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価値表現の「回り道」の論理について(1)―単純な価値形態の分析―

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(1)

価値表現の「回り道」の論理について(1)

一単純な価値形態の分析一

尼  寺  義  弘

 はじめに

I 単純な価値形態の分肝

   / 価値の実体一価値一価値形態    2 単純な価値形態の理論構造    ω 価値表現の両極

   ∫2〕相対的価値形態    13〕等価形態

   141単純な価値形態の全体

 小  結      (以..ヒ,本号)

H へ一ゲルの反省規定     (以下,次号)

1皿 価値表現の「回り道」の論理

 むすび

は じ め に

 マルクスは貨幣形態の基礎をなす単純な価値形態を分析するにあたって つぎのように述べている。

 「すべての価値形態の秘密はこの単純な価値形態のうちにひそんでいる。

それゆえこの価値形態の分析には問有の困難がある。」u

 この岡有の困難を閉らかにし,解決を与えたのが価値表現の「回り道」

の論理である。 われわれは以下においてその論理を究明することにしよ う。そのためにつぎのような順序で検討す孔

 従来,「回り道」についての議論は,「回り道」というその言葉がr資本 論』で使用されている個所2〕のみが主として問題とされてきた観がある。

 そこでまず,I「単純な価値形態」の全休について逐一検討を力口え,そ れのトータルな把握を試みる。

 つぎに,π へ一ゲルの「反省規定」との関係について考察する。価値 形態論でマルクスが特にへ一ゲル論理学を意識していることは周知ρこと である3〕が,「回り道」との関係でいえば「本質論」の「反省規定」が根本 的に再検討されねばならないものである。

 最後にI, πを前捉して,11∫「nり道」についての諦説をとりあげ分

析を加える(注)。

  (注)

  「回り遣」をめぐる論争は周知の宇野・久留間両氏のそれ以来かなりの文献をか  ぞえることができる』,。Iではそれらの論争点には立ち入らないでマルクス自身の  論理を追求する。論争吏および論争点については皿で整理し,究明する。

  なお問題の性質上Iでは,『資本論」は主として「現行版」を対象として取りあ  げ,r初版」,r再版」およびr各国語版」については皿で取りあげ孔

 1) K.Marx,1)伽Kαがα1,Bd.I.,S.63.

 2) Ebenda,S.65.u.,Dα∫κψ〃α1,Bd.I,1,Auf1age,S.20.,30,

 3)拙著「価値形態論」第8章「へ一ゲル判断論とマルクス価値形態論」青木書    店,1978年,参照。

 4)佐藤金三郎ほか編『資木論を学ぷj I,有斐閣,1977年,174頁。山本広太郎    「単純な価値形態について」,r経済学雑誌」第76巻第3号,/977年,52頁。藤    本義昭「価値形態の秘密について」,『大阪市大論集」第30号,1978年,3頁。

I 単純な価値形態の分析

1 価値の実体一価値一価値形態

マルクスは,現行版『資本論」では,第1巻第ユ編第1章「商品」の第

3節「価値形態または交換価値」において商品のとる社会的形態について

(2)

論じている。商品の自然的形態は人問の眼に見えるありのままの使用対象 という姿態である。 それは具体的に感覚しうる使用価値の形態・商晶体

(Warenkbrper)である。

 ところが,商品の社会的形態である価値形態は1商品それ自体を子細に 見ても,あるいはその商晶を手に取ってみてもけろして具体的に把握する

ことはできない。なぜなら商品の価値形態の本質である価値が臼然的なも のではなくて,それと正反対のもの,社会的なものであるからである。す なわち商品の価値は抽象的人間労働という商品世界の「社会的単位(geSel−

1schaftlichen Einheit)」1〕の結晶であり,商品11I1界の社会的な紐帯をなす ものである。したがって価値は1商晶にふくまれてはいるが,けっしてそ の商品それ白体において具体的に感覚されるものではない。つまり社会的 なもの(価値)がそれの担い手である自然的なもの(使用価値)で直接に

「これが価値である」と表現されることはありえないのである。 だから価 値の現象形態である価値形態も1商晶それ自体を孤立的にみたのではけっ

してそれをつかまえることはできないものであ乱

 ところで,どうにもつかまえようのない価値なるものはどのようにして 把握されたのであろうか。それは二商品の交換関係において現われる「交 換価値」を分析者の頭脳における抽象力によって析出したものである。す なわち,「交換価値(価値形態)→価値→価値の実体」というプロセ スをたどることによって得られたものである。マルクスはつぎのように述 べている。

 r研究の進行は,われわれを,価値の必然的な表現様式または現象形態 としての交換価値につれもどすことになるであろう。しかし,さしあたり 価値はこうした形態にはかかわりなしに考察されねばならない。」2〕

