米中の覇権争いと大学の学問の自由
著者
宮田 由紀夫
雑誌名
国際学研究
巻
9
号
1
ページ
101-116
発行年
2020-03-30
URL
http://hdl.handle.net/10236/00028360
1.は じ め に
本稿の目的は、アメリカと中国との関係が、ア メリカの大学の学問の自由に与える影響を考察す ることにある。今日、大学で行われる研究は基礎 研究であっても商業的・軍事的価値を持つことが 多い。基礎研究と応用研究の境目があいまいにな るとともに、軍事と非軍事技術の境目もあいまい になっている。エレクトロニクスやバイオテクノ ロジーはビジネスにも軍事にも利用できる両用技 術(Dual Use Technology)である。中国人留学生 がアメリカの大学院で学んだ科学技術知識は、帰宮田由紀夫
*Hegemony Competition between US and China and
Academic Freedom in the US Universities
Yukio MIYATA 要旨:アメリカの大学では外国人留学生が研究に貢献している。インド人と並んで中国人 の役割は大きい。今日、大学院の研究が両用技術として民間と軍用の技術に貢献するの で、アメリカの大学の研究成果が中国人留学生を通して非合法的に、あるいは合法的だが 不適切な形で中国の民生・軍事技術に貢献している。しかし、研究者や学生を現在または 過去の国籍によって差別することは好ましくない。 Abstract :
The strength of US innovation system is to attract excellent human capital from all over the world. In particular, Chinese students play an important role to create implicit as well as codified knowledge at US universities. They also want to stay in the US as industrial researchers. How-ever, Chinese researchers at US research institutes transfer knowledge and technical expertise through illegal ways(as espionage or hacker)and legal but improper ways such as taking out unpublished data or the copies the design of experimental equipment.
China also established the Confucius Institutes in many countries including US, which help Chinese political views to be diffused in the world. Some critics who are not only liberal profes-sors but also conservative politicians argue that these are organization for propaganda of Chinese foreign policies without guaranteeing academic freedom rather for education of Chinese language and culture and that US universities should not house such organizations on campus.
While US needs to consider the possible problems of technology transfer by Chinese, discrimi-nation against people based on their discrimi-national origin is not a democratically proper policy and de-teriorates the research capability of the US.
キーワード:両用技術、国家安全保障、孔子学院、学問の自由
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関西学院大学国際学部教授
国後に中国の産業・軍事力のために利用される。 中国人留学生は合法・非合法の手段でアメリカの 研究室のデータや知識を持ち出す可能性がある。 一方、アメリカの大学は多くの中国人留学生を抱 えている。彼らをスパイと見なし行動に制限を加 えることは、アメリカの大学の学問の自由に大き な制約を課し研究活動を妨げることになる。 本稿の構成は次の通りである、第 2 節ではアメ リカの大学、ハイテク産業における外国人人材の 役割について考察し、第 3 節ではその中での中国 人留学生の現状について述べる。第 4 節では中国 における外国技術導入の合法的・非合法的活動に ついて考察し、第 5 節ではとくに中国人留学生の スパイ活動について議論する。第 5 節では米中間 での文化交流の不均衡を考察する。
2.外国人人材の役割
外国人人材はアメリカの科学技術者市場で重要 な役割を果たしている。留学生(一時ビザ保持 者)は学士号取得者の中では工学も自然科学も一 ケタ台でそれほど多くない。しかし、修士号取得 者では工学で約 50%、自然科学で 40% になって いる。博士号取得者では、自然科学では 31%、 工学では 56% である(表 1 を参照)。また、表 2 は 2017 年の大学院の専攻分野別の留学生数を示 しているが、科学・工学分野では中国とインドが 1 位を競っており、それ以外の文系も含めると中 国が一番多い。 研究室では実際に研究が行われることによって その場所に暗黙知が蓄積され、その研究室の論文 生産性が高まるので、研究の担い手としての外国 人留学生は貴重である。もちろん、暗黙知は人に 付随するので、留学生が帰国すればそれが母国に もたらされる。後述するように、露骨なスパイ活 動でなくても、中国人研究者によってアメリカで 得られた暗黙知が帰国後に中国の企業や軍部に利 用されることは否定できない。 しかし、表 3 が示すように博士号を取得する留 表 1 博士号取得者の中での留学生(一時ビザ)の 比率(2015 年、%) 全分野 26.4 科学・工学 34.1 工学 55.6 科学 27.5 自然科学 31.4 農学 35.7 生物科学 27.5 地球・大気・海洋科学 31.6 数学・コンピュータ科学 53.0 医学 20.1 物理科学 40.2 社会科学・行動科学 18.2 科学・工学以外(人文学) 12.5 出所:Natinoal Science Board(2018, Table 2-32)表 2 大学院留学生の専攻分野(2017 年) 地域 全体 科学(社会科学含む)・工学 科学・ 工学以外 科学・ 工学合計 農学 生物科学 コンピュ ータ科学 工学 数学 物理科学 心理科学 社会科学 全体 367,920 229,310 3,920 15,530 61,460 88,960 18,110 18,140 3,340 19,850 138,610 中国 124,990 79,580 1,210 5,490 14,680 30,840 11,910 7,430 860 7,160 45,410 インド 96,760 77,500 460 3,000 36,200 32,110 1,800 2,280 320 1,330 19,260 イラン 9,150 7,640 110 240 1,010 4,910 200 800 60 320 1,510 韓国 17,050 6,650 120 590 650 2,360 470 600 260 1,600 10,410 サウジアラビア 10,850 5,200 90 700 1,270 1,750 350 500 110 430 5,640 台湾 8,810 4,580 70 470 930 1,870 310 520 110 300 4,230 フランス 2,250 1,060 20 70 100 530 90 70 20 170 1,190 ドイツ 2,170 970 30 120 80 180 70 130 50 310 1,200 日本 2,590 990 20 100 80 210 30 80 50 410 1,600 出所:Natinoal Science Board(2018, Table 2-26)
