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道徳の時間における人権教育の実践方法についての研究:―人権教育と道徳教育の意義を踏まえた授業の提案―

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(1)道徳の時間における人権教育の実践方法についての研究 一人権教育と道徳教育の意義を踏まえた授業の提案一. 教育実践高度化専攻 小学校教員養成特別コース. P O 8 0 6 5 E 坪   内      亮.

(2) 《目 次》. はじめに  1. 第1章 道徳教育の意義と可能性等について  3  第1節 学校における道徳教育の目的  3.    第1項道徳教育の目標 3    第2項 道徳性とは  3.    第3項道徳性の育成  5  第2節 道徳教育の可能性と方法  6    第1項 道徳教育の意義  6    第2項 道徳教育の方法  8  第3節 道徳の時間の取り扱い  9.    第1項道徳の時間の目的と意義 9    第2項道徳の時間の指導法  10    第3項道徳の時間の現状,課題  11 第2章人権教育の意義と方法等について                      14  第1節人権教育の目的  14    第1項人権とは  14    第2項人権教育の目的  14  第2節人権教育の重要性と方法  16.    第1項人権の意義  16    第2項人権教育はなぜ必要か  18    第3項人権教育の方法  19  第3節 これから求められる人権教育  24    第1項 現状とこれから起きうる課題に対処できる人権教育  24.    第2項本質を理解する 24    第3項カリキュラムに位置付ける 25 第3章道徳の時間において人権教育をどう進めるか  第1節 道徳の時間と人権教育  26    第1項 道徳の時間と人権教育の関連性  26    第2項 道徳の時間に人権教育を行う意義  29  第2節 道徳の時間に人権教育を関連させる方法  30. 第4章 実践報告とまとめ  33  第1節 野口小学校における実践報告  33.    第1項実践その1 33    第2項実践その2 41  第2節まとめと今後の課題  49    第1項 成果  49.    第2項これからの課題 49 おわりに  51. 26.

(3) 第0章はじめに  人類の歴史をふり返ると,その負の部分が見えてこざるを得ない。戦争や奴隷制度など,. 人間が人間を苦しめる行為はいつの時代にも絶えることがなかった。今では人権侵害とも 言える行いが,平気で正当化されてきた。そこで傷ついてきた多くの人々のことを考える と,人間の歴史は人権侵害の歴史であるとも言える。.  これを乗り越えるかのように,社会の底辺に位置付けられてしまった人々から、人間は 人権を勝ち取ってきた。そして現代,人権を尊重することの大切さが社会通念として認識 されるようになった。21世紀は人権の世紀であるといわれ,人類が繁栄を保持するために は人権という価値観が欠かせないという機運が国際的にも高まってきている。1948年の世 界人権宣言をはじめとしてこれまでに人権に関する様々な条約が採択され,それに伴い人. 権教育の必要性も論じられるようになった。近年では国連が全世界的規模で人権教育の推 進を徹底させるための人権教育のための世界計画を2005年忌開始する宣言を採択すると いう動きも見られた。日本でも多くの人権に関する条約へ賛同する姿勢が見られ,それに 伴う各種政策が講じられてきた。.  この人権教育の目標とは,一人ひとりが人権の意義・内容や重要性について理解し,自. 他の尊厳を認めることができるようになることである。さらにそれが様々な場面,状況で 具体的な行動となって現れるとともに,人権が尊重された社会づくりに向けた行動につな がるようにすることである。.  しかし,この目標とは裏腹:に依然としていじめや差別等が後を絶たず,人権に関する問. 題が社会に泥のようにしみついている。人権といえば,漠然とした重たい物,腫れもので あるかのような感覚が人々の潜在意識の中に形成されているようである。さらに,人権教 育そのものの存在も否定するような考え方を持つ人が存在することも事実である。.  このような現状を克服するには,人権教育の在り方を,その意義に照らし合わせて見直 し,学校教育における実践方法をさらに考えを深めていくことが必要である。.  さらに人権教育と道徳教育の関連性についても触れておく。文部科学省は,道徳教育を 児童生徒が人間としての在り方を自覚し,人生をよりょく生きるために,その基盤となる 道徳性を育成しようとするものとして,教育課程に位置付けている1)。つまり,道徳教育. が機能していれば一人一人がより豊かな社会を形成することを目指すようになるはずであ る。しかし,その実践は教員の意識によって様々であり,道徳教育が役割を果たしている とは言い難い。これはまさに人権教育の抱える問題と類似しているのである。.  これらのことを踏まえて,人権教育と道徳教育双方が効果的に実践されるための方法を 検討し,その具体案を示す必要があると考えた。本研究は人権教育を道徳教育に絡めて実. 1)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.14。.                     1.

(4) 践していくことの可能性を示すとともに,その具体案を提案することに主眼を置いた。. 2.

(5)           第1章 道徳教育の意義と可能性等について.            第1節 学校における道徳教育の目的  第1項 道徳教育の目標  小学校学習指導要領解説によると,学校における道徳教育の目標は,教育基本法及び学 校教育法に定められた教育の根本精神に基づいて設定されているため日本国憲法に掲げら. れた民主的で文化的な国家をさらに発展させるとともに,世界の平和と人類の福祉の向上 に貢献する国民の育成を目指す日本の教育の在り方を実現することである2)。.  改正教育基本法はその第1条において「教育は,人格の完成を目指し,平和で民主的な 国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行 わなければならない3)」と規定しており,これがまさに日本における教育の目的である。. 道徳教育は人格の形成に深く関わるものであるため,人格の完成を目指す教育の基本と捉 えることができる。そのため,道徳教育は学校教育全体に関わるものでなければならない。. その上で教育全体の目標と区別し,道徳教育の固有の目標として「道徳性を養うこと」が 学習指導要領には明記されている。簡潔に述べれば,道徳教育の目標とは,学校教育全体 を通じて人格の基盤となる道徳1生を育成することである。.  第2項 道徳性とは  道徳性について,学習指導要領解説は人間としての本来的な在り方やよりよい生き方を 目指してなされる道徳的行為を可能にする人格的特性であり,人格の基盤をなすものであ り,また道徳的諸価値が一人一人の内面において統合されたものであると述べている4)。. さらには「道徳的行為が児童自身の内面から自発的,自律的に生起する5)」ことも道徳性. の重要な要素だ。つまり道徳的に望ましいと考えられる個々の価値があり,それを理解し た上で正しい行為がとれる資質が道徳性なのである。.  この道徳性は大きく道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲及び態度から成る。.  道徳的心情とは道徳的価値の大切さを感じ取り,善を行うことを喜び,悪を憎む感情そ して人間としてのよりよい生き方や善を志向する感情であり,それは道徳的行為への動機 として強く作用するものである6)。これはよりよく生きたいと思う個人の感情を示す。.  道徳的判断力とは人間として生きるために道徳的価値が大切なことを理解し,様々な状 況下において人間としてどのように対処することが望まれるかを判断する力であり,的確 な道徳的判断力をもつことによって,それぞれの場面において機に応じた道徳的行為が可. 2)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.24。 3)「教育基本法」第一章第一条. 4)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.16。 5)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.28。 6)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.28。. 3.