 すなわちまず商品の交換価値より価値を純粋に分離し,つぎに価値をそ の実体にまで分析するのである。価値の実体は抽象的人問労働である。抽 象的人間労働は商品批界における労働の同等性を,つまり社会性をなして

い孔その労働の結晶が商晶の価値である。だから価値は「純粋に朴会的

(rein gese11schaftlich)」3〕なものである。だから商品の価値は同じ「幻 のような対象性(9esPenstige Gegenstandlichkeit)」4〕あるいは「一つ0⊃

思惟物(ein Gedankending)」5}と言われるようにけっして直接に眼で兇,

手で触れることのできないものである。

 マルクスは交換価値の分析について「アードルフ・ヴァーグナー著『経 済学教科書』への傍注」においてつぎのように述べている。

 「もし, ロートベルトウスが……さらにすすんで諸商晶の交換価値を分 析したとすれば,一一というのは,交換価値は複数の諸商品が,種々の商 品種類が,見いだされるところにのみ存在するのだから一,彼はこの現 象形態の背後に『価値』を見いだしたであろ㌔もし彼がさらにすすんで 価値を研究したならば,彼はさらに,ここでは物(das Ding)は,『使用 価値」は,人間労働の単なる対象化として,同等な人間労働力の支出とし て認められ,したがってまたこの内容は物(der Sache)の対象的性格と して,物それ(身に物的に(sachlich)属する 〔性格〕として表示されて いるということ一もっともこの対象性はそれの臼然的形態においては現 象しない{だがこのことが糊■」な価値形態(eine besondre Wertform)

を必要ならしめるのである}一を発見したであろう。したがって彼は,

商品の『価値』は,他のあらゆる歴史的社会形態においても一慨値とは 異なった形態においてであるが一同様に存在するものを,すなわちr朴 全的」労働カの支出として存在するかぎりにおいての労働の社会的性格

(gese1ischa舳cher Charakter)を,単に一つの歴史的に発展した形態に おいて表現するものにすぎない,ということを発見したであろう。」后〕

 さて純粋にネ1=会的なものとしてとらえられた商品の価値なる概念はその 定在様式(表現形態)をもたなければならない。すなわち価値は「幻の対 象性」ではなくて「現世の対象性」に,「思惟物」ではなくて「実在物」

にならねばならないのである。それを論究するのがつぎにみる価値形態論

(3)

である。マルクスは述べている。

 「われわれは,じっさい,諸商晶の交換価値または交換関係から出発し て,そこに隠されている価値を迫跡したのである。いま,われわれは再び 価値のこの現象形態に帰らなければならない。」η

 すなわち,「価値の実体→価値→価値形態」という上向への旅であ

る。

 1) K.Marx,D伽Kψ〃α/,Bd.I.S.62.

 2) Ebenda,S.53.

 3) Ebenda,S.62.

 4) Ebenda,S.52,

 5) K,Marx,DωKoがまα1,Bd−1,1−Auflage,S.ユ7.

 6) K.Marx,〔Rα〃g803∫刎肋λ∂o1助㎜αg物〃8,,L3〃あ伽ゐゐ7力o〃づ∫一    〇加〃δ光o伽〃ε 〕,M−E−W,Bd./9,S.375.

 7) K.Marx,1)ωKψ〃αZ,Bd.I,S.62.

2 単純な価値形態の構造理論

 さて商品の価値は商品所有者の欲望の対象というような純粋に自然的な ものではなくて,商晶世界の普遍性(交換可能性)を表現する純粋に社会 的なものである。だから商品の価値は〔分1「身の現象形態をもたねばなら ない。すなわち商品の価値は臼分〕身の担い手であるその商品の使用価値 ではけっして表現することができないので他商品との関係において自分白 身の定有する姿態をとらねばならないのであ.る。 マルクスはそのことを

「A 単純な価値形態」で詳細に論究しているのである。

 ところで,現行版r資本論』の「A 単純な価値形態」はつぎのように 四つの部分からなりたっている。(現行版『資本論』原書〔M−E−W,Bd.

