1.はじめに
秋田県には民謡,祭囃子,盆踊り,番楽など多くの郷土芸能が伝承されているが,これらの芸能について論じる場 合,ひとつの芸能の種目に焦点を当て,その伝播や伝承,様式上の特徴や変化等を明らかにするのが通例である。し かし,ひとつの地域は郷土芸能を始め,日本音楽,大衆音楽,さらには西洋音楽に至るまで広範囲に渡る芸能のレパ ートリーを担っており,また,1人の人間が複数の芸能の担い手であることは珍しいことではない。秋田県の仙北地 方では,祭囃子の担い手が,長唄や端唄,ササラなどの演奏を経験している例が多く見られ ,伝統邦楽と郷土芸能 の間の垣根は低かったと言える。一方,謡曲や筝曲などの担い手の場合には,演奏する音楽の種目は専門化されてお り,謡曲の担い手が,民謡などの郷土芸能の担い手であることは稀であったと想像できる。このように,ひとつの地 域は複数の音楽の種目をレパートリーとして有しており,個々の種目は他の芸能と関係して,あるいは相互の関係が 希薄な状態で担われており,地域の音楽文化は複合的であると言える。
また,郷土芸能は特定の地域に固有の芸能であり,当該地域の住民によって担われていると普通,想像されている が,東京の神田祭の囃子の担い手は地元の神田の住民ではなく ,また,秋田県の角館の祭礼の場合には,角館から 十数キロ離れた生保内(旧田沢湖町)からの組も山車の上の囃子や手踊りを担っているなど ,その地域固有のもの と思われている芸能が,他の地域の住人によって担われている例が多く見出される。
さらに,その地域の慣習や住民の生活を基盤として伝承されてきた芸能も,産業構造の変化やそれに伴う生活様式,
共同体の変化により,伝承が途絶えたものが多く,また現在に至るまで伝承され続けてきた芸能も,舞台芸能化し,
見せるための芸能に変質して観光と結びつくなど,担われる脈絡に応じて演奏の場や担われ方を変化させている。
農業の機械化や地方人口の過疎化により,昔ながらの共同体が崩壊し,芸能の伝承が困難になってきている現代に おいては,郷土芸能を昔ながらの方法で伝承していくことは困難であり,現在も伝承され続けている芸能は,社会的 な変化に適応し,演奏される脈絡や伝承の形態を変化させることによって,伝承が途絶えることがなかったと言える。
芸 能 の 保 存 と 伝 承 に つ い て
― 秋田県仙北市角館を例に ―
桂 博 章
The Transmission and the Preservation of the Performing Arts
― The Case Study of Kakunodate and Outskirts Areas in Akita Prefecture ―
Hiroaki KATSURA
The purpose of this thesis is to propose a way for the transmission and the preservation of the provin- cial performing arts. In consequence of surveying the rises and falls of the Performing Arts of Kakunodate and Outskirts Areas in Akita Prefecture, and investigating the change of context in that the Performing Arts have been transmitted, conclusions as follows were brought.
1)The festive music known as Oyama-Bayashi and the folk dances have been transmitted through ages, by changing the character of the performing groups and adapting to the social and cultural context.
2)As it became difficult especially for the depopulated areas to transmit and preserve the provincial arts, it is required to recruit the participants of the traditional events or performing arts extending the limited areas.
3)The tourism promote the transmission and the preservation of the provincial performing arts rather than spoil those. So it is necessary to gather many outsiders such as tourists.
