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教育福祉論のアンラーニング ― 持田栄一の理論と活動の再考へ向けて ―

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(1)Title. 教育福祉論のアンラーニング ― 持田栄一の理論と活動の再考へ向けて ―. Author(s). 稲井, 智義. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 68(1): 53-61. Issue Date. 2017-08. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9554. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(教育科学編)第68巻 第₁号 Journal of Hokkaido University of Education(Education)Vol. 68, No.1. 平 成 29 年 ₈ 月 August, 2017. 教育福祉論のアンラーニング ― 持田栄一の理論と活動の再考へ向けて ―. 稲 井 智 義 北海道教育大学旭川校幼児教育学研究室. Unlearning of Theory on Education-Welfare Toward Rethinking of Eiichi Mochida’s Theory and Action. INAI Tomoyoshi Department of Early Childhood Education, Asahikawa Campus, Hokkaido University of Education. 概 要 本研究ノートの目的は,1970-80年代日本の教育学において形成された教育福祉論をいわば アンラーニングすることである。本稿は教育福祉論のアンラーニングを経た後に,1970年代に 教育福祉について論じた教育学者持田栄一の理論と活動の再考へ向けて,今後の研究課題を提 示する。 「市民参加のもとで,福祉国家の再定義」を進めて教育の公共性を再構築することが 要請される今日的な状況を視野に入れて,1970年代の持田の理論と活動を,地方自治体におけ る教育福祉の取り組み,幼児教育の公共性,親の学校参加の三点に即して再考することは今後 の課題である。. 1.問題の所在:複数形の教育福祉論 ⑴ 問題の所在 本研究ノート(本稿)の目的は,1970-80年代日本の教育学において形成された教育福祉論をいわばアン 1 ことである。本稿は教育福祉論のアンラーニングを経た後に,1970年 ラーニングする(いったん忘れ去る) 2 教育学者持田栄一(1925-1978)の理論と活動の 代に教育福祉について論じ,近年「見直しの機運がある」. 1  アンラーニングという視点は,小玉重夫『学力幻想』ちくま新書,2013年,48-52頁を参照した。 2  公教育研究会編『教育をひらく:公教育研究会論集』ゆみる出版,2008年,「おわりに」,267頁。同研究会は当初,「持 田栄一と関わりをもった者たちによって担われて来ました」 (同頁)という。本書は,木村元・小玉重夫・船橋一男『教育. 53.

(3) 稲 井 智 義. 再考へ向けて,今後の研究課題を提示する。 日本の教育学において1970年代に活況を見せた研究領域の一つに,教育福祉論がある3。教育福祉論とは 1970年代頃から現在に至るまで,教育と福祉の関連をその現状や形成過程に即してとらえ直す研究であると, ひとまずまとめられる4。 ただし教育福祉論の展開に対する通説的な理解5には,一つの問題がある。すなわち通説は,教育福祉論 が提起される背後に論争が存在していたことを,十分に位置づけたとはいい難い。 そこで本稿は,教育福祉論を同時代の教育学における論争的文脈に置き直す6。具体的には,持田も関与し ていた1960年前後から続く公教育理解をめぐる論争(公教育論争)を取り上げる。 ⑵ 先行研究の検討と本稿の課題 このアプローチは,倉石一郎による最近の教育福祉研究とも重なるものと思われる。倉石は,これまでの 教育学を問い直す広田照幸らの議論を受けて戦後日本の教育福祉(論)の系譜を検討した後に,生活・生存 保障と教育の論理とのむすびつきを公共性の問題として捉える視点を提起している7。教育福祉論の背景に公 教育論争が存在していたことと倉石の提起は,公共性という視点を含めた教育と福祉の新たな関係把握を要 請している。本稿は,この要請にこたえていくための準備として,教育の公共性をめぐる論争史に複数形の 教育福祉論を位置づけ直す。 その際,本稿では持田栄一に着目する。その理由は二つある。一つは教育福祉論の面からの理由,すなわ ち教育福祉論に関するこれまでの研究では,持田および持田に関わりを持つ研究者の理論が十分に位置づけ られていないからである。