このBASK第49偈のみから,シュバグプタが示そうとした見解を推測するこ とは容易ではない.しかしながら,BASK第46偈等の一連の偈が極微に関する内 容を示していること,特に,ヴァスバンドゥの『唯識二十論』第14偈を踏まえ た見解が示されていることを考慮すれば,第49偈でも同様の趣旨を述べている と考えられる.即ち,極微における方分(dig-bhāga)とは相待的なものであり, 真実としては非存在である,というのがここでのシュバグプタの見解である. それに対してハリバドラは「相待による区別(vyapekṣā-bheda)」という理論が外

(3)

(132) ― 417 ― ハリバドラの『八千頌般若経大 』に引用される『外境成就論頌』第49偈の意味(林) 境論者たちにも認められることを指摘して7),シュバグプタの外境論者としての 立場を追求する.即ち,相待的であり,真実としては非存在であるものの例とし て示される「彼岸と此岸」が,同じ外境論者であるシュバグプタにとって非存在 とはなり得ないと批判するのである. ここでのハリバドラの批判は,シュバグプタの極微理論に対する直接的な批判 とは言い得ないであろう.寧ろ,「彼岸と此岸等の区別のように」という例示に 着目することによって,BASK第49偈がシュバグプタの外境論者としての立場と 一致しないことを指摘しようとしたと考えられる.以上のような批判の手法を シャーンタラクシタやカマラシーラが用いている例は,筆者が知る限り確認され ない.したがって,ハリバドラはAAAにおいて,多くの点で先人の見解を踏襲 しながらも,そこから一歩踏み込んだ思索を展開していると考えられる. 4

.結論

以上の検討の結果,ハリバドラによってBASK第49偈が引用された意味につ いては,二つの点が考えられる.第一に考えられることは,先人が言及していな い偈を引用することによって,自己の著作の独自性を示そうとしたという点であ る.ハリバドラは先人の見解を十分に熟知していたが,一方では先人とは異なる 形で自らの思索の成果を残そうとしたのではないだろうか.第二に考えられるこ とは,先人によって繰り返されてきたシュバグプタに対する批判を,より一層強 固なものにしようとしたという点である.ハリバドラはTSP等における先人の シュバグプタ批判を継承しながら,AAAにおいてシュバグプタの極微理論の徹 底的な破壊を目論んだと考えられる. 1)シュバグプタの年代についてはHattori (1960)の説を採用した.   2) AAAにおけ るBASK第49偈の引用については,森山(2003, 9–10)が既に指摘している.   3)一 郷(Ichigō 1985a, 75–93)によって,シャーンタラクシタの著作におけるシュバグプタの思 想家像が考察されている.   4)Cf. 一郷(Ichigō 1985a, 24, 脚注2).   5)これら TSPにおけるBASKの偈の内,第46偈についてはHattori(1960, 10),第48偈については 一郷(1985b, 77),第50及び第51偈については森山(2003, 19)と真鍋(2011, 34)の研究 によって,同定と考察がなされている.また,現時点では指摘されていないが,筆者が見 る限り第47偈についても同じくTSP(678, 13–15)に関連する記述が見られる.この問題 については今後検討する予定である.   6)第49偈については,BASK (D: 191a7, P:

202a1)を参照.   7) AAAのこの箇所と関連すると思われる記述がAKVy(43, 25–44,

(4)

(133) ― 416 ― ハリバドラの『八千頌般若経大 』に引用される『外境成就論頌』第49偈の意味(林) 性が生じるが,息子という自性は生じず,自分の父に相待すれば息子という自性が生じる が,父という自性は生じない,というように,相待する対象が異なれば,ひとりの人間に も種々の自性の区別が認められ,かつそれらが混同しない,という理論であると考えられ る. 〈略号表〉

AAA: Abhisamayālaṃkārālokā PrajñāpāramitāvyākhyāCommentary on Aṣṭasāhasrikā-Prajñāpāramitā, The Work of Haribhadra, Together with the Text Commented on. Ed.

Wogihara U. Tokyo: Toyo Bunko, 1973.

AKVy: Sphuṭārthā Abhidharmakośavyākhyā by Yaśomitra. Ed. Unrai Wogihara. Part 1. Tokyo: Sankibo Buddhist Book Store, 1971.

BASK: *Bāhyārthasiddhikārikā(ཕྱི་རོལ་གྱི་དོན་གྲུབ་པ་ཞེས་བྱ་བའི་ཚིག་ལེའུར་བྱས་པ།)Śubhagupta. P. No. 5742, D. No. 4244.

MAP: *Madhyamakālaṃkāra-pañjikā(དབུ་མའི་�ན་གྱི་དཀའ་འགྲེལ།)Kamalaśīla. P. No. 5286, D. No. 3886. TSP: Tattvasaṅgraha of Ācārya Shāntarakṣita: With the Commentary Pañjikā of Shri Kamalashīla.

Ed. Swami Dwarikadas Shastri. Vol. 2. Varanasi: Bauddha Bharati, 1968.

〈参考文献〉

Hattori Masaaki. 1960. Bāhyārthasiddhikārikā of Śubhagupta. IBK 8(1):9–14.

Moriyama, Seitetsu. 1984. The Yogācāra-mādhyamika Refutation of tha Position of the Satyākāra and Alīkākāra-vādins of the Yogācāra School. Part 1: A Translation of Portions of Haribhadra s Abhisamayālaṃkārālokā Prajñāpāramitāvyākhyā.『佛教大学大学院研究紀要』12: 1–58. 一 郷 正 道(Ichigō Masamichi). 1985a. Madhyamakālaṁkāra of Śāntaraks

̇ita with his own

Commentary of Vr

̇tti and with the Subcommentary or Pañjikā of Kamalaśīla. Kyoto: Buneido. ― 1985b『中観荘厳論の研究―シャーンタラクシタの思想―』文栄堂. ― 2015『ハリバドラの伝える瑜伽行中観派思想』東本願寺出版部. 真鍋智裕 2011「部分を有しない極微に場所的前後関係は存在し得るか―カマラシーラ とシュバグプタとの対論(2)―」『久遠―研究論文集―』2: 32–44. 森山清徹 2003「シャーンタラクシタの中観思想の形成とシュバグプタ,シャーキャブッ ディ―自然界(原子,物質)と知識の峻別の根拠―」『佛教大学総合研究所紀要』 10: 5–26. 〈キーワード〉 ハリバドラ,シュバグプタ,カマラシーラ,後期中観派,極微 (佛教大学大学院)

参照

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