Keywords: Provincial Performing Arts, Akita Prefecture, Transmission, Preservation
これからも芸能を伝承していくためには,過去における芸能の盛衰を俯瞰し,現代に適応した芸能の伝承方法を模索 することが重要であると考える。
2.目 的
この論文の目的は,秋田県の地方都市である角館(現仙北市)とその周辺で担われてきた,日本音楽を含む芸能の 盛衰を地元紙の記事から俯瞰し,伝承を支えた要因について考察することによって,今後の芸能の伝承のあり方につ いての示唆を得ることにある。
3.角館とその周辺における芸能の盛衰 3.1 角館とその周辺の芸能の特質
角館とその周辺では芸能が盛んに演じられてきたが,その理由のひとつとして地理的な位置が挙げられる。角館は 福島県の桑折から山形,秋田を経て青森に至る羽州街道からは少し離れた場所に位置しているが,東西南北に通じる 街道が交差しているために人々の往来が盛んであり,芸能も人々の移動に伴って周辺地域からだけではなく,江戸時 代には江戸や上方からも流入していた。こうした地理的な位置に加え,角館には久保田藩の分家である北家が置かれ ていたために,芸能を育むための条件が備わっていた。また,町の住民と近郊農村の住民の芸能に対する嗜好は異な っていたが,町の祭礼の囃子や手踊りを近郊農村の住民が演じるなど,両者が担っていた芸能の間には交流があり,
角館の町とその近郊農村は独自の小宇宙を形成していたと言える 。
秋田県は民謡の宝庫と言われるほど,民謡が盛んに歌われていたが,仙北郡一帯では手踊りを伴って民謡が歌われ ることが多く,「サイサイ踊り」 として知られている。角館の近郊農村にも民謡手踊りが各集落に伝承されているが,
これらの地域では手踊りが角館の神明社と薬師堂の祭礼 と結びつき,以下のように分類される囃子のレパートリー の中に「民謡手踊り」が余興の曲として組み入れられている 。
ア.山車の進行に伴う曲(踊りを伴わない)
①寄せ囃子(山車が動き出すことを周囲に知らせる時) ②上り山囃子(目的地に向かう時) ③下り山囃子
(目的地から帰る時) ④下り藤(山車が方向転換する時) ⑤荷方節(時間繋ぎや,山車が町内を練り歩く時)
⑥神楽囃子(山車をぶつけ合う時)
イ.奉納のための曲(踊りを伴う)
①拳囃子 ②二本竹
ウ.余興のための曲(唄はなく,踊りを伴う)
①秋田甚句 ②秋田おばこ ③おやまこ ④かまやせ ⑤おいとこ ⑥秋田音頭 ⑦組音頭
上記の「山車の進行に伴う曲」「奉納のための曲」「余興のための曲」は,祭礼を離れた舞台でも一緒に演奏される ことが多く,その場合,余興のための民謡には唄と踊りを伴うのが普通である。角館周辺では「民謡」というのは,
「囃子の伴奏」と「手踊り」を伴うのが普通の演奏形態であり,「囃子」「民謡」「民謡手踊り」は余り区別されていな い。このように角館の祭礼を通し,「民謡手踊り」が「囃子」と結びついて,それを中心に芸能が担われてきたのがこ の地域の芸能の特徴である。
3.2 角館とその周辺で担われてきた芸能とその盛衰
表1は地元紙の「角館時報」 と「北仙民友」 に掲載された民俗芸能,音楽関係の記事から,西洋音楽を除く各 種目についての記事の掲載回数を年毎に挙げたものである。また,表2は5年,あるいは6年毎に機械的に区切った 掲載回数である。表に記された種目の内「地元の民謡」とあるのは,この地域の住民による仙北地方の民謡,及び民 謡手踊りを意味し,「広域民謡」とあるのは,「追分節」や「安来節」などの県外の民謡を意味している。「演芸会」は 地域の住民による娯楽や慰安のために開かれ,「歌謡曲」「民謡」「民謡手踊り」「琵琶」「ヴァイオリン演奏」など,素 人による多様な芸が披露されるもので,芸能の種目ではないが,参考のために挙げておいた。
