Nagoya City University Academic Repository
学 位 の 種 類 博士 (人間文化) 報 告 番 号 甲第1709号 学 位 記 番 号 第28号 氏 名 小野 純子 授 与 年 月 日 平成 31 年 3 月 25 日 学位論文の題名 日本統治末期、台湾の防衛体制と『留守名簿』 : 第 40 軍と嘉義を中心と して 論文審査担当者 主査: 山田 あつし 副査: 山本 明代, 吉田 一彦
第1号様式 (日本統治末期、台湾の防衛体制と『留守名簿』 ―第 40 軍と嘉義を中心として―) 2018 年度 博士論文 提出日 2018 年 11 月 16 日 名古屋市立大学大学院人間文化研究科 人間文化専攻 指導教員 やまだあつし 学籍番号 134804 氏 名 小野純子
第2号様式 目 次 ページ 目次(表) 目次(図) 序章 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 第一節 研究の目的、問題の所在 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 (1) 本土-沖縄-台湾・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・2 (2) 台湾防衛体制研究の問題点-空白の 7 ヶ月間と史料・・・・・・・・・6 (3) 地方都市「嘉義」・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・9 第二節 先行研究と資料・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 第三節 各章の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 第一章 台湾防衛体制と学生動員・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25 第一節 防衛強化-第10 方面軍と防衛体制構築 ・・・・・・・・・・・・・・27 第二節 台湾における学生動員 ―学徒出陣から学徒特設警備部隊の編成に至るまで・・・・・・・・49 第三節 「学徒兵」「学徒特設警備部隊」とその法的区分 ・・・・・・・・・・71 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・77 第二章 特設警備部隊と『留守名簿』・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・80 第一節 『留守名簿』の公開とその事例・・・・・・・・・・・・・・・・・・82 (1) 『留守名簿』の公開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・82 (2) 『留守名簿』と台湾防衛体制・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90 1. これまでに公開された『留守名簿』の分析・・・・・・・・・・・・・91 2. 台湾関係『留守名簿』の重要性・・・・・・・・・・・・・・・・・・105
第二節 特設警備部隊の編成と人員、位置づけ・・・・・・・・・・・・・・・107 (1) 台湾における特設警備部隊の編成・・・・・・・・・・・・・・・・・108 (2) 第 10 方面軍における特設警備部隊の位置づけ ・・・・・・・・・・・115 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122 資料編・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127 第三章 嘉義地区の防衛体制と中等学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151 はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151 第一節 1945 年嘉義地区の防衛体制 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・153 (1) 第40 軍司令部と嘉義地区 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・153 (2) 第 71 師団の台湾転入と嘉義方面進出 ・・・・・・・・・・・・・・・166 第二節 嘉農隊と嘉中隊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・175 (1) 嘉義地区の中等学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・175 1. 嘉義中学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・175 2. 嘉義農林学校・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・182 (2) 特設警備第 511 大隊台湾第 13871 部隊と嘉義 ・・・・・・・・・・・189 第三節 学生の戦争体験・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・198 (1) 嘉義農林学校学生の戦争体験と第 511 大隊・・・・・・・・・・・・・199 (2) 台湾人徴集兵 A 氏の戦争体験と嘉義地区・・・・・・・・・・・・・231 小結・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・242 終章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・249 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・264 謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・274
目 次 (表) ページ 【表 1-1 人員一覧表】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・27 【表 1-2 台湾軍戦序序列】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29 【表 1-3 日本統治下台湾における徴兵検査実施】・・・・・・・・・・・・・・・・57 【表 1-4 『留守名簿』「(学徒)」】 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66 【表 1-5 台湾における学生動員と法的区分整理表】・・・・・・・・・・・・・・76 【表 2-1 『留守名簿』件数】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 87 【表 2-2 第 505 大隊待命者】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・96 【表 2-3 第 508 大隊中隊編成表】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103 【 表 2-4 特設警備部隊『留守名簿』内訳】・・・・・・・・・・・・・・・・・ 106 【表 2-5 第 10 方面軍特設警備部隊】・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・113 【 表 2-6 特設警備部隊指揮下】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 117 【 表 2-7 第 10 方 面 軍 直 轄 隊 人 員 の 統 計 表 】・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 121 【表 2-8 第 505 大隊①】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・127 【表 2-9 第 505 大隊②】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・128 【表 2-10 第 508 大隊】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・137 【表 2-11 第 10 方面軍特設警備部隊整理表】・・・・・・・・・・・・・・・・144 【表 3-1 第 40 軍編成から復員完結】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154 【表 3-2 第 40 軍司令部将校職員表】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・155 【表 3-3 第 40 軍防衛担当区域(編成当時)】・・・・・・・・・・・・・・・・157 【表 3-4 第 40 軍隷下完結後の軍隊区分及び作戦地域】・・・・・・・・・・・・160 【表 3-5 第 71 師団台湾人人員数】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・167 【表 3-6 第 71 師団の師団長と参謀】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・168 【表 3-7 第 71 師団司令部略】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・168
【表 3-8 嘉義中学校 生徒数】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・179 【表 3-9 嘉義農林在学者数】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・186 【表 3-10 第 511 大隊人数内訳】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・192 【表 3-11 第 511 大隊生まれ年内訳】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・194 【表 3-12 第 511 大隊その他に分類した人々】・・・・・・・・・・・・・・・・195 【表 3-13 聞き取り調査質問事項―嘉義農林卒業生】・・・・・・・・・・・・・199 【表 3-14 聞き取り調査質問事項―徴集兵 A 氏】・・・・・・・・・・・・・・・232 【表 終-1 学徒兵法的区分整理表】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・252 【表 終-2 台湾における特設警備部隊の編成】・・・・・・・・・・・・・・・・・・.261
