著者
田中 雄樹
学位授与機関
Tohoku University
生体組織分光計測の研究
東北大学大学院医工学研究科
医工学専攻 松浦研究室
目次
第 1 章 緒言 ... - 1 - 第 2 章 塩分濃度検出への応用 ... 4 2. 1 光ファイバプローブを用いた測定システムの構築 ... 4 2. 2 塩分濃度に対する赤外吸収スペクトルの形状変化 ... 7 2. 3 勾配を用いた検量線作成 ... 9 2. 4 差分法の導入 ... 10 2. 5 波形分離を用いた検量線 ... 12 2. 5 .1 波形分離法の原理 ... 12 2. 5. 2 検量線作成 ... 16 -2. 6 まとめ ... - 17 - 第 3 章 血糖値測定への応用 ... 18 3. 1 グルコース溶液の測定 ... 18 3. 1. 1 検量線作成 ... 18 3. 1. 2 グルコースを溶解させた豚全血の測定 ... 21 3. 2 測定対象の模索 ... 22 3. 3 口腔粘膜の赤外吸収スペクトルと血糖値の経時変化 ... 26 3. 4 ファントムを用いた誤差要因の検討 ... 28 3. 5 内部標準法を用いた測定 ... 30 3. 6 多重反射プリズムの検討 ... 32 3. 6. 1 多重反射プリズムの設計及び製作 ... 32 3. 6. 2 最適化された多重反射プリズムの評価 ... 36 -3. 8 まとめ ... - 39 - 第 4 章 結言 ... - 40 - 参考文献 ... - 41 - 謝辞 ... - 43 - 研究業績 ... 44 付録 ... 46-- 1 -- 表 1. 1 血液成分と疾患の関係 図 1. 1 血糖値の測定例 血中塩分濃度の変化は, 心不全や脳卒中など様々な病気の発症の要因となる。これら の症状を診断する上で, 血中塩分濃度のモニタリングは非常に重要である。平常時での 血中塩分濃度は, 0.85 %であり, 内視鏡や医療用マイクロロボットに搭載するセンシン グデバイスとして応用するためには, 0.01 %程度の分解能が必要となる[1]。 成人(20~79 歳)における糖尿病人口は, 2011 年現在で約 3 億 6600 万人に上る。2030 年 には約 5 億 5200 万人に達すると推定されており, 糖尿病は大きな社会問題の 1 つとな っている。糖尿病の主な発症原因は, 血糖値を調整するホルモンの 1 種であるインスリ ンの機能低下と分泌量の減少である。糖尿病患者は 1 日に数回血糖値を測定し, その変 動に基づいてインスリンを投与することが必要となる。しかし, 市販されている血糖測 定器は, 上記でも示したように採血を前提とした侵襲的デバイスであり, 患者の身体に 大きな負担がかかり, 感染症のリスクも伴う。近赤外分光を用いた血糖測定器[2, 3]がいく つか提案され開発が行われているが, 精度や確実性に難度があり, 臨床で利用される までには至っていない。
本研究では, フーリエ変換赤外分光法(Fourier transform infrared spectroscopy: FT-IR)を 基礎とした非侵襲血液成分測定システムについて検討した。近赤外分光では分子振動の 倍音・結合音を検出するため, 複雑に重畳するピークを解析するための主成分分析など の計算手法を必要とする一方, 中赤外分光は基本振動を検出するため吸収強度が大き く, 高感度かつ高精度な分析が可能である。ATR プリズムを用いた赤外分光法により,
- 2 - 手指の吸収スペクトルを測定し, グルコース濃度測定を試みた報告がある[3]。 ATR 法は, 高屈折結晶とサンプルを密着させ, その界面で光が全反射する際に発生するエバネッ セント波をサンプルに吸収させる分光分析法であり, 効率よくサンプルに光を吸収さ せることが可能である。しかし, 市販の ATR 分光器を用いた場合. 毛細血管が表皮近く に存在する口腔粘膜や耳たぶなどの測定は困難である。そこで本研究では, ハンドリン グ性を高めるために, 柔軟な光ファイバの先端に ATR プリズムを装着した光ファイバ プローブを用いて検証を行なった。赤外域で使用されるファイバのうち, 銀ハライド系 多結晶ファイバ[4]やカルコゲナイドファイバ[5]では, 測定の際に基準として用いる水の OH 伸縮振動吸収帯の波長域(3 µm)付近で吸収があり, 測定が困難である。そこで本研究 では, 中赤外域(2.5 – 4 µm)での測定を可能とするため, 2 - 20 µm の広い波長領域でフラ ットな吸収特性を有する中空光ファイバ[6]を使用した。 本プローブを応用し, 先行研究として沈積コレステロールの 2D マッピングが行われ た。サンプルとしては, 動脈硬化を発症した人の血管内壁を使用している。図 1. 2 に各 厚さのプラークが付着した血管内壁の赤外吸収スペクトルを示す。プラークの厚さが厚 くなるにつれて, 脂質エステルの吸収強度が強くなっていることがわかる。そこで, こ の脂質エステルの吸収ピーク面積を基準とし, 10×10mm の範囲でピッチ 1 mm で, マッ ピングを行なった。図 1. 3 のマッピング結果からわかるように, プラークと正常組織と の判別に成功している。このように, 本プローブを用いて直接的な固体成分の測定は行 ったが, 液中成分の測定に関する検討は行っていなかった。そこで, 本研究では血液成 分測定を試みることにした。血中成分の定量化を確立することで, より一層本プローブ の応用幅が広がると考えられる。 図 1. 2 プラークの厚さと吸収強度との関係
- 3 - 本報告では, 中空光ファイバプローブを用いて赤外吸収スペクトルを測定し, 血液成 分のひとつである塩分濃度とグルコースの定量化について検討した結果について述べ る。 本論文は全 4 章から構成されており, 各章の概要は次の通りである。 第 1 章は緒言であり, 本研究の背景, 目的などについて述べた。 第 2 章では, 本プローブを用いて塩分濃度検出を試みた結果を述べる。 第 3 章では, 本プローブを血糖値測定に応用した結果について述べる。 第 4 章は結言である。 図 1. 3 動脈硬化を発症した人の血管内壁の 2D マッピング
- 4 -
第 2 章 塩分濃度検出への応用
本章では赤外分光中空光ファイバプローブを用いて塩分濃度検出を試みた結果につ いて述べる。
2. 1 光ファイバプローブを用いた測定システムの構築
図 2. 1 に本研究の測定手法である ATR 法(減衰全反射法)の原理を示す。 ATR 結晶と試料を密着させ, プリズムに赤外光を入射する。すると, ATR 結晶と試料の 境界面で全反射が生じる。全反射によって原理的に光は全て反射するが, 反射時に僅か に光の電場(エバネッセント波)が試料側へ浸透する。ATR 法では, エバネッセント波が 浸透する領域で発生する吸収を利用し, 赤外吸収スペクトル測定を行う。ATR 法を適用 することで, より効率よく試料に光を吸収させることが可能である。ATR 結晶には, 高 屈折率で赤外領域に吸収がない, もしくは少ない物質が利用される。本論文では, プリ ズムの原材料として比較的安価な Si(屈折率:3.4)とサンプルとの屈折率差が小さく, エ バネッセント波の減衰が小さいダイヤモンド(屈折率:2.4)を使用した。 図 2. 1 ATR 法の原理- 5 - 図 2. 2 中空光ファイバ 図 2. 3 赤外分光用中空光ファイバプローブ してルーフトップ型の ATR 結晶が装着されている。本プローブを用いることで, あらゆ る部位でのフレキシブルな測定が可能になる。