地元2紙に掲載された音楽関係の記事の内,1回の演奏会等に関し複数回,掲載された記事,「角館時報」と「北仙 民友」の両方に掲載された記事,及び西洋音楽関係の演奏会の記事は除いた。また,掲載されたプログラムに,例え ば「琵琶」と「民謡」が記載されている場合には,それぞれについて1回と数え,その結果,2紙に掲載された各種 目の記事の総数は965となった。しかし,「囃子」と「地元の民謡」の区別は記事だけからは難しいことも多く,また,
地元の図書館が所蔵している地元2紙は,一部,保存されていない月もあるので,表1と表2の数字は厳密なもので
表1 新聞に掲載された種目毎の回数
はなく,およその傾向を示すものである。その他,現地調査でインフォーマントから得た情報も加え,角館とその周 辺における芸能の盛衰について以下に概観してみる。
3.3 角館の町の芸能
角館には北家が置かれていたので,明治期以降も士族の文化を受け継ぎ,昭和初期までは,町の住民は町に住む師 匠から琵琶,喜多流の謡曲を習い,義太夫は商家の者や芸者が習っていたが,琵琶と義太夫に関する記事は昭和15年 を最後に消えている。謡曲の記事は平成に入ってからも散発的に見られるが,それは横手,大曲などの町の謡曲会と 合同で定期的に演奏会が開かれているものであり,日舞に関しても花柳流や坂東流など,全国的な組織の傘下に入っ ての活動となっている。
琵琶,謡曲,義太夫などの邦楽は,大正時代には盛んで,町中の劇場で2日間に渡り義太夫の公演があり,満員で あったという記事が大正 12 年発行の「角館時報」に掲載されている。昭和初期には,町に住む師匠と弟子の関係で 細々と伝承され,また,大戦時までは素人演芸会で演じる者も僅かにいたものの,次第に衰退していき,謡曲や日舞 のように広域的な組織に加わる以外は,これらの種目を町が独立的に担うことができなくなっていったようである。
これらの伝統邦楽が衰退していった理由として,人々の嗜好が娯楽性の高い芸能に向いていったということが考え られる。歌舞伎の上演についての記事は大正12年から大戦前まで,長期に渡る空白がなく31回掲載されている。「活 動写真」を含む昭和7年度の興行成績を見ると,興行回数189回,興行日数288日,観客動員数65,457人であり,その 内,歌舞伎は興行回数26回,興行日数48日,観客動員数16,120人となっている 。昭和8年の角館とその周辺の管内 人口が約32,000人であることを考えると,歌舞伎の人気の高さがわかる。
しかし,歌舞伎に関する記事は昭和29年を最後に姿を消し,大衆性,娯楽性の高い浪曲,歌謡曲,新舞踊,映画に,
あるいは西洋音楽に取って替わられたものと思われる。参考までに昭和16年に角館劇場で催された,大陸での戦死者 の遺家族のための「慰問素人演芸会」のプログラム(「角館時報」11月9日第777号)を資料として挙げておくが,そ の中で「舞踊」とあるのは,流行歌に振りをつけた「新舞踊」で,歌に合わせ,股旅姿で踊ることが流行していた。
参考資料を見ると,民謡手踊りのほとんどが近郊農村の者によって演じられているのに対し,新舞踊は町の住民と近 郊農村の住民の区別無く愛好されていたことがわかる。このように町の中で担われていた伝統邦楽は衰退し,芸能の 享受,伝承という面では,町の独自性は失われ,外から入ってきた大衆芸能に取って替わられたと言える。
3.4 近郊農村の芸能
祭囃子,民謡,ササラ,神楽,番楽の内,「囃子」と「地元の民謡」は現在に至るまで記事が継続して掲載されてお り,回数も多いが,特に昭和30年から40年代の初めにかけては掲載回数が特出していることがわかる。民謡に関して は,他県の民謡についての掲載回数よりも,地元の民謡の掲載回数の方が遥かに多く,角館とその周辺では地元の芸 能に対する嗜好が強いと言える。