23、〕で A は全部で14ぺ一ジである。)

 ω 伽噸表現の両極  12)相対的価値形態

    〔a〕相対的価値形態の内実     〔b〕相対的価値形態の量的規定性  13〕等価形態

 14〕単純な価値形態の全休

 Aの理論構造をその形式からみると,まず(し嘩純な価値形態を担う両極 の形態規定を与え,つぎに12〕価値形態を相対的価値形態から考察し,さら に13〕それを等価形態から考察し,最後に/4〕価値形態σ)全体をみているので

ある。

 以下において,u〕より順次みていくことにしよう、、

l1〕価値表現の両極・

 (1〕は単純な価値形態の導入部であり,相対的価値形態と等価形態という 価値表現の両極の異なる役割について一般的に述べている。すなわち,り

ンネル=上着 において「リンネルはn分の価値を上着で表現しており,

上着はこ0)価値表現の材料として役だっている。第/σ)商川ま能動約な,

第2の商品は受動的な役割を演じている。」1〕

 さらに両楓は「互いに属しあい,互いに制約しあっている不可分な契機

(Momente)である」。2〕そして1怖品が同時に両方の形熊をとりえないと いう意味で両極は「互いに排除しあう,または対立する両端(Extreme)」ヨ〕

である。

 このように,11〕では価値表現の両極の形態上の区別と両極の「反省関 係」ωについて述べている。それに関辿して形態皿から形態皿への移行の 論理展開において重要な役割を演ずる価値表現の両極の「逆の連閑」亘〕に ついても」論じられている。

 1),2),3) K.Marx,0ωKα力〃α1,Bd.I,S.も3.

 4),5)拙著『柘値形態論』第3章「価値表現の分極性」および第四章「価値表

   現の両極の『逆の連関」について」参照。

(4)

(2〕相対的価値形態

 (2〕は〔a〕「相対的価値形態の内実」と〔b〕「相対的価値形態の量的規 定性」とに分かれている。〔b〕は「商晶σ)相対的価値の運動に関する展 開された諸法則」π〕を述べているだけであり,「これらの法則は,すべて,

諦商品の価値量はそれらの商品の生産に必要な労働時問によって規定され ている,ということにもとづいている。」1〕したがって,〔b〕は価値表現σ)

「形熊内実」雪〕に直披には触れないのでここではとりあげない。

 さて,〔a〕は価値表現の「形態内実」をF1分の価値を表現しようとす る相対的偲値形態の商品の側而から明らかにするものであ㍍従来の「回 り道」をめぐる論争も〔a〕を中心としておこなわれてきている。そこで

〔a〕を各パラグラフごとに逐一考察することにしよう。(なお〔a〕は全 体で1/のパラグラフに分かれている。以下,便宜」.ヒ,最初0)パラグラフか

ら〔イ〕……〔ル〕という符号をつけることにする。)

 〔イ〕,〔口〕ではまず2商品の価値関係(Wertverha1tnis)の量的側面 が度外視される。 すなわち「価値量としてはリンネルも上着も同じ単位

(Einhe工t)の諦表現であり,同じ性質(Natur)の諦物(Dinge)である」。

「リンネル・=上着 というのが等式の基礎(dieGrund1age)である」。価 値として2商品とも同一のものである。だからそれらが質的に等置される

(qua1itativ gleichgesetzt)のである。

 〔ハ〕つぎに質的に等置された荷品のうちリンネルの価値だけが表現さ れる。「では,どのようにしてか(Undwie?)」

 「リンネルが上着にたいしてn分のr等価物(Aquivalent)」または臼分 と『交換されうるもの(Austauschbares)』として関係(Beziehung)す ることによってである。この関係(Verh砒nis)のなかでは,上着は価値 の実存形態(ExistenzfOrm)として,価値物(Wertding)として認めら

れる。というのはただこのような価値物としてのみ上着はリンネルと同じ だからである。他面では,リンネルそれn身の価値存在(Wertsein)が現 われる。すなわち独立した表現を得る。というのはただ価値としてのみリ

ンネルは上着にたいして同等・な価値あるもの(Gleichwertiges)としてま たは]分と交換されうるものとして1土」係する(bez廿g1ich)からである。」

 ここで価値表現の「回り辿」のメカニズムがはじめて明らかにされる。

すなわちリンネルの価値はリンネルが上着にたいして「口分の等価物」ま たは1二i分と「交換されうるもの」として閑係することによって表現される のである。それはリンネルが価値として上着にたいしてとる映」係,すなわ ち「価値閑係」によってである。そのことによってリンネルの価値は独立 した表現が与えられるのである。そして上着はこの関係のなかでは「価値 の存在形態」として,「価値物」として認められるのである。