目 次 (図) ページ 【図 1-1 第 10 方面軍態勢図(終戦時)】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34 【図 1-2 第 50 師団配置要図】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40 【図 1-3 第 66 師団防衛管区】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・42 【図 1-4 川原家引揚記録①】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 【図 1-5 川原家引揚記録②】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44 【図 1-6 出陣学徒壮行会】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51 【図 1-7 会場に於る出陣学徒】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52 【図 1-8 同女子学徒】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52 【図 1-9 出陣学徒市中行進】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53 【図 1-10 『台湾新報』1945 年 1 月 7 日】・・・・・・・・・・・・・・・・・・56 【図 1-11 『台湾新報』1945 年 1 月 11 日】・・・・・・・・・・・ ・・・・・・59 【図 1-12 学徒進軍】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・64 【図 2-1 『留守名簿』様式】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84 【図 2-2 留守業務の体系(連絡体系)】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84 【図 2-3 『留守名簿 台南陸軍兵事部』】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85 【図 2-4 公文書館への台湾関係『留守名簿』の公開/閲覧手順】・・・・・・・・・88 【図 2-5 『留守名簿』墨塗りの一例】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89 【図 2-6 左『留守名簿 特設警備第 505 大隊・台湾第 13862 部隊』、右『留守名簿 特 設警備第 508 大隊・台湾第 13872 部隊』】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91 【図 2-7 『留守名簿 特設警備第 505 大隊・台湾第 13862 部隊』】・・・・・・・・92 【図 2-8 『留守名簿 特設警備第 508 大隊・台湾第 13872 部隊(学徒)』①】・・100 【図 2-9 『留守名簿 特設警備第 508 大隊・台湾第 13872 部隊(学徒)』②】・・102 【図 2-10 『台湾新報』1945 年 3 月 9 日】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・112 【図 2-11 部隊索引簿①】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・118
【図 2-12 『留守名簿』隷属軍師団名】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・119 【図 2-13 部隊索引簿②】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・121 【図 2-14 特設警備部隊配備地図】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・143 【図 3-1 1945 年 2 月末の台湾配備要図】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・151 【図 3-2 第 40 軍隷下第 12 師団、第 50 師団作戦地域】・・・・・・・・・・・・159 【図 3-3 第 71 師団歩兵第 87 連隊配備要図】・・・・・・・・・・・・・・・・・170 【図 3-4 歩兵第 87 連隊】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・172 【図 3-5 『台湾日日新報』1923 年 11 月 27 日】・・・・・・・・・・・・・・・176 【図 3-6 『卒業式ニ関スル書類 自第十四回(昭和十七年三月)至第十八回(昭和二 十年三月)』(台南州立嘉義中学校)】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・178 【図 3-7 『紀元 2600 年 卒業記念写真帖 第 12 回』(嘉義中学校)①】・・・・180 【図 3-8 『紀元 2600 年 卒業記念写真帖 第 12 回』(嘉義中学校)②】・・・・181 【図 3-9 嘉義中学校配置図】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・182 【図 3-10 1933 年縮尺 1/6000 平面図】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・184 【図 3-11 『第 13 回 卒業記念』(嘉義農林)】・・・・・・・・・・・・・・・188 【図 3-12 『第 13 回 卒業記念』(嘉義農林)】・・・・・・・・・・・・・・・188 【図 3-13 嘉義農林実習の様子】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・189 【図 3-14 『留守名簿 特設警備第 511 大隊・台湾第 13871 部隊(学徒)』①】・・190 【図 3-15 『留守名簿 特設警備第 511 大隊・台湾第 13871 部隊(学徒)』②】・・192 【図 3-16 特設警備第 511 大隊嘉農隊】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・209 【図 3-17 『留守名簿 特設警備第 511 大隊・台湾第 13871 部隊(学徒)』③】・・212 【図 3-18 『留守名簿 特設警備第 511 大隊・台湾第 13871 部隊(学徒)』④】・・220 【図 3-19 2015 棒球口述歴史研習営】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・221 【図 3-20 『留守名簿 特設警備第 511 大隊・台湾第 13871 部隊(学徒)』⑤】・・229 【図 3-21 『歩兵第 87 連隊 命第 13825 部隊 留守名簿』】・・・・・・・・・・242 【 図 3-22 南 部 台 湾 防 衛 配 備 図 ① 】・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 247
- 1 - 序 章 第 一 節 研 究 の 目 的 、 問 題 の 所 在 本 研 究 の 目 的 は 、 日 本 統 治 時 代 末 期 1 9 4 5 年 3 月 以 降 に 台 湾 で 実 施 さ れ た 学 生 動 員 、 学 徒 に よ る 特 設 警 備 部 隊 の 編 成 に 関 し て 台 湾 の 中 南 部 の 地 方 都 市 で あ る 嘉 義 地 区 を 例 と し 、 そ の 実 態 を 明 ら か に す る こ と で あ る 。 目 ま ぐ る し い 変 化 を し た 1 9 4 0 年 代 以 降 の 台 湾 防 衛 体 制 と そ こ へ 動 員 さ れ た 人 々 に つ い て 特 設 警 備 部 隊 を 中 心 に 検 討 す る 。 戦 争 末 期 の 日 本 帝 国 陸 軍 は 、 比 島 ( フ ィ リ ピ ン ) の 状 況 及 び 台 湾 本 島 の 戦 略 的 地 位 に よ り 、 ア メ リ カ 軍 の 次 の 上 陸 位 置 は 台 湾 も し く は 沖 縄 で あ る と 予 測 1し 、 台 湾 軍 を 大 本 営 直 轄 の 作 戦 軍 と し 、 さ ら に 第 1 0 方 面 軍 へ の 改 編 を 行 う な ど 急 ピ ッ チ で 防 衛 の 強 化 を 図 っ た 。 結 果 、 第 1 0 方 面 軍 ( 台 湾 ・ 台 北 ) の 下 に 第 4 0 軍 ( 台 湾 ・ 嘉 義 ) と 第 3 2 軍 ( 沖 縄 ・ 首 里 ) の 2 つ の 軍 を 直 属 さ せ 、 更 に 師 団 、 旅 団 な ど の 転 入 、 新 設 を も っ て ア メ リ カ 軍 の 上 陸 に 備 え た 。 戦 局 の 悪 化 に 伴 い 、 人 的 資 源 と し て 台 湾 で は 、 軍 夫 軍 属 2の 動 員 、 志 願 兵 制 度 、 徴 兵 制 度 が 実 施 さ れ た 。 上 記 の よ う な 、 日 本 統 治 下 台 湾 に お け る 戦 争 末 期 の 防 衛 体 制 を 明 確 に す べ く 、 こ れ ま で 軍 事 史 の 観 点 か ら 人 的 動 員 を 中 心 に 研 究 が な さ れ て き た 。 し か し 、 戦 争 末 期 の 特 別 志 願 兵 制 度 や 徴 兵 制 度 と い っ た 軍 事 動 員 に 関 し て は 論 じ ら れ て い る も の の 、そ れ は 1 9 4 5 年 1 月 の 徴 兵 検 査 ま で で あ る 。既 往 研 究 に お い て 、1 9 4 5 年 1 月 の 徴 兵 検 査 が 台 湾 で 行 わ れ た 動 員 の 最 終 段 階 と 認 識 さ れ 、1 9 4 5 年 1 月 ~ 8 月 ま で の 人 的 動 員 、 そ し て 戦 争 末 期 の 台 湾 防 衛 を 支 え た 彼 ら が 編 成 し た 部 隊 に 関 し て は 、 着 目 さ れ る こ と は な か っ た 。1 9 4 5 年 の 台 湾 防 衛 体 制 は 、 徴 兵 制 度 に よ る 徴 集 兵 と 師 団 、 旅 団 な ど の 大 規 模 部 隊 を 以 っ て 構 築 さ れ て い た と 論 じ ら れ て き た 。 実 際 に は 1 9 4 5 年 3 月 以 降 、特 設 警 備 部 隊 と 呼 ば れ る 志 願 兵 や 徴 集 兵 と は 異 な る 形 で 動 員 さ れ た 部 隊 が 存 在 し た 。 こ の よ う に 軍 事 史 と し て の 1 ア メ リ カ 軍 の 上 陸 予 想 に 関 し て は 、 防 衛 兵 力 の 増 強 と 敵 の 比 島 作 戦 ( フ ィ リ ピ ン )の 進 捗 及 び 台 湾 本 島 の 戦 略 的 地 位 に よ り 、予 想 さ れ た 。 「 第 1 0 方 面 軍 関 係 戦 史 資 料 」 ( 防 衛 省 防 衛 研 究 所 ) 2 軍 隊 に 属 す る 軍 人 以 外 の 者 の 総 称 で あ る 。
