晩年のリカードウと価値尺度論争163
≪論 説≫
晩年のリカードウと価値尺度論争
〜1823・年の手紙を検討して{
羽 鳥 卓 也
1 晩年のリカードウの価値論研究
周知のように,リカードウはかれの生前最終版である『原理』第3版(1821 年刊)の価値論の章のなかで,隔たった時点における商品の相対価値の変動
をひきおこす原因について考察しつつ,つぎのような所見を提示した。一 商品の相対価値の変動をひきおこす原因はふたつある。ひとつは,この期間
におけるある単一−・もしくは複数の種類の商品の生産に投下される労働量の増 減であるが,もうひとつの原因は,賃金の騰落による利潤率の変動であって,
これは諸商品が異をる固定・流動資本比率をもつ資本,あるいは異をる回収 期間を要する資本の使尉によって生産されているため,賃金率をいし利潤率 の変動からその価値に異なる大きさの影響を受けるためである。しかし,こ
ういうふたつの原因のうち,相対価値の変動にはるかに重大を影響を及ぼす ものは前者であって,後者の作用は「比較的軽微」である。その点は,われ われが諸商品の価値を測る尺度を,つねに同一量の労働の授下によって生産 され,しかも各種商品の生産諸条件のをかの「中位」の条件の下で生産され ると想定した財貨のなかから選び,こういう尺度で各種商品の価値の変動を 測れば,直ちに明らかにをるだろう。それゆえ,隔たった時点における諸商
●●●●
品の相対価値の変動をひきおこす基本的を安岡は,それらの生産に授下され る労働量の増減だといわをければならをい。
ー1 −
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だが,こういうリカードウの所論は,授下労働量による価値規定に立脚す る論者の立論としてはいくらか物足りをい感じを読者に与えるかもしれをい。
なぜをら,リカードウは相対価値と絶対価値とを峻別する必要を説きつづけ てきたのだから,隔たった時点における諸商品の相対価値の変動という事態
を観察した時には,かれはただ相対価値変動の主要原因を明らかにするだけ ではをく,その期間に各種商品についてその絶対価値が果して不変を維持し たか,それとも騰貴もしくは下落したかを明らかにすべきであったのに,か
れは第3版ではその点についての論及を避けてしま■ったからである。
かれが第3版で隔たった時点における各種商品の絶対価値の動きについて 言及しようとしなかったわけは,当時のかれが「絶対価値の標準尺度」をど のようにして見出すことができるかという問題に対してみずから納得しうる
(11 解答に到達していをかったためである。当時のかれが「絶対価値の標準尺度」
を探索する必要を痛感したのは,つぎのような事情からであった。
別稿で詳論したように,かれは第3版の価値論の章のをかで,諸商品の生 産に投下される資本の回収時間に差異がある場合には,同一投下労働量の諸 商品であっても,それらの価値はけっして同一にはならをい,と指摘してい た。つまり,かれの意見では,貸金をしい利潤の変動によってひきおこされ る商品の相対価値の変動を問鴇にする以前のところで,商品価値はそもそも
(1)1821年1fj25[lづけのマカァログあての手紙のをかで,リカードウは『原理』第3 版のために善かれた価値論の章の完成原稿がすでに印刷中であると書くとともに(cf.
Ⅳ0γたざ,ⅤⅢ,pp.342−3.),つぎのような興味ある内容の文章を記していた。「学兄
…==●●●=…●●●●■■ に度たびお話してきましたように,私は価値についてこれまで私が与えてきた説明に
満足してはいをいのです。なぜかというと,私には私の標準尺度をどこから選び出す べきかということが正確には分らをいからです。私は商品に実現された労働量をその相 対価値を支配する基準として選ぶことが正しい方法だと十分に確信しているのですが,
●■●●■●●●■ しかし絶対価値の標準尺痩を選び出そうとすると,果して一年間の労働,それともひ
と月にわたる労働,−・週間の労働,一日の労働のうちのいずれを選ぶべきかという点 で,私は決断しかねているのです。」(Ⅳorぬ,Ⅴ軋 p.344.ただし,傍点は引用者 の施したもの。)
− 2 −
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投下労働量に正確に比例して決定されているのではをいということが認めら
(2)
れをければならをいというのである。
そうをると,授下労働量による価値規定は各種商品の生産に投下される資
本の回収時間の差異によってある「極正」を受けぎるをえないということに なるから,リカードウにとっては当然それぞれの商品の絶対価値はどのよう
を手続きをすれば正確に測定できるのかという問題がおこってくるし,また
●●●●
この間題が解決されをい限り,隔たった時点での各種商品の絶対価値の動き ヽ を明らかにすることはできないという土とにをるのである。
以上で明らかにをったように,リカードウが第3版で,隔たった時点にお ける商品の相対価値の変動の原因を考察しをがら,その期間における各種商 品の絶対価値の動きについて言及しなかったのは,当時のかれが「絶対価値 の標準尺度」を見出しえをかったからである。かくして「絶対価値の標準尺 度」_の探索が第3版刊行後のリカードウの主要を研究課題とをった。かれが その探索の成果をとりまとめて−一個の論説に仕上げようと決意し,みずから
「絶対価値と交換価値」という表題をつけた草稿を執筆しはじめたのは,
1823年8月上旬であったと推定される。だが㌻その時からわずかひと月後に 突然の病がかれの生命を奪ったため,この草稿は未完のままで残された。こ
の遺稿が『原理』第3版以後のかれの価値論研究の達成を体現していること
は確かだろうが,しかしかれ自身の十分な推敲を経たものとはいえをいこの 未完の草稿はけっして平明を叙述から成っでいるとは言い難い。草稿の叙述 のなかからリカードウの鼻意を汲みとろうとする読者は,そのために必要な
いくつかの準備作業を行っておかをければをらないように思われる0
必要な準備作業のひとつは,1823年におけるリカードウとマルサスとの間,
およびリカードウとマカァロクとの間で文通によって行われた佃値尺度論を
(2)拙稿「リカードウにおける価値と自然価格との希軌(Ⅱ)(岡山大『掛古学会雑翫 12巻1号)第4節参照。
ー 3 一
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めぐる論争を検討することである。リカードウが遺稿「絶対価値と交換価値」
を執筆したのも,こういう二人の友人との論争に触発されたところが少をく をかったように思われるのであり,この遺稿のなかには当時のリカードウあ ての手紙のなかに記されたマルサスやマカァログの見解に対するリカードウ
の批判的検討の跡が少なからず見出される。こういった事情を考慮して,わ れわれは本稿で,晩年のリカードウの価値論研究の達成を示す「絶対価値と
交換価値」の内容を理解するための準備作業として,1823年における ド.りとこの二人の友人との間の文通による価値尺度論をめぐる論争について 考察したいと思う。
マルサスの′j、著作『価値尺度論』は1823年4月に刊行された。商品の価値 を正確に測定しうる尺度は当該商品の支配労働量に求められをければをらず,
t