表 3 博士号取得留学生のアメリカ残留希望 分野 博士号取得者数(人) 残留希望(%) 残留見込みあり(%) 2004-07 年 2008-11 年 2012-15 年 2004-07 年 2008-11 年 2012-15 年 2004-07 年 2008-11 年 2012-15 年 科学・工学全体 49,857 55,506 59,922 76.7 75.5 75.4 51.0 49.6 45.2 中国 15,561 16,120 19,078 91.0 85.6 83.4 58.9 54.9 49.4 インド 5,774 8,936 9,113 89.1 86.6 86.5 61.9 57.8 50.9 韓国 4,735 4,836 4,303 69.5 68.1 65.7 43.7 44.7 40.5 台湾 1,925 2,275 2,430 65.0 69.9 74.6 38.1 41.8 42.3 農学 2,120 2,093 2,309 59.9 63.4 65.5 36.9 38.4 36.2 中国 414 380 567 85.7 78.7 78.1 52.4 48.2 42.3 インド 152 276 269 88.8 85.1 82.9 56.6 45.7 42.4 韓国 181 181 110 72.9 69.1 60.0 43.1 42.5 36.4 タイ 98 73 96 17.3 19.2 20.8 7.1 9.6 10.4 生物・生命科学 8,135 10,092 10,204 84.7 82.7 81.0 58.6 54.9 47.7 中国 2,859 3,277 3,155 93.9 88.6 84.6 62.3 56.6 49.6 インド 1,073 1,807 2,101 92.3 90.4 89.1 65.6 58.8 49.5 台湾 344 508 569 82.3 80.9 83.8 53.8 53.7 50.3 韓国 581 650 503 90.2 85.8 88.5 67.8 61.5 55.7 医学 1,941 2,105 2,227 65.8 71.7 70.8 41.3 44.4 40.1 インド 308 425 454 91.6 88.2 87.2 58.4 53.9 45.2 中国 337 382 439 88.7 83.2 82.9 60.2 54.7 51.0 韓国 159 187 177 73.0 79.7 72.3 37.7 49.7 37.3 台湾 197 186 153 44.2 58.1 62.1 21.8 38.2 37.3 物理科学 8,051 8,674 9,031 81.1 78.1 76.9 55.7 53.8 46.8 中国 2,836 3,064 3,392 90.9 85.8 84.1 59.8 57.3 49.5 インド 645 1,109 1,234 86.7 83.3 83.4 61.4 58.7 49.9 韓国 579 549 450 80.8 74.5 64.4 57.0 57.6 42.0 台湾 208 241 332 77.9 73.4 73.8 57.2 51.0 49.7 数学・コンピュ ータ科学 5,807 6,700 7,851 78.4 76.9 79.4 56.3 53.3 52.9 中国 2,101 2,443 3,300 91.3 86.0 87.0 65.1 58.6 56.9 インド 638 976 970 86.4 84.4 84.6 64.7 60.5 58.8 韓国 445 475 470 75.1 71.4 70.9 47.2 43.4 46.8 台湾 171 177 228 63.7 70.1 72.8 40.4 42.4 46.9 工学 17,073 18,253 20,722 80.1 79.1 79.2 49.5 49.5 45.2 中国 6,203 5,470 6,905 91.7 87.5 85.2 55.5 52.9 48.0 インド 2,587 3,804 3,579 90.4 87.8 88.6 61.4 58.3 52.0 韓国 2,052 2,014 1,786 66.6 66.8 65.7 37.8 41.6 39.5 イラン 321 576 1,581 93.8 91.1 91.5 64.2 61.3 52.5 出所:Natinoal Science Board(2018, Table 3-21)
学生の多くはアメリカでの就職を希望している。 本来学生ビザで入国した学生は終了後は帰国する のが前提であるが、企業に採用され就労ビザが得 られればアメリカに残留できる。母国のハイテク 産業が発展すれば母国での就職口も豊かになるは ずだが、留学生の間ではアメリカ残留希望が高く 希望がかなわず不本意ながら帰国している(「残 留見込み」は「残留希望」よりも低くなる)ケー スがまだまだ多いのである。とくに中国人留学生 の残留希望は、2004-07 年、2008-11 年から 2012-15 年で低下傾向にあるが、依然として科学・工 学のどの分野でも極めて高い。表 4 は、実際にア メリカで働いている元留学生の比率であるが、全 体で 70%、中国人とインド人の比率が高いこと が分かる。表 5 は 2015 年で、国、企業、大学の 研究機関で勤務するアメリカの科学技術者の 30 %が外国生まれであることを示している。その中 ではアジア出身者が多い。アメリカ生まれの科学 技術者の中では白人が 85% と圧倒的に多く、ア ジア系は 3.1% で人口比(2014 年で 5.2%)より も少ない。さらに移民科学者は質も高く、2000 年から 2017 年までのアメリカのノーベル賞(物 理、化学、医学・生理学)受賞者 83 人のうちの 39% に当たる 32 人が外国生まれである。2010 年 に全人口の 13% のみが外国生まれなので、きわ めて高いと言える1)。 移民は起業家としてもアメリカに貢献してい ────────────────────────────────────────────
1)E. W. Priestap(Assistant Director Counterintelligence Division, Federal Bureau of Investigation)の議会公聴会での 発言(US Congressional Hearing 2018 b, p.6)。