(6) 能になるのである7)。つまり,よりょく生きるためにどうずればいいかを判断するカのこ とである。.  道徳的実践意欲及び態度は「道徳的心情や道徳的判断力によって価値があるとされた行 動をとろうとする傾向性8)」のことである。よりょく生きるために自分がとるべき行動を とろうとする心構えがこれにあたる。.  これら三つの観点は道徳性を捉える際に,重要となってくる。道徳的心情や,道徳的判 断力は感性,知性などの個々人の内面に関わることであり,道徳的実践意欲及び態度は行 動として道徳を具体化する能力である。何が大切なことなのかが分からない,判断できな いといった問題に加えて,それが分かっていても実践できないという問題は常に道徳にお ける課題として浮かび上がってくる。だからこそ,内面に加えて行動までを道徳性の要素 として統合する必要があるのだ。.  ただし,この研究における留意点として,行動の変容を確認する難しさを挙げておきた い。本研究は人権教育の道徳教育への適用を目指すものであり,それがどう効果的かを判 断するには,道徳性の向上を確認することが求められるだろう。しかし,道徳性が向上し た事実はそれが行動の変容をも示していることに葛藤が生じる。・最終的な目標としては行. 動の変容にまで言及できることが望ましいが,本研究の性格上それが達成できる見込みは 薄いのである。その事実を前もって述べたうえで,今回は授業の提案をすることにとどめ ておきたい。.  一方,宇田川(1989)は道徳性とそれに伴う道徳的行為を導くものを六つに分類した。そ れは共感能力,知的能力,組織的能力,性格と技術的能力,価値意識,規範意識である9)。.  共感能力とは相手の行動や表情などを通して彼のおかれている状況や気もちなどを感じ 取ることができる能力であり,これは経験と人間理解によって培われる。.  知的能力とは相手のおかれている状況を的確に把握し,どのようにしたら彼をその困難 な状況から救えるかを判断できる能力である。これには現代社会の問題に科学的に取り組 んでいくことも求められるので,経験を通してだけでなく,教科の学習を通しても得られ る能力である。.  組織的能力は人間関係を調整して目的を実現できるようにする能力であり,これは互い に性質を異にする集団が共同の目的を実現しようとする過程で身につけられるものである。  性格と技術的能力とは事態を具体的に適切に処理することができるために必要であり,. 具体的には冷静,緻密,ねばり強さ,勇気があるなど,および生活技術,道具や機械を使 う能力が挙げられる。. 7)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.28。 8}文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.28。 9)宇田川宏『道徳教育と道徳の授業』㈱同時代社,1989年,pp.103・104。. 4.

(7)  以上の四つを根底のところで支えつつ,それらを用いて道徳的行為を導くものが以下の 二つである。人間に対する信頼と愛情に根ざし,生命を尊重し他人の幸福を願わずにいら れないような意識である価値意識と,道徳的行為を自分にとって極めて大切なものである からどこまでもそれに従って行動しようと考える規範意識である。.  宇田川の説を学習指導要領と照らし合わせると,共感能力や価値意識は道徳的心情に, 知的能力は道徳的判断力に,そして残りの組織的能力,性格と技術的能力,規範意識は道 徳的実践力および態度に内包されると考えることができる。.  つまり,道徳性とは総合的な能力及び性質であり,深く人問性に関わるものであること がわかる。.  第3項 道徳性の育成  道徳性を育てるということは先に述べたように道徳教育の目的であり,具体的にどのよ うに道徳教育を進めていくかは第2節で述べていくとして,ここでは道徳性の発達に関わ る要素と育成の関係について論じる。.  道徳性というものは生得的なものではなく,人間は生まれた時にその萌芽を持ち合わせ ているにすぎない。これは道徳性に限らず,人格に関わる全ての事に通じることである。 そして様々な体験,学びを通して成長していく。.  たとえば運動能力が発達するためにはそのための訓練が必要であることと同様に,道徳 性が発達するためには,道徳性を高める価値や経験に触れなければならない。学習指導要 領はその発達,成長に関して留意する要素として,よりょく生きるカを引き出すこと,か かわりを豊かにすること,道徳的価値の自覚を深めることの3点を挙げている10)。.  道徳性の育成に携わるときはこれらの要素に留意しながら進めていかなければならない ということである。これが指導方法の指針なのである。.  また,道徳性の発達は基本的に他律から自律への方向をとるとされている。これに関し て指導要領は「判断能力から見れば,結果を重視する見方から動機をも重視する見方へ, 主観的な見方から客観性を重視した見方へ,一面的な見方から多面的な見方へ,など11)」. の発達の仕方を例に挙げ説明している。この考え方は十分に納得できるものであり,多少 の補足を加える余地を踏まえれば,およそ道徳性が他律から自律への発達を遂げると見て 間違いはない。.  次に道徳性の発達に関する主な見解を確認していく。ひとえに発達と言っても,その方 法,方向,手順などは複雑に絡み合ったものであるため,研究者の中でも様々な意見が論 じ合われている。たとえば,ピアジェ(Piage七,J.1896・1980)以来の考え方である段階的発 達は,コ・一一一Eルバーグ(Kohlberg,L 1927・1987)によって引き継がれ,人間の道徳性が普遍的 10)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.17。 11)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.18。.                     5.

(8) に6つの段階を上昇する形で発達すると設定されたが12),その普遍的な道徳性がコールバ ーグの背景にある社会のものを前提としているという点で不完全であるなどの問題点をは らんでいた。.  このように道徳性の発達のメカニズムに関しては未確定要素が多いのであるが,道徳性 が発達するものであるということは疑う余地がない。だからこそ,その発達を促せるよう に道徳教育が行われていかなければならないのである。.              第2節 道徳教育の可能性と方法.  第1項 道徳教育の意義  先に述べたように,道徳教育は道徳性を育成することである。ではなぜ道徳性を学校に おいて育成する必要があるのだろうか。簡潔に述べれば平和で民主的な国家及び社会の形 成者を育てるためである。現代社会をよりよいものにしていけることが,社会の一員とし. て各人に求められるのであり,それが日本という国家やこの世界の存続さらには人類の 繁栄につながるのである。共同体によって様々な価値概念があるため,今触れている道徳 が普遍の真理とは言えないが,少なくとも日本国憲法は先に述べたような理念を掲げてい る。.  日本国憲法が謳う平和で民主的な社会は人々に多くの権利を認めることで成り立ってい る。そうであるならば,その権利の乱用を防ぐためにも,一人ひとりが道徳心を持って生 きることが,必要不可欠である。だからこそ,この社会が求める道徳的な価値を理解し, 他者と共存して生きられる人間を育てなければいけないのだ。.  ただし,共生ということに着目して考えると,道徳教育が社会統制としての役割を持っ ているという側面が浮かび上がってくる。社会やその内部で発生する逸脱・犯罪・緊張な ど,社会・集団にとって好ましくないと考えられる状況を処理し,均衡を回復しようとす ることが社会統制である。つまり社会における秩序を守るために,問題の発生を抑制する ことが優先されるということだ。もし道徳教育が社会統制の役割を重視するならば,それ. が社会の維持のために意図的に教育するという点で保守的である上,教育というものが価 値の押し付けに偏り,自発的な人間性を育成することを妨げかねない。.  ここで確認しておきたいことは,道徳の意義である。たしかに,道徳が社会統制の機能 を持っていることは間違いないだろう。しかし,その本質は人間がよりょく生きるための 12)①罰と服従の方向性②功利的相対主義の方向性③よい子への方向,あるいは間人間的一致④規則と秩序.  への方向性⑤社会契約的・法律的方向性⑥普遍的・倫理的原則への方向性の6段階である。コールバ  ーグは低い段階から高い段階へと押し上げることに道徳教育の目的を置いた。村井実『道徳教育原理  一道徳教育をどう考えればよいか一』教育出版株式会社,1990年,p.133・134より。. 6.

