田
上
集
注
釈
凡 fJiJ て 本稿は﹃私家集大成 2 ﹄中古E
、 ﹃ 田 上 集 ﹄ ( 島 原 松 平 文 庫 蔵 ) の 注 釈 を 試 み た も の で あ る 。 一 、 右底本の誤り と 認められると乙ろは他の歌集により改め 、 ⑧ に ーその旨を記 し た 。 て 各 歌 の 一 政 に } 底 本 の 歌 番 号 を 記 し た 。 て本注釈は 、 閣 困 ・ 闘 困 ( 必要に応 じ ) ・ 一 聞 の 三 項 目 を 立 て て 記 じ た 。 一 、 参考のために 、 一 附 一 の 項 に ﹃ 散 本 奇 歌 集 ﹄ ( ﹃ 私 家 集 大 成 2 ﹄ 中 古E
、 書陵部蔵 v 、 ﹃ 夫 木 抄 ﹄ ﹃ 万 代 集 ﹄ ( ﹃ 新 編 国 歌 大 観 ﹄ ) な ど を 、 それぞれ歌番号とともに記した。 て本注釈において 、 ﹁ 顕昭﹂は﹃散木集注﹄(群書類従巻第二九O
)
に 、 ﹁ 村上忠順﹂は﹃散木奇歌集標註﹄(愛知県刈谷市立中央図同
西
木
忠
書館蔵 ・ ﹃ 散 木 奇 歌 集 ﹄ ) に 、 ﹁ 玉井幸助﹂は﹃校註国歌大系第 十 三 、 5 中古諸家集﹄に 、 ﹁ 今井優 ﹂ は ﹁源俊頼歌集団上集の 里 ﹂ ( 田 上 郷 土 史 料 館 報 4 、 昭 和 五 十 四 年 十 一 月 ) に 、 ﹁ 森本茂 ﹂ は﹃校註歌枕大観 近 江 篇 ﹄ に そ れ ぞ れ よ っ た 。 - 1一 的①﹃散木奇歌集標註﹄は 、 同 書 の ﹁怯が奇耽骨標合序 ﹂ か ら 用 い た 書 名 で あ る 。 ②本注釈をなすに当り 、 愛知県 刈 谷市立中央図書館に格別の助力 を 賜 わ っ た 。 記 し て 謝 意 を 表 す る ・ も の で あ る 。 百首歌にあ し ろ あしろにてひをのおほくよるをみてよめる:E. Cコ 網代木のいかちもすまによるひをは りけり かきゃるかたもなきみな 口湖阿一百首歌に網代(を題にして) 網代に氷魚が多く寄り集まっているのを見て詠んだ(歌) 網代木のいかちにもいっぱい寄り集まっている氷魚を 、 掻き集 める方法もない 、 真にやる方もないわが身であることだ。 口 岡 阿 一
O
川 利 引 ﹁ いかちもすまとは。いかによめるにかおぼつか な し ﹂ ( ﹃ 散 木 集 注 ﹄ ) 。 た だ し 、 魚を獲る仕掛けであろう と は容易 に想像できよう。なお 、 今井優氏は ﹁﹃ い ﹄ は 接 頭 語 。 ﹃ か ち ﹄ は ﹃ か ち と る ﹄ な ど と いう語と同 じ ﹂ で 、 ﹁ 網代の杭の立ちならんだ 最奥部に 、 はね上ってきた魚を と らえる貨の子﹂の仕掛けであろ う ( 五 十 頁 ) と さ れ る 。O
す ま に 副 詞 で 、 す き ま な し に の 意 。 サ ' e -﹁ 貨 問 に ﹂ を 掛 け る 。 ﹁ 山 ふきのみぎはもすまに吹きぬればあらふ さなみもいとなかりけり ﹂ (﹃散木奇歌集﹄巻第て春部 、 三 月 ) 口 問 一①散木奇歌集(巻第四冬部 十 月 ) あしろにて 、 ひをのおほくよるをみてよめる あ し ろきのいかちもすまによるひをはかきゃるかたもなき身 也 け り 六 口 五 ②顕昭 いかちもすまとは。いかによめるにか。おぼつかなし。すまに といふことは。ひまなき 心 とみえたり。てもすまなどよめるは。 てにひまなくとよめるなり。このうたも若いかでもすまにとよ めるか。網代の手といふことあり。かみひろにうちならベたる くひなり。いかとは。をのれがといふなり。てとちと同五音故 なり。又てとよめるを。ちとかきたがへたるにもやあらん。す ゑにかきゃるかたなしなどいへるも。あじろの手に。わがてを よ せ た り と お ぼ え ぬ べ し 。 三三 宮この人まうて来て 、 落葉浮浪といへる乙とをよめる みとせまて人にすさめぬにしき h とみれはあしろのこのはな りけり 嗣阿一都の人がやって来て 、 うことを詠んだ(歌) 三年まで人に相手にされない錦木だと思っていると 、 代に浮かんだ木の葉だったよ。 落葉浮浪(落葉が浪に浮かぶ) そ れ は 網回
闘
凶
O
すさめぬ ﹁ すさむ ﹂ は気のむくままに事をすすめる乙と。 ﹁ 山たかみ人もすさめぬさくら花いたくなわびそ我見はやさむ﹂ ( ﹃ 古 今 集 ﹄ 巻 第 一 春 上 、 よ み 人 知 ら ず ) 。 ﹁ 頭 中 将 の す き め ぬ 四 の 君など乙そ、よしと聞きしか ﹂ ( ﹃ 源 氏 物 語 ﹄ 花 の 宴 ) 。O
凶u
-
2
と し 、剖叶陸奥の国において 、 男性が女性に思いを寄せると 、 その女 性の家の前に立てたという 、 五色に彩色した木で 、 長 さ 約 三 十 個 。 女性が家の内にとり入れたならば承 諾。取り入れな い場合は男性 は 一 日 一 束ずつ千束になるまで立てて、誠意を示すという風 習 が あった。﹁おもひかねけふたてそむるにしきぎのちつかもまたで あふよしもがな﹂( ﹃ 詞 花集﹄巻 第 七恋上、大蔵卿匡 房 ) 。 ﹁ に し き ぎはたてながらとそくちにけれけふのほそぬのむねあはじと や ﹂ ( ﹃ 後 拾 遺 集 ﹄巻第 十一恋て能因法師) 口 凹 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻 第 四 冬 部 十 月 ) 都の人まうてきて 、 落葉浮浪といへる事をよめる みとせまて人もすさめぬにしき木をみれはあしろ の 乙 の は 也 けり 一 ( () 穴 ② ﹃ 俊 頼 髄 脳 ﹄ 錦木はちづかになりぬいま ζ そは人にしられぬねやのうち見め あらてくむやどにたてたる錦木はとらずはとらずわれやくるし ふ き 錦木とは 、 みちのくにに 、 男 、 女をよばはむと思ふとき 、 消息 をやらで、たき木を ζ りて、日どとに一束、その女 の家のか ど のほどに立つるを 、 遇はむと思ふ男の立つる木をば、程なくと り入れつれば、その後は、木をば立てで、ひとへにいひよりて、 親しくなりぬ。退はじと恩ふ男の立つる木をば、いかにもとり 入れねば、千束をかぎりにして、 三 年 立 つ る な り 。 そ れなほ 、 と り入れねば 、 おもひ絶えてのきぬ。との木を 、 錦木と い へ る 乙とは獅併の梓のやう に 、 まだらに彩りて立つれば 、 いふな り。とくしりたりと 、 おぼしき人は申せど 、 まととには、さも せ ぬ に や 。 ヨ三 故帥殿 、 田上におはしましたりしに、くしまうされたる人 /¥歌よまれけるに 、 月照網代といへることをよめる あしろには月の光もあるものをなにますらおのか h りたくら ん ⑧ - 3一 底本詞書 ﹁ ・ : : 月 照 網 代 と み る 乙 と ﹂ と あ る 。 誤写 とみ て ﹃ 散木奇歌集﹄により改める コ瑚刺↓故帥殿が田上においでになった時 、 お連れ申された人々が歌 を詠まれた折に、月照網代ということを詠んだ(歌) 網代には月の 光もさしているのに、どうして男 達は答 火を焚い て い る の で あ ろ う か 。 口同阿