表 4 博士号取得者の 5 年後、10 年後の在米率 2010 年に博士号を 取得した人数 5 年後に在米 している率(%) 2005 年に博士号を 取得した人数 10 年後に在米 している率(%) 全体 36,700 人 70 31,600 人 70 分野別 農学・生物科学・医学・環境学 9,100 人 72 7,400 人 69 数学・コンピュータ科学 4,900 人 76 3,700 人 74 物理科学 5,600 人 66 4,900 人 69 社会科学 4,800 人 49 4,800 人 51 工学 12,300 人 75 10,900 人 76 出身地別 中国(含香港) 10,600 人 85 10,700 人 90 インド 6,300 人 83 3,500 人 85 韓国 3,600 人 66 3,000 人 56 西アジア 3,200 人 61 2,700 人 56 ヨーロッパ 3,900 人 64 3,800 人 65 南北アメリカ 3,800 人 53 3,500 人 50 その他 5,400 人 49 4,500 人 45 出所:Natinoal Science Board(2018, Tables 3-27, 3-28)
表 5 科学技術人材の人種構成比(2015 年) 合計 外国 生まれ アメリカ 生まれ 人数(万人) 640.7 192.3 (30.0%) 448.4 (70.0%) 構成比(%) 先住民 0.2 0.0 0.2 アジア系 20.6 61.4 3.1 アフリカ系 4.8 4.5 4.9 ヒスパニック系 6.0 9.0 4.8 ハワイ・島嶼系 0.2 0.3 0.1 白人 66.6 23.9 84.9 混血 1.6 0.8 1.9 出所:Natinoal Science Board(2018, Appendix Table
3-19)
る。Wadhwa et al.(2007)は全米で 1995 年から 2005 年に設立された技術系企業 4586 社を対象と して調査を行い 2054 社から回答を得た。そのう ちの 25.3% で創業者の少なくとも 1 人は外国生 まれ(現在の国籍は問わない)であった。インド が 26.0%、イギリス 7.1%、中国 6.9%、台湾 5.8 %であった。この調査にはシリコンバレーにある 126 社が含まれていたが、そのうち 52.4% で外国 生まれが創業者に含まれていた。もちろんヤフー の Jerry Yang やグーグルの Sergey Brin のように 外国で生まれて親とともにアメリカに移住してき たケースもあるが、留学生としてアメリカに来 て、卒業後に大企業に就職したあとで起業する場 合もある。外国人はアメリカで就職できたとして も、目に見えない差別によって出世に後れをとる ので、それに不満を持って起業する2)。移民は渡 米していきなり起業するのではない。人脈もない し、就労ビザもないので起業は難しい。大学・大 学院を出て就職して人脈を築いてから起業するの で、入国してから起業までは平均で 13.25 年もあ る。仮に帰国してしまったとしてもアメリカの一 流大学を修了した学生は文系も含めて母国でエリ ートとなる。ブッシュ(子)政権のイラク戦争を 支持した 50 以上の国で指導者がアメリカに留学 または研修の経験があった3, 4)。 学部学生の場合、留学生は奨学金に頼らず自費 で高い授業料(州立大学の場合でも、州内者より 高い州外者授業料)を払ってくれるので、大学の 財政にも恩恵がある。また、消費によって地元の 経済に貢献している。2017 年で留学生によるア メリカ全体での経済効果は 370 億ドルで 45 万人 の雇用を創出している5)。 留学生を教育することに税金を投入することに は批判もあるが、前述のように研究を行うことが 知の蓄積には重要である。さらに、彼らはアメリ カで就職してくれる。中学生 100 人を競わせて 1 番になった人材をアメリカの大学・大学院が引っ 張っていくのであるから、アメリカにとってはむ しろ効率が良く、発展途上国にとっては頭脳流出 である。日本で優秀なサッカーや野球の選手が海 外に移ってしまうのと同じである。 大学院で留学生が増えることでアメリカ人の進 学 機 会 が 失 わ れ る こ と が 懸 念 さ れ る。Borjas (2004)によれば、留学生の数は理工系大学院で アメリカ人学生とマイナスの相関関係は持たない が、レベルの高い大学院での白人男性とはマイナ スの関係を持つ。彼らは民間企業や公務員として 差別されず出世できるので、理系大学院で博士号 を採ろうと思わないのも理由の 1 つである。2000 年の時点で 5% の割引率で、生命科学の博士号取 得者は開業医に比べて 300 万ドル、弁護士比べて 180 万ドル低い(Freeman 2005, pp.11, 37)。図 1 が示すようにアメリカでは一貫してロースクール やビジネススクール修了者の方が理工系の修士・ 博士課程修了者よりも多い。 さらに、アメリカの中等教育は必ずしも秀逸な も の で は な い。成 績 の 国 際 比 較 で は、表 6 の PISA(Programme for International Students Assess-ment)では 2015 年において 15 歳のアメリカ人生 徒は 35 か国の中で、数学で 31 位、科学で 19 位、 読 解 で 20 位 で あ る ( OECD 2016 )。 表 7 の TIMSS(Trends in International Mathematics and Science Study)では、2015 年で 4 年生の数学は 35 ヵ国より統計的に有意に上、10 ヵ国より下、8 年生の数学は 25 ヵ国より上、8 ヵ国より下であ った(アメリカの点数との差が統計的に有意でな い国もあった)。4 年生の科学は 39 ヵ国より上、 7 ヵ国より下、8 年生の科学は 27 ヵ国より上、7 ヵ国より下であった(Provasnik et al. 2016)。ま た、表 6 と表 7 が示すように過去 20 年近くアメ ──────────────────────────────────────────── 2)非白人、女性、外国人への差別は文章としては存在しないが、目に見えない上限が存在するので「ガラスの天 井(Glass Ceiling)」と呼ばれる。
3)Allan Goodman(President of Institute of International Education)の議会公聴会での発言(US Congressional Hear-ing 2004, p.55)。
4)フルブライトプログラムでアメリカの大学で学んだ留学生が帰国後、リーダーになっていることが多いのだ が、中国はフルブライト留学生の同窓会を禁止している唯一の国である(US Senate 2019, p.113)。
5)E. W. Priestap(Assistant Director, Counterintelligence Deivision, Federal Bureau of Investigation)の議会公聴会で の発言(US Congressional Hearing 2018 b, p.5)。
リカの生徒の点数に向上は見られない。アメリカ は世界のトップ大学を擁しているが、中等教育は 中庸であるので、トップ大学の質は外国人留学生 が支えている部分が大きいのである。 ただ、多くの留学生が科学技術者として就職す ることは、科学技術者市場での供給を増やし賃金 を低下させることになり、そのことはアメリカ人 にとって理工系の研究者になることの魅力を減じ ることになる。とくに博士号取得後に研究所で勤 務するポスドクの労働市場に、アメリカの大学院 を修了したまたは母国の大学院を修了した外国人 が参入することは供給を増加させ賃金が低下する ことになる。さらに低賃金のポスドクを採用する ことで大学の教員の採用が抑制されることにな る。Borjas(2003)は一般的な移民では移民が 10 %増えると同じ職種・経験年齢のアメリカ人の賃 金が 3% 減少する(弾力性は 0.3)ことを実証し た。Borjas(2004)は研究開発従事者でも弾力性 は 0.3-0.4 であることを明らかにした。しかし、 ポスドクを除いて分析すると弾力性は半減するの で、ポスドクの増加が賃金水準を低下させている ことが明らかになった。 留学生は必ずしも一流大学院に集中してアメリ カ人の進学を妨げているわけではない。レベルの 高い大学院は定員を増やしていないが、1980 年 代からの留学生増加を受け入れたのは一流以外の 大 学 院 プ ロ グ ラ ム で あ る(Bound, Turner, and Walsh 2009)。表 8 は 1994-2003 年における博士 号取得者の国別のシェアとアメリカにおけるトッ プ 5 大学院からの博士号のシェア、その国の学生 が取得する学位の中でのアメリカのトップ 5 から の博士号のシェアである。中国とインドはトップ 5 の大学院からの博士号が相対的には小さくな 図 1 分野別の修士号・博士号授与数 出所:US Department of Education(2018)