- 6 - 図2. 4 実験系 図 2. 4 に実験系を示す。FTIR から取り出した赤外干渉光は 2 枚の軸外し放物面鏡に よって集光され, ZnSe 製ビームスプリッタを透過した後にプローブに入射される。伝搬 光は, プリズム面において 2 回全反射される過程でその 1 部(エバネッセント波)が試料 に吸収され, 再びファイバに結合される。反射光はその 1 部がビームスプリッタによっ てサンプリングされ, MCT ディテクタで検出される。
- 7 - 図2. 5 純水の赤外吸収スペクトル 定対象である NaCl は水溶液中ではイオンとして存在する。したがって, 分子の振動・ 回転準位の遷移が生じないため, NaCl 自体の吸収ピークは存在しない。そこで, 本論文 では, 比較的ブロードな波数領域で非常に吸収強度の強い水の OH 伸縮振動吸収ピーク に注目することにした。
- 8 - 塩分濃度と OH 伸縮振動吸収ピークの形状変化を図 2. 6 に示す。塩分濃度の増加に伴 い吸光度が減少しているが, これは Na+イオンと Cl-イオンの増加により, 光軸上の水分 子が減少するためである。濃度の増加に伴ってスペクトルの形状が右肩下がりになるの は, 水素結合の状態変化に起因する
。
実験系を構築し, OH 伸縮振動吸収帯における各濃度の NaCl 溶液の赤外吸収スペクト ルを測定した。OH 伸縮振動吸収ピークは塩分濃度の増加に伴い吸光度が減少し, スペ クトル形状が右肩の下がった形状に変化することが分かった。次節では, この塩分濃度 と形状変化との相関を利用して検量線の作成を試みる。 図 2. 6 塩分濃度と OH 伸縮振動吸収ピークの形状変化- 9 - 0 0.0002 0.0004 0.0006 0 2 4 6 8 10 12 Slop e Concentration[%] 図 2. 8 に示す。濃度と勾配には比例関係が見られたが, 検量線は零点を通らず, また誤 差も大きい結果となった。そこで, 2 点の形状変化をより明瞭にするため, 次節では純水 のスペクトルとの差分をとり検量線の作成を行う。 図 2. 8 塩分濃度と勾配の相関 図 2. 7 勾配の求め方
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2. 4 差分法の導入
図 2. 9 に差分法の原理を示す。各濃度の NaCl 溶液から純水のスペクトルを差分する 際に, NaCl 溶液と純水のスペクトル差の二乗平均値が最小化されるようにスペクトル に重み付けを行う。この演算により, 全体の吸収量によらずグラフの形状変化のみに着 目することが可能となる。 上記の差分法を用いて各濃度のスペクトルを純水のスペクトルで差分し, 検量線の 作成を試みた。積算回数は 256 回, 分解能は 4 cm-1, 水温は常温下19 ± 1.5℃で測定した。 図 2. 10 と図 2. 11 に差分前後のスペクトル波形を示す。図 2. 11 に示すように差分後 のスペクトルは, 高波数側では強度が増加し, 低波数側では強度が減少していることが わかる。これは, 塩分濃度が増加すると, クラスターを形成する水分子間の水素結合が 切断され, 共有結合している水分子の OH 間結合距離が短くなり, 振動エネルギーが高 くなるためである。 図 2. 9 差分法の原理 図 2. 10 差分前の OH 伸縮振動吸収ピーク- 11 -
0
0.05
0.1
0.15
0.2
0.25
0.3
0.35
0.4
2700
2900
3100
3300
3500
3700
3900
A
bs
orba
nc
e
Wavenumber[cm
-1]
この結果から塩分濃度を定量的に求めることも可能であるが, より精密な解析を行 うためには, 水素結合モードを考慮した解析が必要である。以下の図 2. 12 に示すよう に OH 伸縮振動吸収ピークは, 水素結合強度に応じて 6 つのピークに波形分離すること が可能である。[7, 8] 次節では, より精密な解析を行うために波形分離を用いた検量線の 作成を試みる。 図 2. 11 純水のスペクトルで差分した後の波形 図 2. 12 波形分離例- 12 -
2. 5 波形分離を用いた検量線
2. 5 .1 波形分離法の原理
各水素結合モードを示す値である水素結合強度因子 MOH及び波形分離の処理過程に ついて述べる。 MOHは水素結合の強度因子であり, 水素結合の強さを示す値として定義される。MOH の値が大きいほど強い水素結合を示す。MOHを定義する際に, 図 2. 13 に示す水のクラ スター内のドナー水分子(D)とアクセプター水分子(A)の組(DA Pair)について考える。 MOHは次式(1)で表される。M
OH= −d
′+ a
′+ d
"− a
"(1)
D, A 各々が他の水分子とドナーとして水素結合を形成している数を d とし, アクセプタ ーとして水素結合形成している数を a とする。引用符は D, 二重引用符は A が各々ドナ ー, またはアクセプターとして他の水分子と水素結合を形成することを示す。 D 内で水素結合を有する OH 結合間の長さ r に注目する。D がアクセプターとして他 の水分子と結合する時, D はプロトンを受容するため分極している O 原子の負の帯電が 弱まり, OH 間の距離が延伸する。D の OH 間の長さの延伸によって, DA 間の水素結合 距離は短くなり, 水素結合の強度は強くなる。それとは逆に D がドナーとして他の水分 子と結合する時, D はプロトンを結合する水分子に供与するので, 分極している O 原子 の負の帯電が強まり, OH 距離が収縮する。D の OH 間の収縮によって, DA 間の水素結 合距離は長くなり, 水素結合の強度は弱くなる。A に結合するドナーとアクセプターに 関しても同様である。また図 2. 14 に示すように, r と OH 伸縮振動の波数は比例関係に あり, MOHの値に応じて OH 伸縮振動吸収帯の分類が可能である。 [9] 図 2. 13 DA Pairr
- 13 - 次に, 波形分離の処理過程について述べる。まずスペクトルを測定後, 図 2. 15 に示す ように得られた元波形に対して二次微分処理を行う。二次微分の値は元スペクトルのピ ーク位置で極小値をとる。すなわち, 二次微分スペクトルの極小値を求めることできわ めて微小なピークを検出する事が可能であり[10] , この結果と文献[9]の MOHの各値に対す る純水の OH 伸縮振動吸収ピーク位置を照合させてピーク位置を選出する。選出したピ ーク位置を有するガウス関数に重み付けを行い, 元の波形へのフィッティングを行う ことにより各成分の強度比を得る。 なお, 組み込み関数として用いたガウシアン関数を以下に示す。通常, ガウシアン関 数は, 振幅のピーク強度を用いて次式(2)で表される。
