第 1章 資試料分析 とその研究 平均値 に現 れ た誤差 ±0.21nlll(平均値
aさ
ん13.2mll、 bさん13.31mll、 Cさん13.41nlll) これ をみ る と個体 ご とには最大 で0.8皿の誤 差 が 出 る こ とが あ る ものの、 161個 の平均 で は誤 差 が相 殺 さ れ て3名の最大 で0.2111111に過 ぎな くな って い る。この誤 差 は、た とえば今 回提 示 したl llmの階級 幅 の グ ラ フ に は影響 ない もの と考 え る。2.計
測 結 果 24か所のサンプルか ら抽出 した7,660個を対象 として、0.lllllll単位で計測値 を記入 し、パ ソコン上で ヒス トグラム とグラフを作成 した。対象サンプルは、なるべ く各時期が網羅 されるように選んだが、実施でき たのは予定 したサンプルの一部である。斜面貝層は実施できなかった。今回提示 した遺構内貝層のデータ は、比較的細かい時期幅で捉 えられる反面、その時期全体の傾向をどこまで示 しているか、やや不安が残 る。今後、機会をみて計測を追カロしていきたい。 全 体 一 三1:│
-8.0
1-9.0
t4-10.0
103-11.0
516-12.0
1, 095-13.0
1,922-r4.0
2,225-15.0
t,245-16.0
447 -17 0 1 81 -18.01 9 -19.01 1 -20 0 1 1 合 計 276 271 100 363 600 600 SK095 1 SK SK-563 SK-564 34期 1 4期 51 421 731 741 ]:│ 31 SK-251 -6.0 -7.0 -8.0 -9.0 -10.0 -110 -120 -13 0 -140 -15.0 -16 0 -17 0 -18.0 -19 0 -20.0 3 25 138 1411 31111
1 24 74 53 10 11 全体 を合計 した結果、当貝塚 のイボキサ ゴは13.llllllを 平均 として、11.71nIIlか ら14.5nlmの範囲 に入 る個体 が多い。 もともとJヽさな巻 き貝であるが、一般 に大型貝塚 のイボキサゴはきわめて小 さい。 グラフの形状 は13∼ 14mmを中心 としてなだ らかなカーブを描 く単峰分布 を示す。 しか し、サ ンプル ご とにみ る と、平均 第42表 イボキサ ゴ殻径計測値 S3-0941 AR: n‐
A,1 ´ ^,12嵐
"%
-130-^s^B-^ sB-093π
。
」
粍評巳丁
│-500れ
7キー
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全 体 全体 標 本数 7,660 平均 13 1ml 標 準偏差 ±1 4aull T,,79 1期 阿 玉台 ・ 中峠 競 G 鶴 訊 一 ∝ 跡 一 鱗 狐 0 い 「 SB-208-NolS 標本数 161 平均 13 1oull 標 準偏 差 ±0 7mllll SK-119 1 標 本数 500 1 平均 1 3 4null l 標 準偏差 ±0 71ull │ SB-093 1 標本数 100 1 平均 1390111 1 標 準偏 差 ±1 2mll SB-095-P 標 本数 100 平均 14 4mll 標 準偏 差 ±0 8mll SB-096-C 標 本数 363 平均 1 3 2ollll 標 準偏 差 ±1 2mll SB-142A 標本数 400 平均 1241111 標 準偏 差 ±1 2oull SB-173-A 標本 数 600 平均 1 3 8mull 標 準偏 差 ±1 lmlll SK133-C 標本 数 177 平均 13 0nul 標 準偏 差 ±1 5oul SK-713 標 本数 100 平均 13 3oul 標 準偏 差 ±0 9ulEl 剛 楓 n 額 G “ S ‘ m O 一 ” 駆 輌 n ” 鱗 ﹄ 耐 島 一 泌 一 ” 蝸 働 鱗 郷 u ﹄ 耐 硼 耐 猜 一 “ n 一 鯛 か 0 ”
劉
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2-3期 中峠 ・ カロ曽禾JE I 島 働 螂 島 n ﹄ 剛 0 一 か 0 ぃ 「:―
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f f,77阜
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f 第57図 イボキサ ゴ殻径計測値 S3-100-C 標 本数 600 平均 12611111 標 準偏 差 ±1 2null SK-563 標 本数 300 平均 13 4wll 標 準偏 差 ±0 9mln-131-齢
‖
」
1 」¬ 一I―
Ll ¨ 円 _ - r l-11,_.11第1章 資試料分析 とその研究 3期 加曽利EI 動 0 0 猜 0 ぃ 暉 0 0 あ u 誂 n 椰 耐 勧 耐 ﹄ 瑯 o 鴎 ” 一 ぃ 鴎 一 耐 あ 饉 “ 飾 一 u n n 喘 n O 研 狐 n ” n 一 鶴 鮎 0 ぃ n 0 0 あ 0 ぃ 剛 研 n 額 n 喘 円 lm¨
‖‖
SB-085-No 2 標本数 276 平均 12 21ul 標 準偏 差 ±1 3olol SB-088-A 標本数 271 平均 13 3alal 標 準偏 差 ±1 2oull S3-090-3-1 標 本数 300 平均 14 1Dul 標 準偏差 ±1 lollll SB-094 標 本数 170 平均 12 7mII 標準偏 差 ±1 01Blll SB190-C 標 本数 300 平均 13 7unl 標 準偏 差 ±l lmIIl S8-195-A 標本数 400 平均 13 0mlll 標 準偏差 ±1 5null SK-164-0 標 本数 400 平均 14 1oul 標 準偏 差 ±1 3nlll SK-251 標本数 200 平均 14 1oll 標 準偏差 ±0 9mul SK-564 標 本数 163 平均 13 8mll 標 準偏 差 ±0 81nlll SK095 標本数 296 平均 13 5olll 標準偏 差 ±1 2olnl 4期 加曽利E] 麒 G 鐵 が 0 ” 動 0 鱗 笙 0 ぃ SK104-C 標本数 483 平均 12 51ull 標 準偏 差 ±0 8oull S3-097-C 標本 数 600 平均 12 0mll 標準偏差 ±1 4ml 5期 加曽利E皿 ¬ │ │ ___ ― ―――――――――― S3-226 標 本数 400 平均 H5mlll 標 準偏 差 ±1 3mnl F = ― │ 国‖
口 │ ‖¬ ―-132-― =腔
11.51mllのSB 226から、平均14.41111のSB 095ま でか な りの格 差 が あ る。同 じ時期 の なかで あ って も、か な り の差 が あ る。 この意 味 はお そ ら くイ ボキサ ゴの採取 季節 との関係 が深 い もの と考 え られ るので、今後検 討 して みた い。
3.時
期 的 な 変 化 次 に時期 ごとに集計 した結果 のグラフを示す。これ による と、 貝層 の形成 当初か らカロ曽利EI
期 まで は、1lIIlm∼14側の個体 を 中心 としてお り、 あ ま り変化が ないが、 その後EⅡ
期、EⅢ
期 と徐 々 にJヽさな個体 が中心 にな ってい くことがわか る。貝漁が 活発 になって も加 曽利EI期
ま で は小型化せず、加 曽利EⅡ
期 になって小型化 している。 その 後、漁が不活発 になった後 も小 型化 していった ようである。 これ は、二枚貝で見 られた漁 の活発化 に伴 って著 し く小型化 し、漁が少 な くなる と大 きさが 戻 る とい う傾 向 とは大 き く異 な っている。加 曽利EI期
に漁が 活発化 して もイ嘔型化 しないのは、 イボキサ ゴの並外 れた、 また安 定 した繁殖力 による と考 え られ 目 _ 三 日 □ 闘 研 錦 銀 臨 郷 鱗 幌 椰 臨 椰 鰯 酬 酬 帆 阿玉台・中峠 試料数661
平均 13.3nllll 標準偏差±07111111 2サンフ・ル 中峠 試料数
1,840
平均 13.3111111 標準偏差±1 31ull 7サンフ・ル 加曽利EI 試料数
2,480
平均 13.5111111 標準偏差±1.41ulll 10サンフ・ル 加曽利EE 試料数
1,083
平均 12.2111111 標準偏差±1.211ull 2サンフ゜ル 加曽利E皿 試料数
400
平均 H.51ntll 標準偏差±1.311ull lサンフ゜ル 日 □ 目 60% 40" 30% 20% 10% 0% 40% 30% 20% 10ヽ 0% 60% 目 日 一 ヽ■
?旱
薗 □__ ..