- 2 - 研 究 対 象 と 史 実 に 食 い 違 い が 存 在 す る の に は 理 由 が あ る 。そ れ は 、 部 隊 の 実 戦 経 験 の 有 無 及 び 、 軍 事 史 料 の 消 失 の 2 点 で あ る 。 こ れ ま で 台 湾 史 研 究 で 対 象 と な っ て き た 動 員 は 、軍 夫 、志 願 兵 、 軍 属 扱 い で あ っ た 高 砂 義 勇 隊 等 で あ る 。 そ こ で は 、 戦 争 の 実 態 よ り も 「 志 願 を し て 中 華 民 国 や そ の 友 好 国 と 戦 っ た 」 と い う 事 実 が 重 要 視 さ れ て お り 、 台 湾 本 島 内 で 陣 地 構 築 を し て い た た め に 、 実 戦 経 験 の な い 兵 士 は 注 目 さ れ な か っ た 。 ま た 、 台 湾 に お け る 戦 争 末 期 の 公 式 史 料 は 終 戦 時 に そ の 多 く が 焼 却 処 分 さ れ て お り 、1 9 9 0 年 代 以 降 、 台 湾 の 軍 事 動 員 研 究 は 、 口 述 史 研 究 や 学 校 史 研 究 が 中 心 に 進 め ら れ 、 動 員 し た 側 の 軍 事 的 な 公 式 史 料 に 基 づ い た 研 究 の 絶 対 量 が 少 な く 、日 本 帝 国 全 体 の 防 衛 体 制 の 一 環 と し て の「 台 湾 」 と い う 視 点 が な か っ た 。 本 論 で は 、「 特 設 警 備 部 隊 」の 編 成 と そ こ に 集 め ら れ た 人 々 に 着 目 し 、 一 地 方 都 市 ( 嘉 義 ) の 学 生 ( 学 徒 特 設 警 備 部 隊 ) の 動 員 事 例 か ら 台 湾 防 衛 体 制 の 全 体 像 に 迫 る こ と を 目 的 と し て い る 。 嘉 義 と い う 街 を 台 湾 の 代 表 例 と し て 、 そ し て 嘉 義 の 学 生 を 特 設 警 備 部 隊 の 調 査 と 分 析 の モ デ ル ケ ー ス と し て 見 る こ と で 、 台 湾 防 衛 体 制 の 全 体 像 を 検 討 す る 。 本 論 文 の 序 章 は 、 本 土 - 沖 縄 - 台 湾 、 台 湾 防 衛 体 制 研 究 の 問 題 点 ― 空 白 の 7 ヶ 月 間 と 史 料 ― 、地 方 都 市「 嘉 義 」の 3 部 で 構 成 さ れ 、 こ こ で 本 研 究 の 目 的 と 問 題 意 識 、 嘉 義 を 選 定 し た 理 由 、 研 究 意 義 を 述 べ る 。 ( 1 ) 本 土 - 沖 縄 - 台 湾 1 9 3 0 年 代 、 日 中 戦 争 開 始 以 後 、 日 本 軍 の 兵 力 は 増 加 の 一 途 を た ど っ て い た 。 師 団 な ど の 部 隊 の 増 加 に 伴 い 、 部 隊 へ の 人 的 資 源 の 投 入 も 増 加 し た 。 現 役 3徴 集 率 は 5 0 % 以 上 に 達 し 、 体 格 の 水 準 に 達 し た 者 は 全 て 徴 集 さ れ た 4。1 9 4 1 年 1 2 月 ハ ワ イ 真 珠 湾 へ の 攻 撃 に よ り 太 平 洋 戦 争 の 幕 が 切 っ て 落 と さ れ た 。 ミ ッ ド ウ ェ ー 海 戦 、 3 現 在 あ る 部 隊 に 配 属 さ れ 、 任 務 に 就 い て い る 軍 人 を 指 す 。 4 藤 原 彰 『 日 本 軍 事 史 上 巻 戦 前 篇 』( 日 本 評 論 社 、 1 9 8 7 年 ) 2 3 8 頁 を 参 照 。
- 3 - ガ ダ ル カ ナ ル 島 の 戦 い 、 ソ ロ モ ン 海 戦 な ど を 経 て 、 日 本 軍 に は 更 な る 兵 力 が 投 入 さ れ た 。 そ の 後 、 本 土 決 戦 準 備 を 1 9 4 5 年 秋 ご ろ ま で に 整 え る こ と が 決 定 さ れ た が 、 す で に 大 陸 や 南 方 に 兵 力 を 送 っ て い た た め 、 日 本 本 土 の 兵 力 、 供 給 能 力 は す で に 限 界 を 迎 え て い た 。 こ の 急 速 な 兵 備 5に は 無 理 が あ っ た の だ 。 兵 力 を 確 保 す る た め に 兵 役 の 基 準 と な る 年 齢 を 繰 り 下 げ 、 1 7 歳 か ら 4 5 歳 ま で の 第 二 国 民 兵 役 6に 対 し 防 衛 召 集 7を 適 用 す る な ど の 措 置 が 採 ら れ 、 現 役 兵 の 徴 集 率 は 9 0 % を 越 え た 8。 本 土 で の 決 戦 に 備 え 、 本 土 決 戦 用 の 師 団 を 編 成 す る た め 、 現 役 兵 だ け で は な く 、 国 民 兵 役 ま で の 大 量 召 集 が 行 わ れ た 。本 土 決 戦 用 師 団 の 人 員 増 強 は 1 9 4 5 年 2 月 、 4 月 、 5 月 と 立 て 続 け に 3 回 実 施 さ れ 9、 南 九 州 で は 国 民 兵 役 の 高 齢 兵 士 な ど も 召 集 さ れ た 。 そ の 他 沖 縄 で は 鉄 血 勤 皇 隊 1 0な ど の 少 年 兵 士 、 学 徒 部 隊 が 編 成 さ れ た 。 更 に 植 民 地 で あ っ た 朝 鮮 、 台 湾 な ど 外 地 で も 兵 役 の 義 務 を 課 し 、 徴 兵 制 度 、 第 二 国 民 兵 役 に よ る 人 的 資 源 の 確 保 を 行 っ た 。 本 土 決 戦 の 重 要 地 域 は 、 南 九 州 1 1で あ り 、 南 九 州 で は 1 9 4 5 年 2 5 戦 争 の 為 に 兵 員 、 兵 器 な ど を 備 え て お く こ と を 兵 備 と い う 。 6 日 本 の 兵 役 制 度 で は 、 満 1 7 歳 以 上 の 男 子 ( 法 律 が 改 正 さ れ 、 2 0 歳 → 1 9 歳 → 1 7 歳 と 引 き 下 げ ら れ た 。)は 徴 兵 検 査 を 受 け る 必 要 が あ っ た 。 徴 兵 検 査 後 、合 格 者 は 現 役 と し て 2 年 間 の 訓 練 を 受 け 、予 備 役 に 移 る 。 予 備 役 と は 、 現 役 を 終 了 し た 者 が 服 す る 兵 役 で あ り 、 必 要 に 応 じ て 召 集 を 受 け 、1 5 年 4 ヶ 月 後 に 第 一 国 民 兵 役 と な る 。 合 格 者 の 中 で 、 入 営 し な か っ た 者 は 、 補 充 兵 役 と さ れ 、 必 要 に 応 じ て 召 集 さ れ た 。 同 様 に 後 に は 第 一 国 民 兵 役 と な る 。 第 二 国 民 兵 役 に は 、 徴 兵 検 査 基 準 な ど で そ れ ら に 属 さ な い 満 1 7 歳 以 上 4 5 歳 以 下 の 男 子 が 服 し て い た 。 7 防 衛 召 集 と は 、 河 合 ( 2 0 0 0 ) に よ れ ば 、「 戦 時 ま た は 事 変 に 防 衛 上 の 必 要 が あ る 場 合 に お い て 在 郷 軍 人 を 召 集 し 、 防 空 ま た は 警 備 の 任 に 就 か せ る こ と 」 で あ る 。 台 湾 に 関 し て は 本 文 で 詳 し く 述 べ る 。 河 合 正 廣「 陸 軍 の 防 衛 召 集 制 度 と そ の 実 態 に つ い て ― 沖 縄 に お け る 防 衛 召 集 ― 」 『 戦 史 研 究 年 報 』 3 号 ( 防 衛 研 究 所 、 2 0 0 0 年 ) よ り 引 用 。 8 藤 原 彰 『 日 本 軍 事 史 下 巻 戦 前 篇 』( 日 本 評 論 社 、 1 9 8 7 年 ) 2 頁 を 引 用 ・ 参 照 。 9 本 土 決 戦 師 団 は 、 第 1 4 0 師 団 か ら 第 1 6 0 師 団 が 2 月 召 集 、 第 2 0 1 師 団 か ら 第 2 2 0 師 団 が 4 月 召 集 、 第 2 2 1 師 団 以 降 が 5 月 召 集 で あ っ た 。 1 0 戦 争 末 期 の 沖 縄 戦 で 防 衛 召 集 に よ り 動 員 さ れ た 学 徒 隊 で あ る 。沖 縄 戦 で は 、 戦 闘 行 為 に 動 員 さ れ 、 約 半 数 が 戦 死 し た 。 鉄 血 勤 皇 隊 の 防 衛 召 集 に 関 し て は 、 そ の 法 的 手 続 き な ど が 戦 後 問 題 視 さ れ た 。 鉄 血 勤 皇 隊 に 関 し て は 、 金 城 和 彦 『「 戦 争 と 平 和 」 市 民 の 記 録 ⑭ 沖 縄 戦 の 学 徒 隊 ― 愛 と 鮮 血 の 記 録 』( 日 本 図 書 セ ン タ ー 、 1 9 9 2 年 )「 第 3 部 ― 摩 文 仁 巌 頭 血 に 染 め て 」 が 詳 し い 。 1 1 戦 史 叢 書 に よ れ ば 、 九 州 の 地 位 は 、 本 土 、 大 陸 、 南 方 諸 地 域 連 結 の