f(x) = a
0exp [−
12(
x−a1 a2)
2]
(2)
a0・・・ピーク振幅, a1・・・ピーク位置, a2・・・標準偏差 本研究で行った波形分離解析では, (2)式を面積で規格化した次式(3)を用いた。これは, 実際に波形分離を行った際に元波形との残差が小さいためである。f(x) =
a0 √2πa2exp [−
1 2(
x−a1 a2)
2]
(3)
a0・・・面積, a1・・・ピーク位置, a2・・・標準偏差 図 2. 14 r と OH 伸縮振動吸収帯との関係M
OH- 14 - 上記の波形分離処理過程を用いて図 2. 16 に示すように, MOHの値に応じて純水の OH 伸縮振動吸収スペクトルを 6 つの波形に分離することが出来た。MOH = free は水素結合 をもたない水分子であり, また MOH = 0, 1 は水素結合の構造が類似しているため区別さ れていない。MOH = 3, 3’はそれぞれ水分子の 5 量体と 7 量体であり,双極子モーメント の総和が異なるため区別されている。表 1 より各ピーク位置は文献値[8]と近い値を示し た。次に, この純水のスペクトルの波形分離によって得られた各ピーク関数のピーク位 置及び半値幅を固定し, 各濃度の NaCl 溶液のスペクトルの波形分離を行った。
図 2. 15 二次微分波形
- 15 -
図 2. 16 純水のスペクトルの波形分離
- 16 -
2. 5. 2 検量線作成
純水の各ピーク面積に対する NaCl 水溶液のピーク面積比を濃度に対してプロットし た結果を図 2. 17 に示す。MOH= 0, 1, 2 の水素結合が弱いグループのピーク面積は塩分濃 度の増加とともに増加する一方, MOH= 3, 4 の水素結合が強いグループのピーク面積は 減少していることがわかる。図 19 の差分スペクトルの高波数側と低波数側の強度差は, これらピーク面積の変化によるものである。特に変動率の大きい MOH= 2, 3 における NaCl 濃度とピーク面積比との相関に注目した図を図 2. 18 に示す。おおよそ対称的な挙 動を示すのが分かる。0~0.02 %の濃度領域では, 変化量が急峻であった。変化量が急峻 である 0~0.02 %の領域に対して 0.04 %以上の濃度領域では, 定量限界が 0.03 %に低下 するものの, 再現性は高く, 検出下限値が約 0.01 %の測定結果が得られた。 図 2. 17 塩分濃度と純水のピーク面積変化率 図 2. 18 MOH= 2, 3 の検量線- 17 - 次にピーク形状の変化をより明瞭にするため, 各濃度のスペクトルから純水のスペ クトルを差分した。塩分濃度増加に伴う水素結合の状態変化によって, 2 点の強度が変 化することを確認することができた。 上記の差分スペクトルから塩分濃度を定量的に求めることも可能であるが, より精 密な解析を行うため, 最後に波形分離解析を行った。OH 伸縮振動吸収ピークを MOHの 値に応じて波形を 6 つのピークに分離することができた。この結果から塩分濃度と純水 のピーク面積変化率との相関をとった。変化量が急峻である 0~0.02 %の領域に対して 0.04 %以上の濃度領域では, 定量限界が 0.03 %に低下するものの, 再現性は高く, 検出 下限値が約 0.01 %の測定結果が得られた。 本プローブを用いて液中成分の定量化に成功したため, 次章では in-vivo 測定の実現 に向けた血糖値の定量化を検討した結果について述べる。
- 18 -
第 3 章 血糖値測定への応用
本章では, 本プローブを用いて血糖値測定への応用を試みた結果について述べる。3. 1 グルコース溶液の測定
3. 1. 1 検量線作成
水溶液中でのグルコース濃度定量化を検討した。分解能は 4 cm-1 , サンプルとバック グラウンドの積算回数は, 各々128 回, 32 回とした。 図 3. 1 に, 濃度の異なるグルコース溶液の赤外吸収スペクトルを示す。NaCl 溶液の測 定と同様に, 水分子由来である波数 3300 cm-1付近の OH 伸縮振動吸収ピーク, 1700 cm-1 付近の OH 変角振動吸収ピークを確認することができた。1040 cm-1付近の吸収ピークが, グルコースの第 1 級アルコール CO 伸縮振動由来のものである。[11]グルコース濃度が増 加するにつれて, 水の OH 基由来の吸収強度は弱くなり, その一方でグルコースの由来 の吸収強度は強くなっている。これは, 濃度の増加に伴い, 光軸上のグルコース分子が 増加し, その一方で水分子が減少するためである。つまり, 両者のピークに相関のとれ た結果であることがわかる。 ATR による吸収測定値は, プリズムの押しつけ圧力等により変化するため, 定量測 定を行うためには, 他の血液成分に左右されない基準となるピークが必要である。そこ で, OH 伸縮振動吸収ピークと OH 変角振動吸収ピークを基準としてグルコースの吸収 ピークとの強度比を濃度に対してプロットした。図 3. 2 に示すように, 強度比と濃度に は高い相関が得られ, 水分子由来の OH 吸収ピークを基準とした規格化が定量測定に有 効であることがわかった。 図 3. 1 グルコース溶液の赤外吸収スペクトル- 19 - 図 3. 3 血中成分の構成 次に他の血中成分の影響を検証するため, アルブミン及びヘモグロビン溶液を用い て赤外吸収スペクトル測定を行った。血液中の成分を図 3. 3 に示す。血液は, 赤血球や 白血球, 血小板といった固体成分が 45 %, 残りの 55 %が血漿と呼ばれる液体成分で構 成されている。血漿は 90 %が水分で構成されており, 残り 10 %中に総タンパク質やイ オン, グルコースが含まれている。アルブミンは総タンパク質中で最大の割合を占める 成分であり, ヘモグロビンは赤血球中の大部分を占める血色素である。 各濃度のヘモグロビンとアルブミン単体溶液を測定した結果を図 3. 4 に示す。ヘモグ ロビンは, グルコースの吸収帯付近ではフラットな吸収であることがわかる。一方, ア ルブミンは 1050 cm-1付近に特有の吸収ピークを有することがわかった。 図 3. 2 グルコース水溶液濃度と吸光度比との関係
- 20 - 図 3. 5 混合溶液中のグルコース濃度と吸光度比の関係 続いてヘモグロビン及びアルブミン溶液中に, 各濃度のグルコースを溶解させ, 赤外 吸収スペクトルを測定した。アルブミンとヘモグロビンの濃度は, 各々5 %と 15 %に調 整した。これは, 人間の血中に含まれる濃度とほぼ同等である。グルコース濃度と吸光 度比の関係をプロットした結果を図 3. 5 に示す。グルコース単体溶液での測定と同様に 濃度と吸光度比に線形関係が認められた。したがって, 1040 cm-1のグルコース吸収ピー クは, 他の血中成分による影響を受けにくいピークであることがわかる。 図 3. 4 ヘモグロビンとアルブミン単体溶液