 さらに上述の関係のアナロジーとして化学における酪酸と蟻酸プロピル との等置閑係について述ぺている。すなわち(C月昌O。)という酩 酸の化学 的実休がその物体形態と区別されて表呪される仕方を論じている。

 〔二〕価値二「価{酬1象(We「tabstraktユon)」 (川脳働の凝1■加)と

「価値形態」 (他藺品にたいする舳矛、によって現われる)との区別。

 〔ホ〕この部分で「回り道(Auf diesem Umweg)」という言菓がでてく る皿・要な仙所なので全文をまず州 〕するo

 「たとえば上着が価値物(Wertdi㎎)としてリンネルに等粒されること によって,上ネ子にふくまれている労働はリンネルにふくまれている労働に 等赴される。ところで,たしかに上着をつくる裁継労働はリンネルをつく る織布労働とは種類の連った臭体的な労働である。しかし織布労働との等 鮒は裁維労働を, 事尖上,両方の労働に現実に同等なもの(wirk1ich Gleiche)へ,人間労働という両 方に共通な性格(9emeinsamen Charak−

ter)へ還元する。こうした回り迫(Aufdiesem Umweg)において,その

場合(dann)言われていることは,織布労働もまたそれが価値を織るかぎ

(5)

りでは,それを裁縫労働から区別する特徴を何らもってはいないというこ と,つまり抽象的人間労働であるということであるの。ただ異種の諸商晶 の等価性の表現(Aquivalenzausdruck)だけが価値形成労働の独自な性 格を顕在化させるのである。というのは,この等価性の表現は異種の諸商 品のうちにひそんでいる異種の諦労働を,実際に,それらに共通するもの へ,人間労働一搬に還元するからである。」

 リンネル0)価値が上着によって表現される価値形態において,リンネル の「価値を織る」織布労働が価値形成労働であるという独臼な性格を表現 する迂何的方法が上のように述べられている。それは異なる商品の等価性 の表現に根拠をもつものである。すなわち異なる商品が等価であるという 二は,労働においても質の区別のナよい「人問労働一般」に還元している からである。一商品が他商品を「価値物」として等置することによってn 分の価値を表現すること,つまり「回り道」による価値表現によって同時 にリンネル価値をつくる織布労働も抽象的人問労働であるということが迂 何して語られているのである。すなわち〔ハ〕で述べた二商品の価値関係 における価値表現を, 〔ホ〕は価値を形成する労働という根本的な視角か ら論じているのである。〔ハ〕,〔ホ〕によって「回り道」の論理は相対自勺 価値形態の舳πからり』らかにされているといえるであろう。

 〔へ〕は,〔ホ〕における 雪;価ヤニヒ0)表現による価値形成労働の表現だけで は不充分であることを述べている。なぜなら価値をつくる人問労働と人問 労働の凝mとしての価値とは区別しなければならないからである。そして 価値を労働の凝円として表現するためには他商品との価値閑係において両 方の商品に「共通な対象性(Gegenst自nd1ichkeit)」として表現されねば ならない。だがこの言果題は〔ハ〕によってすでに解決されている。

 〔ト〕等価形態の上着力沌つ独臼な性格について述べている。すなわち リンネルとの価値関係のなかでは上着は「価値がそれにおいて現われる物

(Ding)または手でつかめるその自然的形態で価値を表示している物とし

て認められるのである」。その関係を離れれば,上着は単なる使用価値で あるにすぎないものであるのに。

 〔チ〕も等価形態の上着のもつ独自な性格について述べている。「リンネ ルの棚値関係のなかでは,上着はただこの面〔人問労働の堆穫一引用 者〕からのみ,したがってただ呉体化された価値(verkδrperter Wert)

としてのみ,価値体(Wertk6rper)としてのみ認められるのである。」

 r上着がリンネルにたいして価値を表示するということは, 同時にリン ネルにとって紐値が上着という形態をとることなしにはできないことであ

る。」

 すなわち商晶の価値は価値それ自体で一人歩きすることはできないこと である。1商品の価値は必ず他商品の使用価値という姿をとってのみ現象

しうるのである。このことは「王様」の概念が一人歩きできないのと同様 である。すなわち王様なるものは特定の顔つきや頭髪をもった個人の姿を

とってしか登場できないものである。

 〔リ〕「上着がリンネルの等価物となっている価値関係のなかでは上着形 態は価値形態として認められる。したがって商品リンネルの価値が商晶上 着の肉体(Kdfper)で表現され,1商晶の偲値が他商品の使用価値で表