それは市場で商品をり貨幣をりと交換されるものとしての「労働」のみがそ れ自体の価値が不変である唯⊥の商品なのだからだという所見がマルサスの 著作の内容の核心であった。リカードウはこの著作を発刊後直ちに通読した らしいが,4月29日づけのマルサスあての手額のなかで,マルサスの所見を 其向から批判した。この手紙を皮切りにリカードウどマルサスとの間には価
値尺度の選定問題をめぐる論争が文通によって展開され,9月11日のリカー
ドウの死に至るまで継続した。この間に両者ともに数通の手紙を書いたよう に思われるが,現存するものはリカードウ発信のもの6通であるのに対して,
マルサス発信のもの3通である。 なお,両者の間を往復した手紙の文面から みて,マルサスは5月上旬ないし中旬に一通の手紙をリカードウにあてて書 いたと思われるが,この手紙は失われたものらしく現存していをい。われわ れは次節で上記の手紙を資料として利用することによって両者の論争につい て考察したい。
さて,このように4月以来文通によってマルサスとの論争に携わっていた リカードウは,5月ないし6月にロンドンではじめて友人マカァロクと会見 する機会をもった。エディンバラ在住のマカァロクがこの年5月中旬から6
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塊年のリカードウと価値尺度論争167
月末へかけてロンドン訪問の長期旅行を企てたからである。マカアロクのロ ンドン滞在中にこの二人は価値論に関する問題を中心にして「]頭での討論を 行う機会をもったようであるが,討論は投下労働量による価値規定の理解を めぐって両者の間に小さくをい意見の差異があることを顕在化し,話し合い は物別れに終る結果にをった。リカードウは7月13日づけのマルサスあての 手紙のをかで,マかアロクとの会談の模様を簡単につぎのように報じている。
「マカァログと私とは別れる前に価値の問題を解決するまでには至りません でした。−それは一回の会話のなかで解決するには難かしすぎる問題をの
(3)
です。」
物別れに終った討論は8月に入ってから文通によって継続されることにな った。リカードウの死が訪れるまでにかれは3通の手紙をマカァロクにあて
て書き′後者は2通P返信を書いた。われわれは本稿第3節でこれらの手紙 を検討しつつ,リカードウとマカァロクとの論争について考察したい。
2 価値尺度をめぐるマルサスとの論争
(1)マルサスの見解
1823年に刊行されたマルサスの『価値尺度論』の「序言」のなかにはつぎ
のようを一文が記されていて,この著作の梓心的主張がどこにあるかを端的 に示している。マルサスはいう。「私はアダム・スミスの方法とは全く輿をる 手続きによって,……諸商品の支配する労働をそれらの自然価値および交換
(4)
価値の標準尺度とみなすことができるという結論に到達した。」
マルサスは商品の価値の真実の尺度をその商品の支配労働量に求めるとい
う見解をアダム・スミスから継承するが,しかしこの命題の妥当件を論証す
(3)Woγたぶ,Ⅸ,p.303.
(4)Malthus,The Measureof Value.1823・p・V・ただし・本稿ではKelley&
Millma。のリプリント版(1957年刊)をテキストとして任用する0
− 5 −
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るのにスミスとは異なる方法を採用したというのである。それをら,マルサ ス独自の論証の手続きとは,どのようなものであったのだろうか。かれはま
●●●
ず,全商品が少しも資本財を使用せず労働だけで生産され,しかも即時に市 場にもち出される場合を念頭におき,このような場合には諸商品の交換価値 はそれらの生産に授下された労働量の多寡に照応するのであり,したがって ここでは投下労働量を商品価値の尺度とみをすことができると主張して,つ ぎのように記している。
「もし商品の生産においても,またその生産において助力を提供する道具 の生産においても,労働以外の要素が少しも必要でなく,また労働の実施か
ら労働の報酬が完成品の形で支払われるまでの時間的間隔が全く無視して差
支えないほどわずかであるとすれば,それら商品は相互に対しては平均して,
(5)
それらを権得するために授下された労働量に応じて交換されるであろう。」「商 品の生産にかかわりをもつものが労働だけであり,しかも商品が即時に市場 にもち出される限り,それ●らの商品に投下されたさまぎまを労働量がそれら の相互に対する相対価値と,それらの供給条件に関連する絶対的な自然価値
との双方の正確を尺度になることが認められるだろう
しかし,マルサスによれば,現実の社会における少なからぬ商品はその回 収に多少の時間を要する資本の使用によって生産されており,したがってこ れらの商品の価値は貨金のみから成るのではをく,賃金と利潤との両者で構 成されることになる。そこで,講商品がさまぎまに異なる回収時間を要する 資本を使用して生産される場合には,投下労働量を商品価値の尺度とみをす ことができなくをるというのである。かれはいう。「こういう事態においては,
商品は相互に対して,それらに投下された労働量に応じて交換されるという
(7)
わけにはいかないだろう。」と。
(5)Jムid.,pp.5−6.
(6)上古よd.,p.8.
(7)Jムよdリ p.9.
− 6 一
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つぎに,マルサスはつぎのような趣旨の議論を展開する。一上記のよう に諸商品が異なる回収時間を要する資本の使用によって生産される場合には,
多大な固定資本を使用して生産される商品やその回収に長時間を要する貸本
の使用によって生産される商品の価値のなかには,固定資本の使用も少なく
短時間で回収される資本の使用によって生産される商品の場合に比べていっ
そう大きを利潤が含まれているから,利潤率の変動は前者の商品の価値を後 者よりもいっそう大幅に騰落させるはずであり,したがって双方の商品の
価値の変動はそれらの生産に投下される労働量の増減に比例するはずがな
(8〉
い。−
マルサスは,以上述べてきたところをみずからとりまとめてつぎのように 述べている。「広く認められて.いるように,進歩した文明国における大多数の
商品は,少をくともふたつの要素一つまり労働〔の賃金〕と利潤とから成 っている。したがって,前払の回収〔時間〕と固定・流動資本比率とがとも
に正確に同一一であるという特殊の場合を除けば,商品の供給条件としてその
をかにこの二要素が入りこんでいる商品の交換価値が,もっぱらそれらに投
191 下された労働量のみに依存するということはをいだろう。」
それをら,諸商品の生産に投下された資本が回収時間や固定・流動資本比 率において異なっている場合には,それらの価値を正確に測定しうる尺度を をにに求めたらよいのだろうか。マルサスはこの間に答えて,真実の価値の 尺度は当該商品の支配労働量に求められをければならないと主張し,その理 由をつぎのように説明する。−−岬一日の生活費に2シリングかかる労働者 が独力で一日働いて生産した商品は2シリングの価値をもづだろう。そこで,
もしこのような労働者が100人いてそれぞれ独力で一日働くとすれば,かれら の生産物の価値は合計で10ポンドになるだろう。ところが資本家が一日につ
(8)Cf.よ占諺.,p.11.