- 21 - 図 3. 6 グルコースを溶解させた豚全血のスペクトル変化 図 3. 7 豚全血中のグルコース濃度と吸光度比の関係 血のスペクトル変化を図 3. 6 に示す。他の血中成分の影響は小さく, 明瞭なグルコース の吸収ピークを確認することができた。図 3. 7 のように, 溶液での測定と同様にグルコ ース濃度と吸光度比の関係をプロットしたところ, 濃度と吸光度比に線形関係が認め られた。In-vitro 測定で定量化を行うことに成功した。次節では In-vivo 測定に本プロー ブを適用するため, 測定対象の模索を行う。
- 22 - 図 3. 8 涙液の赤外吸収スペクトル 図 3. 9 唾液の赤外吸収スペクトル
3. 2 測定対象の模索
In-vitro 測定では, グルコース濃度と OH ピークを基準とした吸光度比に高い相関が得 られた。本節では In-vivo 測定への応用を考え, 最適な測定対象の模索を行った。サンプ ルとしては涙液, 唾液, 爪, 口腔粘膜を使用した。分解能は 4 cm-1 , サンプルとバックグ ラウンドの積算回数は, 各々128 回, 32 回とした。 最初に涙の吸収スペクトルを測定した。涙液中のグルコースは, 15~20 分遅れで血糖 値変化を反映する。図 3. 8 に, 涙液の赤外吸収スペクトルを示す。1040 cm-1付近のグル コースの吸収ピークは非常に小さく, ピークとノイズの判別ができないほどであった。 これは, 涙液中のグルコースが血液と比較して 30~50 倍程度希釈されたものであるため であると考えられる。[12] 次に唾液を直接プリズムに付着させて測定を行った結果を図 3. 9 に示す。水の吸収以 外のピークを確認することが出来なかった。- 23 - 図 3. 10 乾燥後の唾液の吸収スペクトル 表 3. 1 健常者と糖尿病患者のアミド吸収帯の違い(文献値) 図 3. 11 爪の赤外吸収スペクトル 表 3. 1 に示すように糖尿病患者の爪の各アミドの吸収ピークは, 健常者のそれらと比 較すると吸収波数帯が異なる。[14]爪に直接プリズムを接触させ, 3 回繰り返し測定した 結果を図 3. 11 に示す。全体的に波形の SN 比が低下しているのは, プリズムを爪に完全 に接触させることが出来ず, プリズムと爪との間に空気の間隙が生じるためである。 1641 cm-1, 1659 cm-1にはアミドⅠの吸収ピーク, 1265 cm-1にはアミドⅢの吸収ピークが 見られた。また 1548cm-1付近にアミドⅡの吸収ピークは見られなかった。表 3. 1 の文 献値と吸収波数帯が異なるのは, SN 比向上のためにスペクトルに限界まで平滑化処理 を行ったためだと考えられる。
- 24 - 図 3. 12 口腔粘膜の赤外吸収スペクトル 図 3. 13 口腔粘膜の構造 最後に, 右頬にプリズムを押し当て口腔粘膜の赤外吸収スペクトルを測定した結果 を図 3. 12 に示す。水溶液での測定と同様に 1040 cm-1付近にグルコースの吸収ピークを 確認することが出来た。図 3. 13 に示すように, 口腔粘膜は内側から粘膜上皮, 粘膜固有 層と並び, 粘膜下組織と呼ばれる結合組織で最外層の筋層と結合されている。[15]粘膜固 有層には毛細血管が分布している。粘膜上皮の厚さは, およそ 75~150 μm である。サン プルをタンパク質, プリズムの材質をダイヤモンドとしてエバネッセント波の進達長 を計算すると, 約 1.6μm となる(付録 B)。つまり, 毛細血管中の血液のグルコース濃度を 計測しているとは考え難い。粘膜上皮層中で, 最も厚い層が有棘層である。有棘層では, 細胞同士がデスモソームと呼ばれる接着班で結合し, 細胞間に隙間の空いた構造を有 している。その細胞間に流れている組織液中のグルコースが計測されていると考えられ る。組織液中のグルコースは, 血液中のグルコースの濃度変化に良く追従した変化を示 すことが報告されている。[16]
- 25 - 爪のスペクトルは, プリズムと爪の間に空気の間隙が生じ, 波形の SN 比が全体的に 悪かった。SN 比向上のためにスムージングを限界まで行ったが, 文献値と測定値に大 きな誤差が生じた。健常者と糖尿病患者のクラスタリングは可能であっても, 定量測定 には不適当なサンプルであると考えた。 口腔粘膜のスペクトルでは, 溶液と同様に 1040 cm-1付近にグルコースの吸収ピーク を確認することが出来た。組織液中のグルコースを検出していると推定される。血液中 のグルコース濃度変化に良く追従した変化を示すことも報告されており, サンプルと して適切であると考えられる。 次節では, 口腔粘膜のスペクトルに注目し, 実際の血糖値との関係を検証した結果に ついて述べる。
- 26 - 図 3. 14 健常者の血糖値の経時変化 図 3. 15 血糖値と口腔粘膜の赤外吸収スペクトルの経時変化
3. 3 口腔粘膜の赤外吸収スペクトルと血糖値の経時変化
口腔粘膜の赤外吸収スペクトルと血糖値の関係を検証するために, 両者の経時変化 を測定した結果について述べる。分解能は 4 cm-1 , サンプルとバックグラウンドの積算 回数は, 各々128 回, 32 回とした。 被験者に 12 時間の絶食後 75 g,の糖を摂取させ, 30 分おきに 2 時間, 市販の血糖測定 器と本プローブを用いて血糖値とスペクトルを測定した。なお比較参照用の血糖値の測 定には, 穿刺採血法に基づく測定器(メディセーフ: テルモ社)を使用した。図 3. 14 に健 常者の血糖値の経時変化を示す。30 分後に血糖値は最大値に達し, 120 分後に摂取開始 時の血糖値まで減少した。これは, 一般的な健常者の血糖値の変化であるといえる。 血糖値と口腔粘膜の赤外吸収スペクトルの経時変化を図 3. 15 に示す。血糖値の増加 に伴い, 1040 cm-1のグルコースの吸収強度は増加し, 両者のピークに相関のある結果が 得られた。- 27 - 図 3. 17 誤差低減化対策後の 3 回繰り返し測定 1040 cm-1の吸収強度の測定ごとの誤差を低減させるために, 測定方法の改善を試み た。1 つ目は, 口内に水を含んでから測定を行うことである。水を付着させることで, プ リズムと粘膜間の空気の間隙を抑制できると考えた。2 つ目に, 真鍮製のスリーブを製 作し, 測定ごとにアセトンで洗浄及び窒素乾燥を行うことにした。測定ごとに付着する 唾液の影響を取り除いた状態でバックグラウンドを計測することが可能になる。3 つ目 に, プリズムと口腔粘膜を固定する治具を作製した。計測中のプリズムの位置ズレを低 減することが可能である。以上の 3 点の対策を行い, 3 回繰り返し測定した結果を図 3. 17 に示す。しかし, 1040 cm-1のピーク強度の安定性は改善されなかった。そこで, 次節で は誤差要因の検討を行い, 改善策の模索を行った。 図 3. 16 OH 伸縮振動を基準としたピーク強度比の経時変化