現される。」

 リンネルは価値として「上着と同等なもの(Rockg1eiches)」であり,

価値は上着にみえるのである。「リンネルの価値存在(Wertsein)が上着 との同等性(G1eichheit)に現われる」。 こうしてリンネルは臼分の自然 的形態とは異なる価値形態をうけとるのである。なおマルクスはアナ1コジ ーとしてキリスト教徒の羊的性質(Schafsnatur)が神の仔羊との同等性

(GIeichheit)に現われることを述ぺている。

 〔ヌ〕この部分はa「相対的価値形態の内実」の総括である。すなわち第 1節「商晶の二要因」,第2節「労働の二重性」で分析者の立場から論じ.

られた商品価値の分析を,リンネル自身が上着との価値関係において自分

(6)

にだけ通用する言葉(Sprache)で表現するのである。つまりリンネルは

「白分の思想(Gedanken)」を「商品語(Warensprache)」で語るのである。

 「労働は人間労働という抽象的属性(abstrakten Eigenschaft)におい てリンネル自身の価値を形成するということを言うために,リンネルは,

上着がリンネルと同等に妥当する(91eichgiIt)とされるかぎり,つまり 価値であるかぎり,上着はリンネルと同じ労働から成っていると言うので ある。リンネルの崇高な価値対象性(Wertgegenstand王ichkeit)が白分の ゴワゴワした肉体と異なることを言うために,リンネルは,価値は上着に 見え,したがってリンネル自身も価値物(Weftdi㎎)として上着とうり 二つである,と言うのである。」もちろん「商品語」はしゃれである。

 さらに価値表現のナこめの商品言吾(Wertsein〔〜に値する〕)はロマン語

(Valere,Valer,Va]oif)よりも適切ではない。

 〔ル〕「内実」の結論である。「価値関係の媒介」によって,商品Bの自 然的形態(肉体)が商品Aの価値形態,価値鏡(Wertspiegel)(注)となる。

 「商品Aが商晶Bに〔自分の一引用者〕個値体(WertkOrper)として,

人間労働の物質化として関係する(bezieht)ことによって,商晶Aは使用 価値Bを白分臼身の価値表現の材料にする。商品Aの価値はこのように商 品Bの使用価値で表現されて相対的価値の形態をもつのである。」

   (注)

  マルクスはr価値鏡」の脚注として,人閥ペテロと人閻パウロの関係をとりあ  げ論じている。

   「人間ペテロは彼と1司等なもの(seinesgleichen)としての人間パウロに関係  することによってはじめて人間としての臼分白身に関係するのである。しかしそ  れとともにまたペテロにとって,パウロの全体が,そのパウロ的な肉体のままで  人間という種族(Genus Mensch)の現象形態として認められるのである。」

 1),2) K.Marx,D伽Kψ〃〃,Bd.I,1.Auflage,S.20−21.

 3)拙著「価他形態論」第八章「へ一ゲル判断論とマルクス価値形態論」参照。

 4)「回り道」の都分の翻訳上の問題はつぎの文献を参照されたい。武日ヨ信照「価    値形態論と交換過程論」(中)愛矢□大学「法経論集』r経済経営篇」第76号,

   1974年.

(3〕等価形態

 13〕は価値形態を等価形態の側面よりみたものである。それは17のパラグ ラフ(〔イ〕・・…・〔レ〕)よりなりたっている。(2〕相対的価値形態 と同様に 逐一検討することにしよう。

 〔イ〕 等価形態の根拠は「1商品A(リンネル)がその価値を異種のユ 商晶B(上着)の使用価値で表示する」ということにある。リンネルは,

白分の価値存在を上着がその自然的形態のままでリンネルに「同等に妥当 する(gleichgilt)」ということによって表現する。つまり上着はリンネル と直接に交換されうる形態にある。「したがって1商品の等価形態は. そ の商品の他の商品との高接的交換可能性(mmittelbaren Austauschbar−

keit)の形態である。」

 〔口〕,〔ハ〕 他商品との「直接的交換可能性」という独臼な属性をもつ 等価形態の商品は,それil1身価値量として表現される形態をもたない。な ぜなら上着の一定量という生ま身のままのn然的形態でリンネルの一定の 価値量を表現しているからである(注)。すなわち上着はリンネルとの価値 等式において「等価物の役割を演じ」,「価値体」として認められているの で臼分の価値量としての表現形態をもつことはできないし,もつ必要もな いのである。したがって「1商品の等価形熊はむしろ量的な価値規定をま ったくふくんでいないのである。」