祭囃子,民謡手踊りは元来,近郊農村の芸能であり,これらの芸能の担い手である角館周辺の農村では,リーダー の下に囃子や手踊りの組が離合集散を繰り返しながら組織され,祭礼時には町に出て来て山車や舞台の上で演じてい た。しかし,昭和39年からは,町の公民館で囃子の楽器や手踊りが教えられ始め,この頃から町の住民も祭礼の山車 の上で囃子や手踊りを演奏するようになった。元来は地縁や血縁を元に近郊農村に結成されていた組のメンバーの居 表2 数年毎の掲載された回数
住地も広域化し,現在では囃子や手踊りは農村の芸能とは言えないまでに,町の住民も加わるようになってきている。
ササラ は,現在でも周辺の部落で伝承されている。昭和40年前後の数年間,お盆の時に町に出て来なかったこと もあるが,盆の行事を観光協会が主催で行うようになった昭和44年からは,盆には町に出て来て再び演じるようにな り,また,周辺農村では部落の若者組によって担われ続けている。
これに対して神楽や番楽は部落での伝承が難しくなり,現在では伝承が途絶えてしまっている。神楽 は,「民謡手 踊り」や「ササラ」と共に,盆には周辺の部落から町中に出て来て演じられ,また,昭和9年までは祭礼時の町内の 出し物にもなっていたが,それ以降は,周辺の部落の共同体を母体とした伝承は途絶え,その後,文化保存団体の公 演等で復活したこともあるが,現在は伝承が絶えている。番楽(山伏神楽)も,昭和30年以降,部落での伝承が難し くなり,その後,保存会の発足や,地元の小学生による芸能発表会での演奏が報じられたものの,現在は角館近郊で は伝承されていない。
4.芸能が担われる脈絡の変化
以上,角館とその周辺における芸能の伝承について概観したが,現在もこの地域が独自に伝承し続けている中心的 な芸能は「祭囃子」と「手踊り」であり,「ササラ」も以前ほど盛んではないが,伝承され続けている。しかし,芸能 が担われてきた脈絡や演奏の場等は時代と共に変化し,現在に至るまで伝承されている芸能は,社会や生活様式の変 化に適応したからであり,このことは特に祭囃子と手踊りについて言える。
この地域の囃子や民謡手踊りは,主として農村の娯楽として伝承され,町の住民は神明社と薬師堂の祭礼では囃子 の演奏や手踊りに加わることはなかった。農村には農業を基盤とした共同体が形成され,1年の農作業の後の笠納め,
新築祝い,結婚式,酒席などでは民謡や手踊りが演奏されていた。三味線,太鼓,横笛などの楽器奏者や,歌い手が 各集落で揃うのが普通であり,女児の半数は近郊農村に住む師匠から手踊りを習っていた。大正14年の「角館時報」
の祭礼に関する記事に,「本年は各町の催が多く指を折れば手踊だけでも二十組から数へられる。一組踊子と囃とで十 人づゝと見ても二百人の人々を付近村から集めたわけだ」 とあるが,昭和の初め頃までは,これらの楽器,踊り等 を嗜む者が組をつくり,盆や祭礼の折に町に出,辻や山車の上で囃子の伴奏で踊っていた。近郊農村の芸能と町の芸 能の棲み分けが行なわれていても,角館の町の祭礼や盆が両者の接点となり,両者が交流しながら,この地域の芸能 が担われてきたと言える。
その後,農村における娯楽としての郷土芸能の役割は低下し始めた昭和初期には,行政機関により秋田県の郷土芸 能の保存,育成が図られ,昭和3年の「角館時報」(8月5日第146号)には「秋田県郷土芸術協会支部発会式」とい う見出しの記事が,また昭和7年の「角館時報」(11月15日第296)には「県社会課で改めて力こぶ 社会教育課の独 立を機とし改めて秋田郷土芸術保護普及会を組織」という見出しの記事が掲載されている。
その他にも,昭和に入ってから始まったラジオ放送も,この地方の民謡や民謡手踊りの普及に寄与している。昭和 6年8月15日と16日に仙台放送局から放送された「全国各放送局盆踊連絡放送」では,以下の祭囃子と民謡手踊りが 実況放送されている 。