(9)Jいdリ p.13.
− 7 −
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き2シリングの賃金を支払って一人の労働者を雇い,かれを100日働かせてあ る商品をつくり,この商品が販売されて賃金資本が資本家の手許に回収され るまでに一年を要するものとすれば,利潤率20パーセントの場合にはこの商 品は12ポンドの価値をもつだろう。してみると,前者の商品の価値はその生 産七投下された100日の労働によって測定することができるが,後者の商品の 価値はその生産に投下された100日の労働に,労働で測った前払に対する利潤 量,すなわち100日に対する20パーセントの労働を加算したもの,換言すれば 120日の労働で測定されるということになるだろう。一 (拍
以上のように推論してきたマルサスは,その結論を要約的にこう記した。
「同一一の国で同一の時期には,労働〔の賃金〕および利潤のみに分解するこ とのできる商品の交換価値は,それに現実に投下された蓄積労働および直接 労働に,すべての前払に対する労働で測られた利潤の可変量を加算して得ら れる労働量によって正確に測定されるように思われる。だが,これは必ずそ
(11)
の商品の支配する労働量と同一であるにちがいか、。」
マルサスによれば,社会の全商品が労働だけで生産され,しかも即時に市 場にもち出されるのであれば,諸商品の価値はすべて賃金のみに分解するか
ら,商品の価値はその生産に従事した労働者に支払われる貸金の価値総額に 等しく,したがって,この場合には商品佃値は投下労働量によって測定でき
る。これに反して,社会の各種商品の生産に投下される資本の回収時間や固 定・流動資本比率が異をる場合には,多数の商品の価値はさまぎまを割合で 賃金と利潤とに分解するから,こういう商品の価値はその生産に投下された 労働に対して支払われる価値総額よりも必ず大きく,したがってその価値は 投下労働量によっては正確に測定できないというのである。そして,マルサ
スはこういう商品の価値は,その生産に投下された労働に対して支払われる
(10)Cf.ibid.,pP.14−5.
(11)J如dリ pp.15−6.
ー 8 −
晩年のリカードウと価値尺度論争171
価値額に,利潤額を加算したものに等しいのだから,商品価値は当該商品の 生産に現実に投下された労働量に,労働で測定した利潤量を加算したもので 測定されなければならをいというのである。だから,マルサスの作成した上 記の数字例では,12ポンドの商品の価値はその生産に投下された100日の労働 に,労働で測定した利潤畳,つまり20日の労働を加算したもの,すをわち合 計120日の労働で測定されるというわけである。だが,この120日の労噺とい うのは,この12ポンドの商品の支配労働量と等しい。こうしてマルサスは支 配労働=価値尺度説を唱えるのである。しかし,支配労働=価値尺度説の妥 当性を主張するには,市場で交換されるものどしての「労働」の価値不変性 が論証されをければならをい。
マルサスは「労働」の価値不変牲を論証するために,つぎのようを数字例 を設けることから説きはじめる。−かりに10人の労働者に賃金として.支払 われるある分量の生産物が6人の労働によって生産されているとすれば,こ の生産物のをかの6/10は,この生産物を生産した6人の労働者に帰属する割 合を示し,残りの4/10は利潤としてこの6人を雇用した資本家に帰属する割 合を示すだろう。ところが,生産が困難になり,この分量の生産物の生産に 7人の労働が必要にをると,生産物のをかの7/10が労働者に帰属する割合と
3‖琶
なり,利潤に帰属する割合は3/10にをるだろう。−
さて,マルサスは上記の数字例からつぎのようを結論をひき出すことがで きると主張する。「どんな物でも,その価値がふたつの要素から成っていて,
このふたっの要素のうちの一方の価値が増加すると,他方の価値がそれとま
さに同一の割合で減少するようか性質をもつことを明らかにすることができ
● ● ■ ● ●
れば,そういうものは不変の価値をもっているにちがいか漂「一定数の労 ● ● ● ● ●
●●●■●●●●●●●●●●●●■●
働者の賃金になる可変量の生産物の価値は,それが上記のように変動するふ
(12)Cf,混d.,pp.30−1・
(13)鮎d.,p.31.ただし,傍点は引用者の施したもの0
− 9 一
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たつの要素,つまり労働〔の貸金〕と利潤との価値から成っているから,不
愛でをければをらをいのであり,したがってこれは標準尺度として提案する
(14)
のが妥当をものであろう。」
マルサスの『価値尺度論』における積極的な主張は,以上にみてきたよう をものである。だが,この著作のなかにはリカードウの『原理』第3版にお ける「不変の価値尺度」論に対する批判的所見が見出されるから,以下でその 点を紹介しておくことにしたい。マルサスはつぎのように述べている。
■● 「リカードウ氏は金がつねにある一定分量の労働と資本とによって生産さ れると仮定することによって,かれの標準が『標準自体とまさに同サの事情 の下で生産されたすべての物にとっては完全な価値尺度になるだろうが,他 の物にとってはそうではか、』と認めぎるをえか、。〔だが,〕この譲歩は,私
■●●●●●
には全く致命的であるように思わ′れる。われわれはあらゆる事情の下で生産 される諸商品の価値を測定したいのである。だが,これをなしうる、ものは,
もっぱら労働だけで棲得される金か,もしくは労働それ自体だけをのであ
(15)
る。」
リカードウが「不変の価値尺度」として選んだものは,固定・流動資本比 率においても授下資本の回収時間においても各種商品の生産諸条件のをかで
「中位」にあると想定された条件の下で生産される金であった。これに対し て,マルサスはリカードウが想定したような金によっては,金の場合と同一 の生産条件の下で生産されるごく少数の商品の価値だけしか測定されえをい
のであって,そのほかの大多数の商品の価値は測定できをいと主張する。マ ルサスの意見によれば,リカードウが想定したようを金の価値は,賃金と利 潤とから成っているから,利潤率の変動によってその価値はいくらか変動せ