(9) 要素である。人間は社会的な生き物であるために,よりょく生きるためには社会的価値を 重視することも必要となってくるのである。つまり,社会統制のために,道徳教育がある のではなく,道徳教育の効力に社会統制的部分が含まれるということなのだ。国家に忠実 な人間を育てる戦前の修身教育のようになることを防ぐためにも,道徳教育を行う際には この点を決して忘れるべきでないことを留意しておく。芥川龍之介は戦前の修身教育に触 れ,「道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である13)」と皮肉を述べているが,現代の 道徳教育が目指すものはこれとは対極にあると考えられる。.  一方,「人間は,世の中自身であるとともにまた世の中における人である14)」という考 え方も教育において極めて重要な位置をしめる。これまで,道徳教育の意義を社会性に重 点を置いて考えてきた。しかし,その社会を形成する人間個人においての意義についても. 触れておかねばならない。教育は人格の完成のためにあり,それは「自己の本質の発見で あり,その本質の自己実現でなければならない15)」。つまり教育によって自分自身を高め,. よりょく生きることに目覚めるのであり,その中で,自分の未完成の部分に気付ける。そ してその点を補い合うことで共生し調和的に生きていくことの大切さを知るのである,道. 徳教育はそうした気付きの土台をつくるとともに,協調して生きていくための資質をも養 うのである。.  さらに自己の生き方を高めるという点でも,道徳教育は意義がある。人は大人になるに つれて複雑な考え方ができるようになる。例えば,単純な足し算引き算から,高度に入り. 組んだ関数へと発展するなど,教育の過程が初等中等教育を経て高等教育へと発展してい ることからもそれが容易に想像できる。同様に感性もまた複雑に進歩していくものである。. 快不快の単純な感情から,思考を伴う美的意識などへ,成長の過程で発展していくのであ る。これには当然教育の果たす役割は大きい。なぜならば,それは経験を通して身につけ る感覚であり,経験は知識を持った教育者から与えられるものだからである。平和という ことに関してただ何も起きないことが平和である,戦争をしないことが平和であると感じ. る心から,自分たちで平和な世の中を作っていくために何ができるかを考えられるように なるには,その機会は普通に生活しているだけではめぐってこないため,平和の意義を学 ぶことや歴史を通して学んでいかなければならいのである。道徳的に優れている人物とい うものは複雑に入り組んだ思考を可能として,その意味で豊かな感性をもつ者のことなの である。.  道徳教育がその真価を発揮できたとき,それは優れた徳性をもった人間の育成に貢献す るであろう。このような人たちは,自分の内にある価値や意向に従ってよりょく生きるこ とを目指すのであり,社会はその過程でより民主的で,平和的に形成されるのである。 13)芥川竜之介『{朱儒の言葉』岩波書店,1932年(第1刷)(第57刷は1982年),p.9。. 14)鰺坂二夫『教育原論』玉川大学出版部,1980年(第二刷,第一刷は1976年),p.105。 15)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.85。.                    7.

(10)  第2項 道徳教育の方法  学習指導要領は道徳教育が学校生活全体で行うものであると述べている。道徳的な概念 は生物学的概念ではなく,社会学的概念であるため,生得的なものではなく,獲得される ものである16)。つまり,社会との接点を通して身につけていくため,小社会である学校内 の生活を利用して学んでいくことが大切なのである。.  学習指導要領において,道徳教育は学校全体における教育と道徳の時間における指導の 二つに分類される。.  前者は,言葉どおり,学校における児童を取り巻くあらゆる環境や活動の中で,道徳教 育を行っていくものである。学習指導要領解説によれば「道徳教育は,各教科,外国語活 動,総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応じて行うとともに,あらゆる 教育活動を通じて,適切に行われなくてはならない17)」ものである。つまり各教科の授業. 内,掃除や給食,休み時間に至るまで,道徳の指導をするべき機会に出会った際,それを 取り出して指導するということである。掃除をなまけている児童に対して積極的な行動を. 促したり,児童問で争い事があれば,話し合わせて解決させたりするなど,日常の指導が そのまま道徳教育であるのだ。また各教科で学ぶ知識も,それがあるから道徳の価値を理 解できるとすれば,道徳教育に関連するものである。前項で触れた感性の複雑化はこのこ とと大きく関連しており,学びが深まることで,新たな道徳的知識も身につけられるとい うことなのである。この意味で,大きく捉えれば,学校教育全体が道徳教育そのものなの である。.  次に後者であるが,これは昭和33年度の学習指導要領から新たに加えられた特設道徳                                かなめ の時間のことである。この道徳の時間は「各活動における道徳教育の『要』として,それ を補充し,深化し,統合する役割を果たす18)」ものである。道徳教育の目標を実現させる. ために,各教科等のそれぞれの活動との関連を図りながら,年間を通して計画的,発展的 に指導していき,道徳的価値の内容を補い,深め,まとめていくのである。つまり,学校. 生活におけるそれぞれの場面で学ぶ道徳的諸価値は,漠然としたイメージにすぎない状態 であるため,これを具体化し自己の内面に落とし込む作業を,道徳の時間で行うのだ。そ. のような過程で,自己の生き方について考えられるようにすることが,道徳の時間の重要 な意義なのである。.  また,ここで育てられる力は道徳的実践力である。道徳的実践力とは「人間としてより ょく生きていくカであり,一人一人の児童が道徳的価値の自覚及び自己の生き方について の考えを深め,将来出会うであろう様々な場面,状況においても,道徳的価値を実現する 16)ヴィゴツキー著,柴田義松・宮坂秀子訳『ヴィゴツキー 教育心理学講i義』㈱新読書社,2005年,p.226. 17)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.26。 18)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.26。.                    8.