「拳囃子」「道中(下り山)囃子」「秋田おばこ」「秋田甚句」「秋田音頭」(15日放送)
「角館囃子」「荷方囃子」「秋田甚句」「生保内甚句」「秋田おばこ」(16日放送)。
また,昭和7年に秋田放送局開局記念に放送された番組では,「ヒデコ節」「生保内節」「秋田甚句」「秋田おばこ」
「拳囃子」「道中(下り山)囃子」が演奏されている 。これらの曲は角館の祭囃子,あるいは地元の民謡であり,演 奏者も近郊農村に居住する者である。このように,行政機関や放送により,郷土芸能が地域を越えて広く知られるよ うになり,この地方の芸能の伝承に寄与している。
この地域の手踊りは元々,見せるための要素を持っていたが,農村の娯楽の嗜好が変化していった時期に,踊りの 振りや舞台演出を工夫することにより,より洗練された芸能にし,実力のある組は祭礼の山車の上での演奏から離れ て日本各地の芸能祭や物産展,神社の祭礼などに呼ばれて演奏した。また,昭和30年,40年代には行政機関の後援に よる各地の物産展などでの演奏に加え,ホテルに泊る観光客のための演奏依頼が多くあり,田舎らしさを演出しなが らも,実際には洗練された囃子と手踊りを観光客の前で演じた。
見せるための芸能は,近郊農村において自ら演じる者が少なくなっていった時期に大きく発達したが,しかし,昭 和50年以降は演奏需要や近郊農村の人口の減少,農村の共同体の崩壊により,伝承が難しくなってきている。角館の 祭礼で長く囃子や手踊りを演奏してきた組も,過疎化のために後継者不足になるなど,解散を余儀なくされてしまっ た例も多く見られる。
また,現在,祭礼で囃子や手踊りを担っている組も,組織の性格や伝承の仕方が変わらざるを得なくなってきてい る。以前は地縁や血縁で組織されていた組も,メンバーの居住地が広域化し,町の住民が近郊農村の組に加わったり,
近年では町の住民だけで組織された囃子や手踊りの組も現れたりしている。以前は農村の共同体を基盤としていた組 は,同好会組織の性格を帯びるようになり,民謡をはじめ長唄やササラなど,他の芸能にも通じていた囃子の演奏者 も,現在では祭礼の山車の上で演奏する囃子の曲だけを演奏するようになってきている。
郷土芸能は地方の生活の中で変わらずに育まれてきたと,往々にして考えられているが,伝承される脈絡と伝承の ための組織は,時代と共に変化している。伝統的な生活様式を基盤とした伝承が困難になった時代に,行政による後 押しを得,ラジオなどのマスメディアに乗り,祭礼と結びついて観光客を取り込み,見せるための芸能に変化してい ったために,囃子と手踊りは,今に至るまで伝承されていると考えられる。
ササラに関しても囃子や手踊りと同様のことが言え,見る者が視覚的に楽しめる芸能であり,芸能大会や角館の町 における盆行事など,演奏の場が継続的にあったことが大きく影響してきたのではないかと思われる。
5.現代における芸能の伝承
インターネットを通じて個人の好みの音楽を簡単にダウンロードできるなど,音楽の個人化が進み,地方の過疎化 が進んでいる現在においては,昔ながらの生活様式を基盤として地域の共同体によって芸能を継承していくことは難 しく,芸能を継承していくためには新たな方法を模索する必要がある。この問題の解決は筆者の手に余るものである が,角館とその周辺における芸能の保存と伝承,及び同じような問題を抱えることの多い世界の民族音楽の事例から,
この問題について考えてみたい。
芸能が伝承されていくためには,「保存」という考えではなく,芸能が「生きている」という状態で担っていくこと が重要であり,それは芸能が演奏される祭礼などの地域の行事,及びその運営に多くの住民が参加することにより,