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制酬岡俊頼の父﹁源経信﹂ 。 一O
二 ハ
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一O
九七。平安 朝の廷臣、琵琶の桂流の祖。歌人。民部卿道方の六男。母 播 磨守 源 国 盛 の 女 。O
か h り籍火。口
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一①散木奇歌集(巻第四冬部十月) 故帥殿、回上にをはしましたりしに、くしまうされたる人 /¥、歌よまれけるに、月照網代といへることをよめる あしろには月のひかりもある物をなにますらをのか L り た くらん 六 口 七 ②夫木抄(巻第十六冬部) 月明 網 代 と い ふ 事 を 俊 頼 朝 臣 あじろには月の光もあるものをなにますらをのかがりたくら ん 六百]()五 三三 落葉満網代 み山には嵐ふくらし網代木に かきあへぬまで紅葉つもれり 口四阿室長が網代に一杯になる(のを詠んだ歌) 山には嵐が吹き荒れているらしい。網代木には掻き払いきれな いほどに紅葉が積もっているととだ。 囚闘凶O
綱州刑網代を支えるために水中に打った札。﹁あさぼら けうぢの河霧たえだえにあらはれわたるせぜの網代木﹂(﹃千載 集﹄巻 第 六冬、中納言定頼)。﹁ひをのよるかはせにたてるあじろ ぎはたっしらなみのうつにゃあるらん﹂(﹃金葉集﹄巻第四冬、皇 后宮肥後) 口凹①散木奇歌集(巻第四 落葉満網代 み山には嵐ふくらしあしろきに h ツ 冬 部 十月) かきあへぬまで紅葉つもれ 否 八 ②万代集(巻第六冬歌) 落 葉 満 網 代 と い ふ こ と を 俊 頼 朝 臣 みやまにはあらしふくらしあじろぎにかきあへぬまでもみぢ つ も れ り フ『 才U ③関根慶子氏は﹁名残りの網代木にただ紅葉が一ばい吹きょせら れて引っかかっているさまを、写生的にあっさり描きながら、 情 景 が写されていよう﹂(﹃平安文学いいか伊建一二三頁)と 述べられた。作者の眼前の風景は主に下句の﹁かきあへぬまで 紅葉つもれり﹂である。そのことから上旬﹁み山には嵐ふくら し﹂が想像されている。川上で吹き散らされ流された紅葉が網 代木に積もる情景は、色彩感 豊 かな景を読者に感じさせるに違 いなかろう。そうした中に作者の身に迫る冬の寒さが、じりじ りと感じられる歌である。 - 4 一十 一 月 山さとすみさひしくて 、 と ふ人もなきにつ け て も 、 くうらめしさによめ る みやこには忘られにけるみなれとも にけり ヨヨL 更主主 た れ と な さむさは か り はたつねき 十 一 月 ﹁ 週 刺 i 一 山 里 で の 生 活 が さ び し く て 、 訪ねる人もないにつけても 、 誰ともなく恨めしきに詠んだ(歌) 都ではすっかり忘れられてしまって 、 誰 一 人訪れる者もないわ が身ではあるが 、 寒さだけ は ζ の 山 里 にまで訪ねて 来 た 乙 と だ 。 門間①散木奇歌集(巻第四冬部十月) 山 里すみさひ しくて、と ふ人もなきにつけてもたれともな くうらめしきによめる 都にはわすられにける身なれとも にけり 田上に侍けるに、かりそめのすみかとはいひながら、あやし きにつけておほえける 詞花 あしひたくやまのすみかは世中を け り 六 口 九 2三 三三 ハ マ マ ﹀ さむきはかりはたつねき あくかれそむるかとてなり 疑 わしく ︹ 閣剛 ] 田上に居た時に 、 一 時 的 な 住 居 と は い う も の の 、 ( 長 く 住 み そうに)思 わ れ て 浮か ん だ ( 歌 ) 葦火 を焚 く山家暮し は 俗 世 を出は じ め る門出で あ る こ と だ 。
口
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阿
一
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剖叫叫干した葦を 焚 く 火 。 ﹁難波人葦火たく 屋のす し て あれどおのが委 ζ そとこめづらし き ﹂ ( ﹃ 万 葉 集 ﹄ 巻 十 一 、作者未 詳 ) 。 ︹ 阻 ①散木 奇歌 集(巻 第四 冬 部 十 一 月 ) 田 上 に 侍りける に 、 か り そめのすみかと は い ひ なから 、 あ やしきにつけておほえけ る さ百あし火たくまやのすみか は 世 の 中 を 也 けり - 5 一 あくかれそむ る か と て ②詞花集(巻第 十 雑 下 ) みやこにすみわひてあふみに たなか みといふと乙ろにまか り で よ め る 源 俊 頼 朝 臣 = 一 四 八 三 四 七 あしびたくまやのすみかはよのなかをあくがれいづ る か ど で なりけり ③ ﹁粗末な家での生活も 、 煩わしい人間関係から逃がれ 、 風流韻 事を営む唯 一 の 鰯 叫 し あ れ ば ど ん な に か 楽 し い ものであったであろ う 。 その気持ちが 下 句 に 反 映 さ れ て い る 。 初旬 からさらりと 詠んだ平明な歌であるが 、 質素な 山 里生活に甘んじた作者の温 雅な人柄が窺えよう﹂(菅根順之﹃詞花和歌集会釈﹄四六四貰 ) 。 三宝L フ旬 田 上 の 山 里 に て 、 ふしたる所 に 雪 の もりきたるをみてよ め る 柴の庵のねやのあれまにも る 雪 ナは わ か かりそめのうはき也 け 灼 J 門 閣阿百上の 山 里 に て 、 詠ん だ ( 歌 ) 柴の庵の寝床の荒れたすき間から洩れて来る雪は 、 私のほんの 一 時的な上 着 で あ る と と だ 。 臥している所に 雪 が洩れてきたのを見て 口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 (巻第四冬部十二月) 田 上の山 里 に て 、 ふしたる所に 雪 の もりきたるをみてよ め る 柴の庵のねやのあれまにもる雪は りけり フ『 フ句 わかかりそめ の うはきな ②臥している所に雪が入り込んで降りかかる。それを﹁わがかり そめのうはぎ﹂としゃれて詠んだ歌である。なお 、 ﹁ か り そ め ﹂ は ﹁ 仮初 ﹂ と﹁染 ﹂ を 掛 け て い る 。 豆三 ーヒ玄 田 上 に 侍 け る こ ろ 、 八 月 は か り に 風 の け し き な と 、 も身にしみ て よ め る 草のはに風を とつれてよと﹄も に つ ね よ り 一 課 す h むる秋のそらかな 口湖阿百 上に住んでいたとろ、八月 ど ろ に 風の吹く 様子などが 、 常よりも身に し みて感じられ る時 に詠んだ(歌) 草の葉に風が吹き訪れて 、 夜が来ると と もにます ます涙が流 れ る 秋 の 空 だ な あ 。 口 問 問