ぎるをえないのであり,したがってこのような金は適切を価値の尺度にはな
(14)Jいdリp.32.ただし,傍点は引用者の施したもの。
(15)Ib紘,p.36footnote.ただし,傍点を施した箇所は原文のイタリック0
−10 −
晩年のリカードウと価値尺度論争 け3
りえをいというのである。それをら,金を価値尺度として選ぶためには,金 をいかをる生産条件の下で生産される生産物と想定すべきだろうか。マルサ スは金の価値が不変であるようにするには,一日の労働だけで一定量の金が つねに産出されるものと想定すべきだというのである。このようを金はつね にその生産に投下された労働量と等しい労働量を支配するから不変であり,
しかもその価値はす、ペて貸金のみに分解するから,利潤率の変動によっても 少しも価値変動を蒙むることがないというのである。
(2)リカードウの批判
リカードウは23年4月29日づけのマルサスあて手紙で,市場でさまぎまな
商品や貨幣と交換されている「労働」のみがそれ自体の価値が不変な唯一の
商品であるというマルサスの主張を批判した。
「学兄は不変の標準として可変の尺度を選んでおられるのです。いったい 誰が,わが国民の半数の生命を奪う疫病によっても労働の価値が変更される
ことはか−と言えるでしょうか。……また,労働者の必需品をきわめて容易 に生産できる方法が発見されたが,労働者の良好を境遇が人口に与える刺激 のために,必需品で測った労働者の報酬が少しも以前よりも高くはをらか−
と仮定しましょう。…… こういう場合に,一定量の穀物をり労働なりが(お そらく)以前の分量の3/4のリンネル・毛織物または貨幣とだけしか交換さ れなくをるからといって,リンネル・毛織物または貨幣の価値が騰貴したの であって,労働および穀物の価値が下落したのではをいと主張するのは,果
(1句
して正しいでしょうか。」
リカードウによれば,「労働」という商品は「労働」をめぐる需給事情の変 動によって価値変動を免れないだけではなく,労働者用消費財の生産事情の 変更によっても価値変動を蒙むらぎるをえないというのである。さらにリカ
ードウはこの手紙のをかで,マルサスが自負する「アダム・スミスの方法と
(16)Ⅳor鬼β,Ⅸ,p.282.
ー11−
174
は全く異なる手続きによって」示した「労働」の価値不変件の論証に対して 批判を加1えた。
し一枚の毛織物の長さが120ヤードで,AとBとに分割されるのだとすると,
Aに対して多く与えられるに応じてBに与えられるものはそれだけ少をくな り,逆の場合はその逆にをるというのは明らかなことです。以上のことは,
120ヤード全体の価値が100ポンドになろうと,50ポンドないし5ポンドにな ろうと,真実でありましょう。そうだとすると,分量が不変だからという理 由で,またそれがつねに二人の間で分割されるからという理由で,不変の価 値をもっと考えるのは,論点窃取の虚偽を犯すことにをるのではないでしょ
ぅか
リカードウによれば,マルサスはかれがこれから証明しなければならぬ「労 働」の価値の不変作という命題を暗黙裡にあらかじめ前提に桝えておいて,
そこから推論を展開しているにすぎないというのである。
さて,こういう内容の批判を含んだリカードウの手紙を受けとったマルサ スがそれから間もをく反批判の返書を書いたのは確かなことだが,残念をこ とにこのマルサスの返書は失われて現存していない。だが,このマルサスの 返書に接したリカードウは5月28日づけの手紙で,リカードウの「不変の価 値尺度」論に対するマルサスの批判に対して反駁文を書いた。
「学兄はこの〔価値尺度の〕問題についての私見に対する異論として,労
働と資本との結合によって生産される一商品は正確に同一の事情の下で生産 される商品以外のものに対しては価値の尺度になりえないと述べておられま
すが,私はこの点では御高見が全く正しいと認めてきました。もし全商品が 資本の助けを借りずに一口で労働のみによって生産されるのだとすれば,商
品〔の価値〕はその生産に授下される労働量の増減に比例して変動するでし
ょう。もし貨幣の生産につねに同一一量の労働が投下されるとすれば,貨幣は
(17)Ⅳ0γんβ,Ⅸ,p.283.
−12 −
晩年のリカードウと価値尺度論争 け5
●●■●●●●
正確な絶対価値の尺度になるでしょう。…… こうした事情の下では,一日の 労働の生産物であるあらゆる商品は,当然一日の労働を支配するでしょう。
したがって,商品の価値はそれが支配する労働量に比例するでしょう。しか し,こういう貨幣はそれと正確に同じ事情の下で生産されるあらゆる商品の 価値を正確に測定するけれども,多量の資本を長時間にわたって使用し
(1倒
産される他の商品の価値を測る正確を尺度にはならをいでしょう。」
リカ〜ドゥは「中位」の条件の下で生産された金が金と全く同一の生産条 件の下で生産される商品に対してだけしか正確を価値尺度にはをらないとい
うマルサスの批判を全面的に承認した。これは,いっさいの財貨の生産事情 が不変のままである場合でさえも,賃金をいし利潤率の変動があれば,金が 金とは異なる生産条件の下で生産される多数の商品に対しては,その相対価 値になにほどかの変動を蒙むらぎるをえをいということを,リカードウ自身
が従来から認めていたからであった。その結果リカードウは,現実に存在す
る各種商品がさまぎまに異なる回収時間を要する資本の使用によって生産さ
れる以上,金をどのような生産条件の下での生産物と想定しようと,それは
けっしてあらゆる商品に対する「完全な価値尺度」にはをりえをいという点
を認めたうえで,われわれにとって可能なことは「不変の価値尺度」にでき る限り「近似的を」尺度を求めることであり,それには金の生産条件を「中 位」のものと想定すべきだと主張したのであった。
●
ところが,こういうリカードウの所見に対して,マルサスは「労働」こそ が「完全を価値尺度」であると主張し,それにもとづいて,貨幣は−・日の労
働だけで産出される一定量の金から成るものと想定すべきだと言明していた
のである。だが,こういうマルサスの批判に対して,リカードウはつぎのよ うに応酬したのであった。すをわち,リカードウによれば,たとえ貨幣がマ ルサスの想定したような生産条件の下で生産される金から成るとしても,こ