- 28 - 図 3. 19 押し込み深さを変えながら寒天をプリズムに押し当てた 際の赤外吸収スペクトル
3. 4 ファントムを用いた誤差要因の検討
本節では, 1040 cm-1のグルコースの吸収強度が変動する要因を明確にするためにファ ントムを使用して誤差要因を検討した結果について述べる。分解能は 4 cm-1 , サンプル とバックグラウンドの積算回数は, 各々128 回, 32 回とした。 ファントムとしては寒天濃度 10 %の寒天を使用した。図 3. 18 に示すように, ATR プ リズム先端がファントムに触れてから 0.5 mm 間隔で押し込み深さを変えながら強度を 測定した結果を図 3. 19 に示す。プリズムをファントムに押し当てていくにつれて吸収 強度は増加し, 最終的に一定値に収束した。 図 3. 18 ファントム測定用実験系- 29 - 図 3. 21 プリズムの両面をテープで覆った状態での赤外吸収スペクトル プリズム両面にテープを張り付け, プリズムの先端のみファントムに接触させて同 様の測定を試みた。図 3. 21 に示すように, 押し込み深さも変化させても, 強度は一定値 を保ったままであった。図 3. 19 の結果と合わせて考えると, サンプルとプリズム間の 接触面積の変化が測定誤差の一要因であることがわかった。これは寒天が均質媒質であ るためであり, 生体のような不均質媒質では組織状態の変化も考慮しなければならな い。したがって, 測定誤差を低減するためには, 組織状態を変化させず接触面が常に一 定になるようなプリズムの構造や圧力の影響を打ち消す規格化処理が必要である。そこ で, 次節では内部標準法を用いた規格化処理について検討する。 図 3. 20 プリズムの片面をテープで覆った状態での赤外吸収スペクトル
- 30 -
3. 5 内部標準法を用いた測定
本節では, 圧力の影響による測定誤差を低減するため, 内部標準法を用いたピークの 規格化処理の検討を行った結果について述べる。 内部標準法とは, あらかじめピーク位置が既知であり, 注目する吸収帯にピークが重 畳しない内部標準物質で規格化を行う分析方法である。今回は, 内部標準物質としてス クワランオイルを使用した。[17]スクワランオイルは, C 30H62の油脂であり, 化粧品の原料 として使用されることが多い。無色透明であり, 皮膚への親和性も高く人体に対して無 害である。図 3. 22 に純水とスクワランオイル単体の赤外吸収スペクトルを比較した結 果を示す。2922, 1462, 1377 cm-1にスクワランオイル特有の吸収ピークを確認すること が出来た。また, 1040 cm-1付近の吸収帯には他のピークが重畳していないことがわかっ た。 口腔内では唾液が分泌されており, 内部標準物質を添加することは困難であると考 えた。そこで, 測定対象を口腔粘膜と類似した構造を有する耳たぶとした。スクワラン オイルを塗布しながら 5 回連続で耳たぶを測定した結果を図 3. 23 に示す。1040 cm-1の グルコースの吸収ピーク以外にも, スクワランオイル特有のピークを 1462 cm-1と 1377 cm-1付近に確認することが出来た。スクワランオイル特有の吸収ピーク(1462 cm-1, 1377 cm-1)と水の OH 伸縮振動吸収ピーク(3400 cm-1)を各々基準とし, グルコースの吸収ピー ク(1040 cm-1 )との強度比を算出した。さらに得られた強度比に対し, 変動係数を求めた 結果を表 3. 2 に示す。変動係数とは, 標準偏差を平均値で割った値である。スクワラン オイルの吸収ピークを基準とするほうが, OH 伸縮振動吸収ピークを基準とするよりも 値の変動が小さいことがわかる。スクワランオイルを使用することで密着性を改善する とともに, 圧力による強度変動を低減することが出来た。 図 3. 22 純水とスクワランオイルの赤外吸収スペクトルの比較- 31 - 図 3. 23 スクワランオイルを塗布した状態での耳たぶの吸収スペクトル 表 3. 2 スクワランオイルと水の OH 伸縮振動吸収ピークを基準としたとき の強度比の変動係数 次節では, 接触面を安定させるため, フラットな接触面を有する多重反射プリズムの 検討を行う。
- 32 - 図 3. 25 斜め 45 度研磨用治具を用いて試作した多重反射プリズム 図 3. 24 入射と受光用ファイバを 1 本化した多重反射プリズムプローブ
3. 6 多重反射プリズムの検討
不均質媒質である生体組織を安定した強度で測定するため, フラットな接触面を有 する多重反射プリズムの構築を試みた結果について述べる。3. 6. 1 多重反射プリズムの設計及び製作
現在一般的な多重反射プリズムを使用するためには, 入射用ファイバと受光用ファ イバの 2 本が必要である。本研究では, ファイバプローブを細径化するため, 入射と受 光用ファイバを 1 本化し, 多重反射プリズムを使用できる構造を考えた。そこで, 図 3. 24 に示すようにプリズムの出射端に銀を蒸着させ, プリズム内の伝搬光を反射させる ことにした。図 3. 25 に斜め 45 度研磨用治具を製作し, それを用いて試作した多重反射 プリズムを示す。母材は Si である。入射面, 反射面, 出射面全てに対して鏡面加工を 30 分ずつ行った。試作プリズムを評価するため, 図 3. 26 に示すようにプリズム出射端の Al ミラーの有無による amplitude の変化を比較した結果を表 3. 3 に示す。プリズムのみ の状態で, 全体の光の 3 割強が返ってきていることがわかる。Si と空気の反射率を計算 すると 30 %程度なので, 大部分が表面反射光だと考えられる。また, プリズム出射端に ミラーを置いてもほとんど amplitude は変化せず, 多くの光が返ってきていないことが わかる。そのため, シミュレーションを用いて, プリズムのサイズの最適化を検討した。- 33 - 表 3. 3 試作多重反射プリズム測定系 図 3. 27 光エネルギーの 2D マッピング位置 OptiCAD を用いて光線追跡を行った。追跡する光線の本数は 10000 本とした。図 3. 27 に示すように, プリズムの入射端および出射端, 入射端からおよそ 26 cm 離れた位置で の光エネルギーの 2D マッピングを行う。使用しているファイバの長さが約 30 cm なの で, プリズムの入射端から 26 cm の位置はファイバの入射端と考えればよい。