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よ と h も に ﹁ よ ﹂ は ﹁ 世 ﹂ ・ ﹁ 夜 ﹂ が考えられ る が 、 は ﹁ 夜 ﹂ ( ﹃ 散 木 奇 歌 集 ﹄ ) が 相 応 し い 。 口凶①散木奇歌集(巻第三秋部八月) 八月 は か り に 、 くれか h り け る 程 に 、 風 の け し き な と も あ はれにおほえけれはよめる 草の葉に風 をとつれて 夜と h も に 目 ↑ ] 四 一 探 す h むる秋の空かな 田 上 に 侍 け る 比 、 か み の 里 と 言 ひ ける所に、ゆわ か し て 人 の むかへけれは、まかりけるに 、 とりゐの有けるまへに、みち しるへのもの¥おそろしけれは 、 い か な る 神 の お は し ま す ζ乙-
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-そ 、 と 尋 け れ は 、も ちゐの宮と申神のおはします 、 といふを き ﹀ て 、 俊重かたはふれて申ける あれこそはもちゐのみやと聞からに い の れ ヨrヨ,、、 っ く / ¥ 岡 山 ふ こ と を 乙 そ ﹁ 暗 附 l 百 上 に居た頃 、 かみの里と 言った 所 に 、 湯を沸かして迎える 人がいたので、行ったところ 、 鳥居が 立 っ て い る 前 に 、 道 し るべがあ ったが、それが恐しかったので 、 どういう神様のお いでになる神社 で すかと尋ねたと 乙 ろ 、 もちゐ の 宮 と申し上 げる神様がおいでになります 、 というのを聞いて、俊重が冗 談まじりに申 した(歌) あ れ と そ が も ちゐの宮とわずか に 問 い た だ け で 、 願う乙とを 心 して祈 る の で あ る 。
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三 六 一 息 。0
﹁風呂をたてること ﹂ ( 今 井 優 、 毛知 比 の宮と餅居の宮とを 掛 け る 。 ﹁ 餅 ﹂と﹁ つ く /¥﹂は縁語P
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吋明川糾引叫﹁からに ﹂ は原因・理由を表わ す 名 詞 ﹁ か ら ﹂ に 、 ﹁ に﹂(格助詞)が接続したもので、その原因 ・ 理由がきわ め て軽いのに、その 結果が 逆に重いこと を 示 す 。 神祇)1
2
①散木奇歌集 (巻第六悲 歓部 ( 一 葉分 、 八 首 脱 、 ) ( マ マ ) は し ますそと尋けれは 、も ちゐの宮 と申神 の お は し ま す と 八五九 云を聞 て 、 俊重かたはふれて申ける あれとそは も ち ゐ の宮ときくからに つ く/¥と思ふ 事 を こ そ い の れ ② ︹ 餅 津大明 神︺里村 に 有 り 。 正 一 位餅津宮と 号す。祭礼毎歳三 月亥の日 祭 神不詳。相伝往古は大社にて 、 五十四村 の 神 事 に て 、 御旅所 を 神立大明神と 号 し 、 三 月亥の日神事七日の 聞 を 御 旅 と い ふ 。 所 謂 五 十 四 村 は田 上郷十八村 、 大 石 五 箇 村 、 青地 十五村 、 田原郷十八村なり 、 今は綾に里村ばかりとなれり。今里村の回 j J F ' さ と つ じ の字に桝腕の森 、 市殿 の 森 、 里 辻 、花畑 、 舞 台 、 榊本 、 幣本 、 連歌回 、 和歌回、琵 琶田と い ふ有り 。是 等皆右大社の旧蹟なる べ し 。 ( ﹃ 近 江 輿 地 志 略 ﹄ ) な お 、 同書欄外注記に ﹁ 毛 知 比 神社 、祭神日 本武尊 、 保食神 、 天平宝 字 二 年創立、境内古墳あり。懸仏(鎌倉時代)﹂とあ る 。 - 7 -③神社の名称につい て は 、 もちゐの宮(平安末)茂 智津大 明神 (天正十八年)餅津大明神(延 宝四 年)毛知比 宮(寛永) 毛知 比大明神(慶安より安政 年間)茂智 頭大明神( 安政二年) の 記 録あり 、 も ちの宮 は保食神の宮の転 批したも の ら し い 。 ( ﹃ 滋 賀 県 神 社 誌 ﹄ ・ 編纂滋賀県神社 誌編纂 委員会) といふをき h て 和し侍け るヨ三 ブU あれとみはさしてそれともまいらまし か へ し つ と申てすきにけるとそ よそにもちゐのみやつ 門 閣 阿 一 というのを聞いて和した(歌) あの宮が毛知比の宮と見たならば 、 志してよくよく参りましょ う。他所に用いられて宮仕えをしている身分の自分は。 と申して過ぎ去ったとかいうことである。 口 同 岡 山 一
O
よそにもちゐ ﹁ 他所に用ゐ ﹂ と ﹁ 毛知比(宮とを掛ける。 な お 、 俊頼は他の役目( ﹁ 宮廷に収める氷魚の徴収の任をもって 田上に来ていたのではないか﹂今井 優 、 一 二 八 頁 ) で 田 上 へ 来 て い るととが 、 ﹁ よ そにもちゐのみやっかへしつ ﹂ で 判 明 す る 。 日 間 一 ① 散 木 奇 歌 集 (巻第六悲歎部 といふを聞て和し侍ける あれを見はさしてそたれもまいらまし っ か へ し つ と申てすきにけるとそ 神祇) 八 六 ( ) よそにもちゐのみや 田上に侍ける比、つはきをきりをきて、はひにやかむとてか らすを 、 みてよめる フ『 Cコ 我身とも椿の枝のみゆるかなはひになるへきほとのちかさに ⑧底本詞書﹁つはさをきりをきて﹂とあるが、誤写とみて ﹃ 散 木 奇 歌 集 ﹄ に よ り 改 め る 。 口四阿百上にいた頃 、椿を切っておいて、灰に焼乙うとして枯らせ ているのを見て 、 詠んだ(歌) 切り取られた椿の校がわが身とも思われる こ とだ。死んだ灰に な る 時 が 近 い ゆ え に 。 口問 一 ①散木奇歌集(巻第九雑部上) 田上に侍ける比、つはきをきりをきて、はひにやかんとて からすをみてよめる わか身ともつはきのえたのみゆる哉 ち か さ に 一 一 一 八 六 はひになるべきほとの ② 池田富蔵氏は﹁椿を切って灰に焼くという静かな田 園の生活の 中にあっても、それをわが身の運命として把握して 詠み 乙 む の である。六十才頃の俊頼の境涯の典型であろう。こうした思い の中に田上に三年ほどいたようである﹂(﹃源俊頼の研究﹄五九 頁)とされたが、﹁・・田上に三年ほどいたようである﹂は一 概に従えない。再考の余地があろう。 ① ﹁ 灰になるは火葬の事をいふ 也 ﹂ ( 村 上 忠順) と す る 説 あ り 。-