たとえば最近では,イギリス教育史を専門とする岩下誠は「教育支援/排除」と いう視点が教育史研究において持つ意義を論じるにあたって,社会教育を専門とする教育学者小川利夫 (1926-2007)の教育福祉論と高橋正教のレビューに言及している。. 学をつかむ』(有斐閣,2009年,195頁,小玉執筆箇所)で紹介されている。 なお公教育研究会編『響鳴』(1981-1998年,1-5号)は現在,東京大学教育学部図書室に所蔵されている。2013年11月 に5号を,広瀬裕子氏(専修大学)を介して青木純一氏(日本女子体育大学)より提供を受けて,同図書室に所蔵した。ま た同時期に1号を,東京大学教育学部図書室司書の方々(内田久美子氏ほか)の協力を得て,国会図書館より複写して同図 書室に所蔵した。ここに記して関係者に感謝の意を表したい。 3  たとえば,小川利夫・永井憲一・平原春好編『教育と福祉の権利』勁草書房,1972年11月,持田栄一・市川昭午編『教 育福祉の理論と実際』教育開発研究所,1975年3月,小川利夫・土井洋一編『教育と福祉の理論』一粒社,1978年3月。 4  教育福祉研究は2010年頃に改めて盛んになっているが,倉石一郎が指摘するように,十分な成果はあがっていない。「今 日,教育福祉論が一定の隆盛をみているが,その議論を子細に点検すれば,結局のところ困窮者が学業をできるだけ長く継 続するよう手助けし,より有利な条件で労働市場に包摂されるよう支援するというすじ道以外の可能性を十分に思い描けて いない」(倉石一郎「生活・生存保障と教育をむすぶもの/へだてるもの」 『教育学研究』81巻4号,2015年12月,61頁)。 5  たとえば,小川利夫『教育福祉の基本問題』勁草書房,1985年4月,小川利夫・高橋正教編『教育福祉論入門』光生館, 2001年。 6  「論争的文脈に置き直す」という視点は,日本教育学会第75回大会テーマ部会「戦後の子ども問題と教育福祉」(2016年 8月24日・25日)に関する「分科会の趣旨」(日本教育学会事務局に2015年12月31日提出, 提案者は稲井智義・田中友佳子) で,以下のように示したことがある。「学校教育や社会福祉の担い手と研究者,市民は問題状況に置かれた子どもに対して どのように教育,保育,養護,ケアの間を繋ぐ「教育福祉」を構想し試みてきたか。本分科会では,様々な子ども問題が顕 在化し,これに対処するために教育・福祉制度が再編されていく第二次世界大戦後を対象とする。本分科会のねらいは,国 や地域を問わず「戦後」と称されるこの時期における子ども問題に対する教育や福祉の多様な実践と理論,議論の意味を再 考するとともに,教育福祉に関する対立・葛藤を含んだ論争的状況を解明することにある。本分科会では戦後の子ども問題 と教育福祉に着目する研究を募集し,今後の教育学や子ども学の方向性についても議論したい。 」 7  倉石前掲論文,「おわりに――公共性の復権のために」 ,579-580頁。. 54.

(4) 教育福祉論のアンラーニング. 周知のように,小川の教育福祉論は一九六〇年代後半という早い段階で,高度成長を迎えながらも,それ ゆえにややもすれば打ち捨てられかねない児童福祉対象の子どもの教育問題を改めて焦点化したが,それ は同時代に精緻に練り上げられつつあった国民の教育権論に対するある種の批判的契機を含むものであっ た。高橋正教が[引用者注:小川との共編著『教育福祉論入門』光生館,二〇〇一年で]指摘するように, それは教育権論が――理論的にはともかく現実的には――置き忘れられてきた障害児や養護施設児童の学 習権の保障という問題提起をすることを通じて,むしろ教育権論の批判的拡張と具体的内実の充填へと接 8 続することを目指していた。. 高橋や岩下によれば,小川は同時代の国民の教育権論の「批判的拡張」を意図して教育福祉論を構想した。 しかしこのレビューでは,同時代における国民の教育権論そのものへの批判や小川以外の教育福祉論に対し て注意が払われていない。 それに対して嶺井正也(1947-)が1990年代に行ったレビューは,小川だけでなく持田や市川昭午(1930-), 9 の教育福祉論が1970-80年代に存在していたことを指摘する数少ないものである10。嶺 村上尚三郎(1929-). 井は特に,市川が小川の著作に対する書評で反論していたことにも言及した。本稿は,教育福祉をめぐって 小川と市川の間でなされたこの論争を取り上げて,その背後に公教育論争があったことを示す。 もう一つは教育学史の面からの理由,すなわち当時の教育運動に対して大きな影響を与えた国民の教育権 12 といわれる持田の理論が, 「改めて教育 論に対する批判を展開し11,教育行政学における「忘れられた理論」 13 を考えるための起点とされているからである。別稿で指摘したように,持田の薫 における共同の可能性」. 陶を受けた者は確かに,持田が急逝する前後から持田の理論を検討していた14。それに加えて「冷戦期教育 学」15を検討する近年の研究の多くが,当時の教育運動とそれを支えた国民の教育権論とを批判した持田に. 