(18)Woγ鬼β,Ⅸ,pp.297−8.ただし,傍点は引用者の施したもの0
−13 一
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ういう貨幣が正確な価値尺度になりうるのは,仙一日の労働だけで生産される 少数の商品に対してだけであり,一日よりも長い回収時間を要する資本の授 下によって生産される多数の商品に対してはけっして正確を尺度にはをりえ ない。しかも,貸金をいし利潤の変動が回収時間の比較的長い資本によって 生産される商量の価値に及ぼす影響の大きさをマルサスの貨幣で測定した場
手
合には,商品価格の変動はリカードウの貨幣で測定した場合よりもはるかに 増幅して示されることにをるというのである。
以上のような見解をリカードウは5月28日づけのマルサスあての手紙のな かで,簡潔につぎのように記している。「私のただひとつの目的は,学兄が資 本を全く使用しない特殊の場合にだけ正確であると認められる価値尺度を,
資本と〔その回収〕時間とが必ず考慮されをければをらをい場合に適用され
(1切
るのは恐竜的であるということを明らかにすることだけをのです。」と。
(3)論争の継続
リカードウから上述したような批判を加えられたマルサスは,これに全面 的に反探した。マルサスの反批判のなかの一論点は,リカードウの「不変の 価値尺度」論に対する攻撃を続行することによって提示された。かれは8月
11日づけのリカードウあての手紙のなかで,つぎのように書いた。「私が学兄 の価値尺度を非難するのは,それが他の諸商品の利潤の変動とともに変動し,
したがってどうしてもこれらの商品〔の価値〕の変動をかなりの程度の正確 銅
さをもって測定することができないからなのです。」
マルサスによれば,リカードウの貨幣は「中位」の生産条件の下で生産さ れる金から成るものと想定されており,したがってその価値はある一定の割 合の賃金と利潤とから成っているため,利潤率の変動とともにこの価値尺度
財自体の価値も変動せぎるをえをいから, とうてい「中位」以外の生産条件
−14 −
晩年のリカードウと価値尺度論争 け7
の下で生産される他の商品の価値を正確に測定することはできない。これに 反して,マルサスの貨幣は一日の労働だけで生産される金であるから,その 価値のなかには少しも利潤が含まれておらず,したがっていかをる利潤率の 変動があってもそれ自体の価値が変動することはをいというのである。
そして,かれは同じ手紙のなかで,「労働」の価値不変件をリカードウに説 得するために反覆して説明する労をとることを厭わなかった。「同一量の労働 を支配する可変的な貸金は,もし……そめ価値が労働〔の賃金〕と利潤とか ら成っているとすれば,同一の価値をもっているにちがいないのであり,こ
●●●●
れは白日のように明らかであるように思われます。なぜなら,その賃金の生
産には労働とその労働に対する利潤との同一一畳がつねに費やされてい るから
です。御高説では,賃金の生産に投下される労働が増加する時には貸金の価 値は騰貴するということになっています。賃金の価値のなかの前払された労
働に分解する沸分に関する限り,賃金の価値は増加けることになるという御 高見には,私は全面的に賛成します。しかし,学兄は賃金の価値が労働と利 潤とから成っているのではなく,労働だけから成っているとみなしておられ
る点で重大な誤りに陥っているのです。」 削
マルサスはリカードウが「労働」の価値の可変性を主張したことに対して,
っぎのようを批判を加えている。■−−−−リカードウは一定数の労働者に支払わ れる貸金が一一定量の生活資料の価値に等しいと考え,それにもとづいて,生 活資料の生産の困難が生活資料の価値の上昇,ひいては賃金の価値の上昇を ひきおこすと考える。しかし,一定数の労働者の賃金に支払われる生活資料 は,その生産に投下された労働量よりも大きな労働量を支配するのであり,
したがってその価値はそれを生産するために前払された賃金だけではな.く利 潤をも含んでいる。したがって,生産車憎が悪化すれば,確かにそれだけの 生活資料を生産するのに必要な労働量は増加し,生活資料の生産のために前
(21)肌,.γね,臥p.339.ただし,傍点を施した箇所は原文のイタリック。
ー15 −
178
払されをければをらぬ賃金は増加するだろうが,賃金が増加した分だけその 生活資料の価値のをかに含まれる利潤が少をくをるはずだから,−一定数の労 働者の賃金として支払われる分量の生活資料の価値は不変といわか†ればな
らをいのだ。−
しかし,「労働」の価値不変についてのマルサスのこのようを論証方法はリ カードウには「論点窃取の虚偽を犯すもの」としか思えをかった。・リカード ウはその点を4月29日づけの手紙のなかですでに指摘していたか,8月3日 づけの手紙のなかでつぎのように論評していた。「学兄は私に,価値の増加と は労働支配力の増加のことだと言われます。私はこの定寿が正しいとは思わ をいのです。なぜなら,私は学兄の選んだ標準尺度の〔価値〕不変性を認め ないからです。学兄はその不変性を立証するために,生産物全体が分割され る割合について言及され,貸金の占める割合が増大すれば利潤の占める割合 は減少すると述べておられます。この点はすべてお説のとおりです。しかし,
学兄はこの命題と学兄の価値尺度の不変性との間にどのようを関係を立証さ れているのでしょうか。御返事のなかで,学兄は『価値の増加』という言葉 を使っておられます。だが,これは理解すること−が求められている言葉の意
e2)
味を説明するのに
リカードウによれば,一定の価値をもつ生産物が賃金と利潤とに分割され るなら,貸金の占める割合の増加は当然それに応ずる利潤の占める割合の減 少をもたらすのであり,この命題は自明のものである。しかし,問題なのは 一定数の労働者に貸金として支払われるある分量の生活資料の価値が果して 一定をのかどうかということである。ところが,マルサスの論法はその生晴 資料が−一定数の労働者の賃金として支払われているのだから,それはつねに 一定量の労働量を支配しており,したがって価値不変だという命題をなんの 論証も与えをいで最初から正しいものと考えておいて,そこから推論を開始
(22)Ⅳor鳥β,Ⅸ,p.324.