(11) ための適切な行為を主体的に選択し,実践することができるような内面的資質19)」のこと. である。つまり自分自身がどう生きるのか,よりょく生きるためにどうずればいいか,ま たどんな選択が取りうるかを考える能力が道徳的実践力につながるのである。道徳的実践 のためには,まずはよりよく生きたいという欲求があり,次によりょく生きるとはどうい うことかを知り,そしてよりょく生きるために何をすべきかを考え実践しようとすること が必要である。これはつまり,道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲及び態度のこ とである。このことから,道徳的実践力とは,上記三つの道徳性を内包するものであるこ とがわかる。.  つまり,学校教育全体に関わる道徳教育と,それを補充し,深化し,統合する道徳の時 間での指導とが合わさって道徳性が育成されるということである。.              第3節 道徳の時間の取り扱い.  第1項道徳の時間の目的と意義  前節において,道徳の時間は学校教育で行われる道徳教育を補充,深化,統合するもの であると述べた。本研究は道徳の時間における指導方法に関するものであるため,本項に おいてより具体的な内容まで確認していく必要がある。.  道徳の時間は,学校全体の道徳教育において学んだ漠然とした道徳的価値を具体化する ものであると述べたが,ただし,具体化と言ってもそれは「具体的な行動の指導をする時 間ではなく,生きる姿勢を固めさせ,自分自身の生きる拠りどころとなる道徳的価値を自 らのうちに定着させる時間20)」である。つまり,こうすればいい,こうすべきだ等の具体. 的行動方法を教えるのではなく,その価値に対して自分で考えを深めようとする資質を育 てるものなのである。.  以上のことを考慮したうえで,道徳の時間の仕組みをまとめると,以下の図のような流 れになる。. 〆   道徳的価値を理解する. v. 一一一一一一一. 「㎏ 一一・一一一一一一. !              〉                、. @ 道徳的な価値を判断する d. 一一一モ一一一一一…一. !                                                        、. @  道徳的な態度の形成 _.  まず,児童は道徳的な価値を理解する。例えば,友情や信頼といった道徳的価値をより 具体的に自身の規準として定着させるために,学校生活における友人関係のトラブルを取. 19)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p.34。 20)小寺正一「道徳の時間の指導」小寺正一,藤永芳純編『三訂 道徳教育を学ぶ人のために』世界思想社,.  2009年Jp.170。.                    9.

(12) り上げて,道徳の時間に友情の尊さを学ぶのだ。.  次に道徳的な価値を判断する。友情を守ることが自分の生活にどのような効果をもたら すのかを想像させるために,友情の尊さはどういった場面で現れてくるのかを自身の体験 と結び付けて考えることが必要になるのである。.  そして道徳的な態度の形成につながるのである。友情という価値に立って,この先様々 な場面,状況で行動することができるようになる前に,友情を大切にしょうとする心構え を形成しなければならない。.  こうした一連の流れの中で,中心となってくる活動は,自分自身を見つめることである。. 道徳の時間は「今までよりも一段高められた価値観に照らして,今までの自分はどうであ ったかを一人一人の子供(原文ママ)が見つめてみる時間21)」(瀬戸P.88)なのである。そう. すれば,自己の内面により望ましい価値規準が定着し,それに従って行動を起こすことに なる。「行為を決定し持続させるところの内面的な動機が,より望ましい道徳的価値によっ ている場合の行為は,より望ましい行為であり,より高い道徳的実践である22)」(瀬戸p.157). ということからもわかるように,そのような行為が行える資質が道徳的実践力の要となる のである。まとめると,道徳の時間は,道徳的価値に自身の生活を照らして見つめること で,道徳的実践力を培おうとする場なのである。.  第2項 道徳の時間の指導法  道徳の時間は子ども一人ひとりの生き方を見つめさせる時間であるため,教員は「児童・. 生徒が自らの生き方を確立していくための援助としての教育であるという視点から指導に あたるべき23)」である。その援助の手段として資料を用い,議論の材料を提供するのであ る。.  道徳の時間には,まずねらいとする価値が存在しなければならない。学習指導要領に照 らし合わせて,どの道徳的価値を取り上げて授業を作るのかが明確であることが必須の条 件だ。さらに,その価値を学ぶにあたってどのような資料を用いるかが重要になってくる。. 道徳の時間はある程度柔軟性のある授業が行えるため,副読本や新聞記事,小説,写真,. 映像,グラフ,実際の出来事など,様々な材料からその価値を児童が深めるために最も有 効であると思われるものを選択し資料として用いるのである。これら,ねらいと資料が合 わさってその時間の主題が決まるのである。その主題に沿った学習活動を通して,児童は ねらいとする価値を深めていくのである。. 21)瀬戸真『道徳教育の改善と課題』株式会社国土社,1989年,p.88。. 22)瀬戸真『道徳教育の改善と課題』株式会社国土社,1989年,p.157。 23)小寺正一「道徳の時間の指導」小寺正一,藤永芳純編『三訂 道徳教育を学ぶ人のために』世界思想社,.  2009年,p.173.                    10.

(13)  次に,ねらいとする価値,資料,主題についてそれぞれを見ていく。.  まず,ねらいとする価値であるが,これは先に述べたように学習指導要領にある内容項 目から取り上げる。各時間一っの価値を決め,それに沿って授業を考えていく。この際,. 年間を通して全ての項目を網羅することは必須であるが,特に重点的に学ばせたい内容に ついては重複して実施することが可能である。注意しなければならないのは,その価値が ぶれないことだ。例えば,親切という価値について学ぶならば,それが友情という価値と 混同されてはならないのである。また,この価値を補充,深化,統合するわけであるから,. その内容については普段から意識できるようにしておかなければならない。.  次に資料である。資料とは道徳の時間での学習指導に用いる教材の総称である。この資 料は「価値について児童・生徒の思考を深める素材としての役割,思考の基盤としての役 割24)」をもつ。つまり,資料は価値を学び,深めるための手段として,用いられるものな のである。学習の中心になるのは資料の内容ではなく,学習者の内面であるため,資料を. 見たり,読んだりするだけで完結しない。資料はあくまでも学習の素材にすぎないのであ る。そのため,授業者は資料を効果的に用いる活用能力が求められる。.  また資料が備えているべき要件としては「ア人間尊重の精神にかなうもの,イねらいを 達成するのにふさわしいもの,ウ児童の興味や関心,発達の段階に応じたもの,工多様な 価値観が引き出され深く考えることができるもの,オ特定の価値観に偏しない中立的なも の25)」があげられる。この条件を満たすものを,学級における児童の実態に照合して選定 しなければならないのである。.  そして主題とは,その時間に学習する内容を総括して表現したものである。ねらいを達 成するために,資料を用いてその時間にどのような学習を展開していくのかが明確になっ ているうえで,授業者はそれに合った主題を決めるのである。これは,学習過程の柱とな るものである。.  第3項 道徳の時間の現状,課題  道徳の時間は児童が自らの生き方を見つめることで,道徳的実践力を養おうとする場で あることは先に述べた。しかし,現状は価値の教え込みの枠を抜け出せない授業が未だ数 多く存在している。また,そのことも関係してか,道徳の授業を面白くないものと感じて いる児童も少なくない。道徳の授業は自分について考える時間である。自分について考え ることが面白くないわけがない。そのことから見ても,道徳の授業がその本来の役割を発 揮できていないことが分かる。以下に,現在の道徳の時間における指導方法の問題点をま とめていく。. 24)小寺正一「道徳の時間の指導」小寺正一,藤永芳純編『三訂 道徳教育を学ぶ人のために』世界思想社,  2009年,p.203。 25)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍,2008年,p,90。.                    11.

