一七 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶
﹃俳諧次韻﹄
﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶
佐
藤
勝
明
︿はしたなりける女房の声更て 桃青﹀ 26 血 摺 のねまき夜 や忍ぶらん 其角 七 ・七の構成 。雑の句 。﹁ 血摺のねまき﹂は血で摺り染めた 寝巻 。諸注が指摘する通り 、﹁ 忍ぶもじ摺り﹂を踏まえた造語 と見られ、これも諸注のいうように、身体を傷つけ男への心中 立てをしたため、結果的に﹁血摺のねまき﹂となったのであろ う 。また 、発想段階では 、﹁忍ぶ摺り﹂から ﹁忍ぶらん﹂の措 辞が導かれたものとも考えられる。 ﹁忍ぶ﹂ には ﹁男を思い忍ぶ﹂ ︵﹃校本﹄ ︶ と ﹁ 男の部屋へ忍んで行く﹂ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ ︶ の二解があるも のの 、﹃連句抄﹄によれば 、﹁ ﹁夜﹂と ﹁忍ぶ﹂を連用した表現 では、 ﹁忍ぶ﹂が大抵人の許へ忍んで行く意味になる﹂という 1 。 ﹁らん﹂は現在推量の助動詞。前句の端女が別の女の忍び通い を見とがめる ︵赤羽 ﹃全註﹄ ︶ ととらえるべき必然性はなく 、﹁は したなりける女房﹂ならばいかにもありそうな行動を、他の視 点で描いたと見れば足りる 。﹁声更て﹂に秘めやかな気分を感 じ取り、恋の場面を具体化した付けであり、血染めの寝巻で男 のところへ忍び入る女の姿は、 十分に独創的。 ﹁更て﹂ か ら﹁夜﹂ ﹁ねまき﹂が導かれるとはいえ、詞のつながりが付合の中心を なしているわけではない。 27 別れ来 しむくろは起 てたよ〳〵と 才丸 五 ・ 七 ・ 五の構成。 雑の句で、 恋と無常とを合わせている。 ﹁む くろ﹂は遺骸であるから、ここの﹁別れ来し﹂は、死んだ者に 別れを告げて辞したことをいう。その死体が起き上がったとい う怪異的な場面で、前句との関係からして、惨殺されたか自殺 したか、あるいは吐血する病であったか、死因は血にまみれる一八 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ ものであったことになる 。 この場合 、﹁ 別れ来し﹂は男が女の もとを去ることで、女が男を訪ねる打越・前句の設定とは別場 面なのだから 、﹁デートして別れたあと 、実は死体であったそ の女は起き上がって⋮﹂ ︵ ﹃ 全 集 ﹄ ︶ といった解は不自然。 前句の ﹁ 忍 ぶ﹂は読み換えられていると見るべきで、無念の死を迎えた女 が、男への思いを断ちがたく、こっそり跡を追うのでなければ なるまい。 ﹁たよ〳〵と﹂は弱々しくもたおやかな様子をいい、 ここは ﹁ むくろ﹂が歩く姿の形容 。﹁忍ぶ﹂に応じた語勢とい ってよく、この点からも、執念の激しさばかりを強調して解す るのはふさわしくない。 28 獄 囚正を物ぐるはしむ 揚水 七 ・ 七の構成。雑の句。 ﹁獄囚正﹂ は ﹁ 囚獄正﹂ のことらしく、 ﹁囚獄司﹂は獄に関することを司どった律令制の役所で、 ﹁正﹂ はその長官 。﹁物ぐるはしむ﹂は ﹁ 物狂ひ﹂を動詞化して使役 の助動詞を付したもので 、気を変にさせるの意 。 ここで 、﹁む くろ﹂ は 刑死による遺体となり ︵もはや女性と限らない︶ 、﹁ 別れ来し﹂ は執行に立ち会った﹁獄囚正﹂が引き上げることになる。その 罪人がふらふら起き上がり 、役人を発狂させるというもので 、 ﹁むくろ﹂から ﹁ 獄﹂への展開はやや安易 。なお 、﹃連句抄﹄ は﹁句末を断定的に言ひ切る例﹂が﹃次韻﹄に多いことをここ で指摘し、これに一言すると、そもそも、それ以前の芭蕉連句 では半数に近かった体言止めの割合が、天和期には 20∼ 30%ほ どに激減する 。それと対照的なのが助詞 ﹁ を﹂の多用であり 、 拙稿 ﹁天和期芭蕉連句の ﹁を﹂ 2 ﹂で記したように 、芭蕉たちの 実験精神はこうした点にも現れているのであった。 29 天帝 に目 安 を書 て聞 へあげ 其角 五 ・ 七 ・ 五の構成。雑の句。 ﹁ 天帝﹂は古代中国以来の呼称で、 天をつかさどる造物主をさす 。﹁目安﹂は ﹁ 目安書 ・ 目安状﹂ ともいい、本来は箇条書きに見やすくした文書で、近世では訴 状をさすのが一般的 。﹁聞へあげ﹂は申し上げる意の動詞 ﹁聞 え上ぐ﹂の連用形 ︵﹁聞へ﹂の表記は慣用︶ 。﹁ 天帝﹂と﹁目安﹂は不 思議な取り合わせで 、一見 、﹁太神宮を紙屑買にたとへ 、天満 神を傾城になし、 ⋮帝王に犬の馬痢をなめさせ﹂ ︵﹃ 誹諧破邪顕正﹄ ︶ といった高政流の軽口に相似するようにも見える。しかし、付 合の発想は 、﹁獄囚正﹂の狂気の原因をほかに探り 、 無実の囚 人が天帝に訴えたからだとしたもので、ここで﹁天帝﹂が選ば れたのは、それが正邪を見抜く絶対者であるからにほかならな い。その意味で、雅俗の無理な連結をねらう高政流とは、一線 を画したものといってよい。それよりも、前句をはさみ、打越 もこの句も ﹁ 物ぐるはしむ﹂ の原因になることが問題で、 ﹃全集﹄