ー16 −
晩年のリカードウと価値尺度論争179
しているにすぎをいのだというのである。
しかし,こういうリカードウの批判を浴びたことはマルサスにとって全く 心外であった。マルサスは8月11日づけの手紙のなかで躍起になって抗議を
した。
「学兄はある箇所で,私見は価値の増大が労働支配力の増大であると定義 しながら,その理由を与えをいものだという論難をしているように思われま すが,私見がこういう論難に曝されるのは妥当であるとは思いません。労働
●● の価値の不変性は正美正銘私の結論をのであって,けっして私が出発点にお
いた定弟をのではありません
しかし,マルサスの強硬な抗議もリカードウの応答を変更させることがで きをかった。リカードウは8月15日づけのマルサスあて手紙のをかでも,つ ぎの■ように書いた。「労働者に与えられるものがどれほどであろうと,それは 労働〔の賃金〕と利潤とから成っており,したがって労働の価値は不変をの
だ! と。これが学兄の命題なのです。だが,この命題は私にとっては明噺
(2心
さのあらゆる属性を欠いているものです。」
文通による論争もいまは全く膠着状態に入って,論争からの実りは期待で きなかったけれども,マルサスはさらに8月25日づけの手紙を書いてリカー ドウを説得することに努め,リカードウも8月31日にそれに対する返書を書 いた。しかし,−これらの手紙はどちらもそれまでの自説を反覆するものでし かなく,双方の主張は互いに交わることをく平行線を辿ったにすぎなかった。
だから,われわれもこれらの手紙の内容を紹介する必要はをいだろう。われ われはただこの8月31日づけのリカードウのマルサスあて手紙が,1811年か ら開始されたこの二人の文通における最後の手紙になったということだけを 書き添えておくに止めたい。
340.ただし,傍点を施した箇所は原文のイタリック。
351.
ー17 −
180
リカードウはかれの遺稿「絶対価値と交換価値」のなかで,かなりの紙幅 を割いてマルサスの価値尺度論に対する批判的検討に捧げているが,その内 容は,われわれが上乗考察してきたような23年4月から8月までのマルサス
との文通による論争の経緯を,リカードウの側から要約的に記録したものに
勃
ほかならをかったのである
3 マカァロクとの論争
(1)リカードウの問題提起とマカァロクの応答
本稿第1節で述べたように,1823年紳夏の頃にロンドンで口頭での討論に よって開始されたリカードウとマカァロクの価値規定および価値尺度論をめ ぐる論争は,マカァロクがエディンバラに帰ってしばらくしてから,文通に よって再開された。リカードウは8月7日づけのマカァロクあて手紙のなか で,つぎのように述べた。
「困難を価値の問題が私の思索をひきつけてきましたが,私は迷路からの 出口を満足できるようには見出せをいでいます。……私は地下室に3年をい
し4年の間貯蔵されているぶどう酒の困難や,もともとは労働の点では多分 2シリングも支出されなかったのに,それやいて100ポンドの価値をもつよう
になる樫の木の困難を克服すること、ができをいのです。これらすべてのもの
をわれわれの選んだような価値尺度で測定するという点では,困難はありま せん。しかし,なぜわれわれがその尺度を選んだのかを説明する点では,ま た,価値尺度としては当然のことですが,その尺度がそれ自体不変であると いうことを証明する点では,困難があるのです
この一文は,リカードウがマカァロクと会見した析の討論を前提として書
(25)Cf・仇r鳥β,ⅠⅤ,如.371−3;390−3;406−10.
(26)Ⅳor鳥β,Ⅸ,Pp.330−1.
−18 −
晩年のリカードウと価値尺度論争 柑1
いたものであるように思われるのであって,第三者であるわれわれにはいく らか理解し難いが,ここでかれがマカァログにつきつけた問題がつぎの論点 に関連するものだということだけは確実であろう。すをわち,リカードウは すでにかれの『原理』第3版のをかで,諸商品が「市場にもち出されるまで に経過しなければならぬ時間」に差異があれば,それらの価値は「それらに 投下された労働量には正確には比例しか−。」と主張し,「この価値の差異は ¢刀
……利潤が資本として蓄積されたことから生ずるのであり,これはただ利潤
ヨ萄監 が保留されていた時間に対する妥当を補償であるにすぎか、。」と言明してい たが,このマカァロクあて手紙では上記論点についてさらに考察を深めよう
と意図しているように思われる。
リカードウはこの手紙で,その生産に授下された資本の剛叉にきわめて長 時間を要する商品 例えばぶどう酒とか樹木とかをとりあげ,これらの商品
の価値はその生産に現実に投下された労働量に比べて異常に大きいという点
を問題にしている。そして,これらの商品の価値を測定するにはいかをる生 産条件の下で生産される財貨を価値尺度に連んだらよいのか,その点が問題 をのだ,とリカードウは述づている。
リカードウの提出した問題に対して,マカァログは8月11日づけ返信のな
●●●
かで,「もし大兄がすべての交換価値は労働量のみによって評価されるべきで あるという命題に対して,疑問を抱かれるようなことがなかったなら,私自 身が疑問を抱くようなことは全く紬ったでしょうと前置きしをがら,つ
ぎのような回答を記した。長文ではあるが,リカードウとマカァログとの論 争における係争点を形づくる重要なものと思われるから,煩を厭わず引用し ておこう。
「私は時間を考慮することをいっさい排除しているわけではありません0
(27)Ⅳ0γ鮎,1,p・34・
(28)Ⅳorんβ,Ⅰ,p.35・
(29)肋r烏β,Ⅸ,p.342.ただし,傍点の箇所は原文のイタリック。
−19 −
182
私はただ,その価値が測定されるべき商品に現実に支出されてきた労働量や 商品に仕上げられている労働量を発見するのに役立つ限りで,時間を考慮す
るにすぎないのです。時間それ自体がなんらの効果も生むものではないとい