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ー当 然 従 う べ き で あ る 。 フ ー 田上にてつれ/¥なりけるに 、 河のをとっねよりもをとつれ て と も h な き ζ h ちしてよめる 河の瀬にお ち ま ふ 水のゆく f ' ¥と 思ふ心を人にいは h や 門 閣 附 ︺ 田上において所在ないままにい る と 、 河の音が常よりも近く 問え て 来 て 、 ひ た す ら 友もない心地がして詠んだ ( 歌 ) 河の瀬に落ち舞 う 水のよ う に 、 意のま L にわが胸の思いを人 に 伝 え た い も の だ 。 口 問 岡 山
O
河の瀬にお ち ま ふ 水 河 の水が岩 な ど に き て 白いしぶき を 上 げる状態をいう。なお 、 第三句﹁ゆくf
k
と ﹂ の 序詞 口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻第 九 雑部上) 田上にてつれ/¥なりけるに 、 かはのお とつねよりも を と つ れ て と も し な き と h ち し て よ め る 川 の せにおちまふ 水のゆく/¥ と お も ふ 乙 h ろ を人にいは ﹀ や プu f、、 田 上 に で も の い ひけるつゐてに 、 松たけの有けるを 、 おそく フ肯 ゃ く 、 な と い ひけるをき﹀てよめる ほともなくとりいたせとや息ふへき 松と竹とは久しきものを 口問阿百上で(ある人と)世間話をしたついでに 、 松 た け が あ っ た のを(焼 いて出そうと すると)おそく焼くことだ 、 な ど と い う の を 聞いて詠んだ( 歌 ) す ぐ に取り 出せと思ってよい ものであろ うか、松と竹 と は 元 来 長く久 しいも の だというの に 。 門 岡 剛U
O
松と竹とは : ・ ・ : 玉 井 幸助氏は ﹁ 松 と 竹とは長寿のもので あるのに﹂と注 記す る 。 ﹁ 州 山 i 一 ① 散 木 奇 歌 集 (巻第九維 部 上 ) 田 上 に て 、 ものいひ け る つ い で に 、まった けのありけるを おそくやくなといひけるを聞てよめる ほともなくとりいたせとや思ふへき松と竹とはひさしきも の を = Cコ Zヨ ② ﹁松 た け ( 茸 ) ﹂ を ﹁ 松 ﹂ と ﹁ 竹に 二分して 詠んだ歌で 、 味のある歌となっている。 滑 稽 田上に侍け る 比 、山 の か ひ に 人のあまたに も の ひ く 音 の しけフ『= る を 、 と は す れ は 、 山 よ りふねつくり てくたすなり、とい ふ をき h て よ め る 山ひ乙は と のもかのもにこた へ つ h t固 た か さ と の舟つくる也 ︹畑町田上にいた頃 、 山の谷間で大勢 の 人々が物を引く音がし た の で 、 問はせたと と ろ 、 山 か ら 舟 を 作 っ て 下 す の だ 、 と い う の を聞 い て 詠んだ(歌 ) 山 彦はあ っちとっちに反響しな がら 、 音 一 角 く 美 し い 浜辺へ舟を 着 け る の で あ る 。 か い 口 問 岡 山
O
山 の か ひ 山 と 山 の峡で谷間のζ
と 。O ζ
のもかのも っ ち あ っ ち 。 ﹁ も ﹂ は ﹁ お も ( 面 ) ﹂ の変 化 し た も の 。 ﹁ 芦 屋 の う な ひ 処 女 の 八 年 児 の : ・ ・ と の も か の も に つ く り 置 け る ゆ えよし聞きて知らねども・ ・ ・ ﹂ ( ﹃ 万 葉集 ﹄巻九 、 一 八O
九 ) 。O
音たかさ乙﹁た か さど﹂は砂 の 美 し い 浜 を い い 、 ﹁ 音 た か ﹂ し を 掛 け る 。 日 間 一 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻 第 九 雑 部 上 ) 田上にはへりける比 、山 のかひに、人のあまた物ひくをと のしけるを 、 と は す れ は 、 山 よ りふね つくりてくたす なり 、 といふを き L て よ め る 山 ひ こ は ζ の も か の も に こ た へ つ ﹀ たす也 プU をとたかさこにふねく ②﹁高砂は地 名 にあらすすへて 山 をいへり ﹂ として﹁ 播磨国の名 所 ﹂と 村 上 忠順は 注 記 す る 。"
"
Zヨ 田 上 に て 、八 月許につれ/ ¥ なりけれは 、 な に となくあゆみ い て ﹄ 、 さ く ら た にのかたへまかりけるに 、 みちのとをかり け れ は 、 や すむとて、式 部大輔よみ け る 春 な らて桜 た に h はみにゆかしあきともあきぬ 道のとをさに 乙 同 阿 百 上 にて、八月 どろ に所在ないままに 、 何となく 散策に 出 か け て 、 桜 谷 の 方へ行ったと と ろ 、 道が遠かったので 、 休もう と し て 、 式部大輔が詠んだ( 歌 ) 春でなければ桜谷まで景色を見に行く まい。あ まりの道のりが あきあ き す る ほどの遠さゆえに 。 さ ︿ な ど 届 回 附U
-O
さ く ら た に 佐 久奈 止神社 の 辺 を い う 。 ﹁ にほてるや桜谷 より落ちたぎっ波も花咲く宇治の網代木 ﹂ ( ﹃ 夫 木抄 ﹄ 怒 鎮 ) 。0
式 部大輔俊頼の 子 ﹁ 俊重 ﹂ 。 付 ①散木奇歌 集 ﹃ ( 巻 第 九 雑部上) 田 上 に て 、八月許につ れ んt
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なり け れ は 、 な に と なくあ ゆ み い て b 、 さくら た にの方へまかりけるに 、 みちのとをか -10ー吋ゴ りけれは、やすむとて、式部の大夫のよめる 春ならてさくらたにをは見にゆかしあきともあきぬ道のと を さ に ② ﹃ 賄 蛤 日 記 ﹄ ( 中 ) に ﹁ を の ζ どもの中には、﹃乙れよりいと近か な り 、 い さ ん 即 ル 恥 能 見 に は ﹄ 、 ﹃ い まも口ひきすごすと聞くぞ 、 からかなるや﹄などいふを聞くに 、 さて心にもあらず引かれい な ば や と 恩 ふ ﹂ ( 天 禄 元 年 七 月 の 条 ) と あ る 。 ﹃ 近 江 輿 地 志 略 ﹄ に は ﹁此地即佐久奈谷なり。大 七 瀬 の 一 な る 事 は ︹ 公 事 根 源 ︺ に見ゆ﹂とも見える。乙の辺なかなかの急流である。 ③玉井幸助氏は ﹁あきともあきぬ ﹂ に 対 し て ﹁上の春に対して秋 をかく﹂と注記して 、 その対応を指摘する。従うべきである。 といふをき h て和し侍ける 桜たにま乙とに匂ふ比ならは 道のあきとはおもはさらまし
'
"
豆三 門 閣岡一というのを聞いて和したま 桜谷の桜さえ本当に咲きにおう頃であるならば 、 道を辿るのが いやになるなどとは 、 決 し て 恩 わ な い で あ ろ う 。 口 同 岡 口O