一九 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ のいう通り、観音開きの難が指摘されなければならない。 30 桂を掘つて星種 を植 桃青 七 ・七の構成 。雑の句 。﹁月の桂﹂の成語もあるように 、こ この﹁桂﹂は、月に生えるといわれる伝説上の植物。これによ り、雑の月の句となる。 ﹁星種﹂は星が生まれる種の意らしく、 造語に違いない。一句は、桂を掘り抜いた後に星の種を植える というもので 、これもありえない内容ながら 、﹁ 奔放な童話的 空想﹂ ︵﹃ 連句抄﹄ ︶ が楽しい付合となっている。前句の ﹁目安﹂ を 、 天帝の上覧に入れる計画の次第としたもので、 ﹁天﹂から﹁桂 ・ 星﹂の連想は常識的 ︵﹃類船集﹄に﹁桂↓久かたの月﹂ ﹁星↓月・北の空﹂ ︶ 。 このあたり、血染めの寝巻からはじまり、起き上がる死体、刑 吏の狂乱、天帝への訴え、天の植え替え計画と、非現実的な句 が続き、一句ごとの興味とは別に、付合の発想はやや単調に陥 っている。 な お、 廣田二郎氏は ﹃芭蕉の藝術﹄ ︵有精堂 昭和 43年刊︶ で 、﹁旋ツテ月地を鋤テ蘭種ヲ移シ﹂ ︵﹃聯珠詩格﹄ ︶ など漢詩句の 影響を指摘し、その可能性はきわめて高いといってよい。 31 雨の擔 子 風のかますの冷 かに 揚水 五 ・ 七 ・ 五の構成。季は ﹁冷か﹂ で秋七月。 ﹁擔子﹂ は ﹁担桶 ・ 担籠﹂などとも書く桶のことで、水 ・ 肥 などを入れて担う。 ﹁ か ます﹂は藁のむしろを二つに折り左右を綴じた袋で、穀類や肥 料 ・ 塩 ・石炭などを入れるのに用いる 。﹁天上界での農耕を言 った﹂ ︵ ﹃ 校 本 ﹄ ︶ のであり、前句の﹁種を植﹂を受け、 ﹁ 雨・風﹂ によってこれを養うとしたもの ︵﹃ 類船集﹄に﹁雨↓種まく﹂ ︶ 。諸注、 ﹃准南子﹄等を出典とする﹁雨師風伯﹂の俳諧化であることを 指摘し、首肯に値する。雨を降らせる神と風を吹かせる神をい い、 前者が担ぐ桶からは雨、 後者がもつ袋からは風が注がれ、 ﹁星 種﹂が育つわけである 。﹁冷か﹂は初秋に感じられる冷気をい う表現で、ここは、風によって秋を知る和歌以来の伝統を踏ま えてもいよう。なお、 ﹁ 雨の⋮風の⋮﹂という並列的な表現は、 談林等の作品に多く 、﹃七百五十韵﹄にもよく見られるもので あった。 32 秋に対して所 帯 堂の記 才丸 七 ・ 七の構成 。季は ﹁秋﹂で三秋 。﹁ 所帯﹂は一戸を構え生 計を立てること。 ﹁所帯堂﹂は、 ﹁慈悲斎﹂ ︵ 10︶ などと同様、こ の時期に多く見られる架空の名称らしく、 所帯を営む建物の意。 ﹁記﹂は辞 ・賦 ・序 ・碑などと同様 、﹃文選﹄等で分類された 文章の種類の一つ。事実をそのまま記す体のものをいい、詩歌 を添えることが多い 。﹁所帯堂の記﹂は 、所帯堂で記したと同 時に 、所帯について記したものなのでもあろう 。﹁前句はその
二〇 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ 内容﹂ ︵ ﹃ 校 本 ﹄ ︶ と見るのも一解ながら 、前句を農具が雨風にさ らされている景と見換え、 ﹁晴耕雨読﹂ ︵﹃全集﹄ ︶ の生活さながら、 悪天候の日に筆を執るさまを付けたと考えたい。いずれにして も、 ﹁擔子・かます﹂が﹁所帯﹂に響き、 ﹁秋﹂が﹁冷か﹂を受 ける ︵﹃ 類船集﹄に﹁冷↓秋風﹂ ︶ ことはたしかで、秋の日の執筆であ ることを 、﹁秋に対して⋮記﹂と漢詩文的な語調で表したもの といえる。 33 白 親 仁紅 葉 村 に送 レ ル 聟 桃青 六 ・ 七 ・六の構成 。季は ﹁紅葉﹂で秋九月 。﹁親仁 ・親爺﹂ は父親のほか老人一般をさす呼称で 、﹁ 白親仁﹂は頭髪が白い 老爺をいうのであろう 。﹁紅葉村﹂も紅葉の美しい村をいうと 見られ、 ともに、 漢詩文を意識した凝縮的表現となっている。 ﹁紅 葉﹂の傍線は音読を指示する符号。一句、擬漢詩文的な傾向が 強く 、﹃ 校本﹄等が指摘するように 、前半が黄山谷の詩句 ﹁ 白 頭紅葉ニ対シ、此ノ揺落ヲ奈何セン﹂ ︵ ﹃ 山 谷 詩 集 ﹄ ︶ を踏まえるこ とは確実。この詩句に明示された﹁白﹂と﹁紅﹂の対比は、桃 青の付句においても眼目の一つであろう 。﹁聟を送る﹂は我が 子を聟として送るの意で、この設定は、前句の﹁所帯﹂から連 想されたものに違いない 。 つまり 、﹁聟入りさせるに際して所 帯の注意を書いて与えた﹂ ︵ ﹃ 校 本 ﹄ ︶ わけである 。 作者の脳裡を 推察するに、前句の﹁秋﹂の一字から山谷詩を想起し、その詩 句を活用しながら 、﹁所帯堂記﹂を与えるにふさわしい相手は 誰かと探り 、﹁聟﹂を案出したと考えられる 。 想像力の働きも 豊かで、鮮やか手際というべきであろう。 34 漁 の火 影 鯛を射 ル 其角 七 ・ 七の構成。雑の句。 ﹁ 火影﹂は火による光で、 ﹁漁の火影﹂ は漁をする際に焚く漁火の明かりをさす 。