〒 ギ 旱1旱
旱:帯
早 第58図 イ ボキサ ゴ殻径 の変化 る。採 って も採 って も翌年 には湧いて くるために、活発 な漁 を行 って も採取圧 の影響が出に くいのであろ う。ハ マグ リが当年生 まれの貝 を採 る と直接的 に資源量 を減 らして しまうのに対 し、イボキサ ゴは毎年安 定 して稚貝 の定着が起 き、「春の大潮時 に、毎年多量 の親貝 を採取 した として も、その集団 は、多少の変動 をす る程度 で維持 され る」(小澤1978)と い う。す ると、加 曽利EⅡ 期か らEⅢ期 にか けてみ られ る小型化 は、 なぜ起 こったのか。 この問題 は提示 したデータのみか らい えることで はな く、今後 この時期 の試料 の計測 例 を追加 して論 じてみたい。 中期 に広が った村 田川河 口干潟の縮小 に伴 うイボキサ ゴの個体群 の縮小 の可 能性 の線か ら追究 してみ るつ もりであ る。 参考文献 小澤智生1978
「東京湾岸地域 にお ける縄文海進期 の 自然環境 とイボキサ ゴの繁殖」考古学 と自然科学11 ロ ロ 50% 40% 30ヽ 2帆 10% ∝-133-第
1節
縄 文 中期 の大型 貝塚 と生産活動 一有吉北貝塚 の分析結果 一
西 野 雅 人 有吉北貝塚 は大規模 な貝層 を伴 う縄文 中期 の集落跡 であ る。 当セ ンター は集落 と斜面貝層の4分
の3ほ どを調査 し、最近報告書 の刊行 を行 った。東京湾東岸 にある数多 くの大型貝塚 のなかで も、全面 に近 い調 査が行 われたのは数例 に過 ぎない。調査で は、貝層全体 か ら系統的 に貝サ ンプル を採取 し、 また、廃棄 し た貝層 について は現地 で フルイを使 って微細遺物 の回収 に細心の注意 を払 った。 その後、長年 にわた る整 理作業 を経 て、全体像 をつかみ うる貴重 な分析材料 と基礎 デー タを得 ることがで きた。今回 は、当遺跡 の 研究成果に1について、生産活動 と食糧 の内容 を中心 に考 えてみたい。 1。 遺 跡 の 概 要 立地 と周辺 の集落 細尾根 でつなが った南隣の台地上 には同時期 の有吉南貝塚 があ り、 いわゆる「環状 集落」が2つ並 んだ形 をしている。 また、北側 の谷津 の対岸 には同時期 の地点貝塚 を伴 う鎌取場台遺跡、 南二重堀遺跡 もあ り、中期遺跡群 を形成 してい る(注 2。 これ らの集落 のある泉谷津 と赤塚支谷 は、 きわ めて 湧水量 の多 い谷 で、有吉北貝塚 の直下 の谷 には、かつて湧水点が存在 した。豊富 な湧水 は この地 に遺跡が 集 中 した理 由のひ とつであろう。また、当時 の海岸線 は、図の ように、当遺跡 か ら1.5kmほ どの ところまでめ
南二重堀 1/翠 第 59図 有 吉北 貝塚 と中期遺跡群 ―-135-― 旧海岸線 は松 島 1982による。第2章 総合的な研究 入 り込 んでいた (松島1982)ので、丸木舟 による海岸 との行 き来、海産物 の運搬 に都合が良かった もの と 考 えられ る。 時期 と遺構配置 阿玉台Ⅲ式期 か らカロ曽利EⅢ式期 にか けて集落が形成 された。 この うち、環状集落 と か、拠点集落 と呼 ばれ る集落 の形成期間 は、カロ曽利
EⅡ
式 の終 わ り頃 までであ り、 その間住居 と貯蔵穴 が 繰 り返 し掘 り込 まれて環状 の遺構帯 を形成 し、中心部 には無遺構帯が残 された。加 曽利EⅢ
式期 に入 る頃 に集落 は断絶 し、遺構 の中心部か ら離れた台地南側 の斜面部 に数軒 の住居跡がつ くられた。 住居跡 は168軒見 つかってい る。ただ し、壁 の立 ち上 が りがほ とん ど認 め られない ものが多 く、一帯 には 帰属不明の柱穴が相 当あることか ら、床面 まで失われて認定で きなかった住居跡 も多い と考 えられ る。 発見 された土坑 のほ とん どは、形状 か ら貯蔵穴 と考 えられ るもの (小竪穴)で
あ り、600基 弱 を数 える。 お びただ しい重複 が見 られ、群集貯蔵穴 を形成す る。 貝層 これ らの遺構の うち、92か所 に遺構 内貝層が形成 され、斜面 には大 きな貝層が4か所形成 されて いる。貝層 は、点々 としなが ら一つの環 につなが る「点列環状貝塚」 を構成 している。廃棄の場所 は、集 落前半期が多方向の斜面や遺構 内 に分散 しているのに対 して、後半期 は遺構 内貝層 は数か所 に限 られ、北 斜面貝層 に集 中 している。北斜面貝層 は最上層の後期・ 称名寺2式
期 の小貝層 を除 けば、 ほぼ加 曽利EⅡ
式期以外 の混入物 のない大規模 な貝層である。台地斜面の海成砂層 を大 き く挟 り込んだ、長 さ40m、 幅13m
の壷状 の地形 を貝 と上が埋 めている。 この時期、廃棄の場 をここに限定 していた理由は、崖崩れな どによ つてで きた浸食地形 の拡大 を くい止めることにあった もの とみ られている。 主 な出土遺物 中期 で は土器約1,200箱 、石器・ 礫約25,000点 (石鏃1,088、 打製石斧833、 磨石類721、 石皿439)、 骨角歯牙製品約300点 (装飾 品40、 道具133、 未成品116)、 貝製品約870点 (装飾品41、 貝刃 と擦 痕 を もつ貝殻 な どの道具826)、 土製耳飾17点、土器片錘約5,300点 、埋葬人骨19体、埋葬動物骨4体
(イ ヌ、 サル・ イノシシの幼獣)、 鳥獣魚骨50,000点 以上が出土 した。 定住型集落 様 々 な要素か ら強 い定住性 を伺 うことがで きる。石器や食糧残滓の組成か らは、食糧資源 の季節的な増減 に合わせて住居 を移動す るタイプではな く、季節的な計画 をもって、あ らゆる収穫 を集落 に運 んで くるタイプの生活 を営んでいた ことを想定で きる。 また、黒曜石 による石器製作が さかんに行わ れていたに も関わ らず、徹底 してゴ ミを片づ けているために製作跡 を残 していない こと、廃絶 した住居や 貯蔵穴 を埋 め戻 しているため、貝層が床面 に接 した例 はほ とん どない ことな ども定住生活 を物語 るもので あろう。2.水
産 資 源 の 利 用(1)魚
類 県立 中央博物館小宮孟氏 によって分析が行われた(小宮1998)。 次の図表 はコラムサ ンプルのデータを時 期 ご とに区分 してみた ものである。以下 に小宮氏の述べた魚類相、漁の形態 についての情報 を列記す る。 魚類相 ・ 長期間にわたって最 も大量 に、かつ安定的に もた らされた魚 はイワシ類、ハゼ、アジなどの小魚 と考 え られ る。マイワシ、小形のハゼ、小ガ レイ、小 アジ、サ ヨリが主体である。 ・ エイ・ サメ類、 クロダイ、カタクチイワシも多 い。 しか し、大 きな ものは少な く、生後 1年未満 もし-136-くは1歳前後 の小魚が主体 と考 え られ る。 ・ 復原体長40cm∼ 50cm以 上 におよぶ コチ、クロダイ、スズキの成魚 も入 っている。(これ らは現在 の東京 湾 で も春か ら秋 にか けて水深2∼
3mの
浅場 に来遊 す るので、縄文人 は小魚 と同 じ、あ るいは隣接 した漁 場 で これ らの成魚 を捕 えた可能性が ある。) ・ ハゼ は限 られた層 に集中す る傾 向がある。復原体長5∼ 6 cmの小形ハ ゼ と10cm程度 のマハ ゼがある。 かな り小 さい うえに骨 の保存状態 も良好 なので、直接 の食料でない可能性 や、食用以外 の 目的で漁獲 され た可能性 を検討すべ きか もしれない。 ・ 魚類相 は中期 中葉か ら末葉 までほ とん ど変動がなかった(注 3。 漁獲量 ・ 同 じ村 田川下流域 の貝塚である中期の草刈貝塚、後期 の木戸作貝塚、小金沢貝塚 と魚種組成 は類似す るに4。 しか し、有吉北貝塚 は単位体積 あた りの最小個体数で他 の3遺
跡 を上 回ってお り、小魚の漁獲量 は 相 当大 きか った もの とみ られ る。貝層1リ ッ トル あた り1.4尾∼0.4尾 (平均0.9尾)入
ってい る。 漁の形態 ・ 漁携具 とみ られ る遺物 は、約5,300点 に及ぶ土器片錘が出土 してお り、当時使われた網の沈子 と推定 さ れてい る(注 5。_方