  (注)

  マルクスはここで価値表現のうちにr単なる量的関係」だけをみるベィリーな  どの「皮相な理解」の根拠を明らかにするのである。

 〔二〕 等価形態の第1の特性(Eigentum1ichkeit)は,「使用価値がそ の反対物の,価値の現象形態となる」ということである。 以下,〔ホ〕,

〔へ〕,〔ト〕はそれの説明である。

 〔ホ〕「商品の臼然的形態が価値形態となる。」この取り違え(Quidpro一

(7)

quo)がおこるのは, リンネルが上着にたいしてとる「価値閑係」のなか だけのことである。すなわち「どのような商品も,1;{分臼身にたいして等 価物として関係することはできないのであり,したがってまた,臼分臼身 のn然の皮を臼分向身の価値の表現とすることはできないのであるから,

その商品は他の商晶にたいして〔臼分の一引用者〕等価物として関係し なければならない。すなわち他の商品の臼然の皮を白分口身の価値形態に

しなければならないのである。」

 〔へ〕は〔ホ〕のアナロジーとして「兎量尺度(GewichtsmaB)」の例を あげている。棒砂糖の重さを表現するために,われわれはそれを鉄との重 量関係(Gewichtsvefh直1tnis)におく。この関係のなかでは鉄は「重さ以 外のなにものをも表示していない物体(Kδrper)とみなされる」。鉄は

「重さの姿,爪さの現象形態を代表する」。価値表現においては「上着体は リンネルにたいしてただ価値だけを代表する。」

 〔ト〕 だが,〔へ〕はあくまでアナロジーである。鉄は□l1然的属性」で ある「重さ」を代表している。 上着は「走舳然的属性(廿bematur1iche Eigenschaft)」である価値を,「純粋に朴会的なもの(rein Geseユ1schaft−

liches)」を代表しているのである。

 〔チ〕 相対的価値形態は,リンネル商品の価値をその使用価値とは区別 されたもの,「上着に㌻しいもの(Rockgleiches)」として表現する形態で あるから,それは「ある未11全的関係(ein gese1lschaftliches Verh引tnis)」

をふくんでいることを肺示してい㍍

 箏価形熊はこれとはまったく正反対である。等価形態はそのあるがまま の商品休が価値を表現し,「生まれながらに価値形態をもっている」とい う形態である。もちろんこの形態はリンネルの上着にたいする価値関係の なかでのみ得られたものである。(注)

  (注)

  マルクスはこの部分の(注)で等価形態の独自な性格について,王と臣下との  反省関係をアナロジーとしてあげいる。

 しかし上着のもつ直接的交換可能性という等価形態の属性は,「重さが あるとか保温する」とかいう上着の白然的な諸属性と同様に,生まれなが らにもっているかにみえる。ここに等価形態の,したがってそれの完成さ れた形態である貨幣の「謎性(das R昌tse1hafte)」がある。経済学者たち は単純な価値表 現がこの謎を解くものであることに気がついていない。

 〔リ〕,〔ヌ〕,〔ル〕は等価形態の第2の特性一「具体的労働がその反対 物の,抽象的人間労働の現象形態になる」ということを述べてい孔  〔り〕 等価商品の体はその生まれながらの姿で価値体である。つまり上 着は抽象的人間労働の「物体化(VerkOrperung)」として認められる。だ・

から上着をつくる裁縫労働という具体的労働は直接に抽象的人問労働の

「実現形態(Verwirklichungsform)」である。リンネルの価値表現におい て裁縫労働の「有用性(Mtz1ichkeit)」はリンネルの「価値鏡(Wert−

spiegel)」をつくることにある。

 〔ヌ〕 裁縫労働においても,織布労働においても人間の労働力が支出さ れる。だからいずれの労働も人間労働という一般的属性をもっている。こ れは何も神秘的なことではない。ところが価値表現においては「事態はね じまげられてしまう」。 すなわち織布労働が」リンネル価値を形成するとい うことを表現するために「織布労働にたいして裁縫労働が抽象的人間労働 の手でつかめる実現形態として対置される(gegen廿bergestellt)のである。」