﹁射ル﹂に訓ぜられ たユミヰルは 、﹃書言字考節用集﹄などにも見られる通行の読 み方。弓で矢を射ることにほかならず、むろん、鯛に対して弓 矢を使うことはありえない。では、これは﹁細工﹂ではないの か。何度か記したように、当時の芭蕉たちの判断基準は、それ が相応の表現効果をもつかどうかにあったといってよく、この 場合 、﹁ 事実を超越した奔放さと引き緊つた調子で 、 かなり効 果的な表現になつてゐる﹂ ︵﹃連句抄﹄ ︶ 点が認められたのだと考 えられる。付け方としては、息子を送り出すに先んじて、祝い の品を用意する場面を描いたと見られよう。張継﹁楓橋夜泊﹂ の ﹁江楓漁火愁眠ニ対ス﹂ ︵﹃聯珠詩格﹄等︶ を介して ﹁紅葉﹂か ら﹁漁の火影﹂が出たとする﹃連句抄﹄の説は鋭く、一句の仕 立てにおいては、赤羽﹃全註﹄が指摘する﹁漁舟ノ火影ハ寒ウ シテ浪ヲ焼ク﹂ ︵﹃和漢朗詠集﹄ ︶ の影響も考えられる 。こうした典
二一 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ 拠をもつ場合、談林での常套は、無心所着に利用することであ った。その傾向がまったく見られず、原典とも異なる世界を作 り出している点、十分な評価に値しよう。 35 師 魚 は諫 め鰻は胸を割 ける 才丸 六 ・ 七 ・ 五の構成。雑の句。 ﹁師魚﹂は﹁鰤﹂とも表記し、 ﹃ 連 句抄﹄ が引くように、 ﹃ 和漢三才図会﹄ に その由来が紹介される。 すなわち、 ﹁ 甚ダ大キク甚ダ老ス。故ニ老魚 ・ 師魚ノ名ヲ得ル﹂ というもので、 ﹁鰤﹂は﹁師魚﹂を合わせた国字。 ﹁諫む﹂は目 上の者の落ち度などを指摘し忠告すること 。﹁ 割く﹂は刃物な どで切り開くことをいい 、﹃ 書言字考節用集﹄でも ﹁割﹂にサ クの読みが付される 。﹁師魚は⋮鰻は⋮ ﹂の並記的表現が ﹃七 百五十韵﹄ 等 に多用されることは、前述の通りで、 この点は ﹃ 次 韻﹄にも共通することが知られる 。 直線的に読めば 、﹁諫め﹂ はブリ自身の行為、 ﹁胸を割ける﹂ は ウナギが受けた刑となる ︵も ちろん 、鰻の料理法が作者の念頭にはあろう︶ ものの 、これを互文的な 構文ととり、どちらの諫言も聞き入れられず、ともに殺された と見ることもできる。ともあれ、前句の﹁鯛﹂を暴君とし、対 する忠臣に﹁師魚・鰻﹂を出したことは動かず、その因果応報 で鯛が射られたとする逆付である。打越と付句も逆付であった から、その点はやや難といえようか。廣田﹃藝術﹄等が指摘す るように 、﹃史記﹄で知られる殷の紂王の暴政が踏まえられた と見てよく 、 また 、表現上は ﹃荘子﹄ 䊛 篋篇の ﹁⋮ハ斬ラレ 、 ⋮ハ剖カレ、 ⋮﹂ を用いるとした同書の説も、 考慮に値する。 8 ・ 9 で 鳥類の寓話的場面が描かれたのに続き、ここでは魚類のそ れが構想されており、よくいわれるように、ここに天和調俳諧 の一好尚があったことは間違いない 。なお 、﹁師魚﹂で冬季と する考え ︵﹃全集﹄ ︶ もあり 、たしかに 、﹃はなひ草﹄ ﹃毛吹草﹄等 では十一月の扱いとされる。が、それは食材としてのいわゆる 寒鰤をさすもので、果たして、魚自体を擬人的に詠んだこの句 にも、それが該当するのかどうか。今後の検討課題とし、ここ では雑としておく。 36 安 房 の御 崎に流 人 身を泣 ク 揚水 七 ・ 七の構成 。雑の句 。﹁安房﹂は国名の一つで 、現千葉県 南部。 ﹁御崎﹂は固有名詞ではなく、岬の意とすれば足りよう。 ﹁流人﹂は罪を得て流された人をいい、実際、安房は罪人配流 の地でもあった 。﹁身を泣ク﹂は我が身の不運を泣くこと 。 前 句の死罪に流刑を加えたもので、このあたりの展開はやや停滞 ぎみ。というのも、前句と合わせれば、やはり魚類の誰かが憂 き目を嘆いている図となって、打越・前句で造形された﹁鯛﹂ の暴君ぶりが 、どうしてもこの句に響いてしまうからであり 、
二二 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ 三句がらみの傾向が指摘されることになろう。 なお、 解 釈上、 ﹁ 鰻 は胸を割かれてしまったが 、 鰤は安房の御崎に流された﹂ ︵ ﹃ 校 本﹄ ︶ とまで、理屈でとらえる必要はない。 37 向 後にて行 徳寺 の晩 鐘を 其角 五 ・ 七 ・五の構成 。雑の句 。﹁向後﹂は今より後の意で 、 こ うとれば、一句は、流された直後の罪人が﹁これからはあの鐘 を聞いて暮らすのか﹂と慨嘆する場面になる 。一方 、﹃ 全集﹄ は﹁ ﹁うしろ向きで﹂を漢語風に言ったものと解したい﹂とし、 これによれば、流刑地での生活にやつれた人が後ろ姿で鐘を聞 く姿となる 。 決することはできないものの 、 後者の解により 、 一段の味わいが加わることはたしか 。﹁ 行徳寺﹂は 、 現千葉県 茂原市中善寺にあった天台宗の寺院であるらしく、上総太郎行 徳の創見にかかるための寺名という 。﹁安房﹂から思い寄せた には相違ないものの 、﹁安房の御崎﹂から実際に鐘が聞こえる 距離ではなく 、 実めかした虚の設定といえる 。