倒剖叫地名﹁桜谷﹂に﹁桜だに﹂(副助詞 ﹁ だ に ﹂)を掛 H リ ヲ 心 。O
道のあき 道程に飽きる意と、季節の秋とを掛ける。 口凶①散木奇歌集(巻第 九 雑部上) といふを聞て和し侍ける さくら谷まととに匂ふとろならは みちをあき と は恩はさら r、、 ま し プ=三'
"
水 車 の 、 程過てたてたれはめくらぬを 、 見てよめる 捨られてうき世にたてる水車ょにめくるともみえぬ身なれや 11-︹ 閣 附 ︺ 水 車 が 、 使われなくてそのまま時期を過ぎて立っているので (今更)まわらないのを、見て詠んだ(歌) 捨てられてうき世に立 っ て い る水車ではないが、華やかな世に めぐり出るとは思えないわが身であるととだ。 尋 問 一O
引剖剖憂き世で 、 つ ら い 世 の 中 の 意 。 ﹁捨られてうき世 にたてる水車 ﹂ は ﹁めくる ﹂ の 序 。 口問 一①の散木奇歌集(巻第九維部上) 水くるまの 、 ほとすきてすでたれは 、 めくらぬを見てよめ るブb すてられてうき世にたてる水車 れ や ょにめくるとも見えぬ身な フ『 吃ゴ っ か な み といふ 物 の うへに、よ比ねて 、 たひかさな る ま ﹄ に 、 あやしけになりけるをみて 、 俊重かよめる つ か な み の うへによる/¥旅ねしてくろつの里になれにけ る 、L ﹀ た カ 口 湖 問 一 つ か な み と い う 物 の 上 に 、 数 夜 寝 て 、 旅寝が重なるにつれて 、 見苦しくなった姿を見て 、 俊重が詠ん だ ( 歌 ) づ かなみの上に夜 ど と 旅 寝 を し て 、 黒 津 の 里 に 馴れ て、その名 のどとく黒くなってしまわれたととです。 口問阿古寸州制剖顕昭は ﹁わらにて昼のひろさにくみて。山 家 に敷物也。わらぐみともいひ。ねこかきあらしきなどもいふ也 ﹂ と 注 記 す る 。 な お 、 ﹃ 但 号 一 口 集 覧 ﹄ に は ﹁ ツ カ ナ ミ と て 稿 を 編 て 敷 也ワラクミ、アウシキ、ネコカキともいふ﹂と見え る ととを参 考 ま で に 付 記 す る 。 口四①散木奇歌集(巻第九雑部 上 ) つかなみといふもの L う へ に よ ζ ろ ね て 、 たひかさな る ま﹀に、あやしけになりけるをみで俊重がよめる
=
つ か な み の うへによ るf
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旅 ね し て け る か な くろ つのさとになれに ②夫木抄 ( 巻第 三十 一 雑部十三) く ろ 津 の 里 黒 津 近 江 家 集 源 俊 重 一 四 六 六 八 っ か浪のうへによるよるたびねしてくろ津のさとになれにけ るかな ︿ ろ づ ③︹黒津村︺稲津 村 の南にあり。其称する ζ と久し。黒津の庄も と な り 。 ( ﹃ 近 江 輿 地 志 略 ﹄ ) ︹ 黒津荘︺稲津 村 ・ 黒津村・太支村 ・ 関津村等といふ。古歌に ﹁ 田 上 や 黒 津 の 圧 の疲男網代もるとて色の黒さよ﹂といへり。 ( ﹃ 近 江 輿地志 略 ﹄ ) ④黒津の里と顔の黒い こ と を掛けて詠じた歌である。地名に他の 意味を掛けて言葉の遊戯をしていて 、 ﹃ 近 江輿地志略﹄に引く 古歌と同発想の歌である。俊重は ζ の古歌を念頭に六七番の歌 を詠んだのではなかろうか。 フ『 I、、 とよめ る を き b て和し侍け る つかなみのうへはくろつにな る れとも したのね よさにしく物 - 12一そ な き 口閣阿一と詠んだのを聞いて応じたま つ か な み の 上 に寝て黒津の里に馴れたけれども 、 乙れを下に敷 いた時の寝やすさは、他に及ぶものがない乙とだ。 ロ 岡 岡 山
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州引利 ﹁ な る ﹂ ( ラ 行 下 二 ) 。G
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﹁ 如 く ・ 及 く ﹂ で 、 至り及ぶ意。なお 、 ﹁ 敷 く ﹂ を掛ける。なお 、 ﹁ つ か な み の う へ ﹂ と﹁い かのねよさ ﹂ に 機 知 が 見 え る 。 口問一①散木奇歌集(巻第九維部上) とよめるを聞て和しはへりける つかなみのうへはくろつになるれとも 物そなき したのねよさにしく 六 九 させる事なくは京へのほらしと恩けれと 、 かた思いてられてよめる 身なからもならぬ心は程もなく いつしかみや こ の い と ふ み や ζ のかたそ恋しき 凪阿一特別これといった事情がなくて京へのぼるまいと思ってい た が 、 い つ し か都の方が恋しく思い 出 されて詠んだ(歌) われながらも思う通りにいかないわが 心 は 、 嫌っていた都の方 がそれ程の時も過ぎていないというのに、恋しく思われる乙と だ 。 同闘凶O
思いてられて 思 い 出 さ れ て 。 ﹁ ら れ ﹂ は 自 発 つ同一①散木奇歌集(巻第九雑部上) させる事なくは京へのほらしと思ひけれと 、 のかた思いてられてよめる 身なからもならぬ心はほ と もなく ひ し き い つ し か 宮 こ いとふみや ζ の か た そ と ②自分では都へは決して帰るまいと思い続けている o だ が 、 そ う 思うあとからすぐ都の方が恋しくなるという。人の 心 の 皮 肉 で ゑ W790 -13一 寸ゴ Eコ つ れ f tー にはなかめやるかたに 、 くわといふ木のたちなみ て 、 よろつをしふれと 、 あるしの 、 おしけに恩たれは 、 え き b ぬことをよめる なかめやるかたをもいか h さえさらん なれねは はかなきととにくわは 口閣阿豆屈なままにずっと遠くまで眺めている方角に桑という木が立ち並んで 、 ( 見 通しがきかないので、桑の木を伐るよう に)教えるけれど 、 主が桑の木を伐るのを惜しそうに思った ので私の教えをょう聞き入れないことを詠んだ(歌) 遠くまで眺めるのにどうして支障がないであろう。とりとめも ない乙と(桑の木を伐り惜しむこと)で桑の木を伐り捨てない の で 。 口 問 岡 山
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さえさらん ﹁ さ え ﹂ は ﹁ 障 へ ﹂ で支障を来たす乙とをい ぅ。玉井幸助氏は﹁ふさがぬのだろう﹂と注記する。O