、釣針 の ように漁具 と捕獲具 との関係が1対 1対応 になる道具 は含 まれていない。 第43表 有吉北貝塚主要魚種組成(コ
ラムサンプルから検出された最小個体数の割合) 全体 1阿玉台・ カロ曽利EI 加 曽利EⅡ ^t'f,+ ヽ形 ハ ゼ と10m前後 の マハ ゼ 58 9% 55 8% イワシ類 カタクチイワシ 31 3% 27 7% 9 4% 3 5% l1 6χ l lχ 21% 3 2% 10 5% 4 6% 5_1% 4 3% 6.3χ 12_5% 8 7% 12 6% アシ・禾斗 サヨリ属 カレイ コチ エイ・サメ類 クロタ・イ属 スス゛キ燿員 ウナキ・・アナ 淡水魚 (個体数計) O15mの小 形 主 体 卜15mの小 形 主体 O15m主体 成魚 もあ り 小 形 あ り 体 径 5“ 以下 の 小 形 主 体 小形のフナ、ギバチなど 3 2% 4 2% 8 4% 4 2% l lχ 51% 4 0% 51% 2 7% 0 3% 156% 0 0% 3_1% 0 0% 14 7% 5 6% 4_8% 3_5χ 0 0% 2_2χ 100 0% 100 0% 100 0% 44尾281尾
20ヽ 30% 40% 50% 90% 100% 阿玉台・ 中峠 中峠∼I〕I 加曽利 じ1 加曽利 じH 科 だ ” 口 圏:莉
:MINMi』
ロイワシ類 ■カタクチイワシ クアプ科 ロサヨリ属 3カレイ科 「 エイ・サメ類 ゝクログイ属 ロスス ゛ キ属 ■ウガ ・アナコ゛ 「]淡水魚 第60図 有吉北貝塚主要魚種組成 -137-lm・ 能 露 17 0% 4.0%l糊
8.4xi 4.4x s.4xl 3. 0r r.0x l.6r l.0xl 418尾 11% 11%第 2章 総合的な研究 以上 の情報 か ら、魚類 の利用 について まとめてみたい。 時期的な変化 漁の対象種 は変わ らない ものの、 それぞれの魚種の割合 には時期的な変化が表れている ようである。 目を引 く変化 は、ハゼが古 い時期 に多 く、その後次第 に減 っていることである。前半期のサ ンプルでは0.51mllメ ッシュにハゼの全身骨が大量 に入 っている例が 目立 つが、後半期 には集中す るサ ンプル は認 め られない。減少の理 由はヒ トの側 の利用度 の変化 と、淡水・ 汽水域の縮小 の両面か ら検討するべ き であろ う。 ハゼ とは逆 に次第 に増 える傾向があるのはイワシ、アジ、カレイ、サ ヨリの小魚である。現地採集資料 (発掘 中に、 また は残土 の フルイが けで取 り上 げ られた資料
)で
大形魚が前半 に多 く、後半 に少 ない こと も合わせて考 える と、河 口干潟の縮小 によって大形魚の来遊が減 り、漁の対象が小魚に集中 していった こ とな どが考 えられ る。 魚漁の まとめ この ような分析結果か ら想定 され る漁のすがたは"干
潟での小魚 を対象 とした網漁"で
ある。干潟 に住 んでいるか、 または産卵・ 生育のために集 まった小魚 をまとめて捕 っていた もの と推定で きる。一匹 ご とに魚種 をね らって捕獲す る漁 は低調であった らしい。前半期のハゼを除 くと、ある種が特 に集 中的に捕獲 された様子 はないので、雑多な小魚 をまとめて捕 る漁であったろう。(2)貝
類 貝類 については、基礎整理や種組成0計測値 の分析 を筆者が (西野1998)、 ハ マグ リの成長線分析 を小林 園子氏 が (小林 1998)行 った。a.貝
種組成 66種 を確認 したが、組成比率でみるとイボキサゴ (86%)とハ マグ リ(9%)で
95%を
占める。 これ にシ オ フキガイ、アサ リを加 えた4種
が主要 な構成種である。当初 は汽水域で成長の良いヤマ トシジ ミを採 っ てい るがす ぐに採れな くなった らしい。 これ以外 には貝種組成の時期的な変化 はほとん どみ られない。 全時期 の貝層1リ ッ トル に含 まれ る貝の平均的な内容 は以下の ようである。 イボキサ ゴ220個ハマグ リ16個
シォ フキガイ3個
アサ リ1個 (ウ ミニナ とアラム シロ各3個
=混
入) 0% 20% 40% 60% 80% 1001 o% 10% 20% 30% 40% 50χ 60% 70% 80% 90% 10o% 阿 中峠 中峠 中峠・El E! E‖ EⅢ 後期 16% L______ 1■ lr==圏イホ・キサコ・
三ハマク・り
,他
iハマグリ││シオフキが イ:アサリIマがキ:LッメタがイEマテがイ国ヤマトシシ・ミ第61図 貝種組成 の時期 的な変化
(右
はイボキサゴを抜いた組成)-138-一
一
81ヽ 87ヽコ 刊
:夏Ⅲ
:‖‖
■ 日 目 ■ = = = 朗 1 1 瀬 嵐 回 囲 謳 潮 囲 他一貫 してイ ボキサ ゴ漁 とハ マ グ リ漁 の2つが漁 の 中心 で あ つた。 なかで も、 イ ボキサ ゴ漁 が盛 んで あ っ た とい える。
b.ハ
マ グ リ漁 成 長線分 析 の成果 ハ マ グ リの成長線分析 の結果 をみ る と、ハ マ グ リ漁 は一年 中行 われた ものの、季節 に よる採取量 の差 は大 きか った。第62図 は小林 氏 が サ ンプル ご とに提 示 した デー タ を、単純 に積 み重 ね て 全体 の傾 向 を示 した グ ラ フで あ る。これ に よる と、春 の大潮 な ど特定 の季節 に行 った集 中的 な漁 で はな く、 春前半 か ら始 め られ て、冬 に向か って次第 に漁 の頻 度 や採取 量 が減 る通 年行 われ た漁 とみ るべ きで あ ろ う。 第44表 有吉北貝塚採取季節集計 サ ンプル 時期 全体SB208
阿・中峠 SK133 C 中峠 ニー26
中峠 SB089A―D カロEI SB085-2 カロEI SK775 カロEⅡ SK104-C カロEⅡ Ⅱ-42A カロEⅡ SB226-12加EⅢ#Bt *rb
EHt
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217
4
I
4
I 0.5 0.5
I
l29.5
6
7
4
2
3
I
0.5
334 6.5
0.s i.5 2.5 2.5
I
2.5
2tt236
32s
16
6
I
I 1.5
I
2.5
298.5
15.5 16.5
18.5 t2
13
3 2.5 2.5
92?.5
3 0.5
5
16 (個) 60 50 40 30 20 ■SB226-1 2 圏 Ⅱ-42A E SK104-C 輝SK775 E SB085-2 :I S3089A―D ロニー26 「iSK133-C 時期 の古 い方か ら積み重ね た。全体 的な傾向 を知 る上で は信頼 で きる大 規模 な南斜 面 (■-26)と北斜 面 (Ⅱ -42A)では、冬季以外の採取量 の差 は大 き くな い。したが って、 この グラフ に表れて いるほ どの季節的な差 はな か った もの と推定 で きる。 冬 冬 I S3208 後 輪 形 成 第62図 有吉北貝塚採取季節集計 ハ マグ リの大 きさ 全体 の平均 は31.5皿 である。第63図のグラフをみ る と、25∼30と30∼ 35mmの2階
級 に入 る ものが主体 であ り、中心が30∼351111にある ことは、各時期 を通 じて変 わ っていない。満1歳∼1.5歳 の若 い個体 を中心 に採取 してお り、 と くに漁 の盛 んな時期 には小型化が著 しい。 当遺跡 のハマグ リの成長 は早 いか ら、小型化 は採取圧 の影響 による もの と考 えられ る。 資源の保護 251nIIl以下 は少 な く、 このあた りが意識 的な採取 サイズの下限であった らしい。産卵 にカロわ らない1歳未満 の個体 を採取 す る と資源量が減 って しまうので、 な るべ く採取 しない ように していた もの とみ られ る。 中峠∼加 曽利EI期
で は、幼貝 を比較 的た くさん採 つてお り、資源量 の減少 をまねいた可能 性 が ある。 しか し、幼貝 の多いサ ンプル はイボキサ ゴが92%以