あるいは 、﹁行 徳 ︵仏道修行によって身についた徳︶ ﹂と﹁流人﹂との対比の効果を感 じ取ってよいのかもしれない。 ﹁晩鐘﹂ は日暮れ時に寺で突く ﹁ 入 相の鐘﹂で、 イリアヒと読ませる例も多い。淋しさを実感させ、 流人の境涯によくかなう配合となっている。 38 枸 杞 に初音の魂 鳥 の魄 桃青 七・七の構成。季は﹁魂鳥 ︵=時鳥︶ ﹂で夏四月。 ﹁ 枸杞﹂はナ ス科の落葉低木。葉・根皮・果実とも飲用・薬用に供され、吐 血に対する薬効もあるという 。﹁魂鳥﹂は ﹁ 蜀魂﹂などに基づ く造語らしく 、ホトトギスをさすと見てよかろう 3 。﹁ 魂魄﹂の 語があるように 、﹁魄﹂も ﹁魂﹂に同じ 。一句は 、死者の魂が 変じたといわれる時鳥の、その魂が、枸杞に対して初音を聞か せる 、の意 。﹁郭公↓橘 ・卯の花﹂ ︵﹃類船集﹄ ︶ の常識的な取り合 わせを離れ、敢えて﹁枸杞﹂を出したのは、上記の薬効を踏ま え、 ﹁郭公の血を吐くのに応ずる﹂ ︵ ﹃ 校 本 ﹄ ︶ 措置であるかもしれ ない。付合に関しては、 ﹁行徳寺の晩鐘に物の怪を配した﹂ ︵同︶ との説が通行する。が、先に怪異的な場面が続いた後、ここで も ﹁物の怪﹂ を想定する必要が果たしてあるのか。 ﹁魂鳥の魄﹂ は 、﹁閑つれ〴〵に﹂ ︵ 10︶ などと同様 、 同語を重ねた強調表現 と見ればよく、それが幻妖な気分を出していることはたしかに もせよ 、一句としては 、時鳥が初鳴きをすると尋常に解して 、 何ら問題はない 。 後の例ながら 、﹁ 入相のひゞきの中やほとゝ ぎす 羽紅﹂ ︵﹃猿蓑﹄ ︶ など 、晩鐘と時鳥を同時に聞く興が詠ま れた句も出現するようになる 。これはその先駆的な試みであ り 4 、晩鐘の中の初音、枸杞に向かう時鳥という具合に、新たな 取り合わせが開発された例と見られる。 もっとも、 詞 の上では、
二三 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ ﹁鋳立る鐘↑初音﹂ ︵ ﹃ 類 船 集 ﹄ ︶ の連想を介して、 ﹁鐘﹂ と ﹁魂鳥﹂ が結びついた可能性もないではない。仮にそうであっても、大 切なのは、晩鐘の句と時鳥の句がここに付合として成立した事 実である。その実験精神は、小手先だけの﹁細工﹂とは、たし かに一線を画するものであろう。 39 恋人の袂 に似たるかりぎかな 揚水 五 ・ 七 ・五の構成 。季は ﹁かりぎ﹂で夏五月 。﹁かりぎ﹂に 関しては 、﹃校本﹄等が ﹁借り着﹂のこととし 、更衣の意を伴 って夏季とするのに対し 、﹃連句抄﹄は葉の細い葱の一変種で ある ﹁刈葱﹂で夏季 ︵諸書に五月の扱い︶ とする 。前者は 、 亡き恋 人の着物と似た借り着でその人を偲ぶとの解で、前句とのつな がりは、時鳥が鳴く更衣の時期という、時候の関連が中心にな る。一方、後者では、時鳥が刈葱に恋人枸杞の面影を見て嘆く との解になり、両句はここでも寓言的世界を作っていることに なる。後者の解で問題になるのは﹁袂﹂で、 こ れについて、 ﹃ 連 句抄﹄は﹁物思ふ袂に似たる紅葉かな時雨や何の涙なるらむ﹂ ︵﹃続後撰集﹄ ︶ の影響を示唆。 必 ずこの歌を踏まえるというよりは、 ﹁袂﹂が恋しい人やその思いを象徴する語であったことの一例 とすればよく、この句でもその発想が利用されたと考えれば納 得がいく 。ただし 、﹁袂︱借り着﹂の縁語関係も無視すべきで はなく、その上で﹁刈葱﹂の意を打ち出した掛詞的な用法と見 るのが妥当 。﹁郭公↓恋し鳥﹂ ︵﹃ 類船集﹄ ︶ の連想を軸に 、時鳥自 体の恋を扱った付合であり 、﹁かな﹂はその深い慨嘆の表現と いうことになる。 40 雨をくねるか夏風がつま 才丸 七 ・ 七の構成 。季は ﹁夏風﹂で三夏 。﹁ くねる﹂はすねて愚 痴をいうこと。 ﹃全集﹄は、 ﹃古今集﹄仮名序の﹁男山の昔を思 ひ出でて、 女 郎花のひとときをくねるにも﹂ を 参考に挙げる。 ﹁ つ ま﹂は﹁妻﹂ 。これで恋の句になると同時に、 ﹁褄﹂の意も掛け、 ﹁袂・借り着﹂に応じたわけであろう。前句とともに、やや古 風な付け方といえる。 ﹁ 夏風がつま﹂に関しては、 ﹃校本﹄等が 指摘するように、謡曲﹁女郎花﹂の﹁頼風心に思ふやう、さて はわが妻の女郎花になりけるよと、なほ花色もなつかしく、草 の袂もわが袖も、⋮貫之も、男山の昔を思つて女郎花の一時を くねると書きし⋮ ﹂を踏まえつつ 、﹁夏かぜのわが袂にしつつ まれば恋しき人のつてにしてまし﹂ ︵﹃ 夫木抄﹄ ︶ によって ﹁頼風﹂ を ﹁夏風﹂に替えたと見て間違いない 。もちろん 、﹁ 刈葱﹂に 季を合わせたための﹁夏風﹂であり、その妻である刈葱が夫の 来訪のないのを嘆き、 雨 に対して愚痴をこぼす場面となる。 ﹁雨﹂ と ﹁風﹂は付き物 ︵﹃類船集﹄に ﹁ 雨↓凉しき風﹂ ﹁風↓雨気﹂ ︶ ながら 、