(14)  まず,先にも述べたように,価値の教え込みによる指導が行われていることである。教 え込みによる道徳の時間の弊害の理由は,効果に関することと,政治的問題に関すること の二点があげられる。.  前者は,教え込みが,児童が自分自身で考えることを妨げることを意味している。道徳 性はよりょく生きようという児童の心を引き出すことで育まれるのであり,道徳教育はよ りょく生きようとする児童の資質を前提としている。そのため,「差し延べられた指導の手 を助けとして,自分自身で善さを求め,探り,やがて自分自身で新しい善を作り出す26)」. ことを通して児童の道徳性は高められる。道徳とは,自己の内なる心によって導かれるも のなのである。このことから容易に想像できるように,価値を教え込むことはできないの である。教師が一方的に話をしても道徳性が育つことはない。さらに「教え込まれた徳目 は本当に子どものものにはならないし,そのような道徳教育では教師の顔をチラッと見て から行動する“優等生”が育てられる恐れもある27)」ということからも分かるように,大 人や社会の目を伺って行動するような児童を育てかねないのである。そうであるからこそ,. 道徳教育は社会の圧力などの彼岸に位置する児童の内面を育てるものでなければならない のである。.  後者は,価値を教え込むことが,戦前の修身教育で行われていたことに関連する。修身 教育の目的は「民権拡張を主張する自由民権運動を抑え,中央集権的な政治体制を確立す るため28)」に天皇への忠誠心をもった国民を育成するところにあった。つまり国家に忠実 な国民を形成するために,その徳目(価値)が絶対的なものであるかのように教え込み,そ. の結果,専制的な国家が形成され,国民は容易に扇動されるようになるのである。戦後,. 修身科は民主的な社会に反するものとして廃止させられたが,道徳教育がこれと同様のも のとなってはならないのである。民主的な社会を形成する個々人は人から押し付けられた 価値ではなく,自分自身で考えることを通して身に付けた道徳的情操に基づいた選択・行 動を実行していかなければならないのである。.  以上二点を考慮すると,現状行われているような価値の教え込みに偏る授業では,道徳 教育の意義は果たせないことがわかる。これを防ぐためにも,教員は道徳の時間の意義を 知るとともに,それぞれの価値の内容をその本質から吟味する必要があるのである。.  次に価値内容項目そのものについての問題点である。道徳学習指導要領は道徳の時間に. 扱うべき価値を低,中,高学年に分けてそれぞれ設定している。低学年で18項目,中学 年で20項目,高学年で22項目を学んでいくのである。しかし,これらの項目が道徳性を. 26)村井実『道徳教育原理一道徳教育をどう考えればよいか一』教育出版株式会社,1990年,p.153。 27)宇田川宏『道徳教育と道徳の授業』㈱同時代社,1989年,p.92。. 28>小寺正一「道徳教育の歴史」小寺正一,藤永芳純編『三訂 道徳教育を学ぶ人のために』世界思想社,  2009年,p.35。. 12.

(15) 網羅しているということではなく,これは「児童自らが道徳1生を発展させていくための窓 口29)」というべきものである。いわば人格の基礎となる道徳性が,このような項目で収ま. るとは思えない。また,「これらの価値項目は,日本国憲法・教育基本法の価値との関係で みたとき,適切な内容であるだろうか30)」という意見からも分かるように,内容項目自体 についての信慧性を疑問視する考え方も存在する。たとえば,「『愛国心』というのは,国 家にとって有用であるというだけであって,それ自体で道徳的ということはできない31)」 という意見や,外国籍の児童に「『日本人としての自覚をもって国を愛し,国家の発展に尽 くそうとする』愛国心を教えることが適切でないことは,あまりにも明らかである32)」と. いう意見をはじめとして,価値項目に意義や疑問を投げかける意見も多く聞かれる。その ため,授業者は,指導要領に書かれた価値項目を鵜呑みにするのではなく,まずその価値 を自身で吟味する必要があるのである。.  さらに道徳の時間に用いる資料についての問題も挙げられる。資料とは道徳的な価値に ついて考えるための手掛かりとなるものであり,授業はそれを中心に構成されるから選択 と活用には注意しなければならない33)。どんな資料をどのように用いるかが授業の面白さ. を決め,それによって学習が深まるかが決まるのである。しかし現実には多くの資料が問 題を抱えている。型にはまった物語で,ありきたりなことを述べているものからは子ども は何も感じられない。建前だけを語り,現実味のない話からは学びは広がらないのである。. このような資料を,内容を吟味することなくそのまま用いることは道徳の時間の意義をな くすことになる。.  以上,道徳の時間に関わる問題点を挙げた。繰り返しとなるが,道徳の時間は児童が自 分自身を見つめなおすことで道徳性を高めていくことを目的としている。つまり,現状の 問題点を克服するためには再度その意義を確認し,児童の道徳1生を高めるという目的に沿 った教育を行っていかなければならないのである。. 29)文部科学省『学習指導要領解説 道徳編』東京書籍1,2008年,p.34。. 30)宇田川宏『道徳教育と道徳の授業』㈱同時代社,1989年,p.124。 31)村井実『道徳教育原理一道徳教育をどう考えればよいか一』教育出版株式会社,1990年,p.270。 32)宇田川宏『道徳教育と道徳の授業』㈱同時代社,1989年,p.126。 33)長野正「『道徳の時間』の指導」村田昇編『道徳の指導法』玉川大学出版部,2003年,p。116。.                     13.