表 7 TIMSS のアメリカのスコア 2015 2011 2007 2003 1999 1995 4 年生数学 539 541 529 518 518 8 年生数学 578 509 528 524 502 492 4 年生科学 546 544 539 536 542 8 年生科学 536 525 520 527 515 513 出所:OECD(2016) 表 6 PISA のアメリカのスコア 2015 2012 2009 2006 2003 2000 科学 496 497 502 489 数学 470 481 487 474 483 読解 497 496 500 495 504 Provasnik et al.(2016) ― 106 ―
る。アメリカ人ならびに(母国に優秀な大学院を 持つ)ヨーロッパからの留学生はトップ 5 からの 博士号でのシェアが高い。自国に大学院がある先 進国からの留学生はわざわざアメリカの大学院に 行くからにはランクの高い大学院で学びたいので ある。一方で、中国人留学生の存在がランクの低 い大学院の質の上昇につながり大学間の競争を激 しいものにしているのである。
3.中国人のアメリカ留学
中国はわが国と同様、19 世紀末から 20 世紀初 頭にかけては、近代化のため西洋文明を積極的に 取り入れた。アメリカ議会も義和団の乱での中国 からの賠償金のうち 1200 万ドル(2018 年ドルで は 3 億 6000 万ドルに相当)を中国の教育の振興 に用いることを認めた、今日の精華大学はアメリ カの大学進学のための予備校として始まったので ある。また、コロンビア大学のモンロー(Paul Monloe)はアメリカの大学のカリキュラムの中 国への導入に寄与した。義和団の乱は反西洋、反 キリスト教思想によって起こされたので、アメリ カとしても中国の教育を支援すべき理由があった (ハンナス他 2015、p。15)。1949 年の革命後は欧 米の大学との関係は弱まり旧東側諸国との学術交 流が主であったが、改革開放路線を始めた鄧小平 は 1978 年 7 月、訪 中 し て い た カ ー タ ー(James Carter)政権の科学アドバイザーのプレス(Frank Press)に中国からの留学生受け入れを求めた。 ホワイトハウスで就寝中のカーター大統領に電話 して了承が得られた。当初は 1000 人程度と予想 さ れ た が、す ぐ に 1985 年 に は 1 万 人 を 超 え、 1990 年には 3 万人を超えた。ただし、鄧小平は 90% の留学生が帰国すると考えていたが、ほと んど帰国しなかった(ゴールデン 2017, p.50)。 1980 年代後半には帰国を促す試みが行われるよ うになった。すでに中国の大学で講師になってい る修士号取得者がアメリカの博士課程に留学する 場合には、私用でなく公用パスポートを使わせ帰 国を促した。政府内でも科学技術審議会は将来は 中国に貢献できると考え帰国率が低くても留学を 支持したが、面目を失った教育審議会は留学その ものを抑制しようとした(Zweig 2006, p.189)。 1989 年に天安門事件が起き、アメリカ議会は 1989 年 6 月 5 日時点でアメリカにいるすべての 中国人留学生に在米のためのビザ変更を認める 「中国人移民緊急救済法」を上下両院満場一致で 表 8 各国の留学生が博士号を授与されたアメリカの大学院の質(1994-2003 年) 物理学 化学 経済学 生物化学 全体に おける シェア トップ 5 大学 での シェア その国の博士 号における トップ 5 大学 からの授与の シェア 全体に おける シェア トップ 5 大学 での シェア その国の博士 号における トップ 5 大学 からの授与の シェア 全体に おける シェア トップ 5 大学 での シェア その国の博士 号における トップ 5 大学 からの授与の シェア 全体に おける シェア トップ 5 大学 での シェア その国の博士 号における トップ 5 大学 からの授与の シェア 中国 12.4 8.3 7.0 15.5 5.3 2.7 6.0 3.8 8.4 16.6 6.3 2.5 インド 3.3 1.7 5.6 3.4 1.3 3.0 5.0 2.0 5.5 3.4 1.2 2.2 日本 0.6 0.4 6.7 0.4 0.3 6.5 2.2 2.7 16.5 0.3 0.2 4.5 韓国 3.7 1.9 5.5 2.8 1.9 5.3 7.1 3.4 6.5 2.6 1.0 2.4 台湾 2.8 1.7 6.6 2.4 1.7 5.6 2.9 1.0 4.7 2.8 2.5 6.0 旧ソ連 4.0 3.6 9.5 1.5 0.8 4.0 1.1 0.8 10.3 1.0 0.2 1.2 イギリス 0.4 0.9 27.7 0.6 0.4 5.8 0.8 1.8 29.1 0.4 0.2 3.6 イタリア 0.7 0.6 9.8 0.2 0.3 11.6 2.0 3.8 25.5 0.1 0.0 0.0 フランス 0.3 0.4 14.7 0.7 0.4 4.2 0.7 1.5 30.8 0.3 0.4 10.0 ドイツ 1.9 1.1 5.9 0.7 0.8 9.4 1.4 1.8 17.3 0.5 0.6 7.7 カナダ 1.3 3.8 31.4 0.8 2.0 20.6 1.3 2.5 27.5 1.0 3.3 22.7 メキシコ 0.5 0.2 4.9 0.3 0.1 3.3 1.1 2.3 27.3 0.4 0.0 0.0 アメリカ 49.6 56.1 11.9 56.1 71.2 10.1 39.0 40.7 14.1 58.5 73.1 8.3出所:Bound, Turner, and Wlash(2009, p.72)
可決した。中国との関係悪化を恐れたブッシュ (George H. W. Bush)大統領は拒否権を行使した が、同じ内容を大統領命令で実施した。さらに、 中国人留学生の陳情によって、1992 年に「中国 人学生保護法」が成立し、1989 年 6 月 4 日から 90 年 4 月 11 日にアメリカにいた中国人留学生全 員に永住権が与えられることになり、1993-94 年 では 5 万 5000 人が学生ビザから永住権ビザに変 更となった(ハンナス他 2017、p.220)。 1992 年に中国国家教育審議会が留学生帰国推 進の方針を出し、1993 年 11 月の人民代表会議で 正式に採用された。1994 年からの Hundred Tal-ents Program(「百人計画」)では 2013 年末までに 2145 人 が 帰 国 し た。1997 年 か ら 開 始 さ れ た Changijang Scholars Program(「長江計画」)によ って 2014 年までに 2251 人が帰国した。多くは若 手研究者であった。しかし、中国政府は次第に大 学院を修了したばかりの留学生や若手研究者でな く、海外ですでに地位を得ている中国人・中国系 研究者 に 注 目 す る よ う に な っ た。2008 年 に は Thousand Talents Plan(「千人計画」)を開始し中 国生まれで海外で活躍している研究者を、潤沢な 研究資金、給与、恵まれた住環境を提供すること で中国の研究機関への招聘を促した。2010 年に は外国人ならびに若手(40 歳以下)の中国人研 究者に も 対 象 を 拡 大 し た。2017 年 半 ば ま で に 7000 人 以 上 が こ の プ ロ グ ラ ム で 帰 国 し た が、 2900 人の若手中国人と 381 人の外国人が含まれ ている(Jia 2018)。1978 年から 2011 年まで 224 万人以上の中国人が(アメリカに限らず)世界中 に留学したが、81 万 8400 人のみが帰国した。そ の内、半数の 42 万 9300 人は中国の経済発展が進 みまた政府による帰国活動が活発になった直近の 2009-11 年である(ハンナス他 2017、p.243)。