二四 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵ 人文系編︶ 31にも﹁雨の⋮風の⋮﹂とあったばかりで、発想の類似が感じ られなくもない。 41 夕暮は息に烟 を吐 思ひ 桃青 五 ・ 七 ・ 五 の構成。雑の句。 ﹃校本﹄ が いうように、 こ この ﹁烟﹂ は ﹁ 胸の煙﹂であり 、同時に 、﹁夕餉の煙をふまえる﹂のであ ろう 。﹁ 胸の煙﹂は胸中の思いを意味する成語 ︵﹃類船集﹄に ﹁煙↓ むねのおもひ﹂ ︶ で 、 とくに恋情をさすことが多い 。前句の妻がや るせない思いにひたっているわけで 、思わずついたため息に 、 苦しい胸の内が出てしまいそうだというのである 。 なお 、﹁ 夕 暮↑淋敷﹂ ﹁夕↓人を待﹂ ︵﹃類船集﹄ ︶ などは 、万人に共有される 情感といってよいもの。桃青の付句がすぐれて感じられる理由 の一つは、こうした普遍的なるものの把握と、これを伝えるに ふさわしい表現 ︵ここでは ﹁息に烟を吐思ひ﹂ ︶ の模索とが 、うまく 結びついている点にあるのであろう。 42 民 屋あつて腹をせばむる 其角 七 ・ 七の構成 。雑の句 。﹁民屋﹂は ﹁民家﹂に等しく 、人が 住む家をいう。前句の ﹁烟﹂ から発想されたもの ︵﹃ 類船集﹄ に ﹁ 煙 ↓賤が住家 ・小家 ・民のと﹂ ︶ で、出典は未確認ながら、 ﹃校本﹄は一 句を諺 ﹁ 民屋あって土をせばむる﹂のもじりとする 。﹁ 腹をせ ばむる﹂は腹を細くするの意で、空腹・貧窮の状態をいう。付 合の背後にあるのは、竈の煙で庶民の暮らしぶりを知ったとさ れる仁徳天皇の故事に間違いなく、これを転じ、困窮した民家 からは煙も出ず 、代わりに嘆息の煙を口から出すとしたもの 。 前句の働きで、ようやく新たな展開となった。 43 笑 の木愁 る草の野は眛 く 才丸 五 ・ 七 ・五の構成 。雑の句 。﹁笑の木 ・愁る草﹂は出典や用 例を知らず、笑いや愁い、つまりは人間の感情を比喩的にいっ た造語なのであろう。 ﹁野﹂は﹁木・草﹂の縁から出たもので、 要するに心をさすものと見られる 。﹁ 眛く﹂は目が暗く物の識 別がうまくつかないことで 、﹁昧﹂とは別字 。一句は 、木や草 が茂る野のように、心の中は喜怒哀楽の情で煩瑣なことだ、と いった意になろう。 ﹃連句抄﹄がいう通り、 ﹁ かなり観念性が露 骨﹂で、これを植物による寓言的な世界とはとらえがたい。前 句の貧家から﹁愁る ・ 眛 く﹂が導かれ ︵﹃ 類船集﹄に﹁愁↓乱国 ・ 民 ﹂ ﹁闇↓乱かはしき政道﹂ ︶ 、これに ﹁笑﹂を添えた付けと見られ 、こ こでも 、﹁ 息に烟を吐思ひ﹂以来の三句がらみが指摘されるこ とになる。 44 亦 露分 る娑 婆の古道 揚水
二五 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ 七 ・ 七の構成 。季は ﹁露﹂で秋七月ないし三秋 。﹁娑婆﹂は 苦に満ちた現実世界を意味する仏教語。 諸注に指摘される通り、 ﹁娑婆の古道﹂は﹁千代の古道﹂をもじったもの。現京都市右 京区嵯峨にあった旧道で、歌枕。定家の﹁嵯峨の山ちよのふる みち跡とめて又露分くる望月の駒﹂ ︵﹃ 新古今集﹄ ︶ が著名で、一句 もこれによっている。付合上は、 ﹃ 連句抄﹄が説くように、 ﹁古 道に我やまどはむ古の野中の草は茂り合ひにけり﹂ ︵﹃拾遺集﹄ ︶ により 、﹁ 草の野は眛く﹂から ﹁古道﹂が導かれたと見て問題 ない 。﹁露分る﹂は 、 定家歌では駒が露を分けるように草深い 道を行くの意で、これを、苦界としての現世を生きる意味に用 いている 。 ちなみに 、﹁ 草﹂と ﹁ 露﹂は付合語 ︵﹃ 類船集﹄に ﹁ 露↓ 草﹂ ︶ 。﹁娑婆の古道﹂ がもじりのためのもじりではなく、人生を 歩む苦しさは古来不変であることまで含意して 、﹁ 娑婆﹂の一 語も決して浮いていない点に、注意を向けておきたい。 45 月見けん高 雄 が手 向嬉しくて 其角 五 ・ 七 ・ 五の構成。季は ﹁月見﹂ で 秋八月。月の句。 ﹁見けん﹂ の ﹁ けん﹂は過去推量の助動詞 。﹁高雄﹂は人名で 、江戸吉原 の三浦屋が抱えていた高尾太夫をさす ︵﹁高雄﹂とも表記した︶ 。 ﹁ 手 向﹂ は死んだ者への供養。 ﹁ が﹂ は連体修飾格と見るのが妥当で、 高尾による手向けを嬉しく思うのだから、その主体は死者の霊 に違いなく 、﹁むくろは起て﹂ ︵ 27︶ の前後と内容的に重なるこ とになる 。この句との関係において 、﹁娑婆の古道﹂は 、霊魂 がこの世に戻る道の意に変わると見てよかろう。 ﹁露﹂ と ﹁月﹂ は付合語 ︵﹃ 類船集﹄ に ﹁ 露↓月﹂ ︶ 。﹁月見けん﹂ の主体は説が分かれ、 高雄とすれば、高雄が月を見て自分を思ってくれたことがうれ しいといった意の、 回向される側の視点で詠んだ自の句となる。 一方、死者が見たのであれば、高雄の回向を喜びながら月を見 たことだろうの意となり、他の句になる。前者では﹁見けん﹂ と﹁嬉しくて﹂の主体が変わることになり、この点をやや不自 然と考え、 ここでは後者に従っておく。なお、 こ の句で﹁高雄﹂ が登場するのは 、﹃連句抄﹄のいう通り 、嵯峨から高雄山が想 起され、 さらにこれが遊女高尾に転じられたものなのであろう。 46 哀れと文 を躍る夜 終 桃青 七 ・七の構成 。季は ﹁躍る﹂で秋七月 。﹁ 哀れ﹂は感激して 発する声であり 、そのような感情をいう 。﹁ 文﹂は手紙 。ここ の﹁を﹂は漢文訓読に由来する表現で、手紙に対して、手紙を 受けて、 といった意になる。用例未詳ながら、 ﹁夜終﹂ は ﹁終夜﹂ に同じく 、 一晩中の意であろう 。﹃校本﹄等にいわれる通り 、 前句の﹁手向﹂を恋文のことに取りなした付けで、そのうれし さを﹁躍る﹂と具現化したわけである。その読み換えにはやや