- 34 - 図 3. 28 実寸とほぼ同サイズプリズム中を伝搬する光線の様子と各位置に おける光エネルギーの 2D マッピング 最初に, 実寸とほぼ同サイズのプリズムに対して光線追跡を行った。ただし, 底角は 45 度と理想化した条件としている。ミラーの反射率は 100 %である。図 3. 28 に伝搬す る光線の様子及び各位置における光エネルギーの 2D マッピング結果を示す。光線の様 子は見易さのため, 光線本数 100 本で描かれている。ミラー無の結果を見てみると, プ リズム入射端で全体の 44 %の光が返ってきていることがわかる。30 %が表面反射光で あり, 残り 14 %は内部反射によって返ってきた光だと考えられる。プリズム出射端では, ビームが 2 本に分割されており, ビームが中心を伝搬してきていないことが分かる。そ のため, ビームの広がりの影響を強く受け, ファイバの入射端位置では光量が全体の 30 %にまで低下してしまっている。 ビームが中心を通るようにプリズムのサイズを最適化し, 同様にシミュレーション した結果を図 3. 29 に示す。なおプリズムの反射回数は 2 回とし, 2D マッピングはプリ ズム入射端とファイバ入射端のみで行った。ミラー無でのプリズム入射端では, 全体の 36.7 %の光が返ってきている。表面反射光が 30 %であり, 残りの 6.7 %は内部反射によ るものだと考えられる。ミラー有の場合は, プリズム入射端で 75.7 %であり, ファイバ 入射端でも 62.5 %の光が返ってきている。前述したビームが中心を伝搬していないプリ ズムと比較すると。30 %以上ファイバ入射端での光量が増加した。
- 35 - 図 3. 29 2 回反射プリズム中を伝搬する光線の様子と各位置における 光エネルギーの 2D マッピング 表 3. 4 反射回数とプリズム入射端パワー及びファイバ入射端パワーの比較 次にプリズム内の反射回数を検討した。反射回数とプリズム入射端及びファイバ入射 端での光のパワーを比較した結果を表 3. 4 に示す。反射回数 2 回と 3 回では, それほど 大きなパワーの違いは見られなかったが, 4 回反射では大きくパワーが減少し, 反射回 数の影響を強く受けていることがわかる。したがって, 最適な反射回数は 2 回, もしく は 3 回となる。
- 36 - 図 3. 31 製作した 2 回反射と 3 回反射プリズム プリズムの厚みに関する検討も行った。前述の最適化された 3 回反射プリズムの寸法 を全て 2 倍にしてシミュレーションを行った結果を図 3. 30 に示す。プリズム入射端, フ ァイバ入射端いずれの場合においても, 元のサイズのプリズムと比較して光量に大き な違いはなかった。 以上のシミュレーション結果をもとに, 製作した 2 回反射と 3 回反射プリズムを図 3. 31 に示す。真鍮製のスリーブをアラルダイトで接着した。プリズムの厚みをファイバ の外径よりも大きく設計し, 光路を遮らない位置にアラルダイトを付着させている。
3. 6. 2 最適化された多重反射プリズムの評価
従来のルーフトップ型プリズムと 2 回反射プリズム及び 3 回反射プリズムの純水の赤 外吸収スペクトルを比較した結果を図 3. 32 に示す。なお, 多重反射プリズムには測定 面と入射面以外の上面と出射端に銀を蒸着させた。ダイヤモンドのルーフトップ型プリ ズムの吸収強度が他のプリズムに比べて突出して強いことがわかる。これは, 主に反射 率の違いによるものだと考えられる。空気に対する反射率を計算すると, Si では 30 %, ダイヤモンドでは 17 %となる。プリズム入射時と出射時の透過率を考えると, Si では全 体の 50 %の光が返ってくるが, ダイヤモンドでは 70 %の光が返ってくる。つまり, 材 図 3. 30 最適化された 3 回反射プリズムの寸法を 2 倍にした場合の光線の様子 と各位置における光エネルギーの 2D マッピング- 37 - 図 3. 32 ルーフトップ型と 4 回反射及び 6 回反射プリズムの赤外吸収スペクトル 図 3. 33 Si 製ルーフトッププリズムを用いたグルコース溶液測定 材質による影響を無視し, プリズム形状の違いのみに注目してスペクトルを比較す るため, Si 製のルーフトップ型プリズムと 4 回反射プリズムの比較を行った。まずは, グ ルコース溶液の吸収スペクトルの比較を行った。なお, 4 回反射プリズムの上面の銀は 剥がした状態で測定を行った。図 3. 33 にルーフトップ型プリズムを用いてグルコース 溶液を測定した結果を示す。吸収強度が弱いためか, SN が悪く, ピーク位置が不鮮明で あることがわかる。また, 2.5 %以下からピークの重なりが生じており, 判別が困難であ る。図 3. 34 に 4 回反射プリズムを用いてグルコース溶液を測定した結果を示す。ルー フトップ型よりも吸収強度及び SN が向上しており, 1 %までピークを判別することが可 能であった。
- 38 - 図 3. 35 Si ルーフトッププリズムと 4 回反射プリズムの比較 表 3. 5 4 回反射プリズムと Si ルーフトッププリズムの比較 最後に, 4 回反射プリズムとルーフトップ型のプリズムを使用して耳たぶを測定し比 較を行った結果を図 3. 35 に示す。各プリズムともに 4 回ずつ測定し, それらを平均化 したスペクトルを示している。4 回反射プリズムのほうがルーフトップ型よりも吸収強 度が強いことがわかる。また各変動係数を算出した結果を表 3. 5 に示す。4 回反射プリ ズムのほうが値の変動が小さく, 測定ごとの強度が安定していることが分かった。 In-vitro, In-vivo のどちらの測定においても, 測定面積の増加と接触面の安定化によって, Si のルーフトップ型よりも高感度かつ安定した測定が可能であることがわかった。 図 3. 34 4 回反射プリズムを用いたグルコース溶液測定
- 39 - 残す結果となった。 そこで誤差要因の検討をファントムを用いて行ったところ, 強度の変動は接触面積 の影響を大きく受けることがわかった。しかし, 生体のような不均質媒質中では, 押し 付ける力による組織変化の影響も考慮しなければならない。 圧力の影響を打ち消すため, 内部標準法を用いたピークの規格化処理を行った。スク ワランオイル特有の吸収ピークを基準として強度比を求めることで値の変動を抑制す ることが出来た。 接触面を安定化させるため, フラットな接触面を有する多重反射プリズムの検討を 行った。Opticad を用いてプリズムサイズの最適化を行い, 4 回反射と 6 回反射のプリズ ムを製作した。ダイヤモンド型のルーフトッププリズムの吸収強度は突出して高く, 材 質による影響が大きく反映された。材質による影響を無視するため, Si 製のルーフトッ プ型と 4 回反射型プリズムを比較した。In-vitro, In-vivo のどちらの測定においても測定 面積の増加と接触面の安定化によって, Si のルーフトップ型よりも高感度かつ安定した 測定が可能であることがわかった。
- 40 -
第 4 章 結言