8  岩下誠「教育社会史研究における教育支援/排除という視点の意義」三時眞貴子・岩下誠・江口布由子・河合隆平・北 村陽子編『教育支援と排除の比較社会史:「生存」をめぐる家族・労働・福祉』昭和堂,2016年,2頁。 9  村上の教育福祉論は,村上尚三郎『教育福祉論序説』勁草書房,1981年を参照。1950年代の議論を含めた最近のレビュー として,田中友佳子「教育福祉の系譜について」(2016年3月27日レジュメ)がある。 『子どもの育ちを支える協同関係の構 築に向けて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎研究~研究会「戦後の子ども問題と教育福祉を考える」』の記録も参照 (http://www.hes.kyushu-u.ac.jp/~coordinator/recent.html) 。 なお国会図書館の「デジタルコレクション」で調べたところ,機関誌『聾唖の光』を発行した「聾唖教育福祉協会」が 1942年に発足している。これは,日本における先駆的な「教育福祉」の用例と思われる。 10 嶺井正也『障害児と公教育:共生共育への架橋』明石書店,1997年,「教育福祉の理念と現実」(初出論文は1991年) 。市 川の反論への言及は72頁。同書は,前掲『教育学をつかむ』 (木村執筆箇所,248頁)で紹介されているが,筆者は本稿の元 になった研究成果を日本教育学会大会で2016年8月に発表した後に発見した。嶺井は伊藤和衛(東京教育大学教授,19111989)や持田,海老原治善(1926-2005),小川利夫とも接点を持っていた。嶺井前掲書, 「まえがき」 ,および「あとがき」 を参照。 11 小玉重夫「堀尾輝久『現代教育の思想と構造』」佐藤学編『教育本44』平凡社,2001年,67-68頁。 12 佐藤晋平「教育行政学をめぐる環境変動と理論転換:持田栄一理論の権力言説に注目して」 『東京大学大学院教育学研究 科紀要』47号,2008年,491頁。 13 小国喜弘「学校をめぐる共同と国民の教育権論」 『近代教育フォーラム』21号,2012年,104頁。 14 稲井智義「持田栄一の幼児教育制度論:ルンビニー学園における実践の「共有化」との関わりに着目して」 『幼児教育史 研究』11号,2016年,16-17頁。 15 田原宏人「規範的教育論の岐路」『札幌大学総合論叢』2号,1996年, 「Ⅱ冷戦期教育学の遺産:堀尾理論に寄せて」 79-87頁,持田への言及は86-87頁。小玉重夫「政治:逆コース史観のアンラーニング」森田尚人・森田伸子編『教育思想史 で読む現代教育』勁草書房,2013年,39頁。. 55.

(5) 稲 井 智 義. 言及している16。このように,同時代の教育学において必ずしも十分に位置づけられなかった17持田は公教育 論争の当事者であっただけでなく,近年「未発の契機」(小国喜弘)を探るうえでも見直されている。本稿 が複数形の教育福祉論の系譜をとらえ直すにあたって持田に注目する理由は,まさにこの点にある。 以下ではまず,教育学において教育福祉論が形成される思想的な前史として,1960年前後から1970年前後 にかけての公教育論争(いわゆる堀尾・持田論争)の意味を,先行研究を参照しながら確認する(2節)。 次に,1980年代半ばに小川と市川の間で生じた教育福祉理解をめぐる論争(いわば小川・市川論争)の意味 (ズレや争点)を,両者と持田との関係とともに示す(3節)。最後に,持田の理論と活動を検討するにあたっ ての今後の研究課題を提示する(4節)。. 2.1960年前後から1970年前後にかけての公教育論争と福祉国家:国家統制か再分配か 小玉重夫は冷戦期教育学の思想史的文脈を検討する一連の研究において,東京大学の教育学者である堀尾 輝久 (1933-) と持田栄一が1960年前後から1970年前後までの間に行った公教育論争を整理している。小玉は, 1960年前後の公教育論争の争点と議論の前提を以下のようにまとめる。 1960年前後の主要な論点は,当時日本でも勃興しつつあった福祉国家体制とそれによって主導される公教 育の組織化に対して,いかなるスタンスをとるかという点にあった。国家権力の介入の是非をめぐって議 論は鋭く対立したが,論争それ自体がある一点において前提を共有していた。それは,福祉国家に定位す るにせよ,私事の組織化,あるいは学習権を保障する親義務の共同化に定位するにせよ,公教育に関わる 18 教師,親,行政担当者,市民等が,共同の利益を有し,合意に到達しうるという前提である。. つまり1960年前後の公教育論争では, 「国家権力の介入の是非」をめぐって福祉国家に対する立場が問わ れながらも,公教育に関わる者たちが「共同の利益を有し,合意に達しうるという前提」を共有していた。 そして小玉は別の論文で,1960年代の持田らの立場を以下のようにまとめる。 