 〔ル〕 したがって貝体的労働(裁縫労働)が抽象的人間労働の現象形態 となるのである。

 〔オ〕 等価形態の第3の特性一r私的労働がその反対物の形態すなわ

ち直接に社会的な形態にある労働になる」を述べている。裁縫労働が人間

労働の表現として認められることによってそれは他の労働との「同等性の

形態(die Form der G王eichheit)」をもつ。したがって裁縫労働は,他

のすべての商品生産労働と同様に,私的労働でありながらしかも直接に社

会的形態にある労働である。つまり労働の同等性が社会性を表現する商品

(8)

生産」の社会では,裁縫労働の生産物は他の商晶と直接に交換されうる生産 物,社会的労働の生産物となって現われる。(注)

  (注)

  初版『資本論」のr付録」では,等f[田形態の第4の特性として呪物性論がとり  あげられている1〕。

 〔ワ〕,〔カ〕,〔ヨ〕,〔タ〕,〔レ〕は等価形態の第2,第3の特性につい てアリストテレスという天才による「価値形態」にたいする思考方法を参 考としながら読者の理解を深めさせようとしている。

 〔カ〕 アリストテレスは商品の貨幣形態は単純な価値形態の展開された 姿であることを述べている。

  r5台の寝台二1軒の家」

        ↓

  r5台の寝台二これこれの額の貨幣」

 〔ヨ〕 アリストテレスは,r5台の寝台二1軒の家」において,r家が 寝台に質的に等置される」ことを必要とすること, そして寝台と家と いう異なった物が耳いに関係しうるためにはこうした「本質の同等性

(Wesensgleichheit)」が必要であることをみぬいている。

 しかし彼はこれ以上の分析をやめる。彼によれば異なるものが「質的に 同等である」ということは不可能なことである。ただ「実際上の心要のた めの応急手段」でしかありえないと。

 〔タ〕 アリストテレスの分析の失敗はどこにあるのか。それは「価値概 念(Wertbegriff)の欠如」にある。 すなわち 「寝台の価値表現におい て家が寝台にたいして表わしている共通な実体(die gemeinschaftuche Substanz)は何であるのか?」彼はそうした同等なものはr真実には存在

しえない」という。そしてこの同等なものこそ人間労働なのである。

 〔レ〕 アリストテレスは何故に人問労働を見いだすことができなかった のか? それはギリシァの社会が奴隷労働によって成りたち,人間やその 労働力の不等性(Ung1eichheit)をその自然的基礎(Naturbasis)として

いたからである。

 「価値表現の秘密(Geheimnis),すなわち人問労働一般であるがゆえ の,またそのかぎりでの,すべての労働の同等一陛と同等な妥当件(g1eiche G廿1tigkeit)は,人問の同等性の概念がすでに民衆の先入見としての強両

さをもつようになったときに,はじめてその秘密を解かれることができる のである。」しかしそれは商品形態が労働生産物の一般的形態である朴会 においてのみ可能なことである。

 /) K.Marx,Dα3Kψ伽1,Bd.T,1.Auf1age,S.773−775.

ω 単純な価値形態の全体

 14〕は7つのパラグラフ(〔イ〕……〔卜〕)に分かれている。これまでと同 様に順次みていくことにしよう。

 〔イ〕 商品の価値形態は他の商品にたいするその商品の価値関係または 交換関係(Austauschverh直1tnis)にふくまれている。すなわち「商品A の価他は,質的には,商品Bの商品Aとの直接的交換可能性によって表現 される。商品Aの価値は,量的には,一定量の商品Bの与えられた量の商 品Aとの交換可能性によって表現される。」こうして商品Aの価値はその n然的形態とは独立して表現され,いわゆる「交換価値」という形態をも つことになるのである。

 〔口〕 「商品の価値形態または価値表現は南品価値の本性(Natur)から ξ1三じてくるのであって,逆に価殖や価値量がそれらの交換価値としての表 現様式から生じてくるのではない。」ところが,重商主義者も近代の臼由 貿易行商人もともにこれとは逆の考えをもっている。そして前者は等価形 態に,後者は相対的価値形態に重点をおいている。

 〔ハ〕 商品Ab商品Bでの価値表現の分析はつぎのことを明らかにし

た。商品Aの自然的形態はただ使用煽値の姿態として,商品Bの自然的形

(9)