上 の場合 に限 られ るに6ので、「乱獲」で はな く、か ご等 によるイボキサ ゴ漁 に伴 つて「混獲」 された ものである。 冬 前 秋 後 秋 前 夏 後 夏 前 春 後 春 前 ―-139-―甲
:曇
』
‐
墓
薫
璽
第 2章 総合的な研究 ところが、加 曽利
EⅡ
期 で はイ ボキサ ゴ層 で も幼 貝 が ほ とん ど混 じらな くな る。混獲 され た幼 貝 さえ も 海 に戻 す よ うにな ったので あ る。 この時期 に はハ マ グ リの生 息環境 が悪化 した らし く127、 資源保 護 の意識 が高 まった ので あ ろ う。 平均試料 総合計 31 50mm 53531個 満1歳か ら1歳半の若 い個体 を中′い にとっている。 多 くの個体は2歳にな らないうちに 採取された。 LO■ ___:1■ 2歳 13歳 4菫ち上 │ 拠点集落期 阿玉台 中峠 38 16mm 934個 ば らつきが大 きい 大 きな個体 も採れた 中峠
器 34 65mm 2033個 採取圧現れ、 30∼ 35mm多くなった 50n■以上だんだん減少 中峠・ 加EI 35mm以上が少な くなる 30 34mm 1202個 5in以下の幼貝増える 50■■以上 ほ とん どな し 加El 28 66mm 16557個 25∼ 30が増加 幼貝多い やや35∼ 40増 幼貝減少 2 , 2 2 ' 2 2 ' 2 2 , 2 , 2 加E‖ 32 94mm 31736個 加 EⅢ 35 95mm 137個 30■n以 下減少 35in以上増加、50m■以 上もあ り 大 きな個体 も採れた :中′心付近のば らつきが大きい :大きな個体 も採れた 後 期 33 69mm 932個 第63図 有吉北貝塚ハマグ リ殻長 の変化
-140-C。 イボキサ ゴ漁 イボキサ ゴは小形の巻 き貝で、千潟 の沖 の方 に非常 に高密度 の群 をなす。砂 にそれ ほ ど潜 らないので、 ざる状 の もの を使 うと一度 にた くさん採れ る(注 8。 ィボキサ ゴ主体層 には、食用 に していないアラム シロガ イや ウ ミニナ類 が必ず混入 していることか ら、道具 を使 った漁が行 われた ことがわか る。 当遺跡 で も共分 散分析 とい う方法で出土傾 向の相関関係 を調べた ところ、 アラム シロガイ、 ウ ミニナ類、ム シロガイ、 カ キの幼貝、ニ ッコウガイ科、 ツボ ミガイが、イボキサ ゴ漁で混獲 された もの と推定 された (報告書第1分 冊588p)。 なお、 イボキサ ゴは もともと小 さな貝で ある上 に、 当遺跡 の ものは平均13.llnIIlと きわめて小 さい ものが 主体 である(第65図の写真右)。
1個
あた りの肉量 はわずかであ り、身 を取 りだ して利用す るの は、 どんな に工夫 して もきわめて効率が悪 い ことは明 らかである。 この貝が大型貝塚 を構成 す る貝種 のなかで、 もっ とも重要であった ことを理解 す るためには、身が小 さ く取 り出 しに くい とい う欠点 を上 回 る何 らかの価値 とか、 あるいは身 を取 り出 さないで利用す る方法 な どを考 えに入れ る必要が あるだ ろう。 なお、計測値 と その時期的な変化 の詳細 は、第 1章第7節で報告 した。d.特
定 の貝への強 い志向性 種 間の大 きさ上し較 (第64図)
当初 はハマグ リ、 シオ フキガイ、 アサ リ、オキシジ ミの海水産二枚貝4 種 の大 きさはほぼ同 じである。この時期 だ け採れた汽水産 のヤマ トシジ ミは これ らを上 回 り、一番大 きい。 漁が活発 になる と、ハマグ リ→ アサ リ→ シオ フキガイの順 に小型化が顕著 にな り、オキシジ ミはそれ ほ ど 小 さ くな らない。漁が少 な くなる と、大 きさが戻 ってい る。小型化 の程度が種 ごとに違 う事実 は、漁 の対 象 とす る貝種 に選択が働 いて採取圧 の加 わ り方 に差 が生 じた ことを示 している。味 の よい貝 ほ ど採取圧が 強 く加 わ ったのであろうか。た くさん採れれ ば どんな貝で もよいので はな く、味の よい特定 の貝への強 い 志 向性 が数値 として表れた もの と考 えてい る。 5 0 m “ ①初期 ハマグリ・ シオフキ・アサ リ 。オキシジミ の4種の大きさはほぼ同じ ②盛期 ハ マ グ リ→ アサ リ→ シオ フキ の 順 に小 型 化 し、 オ キ シ ジ ミは 小型 化 しな い。 ☆ 味 の よ い もの ほ ど採 取圧 に よ り小 型 化 が 著 しか った もの とみ られ る。 盛期 の 中で 、 や や 大 き さが も どつて い る。 ③点在住居期 全 体 的 に大 き さが も どる。 ― オキシジミ │― シオフキ ● アサリ ーー●ローハマグリ ー ヤマトシジミ 25[―一 薇 ヽ 薇 薇 =質 ■ == ②盛期 ―③⇒
第64図 有吉北貝塚二枚貝殻長 の変化e.貝
漁の まとめ 特定 の2種
、 イボキサ ゴ・ ハ マグ リの収穫 を目的 に した漁が行 われた。 きわめて肉量が小 さ く、身 を取 り出 しに くいイボキサ ゴが圧倒的 に多 く、ハ マグ リも資源 を確保 で きるぎ りぎ りの小形貝 を利用 している。 また、種 ご との採取圧 の差 か らも、特定 の貝への こだわ りが伺 えた。 い 要 〓 一 螢 書 ①-141-ア
ヘ
第2章 総合的な研究
(3)水
産資源 の利用の ま とめ 有吉北貝塚 の縄文人 は小魚の網漁、 イボキサ ゴ漁、ハ マグ リ漁 を内湾の干潟で盛 んに行 っていた。漁場 は村 田 川河 口部 に入 り込 んだ河 口干潟 (また は潟湖干潟)で
あ る。 この ような河 日干潟 は、内湾で もとくに生産性が高 い。栄養塩が上流か ら流れ込 み、沿岸流 による流失が少 ないか らであ る。幼魚や小型魚主体であるが、生物量 は きわめて多 い。縄文 中期の人たちは、豊富で安定 して得 られ る小型 の魚貝資源 を有効 に利用 した もの と考 えられ る。河 回、潟湖 での小魚の網漁 は、おそ らく多数の土器 片錘 を使 った中期 の漁 を特徴づ けるもの とい える。 ちな みに、後期 には東京湾東岸の多 くの河 口干潟 は急激 に埋 め立 て られていったので、漁場 は前浜干潟 に移 ったはず である。3.森
林 資 源 の 利 用(1)鳥
類・ 獣類 一般 に縄文 中期 の貝塚 は「貝ばか り」 とい う イメー ジがあったが、微細 遺物 を回収す る調査 が導入 されて以来、事情 は変わって きた。魚骨 だ けでな く、鳥獣骨 も少な くない。有吉北貝塚 は西本豊弘氏、伊藤良枝氏 によって分析 された 結果、イノシシ、 シカ、 タヌキ、 ノウサギを中 心 とした多 くの個体が同定 された (西本・ 伊藤 1998)。 狩猟具である石鏃 の数 も1,000点 を超 え るので、狩猟 も比較的活発 に行われた とみて良 いであろう。 なお、イノシシとシカが多い こと は縄文時代 を通 じて一般的な傾向 といえるのに 対 して、特徴 的なのは、小動物 の割合が多い こ とである。 狩猟対象獣類 イ ノシシ シカ 大型獣〃ヽ計 タヌキ ノウサギ キツネ アナ グマ カワウソ テ ン イタチ ムササ ビ リス類 サル ガヽ型獣〃ヽ計 計 第45表 有吉北貝塚鳥獣骨 の最小個体数 鳥 類 72 34 θθ 42 27 4 3 4 4 3 5 1 8 θ′ 29 22 1 1 1 1 1 1 1 1 1 60 ガ ン・カモ類 キジ オオハ クチ ョウ フクロウ類 カモメ類 ツグミ類 ウ類 ツル類 ウ ミスズメ類 シギ類 カラス類 計 207(2)植
生か らみた堅果類利用 の可能性 当セ ンター研究紀要9で
は、村 田川低地 のボー リングコアか ら得 られた化石花粉の分析 によ り、最終氷 期 か ら最近 までの植生 を考察 した (関口1985)。 設定 され た7つの花粉群集帯 の うち、「V帯