本論文では, 生体組織分光システムの構築のために血中塩分濃度と血糖値に注目し, 各成分の定量化を試みた。 水の OH 伸縮振動吸収ピークのスペクトル形状の変化に注目し, 塩分濃度の定量化に ついて検討した。最初に 2 点のピークから線形近似により勾配を求め濃度に対してプロ ットしたが、[0, 0]を零点として定義することが出来ず, また誤差も大きい結果となっ た。 そこで、各濃度のスペクトルから純水のスペクトルを差分したところ、水素結合の状 態変化に起因した 2 点のピーク位置での強度変化を確認することが出来た。差分スペク トルから塩分濃度を定量的に求めることもできるが, より精密な解析を行うために波 形分離解析を行った。 波形分離した各ピーク面積の変化率を濃度に対してプロットした。変化量が急峻であ る 0~0.02 %の領域に対して 0.04 %以上の濃度領域では, 定量限界が 0.03 %に低下する ものの, 再現性は高く, 検出下限値が約 0.01 %の測定結果が得られた。 塩分の定量化に成功したため, 次に in-vivo での測定も視野に入れ, 血糖値の定量化 の検討を行った。 In-vitro 測定においては, 全血中においても他の血中成分に依らずグルコース濃度が 定量可能であることを示すことができた。 In-vivo 口腔粘膜測定では, グルコースの吸収ピーク強度と血糖値には相関関係が見 られた。しかし, 測定ごとの誤差が大きく, 再現性に問題を残す結果となった。 ファントムを用いて誤差要因を検証したところ, 接触面積の変化が誤差の一因であ ることが判明した。不均質媒質中では組織状態の変化も考慮に入れなければならなく, 誤差を低減させるためには, フラットな接触面を有するプリズムの構造及びピークの 規格化処理が必要であると考えた。 圧力の影響を打ち消すため, 内部標準法を用いて耳たぶの測定を行った。スクワラン オイル特有の吸収ピークを基準にとることで値の変動を抑制することが出来た。 接触面を安定化させるため, フラットな接触面を有する多重反射プリズムの検討を 行った。従来のダイヤモンド製ルーフトッププリズムには, 材質による反射率の違いの ため, 感度, 強度ともに優位性を示すことは出来なかった。しかし, Si 製のルーフトップ 型との比較では, In-vitro, In-vivo のどちらの測定においても, 4 回反射プリズムのほうが 感度及び強度が優れていた。測定面の増加と接触面の安定化によって, 圧力による測定 誤差を低減する可能性を示すことができた。- 41 -
[3] Y. Miyauchi, T. Horiguchi, H.Ishizawa, S. Tezuka, H. Hara, “Basis Examination for Development of Noninvasive Blood Glucose Measuring Instrument by Near-Infrared Confocal Optical System”, Proc. SICE annual conference , 3427-3429(2010).
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[6] Y. Matsuura, “Basics of Optical Fibers for Medical Applications ”, The Journal of Japan Society for Laser Medicine, Vol. 31, No. 4, pp. 407- 411(2011).
[7] Diedrich A. Schmidt, Kazushi Miki, “Defective Continuous Hydrogen-Bond NetWorks: An Alternative Interpretation of IR Spectroscopy, ChemPhysChem, No. 9, 1914-1919(2008).
[8] Diedrich A. Schmidt, Kazushi Miki, “Structural Correlations in Liquid Water: A New Interpretation of IR Spectroscopy”, J. Phys. Chem. A, N0. 111, pp. 10119-10122(2007). [9] Keiichi Ohno, Mari Okimura, Nobuyuki Akai, Yukiteru Katsumoto, “The effect of
cooperative hydrogen bonding on the OH stretching-band shift for water clusters studied by matrix- isolation infrared spectroscopy and density functional theory” , Phys.Chem.Chem.Phys, No.7, 3005- 3014(2005).
[10] 池羽田晶文, “赤外・近赤外吸収スペクトルにおける分子間相互作用のとらえ方”, ぶ んせき, 第 5 号, pp250-251(2009).
- 42 -
[11] H. M. HEISE and R. MARBACH, “Human oral mucosa studies with varying blood glucose concentration by non-invasive ATR-FT-IR spectroscopy”, Cellular and Molecular Biology, Vol. 44, No. 6, 899-912(1998).
[12] 民谷栄一, “バイオセンサーの先端科学技術と応用”, CMC Publishing Co.,Ltd, pp. 180(2007).
[13] David A Scott, Diane E Renaud, Sathya Krishnasamy, Pinar Meric, Nurcan Buduneli, Svetki Cetinkalp, “Diabetes-related molecular signatures in infrared spectra of human saliva”, Diabetology & Metabolic Syndrome 2010.
[14] Katheem M. Farhan, Thottapalli P. Sastry, Asit B. Mandal, “Comparative study on secondary structural changes in diabetic and non-diabetic human finger nail specimen by using FTIR spectra ”, Clinica Chimica Acta , Vol. 412, pp. 386-389(2011).
[15]佐藤かおり, 柳下寿朗, 田谷雄二, 島津徳人, 添野雄一, 東理頼亮, 平野貴子, 中村 佳司 “新口腔病理学”,日本歯科大学病理学講座, pp. 126-127(2008).
[16]F. J. Service, P. C. O’Brien, S. D. Wise, S. Ness, S. M. LeBlanc , “Dermal Interstitial Glucose as an Indicator of Ambient Glycemia”, Vol. 20, No. 9, pp. 1426-1429(1997).
