オノマトペが描き出す,新しい人間像 コーディネーター 鈴木宏昭 オノマトペという単語を,現在60歳の私が最初に聞いたのは, 10年以上前であることは確実だが,20年以上前ではないことも確 実だ.つまり私たちの世代あたりでは全然一般的な用語ではなかっ た.そういうことなので,本書の最初の方に「今の小学生はオノマ トペをよく知っている」という文章を読み,ひどく驚いた.学校で も教えられているのだ. こうした次第で,国会図書館の蔵書(図書)で「オノマトペ」を タイトルに含む書籍の数を少し調べてみた.すると,戦後から数 えて20世紀中は10冊程度だったのが,21世紀の最初の10年では 40冊,ここ10年では70冊以上となっている.また,論文検索サイ トCiNiiを使ってオノマトペを論文タイトルに含む日本語論文数 を調べると,1950年から1970年あたりで16本(ほぼ単一の著者), 1970年から1990年だと40本程度であったのだが,21世紀に入ると 桁が変わってくる.2001年からの10年では430本,2011年から現 在までで700本以上の論文が刊行されている(英語は含んでいない のでもっとあるはずだと思う).つまりオノマトペはブームなのだ. 本書は最前線でこのブームを牽引してきた,坂本真樹さんによ るものである.坂本さんは東京大学において言語学系の分野で博 士の学位をとり,その後同大で助手を務めたあと,電気通信大学で 研究・教育活動を続けている.文科系出身ということで,ものづく り,社会実装,産業応用を目指す人が多い工学系の学部では当初か
なり苦労されたと,ご本人から聞いたことがある.しかし,現在は オノマトペの研究を通して,同大学で最も外部資金導入額の多い研 究者の一人だそうである.また本文にも書かれているように,数多 くの受賞歴も有している. 本書は,オノマトペの基本から始まり,坂本さんがこの領域で展 開してきた膨大な研究が一望できるものとなっている.私は坂本さ んに勝っているものは,身長・体重と年齢くらいなのだが,坂本さ んの研究の背景となること,そして本書の魅力について,私なりの 観点から簡単に解説してみたい. 身体性認知科学とオノマトペ さて最初にも書いたが,オノマトペはブームである.いやもう ブームを超えて,定着の段階に入っていると言えるだろう.しかし この分野をよく知らない人,(あるいは本書をこのあとがきから読 んでいる人)は,なぜ「すやすや」とか「どきゅーん」とか,そん な言葉がブームになるのか,釈然としないかもしれない.これらの 言葉は,明確に定義することができなくて,はっきりとした意味を もたない,幼稚なものと考える人が多いだろう. こうした考えは,脳が身体に命令し,理性が感情を抑制するとい うような図式から生まれてくる.認知科学の第一世代は,まさにこ の図式に従った研究を行ってきた.そこでは,人間の知能は,明確 に定義されたシンボルと,明示的なアルゴリズムに基づく計算によ って実現されていると考えられてきた.この枠組みでは,身体は単 なる効果器(脳の命令を実行する機械に過ぎない),感情は随伴現 象(よって取るに足らないもの)と見なされることが多く,これら を研究する人は非常に稀であった. ところがこの図式は,1990年代から徐々に盛んになってきた身
体性認知科学という新しい学問領域の知見によって,見事に覆され た.身体性認知科学といってもさまざまな分派があるのだが,共通 するのは身体,感覚,感情,そして環境が,人間の知性にとって欠 くべからざるものであるという点である.身体は脳の奴隷ではな いし,感情,感覚は理性を阻害するものではない.これらは知性の パートナー,そして増幅器であり,それ抜きにはいかなる知性も存 在しえないというのである.これについてあまりここで深く立ち入 るわけにはいかないが,アンディ・クラークの著書『現れる存在』 (NTT出版,2012),『生まれながらのサイボーグ』(春秋社,2015) などを読まれるとよい. 言語の文脈において,オノマトペは,比 と並んで,身体性,感 覚性を体現した言葉であることは,本書をお読みになった方なら ば,誰でもわかるであろう.それは決して,うまく通常言語で表現 できないから,やむなく使うものでも,また十分な知性を獲得して いないから使うものでもない.認知の根幹に位置し,私たちの感 覚,知覚,記憶,印象,思考を支えているのである. また身体性認知科学は多感覚性=マルチモーダルを強調する. 第一世代が仮定した感覚,知覚のモジュール構造(各々の感覚の処 理はカプセル化されており,ほかと相互作用せずに行われる)を覆 すような知見が,身体性認知科学によって数多くもたらされた.そ の結果,それまではややキワモノ扱いされてきた多感覚相互作用が 一挙に研究の前面に躍り出ることになった. 本書に詳しく述べられているように,オノマトペは視覚(色, 形,質感,動き),聴覚,触覚,味覚などと深く関係しており,根 源的にマルチモーダルな性質をもっている.たとえば,ギトギトと いうのは脂っこい食べ物の視覚的な印象を表すし,それを食べた時 の食感をも表すし,人の性格,ふるまいから得られる印象などに用
いられることもあるだろう.このことは,私たちの体感レベルの感 覚,理解をその全体性を損なうことなく表現するメディアとして, オノマトペが特殊な地位,役割にあることを示している.このよう なことが本書で坂本さんが示してきた,オノマトペの表現メディア としての優越性の背後にあると考えられる. 分野を横断する柔軟な知性 本書で述べられている坂本さんの研究で驚かされるのは,その 分野横断性である.そもそも言語学という,いわゆる文系で学位を 取得した人が,本書の4章以降で示される研究をしてきたという のは驚きである.つまりここでは文と理との間の横断が見られる. また,理工学などと,理学(科学)と工学は一緒にされることは多 い.しかしこの2つは出所も異なれば,行き着く先も異なっている (むろん深く関係している部分も多いのだが).前者は主に自然現象 の仕組みの解明が目標であるのに対して,後者は人の社会に役立つ 人工物の製作が目標となる.簡単な話,飛行機を作る時に,鳥がど う羽を動かすかを研究する必要はない.また近年は人工知能第3次 ブームと呼ばれているが,ここで作られているソフトウェアのほ とんどは人間の脳の働きとは無関係である.よって,科学(鳥の研 究,脳の研究)と工学(飛行機の設計,AIソフト開発)は,ある 程度まで独立に進められるし,多くの場合異なる人たちによって行 われている. しかし坂本さんはこの壁も悠々乗り越えて研究を進めてきた. 4,5,6章では,味覚,視触覚,聴覚,とオノマトペの関係を分析 的・科学的なアプローチで探求し,任意のオノマトペの表す意味・ 印象を推定するシステムを開発している.そして,7章以降ではそ れを用いて模造金属の質感を向上させたり,商品イメージを提案し
たり,商品検索に利用したり,医療現場でのコミュニケーション支 援をしたりという,ものづくり,工学的なアプローチで研究を進め ている.こうやってまとめてしまうと,順調な発展という感じがす るが,文,理,工を自在に行き来する研究者というのはとても稀な 例だと思って欲しい.単なる連想に過ぎないが,こうした坂本さん の姿は,感覚の境界を難なく横断するオノマトペの姿とダブって見 える. 坂本さんが本書で述べてきたオノマトペについてのさまざまな知 見は,オノマトペ自体の面白さを引き出すだけでなく,人間の新し い姿を描き出したり,新しい技術の開発を通して21世紀の社会を 作り出したりすることにもつながる.本書を通して,この分野に関 心を持つ人が増え,この研究のコミュニティーがさらに広がること を期待したい.