行事やそこで演じられる芸能を自分達が担っているという意識を持つかどうかにかかっている。幸い,角館の場合に は神明社と薬師堂の祭礼に対して,その意識が非常に強く,ある囃子奏者が「本当は角館から離れて他の土地で仕事 に就きたいのだが,お祭があるために離れられない」と語っているのを聞いたことがある 。
また,地方の人口が減少し,農業を基盤とした生活様式が変化してしまった状況の中で芸能を継承していくために は,参加する者の居住地を,芸能が本来伝承されてきた狭い地域に限定せず,外部の者を取り込むことも必要ではな いだろうか。
角館の場合には,地縁を中心としていた囃子や踊りの組のメンバーの居住地の範囲が広がり,元来は別の文化圏で あった生保内地区(旧田沢湖町)の住民も囃し手として,角館の祭礼に加わっている。また,以前は町の住民が囃子 や踊りに加わることはなかったが,現在では町の住民が多く加わるようになり,近郊農村と町の区別が薄れている。
芸能が伝承されている限られた地域の芸能としてではなく,もっと広い範囲の住民も取り込み,周辺地域も含めた広 い地域の芸能として,担っていくことが必要ではないか。
次に観光客など,外部の者を行事に多く呼び込むことも一計である。行事の観光化はその土地の伝統や芸能の変質 の原因となるとして,それに反対する意見もあるが,地域の住民が行事等への参加意識を持っている限りは,行事や 芸能の伝承に寄与する面が大きいと考えられる。インドネシアのバリ島は金属打楽器を中心にしたガムラン音楽と舞 踊で有名であり,外国人観光客のために毎日開かれている演奏会は盛況であるが,外国人観光客と共にガムラン音楽 を楽しんでいる現地人も見られる。「ケチャ」というバリ島の芸能も同様であり,元来は外国人観光客のために土地の 芸能を元にしてドイツ人によって新しく作られたものであるが,現在ではバリ島人による「ケチャ」のコンクールが 開かれたり,祭礼で演奏されるなど,外国人観光客と土地の人の両方が楽しめる芸能となっている。バリ島のガムラ ン音楽や舞踊が観光資源になっていなければ,バリ島の伝統音楽は現在のようには伝承されてこなかったように思わ れる。
観光客が期待するのはその土地らしさであり,実際はどうであれ,迎え入れる側は地方色を演出することが重要で ある。観光とは一種の錯覚であり,観光客には田舎らしさを疑似体験してもらうと共に,迎え入れる側も住民自らが 観光の対象となりながらも楽しむことである。幼少時から目にしてきた芸能に対し,土地の住民は特別な価値を感じ ないが,外部の者が郷土の芸能に注目することにより,それまで受け継いできた芸能に対する誇りが生まれ,受け継 いだままの形を残そうとする意識が生じるようである。
秋田県羽後町の西馬音内の盆踊りは,テレビ等で紹介されてから全国的に有名になり,多くの観光客が訪れている。
踊りの輪も大きくせざるを得なくなり,今では地元民ではない外部からの踊り手も,観光客のために多数,踊りの輪
に加わっているが,保存会が中心となって昔の踊りをそのままの形で伝えていくことに努めており,観光化によって 芸能の衰退を免れ,却って本来の踊りを伝承していく動きが見られる。西馬音内の盆踊りが有名になった結果,保存 会の活動資金も潤い,昔ながらの踊り方の伝承に繋がっていると言える。ほとんどの芸能は観光の対象とはなってお らず,また,すべての郷土芸能が観光客の観賞に耐えるわけではないが,行政機関等の後押しにより,演じる者の晴 れの場となるような機会を設け,また見る者の目を楽しませる地方らしさを演出していくことが,これからの芸能の 伝承には必要ではないだろうか。
6.結び