二六 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ 苦しい面がないではない。が、この処置により、死者がうれし がるという怪異性が断たれ、文に小躍りする人間一般の情への 転換が可能になったこともたしか。 ﹃次韻﹄での課題の一つは、 この ﹁前のこと﹂ をいかに離れるかにあったといってよかろう。 もっとも、詞の縁をまったく使わないわけではなく、 ﹃ 連句抄﹄ によれば、 ﹁ 嵯峨﹂ と ﹁踊﹂ は ﹁踊り念仏﹂ によって結びつき ︵ ﹃ 類 船集﹄に ﹁嵯峨↓踊 ・大念仏﹂ ﹁踊↓北さが ・時宗の念仏﹂ ︶ 、ここでも 、﹁高 雄﹂から嵯峨での行事を連想したことは確実という。発想過程 はその通りだとしても、できた句まで、その枠内で理解しなけ ればならない理由はない 。 少なくとも 、﹁嬉しさに雀躍りしつ つ踊り念仏の仲間に入って踊り狂ふ﹂ ︵﹃ 連句抄﹄ ︶ とまで解する 必要はなく、 思わず躍ってしまうような心の高揚を読みとれば、 それで十分であろう。 47 脱 置 し小袖よ何と物いはぬ 揚水 五 ・ 七 ・五の構成 。雑の句 。﹁ 小袖﹂は 、本来は ﹁大袖﹂に 対して袖口の小さな下着で、鎌倉時代に袂が加わり、近世では 一般的な衣類としてこの形の絹布の綿入れをいう。これに向か って呼びかけた発話体の句であり、諸注、前句を恋の狂乱と見 ての付けとする。たしかに、そう読まないと二句の関係は説明 できず、おそらく、 ﹁ 哀れ﹂を悲哀の意、 ﹁ 躍る﹂を驚き動揺す る意に読み換えて、打越・付句の感激から離れるべく、離別の 場へ転回を図ったのであろう。その意図はわかるものの、強引 さが目立ち、成功した付合とはいいがたい。それでも、この連 衆が ﹁心﹂の付けを志向していたことは間違いなく 、これは 、 その思いの強さが裏目に出た例といえるのではないか。少なく とも、詞の連想に頼る限り、このような付け方は決して生まれ まい。前句の中に別の可能性を見いだし、発展させていく方法 が、未熟ながらも模索されていたのだと思われる。なお、発話 者と小袖の主との関係については 、﹁脱置し﹂とある以上 、 相 手が死んでいることにはならず 、﹁止むを得ない事情に迫られ て同棲出来なくなつた恋人同士﹂ ︵﹃連句抄﹄ ︶ といったことにな ろう 。﹁諦め切れない男の依々恋々の情﹂ ︵同︶ を読むべきで 、 これを﹁女のさま﹂ ︵﹃全集﹄ ︶ と見る理由はない。 48 朝 タ 枕に。とゞめ。をどろく 才丸 七 ・ 七の構成。雑の句。 ﹁とゞめ﹂は、 ﹃ 校本﹄が﹁とめ伽羅﹂ の意であるとし 、﹃連句抄﹄はこれを受けつつ 、 用例を知らな いので ﹁才丸の造語か﹂と記す 。﹁ 留伽羅﹂は香木の伽羅をた いて香をたきしめること 。﹁をどろく﹂は ﹁ おどろく﹂の表記 が一般的で、目をさますこと。枕に残る香で目ざめたという場 面で 、﹁ とゞめ﹂の前後に句点を打ち 、 残っているのは香ばか
二七 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ りであることを強調する。前句より時間的に前のことを詠んだ 逆付で 、﹁脱置し﹂は 、上に掛けていた小袖もそのままに 、共 寝した相手がすでに帰っていた意となる 。後朝の様子であり 、 ここではじめて、目ざめて嘆く主体が女性に変わる。 49 花に照る太 神宮の奇 特 也 桃青 五 ・ 七 ・ 五 の構成。季は ﹁花﹂ で 春三月。花の句。 ﹁花に照る﹂ は花と照らし合うこと、 花の輝きを受けることであろう。 ﹃校本﹄ 等は ﹁天照大神宮﹂のもじりとする 。﹁御祓箱﹂は 、伊勢神宮 から頒布される御祓いの大麻を入れる箱をいい、御師によって 年ごとに配られる。 ここは、 伊勢神宮のものであることから、 ﹁ 太 神宮﹂の表記を当てたもの 。﹁奇特﹂は特別に珍しくすぐれて いることで、中でも神仏の霊験をいう場合が多い。前句との関 係を、 ﹁御祓箱を枕として寝た朝の霊験﹂ ︵﹃校本﹄ ︶ と見るのはよ いとして 、﹁ 枕に伽羅の香がとゞまつてゐたといふ前句を 、伊 勢神宮の霊験とした﹂ ︵﹃連句抄﹄ ︶ のではなかろう 。﹃ 全集﹄がい うように、 ﹁とゞめ﹂は息の根を止める意に読み換えられ、 ﹁ 寝 込みを襲った敵の刺した止め﹂にも御祓箱のおかげで助かった ことが﹁奇特﹂の内容にあたる、と考えるべきである。