うことは言うまでもありません。時間はただ,有効な動因が実際に効果をあ げるのに必要を場を提供するにすぎないのです。しかし,これらの動因が労 働者であるのか,それとも商品の生産のさいに自然自身が営む過程であるの
●●●●●●●●■●●●●●●●■●●
■ かということは,もしこれらの動因を機能させるために等量の資本が必要で
あるとすれば,私にはどうでもよいことのように思われます。もしわれわれ が労働者に賃金を与えれば,かれらはこの賃金とその前払期間とに対する等 価を払い戻すでしょうが,これはちょうど,われわれが自然という動因を使 用する場合にそれが成し遂げるのと同じことであるにすぎません。……どち
らの場合にも一定額の資本が使用されているとすれば,それはつまり−一定の 効果をあげるために−一定量の労働が使用されているということをのです。そ
こで,もし資本が等額であって,効果が生み出されるまでの時間が異をるの であれば,それは直ちに,⊥方の効果を生むのに必要な労働量が他方の場合 に必要な労働量よりもいっそう多かったということの証拠になりますし,ま
−
たどれほどより大きな労働量であるのかを示す指数になります
マカァロクによれば,回収時間に差異のある資本の投下によって生産され る二商品の価値の差異もそれらに投下された労働量の差異にもとづいて生ま れたものとみなすことができるというのである。リカードウが地下室に長期 間貯蔵されたぶどう酒が高価であるのは,その生産に投下された労働量によ っては説明できをいと主張したのに対して,マカァロクはぶどう酒の醸造に 投下された資本の回収に長時間を要したという事実が,ぶどう酒に投下され た労働量がきわめて多大であったことを証明するのだと回答した。マカァロ クによれば,をるほどぶどう酒の醸造において労働者が実行した労働の分量
(30)Ⅳor鳥β,Ⅸ,pp.342−3.ただし,傍点の箇所は原文のイタリック。
ー 20 −
晩年のリカードウと価値尺度論争183
はけっして多量ではをかったけれども,しかし,ぶどう酒が地下室に貯蔵さ れていた長期間にわたって「自然という動因」がぶどうから搾りとられた液 体を熟成したぶどう酒に転化すべく機能しつづけたのであゝり,換言すれば貯
蔵期間を通じて自然が多量の≪労働〉を行ったのであり,その結果ぶどう酒
は高価になったというのである。
つぎにマカァロクは,苗木を植え−るさいにわずかを労働が投下されただけ で,あとは自然に委ねられて放置されたのに,数多の年輪を刻めばきわめて 高価に販売される樹木の場合をとりあげて,つぎのようにいっている。「その 生産に使用された資本は少額でした。しかし,この資本が使用されてきた時 間の長さがこの生産物を多量の労働の所産にしたのであり,したがってそれ
をきわめて高価にしたのです
ところで,このマカァロクの手紙のをかにはリカードウとマルサスとの聞
の「不変の価値尺度」の選定をめぐる論争に言及した一文がある。マカァロ
グはつぎのように指摘した。「商品の交換価値を決定する事情とその価値を測
定する尺度との間には根本的かつ本質的な差異があります。ところが,〔御高 見においては〕この点が必ずしも十分に考慮されていないのではをいかと思 われます。もしわれわれが価値を渕竃すべきであればiわれわれは価値をも つなんらかの商品の媒介によってその価値を測定しなければならないのであ
り,マルサス氏の提案するように,価値を与えるために使用される動因に照 合することによって測定してはなりません。そして,あらゆる商品の生産事
情はつねに変動を蒙むり易いにちがいないのですから,どんな商品も不変の 尺度にはなりえません。もっとも,あるものが別のものよりはるかに変動が 少ないということは確かにありますから,これを近似的尺度として用いると
いうことはできるでしょうが。私見によれば,真実かつ不変の価値標準は明 らかにありませんし,あるはずもありません。だが,もしそうであれば,け
(31)Ⅳor鳥β,Ⅸ,p.344.
− 21−
1糾
っして見つかるはずのないものを探索するのは全く無駄をことであるにちが
β2)
いありません。」
マカァロクはこの−・一文で,一方では商品の価値の測定にあたって「価値を
与えるために使用される動因」つまり「労働」そのものを価値尺度とみをす
マルサスの見解を批判して,商品価値の測定にあたっては労働と資本との投
下によって生産されるをんらかの商品を価値尺度として用いるべきだと説い
ているが,他方ではどんな商品も生産事情の変動に曝されているから,どの 商品を尺度に選んでも,それはけっして「不変の価値尺度」にはなりえをい
ということを強調している。その結果,マカァロクは近似的尺度を見出すこ とでこの間題の追究を打ち切るべきだと提案し,リカードウが近似的尺度を 手にいれることを越えて「不変の佃値尺度」を探索しつづけていることに共 感をもちえないと率直に述べたのであった。
(2)リカードウの批判
マカァロクの8月11日づけの手紙を読んだリカードウは,これに対する反 論を8月21日づけのマカァロクあて手紙のをかに書いた。ただし,リカード ウはこの手紙を書くためにその下書と思われる手紙文を8月15日頃書いてい る。そして,下書と浄書された手紙とは大半は同一趣旨の所見を含んでいる が,−一部論点については下書のみに書かれていて浄書された手紙のなかには 見出されをいものがある。こういう事情を考慮して,われわれは以下8月21 日づけのリカードウの手紙の内容を,下書の文面をも参照しながら検討した
いと思う。
リカードウはこの手紙で,投下資本の回収時間の差異を投 ̄F労働量の差異
に還元するという仕方で労働価値論を護持しようとするマカァログの論法を
非牡した。かれはまず,つぎのように記した。「一人の52週間の労働によって 生産される−−一商品は,52人の一週間の労働によって生産される別の商品より
(32)Ⅳor烏8,Ⅸ,p.344.