- 4 - 月 1 日 に 編 成 さ れ た 第 1 6 方 面 軍 ( 福 岡 ) の 隷 下 に 後 述 す る 台 湾 台 北 で 編 成 さ れ た 第 4 0 軍 司 令 部 1 2( 1 9 4 5 年 1 月 編 成 、 鹿 児 島 市 に 本 拠 、 南 九 州 西 部 を 担 当 ) と 第 5 7 軍 ( 1 9 4 5 年 4 月 編 成 、 鹿 児 島 県 財 部 町 に 本 拠 、南 九 州 東 部 を 担 当 )が 置 か れ 、そ れ ぞ れ 第 1 4 6 師 団 と 第 3 0 3 師 団 ( 第 4 0 軍 )、 第 8 6 師 団 、 第 1 5 4 師 団 と 第 1 5 6 師 団 ( 第 5 7 軍 ) を 主 力 と し て い た 。 九 州 で 決 戦 と な っ た 場 合 、 南 九 州 全 域 を 担 任 し て い る 第 5 7 軍 の 他 、 薩 摩 半 島 方 面 を 担 任 す る 一 軍 司 令 部 が 必 要 で あ っ た が 、 人 的 な 関 係 上 、 軍 司 令 部 を 新 た に 編 成 す る こ と は 極 め て 困 難 で あ り 、 台 湾 か ら 第 4 0 軍 司 令 部 を 転 用 し そ れ に 充 て た 1 3。 こ の 人 員 補 充 は 、 国 民 兵 役 や 高 齢 兵 士 が 対 象 で あ っ た が 、 と も か く も 正 規 兵 及 び そ れ を 指 揮 す る た め の 多 数 の 将 校 を 1 9 4 5 年 以 降 も 補 充 し 、 本 土 決 戦 の た め の 体 制 を 整 え て い た 。 そ し て 日 本 軍 が 本 土 防 衛 体 制 を 整 え る 中 、 ア メ リ カ 軍 は 攻 勢 を 強 め 、硫 黄 島 そ し て 沖 縄 に 上 陸 し た 。本 文 中 で も 触 れ る が 、当 初 、 ア メ リ カ 軍 は 台 湾 に 上 陸 す る と 予 想 さ れ た た め 、 台 湾 軍 の 第 1 0 方 面 軍 へ の 改 編 や 第 4 0 軍 の 編 成 、 そ し て 沖 縄 の 主 力 師 団 で あ っ た 第 9 師 団 1 4を 台 湾 へ と 転 出 さ せ 、 日 本 は そ れ に 備 え て い た が 、 結 果 的 に 防 衛 体 制 が 脆 弱 で あ っ た 沖 縄 に 上 陸 さ れ た 1 5。沖 縄 戦 は 、 ア メ リ カ 軍 に と っ て 硫 黄 島 に 続 き 、 本 土 上 陸 作 戦 に 繋 げ る た め の 戦 い で あ り 、 日 本 側 に と っ て は 本 土 決 戦 準 備 ま で の 時 間 を 稼 ぐ 機 要 を 占 め 、太 平 洋 、東 シ ナ 海 、日 本 海 及 び 瀬 戸 内 海 の 諸 地 域 に 囲 ま れ 、 そ の 鎖 と な っ て い る 。 1 9 4 5 年 後 半 に 予 想 さ れ た 本 土 決 戦 に お い て は 、 ア メ リ カ 軍 の 日 本 本 土 進 攻 の 第 一 目 標 で あ っ た 。 防 衛 庁 防 衛 研 修 所 戦 史 室 『 戦 史 叢 書 本 土 決 戦 準 備 〈 2 〉 - 九 州 の 防 衛 ― 』( 朝 雲 新 聞 社 、 1 9 7 2 年 ) 1 4 頁 参 照 。 1 2 本 論 第 三 章 で も 後 述 す る が 、 第 4 0 軍 に 関 し て は 、 南 九 州 で 終 戦 を 迎 え た た め 、 既 往 の 台 湾 史 研 究 で 注 目 さ れ な か っ た 。 更 に 史 料 な ど の 多 く が 、 本 土 転 用 後 の 記 録 で あ る 。 1 3 前 掲 『 戦 史 叢 書 本 土 決 戦 準 備〈 2 〉- 九 州 の 防 衛 ― 』3 5 8 頁 参 照 。 1 4 第 一 章 第 一 節 で 詳 細 は 述 べ る が 、 第 9 師 団 と は 、 1 9 4 4 年 、 沖 縄 に 於 い て 先 鋭 部 隊 と し て 防 衛 を 担 っ て い た 部 隊 で あ る 。 台 湾 か ら フ ィ リ ピ ン に 送 ら れ た 兵 力 の 穴 埋 め と し て 同 年 台 湾 へ と 転 出 が 決 定 し た 。 1 5 古 野 ( 1 9 9 1 ) に よ れ ば 、「 1 0 月 下 旬 に 在 沖 縄 の 精 鋭 部 隊 と 評 判 の 高 か っ た 第 9 師 団 ( 武 部 隊 ) を 第 3 2 軍 か ら 引 き 抜 い て 台 湾 の 新 竹 に 移 駐 さ せ た 」 こ と か ら 台 湾 来 攻 を 本 命 視 し た も の だ と 推 測 さ れ る 。 古 野 直 也 『 台 湾 軍 司 令 部 1 8 9 5 ~ 1 9 4 5 』( 国 書 刊 行 会 、 1 9 9 1 年 ) 2 8 2 頁 を 参 照 。
- 5 - 会 且 つ 勝 利 を 以 っ て ア メ リ カ 軍 と の 交 渉 を 有 利 に 進 め る た め の も の で あ っ た 1 6。沖 縄 は 1 9 4 4 年 3 月 1 5 日 に 編 成 さ れ た 第 3 2 軍( 第 2 4 師 団 、 第 2 8 師 団 、 第 6 2 師 団 が 中 心 、 後 に 第 1 0 方 面 軍 の 隷 下 と な る 。 1 7) に よ っ て 防 衛 さ れ て い た が 、 精 鋭 部 隊 で あ っ た 第 9 師 団 が 台 湾 に 引 き 抜 か れ た 後 、 部 隊 の 補 充 は な か っ た 。1 9 4 5 年 3 月 2 3 日 に 沖 縄 上 陸 作 戦 が 始 ま っ た が 、 先 に 挙 げ た 少 年 兵 士 、 学 徒 隊 で あ る 鉄 血 勤 皇 隊 で 防 衛 体 制 を 補 っ た 。 1 9 4 5 年 3 月 2 5 日 に は 沖 縄 連 隊 区 司 令 部 を 通 じ 男 子 中 等 学 校 学 生 に 対 し て 鉄 血 勤 皇 隊 と 通 信 隊 へ の 学 徒 動 員 令 が 下 さ れ た 1 8。 こ の よ う に 日 本 本 土 と 沖 縄 で は 、 本 土 決 戦 に 備 え 決 戦 師 団 を 編 成 し 、 本 土 で は 正 規 兵 と 国 民 兵 役 や 高 齢 兵 士 を 、 沖 縄 で は 少 年 兵 士 な ど を 地 域 ご と 1 9に 召 集 し 防 衛 体 制 を 整 え て い っ た 。 日 本 本 土 は 、1 9 4 5 年 以 降 も 本 土 決 戦 用 の 急 造 師 団 で あ れ 師 団 な ど 正 規 軍 に よ る 防 衛 を 原 則 と し て い た 。 そ れ に 対 し 台 湾 や 沖 縄 で は 他 地 区 か ら 転 用 さ れ て き た 師 団 や 臨 時 部 隊 、 学 生 と そ の 他 大 勢 に よ る 防 衛 で あ っ た 。 沖 縄 で は 、 先 述 の よ う に 鉄 血 勤 皇 隊 な ど 学 生 動 員 が 行 わ れ た 。 第 一 章 以 降 で 論 じ る よ う に 台 湾 は 第 1 0 方 面 軍 に よ る 防 衛 が 主 で あ っ た が 、 部 隊 転 入 が 一 段 落 し た 1 9 4 5 年 に 入 る と 、 特 設 警 備 部 隊 に 召 集 す る 人 々 を 集 め た 。 そ こ に は 多 く の 学 生 な ど が 含 ま れ て い た 。 こ こ で 沖 縄 と 台 湾 の 学 生 動 員 に 関 し て 一 つ 指 摘 し て お く べ き 点 が あ る 。 徴 兵 の 基 準 年 齢 の 引 き 下 げ 等 が 実 施 さ れ 、 多 く の 学 生 が 直 接 戦 争 の 影 響 を 受 け て い た 沖 縄 で あ る が 、1 8 歳 以 下 の 中 等 学 校 1 6 一 之 瀬 俊 也 『 日 本 軍 と 日 本 兵 米 軍 報 告 書 は 語 る 』( 講 談 社 、 2 0 1 4 年 ) 2 1 9 頁 参 照 。 1 7 周 辺 地 域 と し て 沖 縄 の 防 衛 配 置 に 関 し て 言 及 す る 。終 戦 時 の 沖 縄 の 防 衛 体 制 は 第 3 2 軍 が 担 っ て お り 、第 3 2 軍 は 、第 2 4 師 団 、第 2 8 師 団 、 第 6 2 師 団 、 独 立 混 成 第 4 4 旅 団 、 独 立 混 成 第 4 5 旅 団 、 独 立 混 成 第 5 9 旅 団 、 独 立 混 成 第 6 0 旅 団 で 組 織 さ れ て い た 。 1 8 『 ひ め ゆ り 平 和 祈 念 資 料 館 資 料 集 4 「 沖 縄 戦 の 全 学 徒 隊 」』( 公 益 財 団 法 人 沖 縄 県 女 師 ・ 一 高 女 ひ め ゆ り 平 和 祈 念 財 団 立 ひ め ゆ り 平 和 祈 念 資 料 館 、 2 0 0 8 年 ) 2 5 頁 参 照 。 1 9 防 衛 召 集 概 況 一 覧 表 を 調 査 す る と 沖 縄 で 防 衛 召 集 は 地 域 ご と に 行 わ れ て い る 。 「 J A C A R ( ア ジ ア 歴 史 資 料 セ ン タ ー ) R e f . C 1 1 1 1 0 0 1 9 8 0 0 、 沖 縄 戦 当 時 に 於 け る 部 隊 所 在 表 防 衛 召 集 概 況 一 覧 表 ( 防 衛 省 防 衛 研 究 所 ) 」
- 6 - 学 生 が 戦 場 に 動 員 さ れ る と い う こ と は 未 曽 有 の 出 来 事 で あ っ た 2 0。 し か し 、 台 湾 は 結 果 的 に 戦 場 と な っ て い な い に も 関 わ ら ず 、 沖 縄 よ り も 先 に 中 等 学 校 学 生 へ の 軍 事 動 員 が 実 施 さ れ て い る 。 本 論 で は 、 史 実 を も と に そ の 対 象 者 を 分 析 す る こ と で 、 台 湾 に お け る 戦 争 末 期 の 学 生 動 員 と そ の 編 成 部 隊 の 実 態 を 明 ら か に し よ う と し て い る 。 日 本 の 軍 事 史 研 究 の 対 象 は 沖 縄 、 満 洲 、 南 洋 、 空 襲 な ど に 集 中 し て お り 、 実 戦 経 験 の な い 兵 士 や 戦 闘 が 行 わ れ な か っ た 場 所 で の 防 衛 体 制 強 化 、 陣 地 構 築 の た め の 人 的 動 員 ・ 召 集 な ど に 関 し て の 調 査 が 欠 け て い る 。 そ れ は 台 湾 に お い て も 同 様 で あ る 。 本 論 で は 、 本 土 防 衛 、 沖 縄 防 衛 に 関 し て は 、 こ の 序 論 で 触 れ る の み で あ る が 、 筆 者 は 本 研 究 、 戦 争 末 期 の 防 衛 体 制 を 「 本 土 - 沖 縄 - 台 湾 」 と い う 三 ヶ 所 そ れ ぞ れ の 目 線 で 議 論 し た い 。 つ ま り 台 湾 防 衛 体 制 は 台 湾 の み で 計 画 、実 施 さ れ た 事 例 で は な く 、本 土( 南 九 州 ) - 沖 縄 - 台 湾 の 一 環 で 計 画 、 実 施 さ れ た も の で あ る と 考 え ら れ る 。 本 論 で は 、 そ の 前 提 と し て 第 4 0 軍 の 台 湾 駐 屯 に も 触 れ る 。 本 研 究 は 、 戦 争 末 期 の 防 衛 体 制 が 台 湾 の み な ら ず 、 将 来 的 に は 沖 縄 や 日 本 本 土 の 本 土 決 戦 に お け る 動 員 体 制 と 比 較 し 、 日 本 帝 国 全 体 の 防 衛 体 制 、 動 員 体 制 研 究 に 繋 が る 重 要 な 議 論 の 一 助 と な る 可 能 性 を 有 し て い る と い う こ と を 述 べ て お き た い 。 ( 2 ) 台 湾 防 衛 体 制 研 究 の 問 題 点 ― 空 白 の 7 ヶ 月 間 と 史 料 ― 前 項 で 述 べ た よ う に 、 戦 争 末 期 の 台 湾 本 島 内 で は 、1 9 4 3 年 よ り 各 地 で 特 設 警 備 部 隊 と 臨 時 的 な 部 隊 が 編 成 さ れ た 。1 9 4 4 年 以 降 は 、 防 衛 体 制 を 整 え る た め 急 速 に 部 隊 の 転 入・転 出 、新 設 が 行 わ れ た 。 次 々 と 満 洲 、 沖 縄 か ら 師 団 ・ 旅 団 2 1が 台 湾 へ 転 入 し 、 現 地 に お い て も 師 団 ・ 旅 団 レ ベ ル の も の が 新 設 さ れ て い っ た 。 更 に 1 9 4 5 年 に 入 る と 、 特 設 警 備 部 隊 が 台 湾 島 内 で 多 数 編 成 さ れ た 。 2 0 前 掲 ひ め ゆ り ( 2 0 0 8 ) 2 5 頁 参 照 。 2 1 師 団 : 2 個 旅 団 レ ベ ル 以 上 、1 0 , 0 0 0 - 2 0 , 0 0 0 人 、旅 団 : 2 , 0 0 0 - 5 , 0 0 0 人 が 凡 そ の 人 員 数 で あ る 。
