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畑 中 志 保

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Academic year: 2021

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山田耕俸の歌曲の中にみられる教育的価値内容に関する研究

ードイツ留学から歌曲 f赤とんぼ

J

創作に至る音楽的思索と創作活動を視点として一

教科・領域教育専攻 芸術系(音楽コース) 畑 中 志 保

はじめに

山田耕作(1886‑1965)は、日本語を起点 とした作曲様式を確立し、歌曲「赤とんぼJ の作曲家として知られている。彼の歌曲が生 み出された背景においては、山田の生涯にお ける葛藤と模索があった。彼は、 ドイツ留学 時において、自分の創作作品の独自性のなさ に失望し、また、日本語に対する自らの認識 の甘さを痛感する。そして、歌曲の創作を中 断し、ピアノ小品の創作活動によって自身の 音楽語法を模索する口後に、詩人との親交を 通じて詩感を豊かなものにした頃、歌曲の創 作を再開する。また、大正童謡運動との出合 いによって子供と音楽との関わりを意識した 童謡論を確立し、歌曲「赤とんぼJを創作す る。したがって、この楽曲は、山田の歌曲に 対する車念と童謡論が色濃く反映されている

ものとして捉えることができるのである。

以上のような見地から、本研究では、山田 耕作のドイツ留学から「赤とんぼ」創作に至 る音楽的思索と創作活動に着目し、その関係 性を明らかにすることによって彼の歌曲の中 に見られる教育的価値内容を検討することを 目的とする。

1.山田霧持管の生涯と音楽観形成の背景 山田は、早くに作曲の道を志すものの国内 では師を得られず、東京音楽学校で声楽を専

指導教宮 長 島 真 人

攻した後、 ドイツに留学する。そして、厳格 な作曲理論を学びながらも当時前衛的なヨー ロッパ文化全体を享受する。しかし、自分の 創作作品に疑問を持ち始め、自分らしい音楽 を独自の作風で作り上げ、日本にふさわしい 音楽の創造を切望するようになる。そして、

帰国途中において、スクリャーピンの音楽に 出合い、深い感銘を受ける。帰国後、ピアノ 小品「プチ・ポエム」を多く創作し、内心の 詩想、の音像化を試みて自身の音楽語法を獲得 する。その後、大正童謡運動に加わり北原白 秋と出会う。そして、共に詩と音楽に対する 認識の一致から、雑誌「詩と音楽」を共同主 幹で倉リ刊する。ここで山田は、独自の詩と音 楽に対する論考や芸術論、童謡論を明らかに するとともに、歌曲の創作作品を掲載するこ とによって彼らの現念を具現化している。こ の試みは、震災によって短命に終わるが、そ の後も膨大な歌曲や童謡の創作を試み、「赤と んぼ」などを創作するのである。

ll. 日本の歌曲の創作とその音楽的特性 山田は、 ドイツ留学中において、日本に対 する憧僚や寂家の思し1から、三木露風の詩に よる歌曲を創作する。しかし、自身の日本語 に対する認識の甘さを痛感することになり、

1914年から 1917年頃まで歌曲の創作を中断 する。この間、彼は、多数のピアノ小品「プ

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チ・ポエム」を創作し、歌曲に接近している。

初期においては、スクリャービンの影響を受 けた増 4度の響きを巧みに用いることによっ て、自身の音楽語法を模索している。中期に おいては、次第に叙情的な標題音楽となって おり、言葉や文学的世界への意識が窺える。

後期においては、日本的な詩情を反映した作 品 ~r荒城の月 J を主題とした変奏曲』によっ て、西洋音楽を用いながらも日本人の心情を 確実に表現している口この後、北原白秋との 出会いによって、日本語自身がもっ響きや語 感、韻律を研究し、さらに詩人と共に推蔽を 重ねるという山田独自の歌曲の創作法を確立 する。それゆえに、歌曲「からたちの花」に は、山田と白秋のこだわりが窺える。また、

増4度の響きを多様に混在させるという山田 独自の作風の確立もみられる。

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童謡運動との出合いによる童謡論の形成 と童謡創作

大正童謡運動によって山田は北原白秋らと 出会い、日本語に対する詩感を豊かにしてい た。そして、自身の音楽語法の高まりと共に 独自の芸術論と歌曲論を確立していた口一方 で、詩人たちの童謡論にも影響を受けながら も、子供と音楽という視点からその根源を突 き詰め、その関係性を考察し、彼独自の童謡 論を確立している。それは、「童心」こそ単純 で純粋で自然であり、それは音楽のもつ本質 と同じものであるとの認識から生まれた独自 のもので、あった。それゆえに、彼の童謡は、

子供の愛唱に適するものにするために、有節 歌曲になっている。そして、単純かっ自然で、

しかも深く広い内容を持ったものを志向した もので、あった。童謡として作曲された歌曲「赤 とんぼ」には、山田の童謡論と日本の歌曲論

が確認できた。そして、山田の増4度の響き に対するこだわりも確認できた。

IV.山国語併の音楽教育思想と彼の歌曲 の教育的価値内容と意義

日本語を尊重した旋律法によって日本語の もつ響きやリズム、語感を表現し、そこに日 本的な響きを用いるという山田独自の作曲技 法の確立は、西洋音楽を用いた音楽の中にあ っても、確実に日本人の心情を表現すること を可能とした。そして、音楽は子供のように 単純で純粋なものが必要不可欠であること、

子供に学ぶべきものは多く、無限に存在する こと、それゆえに、子供にあたえる音楽は、

複雑さと広さ、そして、深さを加えていくべ きであると述べた山田の思いは、日本人の愛 唱歌となる歌曲「赤とんぼJの創作として結 実したのである。したがって、歌曲「赤とん ぼJを音楽科教育において子供たちに出合わ せる時には、彼の確立した作曲技法や歌詞の 意味のみに終始するのではなく、そのような 事実を拠り所としたさらに深い内容へのアプ ローチが可能である。つまり、西洋音楽の中 にあっても埋没することのない日本人の心情 を表現しようと試みた山田の思いを、子供た ちにも探究させる必要があるものと思われる。

おわりに

山田が常に追い求めたものである日本人の 心情とは、私たち日本人の本質であり、自意 識で、あったo 私たちは、山田の様々な思索と その創作作品に触れることによって、そこに みられる私たちの本質を見出し、活力にして し、かなければならない。今後の課題は、本研 究から得た示唆を拠り所として、山田の歌曲 の中にみられる教育的価値内容について、さ

らに深く見つめ直すことである。

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参照

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