」 は上 限が 6,500∼ 6,000年 前、下限が3,500∼ 3,000年 前であ り、中期 の環状集落や後期 の馬蹄型貝塚が形成 された時 期 の植生 を示す もの と考 えられ る。ボー リング地点 は村 田川河 回、古市場、茂 呂の3か所 で行われてお り、 第65図 標準サイズのイボキサ ゴ とハマグ リ ― -142-暴 J上流 にあた る有吉北貝塚付近 の植生 をよ く示 してい る可能性が高い。それによると、「台地上 か ら台地斜面 にか けてはヨナラ亜属の優先す る落葉広葉樹林が形成 され、ブナ属、 シデ属、カバ ノキ属 を伴 って」お り、 「 また、わずかなが らヨモギ属が増加 し、一時的に台地上 に裸地が広が った」 とい う。 コナラ亜属が優先 す ることは、県内の多 くの分析結果 とも一致 してお り、信頼性 は高い。 コナラ亜属のなかで食用 とされ るのは ミズナラ、 コナラ、 クヌギ、アベマキの堅果であ り、当地域 の縄 文人が盛 んに利用 したの はコナラで あろう。(ミズナラはコナ ラよ り高地 に分布 す る。クヌギ とアベマキは 食用の例が少 ない。)コナラはナラ林 と呼 ばれ る明 るい雑木林 をつ くる落葉樹 で、薪炭材 に した り、落葉 を 肥料 にす るな ど農 山村 の生活 と密接 な関わ りも持 っていた。堅果 は ドング リ類 の中で も、栄養価 が高 く、 収穫量が多い。水 さらしとアク抜 きを行 えば良質 なデ ンプ ンを得 ることがで きる。 また、 ナラ林 にはク リ やオニ グル ミとい う重要 な堅果類 も伴 う。実際 に貝サ ンプルか らは多量 の クル ミの内果皮が見 つか ってい る。 い まの ところ、当遺跡 の縄文人が利用 した堅果類 の候補 として コナラ とオニグル ミをあげることがで きる。
(3)石
器組成 と群集貯蔵穴 か らみた森林資源 の利用a.石
器組成三角 グラム 石器 や施設 の組成か ら生産活動や食糧 の割合 を検討 す る研究 には、対 象 とす る遺構・遺物 の用途 を明 らか にす ることが前提 となるほか、遺跡 ごとに条件の異 なるタフォノ ミーの検討 とい う、難 しい問題がつ きま とう。 しか し、幸 い、当貝塚 の形成時期 であ る縄文 中期 においては、今村啓爾氏の優れた研究成果がある ので、 これ に最近の千葉県内の例 を若干加 えて分析結果 を示 してみた。 三角グラムは、以下の生業の度合 いをある程度反映 しているもの と考 えられ る。 打製石斧 根茎類 (イ モ類)の
利用(注9 磨石類堅果類 (ドング リ類
)の
利 用 石鏃鳥獣類 の利用 石器組成 には、中期 に繁栄 を迎 えた東北関東 と「西南関東・中部高地」の間で きわだつた差 が見 られ る。 東北関東で は群集貯蔵穴 を もち、磨石類 が多 いの に対 して、西南関東 と中部高地 で は群集貯蔵穴 を もたず、 打製石斧が圧倒的 に多い。 第66図は今村氏 が示 した三角 グラム を
1枚
にまとめて転載 した ものである。 これ をみ る と、打製石斧 : 磨石類 :石鏃 の割合 は地域 ごとに大 きな差がみ られ る。対象遺跡が少 な く、特徴 をつかみに くい栃木県 を 除 くと、西関東・ 中部高地、茨城県、千葉 県の3つに区分 で きるだ ろ う。西関東 。中 部高地で は打製石斧が圧倒的 に多 く、石器 の総数 も多い。 これ に対 して茨城 県 は石器 が少 な く、磨石類 に偏 っている。一方、千 葉 県ではどこに も偏 らないのが特徴である。 県内での地域差 をみ る と、奥東京湾 か ら現 東京湾 の都川水系 までの遺跡 は、みな三角 グラムの中央付近 に集 まってい る。ただ し、 第46表 中期中葉から後葉の石器組成 。貯蔵穴利用の地域差 石器組成 貯 蔵 果 :根 茎類A
西南関東 中部高地 打製石斧きわめて多い 磨石類やや少、石鏃 少 貯蔵穴少、 群集例な し 類 主 A'群馬東部 山梨県 中間的だが、3に近い。 打製石斧が多 く、石鏃少ない 群集貯蔵穴 多い 両方利 用 B 茨城 磨石類多、打製石斧少 石器総数少 群集貯蔵穴 多い 類 の 貯 蔵C千
葉 磨石類、打製石斧、石鏃が 同じぐらい 群集貯蔵穴 多い 両方利 用 ―-143-―第 2章 総 合 的 な 研 究
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\ t-ru-AJJ κ く可 ぺ 十ぺ ︼ 目 ︼ 縮 鸞く 聰 超 国 ︻ × K K祀 勲 ぺ佃 ︻ ︼く Ц 喪鸞 祇 К ?祀 候妥 尽 ∩ 2 く︼ ● ● ′ Q . ・ ︲ / . ・ . ´ と っ ゞ \ -144-― ヽ ヽ 緊肛 ギ細 ■o .・ .i・ .│明 らか に問題 が ある高根木戸北遺跡・草刈貝塚 は除いた(注 10。 有吉北貝塚、南二重堀遺跡 の点数 をのせ てみ た ところや は り中央付近 になった。一方、古鬼怒湾水系で は磨石類 の比率が高 く、石器総数が少 ない茨城 県 に似 た状況である。 なお、打製石斧が「土掘 リー般用で はな く、根茎類 の収穫具」 とす る今村氏 の考 えには説得力があ り、 根茎類 、なかで もジネ ンジ ョが盛 んに利用 された可能性 がある。 クズや ワラビが主要な対象であつた とみ る研究 (山本1998)も ある。 また、 この時期 に多 い短冊形 の打製石斧の形状 は根茎類 の採取 に適 している (藤尾1993)と い う。 これ らの
3種
は堅果類 と並 んで重要 なカロ リー源 として利 用 された可能性 が高 い。b.群
集貯蔵穴 の空間的・ 時間的分布 貯蔵穴 (とい う文化要素)自
体 は西南関東や中部高地 で も「前期後葉、中期前葉 の段階 には相 当に広 く 用 い られていた。」また、後期 に少数 なが ら群集す る例 が ある。 しか し、群集貯蔵穴 の発達 す る中期 中葉か ら後葉 は、 む しろ貯蔵穴が少 ない。群集貯蔵穴が発達 したのは茨城・栃木・千葉 (南の丘陵地域 のぞ く)・ 群馬 県東部 である (今村1989)。 貯蔵 の対 象 となるのは一度 に大量 に入手 で きる食材 が考 えやすい。有吉北貝塚 で この条件 に合 う候補 と して は、堅果類、根茎類 、貝類 が考 え られ る。 この うち、 ほぼ一年中入手 で きる貝 は集落 に一度 に大量 に 持 ち込 んだ り、穴 を掘 つて貯蔵す るメ リッ トが少 ない。土 に埋 まっている根茎類 も取 り出 して集落 に埋 め てお くメ リッ トは少 ないであろう。繰 り返 し掘 り込 まれた貯蔵穴 の主 な用途 は従来か らいわれてい る とお り、堅果類 の保存 にあつた可能性が高 い。(4)森
林資源 の利用の ま とめ 三角 グラムに現れた3者
の割合 は、実際の生業 の割合 を示す もので はない とはい え、千葉 県内、 とくに 東京湾沿岸 の遺跡が どこに も偏 らないの は、根茎類・堅果類0陸獣類 の どれ も利用 していた ことによるもの であろう。4.生
産 活 動 の 割 合(1)人
骨の食性分析 炭素・窒素安定同位体比 による人骨の食性分析 によって、全国の縄文人 はきわめて多様 な食性 をもって いた ことが明 らかになった(南川1993、 小池1999)。 そのなかで、東京湾東岸地域の貝塚出土人骨 は、植物 を中心 とした陸産資源に強 く依存するグループと、大型魚や海獣類などの海産資源に強 く依存 したグルー プの中間にある。南川氏 は貝塚人であっても、植物食 にかな り依存 していた ことを強調 している。当貝塚 出土人骨の食性分析 は本紀要で実施 し、成果 は第 1章 第3節
に示 した。 これによると、当貝塚の縄文人 も 上記の中間的なグループに入 ることが明 らかである。なお、同じ中期の遺跡の中でみると、当貝塚や市原 市草刈貝塚の人たちは、市原市山倉貝塚や松戸市中峠貝塚の人たちに比べて、水産資源への依存度が少 し 高かった ようである。 注 目すべ きことは、植物資源 と海産資源 をバ ランス よ く活か した と考 え られ るグループに入 るのは、大 型貝塚 を形成 した時期 の縄文人であ る点である。一方、関東の縄文人 のなかで も前期や晩期、あるいは中・ 後期 のなかで も大型貝塚 を形成 しない加 曽利EⅢ
式か ら称名寺式期 の個体 で は、植物側 や海産資源側 に偏 一-145-一第2章 総合 的 な研 究 った食性 を示す ものが多い。 ここで も、大形貝塚 を残 した人たちの食性がそれほ ど魚貝類 に偏 っていなか った ことを確認 す る ことがで きた。