匂いの 花としては異例の展開ながら、それでこそ﹁奇特也﹂が活きる ことになり 、﹁前句に全躰はまる事 、古風﹂の認識にもかなう ことになろう。 50 幣 に巣作る詫 の鳥 其角 七 ・ 七の構成。季は ﹁巣作る⋮鳥﹂ で春二月。 ﹁幣﹂ は ﹁ 御幣﹂ ともいい、 神 への祈祷に際して用いる紙や布で作った祭具。 ﹁ 詫﹂ はカコツ・ワブなどの読みをもつ字で、ここは﹁託﹂に通わせ 神託の意を担わせている 。﹃連句抄﹄は ﹃荘子﹄の影響を受け た用字とし 、 その可能性も考えられる 。﹁コトツケ﹂はコトツ ゲともコトヅケとも読め、後者なら伝言の意となる。が、前句 とともに神祇の句であることから、ここは前者で託宣の意とし ておく 。﹁詫の鳥﹂は神意を告げる鳥をさした造語であろう 。 それが幣に巣を作ったというので、めでたい気分でしめくくら れている。付合としては、 ﹁太神宮﹂から﹁幣﹂を導き出し ︵ ﹃ 類 船集﹄に﹁伊勢↓御祓﹂ ﹁抜麻↓伊勢神宮﹂ ︶ 、そこに言告げの鳥が巣作り したことを﹁奇特﹂の内容としたもの。その意味では観音開き に近い展開といえ、 ﹁花﹂ と ﹁鳥﹂ の 密接な関係 ︵同じく ﹁鳥↓花木﹂ ︶ など、詞付に近い要素もないわけではない。しかしながら、挙 句で最も大切なのは祝意であることからすれば、まことに挙句 らしい挙句といってよく、右の点は問題にしないでよいのかも しれない。
二八 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ 全体を通見して何よりも顕著なのは、詞の縁を頼りにした付 合がほとんど見られないことで、親句中心の﹃七百五十韵﹄と は大きく性格を異にしていることが 、改めて確認される 。﹁前 句に全躰はまる事﹂はたしかに避けられており、荷兮が﹃はし もり﹄で記すように 、﹁前のこと﹂ではなく ﹁前句の心﹂を見 極め、これにふさわしい付句を案じていたといってよい。もち ろん、付合語の使用が皆無ではないものの、それらが付合の主 たる要因とはなっていないことも、見てきた通りである。 では 、﹁ 心﹂によって付けるとはどういうことか 。 当該五十 韻について 、 いくつかの例をもとに考えてみよう 。﹁ しばらく 風の松におかしき/夢に来て鼾を語る郭公﹂ ︵4 ・ 5 ︶ では、 ﹁ お かしき﹂に着目し、松風をそのように受けとめる人がいると考 えたのが、第一段階。第二段階では、その人が行ないそうなこ とを案じて 、 時鳥を待つ場面を設定 。さらにその先を想像し 、 つい眠ってしまったため、時鳥が夢に現れそのだらしなさをあ ばくとしたのが、最終の第三段階。こうした過程を視野に入れ ず、内容上の滑稽味からこれを談林調などと断じては、当を失 することになる 。﹁秋に対して所帯堂の記/白親仁紅葉村に送 レ 聟﹂ ︵ 32・ 33︶ の場合は、 ﹁ 記﹂を何のために書くかと考え ︵第一 段階︶ 、聟に行く息子への贈り物と定めた ︵第二段階︶ 上で、 ﹁ 秋﹂ から想起した漢詩句をもとに、子を送り出す主体は﹁白親仁﹂ 、 送る先は ﹁紅葉村﹂であると表現する ︵第三段階︶ 。ここでも 、 付句の原点は前句の内容をよく読み込む ︵すなわち 、 読み直す︶ こ とにあり 、先の問いに答えるならば 、﹁心﹂の付けとは 、前句 の場には何があるはずか、前句の人なら何をしそうか、といっ たことがらを主体的に探り、さらにその先を想像して、具象化 することなのであった。 むろん 、 すべての付合でそれに成功しているわけではない 。 が、その志向はほぼ全体にわたって確認でき、多くの付句が上 記の過程を経たものであろうことも指摘できる 。﹁哀れと文を 躍る夜終/脱置し小袖よ何と物いはぬ﹂ ︵ 46・ 47︶ といった 、読 み換えの意識ばかりがあらわな非成功例も、そのことが逆に志 向の強さを証することになっているし、親句の傾向が強い﹁灯 心うりと詠じけん月/微雨行麻がら山の木の間より﹂ ︵6 ・ 7 ︶ にしても、発想の第一は﹁月﹂がどこに出ているかを探すこと にあり、その上で表現の選択がなされていることに変わりはな いのであった。従来の付け方とは決定的な違いがあるといって よく 、それは 、﹃ 七百五十韵﹄と ﹃次韻﹄との大きな相違点に もなっている。 たとえば、前者の﹁狐が里の穴のしのゝめ/隠れ笠かくれ羽 織を詠めやる﹂ ︵ 26・ 27︶ では、変 化という共通性によって ﹁ 狐﹂ から ﹁隠れ笠 ・隠れ蓑﹂を想起し 、﹁隠れ羽織﹂の創作を示し