長洲一二[経済学者,1975年から1995年まで神奈川県知事],中岡哲郎,持田栄一など,構造改革論の流 れをくむ研究者や教育運動の一部には,欧米型の福祉国家と社会民主主義を実現しようという問題意識か ら,1960年代の教育政策,特に教育投資論に積極的にコミットメントしようとする動きがあったが,左右 のイデオロギー政党によって野党と与党の位置が固定化されていた「55年体制」下で,そうした動きは結. 16 たとえば,以下の研究がある。田原宏人「民主国民教育のアイロニー⑴」 『札幌大学総合研究』7号,2015年(初出原稿 は2004年)。大田直子「学校事務職員制度」大田直子・黒崎勲編『学校をよりよく理解するための教育学6:教育学の基礎 教養』学事出版,2008年。小玉亮子「〈教育と家族〉研究の展開:近代的子ども観・近代家族・近代教育の再考を軸として」 『家族社会学研究』22巻2号,2010年。森田尚人「 『季刊・教育学』とその時代:民間教育運動が輝いていた頃」 『教育学雑 誌』49号,2014年。 17 この点に関して嶺井は次のように述べる。 「国民教育論や国民の教育権論の論陣をはる研究者からの応答はほとんどなかっ た。したがって,国民教育論をめぐって論争が活発に繰り広げられるというわけではなかった」 (嶺井正也「国民教育論争: 理念と現実のはざま」嶺井正也編『ふり返り教育理論講座:論争から見えてくる日本の教育』アドバンテージサーバー, 2013年,132頁)。同様に田原は, 「いずれにしても,起こりうべき論争は起こらず終いであった」と述べる(田原前掲論文, 1996年,87頁)。 18 小玉重夫「公教育と市場:相互連関とその再編」 『教育学研究』67巻3号,2000年9月,269頁。. 56.

(6) 教育福祉論のアンラーニング 19 局主流にはならなかった。. ここでは,欧米とは異なって脆弱な福祉国家が形成された日本において,構造改革論の流れをくむ持田ら の研究者が教育投資論に積極的に関与しようとしたものの,その当時主流にならなかったことが指摘されて いる。実際1960年代半ばの持田は,福祉国家が「資本家」と「勤労人民」に対して持つ両義的な性格につい て,以下のように理解していた。 いわゆる「現代」社会における「福祉国家」は,「基本的」には資本家の「共同事務処理組織」として階 級的性格をもちながらも,一面その現実機能において国民の福祉に役立つ側面をもっており,その「行政」 は,その「政治的性格」にもかかわらず,一面「社会の共同利益の組織体」としての機能を果している。 このゆえに,「公教育」制度は教育支配の機関であるとともに,一面において勤労人民の「教育をうける 20 権利」を保障する一面をもつのである。. ここでは福祉国家の両義性が指摘されている。すなわち持田によれば,福祉国家は資本家による「共同事 務処理組織」という性格をもちながらも, 「国民の福祉」に役立つ側面があり,また公教育制度は「教育支 配の機関」であるのみならず,「勤労人民の教育を受ける権利」を保障する一面を持っているのである。 以上の点をまとめれば,堀尾をはじめとする主流派の教育学者は国家統制を危惧し,福祉国家を批判する 理論を構築した。それに対して持田をはじめとする少数派の教育学者は,全面的な擁護ではないものの福祉 国家に積極的に関与しようとした。このように1960年前後からの公教育論争(堀尾・持田論争)は,国家統 制に対する福祉国家批判と,再分配としての福祉国家への関与をめぐるものであった。 そして1960年代に始まる教科書裁判を経た「一九七〇年代以降の教育実践運動の有力な理論的根拠」となっ たのが,堀尾の公教育論(国民の教育権論)であり21,公教育論争は後述するように,1970年代に台頭する 教育福祉論の背景を形成した。. 3.1970-80年代の教育福祉論争の意味:社会福祉対象者か福祉国家教育論批判か ⑴ 公教育論争下における小川利夫の教育福祉論 本節では,1980年代半ばに小川と市川の間でなされた教育福祉論争の意味を検討する。それに先立って本 項では,小川が教育福祉論を展開する過程を示す。 小川は,1985年4月に『教育福祉の基本問題』(勁草書房,以下『基本問題』)を刊行した。『基本問題』 によれば,小川は「一九五五年(昭和三〇年)の秋から七三年の春にかけて,日本社会事業(短期)大学に 22 この時期に,教育福祉問題の共同研究に従事してこの分野に関心を寄せた。 奉職する機会を与えられた」. そして1970年代に小川は教育法学者や社会福祉学者と共に,教育福祉に関する著書をまとめている23。 持田によれば, 「社会教育の指導的理論家の一人」と目された小川もまた,堀尾の理論に依拠していた。. 19 小玉重夫「公教育の構造変容:自由化のパラドクスと「政治」の復権」 『教育社会学研究』70集,2002年5月,34頁。 20 持田栄一『教育管理の基本問題』東京大学出版会,1965年10月,147頁。 21 小玉前掲,2001年,67頁。 22 小川『教育福祉の基本問題』,5頁。 23 小川・永井・平原編前掲,および小川・土井編前掲。. 57.