(16)           第2章 人権教育の意義と方法等について               第1節 人権教育の目的.  第1項人権とは  人権教育を実践していくためには,当然人権とは何かを理解しておく必要がある。.  人はそれぞれ独自の考え方,価値観性格,資質等を持って生きており,その固有性は 何をもっても代えることはできない。命に代えが効かないことと同様に,このいわば固有 の特性も代えが効かないということである。そのため,これは必然的に尊重されるべきで あるし,その侵害は許されない。人間は生まれながらにしてその権利を持っている。これ がすなわち人権なのである。.  人権とは文部科学省の定義によると,「人が生まれながらに持っている必要不可欠な様々 な権利34)」であり,それは基本的人権として憲法によって保障されているものである。そ. の内容には人が生きていく上で不可欠な諸権利や,幸福を追求するために必要な諸権利等 が含まれている。その権利それぞれが独立した固有な意義を持ち,同時に相互を補完し合 うことで,人権という概念全体を構成するのである。.  人権の起源は欧米における市民運動にあり,権利を持たぬ人々がそれを得て,発展させ ていくことで今日のように形作られてきたのである。そのため,人権それ自体は,人がよ りょく生きていこうとする過程で,多様な様相を示しながら進化していくものである。そ して人権という概念の進歩に合わせて,社会も良くなっていくことが望まれるのである。  また,人権が保障される由来は,自分の人権も他者の人権も侵害しないところにある。 自分の人権が尊重されるならば,それと同様に他者の人権も尊重しなければならない。そ の相互関係が人権に意義を与えるのである。.  第2項人権教育の目的  人権教育とは「人権尊重の精神の酒勾を目的とする教育活動35)」のことである。つまり,. 人権を尊重することができるようになることが人権教育の目標なのである。また,人権尊 重とはかみ砕くと「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めること36)」と表現するこ とができる。このことから,人が幸せに生きていくために欠かせない様々な権利を理解し,. その権利を自分のものも他者のものも大切にできるような人間形成を目指すことが人権教 育の目的と言える。.  さらに,人権教育の目的はより細分化される。上にあげた目標は最終的な到達点を述べ 34)文部科学省「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」,  http://www.mext.go.jpib−menu/shingi/chousa/shotou/024/reportVO8041404/002.htm. 35)「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」第二条 36)文部科学省「人権教育の指導方法等の在り方について〔第三次とりまとめ]」,  http://www.mext.go.jpib−menu/shingi/chousa/shotou/O24/reportiO8041404/002.htm.                    14.

(17) たものであり,それに向かって数多くの小目標が存在する。人権教育で育成したい資質や 能力の一つ一つがそれに該当するため,小さい視点で見るとその育成自体が人権教育の目. 的なのである。そしてそれが総合された先にあるものが,自分の人権も他人の人権も大切 にすることができる人間像なのである。.  これらをまとめて分類すると,身につけさせたい資質は大きく三つに分けられる。知識 的側面,価値的・態度的側面,技能的側面である37)。.  まず一つ目の知識的側面は人権に関する知識理解に関するものである。知識や理解は全 ての学習の基盤となるため,多面的,基礎的な知識がいかなる場面でも必要なのである。. 人権はそれ自体の意義とそこから派生してくる事象が複雑であるため,その知識理解も多 面的なものでなければならない。人権とは何なのかということ,自由,正義,責任,権利,. 個人の尊:宇角の諸概念,人権を守るための方法,人権侵害などの具体的問題,そして歴史. など,それぞれ違ったアブn一チから得られる知識が総合的に求められるのである。まさ に,人権に関する知識は総合的な知識である。.  また二つ目の価値的・態度的側面は内面的な資質である。これは人権に関する諸概念に 高い価値を見出し,それを尊重する感覚で,人権感覚38)と直接的に関係する重要な資質で. ある。人間の尊厳の尊重,自他の人権の尊重,多様性に対する肯定的評価,責任感,正義 や自由の実現のために活動しようとする意欲などが含まれる。知識から行動に向かうため には,このような価値や態度が備わっていることが不可欠なのである。.  そして三つ目が技能的側面である。人権に関わる事柄を直感的に感受し,共感的に受け 止め,それを内面化するためには,個人に様々な技能が備わっていることが求められる。 コミュニケーション技能,合理的,分析的に思考する技能や偏見や差別を見極める技能,. 差異に気付く技能等である。これらが学習者に備わっていればこそ,人権を大切にする実 践行動に結びつくのである。.  以上の三つの側面からバランスよく資質能力を養うことが,学校における人権教育の目 標であるといえる。. 37)文部科学省「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」,  http://www.mext.go.jpib−menu/shingi/chousa/shotou/024/report/08041404/002.htm. 38)文部科学省「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」,  http:〃www.mext.go.jpfb_menu/shingi/chousa/shotou/0241report/08041404!002.htmより.  「人権感覚とは,人権の価値やその重要性にかんがみ,人権が擁護され,実現されている状態を感知し て,これを望ましいものと感じ,反対に,これが侵害されている状態を感知してJそれを許せないとす  るような,価値志向的な感覚である。『価値志向的な感覚』とは,人間にとってきわめて重要な価値であ る人権が守られることを肯定し,侵害されることを否定するという意味において,まさに価値を志向し, 価値に向かおうとする感覚であることを言ったものである。このような人権感覚が健全に働くとき,自 他の人権が尊重されていることの『妥当性』を肯定し,逆にそれが侵害されることの『問題性』を認識  して,人権侵害を解決せずにはいられないとする,いわゆる人権意識が芽生えてくる。つまり,価値志 向的な人権感覚が知的認識とも結びついて,問題状況を変えようとする人権意識又は意欲や態度になり,  自分の人権とともに他者の人権を守るような実践行動に連なると考えられるのである。」. 15.

(18)             第2節人権教育の重要性と方法.  第1項人権の意義  ①人権と他者との関係.  人権とは個人の持つ不可侵の権利である。人権を尊重するということは個人の自由と幸 福の追求を認めることである。人は自分の好きなように生きることができるのであり,極 論を言えば,それは何を考えようと,何をしょうと許されるということも含んでいる。こ れだけ見れば人権とは自分勝手に生きる者にとって都合のいい概念でしかなくなり,その 価値はなきに等しくなる。.  では,人権を重大なものとしている理由は何であろうか。それは他者との関係が前提と されているところにある。人権は上にも述べたように自己中心的な概念にも転じうる。人. 権が認められるということはその権利を主張することが許されるからだ。しかし,自己の 人権が認められるということは,つまりそれが他者の人権も同時に認められることを意味 しているのである。ここに人権の重要性を導きだす鍵が隠されている。.  たとえば,自分が物を所有したいと思った場合,その権利の追求は妨げられないが,他 者に置き換えてみると,その他者もその物を所有するという権利の追求は妨げられない。 この場合,その物の所有は正当性の強い側に委ねられるのである。このような形で権利が. 衝突することが起きうるのであり,他者の権利を守ろうとしないのであれば,自己の権利 も守られる保証がなくなるのである。だからこそ,人権とは常に他者との関係の中で成り 立つものなのである。.  ②人権を理解すること  人権とはそれを持つ個人がその意味を理解していなければならないものである。まず自. 己の持つ権利が何かを知ることが求められる。自分の権利の具体が分からなければ,他者 の権利も分からず,自他の兼ね合いの中で,より重要視すべきことを検討することも不可 能だからである。.  またこのことはより重要な効果をもたらす。つまり,人権について考えを深めることは,. 自己の生き方を考えることにつながるということである。自分が何をしたいのか,何をす. ることが許されているのかを考えることで,自分に何を達成することができるのかを思索 することにつながる。それも他者との関係の中で,である。これは教育の目指す人格の完 成に関連の深い現象である。自分に何ができるかを把握することで,自ら積極的に生きる 意欲が生まれる。そうして人は生活レベルでなく,精神レベルでの自立に近づいていくこ とができるようになるのである。精神レベルでの自立とは他者や既存のシステムによる働 きかけによって,行動を促されるのでなく,自らの意思で動き,逆に社会に働きかけるこ とができることを示す。たとえば,スピード違反で捕まりたくないから法定速度を守るの. でなく,スピードを出すことが事故につながり,それが自他にとって害悪となることを理 16.