4.中国のスパイ活動
アメリカにとって中国は旧ソ連に代わって軍事 面でのライバルとなり日本に代わって経済面での ライバルとなった。ソ連は軍事力強化を行ったが 経済力の強化が伴わなかったため結果として破綻 したという教訓から、中国は経済力と軍事力は一 体だと認識している。今日、先端技術は軍民両用 の性格を持っているが、中国は Made in China 2015 を定め、その中で 10 の先端技術で世界のト ップになることを目指している6)。巨大な研究開 発予算を組み、中国人科学者による論文数はアメ リカを追い抜くまでになっている。しかし、同時 に中国はアメリカなど先進国の技術を様々な経路 で導入しようとしている。経済スパイは軍事力の 強化にもつがるのである。 第 1 に明確な違法行為としての産業スパイがあ る。中国人または中国系アメリカ人が就職先の企 業の機密書類を持ち出したり、コピーを取った り、サンプル製品を持ち出すことでリバースエン ジニアリングを可能にする。2015 年に連邦捜査 局(FBI)が調査した 165 件の産業スパイ事件の うち 95% が中国人によるものであった(Brown and Singh 2018, p 17)。アメリカ国籍を取得して いれば軍需産業に就職することも可能なので、軍 事機密が持ち出される可能性もある7)。 第 2 がこれも違法行為であるが、サイバー攻撃 で機密を盗み出すことである。人民解放軍には 25 万から 30 万人のサイバー攻撃要員がおり、世 界のサイバー攻撃でも 96% が中国が発信源であ る。アメリカ企業の売り上げを 1000 億ドル減少 させ、3000 億ドル相当の知的財産が盗み出され て い る と 推 定 さ れ る(Brown and Singh 2018, pp.17-18)。 第 3 が合法的手段であるが、中国は公開されて いる科学技術情報を組織的に収集し中国の関係者 に伝達している。また、シリコンバレーなどに在 米中国人の技術者の団体を政府が支援して設立さ せ、情報交換と人材の帰国を促している。ただ し、そのような団体が企業や大学へのスパイ活動 を行う人材を勧誘する場にもなっている可能性も ある。 ──────────────────────────────────────────── 6)新エネルギー自動車、次世代情報技術、バイオテクノロジー、新素材、航空宇宙工学、海洋工学(高性能船 舶)、鉄道、ロボット、電力設備、農業機械である。 7)中国系アメリカ人 Donghan Chung は勤務していたボーイング社から軍用機の技術情報を盗み出し、2009 年に 懲役 15 年の実刑判決を受けた(The National Bureau of Asian Research 2013, p.41)。第 4 がこれも合法だがアメリカのスタートアッ プ(新興)企業への出資である。2015 年におけ るアメリカのスタートアップ企業へのベンチャー キャピタルの投資額の 16%(115 億ドル)、2016 年には 10%(62 億ドル)、2017 年には 11%(61 億ドル)が中国によるものであ る(Brown and Singh 2018, p.6)。スタートアップ企業の技術が投 資者・株主としての中国側に流れる可能性があ る。アメリカ側は Committee on Foreign Invest-ment in the US(CFIUS)が外国企業によるアメ リカ企業の買収の審査を行うが、ジョイントベン チャー、過半数未満の株の取得、破産したアメリ カ企業の資産の獲得は調査の対象でない。 第 5 がこれも合法であるが、研究開発直接投資 である。アメリカに研究所を設立してアメリカ人 研究者を雇うことである。ただ、これにはアメリ カ側にもメリットがある。研究者は研究経験を積 むことで能力を向上させることができる。在米中 国企業の研究所に勤務したとしても一生、中国企 業に勤務するわけではない。アメリカ人の研究者 が研究経験を積むことで能力を向上することはア メリカにとっては望ましい。 第 6 がアメリカ企業に対して中国市場へのアク セスと引き換えに営業秘密の開示を求めることで ある(White House Office of Trade and Manufac-turing Policy 2019, pp.5-12)。これは中国では合法 な活動だが国際的には不適切・不公平なものであ る。中国政府はアメリカ企業に工場設立の際に は、中国企業との合弁事業(ジョイントベンチャ ー)として行うことを求める。批判を受けている が文書に残らない行政指導のような形が行われて いる。さらに、生産だけでなく研究拠点を設ける ことを求め、中国人研究者を雇用しソースコー ド、発明の開示を求める。データと情報は中国に あるサーバに保存することが求められるが、おそ らく中国当局がそれらに必要に応じてアクセスす ることが可能になっていると考えられる。外国企 業が中国企業にライセンスする場合も政府が仲介 して、ロイヤルティを低く抑えたり、ライセンス を受けた中国企業が行った改良は中国企業が特許 にできるようにする、契約は 10 年未満として契 約が切れても引き続き中国企業が利用できるよう にする。中国での事業活動には多くの許認可が必 要であるが、当局(中央・地方政府)の判断は極 めて恣意的で不透明である。中国政府の要望に応 えなければ様々な形で報復が行われる。中国は安 全・保健面の規制は緩いのだが、外国企業には特 別厳しい基準を課し、それをクリアする過程でソ ースコードやアルゴリズムの開示が求められる。 さらに、中国はサイバー攻撃を行っていると疑わ れているにもかかわらず、自らはサイバー安全法 を制定した。この法律を使って外国企業のソース コードやアルゴリズムの開示が開示させられる恐 れがある。
5.中国人留学生によるスパイ行為
中国人留学生を通してアメリカの科学・技術知 識が流出していることが懸念され、中国人留学生 への規制が議論されている。大学が関わるスパイ 行為は全スパイ行為の 8%(2010 年度)から 24 %(2014 年度)に増加した8)。そしてそのうちの 多くが中国人によるものであるとの疑念がある。 テネシー大学の John Reece Roth 教授のケース では国防省からの資金で行った無人航空機の開発 のデータを、機密を漏洩してはならないイラン人 と中国人の留学生にアクセスさせたり、データの 入ったパソコンを中国に持ち出し、中国人助手に 対してデータを含んだ情報を中国の職員に送るこ とを許可した。Roth 教授は懲役 4 年の実刑判決 を受けた。彼の場合は中国を利するというよりは 自らの業績を誇示したかった面が多いと考えられ る。 ニューヨーク大学の准教授と 2 人のアシスタン ト(3 人とも中国人)は別の研究チームが国立衛 生研究所(NIH)からの 400 万ドルの資金で開発 した MRI 技術を写真にとって持ち出そうとして 逮捕された9)。デューク大学電子工学科の David Smith 教授の研究室に中国から留学していた Liu ──────────────────────────────────────────── 8)Daniel Golden(ジャーナリスト)の議会公聴会での証言(US Congressional Hearing 2018 a, p.50)。9)Mchelle Van Cleave(ジョージワシントン大学フェロー)の議会公聴会での証言(US Congressional Hearing 2018 a, p.42)。