(7) 稲 井 智 義. 小川は,1960年代半ばから勃興する「生涯教育論が福祉国家論の「社会教育版」」であるとして,「批判的否 『基本問題』に 定的に」捉えた公教育論を展開したのである24。小川が堀尾の理論に依拠していたことから, 集約される小川の教育福祉論は,1960年前後から続く公教育論争の下で形成されたといえる25。 ⑵ 1970-80年代の教育福祉論争の意味:社会福祉対象者か福祉国家教育論批判か しかし公教育論争が背景にあったが故に,小川が『基本問題』で持田と市川の理論を正当に位置づけたと はいい難い。その痕跡が,教育行財政学者の市川昭午(当時,国立教育政策研究所)が日本教育学会編『教 育学研究』 (53巻1号,1986年3月,129-130頁,全2頁)に執筆した『基本問題』への書評に残されてい 『基本問題』では,市川が持田と共に編んだ『教育福祉の理論と実際』 (教育開発研究所,1975年3月, る26。 27 )が検討されていた。以下では,小川の『基本問題』と市川による書評を取り上げて, 以下『理論と実際』. 教育福祉をめぐる小川・市川論争の意味を明らかにする。 この書評では, 「⑴」で『基本問題』の概要紹介, 「⑵」で小川による教育福祉論のレビューに対する反論, 「⑶」で『基本問題』で触れられなかった「今日の教育福祉が直面している幾つかの最も重要な問題」 ,す なわち取捨選択,費用負担,自由化論への対応,selectivismへの対応の四点について書かれている。 小川は『基本問題』の「Ⅲ教育福祉論の構想」冒頭部分において,持田・市川編『理論と実際』を注に挙 げながら,本文中で「それは多分に福祉国家論的見地から,教育そのものにともなう,あるいは,教育その ものがもつべき社会福祉的諸機能を「教育福祉」と総称するものである」と述べた28。 それに対して市川は書評において,小川が『理論と実際』を「福祉国家論的」と見なすことに対して反論 した。反論の主旨は二つあった。第一は福祉国家論をどのように理解するかという点であり,「我々編者は いわゆる福祉国家論を鵜呑みにするような態度をとっていない」。第二は「教育福祉の範囲や対象を狭く捉 えるか,広く捉えるか」という点であり,市川によれば,小川は社会福祉対象者を中心とする学習・教育権 保障を,教育福祉問題として定義していた(市川書評⑵の部分)29。 このように小川による位置づけに対する市川の反論が,『基本問題』への書評で提起されていた。しかし 書評に対する小川からの反論は得られなかった(少なくともその後の『教育学研究』には掲載されていない)。 1980年代半ばに小川と市川の間で生じた教育福祉論争とは,社会福祉対象者の教育について論じるか(小川), 「福祉国家論を鵜呑みにする」のではなく,より広く福祉国家と教育の関係について論じるか(市川,持田). 24 持田栄一編『生涯教育論:その構想と批判』明治図書,1971年3月,10-18頁。当時の小川の教育論をまとめた著作として, 小川利夫『社会教育と国民の学習権』勁草書房,1973年がある。 25 金侖貞は堀尾と小川の共通点に関して,両者が「 「国家の教育権」に対して「国民の教育権」を主張し,その中に「国民 の学習権」を位置づけようとした共通項を持つ」と指摘している。金侖貞「社会教育における学習権概念に関する一考察」 『生涯学習・社会教育学研究』28号,2003年,55頁。 26 市川昭午「小川利夫著『教育福祉の基本問題』」『教育学研究』53巻1号,1986年3月。 27 『理論と実際』は,伊藤和衛が東京教育大学を定年退官するにあたって刊行された記念論集である。 28 小川『基本問題』152頁。小川はその他に『基本問題』の162頁で,『理論と実際』の市川論文に言及している。またここ では,伊藤和衛の「教育福祉の理念について」(『教育学講座』1979年)にも言及した。 『基本問題』では, 『理論と実際』を 除けば持田への言及はない。 29 なおこの書評によれば『理論と実際』の「はしがき」を執筆した「編者」とは, 市川である。第一の点については, 「編者」 である市川が「はしがき」で以下のように述べている。 「 「福祉」や「福祉国家」の美名に惑わされることなく,かといって これを教条主義的に排除するのでもなく,それらにまつわる胡散くささを直視しながら,教育福祉を明らかにしようとする のが,本書編集の趣旨である」(『理論と実際』2頁) 。. 58.