(19) 解した上で安全な速度を保つといった具合である39)。.  また,人権について考える過程は,「感情移入の能力と批判的な問題関心ua)」を必要と. しているため,感性と論理の両面からの思考を伴うものである。人権侵害にあっている人 に同調する感覚や,なぜ権利が必要かを考えること等を通して人権という概念は理解され るからである。.  このことから,人権という概念について追求し理解することは,個人の内面的な成長を 促すことができることが分かる。.  ③人権尊重の社会  人権について理解することは個々人の内面を高めることに加えて,さらに重要な効果を 生み出す。前章でも述べたとおり,人間は社会的な生き物であるため,他者との関係なし では生きていくことはできない。その関係とは,有史以来多種多様であった。いわば主従. 関係や隷属関係も人間関係の一つとして数えることができるだろう。しかし,それらは共 生という考え方からすれば不完全であり,人権はそれを克服する形で存在する。つまり,. 人権という考え方からすれば,他者の上に立って自己の権力を振りかざすことは許されて いないのである。.  では人権尊重がもたらす社会とはどういうものであるか,以下に示していく。.  まず,繰り返しになるが,人権を尊重するということは自分も他者も大切にすることで ある。例えば,自分を苦しめる原因を作っている外圧に気付いたり,憂える人に寄り添い 働きかけたりすることがここから可能になる。.  そしてこのような精神を持つ者は,人との関係を大切にできるだろうし,それらの人々. が増えることで,社会は真の意味で民主的に形成されていくのである。なぜならば,自分 や他者にとって必要なものは何かが気付けていれば,社会に不足しているものや,その裏 にある不条理さに気付き,変えていこうとする意識が芽生えるからである。自分のためだ けでなく,他者も含めてよりょく生きていこうとすることでよりよい社会は築かれるので ある。「他者の権利を尊重しながら,個人が自分の幸福を認める社会こそ,民主主義が目指 してきた社会41)」なのである。. ④人権なき社会の弊害  人権がなかったらどうなるかということを示すことは,その重要性を伝えるために非常 に有効である。以下に人権がない場合に考えられうる問題を挙げていく。. 39)この例は,道徳性におけるコールバーグの発達段階論の第五段階のレベルに相当する内容でもある。. 40)ラルフ・ペットマン著『人権のための教育 授業にすぐ使える活動事例集』福田弘・中川喜代子訳,株  式会社明石書店,p.19。. 41)執筆者不明「人権を教育の本流へ」矢和多忠一編著『奈良の人権教育』奈良新聞社,2008年,p.23.                    17.

(20)  仮に人権が尊重されていなければ,それを基にした自由や幸福追求の権利も蔑ろにされ ることになる。つまり,思想や行動は権力のあるものによって規制,統制され,最悪の場 合は生命そのものを常に脅かされて暮らすことになる。人は互いに尊重し共に生きること を忘れ,自分の利益のみを追求することにもなりかねない。当然,差別や迫害などのある まじき現象を招くことにもつながる。これらは全て,人も自分も大切にするという精神を なくしたことが原因となるのであり,このことを考えてみても,人権の意義は大きいこと が分かる。.  第2項 人権教育はなぜ必要か  前項において,人権というものの意義について述べた。本項ではそれを伝える人権教育 がなぜ必要かということについて述べていく。その過程は大きく二つの点に分けられる。 まず一つ目は根本的な理由となるもので,人権とは学ぶ機会を必要とするものだからとい うことと,二つ目は二次的なもので,日本における人権教育の遅れに対処するためにとい うことである。.  まず,人権を理解するためには学ぶ機会を必要であるということについて述べていく。.  「教育とは,人間形成を望ましい方向へ統御しようとする目的意識的な働きかけのこと であり,またこのことが教育の本質でもある42)」ため,教育とはある目標に向かって人間. 形成をしていくことである。つまり,意図的に働きかけることで子どもを望ましい方へと. 導くのである。この考え方からすると,子どもが自然に人権という概念を学ぶことは考え にくい。そもそも,人権という概念が長い年月をかけて創り出されてきたものであるのだ から,なおさらである。複雑に入り組んだ人権という概念は教育によってその理解を促さ. れなければならないものなのである。人権というものがこれまでに述べたような意義深い ものであれば,人権教育は当然教育において必要となる活動である。.  次に人権に対する理解が乏しい現状を克服するための人権教育ということについて触れ る。.  仲田が,今日の社会における差別否定の思想の普遍化は認めながらも「現実には部落差 別をはじめとして,多くの差別が存在している43)」と述べていることから,人権尊重が叫. ばれていながらも,未だに多くの問題が残っていることが分かる。それは,一部の人にの み,人権の大切さが真に理解されているだけで,他の多くの人からは理解されていないだ けでなく,逆に疎まれてすらいる現状を示している。それが,日本が人権二流国と椰楡さ れる所以である。. 42)仲田旧著『同和教育の教育学的課題. 確かな学校同和教育の実践を目指して』株式会社明石書店,1992.  年,p.43。. 43)仲田直著『同和教育の教育学的課題. 確かな学校同和教育の実践を目指して』株式会社明石書店,1992.  年,p,131。. 18.

(21)  また,人権軽視の事象が後を絶たない理由として,「人権侵犯の差別を重大な社会悪とし てきちっとうけとめる認識をまだよく育てないできている44)」ことが挙げられる。つまり,. 人権を侵すような事象を見逃さず,否定できるような能力を育てなければ,差別はなくな らないのである。.  ただし,差別を克服することが最終的な目的ではない。人権という概念を人々が共有し, 互いを尊重し合えるようになることを目指さなければならないのである。それができれば,. 差別も自然に解消できるのであって,そのために,教育の果たすべき役割は大きいのであ る。.  以上のような理由から,人権教育は必要とされるのである。また,人権の意義から考え てみても,人権教育は必要であるだけでなく,そのものの価値が高いことが分かる。.  第3項人権教育の方法  人権教育は未だどのように進めていくのか,具体的な形が体系化されておらず,学習指 導要領等も存在しない。そのために人権教育そのものが曖昧になっているところに問題が あると考えられる。教員そのものに人権についての理解が十分されていないことも現状の 問題として考えうるが,それに加えてやはり指導方法が確立されていないことが大きな課 題なのである。.  そこで人権教育とは何かを突き詰めていくために,本項では人権教育の方法についてま とめていく。その際展開の利便性を考慮して,留意点と方法を分けて考えることとする。. ①留意点  人権教育の方法を述べる前に,留意すべき点とはどういうものであるかを検討していく。.  まず,人権を負担や重荷として捉えることにつながらないように注意しなければならな い。例えば,「現実社会の醜い部分を,これでもかと提示された子どもたちは,自分たちが これから生きる社会に希望がもてず,非常に消極的になってしまった45)」という事例から. 分かるように,ただ,人権侵害の事例ばかりを取り上げてそれを克服すべきだと述べるだ けではいけないのである。なぜならば「恐怖という代価を払った純潔は,心理学的に見る と開けっ広げな淫蕩よりも心をひどく汚OS)」すからであり,感性の働きを重視する人権に. おいて人間の醜さに対する恐怖心という側面でその感情を統制しようとすることは好まし くないのである47)。このような教育方法をとると,人権が規制・統制のための足かせであ. 44)安達五男『新版 部落史資料と人権教育一新しい同和教育研究のために一』株式会社清水書院,1990  年,P,31。. 45)執筆者不明「人権を教育の本流へ」矢和多忠一編著『奈良の人権教育』奈良新聞社,2008年,p.36。 46)ヴィゴツキー著,柴田義松・宮坂誘子日『ヴィゴツキー 教育心理学講i義』㈱新読書社,2005年,p223。 47)また,これには二次的な被害も内在する。模倣である。「過ちのあらゆる描写が生徒の頭に一連の観念  を生み出し,それと同時に,それらの観念の実現に向けての衝動と傾向を作り出す」(ヴィゴツキー,.                     19.