- 7 - こ の よ う な 部 隊 の 人 的 資 源 は 、 在 台 日 本 人 だ け に 留 ま ら ず 台 湾 人 に も 求 め ら れ た 。 台 湾 人 に 対 す る 人 的 動 員 は 1 9 3 0 年 代 後 半 、 日 中 戦 争 開 始 に 呼 応 す る 形 で 、 雑 役 を こ な す 軍 夫 や 通 訳 、 軍 属 と し て 動 員 す る こ と か ら 始 ま っ た 。1 9 4 0 年 代 に 入 る と 、 日 本 は 兵 力 と し て 実 質 的 に 台 湾 人 の 動 員 を 始 め る 。 そ れ が 1 9 4 2 年 の 志 願 兵 制 度 だ 。 志 願 兵 制 度 は 、 国 民 に 軍 務 を 服 す る 義 務 を 課 す 徴 兵 制 度 と は 異 な る 、 形 式 上 は 当 人 の 自 由 意 志 に 任 せ る 制 度 で あ り 、 台 湾 に お け る 志 願 兵 は 、 台 湾 で 初 め て 「 兵 士 」 と し て 採 用 さ れ た 人 々 で あ る 。 志 願 兵 制 度 実 施 後 、 戦 争 の 激 化 に 伴 い 、1 9 4 4 年 9 月 に は 徴 兵 制 度 の 施 行 が 決 ま り 、 翌 1 9 4 5 年 1 月 に は 最 初 の 徴 兵 検 査 が 実 施 さ れ た 。 徴 兵 制 度 で は 、 徴 兵 基 準 年 齢 に 達 し 、 検 査 に 合 格 し た 多 く の 学 生 を 含 め た 台 湾 人 が 召 集 さ れ た 。 こ れ ま で 、 既 往 の 研 究 に お い て 、 台 湾 に お け る 戦 争 末 期 の 人 的 動 員 は 、 先 述 し た 1 9 4 5 年 1 月 の 「 徴 兵 制 度 」 実 施 が そ の 最 終 段 階 で あ る と 認 識 さ れ て い た 。そ の た め 、そ れ 以 降 に 動 員 さ れ た 人 々 や 編 成 さ れ た 部 隊 に 関 し て は 注 目 さ れ る こ と が な か っ た 。 実 際 に は 徴 兵 制 度 が 実 施 さ れ て 以 後 、 更 に 徴 兵 年 齢 に 満 た な い 学 生 や 、 す で に 徴 兵 年 齢 を 超 え た 人 々 ら が 動 員 さ れ た 実 態 が あ る 。 そ れ ら の 人 々 は 、 台 湾 本 島 内 で 多 数 の 特 設 警 備 部 隊 を 編 成 し た 。 学 生 の そ れ は 沖 縄 同 様 、1 8 歳 以 下 の 学 生 を 戦 場 へ と 動 員 し よ う と し た も の で あ り 、 特 設 警 備 部 隊 へ の 学 生 の 動 員 は 総 力 戦 下 、 台 湾 以 外 の 他 地 域 で は 見 ら れ な い 、 台 湾 防 衛 体 制 の 大 き な 特 徴 で あ る 。 当 時 の 第 1 0 方 面 軍 の 主 力 と な っ た の は 師 団 、 旅 団 の よ う な 大 規 模 部 隊 で あ っ た が 、 本 島 隅 々 ま で の 防 衛 体 制 は 、 特 設 警 備 部 隊 を 含 め て 構 成 さ れ て い た と 考 え ら れ る 。 そ の 理 由 は 、 本 文 中 で 述 べ る が 、 特 設 警 備 部 隊 は 、 戦 争 末 期 の 台 湾 防 衛 体 制 の 構 成 の 一 部 で あ っ た も の の こ れ ま で 注 目 さ れ る こ と が な っ た 。 本 論 文 に お け る 調 査 か ら 特 設 警 備 部 隊 は 、学 生 以 外 で も「 地 域 」 や 「 民 族 」 な ど ま と ま っ た 単 位 で 召 集 さ れ て い た 例 も あ る こ と が 判 明 し て い る 。本 論 で は ま ず 、そ の 中 で も 多 数 派 を 占 め た「 学 生 」 の 部 隊 に 焦 点 を あ て 、 議 論 す る 。 し か し 、 本 論 で 議 論 す る 学 生 に よ る 特 設 警 備 部 隊 は 、「 学 校 」 の
- 8 - 「 学 年 」、「 ク ラ ス 」 単 位 で 編 成 さ れ た た め 、 学 校 と 変 わ ら な い 軍 隊 生 活 と な っ て し ま っ た 。詳 細 は 第 一 章 で 述 べ る が 、「 学 校 軍 隊 化 」 と し て の 聞 き 取 り 調 査 や 同 窓 会 会 報 調 査 と い う 形 で の み 研 究 が 進 め ら れ て お り 、 全 体 像 が 不 明 な ま ま で あ っ た 。 特 設 警 備 部 隊 に 動 員 さ れ た 学 生 に 関 し て は 、「 学 徒 兵 2 2」 と い う 一 つ の 括 り の 中 で 他 の 志 願 に よ る 学 徒 出 陣 や 徴 兵 と い っ た 学 生 動 員 の 方 法 と 同 列 に 語 ら れ 、 そ の 研 究 は 、 動 員 研 究 と し て は 軍 夫 、 志 願 兵 、 高 砂 義 勇 隊 の ケ ー ス の よ う に は 進 ま な か っ た 。 ま た 台 湾 史 、 軍 事 史 で は 彼 ら は 学 生 で あ り 、 兵 士 と し て 扱 わ ず 、 学 校 史 と し て は 軍 隊 へ 動 員 さ れ 教 育 現 場 を 離 れ て お り 研 究 対 象 と は な ら な い と 見 な さ れ 、 彼 ら の 存 在 は 曖 昧 な 「 学 徒 兵 」「 学 校 軍 隊 化 」 の 中 の み で 語 ら れ 、「 第 二 国 民 兵 役 二 等 兵 」で あ っ た 実 態 は 研 究 上 の 空 白 と な っ て し ま っ て い た 。 台 湾 に お い て 口 述 史 研 究 や 学 校 史 研 究 な ど の 功 績 は 大 き く 、 史 料 が 欠 如 し た 中 で と て も 重 要 か つ 貴 重 な 資 料 で あ る こ と は 間 違 い な い 。 本 研 究 に お い て 筆 者 も 聞 き 取 り 調 査 や 学 校 調 査 な ど を 実 施 し た 。 し か し そ の 一 方 、 個 人 の 記 録 、 1 つ の 学 校 の 記 録 が 、 当 時 の 台 湾 で 一 般 的 な 状 況 で あ っ た と は 限 ら な い 。 既 往 研 究 は 、 動 員 し た 側 の 公 式 な 史 料 に 基 づ い た 研 究 の 絶 対 量 が 少 な い 。 本 研 究 に お い て は 、 こ れ ら の 貴 重 な 功 績 に 加 え て 新 た に 公 開 さ れ た 公 式 な 史 料 『 留 守 名 簿 』 を 丹 念 に 検 討 す る 。 『 留 守 名 簿 』 と は 、 外 征 部 隊 所 属 者 の 現 状 と 留 守 関 係 を 明 ら か に し た 日 本 政 府 特 定 歴 史 公 文 書 で あ り 、2 0 1 3 年 に 公 開 さ れ た 。 そ れ は 、 兵 士 の 個 人 情 報 と そ の 留 守 宅 の 一 覧 で あ り 、 留 守 宅 は 、 戦 死 し た 際 の 連 絡 先 で も あ っ た 。 戦 後 長 ら く 非 公 開 資 料 と し て 保 管 さ れ て い た が 、 戦 後 7 0 年 を 目 前 に 国 立 公 文 書 館 に 移 管 さ れ 公 開 を 申 請 す る こ と が 可 能 と な っ た 。 台 湾 関 係 の 『 留 守 名 簿 』 は 、 こ れ ま で 目 に 触 れ る こ と は な く 、 台 湾 史 研 究 に お い て 調 査 、 分 析 の 実 績 は な い 。 名 簿 の 公 開 に よ り 動 員 し た 側 の 公 式 史 料 が 不 足 し て 2 2 学 徒 兵 と は 法 律 用 語 で は な く 、 台 湾 で は 一 般 に 、 学 生 、 生 徒 の 身 分 か ら 急 遽 、 軍 事 動 員 さ れ た 人 々 と い う 認 識 で あ る 。 そ の 明 確 な 定 義 は な い 。
- 9 - い た 台 湾 軍 事 動 員 研 究 に お い て 大 き な 発 展 が 見 込 め る 。 本 研 究 に お い て は 、 第 二 章 で 『 留 守 名 簿 』 に つ い て 詳 し く 述 べ る が 、 『 留 守 名 簿 』 を 検 討 し た こ と に よ り 特 設 警 備 部 隊 が 学 生 ら を 中 心 に 編 成 し て い た こ と を は じ め 、 各 部 隊 の 配 置 、 学 校 関 係 者 の 動 き も 一 部 把 握 す る こ と が で き た 。 『 留 守 名 簿 』 は 、 名 簿 ご と に 記 載 さ れ て い る 人 数 、 記 載 方 法 等 は 異 な る 。 し か し 、 部 隊 別 の 人 員 数 、 本 籍 、 在 留 地 、 徴 集 年 、 役 種 、 年 齢 な ど か ら 動 員 形 態 が 判 明 し 、 そ こ か ら 部 隊 の あ る 程 度 の 全 体 像 を つ か む こ と は 可 能 だ 。 『 留 守 名 簿 』 を 電 子 化 し て 整 理 す る こ と で 、 既 存 の 回 想 録 な ど と 照 ら し 合 わ せ 、 実 態 の 解 明 に 一 歩 近 づ く 。 ま た 、1 9 4 5 年 3 月 以 降 に 台 湾 で 実 施 さ れ た 学 生 動 員 の 実 態 解 明 の 手 掛 か り と な り 、 既 往 の 学 校 史 研 究 に も フ ィ ー ド バ ッ ク が 可 能 で あ る 。 