くわは なれぬは﹁くわ﹂に﹁桑﹂と﹁苦は﹂を掛ける。 口問一①散木奇歌集(巻第九雑部上) つれ/¥にはなかめやるかたに、くわといふ木のたちなみ て、よろつをさふれと、あるしのをしけにおもひたれは、 えきらぬ事をよめる なかめやるかたをもいか h さへさらん はなれねは はかなきことにくは ② ﹁ 極楽浄土を眺め思う邪魔になっているはずだ、ちょっとした ととにも苦は離れていないからという意味をもたせている。 ( 中 略 ) ちょっとしたととにも苦は離れられないので極楽へは 行けないという主意である﹂(今井優、十五頁)とみえる。詠 者の思想の片鱗が窺える歌であろう 。 せゴ 山にあそひありきけるに、しかのひしるとゑのしけれは かせかけてひしるを鹿の声きけはねらふ我身そ遠さかりぬる 嗣岡山山を遊び歩いていた時に、鹿一の叫び鳴く声がしたので(詠ん だ 歌 ) 調子を高く張りあげて大声で鳴く雄鹿の声を聞くと 、 鹿をさが し求めるわが身が、われ知らず退いてしまう乙とである。門
岡 阿
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凶川引玉井幸助氏は﹁鹿のなくとと﹂と注記する。大声 をあげる 、 叫 ぶ 意 。O
かせかけて次の﹁ひしる﹂を修飾する の で 、 を鹿の﹁ひし﹂り方を詠じた句と恩われる。調子を張りあ げる意であろうか。再考の要あり。なお、 ﹁ 伽かけて﹂と解して 、 ﹁鹿 ﹂ を﹁ねらふ﹂自分に﹁棚﹂をかけて(ねらう気持ちを妨げ て)とも考えられる。一応、前者で解しておいた。 口凹①散木奇歌集(巻第九雑部上) 山にあそひあるきけるに、しかのひしる乙ゑのしけれは かせかけてひしるをしかの乙ゑきけはねらふわか身そ遠さ か り ぬ る 巨ヨ -14-田上に侍ける比、むかひの山きはに、おほきなるゐのし﹄の みえけれを、小牛とこそみつれ、と人のいひけるをき﹄てみ め る 吉一鹿をみてむまといひける人たにも ん ゐをはうしとは思はさりけ 門岡阿国上に居たとろ 、 む か い の 山 の 麓 に 、 大 き な 猪 が 見 え た の を 、 ある人が小牛かと思ったといったのを聞いて詠んだ(歌) 鹿を見て馬といった人でさえも、よもや猪を牛だとは恩わなか っ た こ と で あ ろ う 。 口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 (巻第九雑部上) 田上に侍りけるとろ、むかひの山きはにおほきなるゐのし ﹄の見えけるを、小牛を乙そみつれ、と人のいひけるを聞 て よ め る 鹿をみてむまといひける人たにも け ん 一 三 八 ゐをはうしとや恩はさり ②﹁人﹂が﹁ゐのし h ﹂を見て﹁小牛﹂といったので、作者が即 座に﹃史記﹄の故事(秦の遡高が鹿を馬といった故事)を連想 し て 詠 じ た 歌 で あ る 。 ③八月己亥 、 組高欲 ν矯乱。恐エ群臣不 v聴、乃先設 ν験。持 ν鹿献= 子二世ぺ目、馬也。二世笑目、丞相誤邪。謂 ν鹿為 ν 馬 。 問 ニ 左 右 ぺ 左 右 或 黙 、 或 ニ ヨ ロ ν 馬、以阿 d 順 組 高 二 以 言 ν鹿 ︹ 者 ︺ 。 高 因 陰 中 三 諸 言 ν鹿 者 -以 ν法 。 後 群 臣 皆 畏 高 。 ( ﹃ 史 記 ﹄ 一 、本紀 秦始皇本 紀 ) 吃ゴ = 川よりいかたのくたるか、くひのたてるをみてをしのけてく たるをみてよめる いかたしにあそふま川のみをつくし 哉 -15一 をしのけられてすくる比 届岡山 川から 筏が下ってくるのであるが 、 杭 が立っ て い る のを見 て、それを上手に避けて下るのを見て詠んだ(歌) 筏師に出あう柚川のみおっくしのように、身を尽して生きても 世間の隅に押しのけられて日を過どすこの頃である ζ と だ 。 口 同 阿 一
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いかたし筏に乗って川を下ることを生業とする人で 、 筏 差しともいう。﹁浅き瀬になげきて渡る筏師はいくらのくれか流 l i l l 1 そまやま そ ま き れ 来 ぬ ら ん ﹂ ( ﹃ 字 津 保 物 語 ﹄ 祭 の 使 ) 。O
到劃川柏山から柏木 を出して、流して運ぶ川。なお、﹁柏木﹂は材木になる木、その 木を植えた山が﹁柏山﹂である。﹁そま川におろす筏のいかにと も い ふ べ き か た も な く ぞ な る か な ﹂ ( ﹃ 浜 松 中 納 言 物 語 ﹄ 巻 二 ) 。O
みをつくし 水路標識の ﹁ 標湾﹂と ﹁ 身を尽 し ﹂ を 掛 け る 。 口白①散木奇歌集(巻第九雑 部 上 ) 川 よりいかたのくたるか 、 くひのたてるをみて 、 をしのけ てくたるをみてよめる いかたしにあふそま川の身をつくし ζ ろかな ブU おしのけられてすくる ② 夫 木 抄 ( 巻 第 三 十 = 一 雑 歌 中 同 ( 俊 頼 朝 臣 ) 一 五 七 五 ニ いかだしにあらそふ川のみをつくしおしのけら れ てすぐる比 カな 雑部十五) 甘 回 松のすひつにする ζ とともなくてかなはといふ物のたて る を みてよめる いかにせんいっちゅけとも世中の 与 己 かなはぬさまそにる物もな 口 問 問 一 松 の 灰 植 に 寄 っ て 居 て 、 特にするとともなく金輪というもの が 立 っ て い るのを見 て詠んだ(歌) いかにしたものであろう。どとへ行乙うとも世の中が自分の思 い 通りにならな い さ ま は 、 全く他に似 る物がな い有様であ る 。 ︹ 岡 阿 一o
引 寸 炉 。 い ろ な ﹁ 火 桶 の 火 、 灰植などに 、 手のうら うち 返 しうち 返 し 、 お し の べ な ど し て ﹂ ( ﹃ 枕 草 子 ﹄ ) 。O
州制凶 戸 ﹄ hy g、 ﹁ 金輪 、 鉄 輪 ﹂ o 五徳(火 鉢 や 囲炉裏に置 い て 、 鍋 や や か ん を 載 せ る鉄 製 の台。二本足で輸を上下 の い ず れ か に し て 使 う ) 。 ﹁ 金 輪 ﹂ と ﹁ かな(叶)は ﹂ を 掛 け る 。 巾凹①散木奇歌集(巻第九 まつのすひつに 、 することもなくて 、 かなはといふもの h たてるをみてよめる いかにせむいっちゅけとも世中の もなき 雑部上) Eヨ Cコ か な は ぬ き ま そ に る も の 主 みやとにすみわひて、田上に ま かりてよめる あし火たく山のすみかは世中をあくかれいつるはしめなりけ り 口閣凶都に住みづ らくなって田上 に や っ て 来 て 詠んだ(歌) 葦火を焚く 山の住居 は世の中から 山里へとさまよい出 る そ の は じ め で あ る 乙 と だ 。 付 ①散木奇歌集(巻第九 維部上) - 16ーg g 宮こにすみわびて 、 田上にまかりでよめる あし火たくまやのすみかはよの中をあくかれいづるはしめ なりけり ②詞花集(巻第 十 雑 下 ) みやとにすみわびてあふみにたなかみといふところにまか り で よ め る 掠 俊 頼 朝 臣 gggg -t3/一、 あしびたくまやのすみかはよのなかをあくがれいづるかどで なりけり ①﹃回上集﹄五五と同歌である。但し詞書と四、五句が相違して い る 。 ﹃ 散 木 奇歌集﹄と 同 様 の 相 違 が あ る 。 寸 = フ『 むかひの江に 、 童のあそひたはふる h を 、 尋ぬれは 、 み そ か いといふ物ひろふなりといふをき﹄てよめる 江のよとにみそかいひろふうなひ乙かたはふれにでもとふ人 そなき 口問問石かいの入江で 、 童が遊 んでいるのを、尋ねて行ったと ζ ろ 、 童が満貝という物を拾うのであるというのを聞いて詠んだ ( 歌 ) Al(i; ↑ T E 3 5 z f ニ ノ 、 、 入江の淀んだ所で溝貝を拾う童がいるが 、 たとえ少しでもとっ そり私の所を尋ねて来る人はいないことだ(私は童を尋ねて行 っ た と い う の に ) 。 且 闘 門 一