Ruopeng は、Smith に中国時代の恩師である南京 の東南大学の Cui Tie Jun との共同研究を行うこ とを持ちかけた。その共同研究を通して Smith が国防省からの資金で行ってきた研究成果が中国 に持ち出された。これは機密指定されていない基 礎研究だったが、レーダーによる捕足を妨げる 「見 え な い マ ン ト」に つ な が る 技 術 で あ っ た。 2008 年に FBI は聞き取りを行うが逮捕できず、 Liu は帰国してしまった。彼は中国でこの技術を 実用化させるための企業を立ち上げ、中国政府か らの出資を受けて大金を手にした。デューク大学 は他のアメリカ大学と同様、中国からの留学生を 募ることに積極的で、中国に分校を開く予定であ ったので、中国に対して強く抗議しなかったとい われる(ゴールデン 2017, pp.28-29, 61)。 中国人留学生がアメリカで学んだ知識をもとに 中国で企業や軍の研究所で勤務するこれは防ぎよ うがないが、アメリカのエネルギー省のロスアラ モス研究所(原子爆弾を開発した研究所)は軍事 機密に指定されていない研究も行っており、そこ では外国人も勤務している。流体力学を研究して いた中国人研究者(Chen Shiyi)が帰国後、極超 音速ミサイルの開発に携わった。北京大学副学長 を経て Southern University of Science and Technol-ogy の学長となった。彼以外にもロスアラモス研 究所で研究経験を持つ学者が中国の大学に就職し ている。1 万人のロスアラモスの勤務者のうち数 百人が中国人である。軍事機密にはアクセスでき ないが、両用技術の最先端の研究に携わってお り、それが中国に移転される(Chen 2017)。ま た、人民解放軍の防衛技術大学からは 2007 年以 降、世界の大学院に 2500 人以上が留学し、2017 年には 734 本の国際共著論文が出ている。アメリ カには約 500 人が留学し 188 本の共著論文が出て いる。これらは正規の留学であるが、学生ビザを 得やすくするために架空の大学を名乗っている場 合もある。また全員が共産党員であり、修了後は 帰国するという約束を必ず守っている。正規の共 同研究以外に留学先の大学において研究内容のス パイ活動を行っている可能性は否 定 で き な い (Joske 2018)。 一般の中国人留学生・研究者が大学の研究室の 未公表データや実験器具・装置の秘密を持ち出す こともある。彼らははじめからスパイを行おうと 留学するわけでなく、一時帰国した時などに当局 にスカウトされる。大学の研究室は企業の研究室 に比べて機密保持が弱いので、データや研究機器 の秘密が気づかれないままコピーされ持ち出され ている場合がある。また、前述のように中国政府 は国籍問わず在外研究者を中国に招こうとしてい る。アメリカで一流になっている学者はアメリカ の方が居心地、待遇もよいので応じないが、中堅 ・若手の中国人研究者にとっては中国側の提示す る待遇は魅力的である。中国でのポジションを得 るために、「手土産」としてアメリカの研究室の 秘密のデータ、情報を持ち出す誘因を持つ。2013 年にウィスコンシン大学の Huajun Zhao は研究リ ーダーの Marshall Anderson 教授が開発した抗が ん剤化合物を自分の発明だとして持ち出し、中国 での研究資金申し込みのため教授のアメリカでの 研究申請書をコピーした。彼は中国による在外研 究者呼び込みに採用されたかったのである10)。 2016 年 に オ バ マ(Barak Obama)政 権(国 務 省)が国家安全保障に関わる大学での研究への留 学生の参加の規制を提案した。従前、基礎研究 (fundamental research)でなく「テクニカル」な 研究では外国人の参加に許可が必要で、中国、イ ラン、北朝鮮からの留学生が参加を認められるこ とはなかった。スタンフォード大学は基礎研究に 専念して外国人が参加できない研究費を受け取ら ない方針であるが、主要 35 大学で 11 のみがその ようなポリシーを持っていた。2016 年の提案は テクニカルな研究の定義を広げて、民間企業が資 金を出した研究において論文発表前に内容をチェ ックするものも含むことにした。特許申請を考慮 する企業からの研究資金で大学が行った研究では 90 日程度の論文発表の遅延を認めていることが 多いので、対象となる研究が大幅に増えることに なる。ボーイング社、ロッキード・グラマン社、 ノースロップ・グラマン社は軍需航空宇宙企業で ──────────────────────────────────────────── 10)Golden(ジャーナリスト)の議会公聴会での証言(US Congressional Hearing 2018 a, pp.61, 108)。
大学にも資金提供をしているが、この提案に対し てコメントを出さなかった。マサチューセッツ工 科大学(MIT)、スタンフォード大学、ペンシル バニア大学、さらにそられも含めて 62 大学がメ ンバーのアメリカ総合大学協会(Association of American Universities, AAU)はこれらの研究に中 国人留学生が参加できなくなれば研究が機能しな くなるとして反対声明を出した(Edwards 2016)。 2016 年の規制は結局、実施されなかった。実 はオバマ政権は中国人の学生ビザの有効期間を 1 年から 5 年に、観光ビザを 1 年から 10 年に延長 しており、この点では中国留学生への規制を緩和 し て い た。ト ラ ン プ(Donald Trump)政 権 は 2018 年 6 月 11 日 に、ロ ボ ッ ト 工 学、航 空 工 学 部、ハイテク生産技術などを専攻する中国人学生 については学生ビザの有効期間を 1 年に戻した (更新は可能である)(Redden 2018)。さらに、ト ランプ大統領は、中国人学生の大学での研究参加 規制を検討している。対象分野は未定であるが、 中国が“Made in China 2015”として開発を強化 している半導体、人工知能、電気自動車などのハ イテク分野が考えられる。ただし、アメリカ国籍 の中国系アメリカ人がスパイ活動しているケース もあるのだが、市民権・永住権保持者、政治犯と して亡命してきた中国人は対象外である(Swan-son and Bradshre 2018)。
6.文化交流活動での不均衡