(8) 教育福祉論のアンラーニング. という点をめぐるものあった30。. 4.おわりに:持田栄一の理論と活動の再考へ向けて 本稿は教育福祉論のアンラーニングを通じて,1970年代に複数形の教育福祉論が提起される背後に,教育 福祉だけでなく公教育の理解をめぐる論争が存在していたことを明らかにしてきた。 まず,1960年前後から堀尾と持田の間で福祉国家の勃興と公教育の組織化をめぐる論争がなされ,この公 教育論争の下で,当時の教育研究運動に影響力を持つ小川の教育福祉論は形成された。その結果,1980年代 半ばに小川と市川の間で教育福祉論争が生じた。すなわち,小川が持田と市川の教育福祉論を「福祉国家論 的」と読み違えたことに対して,市川は,社会福祉対象者の教育について論じるかより広く福祉国家と教育 との関係について論じるかという論点の違いであると反論した。小川の読み違えは,教育福祉論に関しても 持田の理論が同時代の教育学に位置づけられなかったことを示している。まさにこの教育福祉論争の中核 に,1978年に亡くなった持田の理論を再検討するにあたっての論争的文脈を見出すことができる31。 しかしながら1節でも指摘したように,持田が公共性にも関わる教育と福祉の関係をどのようにとらえ直 したかを,同時代の教育学と教育実践の状況に即して明らかにすることは今後の研究課題である。最後にこ の点に関わって,教育理論の具体性という側面について検討する。 堀尾が提起した「私事の組織化」としての公教育論の具体性に対する疑問を,黒崎勲と大田直子が指摘し ていた。まず黒崎は次のように指摘する。 国民の教育権論についての膨大な研究のなかで,私事の組織化という理念が具体的イメージをもって語 られるのは[堀尾が書いた]この一節だけである。そして共同保育所づくり運動のなにが私事の組織化の 理念の具体化であるのかについては理論的に究明されていない。32 黒崎と同様に大田もまた,以下のように指摘する。 戦後教育学を理論的に先導してきた堀尾輝久は,国家によって供給される公教育制度とは対抗的な理想 30 『理論と実際』で持田が執筆した章のタイトルは, 「 「福祉国家教育論」批判: 「近代公教育」変革への展望」である。持田 は本書で「福祉国家教育論」について,以下のように批判している。 「むしろ所与の近代公教育体制に一定限度の「改良」 を加え,現代資本主義の秩序―その労働力商品形成と支配秩序を安定化し効率化しようとするところに福祉国家教育論の基 本的体質があるといえるのである」(381頁)。 31 教育福祉論に関する多くのレビューが小川の理論を中心に取り上げる傾向にあるのに対して,数少ない例外として,倉石 前掲論文(2015年,54-55頁)は,『理論と実際』における市川による教育福祉の整理を参照している。 なお東京都企画調整局の委嘱を受けて発足して, 行政学者の阿利莫二(1922-1995)が代表を務め, 持田も中核を担った「児 童のシビル・ミニマム研究会」が1973年9月に刊行した報告書『児童のシビル・ミニマムに関する調査』に対して,小川利 夫が日教組教育制度検討委員会の「保育一元化」論に引き付けながら,論評を執筆している。小川利夫「いわゆる保育一元 化原則の再構成:「児童のシビル・ミニマムに関する調査報告」を読んで」東京都政調査会編『都政』1974年2月号。ここ での議論の争点もまた,冷戦期教育学における一連の論争との関係の中で検討する必要がある。改めて論じる機会を持ちた い。またこの報告書はほぼ同一の内容で,阿利莫二・一番ヶ瀬康子・持田栄一・寺脇隆夫編『子どものシビル・ミニマム』 弘文堂,1979年9月,として刊行されており,教育学者の海老原治善が書評を執筆している。海老原治善「Book Reviews & Notes『子どものシビル・ミニマム』(阿利莫二・一番ヶ瀬康子・持田栄一・寺脇隆夫編) 」 『季刊教育法』37号,1980年 10月,170頁(全1頁)。 32 黒崎勲『教育行政学』岩波書店,1999年,106-107頁。. 59.