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み そかい﹁溝貝﹂。マテガイ科の二枚貝。本州以南の沿岸 に 分 布 。 殻 は 横 に 長 く 一 周 平 な 長 方 形 、 薄くて割れやすい。長さ約 三 回 。 一溝貝﹂と﹁酌どを掛ける。﹁溝貝と言ふ物の大きなるが 口 を 開 け て 有 け る を ﹂ ( ﹃ 今 昔 物 語集﹄巻二 十 九 ) 。O
うなひこ うなゐの髪形にした子供をいう。 口問一①散木奇歌集(巻第 九 雑 部 上 ) むかひの江に、わらはのあそひたはふる与をたつぬれは、 みそかひといふ物ひろふなりといふを聞てよめる 江のよとにみそかいひろふうなゐ ζ がたはふれにでもとふ 人そなき - 17-g 17-g ②夫木抄(巻第三十五 、 雑部十七) 俊頼朝臣 一六七五口えのよどにみそがひひろふうなゐ乙がたはぶれにだにとふ人 もなし 此歌は、たなかみにてむかひのえにわらはべのあそびたは ぷるるをたづぬれば 、 みそがひひろふといふをききてよめ る と 云 々 ( 一 ム ハ 七 四 ﹁ た はぶれ歌とてよみける中に ﹂ と並 ぶ ) 。 ③村 上忠 順は ﹁ 大和本草云馬万 ト ブ貝 - 一 似テ小也泥ミゾニ生ズ海 ニ ハ ナ ジ 色 黒 キ ユ ヱ ニ 烏貝ト云フ本草ニ モ 鮮に 似 テ小也ト云 リ 其外ミゾ貝 ニ ヨ クアヘリ畔卜 一 類 ニ テ 小 也 ﹂ と﹁ み そ 貝 ﹂につ いて注記す る 。 寸ゴ →= 田上に侍ける比 、 かたひなたにゐて 、手 のかさむしりてよめ る あやしさはみなもと h 乙そ思ひつれ 有 け る は た へ は ζ せ の うち に そ ︹閣阿 百上に居 た頃 、 片ひなたにいて 、 手のかさをむ し り取って詠 んだ(歌) 不思議な ζ とは 、す べてがみな元通りに戻ったと思って い た の に、肌にはまだかさぶたができてい た ζ と だ 。
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剖 刷 州 剖 二つ出 でたり ﹂ ( ﹃ 伊 勢 物 語 ﹄ 九 六 段 ) 。O
みなもと﹁源﹂(水 源)と ﹁ 皆元通りになる ﹂ 意 を 掛 け る 。O
は た へ ﹁ 肌 ﹂ と ﹁ も う 一 方 ﹂ の意を掛ける 。O
とせ﹁乙せがさ﹂のこと 。皮膚 病 の 一 種で 、 淳疹 、湿 疹な どをいう 。 手にできたできもの。第。 ﹁ 女 、 手に か さ 一 つ 口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻第 九 維 部 上 ) 田上に侍り し比 、 か た ひ な たにゐ て 、 手 の か さ む し り て よ める あやしさはみなもと﹀乙そ 恩 ひ つ れ そ有け る ーノ戸、 せコ はたへは乙 せ の うちに ② ﹁ ﹃ コ セ ﹄ は 山 かげの道 、 または 山 麗 の地形に名付けられ る 名 称であるが 、 現在の小字﹃カセカイ ド ﹄の﹃カセ ﹄ も同様の性 質 からくる地名 で あると論考した。しかし﹃ コ セ ﹄ と ﹃ カ セ ﹄ は同じではなく 、 ﹃ カ セ ﹄ は河岸魚 市場 の 意 味をあ らわす ﹃ カ ン﹄と同じ 意 味の名称であろうと 考 え る 。 : ・ : 古 く は 小 山川 の 川口 は深く陸 地 に 湾入 してい たから 、そ のような 考 えも 、 あな がち不当なものではな い と 思う。( 今 井 優 、五八t
五九頁) せゴ ノ ー、 河につりする翁のあるをたつぬれは 、 め侯なりといふをき h て よそ人のつくれるつみと恩へとも き こさいの な けれはもと わかれうすると閉そかな し 同 問 一 河で釣りする翁がいるので 尋ねて みると、おかずがないので 魚を釣 っ て い るのです と 答えたのを 聞 い て (詠んだ歌) - 18ー他人の作る罪とは思うものの、自分のためにすると聞くのは悲 し い と と で あ る 。 囚闘凶
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剖川御菜。おかず。O
わかれうする﹁わが料する﹂ ﹁わが漁する﹂など考えられる。前者が相応しい。なお、﹁別れ失 する﹂と解する説も見える(今井俊、一七頁)が、従えない。 口問一①散木奇歌集(巻第九雑部上) 川につりする翁のあるをたづぬれは、乙さいのなけれはも とめさふらふなりといふを間て よそ人のつくれるつみと思へとも な し き ノ 一、 / 、 わかれうするときくそか 司口 才U 式部大輔の、むかひの山田のかきねに、ふみはっしといふこ とをして、烏をとり侍けるを、人のみぬほとにか h りたりけ るにや、けなとちりてその﹄ちはか b らさりけれは、まも 3り する人のおとろきて、か﹄らぬよしを申けるをき h て よ め る 思ふらんしりく h りたる烏ならはふみはっしでもか h るめ見 し ん ﹂ 口問問一式部大輔が、むかいの山田の垣根に、ふみはずしというわな を仕掛けて、鳥を捕っていたが、人の見ていない聞に烏がか fpzS1L-40 寸 言d
宅 え -t ua 告 白 し て 戸 一 司 2 八 た 蔀 ﹂ かったのであろうか、毛などがあたりに散っていてその後は もうかからなかったので、仕掛けた者(式部大輔)が不審に 思って烏のかからない旨を申したのを聞いて(詠んだ歌) しっかりと後始末のできる鳥であるならば、たとえ一度は失敗 しても二度とはふみはずしにはかかるまいと思っている乙とで あろう。 凪 闘 門 一O
ふみはっし鳥を捕えるために 作った一種のわな。歌では わなの﹁ふみはっし﹂と失敗する意の﹁ふみはつし﹂を掛ける。O
パ引引叶引削引尉尻をくくった烏で、一度おかした失敗を教 訓 と し て い る 鳥 の 乙 と 。 19 -口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻 第 九 雑 部 上 ) 式部大夫の、むかひのやまたのかきねにふみはっしといふ 事 を して、鳥をとり侍けるを、人もみぬほとにか h りたり けるにや 、けなとちりて、その﹄ちはか h ら さ り け れ は 、 まもらする人のおとろきて 、 か h ら ぬ よ し を 出 叩 け る を 間 て よ め る 恩ふらんしりく h りたる烏ならは み し と z f、