中国はアメリカの大学の言論・研究にも影響を 与えようとしている。孔子学院(Confucius Insti-tute, CI)と呼ばれる中国文化の教育機関を海外 の大学キャンパスに設立している。2019 年 1 月 で世界中に 500 以上あり、アメリカに 96 ヵ所あ る。アメリカの大学と中国の大学がパートナーと なり、さら に Chinese Language Council Interna-tional(Hanban)が仲介している。Hanban は実際 には中国政府の出先機関である。さらに、中国政 府は孔子講堂(Confucius Classroom)を開設し、 小中高校での中国語教育を行っている。世界で 1000 か所以上ありアメリカには 519 か所が存在 する(CRS 2019, p.3)。 CI では Hanban が 15 万ドル程度の立ち上げ費 用を負担し、年に 10-20 万ドルの運営費も負担す る。アメリカの大学はそれに相当する金額を教室 ・事務職員などの形で「現物支給」している。5 年契約で開始し、問題がなければ次の 5 年も自動 的に更新される。CI は 2004 年に韓国・ソウルで 設立されたのが最初だが、同年にアメリカのメリ ーランド大学に設立された。これまで 1 億 5800 万ドルの資金が中国政府によって投入されてきた (CRS 2019 p.3)。アメリカの大学における CI に はさまざまな形態があり、学長直属であったり、 国際交流担当副学長直属だったり、中国語教育を 担当する学部長の下に置かれたりしている。 CI は中国の文化・言語の教育・研究機関であ るが、天安門事件、台湾問題、チベット問題のよ うな政治的に微妙な問題には触れず、中国のプロ パガンダ組織であるとの懸念もある。実際、中国 政府高官は CI は海外における中国の文化的影響 力を高めて支持者を増やすことを目的としている と認めている(Sahlins 2015, pp.6-9)。同様の「ソ フトパワー戦略」の役割を担った組織としては、 イギリスの British Council、ドイツの Goethe In-stitute、フランスの Alliance Francaise などがある が、CI の特徴は町中になるのでなく大学キャン パスにあることである。 CI の教員は中国の大学が選んだ人物をアメリ カの大学が最終的に決定する。中国側は「中国の 利益を損なわないこと」を採用の条件にしてい る。また、CI はアメリカと中国の法律を遵守す ることが求められているが、アメリカで活動して いるのに中国の法律も適用されるというのは不自 然である。キャンパスにある組織が外国政府によ って言論の自由への制限をかけられる可能性があ ることにアメリカ大学教授協会は懸念を表明して いる(AAUP 2014)。これらの問題意識から 2014 年にシカゴ大学とペンシルバニア州立大学など CI との関係を絶つ大学も現れた。 議会の調査機関である政府説明責任局(Gov-ernment Accountability Office, GAO)に よ れ ば、 CI の実際の運営や大学内での位置づけはさまざ まだが、CI のアメリカ人関係者の多くは、CI は 純粋に言語・文化教育機関で CI を通して中国政 府の影響力がみられることはない、と答えている(US GAO 2019 a, b)。CI の中での議論や CI 以外 でのキャンパスの講演会の内容に CI がクレーム をつけることもない。CI は図書・教材を寄付す るが、授業カリキュラムの内容の決定ではアメリ カ側が主導権を持っているし、とくに単位認定す る中国語の科目は CI の講師が担当するとしても 内容はアメリカの大学がすべて決めている。そも そも中国人の教員は若い語学教員なので、初めか ら政治的に微妙なテーマを論じたりしない。た だ、アメリカの大学・学生は直接の規制はなくて も忖度して CI の中では政治的に微妙な問題を話 題にしなくなっている可能性は否定できない。ま た、CI と大学との間の契約書が多くの場合、非 公開になっていることが問題になっているが、大 学が外部組織と結ぶ契約者は非公開が原則なの で、CI に限ったことではない、との反論がなさ れた。全体的に懸念されるような問題はないとい う回答であった。 CI については当初は大学関係者が学問の自由 を問題にしていたが、2018 年頃から政治家がプ ロパガンダ機関としての性格を問題視するように なった。フロリダ州の Marco Rubio 上院議員と テキサス州の Ted Cruz 上院議員が急先鋒で彼ら の州の大学に CI の閉鎖を要請している(Redden 2019)。2018 年 8 月に成立した 2019 年度の国防 予算案では、CI を設置している大学は国防省か らの中国語教育支援プログラムの財政支援を受け 取れない(受け取りたければ個別に申請の必要が ある)ことが盛り込まれた。学問の自由の懸念に 政治的圧力が加わったこともあり、2014 年から 2019 初めで 10 以上の大学で CI が閉鎖(契約非 更改)された(US Senate 2019, p.26)。また、CI に限らずひとつの外国組織から年に 25 万ドル超 の資金(寄付、研究資金)を受け取った教育機関 は連邦教育省に届け出ることが義務付けられてい るが、アメリカの 3700 大学のうちわずか 91 大学 からしか届け出がなく、実施が杜撰であることが 想像される。CI を持っている大学は 25 万ドル超 になっていないことが多いが、議会の調査では 25 万ドル以上超を受け取り、届け出を行うべき 48 大学のうち 69% に当たる 33 大学しか届け出 をしていなかった(US Senate 2019, pp.70-75)。 CI の存在が大学の学問の自由にとって問題であ るのと同時に、政治家の圧力で閉鎖するというの も学問の自由の原則に反する、という Lose-Lose の関係に大学は陥っている。 CI との鏡像に当たるものとして、アメリカの 大学は 1984 年のジョンズホプキンス大学を嚆矢 として 12 大学が 14 のキャンパスを中国で開設し ている。中国の大学がパートナーとなりアメリカ 人と現地採用の中国人、外国人が教壇に立ってい る。在籍するアメリカ人学生はアメリカ政府から の奨学金の対象となる場合もある。ここでも運営 は様々だが多くの大学で学問の自由は守られてい る。ただ、インターネットへのアクセスに規制の ある大学もある(US GAO 2016)。 2010 年から国務省はアメリカの大学と中国の 大学がパートナーとして American Cultural Cen-ters(ACC)を開設することにした。しかし、中 国政府の許可が下りず予定された 29 ヶ所のうち 7 か所は開設できなかった。イベント開催の許可 もなかなか下りず期待された活動ができないの で、2017 年、予算執行の停止を決定した(2010-18 年で合計 500 万ドルが使われた)(US Senate 2019, p.77)。アメリカ大使、総領事の講演会もし ばしば突然中止になる。一方、中国大使館・領事 館のアメリカ国内での講演などには何の制限もな い。このような不平等な扱いが問題になっている (US Senate 2019, p.77)。 また、中国領事館はキャンパスでの CI の有無 に関係なく、アメリカの大学が反中国的なシンポ ジウムや講演会を計画すれば抗議する。抗議が受 け入れられなければ、その大学への中国からの留 学生送り出しを抑制したり、共同で行ってきたプ ログラムの予算を凍結したりする。中国人の学部 生は奨学金に頼らず高い授業料を払ってくれる存 在であり、大学院生は研究の担い手であるから彼 らが来なくなればアメリカの大学にとって痛手で ある。また、大学教員が中国批判する論文を発表 すれば、その教員に中国入国ビザが出されない。 中国を研究する学者は中国で現地調査しなければ 研究が進まず、研究実績があがらないので、これ も教員には痛手であり、彼らは中国批判を抑える ようになる。また、そもそもチベット問題や中国 ― 112 ―