「 学 徒 兵 」 、 「 学 校 軍 隊 化 」 と し て 議 論 さ れ て き た 学 徒 特 設 警 備 部 隊 の 特 殊 性 、 実 態 を 明 ら か に す る こ と で 、台 湾 防 衛 体 制 を 担 っ た 存 在 に 迫 る こ と が で き 、 戦 争 末 期 の 台 湾 防 衛 体 制 の 細 部 を 明 ら か に で き る だ ろ う 。 ( 3 ) 地 方 都 市 「 嘉 義 」 本 研 究 で は 、 日 本 統 治 末 期 、 台 湾 の 防 衛 体 制 解 明 の 代 表 例 、 調 査 と 分 析 の モ デ ル ケ ー ス と し て 「 嘉 義 」 を と り あ げ る 。 嘉 義 を モ デ ル ケ ー ス と し て 選 定 し た 理 由 は 、 学 生 動 員 の 研 究 の 中 で 嘉 義 が 盲 点 と な っ て い た こ と 、 嘉 義 が 戦 争 末 期 の 台 湾 防 衛 体 制 、 軍 事 上 重 要 な 地 域 で あ っ た 可 能 性 が 高 い こ と の 2 点 か ら で あ る 。 嘉 義 市 は 、 台 湾 中 南 部 に 位 置 す る 市 で あ り 、 嘉 義 県 2 3に 囲 ま れ て い る 。 日 本 統 治 時 代 の 嘉 義 市 は 、 嘉 南 大 平 野 の 中 央 に 位 置 し 、 南 部 台 湾 の 中 で 、 高 雄 、 台 南 に 次 ぐ 都 市 で あ っ た 。 経 済 上 、 重 要 な 都 市 で も あ り 、 農 産 物 は 主 と し て 嘉 義 を 中 心 に 集 散 さ れ 、 阿 里 山 の 林 業 な ど も 盛 ん で あ っ た 2 4。 ま た 、 嘉 義 は 名 勝 の 多 い 場 所 で も あ っ た 。『 台 南 新 報 2 5』( 1 9 2 4 年 1 0 月 3 1 日 ) で は 、「 嘉 義 地 方 2 3 嘉 義 県 は 、雲 林 県 、南 投 県 、嘉 義 市 、台 南 市 、高 雄 市 と 接 し て い る 。 嘉 義 で は あ る が 、 嘉 義 市 と は 別 の 行 政 区 域 で あ る 。 2 4 兼 嶋 兼 福 編 『 新 興 の 嘉 義 市 』( 台 湾 出 版 協 会 、 1 9 3 2 年 ) 1 頁 参 照 。 2 5 台 南 新 報 は 、 台 南 で 刊 行 さ れ て い た 新 聞 で あ る 。 1 9 3 7 年 に は 、『 台 湾 日 報 』 と 改 題 さ れ た 。
- 10 - の 名 勝 」 と し て 、 新 高 山 、 阿 里 山 、 嘉 南 大 圳 、 呉 鳳 廟 、 関 子 嶺 温 泉 、 嘉 義 公 園 、 北 港 朝 天 宮 な ど が 紹 介 さ れ た 2 6。 こ れ ら は 、 現 在 も 台 湾 を 象 徴 す る 場 所 の 一 つ で あ る 。 嘉 義 で は 、 日 本 統 治 時 代 の 約 5 0 年 間 に 、 地 方 制 度 の 改 正 の 影 響 、 市 政 開 始 か ら の 発 展 、 嘉 義 農 林 学 校 の 甲 子 園 準 優 勝 、 そ し て 統 治 時 代 最 後 、 戦 争 末 期 に は 軍 事 、 台 湾 防 衛 と し て 軍 や 師 団 司 令 部 が 置 か れ る な ど 激 動 の 半 世 紀 を 経 た 。 近 年 の 嘉 義 の 動 向 と し て 2 0 1 4 年 に 日 本 統 治 時 代 の 嘉 義 を 舞 台 に し た 映 画 『 K A N O2 7』 が 台 湾 で 公 開 さ れ た 。 台 湾 で は 、 戦 前 の 野 球 や 嘉 義 の 歴 史 に つ い て こ の 映 画 を 通 し て 近 年 、 周 知 さ れ る よ う に な っ て き た 。 し か し な が ら 学 生 動 員 に つ い て は 、 先 行 研 究 で も 明 ら か に さ れ て お ら ず 、 嘉 義 は 盲 点 と な っ て い た 。 動 員 、 特 に 学 生 動 員 が 学 校 史 研 究 や 口 述 を 中 心 に 扱 わ れ て き た 中 で 、 嘉 義 で は 国 立 嘉 義 大 学 2 8が 1 9 9 0 年 以 降 、卒 業 者 を 対 象 と し た 口 述 歴 史 研 究 を 盛 ん に 行 っ て い る 。 し か し 、 こ れ ら は 、 教 育 や ス ポ ー ツ に 絡 め ら れ る こ と は 多 い が 、 学 生 の 戦 争 動 員 に つ い て は 研 究 が ほ と ん ど 進 ん で い な い 。 後 述 の 先 行 研 究 と し て 挙 げ る 高 橋 英 男 『 台 湾 に お け る 「 学 徒 兵 」 召 集 の 実 態 と そ の 法 的 背 景 』 で も 、 嘉 義 に 関 し て は 触 れ ら れ て い な い 。 こ れ ま で の 台 湾 の 当 該 研 究 で は 、 先 に も 述 べ た よ う に 、 研 究 の 対 象 が 軍 夫 、 志 願 兵 、 高 砂 義 勇 隊 等 で あ る こ と が 多 か っ た 。 ま た 研 究 が 大 都 市 ( 台 北 、 台 南 、 高 雄 等 ) に 集 中 し て お り 、 台 北 、 台 南 、 高 雄 等 に 比 べ 都 市 と し て 小 規 模 な 嘉 義 の よ う な 地 方 拠 点 都 市 は 重 視 さ れ る こ と が な か っ た 。 地 方 学 生 の 動 員 は 歴 史 研 究 で 触 れ 2 6 『 台 南 新 報 』 1 9 2 4 年 1 0 月 3 1 日 第 8 1 5 4 号 。 2 7 「 知 っ て い ま し た か 。 か つ て 甲 子 園 に 台 湾 代 表 が 出 場 し て い た こ と を 。」こ れ は 1 9 3 0 年 代 の 甲 子 園 台 湾 代 表 を テ ー マ に し た 映 画『 K A N O 』 の 広 告 フ レ ー ズ で あ る 。『 K A N O 』 は 、 台 湾 で 大 ヒ ッ ト し た 「 海 角 七 号 君 想 う 、 国 境 の 南 」、 そ し て 抗 日 事 件 を 描 い た 「 セ デ ッ ク ・ バ レ 」 等 の 代 表 作 で 知 ら れ る 監 督 、 魏 徳 聖 氏 が プ ロ デ ュ ー サ ー と な り 、 日 本 統 治 時 代 の 台 湾 か ら 全 国 中 等 学 校 野 球 大 会 に 出 場 し 、 準 優 勝 し た 嘉 義 農 林 学 校 の 活 躍 を 描 い た 映 画 で あ る 。 2 0 1 4 年 台 湾 で 公 開 さ れ 、 2 0 1 5 年 に は 日 本 で も 公 開 さ れ た 。 2 8 日 本 統 治 時 代 の 実 業 学 校 、 嘉 義 農 林 学 校 の 後 身 で あ る 。 本 論 第 三 章 で 詳 し く 述 べ る 。
- 11 - ら れ て こ な か っ た 。「 地 方 」 の 「 学 生 」 は 、 台 湾 の 人 的 動 員 研 究 の 中 で 盲 点 と な っ て き た の だ 。 筆 者 が 、 嘉 義 を 最 初 の 事 例 と し て 選 定 し た 理 由 は 、 上 述 の よ う に 先 行 研 究 、 台 湾 史 研 究 の な か で 盲 点 と な っ て い た 地 域 で あ る こ と に 加 え 、 以 下 の 理 由 が 挙 げ ら れ る 。 「 嘉 義 」 は 戦 争 末 期 の 「 本 土 」 - 「 沖 縄 」 - 「 台 湾 」 と い う 防 衛 体 制 ラ イ ン の 上 で 、 重 要 な 地 域 の 一 つ で あ っ た 可 能 性 が 高 い 。 後 に 本 土 決 戦 の 重 要 地 域 で あ る 南 九 州 へ と 司 令 部 が 転 出 す る 第 4 0 軍 は 、 戦 争 末 期 の 台 湾 で 嘉 義 に 司 令 部 を お い た 。 第 4 0 軍 は 、 第 1 0 方 面 軍 の 直 属 下 、 方 面 軍 に 次 ぐ 「 軍 」 単 位 で 編 成 さ れ た も の の 1 9 4 5 年 5 月 に 南 九 州 へ と 転 用 さ れ た た め 、 台 湾 史 研 究 で は 注 目 さ れ ず 、 そ の 編 成 意 図 や 司 令 部 が 嘉 義 に 位 置 し た 理 由 な ど 、 検 証 さ れ る こ と が な か っ た 。 し か し 、「 軍 」 と い う 単 位 の 司 令 部 が 嘉 義 に 置 か れ た こ と 、 本 土 決 戦 準 備 の た め に 転 用 さ れ た こ と な ど か ら 嘉 義 が 台 湾 の 防 衛 体 制 上 、 重 要 な 意 味 を も っ た 地 域 で あ っ た の で は な い か と 推 測 さ れ る 。 加 え て 本 研 究 が 最 も 重 要 視 す る 新 史 料 『 留 守 名 簿 』 の う ち 、 嘉 義 の も の は 、 保 存 状 態 が 良 く 、 最 も 早 く 公 開 さ れ た 。 以 上 か ら 、 本 研 究 で は 戦 争 末 期 の 防 衛 上 、 軍 事 上 の 地 位 が 高 い 可 能 性 が あ り な が ら 、 都 市 と し て は 小 さ く 、 こ れ ま で 重 視 さ れ る こ と が 少 な か っ た 嘉 義 の 、 終 戦 間 際 に 動 員 さ れ 兵 籍 も な く 実 態 も 不 明 で あ っ た 学 生 部 隊 に 関 し て 調 査 を す る こ と で 、 台 湾 人 的 動 員 研 究 と 台 湾 防 衛 体 制 の 空 白 部 分 に 対 し 考 察 を 加 え る こ と を 試 み る 。 嘉 義 の 防 衛 体 制 は 、嘉 義 と い う 一 地 方 都 市 の 内 容 だ け で は な く 、 台 湾 の 地 方 都 市 全 体 、 そ し て 台 湾 全 体 の 防 衛 体 制 「 全 体 像 」 に 迫 る 要 素 を は ら む 2 9。 以 上 、 本 研 究 で は 「 日 本 統 治 末 期 、 台 湾 の 防 衛 体 制 と 『 留 守 名 簿 』 ― 第 4 0 軍 と 嘉 義 を 中 心 と し て ― 」 と 題 し 、 戦 争 末 期 の 「 本 土 2 9 中 規 模 都 市 は 他 に 新 竹 、 台 中 な ど の 都 市 が あ る が 、 本 論 で は 『 留 守 名 簿 』 調 査 を 中 心 に 議 論 す る た め 、 本 文 中 で も 示 し た よ う に そ の 保 存 状 態 が よ く 最 も 早 く 公 開 さ れ た 「 嘉 義 」 を モ デ ル ケ ー ス と し て 議 論 を 進 め る 。そ の 他 の 地 域 に 関 し て は 、今 後 の 課 題 と し て 取 り 組 む 予 定 だ 。