態はただ価値形態または価値姿態(Wertgesta1t)として認められ孔した がって「商品に包みこまれている使用価値と価値との内的な対立(innere Gegensatz)は一つの外的な対立(auBeren Gegensatz)によって,すな わち二つの商品の関係(Vefh身1tnis)によって表示される」。 だから「一 商品の単純な価値形態はその商晶にふくまれている使用価値と価値との対 立の単純な現象形態である。」

 〔二〕 労働生産物はそれの生産に支出された労働をその物の「対象的」

な属性として,その物の「価値」として表示するような発展段階において のみ商晶となることができる。「それゆえ,商品の単純な価値形態は同時 に労働生産物の単純な商晶形態であり,したがってまた商晶形態の発展は 価値形態の展開に一致する(ZuSam㎜en捌1t)ということになる。」

 〔ホ〕,〔へ〕,〔卜〕は,単純な価値形態という萌芽形態(KeimfOm)の

「不充分性(Unzu1直ng1iche)」を蝸らかにし,■■全体的な価値形態」への展 闘・移行の条件について述べている。

 〔へ〕 単純な価値形態は人1笥労働の結晶である価値の本性(概念)の表 現形態として不充分である。それは相対的価値形態および等価形態からみ ていえることである。すなわち単純な価値形態はほかのすべての商品との

「質的な同等性と量的な比率性(qua1itative Gleichheit und quantitative Prop0ftionalit挑)」を表示してはいない。また等価商品はただ一つの商品 にたいしてだけ直接的交換可能性の形態をもつ個別的な(einZe1ne)等価 形態である。

 〔ト〕 ところで,個別的な(einZeユne)価値形態は一商品の価値が他の 一商品の使用価値で表現される価値形態であるが,その価値鏡となる等価 商晶はそれがどのような種類のものであってもよい。「商品Aが他のあれ

これの商晶種類と価値関係をむすぷ(in ein Wertverha1tnis tritt)のに 応じて同じ一つの商晶のいろいろな単純な価値表現が生ずるのである。」こ うして商品Aは商晶世界の無数の商晶種類で表現されることとなり,「全体

的な価値形態」へ移行するのである。

小  結

 以上のように現行版r資本論」にしたがって「単純な価値形態」に逐一 検討を加えてきた。それを簡単にふりかえってみると,マルクスはまず ユ)単純な価値形態を成り立たせる両極の相互関係を考察し,つぎに 2)

その価値形態を相対的価値形態から分析し,さらに 3) それを等価形熊 から明らかにし,最後に 4) 全体の視点からみているといえる。

 さて各パラグラフの綿密な検討の結果として現行版r資本論」の価値表 現の「回り道」のメカニズムはつぎのように述べうるであろう。{12)の〔ハ〕,

〔ホ〕,〔リ〕,〔ル〕,13〕の〔イ〕,〔ホ〕,(4〕の〔イ〕}

 一商品の価値は他商品の使用価値で表現されるのであるが,その論理は まず 1) 一商晶が他商品を価値物として等置し,2)偏値物である他商 品の使用価値で表現することである。

 あるいは同じことであるが,ユ) 1商晶が他商品と価値関係をむすびそ の他商品を価値鏡たらしめて,2)価値鏡である他商品の自然的形態で表 現するということである。

 こうして一商品は相対的な価値の形態をもっことができるのである。

 すなわち一商品は1)のプロセスで他商品に「等価物」という等価形態 の独白な経済的形態を与える。そして2)その形態規定をもった他商品で 価値表現するのである。もちろん1),2)のプロセスは時間的な順序を述べ ているのではない。時間的には1).2)のプロセスとも同時におこなわれる ものである。論理として価値表現の「回り道」を説くとすれば,1),2)と いう二つの段階に分けて論ずることが必要であると考える。以上のことが 価値表現の「回り道」といえるであろう。

 従来のところ「回り道」をめぐる論争は主としてその言葉のある(2〕の

(10)

〔ホ〕の部分だけが論じられてきている。 だがその部分だけの理解では不 充分である。〔ホ〕は,すでに述べたように,価値形成労働の独自性の表 現の仕方について述べているのである。それももちろん「nり道」の価値 実体にまでさかのぼった理解であるといえよう。そしてマルクスもアリス

トテレスの例を出して価値概念との関係を強調している。

 だが商品0)個値の独nな表現形式である「回り道」は「単純な価値形態」

の全体を充分に理解したうえで純粋に表現形式として論じなければならな い問題であるといえる。 (未完)

      (1978年12月20円)

参照

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