プu ふみはっしでもか h る め 田上に侍け る 比、ともりかいねといふものをもちゐにしてとりいて h 侍けるを 、 又の日みそうつにして侍けるをみてよめ る ノ、 Eコ ほうし乙のいねとみしまにもちゐれは けるかな みそうつまでもなりに 口問問 百上 に 出 た頃 、 乙 もりがいねというものを餅にしてとり出し たのを 、 翌日には 味 噌水に してあ るのを 見て詠んだ ( 歌 ﹀ 法師子の稲だと見ているうちに餅にして用いていると、味 噌 水 にまでなったととだ(法師子だと思っていたら、みるまに僧都 と いう高位にのぼ っ た と とだ ) 。 口 同 哩
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こ も りかいね語義未詳。稲の一種であろう。O
割 引
つ 味 噌水。味噌を加え て 煮た雑炊。﹁僧都 ﹂ を 掛 け る 。O
ほ うしとのい ね 穂 に で(のぎ)のない 稲 。 ぼ う ず い ね 。O
もち 副 ﹁ も ち い ひ ﹂ ( 餅 飯 ) の 変 化 し た 語 で 、 餅 に 同 じ 。 ﹁ 餅﹂に﹁用 ゐ ﹂ を 掛 け る 。 口問一①散木奇歌集(巻第十雑部下隠題) 田 上 に 侍ける とろ、とも りかいねと いふも のをもちゐに し てとりいて h 侍けるを、また の ひ 、みそうつにして 侍ける をみてよめる ほうしこのいねとみしまにもちゐれは 五 目 玉 みそうつまでもなり にけ る 哉 ② 源俊頼回 上にて法 師子の積を詠歌の事 俊頼朝臣 、 秋のすゑっ かたに 、 たなかみといふ 所 へ ま か り た りけるに 、 い ねをかけつみたるを 、 ﹁あれはなにといふいねぞ ﹂ と問ひ ければ 、 ﹁ 法師子のいねなり﹂ と い ひける。又あしたに ﹁ きのふの法師 子 のいねにでした る 御みそうづ ﹂ と て 、 くはせ たりければ 、 よみ侍ける 昨日みし法師子のいね夜の程にみそうづまでに成にけ る哉 ( ﹃ 古 今 著 聞 集 ﹄ 巻 第 十 八 飲 食 ) 田 上 に侍ける 比、日 のくれかたに 石山のかたに かねのとゑ のきとえ け れ は 、 くちすさ ひ に 八 一a
石 山 の か ね の こゑとそきと ゆなれ と れを連歌にき ﹄ な し て 八 一b たかうちな し に たかくな るらん 俊 重 門 閣 岡 山 田 上 に 居 者 、 日 暮れ時に石山寺の方で鐘の音が聞えたので ロをついて出るままに a 石 山 寺 の 鐙 の 土 日 が 聞 え て 来ることだ (と詠んだととろ)とれを連歌にしようとして(詠んだ付句) 俊 重 1 4ァ
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T 1 2 -3 L 君 、 F O --、
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-20一, G 6 1 1 ︿ C t U 1 4 4 ζ ・ d I t τ ε ト ド J q J fe d n h 4 4 L L J 4 4 J a て 4 昌 T ・ 幸 、 ナ k t d b 誰が磐を打ち鳴らすゆえに高く鳴るのであろう。 口 問 問 一
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羽川町石 山寺を いう。瀬田川沿いにあ っ て 、 如意輪 観音 巡 礼十三番札所 。 開基は良弁僧正 。天平勝 宝六年草創 の 寺 院 。O
叶引叫し ﹁ うちなら し﹂( 打ちに同じ。楽器の 一 種 で 、 石 ・ 玉 ・ 銅 ・ 鉄 な ど の ﹁ へ の 字形 ﹂ の板をつり下げて 、打 ち鳴らすも の。仏具として勤行時に使う磐の俗称。なお、 ﹁ うちなし﹂に﹁打 ち鳴らし﹂と﹁氏なし﹂を掛け る ( 今井優 、 一 八 頁 ) と す る説 も 見 え る 。 口 問 一 ① 散 木 奇 歌 集 ( 巻第 十 雑 部 下 連歌 ) 田上に侍りけるとろ 、 日 の く れ か たに、いし山 の か た ( マ 7) に、かねのこゑの聞えけれ、くちすさひに いしやまのかねのとゑとそきとゆなれ これを連歌にき﹀なして たかうちなしにた か く なるら ん 一 五 八E
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俊 重 一 五 八 五 b ②池田 富 蔵 ( ﹃ 源 俊 頼 の 研 究 ﹄ 五 九 六頁 )に﹁石山 寺の方から間 え て く る 鐘 に ふと口吟したのを俊 重 は 、 乙 れを連歌にき き な し 0 0 0 0 0 て 附 け た の で あろう。下句の面白 き は﹃うちならす﹄ことに ﹃ 整 ﹄ ( ト ト Jhv い日古代の楽器)を掛けて答えたのである。夕暮 れ時石 山 寺からひびいてくる 鐙 の 音 を 亡 き経信の田上荘におい て静かに聞いている俊頼父子の姿 が 浮 ん で く る 。 石山寺という 俊重 背景の故か 、 が 見 え る 。 連歌としては珍しく和歌的情景である o ﹂ との評 f、、 た な か み にてよみ侍 け る 新古今十 旅ねす る あ し のまろやのさむけれは な り ⑧ 大 納 言 経 信 つ ま 木 乙 り つ む 舟 い そ く 底本四 五句﹁つま木 乙もつむ舟 い く な り ﹂ とあるが 、 誤 写 脱 字とみて﹃大納 言 経 信 集 ﹄ ( 書陵部議本)により改 め る 。 門閣阿国上で詠 ん だ ( 歌 ) 旅 寝する葦 ぶ き の 小 屋が冬になる と 寒 い の で 、 冬を越す用意に 薪を伐って積んだ舟が 川 を 急 ぐ の で あ る 。 -21 -口 問 阿 一O
割引引 葦や 茅 で 葺 いた仮小 屋 。0
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剖 ボ 折 り 取 っ た焚木c
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引 つ む ﹁ こ る ﹂樵る)は木を 伐り出すことで 、 伐り出した木を舟に積むことをいう。 日 間 一 ① 大 納 言経 信集(書 陵部蔵本) 田 上 の 路 に て た ひ ね す る あしのまろ やのさむけれは いそくめり つ まきとりつむ ふ ね 豆 三 豆 三②新古今集(巻第 十 霧旅歌) た な か み に て よ み 侍 り け る 大 納 言 経 信 たびねするあし の まろや のさむければ つ ま ぎ と り つ む 舟いそ ぐなり 九 二 七 -22ー