- 12 - ― 沖 縄 - 台 湾 」 の 防 衛 体 制 構 築 の 中 で 、 台 湾 を 取 り 上 げ 、 台 湾 防 衛 体 制 に 関 し て そ の 時 期 的 な 空 白 と 研 究 対 象 の 空 白 を 埋 め る べ く 、 防 衛 細 部 を 担 っ て い た と 考 え ら れ る 特 設 警 備 部 隊 に つ い て「 地 方 」 ( 嘉 義 ) と 「 学 生 」 と い う 視 点 か ら 論 じ る 。 本 研 究 は 、 嘉 義 を 調 査 、 分 析 の モ デ ル ケ ー ス と し て 、 特 設 警 備 部 隊 へ の 動 員 、「 学 生 」 に よ る 特 設 警 備 部 隊 の 編 成 を 明 ら か に し 、 「 空 白 の 7 ヶ 月 間 」、「地 方 」と い う 台 湾 の 動 員 研 究 の 穴 を 埋 め る 、 動 員 言 論 全 体 の 議 論 の 一 角 を 担 う 。 そ の 中 で 、 第 4 0 軍 の 台 湾 駐 屯 か ら 転 用 の 検 討 な ど か ら 嘉 義 、 台 湾 全 土 の 防 衛 上 の 地 位 も 明 ら か に す る 。 更 に 本 研 究 に お い て 、 新 史 料 で あ る 『 留 守 名 簿 』 の 調 査 と 分 析 を 行 う こ と で 、 既 往 の 研 究 に 新 た な 視 座 を 加 え る こ と が で き る だ ろ う 。 個 人 の 記 録 ・ 記 憶 で は な い 動 員 し た 側 で あ る 日 本 政 府 の 公 式 記 録 を 以 っ て 、 1 つ の 学 校 の 記 録 で は な く 、 地 区 全 体 の 学 校 の 記 録 を 分 析 す る こ と 、 日 本 帝 国 全 体 の 防 衛 体 制 の 一 環 と し て の「 台 湾 」と い う 立 場 か ら の 議 論 が 本 論 の 学 術 的 意 義 で あ る 。 本 論 に お い て は 本 土 ( 南 九 州 ) と 沖 縄 に 関 し て 序 論 で 論 じ た の み で あ る が 、 将 来 的 に は 、 沖 縄 や 日 本 本 土 の 本 土 決 戦 、 満 洲 等 に お け る 動 員 体 制 と 併 せ て 検 討 す る こ と で 、 日 本 帝 国 全 体 の 戦 争 末 期 の 動 員 体 制 研 究 に 繋 が る 議 論 の 一 助 と な る 。 第 二 節 先 行 研 究 と 資 料 こ こ で 、 本 研 究 に 関 す る 先 行 研 究 を ま と め る 。 日 本 の 戦 時 動 員 を と り あ げ た 研 究 は 、 膨 大 な 量 の 蓄 積 が あ り 、 台 湾 に 関 し て も 少 な い と は い え な い 。 し か し 序 章 ( 台 湾 防 衛 体 制 研 究 の 問 題 点 ) で も 述 べ た よ う に 、 そ の 研 究 は 口 述 史 や 学 校 史 か ら 論 じ ら れ る こ と が 多 く 、 植 民 地 軍 事 史 か ら の 研 究 は 少 な い と い え る 。 先 行 研 究 ( 日 本 ) ( 一 ) 近 藤 正 巳 『 総 力 戦 と 台 湾 日 本 植 民 地 崩 壊 の 研 究 』( 刀 水 書 房 、 1 9 9 6 年 )
- 13 - 近 藤 ( 1 9 9 6 ) は 、 第 一 部 「 戦 時 下 に お け る 植 民 地 統 治 の 構 造 」 ( 軍 事 勢 力 に よ る 戦 時 体 制 の 醸 成 、 台 湾 総 督 府 の 「 南 進 」、 人 心 の 動 員 、 先 住 民 に 対 す る 「 皇 民 化 」 政 策 、 人 力 と 人 命 と 動 員 、 植 民 地 主 義 の 終 焉 ) と 第 二 部 「 台 湾 光 復 運 動 の 展 開 」( 抗 日 戦 参 加 か ら 解 放 軍 隊 の 設 立 に 向 か っ て 、 中 国 国 民 党 の 台 湾 党 部 設 置 、 台 湾 統 一 戦 線 の 結 成 か ら 本 土 復 帰 運 動 へ 、 中 国 の 台 湾 「 光 復 3 0」) の 二 部 構 成 と な っ て い る 。 近 藤 ( 1 9 9 6 ) は 、 資 料 の 閲 覧 な ど 制 約 が 多 か っ た 時 代 に 著 者 が 丹 念 に 調 査 し た 結 果 で あ り 、 台 湾 史 に お け る 1 9 3 0 年 代 か ら 1 9 4 5 年 つ ま り 統 治 最 後 の 1 5 年 間 の 重 要 な 課 題 を 網 羅 し た 1 冊 と な っ て い る 。 本 研 究 で は 、 第 一 部 を 多 く 参 考 と し て い る 。 第 一 部 で は 、 1 9 3 0 年 代 以 降 、 台 湾 に お け る 戦 時 動 員 や そ の 政 策 そ し て 南 進 政 策 に 関 し て も 述 べ ら れ て い る 。 本 研 究 に 関 わ る 個 所 と し て は 第 1 章 「 軍 事 勢 力 に よ る 戦 時 体 制 の 醸 成 」 と 第 5 章 「 人 力 と 人 命 と 動 員 」 で あ る 。 当 該 書 籍 か ら は 1 9 3 0 年 代 か ら 太 平 洋 戦 争 期 に 至 る ま で の 台 湾 軍 の 変 貌 を 詳 し く 理 解 で き る 。 近 藤 ( 1 9 9 6 ) に お い て は 、 戦 時 動 員 か ら 光 復 後 ま で の 過 程 が 実 証 的 に 論 じ ら れ 、 出 版 後 多 く の 論 文 の 先 行 研 究 と な り 、 台 湾 史 研 究 の 発 展 に 大 き な 功 績 を 残 し た 。1 9 9 6 年 に 出 版 さ れ て い る が 、2 0 年 以 上 経 っ た 現 在 で も 植 民 地 期 の 台 湾 軍 事 動 員 を 研 究 す る 場 合 、 見 逃 す こ と の で き な い 一 冊 で あ る 。 し か し 、 戦 争 末 期 の 特 別 志 願 兵 制 度 や 徴 兵 制 度 と い っ た 軍 事 動 員 に 関 し て は 論 じ ら れ て い る も の の 、 そ れ は 1 9 4 5 年 1 月 の 徴 兵 制 度 実 施 ま で で あ り 、 1 9 4 5 年 1 月 ~ 8 月 ま で の 人 的 動 員 に 関 し て は 触 れ ら れ て い な い 。 ( 二 ) 高 橋 英 男 『 台 湾 に お け る 「 学 徒 兵 」 召 集 の 実 態 と そ の 法 的 背 景 』( 自 費 出 版 、 1 9 9 8 年 ) 1 9 4 5 年 1 月 ~ 8 月 ま で の 人 的 動 員 に 関 す る 研 究 ( 本 論 に お け る 3 0 光 復 と は 、 台 湾 で 日 本 の 統 治 が 終 了 し 、 祖 国 に 復 帰 し た こ と を 意 味 し て い る 。
- 14 - 研 究 の 空 白 )と し て 、台 湾 に お け る 学 生 動 員 に つ い て は 高 橋( 1 9 9 8 ) が 存 在 す る 。 高 橋 ( 1 9 9 8 ) は 、 自 ら の 学 徒 兵 体 験 を 補 完 す べ く 、 多 く の 戦 史 資 料 や 学 校 史 資 料 ( 同 窓 会 会 報 等 ) な ど を 収 集 し 丁 寧 に 検 討 し て い る 。 台 湾 の 約 5 0 校 の 学 校 に 、 同 窓 会 を 通 じ た 調 査 を 依 頼 し 約 半 数 か ら 回 答 を 得 た 。 そ し て 、 そ の 回 答 を 参 考 に し 、 学 生 ら の 動 員 に 対 す る 召 集 の 実 態 を 明 ら か に し て い る 。 私 版 の 書 物 で あ り な が ら 、 末 期 に 動 員 さ れ た 台 湾 学 徒 に 関 し て 詳 細 に 書 か れ て い る 。 し か し そ の 一 方 で 、 学 徒 特 設 警 備 部 隊 に 関 し て は 、 書 中 で 触 れ ら れ て い る が 、 高 橋 自 身 が 部 隊 番 号 に 不 整 合 、 矛 盾 が あ る と 述 べ て い る よ う に 、 部 隊 番 号 の 異 な る 個 所 や 出 典 が 明 ら か で な い た め 内 容 の 確 証 が 得 ら れ な い 箇 所 は 少 な く な い 。 高 橋 が 記 し た 学 校 の 生 徒 が 、 記 さ れ た 部 隊 に 一 人 も 存 在 し な い な ど 明 ら か な 間 違 い が あ る 。 更 に 、 筆 者 自 身 、 高 橋 ( 1 9 9 8 ) を 追 う よ う な 形 で 内 容 の 確 認 作 業 を 行 っ て い る が 、 部 隊 番 号 や 配 置 さ れ た 地 区 な ど 、 現 在 公 開 さ れ て い る 資 料 で は 確 認 が 取 れ て い な い も の も 多 く 存 在 し 、 更 に 言 及 さ れ て い な い 地 域 も み ら れ る 。 こ の よ う な 不 整 合 や 不 明 確 な 個 所 が 存 在 す る の は 、 出 版 さ れ た 1 9 9 8 年 に は 、『 留 守 名 簿 』 な ど の 史 料 の 公 開 は さ れ て お ら ず 、 口 述 史 や 学 校 史 、 陸 軍 一 般 史 料 を 中 心 に 分 析 し て き た 結 果 に よ る 。 筆 者 は 、 高 橋 英 男 氏 本 人 と 面 会 し 、 上 記 の 疑 問 点 等 を 投 げ か け た 3 1。 高 橋 氏 に よ れ ば 、「 陸 軍 一 般 史 料 に 記 載 さ れ て あ る 事 項 以 外 は 、 台 湾 の 学 校 へ 手 紙 を 出 し 、 そ の 回 答 の 情 報 を 基 に 議 論 し て い る た め 、 学 校 側 の 情 報 が 間 違 っ て い た 場 合 、 間 違 っ て い る 。」 と い う こ と で あ っ た 。後 述 す る が 、高 橋 氏 の 思 い も よ ら な い と こ ろ で 、 著 書 高 橋 ( 1 9 9 8 ) は 台 湾 の 学 生 動 員 研 究 の 中 で 、 先 行 研 究 と し て 広 く 参 考 と さ れ て き た 。 丹 念 な 調 査 と 分 析 を 通 し 、 実 態 に 迫 っ て い る 個 所 も 多 い が 学 生 動 員 の 実 態 が 解 明 さ れ て い る と は 言 い 難 い 。 3 1 2 0 1 8 年 4 月 6 日 学 士 会 館 ( 東 京 : 神 田 ) に て 、 台 北 高 等 学 校 の 卒 業 生 で あ り 元 最 高 裁 判 所 の 判 事 で あ る 園 部 逸 夫 氏 の 紹 介( 当 日 も 同 席 ) で 高 橋 英 男 氏 と 面 会 し た 。 執 筆 当 時 に 参 考 と し た 資 料 等 も 頂 い た 。