− 22 −
晩年のリカードウと価値尺度論争185
もいっそう大きか価値があるし,またそうでをければをらをい。」すなわち, ㈹
二商品の生産に授 ̄ ̄Fされた資本の回収時間に差異があれば,等しい労働量が 投下されていても,この二商品の価値は等しくない。それなら,52過の回収 時間を要する資本によって生産された商品の価値のほうがより大きいのはを ぜか。リカードウはこのような問題を提出しをがら,つぎのように記した。
「われわれはみな,2シリングが複利での利潤による年ねんの蓄積を伴って ついには100ポンドを生むということ,そして利潤の均等性が維持されるには そうをらなければをらか−ということを認めています。しかし私は,この蓄 積された利潤を労働という名称で呼び,そのようにして100ポンドの価値をも つ商品がそれに投下された労働量に比例した価値をもっているのだと主張す ることの妥当性を疑います
リカードウの見解はヱうである。岬岬−−マカァロクはその回収に長時間を要
■ する資本によって生産された商品が高価であるのは,結局はその商品が多大
を分量の労働の所産であったからだと言い張っている。しかし,これらの商
品が高価になった理由は,資本の回収に長時間を要した結果年ねんの利潤の
蓄積が巨額に達したためである。マカァログは「この蓄積された利潤を労働 という名称で呼ぶ」ことによって,商品価値は投下労働量に比例するという 命踵をなんらの例外も認めずに確立しようとしているが,これは「労働とい
う名称」の準用でしかか、。〝
こうしてリカードウの見解によ毎と,その回収に長時間を要する資本によ って生産される商品の価値は,その生産に投下される労働量に比例するより もいっそう大きい。それなら,このような商品の価値をどのようにして測定 したらよいのか。リカードウが価値尺度の選定の問題を考えつづけたのは,
こういう事情からであった。だから,価値尺度の選定問題に関するマカァロ
− 23 −
186
クの所見は,リカードウには不満であった。この8月21日づけの手紙のをか でも,かれはマカァロクを批判して,つぎのように書いた。「学兄は商品の交 換価値を決定する事情とその価値を測る尺度との間には大きを差異があると
指摘しておられますが,私はこれを認めません。価値を測定しなければをら をい場合には,価値をもつなんらかの商品を媒介にしてその価値を測らなけ ればをらないという御高見には,私は賛成します。−だが,これはマルサ ス氏もわれわれもみをがそうしようとしていること.なのであって,われわれ の間の唯一の相違は.,われわれが尺度として選んだ商品の価値一つまりそ の不変の価値を決定する事情に関してなのです。そうだとすれば,われわれ が商品の価値を決定する事情について知識をもてば,直ちにわれわれが不変
の価値尺度を手にいれるのに必要な条件がをんであるかを言えるようになる ということは明らかではをいでしょうか。」 錮
すでに知ったように,マカァロクはいかなる商品もつねに生産事情の変動 に曝されているから,それ自体の価値の不変を商品は存在するはずはなく,
したがって「不変の価値尺度」を探索するのは無益だと考え,商品価値の決
定原理を解明することと「不変の価値尺度」を選定することとは別問題だと 述べていた。これに対して,リカードウは現実に存在するすべての商品の価 値が可変的であるのは事実だが,さまぎまを商品の価値を正確に測定するに は「不変の価値尺度」を探索することが必要不可欠であって,それにはある 商品にそれ自体の価値を不変のまま維持せしめる条件がいったいなんである かを確定しをければならをいのだというのである。そして,リカードウは商 品価値の決定原理を解明することによっておのずからこの条件を確定するた めの通がひらけるはずだと主張するのである。
しかし,すでに知ったように,商品価値の決定原理についての理解の点で,
リカードウとマカァロクとの間には小さくをい意見の相違があった。その回
(35)Ⅳ0γたβ,Ⅸ,p.358.
ー 24 −
晩年のリカードウと価値尺度論争187
収に長時間を要する資本によって生産される商品の高価を労働量に還元して
説明できるかどうかという点で,両者は意見を異にしていた。この点の意見 の相違が価値尺度論のちがいを生み出す根源にをっていたように思われる。
リカードウはこの手紙のをかで,以上の論点に関連してつぎのように記して いた。
「〔商品の〕価値はふたつの要素,つまり考えられるあらゆる割合で混合さ れている貸金と利潤とから成っています。したがって,学兄の尺度が貸金と 利潤との割合において測定される商品と正確に一致しているのでなければ,
正確に測定しようと企てても無駄です。賃金だけを含んでいて利潤を含まを い商品がマルサスの尺度をのですが,これは労働〔の賃金〕と利潤とをとも に含む商品に対しては正確な尺度にはをりません。われわれにできることは,
明らかに不完全な尺度のなかから最善の選択をすることだけです。だから,
●●●●
もし労働だけで生産される商品力ミ最大多数を占めているのであれば,私は蹄 躇なくマルサスの尺度を選ぶでしょう。ところが,事実はその反対であって,
大多数の商品は一定期間にわたる労働と資本との結合によって生産されてい
ますから,私は私がいままで行ってきた選択を修正する必要はありません。
●● 私はそれを中位のものとみなします。マルサスの尺度は目盛の一方の極端に
ありますし,古い樫の木は他方の極端にあります。……したがって,これら
はどちらも価値尺度には適していないのです
リカードウが問題にしているのは,その生産に投下される労働量が不変で あるような商品が存在すると仮定した場合でさえも,この商品を直ちに価値 尺度に選ぶことはできないという点である。なぜなら,剛又時間に差異のあ
る資本の使用によって生産される諸商品の価値は投下労働量に比例して決定
されているのではか−からである。そこで,近似的な尺度を選ぶといっても,
果していかなる回収時間を要する資本の生産物を選んだらよいのかという点
(36)肌r鳥∂,Ⅸ,p.361.ただし,傍点は引用者の施したもの0
− 25 −
188
が解決困難な問題として残らぎるをえない,とリカードウはいうのである。
かれの意見では,マルサスの尺度は一日の労働だけで生産される商品であり,
このような商品は例外的存在であるから,尺度としては不適当だというのだ が,資本と労働との結合によって生産される商品のなかから尺度を選ぶ場合 にも,その生産に使用される資本の回収時間iこ差異があることを考えれば,
問題はそれほど簡単に解決されるわけではないというのである。かれはこの 点の困難をつぎのように説いている。
「かりにぶどう酒と毛織物とがともに同一量の資本を用いて一年で生産さ れ,新たに醸造されたばかりのひと樽のぶどうj酉と∴一定量の毛織物とがそれ ぞれ50ポンドの値であると仮定しましょう。もし利潤が一年につき50パーセ ントだとすれば,醸造後一年貯蔵されたひと樽のぶどう酒は75ポンドの値に なるでしょうし,二年貯蔵されたものをら112ポンド10シリングの値になるで しょう。−しかし,毛織物はつねに50ポンドの値でありましょう。さて,
もし利潤が5パーセントに下落すると,毛織物とたったいま醸造されたばか りのぶどう酒とは以前と同じで,それぞれ50ポンドの価値をもっているでし ょうが,−しかし,一年貯蔵されたぶどう酒は52ポンド10シリングの値に をり,二年貯蔵されたものなら55ポンド2シリング3ペンスの値になるでし
ょう。使用された資本の価値は正確に同一で,使用された労働量も同一です。
そこで,〔資本の回収に要する〕時間が同一である限り,完成品の価値もま た同一です。われわれがこうして諸商品が利潤の変動のために変動するのを 認めるをら,果して商品の生産に必要な労働量の増減以外に〔商品価値の〕
変動の原軌まをいと主張することは正しいでしょうか
リカードウはここでふたつの問題点を指摘している。ひとつは,回収時間 に差異のある資本の使f削こよって生産される諸商品の相対価値は投下労働量 には比例していないことが明らかである以上,各種商品の絶対価値の大きさ
(37)Woγたβ,Ⅸ,p・362.
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