(2)多
様 な食糧資源の活用 これ までに魚類、貝類、陸上動物の遺存体、当時の植生、石器組成、人骨 の残存成分 といった多 くの資 料 の分析 か ら生業 内容 と食料構成 について考 えて きた。 その結果、当貝塚の縄文人 は木の実やイモ類、イ ノシシ・ シカを中心 とした森林資源、小魚 0イ ボキサ ゴ・ ハマグ リを中心 とした海産資源 な ど、あ らゆる 食材 をバ ランス よ く活か していた らしい ことが明 らかになった。決 して貝 に偏 ってはお らず、漁携の活発 化 とともに、植物質食材 の利用 も盛 んになった と考 えられ る。大型 の貝層 を もってはいるが、「漁村」とか 「専業的な貝 の加工場」 といったイメー ジは うすい。 む しろ、 あ らゆる物資 を運 び込 んだ拠点的な集落 と い う面 を強調すべ きであろう。 5。 大 型 貝 塚 の 意 味 以上、有吉北貝塚 の様 々 な資料か ら得 られたデータを使 って、生産活動 と食糧の内容 について考 えてみ た。 この ような様相が、 どの ような範囲で、 どれだけ一般化で きるのかについては、 もとよ り複数遺跡の 比較 によって検討 すべ きである。 しか し、県内に存在す る中期の大型貝塚 は、遺構や遺物 の内容、集落の 形成・ 消滅 の時期 な ど多 くの面 で一致点、類似点 をあげることがで きる。 したが つて、有吉北貝塚 の分析結果 によって、 これ らの大型貝塚 に共通 した問題、た とえば「なぜ それ ほ ど多 くの貝 を採 ったか」、「生産活動 は漁携 に偏 っていたのか」 といった ことを考 えることは、意味のな い ことで はないであろう。(1)大
型貝塚=干し貝カロエ場説 について 後藤和民氏 は、大型貝塚 は貝 を保存食糧 として加工 した場所であると考 えた(後藤1974)。 様 々な文化要 素か ら集落 の様相 の変化 を とらえ、 その生産的な基盤 を明快 に説明 した。要約す る と、以下の ようになる であろう。 東京湾東岸 にお ける集落 の様相 の変化 をみると、生産形態の発達(食糧供給 の安定)・貯蔵形態の発達(計 画的、恒常的 な食糧 の確保)と
、 それ を背景 とした集落 の定着・ 集中・ 大型化が時期的 に一致す る。貯蔵 形態 の発達 は、貯蔵施設 の発達 とともに、保存食糧 の存在が不可欠であ り、それに干 し貝 を想定 している。 複数の集落が共 同で利用 した場所 と見ている点 も特徴である。 また、保存剤 として使われ る塩 の活用の開 始 と、大型貝塚 の消滅 の時期が一致す ることか ら、製塩 の開始が大型貝塚衰退の原因のひ とつ とみた。 この論 は現在 も「貝塚文化」を説明 しうる中心的な理論 といって よい。部分的な反論があった とはいえ、 長 い間「大型貝塚」のイメー ジ、あるいは縄文人 のイメージの中心 となって きた といえる。 しか し、有吉 北貝塚 の分析結果か ら貝の利用 の仕方 をみる と、少 な くとも中期の大型貝塚 に関 していえば、 この論 に対 してい くつかの疑問点 を挙 げることがで きる。以下の ような点である。 ①専門の「加工場」のイメー ジはうすい ・ 生業 は貝漁 に偏 らない。干 し貝加工 を行 った可能性が高い として も、専門に行 う場所ではな く、あ らゆ ―-146-る食材が持 ち込 まれた、多 くの食糧資源 によって支 えられた集落 の一部 と考 え られ る。 当時の海岸付近 に つ くられた専業的な貝カロエ場遺跡 (「ハ マ貝塚」と呼 ばれ、北区中里貝塚 な どが有名である。貝層か らは貝 以外 の ものが きわめて少 ない
)と
は明 らかな差が ある。 ②貝漁の目的は干 し貝カロエだけでは説明 しに くい 0条 件のよい季節に一度に大量に干貝を作るなら、海岸の近 くで行った方が有利であるにもかかわらず、 生の貝を集落 まで運び込んでいる。 これは生の貝を持ち込むメリットがあったか らであろう。 ・貝のうま味 (エキス分)は
熱 には強いけれ ども、水溶性のため、煮た場合 には汁 にほ とん ど溶出 して し まう。煮た場合の汁の魅力 は、身に劣ることはない(小さな貝ほどその傾向が高い)。 もし干 し貝を作 ると して も、集落に生の貝を運び込んで行 えば煮汁 も利用できるが、浜で行 えば多 くは無駄 になってしまうで あろう。なお、「ハマ貝塚」では一般的に土器の出土量が極端に少な く、煮ないで身を取 り出した可能性が 高い。中里貝塚では貝 に直接熱 を加 えて蓋 を開けた らしい遺構 も見つかっているは1。 ・大型貝塚の主構成種であるイボキサゴの身は、二枚貝に比べて小 さいので、同じ量を取 り出すためには 数倍の手間がかかるであろう。その上、大型貝塚のイボキサゴはきわめて小 さい傾向があるので、干 し貝 を作 るにはかな り効率が悪い。 ③集中的な採取だけではない ・大型貝塚の貝は春の大潮時にそれほど集中しているとはいえず、むしろ一年を通 じて集落に運び込 まれ てい る。 ・ 廃棄後の動 きが少ない とみ られ る遺構 内貝層 をみると、廃棄単位 はそれほ ど大 き くない。(斜面貝層で は、 堆積 のス ピー ドが早 く、組成が単純 なので、大 きな層 に見 えやすい可能性が高 い)。 なお、大型貝塚 の衰退 の原因 について も、修正 の必要があるので はないだ ろうか。 それ は、製塩 の開始 と貝塚 の消滅 は一致 しない とい うことである。後期 の大型貝塚が消滅 した後期前葉の終わ り頃か ら、 しば ら くして後期後葉 になってか ら製塩 が始 まる。 このブランクが埋 まる気配 はな く、 それ よ りはるか前 の中 期末 に も貝塚 の凋落期が ある。 この ように、「保存食 としての干 し貝生産」だけでは、大型貝塚の貝の価値 を説明す るのは難 しいように 思われ る。確 か に貝や小魚 は乾燥 しやす く、保存 の利 く食材 として価値が高か ったであろうし、 それが盛 んに採捕 された大 きな理 由のひ とつであったであろう。 しか し、 む しろ日常的 に鮮度 の よい ものが安定 し て手 にはい ることが、 よ り重要であったので はないだ ろうか。(2)植
物食 の安定 と調味食材 としての貝 の価値 以上 の分析 と推定 の結果か ら、大型貝塚 の貝の価値 について、ひ とつの考 えを提示 してみたい。 磨石類 の増加 や人骨 の食性分析 の結果 か ら、当時の食事 は植物食 が中心で あった と考 えられてい る。植 物質食材が中心 の鍋料理が当時の中心的な献立 であった とすれ ば、 そ こに塩味や うま味が効 いてい るか ど うか は、とて も大事 な ことであった ろ う。ヒ トが植物 を摂取 す るためには、どうして も塩分が必要であるい2。 陸獣 な どが手 に入 れ ば自然 と塩分 を摂取 す ることがで きるが、定住度 が高 くなるほ ど、 また人 口が増 える ほ ど、身近 な森林 の動物質食糧 を安定 して手 に入れ るの は難 し くなった ことであろうl■ 13。 それ に対 して、海水、貝、 そ してあるいは海藻類 な どは、 その気 になれ ばいつで も安定 して入手可能 な 一-147-―第2章 総合的な研究 食材 であった。 なかで も貝 は、煮汁 に強 い うま味 を加 える、鍋料理 には貴重 な、 いわば「調味食材」 とし ての価値 を持 っていたのではないだろう力織14。 塩味 とうま味 の効 いた鍋料理 は、身近 な森 の中で食材 の種 類 と量 を拡大 した に違 いない。 身が小 さ くて も、取 り出 しに くくて もイボキサ ゴ とハ マグ リを強 く志向 したのは、 その価値 が身だ けで な く、エキス成分 に もあって、味が良 く、安定 して採取で きることによるので はないか。
"植
物食 の安定 こそが貝 の調味食材 としての需要 を高 めた"と
い う説 を干貝説 にプラスす ることによっ て、大型貝塚 の意味 をかな り理解で きるのではないか。縄文中期 と後期の一時期、東京湾東岸 に存在 した 多 くの集落 を支 えたの は、貝や小魚 自体 だ けでな く、 それがあるか らこそ充分 に利用で きるようになった 植物 な どの豊富 な森林資源 であった と考 え られ る。 注1