二九 ﹃俳諧次韻﹄ ﹁鷺の足﹂五十韻分析︵下︶ ︵ 佐藤︶ たに過ぎず、前句の場には何がふさわしいかと考えて付けられ たものではない。同じく﹁薄がもとの乞食斬らむ/旦には箔椀 あつて魚の骨﹂ ︵8 ・9 ︶ は、前句の﹁乞食﹂を付句で具象化し、 一見 、﹁ 前句の心を付て﹂いるかのようではある 。が 、前句の 本旨は ﹁乞食斬らむ﹂にあり 、﹃次韻﹄流では 、そうした場の 状況や行為者の事情などを想像していくべきところ 、﹃七百五 十韵﹄の作者たちにその意識はなく 、﹁乞食﹂から思いつく落 魄の過程だけを表したため 、﹁斬らむ﹂が完全に浮く結果とな っている。こうした視点を欠き、表現面の類似だけで二書を同 質とする見方は、旧弊として訂正されなければならない。 次に考えるべきは、芭蕉のいう﹁細工﹂の問題である。これ も見てきた通り、 ﹃次韻﹄にも造語的表現や寓言的場面は多く、 そのこと自体は﹃七百五十韵﹄と共通する。では、その内実は どうか。 ﹃ 七百五十韵﹄の場合は、 ﹁かざしの豆腐﹂ ︵2 ︶ や﹁仮 緘の雲﹂ ︵5 ︶ など、違和感による笑いをねらいとして、ありえ ない事物 ・ 現象を敢えて創作したものと判断された。一方の ﹃ 次 韻﹄でも 、﹁ 心猿﹂に基づく ﹁ 心の猫﹂ ︵ 18︶ など 、その嫌いが ないわけではない。が、その意図は、前句の人物の内面を表現 することにあり 、 滑稽化がねらわれたものではない 。﹁笑の木 愁る草の野﹂ ︵ 43︶ も同様で、十分な効果があるかどうかは疑問 ながら、ともかくも、人間の感情に興味を示し、その表現をめ ざしていることは認められてよかろう 。﹁白魚をかざす ・餅舂 の宴﹂ ︵ 22︶ や ﹁ 寛平のおおん俳諧合﹂ ︵ 23︶ などは 、 歴史的にあ るはずがないものを創出したわけで 、﹁ 細工﹂との関わりがよ り厳しく問われることになる 。思うに 、﹁ 白魚 ・餅舂﹂はそれ ぞれ早春・歳末を象徴する景物として選ばれたもので、その季 節感が効いて、一句としてもちぐはぐな感じは醸成されていな い。 ﹁寛平の⋮﹂にしても、仮に寛平期の俳諧合が実在すれば、 そこで﹁白魚の挿頭﹂や﹁餅舂の宴﹂が出題されて不思議はな く、二句として無理がない内容になっている。発想の奇を押し 出す高政流の﹁軽口﹂とは一線を画しており、成功の度合いは ともかく 、﹁ 虚の中に実﹂ ︵﹃俳諧合﹄ ︶ が模索されたものと見るこ とはできよう。 また 、﹃ 七百五十韵﹄における ﹁ 清渚に古血きたなく/伊勢 の海のとりあげ蜑の袖ぬれて/酢を焼く煙我ぞまされる﹂ ︵ 14・ 15・ 16︶ のような 、会釈を利用して一句の整合性を乱す ﹁無心 所着﹂の例は 、﹃次韻﹄にはまったく見られない 。各句の理が 保たれているということであり、その点は、寓言的世界を描く 付合でも効果的に働いている 。﹁粟に稗さく黍原の守リ/侘雀 画眉を客によびけらん﹂ ︵8 ・9 ︶ にしても、 ﹁漁の火影鯛を射ル /師魚は諫め鰻は胸を割ける﹂ ︵ 34・ 35︶ にしても 、それぞれの 句意に破綻がないため、 虚は虚として明確な像を結びえている。
三〇 和洋女子大学紀要 第四十九集 ︵人文系編︶ これを﹃七百五十韵﹄の﹁仮緘の雲かさなりて白妙に/青物使 あけぼのゝ雁﹂ ︵5 ・ 6 ︶ などと比べれば、 その差は歴然であろう。 もう一点 、﹃七百五十韵﹄に関していえるのは 、三句の転じ の悪さ、同じ句調の連続など、非主体的な追随の姿勢というこ とであった。それは﹃次韻﹄にも無縁ではなく、この五十韻で も、とくに後半は三句がらみや観音開きの傾向が目につくよう になる。怪談じみた話題が頻出したり、王朝的な場面が続いた りといったことも指摘でき、それらは、やがて修正されていく ものに相違ない。 そうした欠点は欠点のまま、 それでも、 ﹃次韻﹄ がこれまでにない俳諧のあり方を示した事実は動かず、その俳 諧史的な意義は決して無視できない 。﹁前句に全躰はまる事﹂ と﹁細工﹂を警戒し、 ﹁古風﹂を超えようとする芭蕉の意識は、 たしかに﹃次韻﹄に顕現していたのである。 最後に誤解のないよう一言すると 、本稿の目的は 、﹃七百五 十韵﹄と ﹃次韻﹄を比較してよい悪いを決することではない 。 関心は、芭蕉の認識が作品上に現れているかどうかにあり、そ の観点からは、二書の相違が大きく浮上することになった。で は、貞享・元禄期にその位相はどうなるのか。今後の検討課題 としておきたい。 注 ︵1 ︶ 連用ではないものの、夜間に﹁忍ぶ﹂ことを詠んだ例 には 、﹁使にも弓はり月をたのまゝし/夜半にたどりて しのぶ落武者 宗二﹂ ︵﹃犬子集﹄ ︶ など 、異性を訪ねる意 とは異なるものも少なくない。が、芭蕉連句に見られる ﹁忍ぶ夜﹂は 、ほとんどが恋の場面に用いられており 、 阿部氏の言に従ってよいかと思われる。 ︵2 ︶ ﹃芭蕉と京都俳壇 蕉風胎動の延宝 ・ 天和期を考える ﹄ ︵八木 書店 平成 18年刊︶ 所収。 ︵3 ︶ あるいは、 ﹃全集﹄が引くように、 ﹃ 連集良材﹄には﹁蜀 国ノ王⋮其ノ魂鳥ト成リテ春夏ニ鳴ク﹂とある﹁魂鳥﹂ を、名詞に用いたものかもしれない。 ︵4 ︶ 鐘と時鳥を詠み合わせた句が、これ以前にまったくな いわけではない。が、わずかな作例も、貞徳の﹁子規山 を追出しのかねも哉﹂ ︵﹃崑山集﹄ ︶ といったもので 、二つ の音を対象にしてはいない。同句は、時鳥がなかなか里 に現れないので、山から追い出す鐘がほしいとしたもの で、遊里で明六つの鐘が﹁追出しの鐘﹂と呼ばれること を踏まえている。 ︵言語・文学系日本文学研究室︶