角館とその周辺における音楽の盛衰を概観し,今日まで伝承されている祭囃子と手踊りについて論じてきたが,こ れらの芸能の担い手,担われてきた地域,演じられてきた脈絡は時代と共に変化してきた。現代においては以前と同 じ方法で郷土の芸能を伝承していくことは難しく,芸能を伝承していくためには,時代の流れに適応し,伝承される 環境をつくりだしていくことが重要である。角館とその周辺地域でも芸能を伝承される脈絡が大きく変化したが,角 館の祭礼を仲立ちとし,また観光客を呼び込むことによっても地元の芸能を伝承し続けてきた。
過疎化と人口減少の傾向にある地方においては,芸能を限られた地域の住民にだけよって担うことが難しくなって いる。今後,芸能の伝承のためには,これまでの地域の枠を越え,参加する住民の層を広げることにより,より広い 範囲の地方色を演出すると共に,祭礼に見られるように観光客など,外部の人をも取り込みながら,新しい演奏の場 を創り出していくことが重要ではないか。
【註】
拙著「地方都市とその周辺における祭囃子の伝承 ―秋田県角館町の飾山囃子の場合― 」民俗音楽研究 第30号 2005年 23−32 頁。
日本民俗音楽学会第20会大会(2006年11月5日 於:国立劇場伝統芸能情報舘)における音楽公演での若山胤雄氏の発言。
注1と同じ。
注1と同じ。
「秋田甚句」の合の手の「キタカコラコラ キタサカサイサイ」の「サイサイ」という言葉からとられた。
現在では9月7日から9日までの3日間,行われている。
角館町教育委員会 『角館祭りのやま行事報告書』角館町教育委員会 1998年。
「角館時報」は,大正11年11月より発行され,途中,戦争のために昭和17年6月〜昭和22年8月の中断期間を挟んで,昭和44年5 月までの間に,1,2週間毎に1950回発行されている。
「北仙民友」は昭和29年7月〜平成7年12月の間に,およそ5日毎に2883号まで発行されている。
拙著「『角館時報』」にみる角館とその周辺の音楽状況」―大正末から昭和初期にかけて― 」秋田大学教育文化学部研究紀要 教育 科学第56集 2001年 17−23頁。
この地域では3人1組,1人立ちの獅子踊りである。
里神楽で,2人立ちの獅子舞と寸劇から成っている。
大正14年9月19日発行の「角館時報」第69号の掲載記事より。
昭和6年8月15日発行の「角館時報」第252号の掲載記事より。
昭和7年1月25日発行の「角館時報」第267号の掲載記事より。
町に住む囃子奏者とのインタビューより。
参考資料
「遺家族慰問素人演芸会」のプログラム
(「角館時報」昭和16年7月13日第761号)
※演奏者名は省略 初日番組
1.追分節(尺八と唄):長野町 2.唄:雲澤村
番外.舞踊:角館町 3.江差舞:神代村
4.舞踊(露営の歌):神代村 5.舞踊(親恋道中):豊川村 6.劇(丹下左膳):豊岡村 7.舞踊:角館演劇研究会 8.おばこ節(尺八と踊):長野町 9.大黒舞:雲澤村
10.舞踊(しぐれ旅):角館町 11.津軽ジョンカラ:西明寺村 12.やぎ節:神代村 13.舞踊(おし鳥春姿):豊岡村 14.舞踊(倅出来した):豊川村 15.舞踊(森の石松):角館町 16.祭文荷方:角館町 17.甚句(尺八と踊):長野町 18.舞踊(彌次喜多音頭):豊岡村 19.独唱(無情の夢):角館町 20.踊(秋田音頭):豊川村 21.曲芸:角館演劇研究会 22.舞踊(赤垣源蔵):神代村 番外.舞踊:角館町 23.おどり(生保内節):角館町
二日目番組
1.唄:雲澤村 2.唄(おばこ節):長野町
3.唄(長者の山,おばこ節):西明寺村 4.タップダンス:演劇研究会(角館町)
5.芝居:神代村 6.舞踊(希望の門出):豊岡村
7.尺八:雲澤村 8.尺八(生保内節):長野町
9.舞踊(股旅道中):豊川村 10.新劇(千人針):豊岡村
11.荷方節:西明寺村 12.舞踊:角館町
13.追分節(尺八):長野町 14.農村劇:角館演劇研究会 15.踊(おばこ):角館町