- 15 - ( 三 ) 北 原 道 子 『 北 方 部 隊 の 朝 鮮 人 兵 士 日 本 陸 軍 に 動 員 さ れ た 植 民 地 の 若 者 た ち 』( 現 代 企 画 室 、 2 0 1 4 年 ) 『 留 守 名 簿 』に 関 し て は 、朝 鮮 史 研 究 の 北 原( 2 0 1 4 )に 詳 し い 。 北 原 ( 2 0 1 4 ) で は 、 1 9 9 3 年 に 日 本 政 府 か ら 韓 国 の 国 家 記 録 院 に 提 供 さ れ 、 保 管 さ れ て い る 『 留 守 名 簿 』 を 中 心 に 第 2 章 で 「 日 本 陸 軍 「 留 守 名 簿 」 に み る 樺 太 ・ 千 島 ・ 北 海 道 の 朝 鮮 人 兵 士 動 員 」 と し て 『 留 守 名 簿 』 を 分 析 し て い る 。『 留 守 名 簿 』 を 取 り 上 げ た 研 究 と し て は 先 駆 的 な も の で あ る 。 北 原 ( 2 0 1 4 ) は 、「 日 本 軍 に 動 員 さ れ た 朝 鮮 人 兵 士 に つ い て は 、 い つ 誰 が ど こ か ら ど の よ う に し て ど こ へ 何 人 く ら い 動 員 さ れ た と い っ た 基 礎 的 な 事 実 を は じ め と し て 、 明 ら か に さ れ て い な い こ と が 多 い 」 と し 、 朝 鮮 人 軍 人 の 実 態 に つ い て 解 明 を 試 み て い る 。 し か し 、 本 論 の テ ー マ で あ る 特 設 警 備 部 隊 は 、 北 原 ( 2 0 1 4 ) で 取 り 上 げ ら れ て い る 「 軍 人 」「 軍 属 」 等 と は 異 な る 存 在 で あ る 。 ま た 、 韓 国 に は 提 供 さ れ た が 、 台 湾 に は 『 留 守 名 簿 』 は 提 供 さ れ て い な い 。 ( 四 ) 西 山 勝 夫 編 『 十 五 年 戦 争 陸 軍 留 守 名 簿 資 料 集 ① 留 守 名 簿 関 東 軍 防 疫 給 水 部 』( 不 二 出 版 株 式 会 社 、 2 0 1 8 年 ) 『 留 守 名 簿 関 東 軍 防 疫 給 水 部 』 は 、 編 者 の 西 山 勝 夫 氏 が 国 立 公 文 書 館 か ら 入 手 し た デ ー タ を 使 用 し 、 復 刻 し た も の で あ る 。 西 山 氏 は 、医 学 者 な ど の 戦 争 加 担 の 検 証 を 進 め て お り 、そ の 中 で『 留 守 名 簿 』 の 調 査 と 分 析 を 、 名 簿 が 国 立 公 文 書 館 に 移 管 さ れ た こ ろ よ り 行 っ て い る 。『 留 守 名 簿 関 東 軍 防 疫 給 水 部 』 と 、 筆 者 の 研 究 と 直 接 の 関 連 性 は な い も の の 、『 留 守 名 簿 』の 分 析 と し て は 既 出 北 原 ( 2 0 1 4 ) に 続 く 、 先 駆 的 な 研 究 で あ り 、 西 山 氏 の 分 析 方 法 な ど が 記 載 さ れ て い る 。西 山 氏 は 、『 留 守 名 簿 』か ら 部 隊 の 総 数 を 出 し 、 名 簿 の 各 項 目 の 詳 細 な 分 析 を 行 っ て い る 。 筆 者 は 、 本 論 に 関 わ る 台 湾 関 係 の 『 留 守 名 簿 』 分 析 に お い て 同 様 に 総 数 と 各 項 目 の 分 析 を 行 っ た 。 『 留 守 名 簿 』 の 公 開 以 後 、 メ デ ィ ア な ど を 通 し て 西 山 氏 の 研 究
- 16 - は 最 も 取 り 上 げ ら れ て い る 。 そ の た め 、『 留 守 名 簿 』 自 体 が 特 殊 な 部 隊 の 名 簿 だ と 認 識 さ れ が ち で あ る が 、 名 簿 は 決 し て 特 殊 部 隊 の み で 作 成 し て い た の で は な く 、 外 地 の 部 隊 全 て 3 2で 作 成 ( 詳 細 な 数 は 本 論 で 述 べ て い る ) さ れ て お り 、 本 論 で 扱 う の は 、 陸 軍 の 一 部 隊 で あ る 。 特 に 台 湾 で は 、 戦 争 末 期 の 日 本 側 の 史 料 が 少 な く 、 動 員 し た 側 の 公 式 史 料 を 以 っ て 論 証 が 少 な か っ た 。 そ の よ う な 状 況 下 、 『 留 守 名 簿 』 の 各 項 目 ( 部 隊 別 の 人 員 数 、 本 籍 、 在 留 地 、 徴 集 年 、 役 種 、 年 齢 ) を 分 析 す る こ と で 動 員 形 態 、 そ し て あ る 程 度 の 全 体 像 を つ か む こ と は 可 能 と な る の だ 。 『 留 守 名 簿 』に 記 載 さ れ て い る 内 容 は 関 東 軍 防 疫 給 水 部 で あ れ 、 台 湾 で あ れ 同 様 で あ る た め 、 分 析 の 着 目 点 は 近 い も の が あ り 、 こ こ で 西 山 ( 2 0 1 8 ) を 紹 介 す る に 至 っ た 。 今 後 、 台 湾 関 係 『 留 守 名 簿 』 の 調 査 を 進 め て い く 際 に は 、 そ の 分 析 方 法 な ど 参 考 に す る 必 要 が あ る 。 先 行 研 究 ( 台 湾 ) ( 一 ) 劉 鳳 翰 『 日 軍 在 台 湾 ( 下 ) 1 8 9 5 年 至 1 9 4 5 年 的 軍 事 措 施 与 主 要 活 動 』( 国 史 館 、 1 9 9 7 年 ) 劉 ( 1 9 9 7 ) は 、 上 下 巻 に 分 か れ て い る 。( 上 ) は 、 日 軍 占 領 台 湾 与 軍 事 部 署( 日 本 軍 の 台 湾 占 領 と 軍 事 部 署 )、七 七 事 変 後 台 湾 日 軍 之 転 変( 盧 溝 橋 事 変 後 、台 湾 日 本 軍 の 転 換 )、憲 兵 ・ 警 察 ・ 保 甲 、 要 塞 ・ 軍 港 ・ 機 場 、 後 勤 ・ 交 通 ・ 通 信 ・ 衛 生 、 兵 役 行 政 与 組 訓 民 眾 ( 兵 役 行 政 と 民 衆 訓 練 ) の 6 章 で 構 成 さ れ て お り 、 占 領 初 期 の 3 2 本 論 で は 、国 立 公 文 書 館 に 保 管 さ れ て い る 台 湾 に 駐 屯 し て い た 各 師 団 ( と そ の 隷 下 部 隊 )、 旅 団 ( と そ の 隷 下 部 隊 )、 特 設 警 備 部 隊 の 『 留 守 名 簿 』 調 査 と し て 扱 っ た 。 更 に 、 台 湾 に は 、「 特 設 建 築 勤 務 第 1 0 4 中 隊 ( 勢 第 1 7 7 5 部 隊 ) 台 湾 在 籍 者 名 簿 」 と さ れ る 1 9 4 5 年 1 月 1 日 に 作 成 さ れ た 『 留 守 名 簿 』 の 一 部 を 復 刻 し た も の が あ る 。『 民 間 私 蔵 民 国 時 期 曁 戦 後 台 湾 資 料 彙 編 』( 博 揚 文 化 事 業 有 限 公 司 、 2 0 1 1 年 ) 4 3 1 - 4 9 6 頁 。 特 設 建 築 勤 務 第 1 0 4 中 隊 は 、 1 9 4 3 年 1 0 月 に 編 成 さ れ 、 ニ ュ ー ギ ニ ア の サ ル ミ で 駐 屯 し て い た 部 隊 で あ る 。
- 17 - 台 湾 軍 か ら 1 9 3 0 年 代 以 降 大 規 模 化 し て い く 台 湾 軍 ま で が 論 じ ら れ て い る 。( 下 ) は 、 日 軍 以 台 湾 為 南 進 基 地 ( 日 本 軍 、 南 進 基 地 と し て の 台 湾 ),太 平 洋 戦 争 与 美 軍 攻 台( 太 平 洋 戦 争 と ア メ リ カ 軍 の 台 湾 攻 撃 ), 台 湾 日 軍 防 禦 作 戦 ( 台 湾 日 本 軍 防 衛 作 戦 ), 日 軍 無 条 件 投 降 与 遺 返( 日 本 軍 無 条 件 降 伏 と 引 揚 )の 4 章 に 分 か れ て お り 、 統 治 期 後 半 の 台 湾 軍 の 動 き が 詳 細 に 書 か れ て い る 。 第 9 章 の 台 灣 日 軍 防 禦 作 戰 で は 、 本 島 防 衛 体 制 の 概 要 だ け で は な く 、 台 湾 に 転 入 し て き た 各 師 団 、 新 設 さ れ た 師 団 に 関 し て 詳 細 に 調 べ あ げ ら れ て い る 。 し か し 、 そ の 一 方 で 詳 細 に 概 要 を 述 べ て い る 個 所 の 参 考 文 献 に つ い て は そ の 情 報 の 危 う さ が あ る 。 一 例 を 挙 げ る と 、 劉 ( 1 9 9 7 ) は 、『 台 湾 省 軍 事 接 収 総 報 告 書 』( 台 湾 省 軍 事 接 収 総 報 告 書 )と『 日 軍 佔 領 台 湾 期 間 之 軍 事 設 施 史 実 』( 日 本 軍 、台 湾 占 領 期 間 の 軍 事 施 設 史 ) を 多 く 参 考 に し て い る 。 本 文 中 で も 示 す が 、 2 冊 の 参 考 文 献 は 、 戦 後 、 安 藤 利 吉 3 3が 降 伏 文 書 に 調 印 し た 1 9 4 5 年 1 0 月 2 5 日 以 降 に 日 本 軍 の 資 料 な ど を 基 に 作 成 さ れ て い る た め 、1 9 4 5 年 8 月 1 5 日 以 前 、 1 9 4 5 年 8 月 1 5 日 時 点 の 実 際 の 状 況 と は 異 な る 可 能 性 が 高 い 。 終 戦 後 に 駐 屯 地 を 移 動 し た 部 隊 も 多 い 。 2 冊 の 資 料 を 多 く 参 考 に し た 概 要 で あ る た め 、 そ れ が 終 戦 前 の 史 実 で あ る か ど う か は 疑 わ し い 。 ま た 、 特 設 警 備 部 隊 の 配 置 も 一 部 書 か れ て い る が 、 先 述 の 報 告 書 2 冊 で 報 告 さ れ て い る 以 上 の 内 容 は 書 か れ て お ら ず 、 全 体 の 把 握 は で き て い な い 。 更 に 当 該 書 籍 は 、 台 湾 島 内 の 各 師 団 が ど の よ う な 防 衛 体 制 を と っ て い た の か を 述 べ て い る た め 、 そ こ に 動 員 さ れ た 人 々 へ の 言 及 が な い 。 ( 二 ) 徐 聖 凱 「 二 次 大 戦 末 期 的 学 徒 兵 ― 以 台 北 高 等 学 校 及 一 三 八 六 二 部 隊 為 例 」『 第 二 届 国 際 学 術 研 討 会 論 文 輯 』( 高 雄 市 関 懐 台 籍 老 兵 文 化 協 会 、 2 0 1 3 年 ) 3 3 第 1 9 代 台 湾 総 督 で あ り 、 日 本 統 治 時 代 最 後 の 総 督 だ 。 陸 軍 大 将 で あ り 、 第 1 0 方 面 軍 軍 司 令 官 を 兼 任 し て い た 。 戦 後 、 戦 犯 と し て 逮 捕 さ れ 1 9 4 6 年 に 上 海 で 服 毒 自 殺 を し た 。