これ らの成果 は、担当職員 と多 くの研究者 による分析報告 として収録 されている。 それぞれの成果 の概要 をまとめるにあた って は、筆者 な りの解釈が入 り込 んでいる。報告では意図 されなかった考 え も含 まれている可能性 が あ り、 また、 どこに力点 を置 くかによって、報告者の考 え とは違 っている部 分 も多いであろう。2
この4遺
跡が後期遺跡 として扱われて きたのは誤 りである。発掘 によって中期遺跡 であることが確 認 されてい る。3
最古期 の阿玉台末 か ら加 曽利EⅡ 期 までの試料 を分析 している。カロ曽利EⅢ期、称名寺期 の貝層のデ ータはないので、正 し くは「中期中葉か ら後葉 まで」 とす るべ きである。4
後期 の木戸作貝塚・ 小金沢貝塚 と魚類相 が よ く似 てい るなかで、中期 の有吉北貝塚・ 草刈貝塚 での み多 くみ られ るの はコチ、 カ レイの底 魚 (そこうお)で
ある。中期 には土器片錘 を使 った網 で底魚が 入 りやすかったが、後期 には底魚 まで は捕れ ない形態 の網が中心 になったので はないか。5
小宮氏 は土器片錘が魚網 の沈子であ るか どうか について慎重 である。 しか し、筆者 は縄文 中期 の海 岸線付近 の発掘、試掘調査 で、中期 の土器片錘 が多数出土 していること (市原条里制遺跡 な ど。未報 告)か
らみて、土器片錘 が主 に沈子 として使われた もの と確信 している。6
報告書第426図 ∼第436図 のカッ トごとの殻長分布 によく表れている。中峠期∼加 曽利EI期
のSB088、 SB090、 SB190、 SB195、 SK563、 SK714A、 SK714B、 SK-720、 SK846で は25rlmttTの イ団体 が まとま って入 ってい る。 しか し、加 曽利EⅡ 期 のサ ンプルではこの ような顕著 な例 は一つ としてみ られない。7
加 曽利E IIからEⅢ期 にはハマグ リの成長速度 がやや遅 くなってお り、生息環境 はそれ以前 よ り悪化 した もの とみ られ る(小林1998)。 また、中期 か ら後期 にか けて、都川、村 田川流域 の貝塚 に共通 して ハ マグ リが減少 して、 シオ フキガイ、アサ リが増加す る傾 向がある。 よ り湾奥 の都川では とくに顕著 である。8
砂 ご と曳かな くて も良 いため、現在使 われてい る捲 きか ごの ような金属 の歯や、頑丈 な柄 は必要 な い。 これに対 して、ハマグ リ漁 には若干な りとも砂 ごと曳 く必要があって、硬 い歯のついた道具でな い と難 しいであろう。9
今村氏 は前掲論文 で、東北地方で大 きな貯蔵穴 をた くさん掘 った人 たちよ りも、 それ を掘 らなかっ た西関東 の人々が、比率 にして10倍を超 える打製石斧 を用 いてい ることか ら、打製石斧 は土掘 リー般 用で はな く、根茎類 の収穫具 と考 えた。 さらに、打製石斧が きわめて多い西関東では磨石類が多 くな-148-―
い ことか ら、中心的な収穫物 はす りつぶ して灰汁抜 きを行 うクズ0フラビ・テ ンナ ンシ ョウで はな く、 また、 それ ほ ど土 を掘 る必要のないユ リ根 で もない と考 え、候補 としてジネ ンジ ョをあげている。 こ れ に対 して、 ジネ ンジ ョが群生せず、大形化す るのに数年かか る ことな どか ら1種に偏 っていた こと に否定的 な意見 もある (藤尾1993)。
10
草刈貝塚 はすでに全面 の調査 を終 えていて、報告済 みの3地
区はそれぞれ提示 された石器 の点数 に 問題 また は、疑間が ある。高根木戸北遺跡 は、発掘・報告済 みの打製石斧24点、石鏃2点、磨石類2点 を採用 した と思われ るが、発掘 は飛 び石状 につぼ掘 りされたのみである。一方で、743点 の石鏃が表面 採集 されている (阿部1987)な ど、上記 の点数が当遺跡 の特徴 を提 えてい る とは考 えに くい。11
「む きみにすれば貝殻 を こじあけた傷 あ とが残 るはずだ」 とい う考 えに対 して、鈴木氏 はオース ト リア原住民 の火 を使 った貝殻 の開 け方 を紹介 して、 それ ほ ど単純 には考 えられない ことを指摘す る。 なお、生 の ままこじ開 けた場合で も、傷 あ とを見 つ けることは困難 であろう。 この作業 の初心者 であ る筆者がスプー ンや貝殻 で こじ開 けて もそれ ほ ど殻 を損傷 す ることはない。房総でつ くられ るアサ リ や シオ フキガイ、バ カガイの「 目刺 し干 し」 もふつ う素干 しに して、 その まま焼 いて食 べた り、戻 し て利用す る (近藤1989)。 長期保存 す るのでなけれ ば、煮干 しに しな くて も良 い。「ハマ貝塚」で は土 器 の出土量が特徴的 に少 ないので、煮干 しに した可能性 は少 ない。素干 し、 また は焼 き (蒸し)干
し が考 えやすい。12
食性が植物 に偏 るほ ど、生理的 に塩分、ナ トリウム分 の摂取が重要 にな る。表面的 には「塩味」 を 欲 す ることに もなる。近世 の飢饉 について書 いた本 をみ る と、米 の飢饉以上 に「塩飢饉」 を恐が った とい う。米が な くて も様 々な自然食 を活か して食 いつな ぐことが可能 であったが、塩 がな くては木 の 実、根茎、草 な どの植物 を食 べ るのが難 し く、無理 すればカ リウム中毒で死 に至 る (瀬川1982、 平島 1973)。 味への指向 は一般 に きわめて多様 であるが、塩味や うま味への反応 はある程度普遍性 を もった ものの ようである。13
集落 が増 える と、捕食者 とえさの数的な関係が崩れて狩猟対象獣 は減少す る。定住性 の高 い生活 で は、大 きな遊動域 を必要 とす る狩猟活動 に制限が あ り、集落が集 中 している状況 も不利 な条件 とな る。 また、寒冷地以外で は、小魚や貝 に比 べ ると肉 は保存加工 を しに くい食材 である。後期後葉以降 に塩 分 の高度 な利用が広 まる と、ある程度保存加工 がで きるようになって、食材 としての価値が大 き く変 化 したので はないか。 この時期 にヤマ トシジ ミが盛 んに利用 され るようになるの も塩分 の利用 に関係 す る可能性 が ある。塩分 を加 えることによって、海産貝類 と同様 の「塩味+う ま味」 の効果が得 られ るようになった もので はないか。14「
だ し」は、 うま味 を取 りだ した汁 自体 を指す ことばである。身 も利用 したであろうか ら、潮汁(う しお じる)の
具の ような食材 とい うのが近 いので はないか。 これ らを包括 す る概念 を調理学、呈味科 学 の文献 で探 したが、見つか らなか ったため、造語 を使用 した。 参考文献 平島裕正1973
「塩 と人 間」『 もの と人間の文化史7
塩』法政大学 出版局 後藤和民1974
「社会 と集落」『千葉市史 原始古代 中世篇』千葉市史編纂委員会 松島義章1982
「小金沢貝塚周辺 の沖積低地」『小金沢貝塚』千葉県文化財 セ ンター-149-第2章 総合的な研究 瀬川清子
1982
「米 よ りも大切 な塩」『日本 の食文化体系1
食生活 の歴史』大 日本雄弁講談社 関 口達彦1985
「植生の変遷」『研究紀要9』 千葉 県文化財 セ ンター 阿部芳郎1987
「縄文 中期 にお ける石鏃 の集 中保有化 と集団狩猟編成 について」 貝塚博物館紀要14 今村啓爾1989
「群集貯蔵穴 と打製石斧」『考古学 と民族誌』六興出版 近藤 もと1989
「東京湾 回の食」『聞 き書 き千葉の食事』農山漁村文化協会 藤尾慎一郎1993
「生業 か らみた縄文か ら弥生」 国立歴史民俗博物館研究報告48 南川雅男1993
「骨 でわか る縄文人 のグル メ度」朝 日ワンテーママガジン14
原 日本人 小林 園子1998「
有吉北貝塚 出土ハ マグ リの貝殻成長線分析 について」『千葉市有吉北貝塚1-(旧
石器・ 縄文時代)一』千葉県文化財 セ ンター 第2分