(22) るような印象を抱かせることになってしまう。人権があるせいで息苦しいと感じるように なってしまうことは,絶対にあってはならないのであって,そのために,人権は重苦しい ものであるという感覚に陥ることは避けたいのである。.  次に,知識のみで本質に迫れない学習になることは避けなければならない。ただ史実や 事実を学ぶだけでは浅すぎるのであって,たとえば部落差別を学ぶにしても「いつ,何の ために,誰がつくったものであるかを言葉として,知識として教えたとしても大きい変化 は期待できない48)」のである。つまり,探求することなく,単なる知識として人権を学ん. だとしても,そこに効果はないのである。なぜならば,知識の向こう側にある本質に気付 くことができないからである。人権にまつわる問題を自分の問題として捉え,探求してい く態度がなければ人権を真の意味で理解することはできないのである。人権教育・啓発に 関する基本計画においても,その点に関して「教育活動全体を通じて,人権教育が推進さ. れているが,知的理解にとどまり,人権感覚が十分身に付いていないなど指導方法の問題 49)」があるとの見方を示しており,本質を伝えられない現状が,そのまま人権が浸透して いない状況につながっていることが分かる。. ②方法.  以上のような点に留意しながら,ここでは人権教育はどのように推し進めるべきかをま とめたうえで,次に具体例を示す。.  本章第1節第2項で示したように,人権教育ではその目標を達成するための資質・能力 は3つの側面に分けられる。この3つの側面(知識的側面,価値的・態度的側面,技能的 側面)からの学習によって,人権に関する知的理解と人権感覚が酒養されるのである。そ れらの総合されたものが最終的な人権教育の目標につながっていくのである(p.24図1参 照)。.  これらの資質は,学校生活や各教科等の指導の中に位置付けられて計画的に養われるべ きものである。どの活動においても重要なことは人権に対する感覚を磨き,人権を知識と. 感性で理解することであるから,その方法を示すことで,後に来る多くの活動の指針にな る。つまり,3つの側面に資質・能力が分類されるからと言って,それぞれで方法が違っ てくるというわけでなく,根本的なことは共通するのである。その上で,各々具体的な指 導法が存在するのである。.  まず,人権を肯定的な内容を通して学ぶことが求められる。留意点で述べたように,人.  同上,p224)ことが懸念されるのである。差別用語を扱って,それを使用しないように指導しようとし  ても,逆に子どもがそれらの用語を使いたいという衝動に駆られる恐れがあるのである。 48)安達五男『新版 部落史資料と人権教育一新しい同和教育研究のために一』株式会社1清水書院,1990  年,p.86。. 49)文部科学省「人権教育・啓発に関する基本計画(平成14年3月15日閣議決定)」,  http:〃www.mext.go.jp/a_menu/shotoUlseitoshidou/jinken/06082102/016/010.htm.                    20.

(23) 権侵害という人間のマイナス面に触れることは,学習者に必ずしもいい影響を与えないた め,肯定的な側面を強調し,人権の進歩面や成功例を活用した学習活動が行われるべきで ある。.  そしてその中で,人権の具体について知ることが望まれる。自分がどのような権利を有 しているかを知り,他者もそれを必然的に有していることを理解することが,肯定的な環. 境で行われることが重要なのである。それは教え込みではなく,自らの経験を通して考え 抜いて自らの内側に創り上げなければならないのである。.  また発達段階に応じた学習活動であることも求められる。知識は段階的な積み重ねであ るし,感性も年を経るごとに複雑化していくものであるから,その段階に応じた学習が組 織されることは当然人権教育でも必要なのである。.  さらに,重要なこととして,「隠れたカリキュラム50)」としての人権が尊重される雰囲 気が挙げられる。「自他の大切さが認められるような環境や雰囲気に包まれていることの方 が,特定の時間に行われるすばらしい内容の人権学習よりも,学習者にとって意義のある もの51)」なのである。その中で自然に人権感覚が培われていくのである。.  次にどのように人権教育は実践されるべきか,内実を述べていく。.  人権教育は,生きるカを育む教育活動の基盤として,各教科,道徳,特別活動及び総合 的な学習の時間や,教科外活動等のそれぞれの特質を踏まえつつ,教育活動全体を通じて 行われるものである52)。各教科等やその分野・領域にはそれぞれ独自の目標やねらいがあ. るため,それを達成することに重点を置きながらも,人権教育を位置付けるために,工夫 が必要となる。.  人権教育は,知的理解に関わる知識的側面,人権感覚に関わる価値的・態度的側面と技 能的側面からの指導が求められる。さらに,これらを組み合わせた総合的な指導も必要で ある。知的理解に関しては知識を情緒的に肯定的に受け止められるよう,主体的な学びが できるようにしなければならない。また人権感覚については「人権教育を通じて育てたい 資質・能力の全体構造を意識しつつも,その諸要素の中からいくつかを個別的に順次取り 上げて,様々な場面や機会を活かして促進を図る取組が必要となる53)」。.  次に考えなければならないのは,教材についてである。.  まず何よりも目的にあったものでなければならないことは明らかである。具体的に子ど もたちにどのような知識,技能をつけたいのかを明確にした後,子どもたちが主体的に学 びに参加できるようなものを選定しなければならない。このような教材は子どもの身近な. 50)文部科学省「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]」,  http://www.mext.go.jpfo−menu/shingi/chousalshotou/O24/report/08041404/002.htm. 51)執筆者不明「人権を教育の本流へ」矢和多忠一編著『奈良の人権教育』奈良新聞社,2008年,p.33。 52)文部科学省「指導等の在り方編第H章学校における人権教育の指導方法等の改善・充実」  http://www.mext.go.jpib−menu/shingilchousa/shotou/024/report108041404/004.htm 53)同上.                    21.

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