(9) 稲 井 智 義. 的な公教育制度は,フランス革命期のコンドルセに依拠して,「親義務の共同化=私事の組織化」として 組織化されたものであると一貫して主張してきた。親は基本的に子どもの教育に責任と義務を負う(子ど もの学習権保障) 。またこのことこそ私教育法制に基礎をおくことでもあり,それゆえ国家による支配の 装置としての公教育と対抗できるのである。しかしながら,現実の親は,我が子にだけ関心と愛情を注ぐ 利己的な親であり,学校全体,そこにいる子ども全体については思いが馳せられない。このエゴイスティッ クな親がいかにすれば他の親と共同して,理想とする公教育制度を組織化することができるのか。この点 33 になると堀尾輝久の主張は具体性を欠く。. 堀尾だけでなく持田に対しても教育理論の具体性が欠けているという指摘が,持田の没後にその薫陶を受 けた者たちによってなされてきた34。しかし持田は,教育科学研究会をはじめとする民間教育運動から東大 闘争を経た1970年代に一定の距離を置くにしても,教育実践と社会の現実に対する積極的な関与を少なくと も病床に伏すまで続けている。たとえば,持田が子どもの小学校でPTA会長を二年間(1971-72年度)務め たこと35や,東京都政の「児童のシビル・ミニマム研究会」へ参加したこと36,幼児教育に関する共同研究を 続けたことが挙げられる。そして1970年代の持田は,「幼児教育の公共性」という視点も提起している37。 黒崎や大田が指摘するように具体的な実践に即した理論の構築が不可欠であるならば,教育の理論がいか なる現実に対して応答していたか,そして教育学者の活動を通じていかなる公共性が創出されたかという新 38 を進めて教育の公共性を再構築することが たな課題が浮上する。 「市民参加のもとで,福祉国家の再定義」. 要請される今日的な状況を視野に入れて,1970年代の持田の理論と活動を,地方自治体における教育福祉の 取り組み39,幼児教育の公共性,親の学校参加の三点に即して再考することは今後の課題である。. 〈参考文献一覧〉 阿利莫二・一番ヶ瀬康子・持田栄一・寺脇隆夫編『子どものシビル・ミニマム』弘文堂,1979年9月。 市川昭午「[書評]小川利夫著『教育福祉の基本問題』 」 『教育学研究』53巻1号,1986年3月。 稲井智義「持田栄一の幼児教育制度論:ルンビニー学園における実践の「共有化」との関わりに着目して」 『幼児教育史研究』 11号,2016年。 岩下誠「教育社会史研究における教育支援/排除という視点の意義」三時眞貴子・岩下誠・江口布由子・河合隆平・北村陽子 編『教育支援と排除の比較社会史:「生存」をめぐる家族・労働・福祉』昭和堂,2016年。 海老原治善「Book Reviews & Notes『子どものシビル・ミニマム』 (阿利莫二・一番ヶ瀬康子・持田栄一・寺脇隆夫編)」『季 刊教育法』37号,1980年10月。 大田直子「学校事務職員制度」大田直子・黒崎勲編『学校をよりよく理解するための教育学6:教育学の基礎教養』学事出版, 2008年。 大田直子『現代イギリス「品質保証国家」の教育改革』世織書房,2010年。 33 大田直子『現代イギリス「品質保証国家」の教育改革』世織書房,2010年,187-188頁。 34 稲井前掲論文,17頁。 35 持田栄一『教育における親の復権』明治図書,1973年。 36 阿利莫二・一番ヶ瀬康子・持田栄一・寺脇隆夫編『子どものシビル・ミニマム』弘文堂,1979年9月。 37 持田栄一『幼児教育改革』講談社,1972年,たとえば177頁,260頁。公立・私立の幼稚園・保育所のあり方や親・市民・ 教師による園運営について言及されている。「幼児教育の公共性」という表現をしている日本の教育学者は,管見の限り持 田栄一だけである。近年では村知稔三が, 「保育の公共性」という視点を提起した。村知稔三『ロシア革命と保育の公共性: どの子にも無料の公的保育を』九州大学出版会,2007年。 38 小玉前掲書『学力幻想』,207頁。 39 持田栄一「教育福祉」細谷俊夫・奥田真丈・河野重男編集代表『教育学大事典』2巻,1978年7月。. 60.