冊 小宮 孟1998
「有吉北貝塚 の魚類遺存体」『千葉市有吉北貝塚1-(旧
石器・ 縄文時代)一』 西野雅人1998
「貝層サ ンプルの分析結果 について」『千葉市有吉北貝塚1-(旧
石器・ 縄文時代)―』 西本豊弘 0伊藤良枝1998
「有吉北貝塚 出土 の動物遺体 (両生類0爬虫類・ 鳥類0哺乳類)」『千葉市有吉北 貝塚1-(旧
石器・ 縄文時代)一』 山本直人1998「
縄文時代 にお ける野生地下茎食糧化 の地域性 と季節性J
名古屋大学文学部研究論集131 小池裕子1999「
古人骨 か ら知 られ る食生活 ―安定 同位体法 による食性分析 ―」『考古学 と人類学』同成社-150-樋 泉岳 二・ 西野雅人 文 中期 と後期 の一時期 には大型貝塚 が集 中 し、「貝塚文化」の中心 とされて きた。 そのため、古 くか ら貝塚研究や縄文時代 研究 の舞台 となって、多 くの貝塚が調査 された。 しか し、「分析例 リス ト」(付章 参照
)を
み る と、貝層の分析結果が公表 │: されてい る例 は意外 と少 ない。様 々な研 ■│‐ 究で取 り上 げ られて きた に も関わ らず、11
貝塚 で、食料構成 と生業 内容 に どの よう な違 いがみ られ るか を中心 に論 じてみた い。 ドッ トは後 期 貝塚 三 角 は今 回取 りあ げた もの 大 きな マ ル は大 型 貝塚 ・ 村田川流域貝塚群1.各
遺 跡 の 概 要(1)海
岸線 か らの距離 後期 の貝塚分布 と当時 の海岸線 の推定 ライ ンを第67図に示 した。海岸線 については貝塚 ほか(1979)、 小 杉・ 松 島 (1991)に従 った。 ただ し、本地域 の沖積低地 の地形発達史 については、 なお不明な点 も多 い。 比較 の対象 として取 り上 げるの は、都川水系 において最 も海岸 に近 い矢作貝塚、最奥部 の誉 田高田貝塚、 その中間の加 曽利南貝塚 の3貝塚であ る。 これ に村 田川水系の木戸作貝塚 を対 象 に加 えた。推定 され る当 時 の海岸線 までの谷筋 に沿 った距離 は、矢作貝塚が約l km、 加 曽利南貝塚が約7 km、 誉 田高田貝塚が約12 km、 本戸作貝塚 が約2 kmである。(2)貝
層の形成時期 と分析試料 の時期知
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第67図第2章 総合的な研究 形成時期 は木戸作貝塚 が堀之内式期、矢作貝塚 と誉 田高田貝塚が堀之内式∼加 曽利
B式
期、加 曽利南貝 塚が堀之内式期∼晩期安行式期 である。 この うち、今 回比較分析の対象 としてあつかった資料 の時期 は、 矢作貝塚、カロ曽利南貝塚、木戸作遺跡 が堀之内式期 であ り、誉 田高田貝塚のみ堀之内式末期∼加 曽利B式
初期 である。(3)貝
層 の堆積状況 と規模 4つの貝塚 は、 いずれ も大規模 な貝層 を伴 っている。矢作貝塚、加 曽利南貝塚、誉 田高田貝塚 は台地上 に、馬蹄形や弧状 の貝層が形成 され るタイプであ り、木戸作貝塚 は多方向の谷頭 に大 きな貝層 を形成す る タイプであ る。 このなかで最 も大 きいのはカロ曽利南貝塚 の貝層で、体積 は5465m3と 推定 されている (鈴木 1989)。 残 りの3つの貝塚 はおそ ら くそれ ほ ど規模 に差がない と思われ るが、体積が推定 されているのは木 戸作貝塚 のみで、451m3(小宮1979)である。残念 なが ら、誉 田高田貝塚 は層厚が、矢作貝塚 は分布面積 と 層厚が不明 (貝層散布範 囲の略測 によれ ば約4700ピ 。実際 は これ よ りかな り小 さい と思われ る。)なために 求積 は不可能 である。ただ し、誉 田高田貝塚 の貝層の面積 は1100m2で ぁ り、 これ は木戸作貝塚 の1440m2ょ りやや小 さい程度 である。 また、筆者 (西野)の
現地観察 お よび聞 き取 り調査 によれば、堀之内期 の厚 い 純貝層 を伴 っているので、誉 田高田貝塚 は、 もっ とも谷奥 の貝塚 であ りなが ら、木戸作貝塚 にそれほ ど劣 らない規模 の貝層 を もつ可能性が高い ことを強調 してお きたい。 木戸作貝塚・加 曽利南貝塚 の貝層の体積 を推定 した鈴木 (1989)に よれば、両貝塚 における単位期間 (同 一土器型式)当
た りの貝層体積 は、木戸作 :加曽利南=0.8:1.3と
見積 もられてい るが、 この試算結果 に ついて は、 とくに加 曽利南貝塚 の貝層規模 の時代変化 に関 してさらに検討の余地がある。堀之内式期 に限 つて見れ ば、加 曽利南の貝層 はよ り大 き くなる可能性が強 いが、それが実際 にどの程度 になるのかは今 の ところ明 らかでないは1。2.動
物 遺 体 の 内 容(1)貝
類遺体a.貝
種組成 とサイズ分布 貝種組成 (第68図)
イボキサ ゴ とハ マグ リがほ とん どであ り、 とくにイボキサゴが圧倒的な優 占種 で あることが、4遺
跡 に共通 している。 これ は東京湾湾奥部 の大型貝塚 に広 く共通 した傾向であ り、都川・ 村 田川流域 で は近世 に至 るまでほ とん どの貝塚 に見 られ る特徴である。4遺
跡 のなかで は、 と くに木戸作 貝塚 と誉 田高田貝塚が よ く似 た組成 を示 していて、上ヒ較的ハマグ リの割合が多い。 これに対 して、加 曽利 南貝塚 と矢作貝塚 で はイボキサ ゴ以外 の割合が きわめて少 な く、イボキサゴを除いた組成 を見て もハマグ リが少 な く、 アサ リ0シオ フキガイ・ ヤマ トシジ ミを合わせ るとハマグ リと同 じ くらいになる。 木戸作貝塚 と誉 田高田貝塚 の ような組成 のパ ター ンは、中期か ら後期 の村 田川流域貝塚群 に特徴的な も のであ る。一方、カロ曽利南貝塚 と矢作貝塚のパ ター ンは都川流域貝塚群 に特徴的である。村 田川流域 にあ る誉 田高田貝塚が、都川のパ ター ンになった ことは意外 な結果であった(注 2。 この時期のヤマ トシジ ミは、河 口に形成 された汽水域 で採取 された もの と考 えられ、漁場 に近 い矢作貝 塚 で は盛 んに利用 されている。 これ に対 して、加 曽利南貝塚ではやや まとまった層が見 られ るものの、利-152-矢作 堀 加曽利 堀 加曽利 加B 高田 加B 木 戸作 堀 ロイボキサゴ ■アラムシロウミニナニハマグリ Lそ の他
ハマグリ
Eア
サリ ■ッメタガイ Eアカニシ 第68図 貝 種 組 成 の比 較 都 川 後期 村 田川 後期 ロシオフキガイ コマガキ 国ヤマトシジミ 都川 後期 嘲 ¨= = = L― ― │ ―― ■ T― 722 35 1 5nlll 8 1311■ 帆 飢 飢 颯 標準偏差 加 曽利 南 員 塚 堀之内l 試料数1,084
平均39 63mm
標準偏差9 83mm
誉 田高 田貝 塚 加曽利B 試 料 数1,899
平均 36 78mm 標準偏差
669■
m 1∝ │―― ――― ― ―― ― 一 0ヽ 60ヽ 50ヽ ― 村 田川 後期 木 戸 作 員 塚 堀之内1∼2 試料数2.305
平均33 80mm
標準偏差7 45mm
有 吉 北 員 塚 (参考) 称名寺 試料数 平均 932 33 69mm 30ヽ 一――― ' │― 14‐ :11.___ _ 60■ 30% ―――― ― RR 8 3?38883 tを を :を そ :tそ : P R 3 3 8 3 8: : : : を t T 第69図 ハマグ リ殻長分布の比較 ―― ――一 早f早 甲 早 甲 早f早 や 早 早 ―-153-― 6い 80ヽ 2い 1 0Clh撚 即 爾
[I蠅
60ヽ ︱I Ш柵 ¨
一N
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狐
一
三
一一 ・ ・ ・ ・ , ・■
■
第 2章 総合的な研究 用 は低 調 で あ り、誉 田高 田貝塚 で はほ とん ど利 用 され て いない。 こうした様相 か らみ る と、谷奥 か ら海岸 に通 った多 くの貝塚 の人 た ち は、 ヤマ トシジ ミの漁場 をほ とん ど素通 りしていた らしい。 ハ マグ リのサイズ (第69図