[17]Hiroaki Ishizawa, Akinobu Muro, Tmohiro Takano, Kazuma Honda , Hiroyuki Kanai, “Non-invasive blood glucose measurement based on ATR infrared spectroscopy”, SICE
-43- 教授に深く感謝致します. 研究全般にわたり有益な御討論,御助言,御指導を頂きました片桐崇史準教授に深 く感謝致します. 研究全般ならびに研究室生活において多大な御協力を頂きました木野彩子技官に深 く感謝致します. 研究全般ならびに日頃の生活においても有益な御指導,御助言を頂きました博士課 程後期 1 年,黄晨暉氏に深く感謝致します. 研究はもとより日常生活においても有益な御討論,御助言を頂きました東北大学大 学院博士課程前期 2 年,市川遼氏,小村氏,関竜介氏,小村祐司氏,三井田佑介氏, 砂田崇宏氏に深く感謝致します. 最後に,本研究及び日常生活において多大な御助言,御討論,御指導,御協力を頂 きました松浦研究室の皆様ならびに卒業生の皆様に心から感謝致します. 本研究は, このように多くの方々の御指導, 御協力のもとに行われたものであり, 本論文を結ぶにあたり諸氏に心より御礼を申し上げます.
- 44 -
研究業績
1. 国際会議発表論文
[1] Y. Tanaka, S. Kino, Y. Matsuura, “Hollow-Optical Fiber Probe for Measurement of Saline Concentration by Infrared Spectroscopy,” Conference on Laser Surgery and Medicine 2012 (CLSM 2012), 7p-6, Yokohama, April. 2012.
[2] Y. Tanaka, S. Kino, Y. Matsuura, “Measurement of blood glucose by infrared spectroscopy using hollow-optical fiber probe”, SPIE Conference on Optical Fibers and Sensors for Medical Diagnostics and Treatment Applications XII, San Francisco, California United States, February. 2012.
2. 学会発表
[1] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “赤外分光用中空光ファイバプローブを用い た塩分濃度検出," 平成 23 年度電気関係学会東北支部連合大会 ,2I03 , 仙台, 2011 年 8 月 [2] 田中雄樹, 木野彩子, 松浦 祐司, “赤外分光用中空光ファイバプローブを用いた口 腔粘膜内の ATR 測定の試み," レーザー学会学術講演会第 32 回年次大会, I701pVI05, 仙台, 2012 年 2 月 [3] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “赤外分光用中空光ファイバプローブを用い た非侵襲血糖測定の試み”, 第 73 回応用物理学会学術講演会, 12a-F3-7, 松山, 2012 年 9 月3. 研究会発表
[1] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “赤外分光用中空光ファイバプローブを用い た塩分検出”, 平成 23 年東北地区若手研究者発表会, YS-9-B07, 仙台, 2011 年 3 月 [2] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “塩分濃度検出のための赤外分光用中空光フ ァイバプローブ”, 第 536 回伝送工学研究会, 仙台, 2011 年 6 月 [3] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “赤外分光用中空光ファイバプローブを用い- 45 -
[1] 田中 雄樹, 木野 彩子, 松浦 祐司, “中空光ファイバ減衰全反射プローブによる 水中塩分濃度の赤外分光測定”, レーザー研究, Vol. 39, No. 12, pp. 938-941(2011).
-46-
付録 A 全血スパイク検体の調整方法
スパイク検体を用いることで, 赤血球を破壊せずに濃度調整をすることが可能にな る。表 A. 1 に調整に必要な材料を示す。ここで注意すべきことは, グルコース溶液を生 理食塩水で調整することである。純水で調整すると, 後に血液中に添加した際に血球が 破壊されてしまう。豚全血のヘマトクリット値は, 人間の血液と同等の範囲に含まれて いれば調整する必要はない。(成人男性: 40~50 %, 成人女性: 35~45 %) 具体的な調整方法を下記に示す。 ① 採取した豚全血を 37℃のウォーターバスに漬け, 血糖を完全に解糖させる。 ② 全血 1 ml に対して解糖阻止剤としてフッ化ナトリウムを 1.25 mg 添加する。よく転 倒混和する。血液自体に含まれている糖を完全に除去することができる。 ※血球の破壊を防ぐため, 混和する際には, スタラーを使用してはいけない。 ③最初にグルコース濃度 0 %の血液と 10 %の血液を, A. 2 に示すような濃度系列表に従 って調整する。調整を行う前に遠心分離を行う。本研究では, 4000 rpm で 15 分間遠心 分離を行った。急激な濃度変化があると血球が破壊される可能性があるので, グルコ ース溶液は, 血漿部分にゆっくり添加する。0 %血液に生理食塩水を加えるのは, ヘマ トクリット値を合わせるためである。 ④転倒混和によって血漿と血球を混合する。ここで濃度の安定化のために 30 分以上放 置してから各濃度を調整する。 豚全血 フッ化ナトリウム グルコース溶液(20 %l) 生理食塩水(NaCl 濃度 0.9 %) ゴム栓付き試験管 ウォーターバス 卓上遠心分離機 表 A.1 調整に必要な材料-48- 図 B. 1 サンプルとプリズム境界面における光の全反射
付録 B エバネッセント波の進達長
図 B. 1 に示すように, X-Z 平面上において臨界角以上の入射角 Ѳ1で入射する光がサン プルとプリズム境界面で全反射する場合を考える。 スネルの法則より𝑛
1sin 𝜃
1= 𝑛
2sin 𝜃
2(1)
cos 𝜃
2= ±𝑖√(
sin 𝜃1 𝑛21)
2− 1 (2)
n21はプリズムに対するサンプルの相対屈折率である X-Z 平面内を光が進む場合, サンプル内に入り込む光があるとする。電場ベクトルは次 式で表されE(x, z) = 𝐸
0𝑒𝑥𝑝{−𝑖𝜔𝑡 + 𝑖𝑘
2(𝑥 sin 𝜃
2+ 𝑧 cos 𝜃
2)}
k2 は物質 2 中を進む光の波数である。 (1)と(2)式よりsin 𝜃2とcos 𝜃2を消去するとE(x, z) = 𝐸
0𝑒𝑥𝑝 {−𝑖𝜔𝑡 + 𝑖𝑘
2(
𝑥
𝑛
21sin 𝜃
1± 𝑖𝑧√(
sin 𝜃
1𝑛
21)
2− 1}
右辺の±の符号のうち負符号はZ → ∞で|𝐸(𝑥, 𝑧)| → ∞となるので不合理である。従って, 上式は次式に書き直されE(x, z) = 𝐸
0𝑒𝑥𝑝 {−𝑖𝜔𝑡 + 𝑖𝑘
2𝑥
𝑛
21sin 𝜃
1} 𝑒𝑥𝑝 (−𝑘
2𝑧√(
sin 𝜃
1𝑛
21)
2− 1)
-49- 図 B. 1 中赤外域におけるエバネッセント波の進達長