(10) 教育福祉論のアンラーニング. 小川利夫『社会教育と国民の学習権:現代社会教育研究入門』勁草書房,1973年。 小川利夫「いわゆる保育一元化原則の再構成:「児童のシビル・ミニマムに関する調査報告」を読んで」東京都政調査会編『都 政』1974年2月号。(小川利夫『社会福祉と社会教育:教育福祉論』亜紀書房,1994年に再録。 ) 小川利夫・永井憲一・平原春好編『教育と福祉の権利』勁草書房,1972年11月。 小川利夫・土井洋一編『教育と福祉の理論』一粒社,1978年3月。 小川利夫・高橋正教編『教育福祉論入門』光生館,2001年。 木村元・小玉重夫・船橋一男『教育学をつかむ』有斐閣,2009年。 金侖貞「社会教育における学習権概念に関する一考察」 『生涯学習・社会教育学研究』28号,2003年12月。 黒崎勲『教育行政学』岩波書店,1999年。 倉石一郎「生活・生存保障と教育をむすぶもの/へだてるもの」 『教育学研究』81巻4号,2015年12月。 公教育研究会編『教育をひらく:公教育研究会論集』ゆみる出版,2008年9月。 小国喜弘「学校をめぐる共同と国民の教育権論」『近代教育フォーラム』21号,2012年。 小玉重夫「公教育と市場:相互連関とその再編」『教育学研究』67巻3号,2000年9月。 小玉重夫「堀尾輝久『現代教育の思想と構造』」佐藤学編『教育本44』平凡社,2001年10月。 小玉重夫「公教育の構造変容:自由化のパラドクスと「政治」の復権」 『教育社会学研究』70集,2002年5月。 小玉重夫『学力幻想』ちくま新書,2013年5月。 小玉亮子「〈教育と家族〉研究の展開:近代的子ども観・近代家族・近代教育の再考を軸として」 『家族社会学研究』22巻2号, 2010年。 佐藤晋平「教育行政学をめぐる環境変動と理論転換:持田栄一理論の権力言説に注目して」 『東京大学大学院教育学研究科紀 要』47号,2008年3月。 田中友佳子「教育福祉の系譜について」「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて~福祉と教育を結ぶ領域横断的基礎 研究~」研究会レジュメ,2016年3月27日。 田原宏人「民主国民教育のアイロニー⑴」『札幌大学総合研究』7号,2015年。 嶺井正也『障害児と公教育:共生共育への架橋』明石書店,1997年。 嶺井正也「国民教育論争:理念と現実のはざま」嶺井正也編『ふり返り教育理論講座:論争から見えてくる日本の教育』アド バンテージサーバー,2013年。 村知稔三『ロシア革命と保育の公共性:どの子にも無料の公的保育を』九州大学出版会,2007年。 持田栄一『教育管理の基本問題』東京大学出版会,1965年10月。 持田栄一編『生涯教育論:その構想と批判』明治図書,1971年3月。 持田栄一『幼児教育改革:課題と展望』1972年7月。 持田栄一『教育における親の復権』明治図書,1973年9月。 持田栄一・市川昭午編『教育福祉の理論と実際』教育開発研究所,1975年3月。 持田栄一「教育福祉」細谷俊夫・奥田真丈・河野重男編集代表『教育学大事典』2巻,1978年7月。 森田尚人「『季刊・教育学』とその時代:民間教育運動が輝いていた頃」 『教育学雑誌』49号,2014年。. 付 記 本稿は,2016年3月27日に行われた「子どもの育ちを支える協同関係の構築に向けて~福祉と教育を結ぶ 領域横断的基礎研究~」研究会(於・九州大学)で発表し,日本教育学会第75回大会テーマ部会「戦後の子 ども問題と教育福祉①」 (2016年8月24日,於・北海道大学)で発表した内容の一部に,加筆したものである。 ここに記して関係者に感謝したい。 また本研究は,「福井大学教育学部学部長裁量経費(研究課題名:1960-70年代日本における幼児教育福祉 論の構想過程に関する研究) 」 (平成28年度),および科学研究費補助金(17K13973)の助成を受けた研究成 果である。 (旭川校講師). 61.

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