政治の腐敗など「微妙な」問題を研究テーマとし て選ばなくなる。中国政府の影響力によってアメ リカの中国研究者の学問の自由が抑制され、また 研 究 の 質 も 低 下 し て い る の で あ る(Lloyd-Damnjanovic 2018)。 さらに、CI の陰にあってあまり注目されてこ なかったが、中国人留学生はキャンパスにおける アメリカ人教員や他の学生の中国批判や中国の政 策に沿わない言動に対して猛烈に抗議し、教員の 子供の写真を撮ったり嫌がらせさえも行う。ま た、彼らは反中国的発言をすれば領事館に通報さ れると恐れ、自らの発言は自制する。学生は中国 の在米大使館・領事館と連携している場合もある (ハ ン ナ ス 他 2015、pp.215-216)が、純 粋 に 愛 国心から抗議行動を行っている面もある。1991 年以来の愛国心教育が功を奏して、20 歳代の中 国人は純粋に大国意識を持ち、中国批判を受け入 れようとしないといわれる(Lloyd-Damnjanovic 2018)。こうして、中国の国家安全保障政策の一 環として政府・留学生が圧力を加えアメリカの大 学の学問の自由が脅かされている(Sahlins 2013)。 一方で、このような行動をしているのはアメリ カに 35 万人いる中国人留学生の 1 部であるから、 中国人留学生全体の行動を規制することはアメリ カの大学の学問の自由を弱めることになる。さら に、中国人留学生だけでなく市民権を得ている中 国系アメリカ人に対しても彼らがアメリカよりも 中国に忠誠心を持つとみなして、スパイ活動をし ていると疑うことは問題である。アメリカ市民権 を得た人物を出身国で忠誠心を差別することは、 第 2 次大戦中の日系人差別と同じである。 1996 年 10 月に経済スパイを取り締まる Eco-nomic Espionage Act が施行された。逮捕者を姓 から欧米系、アジア系、中国系で分類した Kim (2018)11)によれば、1997 年から 2001 年までは、 欧米系 72%、中国系 17% であったのが、2001 年 以降 2007 年 7 月 1 日までは欧米系 37%、中国系 52% と逆転した。有罪にならなかったケースが 中国系は 21%、欧米系は 11% だったので、公判 を維持するのに充分な証拠のないまま中国系住民 を逮捕していることが示唆される。その一方で有 罪になった場合、中国系は罰は重い。欧米系の懲 役は平均で 11 ヶ月だが、中国系は 25 ヶ月、欧米 系の 49% が保護観察処分に済まされるのに、中 国系では 21% に過ぎない。有罪にした場合も些 細な証言の誤りが理由で、経済スパイの立証に至 っていないことも多い。捜査当局が中国人(中国 系アメリカ人)はスパイを行っているというバイ アスをもっているので検挙数が多くなっている可 能性がある。また、国外逃亡を防ぐため逮捕をあ せっているとも言われるが、経済スパイ罪の懲役 は平均では 2 年強と短いので、アメリカでの生活 をすべて放棄して海外に逃亡するとは限らないは ずである。 また、実際に中国人アメリカ人の誤認逮捕も起 きている。2015 年、テンプル大学の物理学者で 中国系アメリカ人の Xiaovin Xi は超電導の研究 成果を中国の科学者に教えたとして逮捕された。 しかし、それは公表された公知の事実であったの で無罪となった。国立気象研究所の中国系アメリ カ人 Sherry Chen は 2014 年にダムの情報を持ち 出し中国に流したとして逮捕された。ダムは国家 安全保障上、重要な情報である。しかし、彼女が ダムの情報にアクセスできるのは職務上正当であ り、中国に供与した証拠も見つからず無罪となっ た。さらにテキサス大学のアンダーソン研究所の やはり市民権を持った管理職の研究者であった Xieng Wu は中国との研究者との過度に密接な関 係を問題にされ、辞任し家族を残して上海の大学 に移った。がんについての基礎研究での国際交流 を通して中国の研究者を助けただけで国家安全保 障にも特許にも抵触していないのに 2017 年から FBI の捜査対象となった。国立衛生研究所(NIH) も、国(NIH)の資金で行われた研究成果が中国 に流れており、中国と行っている共同研究などの 関係は NIH からの研究費に申請するときに開示 すべきであったのに怠った、として問題にした (Waldman 2019)。 これらのことを懸念した中国系アメリカ人下院 議員(Judy Chu)が議会公聴会で証言することを ──────────────────────────────────────────── 11)姓による分類なので、学生・就労ビザの外国人なのか、すでにアメリカに帰化したのかは区別できない。 ― 113 ―
民主党の Dick Durbin 議員を通して依頼したのに 共和党の John Cornyn 委員長が拒否して準備した 原稿のみを記録に残した。極めて異例の対応であ った(Redden 2018)。スタンフォード大学、エー ル大学、カリフォルニア大学バークレー校などの 有力大学は中国人研究者との学術交流を維持すべ きである、また中国系アメリカ人教員を出身国を 理由としてスパイとして疑われることから守る、 という声明を出した(Waldma 2019)。
結びに代えて
Quian Xuesan は 1911 年に中国に生まれ、大学 卒業後、1935 年に渡米しマサチューセッツ工科 大学の大学院で航空工学を学んだ。戦時中はミサ イル誘導技術の開発や原子爆弾開発のマンハッタ ン計画にも参加した。終戦時には中佐としてドイ ツのロケット技術者の聞き取りを行い、V 2 号ロ ケットの開発責任者だった Whelner von Braun を アメリカに連れてくることに尽力した。1949 年 にはカリフォルニア工科大学が空軍から運営委託 をされたジェット推進研究所の初代所長となっ た。ところが、1950 年に「マッカーシズム」の 中、FBI は 1938 年に彼が参加した集会をパサデ ィナ地区の共産党大会だと考え、彼を親共産主義 とみなした。Quian の市民権申請は却下され、機 密 情 報 に ア ク セ ス で き る 権 限(Security Clear-ance)も剥奪された。4 年間の自宅軟禁のの ち 1955 年に中国に強制送還された。しかし、彼は 中国では大歓迎され、宇宙開発のリーダーとなり 1970 年の人工衛星の打ち上げをはじめ軍事ミサ イルの開発に大きな貢献し、「中国の宇宙プログ ラムの父」と呼ばれた。1999 年にアメリカ議会 は中国スパイ報告書で再び Quian をスパイと報 告したが、唯一あげられていた証拠もタイタンミ サイルの技術漏洩であったが、これは彼が中国に 渡った 1955 年以降の事件なので矛盾したものだ った(Singer 2017)。2001 年に彼はカリフォルニ ア工科大学から傑出した卒業生(出身者)として 表彰された12)。 Quian の例は短期的な国家安全保障の利益に固 執したがゆえに、長期的には大きな損失をしたと いう教訓である。今日の研究者・留学生のアメリ カ で の 研 究 活 動 の 制 限 も、1 人 1 人 の 学 者 は Qian ほどではないかもしれないが、累積的には 大きな影響が生じる恐れがある。 付記 本研究は文部科学省科学研究費(基盤研究(B)、課 題番号 18H00973)「学問の自由の動態と再構築に関す る国際比較研究−コモンローと制定法−」(代表:羽田 貴史、東北大学名誉教授)の支援を受けた。 参考文献 ゴールデン、D. (花田知恵訳)(2017)『盗まれる大学 −中国スパイと機密漏洩−』原書房。 ハンナス、W. C.、マルヴィノン、J.、プイージ、A. B. (玉置悟訳)(2015)『中国の産 業 ス パ イ 網』草 思 社。 宮田由紀夫(2019)『アメリカにおける国家安全保障と 大学』関西学院大学出版会。AAUP(American Association of University Professors) (2014)On Partnerships with Foreign Governments :
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